白猫に関しては、誰もが皆子守語りに覚えてしまう有名な話がある。これから私が語ろうとしているのは、優しい王女様が魔法の力で暫しの間白猫に化けるというそんな話とは大きく異なった物語だ。もっと邪悪な白猫の話である。
リムリックからダブリンに向かう旅人は、左手のキラローの丘陵を通り過ぎ、峻立するキーパー山が見える所までくると、低い丘の連なりが右から迫り、次第に閉じ込められていくような気分になる。平原は起伏しながら次第に道よりも低い所まで落ち込んでいき、その荒涼たる憂鬱な性格を和らげるものといえば、疎らに見える低木の垣根くらいだった。
そんな人里離れた平地にも、薄い泥炭の煙を上げる人家が僅かにあった。その一つが粗い草葺き屋根で土造りの「大百姓」(*1)の家だった。マンスターでは裕福な小作層をこう呼ぶのだ。それはうねうねと流れる小川の岸に沿った木立の中にあり、おおよそのところ、山々とダブリン街道の中間に位置していた。その借家にはドノヴァンという一家が代々住んでいた。
私はこの遠隔の地で、入手したいくつかのアイルランドの記録を調べ、アイルランド語を教えてくれる先生を探そうと思った。そのためには夢見がちで無邪気、かつ教育のあるドノヴァン氏がうってつけだったのだ。
彼にはトリニティ・カレッジの奨学生として学んだ経験があることを私は知った。現在彼は教鞭をとることで生計を立てており、私の研究のもつ独自の方向性が自国びいきの彼を喜ばせるだろうと思った。彼は胸襟を開いて、長年胸に秘めてきた思想、故郷と幼き日の想い出、そういったものを大いに語ってくれたからだ。この話を聞かせてくれたのは彼であり、私はできるだけ忠実にそれを再録したいと思う。
私は自分自身でその古い農家を見たことがある。果樹園には苔むした林檎の大木があった。見回すと、奇妙な風景が目に入った。蔦に覆われた屋根のない塔。二百年前には暴動と反逆(*2)からの避難所として役立っただろうし、今もなお昔ながらの場所に鷹の様な目つきで建っている。灌木が繁る「砦」。百五十段も歩けば過ぎ去りし民族の労苦の跡が残る。背後に聳えるのは懐かしいキーパー山の黒い塔のような輪郭、近くにはハリエニシダとヒースが生える丘々が行く手を阻み、灰色の岩と痩せっぽっちのオークないしカバが一本の線を描いて。風景を覆う孤独感が、この世ならぬ野蛮な話には悪くない舞台をなしていた。遠くまで一面雪に覆われた灰色に凍てつく朝、あるいは秋夕の憂鬱なる美観の中、あるいは冷たく冴え渡る月影の下、誠実なるダン・ドノヴァンのような夢見がちな精神がいかほど迷信を植付けられ、幻想を見たがる傾向を強めさせられただろうかと思ったものだった。しかしながら、これほど正直な人物、全面的な信頼に足る人物にはどこでも会ったことがないのも確かである。
子供の頃、と彼は語った、ドラムガニョールの家に住んでいました。いつもゴールドスミスの『ローマ史』を持ってお気に入りの席に下りていったものでした。その席というのは山査子の木陰になっている平らな石で、そばには小さなロッホ――広くて深いため池のことで、イングランドではこういうのをターンと呼ぶと聞いたことがあります――がありました。そのロッホは野原にできた緩やかな窪地で、南側から古い果樹園が覆いかぶさっており、静かに勉強するにはもってこいの場所だったのです。
ある日、いつものようにそこで読書していた私は、今まで読んでいた英雄の活劇のことを考えながら、疲れ切った目を紙面から上げて周りを見渡しました。私は今現在と同じくらいはっきりと目覚めていましたが、一人の女の人が果樹園の隅から出てきて坂を歩いて下っていくのが見えたのです。浅い灰色のロングドレスを着ていて、あまりに長いので背後の草を掃き掃除しているみたいでした。女性の衣装が慣習によってガチガチに固定されているこの地方では見かけない姿でしたので、その女の人から目を離すことができなかったのです。広い野原だったのですが、女の人の進路はその隅から反対の隅まで対角線状に延びていて、そこから全然逸れずに歩いていました。
近くまでくると、女の人が裸足なのがわかり、また遠くにある何かの目印をじっと見つめているのが見えました。女の人がそのまま進めば――例のターンがなければですが――私が今座っている点のちょうど十メートルほど下の所を通ることになります。ロッホの縁にきたら向きを変えるだろうなと思っていた私の予想を裏切って、女の人はそんなものがあるのに気づかない態でそのまま進みました。でですよ、サー、いま貴方が見えるのと同じようにはっきりと、女の人が水面を歩いていくのが見えたのです。そして通り過ぎていきました。あの距離では私のことは見えなかっただろうと思います。
混じりけのない恐怖に倒れそうになりました。私はそのときほんの十三歳だったのですが、細かな点までいまここで起きたかのように思い出せます。人影は野原の反対側の隅にある隙間を通って、そこで見えなくなりました。私はもう家まで歩くのがやっとで、酷く神経質になり、最後は病気になって三週間家から出られなくなってしまいました。一人でいることに片時も耐えられなくなっていたのです。その野原には二度と入ったことがありません。それほど、そこのあらゆるものに例の記憶という衣が被さっているのですよ。遥かな時を隔てた今でも、通り抜けるなんてまっぴらご免です。
私はこの亡霊をある神秘的な出来事と結びつけて考えました。あるいはまた私の一家に独特の、というかこの八年間近くというもの私の一家を責めさいなんできた、一つの特別な障害と。それは想像なんかじゃありません。この界隈の者なら誰でも知っていることです。誰だって、私の見たものをそれと結びつけますよ。
そのことをできるだけあらいざらい打ち明けましょう。
それは私が十四歳だった時――ロッホのある例の野原で問題の光景を見てからおよそ一年後のことです――ある夜のこと、私たちは家で、品評会のためにキラローに行った父の帰りを待っていました。母は父を出迎えようと寝ないでいましたし、私も一緒に起きていました。そんな夜更かしは何より好きでしたから。弟や妹は(*3)もう寝ていました。農場の使用人たちも、品評会から牛を連れ帰る男たちを除いて寝ていたのです。母と私は炉端に座って無駄口を利きながら、冷まさぬように暖炉にかけたままにしていた父の夕食を見張っていました。馬に乗った父は牛を追う男たちより先に帰ってくるはずだと判っていましたし、父も、男たちがちゃんと道に出て真っすぐ家に向かうのを見たら直ぐに帰ると言っていました。
やっと父の声が聞こえ、ドアを重い鞭でノックする音がし、母は父を中に入れました。この地方の同い年ぐらいの子供の中ではとりわけ、私は父が酔っぱらったところを見たことがないと思います。ですが、父も他の人同様ウィスキーを一杯ひっかけることはあって、品評会から帰る時にはいつも頬を上気させ、少しばかり陽気なほろ酔い加減だったのです。
今夜、父は沈んだ様子で、悲しそうに青ざめていました。家に入った時手にしていた鞍と手綱を、ドアのそばの壁にかけ、母の頚に腕を回して優しくキスしました。
「お帰りなさい、ミーハル。」と言って母は心からの口づけを返しました。
