二人は紀伊家の同じ中小姓で、半九郎は西丸
半九郎も小次郎も早くから主君
そのときの喧嘩がどういう順序で始ったかよく分らない。城中の休息所で座談をしているうち、話がふと半九郎の縁談に及んだ。……彼はそのとき同藩大番組で八百石を取る天方仁右衛門の娘
――笠折もこれから瑞枝どのの琴を聞いて、心を練る修業をするんだな、音楽というものは人の心を深く
というような意味のことを云った。
それがいけなかった、ごく親しい気持から出た言葉ではあるが、時のはずみで半九郎は真正面から
――このままでは
屋敷へ帰った彼は、仲裁役でも来ると面倒だと思って、後事の始末を書面にして遺し、そのまま城下から南へ三十町あまり離れた、砂村の農夫弥五兵衛の家に立退いた。……弥五兵衛はもと笠折家の下僕であったが、数年まえに暇を取り、今では妻子五人で農を営んでいた。
半九郎は自分の怒り方が度を越しているのを知っていた。時間の経つに
――いけなかった、やり過ごした。
そう思った。けれどまた直ぐそのあとから、新しい
――どれほど親しい間柄でも、云って
彼は武骨者で茶花風流には暗かった。武士には要のないものだと云ってはいたが、そういうものに興味を持てないことは、自分でも
「明日の朝五時に起して
弥五兵衛にそう云って、半九郎は宵のうちに寝た。
なかなか眠れなかった。
ともすると苦い後悔の感じが
そうしているうちに、いつか考え疲れて眠ってしまったらしい。雨戸を叩くけたたましい物音に、半九郎が
「笠折はいないか」
と呼びたてる声が聞えた。
「ちょっと起きて呉れ、笠折半九郎は来ていないか」
――小次郎だ。
半九郎はがばとはね起きた。
「よし、己が自分で出る」
起きて来た弥五兵衛を
「半九郎は
「おっ、笠折いたか」
叫びながら走って来る小次郎を見て、
「約束は
「それどころではない、あれを見ろ」
小次郎は叫びながら手を挙げてうしろを指した。
まだ空は全く暗かった。満天の星は朝の霜のひどさを思わせるように、きらきらと
「火事だ、しかもお城の大手に近い」
半九郎は
「西丸御門外の武家屋敷から出たが、この風で火は今お城へ
小次郎は持っている物を差出しながら、
「いま貴公の家へ立寄って、多分此処だと思ったから火事装束を持って来た、馬も
「小次郎、かたじけない」
半九郎はひと言、
――やはり友達だった。
となんども胸いっぱいに叫んだ。
弥五兵衛が提燈に火を入れるのを、ひったくるようにして外へ出た、表には馬が二頭
「小次郎!」
別れるとき半九郎が叫んだ、
「忘れぬぞ!」
小次郎は振返った。にっと
明暦元年十一月十九日早朝四時、和歌山城西丸御門の外にある
半九郎が西丸の
「お
なんども叫んだが人の姿はなかった。……彼は
「此処も危のうございます。お山へ移した方が安全でございましょう」
「此処が危いと?」
番士の言葉を半九郎は烈しく
「馬鹿なことを云え、このお櫓を焼いてなるか、十七人全部死んでもこのお櫓は守り通すのだ、我々の死に場所は此処だ、一歩も退くな」
すでに西丸が焼けていた。櫓の上に登った半九郎は、二の丸の大屋根を抜いて噴きあげる



砂丸を焼いた火と、西丸を焼く火とが、両方から
「みんな此処で死ね、一人も退くな」
半九郎は繰返し叫んだ。
「
息もつけぬような煙が巻いて来た。煽りつける
――大丈夫だ、この櫓は助かる。
彼は神を信ずるようにそう確信した。
事実その櫓は焼けなかった。十七人の死を
――小次郎、己はやったぞ。
火勢の落ちた和歌山城の上に、ようやく朝の光が
――やったぞ、己はやったぞ小次郎。
急を聞いて頼宣が帰ったのは、それから二日後のことであった。
天守閣と櫓の一部が残っただけで、城はほとんど焼けていた。城外では武家屋敷六十軒、町屋敷百九十五軒、町数合せて九十余という大火であった。……火を失した都築瀬兵衛は、親族から切腹を迫られたが、結局は遠島ということに
帰城した翌々日、頼宣は
「半九郎、その方出火の当日喧嘩をしたそうではないか」
と意外なことを云った。
「
「恐入ります、
「それでどうした、始末を申してみい」
「恐れながら……」
半九郎は
「申してみい、果合いの始末をどうした」
頼宣はたたみかけて促した。
半九郎は平伏したまま始終の事を述べた、頼宣は黙って聴いていた。半九郎の言葉が終ってからも、暫くのあいだ黙っていた。……自分の口から仔細を述べるうちに、半九郎は悔恨と自責の念が新しく
「友達というものは有難いものだな」
頼宣がやがて感慨の
「小次郎は思慮の深いやつだ、しかし小次郎だけが秀でているとは云わぬ、友達の情の美しさだ、おろそかに思ってはならぬぞ半九郎」
半九郎は
「その方は一徹で強情が
そう云って頼宣は立った。
火事場のことについては一言の沙汰もなかった。半九郎はむろんそんなことは意に留めなかった。自分はするだけの事をしたのである、しかもその火事は偶然にも自分と小次郎との友情の
けれど世間の人々はそう簡単に済まさなかった。当時の昂奮が冷めて来ると、人々の眼は半九郎のうえに集りだした。
――笠折に恩賞のお沙汰がないのはどうしたのだ、彼は十七人の番士と身命を
――そうだ、笠折はお蔵から御秘蔵の宝物をも運び出している。
――持場を焼いた者たちでさえ恩典があったのに、もっとも手柄を立てた笠折に、なんのお沙汰もないというのは不審だ。
――なにか仔細があるのだろう。
そういう
ある日四五人集っているところで、またその話になったとき、半九郎は我慢ならぬという調子で云った。
「いったい貴公たちはなんの用があってそんなことをつべこべ云うのだ、拙者は恩賞を賜わるような働きはなにもしてはいないぞ、自分の責任を果したまでだ、誰でも当然なすべきことをなしただけだ、火消人足ではあるまいし、火事場の働きで恩典にあずかろうなどというさもしい考えは
「おい、……笠折、それは少し言葉が過ぎはしないか」
一人が急に眼を光らせて乗出した。
「我々は誰のために云っているのでもない、むろんお上に対して御批判申すのでもない、ただ身命を賭して御宝物を救い、お櫓を守ったという事実を云うのだ、持場を焼いた者たちにさえ恩賞があったのに、それだけの働きをした者になんのお沙汰もないという事実を云っているんだ。……それに対して火消人足でないとは言葉が過ぎるぞ」
半九郎はむかむかと忿がこみあげて来た。しかし懸命にそれを抑えて黙っていた。……相手は書院番の麻苅久之助という、小意地の悪い女のように
「火消人足とは変なことを云う」
相手は鬼の首でも取ったように、なおも
「自分はなにか理由があるとして、取澄しているならそれで
「拙者はこういう話を聞いているんだが」
久之助のねちねちした態度をとりなすように、一人が側から口を

「なあ笠折、あの日貴公はお上から、畔田と喧嘩をしたことでお叱りを受けただろう、是は単なる噂にとどまるかも知れんが、畔田がお上にその事を申上げたので、それでお上がお怒りになったということを聞いたぞ」
「それは有りそうなことだ」
別の一人が
「畔田としては城中満座のなかで果合いを挑まれたのだからな、その返報としてもそのくらいのことは有るかも知れん」
「
半九郎は堪り兼ねて云った。あまりその声が悲痛だったので、みんな驚いて眼をあげた。半九郎は抑えつけたような声で、まるで自分自身に挑みかかるように云った。
「畔田がどんな人間か、拙者は誰よりも
それだけ云うと、半九郎は立ってその席を去った。
櫓番の支配は
……彼は自分の執った態度が、いつかのようにとりのぼせたものだということに気付いていた、小次郎に果合いを挑んだときとは原因がまるで違う、しかしその憤激のかたちには同じ苦しさがあった。心の隅には早くも、あのときと同じ悔いが
酔いが廻るにつれて、いろいろな人の顔や、言葉や、態度が、次ぎ次ぎと眼にうかんで来た。みんな
――こんなことを考えてはいけない。
彼はなんども反省した。胸へこみあげて来る毒々しい
――己には己の生き方しか出来ない、
泥酔した彼は寝た。
翌日はひどく頭が重く、悪酔いをした胸苦しさがいつまでも消えなかった。それで彼は再び酒を命じた。……
――所労で
と答えさせた。
使者は別に深い
彼は改めて恩賞のことを思いだした。どうして自分だけになんの沙汰もなかったのか、もし小次郎との喧嘩が悪いなら、小次郎にも同じ
――こいつは考える値打があるぞ。
彼は続いて、小次郎が自分より先に、喧嘩の始末を言上したという話を思いだした。
畔田は思慮の深いやつだ。
そう云った頼宣の言葉も耳に残っている。思慮が深いということは、彼のように馬鹿正直でないという意味にもなる、彼の生一本な気持では
「そうだ、火事の朝もそれだ」
半九郎は思わず声をあげて
「もしあの火事がなかったら、あいつ果して鼠ヶ島へ来たろうか、……否! 来はせぬ、あいつは己の剣を知っている、来るとしても仲裁人か、そう見せて助太刀を連れて来たに違いない。火事はあいつに取って一石二鳥だった、果合いを免れたうえに、馬鹿正直な己をまんまと泣かした、くそっ!」
半九郎は
斯うなると、考えることはそんな自分を
「申上げます」
家士の五郎次が
「呼ばぬうちは来るなと申してある、
「お客来でございます」
「会わん、誰にも会わんぞ、
「そうお断り申したのですが」
家士は困惑した様子で云った。
「病床でなりとも達てお眼にかかりたいと、みなさま押しての仰せでございます」
「みなさま? ……誰と誰だ」
「柳河三郎兵衛さま、殿村
西丸詰め、二の丸詰めの者たちで、ことに大道市次郎と由井十兵衛は番頭格であるが、
「会ってやる、通して置け」
半九郎は支度を直しに立った。
客間に待っていた五人は病床の見舞いを述べるでもなく、押して面会を求めた釈明をしようともせず、半九郎が座につくのを待兼ねたように、由井十兵衛が直ぐ要談をはじめた。それは半九郎にとって全く思懸けぬ問題であった。
「先日城中で、貴公は火事場の恩賞について麻苅たちと話をしたそうだな」
「拙者から持ち出した訳ではないが、その話ならした」
「貴公そのとき、火事場の働きで恩賞にあずかるのは、火消人足も同様だと云ったそうだが、相違ないかどうか聞きに来たのだ」
半九郎は平手打ちを喰ったような気がした、麻苅久之助に云った言葉が、今やまるで違う意味をもって、しかもかなり重大な内容を帯びて返って来たのだ。
「
彼は出来るだけ静かに説明しようとした。
「そういう風なことは
「どう違うか聞こう」
「拙者は自分のことを云ったのだ、各々も耳にしていると思うが、あのとき拙者だけは恩賞のお沙汰がなかった」
「それが貴公には不服なのか!」
いちばん若い長谷部伝蔵が叫んだ。
「……そうではない」
半九郎は自分を抑えて続けた。
「そうではないんだ、周りの者がそれを云うんだ、拙者は自分の為すべき事を為しただけで、恩賞の有無などは
「では改めて
「話すことを、拙者の話すことをもっと
「そうでなければどうだと云うんだ!」
柳河三郎兵衛が大声に喚いた。
「持って廻った言訳は止めろ、我々は防火の手柄をお褒めにあずかった、御恩典を受けている。貴公の言葉は我々に取って聞き

「恩賞を受けぬ貴公は
半九郎は出来る限り自分を抑えていた、しかしどう説明しても、言葉の持っている本当の意味は分って貰えないと思った。
「ええ! 面倒だ」
半九郎は頭を振って云った。
「これだけ云っても分らないなら、どうでも好きなように解釈しろ、なんとでも勝手に
「それは正気で云う挨拶か!」
「笠折、庭へ出ろ!」
伝蔵が大剣を
「待て、みんな待って呉れ」
小次郎は座敷へ入ると、今しも総立ちになった客と主人との間へ、そう叫びながら割って入った。そして
「笠折へは拙者が話をする、みんなとにかく待って呉れ、手間は取らさぬ、さあ……向こうへ行こう笠折、
そう云いながら、
「落着け、落着いて聞くんだ笠折」
半九郎を引据えながら、小次郎は声を励まして云った。
「貴公の言葉は穏当ではない、いや分ってる、貴公がそう云った時の意味は別だった、しかしそれが彼等に伝われば、斯ういう問題が起らずにはいないものを持っている、言葉が悪かったんだ、拙者の云う気持は分るだろう」
「簡単に云え、己にどうしろと云うんだ」
「云い過ぎたということを一言で宜い、行って彼等に
「あのときのようにか」
半九郎は白く笑いながら云った。
「お上へ喧嘩の始末で言上したように、あの時のように旨く片を付けるか、小次郎」
「なにを云う。……貴公酔っているな笠折」
「真直に己の眼を見ろ!」
紙のように
「宜いか小次郎、己はこれまで世間の評判や噂話などは
半九郎はもういちど白く笑って続けた。
「だが小次郎、そのまえに己は云うことがある、今度の
「それはどういう意味だ」
「鼠ヶ島の果合いだ、あれが己から恩賞のお沙汰を奪った、十七人の組下までがそのために恩賞から漏れた」
「笠折、それは正気で云うことか」
小次郎の眼にも忿が表われた。
「拙者も世間の噂はうすうす聞いていた、拙者がお上に、喧嘩のことで貴公を
「五人に詫びろと云うまえに、貴様はそれを考える必要があったんだ、取るにも足らぬこそこそ話が、人の運を決定するんだ、己は今こそ悪意を認める、己が五人に詫びるまえに貴様は鼠ヶ島の借を返さなくてはならんぞ」
「心得た、如何にも鼠ヶ島へ行こう」
小次郎はそう云いながら立った。
「今度は拙者から時刻を定める、
半九郎は荒々しく去って行く小次郎の姿を、嘲笑の眼で見送った。……それから更に彼が、客間で待っている五人に、こう云っている声を聞いた。
「笠折とは拙者が果合いをすることに定めました。各々は手をお引き下さい、拙者には前からの
決意のある声だった、それに対して五人の方でもなにか主張したが、結局は小次郎に任せると決ったらしい。……半九郎はそれを聞きながら、
「誰か居らぬか、酒が無いぞ」
と大声に叫びたてた。
この争いには自然でないものが多い。つまらぬ感情のささくれや、行違いや、思過しや、いろいろな要素が偶然にひとところへ落合い、それが誤った方向へ押流されている。……半九郎にしても小次郎にしてもそれが分らない訳ではなかった。しかし斯うしたやりきれない
明くる朝、半九郎はまだ暗いうちに起きた。……霜のひどい朝だった、裸になって頭から何杯も水を浴び、新しい肌着に、継ぎ
供を連れなかった。足の下に砕ける霜の音を聞きながら、ようやく明けはじめた早朝の町を、なにも考えずに砂村の方へ急いだ。
鼠ヶ島は紀ノ川の砂洲の発達したもので、
――まだ来て居らんな。
ひとわたり見渡して、そう呟きながら、半九郎は小松原の方へ入ろうとした。すると、それを待受けていたように、松のあいだから進み出て来た者があった。
「……小次郎か」
半九郎は五六歩あとへ跳び退って、大剣の柄へ手をやった。
相手は構わず近寄って来た。そして、川霧を押分けてその姿をはっきりと示したとき、半九郎はいきなり眼に見えぬ力で突き飛ばされでもしたように、あっと叫びながらよろめいた。
近寄って来たのは頼宣であった。
「抜け、抜け半九郎」
頼宣は静かに呼びかけた。
半九郎は即座に大剣を
「馬鹿者! 馬鹿者、馬鹿者!」
三つ、四つ、五つ、
頼宣はやがて手を放した。よほど力を
「……二十年も予に仕えながら」
と
「その方にはまだ予の気持が分らぬのか。……先日火事のおり、命を冒して宝物を取出し、また角櫓を防ぎ止めたことは手柄であった、
「恐れながら、恐れながらお上」
半九郎は
「わたくしの不調法、申訳の致しようもございませぬ、なれど此度のことは、お沙汰のなきことを不平に思った次第ではございませぬ、左様な心は
「泣き声では分らぬ、はっきりと申せ、それではなぜ
「周囲の批判やむを得なかったのでございます、わたくしの不調法から十七人の組下まで御恩賞に漏れたと申されまして、番の頭としての責任を執ったのでございます」
「周囲の批判がそんなに大事か」
頼宣はむしろその一本気を笑うように、
「世間の評判などは取止めのないものだ、そんなものに一々責任を執っていて、まことの奉公が成ると思うか。……火事場の働き遖れではあるが、沙汰をしなかったには訳がある。城は一国の鎮台として重要なものだ、宝物もまた家に取って大切だ、しかし人間の命には代えられぬぞ、火事はそのときの
「その方の働きは遖れであったが」
と頼宣は静かに続けた。
「もしその働きを賞美したら、これからさき多くの家臣たちが、その防ぎきれぬ火に向かって、もっと危険を冒すことになるだろう。城は焼けても再び建てることは出来る、だが死んだ人間を呼返す法はないぞ。……心のなかでは褒めながら、そうしなかった理由はそこだ、予にとっては城よりも宝物よりも、家臣の方が大切なのだ。角櫓一つ助かるよりもその方の無事であることの方が予にはうれしいのだ、半九郎」
半九郎の背が見えるほど波を打ち、砂を
「二十年も側近く仕えながら、その方にはこれだけの気持すら察しがつかぬのか、周りの批判は聞き咎めても、予の心を察する気にはならぬのか」
「……申訳ござりませぬ」
半九郎は身を絞るように
「それほどの
云いながら、ツと脇差へ手をかけた、しかし
「馬鹿者が! なにをする」
「お慈悲でございます、わたくしに腹を」
「ならん!」
頼宣は有名な
「死なして宜いなら予が手打ちにして居る、その方がいますべきことは切腹ではない、小次郎との仲直りだ。……小次郎まいれ」
振返って叫ぶと、小松原の中から畔田小次郎が走り出て来た。そして半九郎の傍へ並んで平伏した。
「その方共は自儘に果合いをしようとした。軽からぬ罪だ、両人とも五十日の閉門を申付ける、ただし小次郎も半九郎の家で、一緒に謹慎して居れ、離れることならんぞ」
頼宣はそう云って去って行った。右手の拳を
「恐ろしく固い頭だ」
と呟くのが聞えた。
二人は平伏したまま泣いていた。
川霧はようやく消えて、雲を割った太陽が
「小次郎、……己たちは仕合せ者だな」
半九郎が泣きながら云った。
「そうだ、これほどの御主君に仕えることの出来るのは、武士と生れての此上もない果報だ」
「己は自分の心の狭さが熟く分った、勘弁して呉れ小次郎、瑞枝を
「そう思えばそれで宜いんだ、琴なんか問題じゃない、我々はいまもっとすばらしい修業をしたんだ」
「分ってる、それは分ってる、でも己は琴を聴くよ、琴に限らない、どんな方法ででもこの心をもっと曠くしたいんだ、まことの御奉公の出来る人間になりたいんだ、己は、琴を聴くぞ小次郎」
「そうむやみに、琴々って云うなよ」
小次郎は泣きながらぷっと
「馬鹿だな、
それと一緒に半九郎も失笑した。
二人は泣きながら、両方の眼から、ぽろぽろと涙をこぼしながら、声を放って笑いだした。