足軽奉公

山本周五郎





「なんだあの腰つきは、卵でも産もうというのかね」
「向うの男は餌差えさしが鳥をねらっているようだ、それ、よく見当をつけろ」
「ああ外してしまった」
「まるでへたくらべだねこれは」
 右田藤六は思わずにっと笑った。足軽なかまの下馬評はなかなか穿うがっている、卵でも産みそうな腰つきとか、餌差が鳥を覘っているようだとか、みんないかにも適評で叱ることもできない。――それもその筈だ、ここにいる足軽たちの中には、かれらより数等も腕の立つ者がいるんだから。そう考えるともう見ている気もなくなり、
「あんまり悪口を云うと聞えるぞ」
 と云ってかれはむしろから立上った。
「……それよりもうすぐ終るだろうから後片付けの手配でもするとしよう」
「けれどもお小頭」
 と、若い足軽のひとりが立って来て云った。
「……このままでは我慢できませんね、たとえ士分の者と試合ができないにしても、足軽は足軽同志でやるにしても、来年はぜひ試合に出られるようにして頂きたいものです、あんまりひどすぎますよ」
「そうだ」
 と、別のひとりもそれにつけて、
「……武芸には士分と足軽の差別はない筈だ、われわれの腕をみれば少しはかれらも奮発する気になるだろう」
「そんな望みは木によって魚を求めるようなものだ」
 藤六は低くそう答えた。
「……これがせめて戦国の世なら、おれたちの腕の見せどころもあるのだが、こんな時代ではどうしようもない、まあ眼をつむって我慢するんだ」
 そして幕張の外へ出てしまった。
 岩代のくに三春は名駒の産地として名が高い、そのときの藩主は秋田信濃守頼季しなののかみよりすえであったが、領内の産馬を陣立ての主軸に置き、中でも槍騎兵そうきへいというものが特に重んぜられていた、これはかつて武田晴信のもちいた銃騎兵に比すべきもので、敵の前線を馬で突破し、一挙に内陣を攪乱かくらんする奇襲隊の役である、したがって家中では槍術がさかんにおこなわれた、それも騎乗とかちとを兼ねる秋田家独特の技法があり、横井大学という藩士が師範として、統一した稽古をつけていたのである。……しかし時代は正徳から享保に及んで、泰平の世相はさむらいの気節をも毒し、
「どうせ戦場に出るでもなし」
 という投げた気持から、稽古もお役目になり一般の腕も低下してゆくばかりだった。全部がそうでないにしても、士風がそのように弛廃しはいしてゆく事実は否定しがたい、これではならぬと思う者もあったろうが、時の勢いに抗してまで起つ者はなかった。……右田藤六は親の代からの足軽で、二十歳のときその小頭を命ぜられ、「気骨者」としてなかまの衆望を集めていた。
 かれの住んでいる長屋は、槍術の師範をする横井大学の屋敷に近く、大学の子の横井鉄之助とは幼少の頃から往来した縁で、十五歳のときその道場に入門をゆるされ、現在では師範の大学とさえ対等で勝負のできる腕になっていた。かれは自分が修業を励むかたわら、なかまの足軽たちにも少しずつ手解てほどきをしてやり、望みのある者は特に願って横井道場へ入門させるなど、尚武しょうぶの風を興すことに力を尽してきたのであった。
 親代々の食禄しょくろくを守っていればよい、もはや合戦ということもない、士分の人々のそういう偸安とうあんに対して、足軽たちは出世したいという希望があった。
「せめては士分に取立てられたい」
 多かれ少なかれそういう望みをもっていた、しぜん稽古も熱心だし上達もめざましく、そのうえ人数もしだいに多くなるばかりだった。……けれどもいかに槍術が達者になっても足軽は足軽である、藩では毎年五月五日に「大試合」というものがあって、家中の者の槍術くらべを催すのだが、足軽は一人も出ることができない、師範と対の勝負をする右田藤六でさえ出場を許されないのである。
 当日は矢来を結い、幕を張り、諸士の接待をするのが役で、あとは黙って勝負を見ていなければならなかった。――卵を産みそうな腰つき、などと酷評をするのは、かれらにとって口惜しさをまぎらわす僅かなけぐちだったのである。
 その日の「大試合」が終ったのは午後三時であった。役目を済ませて、藤六が長屋へ帰って来ると、妹のなぎさが買物に出ようとするところだった、珍しく髪を結いあげているせいか、ちょっと眼をみはりたいくらい美しくみえる。
「どうしたのだ、髪などあげて……」
「お祝い日ではございませんか」
 汀はかえって兄の迂濶うかつにおどろいた。
「……お忘れなさいましたの、今日は五日でございますよ」
「ああそうか、大試合のごたごたでど忘れをしていた」
 藤六はそう云いかけて、
「……すると鉄之助どのも忘れているかも知れないな、ちょっと案内をして来ようか」
「そのほうがお宜しゅうございますわ、わたくしもまだ買物がございますから」
 ではちょっといって来ると云って、藤六はそのままひき返していった。


 毎月五日は右田家の祝い日になっていた。それは藤六が二十歳のとき足軽小頭を命ぜられた日で、以来ずっと欠かさずに続けている。すでに父母は亡く、兄妹ふたり暮しの寂しい家に、その日ばかりは仲のよい横井鉄之助が客に来る、……殊にこの頃では、鉄之助と汀のあいだに親しさが濃くなり、
「嫁に欲しい」
「差上げましょう」
 と云い交わす折の近いことを、殆ど互いに諒解りょうかいし合っていたから、この日は兄妹にとって心から待たれるものだったのである。
 大試合の忙しさで自分も忘れていたくらいだから、鉄之助も気づかずにいるかも知れない、そう思って横井の屋敷を訪ねると、――まだ下城していない、ということだった。
「試合のあと槇山正左衛門どので祝宴があると申していた、おそらくまだ、そこにおるのであろう」
 そういう返辞なので、すぐ近所にある槇山邸へまわってみた。槇山正左衛門は番頭を勤める老人で、つねづね若い者を好み、槍術が達者だということから藤六もしばしば会ったことがある。……取次ぎを頼むと、
「いま広間で無礼講をやっている、庭からまわってじかに呼ぶがよい」
 と云われた。時どき来て馴れてもいたし、云われるままに内庭のほうへまわってゆくと、中の木戸をはいったところで、ばかげた高笑いと、酔に乗じたののしり声がかれの耳をうった。
「たかが足軽ではないか、刀を差しているというばかりで、かたちは武士でも中間小者と選ぶところはない、いわば道傍みちばたにわけもなく生え伸びている雑草も同様だぞ」
「そうだ、その点を明確にすべきだ」
 続けて別の者がどなった。
「……その区別を明確にしないからのさばる、第一かれらが槍術をやるのからして僭上せんじょうだ、ちょっと槍の持方でも覚えると、もういっぱしの武士にでもなり兼ねないつらつきで、肩を怒らしてのしまわる、雑草は端から刈るべきだ、おのれの身分を知らしめなくてはいけないぞ」
 ここまで聞くと、藤六は全身を震わした。おのれらはさむらいの本分をさえ忘れているのに、ただ武士であるからというだけで、人をおとしめる、それも程度こそあれ、中間小者に等しいとか、わけもなく生え伸びる路傍の雑草とは過言もはなはだしい、藤六は歯がみをしながらひき返そうとした、するとなお無遠慮に、
「いちどかれらを懲りるほど叩きのめしてやるがいいのだ」
 というのが聞えた。
「……なに主なやつ二三人やれば、あとは縮みあがってぐうの音も出はせぬよ」
 藤六は我慢の緒を切った。かれは大股おおまたに庭へ踏み込むと、広間の縁先へぐっぐと近寄り、声いっぱいに、
「よろしい叩きのめして頂こう」
 と絶叫した。
「足軽は雑草も同様だという言葉たしかに聞いたぞ、何百石という相恩の食禄を頂いて、無為徒食する貴公たちの眼から見たら、足軽などは人間の数にはいらぬかもしれぬ、しかし泰平なればこそさような痴言たわごとも吐けるのだ、いざ合戦となった場合どちらが御馬前の役にたつか、叩きのめすという言葉こそ幸い、心得のほどを此処ここで拝見つかまつろう」
 広間には十五六人いた、もともと酒興から出た無責任な暴言だったので、眼の前に藤六があらわれると共にみんなぴたりと口をつぐんだ、それがさらに藤六の怒りをあおった。
「どうした、偉そうに蔭口はきいても、いざとなると出る者はないのか、雑草を刈る者は一人もないのか」
「……拙者が相手をしよう」
 そう云いながら、一座の中から立って来た者があった、横井鉄之助である、……藤六はあっと息をのんだ。鉄之助、――そうだ鉄之助がいたんだ、しまった。思わずうめいたが、それと同時に、
「いや鉄之助もこの座にいた、かれも足軽を誹謗ひぼうする者のなかまだった」
 そういう忿懣ふんまんがこみあげてきた。
「何誰でもこちらに選り好みはない」
「だれか稽古槍を二筋たのむ」
 鉄之助はそう云って庭へとびおりて来た。
「……場所はここでよいか」
何処どこでも結構」
 藤六はそう云ってひたと相手を見た。稽古槍が二本そこへ差出された、二人はひと筋ずつを取り、左右へわかれた。


 位取りをしたとみた刹那せつなだった、鉄之助の口をついて絶叫があがり、その槍が、空を飛ぶように、藤六の胸へと直線をひいた。まったく思いがけない強襲である、危うく体をひらき、がっきと槍と槍が相打ったとき、制しようもない忿怒ふんぬに駆られて、藤六は大きく地をりながら突っ込んだ、たんぽの穂尖ほさきは鉄之助の左の高腿たかももに三寸あまりも突刺さり、藤六がひき抜くと血がはしった。
「……まいった」
 鉄之助は槍を持ったままぐらっと左へよろめき倒れた。
「……まいった」
 縁先にいた若侍たちは色をうしなった。しかし鉄之助のはかまひざへたちまち血がにじみひろがってゆくのを見ると、
「おお血だ、横井がけがをした」
 と喚き、
「その下郎、生かして帰すな」
 と、いっせいに刀をつかんで立った。
 藤六はもういけないと思った、すべてが終ったという感じで槍をとり直したとき、奥から槇山正左衛門がとびだして来て、
「なにごとだ、鎮まれ鎮まれ」
 と大喝し、若侍たちの前に立ちふさがった。
「……貴公たちこの人数で、足軽一人をとりめてどうしようというのだ、武士の体面を思え、手出しはならんぞ」
 そう叱りつけながら藤六にふり返った。
「此処はよいから帰れ、追って沙汰をする、早く立ち去れ」
「それでは仰せのままに」
 藤六は会釈をするとそこへ槍をおき、しずかに庭から出ていった。
 住居へ帰って、妹にどう云おうかと思いあぐねていると、組がしらの笹沼市蔵が駆けつけて来た。
仔細しさいは聞いた」
 市蔵は息を切らして、金包と思えるものを差出しながら、
「……槇山どのが始末の扱いをなさるという、そこもとは即刻ここを退去して呉れ、これは槇山どのから当座のご餞別せんべつだ」
 と云った。
「わたくしは立退きますまい」
「その気持はわかる」
 市蔵は忙しくうなずいたが、
「……しかしそこもとがいると、この騒ぎは大きくなる、侍と足軽ぜんたいの騒動にもなり兼ねない、そこもとの人物は老職がたにもわかっているから、追って帰参のかなうようにする、槇山どのはそうおっしゃる、前後の事情をよく考えて、ともかくここは退国して呉れ」
 かれがいては騒ぎが大きくなる、それは疑いのないところだった。御城下を騒がしては相済まない、藤六はそう思って心をきめた。
「よろしゅうございます立退きましょう、しかしこのお金はお返し下さい、僅かながら貯えもございますから……」
 そう云って餞別は断り、まだなにも知らずに不審がる汀をせきたて、支度もそこそこに城下町をたち退いていった。
 妹にすべてを語ったのは、守山藩松平領へはいってからだった。汀の驚きはひじょうなものだったろう、しかし健気けなげにもよく耐え、頬のあたりをあおくしたがなにも云わなかった。
「選りに選って鉄之助とこうなったことは、運命というよりほかにないだろう」
 かれは妹の傷心をどう慰めてよいか言葉に窮した。
「それにつけても身分が足軽ではどうしようもない、これからはなんとしても槍一筋のさむらいになるんだ、それまではおまえにも苦労をかけることだろうが、右田の家名を興すという気持で辛抱してれ」
「はい、汀はどんな苦労でも致します、ですからどうぞ」
 汀は涙を湛えた眼でひたと兄を見あげた。
 岩代から下野しもつけのくにへ入ったのが夏七月、それから常陸ひたちへまわり、上野こうずけのくにから江戸へ着いたのが秋九月であった。江戸には霜月までいたが、「どんな幸運でも転げている」といわれるのに反して、それまでの何処よりも生活は厳しく、田舎から出た者には人情も風も凛冽りんれつだった。そして兄妹は師走の寒さにむかって東海道を西へとまた旅を進めた。……正月を迎えたのは駿府すんぷだった。さすがに駿河するがは暖かく、土地も豊かで住みよかったが、出世の手蔓てづるには縁が遠い、それで二月になるのを待ち兼ねて、見附の駅から北へはいり、天竜川に沿って信濃路へと向った。
 山を越え川を渡り、谷峡を辿たどけわしい旅路を続けて、飯田城下もむなしく過ぎ、赤穂という小さな駅に泊ったときのことであった。……四五日雨が降って、木賃旅籠はたごも同様なその宿には、貧しい行商人や、旅をまわる一文商人や、門付芸人などが十四五人も泊っていた、これらの人々は炉端へ集ってよく身の上ばなしをする、生活の苦しさ、世間のつれなさ、そして自分の不運なまわり合せなど、語ることが慰めであるような調子で話し合うのだった。……これらの人々に殆ど共通しているのは、「運が悪かった」という点であった。すべてが運の悪いために、あたら一生を落魄らくはくしてしまったというのであった。


 そういう人たちのなかにひとり、いつも黙って風車を作っている老人がいた、あめを売るのが商売であるが、景物に付けてやる風車を、雨の日などにはそうして手作りにするのである、むろん反故紙ほごしや傘の古骨などを使った粗末なものだが、老人はそれを作るのがいかにも楽しそうで、どんな高価な物を作っているかと疑えるほど一つ一つに念をいれ、仕上ってからもしばらくはためつすがめつ眺めているという風だった。……まわりの者がなにか云いかけると、おちついた柔和な調子で言葉短に答えるが、自分の身の上ばなしをしたり、進んで雑談のなかまに加わるようなことはなかった。
 藤六はこの老人に心をかれた。継ぎはぎの当った布子を着て、髪毛も灰色になり、せた小さなからだつきで、見たところなんのとりえもない実に平凡な人柄である。けれどもよく注意してみると、いつも静かに微笑を湛えている眼や、柔和な言葉つきや、ちょっとした身振りのなかに、なんともいえない枯れた味があって、どうかすると蝉脱せんだつした老僧のような感じをさえ与えるのだった。……汀はさすがに部屋から出なかったが、藤六は炉端へ出て人々の話を聴きながら、いつも眼はその老人の挙措きょそに見いっていたのである。そうした或夜のこと、たいてい話したいことも話し尽して、ふと言葉が途切れたとき、古蚊帳かや買いだという中年の、庄さくと呼ばれる男が、
「爺さんはいつも不平がなさそうだな」
 と問いかけた。
「まったく飴屋の爺さんは幸福人だよ」
 と、みんなが一斉にそっちへふり向いた。
「……いつどこで逢っても眉ひとつしかめていたことがない、愚痴をこぼすではなし泣言を言うではなし」
「爺さん、なんとか云わないかね」
 と、古蚊帳買いの庄さくが云った。
「……どうしたらおまえさんのようにそう安気でいられるか、みんなあやかりたがっているぜ」
「そんなことはないのさ」
 老人はいつものなごやかな調子で答えた。
「……わたしのような者にあやからないでも、みんなそれぞれ結構にやっているじゃあないか、まあ考えてみなされ、こうして四五日も雨に降られながら、暖かい炉端にながくなって、茶菓子や酒肴しゅこう贅沢ぜいたくこそできまいが、時には天下様の評判もするし、好き勝手な世間ばなしや愚痴が云っていられる、決してこれがやり切れないという暮しではないと思うがね」
「それは爺さんにはもう慾というものがないからそんなことを云えるだろうが、おれたちはまだこんなしがない渡世で終ろうとは思わない、みんなもうひと花咲かせようという気持だから、そこは爺さんとおれたちとで違うんだよ」
「……そうだとすれば」
 と、老人は微笑しながら云った。
「つまり、苦労や不平のたねは世間にあるのじゃなくて、おまえさんたち自分のなかにあるわけだ、それをとやこう云おうとは思わない、人はそれぞれ分別もあり望みもある。誰も彼もおなじように生きられるものじゃないから、……けれども、わたしはよくこんなことを考えるよ」
 老人は作りあげた風車を手に持って、ふうと吹き、くるくると廻るのを楽しげに見やりながら続けた。
「……この風車というものは竹の親串と、軸と、留める豆粒と紙車で出来ている。けれども、こうして風に当てて廻るのは紙の車だけさ、人もこの廻るところしか見やしない、親串を褒める者もなし、軸がいいとか、豆の粒がよくそろったとか云う者もない、つまり紙の車ひとつを廻すために、人の眼にもつかない物が三つもある。しかもこの三つの内どの一つが欠けても風車には成らない、また串が紙車になりたがり、豆粒が軸になりたがりでは、てんでんばらばらで風車ひとつ満足に廻らなくなる。……世の中も同じようなものだ、身分の上下があり職業にも善し悪しがある、けれどもなに一つ無くてよいものはないのさ、お奉行さまが要れば牢番ろうばんも要る、米屋も桶屋おけやも、棒手振ぼてふり紙屑かみくず買いも、みんなそれぞれに必要な職だ。わたしのように一文飴屋も、こうして暮してゆけるところをみると、これでやっぱりなにかの役には立っているのだろう、みんなが一文飴屋になっても困るが、みんなお奉行さまになってもまた困る、……桶屋も百姓も叩き大工も、自分の職を精いっぱいやって、幾らかでも世の中のお役に立っているとすれば、その上の不平や愚痴は贅沢というものだ、わたしはそう思っているがね」
 藤六はそこまで聞いて座を立った。そしてその夜ひとよ、かれの脳裡で一つの風車がくるくると廻り続けていた。……老人の言葉はごくありふれた世間観である。かくべつ名言でもなく高邁こうまいな理窟でもない、それにもかかわらず藤六の頭の中では、くるくると一つの風車がいつまでも廻っていて離れなかった。


 兄妹が信濃のくに高島(諏訪市)へはいったのは三月のことだった。そして間もなく、藤六は世話をする者があって高島藩の足軽に召抱えられた。そのときかれは、妹に向って、
「武士でなければ再び主取りをせぬつもりだったが、少し考えることがあって足軽の扶持ふちをとる、もう暫くおまえも苦労をたのむぞ」
 と云った。
 汀は兄の気持をどう推し測ってよいかわからず、――やっぱり初めのお考えどおりにはゆかないのだ、そう思って心が暗くなった。
 人間がなにか一つぬきんでた能力をもっていると、たとえ自分から誇示しなくともしぜんと人の注意を惹くものである。藤六はできるだけ控えめに、いつも人の蔭へまわるように気をつけ、日々の勤めも少し度の過ぎるほど精をだした、そして他人の分まで進んでやるという風で、恪勤かっきんというよりはばか律義とわらわれるくらい励み続けた。……本当に足軽なかまの或る者はそう云って嗤い、感心するよりも軽侮けいぶした態度で、遠慮もなくかれに仕事を押し付けるのだった。けれどもその一方、かれを「ひとくせある人物」とみる人々も少なくなかった、組頭の長尾甚之允という者がそのひとり、また士分のなかに四五人、なにかにつけてかれを特別扱いにしようとする、それらの人々は、――藤六がしかるべき身分の者であって、なにか深い事情のため足軽に身をおとしている。そういう風に考えたらしく、時にはうちつけにそう質問されたことも二度や三度ではなかった。
「あの男をばかにしてはいかん」
 長尾甚之允はよく組下の者にそう云った。
「……あれはきっと素姓卑しからぬ男だ、必ず一芸一能に秀でている人物だ、みんなもっといたわってやらなくてはいけないぞ」
 しかし藤六にとっては、そういう扱いをされるほうが堪らないようだった。かれはますます身をかがめ、肩をすぼめるような感じで日を過していった。――するとある日、組頭の甚之允がやって来て、
「汀どのを奉公におあげなさらぬか」
 と云いだした。
「そこもともご存じだろうが、さきはお上の御舎弟、つまり忠秋さまのお浜館なのだが」
「それは有り難いことでございます」
 藤六はそう云って少し考え、
「しかし折角ではございますが、妹はわたくし手許てもとしつけてまいりたいと存じますから」
「そこもとはお浜館のおうわさを聞いておられるな、それでなにかいかがわしい御奉公のように思うのではないか」
「さようなことはございません、ただわたくし共は早く両親に死別いたしまして、ずっと二人で過してまいりました、いわばわたくしが親代りになって育てましたので、間もなく縁定めも致したいと存じますし、その儀はひらにご辞退をつかまつりとうございます」
 それでもとは云いかねたとみえて、甚之允は不本意そうに帰っていった。……お浜館といわれている忠秋は藩主の弟で、よくいえば濶達かったつな、悪くいえば粗暴な青年だった、江戸屋敷でもてあまされた結果、この国許の湖畔の館へ蟄居ちっきょさせられている、藤六もたびたび遠くから姿を見たことがあるが、白皙はくせきかんの強そうな顔、大股にさっさと歩く身ごなしなど、いかにも我儘わがままな、不羈ふき奔放そのものといった風格が感じられる。……その館へ妹を奉公に、そう聞いただけで藤六はその結果がどうなるか推察できた、それではっきり断ったのである。しかしそれから間もない或る日、……城の大手の道普請ぶしんで、かれが人夫だまりの警護に立っていると、ふいにお浜館の忠秋が通りかかった、二人の小姓をれただけで、いつものとおり大股にさっさと歩いて来たから、藤六はすぐ人夫に下座を命じた。そのときすでに眼の前へさしかかっていた忠秋は、ふと藤六をみつけて歩み寄った。
「そのほう右田藤六と申す足軽だな」
「はっ……」
 かれはひざをつき頭を垂れた。
「……仰せの如く藤六にございます」
「余を存じておるか」
「恐入り奉る、お浜館さまと存じ上げます」
「余もそのほうを知っておる」
 忠秋はするどい眸子まなざしでこちらをねめつけながら、
「……新参の足軽、右田藤六、そうたしかめたのは五十日ほどまえのことだ、……ひとくせある面だましい、よほど兵法にも堪能であろうと見た、そのほうなにをやる、刀法か、槍か」
「恐れながらそれはお鑑識めがねちがいにございます。ごらんのとおりの小足軽、なかなかもちましてさような……」
「云うのもいやか」
 忠秋はにっと笑っていった。
「……妹を奉公に出すのも厭、おのれの能を知らせるのも厭、……それもよかろう、しかし藤六、忠秋は我儘者だ、こうと思ったことは必ずやりとおしてみせる、必ずだ、それを忘れるな」


 忠秋の言葉はとげのように、胸に刺さって忘れられなかった。……ひとつの生き方をつかんで、新しく始めた生活が、思わぬところから突き崩されそうに思われる、――どんな難題がふりかかってくるか、藤六はそのときを待つ不安定な気持で、しかしなにごとが起ろうとも退転すまいと心にきめながら、同じようにめだたぬ勤めを励みとおした。
 秋十月になってはじめて五日の祝いをした。三春を去って以来おちつかず、いとまもないままに過して、そのときようやく祝いの日を始める気持になったのである。……酒ひと瓶と湖の小魚、汀の心をめたぜんであったが、貧しいともしびの下に二人相対して坐ったときは、祝いの気持よりも寂しさが身にしみた。一年有余まえ、三春藩にいたときは、いつも鉄之助が客に来て、楽しい宵を過したものである。殊に汀には、間もなく鉄之助から結婚の申し出があるという、ひそかな期待もあって、貧しい食膳が輝くようにさえ思えた。――三春ももう晩秋であろう、汀はふと遠い故郷をしのんだ、――横井さまはどうあそばしておいでか。妹のそういう思いは藤六にもすぐ察しられた、かれは寂しげな汀の眉を見、心をうたれてそっと外向いた。
 忠秋からは、かくべつ難題が出るようなこともなく、冬が来て、雪の降る日々となった。そして、師走の五日のことである。
「……今日はお祝い日でございますから、お早くお帰りあそばせ、お支度をしてお待ち申しております」
 出がけに妹からそう云われて、藤六はああもう極月ごくげつの五日かと思い、
れる前に戻るから」
 と云って城へのぼった。
 朝は晴れていた空が、ひるすぎる頃からまた雪が降りだし、それに風が加わって吹雪になった。……御用をしまったのは定めの四時で、もうあたりは黄昏たそがれかかっていた、風はやんだがこのあたりには珍しく、かかとを埋めるほど積ってなお降りしきっているし、骨まで凍えるかと思うほど冷える夕べだった。足軽長屋のわが住居へ帰ってみると、もう仄暗ほのぐらいのに燈がいていない、はいってみると汀は留守だった、隣へ声をかけると女房が顔をだして、
「おや、まだお帰りになりませんか、もう半刻はんときも前でしたか、買物にといっておでかけでしたがね」
 と、いぶかしそうにしている、それではおっつけ帰るであろうと、燈をいれたり、火桶の埋火をきおこしたりしていた。……しかしそのうちにとっぷりと昏れてしまったのに、やはり汀は戻って来ない、藤六はにわかに不安になってきた。そして門口へ出たところへ、おなじ長屋の奥にいる足軽の老人が来かかって、
「よく降りますな」
 と声をかけ、ゆき過ぎようとしてふと立止まった。
「……ときにお妹さんは帰っておいでかな」
「いやまだ戻らぬので案じているのですが」
「お帰りがない」
 老人はふむと首をかしげた。
「……それではやっぱりそうかも知れぬ」
「ご老人なにかご存じですか」
「いや確かとは云い切れぬが、一刻ほどまえ、御老職の菅谷さまへ使にまいったとき、お浜館の前で会ったのが、たしかお妹さんだったように思えるのでな」
「お浜館……」
 藤六はぎょっとした。
「してそのとき妹はどうしておりましたか」
「お屋形の中から二名ほど人が出て来て、通りかかる汀どのになにやら申しかけ、手を取って御門の中にひき入れるのを見た、……お妹さんではないかも知れぬが、もしやすると」
「それはよいことをお知らせ下すった、ともかくみにまいってみましょう」
 藤六には忠秋の冷笑する顔がみえるようだった、――おれは我儘者だ、思ったことは必ずやりとおしてみせる、そう云った声音までがまざまざと耳によみがえってきた。
「……これは尋常なことではいかんぞ」
 かれは即座に心をきめた、火桶の火を埋め、身支度を直し、久しく長押なげしに掛けたままの愛槍をとり下ろすと、燈火を消して住居を出た。
 今日まで共に艱難辛苦かんなんしんくをして来た妹を、このような不幸な結果におとすなら、むしろいさぎよくお浜館の前で兄妹ともに命を捨てるべきだ。槍を持って出たのは、むろん忠秋に手向うためではない、妹を刺し、おのれが自裁する用意であった。……みのをまとい笠をかしげて、湖畔の道を浜館まで小走りにいった。門は八文字に開かれている、人はみえない、玄関へかかろうとしたが、用心して横手からお庭へまわった。諏訪すわの湖を岸にとりいれて、泉石の結構美しい庭である、雪に埋れた築山つきやまをまわって、御殿のほうへゆくと、泉殿風いずみどのふうになっている離れの建物に明々と燭が輝き、酒宴でも催しているとみえ、笑いさざめく人声がにぎやかに聞えてきた。――ここだ、藤六は槍のさやをはらい、しずかにそちらへ近寄った、そして広縁へとび上りざま、障子を二枚、さっと左右へ押しひらいた。


 障子の内は二十畳敷ほどの広間だった。煌々こうこう燭台しょくだいつらね、十四五人の侍臣侍女にとり巻かれて、忠秋はいま大盃をあげているところだ、そのすぐ傍らに妹の汀がいるのをすばやく認めた藤六は、
「妹を頂戴にまいった、御免!」
 そう叫んで踏込もうとする、突然のことで侍臣たちが総立ちになるのを、忠秋は手で制し、
「……待ち兼ねたぞ藤六」
 と、よくとおる声で叫んだ、
「もう来る頃としびれをきらしていた、よく来たな、そのほうに会いたいと申す者がおる、まあ下にいろ」
「会いたいというのはおれだよ右田」
 そう云いながら、汀の横からすっと立った者があった。
「……まさか忘れはすまい、横井鉄之助だ」
 藤六はあっと云った。立上ったのは正しく横井鉄之助である、夢ではないか、――あまりに思いがけなかったので、藤六はすぐには声が出なかった。
「ずいぶん捜したぞ」
 鉄之助は鋭い眼でひたとこちらをにらみながら云った。
「……めぐり逢えたのは武神の加護だろう、貴公には借りがある、それを返そうと思ってな」
「念の入ったことだ」
 藤六ははじめて口をひらいた。
「……望みなら返して貰おう、いつどこで……」
「暴れ者の忠秋さまも御所望だ、お庭さきを貸すと仰しゃる、どなたか拙者の槍を、お持ち下さい、出よう右田」
 心得たと云って、藤六はさきに庭へとび下りた。侍臣の一人が走っていって槍を取って来た、鉄之助は忠秋に会釈して、しずかに広縁のほうへ進み出た。そのとき藤六は、再びあっと胸をうたれた、……鉄之助は右足を引摺ひきずっている、
「あのときおれの突いたきずだ」
 すぐにそう気づいた、――知らなかった。
「燭台を縁へ出せ」
 忠秋が侍女たちに命じ、自分もしとねを端近くへ進めた。
「……藤六、隠していた手だれの槍、今宵はしかと見とどけるぞ」
 皮肉な笑をうかべてそう云う忠秋の顔と、その傍らに深く面を垂れている妹の姿を見たとき、藤六は弱りかかった闘志の燃えあがるのを感じた、――よし、と思った、鉄之助が下へおりて来た。白雪を敷いた庭上へ、なお霏々ひひと降る粉雪のなかに、
「いざ」
 と、二人は左右へわかれた。
 互いに中段につけて呼吸五つばかり、藤六は相手の槍の穂尖から電光が飛ぶように思った、――あがった、すばらしくあがった。あの時からみると数段上を遣う、――苦しんだな、そう思ったとたん、鉄之助は不自由な右足をと寄せ、いしづきを下げるとみるや、えいと絶叫しながら突きを入れてきた、二人の足下から雪煙があがり、かつ! と槍が相撃った、降る雪と、足下から舞いあがる雪とで、一瞬ふたりの姿は見えなくなり、次いで、
「まいった、これまでだ右田」
 という声と共に、鉄之助がどっと横倒しになった。
「きさま……」
 と肩で息をつきながら鉄之助は感に堪えたという声で云った。
「……きさま強いなあ右田、浪々しても腕は鈍るまいと思ったが、あの頃よりはまた一段じゃないか、口惜しいがおれはまだ及ばない、残念だ」
「立て……」
 藤六はしずかに答えた。
「勝負はこれからだ、もういちど立て」
「その必要はない」
 忠秋が座敷からそう呼びかけた。
「……横井はそのほうに大切な知らせを持って来ている、勝負は余の所望だ、もうよいから上って坐れ、改めて一さんとらすぞ」
 藤六はちょっと解せなかった。しかし汀が出て来たし、鉄之助も笑いながら、いかにも仔細ありげに促すので、ともかくも洗足すすぎをし、衣類の雪を払って、座敷の下へにじり進んだ。忠秋は面白そうに藤六の前へ酒肴を据えさせ、汀にむかって、
「兄の給仕をしてやれ」
 と命じた。
 鉄之助はそこでかたちを正して一別以来の挨拶を述べ、夏に故郷を出てから、この高島へ来るまでのあらましを語った、高島城下へはいったのは三日まえのことで、槍を担ぎ、雪泥の道をいざりの足で歩き悩んでいる恰好を忠秋が認め、例の気性でおのれの館へ呼びあげたうえ、右田藤六という者を尋ねまわっている事情まできだすほど親しくなった。そのはなしは忠秋にすぐ新参足軽を思いださせ、汀を見かけたことから、今宵のいたずらを仕組んだのだという、そこまで話して、
「さて」
 と、鉄之助は膝を直した。
「そこもとを尋ねて来たわけを云おう、実は藩家からお召返しの上意がさがったのだ」
「……お召返し」
 藤六は眼をみはった。
「おれの父が老衰の故を以て師範を隠退することになり、そこもとを後任として推挙した、老職の中にもそこもとの人物槍筋を認めている方が多いので、とりあえず槍術師範助役としてお召返しときまったのだ、右田……いよいよそこもとの槍が世に出たぞ」
「待って呉れ」
 藤六はしずかに面をあげた。
「……御師範の御好志も、御家中皆々の寛仁なお扱いも、胆に銘じてかたじけない、千万ありがたく存ずるが、おれは三春へは帰らぬつもりだ」
「なに、帰らぬ、それはまたどうしてだ」
「おれは自分を恥じる気持でいっぱいだ、おれにはお召返しをお受けする資格はない」
 藤六は苦衷くちゅうを訴えるように云った。
「あのときそこもとと争いになった原因は、おれの見苦しい傲慢ごうまんからだった、なまじ少しばかり槍が遣えるようになると、当然おのれが士分に成ってもいいように思いあがり、足軽という身分に不満を感じだした。……ばかな」
 かれは自分を※(「口+它」、第3水準1-14-88)しったするようにうめいた。
「……御奉公というものは身分に依って違うものではない、士分には士分の奉公があり、足軽には足軽の奉公がある。その本分を忘れて僅かな腕に眼がくらみ、おれがづらをしてのし廻ったかと思うと、……おれは骨を砕かれるほど恥かしく情ない」
 男がはらの底をさらけだしての告白である。鉄之助も心をうたれた。汀には、「ああ」と思い当る多くの回想があった、そして忠秋までが、さかずきを手に惘然ぼうぜんと耳を傾けていた。
「三春を退国してから、おれはいかにもして槍ひと筋の武士に成ろうと誓った、その流浪中のことだったが、天竜川に沿った或る貧しい旅籠宿で、飴売りをする老人の述懐を聞き、はじめて夢から覚めたように思った。……足軽は足軽としてひと筋に勤める、そこに奉公の道がある、そこにすべてがあるのだ、おれは生れかわったつもりで御当家へ足軽として仕えた、おれの生涯はここから始るのだ、横井、……この気持がわかって貰えるか」
 鉄之助は深く頭を垂れて、
「そうか」
 と頷いた、そしてなにか云おうとして眼をあげたとき、忠秋がそれを抑えるように云った。
「いまの言葉はよい土産になるぞ横井、その言葉と、汀を土産に、そのほうは三春へ帰れ」
「なんと仰せられます」
「とぼけるな、汀のことは昨夜の物語に洩らしていたぞ、右田は高島へ貰う、これほどのもののふを手に入れて、今さら離すばかはおるまい、右田は高島で貰う、そのほうは汀をつれて帰れ、それで藤六にも不足はあるまいが」
「お待ち下さい」
 鉄之助がおどろいて、
「……お館さまがそのように仰せられましては」
「なに藤六が自分でそう申したではないか」
 と、忠秋は笑った。
「……余が望んだ汀をそのほうがつれてまいる、そのほうの望む藤六を余が貰う、これで五分と五分だ、……帰ったら三春侯に申上げて呉れ、高島藩では天下一の槍術家を足軽に抱えておるとな」
 酒が冷えた、代えてまいれという忠秋の声は、しめやかになった御殿の内に、燈の点いたような活気を与えた。外はまだしきりに降る雪である。





底本:「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」新潮社
   1983(昭和58)年10月25日発行
初出:「講談雑誌」博文館
   1945(昭和20)年1月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2022年4月27日作成
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