井伏鱒二によせて

小山清




 井伏さんに「点滴」という文章がある。太宰治を追憶した文章である。それによると、太宰と井伏さんとは、水道栓から垂れる雫の割合のことで、無言の対立を意識していたようである。太宰は一分間に四十滴ぐらいの雫が垂れるのを理想としていたようで、そして井伏さんは一分間に十五滴ぐらい垂れるのを理想と見なし、いまでもそうだという。終戦前、二人が疎開していた甲府の宿屋の洗面所の水道栓から漏れる点滴の話である。太宰は手洗いに立つたびに、その水道栓をいつも同じくらいの締めかたにして、自分の好みの割合で雫が垂れるようにし、しかも洗面器に一ぱい水をためておき、水音がよく聞かれるような仕掛けをして置く。それを井伏さんが手洗いに立って行って、自分の理想とするところのものに訂正して置く。それをまた太宰が手洗いに立ったときに改める。太宰の場合は、水道栓から漏れる雫は、「ちゃぼ、ちゃぼ、ちゃぼ……」というせわしない音を立て、井伏さんの場合は、「ちょっぽん、ちょっぽん、ちょっぽん……」というようなゆっくりした音を立てた。そして二人は互いに素知らぬ顔をしていたようである。「何という依怙地えこじな男だろう」と井伏さんは太宰のことをいっている。この話はおもしろい。二人の生活の速度というようなものが、図らずも、この点滴の割合にあらわれているように思われる。井伏さんと太宰とでは、その理想とする点滴の緩急に、数にして二十五滴のひらきがある。そして二人は、それぞれの生活の速度の基本を、そんなところに置いていたようである。四十滴を理想としていた太宰は、井伏さんを置いてけぼりにして、駈け足でこの世からさよならしてしまった。無言の対立に、そんな仕方で結末をつけたというわけだろうか。この文章にあらわれている限りでは、井伏さんは単に二人の好みの水音のことを話しているだけで、思うに二人の生き方がこうであるなどとはいっていないのである。たとえ井伏さんがそれを意識しているとしても、それをあらわに語らないところに、井伏文学というものがあるのだろうから。この文章を読んで私がこんなことをいうのは、これは程度の低い批評家根性がさせるようなもので、こんなことを書くのは、くだらないのだ。まして私が二人の間にわり込んで、おれの生き方を水滴の数に換算すればこのぐらいだろうなどといったとしたら、なおなお下司げすなことになるだろう。この文章を読む者は、友達の死後、またその宿屋へ出かけて行って、もう誰も消しに来る者のない水道栓から漏れる水音を聞きながら、依怙地な友達のことを、いや友達の依怙地さを追憶している井伏さんの心の温度を感じとればいいのだ。この文章には次のような数行もある。
「彼は気が弱かった。他人から非難されることを極度におそれるが、いったん非難されると自分で制御できなくなるほど棄鉢な口をきく。人の言動に対して、自分勝手にさまざまに味をつけて舌にのせるようなことを考え出すのである。或るとき私が『君は、独活うどが好きだろう。独活そのものには、格別の味はないが、主観で味をつけて食べるから』と云うと『さては日ごろから、僕のことをそう思ってたんだな』と彼は笑いにまぎらした。」
 不満そうに口もとをひんまげた太宰の顔が見えるようである。ほかに誰がこういう太宰治を書いてくれただろう。
 私などはどうも日頃人に対して、お前は黒だね、おれは白だよなんてことを、あからさまにいい過ぎる傾向がある。それにまた、他人の無意識をあらわにして、当人に自覚させるというようなことは、なんだかしたくないような気がする。たとえば、器量よしのくせに、自分のことをおたふくだと思い込んでいる女がいるとしたなら、(そんな女には、まだお目にかかったことはないけれど)その女には、いつまでもそのように思わせて置きたい。いや、あなたはどうして、おたふくどころじゃないなどと余計な口をきいて、当人が自分は美人だと思いはじめたなら、それこそこの世の中から美しいものが減る勘定になるだろうから。それとこれとは話は別だが、私はこれから井伏さんについて漫然と書こうと思っているのだが、もとよりいい加減のものであり、でたらめであるのだから、読者もそのつもりで読んでほしい。
