遠江のくに浜松の町はずれに、「柏屋」という宿があった。
城下で指折りの旅館「柏屋孫兵衛」の出店として始まり、ごく小さな
見つきは軒の低い古ぼけた宿だが、奥には二階造りに離屋の付いた建物があり、女中たちも若い
……梅雨どきの或る暮方に、どうして紛れたか一人のみすぼらしい旅人がこの柏屋へ
ばかに客のたて混む日だったし、雨の
そこで番頭がいって、ここは旅籠はしていないからどこか他の宿へ移って
「いったい誰が上げたんだ」
「あたしはずっと魚庄さんのお座敷にいたから知らなかった」
「あたしも気がつかなかったわね」
そんなことを云い合っているところへ、お滝という女中がしらが来て、
「なにかあったのかえ」と口をはさんだ。
それまで離屋の客に付いていて、知らなかったのである。話を聞くといつもの癖のふんと鼻を鳴らせて、お
「気がつかないけれど、まだでしょう」
「それで手を鳴らさなかったのね」
お滝はちょっと眉をひそめたが、
「……いいよ、あたしが後でなんとかするから、お時さんおまえお膳だけでも持ってっといてお呉れ、お酒を一本つけてね」
こう云ってまた離屋へ去った。
受持の客を送りだしたのが九時過ぎ、ちょっと鏡を
……客は二十五六の
「お愛相がなくって済みませんでした、熱いのを一つどうぞ」
お滝はこう云いながら膳の脇に坐った。
「まえには旅籠をしていたんですが、二三年あとからこんな風に変ったんですよ、気を悪くなすったでしょうが堪忍して下さいましね」
「旅籠をよしたんなら、御宿という看板を外すがいいんだ」
「それはそうなんですが、いまお茶屋は御禁制になってるもんですからね、それに場所が場所で旅の方なんかのいらっしゃることはないし、……お一ついかが」
「これで貰おう」
男は汁椀の蓋を取って差出した。
「この家がそういう仕掛になっているならこっちも気は楽だ、もっともどっちにしたところで、たいしたことはないがね」
「なにがたいしたことはないんですか」
「なにもかもさ、いつかみんな死んじまうということの他、世の中にあ一つもたいしたことなんぞありゃしないと云うのさ」
「おやおや、まだこれからというお年で、たいそう年寄りくさい事を仰しゃるんですね」
お滝は膳の上から
「さんざんいい事をし尽して、ちょっと世の中に飽きがきたというところですか」
「違えねえ」
男はとつぜん笑いだした。
「さんざんいい事をしてな、まったくだ、図星だよ」
片手を後ろへ突き身を反らせて、まるでひきつるような、かさかさに乾いた笑いだった。その笑い声がなにかの古い傷にでもしみたように、お滝は眉をしかめながらいやいやをした。
「お願いだからよして下さい、そんな風に笑われると胸が痛くなってくるわ」
「手玉に取ったことでも思いだすのかい」
「わざと憎まれ口をきくことはないの、そんな柄じゃないことは御自分で知っているんでしょう、いいからおあがんなさいよ、酔ったときぐらい人間はすなおになるもんだわ」
男は初めて相手の顔をつくづくと見た。二十五にはなっているだろう、お滝のゆったりと角の取れた
決して美しくはないが、美しいよりもっと人を
「すなおになれか、ぶん殴って置いて泣くなと云うやつさ、わかってるよ」
こう云って彼はたて続けにぐいぐいと酒を
「たいしたこたあねえや」
「酔うがいいわ、そしてゆっくりおやすみなさい、あなたは疲れてらっしゃるのよ」
男は柏屋に三日泊った。
宿賃も持ってないことは察しがついたけれど、お滝はあたしがひきうけるからと云って、朝から膳に酒を付けさせ、暇なときは自分が酌をしに坐った。宿帳には江戸日本橋どこそこ某店で宗吉、年は
……たぶん住所からなにからでたらめだろうが、宗吉という名はひとがらに似合っている、お滝はそう思った。
三日めの晩だった、あまり強そうでもない酒を、すすめられるままにやや飲み過した男は、それ以上もう黙っていられないという調子で、身の上を語りだした。
かなり強く雨が降っていて、他には珍しく客もなく、まだ宵のくちだというのに家の中はひっそりと物音も聞えなかった。
「
人はごく好いんだがずぬけた酒好きで、担ぎ八百屋の
……びしょびしょ時雨の降る、寒い日の
なにごとにも限というものがあらあ、己だって男のはしくれだ、もうたくさんだ己あ今日という今日あいつを叩き出してやる、お鈴のあまを叩き出して、酒を断って、人間らしい暮しを始めるんだ、まるっきりろれつの廻らない舌でそんなことをくどくど云うんだ、己にあなんのことかさっぱりわからなかった、そして伯父さんは帰った」
彼は言葉を切って、酒を口まで持っていったが、眉をしかめて首を振ると、飲まずにそのまま膳へ戻し、深い溜息をつきながら続けた。
「……それから間もなく伯父さんは死んだ、たいしたこたあない、己は二十で年期が終った、これから三年の礼奉公をするんだが、そのとき奉公ちゅう主人の積んで呉れたのとこっちで預けた金を
宗吉はいちど置いた酒を取って飲み、じっと眼をつむった。
雨は相変らず強く降っている、どこか
お滝は酌をしながら男を見た。
「それはいったいどういう訳なんです」
「伯母が持ってっちゃったんだ、飲んだくれの伯父が死ぬと間もなく、伯母は自分より若い男を後夫に入れ、段だんしだして、かなり大きい八百屋の店を持つようになっていた、その男とは伯父が生きていた頃から普通じゃあなかったと、近所の者から聞かされたことがある、それが厭で己はできるだけ寄りつかなかったが、伯母は手土産なんぞ持ってよく店へ挨拶に来た。
そのあいだに己には内緒で、宗吉のために積んで置くからと、四十五両というものを受取っていったという、お前は知らなかったのかとその書付を見せられて、眼の前が急にまっ暗んなったような気持で己は店をとびだした」
「よせばよかったのに」
お滝は
「いったってむだに
「唯むだな
十年かかって溜めた金は、こうしてあぶくのように消えちゃった、己は帰りに大川へでもとび込んで死んじまおうかと思い、浜町河岸を往ったり来たり、灯のつくじぶんまでうろつきまわっていた、もちろん死にあしなかった、と云うのはそのとき……夫婦約束をした相手があったからだ」
宗吉は
その太物問屋に、おたまという娘がいた。宗吉と四つ違いで、
「これから二人っきりのときはおたまと呼捨てにしてお呉れ」
などと指切をしたり、
「お父っさんがあんな気性だから許して貰えないかも知れない、そうしたら二人で駆落をしてもきっと夫婦になろう」
熱い息づかいでそんな事を
「己は娘に打明けたものかどうか迷った、おめでたいはなしだがその金が無いといざというとき駆落もできなくなる、さぞ向うはがっかりするだろうと思ったんだ、よし死に身になって稼いでやろう、年期が明ければ月づき定った手当が貰えるし、うまく外廻りになれば売上げの分も入る、ひとの十倍はたらく気でやってみよう、こう決心した」
髪結い賃から風呂銭まで倹約した、
仕事はおもに注文取りで、責任額を超えると配当が出る、古参の者に付いているうちは僅かな分前だが、そのあいだに顧客を分けて貰ったり自分で作ったりして、一定の数に達すると独立して外廻りになる仕組だった。
……清吉に付いて一年、もう独り立になってもよさそうだというとき、
「配当の分を増すから一緒にもう少しやろう」と勧められた。
条件はよかった、半年ばかりのうちにかなり
「私はなにも知らない」
幾らこう云い張ってもいけなかった、当の清吉は大阪の出店へいって留守、帰るまで待って呉れれば自分の潔白はわかる筈だ。泣きながら頼んだが老番頭はせせら笑うだけだった。
「おもて沙汰にするだけは勘弁してやる」
と云って身ぐるみ
それでもまだ絶望はしなかった。主人の娘は自分の味方だ、ゆく末の約束もある、話せばきっと
「間もなく帰って来た清吉と逢った、清吉は小料理屋へ誘いこんで、なにもかも番頭とその仲間の手代たちの悪企みだと云った、抜商いをしていたのは実は彼等で、
……いまにおれが動かない手証を押えてあいつらを逐出したうえ、おまえをきっと店へ戻れるようにするから、清吉はこう約束をした、そして当分のあいだ自分の仕事の手伝いをして呉れ、決して困るようなめにはあわせない。
……
相手は
清吉の仕事のお先棒を担ぎながら一年、お預けをくった犬のように、よしという声のかかるのを待っていた。
然しやがて少しずつ事実がはっきりし始めた、清吉がふっと姿をみせなくなり、続いて馬喰町の店の代が変った。
……彼は清吉の消息をしるために狂奔した、そしてなにがわかったろう、清吉はおたまと夫婦になって、新しく出店を開くために上方へ去ったという、おたまは十五六のじぶんからおとこ出入が多く、店の者だけでも五人より少なくなかった。親も親類ももて余していたのを清吉が承知のうえで貰い、その代償として出店を出して貰ったということだった。
「清吉という男はまえから売上をごまかしたり、蔵の品を持出して売ったりする悪い癖があった、然し商売がうまいので主人も番頭もみのがしていたんだそうだ、おたまを任せたのも清吉なら手綱をとれるとみたからさ。
……おれは躯じゅうの皮を剥がれて、荒塩を擦り込まれたような気持になった、世間がどんなからくりで出来ているか、人間にはなにが大事か、色んなことが見えだしてきた、亡くなった伯父さんがいつも泥亀のように酔っていた気持が、はじめておれにはわかったんだ」
宗吉はすっかり
「……世の中に本当のものなんぞ有りあしねえ、
「そして
お滝は自分の盃へ手酌で注ぎ、しずかに飲みながら男を見た。
「それともこれからさきは物乞いでもしてゆく積りですか」
「どんな積りがあるものか、食逃げでこの家から番所へ突出されたら出るまで、牢へ叩き込まれたら入っているまで、縛り首でも島流しでも御意のままさ、どうせどっちへ転んだって」
「たいしたことはない……というんでしょう、
お滝はこう云いながらそこへ紙に包んだ物を差出した。
「その代り貴方も文句なしに
「……つまり」
宗吉はもういちど冷笑した。
「この家の仕掛が仕掛だから、番所なんぞとうるさい係わりがもちたくないわけか」
「そうかも知れません、でも一つだけすなおに聞いて置いて下さいな、お天気だって晴れているとき許りはない、十日も二十日も降ったり、暴風雨や洪水になることもあるんですよ」
宗吉はかさかさな声で笑いながら、両手を頭の後ろへ廻して仰向に倒れた。
翌朝はやく宗吉は柏屋を立った。
雨
……けむるような雨の降る、まだ
「へん、どこまでも
思わずこう呟いて頭を振り、笠の前を下ろしながら、
舞坂へ二里半の道を
「失礼だが西へゆかれるか」
「……へまいります」
宗吉は相手の語気の鋭さに圧されて、我にもなく一歩うしろへさがった。武士は押冠せるように、
「
「へえ、ぜ、膳所を、通ります」
「では頼まれて貰いたい」
相手はこう云ってふところから
「これに五十金ある、まことに相済まぬが、城下の中大手西ノ辻という処に藤巻中書という家がある、それへこの金子を届けて貰いたいのだ、源之丞よりと申せばわかる、頼むぞ」
こう云って金包を渡したかと思うと、こちらの返辞も待たずに向うへ走り去ってしまった。宗吉は本能的に後ろへ駆けだした、なにを考えたのでもない。侍の走り去るのを見たとたん、いきなり躯がそれとは反対のほうへ駆けだしていたのである。
……五十両、五十両という、言葉ならぬ言葉が頭いっぱいに響きわたり、むが夢中で四五丁あまり走った、息苦しくなって振返ったが、追って来る者もない、
「巾着切とかごまの蠅とかいう奴だな」
宗吉は我知らずこう呟いた。
「みつかりそうになったんで預けたに違いない、……世間ばなしというのもまんざら嘘じゃあないんだな」
早鐘を
とにかく柏屋へ戻ろう。お滝の顔が眼に浮んだのでそう決心をし、篠原という処で勧められるままに馬へ乗った。もし追って来る者があったら乗方は知らないがそのまま馬を飛ばそうと考えて、……ついになに事もなかったが、今か今かと一寸刻みの道を続けて、ようやく浜松の町はなへ着き、そこで馬から下りた。
柏屋へはいると番頭が厭な顔をした。
彼はお滝さんを呼んで呉れと云いながら、構わず草鞋をぬぎにかかった、手がひどく震えるので濡れた緒がまるで解けない、
「迷惑は掛けない、大事な話があるんだ、ちょっと上らして貰うよ」
お滝は小女に洗足の水を命じ、女中のひとりに部屋へ案内を云い付けると、早いのにもう客があるとみえて自分は奥へいってしまった。
……彼は二階の元の部屋へ通されると、すぐに着替えと酒を注文し、女中に小粒を一つ呉れて遣った。ここまで来れば大丈夫という安心に、ふところの五十両がすっかり気持を大きくさせたのだ、まるで嘘のように愛相のよくなった女中が、着替えをさせ、酒を運んで来た。
「ざまあみやがれ」
お世辞たらだら去ってゆく女中の後ろへ、こう浴びせながら彼は盃を取った。
「小粒一つで
飲みながら、お滝から貰った銭勘定をした、それから金包を取出して切餅になっている方の封を切り、二両一分だけ別にして紙に包むと、たて続けにぐいぐい酒を呷った。
……四本許り飲んだとき、お滝が来た。はいって来たが障子際に立ったままで、
「お話ってなんです」と冷やかに訊いた。
「まあ坐らないか」
宗吉はこう云いながら、封を切った金をざらっと畳の上へ投げ、更に二十五両包をそこへ置いた。
「……ここに五十両、これに就いて相談があるんだ」
「……そうね」
膳の脇に坐って、宗吉の話を聞き終ったお滝は、
「貴方の云うとおり、ごまの蠅とか巾着切とかいう者かも知れないわね」
「そうでなくって五十両という金を、見ず知らずの旅の者にことづける訳があるかい、一分や二分じゃあない五十両だぜ」
宗吉は酔わない酒をもう一つ呷った。
「……おれはのたれ死をする覚悟まで決めたが、元の起こりは――伯母に
お滝はしずかに男の眼を見た。
……自分の気持が彼のほうへ、ありきたりでなく惹かれていることに、自分でびっくりしたような眼つきだった。それが男にも手で触るように通じた。
「今朝ここを立ってから、私の胸はお滝さんおまえのことでいっぱいだった、たった三日だったけれど、私はおふくろに抱かれたあとのようにここのところが温たかく、だらしのないほど別れてゆくのが辛かった、生れて初めてだ、こんな気持になったのは生れて初めてなんだ、お滝さん私はこれ以上もうなんにも云えない、けれども本気だということはわかって貰えると思うんだ」
「世の中に本当のものなんぞありあしないって、ゆうべ御自分で仰しゃったわね」
お滝はじっと男の顔を見た。
「あれからまる一日も経たないのに、こんどは貴方の云うことを信じろと仰しゃるんですか」
「それとこれとは違うよ、私がどんなめに遭ったかは
「そうすると世の中はまるきり騙りやごまかし許りでもないという訳ですね」
お滝の顔はにわかに引緊った。
「それじゃあお願いがあります、そのお金を頼まれた処まで届けて来て下さい」
「だってそんな、そんな、わかりきったことを」
「たぶんそうでしょう、仕事をしそこねた悪い人間が、危なくなって貴方にあずけたのかも知れません、けれどもそうではないかも知れない、なにか事情があって本当に貴方に頼んだのかも知れない、それをたしかめて来て下さいませんか」
「そうすれば、私の望みを
「膳所から帰っていらしったら」
こう云ってお滝は金包を引寄せ、数を揃えてみたうえ、自分のふところから別に幾らか出し、それを紙にくるんでそこへ置いた。
「……これは少しですけれど往き帰りの旅費です、お待ちしていますよ」
昼飯を済ませるとすぐ、彼は膳所へ向けて柏屋を出た。
さっきの男に会ってはいけないと考え、宿はずれで
お滝の頼みで来たものの、膳所へゆくのがむだだということは彼の頭から動かなかった。世の中がどれほど金と我欲と騙りで出来ているか、彼は骨身にしみて味あわされている、それなのにこんな大枚の金を道の上で、処も名も素性も知れぬ者にことづける人間があるだろうか。
「お
往くのは
もう
藤巻という家はあった、古びた黒い
「源之丞という方からお言伝を持ってまいったのですが」
「なに源之丞どのから」
侍は急いで奥へ去り、すぐ出て来て庭へまわれと云った。そこから左へまわると三十坪ばかりの庭になり、床の高い縁側に五十歳あまりの中老の武士が立っていた。宗吉は腰を
頬骨の高い眉の厚い、謹厳そのものといった顔だちだが、
「それはそれは、遠路のところ
「いえ私のほうこそお詑びがございます」
宗吉は慌てて低頭した。
「……正直に恥を申上げますが、お預かり申したとき私は無一文でございました、そのうえ別に事情がございまして、どうしても二両一分ばかり必要になり、ちょっとした考え違いから小粒のほうの封を切ってしまいました、もちろんこの袱紗の中には五十金そろえてありますが、そういう訳で封を切ってございますので、そこをどうかお赦し下さいますよう、お願い申上げます」
「いやその
藤巻中書はこう会釈をし、袱紗包を持っていちど奥へ去ったが、やや暫くして戻り、紙に包んだ物を白扇に載せて差出した。
「お招き申して粗飯など差上げたいが、さし迫ったとりこみがござってそれもかなわぬ、謝礼と申しては
そんなことをと辞退したが、相手はどうしてもきかず、結局それを貰って藤巻家を辞去した。
……宗吉の心は夜が明けたように明るくはずんでいた。
「本当だった、本当だった」
外へ出るなり彼は躍りあがるような気持でこう叫んだ。
「ごまの蠅でも巾着切でもない、あのお侍は見ず知らずのおれを信じて、あれだけの金をあんなにあっさり預けたんだ、くすねられやしないか、たしかに届くだろうか、そんなことは爪の
打ちひしがれ絶望していた心が、活き活きと熱い血を噴きだした。これからはなんでもしよう、どんな苦しい事でもやりとおそう、暴風雨も洪水もおしまいだ、雲は散り日が輝きだしたんだ。
……まったく
「こりゃあ、……少し許りじゃあないぞ」
受取ったとき金だということは見当がついていた、然しいま畳へ落ちた音は重たかった、さすがに胸を踊らせながら包を開くと、まず上に手紙のようなものが載っている、彼は手早く
それは極めて簡単なもので、
「昨日、早の使者があって、伜源之丞が舞坂に
就いてはせっかく遠路お届けにあずかった物だが、自分たち夫婦にはもはや使途もなし、
あらましそういう意味のことが書いてあった。
……それは
深い仔細はわからないが、国のため主家のためによろこんで死ぬ子、
彼は手紙を巻いて金包をあけた。持っていったままの五十両がそっくり出てきた、五十両。
……丁稚奉公を十年して溜めたあげく、伯母に奪られた金は四十五両、殆んど労せずしていま此処に五十両。
「金じゃあない、金じゃあないんだ」
宗吉は
「十年溜めたものを横取りされた、おたまに
宗吉は身ぶるいをした。
「源之丞という人は自分のために死んだんじゃあない、あの親御さんは
世の中の広さ、人間の生き方の深さ、宗吉にはいまおぼろげながらそれが見えだしたようだ。彼は大きなちからが躯いっぱいに溢れるような気持を感じながら、そっと眼で笑ってこう呟いた。
「おまえに逢えてよかったな、お滝、……これからいっしょにやろう、世の中は苦労のしがいがあるぜ」