古今集巻之五

山本周五郎




一 岡本五郎太の手記


 寛延二年三月八日の夕方五時から、石浜の「ふくべ」で永井主計かずえのために送別の宴を催した。永井はこの十五日に参覲さんきんの供で、江戸へゆくことになったのだが、そのほかに、こんど永井家が旧禄きゅうろくを復活され、主計が中老職にあげられる筈で、江戸への供はその前触れを兼ねていたから、私が主人役で祝宴をひらいたのである。集まったのは私のほかに左の六名であった。

汲田 広之進(家老、三十五歳、八百二十石)
豊水 喜兵衛(年寄役、三十三歳、七百石)
志田 健次郎(小姓組支配、三十歳、百八十石、主計の義兄)
青木 惣之助(徒士かち組支配、三十二歳、百二十五石)
菊田又右衛門(正気館教頭、五十歳、八十五石)
島仲 久一郎(表祐筆ゆうひつ、三十二歳、八十石)

 志田は妻女の直江が、永井の妻女の姉に当っているという関係。また菊田氏は小野派の剣法師範、われわれ全部がいちどは教えを受けているし、永井はもっとも愛された門人であった。他の五人は(私を含めて)身分の差にかかわりなく、少年時代からの親友で、汲田の三十五をべつにすれば年も殆んど似かよっていた。酒に強いのは菊田氏と豊水喜兵衛であるが、菊田氏が酔うと必ず剣術の話が出、永井を自慢したうえ、彼がその道から去ったことを責めるのであった。十余年このかた、隣りの桜井藩と毎年正月に対抗試合がおこなわれ、ずっとこちらの勝が続いていたところ、二年まえに永井が正気館を去ってから、今年ですでに三回、続けて桜井藩に勝を取られていた。
 ――うわさによると家格が旧に復し、永井は中老にあげられるという。昨夜も菊田氏はそう云って主計を責めた。正気館から籍を抜いたのはそのためだと聞いたが、そんなばからしい話はない、剣法の鍛錬を続けていればこそ、中老のお役もりっぱにはたせるのではないか。
 永井は決してさからわず、まるく肥えた顔に、いつもの明るい微笑をうかべながら、菊田氏に盃を持たせっきりで、ひまなしに酌をしていた。
 ――そうです、おっしゃるとおりです、まったく仰しゃるとおりです、さ、熱いのが来ました、おかさね下さい。
 あれも剣法の呼吸の一つだろう、永井は昔から開放的な、少しもかげのない性質であったが、昨夜のような場合には特にそれがよくあらわれる。相手を下にも置かずもてなしながら、卑屈なところは微塵みじんもないし、巧みに鋭鋒えいほうをいなす態度は、見ていても頬笑ましいくらいであった。菊田氏がきげんよく酔いつぶれ、まもなく志田が帰ったあと、友達だけになって一刻ばかり飲んだろうか、酔いがまわってくると、汲田が「席を替えよう」と云いだした。中島新地に馴染の女ができた、という噂を聞いていたので、おそらくその女を見せるつもりだろうと思った。
 菊田氏のことを女中に頼んで「ふくべ」を出ると、意古井川に沿った片側町をくだり、照光寺橋に近い「山川」へはいった。そこで男女の芸者八人を呼んで、十一時過ぎまでにぎやかに騒いだ。汲田の馴染がどのおんなであるかわからなかったが、おしまという二十ばかりの芸妓が、縹緻きりょうもよし芸も達者で、これが永井につきまとい、永井のうるさがっているのが眼についた。
 ――おしま、おまえむだなことをしているぞ、汲田広之進が笑いながら云った。
 ――なにがむだなことですか。
 ――おまえがその男にいろめを使っているのは、枯木を笑わせようと汗だくになっているようなものだ。
 ――あら、永井さまはそんなにお堅いんですか。
 ――お堅いんだ、と豊水喜兵衛が云った。お堅いうえにやぼで無芸で、剣術がちょっとうまいだけのつまらない人間だ。
 ――触らないほうがいいぞ、と青木惣之助が云った。永井主計は微笑しながら、黙って飲んでいた。そういうところは彼の育ちのよさと、すなおな性質がよくあらわれている。永井家は代々中老職で、禄高は八百二十余石だったが、約十年まえ、六左衛門どのが五十八歳の元文三年に「課役騒動」が起こり、その責任を問われて中老職を免ぜられ、家禄も半分に削減された。六左衛門どのは隠居、主計は二十二歳で家督を継いだが、無役のまま今日に及んでいる。元文の出来事は相当こたえたろうと思うが、主計のようすには変化はみられなかった。いつも明るく、まっすぐで、誰にも好かれていた。――一昨年の二月、母堂みの女が病死され、その打撃が大きかったのだろう、六左衛門どのが卒中で倒れた。軽症だということだが、いまでも隠居所で療養を続けているくらいで、殆んど再起不能といわれている。永井はそれまで独身であったが、そういう事情で女手が必要にもなったし、御城代酒田氏のすすめで結婚をした。
 妻女の名は杉江、年はそのとき十七歳であった。実家の吉原氏は百十五石の寄合格で、父の市郎兵衛どのは納戸なんど支配を勤めている。きょうだいは四人、志田へ嫁した姉の直江、次が杉江、下に十五歳の市三郎と、十三歳の松江という妹がある。私は杉江という妻女をよく知っていない、結婚してから三年になるが、永井は「病父がいるから」ということであまり客をしないから、会うことも殆んどなかった。「山川」でもその話が出て、島仲久一郎が苦情を云った。
 ――永井はまだわれわれに、女房をよくみせたことがないじゃないか。
 すると永井はてれもせずに答えた。
 ――おれの女房は箱入りなんでね。
 ――あっさり仰しゃるのね、永井さま、とおしまにらんだ。覚えていらっしゃい。
 私にはその言葉が、ふしぎなほど強く印象に残った。私は汲田を見、おしまを見た。もしここに汲田の馴染がいるとすれば、おしまを措いてほかにはない。そのおしまがそんなにも永井にからむのを、汲田が平気で見ている筈はない、と思ったからである。しかし、汲田広之進が淡々と笑っているのを見ると、私は恥ずかしくなって眼をそらした。役目による習慣はおそろしい、私は無意識のうちに、大目付の眼で友達の心をのぞこうとした。そう気がつくといかにもやりきれなくなり、それをまぎらわすためにずいぶん酒をあおったようだ。
 帰宅した時刻も知らなかった。どのくらい眠ったかもわからない、妻にゆり起こされながら、「永井さまから急のお使いです」と云うのを聞くまで、あまりの眠たさにどなりだそうとしたくらいであった。


 永井家は神戸ごうど小橋の角で、上屋敷にある岡本家からは二丁足らずだった。時刻は五時まえ、曇ってはいたがあたりはまだほの暗く、風はひどく冷たかった。迎えに来たのは藤田伊太夫といい、永井家の家扶で四十六歳になるが、動顛どうてんしているようすで、「どうぞお早く」と云うほかには、ひと言も用件を口にしなかった。
 永井主計は仮面のような顔をしていた。それは岡本五郎太にとって、これまでかつて見たことのない、まるで見知らぬ人の顔のように思えるものであった。
「こんな時刻に済まない」と主計は無感動な声で云った、「こっちへ来てくれ」
 主計は五郎太を寝所へ案内した。そこは妻の寝間らしい、ふすまは彩色の花鳥の絵で、絹張りのまる行燈に灯がともっていた。広さは六帖、夜具を隠すように枕屏風まくらびょうぶが立ててあり、香のかおりがせるほど強く匂っていた。主計は黙って屏風を取りのけ、夜具の上を指さして云った。
「杉江が自殺したのだ」
 五郎太は主計を見、夜具の上を見た。そこには妻女の杉江が、右を下にし、足をこごめたかたちで、横たわっていた。白無垢むくを着、脛のところを水浅黄の扱帯しごきで縛ってある。五郎太は片ひざを突いて死躰をしらべた。短刀が左の乳房の下に柄まで突刺さってい、その柄を両手でしっかりと握っていた。みごとに心臓を貫いているから即死だったろう、血も短刀の周囲と、夜具の一部を少し汚しているだけであった。
「みつけたのは召使のたみだ」と主計が云った、「いつもの時刻が過ぎても起きないので、起こしに来てみつけたのだそうだ」
「どうして」と五郎太がいた、「――理由はなんだ」
「わからない」と主計は答えた。
 五郎太は主計を見あげた。
 理由はまったくわからない、遺書らしい物もない、と主計は云った。五郎太は死躰に眼を戻し、主計は話を続けた。五郎太を迎えにやったあと、主計はすっかりしらべてみた。死ぬ覚悟はまえからきめていたらしい、長持も葛籠つづらも、箪笥たんす、小箪笥などもきちんと整理され、たみに与えると書いた包の中にも、数点の衣類と髪道具があっただけで、手文庫や文箱、鏡筥かがみばこの中から机のまわりまで、おどろくほどきれいに始末してあり、出入り商人の帳面と家計の覚書以外には、一通の手紙さえ残ってはいなかった。
「五日や十日のことではない」と主計は途方にくれたように云った、「これだけ身のまわりを片づけるにはかなりな日数がかかっている筈だ、しかし、そのあいだおれはなに一つ気づかずにいたんだ」
 五郎太は杉江の死顔を見ていた。やや頬骨の張ったまる顔で、眼尻が少しさがり、鼻も低いほうだしあごがしゃくれているから、縹緻よしとはいえないが、子供っぽい陽気そうな感じにみえる。背丈は五尺一寸くらい、肩も細いし手爪先も小さく、ぜんたいがいかにも小づくりであり、主計の「箱入り女房」という言葉がぴったりするように思えた。
「口止めをしたか」
 五郎太はそう云いながら、夜具の、枕の当る位置の下へ手を入れた。そこに書物の端のような物が見えたからで、さぐってみると一冊の本があった。
「口止めはした」と主計が云った、「知っているのはたみと藤田伊太夫の二人だけで、二人には固く口止めをしておいた」
「おれを呼んだのはよかった」と五郎太が云った、「いそいで柳田良庵りょうあんに来てもらおう」
「柳田、――いまさら医者をどうする」
「とにかく使いをやってくれ」と云いながら、五郎太はいま取り出した本の題簽だいせんを読んだ、「古今和歌集、巻の五、秋の歌か」
「おれは一度も叱ったことさえなかった」と主計は云いながら立ちあがった、「どうしてこんなことをしたのか、なにが原因で死ななければならなかったのか、おれにはまるで見当もつかない」
 主計は出ていった。五郎太は歌集をめくってみた。それは胡蝶こちょう装の本で、よく読まれたのであろう、かなり手ずれているし、歌のところどころに、薄墨の細筆で書き入れがあった。彼はそこになにか※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)はさんであるかと思ったが、終りまで一枚ずつ、紙を左右にひろげながらみていったが、ついになにも出て来なかった。
 主計が戻って来て、「柳田へ使いをやった」と云いながら、五郎太の持っている物に眼をとめた。
「古今集だ」と云って五郎太は、それを主計に渡した、「夜具の下にあったのだが、杉江さんのものか」
「さあ、――」主計は本をめくってみた。
「いましらべてみたが、なにもはいってはいないようだ」
「たぶん杉江のだろう」と主計は歌集を閉じながら云った、「娘のころ松崎雅成の塾で和学をまなんでいたそうだし、ここへ来てからも幾たびか歌会などに出ていたようだ」
「そういう本もしらべてみたのか」
「いや、本は一冊もなかった、これを見るのはいまが初めてだ」
「おかしいな」と五郎太が云った、「松崎塾でまなび、それからも歌会に出ていたというのなら、その方面の書物が五冊や十冊はあっていい筈じゃないか」
 主計は記憶をたどるような眼つきをし、やがて首を振った、「いや、書物は見たことがない、さっきからすっかり捜したが、このほかになにもないことはたしかだ」
「いずれにせよ」と暫く考えてから五郎太が云った、「人間ひとりが自殺するということは尋常ではない、なにか原因があるに相違ないだろうが、本当に永井には思い当ることはないのか」
「この家の生活は単純だ、父は隠居所にこもったきりだし、しゅうとめがいるわけでもなく、召使をべつにすれば夫婦二人きりだ」と主計が云った、「死ななければならないような事情があったとは思えないし、もしもそんなことがあればおれにわからないわけがないと思う」
「夫婦二人きり」とつぶやいて、ふと五郎太は眼をあげた、「結婚して何年になる」
「母が亡くなり父の倒れた年だから、――ちょうど三年だ」と云って、これまたどきっとしたように、五郎太を見た、「うん」と主計はうなずいた、「杉江もそのことは気にやんでいた」
 五郎太は黙って主計の顔を見まもった。
「去年の十月、たしか十月だったろう」と主計は続けた、「杉江はきゅう寺へゆきたいと云いだした、灸寺というのは母もいったことがある、法頭山慈命寺というのだが、五百年伝来という名灸でよく知られ、遠国からも治療に来る者が少なくないそうだ」
「講釈には及ばない、知っているよ」
 主計はきっとなった、「講釈だって、――おれが講釈しているというのか」
 五郎太は驚いて主計を見返した。


 主計はまた見知らぬ人のような顔になり、その眼はかつてみせたことのない、激しい怒りをあらわしていた。
「そういうつもりではなかった」と五郎太は会釈した、「気に障ったら勘弁してくれ、それで、――灸寺へいったのか」
 慈命寺の灸は、子のない婦人にも効果があるそうで、杉江はでかけてゆき、一とめぐり七日ずつかよった。十月からずっと、月に七日ずつ、欠かさず点灸にかよい続けた、と主計は云った。そう話しているあいだに、彼の表情はゆるみ、怒りの色もすっかり消えていた。
「今月で約半年だな」と五郎太が訊いた、「それで、効果がなかったのか」
「なかったと思うが、――わからない」
「わからないって」
「灸を続けるあいだは」と云いかけて、主計はまぶしそうな眼つきをした、「寝間をともにしないようにと云われたそうだ」
「半年もか」
「なんでもないさ」と主計が云った、「おれは三十で結婚したくらいだ、必要なら一年だって二年だって平気だよ」
 そのとき伊太夫が来て、柳田良庵が来たと告げた。五郎太は伊太夫を待たせて、「おれが会う」と主計に云った。
「これは病死にしなければならない」と五郎太は云った、「おれが大目付だったことは幸いだし、柳田も大丈夫だ、いいか、あとで詳しい打合せをするが、病死だということをよく覚えていてくれ」
 そして伊太夫に頷き、主計には座を外すようにと云った。
 主計は自分の居間へゆき、召使のたみに茶を命じた。外はすっかり明るくなり、あけてある窓の向うに、斜めからさす朝日をあびて、だいだい色に染まっている女竹のやぶが見えた。
「そうだろうか」と呟きながら、主計は自分の手指を見、うろたえたようにその眼をそむけた。短刀を握ったままの妻の手が、血に染まってい、その血のどす黒く乾いていたことを思いだしたのである。杉江は前のめりに、半身を夜具からのりだして死んでいた。主計はそのからだを横にしてやったのだが、そのとき見た妻の手が、強烈な印象として残った。
「そうだろうか」と彼はまた呟いた、「――いやそうではあるまい、そのために自殺するのなら、一と言ぐらいおれになにか云った筈だ」
 嫁して三年、子がなければ離別する、という俗説がある。もちろん俗説ではあるが、家系を大切にする武家ではかなり重くみられていたことで、そういう場合には離別をしないまでも、側女そばめを置くことは殆んど通例になっていた。けれども、主計は「子が生れない」ということなど考えもしなかったし、杉江をめとってから三年経つということさえ、気づかずにいたくらいであった。
 たみが茶の支度をして来、「食事をどうするか」と訊いた。主計はたみが眼を泣きらしているのに気づいた。
「お客さまにも食事を差上げるのでしょうか」とたみが訊いた。
「ちょっと坐ってくれ」と主計が云った、「おまえ、杉江のことでなにか知っているか、あれが自殺しなければならないようなことで、なにか勘づいた覚えはないか」
「はい、存じません」たみは片手で眼を押えながら答えた、「そういうそぶりは一度もおみせになりませんでしたし、わたくしが気づいたようなこともございません」たみはもう一方の手もあげ、両手で顔をおおって、泣き声をころしながら云った、「わたくし、奥さまに可愛がっていただきました、自分のことはなにもかも、どんなつまらないようなことでも申上げていましたし、奥さまのこともたいていは存じあげているつもりでおりました、でも、こんなことになろうなどとは、ただの一度も考えたことはございません、たぶんわたくしがばかだったのでございましょう、そう思うとわたくし申し訳もなし」
「もういい」と主計がさえぎった。
「わたくし、くやしゅうございます」と云ってたみははげしく泣きだした。
「もういい、泣くな」と主計が云った、「杉江は病気で急死、ということに相談がきまった、自殺したということを人に知られてはならない、これだけは固く守ってくれ、いいか」
「はい」とたみは頷いた。
「食事のことはあとで知らせる、ここはいいからさがっておいで」
 たみが去り、まもなく五郎太と柳田良庵が来た。二人で死躰をきれいにしたそうで、良庵は小さな包を持って、五郎太は短刀を主計に渡しながら、これはあぶらでくもっているから、研ぎにだして怪しまれるといけない、どこかへしまっておくほうがよかろうと云った。良庵は若い町医で、蘭法らんぽうを修業したということだが、「心臓の故障で吐血し、そのまま急死ということにする」と云った。包の中には死躰を拭いたさらし木綿がある、それで吐血を始末したといえばよかろう。よければ親族の集まるまで自分は残っている、と云った。
 杉江の病死は疑われることなく、二日めに葬儀がおこなわれた。実家からは吉原市郎兵衛夫妻と、弟の市三郎、妹の松江が来、また、志田へ嫁している姉の直江も、良人おっとと二人で来、自分は手伝いのためあとに残った。弔問の客は多く、藩主からも近習きんじゅ番の者が、非公式でくやみの意を伝えに来た。父の六左衛門は病気ちゅうのことで、もちろん客の前へは出なかったし、心配したほど驚きも悲しみもみせなかった。
「おまえもおれも女房運が悪いな」と六左衛門は沈んだ声で云った、「どこの夫婦もたいていは女房があとに残るようだが、おれのような年になってあとへ残ると迷惑なものだ、おまえもこんどは丈夫な嫁を貰うんだな」
 それっきり、杉江についてはなにも云わなかった。
 参覲の供は遠慮を願い出たが、「その必要はない」ということで、予定どおり十五日に、主計は供に加わって江戸へ立った。出立する日の早朝、岡本五郎太が訪ねて来て、「こんどのことを一日も早く忘れろ」と云った。どんな理由があったにせよ、死んだ者はもうかえらない、取返せないことで思い悩むのはみれんだ。幸い、江戸へゆくことだし、土地が変るのを機会にいやなことを忘れるようにしてくれ、と繰り返して云った。
「うん」と主計はなにをみつめるともない眼つきで、じっと脇のほうを凝視しながら答えた、「――そうするようにしよう」

四 岡本五郎太の手記


 七月二十一日、永井主計のことで江戸屋敷からまた三通の手紙が来た。差出人は左の三人である。
間崎重太夫(寄合役肝入、四十二歳、五百七十石)
河森行之助(小姓組頭、三十三歳、八十石余)
丹野真(留守役、三十二歳、四百三十石余)

 河森と丹野はこちらの育ちで、永井はもとより、私たちとも古くから知っていた。永井が江戸へゆくとすぐ、私は手紙で彼のことを二人に頼んだ。それに対して、今月までに河森からは七回、丹野から五回かなり詳しくようすを知らせて来ていた。間崎重太夫どのは永井を預かっている人で、手紙をよこしたのはこんどが初めてであるが、これらはみな好ましくない便りばかりで、しかも、しだいに事情の悪くなることを示していた。
 三月の事があったあの朝、私は主計の態度や顔つきが変っていることに気づいた。顔つきも話す調子も、二十年以来よく知っているそれとは違って、まったく見知らぬ人のような、冷たくよそよそしい感じであった。
 ――こんな出来事のあとだ、人が変ったようにみえるのも当然だろう。
 私はそう思ったものであるが、江戸から来る手紙はみな、あのときの主計のようすを再現し、それがしだいに悪化してゆくさまを伝えていた。河森は主計が「怒りっぽく」なり、すぐに人と「喧嘩けんかをする」と書いていた。丹野はこれと逆に、主計がひどく「疑い深く」そして「陰気になった」という。
 ――気をひきたててやろうと思い、茶屋遊びなどにもれだしたが、酔えば酔うほど気むずかしくなり、ますます陰気に黙りこんでしまう、そうして口癖のように、世の中のことはなに一つ信じられない、友情などといってもうわっつらだけのものだ、というような、投げやりなことをよく云うようになった。
 そんなことも書いて来た。読む私には、およそ主計の気持が推察できる。みれんだ、とは云ってやったものの、あんなふうにして妻に死なれたことが、そうたやすく忘れられるものではあるまい。自殺の理由でもわかれば、そこからぬけだすみちもあろうが、理由もわからず思い当ることもなく、黙って死んでしまわれたのだから救われようがないだろう。だが、永井主計もそう若くはない、と私は嘆息しながら思った。年も三十二歳、まもなく家禄も恢復かいふくされ、中老職に仰せつけられる筈だ。もう暫くすれば立ち直るに相違ない、私は近ごろまでこう考えていた。
 けれども、事はそう簡単にははこばず、かえって妙にこじれだすようであった。というのは、河森と丹野から来る手紙の内容が、永井のことを伝えると同時に、かれら二人がだんだん不和になってゆく、という状態をも示し始めたことだ。丹野は四百余石の留守役、河森は八十石あまりの小姓組頭で、身分にはかなりひらきがある。少年時代からの親しい友人ではあっても、年が経って互いに家庭を持つと、それだけでも、昔のままのつきあいが続くという例は多くはない。まして身分や役目に差があれば、その関係もいっそうむずかしくなるだろう。
 ――永井はそれをはっきりさせたのだ。
 永井主計が二人のあいだにはいったことは、二人を昔の友情でむすびつけるよりも、逆に現在の隔りをはっきりさせたのだ、私はそう考えたのである。
 河森は丹野を非難して、「彼は永井を堕落させる」と書いて来た。しきりに茶屋遊びへさそい、酒や女におぼれさせた。国許くにもととは違って江戸は広いから、家中の眼を気にする必要はない。金さえあれば遊ぶのにことは欠かないし、遊ばせかたもうまい。おまけに留守役は料理茶屋などにも顔がきくので、田舎育ちの永井をひきまわし、遊びを仕込むのはたやすいことだ。おれは永井に三度ばかり意見したが、彼は耳にもかけないし、三度めには喧嘩になってしまった。……永井は妻女に死なれたばかりだ、と岡本は初めに云って来た。だからおれは彼のためにできるだけのことをするつもりだったが、丹野が付いている限り、そして彼が丹野とはなれない限り、おれには彼をどうすることもできない、どうかこのことをよく覚えていてもらいたい。
 丹野真はこれに対して、「河森はおせっかいをしすぎる」と云って来た。いま永井に必要なのは気持の転換と、将来への希望と勇気をよび起こすことだ。おれが茶屋遊びに伴れだしたことはまえにも書いたが、十九やはたちではあるまいし、三十二にもなっている男、それも永井主計ほどの男が、茶屋遊びくらいで堕落する筈はないだろう。現に、永井にうちこんでいる芸妓が二人いる。柳橋ではどちらも評判の売れっで、屋敷まで文をよこすほどのぼせあがっているが、永井はまるで見向きもしない。酒も強くなったが、酔っても陰気になるばかりで、浮かれて騒ぐなどという例はいちどもないし、独りで遊びに行くことなどもない。……それを河森はうるさく責める、永井を蕩児とうじにする気か、と云っておれを責め、丹野とつきあうな、というふうに永井を責めるらしい。永井は黙っているが、おれはほかの者からそれを聞いて、困ったやつだと思っている。永井の傷心のことは岡本の手紙で知っていたが、日が経っても少しも軽くなるようすがない。妻に死なれたことが、こんなにも深いいたでを残すものだろうか。河森はそれを理解しようともせず、ただよけいな世話をやくばかりだから、却って永井をうるさがらせ、気持をめいらせるだけのようである。……老職のあいだに、永井の中老任命の案が出ているが、永井がいまのような状態だと、ちょっとむずかしくなるのではないかと思う。それにつけても、河森のおせっかいは困ったものだ。
 そして間崎重太夫は、丹野の手紙を反証するように、「永井には中老就任の気がないようだ」と書いて来た。日常のようすも好ましくない。江戸へ来たのは、やがて中老に任ぜられるため、老臣たちに前披露をする意味を含んでいる。にもかかわらず、永井はいちど挨拶まわりをしただけで、その後はどこへも寄りつかない。人づきあいも悪く、激しい口論もたびたびやったようだ。こんなことでは国許へ帰すほうがよい、という意見もある。そこもとから汲田へ話したうえ、そちらの意向を聞かせてもらいたい。
 この間崎重太夫の手紙を持って、私は汲田へ相談にゆくつもりである。三月以来、亡き杉江どのについて、私はできる限りのことをしらべた。それを永井に書き送ろうと思っていたところだが、汲田と相談してからのことにするつもりである。


「お酔いになったのね」と云って、おんなが顔の触れあうほど覗きこんだ、「苦しいんですか」
「暑い」と主計は眉をしかめた、「暑くってしようがない、もっとはなれてくれ」
「膝枕をしていらっしゃるのよ」
「いいからはなれてくれ」
「おちよさん、枕をちょうだい」とその妓が女中に云った、「ああいいわ、これでいいでしょ、なあさま」
 妓は脇息きょうそくを横にし、ふところ紙を当てて、主計に枕をさせた。その妓は若くて、名は小光というのだ。主計は眼をあげてお袖という年増を見、どうしたんだと云った。お袖は持っていたさかずきを、そっとぜんの上に置いた。
「その人にひかされて、ちょうど八年いっしょにくらしました」とお袖は話を続けた、「ところは云えませんが、しょうばいは木綿問屋で、奉公人も六人くらい使ってたでしょう、かなり繁昌するお店でしたわ」
「そうじゃない」と主計がもの憂げに遮った、「男ができてどうとかという話だ」
「男ですって」
「男ができて、それといっしょになるために苦労したんじゃないのか」
「なんの話かしら」お袖は小光を見た。
よねさんのことよ」と小光が云った、「このまえ話しかけてよしたでしょ、きっとあのときのことよ」
「そんなこと話したかしら」
「とっときのおのろけじゃないの」
「酔ってたのね」お袖は盃を取りあげ、小光が酌をした。お袖はそれを飲んで、うっとりしたような眼つきで窓の外を見た、「――米さん、……なつかしいわね」
「思いいれよろしく、えへん」と小光が云った。
 お袖は聞きながして、きまじめに話しだした。主計はまえに途中まで聞き、なにやら身につまされたのを覚えている。お袖は木綿問屋の主人にひかされてから、まもなく、小さいじぶんに知っていた男と出会った。そうだ、相手は幼な馴染だった。いっしょになるために苦労したのではない。二度と逢うまいとして苦しいおもいをしたんだ、と主計は聞きながら思いだしていた。
 ――死なれたあとで、おれは初めて杉江が恋しくなった、憎い、じつに憎いやつだと思いながら、どうしようもないほどあいつが恋しいと、主計は思った。この気持が、お袖の悲しい話に似ていたんだ。
 お袖はほかにも幾つか話をした。木綿問屋と八年、夫婦としてくらしたが、主人が泊りがけで旅に出た留守、若い手代とあやまちをおかした。ひどくあけすけな話なのだ。主人の留守をいいことにして、店の者たちが酒肴しゅこうを並べ、夜の十時ごろまで騒いでいた。女だと思ってばかにしている、お袖は怒って階下へおりていった。そのとき廊下で、その手代とすれちがい、若い手代の躯から発散する、強い躰臭に触れたのだ。彼は手洗いにゆくところで、お袖は廊下に立って待っていた。彼の躰臭は単に匂ったばかりでなく、お袖の全身に触れ、肌にしみとおった。お袖は膝ががくがくするほどふるえ、それは自分が怒っているためだと思った。彼が戻って来、お袖は彼を二階へ呼びあげた。もちろん叱るつもりだったが、二階へあがり、向きあって坐るとものが云えなくなり、躯のふるえがもっとひどくなった。それからあとのことはわからない、お袖は「気が狂うかと思った」と云った。「耳も聞えなくなり眼も見えなくなった」自分の意志とはまったく無関係に、手や足や口が勝手な動作をした。あとで見ると、若い手代のくびや肩に歯形が残り、背中には幾筋もみみず腫れができて、血をにじませていた。ひかされたのが十七だから、むろん男を知らなかったわけではないし、木綿問屋の主人とは八年もいっしょだったけれども、そういう感じを味わったのはそのときが初めてであった。お袖は主人を憎悪した。「八年もひとをだましていた」と思い、きっぱりと別れて、またこの柳橋から芸妓に出たというのだ。気が狂いそうになるあの感じを味わうまえとあとでは、女はまったくべつな人間になるらしい、とお袖は云った。
 それが米吉の場合は違うのだ。
「逢ったのは三度だけなんです」とお袖は続けていた、「あたしは十九、米さんは二十二で、ちょうどお嫁さんを貰おうとしているときでした、幼な馴染といっても、子供どうしのことだからなんの気持もなかったんですよ、それが、五年か六年ぶりかで出会ったら、急に両方とも火がついたようになってしまったんです。向うはお嫁さんがきまっているし、こっちには主人がある、辛うござんしたわ」
「正直いって」と小光が力をいれた声で訊いた、「いちども寝なかったの、ねえさん」
「寝るどころか、手を握りさえしなかったわ」とお袖が云った、「こっちはお嫁さんになる人に済まない、主人にも済まないと思うし、米さんは米さんであたしの主人に済まない、自分のお嫁になる人にも済まない、両方がそんなふうだから、逢っても苦しい辛いおもいをするばかりでしたわ」
「わからないわ、あたしなんかには」と小光がお袖に酌をしながら云った、「べつにそう変ったことでもないのに、なにがそんなに苦しかったり辛かったりしたのかしら」
「それは本気だったからよ」
「本気だと辛くなるの」
「本気で恋をすると、まわりの人たちのことも本気に考えるからでしょ、あんたもそういうときになればきっとわかるわ」
 それだな、と主計は思っていた。杉江が生きているうちは、かくべつ杉江に気をつかったことはなかった。三年のあいだにはいろいろなことがあったろう、気分のいい日、悪い日。ねだりたいこと、訴えたいこと、ときにはあまえたいこともあったろうが、おれはそういうことに無関心だった。あれがなにを考えているかということにさえ、いちども気をつかった覚えがない。本気ではなかったんだ。妻を娶り、妻がそこにいる、というだけで安心し、それ以上に気持がすすまなかった。人間と人間とのしんからのつながりを持とうとしなかったんだ。「あの手代とまちがいを起こしたときも、なんのこともなかった」お袖はなお続けて云った、「いまだって旦那があるのに、浮気をしたいときには平気でします、それでこれっぽっちも辛いとか苦しいなんて思ったことはありゃしません、というのが、旦那とも浮気をする相手とも、本気じゃあないからだと思います」
くどいぞ」と云って主計は起き直った、「本気な話はもうわかった、酒をくれ」
「ああびっくりした」とお袖が云った、「なにかお気に障ったんですか」


「そうじゃない、いい話だ」主計は小光に酌をさせながら云った、「いい話なんだから、諄くないほうがいいんだ」
 涙が出て来そうだな、と主計は思った。どうして涙が出そうなのか、お袖の話がそれほど感動させたのか、杉江に冷たかったことを悔むためか。そうじゃない、お袖の話なんぞありふれたものだ。杉江に対しても、悔むほど冷たかったとは思えない。そんなことじゃないさ、おれは途方にくれているんだ。杉江が恋しくって、憎くって、おれ自身が自分のようではなくなっちまって、ありとあらゆるものが疑わしく、なにがしんじつなのかわからなくなって、ただもう途方にくれているだけなんだ。よかった、涙は出なかった。主計は小光へ眼を向けた。この女はおれと寝たがっている、小奴こやっこもそうだ。小奴のほうがこれより縹緻はいい、だが小光だって悪くはないさ。どうして寝ないんだ。
「あたしやさしい男なんて嫌いよ」と小光が云っていた、「へんに親切でやさしい人なんてむしずがはしるわ、あたしは黙って屹としている人が好き、気にいらないことがあっても小言なんか云うより、黙ってぴしゃっとぶつような人でなければいやだわ」
「おんなじことなのよ」と女中のおちよが云った、「親切でも薄情でも、こっちがしんかられてしまえば、そんな差別はなくなるんじゃないの」
「そうらしいわ」とお袖が云った、「男と女が惚れあう、ということは同じなのに、一つとして同じような惚れかたがない、みんなそれぞれに違っているんだから妙なものだわ」
 主計は盃をみつめていて、それからふと顔をあげた、「そうだ、そんな歌があったぞ」
「ああ驚いた」お袖が持っている盃を片手でかばいながら云った、「ときどきになるとびっくりさせるのね、ひどい方」
 たしかにそんな歌があった、と主計は思った。なにかで読んだことがある、秋の露は一と色であるのに、草や木の葉をちぢの色に染める、というような意味であった。どこかで読むか聞くかしたのだ。どんな歌ですか、と小光が訊いた。ちょっとうたって聞かせて下さいな、あたし知っているかも知れない。ねえ、ちょっと聞かせて、と小光が云った。
「聞かせてもいいが」と主計が云った、「おれと寝るか」
「ほんと」と小光が云った、「嘘でしょ」
「嘘だ」と主計が云った。
「きまってるわ、憎らしい」小光は主計の腕にしがみついた、「罪よ、なあさん」
 主計はまた横になった。
 神田橋御門の内にある屋敷へ帰ったのは、まだ十時まえであった。表門は刻限で閉るが、ぬけ遊びには門番にくすりがきかせてあって(おそらくたいていの屋敷が同じことだろう)十二時ぎりぎりまでは門を通ることができる。しかし寄宿している間崎家はそうはいかないので、おそくなると丹野で泊ることにしていた。その夜も例のとおり、庭へまわって、丹野の居間の外に当る廊下の雨戸を叩いた。すぐに返辞が聞え、丹野真が雨戸をあけた。
「ひさ松か」と丹野が訊いた。
「泊めてもらうぞ」と主計が云った。
 丹野は雨戸を閉めた、「碁で夜明しという口実は、もう間崎さんにみぬかれているぞ」
「みぬけなければめくらだ」
「憎まれ口はうまいな」
 丹野はしらべものをしていたらしい。居間のまん中に机を出し、その左右に帳簿や書類がちらばっていた。主計は窓際へゆき、刀を脇へ置くと、そこへ肱枕ひじまくらで横になった。まるできちんと坐り直すようなぎごちない動作で横になり、それから云った。
「おれは国許へ帰る」
 丹野は机に向って坐り、すずりの脇にあった手紙を取って、主計のほうへ押しやった。
「岡本から手紙だ」
「国許へ帰すという話があったんだろう」と主計は云った、「帰れるように手順をつけてくれ」
「岡本の手紙を読んでみろ」
「あいつは世話をやきすぎる」
「おまえはいやな人間になった」
「気にするな」と主計が云った、「丹野だってほれぼれするほどの人間じゃあないぜ」
 丹野は立って出てゆき、すぐに戻って来ると、机に向って筆を取りあげた。肱枕をしている主計の眼から、涙がこぼれ落ち、彼は窓のほうへ寝返った。
「起きていないか」丹野が筆を動かしながら云った、「もうすぐ寝所の支度ができるだろう、そこで眠ると風邪をひくぞ」
 主計は黙っていた。
「酔いがさめてから云うが」と丹野は筆を止めて云った、「近いうち家禄が直されたうえ、中老に仰せつけられる筈だ、今日おれは間崎さんに呼ばれて聞いたんだが、行状を改めるようにと、おれまでが厳重にだめを押された、――聞いているのか」
 主計がちょっとをおいて云った、「おれは国許へ帰る、中老だなんて、いまのこんなおれに勤まるもんじゃない、それはお断わりだ」
「そんな我儘わがままがとおると思うか」
「丹野が気にすることはないさ」
 丹野はまた筆を動かし始めた。
 ざまはないな、と主計は思った。人間の心なんて、こんなにももろいもんなんだな。親子、夫婦、きょうだい、友達。こういう関係をおれは信じていた。それを信ずることなしに、人間の生活はないと思う。云ってやるが、おれは杉江を信じていた。だからこそなにか疑ったり、特に気をつかったりはしなかった。そうじゃあないか。いっしょにくらしていながら、絶えずお互いに気持をさぐりあうようなことで、夫婦ということができるか。ふん、そうのぼせあがるな、まあおちつけよ永井主計うじ。お袖が云ったろう、女というものはあの気の狂いそうな感じを味わうまえとあとでは、まったく違う人間になるらしいって。そうなのか、女はみんなそういうものか。おれにはわからない。杉江がどんなだったかも気がつかなかった。お袖はそのために。ちょっと待ってくれ、お袖は八年間もそのことを知らずに、夫婦ぐらしをしていたんだろう。それを知ったから木綿問屋をとびだして、また芸妓になったのだろう。いや、と主計は心の中で首を振った。女がみんなお袖のようだとは限るまい、杉江がそうだったと考えるのは侮辱だ。おれたちは結婚してから三年しか経っていなかったし、お袖がそれを知ったような機会は杉江にはなかった。本当になかったか。なかったと云いきることができるか。杉江がなにを考えていたかさえ知らなかったのに。ああ、と主計はうめき声をもらした。
 丹野の妻女がそっと茶をはこんで来、寝所の支度のできたことを良人に告げて、足音を忍ばせるように去った。
「起きて茶をのまないか」と丹野が呼びかけた、「寝所の支度ができているぞ」


 九月になるとすぐ、永井主計は国許へ帰った。病父の容態が悪い、という理由で許しを得たもので、老臣のほうでも、それが口実だということはわかっていたらしいが、帰国願いは簡単に許された。
 江戸を立つまえ、主計は側用人の戸田蔵人くらんどに呼ばれ、いろいろ眼にあまる行跡が多いにもかかわらず、寛大に扱われているのは殿の御意によるものだ、それを忘れては相済まぬぞ、と云われた。播磨守はりまのかみ正成はまだ二十四歳で、家督をしてから五年にしかならない。近代まれにみる英明な質だといわれているが、永井は十年まえ、罪に問われて以来ずっと無役なので、式日のときに伺候するだけだから、主計はまだ二度しかめどおりをしたことがない。いくら英明であるにしても、殆んど顔も知らない自分を、どうして特に寛大に扱うのか、主計には側用人の言葉が信じられなかった。
「そこもとの妻女が急死されたとき、殿から弔慰の使者が遣わされた筈だ」と戸田は云った、「公式ではなかったようだが、現職の重臣でない場合には異例なことだ、そのときなにも気がつかなかったのか」
 主計には答えようがなかった。たしかに、杉江の葬儀のときに、藩主の使者として非公式に近習番の者が来た。しかし主計は、それを特別のものとは思わなかった。永井は由緒ある家柄で、それだけの格式があるからだという程度に受取ったのであった。
「殿は御家督のまえから、課役騒動の件をしらべておられた」と戸田は云った、「あれはむずかしい出来事で、永井どの一人が責任を問われ、そのために家禄削減、役目解任のうえ差控えということになった」
 それは先代の藩主、河内守正発のときのことで、太田郷に七百町歩の新田をひらくことと、領内を通る本街道と橋の改修工事とが、同時におこなわれることになった。その宰領を命ぜられたのが永井六左衛門であったが、課役に百姓を雇い、郷倉ごうぐらをひらいて米でその賃銀に代えた。そのころは数年不作が続いており、銭で支払っても、米価高のため食費にすらならなかった。六左衛門が米で払ったのはそのためらしいが、郷倉は饑饉ききんに備える非常用の貯蔵米であり、どこの藩でも同じらしいが、これをひらくのは重臣の協議と、藩主の許可がなければならない。それを独断でやった点と、不幸なことにはその翌年も不作で、郷倉の米を施与しなければならない状態になった。しかしその貯蔵米は三分の一しか残っておらず、藩では幕府から金を借りて米を買い、これに当てるという結果になった。六左衛門はその責を問われたのであるが、当代の播磨守がしらべたところによると、そのときもし米で払わなかったら、百姓たちは一揆いっきも起こしかねない事情にあった、ということがわかった。
「課役というものは領民の御奉公で、只働きが原則となっている」と戸田は続けて云った、「元文三年のときは、特にいそぐ普請であったため賃銭を払った、ということは、不作続きで、百姓どもが困窮していたからで、六左衛門どのが銭でなく米で与えたことは、もっとも実情に即する判断であった、――殿はその事実を自分でつきとめられ、早く永井家を旧に復するようにと、仰せだされたのだ」
 このほかに申すことはない、殿のおぼしめしがわかったら、これからはよくよく思案して、中老職として恥ずかしからぬよう行状を改めてもらいたい、と戸田蔵人は云った。
 主計はその話を聞いても、かくべつ感動はしなかった。そういう場合に立ったら、誰でもそのくらいのことはするだろう。直接、領民の生活に触れる者なら、現実になにが必要であるか、ということがわからない筈はないし、わかれば実情にのっとった方法をとるだろう。それが政治にあずかる者の最小限の責任ではないか、と思っただけであった。……だが、国許へ帰る旅中、彼は若い藩主の気持に対して、少しずつ考えが変っていった。父は自分が責任を負って、よしと信ずる手段をとった。家禄削減も役目の罷免も、むろん承知のうえのことだったろう。しかし、十年の余も経ってから、若い播磨守がみずからそれをしらべ、改めて父の功を挙げる、ということはそうざらにあるものではない。
 ――そうだ、と主計は自分に云った。父のやったことよりも、このことのほうが困難であり尊いことかもしれない。
 自分よりはるかに若い藩主に、それだけの情熱があったということは、主計の心を深く揺り動かさずにはおかなかった。そうだ、もうこのへんで立ち直らなければなるまい、と彼は思った。
 それにもかかわらず、国許へ帰り、自分の家におちつくと、主計はまた妻の死にひき戻された。そうして、妻の自殺した理由をつきとめない限り、本当に立ち直ることはできない、ということを認めた。ばかげたことかもしれない、けれども自分にとってはそれが必要なのだ。自分を縛っているこの妄執もうしゅうを断ち切らなければ、この状態からぬけだすことはできない。これが足掛りだ、と彼は心をきめた。帰国の挨拶にまわったあと、主計は半月あまり客を断わって家にこもった。このあいだに、隠居所で三度ばかり父と話をした。六左衛門は病気になって以来、不自由な姿を見られるのがいやなのだろう、主計ともあまり会いたがらず、主計もできる限りそっとしておいたのであるが、播磨守の意志だけは伝えたいと思い、三度めにようやくそのことを語った。六左衛門は「なんだ」というような顔つきで聞いていたが、彼が話し終るとすぐに、まるでつかぬことを云った。
「慈命寺の灸をやってみようと思うのだがどうだろう」
 主計は「はあ」といって父の顔を見た。
「この病気にも効があるというのだが」と六左衛門は云った、「法頭山には滞在する宿坊もあるということだし、暫く保養して来たいと思うのだが」
「結構でございますね」と主計は答えた、「山にいらっしゃるだけでも御気分が晴れるかもしれません、よろしければ手配を致します」
 そうしてもらおう、六左衛門が云った。
 主計は灸寺へ使いをやり、宿坊があいていることを慥かめて、父の滞在に必要な物をまとめた。そして、身のまわりの世話をするためには、女手のほうがよいと思って、たみを呼び戻した。主計が江戸へ立ったあと、たみは暇を取って親元へ帰り、まもなく嫁にゆくことになっていたが、今年いっぱいならお役に立とうということで、すぐに戻って来た。
 明日父を送りだすというまえの夜、七時ちょっと過ぎたころに、岡本五郎太が訪ねて来た。いちど断わったが、ぜひというので、やむなく会うと、五郎太はいきなり「めめしいやつだ」と云った。


 五郎太の眼は、怒りともあわれみともとれる光りを帯び、袴の上の両手は固くこぶしを握って、いまにもなぐりかかりそうにふるえていた。
「そこまで自分を卑しくして、恥ずかしくはないのか」
 主計にはわけがわからなかった。
「どういうことだ」と主計は反問した。
「灸寺だ」と五郎太が云った。
「灸寺がどうしたんだ」
たみを呼び戻し、灸寺へゆくと聞いた、これは誤伝か」
「いや、そのとおりだ」
「おれの手紙では満足できないのか」
「灸寺へゆくのは父だ」と主計が云った、「暫く慈命寺に滞在して、灸の療治をしてみたいと云うから、たみを付けてやることにしたんだ、おれも送ってはゆくが、すぐに帰るつもりだ、――いや待ってくれ、手紙というのはなんだ」
 五郎太の表情が変った。明らかに、彼はなにか思い違いをし、云ってはならないことを云った、ということに気づいたようであった。主計はそれをしかと認めた。
「丹野に宛ててよこしたあれか」と主計は云った、「あの手紙に灸寺のことが書いてあったのか」
「読まなかったのか」
「説教ではなかったんだな」と主計は声を低くした、「どういうことだ」
「忘れてくれ」と五郎太が云った、「――いや、それはだめだろう、口をすべらせたおれが悪い、忘れてくれだけでは済まぬだろう」
「手紙に書いたのはなんだ」
 五郎太は唇をみしめた。唇が白くなり、両手ではかまをわしづかみにした。
 杉江どのの自殺は、自殺とすべきであった、五郎太は話しだした。病気による急死、などと偽ったのは誤りであり、そのために却って事を紛糾させてしまった。たとえ中老任命が延びたにもせよ、事実を事実のまま明らかにすれば、主計をこんな状態にすることはまぬかれたであろう、この責任は自分が負わなければならぬと思った。――それで、自分は杉江どのの自殺した原因をしらべにかかった。丹野に宛てて送った最後の手紙には、その結果が書いてあったのだ、と五郎太は云った。主計は黙って聞いてい、五郎太は手紙に書いたことを語った。
 五郎太が初めに得た手掛りは、柳田良庵の話であった。良庵は同じ町医の川延玄斎かわのべげんさいから、杉江が妊娠していたということを聞いた。妊娠三カ月だったと聞き、そういえば死躰の始末をするとき、乳首が黒ずんでいたことを思いだした、と五郎太に語った。主計は妻が不妊を苦にしていたと云い、子が授かるようにと、灸寺へかよっていたこと、そのため半年ちかくも寝間をともにしていない。と云ったことを思い合せ、原因はそこにあると見当をつけた。
「おれは灸寺へいってしらべた」五郎太は殆んど冷酷な口ぶりで云った、「寺には療治に来た者の名を、その日ごとにしるした帳簿がある。おれはそれを繰ってみたが、杉江どのの名は十月十七日から三日だけで、その後は一度も記してはなかった」
 主計の顔が能面のように硬くなった。おどろきでも怒りでもなく、全身の力がぬけ、放心したような眼つきで、ぼんやりと天床を見あげた。五郎太は外科医が腫物はれものを切りひらくように、ずばずばと事実を告げ、終りに、ふところから一冊の歌集を出してそこへ置いた。
「男の名は巻末にある」と五郎太は云った、「枕の下に置いて死んだ歌集だ、ここになにかあるだろうと思って、永井の留守に借りてゆき、端から端まで、たんねんに繰り返してみた」
 主計は無感動な眼で、そこにある歌集を眺めていた。それは古今和歌集巻之五であった。
「歌の中にはこれと思い当るものがなかったので、そのまま戸納とだなの中へ入れておいた」と五郎太は続けた、「それが、――梅雨のあけたあとでふと取り出してみると、湿気のために表装がげていて、裏表紙の見返しの下に、男の名が書いてあるのをみつけた」
 ああそうだ、と主計は心の中で思った。あの歌はこの歌集の中にあったのだ、秋の野におく露は一と色であるのに、木の葉や草をちぢの色に染める、という意味のものであった。小光が「うたってくれ」とせがんだな、と主計は思った。
「手紙には書かなかったが、男の名はそこにある」と五郎太は続けていった、「その男と杉江どのとは、松崎塾からの知りあいで、歌集は男から杉江どのに贈ったものだ」
 これがありのままの事実だ、と五郎太は云い、そこでひらき直るように、じっと主計の眼をみつめた。
「これがおれのしらべた全部だ」と五郎太は云った、「男の名を読むか、読まずに捨てるかは永井の自由だ、どう始末するかも、永井の思案に任せる、ただ一つ云っておくが、――おれがこれだけのことを隠さずに話したのは、永井がどういう人間であるかを、信じているためだ、これからどんな処置をとるかわからないが、おれが永井を信じている、ということだけは忘れないでくれ」
 そして五郎太は帰っていった。
 岡本を送りだしたあと、元の座敷へ戻った主計は、歌集を前にしたまま、ながいこと独りで坐っていた。それから、ためらうような、ひどく鈍い動作で歌集を取りあげ、裏表紙の見返しをあけてみた。のりの剥げた見返しの下に、細筆で「細野源三郎」と書いてあった。女文字のような、いかにも小心な手跡で、「源」の一字だけ墨が滲んでいた。
「細野源三郎」と主計は呟いた、「――与左衛門の息子ではないか」
 杉江の生家、吉原氏の隣りに、細野与左衛門の家がある。五十石ばかりの徒士頭で、源三郎という二男がおり、学才があるため、松崎塾で教授の助手をしている、という話を聞いたことがあった。しかし去年の夏ごろだったか、長男の与兵衛が病死をし、源三郎が跡目を継ぐことになったので、塾からは去ったということも聞いた覚えがあった。
「そうか」と主計は呟いた、「そういうことだったのか」
 とつぜん心臓のあたりが燃えるように熱くなり、怒りのために躯がふるえだした。
 ――おれは永井を信じているぞ。
 耳の奥で岡本の声が聞えた。なにを、と主計は思った。それから翌日、父を送りだしてしまうまで、彼は頭の中で幾十たびとなく細野源三郎と決闘をし、源三郎を斬った。灸寺まで自分で父を送るつもりだったが、家扶の伊太夫を代りにやり、自分は居間にこもって、自分の心とたたかった。
 れがたに伊太夫が帰って来、父が無事に法頭山へ着いたことや、宿坊も勝手のよいことなどを報告した。主計は殆んど聞いていず、うんうんと頷きながら、自分をとらえている怒りが、どう制しようもない、とうてい制しきれるものではない、と思っていた。――夜になってから、主計は机に向って、細野源三郎へ決闘状を書いた。書いては破り、書いては破りしていたが、十時を打つ鐘を聞いたとき、筆を持つ手が動かなくなり、彼は机に両肱を突いて眼をつむった。
 ――本気だから苦しかったのよ。
 なんの関連もなく、お袖の云った言葉が思いだされたのである。
 ――手代とあやまちをおかしたときも、いま旦那をもっていながら浮気をしても、なにも心にとがめることはない、でも米吉のときはそうではなかった。手を触れさえもしなかったのに、苦しくって辛くって堪らなかった。それは本気だったからだ、とお袖は云った。
 つむった眼の裏に、杉江の姿がうかび、杉江と向きあって坐った、細野源三郎の姿が見えるように思った。源三郎とは口をきいたこともないが、姿だけは見かけたことがある。顔かたちも、躯つきも記憶していないが、杉江と二人、ひと眼を忍んで、ひっそりと逢っている姿は、想像することができた。
 ――苦しかったわ、本当に辛かったわ。
 お袖の言葉が、杉江と細野の二人を代弁するかのように思いだされた。杉江は自分の命でその代価を払った。妊娠三カ月、良人は江戸へ去る、去るまえに代価を払わなければならない。そして同時に、秘密も葬ってしまうのだ。そうだ、と主計は思った。杉江はそうして自殺を選んだのだ。
「杉江、そうだったんだな」と主計は呟いた、「そうするほかに、おまえにはとるべき手段がなかったんだな」
 主計のつむった眼から涙があふれ出、頬を伝って机の上へ落ちた。彼はふところ紙を出して涙を拭き、書きかけていた決闘状をひき裂いた。
 明くる朝早く、主計は細野家に源三郎を訪ねた。源三郎は二十五六にみえた。躯の小柄な、しかしいかにも賢そうな顔だちで、眼が際立ってすずしく澄んでいた。
「私は近いうちに中老を拝命する筈だ」と主計は云った、「そのときそこもとにすけ役を頼みたいが、承知してくれるか」
 源三郎は目礼しただけであった。主計は持って来た風呂敷包を解き、歌集を出して、源三郎の前へ置いた。
「杉江の遺志だ」と主計が云った、「承知してくれるだろう」
 源三郎の顔から、まるでぬぐい取るように血の色が消えた。これでいい、と主計は思った。これまでのことはこれで終った、大切なのはこれから始まることだ。源三郎がそこへ両手を突くのを見ながら、主計は静かに立ちあがった。





底本:「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」新潮社
   1982(昭和57)年10月25日発行
初出:「文藝春秋」文藝春秋新社
   1958(昭和33)年11月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2021年8月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード