僧堂教育論

――禅僧の友人に与う――

鈴木大拙




 昔は方外の友などといえば、面白い聯想もあったものである。勿論もちろん近代といえども、僧侶殊に禅僧については、なお従来の伝説やら歴史やら挿話などが、くっついているので、わしらも審美的に方外の友に対して一種の興味を有っていることは事実である。併しこんな趣味がいつまでも続いて行くのがよくないのかも知れぬ、所謂いわゆる中古的骨董的趣味とでもいうべきもので、進化の歴史からは、こんな低徊主義は自ら亡びて行くのが本当かも知れぬ。今日の多くの禅僧達には

楊岐乍住屋壁疎  楊岐ようぎはじめて住するや屋壁おくへきまばらにして
満床皆布雪真珠  満床まんしょう皆なゆき真珠しんじゅ
縮却項暗嗟吁   くび縮却ちぢめ ひそかに嗟吁さう
翻憶古人樹下居  ひるがえっておも古人こじん樹下じゅげに居せしを
(『楊岐法会語録』)

などと貧乏に安んずる清僧も余りないようであり、又

摧残枯木倚寒林  摧残さいざんせる枯木こぼく寒林に
幾度逢春不変心  幾度いくたびか春に逢うも心を変えず
樵客遇之猶不顧  樵客しょうかく之に遇うも猶おかえりみ
郢人那得苦追尋  郢人えいひとなんしきり追尋ついじんするを得ん
(『景徳伝燈録』巻七大梅法常章)

というような風流気のある仙僧も見受けぬようである。これに反して日曜学校をたてたり、病院をこしらえたり、孤児院の世話をしたり、小学校や中学校を経営するものは、そこここに見当らぬこともない、これが禅僧の時勢に適しいやり方なのであろうか。女房もあり子供もあり、葷酒はいうに及ばず肉食も勝手にやるようになった今日では、禅僧について居た古来の聯想や歴史を全く棄てて、当世風になるのが、所謂る和光同塵の精神かも知れぬ。しかしわしらは今日までもなお禅僧の君等を方外の友人として見たいのである。
 中学時代から世話してやった大学の学生がこの頃遊びに来ると、曰く、もう三十以上の人間は今時駄目である、古い頭では何にもならぬと。わしらは三十どころでないのであるから、頭も最も古い方々に属する。そのせいか知らぬが、禅僧などに対する趣味はもっとも古臭い。殊に工業主義、器械主義、商売主義のみ横行する今日のような世界に、昔気質の禅僧が一人や二人、出来るなら、日本全国に百人ばかり居てくれたらと思うこと※(二の字点、1-2-22)しばしばである。貧乏寺でも何でも構わぬが、孤貧を守りて金力に屈せぬ坊さんがいると如何にも愉快に感ずる。大臣だとか華族だとかいえば、慇懃いんぎんを尽くすというような阿附主義でない坊さんがいると如何にも溜飲が下がる。枯淡な生活に安んじて、如何にも古禅僧を憶うというような坊さんに出遇うと、何か知らず有りがたくなる。如何にも消極的ではあろうが、そこに不思議に人を引きつける力がある。自分が権力をはばかり、金力を恐れねばならぬ境遇にいるからの事でもあろう、君等の禅僧の地位が羨ましい。この期待を裏切る坊さんがいると、それだけしゃくにさわるわけであるが、それは余り多くを坊さんに望むからのことであろう。それはとに角として、世間には自分たちのような理想を禅僧の上に懸けて居る人がないでもなかろう。趣味の新古は別として、わしらは保守主義の上にも一種の審美感を有っているのは事実である。これは田舎の爺さんにちょんまげを望むのと少しは違うと思う、強いて言えば、角力取すもうとりの髷をそのままに保存したいと思う位かも知れず。併し予自身にとりては、保守主義の古禅僧にはそれどころでない、もっともっと意義ある何かが著いているように思う。
 ところが、今日の禅宗には段々に古いところがなくなって、どこに禅宗の禅宗たるところがあるのか分からなくなって仕舞った。お経のよみかたが違い、お経が違い、儀式が違い、お寺の構造が違い、衣や袈裟が違う、それだけで禅宗の特色が出るものなら、五山も十刹も、片端しからつぶして、それを皆真宗に代えたらよい。真宗にも制度の上や歴史の上などで随分変更させなくてはならぬものもあるはあるが、日本に発達した仏教、民衆の宗教としては、禅宗などより真宗の方が余程力がある。禅は余りに貴族的で、選ばれたものだけの宗教であるが、真宗には誰人をも包摂する力がある。禅刹をみな真宗に改めるもまた妙ではないか、肉食妻帯お構いなしの処などは、今時の禅坊さんの尤も歓迎するところである。それはそうとして、予が始めから述べたいと思うところは僧堂教育なのである。
 禅宗にはどこにも禅の特色として見るべきものがない、今日の処、禅は一派の宗旨としては、亡滅の悲運を期するより外にないと云うてよい。それにしても何とかして救いたきはその教育法である。その中に始めから居るものは、こんなものなどと云うかも知れぬが、予等の如き俗人にとりては、僧堂教育の精神ほど有り難いものはないのである。予自身の歴史から見て、僅かの年月ではあるけれども、僧堂のご飯を食べたと云うことが、どれほど予が徳性の上に影響を及ぼしたかわからぬ。今でもその時代のことを思い出しては有り難いと感謝して居る。こんな因縁だけでも、予は禅に対して報恩底のことを何か為なくてはならぬと思わざるを得ぬのである。その時代の人で下らぬ坊さんも居たとは思うが、それでも今日一方に割拠して既墜きついの真風を振い起さんとして居る人もないではない。禅宗の命脈は現時のお寺様の上に亡びて、僧堂のうちに繋がれて行くのである。所謂る和尚さまなるものの上には、いやうえに痛棒を加えておいてよいが、禅堂の組織と精神の上には何とかして行末絶えざる栄光あれと祈るのである。
 殊に僧堂教育の精神が現時日本の学校教育の痛処に針を下すが如き趣があるので、これはどうしても守り立てなくてはならぬ、今のままでは勿論よくあるまい。もっと閑があり、金があったら、シナへ行って僧堂の現状から、その地における歴史、それから日本僧堂の沿革などを調べて見たら、何か現時の精神教育に裨益ひえきすることもあると信ずる。今は自身の経験から見た特徴の最も尊ぶべきを二、三述べたいと思う。
 禅堂教育で予の最も喜ぶところはその実地的なるところに在る。人生の実際について直ちに品性の陶冶とうやをやるところが教育になるのである。近頃米国あたりの新教育主義に“Learning by doing”と云う事がある、それは勿論知識修得の上の話である。もとより知識修得がやがて品性陶冶になるので、所謂る智育と徳育とは一つになって行なわれるのである、が、新教育主義の眼目は知識を実地経験の上に獲得しようとする処に在る。僧堂教育はこれを直ちに品性修養の上に実習するのである。「一日不作一日不食」というた百丈の精神は経済的であったか、今日の所謂る共産主義者の心持であったかどうか、それはわからぬとしても、日日の作務普請によりて、禅の力を実地の上に鍛錬することは、禅堂の特色である。大衆が自営主義を実行するのは貧乏のためだけではない、この貧乏で一物いちもつ不将来ふしょうらいの所が又有り難いのであるが、とに角経済の上には托鉢をやり田作りをやり薪拾いをやらねばならぬ。それをやる所に空想妄想の発生を自ら防ぐ途が開けて来る。そうしてその中から水を汲み柴をはこぶ即ち是れ神通妙用じんずうみょうゆうという智慧が湧き出る。かくの如くにして湧き出たものでないと、所謂る学校の卒業生のようで煩悶とかいうものに囚われて仕舞う。何だか理窟はいうても、手や足が言うことを聞かぬ。覚えた理窟は概念で抽象性を帯びているから具体の実地界へ来るとまごつかざるを得ぬ。これを禅坊さんの如何にも甲斐々々しいのに比べると話にならぬ。実地の訓練をへぬと物にならぬ。日本近時の学校教育が形式にばかりなって働きがないのは、つまり僧堂教育の精神がかけているからである。
 第一学校で時間を定めて、朝八時から午後二時か三時まで、何を教え、何を習うというのが間違である。こんな稽古はまず跡まわしにして学校では実地の仕事を先きにやる。学校の掃除、器具の手入れは勿論、まかないもやる、草取りもやる、運動場の設備もやる、その町々の衛生的経営実施もやる、村の道普請もやる、殖林もやる、校舎の増築もやる、電車の軌道も築き上げる、耕作もやる、下水の疎通もやる、園丁にもなる、小使にもなる、使あるきをやる、その外人生社会に必須な仕事は何でもやる、必要なる専門家の指揮の下でこれをやる。これを午前午後の日課にする、或は一日の授業がこれで済んでもよい。何十人か何百人かの学生が手を分けて毎日一定の時間だけこんな塩梅になって行けば、学校のある附近の町々は、余程文明的施設に富むことになるに相違ない。勿論もちろんこれをやるには今日の学校の組織では出来ぬ。根本の主義が違うからである。市の原則、即ち実行によりて学習するという原則を本とした教育法は、又別個の問題として深く実地的に考えて見ねばなるまい。
 とに角、禅堂教育の主眼は実地主義であるから従来の慣習を今少し拡張して、禅堂所在の村々に対して何か社会的計画をやることにまで歩を進めたらどんなものか知らぬ。雲水の大衆は僧堂に何年かいるものとして、その幾年かの一分を社会的奉仕に用うる。本山における事業をたすけるのみでなく、又村の葬式をやるだけでなく、前の川が雨で崩れたらそれも直す、道路の修繕も、小作もやる、村の若いものの夜学や日曜日の稽古や遊びなども指導してやる、村に図書館のようなものでも建てる世話をしてやる、悪い顕俗をめてやる、屋根葺やねふきも手伝ってやる、必要なら車も引く、馬を追う、何でも社会的生活に大切なこと、これを向上するようなことには、大衆の手を貸してやる。そうしてそれに対する報酬は、相手の随意にしておく、而して師家を助けて行く評席格の人々は、是等の奉仕者を監督し、激励して行く、僧堂教育の精神をよく発揮するように世話してやる。
 こんな塩梅に実地に修行して行くと六、七年の後には、世間の経験に習熟した禅坊主さんの幾許いくばくかが毎年社会に出て行くことになる。こんな人々が自分の寺に帰ると、直ちに肉食妻帯の和尚さん又は葬式屋さんにはならずして、その村々のために文化的施設をやろうと思う、自己の向上のために益※(二の字点、1-2-22)学問でもやろうと思う人々が出来る。僧堂卒業の人が皆こうなるではなかろうが、何分の一かがかくの如くなって行けば、十年五十年の後、可なりの人類が日本に出来るようになるに相違ない。
 封建時代の僧堂を出た人は、在堂の間に色々の事を修得した、単に労作的の事だけでなく、趣味的文化的修養さえもやった。詩文の一つも出来るのみならず、坐作進退などの諸儀式も習った。刀のぬきかた、槍の使い方さえも心得る、その外随分さまざまの芸をやった。昔しの坊様は社会的に有用家人であった、人を教うる資格があった。今日は封建の時代と違い、吾々の理想は遥かに広く高くなった。従ってそれに相応した実地の教育が僧堂に行われてもよいと思う。近頃一燈園の評判が高い、善悪の批評はあるが、又一種の試みである。とに角、これに入り来るものが相当にある処を見ると、ある種の希望を満足させるものと見ねばならぬ。奉仕のあとが近代的でなく、又如何にも消極的で、退嬰たいえい主義のところがあるのは、まったく欠点であるというて可い。
 禅宗の坊さんが只冥想にのみ耽けらずに勤労に服すると云う教育はどこまでも保存しなくてはならぬ。百丈が「一日作さざれば」の精神を、経済的にだけでなく、寧ろ宗教的に解して、これを禅堂の根本主義に、いつまでも、しておきたいものである。
 実行によりて学習すと云う精神と相並びて大切なのは陰徳を重んずることである。これはシナから伝来した禅風かどうかは知らぬが、禅堂生活の第一義としてこの「左の手でした事を右の手に知らせない」と云う道徳は、是また誠に有り難いことである。世間的道徳律をのみ見て居た青年の自分が禅堂に入りてこの陰徳主義を教えられたとき、これは誠に有り難いことであると思うた。何でもないようなことであるが、わしらの頃には、禅堂で朝起きて面なり手なりを洗う水の如何にも少なかったことである。普通手洗水鉢に備えてある手杓の三分一ほどの手製のものがあった、それで汲み得る水で面を洗うのである。又それで口をすすぐのである。猫の顔を洗うような塩梅であった。なぜそんなことをするのかと聞けば、陰徳をつむのである。天与のものを無駄使いせぬのであると云われた。そこにどんどん水が出て居てもそれである。