いさましい話

山本周五郎





 国許くにもとの人間は頑固でねじけている。
 ――女たちがわるくのさばる。
 ――江戸からゆく者は三年と続かない。
 江戸邸ではもうずっと以前からそういう定評があった。また事実がいつもそれを証明してきた。特に若くて重い役に赴任したような者は、例外なしに辛きにあうということだ。
 ――理由はいろいろあるだろうが、どこの藩でも、藩主は江戸うまれの江戸そだちであるから、自分が家督して政治を執るばあいには、しぜん身近で育って気心の知れた者を、重要な役につかいたくなる。これはどうしてもそうなりがちである。
 国許そだちの人間は性格がとかく固定的で、融通性に欠けている例が多い。環境が根づよい伝習でかたまっているためもあろう。暢気のんきな者はばかばかしく暢気だし、偏屈な人間はしまつに困るほど偏屈である。
 ――この藩ではその点がことに際立っていた。おそらく気候風土の関係もあるのだろうが、一般に傲岸ごうがん粗暴であり、きわめて排他的な気分が強かった。
 ――江戸の人間はふぬけで軽薄だ。
 ――人にとりいるのが上手だ。
 ――口さきがうまくて小細工をろうする。
 かれらはかれらでこう信じていた。そしてその信念を決して譲ろうとはしなかった。
 笈川おいかわ玄一郎を送るために、親しい友達なかまで別宴を張ってれたが、集まった七人のうち三人まで国詰になった経験があったから、話はしぜんその方面のことでもちきり、なかばからかいぎみの忠告や意見がしきりに出た。
「なにより困るのはすぐ刀を抜くことだ、議論に詰るとすぐ決闘だからな、絶えず決闘がある」
 萩原準之助が云った。
「――もっともどっちか少し傷がつくと、勝負あったでひきわけになるんだが、議論のほうもそのままひきわけだからね、結果としてはなんにもしなかったと同じなんだ」
「あれが自慢のお国ぶりなんだ、もっとも武士らしいやりかただと思ってる」
「もうひとつふしぎなのは女たちの威勢の強いことだね、威勢というより権力にちかいものだ」井部又四郎がそう云った。
「――夫人や令嬢たちが幾つも会をもっていて、音曲や茶や詩歌の集まりをするのはまあいい、堂々と男を客に招いて酒宴を催すのにはびっくりしたよ」
「おまけにあの傲慢な男たちがみんな一目おいているからね、道で上役の夫人などに会うとこっちから挨拶をする」
「それを怠るとあとが恐ろしいんだ」
 玄一郎は、苦笑しながらさかずきを取った。
「もうそのくらいで充分だ、あんまりおどかさないで呉れ」
「いってみればわかるさ」八木隼人はやとがまじめな顔で云った、「――笈川の勘定奉行は近来にない抜擢ばってきだからな、国許ではきっとてぐすねをひいて待っているぜ」
「とにかく当らず触らず、見ず聞かず云わず、この五つを金科玉条にしてやってみるんだね」
 そしていけないと思ったら即座に辞任すること、病気とでも云ってすぐ江戸へ帰る、そのほかに手はないと口をそろえて云った。
 玄一郎は吾助という下男をれて江戸を立ち、九月はじめに国許へ着いた。
 江戸から連絡してあった庫田主馬くらたしゅめの家に草鞋わらじをぬぎ、すぐさま国家老の和泉図書助いずみずしょのすけほか、重臣老職のうちおもだった七人に挨拶だけして廻った。
 玄一郎のためには五番町というところに家がきまっていたが、まだ修理が終らないので、半月あまり庫田の世話になったのであるが、その期間にかなり多くのことを知ることができたのは幸いであった。
 庫田主馬のことは、亡くなった父から聞いていた。父の笈川玄右衛門も国許のそだちで、算数に巧みなところから、先代の伊賀守正敦にみいだされ、江戸定府の勘定方支配にぬかれた。国許では運上役所の軽い身分だったらしい。
 庫田とはその頃の親友で、当時は主馬も百五十石ばかりの家の三男であったが、望まれて庫田へ入婿したとのことである。亡くなった父も実直な、学者はだのごく穏やかなひとであった。主馬はまたそれ以上に朴訥ぼくとつ温厚な性格で、妻女のはっきりした遠慮のない挙措と、きわめて対蹠的にみえた。
 ――婿養子となると、武家でもこんなものか。
 世話になった半月ほどのあいだに、こう思わせられたことが二度や三度ではなかった。しかしそれは庫田に限ったことではなく、つまり婿であるなしにかかわらず、それが一般的な風習だということを、まもなく彼は知ったのである。
 国許では女の威勢が強い、と、江戸でしばしば聞いていたが、じっさいは想像以上であり、しかもきわめて根づよくゆきわたっていることに、玄一郎はずいぶんとまどいをしたものであった。


 五番町の家へ移ったのは九月下旬のことである。それから正式に勘定奉行交代の披露があり、国家老の夫人の招宴と、同じく国家老の令嬢の主催で招宴があった。
 続いて重臣たちの招待、奉行職だけの招待、そして彼の役所に属する下僚たちの招待など、三十日ばかりのあいだに五つの招待を受け、また、奉行職たちをいちど、下僚をいちど、答礼に招いて酒宴を張らなければならなかった。
 江戸ではこんな例はない。御殿で定った祝宴はあるが、それもごく形式的なもので、役の任免などにこんな派手なことをするためしはない。まして夫人や令嬢たちに招かれるなどということは、――井部に聞いてはいたけれども、――彼にとってはまったく初めての経験であり、驚くよりも、途方にくれるばかりだった。……これらの事も、すべて庫田夫婦の世話になったのであるが、主として面倒をみて呉れたのは、夫人のほうで主馬はときどき助言をするくらいのものであった。
「奉行職の方々は望水楼になさいませ」
「役所の方たちは釣橋でようございましょう」
 そんなふうに招宴の場所も定め、酒肴しゅこうの注文などもてきぱきやって、なおひととおり客の接待までして呉れた。
「御婦人たちにも招待のお返しをするのですか」
「いいえ、殿方が女を招くということはありません」庫田夫人はこう云って笑った、「――婚約のできたときには招待をしますけれど、そのときも主人役は許婚者の方がなさいますの、男の方は黙って任せていらっしゃればいいのですよ」
 それから庫田夫人はこんなふうにも云った。
「貴方は女の方たちににんきがおありだから、これからもきっと招待があると思います、そんなときはなにを措いてもお受けにならなければいけません、これだけはよく覚えていらっしゃらないと」
 そして警告するような笑いかたをした。
 玄一郎は庫田家にいて見聞したことと思いあわせ、夫人の警告が誇張ではないということを了解した。そうして事実その後もしばしば夫人や令嬢たちから招かれたが、できる限り避けたり辞退したりしないように努めた。
 勘定奉行交代の披露と、それに続く幾たびかの招宴で、藩中の彼に対する感情もあらましわかった。ごく簡単にいうと、それは、「無関心」と「反感」とにわけることができる。重臣や老職たち、またそのほか中年以上の人々は前者に属していて儀礼や事務に関する事はべつだが、そのほかの点ではうとみもしないが親しみもしない。
 ――どうせすぐ江戸へ帰る人間だ。
 こう思っているようにさえみえる。これに反して青年たちはおしなべて後者の態度を明らかにした。特に勘定奉行に属している者、つまり玄一郎の下僚の青年たちにそれが甚だしい。かれらは初めから不服従と反感を示し、わざと彼を怒らせ、困惑させるようにふるまうのであった。
 ――怒るなら怒ってみろ。
 かれらはいつもそういう姿勢をみせた。
 ――さっさと逃げるほうが安全だぜ。
 絶えずこういう嘲笑ちょうしょうの眼でこちらを見た。そのなかまでは書記役の益山郁之助と三次軍兵衛、収納方の上原十馬の三人が主動者であり、もっとも挑戦的だということを、まもなく玄一郎はみぬいたのである。
 このあいだにもし津田老人を知らなかったら、彼の忍耐は続かなかったに違いない。単に忍耐が続かなかったばかりでなく、彼の後半生はまったく別個のものになったろうと思う。――ずっとのちになってから、老人と自分との複雑な関係がわかり、ひじょうな感動をうけたのであるが、それをべつにしても、津田老人のいて呉れたことは、彼にとってきわめて大きな救いであった。
 津田庄左衛門は玄一郎の就任の披露にも列席し、老職に招かれた宴席でも、またこちらが望水楼へ招いたときも会っている。老人は作事奉行だから、三度とも顔を合わせている筈だが、彼には少しも印象が残らなかった。
 初めて口をきいたのは霜月中旬の、曇った風の強い午後のことであった。下城して和泉門から出たとき、うしろから呼びかけられ、大手筋のつじまでいっしょに話しながら歩いた。
「寒いのに驚かれたでしょう、なにしろ、気候のあらい土地ですから、――雪が来てしまえばまあ少しはしのぎいいのですが、雪の来るまえのこの風ばかりはどうも、馴れている私どもでも、閉口します」
 淡々とした穏やかな口ぶりで、ゆっくりとおちついた調子で話した。
「しかしこんな気候の暴い土地でも、やはり梅が咲き桜が咲きますからな、草花なども江戸から移したのがたいていは根づいて咲くようです、――そういう点では、どうも人間のほうが辛抱が続かない、どうもすぐ腰が浮いてしまうようで、……尤も人間と草木を比べるのが無理でしょうが」
 玄一郎はそれが自分をふうして云うように思えた、だが老人は唇のあたりに静かな微笑をうかべ、そんなけぶりいささかもみせずに、四辻のところであっさりと別れていった。


 その後も役所の廊下とか、登城下城のときなどに会い、いっしょに歩いたり立ち話をしたりした。四五たびそんなことがあってからようやく、相手の名と身分とがわかった。
 ――作事奉行、津田庄左衛門。
 玄一郎にはかなり意外だった。いつも謙遜けんそん慇懃いんぎんものごしから、どこかの役所の支配ぐらいに思っていたのだが、それからは改めて見なおす気持になった。
 津田庄左衛門は五十八歳という年よりはふけてみえる。五尺七寸あまりのせたからだつきで、おもながの彫刻的な顔に、いつも柔和な微笑をうかべている。動作もゆったりとおちついているし、誰に対しても丁寧で、決して高い声をだすようなことがない。ぜんたいに枯淡な、すがすがしい気品に包まれている感じだった。
 こういうひとがらにもかかわらず、津田が孤独な人だということに、玄一郎はやがて気がついた。津田には親しくつきあう者がない。注意してみると誰もが津田を敬遠しているようである。
 津田が誰に対しても丁寧であるように、周囲の人たちも応待はきわめて鄭重ていちょうであるが、その鄭重さには一種のよそよそしさと冷たい隔てが感じられた。
 ――あの人は本当は狷介けんかいなのかもしれない。
 玄一郎はそう思った。誰に対しても丁寧なのは、実は誰をも近づけたくないための、拒絶の表現かもしれない。
 ほかにも事情はあるらしいが、彼はこう考えた。そうして時が経つにしたがって、しぜんと津田のひとがらに惹かれていった。
 役所のほうは不愉快な状態が続いていた。事務はいつも停滞し、投げやりにされている。いつまでも整理のつかない書類があるので、これはどうしたのかときくと、「私は知りません、それは楢原ならはらの係りでしょう、いや待って下さい、武井でしたかな」
 こう云ってそっぽを向いてしまう。そうして楢原や武井の係りではなく、その当人の役目だということがわかると、「ああそうでしたか、では私がやりましょう」
 そして人をばかにしたように笑うのであった。これに類したことが毎日きまって二度や三度はある、怒らせるつもりで共謀してやっているので、怒れば向うの思うつぼだから、玄一郎は決して相手にならない。
 ――柳に雪折れなし。
 どっちが続くか辛抱くらべという気持で、いつもやんわり受けながしていた。だが単にそれだけでもなかった。ここはかなめだとみればくさびを打った。
 その年末の勘定仕切のときであるが、払い出しの帳簿をみてゆくと、玄一郎が赴任したときの招宴の費用が書き出してあった。重臣たちのが一度、老職たちのが一度、役所の下僚たちのが一度、これらがみな公費とも私費ともつかず請求されているのである。……玄一郎はこれをすぐに払い出し帳簿から削り、勘定書を三者それぞれの詰所へ持ってゆかせた。
「これは勘定役所へまわって来たが、なにかの手違いと思うからそちらへ渡します」
 こう云わせたのである。もちろんひと応酬あることは予期していたが、まずねじこんで来たのは役所の下僚たちで、例の益山郁之助、三次軍兵衛、上原十馬の三人が総代となり、しきりに理屈をならべたてた。
「いやどんな理由があっても、こういうものを役所で払うわけには、公用の意味があるならとにかく、これはまったくの私費だから」
「私費とは云えないでしょう」益山がやり返した、「――私どもは私人として貴方を招待する気持はなかった、私どもにとっては貴方は見知らぬ人です、招待しなければならない理由もなし、招待したいと思ったわけでもない、ただ役所の上司となって来られたので、儀礼としてお招きしたわけですからね、私どもとしては面白くも楽しくもなかったんですから」
「それはお気の毒だった、今後こんなむだなことはやめるほうがいい、――わかったらこれはそちらで払って呉れ」
 玄一郎はこう云うなり筆を取って机のほうへ向いてしまった。
 同じ日のうちに次席家老から呼ばれた。益山税所といって、益山郁之助の伯父に当り、これはのんびり型の、煮えたか焼けたかわからないような老人だった。
 税所はやはり勘定書を出して、こういうものは公費でまかなうのが従来の慣習である。これまでずっとそうして来たのだから、今後もそうするようにと云った。玄一郎は断わった。それは勘定奉行として不可能である。江戸邸ではそんな例はないし、そういう慣習を守れという注意も受けていないと答えた。
「しかし私の一存で押しとおすのもいかがですから、すぐ江戸邸へ使いをやって問い合せることに致しましょう、もし役所で払えということでしたら払いますが、それまでこれはいちおうそちらでお支払い願います」
 穏やかに云い置いて役所へ戻ると、おっかけ国老席から人が来て、江戸へ問い合せるには及ばない、こちらで払うからと云ってよこした。
 これらのいきさつがわかったものだろう、老職からはついに苦情は出ずに済んだ。


 雪のなかで年が暮れた。
 この土地は東と北と南に山岳が重なり、西側に海岸が長く延びている。東北の山から流れて海へ注ぐ河が大小三筋あり、それを中心に広い豊かな米作地がひらけている。
 城下市はその大きい河の下流にあって、近くに河口港をもち、近国での繁昌の土地といわれているが、重なっている山岳と長い海岸線との関係で、ひじょうに気候が暴く、冬季のきびしさはともかくとして、殆んど定期的に冷害、旱害、風水害などの災害にみまわれた。
 雪はよく降るが積る量は多くない。粉のように細かく、さらさらと乾いた雪で、絶えず吹きつける北北西の風に積るひまもなく、夜も昼も天地のあいだを煙のように舞い狂っている。そうしてどんなによく閉めた戸や障子の隙間からも吹きこんで、朝になると寝所の枕許まで白くなることが珍しくなかった。
 正月は式日登城のあと五日まで非番だった。和泉国老はじめ重臣老職へ年賀にまわり、庫田では半日ひきとめられた。
 三日は朝から家にいると、午後になって津田庄左衛門が訪ねて来た。初めてのことである。玄一郎は酒肴を出してれがたまで老人と静かに話した。
「宴会の公費まかないをよく拒みとおされましたな、おかげで私も割前を取られたくちですが、あれは悪い習慣で、これまでも幾たびか反対が出たのですが、いつも若いれんちゅうに押されてうやむやになって来たものです」
「古い慣例はなるべくそっとして置きたいのですが、あれはどうも……」
「やるべき事はやったほうがいいのです」津田はこう云って微笑した。
「――尤もいずれ江戸へお帰りになるということなら、求めて敵をつくることもないでしょうが」
「私は江戸へは帰りません」
 玄一郎はこういって微笑を返した。津田は静かな眼でこちらを見た。温情のこもった、包むようなまなざしであった。
「しかし続きますかな」
「たやすいことではないと思いますが、ひとつ考えたことがあるのです」玄一郎は盃を下に置いた。「――こんなことを申上げるとお笑いなさるかもしれませんが、それはこの土地のひとを嫁に貰うことなんです」
「…………」
「ここでは婦人たちのちからがたいへん大きい、話には聞いていましたが、実際に見てじつは驚いたのです、それで考えたのですが、この土地のひとと結婚すれば、姻籍関係もできるし、またその妻のちからもいろいろの面で役立つと思うのですが」
「悪くはないですね」津田はうなずいたが、同時に危ぶむような微笑をみせた。
「――むしろよい御思案でしょうが、ここの女たちはちょっと気風がべつですからな、全部が全部というわけでもないが、古くからの気風ですからなかなかそこが」
「たいてい想像はしていますし、その点は無理をしなければいいと思います」
 津田は静かに頷いたまま、もうなにも云わなかった。独りになってから、玄一郎はちょっと自分がにがにがしく思われた。この土地の者と結婚しようということは、江戸を立つまえに心できめていた。これまで江戸から来た者が結局ここの人たちと融合することができず、大多数が任期の終るまえに辞して帰った。それはつまるところ「江戸から来た」人間であり、「また江戸へ帰る」人間だということが、ここの人たちとのあいだに一種の隔てをつくっていたのではないか。
 根本的には気質や風習の違いもあるだろうが、この土地で結婚しこの土地に親族ができれば、いちおう土地に根をおろしたことになる。単に「江戸から来て江戸へ帰る」人間ではなくなるから、しぜん周囲の見る眼も違ってくるだろう、――こう考えていた。また招かれた宴席で、このひとならとひそかに見当をつけた娘もある。
 だが津田に対してそんなことをうちあけるのは早すぎた、おまけにだいぶいきまいたようなかたちになったことはわれながらあと味がよくなかった。
 ――ついぞこんなことはなかったのに。
 彼はいやな顔をしながら、津田という人にはそんなふうにこちらをひきいれるところがあるので、注意しなければならないと思った。
 七日の午後に和泉家へ招かれた。松尾という令嬢の招待で、同じ年ごろの娘たちが十人ばかり集まっていた。もう三度めなので、たいがい顔だけは見おぼえているが、松尾ともうひとり萩原くめという娘とが、姿も顔だちも群をぬいて美しかった。くめの家は江戸の萩原と縁つづきで玄一郎の友人の萩原準之助とくめとはまた従兄弟の関係にあるということだった。
 娘たちのうたげらしく、いろどりの華やかな膳部ぜんぶに酒が出た。夫人たちほどではないが、みんな盃を手にし、この家の三人の待女が給仕をしてまわった。
 三献のあと松尾が琴を聞かせ、べつの娘二人が琴と三絃を合わせた。それから膳が代って食事になり、済むと暫くして、くめが茶の点前たてまえをみせた。
 男の客は玄一郎ひとりで、三度めとはいうものの相当ばつがわるい。だがその日はひそかに期していたことがあった。かねて見当をつけていた娘を、もういちどよく見るということである。彼の目標は松尾かくめかで、ひとがらはくめのほうがよいと思ったが、頭のよさと国老の娘である点、彼の求めている条件からすれば松尾をとるべきだと思った。
 そういうわけで、その日はばつのわるさもなにも構わず、寧ろ無遠慮なくらい松尾のようすを見まもった。――そういうことには敏感な年ごろだから、娘たちの幾人かはそれに気づいたらしい、松尾はまったく無関心をよそおっていたが、彼の大胆な注視にあううち、ふと眼のまわりを染めたり、とつぜんに動作が硬くなったり、また声になまめいたつやを帯びて、あらぬとき高く笑ったりした。
「ぶしつけですが横笛がありますか」
 玄一郎はこう云ってまっすぐに松尾を見た。松尾はまぶしそうにまたたきをしたが、さすがにいたずらなはにかみなどはみせなかった。
「稽古用のごく雑なものならございますけれど」
「それで結構です、こちらもほんのうろ覚えで、座興に笑って頂くくらいのものですから」
 松尾は侍女に命じて笛をとりよせた。雑なものどころではない。明らかにすじのとおった品である。すがたも古雅であるし、音色も深くえていた。玄一郎は坐りなおして歌口をしめし、むぞうさに里神楽のはやし笛を吹きだした。
 令嬢たちはびっくりした。初めは気づかなかったらしい、こういう席で横笛をと云う以上は、むろんそれだけの心得もあるだろうし、しかるべき曲を吹くものと信じていた。――ところが妙な調子で始まったと思ううちに、ぴいひゃらぴいひゃらとっぴきぴなどという派手なことになった。里神楽なら子供でも知っている。彼女たちもやがてそうわかって、びっくりすると同時になかにはくすくす笑いだす者さえあった。
 玄一郎は平然たるもので、馬鹿囃しを一曲たっぷりとおちつきはらっていさましく吹奏したのであった。
 令嬢たちは胆をぬかれ、途方にくれた。それがもし侮辱であるなら怒らなければならない。またもしも好意から出た座興だとすれば、いちおう喝采かっさいするのが礼儀である。
 ――いったいどっちかしら、どうしたものかしら。
 彼女たちはお互いにさぐりあい、判断がつかないのでもじもじしていた。だが玄一郎が吹奏を終ったとき、間髪をいれず、松尾が軽く手をちながら明るく笑った。
「まあおひとのわるい、そんなおたしなみがおありとは少しも存じませんでした、ねえみなさま」
 娘たちは松尾にならって手を拍ち、くちぐちにめたり笑ったりした。だがそのなかでくめひとりだけ、黙って無表情に脇のほうを見やっていたこと、また手を拍ち明るく笑いながら、松尾の眼に怒りの色があったことを、玄一郎はみのがさなかった。
 明くる日は全部の役所が休みであった。
 こっちへ来て驚いたことのひとつは、役所の休日の多いことである。農村とつながっているためらしいが、なになに祝いとか、忌み日とか、なにそれ祭りとかいって、定日のほか月にたいてい二三回は休みがある。その日は七日正月の慰労だそうで、これは武家だけが、互いに招待し招待され、また料亭などで派手に騒ぐようであった。
 玄一郎も重臣の家の三四から招かれていたが、断わって、家で江戸の友達へ手紙を書いていた。すると十時ころに、萩原くめが訪ねて来た。
 取次を聞いたとき、ほんのちょっとではあるが玄一郎はどきりとした。昨日の、そっぽを向いた、無表情な顔を思いだしたからである。――くめは色も縞柄もじみな着物でごくうす化粧をしていた。それがいっそう清楚に、彼女の美しさを、際立てるようにみえた。
「お床間が淋しくはないかと存じまして、ちょうど蝋梅ろうばいが咲きはじめましたので、持ってあがりました――」
「それは有難いのですが、私のところには道具がなにもないのですよ」
「いいえ粗末な物ですけれど用意してまいりましたから」
 親しい家へでも来たように、こう云って侍女を呼び、さび付きの鉄の壺や道具や、ほどよく咲いた蝋梅の枝をそこへひろげた。
「こんな雪のなかで咲くんですか」
「――むろで致しますのよ」
「ああなるほど、そうでしょうね」
 益もないことを云ったものだと玄一郎は自分で苦笑した。くめは花をけ終ると、べつに話をするようすもなく、とりちらした物を片づけて帰っていった。


 玄一郎の笛の話はたちまち藩中の評判になった。
 中年以上の人たちはにやにやしていた。若いれんちゅうも一部では痛快がっているふうだった。つねづね女には押えられているので、玄一郎が令嬢たちを侮辱したものと信じ、いいきみだと思ったものらしい。
 だが他の青年たちは同じ意味でよけい反感をそそられ、その侮辱に対して、婦人たちが報復しないことでも嫉妬しっとしているようだった。
「馬鹿囃しとは呆れたもんだな」
 下僚たちは役所でよくこう云いあった。事務を執りながら、上席に玄一郎のいるのを知って、聞えよがしに話すのである。
「いっぱし洒落しゃれたつもりなんだろう」
洒脱しゃだつてらっているのさ、田舎者だと思ってばかにしてね、それで自分が恥をかいているとは気がつかない」
「そこが馬鹿囃しの馬鹿囃したるところだろう」
 べつの者たちはしきりにいきまいた。
「われわれはいいわらい者になっているぞ」
「勘定役所の者というとみんなが嘲弄ちょうろうするんだ、しかし返答のしようがないじゃないか」
「たいへんな上役を貰ったものさ」
 玄一郎はむろんとりあわなかった、聞えないふりもしないが、聞えていて自分とは関係のないことのように、泰然と知らぬ顔をし、眉を動かさずにいた。
 萩原くめはその後いちど花を替えに来、少しおいて自宅で茶をするからと、招きの使いをよこした。
 初めて蝋梅を活けに来たとき、玄一郎はほぼその意味を察していた。それから花を替えに来たうえ自宅への招待で推察の誤りでないことが確実のように思えた。
 松尾が手を拍って褒めながら、眼に怒りをあらわしていたとき、くめだけはみんなの喝采には加わらず、ひとり脇を向いて黙っていた。それが悪感情でなかったことはその翌日すぐ訪ねて来たのと、そのときの好意をひそめたようすが証明していた。単に好意だけではなく、そこにはもうひとつ深い意味さえ感じられたのである。
 それは求婚でないにしても、求婚を期待し、それを受ける意志のあることを、示すものと思えた。
 ――あのひとならいい妻になって呉れるだろう、平安な温かい家庭ができるに違いない。それだけなら望ましいひとだが。
 玄一郎は茶の招きを断わった。
 その三日ほどあと、定日の非番に津田庄左衛門が訪ねて来た。きれいに晴れた日で、あけてある窓からいっぱいに陽がさしこみ、火桶ひおけもいらないくらい客間は暖たかかった。
 ひさしから落ちる雪解の雨垂れがきらきらと美しく光っては、あまおちの小石を賑やかに叩いていた。津田は窓にって暫く話していたが、ふと萩原くめのことを云いだした。
「あの娘はわるくはないと思うのだが、お気にいらないですかな」
「――なにかお聞きになったのですか」
「それは聞きました、貴方を萩原へすすめたのは私ですから」
 津田はいつもの穏やかな笑いかたで、ずっと以前から萩原が彼の話をしていたこと、また彼がこの土地で嫁を貰い、この土地におちつく決心だということを伝えてから、くめが彼に関心をもちはじめたことなど、淡白な調子で語った。
「そういうこととは知りませんでした」
 玄一郎はちょっと頭を下げ、しかし平静な眼で相手を見た。
「これはまだ内密なのですが、和泉殿の松尾というひとをじつはまえから定めていたのです」
「――和泉の、……それはどうも」
 津田はまったく意外だという表情をした。
「――それはしかし、貴方には貴方の選択がお有りなのだろうが、しかし」
「いつぞやちょっと申上げましたが」玄一郎は相手の疑問に答えるように云った、「――私の結婚は政略的なものなんです、単に好ましい家庭をつくるというだけではないので、そういう結婚にいためられない性質と、政略的に必要な条件をそなえている点とで、私は松尾というひとを選んだのです」
 珍しく津田は眉をひそめた。玄一郎の言葉に一種の冒涜ぼうとくを感じたらしい。窓のほうへ顔を向け、眼を細くして高い青空を眺めやった。
「――松尾という娘は家中の若者たちの渇仰の的になっている、……当人もそれをよく知っていて、それをたいへん誇りに思っている、結婚してからもおそらくその誇りを棄てることはないでしょう、――貴方は現在より敵を多くつくるうえに、家庭でも不愉快な負担に堪えなければならない、それは想像以上だと思うのですがな」
「私はかなり辛抱づよいほうですから」
 玄一郎はこう云って微笑した。


 三月に藩主が帰国した。伊賀守敦信は、先代正敦の二男で、長男が夭折ようせつしたため家督になおったのであるが、二男らしい濶達かったつな気性と、二十八歳という若さと藩主になってようやく五年、そろそろなにか始めそうなけぶりとで、保守的な国許の人々から警戒の眼で見られていた。
 帰国するとまもなく敦信はひそかに和泉図書助を呼んでむすめ松尾を笈川玄一郎にめあわせるようにと命じた。
「笈川には将来やらせたい仕事があるので、和泉という姻籍の背景が欲しいのだ」
 敦信はぶちまけた調子でこう云った。図書助はみごとにたぐり込まれた。なにをするかわからないこの若い藩主が自分の存在を高く評価していること、また笈川の将来がかなり大きく保証されているらしいことなど、老人にはまず抵抗しがたい誘惑であった。
「御意の旨いちおう親族に申し聞かせましたうえ、早速お答えに参上つかまつります」
 土地の習慣で、親族とは妻女に相談する意味である。これには一つの由緒がある、この藩の五代まえの先祖が、徳川家康に岡崎城代を命ぜられたとき、「妻と相談したうえでお返辞をする」と答え、本当に妻と相談したうえで城代になった。それは大役であるから、妻にそれだけの覚悟と協力の意志がなければならない、という意味であって、当時の美談として伝えられ、藩の一気風となったのである。
 このばあいは図書助の気持はすでに定っていた。即答をしては軽がるしいと思ったからそう挨拶をしたので、翌日すぐに承知の旨を答え、次席家老の益山税所が仲人となり、その月の下旬には祝言の式が挙げられた。
 これは藩中にかなり大きな波紋を起こした。第一は家柄の差である。笈川は父の代には百二十石ばかりの勘定役所出仕であった。和泉は代々八百五十石の城代家老である。保守的な国許ではこんな縁組はかつてなかった。
 もう一つは津田庄左衛門の云ったとおり、松尾が青年たちの憧憬どうけいを集めていて、求婚しつつあった者もずいぶんいた。それがとつぜんこういうことになったのである。
 ――なんだ、人もあろうに成上りの、しかも江戸そだちの人間などに。
 かれらは失望しただけではなく、相手が笈川という江戸から来た人間であることに、侮辱と怒りを感じたのである。だがそればかりではなかった。結婚した当の松尾さえも、玄一郎との結婚に不服であり、屈辱だと思っているようすだった。
 祝言の夜のことであるが、寝所で二人きりになると、松尾は冷やかな眼で彼を見、刺すような調子でこう云った。
「この縁組はあなたが殿さまに懇願なすってむりやりおまとめになったものですのね」
「そうです、殿にお願いするほうが簡単ですからね」
「ひと口に申せば、松尾はあなたの出世の足掛りというわけですわね」
「そうあればいいと思います」
「女がそういう結婚をよろこぶとお思いですか、結婚は一生のものです、そうしてそれは二人の愛情が土台になっていなければならないと思います、愛情もなしに、方便だけで結婚なすって、それで幸福にやってゆけるとお考えになれますか」
「ゆけるだろうと思いますね」
 玄一郎は、穏やかに微笑した。
「結婚に愛情が大切だということはわかりますが、愛情が全部というわけでもないでしょう。また愛情というものは、結婚するまえよりも結婚してから、つまり良人となり妻となってから生れるほうが多いのではありませんか」
「それは動機が不純でないばあいですわ」
「――なるほど」
 玄一郎は、相手からそっと眼をそらした。
「――しかし結婚の条件などというものは、一般にたいてい不純な要素があるものですよ」
「それをがまんできない者もおりますわ」
 松尾は、きっとした眼で玄一郎を見た。
 新婚の家庭は冷たいものであった。松尾は殆んど玄一郎によりつかなかった。身のまわりの世話はすべて小間使にさせ、食事をいっしょにする――江戸では逆である――ほかはまるでべつべつに暮していた。
 五月になって、勘定奉行所で大胆な任免が行われた。益山郁之助、上原十馬、三次軍兵衛の三人は役を解かれ、事務係りで七名の者が部署を替えられた。藩主が直接に命じた移動なので、表面はなにごともなくおさまったが、玄一郎の策動とみた人たちの、彼に対する反感は憎悪となっていぶりだした。
 策動という意味ではないが、この任免が玄一郎の上申によることは事実であった。敦信の帰国以来、彼はしばしば敦信と会い、今後の方針に就いて意見を交換した。
「しかしそのほう一人でやってゆけるか、重職を二人ばかり江戸から入れるほうがいいのではないか」
「まだその時期ではないと思います」
「だが歳出切下げはもめるだろうし、役所の技術的な面でも協力者が必要であろう」
「それもどうにかやってゆけると存じます」
 玄一郎の自信がどれだけたしかであるか、敦信にはわからないし、疑惧ぎぐがあった。――敦信が彼を抜擢ばってきしたのは、財政を改革して、農地開拓と産業を興すことに目的があった。そのころ若くして家を継ぎ、多少でも野心のある藩主は、たいてい政治の改革に手をつけたものだ。
 領主が一代主権の座にある封建制では、その主権が動かないため、いろいろの面に停滞と偏向が生ずる、しぜん代替りには改廃すべきものが少なくないのである。敦信はまだ世子でいたころから、農地の開拓と産業を興す計画をもっていた。そしてこれまでに腹心の者を交代で国許へ入れ情勢をみたうえ玄一郎をよこした。
 ――まず財政。歳出歳入の調整。
 これが敦信の改革の第一着手であった。
「ここの人々は頑迷さというのではなく、安定をこわされるのが不愉快なのです」玄一郎は、こう云った。
「――現在の状態に触られたくない、このままそっとしていたいという気持なのですから、暫く私だけでじわじわ地取りをし、時をみて少しずつ人を入れたいと思うのです……いま江戸から人をやしますと、かえってかれらの不安を大きくし、団結して反対を致しかねません、その機微な点は軽くみてはならないと思います」
「おそらくそのとおりではあろうが」
 敦信は頷いて、それからふと笑いながらこちらを見た。
「嫁のほうはどうだ。うまくいっているか」
「桃栗は三年、柿は八年、梅は十八年ということを申しますが、御存じでございますか」
「しかしそのなかには松はないようだぞ」
 敦信はこう云って愉快そうに笑った。
 在国ちゅう敦信は熱心に領内を見てまわった。玄一郎は二度ばかり供をしただけで、夏になるとしきりに魚釣りを始めた。――三つある河のどれにも魚が多く、藩中にも釣りに凝る者がだいぶいた。津田庄左衛門がそのなかでも上手だそうで、玄一郎も初め津田にてほどきを受け、その後もゆくときはたいてい津田を誘うか誘われるかした。
 二人はいつも由利川を二里ほどさかのぼった、柳瀬というふちのあたりで釣った。だいたいそこに定まっていた、そうして妙なことには、どちらも魚を釣ることにあまり精を出さない、話をしたり、ぼんやり雲や水を眺め、風の音に聞きいるというふうであった。
「貴方は釣りはお好きではないとみえますな」
「いや、そんなことはありません」
「そうでしょうか」津田はとぼけたような顔で、なにやら独り頷いた。
「――まあそれはとにかく、人間に隙があるということはいいものです、弱点も隙もないという人間はつきあいにくいですからな」
「津田さんもお上手ではないようですね」
 玄一郎は、話をそらすように笑った。
「評判では釣りの名手だと聞いていましたが、私に遠慮をなすっているというわけですか」
「いや、上手は釣らぬものですよ」
 巨きな岩のうち重なっている間を、水はよどみをなし瀬となって流れていた。両岸からおおいかかる樹の茂みで、あたりは空気まで※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかんいろに染まるかと思える。
 秋にはいって木葉が色づきだすと、林の中で小鳥がえた音を張り、水勢のおとろえた流れをしきりに川下へと下る魚のすがたが見えた。
「私は貴方のお父上を知っておりました」
 或るとき津田がそう云って、古い思い出をさぐるように、眼を細めながら空を見あげた。
「仁義にあつい、温厚な、まことに珍しい人でしたが、貴方にとっても、おそらくいい父親でいらしたろうな」
「――はあ、仰しゃるとおり、いい父でした」
「叱られたり折檻せっかんされたようなことがありましたか」
「いやありません」玄一郎も回想の懐かしさにひきいれられ、両手でひざを抱えながら太息といきをついた。
「――叱られもせず折檻もされないので、却ってもの足りなかったのを覚えています、……相当これで暴れ者だったのですが、なにか失策をすると父は悲しそうに黙ってしまうのです、母は母で泣くだけですから、――これは折檻されるより利きがありました」
「貴方のあとには御兄弟は生れなかったのですな」
 津田は静かに眼を伏せ、澄み徹る秋の水を見まもりながら、まるで告白するような調子でこう云った。
「私はごくつまらない人間で、若い時代を愚かなことばかりして過しました、津田という家は筋目のあるもので、父の代までは国老格だったのですが、どうやら私の代で末すぼまりになってしまう模様です、――笈川は人物もよく、才腕もすぐれていて、ずいぶん藩家のお役に立った、それがいま貴方にひき継がれて、これからますます栄えてゆくことでしょう、……まことに人の一生というものは」
 津田の言葉はそこで切れた。玄一郎もそのあとを聞こうとは思わなかった。早い落葉がしきりに舞い、川中の白く乾いた岩の上で、鶺鴒せきれいが黙って尾羽根を振っていた。


