老人と鳩

小山清




 老人は六十二になった。右半身が不自由だった。右腕が痛かった。でも、だんだん少しはよくなった。歩きだしてしばらくすると右の肺が痛かった。っとしていると、痛みは消えていった。三十になる頃、心臓が肥大していた。息切れがひどかった。六十になった時には、杖を引いていた。野桜の杖である。ちょっと手頃である。いつか、愛していた。野原の野桜である。
 ……ある日突然に倒れた。口がきけず、ものが言えなくなった。それっきり、五十三か四か、五か分らなくなっていた。肩が凝るということが、全然なくなった。性慾がまた、全然なくなった。始めは、お茶、水、小便、うんこ、の言葉しか言えなかった。食うことは平気で食べた。女はあの日から、二年目に別れた。子供は持たなかった。
 老人は家を引越した。そこは六畳と、四畳半の板の間と、小さい台所で、小さい庭があった。野原の外れである。誰も音沙汰がなかった。
 小鳥、魚の言葉が言えた。すぐ近くに大きな池があって、
「小鳥と魚は取ってはいけません。」と建札が書かれていた。
 馬鹿は言えた。けれども、白痴はくち、は言えなかった。また、自動車、は言えなかった。老人、これは言えた。正しく年老いた老人である。
 春は三月の中旬に野桜が咲いた。野桜は見事であった。大きな池の傍に老人はベンチに腰を下した。ここは人々が来る場所ではなかった。池には葦が茂っていて、雀が鳴いていた。マガモが雌雄で游いでいた。鮒が游いでいた。ベンチに腰を下し、池を眺めてじっとしていたが、二時間から三時間はかかっていた。
 夏は小さい庭の桃の実がった。桃の実は一昨年は五拾個で去年は四拾個で、今年は六拾個であった。うまかった。紫陽花あじさいは小さい茎を植えたのだが、四年に始めて花を開いた。大きな池では水すましが游いでいた。蜻蛉、蝶が飛んでいた。蝉が鳴いていた。夜、池では蛙が鳴いていた。
 秋は枯野原に可憐なコスモスが咲いた。小さい川が流れていた。ボール、牛乳の空瓶、運動靴、棒切れ、下駄が流れていた。小さい橋の上で疲れてしゃがんでいることが多かった。よしきりばしと言っていた。なかなか名が分らなくて参った。そのうち、いつか、読めた。
 冬は家の庭で日向ぼっこをしていた。窓硝子を開放あけはなしていた。野原の一軒家で、誰も来なかった。空は青空であった。陽は照っていた。庭の寝椅子に腰を下していた。じっとしていた。垣根越しに土や石や木が、目を少し閉じると、不思議な光景がまざまざ見られた。橋の池、線路、土蔵、樹々の梢、賑な街……。目を開けるとどうもないのだ。夜、寝ると、床をのべて、頭を少し下げて目を閉じて、ほんの僅か、祈るのだ。基督教徒の信者に似ていた。
 すこしまえに、黒猫が住みついた。牡であった。目は黄色であった。ばかに大きかった。もそもそしていた。朝に晩に魚を食べた。老人が日向ぼっこをしていると、黒猫は縁側で目を閉じていた。また、どこかへ行っていた。夜、床をのべると、黒猫は布団のはしで寝ている。

 鳩がいた。野原の向うに小さい川が流れていて、そこに家があった。家の傍に小さい小屋があった。鳩の部屋であった。老人は散歩に来ていたが、これまで、何も見えなかったから。たまたま、散歩に来て、鳩の部屋を見つけた。中学生と小学生の二人の兄弟であった。金網かなあみで造った小さい小屋である。兄弟は釘で打ちつけていた。鳩は十羽であった。牡、牝、五羽ずついた。白の鳩は一羽であった。また、散歩に来て、鳩の部屋で、白の小旗が長い竿にかかっていた。小旗は風にハタハタ揺れていた。また、来た。屋根には四、五羽いたが、そこから空をんでゆくのだ。流れてゆく川を渡って、また、屋根に舞戻った。
 可愛い鳩。目を見ると、ほんとに可愛い。平和な鳩。ホオ、ホオと鳴く、低い鳴声。老人は鳩笛を思い出した。昔のような話だ。小学生の五、六年の頃、桜の枝を小刀で削って、鳩笛を作った。その頃のことを思い出した。図画の女教師のことを。老人はハトは言えた。けれどもハト笛はなかなか言えなかった。兄弟は二、三人の仲間が来ていて、鳩の部屋にトタンで屋根をいた。老人は鳩笛を作ってみようと思った。野桜のことを思い出した。野原にも、池のほとりにも、野桜は見える。野原の外れで、のこぎりで枝を切った。S町の金物屋で小刀を買った。始めはさいしょから出来損できそこないであった。九日で小さい鳩笛を彫刻した。なんだか、へんてこりんであった。でも、ハトであった。黒猫がハトに爪で引掻いた。が、すぐ止めてしまった。池にあるマガモを作った。それから、犬、猫を作った。ハト、マガモ、犬、猫を机の上に並べた。老人はハトをあげようと思ったが、兄弟の顔を見ると、言葉が言えなかった。