その時私は思うた。成程そうである。われらは天与のものを乱用アビユースする権利はない。太陽は正直なものの上にも、不正直なものの上にも照ると云うが、われらから見ればその照るのが有り難いのである、勿体もったいないのである、この勿体ないと云う事が宗教の精神である。禅宗では人を人とも思わぬようなことをやるが、それでもこの勿体ないと云う心、与えられたものを無暗むやみに使い尽さぬと云う心がなかったら、多くの禅坊さんは皆より速かに地獄へ堕つることであろう。この主義を推して行くと中々種々の事の上に応用せられる、今一々これを説くわけにゆかぬが、どうしてもこの勿体ないという心持が何事につけてもなくては十年二十年の修行も全く無用である。陰徳をつむという処に語弊はある。が、勿体ない、有り難いという心には、誠に尊むべき宗教心の閃めきが仰がれる、禅の修行もこれを目当にしなくてはならぬ。一向宗の人は何かいうと「有り難うございます」という、口癖といえばそれまでであるが、ここに留意すべき心念がある。基教の人は謙遜ヒュミリティーという、その心持は「有り難い」と同じであろう。どの教でも究竟はここへ来ることではないかしらん。
 この「有り難い」を禅堂教育の中心主義としたい。これは義務心だとか権利だとかいうのではない。只何故とも知らずに「涕涙ているいこぼるる」である。こうなると報酬の念が出なくなる。近代文化の大禍害を癒やし得る最上の良薬はこの無報酬の念でなくてはならぬ。何かというに、今日吾等の文明が吾等の精神の上に加えた最も罪深い仕業は、何事をも金銭で勘定をつけるということである。如何なるものも何かの代金で買われるという考え、これが近代文明の一切の悪事の基本的概念なりである。あれはいくらの収入がある、いくらの財産を持って居るなどいうことが、すべての人の上下貴賤を批判する唯一の標準になって仕舞った。何でもかでも金銭でその価値を定めるというのである。是れは如何にも賤しい考である。どうしてもこの考から超越しなければ、本当の精神的価値は出て来ぬ。世間の学校では形式的の忠孝主義や愛国心の鼓吹をやったけれども、これには亦時代錯誤の処もある。これからは人間の真個の価値というものを目当てにして、これを完成するようにしなくてはならぬ。そうして之をするには無功用主義の道徳をその根本から闡明せんめいするということが先ず第一である。
 何でも金銭で勘定することになると、金持ちが一番えらくなる、これが今日の趨勢である。あれは何百万円出したとか、家屋や庭園を公共用に提出したとか云うと、新聞などは大騒ぎをやる、如何にも馬鹿げた話しである。わしらは金こそ提供しない、地面こそ寄附しない、そんなものは始めからないのである。併しわしらは自分の持って居る力を日々提供して居る。少しの学問でもあれば、それを奉仕の用に使う、読書の力、文章の力、思索の力、何でも有るものはことごとく公衆のため文化促進のために使って居る。そうして是等は金銭で換算せられて居らぬ、その実は換算出来ぬのである。禅堂の師家など如何にも無報酬労働主義を体験して居らるる、えらいものである。その労働を資本主義家の金にしたらどの位になるか知れぬ。数字に直して何十とか何百とか云えば、世間の盲目漢はきょろきょろする、如何にも見苦しい。共産主義の人々は此等俗人の俗見にいて来た、それでこれを経済的見地から改造しようと思うのである。併し見地が経済的水準を出ない以上は、何処かに欠陥が現われないでは止まぬ。そうしてその欠陥が以前のより更に大なるかも知れぬ。どうしても考を経済学以上の処まで上げなくてはいけない。それをなし得るのは、宗教の力、殊に僧堂の如き教育組織の下で成就すると信ずる。
 今日の僧堂教育は種々な方面から改造を要することであろう。それはその局に当るものが深く考えたら何か名案が出るに相違ない。只わしらのおおいに当局者に頼みたいことは、上来じょうらいほんの大体だけを述べた陰徳と労力主義との二つを教育の中心にして万端の施設をそれから割出して欲しいと云うことである。この二つは何れも今日の教育の弊を矯めるの最も有効なる原則である。これが昔しから僧堂に伝わって来たと云うことは、吾等の祖師に対して大に感謝すべきところなのである。恐らくは予が禅僧に対する保守的趣味の根元を分析して見ると此等両個の原理に対するあこがれが現われ出るも知れぬ。近頃そこらあたりに、いくつとなくごろごろして居る禅寺の坊さんに対する嫌悪の念、又その中に二、三今尚古風を標榜して居らる禅僧に対する欣幸きんこうの念、この二つの正反対の感じが、わしら俗人どもの胸に往来するのは、単に保守主義に対する審美感より出るのではないかも知れぬ。もっと深いところに何かあるのであろう。吾等の宗教的意識は近代化した禅宗だけでは、何としても、満足することが出来ぬのである。
 尚君に書きつけて送りたいこともあるが、余り暑いのにと思うて又次の折を待つことにする。





底本:「禅堂生活」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年5月17日第1刷発行
底本の親本:「鈴木大拙全集 第三十一巻」岩波書店
   2002(平成14)年4月5日
初出:「中外日報」
   1922(大正11)年8月17日―20日、22・23日
入力:酒井和郎
校正:岡村和彦
2017年6月18日作成
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