老人は六十二になった。右半身が不自由だった。右腕が痛かった。でも、だんだん少しはよくなった。歩きだしてしばらくすると右の肺が痛かった。
……ある日突然に倒れた。口がきけず、ものが言えなくなった。それっきり、五十三か四か、五か分らなくなっていた。肩が凝るということが、全然なくなった。性慾がまた、全然なくなった。始めは、お茶、水、小便、うんこ、の言葉しか言えなかった。食うことは平気で食べた。女はあの日から、二年目に別れた。子供は持たなかった。
老人は家を引越した。そこは六畳と、四畳半の板の間と、小さい台所で、小さい庭があった。野原の外れである。誰も音沙汰がなかった。
小鳥、魚の言葉が言えた。すぐ近くに大きな池があって、
「小鳥と魚は取ってはいけません。」と建札が書かれていた。
馬鹿は言えた。けれども、
春は三月の中旬に野桜が咲いた。野桜は見事であった。大きな池の傍に老人はベンチに腰を下した。ここは人々が来る場所ではなかった。池には葦が茂っていて、雀が鳴いていた。マガモが雌雄で游いでいた。鮒が游いでいた。ベンチに腰を下し、池を眺めてじっとしていたが、二時間から三時間はかかっていた。
夏は小さい庭の桃の実が
秋は枯野原に可憐なコスモスが咲いた。小さい川が流れていた。ボール、牛乳の空瓶、運動靴、棒切れ、下駄が流れていた。小さい橋の上で疲れてしゃがんでいることが多かった。よしきりばしと言っていた。なかなか名が分らなくて参った。そのうち、いつか、読めた。
冬は家の庭で日向ぼっこをしていた。窓硝子を
すこしまえに、黒猫が住みついた。牡であった。目は黄色であった。ばかに大きかった。もそもそしていた。朝に晩に魚を食べた。老人が日向ぼっこをしていると、黒猫は縁側で目を閉じていた。また、どこかへ行っていた。夜、床をのべると、黒猫は布団のはしで寝ている。
鳩がいた。野原の向うに小さい川が流れていて、そこに家があった。家の傍に小さい小屋があった。鳩の部屋であった。老人は散歩に来ていたが、これまで、何も見えなかったから。たまたま、散歩に来て、鳩の部屋を見つけた。中学生と小学生の二人の兄弟であった。
可愛い鳩。目を見ると、ほんとに可愛い。平和な鳩。ホオ、ホオと鳴く、低い鳴声。老人は鳩笛を思い出した。昔のような話だ。小学生の五、六年の頃、桜の枝を小刀で削って、鳩笛を作った。その頃のことを思い出した。図画の女教師のことを。老人はハトは言えた。けれどもハト笛はなかなか言えなかった。兄弟は二、三人の仲間が来ていて、鳩の部屋にトタンで屋根を
ある日、突然、見知らぬ女が、家に来た。四十七、八位の女であった。「兄さん、わたしです。」と女は声をかけた。「ああ、お前は、」と老人は叫んだ。二人とも別々に、二十五年の歳月を送っていた。妹であった。老人は言葉が言えなかった。妹はそれを
S町の角に小さい映画館があった。老人は殆んど映画を見なかったが、いちど見た。西洋物であった。探偵映画であった。犯人に殺される老婆が可哀そうであった。老婆は唖で半身不随であって、手押車に乗っていた。その老婆がむごい仕打で殺されるのだ。老人は老婆が可哀そうであった。
「年老いた女が、古い家に住んでいた。
古い家の後ろに、コショウの木があった。
コショウの木は燃えてしまった。
なぜなら……」
映画ニュースの概説の中に、この文句が書いてあった。家に帰って、老人は鉛筆であの文句を書いた。……女の子が歌う童謡が懐しい。老人は小人の国が懐しかった。
老人の家はQ町であった。十分ほど行く通りに、貸家があったが、やがて、コーヒー「ハト」の店が開店した。瀟洒な店であった。老人は一寸驚いた。ハトのことを。老人は野桜の杖を引いて、いちど行ってみようと思った。でも、駄目だ、駄目だと思った。老人はついに決意した。朝の十時頃にこの店の扉をあけてみた。誰もいなかった。剥製のハトが二羽いた。おや、おやと思った。すると、奥から娘が入って来た。「お
「いらっしゃいませ。」と娘は言った。テレビが始まった。巴里のセエヌ河の岸が映った。老人と娘も共に見ていた。老人は「ちょっと。」と声をかけた。「はい。」と娘は老人の傍に行った。老人の服のポケットから、ハトが飛び出した。「ハト、あげます。」と老人は言った。「まあ、ハト。」と娘は彫刻のハトを両手で眺めた。「有難うございます。」と娘は言った。帰るとき、「お家は、近くですか。」と娘は言った。老人は頷いた。
八日ほどで、老人はハトを二羽、作った。机の上にまた畳の上に並べて、みんな眺めた。「御免下さい。」と誰か言った。「はい。」と老人は扉をあけた。娘であった。「あっ。」と老人は声を呑み込んだ。「分らなくて、困りましたわ。」と娘は言った。「おいで。」と老人は六畳の部屋に入った。「まあ、ハトが、……沢山いますこと。」と娘は言って、ハトやマガモや犬や猫を指さした。老人は黙って笑顔を浮べた。娘は「はい。」と言って、ポケットから包みをとりだして、粘土細工のハトを呉れた。絵具で描いたハトである。老人は胸がいっぱいで、「ありがと」と言った。
老人は机の引出をあけて一枚の半紙を取り出した。なにか書いてある。老人はそこを指さした。失語症。笑顔を浮べて。娘は、はっと顔色を変えた。老人は黙っていた。娘が言った、「あなたは、独りぼっちですか。」「独りぼっちだ。」と老人は微笑を浮べて言った。娘も微笑を浮べた。娘は小さい犬を手でおもちゃにしていた。「ここへ、ちょくちょく、
新聞、ラジオ、本を売払った。家には郵便もなかった。さばさばした。絵の本を見るのは、好きだった。壁には小さな複製を掛けた。「コタンの袋小路」ユトリロ、一九一〇年(明治四十三年)。幼い頃の思い出だった。……老人は野桜の杖を引いて歩いた。
娘は十日ほどたって、また来た。老人は一緒に池のほとりに行った。誰もいなかった。ベンチに腰を下した。娘は「あなたは発病後、幾年になりますか。」と言った。老人は「十年だか、十五年だか、わからない。」と言った。老人はさびしさが口許に込上げたのを我慢した。首くくりか自殺を図った後を思い出した。「ハト、ハトがいるよ。この向うだよ。」と老人は言った。老人は娘を案内した。「ここだよ。」と老人は言った。小さい川が流れている。ハトの部屋。小旗が揺れている。二時頃で、中学生も小学生も二人の兄弟はまだ帰って来てない。「可愛いわ。とても可愛いわ。」と娘は言った。「また、こんど、来て見よう。」と老人は言った。よしきり橋の上で、休んだ。
その後、老人は雀と豚を彫刻した。八日目で出来上ったが、風邪が
「まあ豚が、……とても面白いわ。」と娘は豚を掴み上げて、卓子の上に置いた。「鳥や動物の彫刻を、どんどんなさるといいわ。」と娘は言った。テレビが始まった。漢拏山の朝露に濡れて、朝鮮が映った。カウンターの後に母親らしい女が現われた。そのとき、店へ男が一人と女が二人、どかどかとやって来た。老人は「また、来るよ。」と言って、店を出た。
(「小説中央公論」昭和三七年八月号)