おれの女房

山本周五郎





「またよけえなことをする、よしとれよ、そんなところでどうするのさ、そんなとこ男がいじるもんじゃないよ、だめだったら聞えないのかね、あたしがせっかく片づけたのにめちゃくちゃになっちまうじゃないか、よしと呉れよ、よけえなことしないで呉れってんだよ」
 その長屋の朝は、こういう叫び声で始まる。それは平野又五郎という絵師の家から聞えるもので、甲だかい調子の、すばらしいなめらかな早口である。するとそれを合図に、あちらでもこちらでも物音が聞えだす。
「おまえさんお起きな、先生のところで始まったよ、坊やもついでに起してね」
「そらお石さんの声が聞えるよ、のたのたしてないで薪を割って呉れなくちゃ困るよ」
「平野さんとこでもう聞えるよ、ぐずぐずしてちゃまにあわないよ、さあみんな手っ取りばやいとこ片づけてお呉れ」
 こういったぐあいで、しだいに路地うちがにぎやかになり、その日の生活が動きだすのである。しかし平野の家ではそれで終ったのではない。まだ妻女のお石の高ごえが続いている。まるで野なかの一つ家にでも住んでいるような、隣り近所に少しの遠慮もない、ぱりぱりとした叫びかたで――
「おれの写生ちょうがないんだ、この机の上へ置いた筈なんだが」
「置いた筈ならそこにある筈じゃないか、置いたところを捜してみればいいじゃないか、いつでもそうなんだから、いやなにがない、なにはどこへ置いた筈だ、ない筈はない、滑ったの転んだのって、置いた筈なら置いたところを捜せばいいじゃないか、いけないよそんなところをひっくり返しちゃ、だめだってばさ、そんなとこに有りやしないよ、触っちゃいやだってのにね、あたしがちゃんと片づけといたんだからひっかきまわしちゃだめだよ、いけないってのにわかんないのかね、このひとは」
「――ここに有ったじゃないか」
「有ればいいじゃないか、有れば文句はないじゃないか、此処ここに有っただって、あたしが片づけといたんだもの有るにきまってるじゃないか、机の上へ置いた筈だのどうだのこうだのって、があがあがあがあ、騒ぐばかり大げさに騒いで、そうしちゃしまいにあたしに手数ばかりかけるんだ、いつかだっても――」
 又五郎は黙って部屋の中を眺めまわす。
 台所ではお石の甲だかい叫びが、ひっきりなしにいつはてるともなく続いている。不揃ふぞろいな絵の道具、いじけたような安物の木机、角の欠けた茶箪笥ちゃだんす火桶ひおけ、炭取り――家具といえるのはそれで全部だ。納戸のふすまはもとより、古くなった畳にさえすり切れたところに渋紙がってある。低い天床、雨のしみた跡のあるげた壁……彼は眉をしかめ、溜息ためいきをついて、そうして写生帖をふところにつっこんで、惘然ぼうぜんと土間へおりる。
「どうするのさ、どこへゆくのさ、もうおつけが出来ようってのにどうするんだよ、でかけるならごはんを食べてったらいいじゃないか」
「おれならいい、食べたくないんだ」
「食べたくないって食べないでどうするのさ、また誰かと朝っぱらから飲むつもりかい、ああそれならそれでいいよ、幾らでものんだくれるがいいさ、あたしゃ知らないからさっさとおゆきよ、だけど仕事のことはどうするんだい、阿波屋の旦那が来たらなんて云うのさ、いつもいつもまだ出来ませんじゃ、あたしが挨拶に困るじゃないか、なんて御返辞をすればいいのさ、こんどはなんとかはっきりしたことを云わなきゃ、幾らなんだって――」
 又五郎はあおい沈んだ顔つきで、黙って路地を往来へと出ていった。
 晩秋の曇った朝で、鼠色の雲が重たげに層をなして、空いちめんをくまなくおおっていた。風は少しもないが、気温はひどく下り、まるで雪でも降りそうに寒かった。――彼は江戸川のほうへ歩いていた。牛込の矢来下に友達の井上孝兵衛がいる、無意識にそっちへ足が向いたのだが、ふと気づいて立停り、暫く自分の足もとを見まもった。
「つまらない――同じことだ、同じことの繰り返しだ……もうたくさんだ」
 こう口のなかでつぶやき、江戸川へ出るとそれに沿って、関口の大洗堰おおあらいぜきまで歩いていった。そのあたりは人家も少なく、田畑や林のひろい展望と、四季それぞれの、自然の豊かな景物とで、風流雅人のあいだに知られていた。――又五郎は大洗堰から二三丁もかみへゆき、川に近い秋草の中へいって腰をおろした。
「――遠山、碧層々」
 彼はこう呟き、両手で抱えたひざの上へ、頭を垂れて、ふかい溜息をもらした。


 平野又五郎は御家人の三男坊に生れ、小さいじぶんから絵が好きで、いい養子の縁談があったのを断わり、十六歳のとき狩野信近の内門人にはいった。
 それで親たちとは絶縁ということになったが、彼はもちろん承知のうえで、絵さえ描いてゆければ親も兄弟も要らない、金も名声も要らないと思い、あらゆるものを絵にうちこんで勉強した。
 信近はまだ法橋ほっきょうにはなっていなかったが、すでに狩野派の長老であり、御殿絵師としても東西を圧する威勢をもっていた。又五郎は初めから信近にてすじのよさを認められ、十八のときには近恒という号を貰って、塾ちゅうの麒麟児きりんじなどといわれた。
 お石はそのころ狩野家の小間使で、からだは小さいし、かた肥りで不恰好だし、うす菊石あばたのある顔だちも栄えなかったが、気性が明るく動作もてきぱきして、粗忽そこつなところもあるが、たいへん気はしが利くため信近の気にいりで、もっぱら工房関係の用をしていた。
 彼女が又五郎に好意をもちはじめたのは、彼が「近恒」の号を貰ってからである。お石は彼そのものより、彼の手腕と将来にほれこんだらしい。お石は彼に対する自分の気持を隠さなかった。もちまえのてきぱきした解放的な性分で、彼にもあからさまに好意を示したし、ほかの門人や女中たちにも平気でそれを話した。
 ――あのひとは男ぶりも悪かあないけど、あたし男ぶりなんかにれたりしやしないよ、あのひとはきっといまに名をあげる、うちの先生の上を越す絵師になると思うんだよ、それだからあたしゃ惚れたのさ。
 御殿絵師の家といえば格式があって、武家と同じように礼儀作法がやかましい、召使なども決してこんな品の悪い言葉づかいはしないものであるが、お石は平気でずけずけとまくしたてた。
 まわりの者には笑止でもあり、こづら憎いはなしであった。ちんちくりんで、縹緻きりょうも悪く、品のないお石などが、狩野家の麒麟児とまでいわれる近恒を、すでに自分のものかなんぞのように触れまわす。これは誰が考えてもばかばかしい、独りよがりの妄想もうそうというほかはない。
 ――お石さん祝言はいつするの。
 朋輩ほうばいの女中たちはそんなふうに云いながら、かげではいいわらい者にしていたのであった。
 又五郎は二十三歳のとき、師の信近にそむいて狩野家を出た。御殿絵師というものの生活もいやになったし、古くさい、概念と規矩のわくにはまりきった、進歩も創造もない画風にあきたらなくなったのである。
 古典はもうたくさんだ。御殿絵師は古典の糟糠そうこうろうするにすぎない、絵とはもっといのちのかよった未知の真を創りだすものだ、おれはおれの絵を描きたいように描く。彼はこう云って、師の信近に叛いた。