 九月になるとすぐ、急の使者があって、敦信はにわかに江戸へ立っていった。あとでわかったのだが、幕府から寺社奉行に任命の沙汰があったのである。
 これはまったく予期しないことで、玄一郎の立場はかなり困難なものになった。それはその年末に「歳出切下げ」を断行しなければならない。比例は上位は多く、下位には少ないが、扶持ふちも平均して二割ちかい削減だし、一般会計では三割がた削る予定で、すでに江戸での案分計画は出来あがり、玄一郎の手に渡っていた。
 法令としてはもちろん江戸国許の両重臣の副署を必要とするが、このばあいは緊急措置の手段を執り、敦信の「上意」ということで押切ることになっていた。
「おれがいなくては無理だろう、暫く延ばすほうがよくはないか」
 敦信はあわただしい出立をまえにこう云った。しかし玄一郎はその計画が延ばせないことを知っている。敦信は待てるだけ待った。こんどこそといきごんでいる気持が赴任するときからわかっていたのである。
「できる限りやってみましょう、とにかくお墨付をお下げ願います、たいていうまくゆくと存じますから」
「必要なときはすぐ早(急使)をよこすがよい、なるべく無理はするな」
 そうして敦信は江戸へ去った。
 財政整理の墨付は十二月に来る。それまでは表立ってすべき事ではない、なるべく土地と土地の人々になじみ、ちかしいつきあいをひろげる。彼が自ら云う「地取り」をするのだが、今にわかにそういう奔走をすれば、その時になって却って逆の効果を招くかもしれない。
 ――じたばたするな、春が来れば花が咲き、秋になれば葉が落ちる、津田老も云ったではないか、上手は釣らぬものだ。
 玄一郎ははらをきめた。つまらぬ工作をするよりしぜんに任せよう、まずのんびり精気をやしなうことだ。……そして暇があると魚釣りにゆき、ときには料亭で遊んだりした。
 だが事実はのんびりしてはいられなかった。敦信が去るとまもなく、若いれんちゅうの抑えに抑えていた反感と憎悪が、しだいに露骨にあらわれだしたのである。
 家庭も相変らずであった。妻とは名ばかりで、祝言以来まだいちども寝屋をともにしたことがない。食事だけはいっしょである。しかも松尾は好みのよい着付けにあでやかな化粧で、いつもなまめかしいほど美しくしていた。
「――きれいだね、眼がさめるようだ」
 思わず玄一郎はこういうことがあった。すると松尾の眼がきびしく光り、唇のあたりに冷笑がうかぶのであった。
「この土地では、女のなりかたちを褒めたり致しますのは、小者か下人のほかにはございません、お慎み下さいませぬと、わたくしばかりでなく一族の恥になります」
 概していっも黙ってしまうのだが、このときは玄一郎はわざときまじめに云った。
「江戸でも士君子は口にしないようだ、……つい出てしまったんだよ、……美しいものを見ると下人でなくとも美しいと云いたくなるものらしい、ことに夫婦のあいだなどではね」
 こんどは松尾が黙ってしまった。
 青年たちとの関係は険悪になるばかりだった。役所の空気もよくない。解職された三人が蔭で煽動せんどうするとみえ、再び事務は投げやりにされ、停滞し始めた。
 玄一郎はこれにも逆らわなかった。かれらはいつも茶を飲み雑談をしている、寝ころんだり、足を伸ばしたり、可笑おかしくない話にげらげら笑ったりする。役机の上は四五を除いて、いつもすずりは乾いたままだし、書類や伝票はめられてあった。
 中年を過ぎた者で四五人、かれらより幾らかましな者がいた。玄一郎はこの四五人を相手に、自分で急ぐものから順に始末をし、かれらに対してはなにも云わなかった。
 ときたまほかの老職が来て、このじだらくなありさまを見ることがあっても、眉をしかめるくらいが精々で、たいてい黙って見ないふりをした。家老格で奉行職、きもいり役の梶井外記かじいげきという人は、いちど来て玄一郎を怒った。
「あんな不作法なことをさせておいては困る、役所の規律が立ちません、まるで子供部屋のようなありさまではないか」
「それはどうも」玄一郎はそらをつかって答えた、「――江戸ではこんなことはないのですが、こちらではこれが習慣だと思ったのです、郷については郷に従えと云いますからね」
 そして穏やかにこうつけ加えた。
「しかし事務はきちんと片づいています、その点はみんなよくやっていますから安心を願います」
 梶井外記は顔を赤くし、若いれんちゅうのほうへ振返ってどなりつけた。
「おまえたちは国許の名聞を汚す気か、江戸の者にわらわれてもよいのか、われわれが田舎者とおとしめられるのはこんなざまを見せるからだ、少しは面目というものを考えろ」


