メフィスト

小山清




まえがき

 これは終戦直後、太宰さんがまだ金木かなぎに疎開中で、私独りが三鷹のお家に留守番をしていた時に書いたものです。その後太宰さんが上京なさって、入れかわりに私は北海道に渡りました。その際私は書いたものはみんな太宰さんにお預けしてゆきました。今度太宰さんが亡くなられたので上京しましたら、太宰さんはこんな作品のことも心にかけて下さったようで、題名も「メフィスト」と改題されており、なお末尾に書かでものつけたしもあったのですが削ってありました。太宰さんが存生なればこそ、私としても甘えてこんな楽屋落のものも書いてみたわけですが、いまとなっては読者諸兄の寛容を頼んで、追悼の笑い話の種ともなればと思います。


「ごめん下さい。」
「はい。」
「太宰先生は御在宅ですか?」
「太宰さんはいま青森に居られますが。」
「疎開なさったのですか?」
「こちらから甲府へゆかれましてね、甲府で罹災りさいして、それからお国へお帰りになったのです。」
「青森の御住所はどちらでしょうか?」
 訪問者は手帳を取り出す。秋はゆっくりってあげる。
「青森県、北津軽郡、金木町、津島文治方です。お兄さんのところです。」
「こちらへは、もうお出にならないのですか。」
「いいえ、いずれお帰りになります。いまのところ僕が留守番というわけです。」
 以上の如く私はいまこの三鷹の草屋に独り起臥きがしているのであるが、ここには毎日のように訪客があり来信がある。云うまでもなく私にではなく、みんな太宰さんへのお客であり便りである。そのつど私は玄関に出て応対し、信書は青森へ向けて回送する。これは、いわば私の日課の如きものである。雑誌社の人、大学生、時に妙齢の女性が玄関に立つのだが、私はこのほどようやくこの日課に対して、ひどく倦怠を催すと共に、また事務の煩雑をも感じてきた。なんだか自分が郵便局の窓口にでも坐っているような気がしてきたのである。ただもう芸のない話で、一種やりきれぬ気持にさえなってきた。なんでえ、いつも太宰、太宰って、たまには小山先生は? 位のことを云ってもよさそうなものじゃないか。これは嫉妬であろうか? いわば無名が有名に対する嫉妬というものであるかも知れぬ。そしてこの私の嫉妬感は相手が女性である場合、全身を掻きむしりたくなるほどの衝動をさえ私に覚えさせたのである。太宰先生は青森と聞いて未練気もなく立ち去ってゆく女性の後姿を、憎々しい眼で見送る日が重なった一夜、私はある不逞の願望を胸に抱いた。ファウスト劇の中にメフィストフェレスがファウスト博士に化けて訪問の学生をあしらう一齣ひとこまがあるが、私はあれを思いついたのである。いわば太宰宗の信奉者たる善男善女に対して、祖師に代って法を説いてやろうという気になったのである。私も相当な馬鹿者である証拠には、そう思い立つとその不穏計画にわれから有頂天になり、ほのかに生甲斐をさえ感じてきた。しかし翻って考えてみるに、人を見て法を説けという言葉もあり、この計画は雑誌社の人に対してはまず適用されないと思った。私もそこまでは悪戯者いたずらものではない。人の営業妨害などはしたくない。次に大学生であるが、この天下の最高学府に学んで新しき世代の頭脳を以て任ずる諸秀才を向うに廻し、これを思うさま飜弄ほんろうしてやるということは、単に空想するだけでも愉快なのだが、私にはどうも生得大学生というものがひどく苦が手なのだ。こういうことを白状するのは、私の世渡りを難儀にする危険があるかも知れぬが、私はあの落第生という代物であって中学校さえ満足に卒業していない。そんな私には大学生に対しては、どうしても畏怖の感情を拭いきれないのである。私にはいまもなお、お巡りさんが自分より年上に見えると等しく、大学生がみんな怖い兄貴のような気がしてならない。学問もなければなんの素養もないということが、私をひどく卑屈にするのである。その上私が大学生を警戒する重大な理由の一つは、彼等が例外なく、ヴァレリイだとかリルケだとかいう、私にはただまぶしいばかりの固有名詞を必ずや発音するに違いないということ、そして私はそれに対してはただ困惑するばかりでどんな相槌も打つことが出来ないという弱身である。私はどんなに気取ってみたところで必ず看破みやぶられるにきまっている。それこそ、尨犬むくいぬの正体見たり小悪魔、ということになり、私は足蹴にされるかも知れない。大学生は鬼門である。これは真っ平御免をしよう。さて、残るところは女性の訪問者ということになる。私は風采揚らず意気また銷沈、それこそ太宰さんの言草ではないが、無才醜貌のなんら取るところなき無愛想者ではあるが、それでも女に負けるとは思わぬ。私は学問こそはないが、かの読書人というものではなかろうか。私の少年時代には、「苦楽」だとか「文芸倶楽部」だとかいう面白い雑誌があって、私はひどく耽読したものだ。そうだ、私は読書人だ、女に負けるとは思わぬ。若しまた武運拙く、万一正体を看破されたにしても、まさか女性は腕力に訴えるような野暮はしまい。私は私の不穏計画を女性に限り遂行しようと決意を固めたのである。けれどもいざ実行という段になっては、私も流石さすが躊躇ちゅうちょされた。あまりにも空怖しいという気がされたのである。私は自分をつくづく弱気な駄目な男だと思った。今日こそは、今日こそはと思いながら、いつもその場に臨むと気が挫け、空しく好機を逸するにまかせた。私は空想力に於てはかなり奔放なつもりであるが、実行力に於ては生得欠けたところがあるらしい。あたら非凡な構想を胸に抱きながら、荏苒じんぜんとして日を送り、怏々おうおうとして楽しまなかったのであるが、遂に一日あるきっかけから、日頃の鬱憤うっぷんを晴らすことが出来たのである。題して「メフィスト」別名「三鷹綺譚きたん」とでもいうべきものの顛末てんまつを以下ありのままに。
 その日、私はいつものように朝寝坊をしていた。独り住居の気易さは、誰も文句の言手のないまま、私は起きたい時に起き、寝たい時に寝る、気ままな生活をしている。一つは起きてから自ら薪水しんすいの労をしなければ朝飯にありつけぬという不便が私を気無精にし、寝床の暖味をいつまでも離れがたなくさせているのだが、……その日も私はそのように朝の陽が部屋の中に差し込む時刻まで、うつらうつらしていた。と、突如午前の平穏な空気を破って隣組の口回覧のふれ声が聞えた。「皆さん、お米の配給がありますッ。」私は一ぺんに眼が覚めた。懦夫だふをして起たしむとはけだしこのことであろう。私は奮然寝床を蹴って飛び起きると、手早く蒲団ふとんを畳んで押入れに仕舞い込み、ここ一週間ばかりなおざりにしていた家内の掃除に取りかかったのだが、その時の私の有様を強いて形容すれば、大掃除に手伝いを頼まれた武蔵坊弁慶もかくやと思うばかり、獅子奮迅の勢いで座敷はもとより、台所から縁側、便所の中に至るまで飽くまで掃き清め、拭い清めたものである。手洗いの水を取りかえてまず一段落、ほっとして縁側の陽溜りにあぐらをかいた私は、「やはり人生は楽しい、生甲斐のあるところだ。」という思想を全身に感じていた。私は日頃物臭さな、気力甚だ活溌かっぱつならざる男であるが、人生に対し積極的になる場合が三つある。まずいい作品を読んだ時であり、次に人から親切にされた時であり、それからこのお米の配給のあった時である。私はお米の袋を携えて、それこそある種の強精剤の注射でも受けた人の如く、元気旺盛、足取りも軽く配給所へ赴いたのであるが、とかく浮世はままならぬところ、そこには思いがけぬ不幸が待ち伏せしていて私を打ちのめしたのである。配給所の前には既に隣組の人達がたむろしていたが、私の姿を見かけるとその群の中から組長さんが歩み出て、私だけに関する不仕合せの事実を告げたのである。「なんですか、小山さんは先渡し量が余分にいっているとかで、今日は配給が無いそうです。」まことに青天の霹靂へきれき、入浴中に警報の鳴るのを聞いたような気持で、組長さんの無慙むざんな宣告の下に弁慶はひとたまりもなくべそをかいてしまった。世の中は陥穽かんせいに満ちたところだとは、かねて私も多少は心得ているつもりだが、お米の配給機構の中にもかかる苛酷な脅威が存在するとは知らなかった。折角上機嫌で人生に対する肯定的意力を感じていたのに、一寸先は闇とはよく言った、私はこの時世の中に自分程不仕合せな者はないという気がされ、隣組の人達の同情の視線を背にして、しおしおと帰途についた。行きはよいよい帰りはこわい、屠所に牽かれる羊の如き歩みで家路を辿りながら、私は身内になにものかに対する憤怒に似たものの湧出するのを覚えた。自分がなにか理不尽な辱しめでも受けたような気がしてきたのである。私は日頃独身をさほど淋しいことにも思っていないが、こういう際にはなにか八ツ当りの対象があった方が便利な気がする。家につき手荒らく玄関の戸を開閉して、台所へ突進するとお米の袋をほうり出し、しばらくは凝然ぎょうぜんとして銅像の如く突っ立っていたが、やがて未練らしく米櫃こめびつふたを取って、緞帳どんちょう芝居の松王丸よろしく、怖々に内部をうかがい、うむと太い溜息を漏らし、さてまた手早く蓋をすると眼を白黒、小鼻をひくひくさせたが、なにか重大な決意でもしたらしく、今度は洗面器を手に縁側に現われ、そこに乾してある薩摩芋を鷲掴みにして洗面器に盛り上げるとまた台所にとってかえし、御飯蒸を棚から下しその中に洗面器の芋をぶちまけ、溢れて蓋のかぶさらないのを無理に蓋をすると、電熱器に電流を通じてその上に御飯蒸を載せ、漸く能事終れりという顔になって、そこに大あぐらをかいた。なんのことはない、お米の配給の貰えなかった腹立ちまぎれに、えいッ芋をふかして腹一ぱい食ってやれという気になったらしいのだが、それにしてもこの男の表情の大袈裟なこと。吝嗇けちな奴がなけなしの財布の底をはたく時にはこんな顔をするものである。その時である。玄関の戸が開く音がして、「ごめん下さい。」という爽やかな声が聞えた。「はいッ。」不意を突かれて私は思わず威勢のいい返事をすると玄関に飛んで出た。白百合の花一輪。私は一眼見て、「えいッ、敢行だ。」と胸のうちで叫んだ。われにもなく咄嗟とっさに決断力が出たのである。「太宰先生は、」みなまで云わせず、「僕が太宰ですが、ま、お上り。」私のその少しんだ調子に微笑を見せたが、いぶかる様子もなく、「では少しお邪魔させて戴きます。」神妙な物腰である。私は不意に胸の動悸どうきはげしくなるのを覚えた。
 さて、これからいよいよ虚々実々の問答が展開されるわけになるのだが、その前に是非ともお断りして置かなければならぬことがある。以下ここに展開される対談にいて私の応答のうちに、なにか歯切れの悪い、しどろもどろなものを感じられたとしても、その故に私をして頭の鈍い、舌重き男と速断される人があるとしたら、それは認識不足というものだということである。私はこの問答に於ては努めて本来の自分を殺し、終始津軽風の抑揚頓挫よくようとんざを以て私の声調を装うべく苦心したのである。つまらぬ苦心をしたものだという人があるとしたら、これまた認識不足というものである。津軽風の抑揚頓挫なるものは、私が正真正銘の太宰治であるという安心感を対者に与えるには、絶対に欠くことの出来ぬ重要条件の一つなのである。事実その時私が摸した津軽なまりは、対者をして始めから我が家にあるが如くうちくつろがせたのである。しも私がかく装うことをせず本来の舌頭を以て臨んだならば、どうであろう? 私は一分間と対座することなく、失敗を喫したに違いない。私はいまは全く死語と化したと云っていい、かの江戸っ子という種族の末裔まつえいであって、その出生よりして趣味感覚は都会風に洗煉せんれんせられ、私は巧まずして弁舌爽やかであり、また座談にも長じている。人を逸らさず、倦ましめず、談笑の間馥郁ふくいくとして梅花の匂うが如き雰囲気裡に、人をしてとこしなえに春園に遊ぶの思いあらしめる、……大袈裟なことを云うなどと笑ってはいけない。私は非凡な話術と雰囲気醸成の天稟てんぴんのあることは、いつぞや太宰さんが私に向って秘かに告白された事実に徴しても明らかなことである。太宰さんはその折かく云われたのである。「僕は負けず嫌いだから、こんなことは云いたくないのだが、他の人に対しては絶対にないのだが、君と対座すると流石に自分の田舎者であることを恥じる気になるよ。」私はこの対談に於ては、ともすれば滑らかに回転しようとする自分の名調子に絶えず歯止めをかけていたのだから、その点は読者も諒せられて、以下紙上に伝わるぶざまな座談振りのみから推して、私をなにか若木山の熊の仔の如き鈍物とは呉々くれぐれも思わないで欲しい。それに私は出世前の身ではあり、その上未だ独身のことでもあるから、なんによらず誤解というものは、これを極力避けたい気持なのである。それからもう一つお断りして置きたいのは、ここに愚陳する感慨、若しくは意見なるものは、すべて私自身のものであって、これにいては太宰さんは少しも関係するところがないということである。私の仮面仮声が余りにも堂に入っているため、読む人思わぬ錯覚を生じて、どんな御迷惑が太宰さんにかかるようでもいけない。これもはっきりお断りして置く。

「ま、こっちへ、陽当りのいいとこへ。……三鷹は初めてかね?」
「ええ。」
「わかりにくかったろう? まごつきやしなかったかね。」
「ええ、一寸ちょっとまごつきました。」
「やはり駅は三鷹で下りた? 吉祥寺の方からも来られるのだが。」
「ええ、三鷹で下りました。吉祥寺からも来られるんですか?」
「うん、井ノ頭公園などを通ってね。」
「あら、そうですか。……陽当りがよくてなによりですわね。」
「うん、天気さえよければ火鉢もいらない。」
「ほんとに暖かで結構ですわ。」
「独りだとつい気ままになってね、陽なたぼっこばかりしている。」
 如何いかにも思いがけないという表情で、
「あら、先生はいまお独りなのですか?」
「うん、女房子供は国へ、青森の兄のとこへやってあるんだ。やもめ暮しだ。」
「そうですか。炊事も御自分でなさるんですか? 大へんですわね。……でも、きれいに住みなしていらっしゃいますわ。」
 偶々たまたま大掃除の直後であることは客は知らない。ここでこの人の印象を伝えよう。涼しいという感じがする。晴々という感じがする。顔は微塵みじんも化粧のあとがない。髪は無造作な束髪そくはつというやつだ。服装神妙。しかし上衣にもスカートにも目立たない好尚が感知される。いかにも柄にぴったりした感じだ。年歯はそう、廿一にじゅういちというところか。笑うと美の壊れる人があるが、この人は愛嬌を増す。それが如何にも世慣れた感じを人に与える。しかしそこには少しも不幸のかげはさしていない。兄弟の多い家庭に育って多少は苦労をなめたか。相対すると、娘という感じと女という感じが、入り混って電流の如く対者の触覚をくすぐる。(太宰さん、笑っちゃいけない。私だとて万更初心というわけでもないでしょう。しかし、もうやめましょう。もともと写実的にはゆきたくないんだ。)
「先生はお国へはお帰りにならないのですか? 帰りたくなりませんか?」
「ならないね。古郷へ廻る六部は気のよわり。僕は永遠に巡礼者だ。そう思っているんだ。」
「渡り鳥?」
「うん、渡り鳥だ。」
「でも、もう直き御家族の方をお呼び寄せになるのでしょう?」
「いや、女房子供は当分本州の北端に閉じめて置くつもりだ。やもめ暮しの味もいいものだね。僕はこの頃、西行、芭蕉がとても懐かしい気がするんだ。慕わしいね。」
「それでは奥さんがお気の毒ですわ。」
「女房なんて、子供をあてがって置けばいいんだよ。」
「まあ。」
「それにね、僕は近々に妾宅しょうたくを構えようともくろんでいるんだ。」
「まあ。」
 相手の驚きがあまり真剣なので私もあわてて、
「いや、実のところはまだ空想の域を脱しないんだ。第一、候補者だってあるわけじゃなし。」
「物色中ですか?」とこれももう笑い顔になっていた。
「そうだ、物色中なんだ。」
「でも、妾宅なんて、なんですか、芭蕉の風流を慕う生活とは裏腹のような気がしますわ。」
「それこそ俗論だ。妾宅こそは男子の風流生活の深奥に光っている、究極の実在だ。男子たる者はそこに辿たどりつくことによって、その風流生活を完成出来るんだ。一切の家庭生活は灰色だ、緑なのはただ黄金なす妾宅生活だ。」
「それこそ暴論ですわ。」
「暴論かね。女なんて自分の都合が悪けりゃ、みんな暴論の愚論にしちまうんだろう。君達は、妾宅と云えばすぐに長火鉢を間にして二人でやに下がっている図を想像するのじゃないのか。あわれなもんだ。妾宅にだってピンからキリまであるんだ。浦島に於ける竜宮、または雀の宿、日本の御伽噺おとぎばなしはみな古人の妾宅へのあこがれを伝えたものだ。君は僕のお伽草紙という著書を読んだかね? なに、読まない? 不勉強極まるね。是非一本をあがなって再読三読し給え。主婦之友などを読んで、甘藷かんしょの貯蔵法ばかり研究していてはいけない。君はアフタニデスの蓄妾論を読んだことがあるか? 勿論ないだろう。アフタニデス曰く、妾宅こそは、いや、ま、よそう。ここで君のようなうら若い女性を圧倒してみたところでしようがない。妾宅論はいまのところまだ腹案中なのだから、いずれ思想体系の完成を待って天下に公表するから、その折心をしずめて熟読含味してもらうことにしよう。大方の婦女子にも参考になることがあると思うんだ。」
「期待していますわ。」
 冷かすように笑うのだが、こちらにいやな気を起させない。感じのいい人だな。
「しかし、芭蕉だって怪しかったのだぜ。」
「なにが怪しいんです? 芭蕉にめかけでもあったのですか?」
「そうなんだ。山蔭に身を養わん瓜畠、この句を怪しいと睨んでいる人があるんだよ。芭蕉なんて、あれで相当ちゃっかりした爺さんだから、何処か山蔭の食糧豊富なところに色女でも隠匿していたのじゃないかね。瓜つくる君があれなと夕涼み、なんてそらっとぼけているじゃないか。きざだよ。まるで面皰にきびつらの文学青年のよみそうな句だ。」
「あら、いいじゃないですか。」
「いいて何が?」
「その芭蕉の瓜の句。抒情的ですわ。」
「ちぇッ、自分だって満更じゃなさそうじゃないか。ついでに、もう一つ披露してあげよう、朝にも夕にもつかず瓜の花。」
「まあ、芭蕉の瓜の句はみな句の姿が涼しい気がしますわ。」
「藤村先生みたいなことを云っちゃいけない。しかし君も僕の妾宅論には強硬に反対を唱えたけれど、君だって恋人と二人きりかなんかで、何処かの山里に隠棲して、瓜の花などを眺めている生活は悪くない気がするんだろ。」
「いいえ、私は自分の身にはどんな想像もしませんけれど、芭蕉にそういう句があったことは、なにかゆかしい気がして。」