 彼は若かった。そして伝習に叛くということに、一種の誇りとよろこびを感じた。その気持がまたお石を妻にする動機にもなったのである。彼はお石が自分に好意をもっていることも、それが狩野家の人たちのもの嗤いになっていることもよく知っていた。
 お石に対するかれらの軽侮が、彼の反抗する気持をあおり、お石をれて出ることに、一種の壮快な自負をさえ感じたのであった。
 小石川久堅町の、その裏長屋に家を持ってから、もう十年あまりの月日が経っている。彼が出たあとを追って、島田敬之助、松屋貞造、井上孝兵衛という三人の門人も、狩野家から去り、又五郎を中心に新しい画風を興そうとして、再出発することになった。島田と井上は貧乏な小旗本の子で、貞造は神田今川橋の松屋与平という反物商の四男だった。
 またこれらの関係から、新しい画風という魅力にひかれて、若い者が多く集まるようになり、久堅町の長屋のひと間は、昼も夜も客の絶えまがないほど賑わった。
 家をもって二年めくらいまではそんなふうで、絵を頼む者も少なくなかったし、彼をとりまいた新勢力が、ぐんぐん伸びるようにみえた。しかし二年めの秋、彼が日本橋矢の倉の亀井楼で画会を催したあと、情勢はまったく逆転したのである。
 その画会では四種の三幅対と、撫子なでしこを描いた二曲屏風びょうぶとが、彼の自信のある作であった。古典や既成概念をきりすてて、まったく独自な手法と、大胆不敵な構図とで、島田や松屋や井上などはもちろん、まわりの青年たちは喝采かっさいし眼をみはったものであるが。
 しかし画会はまったく失敗であった。招いた客も評判につられて来た客も、いちように失望と反感を示した。こそこそ耳うちをしたり、皮肉に笑ったり、なかには聞えがしに悪口を云ったりした。
 こういう会には、招いた客に、扇面とか短冊などを、席上で描いて配るのが例である。くだらない習慣だと思ったが、又五郎も初めての催しなので、その支度をしていたところ、これはと思う客は誰ひとり寄りつかない。ざっと絵を見ると、そのまま挨拶もせず、逃げるように帰ってゆく者が多かった。
 彼をもっともひいきにして呉れる客に、日本橋石町こくちょうの大きな乾物商で、阿波屋加平というひとがある。まだ狩野にいたじぶんから彼の画風を愛し、久堅町へ家をもってからもよく面倒をみて呉れた。
 その画会のときにも、阿波屋が二曲屏風と三幅対を買って呉れ、それでようやく会の費用をまかなうことができたけれど、さもなければ江戸を逃げださなければならなかったかもしれない。この失敗は決定的で、それ以来がらがらと彼は落ちめになった。
 ――世間はめくらばかりだ、あいつらには本当の絵のよさがわからない。
 若い仲間はそう云って肩をあげた。又五郎は酒を飲みはじめ、若い仲間と議論したり、遊里へいりびたったり、二十日も五十日も絵具皿を乾かしたまま、仕事に手を出さない日を送ったりした。
 借金はかさむばかりだし、絵を頼む者はしだいに減るし、とりまいていた青年たちも一人二人と遠のくし、生活は苦しく、暗くなる一方であった。
 島田と井上と松屋は彼を離れなかった。かれらは又五郎の才能を信じ、そのなかに自分たちの道の開拓があると信じていた。かれらは又五郎の絵を高く評価することで自分たちの野心の正しさを確かめ、同時に一般の人の鑑識の低さと、声名ある画家や、世にもてはやされる絵の卑俗で低級なことを証明しようとした。
 しかし人間は、いつも純粋でいることはむずかしい。かれらは自分たちを信ずる余り、自分たちを受容れようとしない世間に対して、軽蔑けいべつと憎悪を感じはじめた。
 ――あのときの画会の失敗がわかったよ、あれは単に絵が理解できなかったためじゃない、狩野家の手がまわっていたんだ。
 井上孝兵衛が確かな筋から聞いたと、そういきまいたとき、又五郎は冷やかに笑った。
 ――なんだ、今ごろやっと気がついたのか。
 おれは初めから知っていた、絵を頼む者がなくなったのも、狩野一派の策謀なんだ。わかりきっているじゃないか。こういって、もういちど投げるように冷笑した。
 お石が遠慮もなく叫びちらすようになったのはその頃からのことだ。彼女は初めての画会のときまでは、少しばかり度外れなほど彼を愛し、はたの者にはみぐるしいくらい彼を尊敬し、彼が自分の良人おっとであることを誇った。
 だが落ちめになるとしだいに変り、まるで手のひらを返すように、ずけずけと不遠慮にふるまいだした。集まって来る友達はもう今では三人きりであるが、かれらが来るとふきげんになって、お茶ひとついい顔では出さない。酒とでも云おうものなら、とたんにぱりぱり叫びだすのである。
 ――酒だって、へ、太平楽なこと云っちゃいけないよ、こっちは晩に炊くお米がないんだよ、おまえさんたちはくらい酔ってりゃいいだろうけど、あたしゃおまんまがなきゃ飢死にをしちゃうんだよ、酒を買って来いだって、へ、自分でいってみたらいいだろ、掛で売って呉れる店なんか隣り町にもありゃしないんだから、人並なことを云うんならたまにゃ人並な仕事をするもんだ、朝っから晩までぶらぶらしていて、ろくでもないことをがあがあ饒舌しゃべってばかりいて、それでこんにちさまに相済まないとも思わないのかい、飲みたきゃ井戸端へいって井戸替えをするほど飲むがいい、おまえさんなんか水でも飲んでりゃたくさんだよ。
 又五郎はふと眼をあげた。
 枯れた草原のすぐ向うに、江戸川がゆるやかにうねって流れている。枝の裸になったくぬぎの疎林が、はがね色の冷たそうな水面に、しずかな影をおとしている。――林の脇には葉の白茶けた竹籔たけやぶがあり、その向うの畑で、一人の百姓が黙って、疲れたような動作で、ゆっくりと畑の土を返しているのが見えた。
「――だめだ、あの絵もいけない」
 彼はこう呟いて頭を振った。
 阿波屋加平だけは今でも、さすがに以前ほどおうようではないけれど、とにかく絵を注文して呉れるし、のっぴきならぬ場合には、幾らかの融通もして呉れる。彼はその阿波屋の依頼で、半年まえから大幅にかかっていた。
 それはいま彼が眼の前に見ている江戸川と、その迂曲うきょくする川に沿った林野における、遊楽や農耕や労働などのそれぞれの人間生活を描いたものだ。
 その構想は彼にとっては大きな意味をもっていた。そこには新しい今後の道がある、その絵が望むように描けたらこんどこそ彼は本気で仕事にかかれるだろう。
「――だがいけない、あれはなにかぬけている、なにかが足りない、裂いてしまおう」
 又五郎は苦しげに呟いた。写生をもとにして構図を練るのに五十日あまり、それから白描だけでも十四、五枚やった。これでよしとなって、本式に描きだしてから三月は経つ、もう五枚も反古にしているのだが、――こんどこそと思った六枚めがまたゆき詰った。どうもがいてもいけない、まったくあがきがつかないのである。
「――矢来下へゆこう、酒だ」
 彼はうめくように云って立ちあがった。


 矢来下の井上のところには松屋貞造がいて、珍しくてんや物などを並べて酒を飲んでいた。貞造が今川橋の家へいって母親から金を貰って来たのだという。
「――勿体もったいないが騙しよいといってね、おふくろだけは有難いもんですよ、親父や兄ときたひにゃ小言の百万遍を並べるだけで、それこそ百も出しゃあしない、そこへゆくとおふくろは涙ぐむだけですからね、涙ぐんで、なけなしの臍繰へそくりを黙って呉れるんだ、いいもんですよ」
「そんなときばかり褒めるやつさ、おふくろさんこそいいつらの皮だ」
 孝兵衛がそう云って笑った。
 それから矢来下を出て、島田の家へいったのがようやくひるごろらしい。その近所から飲みはじめて、れ方には柳橋の舟宿にいた。神田川を眼の下に見る二階座敷で、もうかなり酔っている三人を相手に、例のごとく画論をやり、例のごとく熱をあげたのである。
「大雅がくだらねえのはもちろんだ、あんなものは遊びだ、光琳だって遊びだ、みんな絵をにげてる、風雅めかしだ、本音とはべつなところで、風流とか文雅などをてらってるんだ」
 そう何十遍となく云い古したことをまたいっている。自分でそう思いながら、そう思うことで逆に声を高くし、言葉を激しく強くした。
「応挙なんて型じゃねえか、型で描いてるだけじゃねえか、偉そうに構えたって雪舟だってそうだ、つきつめてゆけばみんな原型があるじゃないか、鎌倉期以前のものはいいよ、絵巻や絵師なんぞには独特なものがある。土佐派のものにもずいぶん独創的なものがある、近世でややみられるものといえば宗達くらいしきゃいやしねえ、あとはたいてい模倣か遊びだ、そんなものは絵じゃあねえ、絵というものには生命がかよっている筈だ、何百千年のちの人間にも、ぴしっと生命のかようものがなくちゃあほんものの絵とは云えやしねえ」
「生命のかよっているものを」孝兵衛が大きな声で云った。「――新しいほんものの絵を、おれたちの手で」
「風俗を叩きこわそう、高邁こうまいに生きよう、八百屋、魚屋のような、金儲かねもうけのための絵を葬むるんだ、真の絵はおれたちのなかにある」
 島田敬之助も、こう云って膝を叩いた。まるで膝の上にその風俗があるかのように。それからどんなようなことになったものか、気がつくと吉原の小店のひと間に寝ていた。まえにもたびたび来たことのある家で、その狭い、うす汚れた部屋にも見覚えがあった。
 ――またやった、情けないやつだ。
 彼は眉をしかめ唇をゆがめて、嫌悪に堪えぬように頭をぐらぐらさせた。悔恨というより、自分がきたならしく、いやらしく、やりきれないほど情けなかった。
 ――側に寝ていた女がふと首をあげた。――もぞもぞ身動きをして、そうしてこちらへ向きなおった。
「眼がさめたの、気持はどう、――苦しいのなおった」
「たいしたことはない、伴れはどうしたろう」
「みんなあっちにいるわ、水あげましょうか」
 又五郎は女の顔を見ることができなかった。
「いまなんどきごろかね」
「まだ早いわよ、今日もいつづけだって云ってたじゃないの、――お酒とうにここへ持って来てあるのよ、ちょっとおかんしましょうか」
「いや酒はもういい」
 彼は起きて手を洗いにいった。連子窓れんじまどの障子がうっすら白んでいるようにみえた、頭は濁り、躯はふらふらし、なにかのぬけがらのような感じである。――妻のお石の姿が眼にうかんだ、甲だかな叫びごえが耳にまざまざと聞える。長屋ではそろそろ起きだしている家があるだろう。素朴なつつましい生活の音、その日その日のいとなみの、単調であるためにかえって安らかな物音。……お石はどんな気持で、どんな顔でそれを聞いているだろうか。又五郎は低い呻きごえをあげた、それから激しく首を振り、唇を歪めて笑った。
「それがなんだ、おれは問屋から荷を卸して来て、それを売って暮す者とは違う。建具屋でもなければ呉服屋でもないんだ、そういう利で食う人間とは違うんだ」
 彼はこう呟き、眼に見えない敵とでも対決するように額をあげ肩をそびやかした。
「高く飛躍するためには常識からぬけ出さなくてはならない、世俗的な観念をうち毀すんだ、おれがどんな人間かということは、絵が証明するだろう」
「なに独り言を云ってるの、寒いのにいつまでこんなところでなにしてるのよ」女がうしろへ来て腕をひいた。又五郎は向きなおり女の肩を抱きながら云った。
「飲もう、いって三人を起して来て呉れ」


 昏れがたにそこを出て、その夜は島田の家で泊り、明くる日は井上がどこからか金を都合して来て、また飲みまわったうえ、吉原の同じ家へあがった。――しかしもう昂奮こうふんもなし刺激もない、四人の気持はもうばらばらで、いっしょにいることが逆にお互いの孤独感を強くした。
 ――ごまかしだ、なんという青くさい、しらじらしいごまかしだ、逃げだそう。
 それぞれの部屋へ別れるとすぐに、又五郎はその家をとびだした。まだ宵を少しまわった時刻と思われるのに、もう霜でもおりたように道はてて、こがらしめいた風がかなり強く吹いていた。――駕籠かごにでも乗りたかったが、自分では一文も持っていない。身も心も憔悴しょうすいし疲れて、寒さに絶えず震えながら、なかば駈けるような足どりで歩いていった。
 家へ帰ったのは十時ごろだったろう、手足のさきは寒さのためにこごえ、おまけに酔がさめたのと空腹とで、みじめにがちがち歯が鳴った。どんなにあしざまに喚かれることか、そう思いながら路地をはいってゆくと、ずっと雨戸を閉めて暗くなっている長屋の一軒だけ、灯を明るくして賑やかに女たちの笑いはやす声の聞える家があった。
 ――おれの家らしいが、しかしまさか……。
 彼は首をひねった。近寄ってゆくと、それは正しく自分の家で、女たちの饒舌のなかに、お石の高笑いの声がはっきり聞えた。
 ――なんだろう、なに事があったのだろう。
 すぐにははいりかねる気持だった。しかしなかば不安にかられて格子をあけ、声をかけると、けたたましく女たちが笑い、そらお石さん可愛い御亭主のお帰りだよ、御亭主なんてとんでもない、天下に名高い大先生じゃないか、はいお帰りあそばしませ、ずっとどうぞ。そんなことを云いながら、中から女の誰かが障子をあけた。
 行燈のほかに蝋燭ろうそくが三つ、まぶしいほど明るくして、近所の女房たちらしいのが六七人、ぜんを並べて、仕出し屋からでも取ったとみえる、食いあらした皿小鉢や椀などを前に酒を飲み、いいきげんに酔って騒いでいるところだった。
「そんな妙な顔をしないでこっちいおいでなさいね、のうこちのひと、ここへおじゃや」
 お石がそう云って畳を叩いた。
 それでまた女房たちはきゃあと声をあげ、みだりがましく隣りにいる者へ抱きついたり、押し合ったりして、口ぐちに囃したてた。
 又五郎はあっけにとられ、とまどいをし、途方にくれてなにか云いわけのようなことを云いながら、こっちから障子を閉めて外へとびだした。路地へはいるとき、長屋の差配をしている五兵衛の家が起きているのを見た。
 お勝という妻と二人ぐらしで、筆墨紙硯などを売っているが、それはほんの隠居の小遣い稼ぎであって、息子が神田で相当に大きな紙問屋をしており、そっちから月々のものを貢がれるらしく、好きな将棋と発句などひねりながら、ごくのんびりと暮していた。……少し口がうるさいのと、相手構わず発句をすすめ、将棋をいどむのには閉口するが、かげでは困っている者の面倒をよくみてやり、長屋のこととなると親身になって世話をした。
 又五郎などもずいぶん厄介になった、店賃の滞るのは云うまでもない、こまごました借もだいぶある。しかし五兵衛はいちどもいやな顔をしたことがなかった。