 その日の午後おそく、下城して和泉門を出ると、下僚の青年たちが七八人待っていて、柳の並木のところで、玄一郎を取巻いた。
「ちょっと聞きたいことがあるんです、そこまで来て貰いたいんですが」
「…………」
 玄一郎は呼びかけた青年の顔だけを見た。
「ひまはとらせません、ついそこです」
 玄一郎は黙って頷いた。かれらは四方から取巻いたまま、壕端を三の曲輪くるわのほうへ向っていった。
 左に松井矢倉がみえるところを右に折れると、鉄砲組屋敷がある、そこを通りぬけると白旗八幡の森へつき当った。かれらはその境内へはいっていったが、そこには益山郁之助と上原、三次の三人が待っていた。
「やあ御足労をかけましたなあ」
 益山が笑いながら、ずかずか歩み寄って来た。
「まえからいっぺん話したいことがあったんだが、今日はまたいやなことを聞いたんで、まあひとつ当ってみようということで来て貰ったんですよ、固苦しいことはぬきにして話そうじゃありませんか」
 玄一郎は黙っていた。益山はじっとこちらを眺め、ふと唇をゆがめて笑った。
「貴方はあまり愉快じゃないようですね」
「――用件だけ聞こう」
「談合は無用というわけですか」
 益山はこちらを見上げ見下ろした。
「よかろう、こっちもそのほうが好都合だ、われわれはねえ、ずいぶんがまんしてきた、どうせ江戸の人間は軽薄なおっちょこちょいだ、口さきだけの腰抜けだと思っていたからね、――娘たちの前で馬鹿囃しをやってきげんをとったり、出世のために重役と縁をむすんだり、殿にとりいって不正な任免を行なったりするようなことは、恥を知るわれわれにはとうてい出来ない、そんなやつは人間のくずだと思っていたんだが、……おい、聞いているのかい」
「――要点だけにして貰おう、飽きてくる」
「これから飽きのこない話になるさ」
 三次軍兵衛が、脇から口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しはさんだ。益山はこらえ性がないとみえ、かっと赤くなりながら前へ出た。
「いいか、おれたちは人間の屑には構わないつもりでいたんだ、だがこんどはそうはいかん、貴方は今日われわれ全体を侮辱した、田舎者は不作法で規律をみだすと云ったそうだが、この事実を認めるか」
「そんなことはどうでもいいのだろう」玄一郎は平然と云った、「――要点はほかにあるのじゃないか、それを聞こうじゃないか」
「あっぱれだ、よく云った」
 益山郁之助は眼をぎらぎらさせた。
「それならひと言で済むんだ、こういう問題の片をつける方法は一つしかない、まさか拒みはしないだろうな」
「場所と時刻を聞こう」
「わかりがいいな、所は観音寺山の二本松、時刻は明日の朝六時としよう」
 玄一郎は黙って頷き、かれらの眼を集めながらそこを去った。
 並木のところで取巻かれたとき、玄一郎はもう肚をきめていた、それも江戸を立つまえに考えていたのであるが、忍耐のできる限りはして、ぎりぎりというところへきたら思いきってやる。これまで来た者はそのまえにかぶとをぬいだ。それは事を荒立てないためであったが、結果としては国許のれんちゅうを増長させた。
 こんどはやらなければならない、政治の改革という事業のためにも、江戸の人間が腰抜けでないという証拠をみせ、お互いの正音を出しあわなければならない。
 ――いずれは誰かがしなければならないことだ、それをおれがやるだけだ。
 彼はこう思ったのである。
 肚はきめているが、さすがに平気ではいられなかった。玄一郎は江戸邸の道場では群をぬく達者で、十八の年からは小野派をまなび、そこでも上位から五番と下ったことはなかった。
 しかし真剣での勝負はまったくべつである、一流の名人といわれる者が、夜盗の刃にかかることもある。ことに明日の相手は二人三人では済みそうもない、少なくとも白旗八幡の境内に集まった者は、みんな敵にまわすとみなければならない。
 とすれば勝敗は問題ではない、どこまで闘えるか、どうすれば恥ずかしくなく死ねるか。つきつめたところ懸念といえば、その二つであるが、その二つの懸念がなかなか踏み切れるものではなかった。
「今夜は更けて湯を浴びるから」
 家へ帰った玄一郎は、召使にこう命じて居間へはいった。
 松尾はどこかの集りへいったそうで、夕餉ゆうげにも姿をみせなかった。玄一郎はずっと居間にこもり、役所に関するものと自分の身辺の処置、また江戸の友人への手紙など、遺書のかたちでそれぞれに書いて封をし、手文庫を出して私信を焼いたりした。
 すっかり終ったのは十時ころである。召使に茶をれさせ、ほっとして窓に倚ると、障子に青白く光りがさしている。あけてみると十三夜あたりのきれいな月が出ていた。
 玄一郎は立って、しまってあった横笛の箱をとり出して来た。竹子が古いかと思ったが、音を調べてみるとさしてわるくもない、灯を消し、窓をいっぱいにあけた。青白く水のようにさしこむ光りのなかに坐って、やや暫く月を見あげていたが、やがて彼は静かに歌口をしめし、三条古流でゆるしものとなっている猩猩しょうじょうの曲を吹きはじめた。
 ふしまわしというものの殆んどない、ごく単調な、色彩の乏しい曲である。一節一節が長く、ゆるやかにひょうびょうとして、音楽というより自然の声のように聞える。
 名人が奏すれば神があらわれるといわれているが、むろん玄一郎にそれだけの心得はない。ただ虚心に、月光のなかへ溶けいる思いで吹いた。
 曲が終って笛を膝に置いたとき、うしろでかすかに嗚咽おえつの声がした。振返ってみると、縁側に松尾が坐っていた。低くうなだれて、両手で顔を押えて、ひそめた声ですすり泣いている。玄一郎は黙って見ていたが、やがて、静かに、「どうしたのか――」ときいた。
 松尾は懐紙を出して涙を拭き、そっと膝で座敷へはいって来た。
「あまり曲が美しいので、なんですか胸がいっぱいになってしまいましたの、初めてうかがいましたけれど、なんという曲でございますの」
「――さあ、うろ覚えだからね」
 玄一郎はこう云って笛をしまいにかかった。松尾はそこに坐ったまま、黙って動こうともしない。肩をすぼめ、しんとうなだれて、これまでにない思いいるような姿であった。
「湯を浴びたいが支度はいいだろうか」
「はい、わたくしみてまいります」
 玄一郎はちょっと眼をみはって、妻のうしろ姿を見送った。まるで人が違ったようである。いつもの驕慢きょうまんな、冷たい敵意に似たものがどこにもない。むしろよわよわしく、哀しげなようすにさえみえる。
 ――なにかあったのだ。
 松尾がそのように変ったのはなにか理由がなくてはならない。玄一郎は風呂舎で湯に浸りながら、彼女が明日の決闘はたしあいを聞いたのだと思った。そのほかに思い当ることはなかった。笛の音の美しさに泣いたと云ったけれども、おそらく今日の集りで決闘の話を聞いて、その感動を抑えられなかったに相違ない。
「――名だけでも妻は妻というわけか」
 玄一郎はこうつぶやいて、風呂舎の暗い壁を見ながら苦笑した。
 寝所へはいり、灯を暗くして、夜具の中へ横になってから、およそ半刻はんときあまりすると、さらに思いがけないことが起こった。
 うとうととしかかったじぶんであるが、ふすまのあく音がし、誰かはいって来るので、そっちを見ると松尾だった。襖を閉め、こちらへ寄って来て、少し離れて静かに坐った。
 玄一郎はこんどこそ驚いた。松尾は祝言の夜の寝支度である、しかし髪を解いて、化粧も濃くはない。眼を伏せ、身を縮めるように坐った姿は、霜の上に淡紅梅の花が一輪散っているような感じだった。
「――今日なにか聞いたんだね」
 玄一郎は夜具の上に起きてからきいた。
「萩原でおうわさを聞きました』
「――それで……」
「わたくしおびを申さなくてはなりません」
 玄一郎は黙っていた、松尾は低いささやくような調子で、ゆっくりとこう云った。
「こちらへ輿入こしいれをしてまいりました晩、あのように申上げましたのは、愚かな我儘わがままと強がりでございました、――本当は初めてお招きしておめにかかったときから、心のなかではお慕い申しておりましたの、明けれひとつ家にいて、お姿を眼にしお声を聞きながら、お側に寄ることもできず冷たいようすをつくっていることは、わたくしずいぶん辛うございました」
 彼女はそっと指で眼をでた。玄一郎はやはりなにも云わない、黙っていたわるようなまなざしで、じっと妻の姿を見まもっていた。
「苦しい悲しい気持で眠れずに明ける夜がつづき、こんどこそ思いきって、なにも云わずにおすがりしよう、幾十たびそう決心したかもしれませんでした、――でも夜が明けて、鏡に向うと、もうだめなのです、いつもの我儘と愚かな強がりが出て、……歯をくいしめるような気持で、やはり冷たいよそよそしいそぶりになってしまいますの、自分で情けないくやしいと思いながら、どうしても……」
 松尾は抑えきれなくなったように、たもとで面をおおいながらむせびあげた。


 この告白は玄一郎には意外だった。いろいろの場合が眼にうかんだ。令嬢たちの招宴は四回あったが、四回とも松尾が主人役であり、そのときどきの趣向も彼女の采配さいはいであった。
 ――初めて会ったときからひそかに慕っていたという。
 それがもし事実なら、馬鹿囃しの笛を吹いたり、藩主のお声がかりで求婚したりしたことは、松尾のような気性の者には屈辱だったに違いない。こちらはただ心おごった娘で、自分などの手では簡単にはいかないと思ったのであるが。
「よくわかった、もういい、寒いからここへはいらないか」
 玄一郎はこう云って手を伸ばした。
 松尾はふっと身を縮めた、本能的な羞恥しゅうちであろう、だがすぐにすり寄って来て、その手を握りながらこちらを見あげた。
「かんにんして下さいますの」
「堪忍もなにもない、私も悪かったんだ」
 彼がひき寄せると、松尾はなえたような身ぶりで、重く彼の腕に抱かれた。柔らかい弾力のある躯が、哀れなほど震えている。松尾は彼の胸へ顔を埋めるようにし、泣き笑いのようなみだれた声で囁いた。
「そうでございますわ、あなたがお悪いのでございますわ、松尾の気持を察して下さらないのですもの、――いつも平気なお顔で、澄ましていらっしゃるのですもの……なにも仰しゃらずに、黙ってこうして下さればよかったのですわ」
「この木の実はまだ固そうだったからね」
 玄一郎の手がやさしく胸へまわると、松尾はああと熱い息をし、両の足をひきつるように縮めながら、さも悩ましげに頭を振った。
「こうして下されば、それでようございましたのに、ただこうして下されば、――それがとのがたの役目ではございませんの、……わたくし待っていましたのよ」
「それで明日の今夜になってようやく勇気が出たというのだね」
「わたくし少しも案じておりませんの、さきほどの笛をうかがって、またひとつあなたという方を知ることができました、――里神楽の笛と今宵の曲と、……いいえ決して決してあなたを負かすことはできませんわ」
 玄一郎は黙ったまま、そっと妻の頬に頬を寄せた。縋りついている松尾の手にちからがはいり、にわかに息が熱くなった。
「あなた、――」
 松尾は苦痛を訴えるような声で、低くこう叫びながら顔を仰向けにした。すると解いた豊かな髪が、肩をすべってさらさらとその背へながれおちた。
 明くる朝はひどい霧が巻いていた。
 五時すぎに家を出た玄一郎はまっすぐに約束の場所へ向ったが、五六町もゆくと、霧のために着物の前や髪までが濡れた。――城下町を西にぬけると、道の片方は由利川に沿った街道になり、左へ曲ってゆくと、畑や苅田の間を通って観音寺山の丘へつき当る。霧で見えないのか、それとも時刻が早いためか、途中でも人に会わなかったし、耕地にも農夫の姿が見えなかった。
 七十段ばかりの高い石段を登り、寺とは反対のほうへ、みごとな老杉の茂った森をぬけてゆくと、急にうちひらけた広い草地へ出る。端のほうに巨きな松が二本あるので、俗に、「二本松の丘」と呼ばれ、春秋には行楽の人で賑わうという話だ。
 土地が高いので霧もそうひどくはない、玄一郎が草地へはいってゆくとかれらはすでに来ていて、いっせいにこちらへ振向いた。人数は昨日より多い、どうやら十五六人はいるようである。玄一郎はゆっくりした大股おおまたで、静かにそっちへ近づいていった。
「堂々といらっしゃいましたね」
 誰かがそう云い、みんなが笑った。益山郁之助が前へ出て、やはり唇で笑いながら、敵意と軽侮の眼でこちらを見た。
「お一人ですか。介添はないんですか」
「――一人だ」
「云うこともまずいさましい」
 さっきの声がまたそう云い、こんどもみんなが笑った。益山は手をあげてそれを制止し、だが自分でもにやにやしながら、
「ではやむを得ない、作法を御存じなかったのだろうから、介添はここにいる者の中から、選んであげましょう」
「――そんな必要はないさ」
 玄一郎はおちついた眼で相手を見た。
「――私は一人でいい」
「しかし自分で勝負の始末はできないでしょう」
「――もうしてあるよ」
 適度にをおいた平静な調子で、激しさや強さの少しもない、閑談でもしているような口ぶりだった。
「――断わっておくほうがいいと思うが、こちらの作法は知らないけれども、江戸では中途半端なことはしない、武士が刀を抜くからには、相手をたおすか自分が死ぬか、この二つ以外には勝負はない、……介添人というのは死躰の始末をする役で、これは出がけに家人へ命じて来た、必要がないと云ったのはそのためだ」
 こう云うと、玄一郎は袖へ手を入れて、上着の肌をぬぎ腰へしっかりとはさんだ。下は死に支度の白絹である。
「――相手は誰と誰だ」
 白布を出して汗止めをし、はかま股立ももだちをとりながら、初めて彼はそこにいる青年たちを眺めまわした。
「――一人ずつか、それとも此処ここにいる者みんながいちどに来るか」
 かれらが気をのまれたことはたしかである。決闘といっても、この土地では片方が傷を負えば、それで勝負がついたことになる。ところが玄一郎はどっちか死ぬまでだと云った。もちろん武士が果し合いをするとすればそれが当然であるし、彼のようすもそこまでやるつもりらしい。
 上着の肌をぬぎ、汗止めをし、袴の股立をとる、おちつきはらった動作を見ていると、明らかに殺気が感じられた。
「勝負は一人と一人だ」益山が仲間のほうへ手をあげた、「――おれが相手になる、誰も手出しをするな」
 益山は元気に叫び、たもとから革紐かわひもを出してたすきをかけた。これまで幾たびとなく決闘をし、たいてい勝ち取っている。みんなそれを知っているからなにも云わず、二人を中心に輪をひろげた。
 益山は襷をしただけで草履をぬぎ、刀のつかへ手をかけて云った、「こっちはいいぞ」
 玄一郎は刀をさやごととり、下緒さげおを外して襷をかけた。悠々たるものだ、それから刀を抜いて、鞘を枯草の上に置いた。
「――あまりいい足場ではないな」
 呟くように云って、まわりを見まわし、空を仰いだ。それから静かに刀を青眼にとり、左足を少しひいて益山を見た。
「――よかろう、いざ」
 益山は刀の柄に手をかけたままである。まだときどき霧がながれる。ごく薄く条のようになり、布を引くように、――しかし天も地もすっかり明けはなれて、森の中ではしきりにつぐみが鳴きはじめた。
 抜刀流の手でもやるとみえたが、益山はふと五六尺うしろへ退り、刀を抜いて構えなおした。そのとき玄一郎の唇にあるかなきかの微笑がうかんだ。
「――益山安心してやれ、生命はとらない」
 玄一郎は低い声で云った。
「――但し右の腕だけは貰った」
 益山の刀が波をうった。息はあらく、呼気が強くなる。緊張のあまり眼は大きくみひらかれ、唇の間から歯がみえた。
 益山のからだは幾たびも動作を起こそうとした、そのたびに刀が波をうった、だが玄一郎の青眼の切尖きっさきが先を押える、眼につかぬほどかすかに、しかしきわめて的確に切尖がつつと揺れる。……それは益山が動作を起こそうとする瞬間と、その方向を「こうか」と云うようにみえた。
 玄一郎はすっと前へ出た。益山の顔が白くなった。玄一郎はさらに前へ出た。益山の唇がまくれて歯がむきだしになった。
 とつぜん絶叫があがり、益山が飛礫つぶてのように斬り込んだ。
 取巻いている青年たちはと云った。益山は中段の刀をそのまま、躯ごと相手へ突っかけたのである。相討ちを覚悟した必死の手だ。玄一郎は僅かに躰をひらいた。そして彼の手のなかで刀が峰をかえし、きらっと空をるのが見えた。
 青年たちの眼にとまったのはそれだけである。その刹那せつなぼきっといういやな音がし、益山の躯はのめっていった。斬り込んだ勢いをそのままのめっていって、枯草の中に転倒し、左手で草をひき※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしった。
「――誰か代って出るか」
 玄一郎は、静かにかれらを見まわした。
「――出る者がなければ帰るよ」
 みんな黙っていた。三人ばかり益山郁之助のほうへ駆けていった。玄一郎は刀を拭い、鞘を拾っておさめ、支度をなおしながら、同じような淡々とした口ぶりで云った。
「――そっちで饒舌しゃべらなければ、この場かぎりで済むだろう、私は黙っているよ、ばかげたことだからな、……しかし望まれればやむを得ない、いつどこへでも呼び出して呉れ、侍は一日一日死ぬ覚悟で生きろ、私はこう云われてそだって来た、――御奉公もそのつもりで、いつ死んでもいいように始末をしている、なにも知らずに江戸から来たわけではないんだ」
 玄一郎はすっかり支度をなおすと、もういちどかれらの顔を見まわした。それからちょっと益山のほうへ振返ったが、なにも云わずに、ゆっくりと草地を横切って去った。


 ふりかえってみれば僅かに一年であった。
 江戸を立つとき心をきめたように、できる忍耐はしとおし、そのあいだにじりじりとこの土地へ根をひろげた。その根はいま確実に生長し始めている、それは皮肉なことに二本松の決闘が機縁になった。
 妻が折れてきたのもそのためだし、彼に対する青年たちの態度が全部が全部でないにしろ、眼に見えて変ってきた。
 ――うっかりへたなまねはできない。
 こういう警戒の気持と、平生の温和な、誰にも礼の正しい彼のひとがらに少しずつひきつけられ、信頼するようすがあきらかになった。
 二本松の出来事はもみ消された。十五六人と一人の決闘で、表沙汰になればかれらは唯では済まないだろう。益山はがけから墜ちて腕をくじいた。そういう話がちょっと耳にはいっただけで、やかましい評判は立たずに済んだ。
 もちろん立会った人間が多いから、すべてが闇に葬られるわけはない、事実はかなりひろく知られていたとみえ、魚釣りにいったとき津田庄左衛門から注意された。
「このあいだ二本松の話をちょっと聞きましたが、そこまでゆかずに、なんとかする法はなかったものですかな」
「――私もいろいろ考えたのですが」
「これでよくなる一面もあろうが、いっそう悪い反面が出て来ると思う、……だいたい刀を抜きたがるような人間は野蛮で愚昧ぐまいときまっているので、そこがまた始末に困るのだが、力で負けると次には卑劣な報復をしたがるものですからな」
「――けれども若い者のようすがだいぶ変ってきましたし、役所でもかなり仕事がしやすくなりました」
「慥かにそうのようですな、初めて貴方のねうちがわかったという声もだいぶ聞くようです、だがどうもそこがむずかしいと思うのですよ、貴方に人望が集まってゆくとすると負けた人間はさらに陰険になりそうで……」
 すっかり量の減った水は、川底の石の数もよめるほど澄み徹り、いかにも冷たそうに冬の空をうつしている。瀬の音も、老人の呟きのように静かで、両岸の雑木林は、すっかり裸になっていた。
 津田は暫く黙っていたが、ふと、にこやかな表情になって、話を変えた。
「ときに、お家のほうはうまくいっているそうで、ようございましたな」
「やあどうも、そんなことまでお耳にはいっては」
「いや気にかかっていたものですからな、しかし失礼ですが感服しましたよ、庫田でも萩原でも云っているのですが、このごろはまるで人違いがしたようだそうで、――控えめな、しっとりしたひとになったという、どうかすると顔を赤らめたりなさるそうで、ときどきびっくりすると云っておりました」
 玄一郎は返辞に困って苦笑するばかりだった。
「津田さんは庫田とお知り合なんですか」
「さよう、――まあひところはかなり近しくしていました、このところずっと出仕隠居というかたちで、……誰といって親しい往来は致しませんが、ときに呼ばれたりするものですからな、まあ昔のよしみというわけでしょうが」
「しかしどうしてそんな、出仕隠居などといってひきこもっていらっしゃるんですか」
 津田は暫く黙っていた。そうしてやがて溜息ためいきをつくように云った。
「――私は悔いの多い人間ですから」
 玄一郎は胸がしんとなるように思った。津田庄左衛門のことは断片的に聞いていた、いつか自分でも云っていたとおり、津田家はずっと家老格であったのを、庄左衛門が若いころ放蕩ほうとうしていろいろ失敗したため、寄合席へ下げられたのだという。
 子供が一人あったのだが、十七歳のとき死なれ、そのあとで入れた養子とはずっと別居のままであった。そして養子夫婦に子が生れると、まもなく籍を分けて別家させてしまった。
 ――自分のような者を親にもっていては、ゆくさき邪魔になることもあろうから。
 こう人に述懐したそうである。津田家は自分の代で絶えてもよいと思っているらしい。そんなに思いきるほどの過去があるのだろうか、それとも津田そのひとの気質で、放蕩享楽のはて厭世えんせい的になったものだろうか。玄一郎にはどちらとも判断はつかなかった。
 ――なにまだ油断はならない、おちつき澄ましたあの躯の中には昔の火がくすぶっている、いつ燃えだすかもしれたものではない。
 そういう評をする者もある。その点も玄一郎には否とは云えなかった。人間は環境と条件によって、いつどう変るかわからないものである。棺の蓋をするまで批判はできない、玄一郎はこういうふうに見ていたのである。
 藩主敦信が寺社奉行に任ぜられたという、正式の披露があったのは十月下旬で、国許くにもとでも城中で祝宴が催された。
 そして月を越すとすぐ、玄一郎の身の上にとつぜん大事が起こった。或る日、役所にいると、家老職から呼ばれ、いってみると城代家老を除く全部の重臣がそろっていた。
 あとでわかったのだが、その審問は初めから次席家老の采配だという、事の内容としては当然城代家老の指図をまつべきなのだが、玄一郎とは女婿という関係にあるので、和泉へは了解を求めただけであるということだった。
 列席している重臣の数と、その場の緊張した空気をみて、玄一郎はなにか起こったなと直感した。――上座の中央を避けて坐った益山税所は、いつもの煮えきらないのんびりした人に似合わずかなり貫禄かんろくのあるおちついた態度をみせていた。
「城代家老に代って問いただすことがある」
 益山税所はこうきりだした。
「そこもとは浪花屋の手代、嘉平なる者と昵懇じっこんであると聞くが、事実であるかどうか」
「――私には近づきはございません」
「浪花屋は大阪に本店のある材木商、当地はその出店であって、数年まえより御山の一手御用を願い出ておった、そこもとはさきごろから手代嘉平と往来し、旗亭などでしばしば会食するという、現にその場を見た者もあるのだが」
「――おそらく人違いでございましょう」
 玄一郎はこう答えた。浪花屋などという店のあることも知らなかった。手代の名などはいま聞くのが初めてである、いったいなにを勘違いしているのかと思った。
「それでは済まぬのだ」
 税所は手にした紙を膝に置きながら云った。
「――そこもとが手代と会食し、密談するようすを見た者がある、現にその証人がいるのだ」
「では証人に会わせて頂きましょう」
「必要があれば会わせよう、だがそれよりも動かぬ証拠がある」
 こう云って、税所は手にしていた紙をひらき、両端を持って表をこちらへ向けた。
「そこから読めるであろう、どうか」
 玄一郎はひと膝すすんだ。それは証書であった。領内にある碇山のひのきの一部を払い下げる、代価として五百両受取ったという文面で、玄一郎の署名と勘定奉行の役印が捺してある、宛名は浪花屋嘉平となっていた。
 ――ああいけない、そうか。
 玄一郎は声をあげそうになった。津田に云われたことを思いだしたのである、卑劣な報復をやりかねない、――まさかと思ったが、早くもそれが事実となって現われたのだ。
「この署名、奉行職の判、まぎれはないと思うがどうか」
 玄一郎は答えられなかった。自分ではまったく知らない、もともと企まれたことである。署名の字も似せてあるが、鑑識のある者が見れば擬署ということはわかるだろう。だが奉行所の役印はほんものである。誰かが盗んで捺したのだろうが、事実の反証がない限り弁明はならない。
 浪花屋の手代なる者と会食し、密談するのを見たという証人、その人間が慥かに見たと主張したばあいにもはっきり否定するだけの材料がない。
 事はかなり周到に計画されている、いまここでへたなことは云ってはいけない、玄一郎はそう肚をきめた。
「この証書に覚えがあるかどうか」
「――唯今はお答えがなりかねます」
「なぜ返答ができないのか」
「――唯今はお答えができません」
 税所は、さもあろうという顔をした。
「よろしい、それを返答と認める」
 そう云って列席の人々を見まわしてから、勘定奉行笈川玄一郎は汚職の疑いがあるので、審理ちゅう城内へ謹慎を命ずる、そういう意味の申し渡しをした。
 玄一郎はその場で脇差を取られ、袴もぬがされたうえ、本丸下の巽櫓たつみやぐらの階上へ押込められた。
 これも意外である、謀逆とでもいうならべつだが、仮にも奉行職にある者を汚職の嫌疑ぐらいで城内押込めという法はない。抗議すればできた。法制からいえば重職の席にある者を、職も解かずに檻禁することはできないのである。
 だが玄一郎は抗議をしなかった。いかに巧みに計画されても、根のない謀略である限りどこかに隙がある筈だ。ここはするままにされて、こっちの執るべき手段をよく考えてもいい、そう思ったのである。
 櫓番のほかに階下へ三人、階上へ二人の看視が付いた。古畳が一帖あるだけで、あとは板敷だし、階段口と矢狭間やはざまから風がはいるからひどく寒い。
 禅堂へこもったと思えばいい。
 玄一郎はおちついた気持で、古畳の上に坐りとおし、夜は着たまま横になった、夜具に類する物はなにもないし、もちろん火の気もない。
 看視の者は交代であるが、それでも堪らないとみえて、すぐ立っては階下へ暖たまりにいった。もっともひどいのは夜半から明け方の寒さで、この時間はとうてい眠ることができず、立っても居ても、それこそ骨の髄まで凍るかと思った。
 三日めの夜半、玄一郎は自分の執るべき手段をきめた。それは汚職の罪に服するということである。重職に対する裁断は藩主の許しがなくてはできない、この始末が江戸へ報告されれば敦信はそのままにはしておかぬであろう。関係者を江戸へ呼ぶか、少なくとも江戸から誰かよこすに違いない。
 ――じたばたするよりそのほうが早い。
 覚悟をきめて、四日めの朝、玄一郎は次席家老への面談を求めた。

十一


 次席家老に会って話したいという、玄一郎の求めは拒まれた。その必要がないというのである。取次いだのは看視の一人であるが、重役詰所は人の出入りがあわただしく、益山税所は特に多忙のようにみえたと告げた。
 ――なにか起こったに違いない、ことによると和泉へ累が及ぶのではないか。
 玄一郎は不安になり、津田の言葉がまた新しく思いだされた。すぐ刀を抜きたがるような者は野蛮で愚昧だ。力で負けるとどんな卑劣なことをするかもわからない。
 かれらは玄一郎に松尾をめあわせたことで、和泉をも憎んでいるかもしれない。そうすれば巻添えにする危険は充分にある。
 ――そんなことになったら松尾は……。
 玄一郎は息苦しくなり、身の置場のないような焦燥に駆られた。
 だがそのときはもう、実は局面は変っていたのである。午後になると家老職から人が来て、御城代が呼ばれると伝えた。
 玄一郎は聞き誤ったと思った。しかしともかくも本丸へゆくと、袴を出され、脇差を戻された。
「呼ばれたのは益山殿でしょうね」
 こうきくと、係りの者はけげんそうな顔をした。
「いえ御城代の和泉さまです」
 それから黒書院へいった。
 そこには重臣が並んでいたが、益山税所の姿はみえず、上座には和泉図書助がいた。酒好きの肥えたこの老人は、あか黒い顔の頬が垂れ、眼袋ができていた、ちょっと見ると好々爺こうこうやにみえるが、細い眼の底には相当するどい光りがあり、悪くいえば狡猾こうかつ、ひいきめにみても老獪ろうかいという感じはまぬかれない。
 松尾をめとって以来、まわりに遠慮する意味もあって、私的には殆んど往来していないが、いまその席に図書助を見ることは嬉しかった。
 益山税所に代って和泉図書助がそこにいることは、明らかに事態が変ったことを示すものだ。玄一郎は緊張していた全身の凝が、こころよく解けてゆくような思いで座についた。
「――お声代りである」
 図書助が云った。藩主に代るということで、玄一郎は両手をついた。
「そのほう勘定奉行の職にありながら、責任重き役印をなおざりに致し候こと怠慢に候、よって七日間、居宅において謹慎致すべく、右、申付候――」
 声代りと云ったが藩主の名ではなく、城代家老ほかに重臣たちの副署だけである。これにも不服を云えば、云えた。正式に江戸へ裁決を乞えば、せいぜいのところ「軽く叱りおく」程度のことだろう。謹慎七日は重すぎる。だが玄一郎はこれも黙ってお受けをした。
 ――この申し渡しにはなにかふりあいがあるに違いない。
 こう考えたので、黒書院をさがるといちど役所へ寄り、支配と事務のうちあわせをして、すぐに下城した。
 帰ることは知っていたとみえて、松尾はそれほど驚かなかったが、玄一郎のほうで、妻があまり憔忰しょうすいしているのにびっくりした。顔色も悪いし頬のあたりがこけて、充血した眼がおちくぼんでいた。
 刀を受取って、いっしょに居間へ来ると、松尾は崩れるように彼の胸へ縫りつきそのまま激しく嗚咽した。
「心配したんだね、済まなかった」
「――あなた」
「もういいんだ、話は聞いたのだろう」
「はい、――母がまいりまして」
 玄一郎は妻の肩を抱いた。
「家で七日の謹慎だ、悠くり休めるよ」
 風呂から出ると酒の支度がしてあった。良人を見て安心したのだろう。松尾の頬にいきいきと血がのぼり、身ぶりやまなざしにも、無意識のなまめいたしながあらわれた。
「こんどの事でなにか聞かなかったか」
「詳しいことは存じませんけれど、母の話ですとお作事奉行の津田さまがなすったということでございます」
「――津田、……作事奉行の――」
 玄一郎の持っている盃から酒がこぼれた。彼はそれには気づかず、大きくみひらいた眼で妻を見た。
「――まさか、まさかあの人が」
「ほかにも御家老の益山さまの甥に当る方や、三次とか上原とか、そのほか合わせて五人も、若い方たちが共謀なすったとうかがいました」
「――信じかねる、どう考えたって」
「でも津田さまはすっかり自白をなすったそうですわ、すべての指図をし、御自分が奉行所の御判をお捺しになったのですって、母から聞いたのはそれだけですけれど、――浪花屋とか申す商人ともつきあわせて、もうまちがいはないということに定ったそうでございます」
 玄一郎は盃を措き、しんと眼をつむった。

十二


 七日の謹慎が終って登城したとき、始終のことがはっきりわかった。
 津田庄左衛門が主謀者で、益山郁之助ほか五人の青年たちがやったのだという。浪花屋はずっとまえから、――領内の材木を一手に扱いたいため、御山御用の許しを得ようとしてしきりに奔走していた。そこを利用したわけで、津田が勘定奉行の役印を盗んで捺し、碇山の檜の一部をり出す許可証を作った。
 津田の自白によると、碇山からそのくらい伐り出したところで、奉行の許可証があれば山役人も疑うまいし、世間へ知れることもあるまいと思ったようである。
 浪花屋の手代はすぐに園部村の山役詰所へゆき、許可証を示して伐り出しにかかる旨を述べた。詰所の役人たちはなんの疑いももたなかったが、そのなかの一人が城へ用事で来たとき、益山税所にふとその話をした。それが発覚のもとになったのである。
 玄一郎に嫌疑のかかったのは、許可証の件だけではなく、召喚された浪花屋の手代が、玄一郎としばしば会食し、直接この許可証を取ったと申し述べたためである。
 これは益山郁之助らの詐謀であって、実はかれらの仲間の吉川左次馬なる者を、勘定奉行に仕立てたので、手代とつきあわせた結果、すぐにわかった。
 玄一郎が城内押込めになった二日後、津田庄左衛門が和泉図書助の私邸へいって自訴した。そうして益山、上原、三次の名が出、さらに吉川左次馬、中野市之丞というふうに、つぎつぎと連類が挙げられたということだ。
 浪花屋から渡された金は、少し手をつけただけで、殆んどそのまま三次軍兵衛の住居から出た。津田庄左衛門ほか六人は住宅檻禁となり、次席家老は責をひいて職を辞した。
 この出来事は、玄一郎にかなり大きい衝動を与えた。彼は津田を買いかぶりはしなかったがそんなことをする人とも思わなかった。若いころ放蕩者だったという理由で、藩中には津田がまだなにをしだすかわからないという評もある。
 事実そういう例は少なくない、若いころの歓楽の思い出が、老年の血を激しく燃え立たせて、みぐるしい失態をするようなことはよくある。
 ――だがそのためにあんな卑しい事のできる人とは思えない、……もし事実だとすれば、おれにはあらゆる人間が信じられなくなる。
 玄一郎にはそこがどうしても割切れず、深い傷のように心に残った。
 事件の始末は江戸へ報告されたが、その裁決より先に、敦信から「歳出切下げ」に関する墨付が来た。
 禍いが福になったといおうか、国許ではこの出来事が負債になったかたちで、はたしてこの状態を続けてゆけるかどうか、そこはまだ疑わしいと思うけれども、とにかくこの変化には希望をもってよい、相当なところまでゆけるということを玄一郎はみてとった。
 三月中旬に新しい作事奉行として、八木隼人が赴任して来た。続いて大目付の沢田貞蔵が、事件に対する敦信の裁決をもたらし、関係者の罪科が定った。
 津田庄左衛門 家禄かろく召上げ放国。
 吉川左次馬 右に同じ。
 益山、三次、上原、そして中野市之丞らは食禄を削られたうえ、それぞれの親族へ永の預けとなった。津田は主謀者であり、吉川は勘定奉行を詐称したことで罪が重かったのだろう。
 玄一郎は津田といちど会いたかった。せめて退国するときにでもと考えていたが、やっぱり会わないほうがいいと思い、津田と吉川の追放される日には、八木隼人と二人で望水楼へゆき、久方ぶりにくつろいで飲んだ。
「やったね、たいした度胸だ」
 八木は赴任して来たとき云ったことを、また繰り返した。玄一郎が江戸を立つまえ、自分がさんざんおどかしたので、ちょっとひっこみがつかないという顔である。
「風あたりは強いが、辛抱する、そういう手紙が来たろう、あのときみんなで帰って来るぞと話していたんだ、井部や萩原はいつ帰るかということで賭けていたよ」
「――帰りゃしないさ、初めから覚悟していたんだ」
「嫁を貰ったと聞いてあっと思った。ことによると居据るぞという気がしてさ、それからあの決闘の話で肚がよめたんだ、こいつしてやられたよと云って、あのときはわれわれ三人で先輩として大いに飲んだね」
 玄一郎は、黙って苦笑していた。笑いながら、萩原のくめをこの男にひきあわせ、結婚するようにはこんでやろうと考えた。
「決闘の相手は十人以上だったというが、いったいそれだけを相手にしてやれるものなのかね」
「それより嫁を貰わないか、おとなしくて縹緻きりょうよしの娘がいるんだ、家柄も悪くない、少し年はいってるが――」
「笈川のお余りというのはいやだぜ」
 八木隼人は、まんざらでもなさそうにこう云って笑った。来るときは雨だったが、黄昏たそがれちかくきれいにあがったので、それをしおに二人は望水楼を出た。
 そこは由利川に面した丘のふところで、城下町とはちょっと離れている。先代の伊賀守が隠棲いんせいするつもりで建てたのを、気にいりの庖丁人に与えたのだという。
 いまわりも閑静だし、道の途中も林や野の眺めが美しかった。二人は話しながら歩いていったが、道が松林の中へはいったとき、いきなりその前へ五人の者がとびだして来た。
「笈川玄一郎、今日はのがさんぞ」
 こう叫んだのは益山郁之助である。三次、上原、吉川、中野たち、みんな厳重な身拵みごしらえで、どうやら脱藩するつもりらしい、そのゆきがけの駄賃に意趣をはらそうというのだろう。
「いや大丈夫だ。八木、見ていろ」
 玄一郎はおちついた声で、五人の者に眼をくばりながら袴の股立をとり、下緒で襷をかけつつ八木隼人に向ってこう云った。
「さっきの返辞をするが、二本松で立合ったのは一人さ、幾らおれだって十五六人いっぺんというわけにはいかない、――今日は五人だが、このくらいならいけるだろう、二本松では命はとりたくなかったからね」
 益山郁之助は、右手の骨が折れている筈だ。見たところは変らないが、おそらく充分に刀はさばけまい。
 あとの四人は二本松でもしりごみをしたくらいで、今日はおそらく多数をたのみにして来たものだろう。まちがっても負けるようなことはないと思った。
「口に戸は立たない、云いたいだけ云え、よかったらいくぞ」
 益山がののしるように叫んで、刀を抜いた、あとの四人も刀を抜きながら左右へひらいた。八木隼人はうしろへ退り、だがもし危険なら出るつもりで、ひそかに刀の鯉口を切った。左側の松林はややまばらで、下草のぐあいもよさそうにみえる、玄一郎は不利になったらそこへかれらをひき込もうと思った。
「右を押せ上原、右だ」
 益山が叫んだ、上原十馬が右へまわろうとする、玄一郎が逆に、左の端にいる三次軍兵衛をねらって空打を入れた。
 その動作で上原をたぐり込もうとしたのである。しかしその刹那左側の松林の中で銃声が起こり、玄一郎のからだががくっと大きく傾向いた。
 八木隼人があっと叫び、刀を抜いてとびだして来た。玄一郎は左足を曲げたまま、「林の中をたのむ、こっちは大丈夫だ」
 こう云って頭を振った。弾丸は太腿ふとももに当った、しかし五人に向けた身構えは少しも変らず、切尖さがりの刀はかれらを身動きもさせなかった。
「――残念だが逃がした」
 林の中から八木の声が聞えた。
「――しかしもう邪魔はないぞ」
 益山郁之助は、じりじり詰め寄って来た。両手で持った刀を腹につけ、斬られながら突こうとするらしい、このまえと同じ手であるが、こんどはまず斬られる覚悟で、じりじりと一寸刻みに詰め寄って来る。それは凄愴せいそうそのものという感じであった。
 玄一郎は左足が動かない、どのくらいの傷かわからないが、膝から下がしびれて、まだ痛みもないが知覚もなかった。
 益山は六七尺まで接近した。そして、そこから躯を叩きつけるように突っ込んだ。玄一郎の躯が右足を中心にして僅かにまわり、ぎゃという悲鳴と共に益山が転倒した。刀は見えなかった。同時に右横から上原十馬が斬りつけたのであるが、刀を打落されてのめると、そのまま松林の中へとびこんでいった。
 ひっ返すかと思ったが逃げたので、あとの三人もそれに続いてばらばら逃げだした。
「おうい、仲間を捨ててゆくのか」
 八木隼人はこうどなりながら、刀を持ったまま近寄って来た。
「こいつはどうした、斬ったのか」
脾腹ひばらを当てたんだが、肋骨ろっこつが折れたかもしれない。――よく骨を折らせるやつだ」
 こう云いながら、玄一郎もふらふらとそこへ腰をおとしてしまった。
 弾丸は横から太腿を貫通して、骨には当らないが筋を切っていた。益山郁之助は二人が去ったあとそこで自殺し、ほかの四人は出奔したので、身柄を預かった親族はそれぞれとがめを受けた。
 鉄砲を射った者はわからなかったが、あまり評判が高く詮議せんぎが厳しくなりそうなので、自分で怖れをなして行方をくらました。それは玄一郎の下僚で、もと益山に使われていた安倍又二郎という若者であった。
 玄一郎は傷がんだりして、それから夏いっぱい休み、ようやく治って、起きられるようになったときは、もう秋風が立ちはじめていた。

十三


 かさねがさね国許の者が迷惑をかけたという意味だろう、病中は和泉図書助はじめ重臣老職の人々がだいぶみまいに来たし、全快したと聞くと、祝いの挨拶や贈り物がいろいろ届けられた。
「すっかりにんき者におなりになって」
 松尾は贈り物の多いのにびっくりした。幾らか嫉妬しっとめいた気持を唆られたようすで、すねたようなしおのある顔で良人をにらんだ。
「これから夫人がたのお招きにはわたくし必ずれていって頂きましてよ」
「――びっこでもよければね」
「仰しゃいまし、ちょっと足をいてお歩きになる姿はずいぶん伊達だてでございますわ、御自分でもそう思っていらっしゃるのじゃございませんの」
「――悪い口だな、からかってはいけない」
 敦信から十月まで休めという沙汰があった。すっかり治ったものの、切れた筋がだめで、少し左足をかなければ歩けない。それに馴れるためもあって、玄一郎は十月いっぱい休むことにした。
 贈り物をされた向きへは、少しまをおいて松尾を返礼にまわらせた。この土地ではそういうばあい、妻が代理をしても不作法ではないのである。
 庫田へは自分がゆくつもりだったが、いちおう妻をやった。ほんのひとまたぎのところなので、すぐ帰る筈がなかなか帰らない。和泉へでもまわったかと思っていると、やがて戻った松尾のようすがおかしかった。
 泣いたような眼をして、挨拶をするとすぐ立ってゆこうとする。庫田でなにかあったと思い、
「ちょっとお待ち、どうかしたのか」
 と呼び止めた。松尾は明らかに狼狽ろうばいした。だがしいて笑顔になり、ちょっと気分が悪いからと云って、逃げるように自分の居間へ去った。
 なにかあったことはたしかである。庫田で松尾の泣くような問題が出ようとは思えないが、彼の存在はかなり複雑だから、思いがけないところへ予想外の波が立ちかねない。
 おちついたらよくきいてみよう、玄一郎はこう考えた。するとその夜、もう寝所へはいるころになって、松尾がひとそろえの釣り道具を、居間の廊下まで持って来た。
「これをごらんになって下さいまし」
「――妙な物を持ちだしたな」
「御病気中に庫田さまから頂きましたの」
「――病中って、……寝ているときか」
「お床上げのまえでございます」
 玄一郎はこちらへと云って、松尾の持って来たのを取り竿さお魚籠びくや餌箱などを見た。継ぎ竿が三本、魚籠にも餌箱にもどこかで見た記憶がある。
「頂いたときすぐごらんにいれなければいけなかったのですけれど、なんですか不吉なことが起こるように思われまして、どうしても申上げる気持になれませんでしたの、勝手なことを致して申しわけがございません。どうぞおゆるし下さいませ」
「――びるほどのことじゃあないが、しかし不吉なことが起こるというのは」
 云いかけて玄一郎はふと竿を見なおした。覚えがある。その竿にも、竿の主にも、――彼は道具をそっと押しやり、言葉に詰ったような感じで、暫く黙っていた。
「――これは津田という人の持物だった」
「庫田さまもそう仰しゃってでした、あの方からあなたへかたみにと云って頼まれたそうでございますの、……あなたがこんなおけがをなすったのも、申せばあの方から出たことですし、わたくしどうしてもごらんにいれる気になれませんでしたの」
「――泣くことはない、それでよかったんだよ」
「いいえ、よくはございませんの、それで済まなかったのです、そのときすぐごらんにいれて、よろこんで頂かなければならなかったのでございますわ」
 なにか仔細しさいありげな口ぶりである。玄一郎は黙って妻を見た。松尾は涙を拭き、ふるえる声で静かに云った。
「あなたにはお聞かせしてはならない、黙っているように庫田さまから固くお口止めをされましたけれど、どう考えましても申上げずにはいられません、――口止めをされたということをお含みのうえで、聞いて頂けますでしょうか」
「――云ってごらん」
「今日はじめて庫田さまがうちあけて下さいました、津田さまは、あの事件にはなんの関係もなかった、ただあなたの危難をお救いするために、御自分が主謀者だといって自訴なすったということです」
 玄一郎にはすぐには納得がいかなかった。
 松尾の話を要約すると、彼が城内押込めになった始終を聞いて、津田庄左衛門はすぐに浪花屋の手代と会い、それが益山たちの企みであることを察した。事件そのものは単純である。しかし益山たちには土地に多くの背景があるから、玄一郎に罪が及ばないとしても、相当ごたごたし紛糾が起こることはまちがいない。
 ことに問題になるのは伐り出し許可の証書であって、奉行所の役印が捺されている点、どうしても玄一郎の責任はまぬがれないだろう。そこで津田は主謀者となのり、証書は自分が作り、役印も自分が盗んで捺したと自訴したのである。
 初めから見当をつけたとおり、益山、上原、三次の名をあげたが、和泉図書助の巧みな計らいで、ふいに浪花屋の手代とつきあわせ、案外なくらい簡単に計画が露顕したという。
「――しかし、もしそれが事実とすれば」
 玄一郎には、まだなにか解しかねる気持であった。
「――それが事実だとわかっているなら、津田さんを罪にすることは避けられた筈ではないか、裁決までもってゆくためにやむを得なかったのかもしれない、だがそれにしてもなにか方法がある筈じゃないか」
「この仔細を御存じなのは庫田さまお一人でございますの、ほかには誰も知ってはおりません、あの方は罪をお避けにはなりませんでした、――あなたのために、よろこんでお立退きになったそうでございます」
「――おれのために……」
「あの方は、津田さまは、あなたの実のお父さまでいらっしゃいますって」
 玄一郎は息をひそめた。ひじょうに不愉快なことを聞いた感じで、――なにをばかなと思い、脇へ眼をそむけた。
「津田さまがおさかんなころ、或る家のお嬢さまと恋仲になり、あなたがお生れになった、あの方には奥さまも御長男もいらっしたので、庫田さまに頼んで、あなたを笈川家へお遣りになったそうですの、――そのときはなんとも思わず、すぐ忘れておしまいになった、そうして奥さまが亡くなり、御長男に先立たれてから、ようやく、……初めてあなたのことを思いだし、あなたを見たい、あなたを取戻したいと思うようになったそうですの」
 もちろんそんなことができるわけはない。庄左衛門は自分の過失の重さを知った、血を分けたおのれの子を、物でも呉れるように他人へ遣った。
 邪魔だったから、そうしなければ都合が悪かったから、親子の情などは感じもせず、いささかのみれんもなく遣ってしまったのである。……それが人間を侮辱し、冒涜ぼうとくするものだということを年が経つにつれてわかってきた。
「あなたがこちらへいらして、御自分のお子だとわかってから、あの方は毎日毎日、むかしの罪ほろぼしをしたい、あなたのためになにかしてさしあげたい、そう考えていらしたそうですの、――そして幸か不幸か、そのときが来たのですわ、……あの方はよろこんで、本当によろこんで、自分の罪ほろぼしをなすったのですわ」
 玄一郎は、なにも云わなかった。松尾はこみあげてくる嗚咽に歯をくいしめ、あえぐような調子でこう続けた。
「あなた、わかってあげて下さいまし、お父さまのお気持を、すなおに受けてあげて下さいまし」
 だが玄一郎はやはりなにも云わず、苦痛を耐えるもののように眉をしかめて、暗い庭のあたりをじっと見まもっていた。
 十月になって或る日、玄一郎は一人で柳瀬のふちで釣り糸を垂れていた。
 よく晴れた風のない午後で、淵いっぱいに日が溜まり、うっかりすると眠くなるほど暖たかかった。
 岸の上の雑木林では、頬白やつぐみがしきりに鳴き交わし、枝を渡るたびにばらばらと枯葉を散らした。
 玄一郎は手に持った釣り竿を見ていた。
 ――私は笈川さんを知っていました、温厚な、仁義のあつい、まことにいいお人でしたな。
 いつかの津田の穏やかな、淡々とした話しぶりが思いだされた。
 ――叱られたり折檻されたことがおありですか。
 玄一郎は、眼をつむる。実の親が子を思いやる言葉だった。叱られたり折檻されたりしたのではないか、辛い悲しいことはなかったか。
 いたわりかき抱く思いの、問いかけだったのである。そのとき自分はなんと答えたか、自分ではもうよく思いだせない。しかし津田が安心し頷いた表情は記憶に残っていた。
 ――私は悔いの多い人間ですから。
 溜息をついて、さりげなく云った声が、いま玄一郎の耳にまざまざと聞えるようだ。彼は眼をあげて空をふり仰いだ。青く澄みあがった高みに、爽やかにながれた白い雲があった。
「――お父さま」
 彼は、そっと口の内で、つぶやいた。
「――お父さま」
 玄一郎の頬を、涙がこぼれおちた。





底本:「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」新潮社
   1983(昭和58)年4月25日発行
初出:「講談雑誌増刊号」博文館
   1950(昭和25)年2月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2019年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード