榎物語

山本周五郎





 さわが十三になった年、国吉くにきちが下男に来た。国吉は十五歳で、よく働く少年だったし、二年のち、二人は愛し合うようになった。
 さわの父は河見半左衛門かわみはんざえもんという。母の名はわかさわの下に一つ違いの妹なかと、その三つ下に丈二という弟がいた。河見家は七代まえに苗字帯刀みょうじたいとうをゆるされ、代々七カ村の庄屋を勤めていた。「えのき屋敷」と呼ばれるその家は葉川村の段丘の上にあり、ほぼ南北にのびる越後街道えちごかいどうと、魚野うおの川が眺められ、白い土塀をまわした広い屋敷の東南の隅に、樹齢五百年以上といわれる榎が、ぬきんでて高く梢を伸ばし、枝をひろげていた。
 葉川村は越後のくに小出こいでの郊外で、越後街道に面し、また会津若松へ通ずる六十里越えの山道が、うしろにのびていた。街道を往き来する人たちや、六十里越えをする人たちにとって、河見家の大榎は眼じるしの一つであり、それが見えると、ようやく小出の宿しゅくの近いことを知り、あるいは名残りであることを知るのであった。
 小出は会津藩に属し、その代官所がある。絹と木材の集散地で、河見家でも広い木山を持っているため、庄屋のほかに藩の山方の差配さはいを命ぜられてい、屋敷のまわりにはきこりたちの長屋があった。――国吉はその長屋で生れた。父は善吉といい、河見家の樵がしらで、妻とのあいだに六人の子があり、国吉はその四番めの二男であったが、国吉が五歳の年、善吉は半左衛門に土地を買って貰い、蒔田まきたという村で百姓になった。善吉は青年になるまで百姓をしてい、それから河見家の樵になったのだから、彼自身は帰農というわけであるが、妻や子供たちには馴れない仕事であり、環境もいっぺんに変ったため、新しい生活にはなかなかなずめなかった。国吉は特にのら仕事が嫌いだったらしく、十五になるとすぐ、すすんで河見家の下男に住み込んだ。
 さわからだがひよわく、縹緻きりょうもあまりよくなかった。河見家の長女でありながら、そういったおうようさもなく、いつもどこかの隅か、人のうしろに隠れているというようすであった。父の半左衛門は「まるで貰われて来たような」おかしな子だ、と云っていた。――妹のなかは姉とはまったく反対で、姿かたちも美しいし愛嬌あいきょうもあり、頭がよくてすばしこくって、小さいじぶんからにんき者であった。――なかにはこういう逸話がある、彼女が六歳のとき、小出から代官を招いて饗応きょうおうした。これは殆んど毎年の例なのだが、なかは代官とその下役たちが接待されるのを眺めていて、なにを思いついたものか、仏間から小さな本尊仏を持ち出して来、それを代官に示して「これはなんという物ですか」と訊いた。主人役の半左衛門や、接待していた人たちが、驚いてとめようとしたが、なかのすばしこさに、それもにあわなかった。
「そうさな」と代官は本尊仏を見て、仔細しさいらしく答えた、「阿弥陀あみださまのようだが、それともお釈迦しゃかさまというかな」
「違います」となかが云った、「これは木を彫って色を塗った物です」
「よしよし」と代官は笑った、「それでは木を彫って色を塗った物だとしよう」
「それなのに、どうして人が拝むんですか」
 父の半左衛門はたまりかねて、叱ったり、乳母を呼んで向うへつれてゆかせようとしたりした。代官は笑ってそれを押しとどめ、いかにも考えぶかそうに云った。
「それはむずかしい話だが、そうさな、つまりそれは木を彫って色を塗っただけではなく、阿弥陀さまの姿をしているからじゃないかな」
 なかは上眼使いに代官を見て、こくっとうなずき、よくわかったという顔つきをすると、黙って本尊仏を持ってその場から去った。どうしてあんなことをしたのかと、あとで父親に訊かれたとき、同じ人間なのにみんなが代官にぺこぺこする、どっちも人間に変りはないのに、どうしてだろうと思ったからだ、となかは答えたそうである。これは代官に向ってじかに答えたともいわれるが、作り話のようだし、その伝説のたねだというべつな話もある。しかも誰ひとり疑う者がなかったのは、なかにはそんな機知があってもふしぎはない、と思わせるようなところがあったからである。
 なかが十五になると、縁談がもちこまれた。そのとき初めて、ひとびとは姉のさわの存在に気がついた。気がついたのは両親でもきょうだいでもなく、足助あすけという飯炊めしたきの老僕であった。
「そんな間違った話はない」となかに縁談が始まったと聞いたとき、足助は云った、「――姉さまをさしおいて、妹の縁談を先にきめるなんということは順序が違う、庄屋さまともある人がそんなことをして、世間に済むわけがあるものではない」
 その評はまず出入りの者に広まり、半左衛門夫妻の耳にもはいった。みんな姉娘のいたことに気づき、そうだったなと、改めて見直した。これはさわのために逆効果となった。いままではつとめてどこかの隅とか、人の背中に隠れるようにしていたため、人々は彼女については無関心に慣れていたが、さて前面に押し出されたさわを見ると、縹緻のよくない顔の、陰気な、ひがんだような表情や、動作ののろさ、話しぶりのへたさ、気のきかなさなどがめだって、十六歳になった河見家の長女、という人柄とは思えないことがはっきりした。
「誰も知らないのだ、姉さまは本当は気だてのやさしい、賢い生れつきなのだ」と足助はいきり立った、「なかさまの本尊仏の話も、実際は姉さまの話がもとなんだ」
 或るとき足助が、自分の小屋でいたずらに仏像を彫っていた。しろうとの見よう見まねで、ついに出来あがりはしなかったが、彫っているときに、さわが来て、それはなんだと訊いた。わけを話すと不審そうに、そんな木などで仏さまが作れるのかと反問した。そこで足助は、菩提寺ぼだいじの御本尊も木で作り金色こんじきに塗ったものだ、ということ。また、人がそれを拝むのは仏さまに対する信心であって、彫った木や塗った金色を拝むのではない、ということを話した。
「おらの云ったことは間違っているかもしれない」と足助は云った、「けれどもこれが本尊仏とお代官の問答の出どころだ、本人のおらが知ってるだ」
 その話を信ずる者はなかった。足助はときどき大きなことを云う、彼が河見家へ飯炊きに雇われたのは、当時から二十年ほどまえの四十代だったが、そのとき「おらは江戸の八百善で板前を勤めた」と自慢したそうで、村では知らない者がないし、長いこと笑い話のたねになっていたから、彼の云うことに耳をかすような者はなかった。けれどもただ一人だけ、足助と共にさわの味方をする者がいた。それは下男の国吉であった。


 河見家には下男が五人いた。ほかにも番頭、手代、若い者など、庄屋と山方差配の事務や用達ようたしをする雇い人が十四五人いたが、下男も倉番、庭番、勝手番などと役割がきまってい、国吉はなんにでも使われる雑役であった。
 国吉は男ぶりもぱっとせず、負けぬ気ばかり強くてめはしがきかず、人にしたしまないので、誰にも好かれないばかりか、山猿といってばかにされていた。陰でそう云われるだけでなく、しばしば面と向って「おい蒔田の山猿」などと呼ばれ、口惜くやしさのあまり幾たびか相手にとびかかった。だが、国吉は躯も小さいし力も強いほうではなく、逆に叩きつけられ、こぶや鼻血を出すのがおちなので、独りでくやし泣きに泣く、というふうになっていった。――内容は違うが、これはさわの立場とどこかに共通したものがあり、早くからお互いのあいだに、哀れなというおもいが、ひそかにかよっていたようであった。さわが十五になった年、三番倉の脇にむしろを敷いて、せっせと茶筅ちゃせんを作っていた。すると誤って指にとげを刺し、それがとれないので困っていると、国吉が通りかかった。ごく細く割った竹の棘で、右手の中指の第二節のふくらみに刺さり、爪でつまんだり歯で噛んだりしたため、そのふくらみが赤くなっていた。
 毛抜きを持って来ましょう、と国吉が云った。いいえそんなことしないで、とさわが云った。ひとに知られたくないのだ、ひとに知れて笑われるのがいやなのだ、と国吉は思った。いいことがあるからためしてみましょう、触らないで待っていて下さい。国吉はそう云って走ってゆき、まもなく戻って来ると、なにかの草の葉をあぶったような、べっとりした物をさわの指の患部にり着けた。これで棘が抜けるかもしれません、村ではよくこうしていましたから、と国吉が云った。おまじないなの、とさわが訊いた。さあ、と国吉は口ごもり、いじらないでそっとしておくんですよ、と云ってたち去った。
 それが二人の口をきいた初めであり、愛情の芽生えともなった。もちろんすぐにではない、人の眼が多いし国吉には暇がなかった。河見家の長女と下男とでは、そばへ寄る機会も極めてまれにしかなかった。けれども、二人は遠くからいつも相手を見、お互いの噂を聞きのがすまいとしていた。――なかに縁談が始まり、足助じいさんが怒りだしてから、国吉の心はさわに対する同情とあわれみでいっぱいになった。彼は十八歳になっていたが、背丈はあまり伸びず、肩と足だけが不調和にたくましく、そして猫背になった。いつも重い物を背負いあるくためだろう、陽にやけた黒い顔はおろかしく、ただ、いつも敵意に燃えているような眼と、怒りを抑えているようにきっとひきむすんでいる唇とに、負けぬ気の激しさがうかがわれた。
 なかは幾つかの縁談に首を振り、江戸へ出てくらしたいとか、生涯ひとの嫁にはならないとか、売れ残りの姉がいるから世間が狭い、などとねていた。
 晩秋のれがた、薪小屋へ薪を運んでいた国吉は、庭の向うに人がいるのを見たように思い、なんということもなく眼をそばめた。そっちはこの屋敷の東南に当り、あの大きな榎が立っているうしろは、杉林とやぶのほかなにもなく、ふだんあまり人の近よらないところであった。――あんなところに、誰だろう。国吉は腰から手拭を取って、汗を拭きながらそっちへあるいていった。かなり濃くなった黄昏たそがれの、ぼんやりした光の中で、その人影はすうと榎の向うへ消えた。彼はいそがない足どりで、反対側から榎をまわっていった。するとそこにさわの姿が見えた。彼女は榎の幹にもたれ、両手で頬をおおって泣いていた。国吉はとまどい、暫くためらっていて、それから静かに呼びかけた。どうなさいました。どうかなさったんですか。さわすすり泣きがやみ、ゆっくりと振向いた。
「ありがとう」とさわは微笑した、「なんでもないのよ」
 国吉も頬笑み返しながら、それなら自分はたち去るべきだろうか、それともいたほうがいいだろうか、と考え迷った。
「このあいだはうれしかったわ」とさわは低い声で云った、「知らないうちに抜けてしまったの、あれはなんという薬なの」
 国吉はさわがなんのことを云っているのか、すぐには理解できなかった。そしてそれが棘を刺したときのことであり、そのあいだに二年も経っているのを知って、おどろきと、かなしいような気分に浸された。
「あれはしぶきという草の葉です」と彼は答えた、「あのときは火で焙ったのですが、火傷やけどにも効くし、干したのをせんじて持薬にする者もいます、――このあいだとおっしゃったので、なんのことかと思いました、あれからもう二年の余にもなりますからね」
「あたしが十五の年だったわね」さわは頭の中でその年月を思い返すようにみえた、「――ほんとうに」と声をひそめて云った、「あたしついこのあいだのことのように思っていたのに、本当にもう二年も経つのね」
 さわもその事実に、おどろいたようすを隠さなかった。彼女もその日までずっと、彼の姿をはなれたところから見まもり、どんなつまらない噂をも耳にとめていたのだ。こうして二人で口をきくのは二度めであり、初めてのときから今日までに、七百幾十日も過ぎ去っているということが、まるで嘘のように思えるのであった。そのようにさわのおどろいている気持が、国吉には触れてみることのできる物のように、はっきりとわかった。
「どうかしたのですか」と彼はまえより親身な気持になって訊いた、「なにか泣くほど辛いことでもあるんですか」
 さわは恥ずかしそうに、顔をそむけながら、そっとかぶりを振った。
「本当になんでもないの」と彼女はささやき声で云った、「ときどき泣きたくなるとここへ来るのよ、心配しないで」
 国吉はその夜よく眠れなかった。ここは山ぐにで、秋にはいると夜はかなり冷える。掛け夜具を二枚にしても隙間風がはいるため、夜具の中へちぢまって眠らなければならない。山は朝ごとに霜でこおり、まもなくそれが里へとくだって来るだろう。にもかかわらず、国吉は寒さを感じないだけでなく、頭の中も躯の芯も熱っぽく、掌や脇の下は汗で濡れるくらいだった。明くる朝、国吉は眠りが足りないのに、誰よりも早く起き、はれやかな、これまでになく活き活きした顔つきで、元気よく働きだした。庭を往き来するとき彼はひそかに榎のほうへ眼をはしらせた。手のあいているとき、弁当を使うときにも、その眼は榎のほうへ吸いよせられていた。


 そのころさわは茶筅作りに熱中していた。姉妹は十二三のころから茶の稽古を始め、妹のなかはすぐに飽きたが、さわはいまでも師匠についてい、茶筅や茶杓ちゃしゃくの作りかたも覚えた。どうしてそんなことをするのかと訊かれたら、――訊かれたことは一度もなかったが、自分のような者は嫁にもゆけないだろうから、と答えたであろう。厄介者で一生を送るとすれば、僅かでも自分の手でかせげる仕事を覚えておきたい。さわはそう考えていたのだ。
「生れて初めてだわ」茶筅を作りながらさわはそっとつぶやいた、「――泣くほど辛いことでもあるんですかって、あのひとはあたしのことを気にかけていてくれたのよ」
 さわの内部で新しい感情がめざめた。以前にも似たような経験はあったが、似ているというだけで、要素はまったく違っていた。いま彼女は、十七歳になった娘の感情にめざめたのだ。ことに、それまで人から愛されたことも、気にかけてもらったこともなく、そういうことを求める望みを持ったためしもない者なら、その新しく生れた感情がどんなに力づよく、純真に、拒みがたい作用をするかは云うまでもあるまい。その日の夕刻、もう手許てもとが暗くなりかけてから、さわはそっと庭へ出ていった。――それはちょうど、国吉が諦めて、榎のかたわらから去ろうとするところであった。もやのたちこめて来た黄昏の中で、二人はお互いの姿を認め、静かに双方から歩みよった。


 二人はいつも榎の陰で逢った。国吉がその日の仕事を終っている限り、人の眼を忍ぶ必要はなかった。国吉もさわも、周囲の者に殆んど関心を持たれてはいない。そこにいてもいなくても、誰の注意をひくこともなかったからだ。たしかにその筈であったが、一人だけ無関心でない者がいた。さわのために、妹なかの縁談を順序ちがいだと非難した老僕、足助がその当人であった。足助はよほどさわを大事に思っていたのだろう、国吉とさわが榎のところで、毎日のように逢っているのをみつけ、あるじ半左衛門に告げた。
 足助はさわの味方をする者が、自分と国吉の二人だけだということを知っていたし、同時にこの屋敷じゅうで国吉ひとりは好ましい若者だと信じていた。国吉のほうでも、足助老人だけは信頼できる、自分になにかあったら、老人だけは自分のちからになってくれるだろう、と思いこんでいた。――それゆえ、番頭の忠平に呼ばれて、不都合なことがあるからと解雇を云い渡されたとき、まず相談をしたのは足助老人であった。けれども、老人はぜんぜんとりあわなかった。主人のむすめと密会するとは許せないことだ。昔ならこれこれの刑罰を受けるだろうと、老人は云った。おれはおまえのことをまじめな人間だと思っていた。おまえはこの足助をだましていたのだ。おまえをもっとましな人間だと信じていたおれはばか者であった。そんなことを繰り返すだけで、国吉の云うことなど聞こうともしなかった。
 国吉は小さな風呂敷包を一つ持っただけで、河見の屋敷を出ていった。すっかり日が昏れて、外はもう暗かった。門から出て石段をおりると、樵長屋の灯が見えたとき、暗がりから五六人の男がとびだして来、国吉をつかまえてさんざんなめにあわせた。殴るだけではなく、投げとばしたり、踏んだりとばしたりした。
「山猿どころかぬすっとだ」と男の一人がどなった、「ぬすっとより悪い野郎だぞ」
「この辺へ近よるな」と云った者もあった、
「この辺で見かけたらぶち殺すぞ」
 地面にのびたまま、彼はさわに逢いたいと思った。死ぬまえに一度だけ、逢ってさわの声が聞きたいと思った。死ぬ、ということにはなんの根拠もなかった。こんなひどいにあわされて、もう生きてはいられない。漠然とそう思ったからだろうか、どんなことをしてでも、一度は逢わずにはおかないぞ、と彼は自分に誓った。――国吉は五日間、裏の叢林そうりんの中にひそんでいた。空腹は殆んど感じなかったし、耐えきれなくなれば山柿があった。その野生の小粒柿は渋を採るだけで、子供もあまり欲しがらないが、霜に当ると甘くなるので、飢えをしのぐには充分であった。隠れた場所は河見家の背後にある山で、そこから段登りにうしろへ高くなってい、杉やひのきや、さらに高くはかば※(「木+無」、第3水準1-86-12)ぶななどの密林が茂っていた。
 さわは三日間、その居間に禁足されたのち、許されるとすぐ、榎のところへいってみた。国吉が放逐されたことは聞いていたが、そのまま彼が去ってしまうとは思わなかった。この土地から出てゆくまえに、必ず一度は逢いに来るだろう、と固く信じていた。二人が逢うとすれば、大榎のところ以外ではない。さわは明けがたか黄昏の、人に気づかれない時刻を選んでそこへいった。国吉は五日めの夕方に気がついた。隠れている雑木林を少し下へおりて、松の木のところに立つと、河見家の庭の東南、榎のまわりを見おろすことができる。彼はそこからさわの姿を認めた。並んでいる土蔵のうしろをまわり、紫と鼠色を混ぜて流したような、黄昏の靄の中を忍び足で、さわは榎の陰へ近よるのであった。
 国吉は用心して、それからなお三日待ち、彼女が早朝と夕方の二度、榎のところへ来ること、監視する者のないことを慥かめた。それからおりていって、さわに逢った。話すことはあまりなかった。二人は初めて抱きあった。ひどく不手際な、おずおずした抱きかたであり、二人とも涙をこぼした。
「私はぬすっとより悪いやつだと云われました」国吉はさわをはなして云った、「私はそんな人間じゃありません、これから私はそんな人間じゃないことを証拠だててみせる、私は江戸へゆきます」
「あたしをいっしょにれていって」
「だめです、私たちはすぐに捉まってしまいます、いっしょにゆけたらいいのだが、街道は一つしかないし、河見家の声がかかれば半日と経たないまに道をふさがれます」
 そうなれば、あなたは伴れ戻されるし、自分は殺されるようなにあうかもしれない。それはこの榎の幹をこの手ででるよりも慥かなことだ。
「私は江戸へいって男になります」と彼は熱心に続けた、「河見家の表門から、いばってはいれるような人間になって、そして、あなたを迎えに来ます」
 さわは声をころして泣いた。
「私は機転のきかないぐずなやつだったかもしれない」と国吉はさらに云った、「そうだとしても一生そのままでいるとは限らない、人間は変ることがあるし、ぬすっとより悪いと云われた私は、もうこれまでの私ではありません、石にかじりついても出世してみせます、どうか私を信じて下さい」
 さわは「信じる」と云った。
「待っていてくれますか」
「ええ、五年でも十年でも」さわは自信なげに答えて云った、「たとえ一生涯でも、あたしは国さんを待っています」


 さわは国吉を待った。口で誓ったときは確信がなかったけれど、日の経つにつれて決心が固まっていった。両親もきょうだいも、周囲の人たちみんなが、またさわのことは無関心になった。かれらはもともとそうだったのだ。さわが仕合せか不仕合せか、としが幾つになるか、いまどこでなにをしているか、将来どうなるのか、なに一つ気にしたためしはない。誇張していえば、生きていても死んでも、かれらには縁のないことにちがいなかった。
「それならなぜそのままにしておいてくれなかったのだ」とさわは独りで呟いた、「あたしのことなど爪の先ほども気にしなかったくせに、国吉と逢ったらあんなひどい騒ぎかたをした、僅か三日とはいえ、あたしを押籠おしこめにしたし、国吉には暇を出した」
「かれらはなぜあんなことをしたのだろうか」とさわはまた独りで反問した、「あたしが河見家の長女であり、国吉が下男で、身分が違うからだとしよう、――そうだとして、みんなは一度でもあたしのことを大切に扱ってくれたろうか、ほんのちょっとでも、あたしのことで心配したり、気を使ってくれたことがあるだろうか」
 年が明けて三月になると、妹のなかが嫁にいった。それも田舎ではなく、江戸日本橋の絹物問屋で、越前屋茂兵衛もへえという老舗しにせの、長男の妻としてめとられたのであった。小出は昔から生糸や絹布の集散地で、江戸から買付けに来たり、こっちから荷を送ったり、定期的に江戸と連絡のある商人が幾人かいた。その中で近江おうみ屋多助というのが河見家と親しく、越前屋となかとの縁談も多助がまとめたものであった。この嫁入りはたいそう派手なことになり、支度から輿入こしいれまでに半年あまりかかった。そして、祝言を中にした三十余日、河見家の者は江戸に滞在していた。さわだけ葉川村に残ったのであるが。
 留守をしているあいだに、さわは二つの事実を知った。彼女と国吉のことを父に告げたのは、飯炊きの足助老人であること、国吉は放逐されるときに、門の外でひどく折檻せっかんされたこと、などである。もう過ぎ去ったことであるし、それがわかったからといってどうなるのでもないが、さわは自分の心に新しい傷が出来、そこから血がしたたり落ちるように思った。――この屋敷で多少なりとも味方になってくれるとしたら、それは足助ただ一人だろうと思っていた。その足助が告げ口をしたということは、いざとなれば頼りになる者もあるという、さわの心のよりどころを粉砕されたようなものである。
 ――人はたのみにならない。
 さわは改めてそう思った。両親やきょうだいまで頼りにならなかったうえ、足助にまでそむかれたことは、人間に対する絶望感を深くするとともに、国吉を想う気持をもっとひたむきな、激しいものにそだてていった。
 変化のない月日が経っていった。さわの関心は自然の風物にしかなかった。遠く近く見える山、魚野川の流れ、草木の花や果実、四季の移り変り、雨、雪、あらし。――さわはそれらをもっとも親しい友のように眺めた。雲に語りかけることもあり、花を見て泣くこともあった。一日に少なくとも一度は榎のところへゆき、いっときぼんやりと幹に凭れてすごしたり、そこに国吉がいるものと想像し、心の中で彼との対話をたのしんだりするのであった。――さわは国吉からたよりがあろうとは考えなかった。彼には読み書きができなかったし、江戸へいってから書けるようになったとしても、手紙はきっと家人にみつかるだろう。そうすれば自分がどんな扱いを受けるか、国吉にはわかっている筈だからだ。
「あたしがあの人のことを想っているように」とさわは茶筅を作りながら呟く、「国さんもあたしのことを想っていてくれるだろう、あたしたち二人には、手紙のやりとりをする必要などないのだ」
 多額な費用をかけ、あんなに大騒ぎをして嫁にゆきながら、まる一年とちょっとでなかは病死した。原因は異常妊娠だったらしい、二日二た晩の出血で、医師が治療法に迷っているうちに死んでしまった、ということであった。実家へ知らせるどころか、親類を呼ぶ暇もなかった。急飛脚の持って来た手紙で、およその事情を知ったとき、母親のわかは激しく泣きながらさわにらんだ。
「あんなによくできたいい子が死んで、おまえのような子が生きているなんて」と母は云った、「おまえが代りに死ねばよかった」
 母はとり乱しているのだ、さわはそう思い、怒るよりは哀れだと思った。けれども、自分の部屋へはいって独りになると、涙がこぼれた。母が本心からそう望んで云ったのでないことは、疑ってみるまでもない。世間の親たちは同じような場合、よくそんなふうなことを口にするものだ。だからその言葉で母を恨むような気持はなかったが、ふだんなにも気にかけてもらえないのに、たまたま引合いに出されたとなると「おまえが代りに死ねばよかった」と云われた。それではあまりに自分がみじめだった。これがもしつねづね愛情をかけられ、大事にされていたとしたら、母の言葉はむしろ親子の愛情のあらわれと思えたであろう。だがそうではなかったのだ。
「そんなにもあたしは要らない子なのだろうか」とさわは喉を詰らせながら独り言を云った、「これでも妹と同じ血を分けた子なのだろうか」
 涙が出るだけ出てしまうと、さわの気持も静まった。彼女は二十歳になり、独りでいることが多いため、いろいろな物語を読みあさった。実際に世間へ出たことはないけれども、多くの物語を読むことによって、世の中の仕組や、人の心のうらはら、恋や義理の辛さ、などというものを、いくらか理解するようになっていた。さわはいまでは、周囲から無視されていることが、自分の生れつきだけではなく、自分のほうから人を愛そうとしなかったことにもよるのではないか。焚木たきぎを燃やす努力をしないで、物が煮えないとじれるような、自分本位なところがありはしなかったか。そんなふうに、自分を自分の眼で見直してみる、というようになっていた。
 なかの死んだのが五月初旬。七月中旬に河見家で四十九日の法事をした。他家へ嫁した者だから、ごく内輪だけのもので、寺へはゆかず、菩提寺から僧たちに来てもらった。四五日まえから降り続いた雨がまだやまず、その日は風も吹きだしたので、招かれて来た住職と二人の僧は、勤めを終るとそうそうに帰り、親類の人たちもみな早くひきあげていった。客がすっかり帰ったので、さわもあと片づけを手伝おうとしていると、父に呼び止められ、いっしょに父の居間へいった。そのころは風も吹きつのるばかりだし、雨もすごいような降りかたで、屋敷ぜんたいが怒濤どとうまれてでもいるような感じだった。
「これに覚えがあるか」と云って半左衛門は、脇の机の上にある手紙のような物を、静かに手で押えた、「――いつからこんなことをしていたんだ」


 さわには父がなにを云っているのかわからなかった。屋敷の背後にのしかかっている山で、すべての樹木がごうと叫び声をあげ、家の棟がぎしっときしんだ。
「親に隠れて男とふみのやりとりをする」と半左衛門が刺すような調子で続けた、「しかも樵あがりの百姓のせがれなどと、――おまえは河見の家や親の顔に泥を塗るつもりか」
「なにを仰しゃるのかわかりません」とさわは答えた、「文のやりとりとはなんのことですか」
 半左衛門は机の上にある書状のような物を叩いた、「これは江戸の国吉から来た手紙だ、ごまかしてもだめだぞ」
 さわは片手で口を押えた。危なく叫び声が出そうになったのだ。半左衛門はそれを自分なりに解釈したのであろう、激しい言葉で叱りつけ、責めたてた。こういうとき、世間の親たちが云うであろうきまり文句で、不謹慎とか、みだらとか、無分別とか堕落などという言葉が繰り返され、いつごろからこんなことをしていたかと問い詰めた。
「文のやりとりなどしたことはありません」とさわは答えた、「これまで一度も受取ったことはありませんし、こちらから出したこともございません、あたしあの人がどこにいるかも知らないんですから」
 半左衛門は信じなかった。叱る言葉はさらに荒く、毒と悪意さえ感じられた。さわは眼をつむった。風と豪雨のどよめく中に、川の水音が聞えて来た。魚野川が怒っている、とさわは思った。降り続く雨で、魚野川は昨日あたりから増水していた。信濃しなの川のほうでは今朝、二三カ所で堤が切れた、という噂もあった。眼をつむったさわには、魚野川や、それに合流する枝川の、たけり狂う濁流が見えるように感じられた。
「返辞をしないか」と半左衛門は叫んだ、「こんなふしだらなことをして、悪かったとは思わないのか」
 さわは眼をつむったままで、極めてゆっくりと、かぶりを左右に振った。
 河見の家名や親の顔に泥を塗る、いいえ、あたしには家も親もありません、とさわは心の中で云った。小さいじぶんから、あたしは河見家の子のように扱われたことはなかった。親の愛情を知らないばかりか、心配されたり構われたりしたこともない。あたしは不縹緻な、気のきかない、おどおどしている子だった。お父さんも「貰われて来たようなおかしな子だ」と云った。あなたがたがあたしを見るとき、あたしを見るのではなく、あたしを素通りしてほかの物を見るにすぎない。本当にあたしは、この家へ紛れこんで来たよその子、というだけであった。さわは口に出してそう云っているように、膝の上のこぶしをふるわせ、歯をくいしばった。あたしのことを心配し、あたしに愛情を示してくれたのは、国吉ただ一人だった。あたしたちはなにも悪いことはしなかった。あたしも国吉も愛情が欲しかっただけだ、二人はそれをみつけ、初めてこの世に生れたことの幸福を感じた。お父さんやお母さん、妹や、いや数多い雇人たちの誰ひとりとして与えてくれなかったものを、国吉はあたしに与えてくれた。生れて初めて、あたしはこの世に生きるよろこびを知った。するとあなたは、あたしを部屋へ押籠めにし、国吉を放逐した。国吉は気を失うほど折檻され、生れた土地から放逐されたのだ。なんのために、なんのために、とさわは心の中で叫んだ。
「おまえのような者を河見家に置いておくわけにはいかない」と半左衛門は云っていた、「折竹村の家へ預けるからそう思うがいい」
 さわは眼をあいて父を見、右手を差出して云った。
「その手紙をいただきます」
 半左衛門は黙ってさわを睨んでいた。
「折竹村へでもどこへでもゆきます」さわは片手を前に出したまま云った、「――でもそれは、あたしに来た手紙ですから、あたしがいただきます」
「おまえ」と半左衛門が云った、「自分がなにを云っているのかわかっているか」
「その手紙をいただきます」
 半左衛門は机の上から手紙を取り、それをずたずたに引裂いた。さわは父にとびかかった。半左衛門はさわを突き放し、裂いた手紙をさらにこまかく千切ってから、それを手の中でまるめ、倒れているさわの上へ投げつけた。
「さあ持ってゆけ」と半左衛門が云った、「それを持って出てゆけ、おまえなどは見るのもいやだ」
 さわは静かに起き直り、裂いてまるめて投げだされた物は見もせず、自分の部屋へ去った。
 風も雨も弱まるようすはなかった。百余年まえに建てたという、この頑丈がんじょうな建物も、柱やはりがきしみ、雨戸は鳴り、あるとも思えなかった隙間から吹き込む風で、他の部屋の奥にあるさわの部屋でさえ、行燈あんどんの火がいまにも消えそうに揺れまたたいた。もっと荒れるがいい、とさわは思った。なにもかも吹きとばし、水で押し流れるがいい、この家もろとも人も物も吹き飛ばし押し流して、跡形もなくなってしまえ。さわは殆んど声に出すような気持でそう願った。
「あの人が手紙をくれた」とさわは呟いた、「あの人は字が書けるようになったのか、それとも誰かに頼んで書いてもらったのか、とにかくあたしに手紙をくれた、あたしが生れて初めてもらう手紙だった」
 どこかで切迫した人声が聞えた。あらしの物音に消されて、誰がなにを云っているのかわからないが、なにか異常な事が起こり、それを告げたり、問い返したりする叫び声のように聞えた。
「お父さんはそれを引裂き、ずたずたに千切ってしまった」とさわはまた呟いた、「あの人にとっても、生れて初めて人に出した手紙だろうに、そして、あたしになにかを告げたかったろうのに、お父さんはそれを、あたしの眼の前でやぶり、屑のように千切ってしまった、これだけはゆるせない、いくら親でもこれだけは決してゆるせないわ」
 さわは立ちあがった。折竹村の家へ預けるという、そこは叔母の嫁入り先で、葉川村から二里ちかくも、山の中へはいったところにある。預けられるとすれば、親に隠れて男と文のやりとりをした、みだらな娘だと伝えられるだろう。そんな恥はかきたくない、叔母の顔なども見たくない。あたしは出てゆく、この家からもこの土地からも出てゆく。さわ納戸なんど箪笥たんすをあけ、さし当り必要だと思われる着替えや帯を二三と、金になりそうな道具を集めて包にし、財布の中をしらべた。そして、濡れてもいいように身支度をし、包をしっかりと背中へくくりつけた。
 さわは納戸口から土間へおり、ゆわい付け草履をはいて、弟の雨合羽あまがっぱを頭からかぶった。家の中は走りまわる雇人たちでごった返し、どこかで父のどなる声も聞えた。誰もさわに気のつく者はいなかった。みつかって呼び止められたら、力ずくでも出てゆくつもりであった。――土間をぬけたさわは、裏の戸口から外へ出、庭の隅にある大榎のほうへいった。かぶっている雨合羽はひきがされ、大粒の雨がびしびしと、顔や手を痛いほど強く打った。さわ前跼まえかがみになって風にさからいながら、けんめいに榎のところまで辿たどり着いた。
「国さん」さわは榎の幹にすがり付いた、「あたし、あなたのところへゆくわ」
 そのとき山津波やまつなみが襲いかかった。


 それが山津波だとわかったのはあとのことで、そのときはなに事が起こったのか判断がつかなかった。
 大榎の幹にすがりついて、烈風のため吹きとばされそうになる躯を支えながら、国吉のところへゆくことだけを考えていた。家を出るときに頭からかぶった弟の雨合羽は、風にひき剥がされてもうなかったし、はいていた筈の草履も、結い付けたひもが切れたのか、片方ははだしになっていた。着ている物はもとより、頭から水浸しで、叩きつける雨は滝のように、顔や手足を打ち、肌を伝って流れるのが感じられた。
「あたし大丈夫よ、国さん」とさわは声に出して云った、「負けるもんですか、どんなことをしてでもあなたのところへいってよ」
 風のうなりと雨の音をしのいで、なにか非常に複雑な、幅のひろがりと巨大な量感のある物音が、裏の谷あいのほうで聞え、それがすさまじい速度で近よって来た。土の崩壊する音、石と石のぶつかりあう音、木の折れる音、その他さまざまの音が入混って、たとえようもなく大きな厚みと重みをもった絶壁となり、それらがいちじに崩れかかり、殺到して来るような感じであった。
 さわは榎にかじりついたまま、なにが起こったのかを見ようとした。けれどもなにも見えなかった。飛礫つぶてのように叩きつける雨、悲鳴をあげて吹き荒れる烈風のほかには、殆んど一尺先の物をみわけることもできないのだ。その闇の中を、巨大な、えたいの知れないものが近づいて来る。それはあらゆる障害物を踏みつぶし、押し流し、打ちこわしつつ、緩慢のようでありながら極めて迅速じんそくに、計り知れない力をもって襲いかかるようであった。
「いまのは土塀の崩れた音だわ」とさわはふるえながら呟いた、
「ああうまやが毀れた、いまのは馬のなき声だわ、なんだろう、どうなるのかしら」
 木の裂ける音がし、また、木と木とが割れて、なにかの崩れる音がした。そして、それらの騒音の中から、人の叫び声が聞えた。
さわ、どこだ、どこにいる」とその声はひきつるように叫んだ、
さわ――どこだ」
「おとうさんだわ」とさわは茫然と呟いた。
さわちゃん」と女の声で叫ぶのが聞えた、「どこにいるの、さわちゃん、かあさんはここよ、おとうさまもかあさんもここにいてよ、さわちゃん、――あたしたちここにいてよ」
 さわの喉からつんざくような声が出た。生れてこのかた初めて、父と母の声を聞くように思った。これまでは他人よりも縁のない人たち、親子の愛情などはかけらほどもなく、ただうとまれ、無視されるばかりだったと思っていたのに、いま聞く声は紛れもなく父の声であり母の声であった。しかもそれは単に「呼びかける声」ではなく、深い血のつながりからほとばしり出るもの、心から心へとじかに通ずるひびきを含むものであった。
「とうさん」とさわは絶叫した、「あたしここにいます、かあさん」
 さわは榎の幹からはなれて、父母の声のしたほうへ走りだした。けれども、父母に呼びかけながら走りだすとすぐ、闇の中からとびだして来た誰かに、抱きとめられた。さわはその腕からのがれようとしてもがいた。
「おさわさんだめだ」と抱きとめた男がどなった、「屋敷は潰された、逃げるんだ」
「放して」さわは狂気のように暴れた、「とうさんが呼んでるのよ、かあさんのところへゆくのよ、放して」
「だめだ、もうみんな助かりゃあしない」男はさわを抱きあげた、「逃げないとあんたも死んじまうぞ」
 男は暴れるさわを抱いたまま、家とは反対のほうへ走りだした。風雨の咆哮ほうこうをうち消すように、ぶきみな地鳴りが起こり、非常な圧力をもった黒い山のようなものが、二人のうしろへ轟々ごうごうと押し寄せた。それはいまにも二人に追いつき、ひっつかんで呑み込もうとするように感じられた。
 ――さわ、どこにいる、さわちゃん、こっちへおいで。
 恐怖のあまり半ば気を失ったさわの耳に、父と母の呼び声が現実のもののように聞えた。
「わたしはあんたが好きだ、死ぬほど好きだ、おさわさん」と男が云った、「わたしは助からないかもしれないが、あんたと二人で死ねれば本望だ、聞えますか」
 男のさわを抱いた腕に力がはいり、頬をすりよせた。男は走るのをやめ、大股おおまたにどこかへ登りながら、続けて云った。あんたが小ちゃいじぶんからずっと好きであった。あんたを自分のものにするためなら、どんなことでもするつもりだった。どんなことがあっても、あんたを他人には渡したくなかった。
「あんたはもうわたしのものだ」と男はあえぎながら云った、
「わたしはもう一生あんたを放しはしない、死んでも放しはしないぞ」
 さわは男の声を夢中のように聞いていた。すると、二人の下で地面がぐらぐらと揺れ、男が悲鳴をあげた。なにかが二人の上へ崩れかかり、さわは泥の中へ叩きつけられた、泥のようでもあり水のようでもあった。さわはなにか手に触ったので、それにつかまり、それに全身を預けてぬけだそうとした。彼女は自分が押し流されているのを感じたが、どっちへ流されているのか、なにが自分を押し流しているのか見当もつかなかった。これらのことはごく短い時間の出来事で、おそらく呼吸五つか六つのあいだであったろう。突然、さわの足をなにかが掴み、泥と水の中へ彼女を引き込んだ。
 ――さわちゃん、どこにいるの。
 母の呼び声が聞えたように思い、そのまま、さわはなにもかもわからなくなった。


「あなたも顔ぐらい見ている筈よ、名はおすげ、年はたしか二十三だったわ」とかしわ屋の女中のはつが云った、「中肉中背で、太ってもいないしせてもいないし、不縹緻というほどでもなく縹緻よしでもなく、およそいろ恋とは縁のないような、ごくありふれた人柄なのよ」
「あたしのことを云われているようね」と云ってさわは頬笑んだ。
「ばか仰しゃい」とはつはにらんだ、「あなたのきれいなことはこの宿しゅくの者ばかりじゃなく、旅の人たちのあいだでさえ評判じゃありませんか」
「あたしでも鏡は見るのよ」
越重えちじゅうの若旦那をふってるのはそのためじゃないでしょうね、まさか」とはつはちょっとひらき直るように云った、「そうだとしたらあなた罪よ、おさわさん」
「いまの続きを聞かせて」
「話をそらすのがうまいわね、いつもそうだわ」とはつは云った、「もう三年もつきあっているのに、あなたがどこの生れだか、どんな身の上でなんのためにこんなところで稼いでるのか、あなたはなに一つ云おうとしなかった、その話になるときまって、するっとうまく脇へそらしちまうのよ」
「話すようなことがないからよ」さわはやさしい眼をした、「おはつさんの知ってるあたしがこのあたしの全部、それだけのことだわ、――ねえ、いまのおすげさんという人のことを聞かせて下さいな」
「三年まえの秋ぐちに、大あらしのなかで山津波が起こったって話、知ってるわね」とはつは話を元へ戻した、「枝川の奥の部落が三つか四つと、葉川村が押し流されて、生き残った者は十人足らずだって、葉川村には河見といって、二百年ちかくも続いた旧家があったそうだけれど、その屋敷もきれいに流されたし、屋敷の人たちはじめ馬一頭も残らなかったって」
「ええ、その話はなんども聞いたわ」
 おすげという娘はそのとき、葉川村のよね屋という旅籠はたごで女中をしていた。故郷は越後の柿崎かきざきというところだったが、女中をしているうちに、客の一人と夫婦約束をした。江戸の木綿問屋の手代で、名は健次、としは二十四。小千谷おぢやへ買いつけにゆくときと帰りと、米屋へ四たび泊っておすげと知りあった。
「初め泊ったときは番頭さんといっしょで、番頭さんに顎で使われたそうよ」とはつは話した、「それが二度めのときはもう手代になって、小僧さんを伴れてたのね、すっかりおとなびていて、そして、こんど来たときに話したいことがあるって、おすげさんにそっと耳うちをしたんですって」
 四たびめに二人は夫婦約束をした。健次は二十五になると店を持つことができる、それまで待ってくれ。ええ待っています。きっとだな。きっとです。と誓いあった。おすげは二十歳、健次が二十四歳。そして夫婦約束をした晩、米屋は山津波でやられた。二人も押し流され、泥水の中ではなればなれになった。
「そのとき男が云ったんですって、生きていたらここで会おう、死んだと慥かにわかるまで、決してこころ変りはしないって」とはつは自分のことを話すような、感情のこもった口ぶりで云った、「――ええここで会いましょう、あたしも生きている限り待っていますって、おすげちゃんも云ったそうよ」
 さわは眼をつむった。その二人の呼び交す声が、はっきり自分に聞えるようであった。似たようなことがあるものだ、国吉と自分も同じような約束をした。いつかきっと迎えに来る、ええ待っています、五年でも十年でも待っています。そういう約束をしたのだ。
「あの山津波で葉川村はきれいになくなっちまったでしょ、残っているのはあの榎だけ」とはつは続けた、「いまではこの柳原やぎはらあい宿しゅくになったから、おすげちゃんもしようがない、ここの柏屋へ住み込んだわけなの」
「まだ会えないのね」
「生死もわからないのよ」とはつが云った、「でもあの人は生きている、いつか必ず会えるって、おすげちゃんは信心するように思い込んでるの、それはいじらしいくらいよ」
 あたしもそうなのだ、とさわは心の中で云った。あたしがこんな生活をしているのも、いつかあの人が来てくれる、きっと迎えに来てくれると信じているからだ、と自分を慥かめるように心の中で呟いた。
「それでね、こんな宿屋にいるより、あなたのところに置いてもらいたいというの」はつは続けていた、「陽のあるうちは、あなた大榎のところで茶店、じゃないわね、茶をたてて売ってるでしょ、往来する人はよく見えるし、捜してる人にも眼につくわ」
「だってあたし独りでもやっとのくらしよ、こうやって宿屋さんへ呼ばれるようにはなったけれど、それだって人を雇ったりするような稼ぎはありゃあしないわ」
 おはつは手を振った、「そうじゃないの、お金なんて一文もいらないの、陽のあるうちだけあなたのところにいて、あとはこれまでどおりこのうちで働くのよ、つまりさ、往来の人のあるうちだけ、あなたの側に置いてもらえばいいんですって」
 それが慥かならと、さわは承知した。はつはすぐにおすげを伴れて来てひきあわせ、その翌日から、おすげさわのところへかよって来るようになった。
 世間では榎の「茶店」と呼んでいるが、それは「店」とは云えないだろう。夏は大榎の樹陰、涼しくなると陽当りの草原へ移るが、地面の上へ古い毛氈もうせんを敷き、小屏風びょうぶをうしろにまわして、土風炉どふろ茶釜ちゃがまをかけて沸かし、野だての茶を客にすすめるのである。もちろん掛け茶屋よりも代価は少し高いが、旅客の中には珍しがって、神妙に「一服所望」などという者があり、いまでは宿へ呼ばれて茶の相手をすることなどもまれではなかった。――はじめたのは二年まえ、小出宿の絹物問屋、越前屋重兵衛の世話によるもので、うしろの丘にある住居も、やはり越重で建ててくれたものであった。さわはなにも云わないし、世間でも伝説のようにしか思われていないが、そこは彼女の生れ育った河見家の屋敷跡であり、大榎はかつてその庭に立っていたものだ。山津波はすべてを押し流し、いまではその榎しか残ってはいない。枝川を二里あまり奥へのぼった、折竹村も全滅し、叔母の嫁いだ一家もみんな死んでしまった。河見家でも死躯しくのあがったのは主人の半左衛門だけ、あとは信濃川まで流されたか、泥の下に埋まったままか不明であった。さわ自身も小出のしもまで流され、河原の泥に首まで埋まっていたのを、危うく掘り出されて助かった。いまでも、もと葉川村の付近からは、ときどき遺骨の出ることがあるけれど、誰のものとも区別はつかず、この柳原宿の源宗寺の無縁墓に入れられるのであった。
 おすげは毎日かよって来た。土風炉を炊くための、細い焚木を作ったり、水を汲んだり、客があると座を設けたり、あとの洗い物をしたり、結構してもらう用事もあったし、客のないときには話し相手にもなった。はつという女中の云ったとおり、おすげはごく眼立たない人柄だった。顔かたちや躯つきにも特徴はないし、話題も少なく、立ち居や動作もはきはきしなかった。ただ、健次という男の話になると、表情がにわかに活き活きとし、眼にも強い光があらわれて、その平凡な顔が美しくさえみえるようであった。
「ええそう思ってます、あの人は生きてるし、いまにきっと会えるに違いありません」とおすげは繰り返すのであった、「まだ三年しか経っていないんですもの、あの人にだって都合のつかないことがあるんでしょう、ええ、そのときが来ればきっとあなたにもわかってもらえますわ」
 おすげの頭はそのことでいっぱいらしい。その話が終ると、まるで貝が蓋を閉めでもするように、自分の中へとじこもってしまうのであった。しかし一度だけ、さわの身の上を知りたがったことがあった。どこの生れか、うちはどこか、家族はあるのか、なんのためにこんなことをしているのか。さわはこれまでみんなに云ったとおり、家族といっしょに旅をしていて、あの山津波にあい、自分ひとりだけ生き残ったこと。故郷は江戸の近くであるが、そこには親類も少ないし頼りにはならないこと。この土地には親やきょうだいの骨が埋まっているから、まだはなれる気持がないのだ、というふうに。
「でもいつかはくにへ帰るんでしょ」
「いつかはね」
「それで越重の若旦那をふってるの」
ふってるなんて」さわは苦笑した、「もともとむりな縁談なのよ、あたしにはあんな大きなおたなの切り盛りをするような才もなし、そんな柄でもないわ」
「わけはただそれだけ」
 さわは頷いて云った、「それだけと云ってあなた一生のことですもの、誰だって考えないわけにはいかないでしょ、人間はお金や家柄より大事なものがあると思うわ」
 おすげ溜息ためいきをつきながら、自分もそう思う、とぼんやりした口ぶりで云った。
 宿から呼ぶ客の中には、幾人か馴染なじみができていた。はじめのころは思い違いをして、そっと金を握らせたうえ自由にしようとする客もあった。いまでもときたまそんな経験をするが、宿屋のほうで気づき、初めての客にはその点をはっきり断わってくれるので、始末に困るようなことはなかった。茶の手前をたのしもうというのだから、若い客はめったになく、たいていが老人であり、それも裕福な身分の人が多かった。江戸日本橋の呉服商の隠居だという老人は、榎の下で野だての茶を珍しがり、宿へも呼んでくれたが、どうしてこの稼ぎを思いついたのかと訊いた。
「子供のじぶん聞いた話ですけれど」とさわは答えた、「お江戸の神田にお玉ヶ池というところがあるそうですね」
「池はないけれどね」
「ずっと昔そこで、お玉という人が茶をたてて往来の人にすすめ、それでくらしていた、ということを聞きましたの」
 江戸だからそれでもくらすことができた。こんな越後街道の田舎では、なかなか稼ぎにはならないだろう、とその隠居は云った。女ひとりのことであるし、読み書きなども教えるから、どうやら飢える心配もないようである、とさわは答えた。
「お玉ヶ池の話にはあとがあるんだよ」と隠居は云った、「知っているかね」
「いいえ存じません」
「お玉という娘はたいそう美人で、多くの男たちに云いよられたが、誰にも心を動かされなかった、すると」そこで急に、隠居は細い顎をつまんで、思い返したように首を振った、
「いや、この話は陰気だからよしたほうがいいだろう、おまえさんにもあと味が悪いだろうからな」
「半分うかがっただけではかえって気になりますわ」
「かもしれないな、話してしまおう」と隠居は苦笑した、「で、そのうちに二人の若者があらわれてお玉に恋をした、どっちもいい性質の若者で、お玉のほうでも好きになったが、二人のうちどちらを選ぶこともできない、若者たちの恋はいのちがけだし、お玉も悩むだけ悩んだが、どうしてもこの一人ときめることができず、ついに池に身を投げて死んでしまったそうだ」
 昔その付近には桜が多く、池も桜ヶ池と呼ばれていたのを、そのことがあって以来「お玉ヶ池」というようになったのだ、と老人は語った。


 同じような物語はほかにもある。真間まま手古奈てこなの話などはそっくりだ、とさわは思った。たぶん一つの美しく悲しい出来事が、いろいろな土地に移し伝えられたのであろう。旅の隠居から聞いたときはそう思っただけであるが、かなり月日が経ってからふと思いだすと、それが自分の身の上のようにも感じられた。越重の息子の安二郎と、江戸にいる筈の国吉。そして自分とかれらとのかかわりが、お玉の場合のように不吉ななりゆきになるのではないか、という考えがうかび、いそいで打ち消しても、思いだすと不安な気分になるのであった。
 大榎から二段ほどうしろの、丘の上にある住居からは、坐っていても魚野川が見えた。家は二た間に勝手だけで、井戸はないけれども、背後のがけき水があり、といで勝手へ引いてあるのが、いくら使っても余るほど豊かであった。近くには会津若松藩の、山方に属する樵長屋があるので、淋しくもなかったし、また、冬のあいだはその長屋の子供たちに読み書きを教えるので、くらしの足しにもなった。――越重の安二郎はもう二十六歳になる。山津波のとき救われたさわは、半年あまり越重の世話になった。越前屋は小出でも指折りの資産家で、さわのほかにも遭難者を十人あまり、自分の持ち家へ引取って世話をしたが、どういうわけかさわだけは格別な扱いで、親きょうだいの死躰したいもわからないと知ると、好きなだけこの家にいるがよい、と云ってくれた。事実、さわが起きられるようになったときは、山津波で死んだ者の始末もあらかた済んだあとで、河見家では主人の半左衛門の死躰だけが確認され、源宗寺へ葬られた、ということを聞いただけであった。
 安二郎が自分に心をよせ始めたと気づいたとき、さわはすぐに越前屋を出ることにきめた。自分を見る安二郎の、思いつめたような眼つきが、そのまま国吉を思いださせたのである。あたしには国さん一人しかない、国さんのほかに男を近よせてはならない。そう思ったからで、自分でおどろいたほど頑強にねばった。街道で野だての茶をすすめ、それでくらしを立てながら、親きょうだいの菩提ぼだいをとむらいたい。この不幸を忘れるまで結婚はしない、と云い張ってゆずらなかった。すると重兵衛が、それなら気の済むようにするがよかろう、できるだけの世話はすると云って、小さいながら家を建ててくれ、点茶の道具もそろえてくれたのであった。
 安二郎はいまでも、月に二度か三度は訪ねて来て、安否を問い、不足な物はないかと、気をくばってくれる。もうとしがとしなので、縁談もいろいろあるらしいが、さわのほかに妻を娶る気はない、と断わりとおしているそうであった。雪ぐに育ちにしては色が黒く、背丈は高いが痩せていて、顎の張ったいかつい顔つきだった。
 ――ふしぎなことだ、とさわは幾たびも思った。あの山津波が来てから、あたしは人間が変ったような気がする、あのまえには自分は、いるかいないかわからないような存在だった、両親やきょうだい、大勢いた雇人たちさえも、あたしには眼もくれず、みんなそっぽを向いているようだった。
 あの恐ろしいあらしの中で、父と母が初めて自分を呼んでくれた。単に名を呼んだだけではなく、のしかかって来る危険に直面して、心配のあまり狂気のようになっている声であった。妹のなかが死んだとき、おまえが代りに死ねばよかったと云われ、泣いて恨んだことがあった。しかし山津波に襲われた夜の、父と母とのあの呼び声だけで、自分がうとまれたり故意に冷たく扱われていたのでないことがわかったのだ。
 ――小出で助けられてから、自分の気持は慥かに変った、とさわはまた考えた。自分がよけい者であるとか、人に嫌われているなどという気持はなくなったし、自分のことをどう思っているかと、他人の顔色をうかがうようなこともなくなった。
 そしてそれ以来、ふしぎに人から好かれはじめたのである。越前屋の人たち、安二郎はべつにしても、重兵衛夫妻や店の人たちの親切は忘れられないし、この宿しゅくへ来てからも、柏屋、角庄かどしょうという二軒の旅館の人たち、樵長屋の住人たちから、ひいきにされ、慕われている。そのうえみんなはいま、自分のことを縹緻よしとさえ云っているのだ。
 国吉はあらわれない。山津波で葉川村はじめ大きな被害のあったことを、彼はまだ気づかないのであろうか。それとも、噂を聞いて来たことは来たが、河見家が全滅したと知り、諦めて江戸へ帰ったのだろうか。いいえそんなことはない、とさわは確信をもって首を振る。もしここへ来たとすれば、あの人はきっとあたしを捜したことだろう。たとえ死躰であっても、みつけ出さずに帰る筈はない。国さんなら必ずそうするに違いない、とさわは信じきっていた。その年は十月中旬に雪が来て、それがそのまま根雪になり、野だての茶はできなくなった。毎日かよって来ていたおすげも、春になるまで休むことにし、さわは家にこもって、子供たちに読み書きを教え、また裁縫の弟子を取ったりした。
 年があけてさわは二十四になった。二月の或る日、午後三時ころのことだったが、柏屋から「客がある」と知らせて来た。雪の道は凍っていてぬかるみはない、空もようを慥かめたさわは、被布ひふをはおって頭巾ずきんをかぶり、雪沓ゆきぐつをはいてでかけた。すると大榎のところに、旅装をした一人の男が、片手に持った笠を斜にあげながら、榎の梢のほうを見あげていた。さわは二十間あまりこっちからそれを認めると、どきんとして思わず立停った。もう四年越しにもなるのに、そこでそんなふうにしている男を見ると、きまってどきりとし、息が止りそうになる。幾たび、いや幾十たびあったことか数えきれないだろう。榎と国吉とはそれほどしっかりと、印象がむすびついているのだ。――近づいてゆくと、三十五六歳になる男で、むろん国吉とは似たところもなく、どうやら百姓のようにみえた。
 さわはがっくりしたような、また同時にほっとしたような気持で、静かにそこを通りすぎた。柏屋から呼ばれたのは、その年それが初めてであった。客は五十年配の侍で、一昨年の秋にもさわの手前をたのしんだと云い、さわにその記憶がなさそうだと知ると、そのときは浪人で、姿かたちが違っていたのだと笑った。こんど新発田しばた溝口みぞぐち家へ召出され、妻子もあとから来るという。浪人生活からぬけ出せたことがよほどうれしいのだろう、茶を味わうようすまでいかにもたのしそうに見えた。
 その客を済ませたあと、宿の内所ないしょで女中たちと話していると、角庄から呼びに来た。これも馴染で、去年の春にいちど呼んだことがあるそうであった。さわは呼びに来たおようという女中といっしょに、角庄へまわった。座敷へいってみると、その客には覚えがあった。去年の春かどうかは忘れたが、中年のひどく気むずかしい人といっしょで、としは三十くらいだろうか、伴れの気むずかしさに反して、温和おとなしく無口なようすが印象に残っていた。
「有難うございます」呼ばれた礼を述べてから、さわが訊いた、「こんどはお独りでございますか」
「そうか、去年は伴れがありましたっけね」客は微笑した、「あの男は病気で来られなかったんです」
 そして、自分は茶は不調法だから、悪いところは注意してくれ、と言葉少なに云った。茶の手前などどっちでもいいらしい、さわの顔をもういちど見たかった。できるなら話をしたい、というつもりで呼んだようであった。そんなそぶりがかなりはっきりうかがわれたが、さわも口べたなほうだし、相手はさらに無口で、――去年と同じように、なにか話しだしはするが途中でやめる、というふうだったから、どうにも話題がはずまなかった。半刻はんときばかりをつなぐのが双方とも精いっぱいだったろう、女中が火のはいった行燈を持って来たのをしおに、さわは立ってその座敷を去った。
 三月中旬に、茶の野だてを始めた。そのまえの日に、越前屋の安二郎が壺入つぼいり抹茶まっちゃと菓子を持って訪ねて来た。ひるちょっと過ぎだというのに、かなり酔って、部屋へあがるとすぐ水を一杯欲しいと云い、飲み終るといきなり、さわを抱きすくめた。愛情というよりも憎悪から出た動作のようで、激しく喘ぎながら乱暴に抱きすくめ、そこへ押し倒した。さわは少しもさからわず、眼をつむったまま、されるままになっていた。安二郎の手であらあらしく胸がひらかれ、伸ばした両足を左右にひろげて、裾がまくられ下衣したぎが捲られた。安二郎は死にかけているけもののように、はっはっと短く喘ぎ、裸になったさわの両足のあいだに割り込み、のしかかって、あらわな乳房へ顔をうずめた。それでもさわは眼をつむったまま、身じろぎもしなかった。すると安二郎は泣きだし、さわからはなれて起きあがると、右手を曲げ、腕で顔を掩って泣いた。崩れたような坐りかたで、左手は畳へ突いていた。さわは起きあがって、衿や裾を直しながら立ってゆき、手拭を水で絞って戻った。
「お顔を拭いて下さい」と手拭を彼に渡しながら云った、「あたしいまのことはなかったものと思います、どうぞあなたもお忘れになって下さい」
「あなたはそんなにこの私が嫌いなのか」安二郎は濡れ手拭で顔を押えたまま云った、「三年以上も経つのに、ずっと私を避けとおして、いつまでこんなことをしているんです、本当のことを云って下さい、ほかに約束した男でもあるのか」
「その返辞はまえに申上げました」
「私は家を出てもいいとさえ思ってるんですよ」安二郎は手拭を小さくたたみ、自分の膝を見ながら云った、「あなたは越前屋という大きな身代しんだいや、店の切り盛りをする力はない、身分が不釣合だと云われる、私はまたあなたのほかに妻を欲しいとは思わない、あなたが本当に越前屋へはいるのがいやなら、私は家を出て自分の店を持ってもいいんです」
 さわは答えるまえにちょっと考えた。
「それはいけません」さわはそっと首を振った、「おうちの方がたには親身も及ばぬお世話になっています、私のためにあなたがそんなになされば、あたしは越重のみなさんに恩をあだで返す人でなしになってしまいます」
「私の妻になるよりそのほうが恐ろしいのか」
「これにはわけがあるんです」さわはちょっと黙っていてから云った、「でもそれはいま申上げられません」
「約束した人がいるんですね」
「それも申上げられません、そのことさえなければあなたの仰しゃるように致しますけれど」さわは急に顔をそむけた、
「――ええ、いまはこれだけしか申上げられませんの」
 安二郎は沈黙し、溜息をついて、静かな眼でさわを見、乱暴したことは勘弁してもらいたい、本気ではなかったのだ、と云った。わかっています、どうぞ忘れて下さい、とさわは答えた。
 大榎のところは土地が少し高くなっており、陽当りもよいため、まわりには残雪があるのに、そこはすっかり土が乾いていた。さわが茶を始めるとすぐに、柏屋からおすげがかよって来るようになった。そして五月の或る日、そのことが起こった。


 五月にはいるともう陽が強くなるので、榎の影の動くたびに、そっちへ場所を変えなければならない。茶箪笥や土風炉を移すとき、おすげのいてくれることが、どんなに助かるかよくわかった。――その日の午後、二度めに場所を変えようとしていたとき、おすげが抱えあげた毛氈をとり落し、棒立ちになって街道のほうをみつめた。道には荷を積んだ百姓馬と、女を混えた七八人の旅人が、ばらばらになって歩いていた。みんな南から北へ向ってゆく人たちだったが、おすげはその中の一人を見まもってい、さわが「どうしたの」と呼びかけようとしたとき、喉から異様な叫び声をもらすと、殆んど宙を飛ぶといったような動作で、まっすぐにそっちへ走っていった。そしてさわははっきりと見たのだ、おすげの叫び声を聞いた旅人の一人が振返り、かぶっている笠の端をあげて、走って来るおすげを認めると、ぬいで持っていた塵除ちりよけ合羽を投げだし、これもなにか叫びながら、おすげのほうへ駆け戻った。さわの立っているところからおよそ二三十間はなれていたが、両方から走りよった二人がいっしょになり、手を取りあうとたん、おすげの泣きだす声が、さわにはよく聞きとれた。
「本当にあるのね」とさわは無意識に独り言を云った、「小説や云い伝えだけじゃなく、本当にあることなのね」
 あちらの二人は、往来する人たちにも気がつかないとみえ、肩を寄せあったまま、なにか話しながら歩きだし、宿しゅくのほうへと去っていった。さわは、「夢中なんだわ」と微笑して、街道へ出てゆき、あの男の放りだしていった合羽を拾いあげると、土埃つちぼこりをはたきながら、二人の去っていったほうをもう一度、祝福するような眼つきで眺めやった。もう暗くなりかけたころになって、おすげが一人で駆けつけて来た。
「やっぱりあの人だったのよ、あたし一と眼でわかったわ」おすげは茶道具を片づけながら、わくわくした口ぶりで云った、「うしろ姿をひょっと見たときすぐに、あの人だなって思ったの、そうしたら喉のところが塞がっちゃって声が出ないのね、いいえ、躯つきにもあるきぶりにも、眼につくほどの癖なんかないの、ほかの人と違うところなんかどこにもないんだけれど、それでもちょっと見ただけでわかったわ、あの人のほうでもそうですって、もう通りすぎるときにこっちを見たら、すぐにわかっただろうって云ってたわ」
「あしかけ四年も経つのに、よかったわね」
「十年経ってたって同じだと思うわ、あの人もそう云ってたけれど、こういうことって本当にふしぎなものだわねえ」それから急に顔を赤くして云った、「ごめんなさい、黙っていっちまったりして」
「いいのよそんなこと、あたりまえじゃないの」さわは笑って云った、「それよりここはもういいからお帰りなさいな」
「最後のお手伝いですもの、今日はあたし独りで片づけます、あなたはなにもなさらないでね」
 人のためになることならどんなことでもしたいという気分なのだろう、さわは云われるとおり黙って見ていた。健次というその男は、江戸で自分の店が持てたという、こんどは小千谷へ買い付けに来たのだが、おすげが生きていて、二人は必ず会えるものと信じていた。そうでない場合のことなど、疑ってみたことさえなかったそうである。本当なら小千谷へいって来るまで待っているところであるが、もういっときもはなれてはいられないから、明日いっしょに小千谷へゆき、そのまま江戸へ立つことにした。おすげは片づけ物をしながら、朝の雀がさえずるように、休みなしにこれらのことを語った。
 翌朝はやく、さわの家へ二人がおとずれた。健次という男はいかにも商人らしく、腰の低いあいそのいい若者で、おすげが世話になった礼を述べ、もし江戸へ出るようなことがあったら、本所のしかじかというところへ訪ねてくれ、とお世辞でない口ぶりで云った。小千谷から戻るときに、もういちど寄るといったが、二人はそれり顔をみせなかった。――また独りで茶をたてることになり、暫くのあいださわは淋しさを感じた。けれども、独りになった淋しさより、その出来事から与えられた勇気のほうが大きかった。心から愛しあい信じあっている者は、いつか必ず会うことができる。どんな状態の中でも、一と眼でお互いがわかるものだ。さわはその事実を自分の眼で見た。人の話や物語にあることが、現実にもちゃんと存在するのだ。あの二人の約束は、自分と国吉のそれより深刻なものではない、自分と国吉とは少年であり少女であるころから、同じ屋敷の中でくらし、まわりの人たちに疎まれるという、似たような孤独感によってしだいにひきつけられ、そうして将来を誓ったのである。石にかじりついても人並に出世してみせる、それまで待っていてくれますか。待っています、五年でも十年でも、一生涯でもあなたを待っています。あれは言葉だけではなく、お互いが心の底から誓いあったのだ。迷ってはいけない、あの人はきっと来てくれる、あたしはその日を待っていればいいのだ、とさわは改めて自分に云いきかせるのであった。
 さわは二十五になり二十六になった。冬のあいだの寺子屋のような仕事に加えて、小出の宿しゅくへ茶の指南にも招かれるようになり、住居には小女を置いて雑用を任せながら、季節には飽きずに茶の野だてを続けた。長いあいだのことだから、しぜん街道の評判になって、野だての席へは寄らなくとも、宿屋から呼んでくれる客も多くなり、参覲さんきんのため小出へ泊る大名にも幾たびか接待をした。もちろん大名の名は出さず、非公式に呼ばれるのだが、失礼のないようにと、側近の人に注意されると、心付こころづけの出しかたなどですぐにそれとわかった。こういうふうになると、周囲の噂は好奇心を生み、なんの根拠もない話がいろいろと広まったが、いちばんしんじつらしいのは、さわが越重の主人の囲い者である、という陰口であった。
 ――山津波のとき面倒をみてから、越前屋の重兵衛がずっとさわを囲っている、住居を建ててやったのも、茶の道具を揃えてやったのもそのためだし、毎月の仕送りも欠かさない、ところが息子の安二郎もさわに執心で、幾らいい縁談があっても見向きもせず、隙があったら自分のものにしようとうかがっている、だからいまに越重の店で一と騒動はじまるぞ。
 そういううがった内容のものであった。
 越重の耳にもはいらないわけはない。さわが心配していると、安二郎が訪ねて来た。こんどこそ嫁になってもらう、と彼はひらき直ったように云った。世間の噂を聞いたであろうが、その一半の責任はさわにもある、むろん自分のみれんな気持に大半の責任のあることは云うまでもないが、このようにひろく噂が広まっては、自分とさわとが結婚する以外に、父に対する世評の誤りを立証するすべはない、と云うのであった。もっともなことであった。
「仰しゃるとおりだと思います」さわは答えた、「あなたのお心にそむきながら、一方ではお世話になり続けてまいりました、いつかこういう噂が出るだろうと、考えなかったあたしが悪かったのです、もし責任があるとしたらこのさわ一人にあるので、大旦那やあなたにはお詫びの申上げようもございません」
「私はあやまってもらうために来たんじゃありません」
「わけを申上げます、聞いて下さいますか」
 安二郎は頷き、さわは話した。自分の生い立ち。山猿と呼ばれた国吉の人柄。二人がお互いにちかづいたきっかけや、榎の下で忍び逢ったこと、やがて雇人にみつかり、国吉が「ぬすっとより悪いやつだ」とののしられて放逐されたこと。二人でひそかに逢って、将来を誓いあったこと、また、山津波のあった日に国吉から手紙が来たけれども、父の手にはいって破棄され、自分は読まなかったことなど、詳しくうちあけた。安二郎は終りまで黙って聞いてから、非難するようにではなくさわを見た。
「それはあなたが十五のとしだったと云いましたね」
「約束をして別れたのは二年あとで、あたしは十七、あの人は十九になっていました」
「おとなの約束とは思えないな」と安二郎は云った、「恋というよりは、お互いのたよりない気持が寄りあったのでしょう、男と女とではなく、子供同志が指切りをしたようなものじゃないだろうか」
「あの人から手紙が来たのは、あたしが二十の年でしたわ」
「おどろいたな」安二郎は首を振った、「あなたが河見家の人だとは知らなかった、――いったいどうしてそれを隠していたんです」
「隠すつもりはなかったんです、ただなんとなく云いたくなかった」さわは自分の心の中をさぐるような表情をした、「誰か生きていてくれればいいけれど、もし自分ひとりしか助からなかったのだとしたら、河見の家に付いた財産やなにかを、自分で始末しなければならない、そう思うだけでもぞっとしたくらいでした」
「なるほど、それで越重の身代にも気が進まなかったんですね」安二郎は頷いて云った、「河見さんの遺産は代官所で始末をし、そのまま代官所で預かっていると聞きました、ふつうは遺族がなければ官に収められるのですが、河見家には功績があるので、異例な扱いになったのでしょう、こうなったら名のって出ることですね」
「いいえ」とさわはかぶりを振った、「いまさら名のって出る気などはございません、あたし遺産などは一文も欲しくはありません、どうかこの話はここだけのことにして下さいまし」
「しかし事情をはっきりさせなければ、世間の噂を止めることはできませんよ」
「あたしがいなくなってもでしょうか」
「いなくなるとは」
「どこかよそへいってしまえば、噂もしぜんに消えると思いますけれど」
「それはおかしい、あなたがよそへいって、国吉という人が来たらどうするんです」と安二郎が云った、「そのときのために、これまで榎の側をはなれなかったんでしょう、いまになってよそへゆくくらいなら、私と結婚するのも同じことじゃありませんか」
 よそへゆくにしても、この街道ははなれない。越後街道をはなれずにいれば、あの人が来たとき逢えるだろう。おすげさんが健次という人をみつけたように、どちらかでお互いをみつけるに違いない。
 そう思ったけれども、さわは口に出しては云わず、とにかく二三日考えさせてくれと答え、安二郎は「では二三日ですよ」と念を押して去った。

十一


 これまでどうしようもなかった気持が、二三日考えただけでどうにかなるとは思わなかった。安二郎のようすが圧倒的で、のっぴきさせないというふうな感じだったから、いっとき※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれに云ったまでであるが、するとその日の午後、もう陽が傾きかけたじぶんに、野だての席へ足助がやって来た。――彼はまっすぐに来て、四間ばかり向うで立停り、さぐるような眼つきで、じっとさわの顔を見まもった。九月にはいって、夕刻になると風はもう肌に寒かったが、彼は木綿縞の色のせた半纒はんてん股引ももひき、古い草履ばきで、少し背中がかがんでいた。刃物でそいだように頬がこけ、眉毛も白く、眼のおちくぼんだ顔はひどくふけていたが、それでもすぐに、足助だということがさわにはわかった。
「ちょっとものをたずねます」足助はこっちへ呼びかけた、「もしも違ったら勘弁してもらいますが」
「違います」とさわはゆっくりと左右に首を振った、「人違いです」
「やっぱりそうだ」足助は案外しっかりしたあるきぶりでこっちへ来た、「あなたはおさわさん、河見さまのおさわさんだ」
 足助は地面へ膝を突いた。おちくぼんだ眼が涙でいっぱいになり、それが痩せてしわだらけな頬を伝ってこぼれ落ちた。ごまかすことはできない、とさわは直感した。足助は手の甲で涙をぬぐいながら、よく生きていてくれたとさわに云い、自分の助かったもようを語った。さわを救おうとしてはなればなれになった彼は、やはり山津波に押し流され、小出のずっと下流で助けられた。われに返ったのは五六日もあとのことで、起きられるようになるとすぐ葉川村へいってみたという。それからのちのことはさわも知っている、彼は三条へいって建場たてば馬子まごになり、そこで知りあった人に拾われて、六日町の吉野屋吉兵衛という宿屋へ住み込んだ。初めは飯炊きだったが、算筆ができるのを認められ、いまでは帳場をやっている。もと葉川村の大榎のところで、野だての茶を接待している女がある、という評判はまえから聞いていたし、おと年の夏に小出へ用事があっていったときは、街道からさわの姿を見た。
「ちょうど客が三人いました」と足助は云った、「そのうえ木の陰で暗かったし、あなたとはわかりませんでした、なにしろあれからとしつきも経つことではあり、あなたが生きていらっしゃろうとは夢にも思いませんでしたからね」
 ごまかすことはできないと思ったが、さわはなにも云わなかった。熱心に語る足助の顔を、路傍の草でも眺めるような、無感動な眼つきで見まもったまま、黙って辛抱づよく聞いていた。
 やがて、足助は突然おどかされでもしたように、ぴたっと口をつぐみ、なにやら不審げに首をかしげた。
「どうして佐平さんは黙っていたんだろう」と老人は云い、地面に突いている膝を両手で掴んだ、「あなたに茶の手前をみせてもらったということは話したのに、それがおさわさんだということは云わなかった、どういうわけでしょう」
 佐平とは誰だろう、足助とどういう関係があるのか、さわには見当もつかなかったが、やはり無表情に黙っていた。
「あなたもお逢いになりましたね、佐平さんと」足助は疑わしげにさわの眼を覗いた、「二度だか三度だか、たしか角庄で茶をたてなすったということです。品のいいきれいな娘さんだとは云いましたが、おさわさまだったとはほのめかしもしませんでした、まさか、あなた方お二人とも、この足助を憎んでらっしゃるんじゃあないでしょうね」
「あなたは人違いをしています」とさわは冷たい口ぶりで云った、「あたしはさわという者ではありませんし、佐平という人も存じてはいません」
「そんな筈はない、そんな筈があるもんですか」足助はかたくなに首を振った、「佐平さんも初めは知らないふりをしていなすったが、国吉というむかしの名を云ったら隠しきれなくなりましたよ」
 国吉。さわは全身がすっと浮きあがるように思った。国吉、国吉が自分と逢った。角庄で。いつのことだろう、どの客だろう。耳の奥で血の騒ぐ音がし、胸に強い圧迫を感じた。
「お屋敷にいたころは山猿、山猿とこき使われたもんです」と足助は続けていた、「それがどうでしょう、いまでは江戸の絹糸商、立派に一軒の店を持って、名も佐平と改めた、一年おきに一度ずつ、小出へ買い付けに来るんだということですが、人柄もぐっとあがって、いまではぱりぱりの商人です、あなただってきっとびっくりなさったでしょう、そうじゃありませんかおさわさん」
「あたしはさわではありません」とさわは静かに云った、「人違いです、あたしにはあなたの云うことはまるでわかりません、どうかお帰りになって下さい」
 足助は納得しなかった。河見家のことや自分が下男の足助であること、雇人のたれそれ、門前にあった樵長屋。嫁にいって亡くなった妹娘のなか。末っ子で弟の丈二など、むかしのことをいろいろと語って、さわの記憶をけんめいに呼び戻そうとした。さわは相手にならず、ただ冷やかに「人違いだ」と云いとおした。足助が熱中すればするほど自信がつき、なにを云われても平然と受けながした。
「そんなことはないと思うが」やがて足助はちから尽きたように頭を垂れた、「主人の娘と下男、身分も違うしとしがいもないことだが、私はおさわさまが好きだった」と彼は独り言のように呟いた、「だから、おさわさまにちょっかいをだすようなそぶりをする者があれば、私はだれかれなしにやっつけてやった、そんなやつはあることないこと旦那に云いつけて、みんなお屋敷から追っぱらってやったものだ」
 さわは顔をひきしめた。足助の口ぶりには、執念といったような、暗い妖気ようきがこもっているように感じられたからである。
「山津波のときは」と足助は放心したように呟き続けた、「おさわさまを伴れて逃げるつもりだった、山奥へ伴れて逃げて、そこでいっしょにくらそうと思った、もうちっとのところでその望みがかなうところだった」
「あたしはもう片づけなければなりません」とさわは立ちあがった、「どうかもうお帰りになって下さい」
 足助はわれに返って、吃驚びっくりしたようにさわを見あげ、たいぎそうに立ちあがると、しびれたすねを、力のない手つきで揉んだり叩いたりした。
「あなたは本当におさわさんじゃないのですか」と彼はねばり強く訊いた、「本当に人違いですか」
「どうしてまたあなたは、このあたしをその人だと思ったのです、人の話でも聞いたんですか」
「いいえ」足助は首を振った、「この大榎でひょっと思いだしたのです、これは河見さまのお屋敷の中にあったものですからね、その下で茶の接待をしているとすれば、おさわさんに相違ないと思いこんじまったんです」
 このまえには、遠くから見ただけだったが、急にまたそのことが気になりだし、暇ができたので慥かめに来たのだ、と足助は気ぬけのしたような口ぶりで云った。さわはもう聞いてはいなかった。国吉と佐平とが同一の男であり、自分と二度か三度会ったという。それが事実かどうか、いつごろのことか知りたいと思った。そんなことがあろうとは信じられない、足助が誰かに騙されているか、とし老いて頭がどうかしてしまったのではないか。そう疑ってみるあとから、真実らしい、という感じが増してゆくようであった。
「もし事実だとしたら」とさわは自分に問いかけた、「それはどういうことだろう、あたしはどうしたらいいのだろう」
 まず事実かどうかを慥かめることだ、とさわは心をきめた。足助が去り、道具を片づけて家へ運び終ると、その足でさわは角庄へいった。そうして、ごひいき客のことで知りたいことがあるからと、主婦に頼んで宿帳をみせてもらった。ちょうど夕餉ゆうげどきで、客もかなりあるらしく、帳場も板場もごたごたしていたし、女中たちもいそがしく立ち働いていたが、角庄の主婦はこころよく、さわの求めるままに古い宿帳まで出してくれた。佐平の名はすぐにみつかった。繰ってゆくと、足助の云ったとおり一年おきで、初めのほうはどしとうまどしと続いてい、巳どしには松倉屋十吉という者といっしょであり、翌年には独りで泊っていた。
 ――あの人だ、あの口の重い、むっつりとした人だ、とさわは思った。
 まるで濃い霧が晴れてゆくかのように、そのときのことがありありと思いだされた。茶は不調法だからまちがったところは教えてくれ、と云い、じつは会って話がしたかったのだと、云った。こっちにも話題がないし、その客はもっと話しべたで、少しも座がはずまず、僅かな時間で別れてしまった。
 そうだ、あの初老のお侍が新発田の溝口家へ仕官したと、よろこんでいらしった日のことだ。
「あれがあの人だった」さわは礼を述べて角庄を出てから暗くなった道をどこへゆくともなくあるきながら、半ば茫然と独り言を云った、「――足助はむかしの名を知っていて、あの人と話しあったという、足助がそんな嘘を云うわけはない、あれは国吉だったのだ」
 あたしとあの人とは向き合って坐り、茶の手前をし、僅かながら話もした。お互いが手の届く近さで向き合い、じかに顔と顔を見合せた。しかも二度まで、――そんなに近く二度もお互いを見、話までしたのに、どちらも相手がわからなかった。あたしには国吉ではないかという疑いさえ起こらなかったし、国吉のほうでもそんなことは感じなかったようだ。
「六年、六年もよ」さわはくすっと喉で笑った、「なんのために六年も待ってたの、さわちゃん、あんたはいったいどこの誰を待ってたのよ」
 さわは忍び笑いをしたり、肩をすくめたりし、絶えず独り言を呟きながら、泊りをいそぐ客たちや、馬や駕籠かごの往来する道を、あてどもなくふらふらあるいていった。そして、やがて気がついてみると、いつもの榎のところに、ぼんやりたたずんでいた。昏れてしまった晩秋の宵闇の中に、榎はどっしりと黒く、重おもしく、しんと立っており、ときどき梢のほうから、散り残った枯葉が舞い落ちて来た。
「おすげちゃんと健次さんは、一と眼ですぐにお互いがわかったじゃないの」とさわは榎に向って云った、「たった二度か三度会っただけなのに、相手は旅姿で萱笠すげがさをかぶったまま、街道を歩いていたのに、それでもわかったじゃないの、あたしたちはどういうわけなの」
 さわの喉へ忍び笑いがこみあげてきた。さわは榎の幹に凭れかかり、肩をこまかくふるわせていたが、忍び笑いはすぐ啜り泣きに変り、それが長い嗚咽になった。
「あたしたちは本当に想いあってはいなかったのね」と暫くしてさわは、榎の幹を撫でながら云った、「あの人は待っていて下さいと云った、あたしは一生涯でも待つと云ったわ、嘘じゃなかった、あのときはしんそこそう思ったのよ、あたしは本当に一生涯でも待つ気でいたし、今日までその気持に変りはなかったのよ」
 落葉がさわの躯にふりかかった。
「おまえは初めから見ていたわ」さわは嗚咽のあいだから云った、「あの人とあたしが忍び逢うところも、別れるときに二人がゆくすえを誓いあうところも、そうしてたぶん、それがほんものではなく、やがてはこんなふうになることもわかっていたんでしょう、ねえ、おまえにはみんなわかっていたんでしょう」
「どうすればいいの」とさわは続けて榎に問いかけた、「こんなことになって、これからあたしはどうしたらいいの」
 越重へゆけ、という声が聞えた。意識の底からの囁きだったろう、さわには榎がそう云ったように感じられた。
「返してちょうだい」さわは片手を拳にして、榎の幹を打ちながら、低い声で叫んだ、
「六年の月日を返してちょうだい、六年という長い月日を、このあたしに返してちょうだい」
 その大榎は微動もせず、もう落葉のこぼれるようすもなかった。
 その年さわは、越前屋の安二郎と結婚し、三人の子を生んだ。





底本:「山本周五郎全集第二十九巻 おさん・あすなろう」新潮社
   1982(昭和57)年6月25日発行
初出:「オール読物」文藝春秋新社
   1961(昭和36)年9月〜10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「野だて」と「野だて」の混在は、底本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2022年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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