「神のご加護のあらんことを、愛しい人」父は応えました。
そして母をもう一度抱擁すると私の方に向きました。父の注意がこっちに向かないのに焼きもちを焼いて、腕を引っ張ったのです。私はその年齢としては小柄でしたので、父は私を腕で持上げてキスし、私も父の頚に腕を回しました。父は母に語りかけました。
「閂をかけてくれ、おまえ(*4)。」
母は言われた通りにしました。父はがっかりする私を降ろし、火のそばに行ってスツールに腰掛け、明るい泥炭の方に足を投げ出すと、両膝に手を乗せました。
「起きてよ、ミック、あなた。」心配を募らせながら母が言いました「家畜はどのくらい売れたの? 品評会じゃみんな上手くいった? そこで地主と何かあったりしなかった? いったい何を悩んでるのよ、ミック、大事な人。」
「何もないよ、モリー。おかげさまで雌牛はよく売れたよ、地主と喧嘩したわけでもない、いつもと同じだったよ。まずいことはどこにもなかった。」
「そう、ミッキー、じゃあ、こっちを向いて晩御飯をお上がりなさいよ、温めておいたから。何か目新しいことはなかった?」
「晩飯は食ってきた、モリー、途中で。もう食えない。」父は答えました。
「途中で晩御飯を食べてきたですって、家に用意してあるのも、女房がずーっと寝ずに待っているのも知っていて!」母は非難の叫びを上げました。
「お前は俺の言ったことを間違った意味に取ってるんだよ。」父は言いました。「一口も食えなくなったのは、ある出来事のせいだ。それで俺はお前と一緒に暗くなってもいられないんだ、モリー、もしかすると、俺がここにいるのももうあんまり長いことではないかも知れないからだ。それが何だったか言おう、俺が何を見たか。白猫だったよ。」
「神様が災難から守ってくださるわ!」母は絶叫しました。一瞬にして父と同じように蒼くなり、沈み込んでしまったのです。そして、なんとか元気づけようと、笑って言いました。「ハ! 私をからかっているんでしょう。この前の日曜日にグレイディの森で白兎が罠にかかったし、ティーグは昨日藁積み場で大きな白いドブネズミを見たわよ。」
「そこにいたのはネズミでもウサギでもなかった。ネズミやウサギを大きな白猫と見間違える俺ではない。両の眼は緑色、半ペニー玉(*5)くらいの大きさがあって、太鼓橋みたいに背中を聳やかしながら、早足で俺の前を横切った。もし俺が立ち止りでもしたら、そいつは横腹で俺の臑を撫でてやろうと待ち構えてた。俺の頚に飛びついてがぶりとやるつもりだったのかもしれない。それともあれがただの猫で、もっと悪いものじゃなかったとでも?」
説明の終わりの方は低い声でした。真っすぐ火の方を見ながら、父は大きな手を引き寄せ額を二度三度とこすりました。顔は暗く、恐怖の冷や汗にまみれ、てかてかと光っていました。重々しいため息をつきました。あるいは、うめき声と言うべきだったかもしれません。
母は再びパニックに陥ってしまい、恐怖の中また祈り始めました。私もまたひどく怖くなり、今にも泣きそうになっていました。白猫のことを残らず知っていたからです。
元気づけようとして父の肩を叩いていた母は、父にもたれかかるとキスしながら、とうとう泣き出してしまいました。父は両手で母の手を堅く握りしめ、大変な苦悩に苛まれているようでした。
「俺と一緒に家に入ってきたものはなかっただろうな?」父はとても低い声で私の方に向きかえりながらこう聞きました。
「何もなかったよ、父さん」私は言いました「手に持ってた鞍と轡だけだった。」
「何か白いもんが俺と一緒にドアからへえってきたりしなかったんだな」父は繰り返し聞きました。
「全然、何にも」私は答えました。
「そりゃ良かった」父はいい、十字を切る身振りをして、ぶつぶつ独り言をいいはじめました。私には、それが祈りを上げているのだということがわかっていたのです。
しばらくしてお祈りが済んだ頃、母が父に、それを最初に見たのはどこかと聞きました。
「俺が馬に乗ってボーリーンを登ってきたとき」――ボーリーンはアイルランドの言葉で小径を云います。百姓家に登っていく道みたいなものです――「使用人たちは牛と一緒に道を通っていて、馬の相手をしているのは俺だけだということに気づいた。だったら俺だって奴を下のでこぼこした野原で遊ばせてやってもいいんじゃないかと思ったんだ。で、俺は奴をそこに押し込んだ。奴は落ち着いていて、たてがみ一本振り回さなかった。そこまでずっと気楽に乗ってきてたからな。奴を放して振り返った時だ――鞍と轡を手に持ったまま――あいつを見たのは。小径の脇の背の高い草を押し分けて現れ、俺の目の前を渡った。そしてまた同じように引き返し、俺の前をだ、右に行ったり左に行ったり、俺を光る目で見ながら。おかしなことを言うようだが、あいつが横に――おまえと同じくらい近くまで――来たとき、うなり声を上げているのが聞こえた。俺がここのドアまで来て、ノックをしてお前たちに声をかけるまでずっと。」
え、それはこんなことだったのか、こんなちょっとした出来事が父と母と私自身を、そして最後はこの田舎の住民みんなをかき回したのかって? そう、これがそれだったのですよ。一人残らず皆が信じていたのです、こんな風に白猫と出逢うのは、父の死が近づいているという警告だと。
それまでこの凶兆が外れたことはありませんでした。今回も同じでしたよ。その一週間後に父は熱を出し、どんどん病状が重くなって、ひと月経たずに他界しました。
我が誠実なる友、ダン・ドノヴァンはここで一息いれた。唇がせわしなく動いているため、祈っているように見えた。亡き人を偲んでのことに違いないと私は思った。
少しして、彼は再び語り始めた。
この凶兆が初めて私の家族に取り憑いてから八十年になります。八十年なのかって? ええ、そうです。どちらかというと九十年ですよ。この件に関わること全般を良く覚えている多くのお年寄りから、昔のことを聞いておいたんです。
事の起こりはこんな風でした。
私の大伯父であるコナー・ドノヴァンは、元気だった頃ドラムガニョールに古い農園を持っていました。父よりも、父の父よりも、ずっとお金持ちでした。バーラガーンを短期間借りて、それで稼いだのです。ですが、お金があっても大伯父の無情な心根は柔らかくはならず、言いたくはありませんが、冷酷な男でした――心の冷たい男の大半がそうであるように、間違いなく身持ちが悪かったのです。何かにいらだつと、心を鍛えるかわりに酒を飲み、呪いの言葉を毒づいたものです。
その頃、山の上の方、キャパー・カレンから遠からぬ所にあったコールマンという家に、一人の美しい娘がいました。現在ではその一家は死に絶え、そこにはコールマンという家は一軒もないと聞きました。あの大飢饉の年月は物事をすっかり変えてしまったんですよ。
娘はエレン・コールマンといいました。コールマン家は裕福ではありませんでした。ですが綺麗な娘さんでしたから、良い相手が見つかったはずでした。可哀想に、その娘さんは結婚しませんでした。いえもっと悪いことに、結婚できなかったのです。
コン・ドノヴァン――大伯父のことです。神よ大伯父を許し給え!――はどこかの品評会か守護聖人の日の集会で娘を見初め、恋に落ちました、誰でもそうでしょう?
大伯父は娘を酷い目に遭わせました。結婚すると約束し、親元から連れ出した挙げ句、捨てたのです。そんなの昔の話だとばかりに。その娘にもう飽きていて、もっと世の中に打って出たかったのですね。そしてコロピー家の娘と結婚しました。娘には大変な財産が付いてきました――乳牛二十四頭、羊七十頭、山羊百二十頭。
このメアリ・コロピーと結婚した大伯父はますます金持ちになり、その一方で、エレン・コールマンは失恋のため死にました。ですが、これも大百姓を大して患わすことにはなりませんでした。
大伯父は子供が欲しがったのですが、一人もできませんでした。これが大伯父の背負った唯一の十字架で、それ以外のことは全部思い通りにいったのです。
ある夜、大伯父はニーナーで開かれた品評会から帰るところでした。その頃は道を横切って浅い小川が流れていて――そこには後に橋が架けられたと聞きました――夏の乾燥した時期には涸れてしまうことがしばしばでした。小川は大して曲がりくねりもせずドラムガニョールの古い百姓家の近くを通っていたため、そのような時には家に帰る住民が近回りをするための道のようになっていたのです。その晩は明るい月夜だったので、大伯父はこの涸れ川に馬を向けました。二本のトネリコの木がある農場の仕切り(*6)に辿り着くと、大伯父は向こう側の端にあるオークの木の下の隙間を通って中に入ろうとして、川原に乗り入れました。家のドアまでもう何百メートル(*7)もないところです。
「隙間」に近づいた大伯父はあるものを見ました、あるいは見たと思いました。それはゆっくり動きながら、大伯父と同じ場所に向かって滑るように坂を昇り、時には何か柔らかな輪郭を持つ白いものを伴っていました。大伯父はその白いもののことを自分の帽子より大きくはなかったが、何なのかよく見えなかったと言っていたそうです。それらは生け垣に沿って動くと、大伯父自身が目指していた地点で消えました。
隙間に辿り着いた途端に馬が動かなくなりました。急き立てても宥めすかしても無駄でした。大伯父は馬を下り、手綱を引いて隙間を通り抜けようとしたのですが、馬は後ずさりし、鼻を鳴らし、ブルブル震えて痙攣しはじめたのです。大伯父はもう一度馬に跨がりましたが、馬は怖がったままで、撫でようが鞭を当てようが頑固に逆らい続けたのです。明るい月夜でこんなに家の近くにいるというのに、馬が逆らう原因が見えず、我慢というものを知らない大伯父はいらだって切れてしまい、思い切り馬に鞭と拍車をくれて罵りと呪いの文句を吐き出しました。
突如馬が飛び上がり、コン・ドノヴァンは、オークの大枝の下を走り抜ける時、はっきりと見たのです。一人の女が脇の土手に立っているのを。女は両腕を伸ばし、その手で飛び過ぎていく大伯父の両肩を突き飛ばしました。勢い、大伯父は馬の首の所まで飛ばされ、馬は野生の恐怖にかられて、ドアまで疾走し、そこで震えながら、湯気を上げながら立ち止まりました。
中に入った時、大伯父はもう生ける屍のようになっていました。大伯父は少なくとも自分が話してもいいと思った範囲では説明しました。妻はどう考えていいかさっぱり判らなかったのです。ですが、何かとても悪いことが起きたのだということだけは疑う余地がありませんでした。大伯父はぼんやりとして、重病のようになって、即座にお坊さんに来てもらえないかと乞いました。大伯父はベッドに運ばれましたが、その時、肩の肉に五つの指紋がついているのが見えました。それは亡霊が突いた所でした。この風変わりな徴は――目にした人は、雷に撃たれた場合につく色に似ていると言っていましたが――大伯父が死んで埋葬される時まで残ったままでした。
周りの人に自分のことを話せるまで回復した大伯父は――心に重荷を背負い、良心に責められながら、まるで死を間近に控えた男のような話し振りでした――我が身の上に降り掛かった出来事について繰り返しましたが、隙間の所に立っていた人物の顔は見もしなかったし知ってもいないといいました。そんな話、誰一人として信じませんでしたね。お坊さんにはもっと多くを語りました。確かに大伯父は秘密を抱えていたのです。別に正直に打ち明けてしまっても良かったんですよ、近所の人はみんな知っていましたから。大伯父が見た顔が死んだエレン・コールマンのものだと。
その時以来私の大伯父は再起不能に陥りました。おどおどとした、口数の少ない、無気力な男になってしまったのです。これは初夏の頃のことで、同じ年の落葉の頃に亡くなりました。
もちろんのことですが、お金持ちの大百姓にふさわしい通夜が営まれました。何かの理由でその儀式は通例とは少し異なった手はずで行われました。
普通なら、亡骸を家の大部屋――キッチンと呼ぶのですが――に安置します。さっき言った通り、どういうわけか今回だけは特別な部屋の使い方をしました。亡骸を大部屋の隣の小部屋に置き、間のドアを通夜の間じゅう開けておいたのです。ベッドの周りにロウソクを立て、テーブルにパイプと煙草を置き、中に入る気になった客用のスツールを何脚か据えて、彼らを接待する間はドアを開けておくわけです。
通夜の準備をする間、安置された亡骸は、そのまま小部屋の中に置いておかれました。夜の帳が降りた後、一人の女の人がベッドの近くに置き忘れた椅子を取ってこようと中に入ったのですが、叫び声を上げて飛び出してきました。なんとか話ができるまで回復した彼女は「キッチン」の遠い方の端で、口をあんぐりと開けた聴衆に囲まれながら、やっとのことでこう言いました。
「あたしを罪からお救いください、あの人の頭はベッドの背に凭れてなくて、じっとドアを見下ろして、目玉が銀のお皿みたいにでかくって、お月様の光でぎらぎら光ってたのよ!」
「なんだよ、ふざけてんのか?」農場の小僧さんの一人が言いました。小僧といっても、男なら何歳でもいいんですよ。
「ねえ、モリー、口を閉じなさいってば! 明かりも無しに暗い部屋へ入ってですって、またおかしなことをいうじゃないの。どうしてロウソクを持ってかなかったのよ、ねえ、お馬鹿さん(*8)?」仲間の女性の一人が言いました。
「ロウソクなんてあってもなくっても、あたしは見たの」とモリーは言い張りました。「そればっかりじゃないのよ、聖書に誓ってもいいけど、あの人の腕がさ、ベッドから床の上に伸びてたのよ、まともな長さの三倍くらいになってたわ。それでさ、あたしの足を掴もうとしたんだから。」
「くっだらない、このお頓痴気! あの人があんたのあんよを欲しがるですって?」誰かが軽蔑したように叫びました。
「どなたか、私にロウソクをくださいまし――神の御名にかけて」サール・ドゥーラン媼が言いました。背筋が伸びた痩せた女性で、まるで僧侶のように祈ることができた方です。
「ロウソクを渡して」皆同意しました。
ですが、口ではどんなことを言っていたにせよ、誰もが青ざめ、ドゥーラン夫人についていくほど心がしっかりした人は一人もいませんでした。夫人は唇が追いつく目一杯の速さで祈りの言葉を呟き、獣脂ロウソクを小ロウソクのように指に挟んで、先陣となったのです。
ドアはパニックをきたした娘が半開きにしたままでした。部屋をよく調べられるようにロウソクを高く掲げながら夫人は中に踏み込みました。
娘が言ったように不自然な様子で床に伸びていたことがあるのかも知れませんが、大伯父は再び自分の上に掛けられていたシーツの下に戻っていました。のっぽのドゥーラン夫人は部屋に入る時亡骸の腕を通り過ぎましたが、そのせいで危ない目にあうこともありませんでした。ところが、ロウソクを掲げた夫人は一二歩進んだかと思うと、汗びっしょりの顔で、突然立ち止まり、今では全体を見渡せるようになったベッドを睨みつけたのです。
「主よ、私らにご加護を、ドゥーランさん、奥さん、お戻りなさいよ」次に入ってきた女の人はこう言って早速夫人のドレス――「コート」と呼びますが――を掴むと、戦いた様子で引き戻しました。夫人の後をついていった人たちが怯んだのは、夫人が立ち止まったことから警告の臭いを嗅ぎ取ったからです。
「静かにしてくださらない?」有無を言わさない口調で先頭に立った夫人は言いました「あなた方がうるさいので良く聞こえませんよ。それに、ここに猫を入れたのは一体どなたで、どなたの猫なんですか?」死体の胸の上に座る白猫をうさんくさそうに見つめながら、夫人は糾しました。
「誰かそれをどけてくださいませんか?」再び話し始めた夫人は冒

皆指示を復唱しましたが、実際に手を動かそうとする者はいませんでした。十字を切り、口々にそれがどんなに悪い質の獣か推測したり懸念を囁いたりしていました。その家の飼猫ではなく、これまでに見かけたことがある人もいなかったのです。突然、白猫は死体の頭の所にある枕の上に座り込み、そこから顔越しにしばらくこちらを睨むと、ゆるやかに死体の上を辿ってやってきたのです。近づくにつれ、低く敵意を込めたうなり声をたてながら。
彼らは酷く狼狽しながら後じさって、部屋を出るが早いかドアを閉めてしまい、かなりの間中を覗いてみようなどという猛者は出てこなかったのです。
白猫は元の場所、死体の胸の上に座っていましたが、今度は静かにベッドの脇に這い降り、その下で見えなくなりました。敷布が長いベッドカバーのように床近くまで垂れていた、その蔭に入ったのです。
お祈りをし、十字を切り、怠り無く聖水を振りかけながら、彼らは覗き込み、最後は探りを入れ出しました。鋤や「ワットル」や三つ又などの農具をベッドの下に突っ込んだのです。ところが猫を見つけることはできず、彼らは敷居のあたりで立ち止まっている間に足元をすり抜けられたのだろうと考えて納得したのです。そこで彼らは掛けがねと南京錠を使って厳重に戸締まりしました。ところが翌朝、ドアを開けてみると、何事もなかったかのように白猫が死体の胸の上に座っているではありませんか。
またしてもほとんどそっくり同じ光景が繰り広げられ、似たような結果になりました。違ったのは、うろついた後で猫がいたのは外側の部屋の隅にある大きな箱の下だったという点だけでした。そこは大伯父が借用書などの書類と祈

ドゥーラン夫人は、歩く先々で踵の所からそれのうなり声がするのを聞きました、それなのに姿は見えなかったのです。椅子に座ると背もたれに跳び上がるのが聞こえ、耳元で唸るのが聞こえました。それで夫人は叫びながら飛び上がり、お祈りの文句を唱えたものでした。今にも喉元に飛びかかってくるのではないかと恐れたのですね。
年老いた果樹の枝蔭にいたお稚児さんはあたりを見回して、大伯父が安置されている部屋の小窓の下に白猫が座っているのを見ました。白猫は、猫が鳥を狙う時のように四枚の小さなガラス板を見上げていたのです。
そんなこんなの末、猫はまたしても遺体の上に現れました。死体を一人で置き去りにした時はいつでも、その部屋を訪れた人の目に、死んだ男に不吉なくらい近寄って猫がいるのが見えたのです。こういったことが何度も何度も繰り返して起こり、やっとのことでドアを開け通夜の式を始めた時にはもう近所の噂と恐怖の的になっていました。
大伯父は亡くなり、然るべき厳粛さの裡に埋葬され、私はこれで大伯父と縁が切れました。ですが、白猫との間はそうは問屋が卸さなかったのです。私の家族に取り憑いたこの不吉な亡霊ほどに、一つの家系にしつこくまとわりつくバンシーなんていやしませんでしたよ。ところが、これにはバンシーとは異なった点がありました。バンシーが取り憑いた家族の前に現れるのは、遺された家族へのなにがしかの親愛感によってであるらしいのに、この白猫には悪意のようなものがあるようなのです。それが伝えるのは専ら死でした。そして――最も冷酷な、人呼んで最も執念深い野獣であるところの――猫の姿をとっていることで、それがどんな気持ちで訪問してくるか判ろうものです。
祖父の死期が迫った時――祖父にはどこも具合の悪い所がなかったようなのに――それが現れました。先ほど貴方に父の場合のことを話しましたが、それと全く同じではなかったものの、ほとんど同じ様子で。
ティーギュ伯父さんが自分の銃の暴発で亡くなる前日の夕方、それは伯父の前に現れました。黄昏時に、ロッホのそば、先ほど私が水面を歩いて渡る女の人を見たと言った野原の中でです。その時、伯父はロッホで銃身を掃除しているところでした。草の丈は低く、近くに身を隠すような場所なんてなかったのです。伯父にはそれがどうやって近寄ってきたのか判りませんでしたが、気付いた時には両脚にまとわりついていました。黄昏の光の中、怒りに尻尾をくねらせ、両の眼を緑に燃やし、伯父が何をしようとおかまいなしに、大きな輪や小さな輪を描きながら、果樹園にたどり着くまで伯父の周りを歩き回り続け、そこで姿を消しました。
哀れなペグ伯母さんは――オーラーの近くのオブラエン家の一人に嫁いでいました――一キロ半(*9)ほど離れた所で亡くなったいとこの葬儀に出席するためにドラムガニョールにやってきました。可哀想に、ほんの一ヶ月後に自殺してしまいましたよ。
お通夜から帰ったのが午前二時か三時頃で、踏み段を越えてドラムガニョールの農場に入ると、横に白猫がいるのが見えました。歩く間じゅうぴったり貼り付いて、伯母はもういつ失神してもおかしくない感じでした。白猫はドアまでくると、そばに生えていた白い山査子の木に飛び上がって、そこでいなくなりました。私の弟のジムもそれを見たのですが、三週間後に死にました。ドラムガニョールでは、私の家族なら誰でもいまわの際に、あるいは死に至る病を得た時に、間違いなく白猫を見ます。そして、それを見てしまった私の家族は、その先長く生きることを望んではならないのです。
完
[#改ページ]翻訳について
レ・ファニュの怪奇短編といえば Green Tea(緑茶)が有名です。今回は猫怪談ということでこちらを訳しました。「緑色の目の白いネコ」という題名で足沢良子さんが児童書として翻訳されているようですが未読です。ソースはコーク大の Corpus of Electronic Texts Edition: The White Cat of Drumgunniol(http://www.ucc.ie/celt/online/E870000-013/)です。これまで訳してきた作品より時代が古く、おまけにアイルランドの言葉が沢山出てきて苦闘しました。OED を引っ張り出しても見つからないのですから。この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。またこの訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPPに伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。
圓生の「猫怪談」は人情や愛嬌があるのに、白猫ってそんなに不気味なのかなぁ……
注
(*1) strong farmer、標準的な訳語があれば教えてください。アイルランドでは一八四五年に大飢饉(ジャガイモ飢饉)が発生しました。レ・ファニュが生まれたのは一八一四年八月二十八日ですから、ショックが大きかったでしょう。Effects of the Famine: Agriculture(http://www.wesleyjohnston.com/users/ireland/past/famine/agriculture_post.html)を読むと、大飢饉の結果、この種の農民が有力になったとあります。
(*2) アイルランドの反逆、一六八八年から一六九一年。
(*3) 兄、姉かも。弟がいたことは後で判ります。
(*4) acuishla、OED になかったので文脈から訳しました(*10)
(*5) CoinsGB.com(http://www.coinsgb.com/Victoria/5-Halfpenny.html)によると、直径 30 mm 以上あったそうです。
(*6) meering、OED になかったので文脈から訳しました(*10)
(*7) a few hundred yards
(*8) aumadhaun、OED になかったので文脈から訳しました(*10)
(*9) 一マイル
(*10) (*4) 及び (*8) について、翻訳家の大久保ゆう(http://www.alz.jp/221b/)様より、それぞれアイルランド語の acushla 及び amad
n (英語の omadhaun )ではないかとのご教示をいただきました。(*6)については古い動詞の mere(境界をしきる)由来だろうと考えています。