 さて、「点滴」という文章だが、読者は読んで、それにしても井伏さんも少しこだわるようだと思うかもしれない。井伏さんはこだわる人である。人誰かこの世に生れて、しかしてこだわらざらんやである。偽善者だけが、人前だけこだわらないような顔をして、口をぬぐっている。南河内川に釣りに行った話を書いた文章があるが、それを読むと、井伏さんは始めから終りまでこだわっている。それも一見つまらないようなことにこだわっている。ある雑誌の座談会で、釣りについて自分が喋ったことを、誤記されていることに対して、とても気にしている。「釣っている当人は夢中だ」といったことを、「無心」とされたり、「魚との闘いですよ。」などという大袈裟な言葉を使われたことを気にしているし、また「掛った瞬間に引いたらダメなんです」といいもしないことを書かれたことに対して、「どんな魚でも、掛った瞬間に、うっちゃっておく法はないだろう。」と抗議している。なんでもないことのようだが、そうでないのである。釣り仲間が「もしあの速記を読んだら何と思うだろう。私は顔が赤くなるのを覚えた。」などと、井伏さんは書いている。それでも井伏さんは「帽子をまぶかにかぶった気で、或いは頬かむりした気持で」釣りに出かけて行くのだが、行った先で、なお気にしていて、その土地で床屋をしている釣りの名人に髪を刈ってもらいながら、その心の憂悶を訴える。すると、その床屋さんが、慰め顔にこんなことをいう。「悪いやつが、いるものだな。しかし、なんだな、釣師というものは、つらいことに耐えなくっちゃいけねえ。是か非か、時がさばいてくれるもんだ。」床屋から帰ると、宿屋の隣りの部屋で二人組の客が、一人が憤慨しているのを、他の一人がなだめている。「ひどいデマだ。俺の顔は、丸つぶれだ。」とか「俺の人格は、丸つぶれだ。俺は一生、びっこでもいい。」とか大へんな立腹のしかたで、その連れが「そう怒るな。先方は、深い悪気があったわけじゃないんだろう。」となだめると、「なにいってるんだ。お前まで、勝手なことをいう。俺は孤独だ。」と、とても厳しい雰囲気なので、隣室でそれを聞きながら、井伏さんはこれに比べれば自分の気にしていることなどはまだ大したことではないと思い、気を換えて早寝をする。そして、「朝、暗いうちに起きて、朝まずめを釣るのである。」これはこの文章の結びの一行であるが、最早、好きな釣りに心を躍らせている井伏さんの顔が見える。私は不機嫌であったときの井伏さんの顔も美しかったと思うが、気を換えて、心を柔げた井伏さんの顔も美しかったろうと思う。井伏さんがこんな心の弱さを示してくれることは、読んで私達はとても助かる気がする。読者が若しも人から、気に障ることをいわれて堪忍ならぬと思うことがあったら、よろしく、あの床屋の親爺の言葉を思い出し給え。決してこの世の中は「人との闘いだ」などとは思い給うな。くさくさしたときは早寝をして、そして若しも読者が井伏さんと同好の士であるならば、朝、暗いうちに起きて、朝まずめを釣りに出かけ給え。
 井伏さんの最初の創作集「夜ふけと梅の花」と太宰治の「晩年」とを比べて、私は井伏さんの方に及び難いものを感ずるのだが、人はどうであろうか。「晩年」の諸作には、太宰自身もいっているように、どこかでんでん太鼓の美しさのようなものが感ぜられる。「夜ふけと梅の花」の持っている、あのなんともいえない、明るさと暗さのようなものはない。井伏さんに比べると、太宰ははるかに固くなっている。「夜ふけと梅の花」に対抗するに、太宰は「晩年」集中のなにを以てするか。おそらく、あの「傑作の相貌」を具えているという「めくら草紙」であろうが、あの作品の中で、竹のステッキで足もとの草をぎ倒し、歯がみをしている太宰の姿よりは、「夜ふけと梅の花」の中の、電信柱の下で前後左右によろめきながら、自分をおびやかす質屋の番頭の幻影に対し、「やい。ちっとも怖くはないぞ。出て来い」と呶鳴っている井伏さんの姿の方が、気負ってなくてユウモラスで、なんだかいいじゃないか。私はどうにも心が惹かれてしかたがない。「夜ふけと梅の花」、この作品はくらい心の歌である。おそらく、読者が想像するよりは、はるかにくらい心の歌である。ある夜更け、ひどく空腹で且つくったくした気持で歩いている「私」の前に、突然、暗がりの電信柱のかげから一人の男がよろめき出て、「私」の前に立ちふさがり、あごをこちらにつき出して叫ぶのである。「もしもし、きみ! 僕の顔は、血だらけになってやしませんか!」作品全体が悪夢の感じである。そして質屋の番頭の血だらけの顔は、その悪夢の象徴のようなものである。質屋の番頭は暗がりで「私」を驚かしたきり、「私」がその質屋を訪ねたときには、既に逐電していないのである。「私」はその夜、酔って喧嘩をし怪我をした質屋の番頭から、無理に手渡された五円の金を着服したようになり、その後番頭の幻影に脅されるようになる。
