「珍しい到来物があったのでね。茶を
若いはしたに茶道具を持たせて、そういいながらはいって来た母親のようすを見たとき、
「珍重なものでございますね」信三郎は、いわれるままに摘んでみた。しんなりとした歯ごたえの下から強い杏子の香が匂い、酸味と甘さの溶け合った、密度のこまかい味が舌の根までひろがってゆく、まさしく珍重というべきであるが、武家の質素な生活に慣れている者には、うまい、と思うよりさきに、
「もっと召上れ……」
「いえもうけっこうです、茶をいただきましょう」
「あなたへといってくださったのだから召上がればよいのに、ではここへ置いておきますからね……」
「疋田どのがわたくしへというのですか」
彼は不審そうに母を見た。疋田はこの鶴岡藩
「……ええ」母親はなぜか
「ご馳走さまでした」信三郎は茶碗を置いた。「少し書き物がございますから……」話題が見当のつかぬほうへ外れてゆくので、彼はそういいながら机のほうへ向き直ってしまった。
数日して仕事の予備報告をするために、彼は奉行役所へ出頭した。四年かかったけれど、幕府の法制の研究は完成したわけではない。もう二年ばかり延期を願うつもりでいたところを、急に
「本調書はできしだい呈上いたしますが、完全なものとは申上げ兼ねますので、ぜひもうしばらく継続させていただけますよう、あらかじめお願い申しておきます」信三郎は、
「……ちょうどよい、おひきあわせしておくから同道しろ」そう云って道を少し戻り、疋田
「これが信三郎と申す、二男でございます……」藤左衛門がそういって紹介すると、兵庫助はしけじけとこちらを見て微笑した。江戸の話を所望されたが、四年のあいだ御城と屋敷とを往復したばかりでまったく見物あるきなどをしていないため、これという話題もなく話は一向にはずまなかった。そのあいだにひとりの美しく着飾った娘が、しずかに茶菓の接待をした。母親にでも似たのであろうか、まる顔の血色のいい頬につつましく
疋田家の婿にというはなしが出たのは、それから五日めのことだった。きりだしたのは母親である。信三郎はむしろ微笑しながら母の眼を見まもった。
「……けれど
「あなたは、松谷がどうなったかご存じないのですか……」
「あらましは江戸で
「それをご承知なら、もうあの約束のことは心配なさらなくとも……」
「いやそれは違いますよ」信三郎はしずかに頭を振った。「たとえ権太夫殿が狂死し遺族がご追放になったとしても、
「それは、そのとおりです……」母親はしずかに頷いた。「武士と武士との約束でもあり、小房どのに罪があったわけではないのですから、……お父上もわたくしもそのつもりで、ご追放と聞いたときすぐ小房どのをこちらへお引取り申すつもりでした、けれどそれがだめだったのです」
おなじ家中で納戸奉行を勤めていた松谷権太夫には、男子がなく、小房という娘がひとりいた。すぐれて美貌だというほどではなかったが、魅力のある顔だちと
「……御裁決を聞くとすぐ」と母親はいたましげに続けた。「お父上が松谷どのへ使をおやりになったのです。けれどもそのときもう家はすっかり片付いていて、小房どの親子はいずれかへたち退いたあとでした」
「…………」
「そしてその夜でしたよ、使の者が手紙を届けて来たのですが、――思いがけぬできごとのため婚約も果せぬ始末となった、縁談は無きものにしたいから、そういう文面だったのです」
「こちらに迷惑をかけまいという心遣いですね……」信三郎は暗然と眼を伏せた。「よくわかりました、しかし疋田とのはなしは、少し考えさせて頂きます」
「それはいずれ父上から、改めておはなしがあるでしょうけれど……」
そういって母親は、心のこりそうに立っていった。信三郎はいろいろの感慨に胸を
父からはなしのあるまえに、重臣のひとり安倍孫太夫に招かれた。孫太夫は重臣のいえがらであるがまだ三十歳で、二年まえに江戸から国詰となり、奉行役支配の席にいた。屋敷は三ノ曲輪にあったが、そのときは鵜渡川畔の
「じつは、拙者が仲人をひきうけているのだ」
信三郎は、いったいこれはどうしたことかと思った。
「わたくしごとき者の縁談に、ご老職までがそのように仰せられる、これにはなにか
「仔細はある……」孫太夫は坐り直した。
「いま鶴岡藩が、いろいろな意味で大改革をおこなうべき時期に当面していることは、そこもとも知らぬわけではあるまい」孫太夫はそう云いだした、「……これは摂津守さま御代からの懸案であったが、御他界とともに内外の事情が複雑となり、そのうえ権勢をもって政治を私する一味があるため、改革はむしろ改悪のかたちにさえ傾きつつある、このままではいかん、断じてこのままではいかんのだ」
その言葉の意味は、信三郎にもよくわかった。権勢をもって政治を私するというのは、高力忠左衛門をさすのであろう、複雑な事情というのは、家督問題だ。……先代摂津守忠当が死んだあと、老臣の一部には嗣子忠義を廃して、分家の長門守家から養子を入れようという説が出た。そのとき高力忠左衛門が独り忠義家督を主張して養子説を粉砕し去った、禍根はすでにそこにあったのだ。すなわち摂津守の寵臣である高力とその系統を除かなければ、鶴岡藩政の改革はできない状態だった。そのために分家から養子を入れようとしたのであるが、手段が拙劣だったので失敗に帰し、
「……こう云えばわかるであろう、当面の問題は高力どの一統を除くことだ。政治改革はそのことが実現したうえでなければ手がつかぬ。まずなによりも高力どのを除くことがさきなのだが、これは非常に困難なことであり、うっかりすると御家督問題の失敗を繰返すことになる」
「……しかしその困難というのは、どういう点なのですか」
「高力どの一統の罪条が明白でない、とりあげれば箇条はいくらもあるが、決定的な条件となるものはなく、明敏な高力どのの弁舌にかかればみな申開きが立つであろう、問題はこれこれの罪状があるからというのではなく、高力一統の存在そのものが政治の
「……してその打開策はあるのですか」
「そこもとが疋田家へ入る、今のところこれが唯一の策だ」
「……仰せの意味がよくわかりません」
「新しい人間が必要なのだ」孫太夫は、力をこめていった、「……高力一統の勢力は、十年ちかい年代を経て、その根は深くかつ広い、現在重臣の席にある者はみな、大なり小なりその勢力の影響をうけている、これでは断乎たる手段をとることはできないのだ、彼らの影響をうけたことのない人間、まったく新しい人間が起って斧をとらなければならぬ、しかも高力どのの
「…………」信三郎は、じっと相手の眼をみまもった。孫太夫もその眼を見かえしながら、突込んでくるような調子で云った。
「……そこもとの名が出たのは去年の秋だった、佐垣信三郎という名は、すべての者に双手をあげさせたのだ、問題は身分上の資格だ、それには疋田どのが迎えようと申し出た、あとはそこもとの覚悟ひとつでことがきまる、……仔細というのはこれだけだが、そこもとの意見はどうか」
藩政改革がさし迫った課題であることも知っている、その
しかし彼がその点を反省するよりまえに、孫太夫がずばりと切りこんだ。
「……そこもとにも思案はあろう、だがことは早きを要するのだ、藩家のためにおのれを棄ててくれ、まかり違えば死んでもらわねばならぬが、そのときはわれらも生きてはいない、成否は当ってからのことだ、一命を棄てる覚悟でひきうけてくれぬか」
「……明日お返辞を申上げます」信三郎は面をあげて、こう答えた。
彼は、こういうとき兄がいてくれたらと思った。心はきまっていたが、できることなら兄からひとこと助言がほしかった。しかし、兄は江戸詰だし、ことがことだけに親しい友にも語れなかった、――だが助言など頼まぬほうが本当だろう、おれにはおれの能力だけのことしかできない、その能力をだしきってやってみよう、成敗は天のものだ、はじめから一身も名も棄てれば遅疑することはない、よし! 信三郎はそう思いきめ、明くる日孫太夫を訪ねて承知の旨を伝えた。
疋田へ入婿のゆるしが江戸から来たのは六月はじめのことで、その月二十日に婚礼の式があげられた。諸事倹約の布令の出ているときで、客は両家の近い親族に限られ、祝宴もきわめて質素なものだった。そして
宴が果て客たちが帰り去って、新婚の寝間へ案内された信三郎は、金屏をめぐらした美しい
したくを直した絢子が、安倍夫人に手をひかれてはいって来た。安倍夫人が新夫婦の未来を祝って去ると、あとは二人だけが
「……もうしばらくご辛抱をおねがい申します」そう云った、「家人が寝鎮まりましたら、わたくしあちらへまいりますから……」
信三郎はちょっとその意味を解しかね眼をあげて新妻を見た、美しく化粧をした絢子の顔は紙のように白く、双眼にはいっぱい涙が
「……わたくし、松谷の小房さまとお親しくしておりました」涙の
そのあとは、続かなかった。信三郎は、烈しく心をうたれた、ここにも自分を棄てようとする人がいる、乙女の身としていちど祝言の盃を交わせば、もはやその一生は動かすことができない、しかも絢子は初めからまことのめおとになる望みを捨て、信三郎を必要な位置にすすめるためにその盃を執ったのだ。――武士の
「……よくわかりました」信三郎は感謝をこめていった、「なにも申上げずにご厚志を受けましょう、すべてはことが終ったあとに……」
「はい」絢子は堪えがたそうに頭を垂れ両手をついた、華燭の宵をこめて、雨はなおしとしとと降りしきっていた。
月が変ると彼は重臣の列に加わり、大目附の職についた。大目附は格違いであるが、新任の重職として特に兼務を命ぜられたのである。監察権はすでに彼の手にはいった。安倍孫太夫を中軸とする重臣たちの手から、高力系の
ある日彼は、町奉行役所へゆき、裁判記録をとりよせてみずから精査した。疑わしいものは囚人を呼び出して
「……なにかご不審があるのでございますか」
町奉行はかなり
「いや大目附としての心得のためだから……」
そういって照合を続けていった。
牢舎のしらべを終ろうとしているときだった。病囚溜りに一人の異様な人間のいるのをみつけたので、足を停めると、「狂人でござります」という。狂人をどうして牢舎へ入れて置くのか、不審に思って覗いていると、「……御老職の屋敷へ忍び込んで盗賊をはたらこうと致したのです」奉行がそばからそう説明した。……狂人は

さし寄せよ
夜こそ訪ひ来ね
君をおきてあだし心を
わがもたばや……。
「やかましい、しずかにせぬか」奉行がどなりつけるのをしおに、信三郎はそこを離れ、奉行役所へ戻った。彼は『信夫の浦』という俗歌を知っている、それは古調の風俗うたで、佐垣家の老下僕がよく口にしたのを聞き覚えた、しかし狂人の唄ったのとは少し違うのである、――信夫の浦を朝漕ぐ小舟、さし寄せよ、というまではおなじであるが、そのあとは、――我さへ乗りてな、信夫の 信夫の浦を見むや というのだった、『……夜こそ訪ひ来ね』とはまるで聞いたことのない文句である。
その夜八時を過ぎてから、信三郎はなんの前触れもなく牢舎を叩いた。役人は大目附の不意の検察にびっくりしたが、信三郎は「御用の筋による内密の調べだ」といい、病囚溜りへ案内させた。そして「この者に内密の訊問があるから」といって役人を遠ざけ、手燭を取って格子の間近へ寄った。狂人は房の片隅に身を
「……おれは、大目附疋田信三郎と申す者だ」彼は狂人に向ってそう呼びかけた、「今日そのほうの唄った俗歌に、夜こそ訪い来ねという文句があった、なにか申すことでもあれば云うがよい、ここにはおれ一人だぞ」
「…………」狂人はなにか物音でも聞きすますように、しばらくじっと息をひそめていたが、やがてもぞもぞと身を起し、格子のそばへと
「……そのほうこの書状を何者から預かった」
「……ご本人から預かりました」
そう答える声を聞いて、信三郎はびっくりした。今までの嗄がれ声ではない、かすれてはいるが正しく女だ、女の声なのである、彼は思わず身を
「そのほうは誰だ、女だな」
「…………」
「申せ、そのほうは何者だ」そう云いながら手燭をつきつけると、狂人はその光を避けるもののように面を外向けた。信三郎はその横顔を見た、横顔から
「……小房どの、あなたか」
「あかりを……」消えいるような声でそういった、――あかりを、醜い姿を恥るのであろう、信三郎は手燭をうしろに置き、そこへ
「話してください、人が来るといけません、必要なことだけなるべく手短にいってください」
小房はこちらへ向き直り、面を見られたくないのであろう、深くうなだれたまましずかに語りだした。――松谷権太夫は、発狂したのではなかった。高力系の秕政と私曲を見かねて、城中に忠左衛門を斬ろうとしたのである。少壮気鋭の人々が『忠左討つべし』といっているが、若い者はさきざき御役に立つ人間だ、自分はすでに老年に及んでいるから、忠左を斬って死んでも御奉公に不足はない、そういう覚悟のうえで

「まことにお恥かしゅうございますが、父と同様わたくしも仕損じました、それで狂人を装いまして、命だけはとりとめ、この牢舎につながれていたのでございます」小房はちょっと息をついて云った。
「ここへ
佐垣という姓が、ぐさと彼の胸を刺した。しかしその痛みを押し隠して、
「よくわかりました。拙者が大目附を拝命したのも、じつは高力どの処分のためなのです。いろいろ聞いて頂くべきこともありますが、
「わたくしのことならお捨ておきくださいまし、それより一日も早く高力どのを……」
深くうなだれたままそこまで云うと、小房はすばやく牢の片隅へ身をひそめてしまった。……早く去ってください。この醜い姿を見ないでください、そういう気持がいたましいほどよく感じられる。
「……小房どの、心を堅固に、もうしばらく辛抱していてください、わかりましたか」
信三郎は声をひそめてそう呼びかけ、手燭を取ってしずかにそこを去った。
その翌日彼は小姓組の者を三人、大目附役所へ呼びだして、
――奥殿へ乱入しようとしたというのは。「ご老職が刃をくぐって奥殿へのがれようとなすったのを、権太夫が追って踏み込もうとしたのでござる」
――権太夫は『斬奸状』を持っていたはずであるが、それはどう始末をしたか。「なにか知らぬが書状ようの物があった、それはご老職が裂き捨てられたと記憶する」
それだけで充分だった。たとえ遺恨の刃傷にしても
信三郎は半刻ちかく待たされた。そして出て来た忠左衛門は、客を下座に、おのれは悠然と床を背にして坐った。六十に近い年齢とはみえぬ
「まだ残暑がきついのう」彼は坐るとすぐにそう云った。「なんの用じゃな」
信三郎は黙っていた。
「さきごろ召出しの使がまいったようだが、その用件かな」
「…………」
「どうしたんじゃ、舌でも
じろっとこちらへ眼を向けたとき、信三郎はしずかなこえで、
「高力忠左衛門、座が高いぞ」と云った。忠左衛門はくっと眼を細めた。大きく
「上意だ、高力忠左衛門、下におろう」
不動の位置が砂のごとく崩壊する、忠左衛門はその音が聞えるように思った。権力とか威勢とかいうものはひとつの状態であって、本質の価値に因るよりも周囲のつくりあげる場合のほうが多い、高力忠左衛門がながいあいだ不動の権勢をにぎっていたのは、彼自身の実力というよりも、それが許されたる状態だったというべきであろう、その状態の頽れる時がきたのだ。信三郎の一喝は誤りなく的を射て、忠左衛門の確信の均衡をやぶった、――わが前に眼をあげ得る者なし、と信じていた頭上に、痛棒がうちおろされたのである。
老人は立って下座についた、信三郎は上座に直ると、かたちを正して歯切れよくずばずばと云った。
「……去る万治二年春、城中において、松谷権太夫こと斬奸の趣意をもってそのほうに対し刃傷に及びしところ、腹心の者どもを呼び催してこれを討ち果し、権太夫所持の斬奸状をひそかに破棄し、一存をもって老職評定を開き、お上の御沙汰をも待たず即決にて重科に極めたる始末、その身重職にありながら上をはばからず専断私曲の致しかた不届き至極に付き、追て沙汰あるまで謹慎を申付くるものなり」
聞いているうちに、忠左衛門はさっと
「そのほう
信三郎は座を立った、忠左衛門は眼でそれを見送ったが、その眸には、早くも窮境打開の道を捜す必死のもがきがあらわれていた。玄関へ出るまで、そこにもここにも家士たちの不安そうな顔がみえ、また脅やかすような姿勢が眼についた、信三郎はそれらの者も一人ひとり眺めながら、しずかに式台へとおりた。
忠左衛門の暗躍は、数日つづいた。江戸へも人をやったようである。しかし要所要所にはすでに
江戸から墨付が到着した。忠左衛門は大目附へ召喚され、改めて松谷権太夫始末のことが審問にかけられた。忠左衛門は過去の秕政がとりあげられるだろうと思い、それなら申開きがたつと信じていた、しかし審問は権太夫の件だけで『斬奸状破棄』と『狂人と申しくるめ』たことと『専断に裁決した』という三条が
評定所において忠左衛門が切腹を命ぜられる日だった。信三郎は大目附役所の一室に引取ってある小房をたずねた。……小房はもう

「久しぶりでお眼にかかります」信三郎は相対して坐ると、感動を抑えた声でしずかにそう云った。
「……御一家の御不幸についてはなにも申しますまい、あなたのご健固がせめてもの祝着です、ご苦労だったでしょう」
「ありがとう存じます、あなた様にもこのたびはお骨折りでございました、お望みどおりに納りましたそうで、おめでとう存じます」
「あなたのお蔭です、いや本当です、……ご尊父が忠左衛門を斬ろうとなすった事実、斬奸状の写し、この二つが無かったら手の着けようがありませんでした、ご尊父が死んでくだすったお蔭です、あなたが牢舎の苦しみに耐えてくだすったお蔭です」
「それでは父の死がお役に立ったのでございますか……」小房の眼にふつふつと涙が溢れてきた、
「わたくしのことなどはともかく、父の死がお役に立ったのでございますか、……うれしゅうございます、それで父も
小房は面を
「……今日これから、評定所において忠左衛門が切腹をします、小房どの、そのおりあなたに介錯の役を勤めてもらいたいのです、表向きには許されませんが、老職がたの
「……ありがとうございますが、それはご辞退を申しとう存じます」と云った。
「どうしておいやだと
「おぼしめしはよくわかります、父の恨をひと太刀酬わせてくださる、……ありがとうございますけれど、父は私の怨で死んだのではないと存じますし、わたくしも父の仇という気持はございません、そういう気持をもってはならないと存じます、ご親切はもったいのうございますが、ご辞退を申します」
「……まさしく」信三郎はふかく頷いた。「仰しゃるとおりです、よくそこまでお考えになった、失礼ながらおりっぱだと思います、そこでもう一つお話があるのですが、……」
小房の眼がふと狼狽の色をみせた。信三郎がなにを話しだそうとしているかすぐにわかったのだろう、面を伏せながら慎ましく

「……なんのお話かは存じませぬけれど、できることならまた次に伺いとうございます、今はなにやら心が
「そうですか、では高力どの切腹の検分が済んでから改めて申上げることに致しましょう、どうかしばらくお待ちください」
そういって信三郎が立ったとき、小房はふとなにか思いだしたように、
「信三郎さま……」と呼びかけた。彼はふり返った。小房はその顔をじっと熱いまなざしで見まもっていたが、すぐ淋しげに唇で笑い「……いいえ、あとでまたお眼にかかりましたときに……」そう云ってしずかに会釈をした。いかにも淋しげな笑いであり心
忠左衛門切腹の検分が終り、家族国払いの始末が済むと、信三郎はふたたび大目附役所へ戻った。しかし小房はすでにいなかった。下役の者たちもいつどこから出ていったか知る者はなかった。――どうしたのだろう、彼は不審に思い、すぐに屋敷へ帰ってみた、まえに絢子から衣類を贈ったので、その礼にでも寄ってはいないかと思ったのだ。小房は寄ってはいなかった。しかし居間へはいると絢子が一通の手紙を持って来た。
「……小房さまから、ついさきほど、このお手紙が届きました」という、絢子の眼は泣いていた。信三郎は手にとってみたが、自分の宛名ではないので戻し、――そちらで読んでくれ、と云った。絢子はすでにいちど読んだのであるが、ふたたび披いて低く抑えた声つきで読みはじめた。久濶の辞から衣服の礼へと、美しい筆はよどみなく、次のような文章へと続いていた。
「……大目附お役所へ移りましてより間もなく、佐垣さまとあなた様との御縁談をお伺い申しそろ、まことにまたとなき御縁、心からなる御祝着申上げまいらせそろ。世の人の評判とりとめなきは、常ながら、心得がたきことのふと耳に入り候まま、不躾 けながらひと筆申上げたきことのござそろ。さきごろ佐垣さま御入婿の仔細は、高力どの御譴責のための御身分拵 えにて、まことは佐垣さまにもあなた様にもめおとの契りはお心になしとやら、ひとつには小房という者へのご遠慮もあることと、ひそかに噂する声の耳につき申しそろ、根なしごととは存じ候えども、万に一つもさようのことの候わばかなしくそろ。かねてあなた様には申上げ候ように、わたくしと佐垣さまとのあいだに縁談のありしことはまことにござそろ、さりながら父の死につぐ一家追放の仰せを蒙 りしおり、わたくしがたより縁組のことはきとお断り申し、佐垣さまとわたくしとはまったくかかわりなき身と相なり申しそろ、小房こそ不幸の者よとおぼしめし候や、いないなさようにはござなくそろ、父の死は御主家のお役に相立ち、わが身は父の遺志の果されし始末を見届け申しそろ、武家に生れ人の子と育ちてこれに越すよろこびはこれなく、人もしこの本望に恵まることあれば、一生を捧 ぐるとも悔あるまじく存じそろ、この上になんの望みの候うべきや、ただ僧門に入り、御家の万代と亡き父母の冥福 を祈るこそ身のねがいにござそろ、……ぐちらしくは候えども、お美しき絢さま、お心のすぐれておやさしきあなた様にこそ、佐垣さまとの御縁組は似合わしく存じそろ、絢さまのほかにはいやいや、絢さまなればわたくしもおなじよろこびをもって千秋のおん祝い申上げそろ、くれぐれも申上候、祝言の盃は神明も照覧せさせたまうものにて、かりそめにも違 うことゆるされまじく、小房の心をもお汲 みわけありて、末ながき御栄えのほど祈りあげまいらせそろ……」
自分のゆくえは捜さないようにと、結びの言葉までは読むことができず、絢子は面を掩って噎びあげた。理をつくし情もつくした文章だった。悲しげな文字はどこにもない、「申上げます、ただいまどこやらの使いの者が、この花束をお届け申しにまいりました」
「どこからの贈り物だ」信三郎がそういうよりさきに、絢子が立っていって花束を受取った、――使の者は贈り主の名を知らず、ただことづかってきたと云ってたち去ったという。はしたをさがらせて、信三郎と絢子はその花束を見まもった、……雪のように清浄な白菊である、むせるほど香の高い大輪の花の中から、一枚の短冊が出てきた。
心おきなくゆく道や菊月夜智信
智信とは小房の名であろうか、「……あなた」絢子はたまりかねたように、思わずあなたと呼び双手で顔を押えた。
「この人の心をあだにしては済まぬ」信三郎は妻の
「はい……」絢子は涙で濡れた眼をあげた。二人はしかと顔を見合わせた、そのとき庭のあたりで誰かの低い声が聞えた。
――おお月が出た。