似而非物語

山本周五郎





 加賀のくにの白山谷はくさんだにを、鶴来つるぎ町のほうから手取てどり川に沿って登って来たひとりの旅装の老人が、牛窪うしくぼという村にかかる土橋のところで立停った。年は六十前後、背丈は五尺七寸くらいあった。せていて色が黒く、眉毛も髪も白い。眉毛が特に白くて、陽に向くときらきら光った。ねむたそうな眼つきや、高い鼻や、やわらかにむすんだかなり大きな唇などに冷やかな無関心と、人を嘲弄ちょうろうするようなものが感じられた。裾をはしょった黒い縞の着物や、腰に差した短い刀や、かかとまである浅黄色の長い股引ももひきや、草鞋わらじではなく草履をはいた素足など、いま家を出たばかりのようにきれいで、ほこりなどは少しも付いていなかった。いかにも小ざっぱりと、身ぎれいであった。
「ほう、あの岩はころげただな」
 老人はゆっくりとつぶやいた。
「かみへよ、うう、川かみへ十五六間くれえか」
 深く迫った谿谷けいこくは、あらあらしい川の音にやかましく反響していた。この手取川の上流は、いま雪解けの水でいっぱいだった。ころげている大小の岩の間を、薄く濁ったいっぱいの水が、しぶきをあげ渦を巻いて、激しい勢いで流れていた。その水はまだ溶けたばかりの雪の匂いがするようであった。
 老人は谿流の中にある大きな岩を見ていた。それは岸から跳べるほどの位置にあった。およそ十抱えばかりの、上の平らなずっしりした岩で、川かみのほうへと傾いていた。老人のねむそうな眼に、かすかな感動の色があらわれた。彼は肩に掛けている旅嚢りょのうを揺りあげ、持っている萱笠すげがさをふらりと、その岩のほうへ振った。すると、老人の顔を緑色の影がかすめた。深く迫っている谷の両岸は、新緑の樹々に包まれていた、谷ぜんたいをおおい隠すほど繁った、色とりどりの若い鮮やかな緑が、笠の動きにつれて老人の顔に映ったのであった。
「おぬしゃあ誰だね、茶源ちゃげんの旦那かね」
 うしろで声がした。
 老人はふり向いた。痩せた小さな男が立っていた。貧相なしなびたようなとしよりで、継ぎはぎだらけのあかじみた半纒はんてんに、繩の帯を巻き、干からびて骨ばかりのすねは、ぶざまに外側へ曲っていた。彼はなにもはいていないはだし爪尖つまさきで、道のしめった土をひっきながら、眼脂めやにだらけの眼でじろじろ相手を眺めまわした。
「おめえ弥市じゃねえか」
 こちらの老人が云った。
「まだおめえ生きていただか」
「生きてただよ、おらこのとおり、ちゃんと生きてるだよ」
 こう云って、としよりはひとはねはねてみせた。
「おらまだ勝山城下へ一日で往って来られるだ、おぬしゃなに屋の旦那だね」
 老人は黙っていた。それから歩きだした。弥市と呼ばれたとしよりは、不決断にそのあとからついていった。歩きながら老人がきいた。
「善太のところのお花は、達者かね」
「花っ子は死んだだよ、旦那は花っ子を知ってるだね」
 弥市はまたひょいとはねた。
「死んでっから七年くれえ経つか、孫の亀がじきに嫁を貰うだよ」
「おそで、後家の娘はえ、なんとかいったっけ、すが眼でまるっこいからだつきのよ、うう」
あやっ子のことかえ」
「そうよほんに、あやっていう名だっけ」
「あれも死んだだ、あれはよっぽどめえのこんだ、もう二十年も経つべえかね、忘れるくれえ昔のこんだ、旦那は娘っ子をいろいろ知ってるだね」
「すると」
 老人は構わずに云った。
「すると、その、黒門のお登女とめさまも、亡くなっただか」
「どのお登女さまのことをいうだ」
「どのといって、お登女さまは一人っきりじゃねえかえ」
「お登女さまは今でもござるだよ、けれどもいまのお登女さまのおふくろさまも名めえは同じだし、そのめえのおふくろさまもお登女さまといっただ、黒門じゃ代々お登女さまっていうだよ」
「そうだっけ、ほんに」
 老人はうなずいた。
「ほんに代々お登女さまっていったっけよ」
 道は村へはいった。牛窪村は谷がややひらけて、手取川が大きく彎曲わんきょくした島のような地形の上にあった。村の三方を川の流れがまわっていた。戸数五十戸ばかりの、古ぼけた板屋根の家々が、道から段登りになって、斜面をけずり石垣で組みあげた狭っくるしい地面に、固くしがみつくように建っていた。
「旦那は杉谷へゆかっしゃるだね」
 弥市がさぐるようにきいた。
「杉谷の大先生のとけえよ、もしかそうなら黒門へ寄んなさるがいいだ、大先生は四五日めえから黒門へお客にござって、まだ二三日は黒門にござらっしゃるだよ」
「大先生って、なんの先生だえ」
「おうれこれは」
 弥市はまたはねた。
「おうれまたこれは、大先生ってばちょうゐ斎先生でねえか、剣術の大名人で神さまといわれるくれえの人だに、旦那はへえ知らねえつうだかえ」
「おらが知るかさ」
 老人は云った。
「ふん、つまらねえ」
「つまらなかねえだ、ちょうゐ斎先生は剣術の神さまみてえに偉えだよ、あんまり偉えだで、世間がうるさくってなんねえ、人が放っておかねえだで、あんまりうるさくってなんねえから、この山ん中へ逃げて来さしっただよ」
 弥市はむきになって云った。
「つまり遁世とんせいとかいうだ、あのてええの言葉ではよ、それでもやって来るだ、剣術の隠し技を教えてくれろってよ、どこか遠くのほうから、武者修業みてえなてええが、あとからあとから、どうかぜひ教えてくれろってよ、嘘じゃねえだよ」
 老人はふと足を停めた。弥市の話などは聞いていなかった、道のすぐ左に石段があり、その上に石地蔵が立っている、老人はちょっと考えて、それからゆっくりと石段を登っていった。
「どけえゆくだね」
 弥市が云った。
「そこにゃあなんにもねえだよ、ゆき止りでぬけ道はねえだによ」
「家へゆくだよ」
 老人が云った。
「おら自分の家へ帰るだよ」
「家へ帰るだって」
 弥市は眼脂のまった眼をしばしばさせた。彼は頭をかしげて、登ってゆく老人を見あげ、はだしの爪尖で地面を掻いた。それからふいにはねあがり、おうれ、おうれと叫んで、石段を駈け登った。
「待ってくろ」
 弥市は叫んだ。
「ぬしゃあ杢助もくすけじゃあねえか、ぬしゃくる眼の杢助じゃねえかよ」
 老人はこっちへふり返った。
「そうよ、おらくる眼の杢助よ」
「へえたまげた、なんちゅうこんだ、ほんにおぬしは杢助だに」
「そうよ、おらこのとおり杢助よ」
「するとおぬしゃ、帰って来ただな」
「おら帰って来たのよ」
 老人は萱笠を持った手をゆらりと振った。
「帰って来たくなったでよ、それでまあ、……帰って来たのよ」
 弥市は下唇をだらっと垂らし、それを手でこすった。それからひどく慌てて、なにやら叫びながら、あたふたと石段を駈けおりていった。


 杢助は牛窪村で生れた。百助という農夫の一人息子で、母親の名はことといった。彼は生れつきのずぬけた怠け者であった。ごく幼いじぶんから、食うのと寝るほかはなんにもしなかった。
 牛窪村は深い谷の底にあるので、田畑を作るには村の外へ出なければならなかった。峡谷をはさんでそそり立つ山岳の、高いところでは千尺以上も登ってゆき、傾斜のゆるい地面を求めてまず小屋を建て、「薙畑なぎはた」という原始的なやり方で耕作をする。かれらは春さき雪のあるうちに村を出て、耕作するあいだはずっとその小屋で暮し、秋になって、雪のくるまえに、収穫を持って村へ帰るのであった。ときには十里も二十里も遠くでかけるが、これは牛窪の「出作でづくり」といって古くからかなりひろく知られていた。こういうわけで、村人はみな勤勉であった。勤勉でなければ生きてゆけなかった、それにもかかわらず杢助は怠け者であった。
 彼が七歳のときのことであるが、父親の百助は習慣にしたがって、初めて彼を「出作り」につれてでかけた。その場所はかなり遠かった、途中で二た晩泊るほどの距離にあったが、五日めの午後になると、杢助はひとりで家へ帰って来た。留守をしていた母親は歯の根のゆるむほど驚いた。彼女ははたからとびおりて、泥とあかにまみれたわが子を抱き緊め、おろおろしながら、どうして帰って来たのか、もしやはぐれでもしたのかと問いただした。すると子供は大きな欠伸あくびをして、ぐったりとそこへ横になった。それからさもうるさげに、こう答えた。
 ――だって、つまらねえもの。
 杢助はなにものにも興味をもたなかった。物をねだるということがないし、友達と遊びさえしなかった。飯を食べるとすぐ寝ころんでしまうか、家の前の石垣の上にある石地蔵のところで、草の上へ足を投げだしたまま、下の道を往来する人や馬を、ぼんやりと飽きずに眺めているかした。そして、ときにこんなふうな独り言を云った。
 ――なにが面白くってあんなに毎日往ったり来たりするだかよ、おんなじように往ったり来たりよ、つまらねえ。
 谷川へおりてゆくこともあった。川の中の大岩の上へあがって、腹這はらばいになって、流れる水や魚の泳ぐのを眺めている。ぼんやりといつまでも眺めている、いつまでも動かない。見ようによっては、なにか仔細しさいがありそうに思える。
 いつか弥市がそれを見た。弥市はこの村へまぎれ込んで来た孤児で、黒門の家の納屋を与えられ、村の家々の走り使いをしている少年だった。
 ――ぬしゃそこでなにしてるだね。
 弥市は好奇心に駆られ、流れの側へ寄って来てそうきいた。杢助は身動きもしなかった。弥市はもういちどきいた。すると杢助はこっちを見もせずに答えた。
 ――見てるだよ。
 弥市はうさん臭そうに、もっと近くへいって川の中をのぞいてみた。水が流れていたし、水の中では藻草もぐさが揺れていた。藻草のないところには流れに研がれたまるい石ころが見えた。ときどき小さな魚がすばしこく走ったが、そのほかにこれと思わしい物はなにもなかった。そこでまた弥市がきいた。
 ――いってえなに見てるだえ。
 杢助はじっとしていた。あごを支えた片方の手の、拇指おやゆびだけが、思いだしたように拍子をとって動いた。それからややしばらくして、もう忘れたじぶんになってこう答えた。
 ――見えるものをよ。
 父親の百助は彼の性分をめ直そうとした。ずいぶん手を尽したが、結局うまくいかなかった。なぜかというと、少しきびしく叱るとか折檻せっかんなどすると、杢助はたちまち「くる眼」の発作を起こすのである。くる眼は「狂い眼」の意味らしい、すなわち両眼の瞳孔どうこうのある部分が、おのおの勝手な方向へ動きだし、それが長く続くと、ついには、眼球が裏返しになるというのである。眸子ひとみというものは、だいたいとして同時に同一方向へ動くはずである。それが片方ずつ勝手に動きだし、双方のめだまが裏返しになる(当時はまだ解剖学が未発達だった)とすると、これは相当なものだなどという程度のことではないであろう。一例を挙げると、杢助が七八歳の頃の出来事だというが、一匹の恐ろしい食いつき犬が村へやって来た。勝山城下のほうから峠を越して来たらしい、仔牛こうしほどもある大きな赤毛の犬で、尻尾しっぽがくるっと巻き上っていた。すごいような眼で左右をにらみながら、いつも悠々とやって来て、ちょっとでも気にいらない者があると食いついた。この犬がいるあいだは、村人たちはおちおち眠ることもできなかった。すると或る日、杢助が道のまん中でその犬と出会った。その犬の鼻づらはちょうど杢助の喉首のどくびへんに当っていたそうであるが、いきなり顔と顔をつき合せたので、杢助は驚きと恐怖のあまりたちどころにくる眼を起こした。片方の黒眼はあっちへ動き、片方のそれはこっちへ動いた。それだけではない、双方の黒眼がくるくると勝手なほうへ活動し始めた。これには食いつき犬も仰天したらしい、ううとうなり、背筋の毛を逆立てながら、そのぶきみさにおそれをなして、じりじりと後へしさりだした。たくましく巻き上った尻尾もいつかまたの間へ挾まっていたが、杢助の眼球がうしろまえになったとたん、きゃんきゃんと悲鳴をあげて、まっしぐらに西南へ向って逃げだした。勝山城下へ通ずる谷峠の方へ向って、弾丸のようにすばやく逃げ去ってゆき、二度とこの村へは姿をみせなかったそうである。くる眼とはこういうものであった。強く叱るとか折檻するとか、なにかしら激しい感動を与えると、たちまちその発作が起こる。しぜん父親もそうきびしくはできなかったし、杢助は怠け者のまま育っていった。
 彼は十八歳のときに村を出奔した。村では娘たちが彼を追い出したのだと云った。
 杢助は十四五から背丈が伸び、男ぶりもよくなった。もちろん美男というほどではないが、うっとりとねむそうにしている眼や、高い鼻や、いつも誰かをさげすんでいるようなくちつきなどに、娘たちの心をそそる特殊な魅力があったらしい。彼女たちは絶えず彼にながしめをくれ、つきまとい、思わせぶりや厭味いやみなどで彼をうるさがらせた。それだけならよかったが、やがて黒門のお登女さまの問題が起こった。
 黒門というのは村一番の旧家で、村の土地はもちろん、付近に多くの山林を持っていた、また相当な金持でもあった。屋敷は村の西側のもっとも高い処にあり、五棟の土蔵はべつとして、ぜんたいの建物は鎌倉時代の建築といわれる壮大なものであった。黒木の門には小庇こびさしの付いた窓があり、昔はここで訴願などを受付けたという。また門の脇には高札場こうさつばがあって、現在でも領主加賀様の制札せいさつが掲げられる。土地の者は、(その門のため)単に黒門と呼んでいるが、正式には「庄屋」の役を勤めているのである。お登女さまというのはその当主であった。ふしぎなことには、黒門ではもう七代も女主人が続いていた。代々お登女さまという名であって、彼女たちは代々ひとつの夢を受け伝えて来た。
 ――緋縅ひおどし大鎧おおよろいて、竜頭りゅうず金鍬形きんくわがたの付いたかぶとをかぶって、連銭葦毛れんせんあしげの馬に乗った美しい若武者が迎えに来る、光り耀かがやくような若い大将が、それがお登女の花婿である。
 彼女たちは代々そういい伝え、それを信じて来た。そのほかの人間はひっくるめて薪ざっぽか藁屑わらくずにすぎない、決してほかの縁談には耳をかさず、いつまでも待っていた。そうして、三十五六から四十くらいになると、必ず娘を一人産んで、その娘に向って繰り返し若武者の夢を云い含めるのであった。ところで、必ず娘を一人だけ産むという点であるが、彼女たちはもちろん結婚をしないし、評判になるような恋人も持たない。伝承の若武者以外にそんな者を持てば、代々のお登女さまの霊がたたるというのである。ではどうして娘が産れるか、神聖受胎のたぐいであるかというに、そうでない事実がわかった。杢助がその当事者になって、初めてわかったのである。それは彼が十八の年のことであるが、父の百助が黒門へ呼ばれてゆき、帰って来て話すところによると、彼に黒門へあがって、お登女さまの御用をつとめて来い、というのであった。
 ――夜なかにゆくだ。と父親は声をひそめて云った。誰にも知れねえように、夜なかにいって夜の明けねえうちに帰って来るだ、死んでも人に知られちゃなんねえだ。
 ――御用だって、どんな仕事するだえ。
 ――黒門へあがればわかるだよ。
 と父親は云った。どんな怠け者にも勤まる御用だに。
 杢助はほぼ諒解りょうかいした。村の娘たちの中にはそれとなくほのめかす者もいるし、もっと大胆に、積極的に誘惑する者もあった。およそ見当はついていたので、彼はふきげんにそっぽを向いて云った。
 ――つまらねえ、おらまっぴらだ。
 彼には「お登女さま」の産れるわけがわかった。代々そのようにして、極秘のうちにお登女さまは産れるのであった。そして、黒門を尊崇しおそれている村人たちは、その「役」に当った者はもちろん、うすうす感づいた者も、決してこの秘密にはふれないのであった。
 百助はわが子をくどいた。その役はさして骨の折れるものではなかったし、黒門の権威にはそむけなかった。杢助は承知しなかった。父のたちばには同情したけれども、彼は面倒くさいことは嫌いであった。どんな意味ででも、自分の意志に反して躯を使うようなことは、御免こうむるのであった。
 こうして、杢助はふいと村から出奔し、まる四十年のあいだ行衛ゆくえが知れなかった。


「あしかけ四十一年になるだ、あれはおらが二十の年でよ」
 弥市が云った。
「おら去年の夏に本卦返ほんけげえりをしただからよ、四十年てえばおめえ、……その、どこでなにょうしてただね、ずいぶん世間をひろく見て来ただろうし、金もしっかりこしれえたろうしよ、おめえ、……まだくる眼が起こるだかえ」
 杢助は横になっていた。半ば傾いた家の縁側にむしろを敷いて、その上に木枕を置いて、さも気楽そうに横になっていた。そしてきせるでうまそうに煙草をふかしていた。それは弥市にとっては驚異であった。「煙草」というものがあることは知っていたし、それがどこか天竺てんじくのほうから渡来したという話も聞いていた。けれども現実に見るのは初めてであった。杢助は帰って来て五日になるが、いつもきせるを持って、悠々と、うまそうに煙草をふかしていた。それはいかにも高尚で、貴族的で、近より難く、あたりを払うようにみえた。
「そうよ、起こったっけよ」
 杢助は放心したような声で云った。
「大坂方のなんとかいう大将が首をぶたれたときによ」
「大坂方の大将がどうしただって」
「京の河原で首をぶたれただよ」
 杢助はきせるをはたいた。
「しゃっと、いやな音がして、それから首のぶっ飛んだあとから、まっ赤なあれが一丈も噴きあがっただ、びゅうっとよ、一丈の余もあったっけか、ほんとによ、そのときおらくる眼を起こしただあ」
「するとおめえはいくさにんになっただかえ」
「おらがいくさにんになったかって」
 杢助は鼻を鳴らした。
「ふん、つまらねえ」
 弥市は首を振った。杢助が戦争などに出るわけはなかった、世間はせち辛いというが、どんなに世間がせち辛くとも、杢助はやはり怠け放題に怠けて、ごろごろ寝ころがったり、ぼんやりとなにかを眺めていたりしたにちがいない。世の中にはいつもそのくらいの余地はあるものだし、杢助のような人間はそれをみつけることができるに相違なかった。
「なあよ杢助、いってくろよ」
 弥市は思いだしたように用件を云った。
「お登女さまがあんなに云ってるだに、黒門へゆけば安楽に暮せるだによ、どうかおめえ、いってくろよ杢助」
「あの大先生て人はなんて名めえだって」
「お登女さまは生涯不自由させねえっておっしゃってるだ、おめえはあの隠居所におさまって、好きな物を食って、暑さ寒さの心配もなくやってゆけるだよ、こんなにひっかしがった穴だらけのぼろ家にいるのとは、お星さまと土竜もぐらよりえれえちげえだに、なあよ、おめえいってくろよ杢助」
「あの剣術の先生はなんていう名だって」
「お登女さまは大先生にゃ飽きちまっただ、向うから来ればお客にゃするだが、もうすっかり飽きちまってるだ、それに、初めっからそれほど気にいってござったじゃねえだよ」
 弥市は舌なめずりをした。
「また大先生にしたってよそから修業者が来るだで、そうそう黒門にばかりはいられねえのさ」
「その人はなんて名めえだってきいてるだ」
「名めえだって、名めえはちょうゐ斎っちゅうだ、飯篠いいしのちょうゐ斎ってよ、天下にその名を知らねえ者はねえっちゅうこんだに」
「ふん、つまらねえ」
 杢助は云った。
「そんな偉え人間が、なんでこんな山奥なんぞへ来ているだ」
「遁世して来さしっただって、云ったじゃねえかえ、世間があんまり先生さまだ、名人さまだって騒ぐし、お大名方はてんでに召抱えようとって血まなこになるし、御自分はもう年をとって、そんな俗なことにゃ飽き飽きしちまっただし、それでおめえ、この山ん中へ逃げてござったっちゅうこんだ」
「その人が自分でそう云っただかえ」
「しぜんにわかっただよ」
 弥市が云った。
「どっかから武者修業がやって来て、これこれの大先生がござる筈だってよ、わからずにゃいねえだ、修業者はあとからあとから来るだし、米味噌は村からはこぶだしよ、そのうち黒門へ客にござるようになったで、すっかり詳しいことがわかっただに」
 杢助はふんといって、きせるを放りだし、大きな欠伸をしてあおのけになった。
「おめえらは好い人間だ」
 と杢助は云った。
「おめえらにゃ縁もゆかりもねえ、そんな剣術つかいの先生にでも、ど偉え名人だって聞けば只で米味噌をはこぶだ、それこそ、十里二十里さきまで出作りをして、血と汗の固まりみてえな米味噌をよ、……やっぱりおら帰って来てよかっただ、此処ここはいい土地だし、おめえらはそんなに好い人間だでなあ」
「黒門へいけばもっと安楽だに、黒門へいけばよ」
「つまらねえ」
 杢助は云った。
「黒門で喰べる米味噌はおめえらが作ったもんだ、黒門でおめえらからとりあげた物を、おらがまた貰って食うなんて芸のねえこった、おらじかにおめえらから貰って食うだよ、おめえらはずぬけた好い人間だし、おら面倒なこた嫌えだでよ」
「おうれまた」
 弥市はふいに縁側から腰をあげた。
「またあの娘っ子どもがやって来ただ、五人もつるんでよ、五人も、なんちゅうこんだ」
 石地蔵の脇からこっちへ来る五人の娘たちが見えた。十六くらいから二十歳くらいまでで、肥えたのも痩せたのもいた。縹緻きりょうもそれぞれ違うが、やまが育ちの健康な明るさと、若い血に満ちあふれたようすは共通していた。
「おめえらなにしに来るだ」
 弥市ははだしの足でひとはねはねた。
「ここの杢助はもう白髪の爺さまだっつうに、おめえら毎日なんの用があって来るだ」
「おんだらは来る用があるだよ」
 娘たちはこう云いながら近づいて来た。五人とも包みや手籠てかごを持って、弥市などはてんでめたようすだった。
「おめえこそ用はなかんべえによ」
 娘たちは弥市を嘲弄した。
「おめえはただむだ話しをするか、はねてみせるほかに能はねえだ、そのうす汚ねえ恰好でよ、杢助さまの邪魔をするほかに能はねえだに、おんだらは掃除もするし洗濯もするし、煮炊きのお世話もするだ、誰かがしねえばなんねえだでしに来るだわさ」
「このあまっ子ども、ばあさまらとおんなしだ」
 弥市はこぶしをつき出して叫んだ。
「おめえらのばあさまも、こんなふうに杢助につきまとって、しんから杢助をうんざりさせただ、杢助はこんな爺さまになって帰って来ただに、おめえらはまたうるさくつきまとって杢助をうんざりさせる気だつうのか」
「そんなこと心配しねえで、おめえは三つ沢の湯小屋の番でもするがいいだ」
 娘たちはずけずけと云った。
「杢助さまがうんざりするかしねえかは杢助さまが知ってござるわさ」
「おうよ、杢助さまが知ってござるだよ」
 弥市は拳をふり廻し、はだしの足ではねながら喚きたてた。娘たちは声をあげて笑った。その小さな、がに股の、しなびたような弥市が、はねあがりはねあがり喚くさまは、老いぼれ猿が怒ってでもいるようで、娘たちには忍耐のしようのないほど可笑おかしいらしかった。
「三つ沢に湯小屋が出来ただって」
 杢助は寝返ってきせるを取った。
「それじゃあ、まだ、あそこにはき湯が出ているだな」
 彼はまただるそうに煙草を詰めた。彼には眼の前の騒ぎが見えもせず、聞えもしないようであった。娘たちは土間の方へゆきながら、つやのある声でこっちへ呼びかけた。
「杢助さまよ、岩魚いわなを持って来ただよ」
「おら米を五升持って来ただわさ」
「おんだらが今朝早く曲り瀬で捕っただ、七寸もある肥えた岩魚だに、みんなで五尾あるだによ」
「おらが自分でいた米だでな、ほんによ、おらが自分で搗いただから」
 洗濯物だという娘もあり、山菜を採って来た娘もあった。彼女たちは互いに、自分の貢物みつぎもので杢助の注意をひこうとしながら、互いに押したり叩いたりした。華やいだ声できいきい叫びながら土間の中へ入っていった。


「湯小屋へいくか」
 杢助は呟いた。
「小屋が出来たとすれば、どんな小屋かも知れねえが、うう、いってみるか」
 こう呟いたとき、ふいと、死んだ親たちのことが頭にうかんだ。父も母もずっとまえに死んでいた、母親は杢助が出奔してから一年ばかり経って死んだそうである。黒門に申し訳がないという気持で、ほんのかりそめの病気をこじらしたのであった。父親は妻のあとをめとらなかった。ちょっとぼけたようになって、男やもめのまま十五六年も暮してから、死んだ。
「ひとついってみるか、三つ沢へよ」
 父がぼけたようになったのは母に死なれたからであるし、母が死んだのは黒門のことを気に病んだためであった。そして、今もまた黒門では彼に来いという、いまのお登女さまは四十年まえのお登女さまではなかった。まえのお登女さまは杢助が出奔したあと、四五年していまのお登女さまを産んだ。もちろん父親は(代々がそうであったように)不明であるが、そのお登女さまも今ではおふくろさまと同じ年頃になっていた。
「そうだ、湯小屋へいくべえ」
 杢助はまた呟いた。
「久しく涌き湯へもへえらなかったでよ、ほんに、明日にでもいくとすべえ」
 杢助はうっとりと眼をつむった。
 背戸せどの方で娘たちのにぎやかな声が聞え、たそがれて来たこの縁先まで、釜戸かまどの煙がながれて来た。
 明くる日、杢助は三つ沢へでかけていった。そこは白山へ登る道から脇へそれた狭い谷間で、がけの下の細い谿流の近くに、岩の間から温泉の涌くところがあった。牛窪から二里ほど離れていたし、村人たちはあまり利用しないので、これまではなんの設備もない野天風呂だった。今でも野天風呂には変りはないが、すぐ脇に小屋が建ち、そこには滞在するに必要な道具が、ひととおり備えられていた。食物だけ持って来れば、好きなだけ湯治をすることができるようになっていた。
 五人の娘たちが、米味噌や漬物や、乾した川魚などを背負って、たいそう陽気に送って来てくれた。彼女たちも三つ沢でひと晩だけ泊ってゆく筈だった。けれども湯小屋には、見馴れない老人の先客がひとりいた。
「見なよまあ、杉谷の大先生だに」
 彼女たちはこうささやきあい、持って来た物を小屋の中へ片づけると、湯も浴びずに帰っていった。
「あの人にゃ気をつけなくちゃなんねえだよ」
 お初という娘が杢助に囁いた。
「ああみえても神さまみてえにど偉え剣術の先生だでよ、失礼のねえようによく気をつけてくろよ」
 杢助はそっちを見ようともしなかった。
 そのとき先客の老人は湯に浸っていた。娘たちが去ると、杢助もすぐ湯に入ったが、老人の方には眼も向けず、むろん挨拶もしなかった。老人の方が少し脇へ身をずらせた。杢助は平然として、まるでそこにいるのは自分ひとりであるかのように、顎のところまで湯に浸り、手拭でくびのまわりを擦りながら、おもむろにあたりを眺めやって、独り言を云った。
「あの沢はくん(崩れ)だだな、きっと木をりすぎたにちげえねえ」
 狭い谷間だから展望はきかなかった。白山谷も見えない、手取川の瀬の音も、眼の前にある谿流の音が高いので聞えなかった。谿流に沿って道があり、それはこの上の杉谷を経て、白山の登山道へつながるのであった。向うは傾斜の急な山腹で、杉林がずっと上のほうまで繁っているが、ひとところ大きく崩れて、赭土あかつちきだしになっている処があった。
「その方は牛窪の者か」
 先客の老人が云った。呼びかけずにはいられなかったらしい。杢助は「そうだよ」と答えたまま、やはり谷の向うを眺めていた。老人は黒くて濃い眉をしていた。髪毛かみのけはもう灰色であるが、眉は黒く、とびぬけて濃かった。肉の緊った骨の太い、ごつごつした躯つきで、武芸で鍛えた躯だということはひと眼でわかった。もちろん肥えてはいない、杢助と大差のないくらい痩せていてたくましくみえた。鼻も口も大きく、頬骨が出ていて、膚は渋紙色であった。どこかの意地の曲った親方が年をとりすぎて脱俗しかかっている、といったふうな顔つきにみえた。
「わしには見覚えのない顔であるが」
 と老人がまた云った。
「そのほうは他国でもしていて、帰ってまいったのか」
「そうよ、おら帰って来ただ」
 杢助は答えた。
「帰ってから五六日になるだよ」
「すると、五六日まえだとすると、その方くる眼の杢助という者ではないか」
 老人は話しがしたそうであった。
「わしは黒門で聞いた、わしはときどき黒門へ客にまいるが、このたびまいって帰る前日に、その方の話しを聞いた、くる眼という稀有けうな癖のあることも、……その方がその杢助であろう」
 杢助は両手で手拭をひろげて顔を洗った。湯が揺れて岩風呂の岩へぶっつかってはねた。そのしぶきが、岩から垂れている歯朶しだの葉に当って、その葉をゆらゆらさせた。
「そうだよ」
 杢助は手拭の中で答えた。
「おめえさんの聞いたことに、嘘はねえだ、おらくる眼の杢助だあよ」
 けれども老人の方へは向かなかった。老人は待った。汗が出はじめたので湯からあがり、岩のふちへ腰をかけて、横眼づかいにそっと見ながら、待った。杢助はなにか云う筈であった。話しの糸ぐちはこっちでつけたのだから、こんどは杢助がその糸ぐちをほぐす番であった。が、杢助は黙っていた、やおら後頭部を岩のふちにもたせかけ、うっとりと空を見あげて、さも心地よさそうに溜息ためいきをついた。老人はせきをして、脇腹のあたりをいた。老人はしだいに待ちきれなくなった。それでもなお暫くは待っていたが、やがてがまんを切らして云った。
「わしはその、飯篠長威斎という者であるが」
「聞いただよ」
 杢助は欠伸をした。
「弥市から聞いただし、いまの娘たちもそう云ってただ、弥市は詳しく話してただよ」
 そして彼は、絞った手拭を頭にのせ、うっとりと眼をつむった。飯篠老人はなにか云いかけたが、云うのをやめて立ち、躯を拭いて、小屋の方へとたち去った。
 飯篠老人は話し好きのようであった。杢助が黙っているので、面目上かなりまで自制していた。くる眼などという妙な癖のある土百姓の爺いに天下の長威斎から話しかけるという法はないのであった。けれども彼は話し好きだったし、相手は眼の前にいた。寝起きも同じ小屋であり、岩風呂は一つしかなかった。いつも相手は鼻の先にいるので、三日めにはついに我を折ってしまった。
 ――岩に話すと思えばいい。
 飯篠老人はそう考えた。話しかけてみれば、杢助もまんざら黙ってばかりはいなかった。ぶあいそうではあるが、ときには返辞もするし、質問することさえもあった。たとえそれがまのぬけた、拍子もないようなものであったにしても、たしかに岩よりはましであった。
「此処はいい、じつにいい」
 飯篠老人は必ずそこから話のきっかけをつけた。
「山紫水明、幽邃ゆうすい閑寂、などという通俗なことではない、そこはちょっと適当な形容を思いつかぬが、ともあれ静かで、人情純朴ないいところだ」


「残念なのは修業者の来ることだ、わしは世捨て人じゃ、俗世の名利みょうりをきれいに捨てて来たのじゃ、山中に身を隠して、誰にも知られず余生を楽しみたい、できれば神仙に化したいと思っておる」
「おら知ってるだよ」
 杢助が云った。
「ほかにも似たようなことを云う人に会ったことがあるだよ」
「似たような者、ほう、それは殊勝なことであるな」
「その人はおらに酒を飲ましてくれただ、伏見の城下町のことだっけが」
 杢助はだらけた調子で云った。
「その人も云ってただ、おら世の中に飽きはてた、人間どもの俗悪さにあいそが尽きた、おら名も要らねえし金も要らねえ、出世もしたかあねえ、こうやって名もねえ人間になって、無一物で、誰にも知れねえようにちまたを放浪して、そうしてどこかでおっぬが望みだってよ」
「それは殊勝なことを聞くものだ」
「その人はそう云ってただよ」
 杢助は無関心に云った。
「そう云ってただが、宿の表には自分の名を書いた大きな看板を出して置いただ、天下の豪傑荒川熊蔵の宿所ってよ」
「ほう、荒川熊蔵とな」
「それから酔っぱらうといつも喚きたてるだ、うぬらこの虫けらども、天下の豪傑を知らねえっつうか、荒川熊蔵を知らねえだか、この人間の屑の下司野郎めら、おら荒川熊蔵だぞう、ってよ」
 こう云って欠伸をした。
「それでその人のことを知らねえ者はなかったし、みんなおそろしがって震えてただよ、ほんにみんな震えていたっけだよ」
 飯篠老人は不愉快そうな顔をした。
「そんな人間とわしを同じに思ってもらっては困る、わしはそんな人間ではない」
 老人は云った。
「痩せたりといえども飯篠長威斎、山城守直家やましろのかみなおいえはそんな人間ではない、わしは慥かに名利を捨てて来たし、現にこのとおり山中に隠棲いんせいし、その方などと閑談を楽しんでおる、誰が見ても無慾恬淡むよくてんたんな老農夫ではないか」
「それはおまえさんがそう思うだけだよ」
「一個無名の村夫子そんふうしではないか」
「おまえさんは名無しでもねえし、百姓爺いでもねえ、おまえさんが飯篠ちょうゐ斎さまだってこたあ村じゅうの者が知ってるし、よそから武者修業も来るそうでねえかえ」
「そこのところは、そこはわかってくれると思うが、わしとしてもじつに迷惑しておる、剣の道は神聖であって、遠路をいとわず教えを乞いに来たとなれば、道の精神からして拒むわけにはゆかない」
「そうだとも、そら教えてやるがいいだよ」
「いやそうじゃない、待ってくれ、わしは遁世とんせいしておる、わしは静閑でありたい」
 老人はむきになって云った。
「いかに神聖な道のためとはいえ、もはや疲れもし、飽きてもきた、幸いこのところ一人もおらぬが、季節がよくなってまいったで、そろそろまた修業者が来るであろう、しかしもう御免じゃ、今年こそもう断じて教授はしない」
「できればいいだがねえ」
「断じてじゃ」
 飯篠老人は云った。
「そしてしんじつ隠者になって、心しずかに神仙の道をまなぼうと思う」
「それができればなあよ」
 杢助は大きな欠伸をして湯から出た。
 さらに三日ばかり経った或る日、うす曇った午後のことであるが、二老人が小屋の中にいると、一人の若い旅装の侍が、戸口へ来て道をたずねた。杉谷へはどう登るか、というのであった。杢助は横になって煙草をふかしていた。飯篠老人は坐って紙縒こよりよっていた。杢助は若侍を見て、それから飯篠老人の方を上わ眼に見た。飯篠老人はなにも聞えないし、見えもしないという顔つきで、力をこめて紙縒をより続けた。
「杉谷へまいりたいのだが」
 若侍はもういちど云った。
「杉谷の長威斎先生の御草庵へまいりたいのだが、この道を登ってまいってよいであろうか」
「大先生のとけえゆくだって」
 杢助はまた上わ眼で飯篠老人を見た。それからゆっくりきせるをはたき、横になったままで若侍に答えた。
「おいでにならぬ」
「…………」
「いらっしゃらねえだ、おとついまではござっただがねえ」
 杢助は莨入たばこいれを取った。
「あんまり武者修業が来てうるせい、これじゃ遁世が遁世にならねえってよ、えらくぷりぷりしてござったっけが、おとついの朝がた、どっかへ突っ走っちめえなすっただよ」
「それは事実であろうな」
「おらが証人だあ」
 杢助は煙草をつめた。
「おら杉谷の庭掃きをしていたでよ、それももう用がなくなったで、こうして此処へおりて来ただよ」
 若侍は落胆のあまりうめき声をあげた。そのとき飯篠老人の手が動かなくなり、なにか云いたそうに口をもぐもぐさせた。言葉が前歯のところまで出て、そこで歯にひっかかったようであった。
「ではまだ遠くもゆかれまい、これからすぐにお跡を慕ってまいろう」
 若侍は自分に向って云った。
「道の奥をきわめるためにはいかなる辛苦もいとわぬ、否、いとってはならぬ、たとえ大地のさいはてであろうとも、必ず追いついて御伝授を受けなければならぬ、そうだ」
 若侍はふるい立って、大先生がどちらへゆかれたかと訊ねた。杢助は知らないと答えた。大先生もこんどは、ゆき先を感づかれるようなへまはしないだろう、と答えた。若侍は気にかけなかった、彼は鉄石心てっせきしんをふるい起こしたようであった。彼は寸時もこうしてはいられないといったように、ずしんずしんと、力いっぱい地面を踏みつけながら去っていった。
「わしは」
 やがて飯篠老人が云った。
「わしは、道の良心がとがめる、わしはこの道の神の罰が怖ろしい」
「呼び返すかね」
「あの男はどこまでもわしを捜し歩くだろう」
「呼べば聞えるだよ」
「草に寝、石を枕にし、山々谷々、悪獣毒蛇をものともせず、ただ剣の道の秘奥ひおうをさぐるために、わしを求めて遍歴するだろう」
「呼び返すがいいだよ」
 杢助はふうと煙草の輪を吹いた。
「罰なんぞどうでも、自分のにんきの高いのを自分で見ているのは悪い気持じゃねえし、それについて蔭口をきく者もありゃしねえだ、ただおまえさん独りでいろいろ感ぐってるだけだに」
「――こうするか」
 飯篠老はふと杢助の方を見た。杢助の言葉は甚しく彼の自尊心を傷つけた。だが飯篠老人は聞かないふりをした。少なくともそれを黙殺し、そうして云った。
「その方に頼みがある」
「――へえ、おらにかえ」
「その方わしの身代りになってくれ」
「おうれ、また」
「こういうわけだ」
 飯篠老人は坐り直した。
「いま見たように、修業者はどこまでもわしを追って来る、どんな処へ隠れても、かれらはきっと捜し当てるだろう、そこでだ、いまその方が杉谷の庭掃きをしていたというのを聞いて思いついたのであるが、そのほうが長威斎に成って杉谷におれば、わしはもう修業者につけまわされることはない、安心して好きなところへゆけるし、煙霞えんかの中で静かに行い澄ますこともできる」
「そらだめだよ」
 杢助はきせるをはたいた。
「それあ悪い思案じゃねえが、だめだよ」
「どこがどうだめだというのか」
「どこもなにも、おまえさんは大先生だ、神さまみてえに強い剣術つけえだに、おら薪ざっぽ一つふりまわすこともできねえ、そらおまえさんむちゃなこんだよ」
「いや、そのことなら心配は無用」
 飯篠老人がさえぎった。老人は自分の発案に昂奮こうふんしていた。それは、自分が本心から名利を捨てようとしていることを、杢助に証明し、あわせて、修業者たちがその欺瞞ぎまんを看破(どうして看破しないことがあろう)して、なおどれだけ自分を求め、自分を慕って来るかという、衆望の熱度を知ることができるのであった。
「そのことなら断じて」
 と老人は云った。
「わしを訪ねて来るほどの者は、みな一流に達した人間である、木剣を持って打合うとか、手を取って教えるなどということは決してない」


 杢助は信じかねるように、きせるを投げ、紙を取って、口の中に煙脂やにが溜まったらしい、べろっと舌を出して拭いて、それから唾を吐いた。飯篠老人は断言した。その断言によると、杢助はなにもしないでいいのであった。修業者たちは掃除をし水をみ、煮炊きをしてくれる。こちらが横になれば、夏なら蚊を追ってくれる者があるし、寒ければすぐ寝衾よぎを掛けてくれる。肩を叩く者もあるし足腰をんでくれる者もある。それを黙って、されるままになっていればいい。横の物を縦にする必要もない、というのであった。
「だとすれば」
 杢助が云った。
「うう、そのなんとかという、その伝授とかいうことは、いってえどうなるだね」
「それは修業者自身の問題である、道の秘奥というものはたとえようのないものであって、能力のある者は教えずとも会得するし、その能力のない者は終生やってもだめなものだ」
「だとすれば、どうしてまたわざわざおまえさんのとけえやって来るだね」
 杢助が不審を打った。
「つまりいわしの頭も信心というやつかね」
「たわけたことを云ってはいけない」
 飯篠老人は哀れむように杢助を見た。
「ひと口に申すと、長威斎のもとで会得したとなれば、それでもう達人として天下に通用するし、仕官をするばあいにも食禄しょくろくの高がちがう、などということはそのほうの知ったことではない、そのほうはわしの代りに草庵へいって、勝手気儘きままに楽寝をしておればよいのだ、わしはしんじつ遁世をしたいのだし、そのほうにとってもあつらえたような役ではないか」
「おらが怠け者だつうことかえ」
「わしはまず村の者に云おう」
 飯篠老人は話しを進めた。
「まことの長威斎は杢助その人である、わしは門人であって、先生の草庵をいとなむため、先に杉谷へ来ていたのである、なにを隠そう杢助こそ山城守直家……なにを笑うか、村の山猿どもを云いくるめるくらいの弁舌がこのわしにないとでも思うのか」
「おら笑やしねえだ、笑いたくもねえだよ」
 杢助はきせるを取った。
「それに、おまえさんがそこまでお膳立ぜんだてをしてくれるつうなら、ためしにやってみてもいいと思うだ、そう思うだが、間違っても災難ごとなんぞ起こりやしねえだべえな」
「そんなことはない、そんなことはある道理がない」
 飯篠老人は言葉を強めて否定した。老人はこの磊落らいらくなたくらみと、その結果として生ずるであろう悲喜劇の予想とで、すっかりのぼせていた。のぼせあがっているようであった。杢助はどちらでもよかった、杢助には少しも成心せいしんはなかった、杢助はただ怠けていることができれば文句はないのであった。
 杢助は杉谷の草庵へ移った。
 飯篠老人は身代りとしての二三の心構えを教えた。
 修業者たちに対して「なるべく口をきかない」こと、かれらの奉仕を「決して遠慮や辞退しない」こと。もうひとつ、数多い修業者のなかにはときに、太刀筋たちすじを教えてくれ、とせがむ者がある。そういう者が来たときのために、といって、前庭のおおきなかやの樹の枝に、飯篠老人は一本の木剣をった。一丈ばかり高い枝から真田紐さなだひもで吊ったので、木剣は地上から四尺ほどの空間に、切尖きっさきをほんの僅か上にして吊り下げられた。飯篠老人は丹念に吊りぐあいを調べたのち、満足そうにうなずいて云った。
「そういう修業者が来たら、この木剣と立合えと云うがよい、おそらく打込むことはできない筈である」
まじないでもしてあるだね」
 飯篠老人は眼を剥いた、けれどもなにも云わなかった。
 草庵は古い建物であった。何百年という昔、なにがしとやらいう高徳のひじり(聖)が巡錫じゅんしゃくして来たとき、村人たちがひじりを定住させようとして建てたものだという。すっかり荒廃していたが、大先生が住むに当って、(もちろん村人たちの手で)修理した、屋根も新しいかや葺替ふきかえてあるし、ふすま、障子、壁、みなきれいに直してあった。此処ここは湯小屋のある三つ沢を、右まわりに十五町ばかり登って来た台地で、二百坪たらずある前庭のさきは、谷へきれる断崖だんがい。うしろには山の中腹が迫っている。狭い谷の向うも山で、谷間にも山にも、前後左右、びっしりと杉が繁っていた。見る限り杉の林だった、そのなかで前庭の榧の樹(木剣を吊った)だけがぬきんでて巨きく、逞しく枝を張っていた。
 飯篠老人は去っていった。
「では……」と云って、自然木のつえを突いて、やや皮肉な笑いをうかべ、もういちど、「それでは」と云って、そうして去っていった。
 その日の午後、とつぜん黒門のお登女とめさまがやって来た。山駕籠かごに乗って、供は老女と下僕二人、それに弥市が先触れを勤めた。お登女さまは三十六七歳であった、躯は小柄でほっそりしているし、顔も手足も小づくりであった。肌は透くように白くて、縹緻きりょうもかなりいい。いかにも深窓の佳麗といったふうである。が、ひとたびその表情が動きだすと、印象はがらりと変ってしまう。年齢のためもあるだろうが、眼はきらきらと光り、唇は赤く濡れて神経質にぴくぴくし、はなはだしく精悍せいかんで肉慾的な感じがあふれるのであった。
「あの杢助、いいえ、あの、飯篠さま」
 彼女は縁先へ来て云った。
「さきほどあの御門弟の方からすっかりうかがいました。まあどんなに驚いたことでしょう、わたくし梅尾うめお双六すごろくをしているところでした、ちょうどわたくしの番で、さいを取ろうとしたときあの方がみえたのです」
 杢助は寝そべっていた。お登女さまの方は見もしないし、云うことを聞いてもいなかった。お登女さまの方へ頭の天辺てっぺんを向け、肱枕ひじまくらをして、北側にある小窓の外を眺めていた。杉林の木の間越しに遠くずっと高く、残雪のある峰がほんの僅かばかりのぞいていた。此処は谷峡であり杉林に囲まれているので、もう午後のあおさびた光に浸されているが、その高くはるかに遠い峰の残雪は、斜めに、太陽をうけて鮮やかに白くきらきらと輝いていた。
「お登女さまがあんなにおっしゃってるだに」
 と弥市が云った。
「なんとか御挨拶しねえだか、いんや、さっしゃらねえだかんだ、御挨拶うさっしゃんねえだかよ、杢助、おめえ大先生だっつうでねえか、おめえが大先生の御本尊だっつうでねえか、村じゅうがきもつぶしてひっくら返ってるだによ」
 杢助は黙っていた。
 お登女さまはなおも云い続けた。杢助がただ者でないことは、亡くなった母が予言していた。こんど彼が帰ったと聞いたとき、自分はすぐ母の予言を思いだし、黒門へ迎える決心をした。それは彼が偉い人間になって帰ったに相違ない、と思ったからであり、今日それは証明されたのであった。黒門の代々の伝説は虚構ではなかった、彼は緋縅ひおどし大鎧おおよろいておらず金鍬形きんくわがたかぶともかぶっていない。連銭葦毛れんせんあしげの駒にも乗っていないし若くもない。だがそれらをひっくるめたよりも、遙かに偉大な人間になっている。彼こそは黒門の婿、登女の良人おっととなるべき人物である。お登女さまはこう云うのであった。
 このあいだに、杢助はいびきをかきながら眠っていた。


 第一の修業者が来たのは、それから七日ばかりのちのことであった。飯篠老人は、季節がよくなると来はじめる、と云ったようだが、こんなことにもしゅんがあるのかもしれない。続けて第二、第三、第四、第五と、三十日ばかりのあいだに五人の修業者がやって来た。
 草庵はにぎやかになった。というのはお登女さまの来た日、(お登女さまが帰ったのを杢助は知らなかったが)例の五人組の娘たちが押しかけて来て、宵のくちまで騒いでいった。彼女たちも彼が長威斎だといううわさは聞いたらしい、だが彼女たちにはそんなことはどっちでもよかった。大先生であろうと杢助であろうと、彼に対する彼女たちの気持は少しも変らず、またそれについていささかの矛盾も抵抗も感じないようであった。
 彼女たちはその後も、三日おきくらいにやって来て、一日じゅう賑やかに騒いでいった。杉谷は牛窪村から二里余りあるので、さすがに毎日というわけにはいかないらしいが、ちょうど出作りの時期で、村の大部分の男女はいなかった。村はいま「留守村」であり、彼女たちには暇と自由がたっぷりあった。しぜん、修業者が来はじめてからも、彼女たちは訪問をやめないので、そういう日の草庵の賑やかなことは、ちょっと類の少ないものであった。
「ぶしつけなお訊ねかもしれませんが」
 二番めに来た修業者の二之木二郎が、あるときどうもにおちないという顔つきで云った。
「あの娘どもはどういうわけであんなにしげしげやって来るのですか」
 杢助は煙草をふかしながら、そうさの、と云ってまた煙草をふかし、寝ころんだままで片方の足首のところをもう一方の足の指でひっ掻いて、そうして云った。
「きっと来てえからだべえさ」
 他の修業者たちは見て見ないふりをしていた。
 飯篠老人の言葉に嘘はなかった。修業者たちは(唯一人を除いて)よく働き、よく杢助の世話をした。杢助は初め、かれらに自分で名を付けた。おめえらの名をいちいち覚えるのは面倒だでのう、杢助はこう云って、第一の修業者に一之木太郎、第二のそれに二之木二郎、それから順に三之木三郎、四之木四郎といったぐあいであるが、みんな仮にもいやそうな顔はしなかった。かれらは互いに分担を定めて、交代で水を汲み、薪を割り、炊事をした。誰か一人は必ず杢助に附きっきりで、飯の給仕をし茶をれ、そして肩腰を揉んだり叩いたりした。
「すべて道の修業のためでございます」
 かれらは自分からそう云うのであった。けれども五人のなかで、三之木だけは違っていた。彼は飯篠老人が予言していたような修業者の一人で、ぜひ先生の太刀筋を拝見したいといい、そこで例の木剣とにらみあうことになった。榧の枝から吊り下げた木剣に向って、彼も自分の木剣を持って、挑戦するのである。
 ――おそらく打込むことはできなかろう。
 飯篠老人はこう云ったが、そのとおりであって、三之木三郎は五人のなかでは誰より逞しく、ひげさえも生やしていたのに、どうしても打込むことができない。ぶらりと宙に下っている木剣を睨んで、眼を剥きだし歯をくいしばって、それこそ膏汗あぶらあせをながして、一日じゅういきみ返っていた。ときには夜半ごろにとつぜんはね起き、「おう、そうだ」などと云って、木剣をつかんでとびだしたりするが、やっぱりうまくはいかないらしい。そういうわけで、三之木だけは殆んどほかの用事をしなかった。
 他の四人は好い若者であった。みんな剣術の極意のことで頭がいっぱいらしい、昼夜十刻、眠っていてさえも頭から放れないようで、みんないつも緊張し思い詰めたような眼つきをしていた。「はてな」といったような顔つきをすることもあった。決してむだ口はきかないし、お互いで話したり笑ったりすることもなかった。ただひとつうるさいのは、かれらが杢助から眼を放さないことであった。眼を放さないばかりでなく、かれらは全神経と全感覚とで、休みなしに杢助に付きまとい、どんな無意味な動作からも、極意をさぐり出そうとするふうであった。
 五之木五郎はなかでも熱心な修業者で、飯の炊きようも上手だし、縫いつくろいだの洗濯物なども堂に入っていた。彼はかなりなどもりで、そのためもあるかもしれないが、ときどき杢助の前へ来て坐って、指を一本立てて見せる癖があった。きちんと姿勢を正し、黙って右手を前に出して、その食指だけ一本ぬっと立てるのである。それはちょうど子供が親に向って、
 ――あめを買うから百文おれ。
 と云うのに似ていた。もちろん、道の秘奥をさぐるための挙動の一つなのだろうが、初めのうちはなにかこっちが術でもかけられそうな心持で、馴れるまで杢助は気骨が折れた。二之木二郎はかん持ちらしく、娘たちが来る日は、恐ろしいほど渋い顔をし、ふくれどおしにふくれていた。一之木は肥えていて、多少粗忽そこつで、飯を炊くとよく焦がしたり、半煮にしたりするが、ほかに取立てていう特徴はなかった。四之木はせた小男で、言葉に九州方面のなまりがあり、なにか落し物でも捜すように、大きな眼で絶えず周囲をきょときょと眺めまわしていた。娘たちが来ると彼だけは嬉しそうで、順番でなくても自分で炊事をひきうけ、珍しい御馳走をこしらえたりして、しきりに彼女たちをとりもつのであった。
 杢助には満足な生活が続いた。杢助には不平はなかった。彼は決して不平家ではなかったが、その生活にはなかんずく不平や不満はなかった。
 猛暑の季節になったが、草庵はいつも涼しかった。深い杉林に囲まれているので、空気は常にひんやりしているし、谷から吹きあげる風はいいようもなく爽やかであった。霧の巻く朝夕は杉の香がつよく匂い、郭公かっこうや、時鳥ほととぎすや、筒鳥つつどりや、そのほかなにかの鳥が夜昼となく鳴いた。来る日も来る日も平穏であった。五之木五郎が指を立てに来るのも、二之木がふくれるのも、気にならなくなった。四之木四郎は肩を叩くのが誰よりもうまかったし、一之木太郎は足腰を揉むのが巧みであった。三之木だけは榧の樹の下でいきんでいるばかりで、なんの役にも立たなかったが、彼がそうしているために、草庵がいかにも修業道場らしくみえたことはたしかであった。
 ――おらこれ以上なにも要らねえ。杢助はこう思った。この暮しが百年続くとしても、おらちっとも文句を云うこたあねえ。
 まさしく杢助にとってはそうだったろう。
 が、八月になると、その平穏な生活がゆらぎだした。
 第一の出来事は娘たちから起こった。彼女たちは相変らず五人組で来て一日いっぱい勝手に騒いでいった。当時は一般の風俗もおうよう寛闊かんかつであったが、彼女たちは山間自然の境地に育って、その性情は野趣に富み奔放不拘束な点が多かった。彼女たちは絶え間なしに喰べ、好んで情事を話題にした。情事のほかにはなにも興味はないようであった、しかも話題は直截ちょくさいであり、明らさまで、隠すところがなかった。彼女たちは男女の性別について、観察的にも解剖的にも豊富な知識をもっていた。両性の生理やその機能についても、驚くほど詳細に知っていて、しばしば修業者たちを赤面させた。
「なあ先生よ、云ってしめえなよ」
 彼女たちは大きな声で云う。
「ぜんてえ先生は、おんだらの祖母さまたちの誰と本当に寝ただえ、お花ばあかえ」
「お梅ばあもお綾ばあも、おんだらんとこの祖母さまも、どこのええ(家)の祖母さまも云ってただ、内証のこんだがおらあの人と寝ただってよ」
「みんな嘘っぱちよ」
 べつの娘が云う。
「女が本当に誰かと寝ただら、おくびにも寝たなんて云わねえもんだ、なあ先生よ」
 彼女たちは杢助の脇に寝ころんだり、足を投げだしたり、極めて放恣ほうしな恰好でお饒舌しゃべりをし、ときにじれったそうな声をあげて、杢助のからだへ抱きついたり、叩いたりひねったりした。修業者が側にいるときは、遠慮なくかれらにも手を出した。四之木はそうされるのを待っているようであった、そのために御馳走拵えも精が出るようであったが、彼女たちは好んで二之木二郎に手を出した。彼女たちが来ると、二之木は渋い顔をしてふくれ返るのだが、彼女たちの方ではお構いなしで、むしろそれが面白いというように、言葉にしろ動作にしろ恐ろしいほど大胆な表現を用いて、思うままに彼を翻弄ほんろうするのであった。
「そんなにふくれるでねえよ、二郎さん」
 彼女たちはこんなふうに云う。
「顔なんぞふくれたってなんの使いみちもありゃしねえだ、どうせふくらかすだらもっと使いみちのあるところにするがいいだよ」
 そしてげらげら笑うのであった。


 二之木二郎はついに辛抱を切らしたようであった。彼は他の四人とも相談したらしい、八月になってまもない或る夜、五人で杢助の前へ来て坐った。
「先生にお願いがございます」
 二之木が云った。
「きいて頂けますでしょうか」
「――なんだや」
「あの娘たちの来るのを禁じていただきたいのです」
「――どうしてだや」
「御存じの如くわれわれは専心不乱、剣道の奥義おうぎを会得するために念々修業しております、しかるにあの娘たちは淫卑いんび猥雑わいざつ、けがらわしき言動を以てわれわれを悩まし、神聖なる草庵を汚涜おとくいたします、かようなありさまでは修業の妨げになりまするし、元来かかる道場へ女どもを近よせることが如何いかがかと存じます、どうか今後は固く出入りを禁じて戴きたいのです」
 杢助は二之木を見、それから他の四人を順に見た。きせるに煙草を詰め、燧袋ひうちぶくろを取って、ゆっくりと煙草をふかした。
「おめえにきくだが」
 と杢助が云った。
「いってえ卵ちゅうもんはなにが産むだね」
「それは申すまでもなく」
 二之木がむっとして答えた。
「むろん牝鶏めんどりが生みます」
「じゃあおめえはどうだ、うう、おめえはなにから生れて来ただえ、木のまたかえ」
「もちろん母親からでございます」
 杢助は煙草をふかし、ふんと云った。
「――そのおふくろさまは、女かえ男かえ」
「むろん女でございます」
「それでその、おふくろさまもやっぱり、おめえにはけがらわしいだか」
「なにを仰しゃいますか」
 二之木の顔はたちまちあかくふくれた。
「人間と生れて仮にも母親をけがらわしいと思う者があるわけはございません、私にとっては母上は神聖冒すべからざるものです」
「あの娘らもおんなしださ」
 杢助はごろっと横になった。きせるをはたき、二服めに火をつけ、さもうまそうに煙の輪を吹いて、それからだらけた調子で、ゆっくりと云った。
「その年頃になれば、牝鶏は卵を産みたがるし、娘らは子を産みたくなるだわさ、ほかのこんじゃねえ子を産みてえからこそ、があがあ騒いだりつまらねえお饒舌りをしたりするだあ、そういうことでおめえが生れたし、おらも生れたし、誰も彼もが生れて来ただ、あの娘らがもしけがらわしいとすれば、そういうことをしておめえを産んだおめえのおふくろさまもけがらわしいし、世の中の女てえ女、また男てえ男はみんなけがらわしいだ、そんなこたあねえ、そんなこたあ」
 杢助は吸殻をてのひらへはたき、三服めを吸いつけた。
「おめえらもいつかは、どっかから嫁を貰って、そうして自分らのせがれを産ませるだ、いつかはよ、……ほんとに変哲もねえ、みんなおんなしこったよ」
 二之木二郎の顔が硬化した。聞いているうちに非常な感銘を受けたらしかった。顔面が硬ばり、眼が異様に光りだした。そして、杢助の言葉が終ったとたんいきなり庭へとびおりた。杢助は吃驚びっくりした、まるではじかれたようにとびだしたので、なにか乱暴なことでも始めるのかと思った。しかしそうではなかった。庭へとびおりた二之木は、暗い地面の上へ土下座をし、地面に両手をついて、涙のこぼれそうな眼でこちらを見あげた。
「有難きただいまのお言葉」
 二之木は震え声で云った。
「牝鶏と娘どもに仮託した御教示、まさしく奥義の御伝授とうけたまわりました、流儀の秘伝、まさしく会得つかまつりました。かたじけのうござります」
 そして彼は泣きだした。もちろん嬉し泣きであった。逞しい肩に波をうたせてやや暫く男泣きに泣いた。杢助は煙草をふかすのも忘れて、あっけにとられてそれを眺めていた。
 ――わけが知れねえ。
 杢助は心のなかで思った。おらが牝鶏と娘をどうしたっていうだ、なにが御伝授だ、つまらねえ、ほんにわけが知れねえ。
 二之木二郎は草庵を去った。秘伝を会得したから去ったのであった。この出来事は他の四人を感奮させた、想像以上に感奮させたようであった。かれらの眼つきも表情も、立ち居の動作もひどく緊張し、全身が絶えずぎらぎらしているようにみえた。三之木三郎はやはり木剣と睨みあっていたが、彼の熱心さは殆んど頂点にまでたかまり、相手が宙にぶら下っているだけのただの木剣だったから、五人組の娘たちは、
 ――あの人あ脳を患ってるじゃねえかえ。
 などと云うくらいであった。
 二之木が去ったことについて、杢助にはかくべつ感想はなかった。が、それから十日ほどして、第二の出来事が起こったときは、彼は感想なしではいられなかった。ちょうど四之木が肩を叩いているときであったが、谷から吹きあげて来る新秋の風に、杢助がふとくしゃみをもよおした。くつろげたえりからふところへやや肌寒い風がはいったためらしい、われ知らず相当に大きなくしゃみをした。すると四之木の躯がぎくりと硬化し、肩を叩いていた手が動かなくなった。そして、杢助がどうしたのかと振向こうとしたとき、四之木四郎はぱっと立って、庭へとびおりた。じつにすばやい動作で、庭へとびおりるなり(二之木二郎と同じように)土下座をし、両手を地面へついてこっちを見あげた。
「有難きただいまの御くしゃみ
 四之木は感動にあふれる声で云った。
※(「口+云」、第3水準1-14-87)あうんの間を一拶いっさつの気合、まさしく奥義の御伝授と拝察つかまつりました、御流儀の秘伝まさに会得いたしてござります、かたじけのう……」
 ございますと云うつもりだったらしいが、こみあげてくる嗚咽おえつのためにあとは続かなかった。彼はよろこびと深い感謝とで、両手で地面にかじりついて泣くのであった。
 ――どうしたこんだ、これは。と杢助は心のなかで思った。おらあただくしゃみをしただけだによ。それがいってえどうしたっつうだ。
 四之木四郎は秘伝を会得した。云うまでもない、彼は欣々きんきんと草庵を去っていった。
 ――こらあ油断も隙もなんねえ。
 杢助は考えた。かれらはなにをきっかけに「会得」するかわからない、これでは不用意に話しもできないし、うっかりせきをすることもできない。こう考えて、今後は用心をすることにした。にもかかわらず、悪い事は重なるというものかどうか、それから僅か数日のちに、またしても同様なことが起こった。例のくしゃみをしたときに鼻風邪をひいたとみえ、杢助はずっと水洟みずばなに悩まされていた。ばからしくなるほどひどい水洟で、休みなしにかんでいなければならない、折から横になって、一之木太郎に腰を揉ませていた。もちろん煙草を吸うこともできない、腰を揉ませながら水洟をかんで、その紙をまるめて庭へぽんと投げた。横になったまま投げたのであるが、ちょうどそのとき、五之木五郎が水手桶みずておけを担いで通りかかっていて、その横面へ杢助の投げた紙だまが当った。
 五之木は谷から水を汲んで来たところであった。水の入った二つの手桶を、天秤棒てんびんぼうの前後に掛けて、庭を横切ろうとしていたのである。が、紙だまが左の頬に当った刹那せつな、彼は雷にでも撃たれたように、全身をぎくりと硬ばらせて立竦たちすくんだ。
「あれいけねえ、それゃいけねえ」
 杢助はわれ知らずそう云った。しまったと思ったのであろう、けれどもおそかった。五之木は水手桶を下におろし、そこへ土下座をした。そして右手を前に出して、いつものように食指を一本ぬっと立ててみせ、それから激しく吃った。
「お、お、お、い、い、い」
 感激のあまり吃りが昂進したらしかった。無意味な母音が出るばかりで、どうしても言葉にならなかった。彼はますます指を押立て、これが証拠だとでもいうように、ただもう怪鳥のような叫び声をあげるのであった。
「わかっただよ」
 杢助はうんざりしたように云った。
「どうせまた会得したんだべさ、つまらねえ」


 いったい「会得」とはなんであるか。かれらはなにを「会得」するのであるか。杢助にはまるで腑におちなかった、極意だの秘伝だの、しょせんは剣術がずぬけに上手で、うまく人を叩きのめすことのできる人間が、その術にはくを付けるための呪文じゅもんみたようなものであろう。杢助などにはもともと無縁であり、どっちでもいいことであったが、そうつぎつぎに会得されては困る、二之木はまあいいとしても、肩を叩くのがうまい四之木、炊事や洗濯の上手な五之木、こう続けざまに出ていかれては、草庵の生活はやってゆけないのである。現にもう、役に立つのは一之木ひとりであった。炊事そのほか、杢助の世話をするのは一之木太郎だけであった。三之木は水だけは汲むが、あとは木剣と睨みあっているばかりだった、暇さえあれば木剣を睨んで、うめき声をあげたり、膏汗をたらしたりするばかりだった。
「ばかばかしい、なんちゅうこんだ」
 杢助はこうつぶやいた。
「あいつこそ会得すればいいだに、あの三之木こそよ、なんの役にも立たねえで、どうしてまた会得しねえだかさ、うう、どうしてだかさ、ばかばかしい」
 もしもこれで一之木にゆかれたら、もう万事おしまいである。一之木を出てゆかせてはならなかった。一之木に「会得」をさせてはならない、少なくともあとの修業者が補充されるまでは、……杢助は言語動作に気をつけた、そんな努力をするのは生れて初めてのことであった。しかし、こんどはまったく予期しない方面から、予想外の災難がふりかかってきた。
 九月重陽ちょうようの前日のことであったが、草庵の庭へ、とつぜん十五人ばかりの侍たちが入って来た。かれらはみな小具足を着け、五人は槍、五人は鉄砲を持ち、そうして四人が輿こしを担いでいた。かれらはずかずかと庭へ入って来て、先頭にいる隊長らしい一人(彼だけは腹巻を着けていた)が、しわがれたような大きな声でどなった。
「飯篠長威斎先生の御草庵とうけたまわって推参いたした、てまえは前田家の尾井幾兵衛と申す、ぶしつけながら先生に御意ぎょいを得たい」
 三之木は榧の下で木剣と睨みあっていた。杢助は一之木に肩を揉ませていた。三之木は睨みあいをやめ、一之木は肩揉みをやめた。杢助はこれは唯事ではないと直感し、
「違う違う、大ちげえだ」
 と慌てて手を振った。
「此処にゃそんな者はいねえだ、それやおまえさんの聞き間違えだよ」
「おお、正しくこれは飯篠先生」
 尾井幾兵衛となのる侍は、こう云ってそこへ片膝かたひざをついた。長威斎は遁世とんせいしているのであった。俗世と縁を切ったので、自分が長威斎である、と云う筈はなかった。長威斎ではない、と云う者こそ長威斎その人である筈だった。庭にはぶら下げた木剣で修練をしている者がいたし、もう一人の修業者は肩を揉んでいた。年配からいっても、正しくその人こそ長威斎先生でなければならなかった。
「御閑居を騒がす罪はお赦し下さい」
 幾兵衛は確信して云った。
「じつは、金沢城に大事出来しゅったい、ぜひとも先生の御助力があおぎたく、領主の命により押して参上つかまつりました」
「違うだっつうに、おら長威斎でも先生でもねえだ、ほんのことくる眼の杢助つう者だに」
「まず仔細しさいをお聞き下さい」
 尾井幾兵衛は構わずに云った。要点をしるすと、岩見重太夫という大豪傑が金沢城へやって来た。天下無双であり、ちょっと形容しがたいほど魁偉かいいな大豪傑であった。彼は前田家の勇士と試合を望み、どう断わっても承知しなかった。試合をさせないのなら城を明け渡せ、と云うのであった。試合をして自分が負けたら首をやるが、勝ったら金沢城をそっくり貰う、と云うのであった。
「加賀百万石の浮沈にかかわる大事でございます」
 幾兵衛は続けた。
「先生におかれても領内に御草庵をいとなまれます以上、かかる大事をよもやおみすごしはなされますまい、仮にいやだと仰せられても、てまえ役目として無理にもお迎え申さずにはおかぬ覚悟でございます」
「おらなんべんも云うだ、おら長威斎じゃねえだよ」
 断じて先生ではない、それは大間違いである。杢助はけんめいに弁解した。だが尾井幾兵衛は耳にもかけなかった、しかもそこに鉄砲という武器のあることを暗示し、ついには部下と協力して、殆んど暴力的に杢助を担ぎだし、用意の輿に乗せてしまった。
「だからおら初めに云っただ」
 輿の中で杢助は呟いた。
「こんなえせ(似而非)なことをして、なにか災難が起こるじゃねえかってよ、……先生はそんなこたあねえっつたでねえか、そんなことはある道理がねえって、……これでもある道理がねえだかえ、あのくわせ者が、これでも災難でねえっつうだかえ」
 牛窪村でもすでにこの出来事は知っていた。留守村の人たちは残らず、道へ出て輿を見送った。黒門のお登女さまも出ていて、輿が通りかかるとなまめかしく杢助に挨拶した。
「このたびは御本城よりのお召し、御名誉なことでございます」
「先生のお腕前なら悪豪傑などはひとひねり、ちょっと摘んで捨てるくらいのものでございましょう、どうぞ御武運めでたくお帰りあそばすよう、そしてわたくしが、これまでと同じように、心からお待ち申していることをお忘れ下さいませぬように」
「先生しっかりやってくんろよ」
 娘たちはもっと素朴であった。
「その悪い野郎の手足をぶっくじいて、首ったまをひっこ抜いてやるがいいだ、皮をひん剥いて土産に持って来てくんろえ」
「そうだ、身の皮をひん剥いて来てくろ」
 弥市もはだしはねながら、叫んでいた。
「そいつをぶちのめして、眼のくりだまをえぐりだしてやるがいいだ、ほんのことそいつの眼のくりだまを……」
 杢助は溜息ためいきをついた。ひと捻りにされるのは誰であるか、手足をぶっ挫かれ、首をひっこ抜かれるのはどっちであるか。揺れてゆく輿の中で、杢助はこう自分に反問して、深く長い溜息をつくのであった。
 金沢まで二日でいった。それは一般の日程のほぼ半分であった。
 途中には変ったことはなかったし、杢助もじたばたはしなかった。煙草を忘れて来たのを不満に思うくらいにまで、気持のおちつきをとり戻していた。彼は無為にして生きてきた。時代は騒がしく生きるに困難な条件が多かった。しかも彼は怠けたいように怠けて、なにごともさずして生きてきた。彼には、この世の中はどうにかなってゆくものであった、従来の経験が彼にそれを証明していた。
「おらがそんな大豪傑と試合するなんて、そんなばかげたことがある筈はねえさ」
 杢助はそう呟いた。
「そのまえになにか起こるだ、おらが試合なんぞしねえで済むように、きっとなにかが起こるだ、これまでいつもそんなふうだったし、こんどだけそうでねえわけがなかんべえさ」
 彼はおちつきをとり戻したのであった。
 杢助は自分の運を信じた。この災難が必ず解消するだろうと信じた。城へ着いてからも、試合の場所(それは城中の馬場であったが)へ出てからも、その信念にゆるぎはなかった。ただその場のものものしい設備と、居並んだ前田家臣らのきらびやかさと、その数の莫大さにはびっくりした。少なからず気おくれがし、頭がのぼせた。ぼうっとのぼせて、尾井幾兵衛がなにか云ってもよくわからず、ただ幾兵衛の云うままになり、されるままになっていた。
 ――もうなにかが起こってもいいだにな、と杢助は思った。もうそろそろ起こるじぶんだによ、なにかが、……思いがけねえような事がよ。
 そのとき太鼓がとうとうと鳴りだした。


 太鼓は試合を始める合図であった。しかし杢助の期待するような事はなにも起こらなかった、ばかりでなく、試合をする相手が、こっちへ向って来るのを杢助は認めた。
 その男は巨漢という感じだった。すべてが大づくりであった、ひげだらけの顔も大きく、眼口鼻も大きかった。躯は岩のように巨大であり、筋肉がこぶになってもりあがっていた。なんというものかお神楽に使う衣装のような、きらきら光る派手な着物にたすきをかけ、同じように派手なはかま股立ももだちをしぼり、足には武者草鞋わらじをはいていた。鉢巻にもきれいな象眼のある向う金具が付いていて、それがきらきらと日光を反射した。ぜんたいが光り輝くようで、しかも重量感に満ち、圧倒的な、烈火のような闘志が溢れていた。
 ――大豪傑だ。
 と杢助は思った。これが岩見重太夫だ。
 慥かに、それは岩見重太夫であり、天下無双の大豪傑であった。杢助は身ぶるいをした、杢助は救いを求めるように四方を見まわした。が、依然としてなに事も起こらなかった。重太夫はなにか叫んだ、口が耳まで裂けたようだった、まっ黒な髭の中から白い歯が見え、その叫び声は杢助の耳をがんとなぐりつけた。
 もうだめだ。杢助は思った。いつかみてえだ、いつかとそっくりだ。
 杢助の頭に連想作用が起こった。そして、岩見重太夫がそのまま一頭の猛犬にみえた。彼が幼年のころ出会ったあの食いつき犬に、……大豪傑は近よって来た。五尺もありそうな赤樫あかがしの木剣をつき出し、巨大な眼をかっとみひらいて、杢助の眼をかっきりと睨みながら、一歩、二歩と進んで来た。杢助は棒立ちになっていた、右手に(幾兵衛に持たされた)木剣を持っていることも忘れ、まったく恐怖のとりこになって立っていた。
 ――そうだ、あのときそっくりだ。
 杢助はこう思ったが同時に「くる眼」の発作が起こった。それは幼年時代より激しくもなかったが、軽度になったわけでもなかった。これまでのものと同じ程度のようで、まず左右の瞳孔どうこうが各自の方向へゆっくりと動き出した。
 よくはわからないが、剣術の試合などでは「眼」が重要らしい。両者の「眼と眼」ということをいう。糸でつないだように両者の眼がみあって、そこから勝負が始まるなどという。岩見重太夫もそうであった、重太夫は巨眼を剥いて、がっきと杢助の眼をとらえていた。自分の視線で杢助の双眸そうぼうを射抜いて微動もさせぬという睨み方であった。ところで杢助は「くる眼」の発作を起こした、両方の黒眼が片方はあちらへ片方はこちらへと、互いに勝手な運動を始め、その動きはしだいに速く、激しくなるのであった。
 岩見重太夫は頭がちらくらしてきた。彼の眼は杢助の両眼をがっきととらえていた、しぜん重太夫の両眼は杢助の両眼の動きと不可分であり、まったく意思に反して同一運動を起こした。神経が通常である者にとっては、それは怖るべきものであり、とうてい負担に耐えがたいものであった。いつかの食いつき犬は尻尾しっぽを巻いて逃げたけれども、この大豪傑は逃げることもできず、杢助の「くる眼」が激しくなるにしたがって、漸次その顔があおくなり、呼吸も逼迫ひっぱくし、その巨躰きょたいがぐらぐらと揺れ始めた。そうして、杢助の眼球が裏返しになるとたん、岩見重太夫はついに眼をまわして、仰反のけぞりざまに(枯木でも倒れるように)どしーんとぶっ倒れてしまった。
 試合は終ったのであった。馬場は歓呼の声にどよめきあがった、まさに勝鬨かちどきの声であった。そのどよめきのために、馬場から土煙が巻きあがった。
「おみごとおみごと」
 尾井幾兵衛が駈けよって来て、しわがれたかなきり声で叫んだ。
「先生おみごとです、おみごとでござります」
 杢助の発作は頂点に達し、したがって恢復かいふくし始めていた。彼は耳をろうする歓声を聞きながら、ぼんやりと心のなかで呟いた。
 ――やっぱり思ったとおりだ、なにかが起こったにちげえねえ、なにかが、……災難はのがれただ。
 杢助は領主の前に呼ばれて褒美を賜わった。暫く城中の客になるようにといわれ、連日にわたって豪奢ごうしゃ饗応きょうおうを受けた。大豪傑は(首をくれずに)逃亡した、杢助は金沢城を救ったのであった。評判はたちまちのうちに、ひろく領内にひろまっていった。
 三日めの午後、一人の老人が金沢城の大手門の前に立った。大手の門の門番のところへ来て、右手に自然木のつえを持っていたが、その杖を大地に突いて云った。
「自分は飯篠長威斎である、御領主、加賀守侯に面会したい、早速そう取次ぐように」
「なんだって、飯篠なんというって」
「飯篠長威斎、山城守直家である」
「おい、妙な気違いが来たぞ」
 門番の侍は同僚に向って云った。
「こいつ飯篠長威斎だとよ、先生の評判を聞いて気でも狂ったんだろう」
「いや自分は狂気はしない」
 老人は云った。
「そのほうの申す評判を聞いたからまいったのだ、自分が正真正銘の長威斎、城中にいるのはくる眼の杢助というにせ者である」
「ほほう」
 ともう一人の門番が云った。
「それでいったい、どうしようというのかい」
「これは私利私慾ではない」
 老人は云った。
「わしはすでに遁世の身であり、俗世の名利を捨てておる、自分の名声や利益などは問題ではない、けれどもじゃ、にせ者もにせ者、くる眼の杢助などという愚か者が、飯篠長威斎の名をなのるのに、誰ひとりこれを看破することができず、まことの長威斎と信じてもてはやすということでは黙ってはいられない、これはすなわち剣の道の神聖をけがし、武道の正真を嘲弄ちょうろうするものであって」
「なんだなんだ、その爺いはなんだ」
 城の中から出て来た五六人の侍たち(みな若く元気そうであった)が、こう云ってこっちへやって来た。門番の侍が笑いながらわけを話した。老人はそれをさえぎって、自分から若侍たちのほうへ進み出て、威厳のある容態でもういちど自分の主張を述べた。
「自分の名利のためではないぞ」
 と老人は繰り返した。
「決して名利のためではない、ただ剣の道の神聖を守るがために」
「まさに気違いだ」
 若侍たちは笑った。
「ゆけゆけこの爺い、まごまごするとひっつかまえてお堀の中へ叩き込むぞ」
「無礼者、なにを申すか無礼者」
「うるさいな」
 一人が老人を押しのけた。
「通行の邪魔だ、どけどけ」
 そしてかれらは去っていった。押しのけられた老人はかっとなり、杖をひきずって、かれらのあとを追った。追いつきながら叫んだ。
「そのほうどもは盲人か、その眼は節穴か、百姓爺いと長威斎のみわけもつかないのか、もう一度よくわしを見ろ、このわしを」
 と老人は片手で胸を打った。
「天下の長威斎をよくよく見ろ」
 若侍たちはもう相手にならなかった。互いに話したり笑ったりしながら、ずんずん向うへ歩いていった。
「ばか者ども」
 老人は立停った。
「なんという愚かな、ばか者の低能どもだ、わしはきさまたちのために来てやったのだぞ」
 老人は去ってゆく若者たちのほうへどなった。
「自分のためではない、きさまたちの誤りを正し、真実を教えてやるために来てやったのだぞ、待て、ばか者ども、わしの云うことが聞えないのか」
 若侍たちはつじを曲って去った。老人は口の中でぶつぶつ云い、ちょっと考えてから、杖を突きどこかへ去った。もちろん、老人はあきらめたのではなかった、翌日も大手門へやって来て、前の日と同じことを云い張った。そしてその翌日も、その次の日も、次の次の日も来た。しかし老人の主張を聞く者はなかった。少なくともまじめに聞く者は一人もなかった。
「世間というものはなんと愚劣であるか」
 老人は失望の独白ひとりごとをもらした。
「なんと愚劣で無智なものであるか、人間どもの救いがたい蒙昧もうまい、恥知らず、愚鈍、……だからこそわしは遁世したのだ、世の中にも人間にもあいそをつかしたればこそ、俗世をのがれて山中に隠れたのではないか、このわしの心境すらかれらにはわからぬ、ばか者ども、なんという哀れなばか者ども」
 けれども老人は断念しなかった。半月ほどして、杢助が白山谷へ帰ってからも、大手門へ来ては自分の主張を述べたてた。
「先生はもう杉谷へお帰りになった」
「文句があるなら杉谷へいって、じかに先生に申上げたらいいだろう」
「わしはあんな者は問題にしない」
 老人は云った。
「あんな杢助や白山谷の百姓どもや、つまらぬ修業者や草庵などは問題ではない、わしは天下が相手だ、わしは天下を相手に正邪をはっきりさせるのだ、わしは天下のもうをひらいてやるのだ、いいか、よく聞けよばか者、わしはな……」
 そして老人は自然木の杖を地面に突きたて、飽きずに同じことをどなるのであった。
 杢助は村へ帰った。二駄の(加賀侯から賜わった)土産を持ち、輿で送られた杢助は、牛窪村の人たちの熱狂的な歓迎を受け、黒門に十日ほど滞在したのち、杉谷の草庵へ帰った。そこでは三之木三郎が去って、新たに五人の修業者が来ていた。……三之木三郎は榧の枝からぶら下げたあの木剣を、ひき千切って、踏み折って、それに唾を吐きかけて、悪態をついてたち去ったということであった。
「早くそうすればよかったによ」
 杢助は云った。
「あの役立たずが、もっと早くそうすればよかっただに、それがお互えのためだったによ、……まあいいだ、穀潰ごくつぶしが減ったでな、さばさばしただよ」
 草庵の安穏な生活は保証されたようであった。一之木太郎と、新たに来た六之木六郎から十之木十郎までの、六人の修業者たちを眺めながら、杢助はのびのびと横になり、ながく飢えていた煙草を取って、さも満足そうにふかし始めた。
「お煙草が残り少なになりました」
 と一之木太郎が云った。
「大阪へでもまいったら求められるのでしょうが、よろしかったら雪のこないうちに、私どものうち誰かいって来ることに致しましょう」
「心配はいらねえだよ」
 杢助が云った。
「有ればのむだが無ければねえでいいだよ、うう、めんどくせえでな、それにゃ及ばねえだよ」
「しかしいってまいるのは私どもでございますから」
「おんなしこったに、たとえおめえらがいって来るにしろ、めんどくせえこたあやっぱりめんどくせえでねえ、おら他人がやるにしろ、めんどくせえこたあでえ嫌えだに」
 杢助はのびのびと足を踏み伸ばした。
「おらこれでいいだよ、なにも不足はねえだ、ほんによ、おらなに一つ不足はねえだによ」





底本:「山本周五郎全集第二十四巻 よじょう・わたくしです物語」新潮社
   1983(昭和58)年9月25日発行
初出:「週刊朝日涼風読物号」朝日新聞出版
   1952(昭和27)年6月
※表題は底本では、「似而非えせ物語」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2021年8月28日作成
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●図書カード