「私は給料日にではなく、筆立の五円より他には最早湯銭もなくなった日に、村山十吉を訪ねることに決心した。梅の花さえも、私が五円ごまかしたことを摘発するようであったからである。村山十吉は必ず梅の木の下でよろめいているに違いなかった。そして血だらけの手でもって私の頬を撫でたり、または喉を締めつけるかもしれなかった。飯田橋の辻便所の中では、或夜、私はそうされたようにさえ感じた。また、その記事が極く小さい字で最近の新聞に出ていたようにも思われて来たのである。」
 これは作者がその心のくらさを追求した文章である。夢は五臓の疲れというが、おそらく読者もそういう夢を見たことがあるだろうが、そういう夢にこの作品が酷似していることに気がつくだろう。そしてその夢の中には、夜ふけの空に高く、幻のように白く梅の花が咲いてゆれているのである。「ああ寒いほど独りぼっちだ!」という山椒魚のすすり泣きも、「ああはや、私らはどのようにもギンナガシだります」という「シグレ島叙景」の伊作の嘆息も、また、「サワンよ、月明の空を、高く楽しく飛べよ。」という「屋根の上のサワン」の中にある憧憬の言葉も、みなひとしくこの作者の思いぞ屈した心から吐露されたものである。
 井伏さんの最近の作品に「晩春の旅」というのがある。九州旅行の往きの汽車中の出来事と、帰途、山口県の青海島を発動船で回航したときのことを書いたものである。この作品には、かつて牧野信一から譲られたという花梨のステッキが、かなりの役目をつとめている。井伏さんは牧野信一とつまらないことから気拙くなり、そのうち牧野さんは小田原の生家で自殺を遂げてしまう。友達と気拙いままで死別したことが、なにか井伏さんの心の負担のようなものになっている。そして花梨のステッキは、玄関の傘戸棚のなかにしまったままになっているのだが、井伏さんはふと思い出したように、この旅にこのステッキを持って出る。そして往きの食堂車にステッキを置き忘れ、紛失してしまう。帰途、青海島を船で回航しているときに、海のなかに突き出ている岩の頂上にミサゴの巣を見かける。案内の人が説明してくれる。「あの鳥の巣は、太い木の枝で頑丈に造ってあります。幾何学的に、きちんきちんとうまく組みあわせています。巣の底に、草鞋わらじなんか敷いて、私の見た巣には、木の枝と一緒に釣竿が混っておりました。」そしていう。「……それから、ステッキがありました。」それを聞いて井伏さんは、
「私は思わず唾をのんだ。瞬間、牧野さんの苦笑いする顔が、私の脳裡をかすめた。
『では、そのステッキ、花梨でしょう。』」
 この文章は三十年の歳月を隔てて、「夜ふけと梅の花」の次の文章に、照応しないだろうか。
「そのとき突然横あいから、
『もし、もし、君!』
 私に呼びかける太い声がした。心臓が止った。――去年のあの声だ。――村山十吉!
『…………』」
 着服した五円の金と、紛失したステッキと。そしてこの描写の相似。
「晩春の旅」は往きの汽車の中がおもしろい。井伏さんは窓外の山桜を見ようとして、汽車の窓をあけ、目にごみを入れてしまう。そして同車している、目の塵を取る名人だという女から塵を取ってもらうのだが、そこのところが、なんともおかしい。井伏さんの目からは塵のほかに、黄色いドレスの切れっぱしなどが出てきたりして、「あなたは過去において、黄色いドレスの婦人の胸に、顔を押しつけたことがあったでしょうが」などとからかわれる。私は読んでいて笑ってしまったが、さて自分だったら、目の中からどんな過去の塵を出させるかと考えてみて、まずはじめに思い浮んだのは、私の幼いときの子守が私の涙を拭ってくれたハンカチの切れっぱしであった。読者は私を甘ちゃんだと思うだろうが、まあそういわずに、読者もためしに誰かに目の塵を掃除してもらってごらんなさい。思わぬ幸福の拾いものをするかもしれないから。
(「新潮」昭和二八年四月号、原題「幸福論(十)―井伏鱒二によせて」)





底本:「日日の麺麭・風貌 小山清作品集」講談社文芸文庫、講談社
   2005(平成17)年11月10日第1刷発行
底本の親本:「小山清全集」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日増補新装版第1刷発行
初出:「新潮 第五十巻四号」新潮社
   1953(昭和28)年4月1日発行
※初出時の表題は「幸福論(十)―井伏鱒二によせて」です。
入力:kompass
校正:酒井裕二
2019年1月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード