庶民の食物

小泉信三




 魚をじかに火であぶるということは、ほかの国ではしないことなのか。西洋を旅行して、裏町を歩いても、魚を焼く匂いをかいだ記憶はないように思う。青煙散ジテ入ル五侯ノ家、という唐詩の句は、別のことを詠じたものであるが、とにかく、脂ののった魚を焼く煙が、民家の軒をくぐって青く夕暮の空に上るという景色は、日本独特のもので、われわれに強く国土と季節を感ぜしめる。
 魚を焼くといえば、まずサンマと鰯を想うが、この国で、こんなうまいものが、安く、誰の口にも入るとは仕合せなことだ。私の母は鰯が好きで、私たちが子供のとき――その頃私は魚よりも肉を好んだが――焼いた鰯を食べさせながら、「こんなおいしいものを天子様にさし上げたい」と、よくいった。鰯やサンマのような下魚(げうお)は、宮中の食膳には上らないものと思っていたらしいが、きけば事実は必ずしもそうでもないらしい。それはとにかく、人間が――ことに勤勉で勇敢な日本の漁夫が――捕り過ぎて、魚がだんだん少なくなっていくという。鮭も鱒も蟹もであるが、ますます増加する人口のため、サンマと鰯は取りとめたいものである。
 サンマ、鰯といえば、温かい飯とこなくてはならないが、贅沢な料理の膳に向ったときよりも、かえって家庭で、このような質素でうまい食事をするときに、今日もこうして無事に飯を食うと思い、飯が食えるということが、人類にとってどんなに重いことであるかというようなことを、考えさせられる。サンマから佐藤春夫の詩を憶い出していうのではないが、ひとはどうか、私は食事のときに自分の心が感じやすくなっているのを自覚する。よく食事をしながら、人の哀れな身の上や、健気けなげな振舞の話をきいて、涙を落とすことがある。唾腺と涙腺とはなにか特別の関係があるものか。きいてみたことはないが、昔から、箸を投じて落涙するというような話があるから、これは私一人ではないのかもしれぬ。
 少年時代住んでいた三田の家の、少し離れた並びに、昔、福沢先生を頼って故郷の中津から出てきたという、豊前屋という相当な米屋があり、夕暮など、近所の裏長屋のおかみさんが、味噌漉みそこしを前掛けの下にかくすようにして、その敷居をまたぐのを、私は見て知っていた。米の一升買いっしょうがいということの意味を、少年の私は解していた。どうかすると、わが家の食事のときに、そんな景色を想い出して、急に喉がつまり、涙の味のする飯のかたまりを、無理にみこんだような記憶がある。
 私は政治上あまり好んで民主主義を振り廻すほうではないが、右に書いたような意味で、食物に対する好みは民主的といえるであろう。いたずらに高価な、季節外れの珍味などを出されることなど、好きでない。凝ったもの、ヒネッたもの、変ったものはすべて敬遠するほうである。さして変った物というほどではないが、蝸牛かたつむりや蛙も御免をこうむりたい。知らずに食うことのないようにと、シナ語の田鶏、フランス語の Grenouille が蛙であることを、私ははやくから調べて用心している。先年、東京のある料理屋で、加賀の白山の狸汁というものを出されて、腹を立てたことがある。第一、汁の味である。私には臭くて、脂こくて喉を通らなかった。けれども、それは好き好きだから、これが結構だというものを、強いて留める必要はない。ただその狸を、加賀白山の産とことわったのは、どういうことだろう。これが松阪の牛肉だとか、何川の鮎とかいうなら誰にもわかることで、それをことわる理由もあるだろうが、人間の常食でない狸の肉に、特にその産地を掲記する主人の心理はどんなものであろう。どうもそこにコケオドカシがあるように思われて、辛抱しかねた。当時そこのことをちょっと書いたら、幸田露伴が見たということで、至極同感だと、人伝てにいって寄越してくれた。
 私はそうたびたびは出会わないが、小料理屋の主人などに、客に対し、ウマイものを食わしてやるという顔をするのがあるのは、閉口だ。主人自身もだが、またその主人の意を迎えて、阿諛追従あゆついしょうの見本を示す客もあるのは、なお困ったことである。いつかアメリカの雑誌に、ニュウヨオクのある大料理店の給仕長(だった男)の、チップに対する経験談が載っていた。客に対してどのようにサアヴィスするのが一番貰いが多いか、というのである。彼の結論は、いんぎん鄭重ていちょうにするよりは、無愛想で、威嚇いかく的であるほうが好成績だというのであった。なかなか面白い話だと思って読んだ。もしはたしてこのとおりであるなら、「食わしてやる」タイプの料理屋の主人は、よく考えた商売上手ということになり、事実もそのとおりに違いあるまいが、客の一人としては、やすやすこんな手に乗って、合唱する仲間の多いことは、口惜しき次第である。
(こいずみ しんぞう、東宮御教育参与・経博・元慶応義塾塾長、三二・一)





底本:「「あまカラ」抄2」冨山房百科文庫、冨山房
   1995(平成7)年12月6日第1刷発行
底本の親本:「あまカラ 新年号 第六十五号」甘辛社
   1957(昭和32)年1月5日発行
初出:「あまカラ 新年号 第六十五号」甘辛社
   1957(昭和32)年1月5日発行
入力:砂場清隆
校正:芝裕久
2020年4月28日作成
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