「じゃなにかね、芭蕉に於ては床しく、太宰の場合は尾籠びろうだ、とでもいうのかね。」
 わざと絡んだ口をきいた。もう一押しだ、敵は土俵を割るぞ。
「あら、そんなつもりじゃありませんわ。ただ先生には……。」
「なにも口籠らなくてもいいじゃないか。遠慮はいらないよ。」
 彼女はなにか可笑おかしさをこらえている表情を示したが、
「でも先生には、どうせ妾宅なんか実現出来っこありませんわ。」
 やられたッ。見事、うっちゃりを喰った。女とあなどり不覚を取った。われにもあらず敵の戦力を誤算していた。陣容を立てなおさなければならぬ。
「ひどいね。ひどく軽蔑されたもんだね。君には僕がそんな意気地なしに見えるかね。よし、僕は僕のあこがれをきっと実現して見せるから。僕はきっと妾を持つ。妾に子供が出来たら、うんと可愛がってやるんだ。妾の生んだ子っていうのは、親にしてみれば、一しお不憫ふびんなものだろうな。それに妾の子っていうのはいいじゃないか。ほら、芝居などでは男の子だと、あらい柄のかすりの着物を着て、長いたもとでね、帯なんかも房々とした蝶結びに結んでいて、そして例外なく美少年だ。近所の悪たれ小僧共にじめられては女の子に同情される役だ。あれはいいね。君だって覚えがありやしないかな。君の少女時代に近所にそんな子が一人位いたろう。そして君はその子のことをこっそり心の中で思ったりしたのだろう。」
 私はただもう口から出まかせにしゃべった。私はいま軽くうっちゃりを喫して、危くべそをかくところだったのだが、そんな出鱈目を喋っている中に、どうやら表情の緊張だけは揉みほごすことが出来た。彼女は私が莫迦ばかなことを云うのを、ただ黙って笑っている。私はなお座にいたたまらない気がして、ふいと起って台所へゆき御飯蒸の蓋を取り、芋に箸を突きさしてみたが、まだ固い。バケツの水を柄杓ひしゃくで一口呑み、手拭で顔を一拭きして座敷へ戻ると、卓上に意匠、色彩、眼に鮮やかな外国製のシガレットが載せてある。これをれるつもりなのだろうか。お灸を据えられた後で、お菓子を貰らうようなものだ。餓鬼じゃあるまいし。しかし、ともかく私は気分を一転しまたも彼女と対座したのだが、はしなくもかく主顔をして客を迎えては、自身初めて太宰さんを訪問した日のことを思わずにいられなかった。いま眼前に見る女客の落着き澄ましているのに引替えて、その時の私はと云えば、実に異様に緊張していたのである。われもまた一騎当千の士、ともかく初対面である、太宰さんが私をお見それするようなことがあってはならないと、私は秘かに緊張し少からず心配していたのであったが、それは杞憂というものであった。その折私は持参した原稿が鉛筆書きなのを見て太宰さんが、僕も鉛筆を用いたことがあるが、鉛筆だとつい力が入って早く疲れるような気がすると云われたのに対し、私はそれを強く首肯して、ええ、どうしても、力が入ってしまって、などなにか自身の創作情熱が余りに真剣なため、鉛筆を竹刀の如く握りしめでもするような、実に気障きざな云い廻しをしたのだが、私のその意気込んだ口調に対して太宰さんは、(例の如く少しお背中を丸くなさって伏目のまま、身動きもせず坐って居られましたが、やがてお顔を、もの憂そうにお挙げになり、)肩ガ凝ッテイルノジャナイカネ。私は一ぺんにギャフンとなった。われ遂にこの人に及ばずの感を深くした。
「先生は煙草はおみにならないのですか?」
 うかつに返事をしかけて、そうだ、自分は高等学校時代既にホープを一日七十本も煙にした溺煙家なのだと気づき、
「いや、あいにく切らしてしまったんだ。」
「よろしかったら、どうぞ。」
「ありがと。折角だけど、外国製はどうも苦が手なんだ。一度試みてみたのだが、三日ばかりおくびが止まらないんだ。口に合わないらしい。」
「おくびが出ちゃ、困りますわね。」
「飯がまずくてね。君、やるのだったら、遠慮なく。」
「いいえ、私は不調法です。」
「そうだろう。君には似合わないよ。」
 彼女は眼に勝気な色を見せ、こちらを見つめながら[#「見つめながら」は底本では「見つめながろ」]うすら笑いをした。私はなにか面伏おもてぶせな気持を感じた。
「先生は、」と云って口籠った、やはり口元に笑いを見せながら。こちらは思わず向うの顔を見つめる。
「先生はお写真で拝見したよりは、お若くていらっしゃるし、」
「え?」
「それにずっとお綺麗ですわ。」
 あまりに思いがけなかった。私はみるみる赤くなった。かくすよしなく赤くなった。私はここでは二重に赤面すべきなのだろうが、いかに私が名優でもそんな器用な真似は出来ない。私はただ芸もなく小山清一人のために赤くなった。うかうかと二度の不覚を喫したわけである。――プロマイドにサイン組でないことは初手からにらんではいたが、それにしても乙にモナ・リザを気取っていやがる。ちと小癪こしゃくにさわるて。ひょっとしたら本気に太宰治を誘惑に来たのじゃあるまいか。ジョルジュ・サンドなんて女は案外こんな顔をしていたのかも知れぬ。「先生の『女生徒』を愛読して居りますわ。大変身につまされまして。」位のことを云う可愛さがあってもよさそうなものじゃないか。
「照れないよ。僕はこの頃照れない練習を積んでいるんだ。男がはにかんでばかりいるのも、みっともないからね。それにしても、君はちと古風でなさすぎるね。」
「いいえ、ただ、あまりお写真とは違うように思えたものですから。」
「写真は僕は嫌いだ。昔から信用していないのだ。カメラには心というものがないから駄目だ。ものの真相に感応すべき心がないもの。カメラは正直だなんて云う人があるが、あんな正直はいわば糞リアリズムじゃないか。」
「さあ、どういうものでしょうか。でも先生はほんとにお写真では御損なさっていらっしゃいますわ。」
 くすぐられるような、じらされるような気持である。遠く金木に居られる太宰さんには済まないが、満更悪い気もしない。ああ、独りものというものは、うっとうしいものだ。
「それに僕がふだん作品の中でわが頬がまちを説くのに、あまりに謙虚なものだから、知らない人は僕のことをなにかノートル・ダムの怪物の如きものに思っているらしいんだ。詩人の韜晦とうかい趣味を解さないやからにも困るね。まあ自ら冤罪を招いたようなものだ。誰を恨むこともない。ところで容貌のことでは、昔僕に一つのアネクドートがあるんだね。しかし、初対面の人の前では、どうも、なんだな、……」
「是非お聴きしたいですわ。」
「じゃ話そうか。僕の歌舞伎座事件といってね。当時友人間には相当評判になったものだ。昔の話だ。一日僕は銀座を散歩した帰りにぶらりと歌舞伎座に入ったんだ。するとたまたまその日は柳橋だったか新橋だったかの芸妓の総見かなんかがあってね、極彩色な彼女達が席を埋めているんだ。佳日に来合わせたものかなと秘かに祝福して、開演中も舞台よりはその方に気を取られ勝でいると、そのうち僕の席から少し離れたところにいるその一団の連中の中で、互いにささやき合いながらこちらを顧みるのがいるんだ。僕も少からず気になってね、耳を澄ますとよくは聞えないが、『姐さん、成駒屋が来ているわ。』『えッ、どこに? あら、成駒屋だわ。いいわねえ。』僕はあまり目立たないように自分の周囲を視察してみたのだが、まず僕の右隣りは十徳頭巾の其角堂宗匠とでもいうべき人柄の老人、左隣りは分廻しで描いたが如き円顔に眼鏡をのせている Miss YWCA とでも云うべきおよそ月並な女学生、その他見渡したところ、彼女達の溜息にも似た囁きの対象たる成駒屋に該当する人物は見当らないのだ。彼女達は依然としてその私語と肩越しに視線を投げることを止めない。僕はなにか恍惚こうこつと不安の入り混った妙な気持になってね、彼女達の視線の落つるところが等しく僕の面上だと確信した時には、その気持は極点に達していた。」
「あの、お話し中ですが、その成駒屋というのは、なんですか?」
「役者じゃないか。先代の福助さ。しかし君は福助を見ていないだろう。まあ、いい男の典型の如きものだと思えば間違いはない。ところで、その緊張の頂点に於て僕の頭脳にひらめいたものがあるんだ。僕はかつて、一通人から、いわば騎士道上の忠言を受けたことがあるのだ。劇場なんかでね、玄人などから誘導的視線を受けた場合の心得だね。そういう際彼女等は例外なく先方からなにかきっかけを見つけて名刺などを呉れるそうだから、こちらもそこは心得ていて、彼女等にその行為を円滑に遂行せしむべく、充分に隙を見せなければいけないというのだ。僕はその時この忠告を思い出すと共に、今こそ先蹤せんしょうの求めたるところをわれまた求めんという、一大勇猛心を起し、次の幕あいには逸速く席を立って廊下に出て、人生に於ける遭遇、機縁なるものの何処に秘められているかは、神のみぞしろしめす、機会というものに対しては自分はあくまでも従順でありたい、そういう殉教者にも似た希願を胸に抱いて、僕は歌舞伎座の廊下をさかんに往きつ戻りつしたんだ。自分では充分に隙を見せたつもりなんだ。なんだか自分が助六にでもなったような気分で、いまに名刺の雨が降るという期待でわくわくしていた。」
「それで、雨が降りましたか?」
「ところが、さっぱり降らないんだ。彼女達も廊下に出てそちこちに三々五々屯して、例の囁きだけは止めないんだがね。『成駒屋よ、いいわねえ。』『ちょいと、横顔がいいじゃないの。』『あら、ハンカチを出して鼻を拭いているわ。』『プーシュキンに似てやしない?』まさかそんなことは云わないが、しかし、一人のその群を抜きん出て僕に慇懃いんぎんを通じようとする奇特な者とてはいないんだ。なんべん廊下を往復したか知らないが、遂に徒労に終った。」
「ひやかしにあったようなものですわね。」
「そうなんだ。褒めてばかりいて、財布の紐はほどかない。やっぱり玄人なんてえのはちゃっかりしているんだね。他日友人間にこの話を披露したところ、異口同音に『おごれ。』さ、成駒屋に間違えられただけでも大出来だと云ってね、その後しばらくは、僕を呼ぶに成駒屋を以てした。」
「面白いお話ですわ。先生らしくって。」
「成功しないところがだろ。情緒纏綿てんめんとした後日談でも欲しいところだが、事実は曲げられないからね。なんにしても昔の話さ。しかし今でもふと思い出して独りあごでたりすることがあるよ。」
 そう云ったら自ずと手が顎へいった。掌に無精鬚がじゃりつく。写真よりはお綺麗か、太宰さん、そねめ、そねめ、思わずにやりとしてハッと気づき、客の顔を見ると、視線は私の頭上を越して、なにやら低徊している。私の背後には床の間があり、壁間には太宰さんの書幅が、あ、これか。――待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり。作品「葉桜と魔笛」の中にある、読者は先刻御承知の太宰さんの歌である。太宰さんが武州御嶽のふもとの宿屋に滞在して「正義と微笑」を執筆して居られた時、一日私は御邪魔して一晩泊めて戴き、翌日園子さんを負って奥さんが迎えに来られ、私も一緒に三鷹へ帰った。その折酔筆淋漓りんり、障子紙に書いて下さったのが、この歌である。その後私は徴用になり、三河島の日本建鉄工業株式会社に動員されたが、同じ仲間に経師屋さんがいて、私はその人に頼んで表装してもらった。例の三月十日の空襲に私は下谷竜泉寺したやりゅうせんじ町に於て罹災し、その際この書幅と若干の拙作、それに奉公袋を風呂敷包みにして持って逃れた。三鷹の草屋に留守番するようになって、初めてこれを壁間に掲げたのである。客はいましきりにそれを眺めている。
「ばかにしけじけと眺めているね。軽蔑するかね。これは友人のなんだ。僕が甲府にいた間留守番をしてもらっていた友人のなんだ。ついそのまま懸けっぱなしにしているけど、軽蔑しちゃいけない。」
「この歌はお子さんが生れた時、お詠みになったのですか?」
「いや、どうして?」
「男の子かと思っていたら、生れてみたら女の子だった、そういう感慨の歌じゃないのですか?」
「君にはへんな勘があるね。そうではないんだが。」
「じゃ、なにかロマンチックな意味合いでもあるのですか?」
「さあね、云わぬが花というものさ。酔ったまぎれに酔筆をふるって友人の笑覧に供したまでなのだが、かくの通り立派に表装してしまったね、三月十日の空襲の際には、伝家の宝物の如く大事に持って逃げたというんだ。」
「まあ、感心な方ですわね。やはり小説をお書きになるのですか?」
「うん、お書きになるんだ。」
「誰方ですの?」
「誰方って、名前を云ってみたところではじまらないよ。お書きになっている代物は未だ一ぺんも陽の目を拝んだことがないんだから。」
「まあ、無名な方なのね。素敵ですわ。でも、いずれ御発表になるのでしょ。」
「遊んで食ってゆける身分じゃないから、そのうち開業するだろう。」
暖簾のれんを分けてあげなさるわけですね。」
「満更知らない顔も出来ないだろうな。」
「ひどく気のないお口振りですわ。私期待して居りますわ。お名前聞かせていただけません?」
「ばかに熱心じゃないか。見ぬ恋にあこがれるというやつだね。水をさすわけじゃないが、あまり期待しない方がいいよ。」
「まあ、先生からしてそんなことをおっしゃっては、それこそはじまらないじゃありませんか。お友達の開業御披露のためですわ。」
「鈍重な癖に気障きざな男だから、どんな名乗りをあげるか知らないが、小山清って云うんだ。」顔から火の出る思いであった。これも已むを得ぬ。誰のためでもない、不遇の友達のためだ。開業早々は誰しもこんな気持を経験するのじゃあるまいか。ああ、なんという晴がましさだろう。「小山清なんて可笑しな名前だね。赤面せざるを得ないよ。つつころばしって[#「つつころばしって」はママ]感じじゃないか。新派のぺえぺえ役者にこんな名前のがいるね。それも田舎廻りだ。もう少しなんとかならなかったものかしら。当人はひどくいい男がっているんだがね。」
「あら、そんなことありませんわ。いいお名前ですわ。なにか澄んだ感じで。シャルル・ルイ・フィリップ、そんな感じですわ。」
「そうかね。僕は不賛成だな。もっとも君は本人を知らないからな。一眼見たら君もその印象を訂正したくなるよ。」
「まあ、そんなお姑さんじみたことばかりおっしゃって。」
「また、まあ、か。どうして君達女性はその、あらだとか、まあだとかいう感歎詞を頻発するのかね。君達がその月並調を止めてくれない間は、僕達作家はいかに努めても、会話の上に新風をもたらすことは出来ないね。」
「いやですわ。それは自己弁解というものですわ。」
「僕がなにを弁解するんだね?」
「先生が会話の描写があまりお上手でないってことは、ゆるぎない定評ですわ。」
 小癪な女郎め。今度は軽くお小手というところだな。なかなか味をやるわい。
「へえ、そんな定評があるのかね。初耳だよ。知らぬは亭主ばかりだ。ともかく迂闊うかつだった。御教訓は肝に銘じて忘れないよ。それにしても君は言葉の術には拙ないね。そんな、ゆるぎない、などという人に手錠をはめてしまうような言葉遣いをしてはいけない。そう固く出られると、僕にしてもつい肝に銘じてと云わざるを得ないだろ。そこのところは、やんわりと、そんなお噂があるようですが、位に止めるのが文章術というものだ。君だって見たとこまだ嫁入り前らしいじゃないか。あまり活溌な口をきくのは止め給え。代議士にはなれるかも知れぬが、嫁に貰い手がなくなるぞ。僕はほかのことは知らないが、散文に関しては、ほんの少しだが解る気がするんだ。なんだ失敬な、女の癖に。僕はなにも自己弁解をしているのじゃない。また君を攻撃しているわけでもない。言葉の術に就いて少しく発明したるところを、君に伝授しているんだ。君もそのつもりで傾聴しなければならない。僕は散文に関しては少し解る気がするんだ。勿論自分のことは棚に置いてだが。いや、それもひょっとすると己惚うぬぼれかも知れぬ。君は嫁入り前、これは解る、いや、なにを云っているのだ、ああ、僕は駄目だ、なにも知っちゃいないのだ、なにも解らないのだ、もう、僕の云うことを、一言も信ずるな。」
 これなん、太宰先生得意のしどろもどろ調。ヤンガー・ゼネレエション拍手喝采かっさいというところであるが、発声撮影トーキーでないのが遺憾の極み。へん、当代太宰治の声色を使わせたら、活殺自在の舌さばき、まず乃公おれの右に出る者はあるまいて。しかし彼女は、私のその折角の名演技に接しても、さっぱりお感じのない風で、
「いいえ、私としたことが、つい生意気なことを申し上げて、……それで、小山さんでしたわね、やはりその頭脳明晰、才気煥発、」
「もう一つおまけに不羈奔放ふきほんぽうか。ところが反対なんだ。もそもそとしていていも虫だね。頭の鈍いことは極端だ。例をあげるとね、十年前の屈辱を今日になってはじめて気づき、『俺はあの時辱しめを受けたのだ、俺は憤るべきだったのだ。』と懊悩呻吟おうのうしんぎんのあまり、遂に喘息ぜんそくを惹き起して一週間寝込んじまったという豪傑ごうけつでね、一事が万事、日常生活ではそんな手遅ればかりやっているんだ。五分間と相対して話して見給え、退屈で閉口するから。いい齢をして人並みに世間話はおろか、時候挨拶さえまんぞくに出来ない。まるで赤ん坊だ。落語にあるだろ、権兵衛や、えらく暑いのう、と云われて、この案配じゃ、山は火事だんべえ、あれだよ。口を開けば、ただもう文学だ。それも最上級の言辞を並べ立てるので閉口しちまうよ。『孤高な態度だけは失いたくありませんね。』『高邁の精神を喚起して死ぬ気でやりましょう。』先生にあっては素面しらふは即ちそのまま陶酔状態だ。」
「真面目な方なのね。」
「真面目なんてそんな生やさしいものじゃないんだ。糞真面目の骨頂とでも云べきものだ。モーニングにシルクハットで銭湯に出かける口だ。しかし野暮やぼもあの位に徹底すると、むしろユウモラスだね。待合の床の間の置物の如きものだ。」
「それで、お書きになるものは、どうなんです。」
「さて、肝腎のお書きになるものだがね。たとえて云えば、駿河屋の番頭が主人の前で算盤そろばんを弾いているようなもので、ただもう実直。額と額とこつんこしたら眼から火が出たというような、ただもう実も蓋もない話。糞リアリズムの骨頂さ。」
「なんですか、さっきからお伺いしていると、悪口ばかりおっしゃってますねえ。お弟子さんなのでしょ。先生がお弟子さんの悪口をおっしゃるものじゃありませんわ。私、一度も拝見したことはありませんけど、きっといい作品をお書きになる方と思いますわ。」
「なあんだ、君こそさっきからいやに小山の肩ばかり持つじゃないか。面白くないね。君は太宰に会いに来たのだろう。小山の話を聞きに来たわけじゃないんだろう。僕はくわけじゃないがね、面白くないね。もう小山の話はよそうじゃないか。談一度小山のことに及んでから、なんだか僕は君と下手な掛合い万才でもやっているような気がしてきたよ。案外僕は万才の書き手にでもなっていたら、成功したかも知れない。こりゃあ、発見だわい。」
 実は自家吹聴にも倦きてきたのである。(太宰さん曰く「嘘をつけッ。」)
「文学の糞から生れてきたような人間の話をしていたら、なにやらうっとうしくなってきたね。気分の転換をはかろうじゃないか。なにか怪談はないかね。鏡花以後お化小説も払底した感じだね。原子爆弾の降る世にはお化も住めないか。これは余談だが、原子爆弾というやつは、相撲の方で云う封じ手というやつじゃないかな。例えば雷電らいでんかんぬきとでもいう。」
「そんな気もしますね。そうそう、なんですか、この辺にも爆弾が落ちたそうですね。」
「うん、原子爆弾こそは落ちないが、実は命拾いをしたんだよ。この庭の向うにも家が在ったんだが、あまり破損がひどかったので取り壊してしまったんだ。この家だって爆風で相当痛めつけられているんだよ。いまだって雨が降ると雨漏りがするんだ。この障子に硝子ガラスがないのもその時の記念の一つだ。」
 空襲騒ぎが一段落して家へ入ったら、敷きっぱなしの蒲団の上に玄関の障子が倒れて、硝子がはずれていた。蒲団の上だったので硝子は壊れてはいなかった。太宰さんは硝子のはずれたのは天の与えとばかり、馴染なじみのスタンドへ持参し、これを交換物資として酒を所望したのである。「罪と罰」に出てくるマルメラドフなる酔漢は、女房の靴下を呑んでしまうのだが、太宰さんは障子の硝子を呑んでしまったわけである。酒呑みたる資格に於て、いずれが兄、いずれが弟であるか、ドストエフスキイ先生に借問したいところではある。
「そんなに近くに落ちたのですか?」
「近いのなんのって、僕の家を中心にして、この小さい一町内に集中爆撃なんだ。来る飛行機、来る飛行機が落っことしてゆくんだ。それも二五〇キロ、五〇〇キロという大物ばかりなんだ。」
「それは大変でしたですね。始めからくわしくお伺いしたいですわ。」
「四月二日未明、あの時限爆弾というやつを初めて使用した時の空襲だよ。その四、五日前に女房子供を甲府の女房の里に疎開させてね、ここには僕と小山とがいたんだ。また小山が話に出てくるが、先生も端役ながら一役を勤めているから、カットするわけにはいかない。小山は三月十日に罹災してからここへ来ていたのだ。その夜吉祥寺の行きつけのスタンドから若干の酒を仕入れてきて、二人でやっていると、そこへぶらりと大物が現われた。横浜から田中英光たなかひでみつが一升びん持参でやって来たんだ。」
「あの『オリムポスの果実』を書かれた方ですか? まあ素敵。あの小説はほんとに青春の書ですわ。すると、先生と小山さんと田中さんと三人寄られたところへ、爆弾が落ちたのですね。歴史的ですわ。」
「ひやかしちゃいけない。これから九死に一生を得た話をするんだから。それから三人で酒盛りを始めて、小山は余り呑めない方だから、僕と田中とでほとんど呑んじまってね、出鱈目の連俳なんかをやり、寝床に入ってからも、額にしてあるジョットーの聖母マリアの画を、それこそ酔っぱらいが女郎でも冷かすように、『このマリアはまた、ばかに肉体汚れた感じじゃないか。あの眼もとや頸筋の辺りを見ろよ。』『まるで幻灯の町のマリアだ。』『ジョットーはきっと、マグダラのマリアと間違えて描いたに違いない。』など、凡そ美神を怖れぬ不逞ふていの美学をろうしたりして、寝入ったのはかなり遅かった。白梅のかなり淋しさよB29よ。その時の田中の駄句だがね、今にして思えば、この句は呪文の如きものだったね。間もなくその田中の地上からの招きに応ずるが如く、B29が客来したんだから。『空襲ッ』の声に眼覚めた時は既に敵機は頭上に在って、辺りは照明弾で薄明るく、身支度もそこそこにしてはや、ボカン、ボカンさ。周章狼狽しゅうしょうろうばいする二人をまず先きへ防空壕へ追いやって、この時義経少しも騒がず、翌朝の迎い酒にもと残し置きたる湯呑みの酒を咄嗟にぐっと呑みほした。」
老獪ろうかいですわね。」
「老獪はひどいよ。なんにしても酒にかけては、われに一日の長ありさ。ところで防空壕に入ってみたら驚いた。入ったことは入ったが身動きが出来ないんだ。僕の家の防空壕は僕がこしらえたいい加減のもので、その上ひどく浅いんだ。でも僕と女房子供位だと充分間に合うのだが、その時はなにしろ田中という大物はいるし、僕にしても小山にしてもまた小さい方じゃないんだから、これには防空壕の方でも驚いたろう。身を屈めからだをすり合わせてっとしていると、隣りにいる田中の胴震いがこちらに伝わってくるのだ。『君どうしたんだ?』と訊くと、『寒くて。』と云ってガタガタやっている。見ると田中は襯衣しんいだけで上衣は引っかける間がなかったらしい。それにしてもそのガタガタは寒いばかりじゃないらしいのだが、ともかく上衣を着に家の中に引き返し、また防空壕に納まると、『太宰さん、呑んじゃいましたね。』と口惜しそうに云うんだ。その時になって迎い酒のことを思い出して、上衣を着てくるついでにひっかけてくるつもりだったらしい。『そこに抜かりはあるものか。』と云うと、『これを持ってきました。』と云って、上衣のポケットから配給のカツ節を取り出して見せるんだがね、田中としてはつまり籠城の食糧のつもりなのだろう。あわてているよ。田中はふだんもそんな風でね、いつかも人の家で酒を呑んでいて、便所へ立ったと思うと、そこの家の猫を抱いてきて曰くさ、『厠りを少し汚しました。猫を抱いて来ました。』つまり猫を抱いてきたのがお詫びのつもりなんだ。とんちんかんな男だね。」
「それで、小山さんはどうしました?」
「小山に至っては論外だね。ただもう神気朦朧もうろうとして半分恍惚こうこつ状態だったそうだ。」
「それは脳貧血を起す一歩手前の症状ですわ。」
「そうだろう。小山はどうも脳の神経組織が人並みではないのじゃないかと思われるふしがあるんだよ。僕が甲府にいた時遊びにきて葡萄酒ぶどうしゅを呑んだのだが、実にあわれなことになっちゃったんだ。半分泣声で『太宰さん、神は在りますか?』って云うんだ。僕はまじめに『僕は在ると思う。し神が無かったら、僕達が人知れずした悪事は誰が見ているのだ。』と叱咤しったして、『神は帳面を持っていて、その神の帳面には、僕達がした人には知れない悪事も善事もみんな記録してあるのだ。』と云ったら、ますますべそをかいて、『僕はどうも畳の上じゃ死ねないらしい。首でもくくることになるんでしょう。』と云うんだ。これには僕も少からず驚かされてね、家へ帰ってから、『まあ少し横になれ。』と云って枕をあてがってやったのだが、一眠りしたと思ったら、まるでおこりの落ちた病人よろしく、ケロリとしたもので、『僕の会社に可愛い女の子がいるんですが、その子が僕の前にお茶を持ってくる時にはいつもポッと頬を紅くするんですが、これは僕にとって、吉でしょうか? それとも凶でしょうか?』なんて、にやにや笑いながら、そんなのろけじみたことを云い出すんだ。人を馬鹿にしてるじゃないか。僕はそれからは小山とは余り酒を呑まないことにしているんだ。たかが葡萄酒を一本や二本呑んで、意気地のない話じゃないか。『太宰さん、一緒に死んで下さい。』なんてからまれたら、かなわないからね。話が脱線した感じだが、ともかく田中、小山の両人はそんな工合で、また壕の中はお聴きの通り満員の状態で、その上、爆弾が落ちる度に壕の壁が崩れてきて、三人共に半身埋まってしまった。あの、爆弾が風を切って落ちてくる時の響きというか、唸りというか、実に凄じい、いやなものだね。また落下して地上で爆発した時が、すごいんだ。ヒュー、ドン、バリバリバリ、ガラガラ、ズドンさ。これは実際経験してみなきゃわからないよ。なにせ至近弾なのだから。その度に三人抱き合って生きた気はしなかった。田中と小山はとうに僕の家なんか、吹き飛んでしまったものと思っていたらしい。僕は壕の破れから家の玄関の硝子戸が眼に入ったので、まだ少しは人心地があったんだ。何回目かの爆発の後、『津島さんの裏が燃えている。』と云う隣組の人の声が聞えたので、いそぎ壕から這い上ってかけつけて見ると、ただもう白煙濛々もうもう、しかし一向に火の手は見えない。暫時狐につままれた思いで佇立していると、そのうちに誰かが『これは毒ガスだ。』と云い出したら、もう皆んなあわてるのなんのって、鼻と口を押えて逃げ出したもんだ。僕はその時どういう気だったか自分でもわからないのだが、『水をふくめ、水をふくめ。』と絶叫したら、田中と小山が井戸端へ転がるように飛んでいって、ポンプをギイコン、ギイコンやっては水をがぶがぶ飲んでいるんだ。その中に白煙もいつしか薄らいで、これはどうやら毒ガスではないらしいってことになって、ホッとしていると、またもや、ボカン、ボカンさ。それとばかり壕の中に転がり込んでほとぼりの過ぎるのを待つ、と云っても絶対的な安全感があるわけじゃない。今度こそはやられる、お陀仏だ、絶えずそうした気持なのだから堪らないんだ。後で見たら、壕の前にこんな大きい庭石がいくつも転がっているじゃないか。隣家の庭に落下した爆弾がその庭石をこちらへ投げて寄したのだが、それがまともに壕の上に落ちたひには、一たまりもなくお陀仏さ。やがてまた休憩時間になって、二人の顔を見ると二人共に可笑しな顔をしているんだ。額、頬、鼻の頭に泥をこびりつけて二眼とは見られない面なので、思わず失笑してそれを指摘すると、そう云う自分の顔を見ろと云うから、手でさわってみると、成程自分の顔にも泥がついている。のどもと過ぎれば熱さを忘れるというが、たった今生きた心地もなく顔をうつぶせていた癖に、次の来襲までのわずかの幕あいを互いに顔の品評をして興じていると、『○○さんの家の防空壕が埋まった、手を貸して下さいッ。』という警防団の人の声が聞えた。○○さんというのはこの町内に住んでいるさる学者の未亡人なのだが、まことにしとやかな人で、道で逢うと僕などにも常にやさしく会釈を給わるのでね、僕は日頃そぞろ敬慕の情禁じ難きものがあったのだ。『○○さん危うし。』の声を聞くと共に、僕は身内に騎士的情熱の躍動するのを感じ、身の危うきを打ち忘れ、奮然壕を蹴って救助に馳せ参ぜんとして、這い出しかけると、『およしなさい。およしなさい。』と云って田中が僕の足をひっぱるんだ。現実からの呼び声とでも云うべきものかね。風車に向って突進せんとするドン・キホーテをサンチョ・パンサが止める振りよろしくさ。田中としては僕の身を案じて止めにかかったのであろうが、僕にはその時田中の声が悪魔の囁きの如く感ぜられ、『サタンよ、退け。』とばかり、すがるを蹴倒し、張りとばし、最前置きし鳶口とびぐちをこれ忘れてはと小脇にかい込み、いざ花道へかかろうとすると、またもやボカン、ボカン。三鷹村のドン・キホーテはあわてて防空壕へ逆戻りさ。」
「それは惜しいところでしたわね。成駒屋ッ、と大向うの声がかかるところじゃありませんか。それでその○○さんはどうなさいました?」
「一時間ほど人工呼吸を施したら蘇生されたそうだ。僕としてもあれほどの精神の躍動を感じたことは、半生を顧みてもざらにはないのだが、時われに利あらず、あたら武勇の誉も空しく、千載に恨みを遺したわけだ。」
「でも、やっぱり、いざとなると、先生の方がお弟子さんよりは勇敢なのですね。」
「そうさ。昔から相場が極っているよ。家来は殿様に勝てず、弟子は師に及ばず、女房は亭主を凌げずさ。」
「それにしても、田中さんは戦場往来の勇士なのでしょう?」
「そうなんだ。小山などは常時、非常時を問わず物の役には立たぬ雑兵だから仕方がないとしても、田中はふだん、わが名は坂上田村麿さかのうえのたむらまろ鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためとも、降っては遠州森の石松などと、喧嘩に強い男を以て任じているだけに、そこは僕も心強い気がして、秘かに頼みにしていたのだが、あにはからんや、お聴きの通りなんだ。これは田中のまじめな述懐だが、あの時の状態は第一線で敵と五十米位の距離を隔てて対峙している感じだそうだ。しかもその恐怖感に於ては第一線以上だそうだ。夜が明けてここを引揚げてゆく時の田中の言葉がまたいいんだ。『もう三鷹へは来ません。』流石の孫悟空もよほど荒肝をひしがれたらしいね。」
「でも、奥さんやお子供さんがいらっしゃらなくて、よかったですわね。」
「うん、作家なんて、へんな勘があるんだね。」
 この軽く吐かれた言葉は、これは正真正銘、太宰さんのその時の述懐をそのまま、この対談に於て私が模写したもので、私としては気のひける思いもあるのだ。三月十日竜泉寺町で焼け出されるとすぐ私は、「わあ、罹災した、罹災した。」と絶叫して三鷹にまで馳け込み訴えをした。太宰さんは即座に「一緒に勉強しよう。」と云ってくれた。奥さんや子供さんは私が追い出したようなものなのである。三鷹空襲の夜が明けて、田中さんが横浜へ帰った後、そろそろ時限爆弾がそこ、ここで破裂し出した中を二人で右往左往しながら、「どうも、僕は罹災男だな。」と云ったら、「あまり気にしない方がいい。」と云われ、「でも、二度あることは三度あると云うから。」と云ったら、「いやなことを云うぜ。」と苦笑いされたのだが。
「それから、ほどなく敵機は去り夜は明けたのだが、始末の悪いことには、時限爆弾というお土産を置いてゆかれたんでね、そいつが方々で爆発し出すし、土地が軟かいせいか不発弾があちこちに埋没していて、それがまたいつなんどき爆発するかわからないので、各自家に戻って後始末をするわけにもゆかないんだ。町内の人は皆んな近くの国民学校に収容されてね、沙汰さたのあるまでは当分勝手に自宅へ戻ってはならんというわけさ。直撃弾を喰って帰りたいにも、自宅のなくなってしまった人も大勢いるし、僕と小山は吉祥寺の亀井勝一郎君の許に一週間ほど御厄介になったのだ。」
「亀井さんのお宅は御無事だったのですね。」
「そう、亀井君のとこは終戦までなんの被害も受けなかったようだ。御厄介になっている間にものべつ敵機の来襲があって、そのつど僕達も御家族の人と防空壕を出たり入ったりしたのだが、空襲時に於ける亀井君の態度は従容として迫らず、あくまで豪毅ごうき、あくまで沈着、さながら春光影裡しゅんこうえいり斑鳩いかるがの里を逍遥しょうようし給う聖徳太子のおもかげしのばれんばかりであった。警報の鳴るのを聞いて胴震いが出たり、脳貧血を起したりする手合いとは段違いなんだ。防空群長としての重責任を感じておられた為でもあろうが、僕達が壕の中で震えている間も、メガホンを口にしては絶えずラジオの情報を隣組の人達に伝えたりなどしてね、僕も亀井君のその長者の風格を失わず、平常心を保持している姿を見ては、あまりみっともない態度はとりたくなかったのだが、なにせどえらい目に遭った直後のことだし、田中や小山ほどではないにしても、スワ敵機ッというとつい防空壕の方へ足がというより躯ごと転げていってしまう感じなんだ。肉体が精神の云うことをきかないんだ。あっと思うともう壕の中に滑り込んでいるんだ。われながら、流石実生活上のドン・キホーテも、今度の空襲ばかりは、肉体的にこりごりしたってわけだね。」
「いいえ、命あってのもの種ですわ。御無事でなによりでしたわ。あら、何か火に懸けてあるのじゃないんですか? ひどく吹いているようですわ。」
「あ、そうだ、芋、芋。」
 話に夢中になってすっかり忘れていた。あわてて台所へ飛んでゆき、蓋を取って見ると、芋はもう箸で突きさすまでもなく、充分に蒸れている。大きい鉢に山盛りにして座敷へ戻ると、彼女は小型のノートになにやら書き込みをしている。卓上に置かれた芋の山盛りを見て、肝をつぶしたか、まあ、と眼を見張ったが、すぐもとの平静な表情に返って万年筆を走らせている。
「少しふかしすぎたようだけど、」そう云って早速一つ頬張った。どうやら巧くけ終せそうだわい。そう調子をはずしたこともなかったようだ。私には役者の才能があるらしい。虎の威を借る狐と云うが、私の物真似にも自ずと人を感銘さすものがにじみ出て、彼女はいまその印象をノートに記録しているのであろう、そう思ったら私にもなおなお気取りが出て、彼女にとって処世の真諦ともなるべき、モラリスト風の箴言しんげんを吐漏して、そのノートを埋めてやりたい気にもなったが、芋を食いながら箴言を吐くのも気がさすし、ここは一つ古川柳でゆきたいところだが、虎の威を五種香うりもちっとかり、も思わせぶりな気がするし、……実は芋を食うのに忙しかったのである。
「さあ、食べながら話そう。僕もどしどし食べるから、君も負けないように。藤村先生にいろは歌留多カルタがあるだろ。その中に、さ、里芋の山盛り、というのがある。つまり、これだね。これは薩摩芋だけどまあ同じようなものだ。これは僕の想像だが、藤村先生はこの文句を先生のお知合いのある御婦人を見て思いつかれたのじゃないかと愚考するんだ。少くとも僕に於ては、この文句からある種の女性の型を明瞭に想像することが出来るね。里芋の山盛り、この文句から受ける印象は、断じて男性ではない、どうしても女性だ。下手な売卜者ばいぼくしゃめくけど、一つ僕がこじつけて見せよう。どちらかと云うと都会よりは田舎に多く見かけるタイプだ。まるきり田舎者にした方がいいな。これが都会の水で洗われたりするとまた別なものになる。まず健康、この感じは誰にも明瞭だね。身のたけは尋常、中肥ちゅうぶとりだ。いくらか堅肥りだが、断じてヒステリー性のそれではない。円顔、多血質で頬などはいつもてらてらしている。多産だ。働き者だ。洗濯好きだ。しかし裁縫はあまり巧くない。と云って亭主や子供に綻びの切れた着物を着せて平気な質ではない。暇があればボロをつづくって雑巾などは用意して置く方の口だ。煮物は上手な方じゃない。少し大味だ。気質は親切で客を歓待する方だが、しかしそのもてなし振りが、つまり、この里芋の山盛りなんだ。ひっきりなしのお喋りと文字通り里芋の山盛り攻めだ。客を一ぱいに歓待したい気持は解るが、豊富という感じをただ芸もなく、物量の押しの一手でゆくやつだ。藤村先生はいつの日か、そうしたお主婦さんのもてなしにあずかって、好感を抱かれると共に多少は閉口されたに違いないのだ。お家へお帰りになってさて呟かれるには、『いや今日は里芋の山盛り攻めに遭ったわい。』そこで偶々腹案中のいろは歌留多の、さの部が埋まったというわけだ。僕にしても里芋の山盛りの方は敢て辞さないが、お喋りは閉口だな。世帯持ちはよさそうな人らしいが、女房にするのは御免だな。」
「なかなか、こじつけが鮮やかですわね。」
「ところが、鮮やかなのは藤村先生なのだ。藤村先生はあれでなかなか諧謔かいぎゃく趣味の粋なところがおありだったらしい。歌留多の一番終いに持ってきて、このお主婦さんには似合いの亭主をちゃんと見つけて置かれたんだ。す、西瓜丸裸、というやつだ。これは解説無用だろう。西瓜丸裸、これはまた断じて女性ではない、どうしても男性だ。女房に劣らず健康体だ。女房よりも肥っている。丈は男としては少し低い方だ。しかし紋付にはかまなんかつけると、どうして貫禄があって立派なものだ。役場の収入役とでも云った口かな。上にも下にも受けがいい。夏なんか肌脱ぎになって汗だくで、給仕君と棒押しなんかやりかねない。昼寝が好きで、村長さんかなんかが、『収入役さんは?』と問うと、『また裏の藤棚の下で昼寝です。』と給仕君が答える。家へ帰ってくるとすぐ畳の上にごろりとなって、子供にからかったりする。女房がかたわらでいくらべちゃくちゃしても一寸も苦にしない。まあ、こんなところだろう。里芋の山盛りの女房には、西瓜丸裸の亭主がうってつけだよ。この夫婦はうまくゆくよ。子供だってのんびりと育つ。これも僕の推測だが、きっと藤村先生の周囲には西瓜丸裸って感じの人がおられたに違いないんだ。ね、そんな気がしないかね。しかしもう歌留多の解説は止めにしよう。そうそう、君にうってつけなやつが一つあった。御披露しよう。僕いま云うから、忘れないように、ノートにでも書きとめて置くといいよ。」
 彼女は神妙にノートを開いて万年筆を控える。ふん、女なんて甘めえや、自分のことだというとすぐ情熱的な眼つきをしやがる。
「は、鼻から提灯ちょうちん、というんだ。」
 一瞬ぎくっとしたようだが、すぐ勝気な眼色を見せ、それでも笑いを失わず、たんとおなぶりなさいといった表情をする。
「嘘だよ、冗談だよ。誰がそんな、君をそんな人だと思うものか。それは僕、いや小山なんだ。小山はそんな男なんだ。いつも鼻から提灯をぶらさげている感じなんだ。ともかく眼の前の山盛りを二人で征服しちまおうじゃないか。」
「ええ、おいしいですわ。」ともう無心な顔になって、「でもよくお芋がありますわね。」
「千葉まで買出しに行くんだよ。」
「まあ、先生も買出しにゆかれるのですか。大変ですわね。」
「中野から千葉行の電車が出るので便利がいいんだ。まあ一日がかりだね。一度に七、八貫は背負って来るよ。」
「やっぱり男の方ですわ。」
「なに君位の齢の娘さんだって随分見かけるよ。皆んな相当に背負っているぜ。君だって行くんじゃないのか。僕が一瞥いちべつして看破したところによると、君は自転車の達人だ。どうだい、図星だろう?」
「大当りですわ。」
 私もどしどし食べるが、彼女もへんに遠慮なんかしたりしない。ものを食べながら話すというのは和やかでいい。私になにか幼い時から一緒に育ってきた従妹とでもいるような、親しいくつろいだ気持がしてきた。私はいっそ仮面を脱いでしまいたくなった。本気にこの人が好きになったのかも知れない。この人が私のとこにお嫁にくる気があるなら、貰って上げてもいいと思った。
「先生はお汁粉しるこなんかはどうですか?」
「いまならば、敢て辞さないね。それにいま僕は無性に※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)あんパンが食べたいんだ。」
「あ、そうですわ。※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)パンは私も食べたいですわ。」
「あの※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)パンというやつは、逸速く姿を消しちゃったね。あのへそに当るところに塩漬けの桜の花なんかを詰めてあるのがあったじゃないか。なんによらず、代用物ばかりに接していると、本物が懐かしくなるね。」
「ええ、私は子供の時分とても※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)パンが好きで、学校の遠足には大抵お弁当の代りに※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)パンを持ってゆきましたわ。」
「そうだね。お天気の日なんかに※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)パン持参で散歩をしたいな。」
 芋を食いながらどうやら私は自分の姿勢を忘れたようだ。春雨の午後静かな内湯に浸りながら遠くに三味線しゃみせんの爪弾きを聞いているような、うっとりとした、あなたまかせな気持になってきた。お里丸出しのわけであるが、おそらく※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)パンの話などをしているのが私には一番似合うようだ。ああ、いつまでも話していたい。しかしそれでは彼女に太宰治という作家はよほどの食いしん棒だという印象を与えることになろう。なにを隠そう私は、今年は豊作という新聞の見出しを見てさえ、はや生つばの湧く男だ。うまうまと好調を保持してきたのに、俄然がぜん食事中に至ってはしなくも本性暴露の危険濃厚となり、太宰調稀薄の結果を惹起じゃっきするの始末となった。これではならぬ。またもや鬼の面を被らねばなるまい。
※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)パンに対する渇仰かつごうもさることながら、僕はいま無性に恋愛をしたくなってきた。誰かその道の大家に手ほどきでも頼みたい気持だ。それも大派手なやつをやりたいのだ。例えば才貌共に並びなき名女優と、一世一代とでもいうべき濡れ場を演じてね、派手な浮名を後世にまで流したい気持だ。それに僕には昔からへんな定評みたいなものがあってね、太宰は恋愛小説は駄目だ、不良少年を描いていりゃいいって云うんだ。失敬じゃないか、人を馬鹿にしているよ。まるで僕を不良少年の親玉か問屋の如きものに思っているんだ。だから僕としては大いにその非を正したい気持もあって、僕にも天下の子女の紅涙をしぼる手腕のあることを、事実に於て示してやりたいんだ。一つは齢不惑に近くなってきたので、あせってきたのかも知れない。」
「中年の恋ですか?」
「そう、中年の恋、」と呟いて、とたんに私は噴き出してしまった。太宰さんの上顎が総入歯なのを思い出したからである。
「あら、いやですわ。なにがそんなに可笑しいのです?」
「いや、」私も漸く笑いをしずめて、それでも咄嗟に思いつき、
「中年の恋と云えば、花袋かたいという人は面白い人だね。」
 彼女はまだ半信半疑の表情のまま、「『蒲団』ですか?」
「君も読んだかね。あの小説に主人公が酒を呑んで、どてらを着たまま便所の中にぶっ倒れて、不貞寝ふてねをする場面があるじゃないか。面白いね。」
「さあ? よく覚えておりませんけど。」
 そんな末梢的なところは記憶にないって顔だ。
「僕は最近花袋を読み返してみたけど、みんな巧いね。晩年の短篇なんか面白いのがあるよ。題名は忘れたが、花袋がね、女と女のお袋を連れて旅をするんだけど、花袋と女の間がうまくゆかなくて、間に立ってお袋が独りで気を揉んだりするんだが、往来の真中で花袋がむくれて信玄袋しんげんぶくろほうり出す場面があるんだ。面白いよ。」
「先生は、へんなところにばかり感心なさるのですね。」
「だって信玄袋は面白いじゃないか。花袋の面目躍如たるものがあるよ。これは是非とも信玄袋でなければいけない。これがスーツケースかステッキなんかじゃ駄目なんだ。花袋って人は不細工な信玄袋をぶらさげて生涯を歩き通したって感じがしないかね。僕にはなんだか現今の作家は押しなべて、みんな細身のステッキかなんかをついて気取っているように思えるんだ。」
「先生はどっちなのです?」
「訊くだけ野暮じゃないか。僕は信玄袋党だ。」
「さあ? 信玄袋は先生のあこがれじゃありません?」
「君も逆説的なことを云う人だね。あこがれなんてものじゃないよ。本来の面目だよ。僕だって昔から一つの信玄袋を持てあましてきた男だよ。」
「でも先生の作品はみんな水際立っていて、それこそ秀勁で、美貌な感じですわ。信玄袋なんかとは凡そ遠い感じがしますわ。」
「美貌は恐れ入ったね。これは別に僕の作品のことを云うわけじゃないけど、蓮の花ね、綺麗だろ、だが、根は泥の中に在るんだよ。」
「さあ? 私にはよくわかりませんけど、実朝という人はなんでも少年時代に疱瘡ほうそうを患って、あばた将軍と云われたそうですが、先生の『右大臣実朝』を読みますと、やはり美貌な貴公子の俤が浮んできますわ。」
「また美貌か。いやになるね。僕はなんだか自分が映画の二枚目にでもなったような気がするよ。まあ、見てい給え。僕が本気に書き出したら、誰も僕のことを美貌だなんて云う人はいなくなるから。」
「ええ、私もこれこそ信玄袋小説というのを拝見したいですわ。それからこれは是非お伺いしたいと思っていたのですが、明治、大正、昭和を通じて先生が一番尊敬している文学者は誰方ですか?」
岩野泡鳴いわのほうめい。」(太宰さん、異議ありや?)
「ホウメイ? そんな人がいたのですか? 独歩どっぽの間違いじゃありません?」
 悧巧りこうそうでも女の浅間しさだ。やはり二枚目がお気に召すと見える。とつッ、この岩波文庫女史め。
「泡鳴。」
「ホウメイって人は、そんなにえらいのですか?」
「えらいのなんのって、明治、大正、昭和を通じて文学者の数ある中で、泡鳴が日本一でがしょうな。」
漱石そうせきはどうですか?」
「敵にあらず。いい齢をして、吾輩は猫である、もないじゃないか。漱石が泡鳴だったら、とうに家庭を破壊して飛び出していたろうね。」
荷風かふう先生は?」
「雀百まで踊り忘れず。年寄りの冷水だ。」
春夫はるおは?」
「あまりに子煩悩、あまりにわびしすぎる。」
直哉なおやは?」
「神様にしては男がちとよすぎ。ステッキ党だ。」
善蔵ぜんぞうは?」
「善蔵は僕のふるさとの大先輩ではあるし、大いに支持したいところだが、これも落第だ。中年の恋などとたぬきも目に涙だなんて駄句っているようじゃ駄目だね。箱庭趣味だよ。一体、善蔵という押しも押されもしない、もったないほどいい名前を持っていながら、つけるにことを欠いて、酔狸州とはなんだね。人間も自分のことを、われから狸というようじゃ、もうお終いだ。贔負ひいきなだけにしゃくさわる。」
※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんは?」
「あの人の文体には脱皮ということがないね。いつもながら、町内の頭の踊りは大車輪、って感じじゃないか。御苦労様という気はするが、お蔭様でという謝辞は出ないね。」
辰雄たつおは?」
「僕は昔から軽井沢という土地は性に合わないんだ。僕はあの人の作品を読むと、どういうものか寒暖計か体温器のようなものを連想しちまうんだ。」
利一りいちは?」
「そう一人一人名前をあげていたら切りがないよ。利一、康成やすなり、押しなべて食糧不足の今日、霞でも食って生きているのじゃないかって気がするね。よくもああ人間離れが出来たもんだ。」
 夕涼みよくぞ男に生れけり。誰に遠慮も要るものか。なにせ乃公には、武州は多摩郡三鷹村の太宰親分という日本一が伴いているんだから、世の中に恐いものなしさ。盲蛇に怖じずとは蓋しこの類であろう。彼女はまたノートを開いて、私のその身の程知らずの気焔きえんを一々書き留めている。
「君、なにもそんなものをわざわざ書き留めなくともいいじゃないか。そんなことをされると僕は責任を感じてくるよ。なんだか息苦しくなってきた。君はまさか太宰がこんな悪口を云っていましたよなんて、言いつけ口をするわけじゃないだろうね。僕はただ泡鳴という一個の英雄を主張したに過ぎないんだ。他意はないんだ。断って置くがね、僕は心臓肥大症なんだよ。」
「まあ、先生としたことが、お気の弱い。男の方がそんな妥協じみたことをおっしゃるのはみっともないですわ。それからもう一つお伺いしたいことがあるんですが。」
「なんだね? 安寧秩序を乱すようなことでなければお答えしてもいい。」
「文学者とはどういう者であるか? 譬話たとえばなしかなんかで、暗示的におっしゃって戴けませんか?」
 これは困った。ちと即答は難しい。金木までSOSを発したいところである。「天国とは?」と問われてキリストは即座に巧な譬喩ひゆで弟子達を信服させた。「詩人とは?」と問われて昭和の贋予言者はまごつかざるを得ぬ。その困惑の表情たるや、教室に於ける落第生よろしくである。「一粒の麦地に墜ちて死なずば……。」この聖句を暗誦して澄ましていてもいいのだが、それではあまりに剽窃ひょうせつたることが明らかである。敵は女でこそあれなかなかの者である。赤恥をかく恐れがある、ああ、うまくゆくといい。
「こんなのはどうかしら。お気に召したら御採用下さい。あるところに大勢の人が集って或る男の噂話をしているんだが、先刻から聞いていると、いやもうひどいものなんだ、誰一人よく云う人がいないんだ。『あるべきところにあるものがないって顔だ。』『年中しらみが絶えないって感じじゃないか。』『あれでよく今日まで生きて来られたものだ。おてんとさまと米の飯はついて廻るというが、なるほどねえ。』あまりひどいのは公開を憚るが、ともかく八方塞がり、四面楚歌といった形で、これじゃ噂の本尊は幾つくしゃみをしても追いつくまいと思われるのだが、すると突如その群の中から、『いや、僕はそう思わない、あの男にだっていいところがあるよ。』ために座が白らけてしまうのもかまわずに云い放つ人がいるんだ。その人が文学者だ。」
 彼女はに落ちぬ、もどかしい面持で、「なにやら解るような気もしますが、やはりその弱者の友とでもいう、そんな意味の、」
 私も云いようなく不機嫌である。不本意だが、こんなところだ。私には他にどんな巧いことも云えぬ。これさえ猿真似、一合のものを一升に見せかけようとする手際だけのものかも知れぬ。しかし私としては頼りたい気持もあるのだ。私はやましい男なのだ。私には事実四面楚歌の声が聞える。けれどもまた私のために「いや、僕はそう思わない。」誰かが絶えずそう云ってくれているような気もするのだ。私にはいま他にどんな張り合いもない。私はもう自分の臆面のなさを恥じまいと思う。私は単に人ずれがして汚れただけかも知れぬ。それならそれでかまわぬ。あまり嘘を云うな。
「ところで今度は僕の方でお伺いしたいのだが、初めて会った太宰なるものは、どうだね? 正直のところ。」
 贋者としては気になった。後日の心得にもなることだ。
「作品の通りの方だと思いました。」
「作品の通りと云うと?」
「親しみのある、いい方だと思いました。」
 ああ、生れて初めて聞く言葉だ。思わず有難うとお礼を云いたい気持であった。
 と、ここで結べたら仕合せなのだが、事実はひどいことになったのである。
「今日はいろいろと、妾宅論やら、罹災の御経験、また高邁の文学観など豊富にお話を伺わせて戴き、有難う御座いました。あら、私としたことが、申し遅れまして、あの私は○○雑誌社の者ですが、今日のお話を訪問記事に致しまして、来月号の○○誌に掲載させていただく思います。どうも長く御邪魔して失礼致しました。ではいずれ……。」
 私は泥船に乗せられた狸よろしく、しばし茫然としてなすところを知らなかった。どうも最初からうまく話が軌道に乗ったと思ったら、相手は商売人じゃないか。そうだ、あのノートに万年筆を走らせていた時の彼女の表情、あれをこそ職業的というのであろう。彼女のものじしない近代女性振りも、すべて職業上の促しによるものだ。なんのことはない、訪問慣れというやつだ。それをなんだ。感じがいいだの、従妹だの、芋の食いっぷりが気に入ったとか、嫁に貰ってやってもいいなどと、「お写真よりはお綺麗」、あれにすっかり浮かされてしまったんだ。やっぱり俺は甘ちゃんだわい、助平な気取屋だと思ったら、眼の前が真暗になった感じで、それでもなおざりに出来ぬ重大な事実に気づき、
「君、まあ待ち給え。そんなものを雑誌になど発表されたら困るよ。それこそ僕は太宰さんに叱られてしまう、破門を、」と云いかけて、失敗しくじったと思ったが後の祭、「申し遅れましたなんてずるいぞ、卑怯だよ。君は雑誌記者だなんて嘘だろう。女探偵スパイじゃないか? 君は僕を脅迫するのか?」
 メフィストは遂に逆上し、あらぬ事さえ口走った。





底本:「落穂拾い・犬の生活」ちくま文庫、筑摩書房
   2013(平成25)年3月10日第1刷発行
底本の親本:「小山清全集」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日発行
初出:「東北文学 第三巻第八号」河北新報社
   1948(昭和23)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※誤植を疑った箇所を、親本の表記にそって、あらためました。
※初出時の表題は「三鷹綺譚」です。
入力:kompass
校正:時雨
2020年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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