 ――人間なにをするにも本当の苦労を知らなけりゃあ良い仕事はできませんや、まあひとつふんばって良い絵を描くようになって下さい。
 そんなふうに云って、ときには息子の店からでも持って来るのか、たやすくは手にはいらないような、高価な紙を呉れたりした。――路地を表へ出ると二軒めの、雨戸が一枚あけてあり、山形に五の字の印を書いた腰高障子に、まだ明るく灯がうつっていた。
「おや珍しい、いまお帰りですか」
 障子をあけると、妻女のお勝が笑いながら挨拶をした。店に続いた六畳で、五兵衛が米屋の秀さんという若い者と将棋をさしていた。
「火がありますからこちらへどうぞ、お帰りになったらあんまりお賑やかで、びっくりして逃げていらっしゃったんじゃありませんか」
「こっちへおいでなさい先生、お茶でもれますから」五兵衛は盤をにらんだままでいった。「――先生には茶じゃあしようがねえか、婆さん早いとこ一本つけてあげて呉んな」
「いや酒は充分です、本当のところもう」
「いつづけの宿酔ふつかよいてえわけですかい、そいつあいいが、待てよ、待て待て待てと、――この銀をこうひいて、こうひいてからどうする」
 又五郎は火鉢の側へいって坐った。将棋は終盤にはいって、まぎれがでてもめているらしい、五兵衛も秀も夢中で、誇張していえば眼の色が変っていた。――お勝は新しく茶を淹れ、菓子の鉢などをすすめて、笑いながら、お石の思いがけない饗宴きょうえんの話をした。
「ふだん男ばかり楽しんでいるのは不公平だ、たまには女も楽しくやろうってね、あたしも呼ばれて顔だけだしたんですよ、なにしろあなた桶屋のおかねさんに、吉さんとこのげんさんが音頭とりですからね、三味線を弾く、唄う、踊るで、ひとしきりお宅の前は見物でいっぱいでしたよ」
「たまには女が楽しむのもいいさ、女だけで飲んだり食ったり、唄ったり踊ったりも結構だ、ときにはそうやって世帯の苦労を忘れるがいいさ、構やしねえけれども、それにしてもほどてえものがあらあ」
 五兵衛が盤をねめまわしながら云った。
「先生の絵が売れて、思いがけない金がへえったとかいうこったが、それにはまあ先生も二日三日お帰りんならねえ、なげえことむしゃくしゃしてもいたこったろうが、――いくらなんにしたって、お留守にあの騒ぎてえなあ乱暴だ、あたしあ古くせえ人間だから、どんなわけがあるからってあんななあ嫌えですよ」
 又五郎はどう挨拶のしようもなく、茶碗で手を温ためながら、黙って頭を垂れていた。しかし五兵衛の「絵が売れた」という言葉にはどきっとした。売るような絵は一枚もない筈である、売るにも売らぬにも、このところずっと絵らしいものを描いていないのである。
 ――なにをどうしたのだろう。
 彼は天床を見あげた、そのとたんにふっと思い出したのは、阿波屋に頼まれて、描きかけのまま納戸へ入れておいた絵のことだった。
 ――しかしまさか、まさかあれを……。
 お石は彼の気性を知っている、どんなに困っても、自分で気にいらない絵は決して売らない。それを知っていて、あの絵をもちだす筈はない。だがそのほかになにがあるか、写生の白描などならあるが、そんなものを買う粋狂人もあるまい。
 それよりも、いったいその絵を買ったというのは誰だろうか。このところ絵を求めに来るのは、殆んど阿波屋加平ひとりに限られている。阿波屋、……又五郎はぎゅっと茶碗を握りしめた。一昨日、家を出るときお石が云った、阿波屋の旦那が来たらなんと返事をするのか。そうだ、阿波屋がもう催促に来る筈だった、留守に来て、もしもお石があの描きかけの絵をだしてみせたとしたら。
 ――ああいけない、それだ。
 又五郎は危うく声をあげそうになり、茶碗を置いて立ちあがった。お勝もびっくりし、五兵衛も駒を持ったまま振返った。だが又五郎はのぼせたようになって、
「お邪魔をしました、心配なことができましたから、どうも御馳走さま」
 こんなまごついたことを云いながら外へ出た。路地へはいると、ようやく酒もりも終ったとみえ、かしましく笑ったり、あけすけにみだりがましい言葉を投げあったりしながら、女房たちが別れ別れに出てゆくところだった。
 その声が聞えなくなり、みんながそれぞれの家へはいるとすぐ、お石が戸口から顔をだすのがみえた。又五郎はそっちへいそぎ足にゆき、びっくりして、なにか云うお石をつきのけるように部屋へあがった。
 さすがに女は女らしく、あれほど狼藉ろうぜきにちらかっていたのが、ともかくいちおう片づけてある。又五郎はまっすぐにいって納戸をあけた。
 そこには五段の棚があり、手をつけない紙や、写生帖や下描きや、描きかけの絵などが、分類してしまってある。その上段の、いつもそこに置いてある絵が、心配していたその絵が、そこにはなかった。
「どうしたのさ、そんなとこ今じぶんどうしようってのさ、もう寝るんだからひっかきまわしたりちらかしたりしちゃいやだよ、よしと呉れってんだよ、寝るんじゃないかね」
「――ここに置いた絵をどうした」
「絵って、ああ、あれは阿波屋の旦那にお渡ししたよ、だってどうお返辞すればいいかわからないし、旦那は旦那でいくらなんでも今日は仕上ってるだろうっておっしゃるし」
「――まだ描きかけだということは知っている筈じゃないか」
「そんなこと云ったってもうだめだよ、あたしゃもうごまかされやしないよ」お石の酔って赤くなった顔が醜く歪んだ、「――いやこれは気にいらない、これは描きかけだ、こんなものは人に見せられない、滑ったの転んだのって、これまでうまいことを云っちゃあたしをごまかしといて、破いちゃったとかひっ千切ったとか云って、それで本当はみんなかげでこそこそ売ってたんじゃないか、隠れて売っちゃあ飲んでいたんじゃないか」
「――阿波屋から幾ら貰ったんだ」
「大きなお世話だよ、知らないよ、阿波屋の旦那は仰しゃったんだから、絵をごらんになるとすぐ仰しゃったんだからね、なんだ描きかけだなんて、もうすっかり仕上ってるじゃないか、もうどこに一点も筆を入れるところはないじゃないかって、そう云って」
「うるせえ、金は幾ら貰ったんだ」
 又五郎は立って、すごいような顔をして、ぐいと烈しくお石の肩をつかんだ、お石はそれをふり払い、眼をぎらぎらさせて叫んだ。
「そんなことおまえさんの知ったこっちゃないよ、男はね、金のことなんかに口だしをするもんじゃないんだろ、少しばかりの金に眼の色を変えて、みっともないってんだよ」
「うるさい、黙れ」
 お石の頬でびしっと高い音がした。


ぶったね、おまえさんあたしをぶったね」
 お石はこう叫んでむしゃぶりついた。又五郎はなお二つ三つ、平手打ちをくれ、足搦あしがらみをかけてひき倒すと、お石の上へ馬乗りになり、ぐっと押えつけて動かさなかった。お石は足をふんばり、みつこうとし、どうにもならぬとみてひいと泣き出した。
「おぶちよ、もっとおぶちよ、好きなだけぶったらいいじゃないか、あたしなんか、どうせあたしなんか」
「きさまは狩野にいた、おれといっしょになってからも、もう十年になる」
 又五郎は歯をくいしばり、声をころして云った。
「絵師というものがどういうものかくらい、およそわかっていない筈はないだろう、ことにおれはひととは違った仕事をしようとしている。これまでの絵師のやらない、本当の絵らしい絵、新しい絵の道をひらこうとしているんだ、そのためおまえには貧乏させる、済まない、悪いと思っているが、おれだって暢気のんきじゃないんだ、おれだって苦しいんだ」
 お石は醜く歪んだ顔を右へ左へ振り、そんなごたくは聞きたくないと叫び、なおも身もだえをし、泣きじゃくった。
「どうくふうしても思ったような絵が出来ない、描いても描いても俗になってしまう、寝ても起きてもそのことで頭はいっぱいだ、夜なかに眼がさめて、どうにもならない気持で、独りで呻いたりもがいたりしているんだ、――あんな出来そこないの絵を売るくらいなら、おまえにも貧乏はさせやしない。おれだってこんなに苦労はしやあしないんだ」
「もうわかったよ、お念仏はたくさんだよ、痛いから放しとくれよ」
「金はどうした、幾ら受取ったんだ」
「そんなに欲しきゃ出してやるから、そこをどいてあたしを起しと呉れよ、放さないのかね」
 又五郎が手を放すと、裾のみだれているのも構わず、お石は針箱のところへいってそれをどけた。その下に古ぼけた手縫いの財布が隠してあった。お石はその中から紙に包んだのを取り出して、あてつけのようにこっちへ投げてよこした。
「これでみんなか、これだけ受取ったのか」
「差配んとこやほかのこまごました借を払ったよ。米屋だって酒屋だって、たまには幾らか入れなきゃ、あたしがどんなにずうずうしくたって」
「そんなことをきいてやあしない、いったい阿波屋から幾ら貰ったかと云ってるんだ」
「あたしが頂いたのは五両だよ、とりあえずこれだけと仰しゃったから、あとはどうなるか知らないけど、それだけ出して下すったから頂いて、――どうするのさ、そのお金を持ってどうしようってのさ」
 又五郎は金を包んでたもとへ入れて立ちあがって帯を締めなおした。
「どうするものか、いって金を返すんだ、そしてあの絵を破いてくるんだ」
「その金を返すって、おまえさん、本当に返すのかい」
 又五郎は黙って土間へおりた、お石は顔色を変えて追って来て、それから裂けるような声でどなった。
「いいよわかったよ、返しといで、あたしゃもうたくさんだ、もう飽き飽きした、辛抱が切れたよ、あたしゃひまを貰うからね、うちへ帰るからね、そう思っと呉れよ」
 又五郎はそれを背に聞きながら外へ出た。
 ――風は少しおちたが寒さはきびしく、道のぬかったところはばりばり凍っていた。町ごとの木戸で親が急病だからと断わり、なかば走るようにいそいでいったが、石町の店へ着いたのは夜半をまわっていた。
 阿波屋は間口五間の店の左側に、くぐりの附いた一間の門があり、奥へはそこから出入りをする、それは知っていたけれども、又五郎は店の大戸を叩いた。
「お願い申します、久堅町の平野でございます」
 こう繰り返しながら叩き続けた。
 店の者が起きて、中から用件をきいて、そして奥へ取次いだのであろう、暫くすると店の横の敷石の路地に下駄の音がし、すぐ中からくぐり戸があいた。加平が自分であけに来たのである。
 それから奥の二階のひと間へ導かれると、妻女がうずみ火の上へ炭をついだ火桶を持って来、なお「もうぬるいかもしれないが――」などといって、茶を淹れて呉れたりした。
 又五郎は坐るとすぐに袂の金包みを出し、自分が留守だったので、お石が断わりなしに遣い、五両のうちこれだけしか残っていないこと、遣った分は借りたことにして、次に描くもので取って貰いたいこと、今は済まないがこの残っただけ受取って、あの絵を返して貰いたいことなど、昂奮と寒いのと空腹とに震えながら云った。
「そのためにこんな夜更けに、わざわざ久堅町から出てきたんですか」加平はあきれたらしいが、
「――平野さんの気性は昔から知ってるが、それにまあ金のことなぞはどっちでもいいが、……あの絵がどうしていけないんです、結構じゃありませんか、失礼だがこれまで拝見したなかでは図をぬいてるじゃありませんか、勝手なはなしだが、私はあれにむらの曲水という題まで考えてるくらいです」
「いけないんです、あれはだめなんです、どうしたって裂かなければならないものなんです」
 又五郎はただそう云い続けた。暫くなだめたがなんとしてもきかない、加平はじれったくなったようすで、立ってゆき、絵を持ってきて、ではどこがどういけないのかと、ひらきなおった姿勢で云った。
「――ああ、どこがどうもありません、ぜんたいなんです」
 彼は絵をじっと眺めながら、独り言のようにこう云って呻いた。絵を眺める眼はするどく光り、表情が泣くようにひきつった。
「だめです、やっぱりだめです」
 こう云ったと思うと、又五郎はその絵を取って、加平がああと止めるより早く、ひき裂いて、千切ってまるめてしまった。
「冗談じゃない、それは私が買ったもんですぜ、買って金を渡した以上私の物だ」加平は色をなして云った。「――おまえさんがどんな偉い絵師かは知らないが、いったんひとの持物になった絵を、ただ気にいらないからで破くという法がありますか、乱暴じゃあないか」
「まことに申しわけありません、無法も乱暴もわかっています、しかしこの絵は破かずにはおけないのです、――今こんなことを云うのは御笑止かもしれませんが、その代りに必ずいいものを描いて、きっとこのおびを致しますから」
 両手をついて、頭を垂れて、謝罪を乞う者のように又五郎は云った。加平の怒りは嘘ではなかった。けれども又五郎のそのようすを見ると、自分にも悪いところがあったと気づき、こんどは穏やかにうなずいた。
「それはまあ、あたしも留守へいって、平野さんの承諾なしに貰って来たのは悪かった。待ちに待って、しびれをきらしていたところだもんだから、――まあついなにしてしまったんだが、どうだろう平野さん、この図柄をもっと大きなものに描く気はありませんか」
「もっと大きくといいますと」
「六曲はどうです、なるべくなら一双がいいが、半双でも描いてみる気はありませんか」
「それは考えていたんです、六曲一双へ墨だけで、やってみたいとは思うんですが、なにしろ御承知のような暮しですから」
「いや平野さんにもしその気があるなら」
 加平はこう云って坐りなおした。
「本当にやってみる気があるなら、場所は私の小梅の寮をお貸ししましょう、材料なんかもお気にいる物を揃えましょう、失礼ながら描きあがるまでの雑用もひき受けましょう、ひとつ思いきってやってみて頂こうじゃありませんか」
「――有難うございます、お世話になりどおしで、このうえまたそんな御厄介を」
「いや実はちょっと私のほうにもわけがあるんです、今は詳しいことは云えませんが、さる義理のある方から平野さんに屏風をと、まえっから頼まれていたんです、貴方がその気になって呉れれば、私はよろこんでお役に立ちたいところですよ」
「――よくわかります、本当に有難いと思いますし、ぜひやりたいんですが」
 その気持は充分にあるが、いちおう帰って、ゆっくり案を練ってみて、大丈夫という自信がついてから返辞がしたい、それまで五六日待って呉れるように、又五郎は大事をとってこう答えた。――そこで加平は妻女を起し、酒のしたくをさせて、隣りに寝床がとってあるから、一杯やって泊ってゆけと云った。
 明くる朝。食事のあとで、ちかごろ買ったとかで、石濤の山水を見せられた。それから石町の店を出たが、頭のなかは六曲一双のことでいっぱいになり、妙なところで立停ったり、道を間違えたりした。
「――鄙の曲水、……うん、悪くない」
 気がつくとこんな独り言も言った。
「――それが阿波屋にぴんと来たとすれば、そしてさほどそれが悪くなかったとすれば」
 こうして道で時間をとって、久堅町へ帰ったのはもう十時すぎであった。路地へはいると、長屋の人たちが妙な眼でこっちを見る、べつに気にもとめず家へいってみると、差配の五兵衛が上りかまちに腰を掛けて、いきまくような顔で煙草をふかしていた。
「ああお帰んなさい、だがお石さんはいませんぜ」
 五兵衛はいきなりこう云った。
「とてもつとまらねえからひまを貰う、先生には話がついてるからってね、起きぬけにやって来て、てめえの荷物をまとめて、半刻ばかりめえに出てゆきましたよ」
「――お石が、……出ていったって」
 又五郎は気のぬけたように棒立ちになった。
「先生が石町へいったわけもあらまし聞きました、私はそれこそ先生だと頭がさがった、だがお石さんにはわからねえ、――とにかくこんなとこへあがったってしようがねえ、私の家へいらっしゃい、悪魔っぱらいに一杯やって、これからの相談をしようじゃございませんか」


 その日は昏れ方まで、五兵衛の家で酒を飲み、燈のつくじぶんに家へ帰ったが、朝になると又五郎はすでにいなかった。
 五兵衛は友達のところだろうと思っていたが、三日ばかりして井上と松屋が来、それから島田へ問い合わせたところ、吉原で別れてから三人とも会っていないことがわかった。
 五兵衛はまだ出奔したとは考えられず、又五郎が酔って阿波屋の話をしたこと、小梅の寮を借りて屏風を描くと云ったことを思いだし、たぶんそっちへいっているだろうと、念のためすぐ石町へ確かめにいった。
 しかし阿波屋へもいってはいなかった、あの朝帰ったきり顔をみせないという。そこでみんな初めて慌てだし、手をまわして捜したのであるが、十日と経ち三十日と経っても消息がなく、とうとう失踪しっそうということがはっきりした。
「おれは死んだと思う、絵が描けなくなっていたからな、どうもそういう気がする」
「そうかもしれない、実際もう半年以上も描けないようだったな」
「狩野の麒麟児といわれたうえ、ひところは新しい画道の先導者として、ずいぶん世人の注目をあびていたからな、それにあの神経ではこれ以上は堪えられなかったかもしれない」
 井上や貞造や島田などは、身につまされるというふうにそう云っていた。だが差配の五兵衛はそうは思わないと云った。
「平野先生はきっと帰っていらっしゃる、私はそう思いますよ、ええきっと帰っていらっしゃる、――私はあの家へは手をつけません、あのままにして何年でも待っていますよ」
 しかし月日はずんずん経っていった。一年と過ぎ二年と経った。こうしてまる三年ちかく、又五郎からは音沙汰もなかった。
 あしかけにすれば四年めの九月、日本橋石町の阿波屋の店へ又五郎があらわれた。
 とつぜんでもあったし、まるで乞食坊主のような恰好で、加平にもすぐにはみわけがつかないくらいだった。
 古びた色のめた袈裟けさころも頭陀袋ずだぶくろをかけ、穴のあいた網代笠あじろがさをかぶり草鞋わらじばきで、そうしてほこりまみれという姿だった。
 湯を浴びて借り着のあわせになり、酒肴しゅこうの膳を前に、加平とさし向いに坐った彼は、初めて久方ぶりの挨拶をし、無断で出奔した詫びを云った。
「そんなことは構いません、帰っておいでなさればそれでいいので、しかし、いったいどこでどうしていなさった」
「どこと定ってはおりません、いろいろな人足もしましたし、飯炊きも樵夫きこりもやりました。禅寺へ入ったこともございます、雲水になって乞食も致しました、京から奈良、加賀、信濃から甲斐かいというぐあいにわたり歩いたものです」
 日にやけたばかりではない、全体にがっちりとたくましくなり、顔つきも明るく、押しても突いても動かない重厚な力感にあふれていた。――さかずきを交わしながら、ひとわたり放浪ちゅうの話が済むと、加平はふと改まった眼つきで、
「それで、これからいったい、どうなさるおつもりですか」
「絵を描いてまいります」又五郎はえた顔つきで答えた。「――まずあの六曲一双を描きあげたいと思いまして」
「結構ですな、ぜひ描いて頂きましょう」
「それからごらんのとおりのありさまなので、いつかのお話の寮と、描きあげるまでのお世話を願いたいのですが」
「ようございますとも、すぐその支度をさせましょう、――だがそうするとなんですな、旅でなにかいい収穫があったのでございますな」
 又五郎は眼を伏せた。それから静かな調子で、一語ずつ区切りながら云った。
「私は御家人の三男に生れ、絵が好きで、狩野家へ門人にはいり、寝てもめても絵のことばかり考えて育ちました、絵を描くということは、ほかのどんな仕事よりも尊く高い意義がある、そう信じておりました、――しかしこんど世の中へ出て、ひとつで生きてみて、人足をし百姓のてつだいをし、旅籠はたごの飯炊きなどをしてみまして、それが思いあがりであったこと、まちがった考えだったということに、気がついたのです」
 加平は盃を措いた。
 そして又五郎の言葉をいろいろかみわけるように、膝の上へ手を揃えてじっと聞きいった。
「百姓も猟師も、八百屋も酒屋も、どんな職業も、絵を描くことより下でもなく、上でもない、人間が働いて生きてゆくことは、職業のいかんを問わず、そのままで尊い、――絵を描くということが、特別に意義をもつものではない、……私はこう思い当ったのです、わかりきったことのようですが、私は自分の躯で当ってみて、石を担ぎ、土運びをしてみてわかったのです、そうして、初めて本当に絵が描きたくなって帰ってきたのです」
 加平は頷いた。
 そして聞いた言葉にはなにも触れず、彼の盃に酌をして、微笑ほほえむような眼をあげながら云った。
「六曲一双早く拝見したいものです」


 又五郎は小梅の寮へはいった。
 仕上るまでは誰にも知らさないように、こう云われたのであるが、加平はそうもできず、久堅町と島田ほか二人に彼の帰ったことを知らせ、但し絵のあがるまでは小梅へはゆかないようにと念を押した。
 小梅の寮には宇吉とおげんという老夫婦がいるだけで、これが又五郎の世話をして呉れた。そこは水戸家の下屋敷から五六町も東へはいったところで、左に源心寺という寺の森があり、東側ははりの林や、畑や田や、堀や農家などのひろい展望がある。まわりは武家の下屋敷とか、富家の寮などがとびとびにあって、たいてい樹の多い庭をとりまわしているから、まるでやまがへでもいったように閑静であった。
 加平は十日にいちどぐらいのわりで来た。
「ちょっと珍しい当来物がありましたから、寝酒のさかなにでもめしあがって下さい」
 そんなふうに云って、絵のことはなにもきかず、暫く話しては帰っていった。――又五郎はひと足も外へ出ず、八畳二間をぶちぬいた部屋で、ほとんどこもりっきりに仕事をした。……梅雨から暑中、秋風が吹きはじめても同じ調子で躯も相貌もせが眼立ってきた。
 訪ねて来る加平はだんだん不安になるらしく、宇吉やおげんに日常のようすを聞いては、首をかしげたり溜息をついたりした。
「いざとなるとそう思うようにはいかないんだろうが、しかしあれでは躯が堪らない、――ひとつ気をつけて、精のつくようなものをさしあげて呉れ」
 そうしてあれをこれをと、食べ物のさしずをし、店の者にもいろいろ運ばせるのであった。
 十月に指物師と経師屋がはいった。それからなお十五日あまり日が経ち、霜月はじめに加平が来ると、初めて屏風が仕上ったと云った。
 又五郎は九月ごろよりさらに痩せ、精根をつかいはたしたというようすだったが、顔つきも冴え、眼も強い光を帯びて、ひと仕事しあげたという充実した感動が、全身に脈をつかのようにみえた。
「勝手なお願いですが、松屋と井上、島田の三人を呼んで頂きたい、かれらが来てから、あの三人が来てから貴方あなたにも見て頂きたいのです、それまでごらんになるのをお待ち下さい」
「よろしいとも、早速その手配をしましょう」
 加平はとぶようにして帰っていった。
 なか一日おいて、まず加平が来、島田が来、少しおくれて貞造、井上の二人が来た。久しぶりに顔がそろって、茶を啜りながら暫く話をした。島田と井上孝兵衛は妻をもち、松屋は絵草紙屋を始めたという、相変らず人の好い笑い方で、
「なにしろおふくろに死なれちゃいましてね、金蔓かねづるが切れちまったもんだから、商売するんならと、親父が云うのを幸いにね」
 そんなことを云って頭をいた。
 ひとおちつきしてから、又五郎は立ってみんなを奥へ案内した。八畳二間の床を背に、六曲一双の屏風が立ててあった。――左半双の左の上端から、右半双の右の下端までひとすじの川が弧をなし円を描き、迂曲蛇行して流れている、滝があり瀬がありふちがある。
 そしてその川の両岸には重畳たる山や、丘や森や野や耕地や、村落や町があり、いちばん下流はひろくなって、繁華な市街にはいっている。またその到るところに、農漁工商、それぞれの職にいそしむ人たち、その人たちにつながる生活のさまが描かれている。
 全画面が墨の濃淡だけで、一点の色も使われていない。しかも墨に七彩ありというのはこのことかと思うほどあらゆる色彩の変化がみごとに表現されていた。
「私は人間が描きたかった、実際に生活している人間の、生活している姿が描きたかった。この絵の眼目はそれです」
 又五郎は告白でもするように云った。
「山水や花鳥を描いて、幽玄とか風雅とか枯淡などと云ってはいられない、絵師も人間であり、生活するからには、もっと人間を描き生活を描かなければうそだ、――通俗などと云って世間をみくだし、一段高いところにいるような気持でいるのはあそびだ、私は百姓が稲を作るように絵を描く、大工が家を建て、左官が壁を塗るように絵を描く、……この絵にはまだ考えたことの十分の一も出ていない、しかしこれからは少しずつそれがだせると思う、だせるように努めて仕事をします、どうかそういう気持でごらんになって下さい」
 加平にも島田や井上たちにも、彼の云う意味はよくわからなかったようだ。言葉の意味がわからないより、眼の前にある絵からうける感動のほうが、もっと大きく深かったのかもしれない。
 加平が立っていって、まもなくそこへ祝いの酒肴が運ばれても、三人は呻いたり歎息したりして、まるで縛りつけられたかのように、屏風の前を動かなかった。
 あとでわかったことだが、その屏風は松平阿波守の依嘱であった。阿波屋には領主に当るので、古くから出入りをしていたが、或るとき献上した「撫子」の二曲屏風が侯のお気にめし、ほかの絵もみたいということで、買い溜めてあった又五郎の絵を持っていった。――すると阿波侯はひじょうな執心ぶりで、六曲一双をぜひということになったのだそうである。
 又五郎の屏風は阿波守には予期以上だったらしい。加平を通じて三十人扶持ぶちを賜わること、なお家を建ててやるようにという旨意しいが伝えられた。
 又五郎はすなおに受けた。家は新しく建てるより、小梅の寮がそのまま仕事に使えるので、加平と相談のうえそこを貰うことになった。
 年が明けて二月。又五郎は小梅の新居で、ささやかな祝宴を催した。招かれて来たのは島田たち三人のほか、久堅町の五兵衛夫妻と、長屋で親しくした者が五人、そして阿波屋加平という顔ぶれであった。
 ひるまえに集まって、はじめのうちは、長屋の人たちは固苦しそうにしていたが、酒肴の膳が並び、盃がまわりだすと、しだいに話がほぐれてきて、くつろいだなごやかな気分が座にひろがった。なかでも五兵衛はたいそうなごきげんで、
「なあそうだろう、おれの睨んだ眼に狂いはねえ、おらあちゃんと睨んでたんだ、平野先生がどういうひとかてえことをよ、そう申しちゃあなんだけれども、おらあ睨むところはちゃんと睨んでるんだ、こいつは自慢じゃあねえぜ、うれしいんだ、うれしくってしようがねえから云うんだぜ」
 こんなことを云っては、もともと酒には弱いほうだが、しまいには涙をこぼしたりした。――そのうちに唄いだす者があり、松屋貞造が踊ったりして、いかにも祝宴らしい賑やかなけしきになったが、そこへ思いがけない客があらわれた。取次の者が「平野の縁辺の者だ」と聞いて、やはり祝いに来た客だと思ったのだろう、その男女二人を座敷へ案内して来た。
 わきたつような賑やかさで、初めのうちは誰も気がつかなかったが、長屋から来た一人がふとみつけ、
「あれあれ、お石さんじゃあねえか」
 びっくりしてこう叫んだ。
「なにを云うんだ」五兵衛は酒にむせ、慌てて膝の上を拭きながら振返った、「――すっ頓狂な声をだしあがって、なにがどうした、お石さんたあいったい……」
 そして五兵衛もあっと云った。みんなその声で唄をやめ話をやめた、賑やかな騒ぎが急に鎮まり、みんながそっちへ眼を向けた。次の八畳のとば口に、お石と、見知らぬ老人が一人、肩をすくめるように坐っている。
「これは珍しい、お石さんだね」阿波屋がまずこう穏やかに言葉をかけた、「――ずいぶん久方ぶりで、……どうしておいでなすった」
「失礼ながら私が御挨拶申します」
 見知らぬ老人が手をついて、きわめて鄭重にこう云った。
「私は千住の在で百姓をしております、定七と申してこのお石の叔父に当る者でござります。親がまいるところでございますが、お石のことを恥じまして、どうもあがることができない、済まないが代理でいって呉れと、むりに頼まれて私がお伺い申しました、――平野先生にはこのたびはたいそうな御出世で、まことにおめでたく、お祝いを申上げます」
「ちょっと待って下さい、いいえ、まあちょっと私にものを云わせて下さい」五兵衛が立って来て、二人の前へいって、ずかっと坐った。
「私はね、久堅町の五兵衛てえ者です、ええ、先生のいらっしゃった長屋の差配でね、――ところでぶっつけにききますがね、唯今のお祝いの御挨拶は承りました、遠いところをわざわざ有難うございましたが、……おいでになったのはそれだけの御用ですか、ほかにもっと肝心な用むきがあるんじゃございませんか」
「まことにどうも、そう仰しゃられますと、その、甚だなんでございますが」
「いやうかがいましょう、べつに奉行所のお白洲じゃねえので、どんなことを云ったからってとがめるの縛るのなんてえことはねえ、ひとつはっきり仰しゃってみて下さい、――いいえ阿波屋の旦那、いけません、みなさんもここは私に任せて下さい、――さあ、定七さんとやら、ひとつ用むきというのを聞こうじゃあございませんか」
 定七という老人は手拭を出して、額の汗を拭き、きちんと坐った膝をで、やがて思いきったというふうに、実はお石を平野へ戻して貰いたいのだと云いだした。
 お石はあのとおりの気性で、親に相談もなく久堅町をとびだした。帰れと云ってもきかず、まもなくまた狩野家へ女中にはいった。縁談も二つ三つあったけれど、そんな話には耳もかさずに、ずっと狩野家で勤めていた。
 勝手にとびだしたものの、やっぱりみれんはあったのだろう、又五郎の消息には絶えず注意をしていた、そうしてこんど彼が松平阿波守にみいだされたこと、彼の描いた屏風が、狩野派の絵師たちにまで、名作と評判されていること、これらを聞いて矢も楯も堪らず、親元へとんで来て、どうか復縁させて貰いたい、自分の悪かったことはどんなにでもして詫びをする、これから心をいれかえて良い妻になる、どんな辛抱でもするからと、泣いて親たちをくどいたということであった。
「この年をして、こんなことをお願い申すのは、まことに面目がございません、実のところお願いなどできるわけのものではないのでございますが、私にしましてもこれは血をわけためいではあり――」
「いやわかりました、お話はよくわかりました、そのお返辞はね、さしでがましいが私からお石さんに云わせて貰います」五兵衛はこう云って、お石のほうへ向きなおった。
「お石さん、叔父さんの仰しゃることは聞いたよ、おまえさん先生のところへ戻りたいんだって、――へえ、あの貧乏のさなかには後足で砂をかけるように出ていったおまえさんが、こんどは先生が出世をなすった。天下の絵師といわれるようになんなすったから、元へ戻りたい、……へえ、いい都合だねえ、あっぱれみあげたもんだ、けれどもね、おまえさんにはいい都合かもしれねえが、また先生がなんと仰しゃるかあ知らねえが、こいつは私がお断わりするよ、さしでがましいが私がきっぱりお断わり申すよ」
「五兵衛さん待って呉れ」又五郎がとつぜんそう云った、「その気持はよくわかるが、ちょっとそいつは待って呉れ」
「いや平野は口をだすことはない」
 島田敬之助が叫ぶように遮った。井上孝兵衛も、貞造もそれに続いて叫んだ。
「そうだ平野は黙っているがいい。これは五兵衛さんとおれたちで切をつける、いいからそこで黙って見ていて呉れ」
「いやそうではない」又五郎はなお首を振って云った、「――みんなの気持はわかっているが、これはおれとお石の問題だ」
「まあいい、話ははっきりしているんで、なにも問題なんかありやしない、きっぱりけじめをつけさえすればいいんだ」
「なにを云うんだ、なにがけじめだ」
 又五郎はいきなり島田のえりを掴み、今にもなぐりかねない姿勢で、声いっぱいに叫んだ。
「お石はおれの女房だ、みんなにどれほどの文句があるか知らないが、亭主のおれをさしおいてあんまり勝手なことを云うな」これまでついぞ怒ったことのない又五郎の、すさまじいようなけんまく呶声どせいにみんなびっくりして息をのんだ。
「お石はあんな性分だ、良妻でもなし烈女節婦でもない、みんなには気にいらなかったろう、いやな女だと思ったかもしれない、だがおれのためにはずいぶん苦労して呉れたんだ、ひと口に貧乏というけれども、おれたち夫婦がどんな貧乏ぐらしをしたか、本当のことを知っている者はここにはいやあしない。――差配の五兵衛さん、阿波屋さんにもずいぶんお世話になり迷惑をかけた、しかしお二人だってそこまでは御存じがない筈だ」
 掴んでいた島田の衿を放し、坐りなおして、訴えるような調子で、又五郎は続けた。
「井上も島田も松屋も知ってはいない、あんなに長いあいだ、三日にあげず来ている三人が、本当のところはなにも知ってはいないんだ、おれに絵が描けなくなってから、お石はがみがみ云いだした。酒も飯も出さなくなった、それは出せなくなったからなんだ、――出せるうちは、自分が一食や二食ぬいても出していた。おれは絵を描かず、質を置きつくし、八方借りもゆき詰って、今夜の飯をどうするかというとき、酒ですかへいと云えるものかどうか、……一合の米も買えず、幾日もいもや菜っぱの汁で食いつないだことが十度や二十度じゃあきかなかった、天下の名婦とか烈女などなら、そんなときでもきげんのいい顔をして、できないくふうをしたかもしれない、だがお石はごくあたりまえな女だ、性質はあのとおりだし学問があるわけでもない、しかし、――おれのためにはできない辛抱をして呉れた。口には云えないような貧乏ぐらしをよくがまんして呉れた。その辛抱もがまんもしつくして、どうにも堪らなくなったから出ていったんだ、みんなにそれがわかるか、女房の悪いのは亭主が悪いからだ、責めるならおれを責めて呉れ、お石は又五郎の女房だ」
 わっと泣き崩れる声が起った。お石である、彼女は袂で顔を掩い、身もだえをして、畳の上へ俯伏うつぶせになって泣いた。そうして泣きながらとぎれとぎれに云った。
「いいえ、わたしは貴方の妻じゃございません、みなさんがいま仰しゃったとおりです。貧乏にあいそうをつかして、とびだし、こんど出世をなすったと聞いて、欲が出て、うまく戻れたら戻ろうと思って、恥も外聞もなくやって来たんです。わたしは恥知らずな、ずうずうしい女です。おれの女房だと云って下すった、いまのお言葉で眼がさめました、――どうぞみなさんも堪忍して下さいまし、もう決して、戻して頂こうなどとは思いません、これでおいとまを致します」悲鳴のように云って立とうとした。しかし又五郎はそれより早く、側へ来て、お石の手を掴んでいた。
「おれはおまえを離縁した覚えはない、そうだろう、お石」
「いいえ、いいえわたしはとても」
「なんにも云うな、おれはこれからも貧乏はしなきゃあならないだろう、おれのために貧乏して貰えるのはおれにとってはおまえひとりだ――よく帰って来て呉れた、お石」
 お石はまた激しく泣きだし、泣きながら又五郎の手にすがりついた。――するとそこにもここにも、眼を拭いたり、はなかんだりする音が聞えた。彼はお石を抱えて立たせ、むりに明るく笑いながら云った。
「さあ、あっちへゆこう、みなさんには失礼だが今日は特別だ、あっちへいっておれと並んで坐ろう、そして久しぶりに、――景気よくがみがみぱりぱりやって貰おう」





底本:「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」新潮社
   1983(昭和58)年4月25日発行
初出:「講談雑誌」博文館
   1949(昭和24)年11月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2019年10月28日作成
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