 ある日、突然、見知らぬ女が、家に来た。四十七、八位の女であった。「兄さん、わたしです。」と女は声をかけた。「ああ、お前は、」と老人は叫んだ。二人とも別々に、二十五年の歳月を送っていた。妹であった。老人は言葉が言えなかった。妹はそれをさとった。妹は少し近くのN町に住んでいた。毎月、一度であったが、老人の許に出掛けた。妹は子供が二人いた。女の子が四年生で、男の子が二年生であった。二人とも無邪気であった。老人の家で、子供たちはともに遊んでいた。「おじいちゃん。」と言った声が、老人にはとても無邪気であった。作った鳥、動物の彫刻を、二人はこもごも眺めた。老人はマガモを女の子に、犬を男の子に呉れてやった。帰るとき、バスの停留所で、二人の子供は「おじいちゃん、さよなら。」と言った。池のほとりで老人は妹と子供たちと、ベンチに腰かけて弁当を食べた。妹と子供たちは団栗どんぐりを拾った。老人はベンチに腰かけて三人の姿を眺めた。
 S町の角に小さい映画館があった。老人は殆んど映画を見なかったが、いちど見た。西洋物であった。探偵映画であった。犯人に殺される老婆が可哀そうであった。老婆は唖で半身不随であって、手押車に乗っていた。その老婆がむごい仕打で殺されるのだ。老人は老婆が可哀そうであった。
「年老いた女が、古い家に住んでいた。
 古い家の後ろに、コショウの木があった。
 コショウの木は燃えてしまった。
 なぜなら……」
 映画ニュースの概説の中に、この文句が書いてあった。家に帰って、老人は鉛筆であの文句を書いた。……女の子が歌う童謡が懐しい。老人は小人の国が懐しかった。

 老人の家はQ町であった。十分ほど行く通りに、貸家があったが、やがて、コーヒー「ハト」の店が開店した。瀟洒な店であった。老人は一寸驚いた。ハトのことを。老人は野桜の杖を引いて、いちど行ってみようと思った。でも、駄目だ、駄目だと思った。老人はついに決意した。朝の十時頃にこの店の扉をあけてみた。誰もいなかった。剥製のハトが二羽いた。おや、おやと思った。すると、奥から娘が入って来た。「およう、ございます。」と言った。娘は十七、八の年頃であった。コーヒーはうまかった。パンもうまかった。テレビが始まった。スイスの村の景色が映った。老人も娘も共に見ていた。そのうち十日ほど、老人はまた来た。朝の十時頃、誰もいなかった。また、奥から娘が来た。「お早よう、ございます。」「コーヒーとバターパンを下さい。」「はい。」と娘は言った。テレビを見た。水郷の潮来いたこが映った。帰るとき、「マッチをどうぞ。」と娘は言った。小さいマッチである。コーヒー、「ハト」。マッチの箱の表紙に、ハトが描いてあった。老人は咄嗟に口が言えなかった。黙ってマッチを貰った。外で、「有難う。」と声をかければよかったと老人は思った。七日に老人はまた来た。誰もいなかった。また、奥から娘が来た。
「いらっしゃいませ。」と娘は言った。テレビが始まった。巴里のセエヌ河の岸が映った。老人と娘も共に見ていた。老人は「ちょっと。」と声をかけた。「はい。」と娘は老人の傍に行った。老人の服のポケットから、ハトが飛び出した。「ハト、あげます。」と老人は言った。「まあ、ハト。」と娘は彫刻のハトを両手で眺めた。「有難うございます。」と娘は言った。帰るとき、「お家は、近くですか。」と娘は言った。老人は頷いた。
 八日ほどで、老人はハトを二羽、作った。机の上にまた畳の上に並べて、みんな眺めた。「御免下さい。」と誰か言った。「はい。」と老人は扉をあけた。娘であった。「あっ。」と老人は声を呑み込んだ。「分らなくて、困りましたわ。」と娘は言った。「おいで。」と老人は六畳の部屋に入った。「まあ、ハトが、……沢山いますこと。」と娘は言って、ハトやマガモや犬や猫を指さした。老人は黙って笑顔を浮べた。娘は「はい。」と言って、ポケットから包みをとりだして、粘土細工のハトを呉れた。絵具で描いたハトである。老人は胸がいっぱいで、「ありがと」と言った。
 老人は机の引出をあけて一枚の半紙を取り出した。なにか書いてある。老人はそこを指さした。失語症。笑顔を浮べて。娘は、はっと顔色を変えた。老人は黙っていた。娘が言った、「あなたは、独りぼっちですか。」「独りぼっちだ。」と老人は微笑を浮べて言った。娘も微笑を浮べた。娘は小さい犬を手でおもちゃにしていた。「ここへ、ちょくちょくうかがいますわ。……でも、駄目でしょう。」と娘は言った。老人は言った、「ちょくちょく。」「有難う。」と娘は笑った。縁側へ黒猫が帰って来た。「あら猫がいるのですね。」と娘は黒猫の躯を抱いた。「長いおっぽですね。とても可愛い猫ね。黒猫ですね、名前は。」「名前はないんだ。」「そう。それじゃ、渾名はクロちゃんでもいいでしょう。クロちゃんという子供がいたことがあるんです。それでは、わたしはおいとまします。朝十時頃にまた来て下さいね。さよなら。」娘は帰って行った。
 新聞、ラジオ、本を売払った。家には郵便もなかった。さばさばした。絵の本を見るのは、好きだった。壁には小さな複製を掛けた。「コタンの袋小路」ユトリロ、一九一〇年(明治四十三年)。幼い頃の思い出だった。……老人は野桜の杖を引いて歩いた。
 娘は十日ほどたって、また来た。老人は一緒に池のほとりに行った。誰もいなかった。ベンチに腰を下した。娘は「あなたは発病後、幾年になりますか。」と言った。老人は「十年だか、十五年だか、わからない。」と言った。老人はさびしさが口許に込上げたのを我慢した。首くくりか自殺を図った後を思い出した。「ハト、ハトがいるよ。この向うだよ。」と老人は言った。老人は娘を案内した。「ここだよ。」と老人は言った。小さい川が流れている。ハトの部屋。小旗が揺れている。二時頃で、中学生も小学生も二人の兄弟はまだ帰って来てない。「可愛いわ。とても可愛いわ。」と娘は言った。「また、こんど、来て見よう。」と老人は言った。よしきり橋の上で、休んだ。
 その後、老人は雀と豚を彫刻した。八日目で出来上ったが、風邪がこじれた。それから、布団で寝込んでしまった。黒猫の御飯を食べているのが、精一杯であった。五日前に起き出した。老人はまた朝の十時頃、「ハト」へ来た。娘がいた。「こんにちは。」と二人は言った。老人の彫刻のハトがカウンターの上に置いてあった。娘はそこへ目で合図をした。老人のポケットから豚が騒ぎ出した。
「まあ豚が、……とても面白いわ。」と娘は豚を掴み上げて、卓子の上に置いた。「鳥や動物の彫刻を、どんどんなさるといいわ。」と娘は言った。テレビが始まった。漢拏山の朝露に濡れて、朝鮮が映った。カウンターの後に母親らしい女が現われた。そのとき、店へ男が一人と女が二人、どかどかとやって来た。老人は「また、来るよ。」と言って、店を出た。
(「小説中央公論」昭和三七年八月号)





底本:「日日の麺麭・風貌 小山清作品集」講談社文芸文庫、講談社
   2005(平成17)年11月10日第1刷発行
底本の親本:「小山清全集」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日増補新装版第1刷発行
初出:「小説中央公論 第三巻八号」中央公論社
   1962(昭和37)年7月21日発行
入力:kompass
校正:酒井裕二
2019年3月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード