菊千代抄

山本周五郎





 菊千代は巻野越後守貞良さだながの第一子として生れた。母は松平和泉守乗佑いずみのかみのりすけの女である。貞良は雁の間詰の朝散太夫で、そのころ寺社奉行を勤め、なかなかはぶりがよかった。
 巻野家の上屋敷は丸の内にあったが、菊千代はおもに日本橋浜町の中屋敷か、深川小名木沢の下屋敷でそだてられた。養育の責任者は樋口次郎兵衛といい、もと次席家老を勤めた謹厳でしずかな老人だった。身のまわりのせわは松尾という乳母うばがした。彼女は木下市郎右衛門という軽い身分のものの娘で、いちど物頭の屋代藤七へ嫁したが、二年めに子を産むとまもなく死別してしまった。そのときはすでに菊千代の乳母にあがっていたので、以来ずっと側をはなれず仕えとおした。
 父の貞良は月に五たびくらいは欠かさず会いに来た。ひげの濃い、眼の大きな、こわいような顔で、背丈の五尺八寸あまりもある、からだつきのたくましい人だったが、口のききぶりはしずかでやさしく、笑うと濃い口髭の下にまっ白なきれいな歯が見え、片方の頬にえくぼができる。いかにも穏やかな温かそうな笑い顔で、これには誰もがひきつけられずにはいられなかったようだ。
 会いに来ると、父は菊千代を前に坐らせてたのしそうに酒を飲んだ。その席には給仕のために少年の小姓を二人、それと乳母の松尾しか近よせなかった。またどんな急用があっても取次ぎは禁じられていた。……まだ菊千代が乳母の手に抱かれているじぶんから、貞良はしきりに酒を飲ませた。三つ四つになるとぜんを並べさせ、「さあ若、ひとつまいろう」などとまじめな顔でさかずきを持たせたりした。
 母にはごくたまにしか会わなかった。一年に三回か五回くらい、必要のある式日に上屋敷へゆくので、そのとき会うわけであるが、菊千代はあまり母が好きではなかった。髪毛が重たそうにみえるほど多く、頬がこけて、あとで聞くと病身だったというが、いつも沈んだ顔つきで、菊千代をいつも可愛がってれるようなことはなかった。むしろ菊千代の姿を見るのがつらいような、眼をそむけたいといったふうなようすさえ感じられた。
 ――そうだ、母にはつらかったのだ。
 ずっとのちになってそう気づいたが、当時はなにも知らなかったので、こちらでもあまえる気持などは起こらず、挨拶をしてほんの暫くいるだけでも気づまりなくらいだった。
 自分のからだに異常なところがあるということを、初めて知ったのは六歳の夏であった。そのまえの年から遊び相手として七人ばかり、家中かちゅうの同じとしごろの子供が選まれて来た。これらのうちはっきり覚えているのは、僅かに左の三名だけである。
庄吾満之助  中老角左衛門の三男
巻野 主税ちから  別家遠江守康時の五男
椙村すぎむら半三郎  側用人半太夫の二男
 そのほかには「赤」とか「かんぷり」とか「ずっこ」などいうあだ名が記憶にあるが、その意味もわからないし、顔かたちもたいてい忘れてしまった。
 さて六歳のときのことであるが、浜町の屋敷の庭で遊んでいるうち、乳母の松尾がちょっと側を離れた隙をみて、誰かが池の魚をつかまえようと云いだした。菊千代のほかに三人ばかり、すぐさまはかまをぬぎ、裾をまくって、池の中へはいって魚を追いまわした。そのうちに菊千代の前へまわった一人が、とつぜん大きな声で叫んだのである。
「やあ、若さまのおちんぼはこわれてらあ」
 菊千代はぎくっとして、捲っていた裾を反射的におろして棒立ちになった。叫んだ者が誰であったか思いだせない、その瞬間の自分の気持も、漠然とした恐怖というくらいの印象しか残っていないが、ふしぎなことには、まわりにいた者がみんなぴたりと鳴りをひそめ、息をのんだような異様な顔つきをしたことだけは、かなり年月が経ってからもあざやかに思いだすことができた。……その沈黙はごく短い時間であった、池畔にいた一人が袴のまま池の中へはいって来て、「なにを云うのか、おまえは悪いやつだ」
 こういう意味のことを叫んで、その暴言を口にした者を突きとばした。そうして菊千代の肩を抱くようにして、池から助けあげるところへ、松尾が走って来たのである。……菊千代は泣きだした、泣きながら松尾にとびつき、みんなの眼から逃げるように、松尾の手をつかんで御殿のほうへ駆けだした。
 不謹慎なことを云った子供は、すぐに中屋敷からいなくなり、その後どうしたかまったく菊千代は知らない。彼を突きとばしたのは椙村半三郎で、そのとき八歳だったが、透きとおるような膚の、おもながで眉のはっきりした、きわめておとなしい子であった。
 たぶんお相手の子供たちが話したのだろう、菊千代はなにも云わなかったのに、松尾はその暴言を否定して、そんな異常なところは決してないこと、もしあるとすればいつも侍医が診ているのだから、それだけの治療をする筈であることなど、いろいろと説明して呉れた。……菊千代はそれを信じ、あんな不謹慎なことを云ったのは卑しい悪い子であると思った。そしてその暴言そのものはまもなく忘れてしまったが、そのとき受けた恐怖のような感動は消えなかった、意識のどこかに傷のように遺っていて、ときどき菊千代自身、びっくりすることが起こった。
 池の中の出来事があってから菊千代は誰よりも椙村半三郎が好きになった。二歳年長でもあり、容貌もきわだっていたしおとなしいので、まえから嫌いではなかったが、その後はなにをするにも彼でなければ気が済まず、少しも側を放さなかった。
 その年の冬だったろうか、上屋敷で相撲があり、菊千代も呼ばれて、お相手の子供たちといっしょに見物した。これまで能狂言などは幾たびか観たけれども相撲は初めてだし、終ったあとで、なにがしとかいう大関に抱かれたりして、それから急に相撲が好きになり、帰ると早速お相手の子供たちと相撲をとり始めた。……少年たちが集まれば、組みついたり倒しあったりするのは自然である。菊千代はたいせつな若君ということで乱暴な遊びは禁じられていたが、監視の眼がなければ組みあいも転がしっこもやった。けれどもこんどはじい――樋口次郎兵衛を菊千代はそう呼んでいた――に頼んで庭の一部に土俵場を造って貰い、そこでせいぜい本式のつもりで取組むのであった。
「若さまはごらんあそばすだけでございますぞ」
 じいも松尾もこういったが、かれらのいないときには菊千代も土俵場へあがった。相手はいつも半三郎を選んだ、庄吾満之助や「かんぷり」などとも取ったが、誰よりも半三郎がいちばん取りよかった。
 半三郎は年も二つ上だったし、ほかの者とは違うこころづかいがあって、やんわりあしらって呉れる。菊千代にはそれがもどかしいような、また歯痒はがゆいような感じで、わざと乱暴にむしゃぶりつくのであった。それでも半三郎のあしらいぶりは巧みで、ごくしぜんに負けてみせたりするが、ときに誤ってしたたか投げとばしたり、胴躰どうたいに折重なって倒れることなどがあった。……菊千代にはそれが云いようもなく快かった。投げられたときや折重なって倒れる刹那せつなには、爽やかな、しかもうっとりするような一種の解放感に満たされる。その感じは忘れることのできないものだったし、半三郎のほかには誰からも受けることができなかった。
 こんなふうに遊んでいるとき、武家そだちといっても幼い年ごろのことで、急に小用をもよおしたときなど、子供たちは木蔭などへいってよく用を足した。菊千代もそれをまねようとしたが、自分は袴をはいたままではできない、かれらはどうやってするのかと、ふしぎにも思い興味もそそられて、幾たびもその方法をのぞいて見ようとした。見ることができたかどうかは記憶にないが、おかわでするときにまねをして、まわりをひどく汚し松尾にたしなめられたことがあった。
「若さまは御身分が違うのですから、決してそのような品のないことをあそばしてはなりません」
 かれらと身分が違うということは、日常すべての事が示していた。それで松尾の言葉も、いくらか不審ではあったがすなおに信じた。
 七歳から日課が定まり、学問と武術の手ほどきが始まった。父の意見では学問を主とするようにとのことだったが、菊千代は木剣の型や柔術のほうを好んだ。その相手もたいてい半三郎を選び、とくに柔術のときは彼のほかには相手にしなかった。
 十歳くらいになってからだろう、巻野主税が泳ぎにゆこうと菊千代を誘った。そのときは小名木沢の下屋敷で、監督もわりあいゆるやかだった。
「お昼寝のときぬけだすんですよ」
 主税はそういってすすめた。彼は巻野の別家に当る遠江守康時の五男で中屋敷が同じ浜町にあり、下屋敷もつい四、五町はなれたところにあった。それで彼だけは通勤でお相手に来るのだが、休息の日には家でとびまわるとみえ、いつもなにかしら珍しい遊びを覚えて来ては教えた。……泳ぎに誘ったのもその一つで、彼はすでに幾たびも小名木川で、ひそかに泳いだことがあるというのであった。
「いい気持ですよ、流れの早いときは危ないけれど、なんでもありゃしない、こういうぐあいに水を切ってね、すぐ泳げますよ」
「みつかったらじいに怒られるからね」
「そっとぬけだすんですよ、お昼寝のときにそっと……すぐ帰って来ればわかりやしません、大丈夫ですよ」
 それはかなり強い誘惑であった。青い冷たい水の深みや、波立っている広い川の景色がみえる。そこへ頭からとびこんで、飛沫しぶきをあげて泳ぎまわる、……いさましく抜手を切って、自在に泳ぎまわる自分の姿が想像され菊千代は胸がどきどきしたくらいであった。


 主税の誘惑に負けて、屋敷の外へぬけだしたのは、曇っていて風の強い日であった。
 その付近は大名の下屋敷が点々とあるほか、なになに新田しんでんなどという地名の多い、まったくの田舎であって、田畑や沼地や風よけの疎林がうちわたして見え、晴れた日には筑波山まではっきり眺められる。対岸は名だかい天神社のある亀戸村で、そっちにはかなり人家が見えるが、川とのあいだには畑や広い草原があり、子供たちには恰好な遊び場になっていた。
 二人は川に沿ってずっと東へいった。小名木川が中川へおちるところに船番所がある。その少し手前までいって、栗林の中へはいり、そこで着物をぬぎにかかった。……ちょうど満潮とみえて、水のいっぱいある川の中では、付近の子供たちが男も女もすっ裸で、やかましく水をはねかえしては騒ぎまわっていた。
「さあ早くおぬぎなさいよ、どうしたんです」
 先にすばやく裸になった主税は、こう云ってせきたてた。菊千代は寝所からぬけだして来たので、帯を解けばいいのであった。その帯はもう解いたのであるが、どうしても着ている物をぬぐことができない。
 ――若さまのは……こわれてる。
 こういうささやきが耳の奥のほうで聞える。そうして今、川で暴れまわっている子供たちの素裸のからだを見ると、羞恥しゅうちとも嫌悪とも判断のつかない感情におそわれ、着物の前をしっかりと合わせたまま途方にくれるのであった。
 そこへ東谷という若侍と松尾が駆けつけて来た。それでその冒険は中止になったが、そこまでいって泳げなかった口惜しさより、裸にならずに済んだことのほうが、菊千代にははるかにうれしく救われたような気持であった。……はっきりと自身のからだに注意するようになったのは、それからのちのことである。もちろん常にというわけではない、ごくときたまのことではあるが、ふとすると小名木川で遊んでいた子供たちの、男も女も素裸のからだつきが、眼にうかぶ、そして自分のからだとの差異を、ひそかにじっと思い比べるのであった。
 菊千代はたしかに差異のあることを認めた。それはかなり歴然としたものであったが、日の経つにしたがって印象が薄くなり、かれらのそこがどんなふうであったか、自分とどのように違っていたかはっきりしなくなった。
 ――違うのが当然なんだ、かれらは下民の子供だし、自分は八万石の大名の世継ぎなのだから、かれらとはすべてが違うんだ。
 こう自分で自分を納得させた。そのとおりだと思うのだが、それでも一種の不安や羞恥しゅうちがしだいに根強くなり、その反動のように、言葉つきや動作がだんだん粗暴になっていった……そのころはもう松尾は庭へあまり出て来ず、東谷と柿沼という若侍が付いていた。東谷のほうはそうでもないが、柿沼大四郎はやかましい男で、つまらない事にもよくむきになって怒った。
「さような言を仰せられてはなりません。それは卑しい言葉でございます、おやめなさらぬと樋口さまに申します」
 こんなふうに云って、眼をぎょろっとさせて、赤くふくれたような顔になるのであった。しばしば樋口次郎兵衛に告げ口もするらしかったが、じいの小言は穏やかで、さしたることはないのでこわくはなかった。
「黙れしぶ柿、おまえなんぞ黙って付いていればいいんだ、なまいきだぞ」
 菊千代はどなりつけて殴ったりすることもあった。けれども半三郎に注意されるばあいだけは、ふしぎなくらいにいうことをきいた。彼はたいていのことは黙って見ている、高い樹の枝へ登ったりしても、心配そうな眼で、下からじっと見まもっているが、柿沼のように喚いたり騒いだりしない。むしろあとになって、高い枝へ登ったらすぐに片足をこう絡めとか、手は拇指おやゆびを離してこう握れなどと教えて呉れる。そしてよほど眼に余るときだけ、それもあとからそっと注意する。
「いけません若さま、あれはおやめ下さい」
 静かな眼でこちらを見て、低い声でそっというのである。それを忘れて菊千代が同じことをすると、彼は黙ったまま悲しげにみつめるのであった。その悲しげな表情は類のないもので、菊千代は泣きたいような気持になり決して三度とは同じあやまちをすることはなかった。
 菊千代は七歳のとき、江戸城へあがって将軍にめみえをした。将軍はせた蒼白あおじろい人で、なにか云って短刀を呉れた。まわりには大勢の人がいたこと、天床がばかげて高かったことなどを覚えている。そのほかのことはかすみに包まれたようで、なにも思いだすことができない。……その年に妹が生れた。鶴子という名で、生母はのちに滋松院といわれた側室である。この側室は鶴子の下にも二人女子を生んだ。
 菊千代が十三歳のとき母が亡くなった。
 上屋敷からの急使で、菊千代はいま臨終というところへいった。二年ほどまえから病臥びょうがしていて、たびたびみまいにも来たが、母の態度はいつも冷淡だったし、こちらも愛着がなく、形式的な挨拶をしては帰ったのであるが、臨終のときの印象は忘れることができない。……母はきみの悪いほど蒼ざめたむくんだような顔で、苦しそうにあえぎ、菊千代を見ると、眸子ひとみの濁った眼をみひらき、こちらへ手をさし伸ばした。
「どうしたのだ、握ってあげないのか」
 側にいた父からせきたてられたので、菊千代はきみの悪いのをがまんして、その手をおそるおそる握った。すると母はぞっとするほどの力でこちらの指をつかみ、もっと大きく眼をみはって、ぜいぜいした声で云った。
「お可哀そうに、菊さま……お可哀そうに」
 そうして眼からぽろぽろ涙をこぼした。
 菊千代は身の縮まるほど不快で、いやらしくて、早くそこを逃げだすことばかり考えていた。母の顔などは見ようともせず、隅のほうで老女たちのすすりあげる声さえ、そらぞらしいと思ったくらいであった。
 母の葬儀が終り、必要な忌日が済むまで、菊千代は約三月あまり上屋敷にいた。
 このあいだに妹たちとかなり親しくなったが、なついてくる鶴子よりも、佳玖子かくこという三つの妹が好きで、その子とだけいちばんよく遊んだ。鶴子、貞子、淑子までが滋松院の子で、佳玖子はその後まもなく死んだ月照院という側室の子であった。もちろん生母の違うことで愛情の差をつけたわけではない、佳玖子はまるまるとよく肥えて、いつも眼を糸のようにしてにこにこ笑い、おぼつかない片言で絶えず面白いことをいう、それがひじょうに可愛かった。いつか御殿の広縁でれがたの月を観ていた。七日か八日くらいの欠けた月であったが、ふとまじめな顔をし、菊千代のほうを見あげて云った。
べかけでおやめにするの、いけないのね、たあたまおこごりになるのね」
 おこごりはお怒りのことである。
「そうそう、喰べかけはお行儀が悪いね」
 菊千代はこう云って頭をでてやった。佳玖子はまた暫く月を眺めていたが、またこちらを見あげ、月を指さして云った。
「あのお月たま誰がたべかけたの」
 そのときのこちらをふり仰いだ顔、頬が赤くよく肥えた、おちょぼ口をひき緊めた、しかつべらしい顔は忘れることができない。その後も欠けた月を見るたびに、菊千代はよくそのときのことを思いだすのであった。
 中屋敷へ帰ると暫くして、剣術と柔術はやめることになり代って薙刀なぎなたの稽古を始めた。学問も和学に変った。……父の命令だということであるが、ほかのものはとにかく、柔術だけは続けてやりたかった。それで隙をみては半三郎を誘ってみあった。
「やわらは禁じられたのですから、みつかるとおとがめをうけますから」
 半三郎はそんなふうにいって、なるべく避けようとしたし、稽古ぶりもごく軽くなった。菊千代としては彼のきびしい極め手が好きで投げられたり押えこまれたりすると、相撲のときとは段違いな快さを感じる。ことにそのじぶん半三郎のからだに、一種のかぐわしい匂いがで始めて、みあって汗をかくと、それがいっそう強くなる。激しくからだをぶっつけたり押えこまれるときなどは、その匂いでせるような感じになった。
「どうしてこんなに若のからだはふにゃふにゃしているんだろう、おまえは背もずんずん伸びるし手足もこんなに固くなる」
 菊千代は自分の腕や足を掴んでみながら、たびたび半三郎のそれと比べてみた。
「――それは、躰質というものがありますから」半三郎はそんなとき言葉を濁した、「――躰質もあるし、年も違いますし、それにやはり、……なんといっても御身分が」
「もういい、わかったよ、なにか云うとすぐ御身分だ、たくさんだよ」
 こんな問答になると半三郎はいかにも困ったような顔をする。彼はもう十五歳くらいになっていたが、背丈も高く、たくましいからだつきで、毛の多いたちとみえ、脛にも毛が生えていたし、鼻の下にもまばらに生毛が出た。からだに比べて顔は小さく、おもながで線がきりっと緊って、よく澄んだ考えぶかそうな眼といつも濡れたように赤い唇とに特徴があった。……それが困ったような表情になるのをみると、菊千代は云いようのない激しい感情を唆られる。いきなり抱きついて泣くか、もっといじ悪くやりこめるか、どっちにしても彼の本心とじかに触れたいというじりじりした気持になるのであった。
 それからおよそ二年くらいのあいだ、菊千代の半三郎に対する感情は絶えず動揺し、一日じゅう側にひきつけて置くかと思うと、三日も四日も顔を見たくない、声も聞きたくない、わざと彼の見ている前でほかの者と親しくしてみせたり叱りつけたりする。自分でも理由はわからないのだがそんなふうな気分のむらが常に起伏を続けた。


 十五歳の年の晩秋のことである。
 中屋敷から馬で、向島、亀戸天神をまわって、下屋敷まで遠乗りが許された。距離はさしたることはない、遠乗りなどというほどのものではないが、屋敷から外へ出ることが珍しく、勇み立ってでかけた。先登が和島という中老の侍、菊千代のうしろに竹中春岳という馬術の師範が続き、そのあとに学友が五人、むろんそのなかには半三郎もいた。
 向島の木母寺で休息し、命じてあったとみえる茶菓をたべて出た。そこから小梅を通って亀戸へ向ったのだが、枯野道へかかったとき、右側にある田川の枯芦の繁みから、いたちとも河獺かわうそともみえるかなり大きな毛物が、とつぜんとびだして来て道を横切った。これに驚いたのだろう、先登の和島の馬が高くいなないて棒立ちになった。和島は巧みに手綱をさばいて乗り鎮めたが、すぐうしろにいた菊千代の馬はもっと驚愕きょうがくし、大きく跳躍すると、和島の馬の脇をすりぬけて、狂ったように疾走し始めた。……うしろでなにか叫ぶ声がした、誰か追って来るらしい。だが菊千代は眼のくらむような気持で、手綱を絞ることもくつわを緊めることも思いうかばず、いま落ちるか、いまか、とただ夢中で歯をくいしばっていた。
 どのくらい走ったものか、気がつくと竹中師範と半三郎とが、左右から馬を寄せてこちらに来、こちらの乗馬をはさむようにして、広い草原のなかへ追いこみ、なお狂い出ようとするのを、左右から抑え抑え、草原の端にある寺の生垣のところでようやく止めた。
 半三郎はすばやく来て轡を取りあぶみを押えた。彼はまっ蒼なひきつったような顔で、汗みずくになり、激しく喘いでいた。菊千代は馬から下りると、足がふらふらし、きけを感じたので、そのまま枯草の上へ腰をおろした……和島や師範がしきりにびを云い、そこへまた遅れた学友たちが乗りつけた。
「――もういい、なんでもない」
 菊千代はうるさくなって手を振った。
「――少し休むから、みんな離れて呉れ、半三郎がいればよい」
 みんなはすぐには動こうとしなかった。菊千代は顔をあげて、例のない鋭い眼でかれらをにらんだ、それでようやくみんなそこを離れ、草原の中ほどへいって、馬と人とでこちらを隠すようにした。……菊千代は失禁したのである、馬が止ったとたん、温かいものがかなり多量にそこを濡らすのを感じた。今もそれがきみ悪く内腿うちももの肌に感じられるのである。
「――御気分がお悪うございますか」
「気分も悪い、はきそうな気持だ、しかしこれはおさまるだろう」
「――お薬をめしましょうか」
「いや薬はいらない、大丈夫だ」
 早くこの不愉快なものの始末をしたい、そのためにみんなを遠ざけたのであるが、さて半三郎と二人きりになると、どういって説明していいかわからず、とうてい口にすることができないような気持になった。
「――冷えるといけません、お敷き下さい」
 半三郎も動顛どうてんしていたのだろう、ふと気づいて馬乗り羽折をぬいだ。
「いや構わない、こうしていればいい」
 菊千代は怒ったように顔をそむけた。
「少しこうしていれば、すぐに帰れるから」
 それを敷けば汚れるであろう。半三郎の前からさえ逃げだしたくなった。これまではこんな事で気を遣ったためしもない、御殿にばかりいたせいでもあるが、おかわの不浄の始末さえ松尾にさせてきた。……それが今はまるで違う、あんな異常な出来事があったのだから、そそうをするくらいはさして気にすることもない、あっさりいってしまえばいい。そうわかっていて、しかしどうにも云いだすことができなかった。
「――お屋敷は近うございます、およろしければ御駕おかごを命じましょう、……お顔色が悪うございますから、そう致すほうが」
「いや大丈夫だ、もうすぐ治る」
 菊千代はこう云って眼をつむった。どうやら嘔きけはおさまったが、腰から大腿部だいたいぶへかけて、骨がだるいような痛いような、重苦しいいやな気持である。
 ――馬が疾走したとき、どこか痛めたのではないか。
 ふとそんな疑いが起こった。気がついてみると腹のあたりも痛いようだ、そのうえ全身がわけもなくだるい。菊千代は急に不安になり、苛々いらいらした声で「帰る――」と云うと、立って大股おおまたに馬のほうへいった。うしろで半三郎があっといった。ごく低い、殆んど息の音だけであったが、神経が過敏になっているので、菊千代はそれを聞きのがさなかった。おそらく失禁の汚れをみつけたのであろう、だが菊千代はもうそれには構わず、怒ったような歩きぶりでいって、師範の介添する馬へ乗り、和島の先登で下屋敷へ向った。


 それからまる十日のあいだ、菊千代は寝間にこもりきりで誰にも会わなかった。父がみまいに来たときも、父をさえ寝間へ入れなかった。
 ――自分は女であった。
 ――男ではなかった。
 ――自分は女であった。
 同じことを繰り返しながら、夜具の中で輾転てんてんと身もだえをし、とつぜん起きて泣いた。二三日は食事もせず、水ばかり飲んでいた。気がたかぶってくると自分で自分を制することができない。物をこわしたり、寝衣ねまきをひき裂いたり、そうして父や母やまわりの者みんなに対してのろいの叫びをあげた。
「みんな御家のためでございますから、古くからのいいつたえで、そうしなければならなかったのでございますから」
 松尾はいっしょに泣きながら、そして不浄の始末に絶えず気をくばりながら、夜も殆んど眠らずに付いていた。
「決してそんなに御心配あそばすことはございません。お世継ぎさえ御出生になれば、それですぐにお姫さまにおなりあそばすのですもの、お嘆きあそばすことは少しもございませんですよ」
「聞きたくない、うるさい、黙って呉れ」
 菊千代はこう叫んで、松尾に物を投げつけたことさえあった。自分の忌わしく呪わしい立場は誰にもわかって貰えない、松尾にも理解できないようだ。それが救いがたいほど菊千代を孤独感につきおとし、絶望的にさせた。
 ――自分は女であるのに、女として生れてきたのに、……それを男と偽ってそだてられた、今でも自分は男の気持でいる、だが、……からだは女として成長しているのだ、いったい自分は女なのか、それとも男なのか。
 こうしてやがて菊千代は疲れた。暴れることにも泣くことにも疲れ、思い悩むことにも疲れて、虚脱したようにおとなしくなった。食事も少しずつるようになり、拒んでいた医者の診察も許した。……馬の疾走という出来事のために、初潮としては多量であったが、からだには異状のないこと、今後も案ずるようなことはないだろうという診断であった。
 その報告を聞いたからであろう。診察のあった翌日に父が来た。
「このあいだはたいそう逆鱗げきりんだったな」
 貞良は、こう云って笑いながら、自分から菊千代の居間へはいって来た。菊千代は顔が赤くなるのがわかった、肚立たしいほど恥ずかしくて、どうしても眼をあげることができず、泣きだしそうで口もきけなかった。
「話すおりがなかったので、さぞ驚いたろうと思うが、これにはわけがあるし、もともとそんなにうろたえ騒ぐほどのことではないのだ」
 貞良は気軽な口ぶりでその理由というのを語った。
 巻野家には古くから、初めに女子が生れたらそれを男としてそだてるという家訓のようなものがあった。そうすれば必ずあとに男子が生れるというので、これまでにもそうした例が実際にあり、そのままずっと伝承されてきた。当時貴族、大名のなかにはこういう類の家風がまれではなかったらしい。女子が七人生れればその一人を仏門に入れるとか、当主は決して正室を迎えてはならないとか、養子をするばあいは必ずたつみの方角から選べとか、かなり有名なものでも四五の例はすぐに挙げることができる。
「若の大伯母さまにあたる方などは、二十歳まで男でおいでなされた、それからお祖父さまが生れて、松平遠州家へお嫁しなされたくらいだ、これが巻野の伝統なのだが」貞良はこう云って菊千代を見た、「もし若にその気があれば、女にならず、男で一生とおすこともできる、これはずっとまえから考えていたのだが、……大名の家でも女というものはいろいろ束縛が多い、ばかなような者でも良人おっととして仕え、窮屈なおもいをして一生をおくらなければならない、男だからといって、こういう身分であればさして野放図なことができるわけでもないが、なんといっても女よりは自由だし、或る程度までは好きなように生きてゆける、……どちらでもよい、そのうちに分別がついたらまた相談しよう」
「――本当に、男のままでいられるのですか」
「若が望みさえすればぞうさもないことだ」
「――でも、あとに弟が生れましたら」
「巻野を継ぐのではない分封するのだ」
 世継ぎは必ず生れる、案外はやく生れるかもしれない、貞良は確信ありげにそういった。また分封とは所領の内から適当な高を分けて、それに相当した家来を持って、生涯独立の館主たてぬしとなることだと説明した。
 菊千代は父にはなんとも返辞をしなかった。心のなかでは男として生きようと思ったが、からだが明らかに女であるという意識、それもまったく唐突に割込んできた意識のために、将来はとにかく現在のことすら、どう身を処していいか判断がつかなかったのである。……気持がおちついて、平常どおり寝起きをするようになっても、気鬱といって奥からは出なかった。身のまわりのことは松尾にさせ、会うのは樋口次郎兵衛ひとりである。庭も折戸を閉めて、待たちの奥庭へ入ることはもちろん、中庭から覗くことさえ禁じた。
じいとおまえのほかに、若が女だということを知っているのは誰と誰だ」
 ある夜、菊千代はこう松尾にきいた、松尾は考えるまでもなく名を挙げた。父と、亡くなった母と、侍医と、取上げた老女、江戸国許くにもとの両家老、そのほかに決して知っている者はないということであった。
「なにより公儀へもお届け致しますので、かようなことが漏れましては御家の大事にもなりかねませんのですから」
「――では若の相手にあがっていた者たちも知ってはいないのだね」
「それは申すまでもございません」
 松尾はそこで思いだしたように云った。
「お忘れでございましょうか、いつぞや御別家の主税さまと、お屋敷をぬけて泳ぎにおいであそばしたことがございました」
「――うん、そんなことがあったね」
「主税さまがお誘いあそばしたそうですが、もし若さまが女であらっしゃるとご存じならば、よもや主税さまもお誘いはなさらなかったでございましょう」
 そのときのことを菊千代はありありと思いだした。そうだ、主税は自分に早く裸になれと云ったが、その態度にはごくしぜんで、好奇心めいたものはなにもなかった。宗家別家の関係にある主税でさえ知ってはいなかったのだ。かれらが自分を男だと信じていたことはまちがいがないだろう、但し例外はある。……六歳の年の夏、池へはいって魚を追いまわしていたとき、
 ――若さまの……はこわれている。
 こう叫んだ子がいた。その日のうちに屋敷から逐われたが、あの子は知っているかもしれない。それともう一人、椙村半三郎。
「どうあそばしました」
 松尾がびっくりしたようにこちらを見た。半三郎を思いうかべたとき、われ知らず声をあげたらしい。菊千代はかぶりを振って黙って、立って庭へ出ていった。
 ――彼は生かしてはおけない。
 それからというものは、菊千代は絶えずそのことを思い詰めていた。
 ――どうしても彼は死ななければならない。
 あの不謹慎な子が暴言を口にしたとき、半三郎は袴のままとびこんで来て、あの子を叱って突きとばし、自分を抱くようにして池から助けあげた。あのときの彼の態度には、秘事を守ろうとするむきなものがあった。……それ以来ずっと今日までの、日常のこまごました点、彼のまなざしや挙措。すべてがそれを証明しているではないか。いつも彼は自分を女として見、女として扱って来た。
 もっとも決定的なことは遠乗りの日の出来事である。菊千代が失禁だと思い誤った、あの着衣の汚れを彼はその眼で見た。まだ菊千代自身が気づかないうち、……うしろから、彼はそれを見たのである。そのときもらした彼の低い叫びも、菊千代の耳には残っている。
 ――生かしてはおけない、どうしても。
 こうつぶやきながら、ぞっと身を縮めて、さらに菊千代は思いだすのであった。彼女はこれまで常に半三郎と相撲を取り、柔術の稽古をした。彼に投げられ、組合って倒れ、激しく押えこまれたとき、彼女は一種の強い快さを感じた。それで好んで彼ひとりを相手に選んだ、彼でなければその快さは味わえなかったから。……けれどもそのとき半三郎は知っていたのだ。自分が女であるということを、知っていて自分をあのように組みしき全身で押えこんだのだ。
「――ああ、あ、どうしよう」
 菊千代は両手で顔をおおってうめく。それを思いだすたびごとに、忿怒ふんぬ羞恥しゅうちとのいりまじった、身を裂かれるような烈しい感情におそわれ、顔を掩って呻くのであった。


 父は案外はやく弟が生れるかもしれないと云った。それにはやはり根拠があったものとみえ、年があけるとまもなく男の子が生れた。生母はのちに清樹院といわれた側室で、この人が貞良の生涯よき伴侶はんりょとなったのである。生れた子は亀千代と名づけられたが、成長して父の跡を継いだ越後守貞意は彼である。
 弟が生れたということを聞いてから、菊千代は男として生きる決心がついた。そうして二月はじめの春寒はるさむというにふさわしい、ひどく凍てる日のことであったが、彼女は中屋敷の書院へ出て半三郎を呼び、人ばらいをした。
 椙村半三郎はもう十八歳で、むろん元服しているし、長身の痩形やせがたではあるが、骨組のたくましいりんとした青年になっていた。僅かに数カ月会わなかっただけであるが、菊千代には見ちがえるような感じだった。躰格に比べてやや小さい頭部の、ひき緊ったおもながな顔に、濃い眉と相変らず濡れたように赤い唇とが眼をひく。……菊千代はいきなり彼の胸へとびつきたいような衝動にかられた。殆んど身が浮きそうになった。しかしそれはたちまち激しい憎悪に変り、ひざの上の手が震えだした。
「今日はききたいことがあって呼んだのだ、いらぬことは申すには及ばない。みがきくことに返辞だけすればよい」
 菊千代はできるだけ冷やかにいった。
「そのほう菊千代が男であるか、女であるか知っているであろうな」
「――おそれながら」
「返辞だけ申せ、知っているかどうか」
 半三郎は両手をついたまま黙っていた。この部屋へはいってから、彼はまだいちどもこちらを見ない。蒼いほど澄んだ白皙はくせきの面を伏せ、なにかを耐え忍ぶとでもいうように、固く口をひきむすんでいた。
「返辞をせぬか、半三郎」菊千代は震えながら叫んだ、「――そのほう菊千代を若年とみてあなどるのか」
「――おそれながら、決してさような」
「では申せ、返辞を聞こう」
「――おそれながら、そればかりは……」
 殆んど呟くような声であった。菊千代は全身の血が火になるような怒りを感じ、われ知らず膝が前へ出た。
「いえないというのは知っているからだな、半三郎、面をあげて菊千代を見よ、この眼を見るのだ、半三郎、面をあげぬか」
 彼は静かに顔をあげた。菊千代はその眼を射止めるように見ながらいった。
「菊千代が女だということを、そのほう知っていたのだな」
「――はい」
「眼を伏せるな、そして、……それは初めから、知っていたことだな」
 半三郎の眼が、然りと答えるのを認めて、菊千代は一瞬ふしぎな感覚に包まれた。それは絶望的な歓喜とでもいおうか、苦痛と快感とが複合したしびれるような感じのものであった。もし彼が知っていなかったとすれば生かしておいてもよい。生きていて欲しいという気持は充分にある、そのばあいはこちらから自分が女だったということをうちあけて、おそらくは泣いて彼にとりすがったであろう。しかし彼は知っていた、それは菊千代にとっては凌辱りょうじょくに等しい。
 ――彼は自分にとって唯一人の者だ。
 ――だが彼を生かしておいてはならない。
 ごく短い刹那せつなしびれるような感覚のなかで、菊千代はこう思いきめ、「半三郎、近う寄れ」と云った。三度それを繰り返した。半三郎は左右の膝で僅かに前へ出た。菊千代は右手で短刀を抜き、すり寄って、左の手で半三郎のえりを掴むと、力をこめて彼の胸を刺した。半三郎は無抵抗であった。うっという声がのどふさぎ、全身の筋肉が痙攣けいれんして、刺しとおした短刀を烈しくくい緊めるように思えた。
「ああ、若、若さま」
 半三郎が叫んだかと思った。しかしそうではなかった。うしろから誰か走って来て菊千代を抱きとめたのである。それは松尾であった。
「御短慮な、なにをあそばします」
「放せ、放せ」
 菊千代は松尾をはねのけ、短刀を抜いてもうひと刺し刺しとおした。
 それからあとのことはよく記憶がない。樋口次郎兵衛が駆けつけて来、松尾が菊千代をはがいじめにした。半三郎は前のめりに、左手を畳につき右手で胸を押えて、がくりと首を垂れていた、抜けて取れそうな衿足とその姿勢が崩れる瞬間とを見たように思う。……気がつくと常居つねいの間に坐っていた。松尾がたらいへ湯を取って、自分の両手を清めて呉れていたが、そうしながら松尾がひどく震えているので、菊千代はかえっておちつきをとり戻した。
「短刀を取って来て呉れ、それから……仕損じたかどうかも」
 松尾が立ってゆくと、菊千代はなにげなく、いま清められた手を見ようとして、とつぜんぞっとし、身ぶるいをしながら眼をそむけた。その手が非常にいやらしく、けがれたもののように思えたのである。
 松尾は戻って来て、囁くように云った。
「――おみごとに、あそばしました」
 菊千代は脇へ向いてうなずいた。
 その翌日の午後に父が来た。菊千代は初めて父の怒った顔を見た。幼いじぶんから、怒ったらさぞ恐ろしいだろうとよく想像したものであるが、現に相対してみると決して恐ろしくはなかった。濃いいかり眉と大きな眼と口髭くちひげのあるきっとした口許くちもとと……そのままで圧倒的な威厳に満ちているのが怒りのためにいっそう際立って、ふつうならとうてい眼をあげることはできなかったであろう。けれども菊千代はきわめて平静に父の眼を見あげた。父の怒りをしのぐものが自分にはある。そういう気持であった。
「なぜ半三郎をせいばいした」
「――彼はわたくしを辱しめました」
「どのようにだ、どう辱しめたのだ」
「――申上げられません」
「たとえ家臣なりとも、人間一人手にかけて理由が云えぬでは済まぬぞ、どのように辱しめたか聞こう」
「――申上げることはできません」
 菊千代は冷淡に答えた。
「――もしそれで済まないのでしたら、菊千代の命をお召し下さい」
 貞良は白い歯をみせた。叫ぼうとしたらしい。だが急に表情を変え、むしろ好奇的な眼で、まるで初めて見るかのようにじっと、かなりながくこちらの顔に見いった。
「――では半三郎を手にかけて、少しも悔いることはないのだな」
「半三郎がそれを知っていたと思います」
「――自分でしなければならなかったのか」
「わたくしが致さなければなりませんでした、わたくしと彼と、二人だけの事でございますから」
 貞良は貞良として、なにごとか納得したようである。こんどの事は然るべく始末をする、今後は固く慎むようにといって、そのまま座を立とうとした。菊千代は言葉を改めて、――弟が生れたのだから、自分は世子の位地をぬけたものと思っていいかときいた。
「三月には将軍家の日光御参拝がある、それが済めば正式に届け出る筈だ」
「ではそれが済めば、菊千代のからだは好きに致してよいのでございますか」
「――好きにするとは」
「菊千代は、生涯、男のままで生きたいと思います、いつぞやお約束の分封のことも、頂けるものと思っていてようございましょうか」
 貞良は眉をひそめた。どこか痛みでもするように、……それから、分封のことは異議はないけれども、男でいるかどうかは早急にきめる必要はあるまい、なおよく考えてみるようにと云って、父は帰っていった。

 幕府のほうにはどういう形式をとったかはわからないが、四月から巻野家の世子は亀千代に定り、中屋敷でかなり盛大な披露の宴があった。……菊千代はそのとき初めて弟を見た。まだ百日に足らない赤児で、髪毛の濃いのと、よく肥えていたということくらいしか覚えがない。それが弟を見た初めであり、そして終りであった。
 それから菊千代は再び以前の生活に戻った。学問もし、弓や薙刀の稽古もし、馬にも乗った。半三郎がいなくなったほか、まわりはみな元の者たちばかりで、菊千代の秘密については誰も知らないらしかったが、半三郎がせいばいされたということで、一種の警戒と隔てができ、まえのようにうちとけた感じはなくなってしまった。
 ――かれらは怖れているのだ、それだけなのだ、気にする必要はない。
 こう思ったけれども、隔てのできたかれらのようすが、ときに激しくかんに障り、ついするとどなりつけ、ののしり、またしばしばむちをあげるようなことさえあった。
 ――悪かった、やり過ぎた。
 あとでは悔みながら、やはり同じことを繰り返してしまう。その場になると自制するちからがなくなって、殆んど無意識に乱暴なことをしてしまうのであった。
 菊千代は責められなければならぬだろうか。いや、彼女はのちに思い返しても否ということができる。彼女は誰よりも苦しんでいた。十五歳のあの時まで男であると信じ、男としてそだって来た。しぜんにふるまっていても言語動作はそのまま男とみえるに相違ない。しかし菊千代はもうしぜんな気持ではいられなくなっていた。男であろうとする意識がつねに頭にあった。
 ――女だということがわかりはしないか。
 ――あの眼は気づいた眼つきではないか。このように絶えず神経がとがって、奥にこもっているとき以外は心のゆるむ暇がなかった。それだけなら時間の問題かもしれない、馴れるにしたがって緊張も鈍ったであろう。だが彼女のからだがそうさせなかった。一日一日と見えるように、からだ全体が菊千代を裏切りはじめたのである。


 なめらかにつやを増してゆく皮膚、量の多い髪毛、腰まわりから太腿へかけての肉付、ふくらんでくる胸乳。……菊千代はどんなにその一つ一つをのろったことだろう。月代さかやきにしても、菊千代のはりあとの青さが違う、なめらかに白くてぶよぶよした感じである。眉毛も細く、口髭も生えない、どんなに荒々しくしても手爪先はすんなりと美しくなるばかりだった。そして声がいつまでもかれらのように太くならず、叫んだりするときんきんかん高に響いた。まだ固いしこりのある乳房は手で押しても痛む、それを菊千代はさらし木綿できりきりと巻き緊めた。剃刀かみそりを当てれば濃くなるというので、口のまわりを毎日のように剃らせた。弓、薙刀、乗馬のほかにまた剣術を始め、なお奥庭の菜園で土いじりもした。
 こうしてからだを酷使し、食事もできるだけ粗末な物をできる限り少量った。しかしそういう努力を嘲弄ちょうろうするかのように、からだ自体は女としての発達を少しもやめなかった。
 古くからの学友をやめさせ、まったく菊千代を知らない少年を三人、上屋敷から貰った。河井数馬、末次猪之助、佐野守衛、みな同年の十四歳であった。……このあいだに学問や武芸の師も交代させ、新たに来た師にもほとんど教授を受けなかった。三人の少年たちとだけ弓や薙刀の稽古をしたり、馬に乗ったりするほか、しだいに部屋へこもるようになった。
 父の訪ねて来る回数はずっと減った。月に二度はたいてい来るが来ないときもあった。そのころ父は若年寄から老中になっていた。
「侍女を使ったらどうだ。これではあまり殺風景ではないか」
「いいえ侍女はいりません、松尾で用が足りますから」
「しかし少しはうるおいがないといけない、ここはまるで僧坊のようにみえる」
 従前どおり来ると酒を出し、菊千代と膳を並べて飲みながら話すが、父は昔のように楽しそうではなく、ふとすると菊千代の姿から眼をそらすようにした。
 ――自分のおとこ姿がお気に召さないのだ。それは疑う余地がないと思った。すると強い反抗心が起こった。自分をこのようにしたのは父ではないか、初めから理由を知らせて呉れたのならともかく、十五までなにも教えず、男であることにいささかの疑いももたなかった者に、いきなり女になることができるであろうか。そのうえ、男で一生くらすのもよかろうと、父が自らすすめたのではないか。
「分封して頂けるのはいつのことでございますか」
 反抗心が起こると菊千代はよくこう云った。
「まだ分封しては頂けないのですか」
 貞良は明らかに迷いだしたようだ。そう簡単にはゆかぬとか、考えているとか、もう暫く待てとか、なかなかはっきりした返辞はしなかった。……そうして菊千代が十八歳になった正月、いつもの例で上屋敷へ祝儀にゆくと、貞良はうちとけた相談をするという調子で、こちらの眼をやさしく見ながらいった。
「やっぱり男でとおすつもりか、女になる気はないか、意地をぬいて正直にいってみないか」
 菊千代は父の眼をみつめたまま黙っていた。答える必要がなかったのである、いまさらなにをという気持だった。貞良はその凝視に耐えられず、絶望したように眼をそらした。

 巻野家はひたちのくに嵩間かさま領で八万三千石だった。菊千代は二十歳の年、そのうちから八千石分封して貰った。浜町の中屋敷と、別家遠江守の屋敷とのあいだに、彼女のための屋敷が出来、また嵩間領の中山という処に屋形と領地事務のための役所が建った。
 新しい屋敷では、樋口次郎兵衛が付家老というかたちで、側にはやはり松尾のほかに女を置かず、近習は三人の少年のうち、才はじけた末次猪之助をやめて、矢島弥市という少し鈍感な少年を貰った。……八千石の館主たてぬしではあるが任官しないので、公式には最小限の義務しかなく、家臣も江戸と中山の領地を合わせて、せいぜい四十人を出入りするくらいのものだった。

 自分の屋敷を持ってから約二年くらい菊千代は比較的おちついた気持で過した。親族のあいだでは屋形の地名を取って「中山殿」といわれていたが、彼女は父に会う以外は決して親族と往来しなかった。……歌舞伎芝居を観たり、遊芸人を呼んで酒宴をしたり、市中の盛り場を見てまわったり、笛の稽古をしたりしたのはこの期間のことである、だが笛のほかはみなすぐに飽きた、心からひきつけられるようなものは一つもなかった。
 ――人の世とはこんなものだろうか。
 自分で思いつくこと、まわりからすすめられること、彼女の身分で可能なことはたいていやってみたが、やってみるにしたがって失望が大きくなるばかりだった。
 ――もっとなにかあるはずだ。この胸をどきどき高鳴らせてくれるような、なにかが、……それともこれが世の中というものなのだろうか、自分を夢中にさせてくれるようなもの、全身でうちこめるようなものはないのだろうか。
 そのころ昌平黌しょうへいこうの教官で平松なにがしという学者がいた。陽明を教えたので学問所を追われたということを聞き、菊千代が彼を招いて老子の講義を聴いた。また芝の正眼寺へかよって禅もまなんでみた。けれどもやはり彼女には縁の遠いもので、どちらもいたずらに煩瑣はんさであり、空疎なものにしか思えなかった。
 こうして平静な時期が経過し、菊千代は二十三歳になった。その年の四月の或る夜明け、彼女の全神経を惑乱させるような出来事が起こった。……初夏の気温の高い未明の寝所で、菊千代は叫び声をあげて眼をさました。夢だったと思い、起きようとしたが、関節や筋がばらばらにほぐれたようで、身うごきすることもできない。それだけではなかった。夢の中でうけた無法な暴力が、自分のからだの一部にまだ残っていた。その一部分に受けた暴力が現実であるかのように、彼女の意志とは無関係なつよい反応を示している。そしてそれは全身を縛りつけ、痺れさせ、陶酔にまでひきこんでいった。
 この夢と、夢によって起こったからだの反応とが、なにを意味するか。おぼろげではあるが菊千代は理解することができた。そして理解した刹那せつなに激しい絶望的な自己嫌悪にうちのめされ、神経発作を起こして泣き叫んだ。……屏風びょうぶを隔てて寝ていた松尾が、びっくりしてはいって来た。とのいの間からも侍が来ようとしたそうである。それほど異常な叫びだったのだろう。しかし菊千代は松尾さえ近寄せなかった。
「来てはいけない、さがれ、さがっておれ」
 こう叫んで松尾も寝所から出てゆかせ、独りで輾転てんてんと泣き、喚き、呻吟しんぎんしたということであった。……その発作中のこまかい事はよく覚えがない、ただ人に見られてはならないと思い続けたことと、そして次のような声が、頭の中で休みなしに聞えていたことは忘れられなかった。
「おまえは女だ、男ではない、女だ、おまえは女だ、女だ、男ではない、女だ、女だ」

 二十五歳になって菊千代は嵩間領の中山の屋形へ移ったが、神経発作を起こした日からそれまでの生活は、少し誇張していうと荒暴そのものであった。扈従こじゅうは矢島弥市のほか、つねに十五歳までの少年しか使わず、十五歳を越えるとすぐにやめさせた。薙刀、剣術などの稽古にはかれらに相手を命じ、心のたかぶっているときにはよくけがをさせた。いちどは相手の少年が臆しているのに苛立いらだって、その少年の腕を薙刀で打ち折ったことさえあった。
 月に一度か、ときには続けて二度くらい、あの忌わしい夢が彼女を辱しめた。そしてその夢のあとでは、きまって同じ発作を起こして、まわりの者を驚かした。
 ――このままでは気が狂ってしまう。
 菊千代はそう思うようになった。どうしても制御することのできない衝動的な行為が、自分でぞっとするほど怖ろしかった。これを続けてゆけば狂人になる、必ず発狂するだろうという気がした。
 ――山へはいって静かにくらそう。
 江戸にいても慰めはない。世捨て人になって、山へこもって平安に生活したい、そうすることができれば少なくとも狂人にはならずに済むだろう。それが自分に残された唯一の道だ。菊千代はこう心をきめて、中山へ移ることを父に頼んだ。……貞良も菊千代の行状には当惑していたらしい、ついぞ小言めいたことはいわなかったが、中山へゆきたいと聞くと、愁眉をひらくといった表情で、それはよかろうとすぐに承知して呉れた。
 幕府への手続きでちょっと暇取ったが、二十五歳の年の二月、菊千代は江戸を立って中山の屋敷へ移った。樋口次郎兵衛は老年なので、そのときいとまをやり、身ぢかの者では松尾と矢島弥市だけを伴れていった。
 中山は嵩間の本城から五里ばかり離れたところで、屋形はなだらかな谷峡たにかいの丘の上に在った。敷地は五千坪ばかりだろうか、三方に築地塀をめぐらし北側はさくになっていて、そのうしろは深い森がそのまま山へと続いている。森はおのを入れたこともないように、杉やひのきおおきな立枯れの樹もみえ、びっしりと灌木かんぼくが繁って、いつもじめじめしていた。そこには狐や狸や鹿などがんでいるというが、風の吹きぐあいによって、古い松葉の匂いが屋形の中まで匂って来た。また庭を迂曲うきょくして小さな流れが作ってあったが――それは澄み徹った余るほどの水量で、いつもあふれるばかりたぷたぷと流れていたが、――その水は山裾にき、森の中をぬけて来るので、秋になると種々さまざまな落葉を流れにのせて運んで来た。そのなかにはまだ菊千代の見たこともない形の、しかも眼のさめるほど美しく紅葉したものがたくさんあって、初めのうちは幾種類となく拾っては集めたものであった。


「来てよかった、本当に来てよかった」
 移って来て二年ばかりのあいだ、菊千代はおりにふれてそう云った。
「もっと早く来ればよかった、ここならおちついてくらせる、もう決してみんなを困らせるようなことはしないよ」
 それは誇張ではなかった。気持も明るく爽やかで、神経がとがったり苛立つようなこともない毎日が清新でのびのびとしていた。まわりに人が少ないので、男であろうとする絶間ない努力から殆んど解放され、久方ぶりで自由な自分をとりもどした感じだった。
 前庭には松や栗やならなどの林があり、その端に立つとひろい谷峡が眺められる。流れの早い川に沿って、白い道が遠く山の彼方へと延びているが、それは嵩間から山越しに北陸道へ通じているそうで、しかしあまり人の往来はなく、みかけるのは多く付近の郷村の者であった。
 菊千代は弥市だけ伴れて、馬で領内をまわったり、弓を持って森から山へわけ入ったりした。常陸人は頑固で意地がつよいと聞いていたが、山村の人々にもそういう気風があって、館主と知っても不必要な騒ぎはしない。菊千代はたびたび出先で弁当をつかったが、ごく貧しい農家などでもさほどおそれかしこむようなふうはなかった。二度、三度とたち寄るうちには、老人などが気楽に世間話をしかけたり、また弁当の菜や汁を作って出したりした。
「お口には合いますまいが、召上って頂こうと思ってこしらえたですから」
 そんなふうに云って、塗のげた椀や欠け皿などを並べる。焼干しの川魚と野菜を煮たもの、味噌汁、古漬けのたくあん。たいていこういったもので、なるほど菊千代の口には合わなかった。ただかれらの好意を無にしたくないだけではしをつけたのであるが、馴れれば屋形の料理とは違った風味があり、やがて出されたものは余さずべるようになった。
 喰べ物に馴れるにしたがって、かれらの生活にも馴れていった。一年ばかりのあいだにたち寄る家はおよそきまったが、好んで寄るのは波山村の茂平、原の竹次、保毛村の太九郎という三軒であった。これらはみな貧しい小作人で、特に原の竹次はひどい生活をしていた。市原数右衛門という名代名主の話によると、竹次夫妻は嵩間の人間であって、両者とも商家そだちであるが恋仲になったのを許されず、いろいろと面倒なわけもあって、十年ほどまえついに二人でかけおちをし、この土地へ来て居着いたのだという。
「このへんでは百姓はひえを食って三代というくらいで、あの夫婦もまあ孫の代まで辛抱する気があれば、百姓で食えるようにもなるでしょうが……」
 数右衛門はそういったが、それはそのままでかれら夫婦の苦しい生活をよくいいあらわしていた。
 原は屋形に近かったし、夫妻の身の上を聞いてから多少は好奇心もあって、菊千代はしげしげ竹次の家へいった。ときには独りで、庭へ歩きに出たままゆくこともあった。竹次もおいくという妻も年よりはずっとふけてみえた、二人のあいだに正太といって七つになる子があるが、親子ともそろって無口で、けれどいつも三人いっしょに黙々と働いていた。田でも畑でも、薪伐りにゆくにも必ず三人いっしょだった。……休む暇のない、そのうえ慣れない労働と、貧窮した暮しのために疲れきったふうである。恋仲などというなまめいた話とは縁の遠い姿であった。かれらがいっしょにいるのを見るたびに、巣を逐われた雀の親子が、身を寄せあってじっと寒さをしのいでいるように思え、菊千代はひそかにこうつぶやいたものだ。
 ――あの二人は自分たちの恋を悔んでいるのではないだろうか、自分たちの恋のためにお互いを憎むようなことはないだろうか。
 その年の秋の或る日。それは稲刈りの時期のことであるが、菊千代がかれらの田の近くを歩いていたとき、竹次といくとが激しくいいあらそっているのを見た……菊千代は独りで、森から丘へぬけて、知らない山道を下りて来ると、偶然かれらの田の脇へ出たのである。
 ――竹次といくだ。
 二人の高い声と姿を見てすぐに気がつき、われ知らず道傍みちばたの灌木の茂みへ身を隠した。田は道から一段低いので、夫婦の側で正太が泣いているのも見えた。
「あんたは病人じゃないの、病気のときくらいあたしがしたっていいじゃないの、あたしがいくらばかだってもう稲刈りぐらいできますよ」
「おまえをばかだって、おれはそんな、そんなことをいってるんじゃないんだ」
「いいえ知ってます。あんたはあたしをなんにも出来ない女だと思ってるんです、くわも鎌も持たせない、焚木たきぎも背負わせないこやしも担がせない、いっしょに苦労をしようと云って来て、あたしはずっとそのつもりで、なんでもしようと思うのに、あんたにはもう、……もうあたしが重荷になっているんだわ」
「やめて呉れ、頼むからやめて呉れ」
 泣きだした妻に向って、竹次は哀願するようにこう云った。
「おまえに野良の仕事をさせないのは、決してそんなつもりじゃない、おまえにそんな事をさせるのがおれには辛いんだ、こんなやまがへ伴れて来て、しなくてもいい苦労をさせて、満足に着ることも食うこともできない。みんなおれの甲斐性かいしょうなしのためだ、それだけだっておれは済まないと思ってるんだ」
「そんなことを云われてあたしが嬉しいと思うの、一つの物を分けて喰べるのが夫婦なら、苦労だって二人で分けあうのがあたりまえじゃないの」
「おまえは苦労しているじゃないか、おれはおまえの姿を見るたびに」
「やめて頂戴、そんなこと、あんた」
 いくは叫んで良人にすがりつき、身を震わせて泣き、しどろもどろにかきくどいた。
「済まないのはあたしよ、あたしさえいなければ、あんたは渡島屋の主人になって、りっぱな旦那でくらせたんだわ、それをあたしがいたばっかりにこんな、こんなみじめな」
「もうたくさんだ、おいく、やめて呉れ、もうたくさんだ」
「あたしあんたに済まなくって、申しわけなくって、これまでどんなに蔭でおびを云っていたか、しれないわ、堪忍して、あんた、堪忍して」
 おいくは良人の胸にしがみついて泣いた。それから二人がどんなふうに言葉をとり交わしたか、どのようにして諍いがおさまったか、菊千代にはよく思いだすことができない。……菊千代は説明しがたい感動にうたれ、いつか自分も泣いていた。それが諍いではなく、いたわりあいであることがすぐにわかった。竹次が病気で寝ているので、おいくがそっとぬけだして稲刈りを始めた。それと知って竹次が追って来て、そんな諍いあいになったものらしい。
 ごくありふれたことなのだろうが、ふだんどちらも無口で、心に思いながら口にだしてはなにも云えない、お互いが心のなかで、お互いに苦労をかける、済まないと思っていた。それが今、飾らない言葉で互いの口をついて出たのだ。
 ――もっとあたしに苦労を分けて呉れ。
 ――これ以上おまえに苦労はさせられない。
 このやりとりが衝撃のように強く、いつまでも菊千代の頭に残った。愛情でむすばれた二人の、かばいあい劬り支えあおうとする気持が、少しの巧みもなくあらわれている。貧窮したみじめな生活は、かれらの「恋」をうち砕いたであろう、しかしそれに代ってもっと深く、もっと根づよい愛が二人をつないでいるのだ。
「さあもういい、帰ろう」竹次がそう云った、「――正太も泣くんじゃない、もう二三日すればお父つぁんも起きるからな、そうしたら三人でいっしょに稲刈りに来よう、まだ五日や七日おくれたって大丈夫だ、正太は鎌を持ちな」
 三人が去ってからやや暫くして、菊千代は山道をかれらの家とは反対のほうへ気のぬけたような足どりで下りていった。頭がぼんやりして、胸の奥が熱いようで、足が地面から浮くような感じだった。
「――可哀そうな菊さん、可哀そうに……」
 菊千代はふとこう呟いた。自分でそう呟いて、その声にびっくりして、立停って周囲を見まわした。近くに人の姿は見えなかった。もちろん自分が呟いたのである。
「――なんだろう、可哀そうな菊さん、……どうしてこんな言葉が今とつぜん出たのだろう」
 なにか遠い記憶にありそうだった。けれどもそれがなんであるか、どうしても思いだせそうにない。菊千代は頭を振って、やぶの脇からせきに沿った道へと曲っていった。
 屋形のある丘の裾へ出ると、表の黒門へゆく途中に農家が三軒ある。丘の下の、竹藪や雑木林に囲まれた、じめじめした陰気な一画で、三軒ともすっかり住み古し、殆んど朽ちかかったあばら屋であるが、……そのいちばん道に近い家のものらしい、物置小屋のようなものの前に、屋形の侍と下僕とが四、五人いて、声高になにか云っているのが見えた。
 菊千代は黙って通り過ぎようとしたが、「いや、ならん、すぐに立退け」こう云うのを聞いて足を停めた。立退けというのは穏やかでないと思った、それでつい知らずそっちへ近づいていって、どうしたかと声をかけた。……侍や下僕たちは驚いてそこへ膝をついた。するとその小屋の中に、ひどくせた男が一人、じっと頭を垂れているのが見えた。
「どうしたのだ、その男がなにかしたのか」
「いろいろうろんなことがございますので、立退くように申し渡しているところでございます」
うろんなこととは、どんなことだ」
「彼は三月ほどまえに此処ここへ住みついた者でございますが」
 侍の一人がこう説明した。そこは源太という農夫の物置小屋だったが、七月初旬に少し手入れをして、その男が住むようになった。源太の遠縁の者で、水戸のほうで商売をしているが、病弱のため店を人に頼み、暫く静養するつもりで来たのだという。


「私どももそうとばかり思っておりましたところ、それがみな嘘で、源太とは縁もゆかりもなく、水戸の店というのも、商人と申すのも嘘で、まことは武士らしく、そのうえ病気は労咳ろうがいということでございます」
 源太の妻からもれたのが、屋形の下僕に伝わったので、来て問い詰めたところ返答がはっきりしない。素姓がそんなふうに怪しいし、労咳などという病人では屋形の近くには置けない。それで立退きを命じているのだということだった。
 話を聞きながら、菊千代は男のようすを眺めていた。痩せた骨立ったからだで、いたいたしく肩が尖っている。両手を膝に置いて、ふかく頭を垂れた姿勢には、どこやらりんとした線があって、なにか由ありげな、という感じが強くきた。
 ――よほどやむを得ない事情があって、病むからだで、こんな処へ身を隠しているのだろう。菊千代はこう想像したので、「いや立退くには及ばない、許すから此処ここに置いて、病気をいたわってやるがよい、弱い人間に無慈悲なことはしないものだ」
 侍や下僕たちにそういいつけて、男のほうは見ずにそこを去った。
 病気をいたわってやれといったとき、菊千代はふと竹次夫妻にも援助を与えようと思いついた。そして名代名主の数右衛門を呼んで、援助はどのようにしたらいいかを相談した。……数右衛門はそれには反対であった、かれらが本当に百姓になるつもりなら、やはり孫の代まで辛抱しなければいけない、ここで脇から助けてやれば、当座は生活が楽になるであろう、しかし援助が切れたときは元の杢阿弥もくあみで、そうした例は幾らもある。そんなふうに主張した。
「それはそうでもあろうが、辛抱してゆけるだけの心配はしてやってもよくはないか」
 菊千代はさからわずに、竹次が病人であることを話し、とにかくあだにならない方法でかれらを援助するようにと云った。

 それから約一年あまり。菊千代はおちついた静かな日を送った。
 竹次には肥えた田を五段歩と、炭を焼くための山が与えられた。土地が谷峡なので、良い田地はあまり多くは無い、その五段歩は数右衛門の持ち地で、竹次に作らせるにはかなり無理をしたようであった。
 源太の物置にいる男も、病気はさして悪くないとみえ、ときに歩きまわっている姿をみかけるし、小屋の前を通りかかるとよく薪を割っていたりした。あのときのことを忘れないのだろう、歩いていてみかけると、田を隔てた向うの道からでも鄭重ていちょうに挨拶するし、小屋のまわりでなにかしているようなときにも、菊千代が通りかかると必ず、敏感に気づいて、頭を低く下げて黙礼した。
 ――武家であることはたしかだ。
 菊千代はその身ぶりを見るたびにそう思った。
 ――それも志操の正しい人間に相違ない。
 そして自分ではなるべくそ知らぬ顔をして、めだたないように魚や鳥などをときどき持ってゆかせたり、嵩間から月に二度ずつ医者が来るとたちよって診察や投薬をするよう命じたりした。……彼が某藩の浪士で楯岡三左衛門という名であることや労咳も年が年だから、たぶんこのままかたまるだろうなどということは、みなその医者から聞いて知ったのである。
 移って来て翌年の秋、別家の巻野主税がとつぜん中山へ訪ねて来た。彼はぶくぶく肥って、しゃれた口髭くちひげなど立てて、朝から酒を飲みながら、もう世の中がつまらないから、いっそ絵師にでもなろうかと思うなどといった。
「こんなことを申上げてはあれですが、ちょっと悪い女にひっかかりましてね、私もだいぶひどいめにあいましたが、子供ができたなんていいだしたりしましてね、誰の子だかわかりゃあしないんですが、それでまあ、そのあれなんです、そのほうの始末をするあいだ江戸にいないほうがよかろうということで、実は大洗の方面を廻ったりしたんですが、ひょいとこちらの屋形を思いだしたもんでね、御祝儀だけでも申上げなければなるまいというわけで参上した、……つまりそんなようなことで、実のところもうなってないようなものなんですが、そんなこんなでまあ、やっぱり絵でも描いてゆこうかと思わざるを得ないですよ」
 主税は五日滞在した。そのあいだ酒ばかり飲んで、いかがわしい唄をうたい、「ここには色っぽい腰元などいないですか」などと松尾に云ったりした。
「これだけの屋形で腰元がいないというのは淋しいですなあ、だいいちまだ殿さまが独り身でいるというのがおかしい、私はそこは遠慮なく申上げるたちですが、奥方をお迎えにならんとすればですね、もしそうとすればですね、これははっきり云いますけれど、やっぱりそこはきれいなのを四五人お側へ置かなければいけないと思う、……これは自然に反しますよ、私は断じて……」
 酔うと着たまま寝所へもぐりこみ、眼がさめるとすぐに酒である。菊千代は二度ばかり相手になってやっただけで、あとは帰るまで松尾に任せきりだった。……矢島弥市は初めて主税を見るので、その傍若無人なありさまには、ひどく驚いたらしい。けれども主税の言葉には感ずるところもあったふうで、「どうもやはり、これは、差出がましゅうございますけれども、これはやはり奥方をお迎えあそばしませぬと……」
 いつもの鈍感な調子でそう云いだした。それは主税が去った五六日経った或る日、二人で丘の上を歩いているときのことであった。
「おまえの気にすることではない」
 菊千代は脇を向いたまま冷やかに云った。
「それはもう仰せのとおりですが」弥市はもそもそ口ごもったが、やがてまた、「――御領分の者なども、そのことでおうわさを致しておりまするし」
「領内の者が……なにか云っているのか」
「そこはどうしても下民のことでございますから、いろいろと愚にもつかぬことを……もちろん御心配申上げてのことでございますが」
 もうよせと叱りつけようとしたが、菊千代はそのまま黙って歩いた。八千石の館主で、二十六歳で、まだ結婚もせず若い待女も置かないとすれば、領内の者たちが不審に思うのは当然かもしれない。
 ――かれらはどんな噂をしているか。
 こう考えると、およそ不清潔なものが想像され、ぞっと肌寒くなる感じだった。その不愉快な気持から逃げるように、ちょうどいつかの道にさしかかったので、菊千代はかなり急な細い坂を、足ばやに竹次の家のほうへ下りていった。
 いつか夫妻の云い諍っていた田はもう稲が刈り取られたあとで、刈り株がきれいに並びしきりに雀が落ち穂をついばんでいた。菊千代があのとき身を隠した灌木の茂みは、去年より丈も伸び枝をひろげて、その枝にまじって野茨の赤い実が美しく光ってみえた。……彼女はそこで立停って、しんとした刈田を眺めまわした。しっとりと柔らかく乾いた田の土、きれいに揃った刈り株、……そこに竹次やおいくや正太の姿が見えるようである。新しく肥えた五段歩の田を作り、冬には炭を焼いて、互いに劬り支えあって、三人で幸福に生きているであろう、今、現にかれらは三人で、いっしょに喜々と働いているに違いない。身も心もぴったりと倚り合った親子三人のむつまじい楽しげな姿、……菊千代はふと泣きたいような感情にさそわれ、無意識に口の中で呟いた。
「――可哀そうな菊さん、可哀そうに」
 まったく意識しない呟きであった。こんども自分でびっくりしたが、その刹那にありありと思いだした。それは母の言葉であった。母が亡くなるとき、菊千代の手を握って、涙をこぼしながらいった言葉である。
 ――お可哀そうに、菊さん、お可哀そうに。
 菊千代は危うく呻きそうになった。母の顔はよく思いだせないが、むくんだような頬にこぼれ落ちた涙や、詫びるような祈るようなその声は、まざまざと記憶からよみがえってきた。自分の手を握った痛いほどの力も、そのまま自分の手に残っているようだ。
 ――お可哀そうな、菊さん。
 母の言葉の意味が初めてわかる。自分が上屋敷へ訪ねていっても、どこかよそよそしくて、自分の姿から眼をそらすようにした。……母は自分のおとこ姿を見るに耐えなかったのだ、家の古い伝承には従わなければならない、しかし初めて産んだ娘が男としてそだてられるのを、母は平気では見ていられなかった。いつも哀れがり、可哀そうだと思っていたのだ。
 ――お母さま。
 菊千代は眼をつぶって、心のなかでそう呼びかけた。
 自分はなぜ母の言葉を思いだしたか。十余年もまえの、しかもそのときはわけもわからず、ただきみが悪いとしか感じなかったことを、なぜとつぜんに思いだしたか。いま菊千代には理解することができる。それは竹次夫妻の劬り愛しあう姿を見たからなのだ、そのように深く良人に愛されているおいくの姿を見たからである。自分はかつてそのように愛されたことがない、主従の関係はあるけれども、女としては一度も、誰からも愛されなかった。おそらくはこれからも愛されることはないだろう。自分では意識せずにそう思い、そして記憶の底に隠れていた母の言葉を、われ知らず呟いたに違いない。
 ――そうだ、可哀そうな菊千代。
 その年の冬を越すあいだ、菊千代は欝陶しいような、元気のない日々を送った。


 中山へ来てからの静かなおちついた生活が終った。年が明けて春の近づくころから、菊千代はまた気持が苛々いらいらし、かんたかぶって、例月のさわりの前後には、再びあの忌わしい夢を見るようになった。なんの理由もなく性急に名代名主を呼んで、「竹次への援助はやめる、もう構うな」などと怒り声で云ったり、また自分ひとりでいきなり楯岡三左衛門の小屋へゆき、「こんな処では不自由であろう、屋敷へ来て養生するがよい、申しつけて置くから」
 そんなことを云いだしたりした。
 思いつくことが衝動的で、しかもそれが抑制できない。なんでも即座に思うようにやってしまう。独騎で半日も遠乗りをして、そこがもう隣藩であることを知らずにとがめられたり、無法に駆けさせて乗馬の脚をくじかせたりした。薙刀の稽古を始めて、弥市のほかに相手がなく、弥市はまた相手には不足なので、庭樹の枝を叩き折ってまわり、腕の筋をちがえるようなこともあった。
 竹次のことはあとから使いで取消し、援助を続けるようにと云ってやったが、楯岡のほうは命じてしまったので、侍たちがいって彼を屋形へひき取った。これは菊千代は知らなかったが、ある日、森の柵のところでふいに彼と出会い、びっくりして顔を眺めた。
「――おおこれは……」楯岡もひどく狼狽ろうばいしたようすで、うしろへさがりながら低頭した、「――お情けをもちまして、御邸内に住まわせて頂いております……とつぜんお眼をけがしまして、まことに……」
 そして低頭したまま、逃げるように侍長屋のほうへ去っていった。その背丈の高い、肩のかがんだようなうしろ姿を見やりながら、菊千代は呼びとめて話しかけたいという強い誘惑にそそられた。……彼が源太の小屋にいるじぶんから、いちど身の上を聞きたいと思った。そればかりでなく、ふとすると彼とならうちとけた話ができそうに思えた。
 ――素姓を隠して、こんな山の中へ※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれて来て、ひっそりと病を養っている、訪ねて来る者もないらしい、家族なども有るのか無いのか。……
 その孤独な姿には菊千代と共通するものがある、それが心をひくのであろう。柵の側で出会ってからのちも、しばしば屋形のうちそとでみかけることがあった。
 ――今日は呼びかけてやろう。
 そう思うのであるが、三左衛門はひどく恐縮するようすで、いつもこちらを避けるように、ただ低頭して去るのがきまりだった。
 三月になってまもなく、嵩間の城から使いがあり、父が訪ねて来た。供は十人ばかりだったが、かごが幾つも付いて来て、若い腰元が五人とその持物が運びこまれた。……このありさまを見ると、菊千代はすぐに別家の主税を思いだし、侮辱されたように肚が立った。彼女が直感したとおり主税は帰ってこちらの生活ぶりを父に話したらしく、「相変らず僧坊のようなくらしをしているというではないか、もっと気楽にしてはどうだ」
 久方ぶりの対面に父はすぐこう云った。
「小さくとも館主となれば、これはこれで一城のあるじといえる、人間はその身分に応じた生き方をしなければならない、もう少し寛濶かんかつな気持になって、楽しむことは楽しんで生きなければ……あとで悔んでも若い日をとり戻すことはできないぞ」
 菊千代は黙って聞いていた。世間で楽しみといわれている事は、江戸でたいていやってみた。けれども心から自分を慰め、楽しませて呉れたものはない。中山へ来たのは隠遁いんとんである。世捨て人になるつもりで来たのだ。父もそれを知っていた筈なのに、いまさらなぜこんなことをいうのか。そういう気持であった。
れて来た五人はそれぞれ芸達者だ、なかでも葦屋と申すのが気はしもきくし、またいろいろ世間も知っているので相手には面白いであろう、まず、ともかくも披露させよう」
 それから酒宴になった。
 腰元たちは美しく化粧して、着飾って、琴、三味線、笛、鼓などそれぞれの芸をみせ、唄もうたい踊もおどった。葦屋というのはもう二十二三であろう、小柄のきりっと緊ったからだつきで顔かたちもよく、立ち居の動作もきびきびしていた。得意なのは鼓らしいが、琴も笛も巧みである。そしてほかの四人を自在に指揮して、酒宴の席を絶えず飽かせないように、ゆき届いた心くばりをみせた。
 嵩間に訴訟があって来たので、暇がないからと云いわけのように断わって、父は一夜だけ泊ると帰っていった。


 腰元たちが来て二十日あまりは、慥かに身のまわりが華やいで、にぎやかでもあるし気がまぎれた。父によくいいつけられたとみえ、葦屋はほとんど付ききりだった。性分もよほど敏感なのだろう、絶えず側にいて、菊千代の望むことはたいてい先へ先へとまわってした。
 だが菊千代はやがて飽きて、疲れてさえきた。そんな年ごろの娘たちと、いっしょにくらしたことは初めてで、美しく化粧をし、着飾った姿を見ると、珍しくもあり眼の楽しみでもあった。みんなで話をさせて、久しぶりの江戸言葉で、ばかげたようなたあいのない話をするのについ笑ったこともある。……しかしそれは二十日ばかりのことであった。やがて化粧の香料のつよい匂いが鼻につき若いからだのなまめいた姿が眼ざわりになった。
「――弥市、馬を出して呉れ」
 彼女たちが双六盤などを持って来るのを見て、とつぜんそこを逃げだして、はかまも替えず馬でとびだすようなことがしばしばになった。夕餉ゆうげは小酒宴ときまったようで、黙っていれば更けるまで弾いたり唄ったり踊ったりする。それもうるさくなるばかりで、叱りつけてやめさせるか、さっさと席を去るようになった。
「これからは申しつけるまで音曲は無用だ、また身のまわりのことは松尾にさせるから、呼ばぬ限りは出て来ないように」
 ある日どうにも癇が立ったので、葦屋に向ってきびしくそういった。
 それは三月下旬の、昼から気温の高いむしむしする日だった。葦屋にそういい渡したあと、弥市を伴れて領分はずれのほうまで歩きまわり、さすがに疲れきって帰って来た。……食事をしたあと、もういちど湯を浴び、寝所へはいったのが九時ころであろう、暑いのでいちど眼がさめ、掛け夜具を替えさせようと思ったが、昼の疲れであろう、全身がひどくだるく、そのうえ眠くもあるので、声をだすのも億劫おっくうになり、ついそのまま眠ってしまった。
 どのくらい眠ったかわからない、誰かに呼び起こされているような感じでうとうとしているといつかしらあの忌わしい夢のなかへひきこまれた。
「――ああいけない、いけない」
 身をもだえながら、その夢から※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれようとして、思わず叫んだ。その声で眼はさめたが、同時に自分が誰かに抱かれているのを知った。
 ――夢だ、まだ夢をみている。
 こう思ったが夢ではなかった、柔らかい、熱いような肌が、自分の肌をぴったりと押しつけている、そうしてすぐ耳のそばで、あえぐような、かすれたささやき声がした。
「そのまま、じっとしておいであそばせ、じっとして、なにもお考えなさらないで、そのままじっと、……もう少しおみ足を……」
 葦屋の声であった。彼女のからだと手足の動作で、菊千代は自分が辱しめられているということを感じた。そのからだと手足をふり払わなくてはならない、突き退けなくてはならない。こう思った。けれどもそれはまったく不可能であった。葦屋の動作は菊千代の全身を麻痺まひさせ、頭までしびれさせた。固くつむった眼のまえに虹彩のような光りが飛び交いいつか夢中で自分から葦屋に抱きついてさえいたようだ。
「お姫さまとだけ、お姫さまとわたくしと、二人だけ」葦屋はうわずった声で菊千代の耳へ口を寄せて囁き、そして呻いた、「――そのほかには誰にも、誰にも決して……お姫さま、わたくしのお姫さまどうぞいつまでも」
 その夜の経験のこまかい部分はよくわからない、ただ呼びさまされた感覚だけは、葦屋の無礼を証明するかのように、朝まで反復して菊千代をおそった。
 松尾が起きる時刻を知らせに来たとき、菊千代は顔をそむけたまま気分が悪いといった。からだ全体がだるく、頭に泥でも詰ったような感じだった。おそらく醜い顔をしているであろう、誰にも会いたくないし、このままどこかへいってしまいたいような気持だった。……そうしてまた眠ったらしい、こんどははっきり眼がさめ、夜半の経験が夢でなく、現実に葦屋の辱しめを受けたのだということ、それが異常な感覚として、現に自分のからだに残っていることを認めた。
「――葦屋、……あの女め」
 菊千代はさっと蒼くなった。葦屋は自分が女であることも知った、生かしてはおけない、どうしても生かしておいては。……菊千代は鈴を振って松尾を呼び、着替えをしてから、「――葦屋にまいれと云え」こう云って刀を取った。葦屋はすぐに来て、びた笑い顔でこちらを見あげた。襖際に手をついている。
「お召しでございますか」
「――はいれ」
 菊千代がそう云ったとき、葦屋はとっさに危険を感じたらしい、はいろうとした姿勢がそのまま逃げ腰になった。
「おのれ、逃げるか」
 菊千代はこう叫んで刀を抜いた、葦屋は身をひるがえし、次の間から廊下、そして庭へと走り出た。菊千代は刀を右手に追って来た。うしろで松尾がなにか叫び、わらわら人の騒ぎたつのが聞えた。
「待て、逃げようとて、逃がしはせぬぞ」
 菊千代は絶叫した。葦屋は裾を乱し、狂気のように悲鳴をあげた。髪もほどけた、いちど庭を流れている水へ落ちこみ、裾が濡れたので、栗林のところで激しく倒れた。距離は十歩ほどである、葦屋は笛のような声をあげ、はね起きて坐って、絶え絶えに喘ぎながら、大きく眼をみはって、喪心したようにこちらを見た。
 ――その顔、その手で……。
 菊千代は歯をくいしばりながら、刀をふりかざしてまっすぐにいった。するとふいに、横からつぶてのように走って来て、「お待ち下さい、御短慮でございます」
 こう叫びながら立ち塞がる者があった。菊千代は逆上したように刀を振り、「止めるな、斬らねばならぬ、どけ」
「お待ち下さい、どうぞ気をお鎮め下さい」
「どかぬと斬るぞ」
 菊千代は刀をふりあげた。すると立ち塞がった男は両手を着物の衿にかけ、それをぐっと左右にひらいて、自分の裸の胸を見せた。
「お斬りあそばせ、いざ」
 そしてすぐに衿を合わせた。
「――その胸の、その胸の……」
 菊千代はくらくらとめまいにおそわれた。
「――おまえは誰だ、おまえは」
 その一瞬に過去のあらゆる記憶が、内発する幻像のように頭のなかで明滅した。だがそれがなんの意味であるかわからぬうちに、からだを渦に巻かれるような感じで昏倒こんとうした。
 寝間へ運ばれるとすぐ気がついたようだ。けれども激しい神経発作を起こし、輾転ところげまわったり、着ている物をひき裂いたり、叫んだり泣き喚いたりしたという。
「あの女を生かしてはおけない、葦屋を斬れ、すぐ庭へひき出して斬ってしまえ」
 狂気のように叫び続けたのを、自分でもおぼろげに覚えている。それと同時に、そのように泣き叫びながら、頭のなかでは記憶の幻影を追っていた。池が見え、広い御殿がみえ、ふいに視界が赤い色で潰され、老子の講義をする男が現われた。狂奔する馬の背にしがみついている自分。「かんぷり」と誰かの呼ぶ声がし、水の中を魚がすばしこく逃げる。そしてまた御殿の暗い部屋、その部屋が歌舞伎芝居の舞台になり、その舞台の上を、猫のような見知らぬ動物が横に走った……そしてこれらの変転する幻像の背景のように、古い二つの傷痕きずあとのある男の胸部が明るく暗くとらえがたいもどかしさで絶えず見えたり消えたりした。……痩せて蒼白い、男のあらわな胸、そこにある二つの古い傷痕。……それがいつまでも執拗しつように、変化する幻像の向うに見えるのであった。
「それをどけろ、どけて呉れ、斬ってしまえ、庭へひき出して……ああ」
 菊千代は両手で顔をおおい押えようとする松尾の手の下で身もだえをした。
 発作がまったく鎮まったのは三日めの夜半過ぎであった。心身消耗という感じでそれからはよく眠ったらしい、眼がさめると枕許まくらもとに松尾が坐っていた。
 暗くした燈火が横からさして、松尾の肥った頬の片面を静かな色に染めていた。髪に白髪が出たのだろう、びんのところに幾筋かきらきらと光っているのが見える。菊千代は自分の頭がきれいにえて、きものでもおちたように、からだ全体が爽やかになっているのを感じた。
 ――ながいあいだせわをかけた。
 気持のいい甘いような溜息が出る。松尾だけではない、幼いころからずいぶん多くの者に面倒をかけせわになった。庄吾満之助、椙村半三郎、別家の主税にも。……癇が立って薙刀で相手の腕を折ったことがある。あの少年はなんという名であったか。赤、かんぷりなどというあだ名の子もいた。けれども誰より好きなのは半三郎であった。……椙村半三郎、たしか側用人の二男であったが、美少年で、静かな性分で、思いやりがあって、……そこまで回想してきたとき、菊千代はぎゅっと眼をつむった。
 ――いやそんなことはない。
 彼女は胸の上で両手を強く握った。ずっと昔、自分は半三郎を手にかけた。その手で押えつけて、短刀で二度、彼の胸を刺した。にやった松尾は「おみごとにあそばした」と云ったのを覚えている。……葦屋を斬ろうとしたとき、前に立ち塞がったのは楯岡三左衛門であった。彼は衿を左右にひらいて「斬れ」と云った。その痩せて骨立った、蒼白い胸に、古い突き傷の痕が二つ、慥かに見えた。
「――だがそんなことはある筈がない」
 菊千代は口の中でそっと呟いた。それと同時に眼の前の霧が消えるように思い、椙村半三郎の姿がありありと見えてきた。……菊千代は松尾に声をかけて、静かに云った。
「――侍長屋の、楯岡を呼んで呉れ」

十一


 時刻が時刻だし、また菊千代が乱暴するのではないかと心配したのだろう、松尾は夜が明けてからにするようにとなだめた。しかし結局さからってはかえって悪いと考えたようすで、手燭てしょくに火を移して出ていった。
 かなり待った。そして三左衛門が来た。着替えをし、袴をはいていた。菊千代が夜具の上に起きなおると、松尾が背へふすまを掛け、髪へくしを入れた。
「おまえはさがって呉れ」
 こう云って松尾を遠ざけてから、菊千代は三左衛門のほうを見た。彼はずっと離れて手をつき、頭を垂れていた。
「久方ぶりであった、椙村半三郎、近う」
 彼は頭を垂れたまま、呼吸五つばかりして、それから膝でこちらへ進み出た……いたましく尖った肩、痩せている躰躯たいく。……田を隔てて挨拶をした姿がみえる、薪を割っているときのおちついた身ぶり、屋形へ移ってから初めて森の柵のところで見た肩を跼めたようなうしろ姿。それは病と辛労のために変貌しているが紛れもなく半三郎の印象と合うものだ。現に今、眼の前に彼を見てそのあまりに紛れのないことが烈しく菊千代を打った。
「――どうして此処へ来た。半三郎、父上のお云いつけか」
「――私の一存でございます」
「――なんのために」
 半三郎はまた頭を垂れ、両手をついていた。菊千代はのどもとへなにかこみあげてくる、もどかしいようなせつないような、まだ経験したことのない感情で胸がいっぱいになった。
「――半三郎は昔はなにも云わなかった、自分の云いたいことも、云わなければならないことも、口には出さないで、黙っていた……けれども今宵はいわなければいけない、本当のことを、残らず話さなければいけない」
 菊千代はちょっと言葉を切り、昂ぶってくる気持を抑えるように深く息をついた。
「――どうして、此処へ来た、半三郎、あのときのことをひと太刀たちうらむためにか」
 半三郎はやはり顔を伏せ、手をついたままで否という動作をみせた。泣いていたのか、泣くのを堪えていたものか、低いしゃがれた声で、とぎれとぎれに答えた。
「――私をお刺しあそばしたときの、若君のお心の内は、私にはよくわかっておりました、お恨み申す……いいえ、半三郎はあのとき、よろこんでお手にかかりました、お恨み申すどころではございません、よろこんで……それが当然のことでございましたから」
「――それは、知っていたからという意味か」
「初めから、御殿にあがりますときから、存じておりました」半三郎はいっそう声を低めた、「――お相手にあがりますまえ、父が秘事である由をひそかに告げ、お側へあがったらよくよく注意して、若君のお心をみださぬよう、秘事のためにお心を傷めることのないようにと繰り返しきびしく申しつかりました、御殿にあがったのは七歳のときでございます、お側に仕えて年々と御成長あそばすお姿を拝見しながら、私はおそれながら……」
「云って呉れ、遠慮はいらない、構わずなにもかもすっかり話して呉れ」
「申してはならぬことでございますが」
「いや聞きたい、なにもかも残らず聞きたいのだ」
 半三郎はためらいがちな口調で、注意ぶかく言葉を選びながら云った。……しだいに女らしく、美しくそだってゆく菊千代を見て、彼は少年らしい義憤を感じはじめた。それまでは秘密を知っているのは自分だけだという自覚から、つよい保護的感情で仕えていたのであるが、それが義憤に変り、やがて愛情がうまれた。
「まことに無法なしだいではございますが」
 半三郎はごく控えめな表現で、菊千代に対する同情と愛憐あいれんの気持を語った。なにより怖れたことは真実のわかる時である、菊千代の気性でもし自分が女だと知ったら……それは想像するだけでいつも慄然りつぜんとした。彼女がまだ本当のことを知らないうちに、伴れだして、二人だけで、どこかの山奥へでも隠れよう。そんなことをたびたび思い、まじめに計画をたてたことさえあった。
 もちろん実行できることではなかったが、そのうちにあの遠乗りの日が来た。菊千代の着衣の汚れを見て、彼は思わず声をあげた。十七歳になっていた彼は、本能的な直感で、それがなにを意味するかおぼろげにわかった。とうとうその時が来てしまった。彼はこう思って、殆んど絶望にうちのめされたのである。
 書院へ呼ばれて菊千代を見たとき、彼はすべてを了解した。自分が秘密を知っていたということを気づかれた、それが菊千代をどのように怒らせたか、彼にははっきりわかったのだ。そしてむしろよろこんで、自分を菊千代の手に任せたのであった。
「――ふしぎに一命をとりとめましてから、私は自分の生涯をけて、君を蔭ながらお護り申上げようと存じました。……労咳を病みまして、ひところは医者にもみはなされましたけれども……若君のおしあわせを見届けるまではと、気力をふるい起こし、その一心を支えに此処までお供をしてまいったのです」
「――今でも、そう思って呉れるか」
 菊千代は乾いたような声で云った。
「菊千代を、今でも、哀れと思って呉れるか」
 半三郎の肩がかすかに震えた。
「――菊千代がどんなに可哀そうな者であるか、半三郎は知っている筈だ、八千石の屋形のあるじで、気儘きまま勝手にくらしていながら、その日に窮している貧しい農夫がうらやましい、夫婦親子のむつみあう姿を見ると、羨ましいと思いこの胸が嫉妬で裂けるようだ、……半三郎、おまえにはそれがわかる筈だ、半三郎だけは今でも菊千代を哀れと思って呉れる筈だ」
 喉へこみあげていたものが、抑えきれなくなって、菊千代は両手で顔を掩い、耐えかねて嗚咽おえつした。それからふいに、衝動的に夜具をすべり出て、半三郎のひざへ身を投げかけて、泣きむせびながら訴えた。
「菊千代を女にしてお呉れ、半三郎、そのほかにしあわせになる法はない、生涯を賭けてと云ったではないか、……それなら菊千代を女にしてお呉れ、おまえのほかには誰もいない、半三郎だけが、おまえだけがそうして呉れることができる……菊千代を哀れと思うなら、おまえの手で、この手で……」
 身をふるわせて、菊千代は彼の手を掴み、その手へ頬を激しくすりつけた。
 それからあとは夢中のことのようにしか思いだせない。固く硬ばっていた半三郎の姿勢が、しぜんと柔らかくほぐれ、その手がいつか菊千代の肩へまわって、静かに、やさしく、劬るようにでて呉れた。菊千代はあまやかな恍惚とした感覚のなかでなお暫く泣きひたり、かきくどいていたようである。……そうしてやがて、彼の手で抱き起こされ顔をそむけて涙を拭いたとき窓の明り障子にほのかな晩春のあけぼのの光りがさしていた。





底本:「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」新潮社
   1983(昭和58)年4月25日発行
初出:「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社
   1950(昭和25)年4月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2020年5月27日作成
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