落ち梅記

山本周五郎





「すまない、そんなつもりじゃあなかったんだ、酔ってさえいなければよかったんだが、どうにもしようがない、本当にすまないと思ってるんだ」
 半三郎はこう云って頭を垂れた。不健康な生活をそのまま表明するようなあおざめたつやのない顔である、しまりなくたるんだ唇、ぶしょうひげの伸びているとがったあご、焦点のきまらない濁った眼、すべてがいやらしいくらい汚れた感じであった。――金之助は静かなまなざしで友のようすを眺めた。彼の濃い眉毛やひき緊った唇や、高頬の線のはっきりした顔だちは、いずれかというと凌烈りょうれつな印象を与えるほうなのだが、いま友を見る眼つき表情はなごやかに温たかい色を湛えていた。
「もう少し時日があれば都合のつくあてはあるんだが、相手がどうしても待たないんだ、じかに家へ取りにゆくと云うんで、なにしろあのてあいは本当にやりかねないもんだから」
「どのくらい要るのかね」
「五枚もあればさし当りなんとかなるんだ」
「さし当りでなくきれいに片をつけるにはどの位要るんだ」
「きれいにといって」半三郎は眼をあげたがすぐに俯向うつむいた、「――それは十枚くらいあるとなんだけれど、しかしそれは、相手も細工をしたさいなどを使っているんだから」
 金之助は友の言葉を聞きながして立った。手文庫の中をみたが到底それだけはない、母に頼むつもりで、廊下へ出てその部屋へゆくと、客があるとみえて話しごえがしていた。彼はちょっと考えたが、炉の間へはいって、小間使のむらを母のところへやった。母親はすぐに来たけれども、金の額を聞くと眉をひそめてこちらを見た。
「そんなにたくさんでどうなさるの、あなた母さんがお金の蔵でも持ってると思っていらっしゃるんじゃないの」
「この分はお返し致します、急に入用なもんでいちじ立替えて頂くだけですから」
「返してお呉れでなくってもいいけれど、そんなにたくさんなんでお入用なの、月々のきまりの物もあげたばかりでしょう」
「どうしても要るんです、お願いします」
 母親はきつい眼でにらんだが、唇には微笑がうかんでいた。黙って居間へゆき、ひき返して来ると、紙に包んだ物を渡しながら云った。
「佐竹の由利江さんが来ておいでなのよ、あなたになにかお頼みがあるとおっしゃっているのだけれど」
公郷くごうがもう帰るでしょうから」
「公郷さん、お客は公郷さんだったの」母親は身を離すようにして息子を眺め、初めてわかったというふうにうなずいた、「――そう、それでなのね、……いいえいいの、ではお帰りになったら知らせて下さい」
 金之助は部屋へ戻り、手文庫の中から出した物を加えて、包み直すと、それを友の前へ押しやってから、顔には穏やかな色を湛えたまま、少しばかりきっとした口ぶりでこう云った。
「これまではなにも云わなかったが、今日はひと言だけ云わせて貰う、――もうそろそろ止めてもいいじぶんじゃないか、これ以上こんなことを続けているとぬけられなくなる。ここに十枚はいっているからこれで片をつけて、さっぱりと手を洗って呉れないか」
「――うん、わかっているんだ」
 半三郎は紙包を取り、だるそうな動作でふところへ入れたが、しまりのない唇をゆがめ自分をあざけるように冷笑した。
「――自分でもこんどこそ立直ろうと思っているんだよ、なんなら誓ってもいいが」
 いやそんな必要はないと云って金之助はじっと友の顔を見た。半三郎はなにかを証明するとでもいうふうにそれを見返したが、ちからのない濁った眼はすぐに脇へそれ、もういちど、唇を歪めた。
「誓うなどというおおげさなことじゃあない、もっとあっさり止める気持なんだ、もともと遊びなんだから、なにもそんなに重大問題じゃないだろう」
「――そのとおりなんだ」
「云っておくほうがいいと思うが、御両親がなにか聞かれたようだ、ほんの風聞くらいのものらしいが、このうえ御心配をかけるようでは悪い、頼むよ公郷」
 半三郎は脇へ向きながら頷いた。そして精のぬけたような動作で座を立ったが、よろめいて障子にぶっつかった。酔っているのではなく神経が耗弱しているのである、玄関を出てゆく後ろ姿にも、肩から背へかけてからだの衰えがあからさまにみえた。――そんなにも踏み込んでしまったのか、金之助は心のくらくなるような気持でそう思った。
 客の帰ったことを告げて部屋へ戻ると、間もなく由利江が来た。大柄なゆったりとした躯つきで、ぜんたいが柔らかくまるい線に包まれている、いつも笑っているような表情と、おちついたやさしいもの云いが幼い頃からの特徴で、知るほどの者に「由利江さんは幸福を持って来る」と云われたものである。たしかに、由利江のいるところには必ず温かい楽しい雰囲気がついてまわった。悲しいとき、愁いのあるとき、苦しいとき、そして絶望しているようなときでさえも、由利江と話していると慰められて気が晴れてくる。これという理由はないのだが、なんとなく世の中が明るく、生きることが楽しいような気持になってくるのであった。――由利江の家はこの沢渡家とおなじ家老格で、食禄しょくろくは八千七百石、父の佐竹千五郎は筆頭年寄役である、由利江のほかに千之丞という異母弟がいるが、その千之丞も母親よりは彼女のほうに深くなついて、家にさえいれば姉のそばから離れないというふうだった。沢渡と佐竹とは遠い縁者にも当っていたし、金之助の父の助左衛門と千五郎とは極めて昵懇じっこんのあいだがらで、家族も古くから近しく往来していた。ことに由利江の生母が亡くなった当時、それは彼女が十二歳になった初夏のことであるが、金之助の母の茂登もと女は由利江をあわれむ余り家へつれて来て、百日ばかりそばに置いて世話をした。そのときのことは金之助もよく覚えているが、由利江はいつものとおり微笑を湛えた明るい顔つきをしていて、男きょうだいのない珍しさからでもあろうか、金之助の部屋へもよく遊びに来たりした。
 ――思ったほど悲しがってもいませんね。
 ――早く死別する親子は縁がうすいと云う、やっぱりそういうものかもしれない。
 ――そのほうがはたの者には助かりますわ。
 父と母とでそんな話をしているのを聞いたことがあった。金之助もそう思っていたのであるが、それは見かけだけのことで、由利江は独りになるときは泣いていたのである。しかもそれを金之助にみつけられたとき、おじさまにもおばさまにも黙っていて呉れるように、こんなことはごくたまにしかないのだからと、けんめいな口ぶりで頼むのであった。それから後はさらに親しさを増したというようすで、金之助の部屋へ来てはよくいろいろな話をした。彼は祖母から貰った青銅の手鏡を持っている、さしわたし四寸ばかりの八花形の漢鏡で、日光を反射させると竜紋が現われる。珍しいので友達なかまにずいぶん欲しがられた。いつも桐の小箱へ入れて床間の違棚に載せてあったが、由利江もそれをみつけて、来るたびに日光を映してはよろこんでいた。そのようすが余りいじらしくみえたので、欲しければあげようと云ったところ、由利江はびっくりしたように眼をみはってこちらを見た。
 ――本当に下さいますの。
 ――本当にあげるよ。
 こう云うと、ちょっと首をかしげて考えるふうだったが、ふと頬を赤くし、しさいらしい口ぶりで静かにこう云った。
 ――では由利がもっと大きくなってから頂きますわ。それまでどこかへしまっておいて下さいまし。
 そしてすぐに袱紗ふくさで包み、箱へ入れて、大切そうにひもをかけてしまった。それはもう夏も終りに近いじぶんだったと思うが、たぶんその前後のことだろう。庭から来て、いつものように広縁へ腰を掛けて、暫くじっと植込のほうを眺めていた。ふと溜息ためいきをつくようすなので、金之助がどうかしたかときくと、彼女はおとなびた表情で次のように答えた。
 ――お母さまの亡くなったのが夏でよかったと思います。もし秋だったらどんなに悲しかったでしょう。……木や草が枯れて、夜なかに寒い風の音などが聞えたら。
 金之助は心をうたれた。慰めの言葉もなく、黙って頷くだけであった。どこへでも幸福を持って来る、人にそう云われる温たかな明るい性質、会うほどの者を楽しくゆたかな気持にさせるひとがらの裏には、そのようにこまかな神経が隠されているのである。一年して父が継母を迎え、その翌年に千之丞が生れた。もちろん継母ともよく折合ったし、異母弟とのむつまじさはまえに記したとおりである。そして金之助の母親はもうかなり以前から彼の妻には由利江をと考えていたし、由利江のほうでもうすうす気づいているようすだった。
 はいって来た由利江は、例の駘蕩たいとうたる微笑をうかべながら挨拶をし、今日はおねだりをしにまいりましたと云った。
「なんです。おねだりとは」
「――まあ牡丹ぼたんがきれいに咲きましたこと」
 明けてある小窓の向うを見てこう云うと、由利江はいま坐ったばかりの座を立った。ゆらりと花の揺れるようなのびやかな動作である。会釈をして窓にって、もういちど感嘆のこえをあげながら暫く眺めていたが、「おねだりが一つえました」そう云って静かに座へ戻り、かすむような笑顔をあげてこちらを見た。


 おねだりとはなんですと、金之助がもういちどきいた。由利江はちょっとはにかんだように首を傾げ、じつはあの手鏡を頂きたいのですと云った。
「――あの手鏡……というと」
 金之助は即座にはわからず、問い返すように由利江を見たが、そのときその意味がわかって思わず笑った。
「これは驚いた、あれを覚えていたんですか」
「それは忘れは致しませんわ、もっと大きくなってから頂きますって、あのときちゃんとお約束したのですもの、――下さいますのでしょう」
「むろんさしあげますよ」
 私のほうは忘れていたがと云って、金之助は立って地袋を明け、鏡箱をとり出してそこへ差出した。由利江は両手でそれを持ち、ふと感慨ありげな表情になって、しなやかに長い美しい指で、箱の表をそっとでた。
 そうだ、あれから六年たっている。
 金之助もそう思い、十二歳の幼い姿といま眼の前に見るあでやかなむすめ姿とのあいだに、過ぎ去った時の足音を聞くかのような、はるかにあまやかな感動を覚えるのだった。
「それからおねだりのもう一つは」と、由利江はこちらへ眼をあげた、「明後日のひるすぎに法顕寺へいらしって頂きたいのですけれど」
「なんです、御法事でもあるんですか」
「ここでは申上げられませんの、わたくし先にまいってお待ち申しておりますから、そして、おばさまにはなにも仰しゃらずにいらしって頂きたいのですわ」
「――時刻はいつごろですか」
「わたくしは午にはまいっております」
 こう云った由利江は、それでもう約束は定ったというように、牡丹をひと枝いただいてまいりますと云って、静かに部屋を出ていった。そのあと横庭のほうで、母といっしょに牡丹をるらしい、やわらかな笑い声などが聞えたが、間もなくしんとなったきりで、戻って来るかと思った由利江はそのまま顔を見せなかった。あとで聞くと、挨拶はわざとせずにゆくからと云って帰ったとのことだった。
 後になって思い返すと、それが金之助の半生における平穏な生活の最後の日であった。それまでは単に兆しに過ぎなかったものが、その日を区切りにしてかたちを現わし始め、やがて厳しい風雪の中へ彼をまきこんだのである。――二十五歳のその日まで、まったく金之助は平和と幸福に包まれて育った。彼には三つ年上の兄があったけれど、ごく幼いうちに死んだあと弟も妹も生れず、彼はひとり息子として父母や周囲の者から一倍たいせつにされた。父の助左衛門は次席家老のまま側用人を兼ねて、すでに二十年ちかく枢要の職にいる、これには政治上の必要もあったのだが、酒もたしなまずなんの趣味も道楽もなく、御用専一の篤実勤直の質が衆望を集めた結果といってよいだろう、家庭にあってもごく温厚で、金之助などはこれまでいちども声高に叱られたことがない。その性質をすっかり受継いだように、彼もまた温和おとなしい生れつきだった。小さいじぶんから学問が好きで藩儒の渡瀬順庵と和学者の室井篤文について学び、十七八からは法政の書を好んで読んだ。そういうわけであまり交友はなかったが、それでも村松平馬、林久一郎、和泉兵衛、公郷半三郎という四人の学友があり、なかでも半三郎とは幼い頃から兄弟のように親しく往来した。……考えてみると彼と半三郎とのつながりには宿命的なものがあった。家も近かったし年も同じで、藩校にあがってからもそろって成績がよく「双俊」などといわれたものである。また九歳から十三歳まで五年間、二人は藩主の世子の学友に選ばれて、江戸邸で起居を共にした。若君の亀之助はひよわな生れつきで、かんの強い神経質な少年であったが、金之助と半三郎があがっていた五年のあいだに、気質も変り、たいへん健康になった。藩主はひじょうに悦び、二人に対して特に褒美をたまわったくらいであるが、若君とかれら二人とのかかわりもそのとき限りではなく、ずっと後の思いがけない対決へと糸をひいていたのである。――半三郎と金之助とのあいだに、一つの変化が起こったのは三年まえのことであった。半三郎は二十歳のときから藩校の助教を勤めていたが、古学や老子を教えたというとがで役を停められ、五十日の謹慎を命ぜられた。朱子以外は禁じられていた時代ではあるが、多少とも陽明や老子をのぞかない者はない、半三郎が逐われたのは教官の嫉視しっしからで、詰るところ彼自身の学問に対する良心と、ぬきんでた才腕があだとなったわけである。半三郎はそれ以来ひどく性格が変り、酒と賭博とばくふけりだした。金之助には彼の気持がよくわかるので、意見がましいことは決して云わず、借りに来れば黙って金も貸していた。しかし近頃では人のうわさにものぼるようになったし、数日まえには彼の父親に呼ばれて、忠告をして呉れるようにと頼まれたのである。……半三郎の父は公郷四郎兵衛といって、六千八百石あまりの寄合席におり、一時は次席家老を勤めたこともあるが、老臣のあいだに疎隔する事が起こって自分から辞し、現在では寄合の閑職に逼塞ひっそくしていた。
 ――あのままではだめだ、いちどゆっくり話しあって、なんとか生活を変える方法をたててやらなければなるまい。
 半三郎が帰ったあと、金之助はこう思っていろいろ方策を考えめぐらせた。そしてこれは自分ひとりでなく、親しい友達を呼んで、みんなの意見を聞いてやるほうがいいと思った。村松平馬は江戸詰になって去ったが、和泉や林はこっちにいる、かれらはすでに家を相続し、それぞれ役目に就いているので、平常ふだんあまり往来はなくなったが、むろんこういう事には相談にのって呉れる筈である。
 ――そうだ、なるべく早くそうするとしよう。
 こう考えたその翌日であった。朝いつものように登城した父が、午を少しまわったころに躯の調子が悪いといって帰って来た。頭痛がするだけでたいしたことではないからと、寝床をとらせてすぐ横になったが、夕餉ゆうげのときには起きだして、金之助といっしょに食膳しょくぜんに向った。熱でもあるように顔が赤く眼の色もえない、しかし気分はもう直ったと云った。
「御用繁多でお疲れになったのですね」
「そうだろうね、頭の痛いことなどは殆んど覚えないので、はじめはちょっと驚いたよ」
 助左衛門はこう云って苦笑したが、そのとき持っていたはしが手から落ちた。すぐに拾ったけれど、顔色がすっと白くなり、箸を持ったままの右手をけげんそうに見まもった。
「どうかなすったのですか」
 妻の茂登がそうきいた。助左衛門はいやと首を振って食事を続けたが、暫くするとまた箸がぽろっと手から落ちた。金之助はどきっとした、茂登もと低くこえをあげた。
「おかしいな、――しびれる」
 助左衛門はこうつぶやきつつ、右手をひらいたり握ったりしていたが、とにかく横になろうと云って膳の前を立った。それを寝所へ送ってから、金之助はすぐ医者を呼びにやった。渋沢良石といって、殿さまの侍医であるが、来て診察の結果は軽い卒中だということであった。
「過労でございますね、ごく軽い発作ですから五七日も安静になすったら治りましょう、決して御心配には及びません」
 ただ安静を固くまもること、食事はこれこれと細かに注意をし、あとから薬を届けると云って医者は帰った。右手の先が少し痺れるだけで、ほかに異常がないから、医者の云うとおりごく軽症なのではあろう。しかし「卒中」という病名が当人よりも家族に大きな不安と驚きを与えた。助左衛門はそれを察したとみえ、しいて笑いながら、「そんなに心配することはないよ、良石老のみたてなら大丈夫、まだ五年や八年は倒れはしない、今おれにはそんな暇はないんだから」
 こう云って静かに眼をつむった。
 明くる朝は気分もよいと云い、顔色も赤みがとれて平生と違わなくなった。金之助も少しおちついた気持で、休暇の願いを自分で届けにゆき、城内の作業役所にいる林久一郎を訪ねた。半三郎のことで相談したいから和泉といっしょに集まって呉れないか、そう云いに寄ったのであるが、久一郎は頭を振った。
「いやあれはだめだ、よしたほうがいい、和泉もおれもひどく手を焼かされたんだ、なにをしたってむだだよ」
「それはそうかもしれないが、しかし」
「いやおれは御免こうむる、和泉だってそんなこと聞きはしないぜ」
 公郷のことなどはやめよう、それより久しぶりで話さないかと、まるっきり相手にならないのである。どんな迷惑をかけられたかは云わなかったが、なまなかのことでないのは口ぶりで察しがついた。金之助は重くふさがれた気持で、やや暫く話した後そこを出た。――いちど家へ帰り、午餉を早めに済ませて、金之助は法顕寺へでかけていった。
 まぶしいようによく晴れた日で、少し歩くと汗ばむくらいだった。古い大きな百日紅さるすべりがたくさんあるので名高い境内を、庫裡くりのほうへゆくと、客殿の縁側に由利江が立っていて、額にかざしている小扇でこちらへ合図をした。くすんだ紫色に細かく花をちらした着物と、色の白いふっくりした顔とが冴えた対照をなして、しんと暗い建物を背景に、それはあざやかなほど際立って美しくみえた。
「どうぞ此処ここからお上りあそばして」
「――構わないんですか」
「ええ、それで此処でお待ちしておりましたの」
 由利江はこういうと、伏目の姿勢になって廊下を奥へと先に立った。


 本堂に付属して持仏の間というのがある。大きい檀家だんかの私用で、本尊を納めた仏壇と、その家代々の位牌いはいが安置してあり、年忌法会などはそこでするし、ときに親族の集まりなどにも使う。法顕寺には藩の老臣五家がひと間ずつ持っていたが、由利江が案内したのは自分の家の持仏の間であった。
「一昨日はいろいろおねだりして申しわけございませんでした、今日はまたこんなところへおはこびを願いまして――」
 そんなふうに挨拶していると、老女が茶菓を持って来た、由利江の乳母である。それが去ると由利江はふとひざを固くした。そしていっとき息をひそめるようにして、まったく予想外のことを云いだした。――それは公郷半三郎へ嫁にゆくということ、そのことについて意見を聞き、また頼みがあるというのであった。金之助は虚を衝かれた、正直のところそれは由利江の冗談で、次の瞬間に笑いだすのではないかとさえ疑った。
「御存じでございましょうか、わたくし公郷さまのお妹の千秋さまとは古いお友達で、ずいぶん親しくおつきあいしておりますの」
 由利江は眼を伏せたままこう続けた。燃えてくる感情をけんめいに抑え、どうしたら自分の気持を正しく伝えられるか、どう云ったら本当にわかって貰えるかと、足踏みをするような口ぶりである。ゆたかにふくよかな頬もあおざめ、膝の上で手指が見えるほどふるえていた。
「この冬の頃から、干秋さまがしきりに兄の嫁に来てれと仰しゃいますの、あなたはもちろん御承知でございましょう、公郷さまはさきごろからたいへんお身持が悪く、世間の評判にもなりだしたそうで、御両親はじめ御親族のあいだでも困じはてていらっしゃる、このままでは家名を汚し身を滅ぼすのは見えるようだ、どうにかして身持を直す法はないか、――みなさまで幾たびもそういう御相談があったそうでございます、そうしているうちに半三郎さまのお口から、千秋さまにわたくしの名が出たと申しますの、わたくしあの方とはお話をしたこともございませんけれど、あちらでは知っていて下すったのでしょうか、由利江を妻に迎えることができれば、……わたくし自分の口からこんなふうに申上げて、おさげすみを受けるとは存じておりますけれど、なにもかも正直におうちあけ申したいのでございます」
「よくわかります、どうぞそのまま続けて下さい」
「千秋さま御自身も」と、由利江はささやくような声音で云った、「――わたくしが来て呉れれば兄の不身持も直る、必ず以前の兄にかえって呉れる、そう信じていると仰しゃるのでございます、わたくしは自分がどれほどの者かよく存じております、到底そのようなねうちがあるとは考えられませんでした、それに、……わたくしには、わたくしなりに、ひそかな夢もあったのでございます」
 由利江はこう云いかけて口をつぐみ、そっと手をあげて眼がしらを押えた。自分には自分なりに夢を持っていたという、その言葉の意味はまっすぐに金之助の心へつきとおった。かずかずの古いつながりは別として、母が彼女を沢渡の嫁に迎えるつもりであり、彼女自身もそれを望んでいたことは明らかである。そしてまた金之助がどう思っているかということも、二人にははっきりとわかっていた。由利江がいま口にする言葉はそれをうち壊すものだ、そしてそれがどんなに努力を要するものであるか、――金之助は自分の受けた失望よりも、彼女の気持を思いやって、緊めつけられるようないたましさにうたれた。
「わたくしたびたびお断わり申しました、けれど千秋さまはそれがたった一つ兄を救うみちだからと仰しゃって、母にまで泣いてお頼みなさいましたの」由利江はしずかにこう続けた、「――そしてわたくしも、とうとう断われなくなってしまいました、自分の描いていた夢、ながいあいだ心に秘め、温ためていた夢、それが無になってしまうのは悲しゅうございますけれど、もしそれで公郷さまのお身持が直るのでしたら、それもひとつの生き甲斐がいだと存じますの、……そう思っては間違いでございましょうか」
「あなたがそう決心なすったのなら」と、金之助は少し間をおいて云った、「――それで決して間違いはないと思います、ただこういうことだけ伺いたいのですが、……あなたの気持には誤りがないとして、結婚というものがそういうことで成立ってゆくかどうか」
「――と、仰しゃいますと」
「相手の行状を直すとか、相手を更生させるという意味がひとつの愛情には違いない、しかし一生を共にする夫婦の愛というものは、それとは別のものではないか、その愛なしに結婚という一生の結びつきが成立つかどうか、その点をお考えになったでしょうか」
「はい、よく考えてみました」
「大丈夫やってゆけると思いますか」
「わたくしひとつのことを信じていますの」由利江はつつましく頷いた、「――公郷さまがわたくしを求めていらっしゃる、それが真実なら、そしてわたくしが心からそれをお受けしてまいれば、しぜんとそういう愛がうまれて来て呉れる……」
 金之助はふと眼をつむった。なんと単純に割り切ったことだろう。それは世間を知らず、人間の心の表裏を知らないための、むしろ感傷に近い考え方ではないだろうか。――しかし彼はすぐ心で頷いた。それでいいのだ、ほかの者ではない由利江である、どんなところへも明るく温かい雰囲気を持ってゆき、単に会って話しているだけで、人を幸福な気持にする由利江なのだ。そのまれな性格だけでも半三郎とのあいだはうまくゆくに違いない。そしてそれには、最も由利江が適しているかもしれない。金之助はこう考え、静かに眼をあげて云った。
「よくわかりました、それで、お頼みというのはどんなことですか」
「これまでどおり、あなただけは公郷さまの支えになってあげて頂きたいんですの、あの方が心から信頼していらっしゃるのはあなたお一人だと伺いました、――わたくしできるだけのことは尽すつもりでございますから、どうぞあなたもお変りなく力をかしてあげて下さいまし」
 金之助は承知した。
「公郷は頭もよし才分もある男です、あんなになったのは理由があるのですから、立ち直れば必ず群をぬく人間になるでしょう、そのつもりであなたも辛抱してやって下さい」
 金之助のこう云うのを、由利江は頭を垂れて聞いていたが、やがてしずかに顔をあげ、初めてこちらへその眼を向けた。
「あの手鏡を頂いてまいって、わたくし悪うございましたでしょうか」
「――どうしてです」
「小さいときからそのつもりでいたからでしょうか、頂いてまいらないと、心が残るように思えまして……」
「――もちろんそれでいいですとも、あのときから差上げる約束だったのですから」
「わたくし大切に致します」
 低いけれども感動をこめた云い方だった、金之助は黙っていたわるように頷いた。
 法顕寺を辞して出てから、初めて金之助は自分の心が大きないたでを受けていることに気づいた。そしてそのいたでは家に帰り、二日三日と時の経つにしたがって、ますます深くなるように思えた。――自分は由利江を失ってはならなかった。由利江も沢渡へ来るのが本当であった。手鏡そのものにはさして意味はないけれども、それを通じた自分と由利江、沢渡と佐竹との関係には、根の深い情誼がある。そしてそこには、二人が結びつくべき条件が、ごくしぜんに成長していた。
 ――鏡を貰ってゆかないと心が残るようだ。
 由利江はそう云った。それがなにを表明するかは余りに明瞭である。ひとをとおさず、自分でじかに公郷とのゆくたてを話したが、それは二人のあいだに感情の親しい黙契がある証拠ではないか。
「いけないと云うべきだった」金之助は独りで幾たびも呟いた、「おれは正直でなかった、これでもし由利江が不幸になるとすれば、それはみんなおれの軽率の責任だ」
 もちろんそれを取返す法はない。事はもう定ってしまったのである、これからは由利江を不幸にしないために、半三郎を立ち直らせるのがせめてもの償いである。――こう自分を説きつけるあとから、すぐにまた由利江を失ったことの後悔と、根づよいみれんに悩まされるのであった。
 藩主からの特旨で、父の助左衛門は夏いっぱいの静養が許された。緊急を要する事務は居宅で執ってよしということで、役所の者の出入りが多く、金之助にも多忙な日が続いた。病状には変化がなかった、というよりも、あの夜から二三日すると手の痺れも消え、どこにも異和らしいものは感じられなくなった。それにもかかわらず医師のほうでは妙に大事をとり、初め五七日といったのを倍にし、次いでもう暫く、この月いっぱいというように延ばしていた。賜暇しかが出たのはそのほうから進言でもあったのだろう。助左衛門は不満らしいようすだったが、それでも温和おとなしく安静をまもっていた。
 人の出入りが多くなったためだろうか、半三郎はとんと姿をみせなかった。由利江とその母親とは二度ばかり来て、茂登女となにか話していったが、おそらく公郷へとつぐ了解を得るためだったろう。これもその後は来るようすがなく、茂登女もふっつりと、由利江の名を口にしなくなった。
 八月下旬、参覲さんきんのために江戸へゆく藩主に従って、助左衛門も元気に立っていった。医師もその頃はもう大丈夫と云っていたし、誰ひとり危ぶむ者はなかった。それが出立して三日め、もう昏くなってから早馬で使者が来た。沼原の駅で助左衛門が卒中を起こし、意識不明になっているというのである。
「大丈夫です母上」金之助はすぐさま立って身じたくをした、「――いちどあって二度めというのはそのままいけなくなるものではないそうです、すぐ容子をお知らせしますから」
 彼は馬に乗って使者と共に出ていった。


 沼原は城下から二十余里あったが、領内に属していたので便宜はよかった。藩主の行列が去ったのは云うまでもない、けれども侍医の渋沢良石が特に残されていて、手当には欠けるものがなかった。――金之助が駆けつけてから三日のあいだ、助左衛門はまったく意識がなく、ただ昏々こんこんと眠り続けていた。
「保証はできないが、たぶんいちどは持直すでしょう」良石はそう云った、「――しかし元どおりの躯になれるかどうかは……」
 そしてまた次のようなことも云った。
「殿さまは御出立のとき見舞いにおわたりなされまして、お人払いのうえこういうことを仰せられました。――必ず治れよ助左、ここで死んではこれまでの苦労がかえって仇になるぞ、まだここで死んではならぬぞ、……もちろん沢渡どのにはおわかりにならなかったでしょうが」
 その言葉にはじつは重大な意味があった。金之助は後になって思い当ったのであるが、そのときはまだなにも知らず、二十年ちかく信任して来た家臣への、いたわり励ます言葉として聞いただけであった。――四日めに助左衛門は意識を恢復かいふくした、しかし眼と唇が僅かに動くだけである。殆んど全身が不随のままで、ときどき唖者あしゃのような喉声のどこえをもらした。
「これでこっちのものです」良石は愁眉をひらいたという口ぶりで云った、「――心臓のお丈夫なのが味方でした、間もなくものも仰しゃれるようになるでしょう」
 金之助は初めて母のもとへ使者を出した。父に付いていた家士をやって、危機を越したということだけを伝えたのである。
 城下から富田準石という医師が来ると、いれちがいに良石は江戸へ立っていった。それから中二日おいて母が来た、そのときは左手が少し動くようになっていて、夜具の上になにかしきりに字を書いてみせた。なにを書くのか指がたどたどしくてわからないし、医者がそばから止めるので、助左衛門は肚立たしげに眉をしかめては首を振った。――母が来て七日ほど経ったとき、城下から二人の老臣が見舞いに来た。家老格の松崎頼母たのも、平川佐太夫という者で、病人と人払いの対談を求めた。医者はまだ無理であると拒んだが、かれらは「急を要する公用だから」と、医者の制止など耳にもかけず、病室へはいってみんな座を外すようにと要求した。
 ――こんな口もきけない病人となにを話すつもりだろう。
 金之助には不審だったが、公用というのであればやむを得ない、母も医者も共に控えのほうへ遠慮した。――かれらは一刻ちかくも病室にいた、密談であろう殆んど声は聞えず、ときおり人の起ち居する物音が、ぶきみな緊張感を伝えるばかりだった。対談はうまくゆかなかったらしい、かれらは別室に去って宿の者に食事を命じ、その日は泊って、翌日もういちど病室を訪ねた後、ふきげんなようすで医者を呼び、「できるだけ早く城下へお伴れするように」なかば命令的にこう云って帰り去った。
 それからなお五日ほどして、父を吊台つりだいに乗せ、医者が付き添って、金之助たちは宿を出立した。城下まで四日半かかったが、病人はさして変りがなく、むしろ幾らか調子が好くなってさえいた。――屋敷へはいっておちつくひまもなく、松崎と平川のほかに、小田切弥三郎、久保源右衛門などの重職が来ては、しばしば病人と人払いの密談をしていった。
 ――これは普通のことではない、なにか重大な問題が起こっているのだ。
 金之助もようやくそう気づき始めた。すると或る夜のこと、彼が一人でとぎをしていると、父がまた夜具の上へ指でしきりに字を書いてみせた。なかなかわからなかったが、二度三度するうちに、「ぶこのにかいのからひつ」ということが判読できた。
「武庫の二階にある唐櫃からびつでございますか」
 こうきき返すと、父は頷いて、また次の文字を書いた。こんども幾たびか同じ字をなぞらなければならなかったが、これをつなぎ合せると「武庫の二階にある第五の唐櫃の中から(ひ)と上書のある書類包を持って来い」というのであった。なお誰にも知れぬようにと厳しく注意するようすである。
「承知いたしました、よくわかりましたから御安心ください」
 金之助がそう云うと、助左衛門の眼から涙がこぼれ落ちた。発病してからたいへん感動し易く、ついすると涙をみせるが、そのときはいつもとは違っていた。枕元に備えてある紙でそっと拭きながら、金之助はふとわけのわからない不安におそわれたのである。――朝になってから、彼は指定された物を捜しにいった。武庫というのは説明するまでもなく武器物具を入れて置く蔵だ。沢渡家はずっと以前には百五十人も侍を預かっていたので、武庫も大きいのが三棟ある、しかし現在では人が減ったし必要もないから、一棟だけしか使っていなかった。……二階の唐櫃の第五をあけると、油紙に包んだ書類ようの物がぎっしり詰っていた。それは紙縒こよりで固く縛ったうえにいちいち封印がしてある、いずれ藩政に関する助左衛門自身の秘録であろう、どれにも札紙が付いていて、「い」「いの二」「こ」「し」などという符号が印してあった。
 命ぜられた「ひ」というのはずいぶんかさのある包だった。父の枕元へいって示すと、それだというように頷いて、夜具の上にまた指でこう書いた、「誰にもみつからぬ処へしまって置け」それからさらに「厳秘にせよ」ということを重ねて書いた。――金之助はそれを自分の居間へ持ってゆき、支度部屋の納戸をあけて、少年時代の手習い草紙や筆写綴りなどの詰っている、長持のいちばん下へとそれを入れた。……そのとき又しても重くるしい不安におそわれた、沼原の宿から始まった老臣たちの隠密な訪れ、医師の制止を押し切って密談したこと、それはどうやらその書類包に関係があるようだ。
 ――たしかにこの包には非常な意味がある、しかしいったいどんな意味だろう。
 説明を求めても現在の父には不可能であろう、自分としてはどんな事態がやって来ようと狼狽ろうばいしない覚悟をしているほかはない、こう思って金之助は病床に付ききりの日を送った。
 十月下旬に半三郎と由利江の婚礼がおこなわれた。半三郎はこの期間ずっと姿をみせなかった。あのとき「こんどこそ立直る」と云ったことが慥かだったのか、それとも望んでいた婚約がととのって、それが好き転機となったものか、とにかく姿をみせないのは行状が変ったせいであろう。こう思って、婚礼のときには彼も母といっしょに席へつらなった――。想像するほどではなかったが半三郎は明らかに変っていた。躯つきも健康そうになり、顔も明るくのびやかになっていた。式の始まるまえ、金之助は彼を廊下の端へつれてゆき、その眼をみつめながら祝辞をのべた。
「これでもう大丈夫だな、よかった」
「いろいろ心配をかけた」半三郎はこう云ってふと眼を伏せた、「――済まないことだらけで、しかし、今はなにも云えない。……これでおちつくだろうと思う、よく来て呉れた」
「お互いにこれからだ、しっかりやってゆこう」
 半三郎は眼をあげてこちらを見、こころ弱げに微笑しながら頷いた。――由利江はむろん綿帽子をかぶっていたので、顔が見えなかった。それが金之助には却って仕合せであった。もうあの頃ほどの執着はないけれども、あでやかに化粧したあの特徴のある顔がみえたら、おそらく胸が痛まずにはいなかったに違いない。
 ――おめでとう、どうか幸福であるように。
 式のあいだ金之助はこう祈り、いろなおしのまえに独りで先にその席を立った。
 その日から三日めに、彼は国家老の使いをうけて登城した。江戸にいる藩主から墨付が届き、病父の職を継承するために出府せよということであった。次席家老と側用人を兼ねる重要な席である、辞退することはできない。すぐ出立せよというので、帰宅すると父に報告し、母にはその用意を頼んだ。――父に報告したときのことであるが、それを聞いた助左衛門は、はげしく涙をこぼしながら幾たびも頷き、震える指で次のような意味を書き示した。
「身命を惜しまず、家も名もあらず、奉公ただひとすじと覚悟せよ」
 もっと多く云いたいことがある、しかしそれを伝えることができない。ごく常識的なその言葉にすべてのものをこめた。この中からつかむべきものを把め、――そういう感じがおぼろげに了解された。金之助は父の眼をみつめながら、父上の子として出来るだけのことを致しますと誓い、自分を信じて、安心して療養されるようにと云った。……それが最後の別れとなったのであるが、そのとき父がしきりに涙をながし、震える手でこちらの手を握ったまま、いつまでも放そうとしなかったこと、なにか云いたそうに唇を動かしては喉声をだしたことなど、金之助には忘れることのできない悲しい記憶となって残った。
 江戸邸へ着いてからは荒忙そのものであった。しかし父が賜暇を得て、居宅で事務を執ることを許されたあいだ、側にいて手助けをした経験がずいぶん役立ち、さしてまごつくこともなくその職に馴れていった。――出仕し始めて間もない或る日、藩主若狭守から、「父からなにか聞いて来たか」という質問をされた。どういう意味かわからなかったが、身命を惜しまずという訓戒をうけたことを答えた。若狭守貞継はなにかじっと思い耽るような眼をした、それから気を変えるように頷いてこう云った。
「いろいろむずかしい事がある、そのうち申し聞かすが、父の言葉を忘れずにつとめて呉れ」
 しかしそう云った貞継が、間もなく病気で倒れたのである。


 藩主の病臥びょうがが触れだされたのは年が明けて二月のことだった。侍医が政務を執ることを禁じたので、老臣の合議によって藩政の処理がおこなわれることになった。しぜん金之助の側用人という職は名のみとなり、次席家老は国許の席に属するので、老臣会議にも殆んど形式に顔を出すだけの、まったくひまな身の上になった。
 金之助は身にいとまが出来たので、中屋敷にいる若殿へ挨拶にいった。出府したときいちど伺候したのだが、そのときは会えなかったのである。こんどは引見を許されたが、扱いはごく冷淡であった。――五年のあいだ学友としてお相手にあがり、思い出も少なくない、その頃の話が出るだろうと、ひそかに楽しい予想をしていた。民部康継みんぶやすつぐたくましい躰格で、顔色もよく、動作もきびきびしていた、昔の亀之助のおもかげは殆んどなく、どっちかといえば剛毅な風貌であった。……彼は金之助の挨拶を黙って受け、終ると黙って立っていった。颯々さっさっとした足さばきで、金之助などは覚えてもいないというようすだった。
 金之助は次に村松平馬を訪ねた。平馬は十九歳のときから江戸詰になり、一昨年その家を相続して、現在では下屋敷支配をしている、そのためこれまで会う機会がなかったのである。――久しぶりの対面で、暫く故郷や旧友の話をしたが、平馬のようすになにやら隔てがあって、あの頃のようにぴったり気持がかよわず、ともすると間の悪い沈黙が起こった。そのうちにふと決心したという表情で、平馬が思いもかけないことを云いだした。
「まことに突然のようだが、側用人と次席家老の職を辞退しないか」
「――――」
 金之助は相手の顔を見まもった、余りにも意外のことで、冗談か本気かさえわからなかったのである。
「いったいそれはどういうことなんだ」
「理由はいま云えない、辞退をすすめるのも友達としての個人的な忠告だ、――こう云えばなにか思い当ることがありはしないか」
「それは政治に関係したことなのか」
 平馬は黙っていた。その姿勢にはかすかながら敵意のようなものさえ感じられた。
 帰るとき玄関へ送って出たようすでは、こんど訪ねて来ても会わないという態度が明らさまであった。――金之助はくにもと育ちであるし、出府してから半年にもならず、江戸邸の事情にうといのはいうまでもなかった。そのうえ「側用人」という職は常にもっとも近く藩主に仕えるため、対人関係が微妙であって、周囲との昵懇じっこんなつきあいは遠慮しなければならない。しぜん家中の細かい内情には不案内だったし、またその必要もなかったのである。……平馬のとつぜんな忠告が、なにかしらいま家中に起ころうとしていることを示すのは明らかだ、側用人も次席家老の席をも辞せという、さもなければ絶交だと云わんばかりであった。
 ――慥かに政治をめぐってなにか動きだそうとしている、そしてその動きには自分も無関係ではないらしい。
 それはもう疑う余地がないだろう。病床の父を老臣たちが訪れたのも、父が隠せと命じたあの書類包も、出府したはじめに藩主の云った言葉も、――それから若殿康継の冷やかなあしらいにも、その動きの糸がつながっているかもしれない。
 ――だがいったいなにがどう動こうとしているのか、それはどういう意味をもつのか、その中で自分はどんな位置にあるのか。
 金之助は苛々いらいらとおちつかず、不安定な暗い気持で日を送った。三月になって間もなく国許の母から手紙が来た。父の病状を伝えるもので、その後いっとき良くなったが、二月になって三度めの発作が起こり、こんどはよほど重態のもようである。勤役ちゅうのことでやむを得ないが、できるならいちど会いに戻れまいか、――そういう文面だった。そして終りのほうに、半三郎どのがまた放蕩ほうとうを始めたらしく、由利江さんもお気の毒なようすだ。ということが書き添えてあった。
「――半三郎が、……またか」
 金之助は苦いものでも吐き出すように口をゆがめた。
 父が重態だという、いまなら閑職にいるのも同様だから、そう願えば許しは出るかもしれない。けれどもいつどこから嵐が巻起こるかもわからない今、それを捨てて国へ帰る勇気は彼にもなかった。――眼に見えない周囲のぶきみな情勢、重症の父、早くもまたぐれだしたという半三郎、そして哀れな由利江、「なにもかも暗い、前も後ろも」金之助は溜息をつきながらこうつぶやいた。
「これからどうなってゆくことだろう」
 老臣たちが若狭守の病室を封鎖し、専断に政務を処理している、若狭守はもう恢復したのに、かれらは病状を偽って表へ出さないのだ。そんな風評が、金之助の耳などにもつくようになった。――すると或る日、御殿から住居へ戻ると、一人の下僕ふうの男が待っていて、彼に一通の封書を渡した。
 ――会って話したいことがある、使いの者が案内するからすぐに来て呉れ、まわりの者に不審をうたれぬよう注意のこと。
 そういう手紙で、差出し人の名はなにも書いてなかった。金之助はすぐに村松平馬を思いだした。彼に違いない、こう思って支度を直し、その使いの男といっしょに上屋敷を出ていった。――あとで考えると葺屋町である、そのときは初めての町で見当もつかず、ただ案内されたのが芝居茶屋だということだけは察しがついた。着飾った男女が華やいだ声で呼びかけたり、にぎやかに話したりしながら、忙しげに往き来する廊下を通り、二階へ上って奥まった部屋の前へゆくと、使いの男は襖際に膝をついて「平次でござります」と云った。……すると内側からふすまが明き、そこに一人の少年が坐っていた。まだ十五六で前髪がある、眉と眼のりんと張ったなかなかの美少年だったが、こちらの顔を射抜くように見ながら、名を慥かめたのち金之助だけ中へ入れ、襖を閉めて座を立った。
 ――これは平馬ではない。
 こう直覚しながら向うを見た。およそ三十帖ほど敷ける部屋の、中央から上座へかけて六曲の屏風びょうぶ一双で囲ってある、少年はそこへいって低い声で取次いだのち、戻って来て「預かります」と、金之助が右手に提げていた刀へ手を差出した。刀を置いてゆくとすれば身分の高い人に違いない、――たれびとであろう。金之助は囲ってある屏風の端へいって、坐ろうとすると中から呼ぶ声がした。
「作法は無用だ、はいれ」
 金之助は摺足すりあしではいった。毛氈もうせんを敷いて、酒肴しゅこうの膳を前に民部康継が坐っていた。金之助は思わずあっと云ってそこへ手をおろした。食膳の脇にもう一人、やはり十五六の少年が侍している、康継はちょうど手にしていたさかずきを差出して「近う」と云った。
「いや取次には及ばぬ、このまま取れ」
 金之助は膝行しっこうして盃を受けた。侍していた少年が銚子ちょうしで酌をした、――康継は別の盃を取りながら、少年に座を去れと命じ、金之助と二人きりになった。
「先日は久びさで会ったのに言葉もかけなかった、今日はあの頃の話でもして悠くり盃を遣わしたいと思うが、事情があってそのいとまがないのだ、――それですぐ要談にはいるのだが」
 康継はこう云って脇息のひじを起こした。たくましい頬に血がのぼり、ちからのある澄んだ双眸そうぼうがいっそう光りを増すようにみえた。
「さきごろから藩の政治がみだれ、老臣どもの汚職のおこないがあることを知っておるか」
「おそれながら殆んど不案内でございます」
「国許ではさような評は出ていなかったか」
「その職にあらぬ者が政治を口にしますことは固く禁じられておりますし、私自身さような評を耳にしたことはございませんでした」
 康継は盃を置いた。
「その方が知らなかったのには理由がある、はっきり申せばそのほうの父、沢渡助左衛門がその首謀者の一人だからだ」
「――――」金之助はすっと全身の血が冷えるように感じた。
「助左衛門を中軸とする老臣どもが、藩の財政を背景として京、大阪、江戸の三カ所に商舗を経営しているのだ、領内から産する生紙、絹糸絹布、海産物、また米穀売買などまで、商人を使って営業させ、長い年月にわたって私腹を肥やして来た」
「おそれながら」金之助は堪り兼ねてこう云った、「――私にはお言葉の意味がまったくわかりません、私は父をよく存じております、父はお役に立つほど有能ではないかもしれませんが、さような悪事のできる人間でないことだけは」
「それはわかっている、さればこそおれがそのほうを呼んだのだ」康継はその抗議を予期していたように頷いた、「――助左がいかなる人物かということは、父上はもちろんおれにもよくわかっている、また商舗を経営したそもそもの根元には、なにかやむを得ぬ理由もあったようだ、しかしよほど以前から事情はまったく違ってしまった、かれらはその事業を私欲私利の具に使っている、領内の物産はかれらが一手に押え藩の名において不当に安い価格で買上げる、これをおのれらが経営する商舗で売るのは云うまでもない、藩で必要とする物産雑用品も、すべてこの機構を通って納入される、これらの売買による利潤はかれら自身に分配され、損失のあるばあいは藩の財政に転嫁して来た、……そして、かれらはその中軸に助左衛門を据えている、側用人という職はもちろん、藩主の信任のもっとも篤い人物として、いざとなれば助左を主謀者とし、助左に全部の責任を負わせるよう、巧みに事がこしらえてあるようすだ」
 康継の眼はするどく光り言葉つきも烈しい熱を帯びてきた。


 金之助のおどろきは形容しようのないものだった。それが事実であるかどうか、どこまで信じていいかさえ見当がつかなかった。康継は寸刻も惜しむというようすで、――この悪弊をうちこわし、紊乱ぶんらんした藩政をたて直すのは当面に迫った問題である、その第一は汚職の老臣どもの譴責けんせきであるが、いままでのところ汚職の事実を明らかにする的確な証拠がない、つづめて云うとかれらが経営する商舗とかれら一味との関係をはっきり証拠だてる物がない。そこで機会をみて一挙にかれらを檻禁かんきんし、国許へ送って裁決にかける。だいたいそういう方法をとることになった、それについては気の毒であるが沢渡にも累が及ばざるを得ない。康継はこう云うのであった。
「父上も助左の功は重くみていらっしゃる、我が藩の今日あるは助左のちからにあずかるところが多い、そう仰せられたこともあった、おれもそのほうをゆくすえたのみの一人と思っていた、情においてはまことに忍びないが、政治の粛正のためにはどうしてもここで断然たる処置をとらねばならぬし、それにはそのほう父子に眼をつむって貰わなければならないのだ、康継ではない亀之助がたのむ、――金之助、これも奉公の一つと思って承知して呉れ」
 金之助のあたまはまだ昏乱こんらんから覚めていなかった。すべてが余りに突然で、殆んど悪夢の中にいるような気持だった。しかし康継の言葉が終ったとき、彼ははっと一つの事に思い当った。それは父に預けられた書類包のことである、武庫から出して自分の部屋の長持の底へしまった、あのよしありげな包、――国許の老臣たちが父に強要していたと思えるあの書類包、……あの中にこんどの問題の証拠となるべき物が入っているのではあるまいか、そう思いついたのである。
「仰せの趣よくわかりました、それが事実なればもちろん、私ども父子をいかようにも御処置あそばせ、ただ一つお願いがございます」
「聞こう、遠慮なく申せ」
「私をいちど国許へ帰して頂きたいのでございます、と申しますのは」
 金之助はその書類包のことを語った。老臣たちがしつこく父に迫ったようす、それがその書類にあったと思われることまで。――康継はひじょうな興味をそそられたらしい、唇をみ眼をつむった。それからきっとこちらをにらむようにしたが、「しかしいまそのほうが帰国してはかれらの疑惑をまねく、誰か使いをってとりよせることはできぬか」
「父は家人にも気づかれるなと申しました、それについ先日、国許の母より音信がございまして、父の病状が悪くなったと伝えてまいりました、御承知のように私はいま殆んど御用がございませぬ、危篤の病父を見舞うということがお許しを願えれば、それほど疑われることもないかと存じますが」
 助左は重態かと云って、康継は暫く考えたのち、心が決ったようにうなずいた。
「よかろう、しかし急ぐぞ」
 金之助はできるだけ早く許しを取って帰国すること、その包を開いてみて、もし関係書類であったら直ちに江戸へ戻ること、連絡は下屋敷の村松平馬を通じ、もっとも隠密におこなうことなど、あらましのうちあわせが済んで、さがろうとしたとき、彼は若狭守の容態をきいた。
「助左衛門と同じ御病気だ」康継はふと胸苦しげに云った、「――御発病の初めから全身が御不随であられたらしい、侍医の言を楯に老臣どもが拒むため、おれもいちどきりおめどおりをしてはいないが、……ただしきりに涙をおながしなさるばかりで――」
 それ以上は言葉が続かなかった。金之助は間もなく辞してその茶屋を出た。――上屋敷へ帰る途中、かれはようやくおちついてくる気持のなかで、ありありと自分がいま嵐の中にいることを感じた。父が二度めの発作を起こして以来、眼にし耳に聞いたかずかずの疑惑の断片が、今やはっきりとその正躰を現わすかのようだ。これまで単に不審であったもの、なんの意味とも知れなかったものが、康継の言葉によって仮面をぬがされた。もはや疑う余地はなかった。彼は自分をとりまく嵐の意味と、自分の位置の動かし難さを了解する、それは考えたよりも決定的であり重大である。……だが金之助には不安も恐れもない。寧ろいままでのどんな時よりちからづよくおちついていた。彼は久しぶりで平明な表情になり、一歩ずつ大地を踏みしめるような足どりで上屋敷へ帰っていった。
 金之助がいとまを得て故郷へ帰ったのは四月はじめであった。父は十日まえに死んでいた、その知らせといれちがいになったわけである。――喪主が勤役ちゅうは帰国できるか否かわかるまで葬礼は延ばされるのが通例だった。もちろん遺骸は荼毘だびにしてあったが、金之助が着くと共に改めて通夜その他の法要がおこなわれ、そのため人の出入りが多くて、数日はなにをすることもできなかった。
 由利江と会って話したのは、それがひとおちつきした日の午後のことだった。朝から梅雨のような細かい雨が降っていて、明けてある窓の外には、庭に茂る樹々の緑がいま描きあげた絵のように、新しく鮮やかに濡れていた。彼女とはそのまえ寺の法会のときにいちど会った。遠くから目礼を交わしただけであるが、からだつきにも面ざしにも思ったほど変りがなく、やはりおっとりとなごやかな眼で微笑しているようにみえた。――それが彼の居間へはいって来て、相対して坐ったのを見ると、まったく裏切られたような感じがした。まず驚くほどせていた、薄く化粧をしているらしいが、顔色もわるく、やつれてみえ、まるい二重顎だったのが、こけたようにとがっていた。
「少しお痩せになったようですね」挨拶が済んでから金之助はそうきいた、「どこか具合でもお悪いのですか」
「いいえそんなことはございません、躯だけはずっと丈夫でございますわ」
「――お躯だけはね」
 こう云われて由利江はふとこちらへ眼をあげた、しかしすぐに俯眼ふしめになり、膝の上の手をそっと握り合せた。いじらしいほど寂しげな姿である。どこへでも幸福を持ってゆくと云われた由利江、身のまわりにいつも和やかに温たかい雰囲気ふんいきをつけていた由利江、見るほどの者に生きることの悦びを感じさせた、あの由利江はどこへ無くなってしまったのか。――こんな寂しげな頼りない姿になるまでに、どれほど苦しい悲しい経験をしたことであろう。
「母からの手紙で知ったのですが、公郷はやっぱりいけませんか」
「わたくしがいたらないのだと思います」
 由利江は低いこえで云った。
「公郷の放蕩は、好きでやっているのではございません、見ていても苦しそうなことがたびたびございますの、放蕩をせずには、いられないような、なにか深い悩みがあるのだと思いますわ」
「――例えばどういうことか、あなたにはおわかりですか」
「ほんのおくそくではございますけれど」由利江は両手の指を絡み合せた、「――公郷の父もあのようにして老職をお退きなさいましたし、公郷も学問所から逐われました、父と子とつづいた不運、まわりのかたがたの冷たい眼、寄合席にいるというだけで、一生なすこともなく終りそうな身の上、……こういうことが重なって、ついじっとしていられなくなるのではないかと、思いますの」
 金之助は頷いた。そうかもしれない。いやおそらくそれが事実だろう、由利江はさかしくも良人の心にあるものをみぬいているのだ、そしてそれを此処へ云いに来た気持も、金之助にはおよそ察しがついた。
「そう、たぶん仰しゃるとおりでしょう」彼は静かにこう云った、「――もしそれが事実だとすれば、彼には必ず良い機会が来ます、そう遠くない時期に、きっと彼の世に出る機会がやって来ますよ」
「本当にそうお思いなさいますの」
「いちど公郷に会いたいと思うのですが」と、彼は由利江の反問には答えずにきいた、「――いつ頃いったら彼は家にいますか」
「そのときによりますけれど、ひるまえでしたらたぶん――でも、定ってとは申上げられませんわ」
 由利江は恥ずかしそうに俯向うつむいた。やっぱり家を外にして、幾日も帰らないようなこともあるのだろう、彼は由利江の顔が見られない感じで、「では明後日ゆくから家にいるように伝えて貰いたい」と頼んだ。
 二人はふと沈黙した。それまでの話とは別に、もっとうちとけて語りたいことがある、お互いにとってもっとじかな、もっと親しく感情で触れあう話が、……由利江はわずかに窓の外へ眼をやった。金之助もそちらへ振向いた。雨にけぶる樹々の若葉からは緑の霧が立つように思える。すでに花期の過ぎた牡丹ぼたん畑、――しとどに濡れたその葉ばかりの牡丹を、由利江はじっと思い深げに見まもっていた。
 ――母親に亡くなられたあと、由利江がこの家へ預けられたときから、もうこんなにも長く時が経ってしまった。
 金之助はこう胸の中で呟いた。すべてはながれ去ったのである。どんな方法を以てしても、もはやあの頃のお互いをとりかえすすべはない。そればかりか、二人がこのように会うのは今日かぎりになるかもしれないのだ、ことによると再び生きて相見ることはできないかもしれないのである。金之助は胸苦しいような気持におそわれ、ふと太息といきをつきながら振返った。
「ひとつおねだりしてもいいでしょうか」
「――――」
 由利江はびくっと肩を震わせ怖れる者のようにこちらを見た。
「あなたのおてまえで茶を頂きたいんです、道具は母のところにありますから」
「はあ、でもわたくしこんな恰好で」
「初めての、そしてたぶんこれが最後のおねだりです、お願いしますよ」
 ではと云って由利江が立とうとしたとき、庭のほうでぱさっとなにかの落ちる音がした。二人は同時に振返った、――金之助は音のしたあたりを見やった。牡丹畑の向うに枝をひろげた梅の樹がある。その繁った葉がくれに、かなり大きくなった実の生っているのが見えた。
「梅の実が落ちたんですね」
 金之助は呟くように云った。由利江は息をひそめるように、ひっそりと、暫くそのあたりを見やっていた。


 明くる日の午ちょっと過ぎに、半三郎から呼びだしの手紙が届いた。――雨はあがったが空は低く雲にとざされ、鬱陶しくむしむしする日だった。彼は支度部屋の長持の底からあの包を取出し、居間にこもって中の書類をしらべていた。
 それは推察したとおりの物であった。すなわち国許と江戸の老臣たち九名が、合議のうえ四種の商舗を経営するという、連名の旨意書を第一に、経営を任せる商人との契約書とか、年々の収支決算とか、事業に関する往復文書などの類である。――始められたのは約二十年まえで、当時ひじょうに逼迫していた藩の財政を救うため、沢渡助左衛門と江戸家老の灰野内蔵助が主となって企画し、十二年続いてうちきられている。詰り藩の財政がたちなおったので、経営は老臣たちの手から離れ、それまで委託していたそれぞれの商人に譲渡されたのである。……書類はそれだけではなかった。次には事業を譲り受けた商人たちから提出された報告とも訴状ともいえる書類で、手を切った筈の老臣たちが依然として経営を支配し、従前どおり利得を収めていること、その詳しい事実と数字とが、年度ごとに記録されたものであった。
 ――これは商人たちから父へ提出されたものに違いない、とすれば父がこれら老臣の一味でなかったことは慥かであろう、いつか事のあった時のために、父は商人たちから詳しい記録を取って置いたのだ、そうでなくてこれをなんのために自分に託する必要があろうか。
 彼には父の気持がはっきりとわかるように思った。父は不正の共謀者ではなかった。寧ろその摘発者の立場にいたのである。事が表われて沙汰になったばあい、老臣一味は父を主謀者とするよう、巧みに首尾を拵えてあるという、おそらくそれに相違あるまい、そして父もその覚悟はしていたと信じられる。
 ――身命を惜しまず、家も名もあらず。
 慥かにそうだ、父には自分を救おうなどという考えは少しもなかったのだ。金之助は父の意志と対面する思いで、厳粛な感動にうたれながらやや暫く瞑目めいもくするのであった。
 使いの者が半三郎の手紙を届けに来たのはそのときであった。――権現下の柳井という茶屋に待っている、すぐ来て呉れ。そういう文面であった。書類のしらべはもう済んだので、使いの者に承知の旨を答え、包を元のように始末した。それを江戸へ持ってゆく荷物の中へ入れ、おそくなった午餉ひるげを軽くべてから家を出た。……権現下というのは城下町を東にぬけた丘添いの一画の俗称である、丘の上に名高い日吉権現の社があり、近国からも参詣さんけいする者が絶えない。古い杉並木のある参道にそういう人たちのための休み茶屋が建っているが、なかには化粧した女などを置いて遊興を主とした家も二三ある。いってみると、柳井というのは明らかにそういう家のひとつだった。
 案内されたのは長い廊下をつき当った端の部屋であった。とりまわした庭も悪く凝ったものだし、部屋の飾りつけもけばけばしく安手である。半三郎は酒肴の膳を前に、着ながしのままあぐらをかいて飲んでいた。もうかなり酔っているようだった。
「よう、次席家老、兼、お側御用人の御光来だな、失敬だがこっちは無礼講にして貰うぞ」
 半三郎は嘲弄ちょうろうするようにこう云った。蒼ざめて皮膚のたるんだ不健康な顔に、眼だけが毒のある光りを帯びていた。あのときからみると十年もとしをとったようである、金之助はさりげない会釈をして、自分のために設けたと思える膳の前へ坐った。
「明日うちへ来るという伝言を聞いたよ、おれのほうでも会いたかったんだ、しかしお側御用人のお屋敷はしきいが高いんでね、――そっちにはまたこんな家は汚らわしいだろうが、まあ久しぶりだ、一杯いこう」
「今日は少しまじめな話があるんだ」
 盃を受けてから金之助がこう云った。半三郎は唇を歪め、挑むような姿勢で冷笑した。
「まじめ結構だね、よろしいこっちもまじめでいこう、人間万事まじめでなくっちゃあいけない、そこでもう一杯、まじめに献じよう」
「一年ぶりで会うんだ、そういう調子はやめようじゃないか」
「そして金之助のようにまじめになれと云うのか」半三郎は片手で口をぐいと拭いた、「――冗談じゃあない、なるほどおれは身を持崩している、酒を飲み賭博とばくをやる、四方八方借りだらけだ、けれども人のうしろから小股こまたをすくうような、卑劣なまねは決してしたことはないぜ」
「――――」
 金之助は盃を置いた、さすがに堪り兼ねたのである。盃を置き刀を取って、そのまま席を立とうとした。
「どうするんだ、恥ずかしくていたたまれないのか」
「酔わないときに会おう、今日は帰る」
「よし帰れ、だが」半三郎はこう云うと、ふところからなにか取出して、金之助のほうへ投げやりながら叫んだ、「――帰るならこれを持ってゆけ、当人はあとから届けてやる」
 金之助の額がすっと蒼くなった。投げだされたのは手鏡である、由利江がせがんで持っていった、八花形のあの漢鏡であった。金之助はつとめて怒りを抑え、できるだけ静かに相手を見た。
「これはどういう意味だ、半三郎、――当人はあとから届けるとはなんだ」
「しらばっくれるな、おれがこの鏡を知らないと思ってるのか、きさまがお祖母さんの形見だといって大事にしていたことは、子供のじぶんからちゃんと知っていたぞ」――半三郎は血ばしった眼で、噛みつくようにこっちを見た、「――それを由利江が持っている、宝物かなんぞのように、肌身はなさず大切にしている、……あれはきさまの家にいたことがある、しげしげと出入りもしていた、公郷へ来てからのようすでも、二人のあいだになにがあったかは一目瞭然だ、躯ばかりのぬけがらを貰ってありがた涙をこぼすほど、おれは馬鹿でもめくらでもないんだ」
 その言葉をしまいまで聞かず、金之助は席をって相手にとびかかった。
「よし来い、きさまなんぞ」
 半三郎もすばやく立った。躯と躯とが激しくうち当り、組んで倒れた。酔いにあおられた狂暴な力で、半三郎は金之助を押伏せ、両手で相手の喉を絞めた。だがそれより早く、金之助は下から彼の顎を突上げ、たちまち逆に組敷いたと思うと、拳をあげて続けざまに高頬を殴りつけた。七八つちから任せに殴ると、半三郎は肩で息をしながらぐったりとなり、反抗を止めて手足を投げだした。
「おまえそんなに卑しい人間になったのか、半三郎」金之助は馬乗りになったまま、低くころした声で云った、「――おまえにはそんな卑しいことしか考えられないのか、もしそうなら相済まぬぞ、……よく聞け、正直に云えばおれはあのひとが欲しかった。あのひとも沢渡へ来るつもりがあったようだ。けれどもおまえがあのひとを求め、あのひとが来て呉れれば身持を直すと聞いて、おまえの妹からもせめられて、本当にそのつもりになって公郷へいったんだ、――あの鏡は、ずっと小さいときに遣る約束がしてあった。あのひとがあれを持っていったのは、二人の思い出をつなぐためではなく断切るためだ、あの鏡には古い思い出がある。置いていっては心が残るようだ、……あのひとはそう云った。古い思い出を断切るために、心残りをなくすために持っていったものだ、それをぬけがらとは」
 金之助の眼から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。半三郎はなかば口をあき、眼をつむったまま頭を左右へ揺すった。
「あのひとは見ちがえるように痩せやつれた。なぜだかわかるか。半三郎には人にすぐれた才能があるのに、不運なめぐりあわせで世に出られない、一生埋れ木で終るかもしれない、それがやりきれなさに放蕩をする、放蕩は苦しさの余りだとあのひとは信じている。そういうおまえを見る辛さがあのひとをあんなに痩せさせたんだ、――よく考えてみろ、半三郎、そんな卑しいことを思うまえに、もっと男らしい思案がなければならぬ筈だぞ」
 半三郎はぐらぐらと頭を揺りつづけていた。蒼白くひきつっている頬、歯の見える口、そして双の眼からはしきりに涙があふれ出た。――金之助は立って衣紋えもんを直し、刀を取上げて振返った。半三郎は毀れた木偶でくのように、身を投げだしたまま動くけはいもなかった。
 その月の下旬に、金之助は江戸の中屋敷で康継と会い、持って来た包の書類を差出した。康継はひじょうな悦びで、これでもう事は成ったと云った。そして、国許における裁決には自分も出るが、裁きの責任者として誰かひとり選びたい、自分の側近からでなく、この問題に関係のない人間を選んで公平な裁きをさせたいが、誰か思い当る者はないかと問われた。
 金之助はそのとき即座に半三郎の名を挙げた。
「彼なれば必ずお役に立つと存じます」
「――半三郎」康継はなにか思いだそうとするように眼を細めた、「――それはそのほうといっしょにおれの相手に出た、あの半三郎か」
「私には他に思い当る者はございません、繰り返して申上げますが彼はお役に立ちます、誰よりもみごとにやり遂げると存じます」
 康継は思いをひそめるように、やや長く沈黙した後、つくづくと金之助を見おろしながら云った。
「親しい友の、一は裁く者となり、一は裁かれる者となる、――そして同じく奉公のためと云いながら、そのほうには悪いめぐりあわせであった、暫くのあいだだ、金之助、……辛抱たのむぞ」
 金之助は黙って静かに平伏した。


 それから二十日ほどして康継がった。
 江戸家老灰野内蔵助――これは助左衛門の盟友だった人の子である――植原主水、灰野六郎右衛門、時山勘兵衛、以上四名の老臣がとつぜん職を解かれて禁固、またかれら腹心の者三十余人も検挙のうえ拘束された。金之助もむろんその中に含まれたので、事の始末は詳しくは知らないが、ただちに中老の榊原頼母を家老に据えたほか、殆んど全重職の更迭がおこなわれ、康継が執政の位地についた。――これら新しい重職はみな若く、ながいあいだ康継と共に弊政転覆のため働いた者たちである。村松平馬もそのひとりで、彼の席は大目付であった。
 金之助は四人の老臣と共に国許へ送られ、そのまま大寄合の佐竹靱負ゆきえに預けられた、靱負は由利江の父の弟で、沢渡とも昔から往来があり、金之助もたびたび会ったことがある。――彼には広い庭の一隅にある隠居所風の建物が与えられ、杉田喜兵衛という侍が付けられた。
 静かな、しかし退屈な日が経っていった。禁固だから外部との交渉は許されない、起居にも厳しい規律があるのだが、この家の扱いは極めて鄭重ていちょうだった。食事はもちろん身のまわりの細かいことまで、殆んど客の接待をするかのようにゆき届いていた。おそらく康継のほうから内命でもあったのだろう、ときにはあるじの靱負が来て話していったりした。――国許でも江戸邸で検挙があるとすぐ、松崎頼母、平川佐太夫、小田切弥三郎、久保源右衛門らが城内に禁固され、その腹心の者二十余名も大目付へ拘束されたということ。また新しい重職のうち公郷半三郎が家督して次席家老に就任し、兼ねて奉行目付支配に命ぜられたということなど、すべて靱負のさりげない話から知ったのであった。
 季節は秋になり冬へと移った。
 ひとつの騒動ともいえるこの種の出来事は、幕府に摘発されるとうるさい問題になる。金之助にはそれがなにより気懸りだったが、康継の室が老中で羽ぶりのよい堀田氏の出であるのと、その方面への周旋が機を得たためか、幸いなんの関渉も受けずに、済むようだった。
 霜月なかばになった。いつもならもう雪になる筈であるが、気候はあと戻りをしたように暖たかく、権現山では何十年ぶりかで桜がかえり咲きをしたなどという噂が立った。金之助の謫居たっきょのまわりも、庭木の紅葉したものがなかなか散らず、枝から枝へのどかに小鳥の鳴きわたるような日が幾日も続いた。――或る夜、とつぜん気温が下って夜半から雨になり、明くる日もずっと降りやまなかった。
 午をかなりまわってから、なんの前触れもなく由利江が訪れて来た。それまでにも靱負から母に会ってはどうかとすすめられたことがある、幾たびも「会うように」とすすめられたが、それでは法にそむくからと固く断わって来た。もっともそのためわざと前触れをせず、黙って靱負がとおしたのかもしれない。ちょうど杉田もいなかった、窓際の机にって、この家から借りた詩経をみていると、玄関に人のはいるけはいがし、案内を乞う声が聞えた。
 女のこえのようなので、不審に思いながら出てみると、由利江が雨除けの被布をぬいでいるところだった。
「どうしたんです」金之助はとがめるように云った、「――どうしてこんなところへ……」
「公郷に申しつかってまいりましたの」
 由利江はこう云いながら、こちらには構わず濡れた足袋をぬぎ、片手に風呂敷包を抱えてあがった。拒まれるのを承知で来たというふうが明らかである。金之助はしかたなしに部屋へとおし、濡縁に面した障子を明けたうえ、火桶ひおけをすすめて坐った。
 挨拶が済むとすぐ、由利江は持って来た包を解き、粗末な物で恥ずかしいけれども、公郷がこころざしだけ受けて頂きたい、そう云ってそこへ差出した。――畳紙たとうをあけてみると、小袖ひと重ね、綿入の羽折、肌着、帯、足袋などがはいっていた。高価な物ではないが温たかそうな、心のこもった品である。そしてその品々からは、これを仕立て、由利江に託して届けさせた半三郎の気持が、その声を聞くようにありありと伝わってきた。
「本来なら貰ってはいけないのだが、古い友達の贈物という意味で頂きましょう、どうぞあなたから礼を云って下さい」
「公郷のこころざしをわかって頂けましょうか」
 こう云って由利江の見上げる眼を、金之助はさりげなく受けながしていた。
「彼は元気ですか、よく勤めていますか」
「はい、元気に致しております、この頃はずっと酒も頂きませんし、――調べもので夜を明かすようなことがたびたびございますけれど、躯もすっかり丈夫になりましたようで……」
「それはよかった、あなたのお骨折りがようやく生きてきたわけですね」
 金之助がそう云うと、由利江はふいに両手で面をおおい、耐えかねたようにむせびあげた。そして抑えても抑えてもこみあげてくる嗚咽おえつのなかで、とぎれとぎれに云いだした。
「公郷はたいそう苦しみました」
「――――」
「次席家老を仰せつけられましたときは、ようやく世に出られる、これからやり直しだ、そう云って悦んでおりました、酒もぴったりやめました、――そのうち、七月はじめでございましょうか、奉行目付支配という重いお役を兼ねることになり、お召しをうけて江戸へまいりました」
 雨がしきりにひさしを打っている。しみいるように寒ざむとした音だ。金之助はその雨の音からなにかを聞きとろうとでもするように、腕組みをしてじっと耳を澄ましていた。
「新しいお役目は、こんどのお裁きのために設けられたそうで、公郷はなにも知らずにお受けしたのでございます、――そして若殿さまから、御旨意を詳しく承りましたとき、……そのお裁きの仔細しさいを伺いましたとき、公郷は、――御辞退を願い出ました、――私には勤まりかねます、他の者に仰せつけられますように、こう繰り返しお願い申したのでございます」
 金之助はくっと眉をしかめた、しかしなにも云わなかった。由利江は手指で眼がしらを押えながら、低く震えるこえで続けた。
「若殿は御承知くださいませんでした。そして、おまえが辞退するのは、裁く者のなかに金之助がいるからであろう、だが、――おまえをこの役に推挙したのは金之助だぞ、こんどの裁決は一藩の大事だ、ひとつ間違うと長い禍いの根を残す、この大役をはたす者は公郷のほかにない。……金之助がそう申した。――そのほうと彼とは幼少からの親友だ、彼ほどそのほうを知る者はあるまい、このたびのことでは金之助もすべてを捨てている。家名も、武士の面目さえも捨てている。……紊乱した藩政をたてなおすために、彼はすすんで身を捨石にして呉れたのだ、そしてそのようにあらゆる私情をたちきり、大事を誤りなく裁く者は、半三郎を措いてほかに人間はないと云うのだ。――これでもそのほうは辞退するか、辞退するのが友情だと思うか、……若殿はこう仰せられたそうでございます」
 金之助は唇を噛み、眼をつむって頭を垂れた。康継は彼にはなにも云わなかった。それがいま由利江の口を通じて伝えられたのである、金之助は康継そのひとの声を聞くおもいで、心のなかでひそかに低頭した。
「公郷はお受けをして戻りました。けれどもたいそう苦しみました、――金之助には口に云えない迷惑をかけている、ほかの友達がみんな離れ去っても、彼だけはおれを捨てなかった、さいごまでおれの才能を認め、おれが立ち直ることを信じていて呉れた、……こんどのおれの役目は彼が推挙して呉れたものだ、そして、それは彼を裁くたちばに立つことだ、――たった一人の友、生涯の恩人ともいうべき友を裁く、……こんなことがあっていいだろうか、そんなことが赦されるだろうか、――公郷は本当に苦しみました、見ているこちらが痩せるほど苦しんでおりました」
「しかし私は信じています」金之助は静かに口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しはさんだ、「――彼は命ぜられた役目の重大さを知っている筈です。そんな私情のために、いつまでも苦しんでいる男ではない筈です」
 由利江は涙をぬぐうために言葉を切った。それからかすかに頷いて云った。
「自分はりっぱに役目をはたそう、それが金之助への報恩だ。――公郷はそう申しました、はかまの上に、ぽろぽろと涙をこぼしながら、そう申しました」
「――――」
「この粗末なお召物は、そのときわたくしが申しつかったものでございます、仕立てもわたくしが致すようにと申しましたし、――公郷も針を持ちました、このお小袖、お羽折、肌着、どれにもひと針ふた針ずつ、公郷が糸をとおしております、……おわかり下さいますでしょうか」
 金之助は黙って頷いた。彼はいま康継を想い半三郎を想う。五年間、――学友としてお側にあがったとき、かれらには世間の複雑さや生きる苦しみと無関係であった。ひよわで神経質な少年だった亀之助、いつも活溌にとびまわっていた半三郎、……それがいま三者三様のたちばでそれぞれのぬきさしならぬたちばで対決しようとしているのだ。
 ――おれたちは此処へ来たのだ、そしてここから新しいものが始まるのだ、半三郎、これでおまえの一生がきまるんだ、たのむぞ。
 金之助は心のうちでこう叫んだ。
 帰ってゆく由利江を、彼は庭の仕切り戸まで送っていった。どんなに幸運にいっても、当分は会うことはできないだろう。会えてよかった、――そしてどうかこれからは仕合せであるように、彼はこう祈りながら、しかし顔にはちからのある明るい微笑をうかべて云った。
「公郷に伝えて下さい、彼の裁きぶりを楽しみにしていると――」
 由利江は泣くような眼で見上げ、会釈をして去っていった。――その後ろ姿がみえなくなったときである、右手のほうでとつぜんばさっとなにか落ちる音がした。しんとした雨のなかで、それはかなり大きく聞えた。――梅が落ちた。
 金之助はこう思って振返った。そして、ゆうべからの氷雨ひさめでにわかに葉の落ちつくした樹々を見て、自分の連想の誤りに気づき、そっと苦笑しながらこう呟いた。
「そうだ、……あのときも雨が降っていた」





底本:「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」新潮社
   1983(昭和58)年4月25日発行
初出:「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社
   1949(昭和24)年7月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2020年7月27日作成
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