薯粥

山本周五郎





 承応二年五月はじめの或る日、三河のくに岡崎藩の老職をつとめる鈴木惣兵衛の屋敷へ、ひとりの浪人者が訪れて来て面会を求めた。用件をかせると、町道場をひらきたいに就いて願いの筋があるということだった。……そのとき矢作橋やはぎばしの改修工事がはじまったばかりで、惣兵衛は煩忙なからだであったが、町道場ということはかねて藩主水野忠善ただよしからもはなしが出たことがあるので、ともかくも会おうと客間へとおさせた。客は十時隼人とときはやととなのった、三十二三とみえる、あまり背丈は高くないが、たくましい骨組で、太い眉と一文字にひき結んだ大きな唇とが精悍せいかんな気質を思わせた。「わたくしは、五十日ほどまえに御城下へまいりました、唯今は両町の伊五兵衛と申す者の長屋に住んでおります、家族は七重ななえと申す妻とふたり残念ながらいまだ子にめぐまれておりません、もっとも右はすでに御奉行役所へ届け出たとおりでございます」かれは落ちついた調子でそう述べた。生国せいこく甲斐かい。郷士の子でまだ主取りをしたことはない。流名は一刀流であるが、就いてまなんだ師の名は仔細しさいがあっていえないという。それだけのことを聞くあいだに、惣兵衛はちょっと云いようのない好感が胸へきあがってくるのを覚えた。かくべつどこにきつけられたというのでもないその男を見ているだけで、なにやらゆたかにおおらかな気持が感じられたのである。
「当藩には、いま梶井図書介かじいずしょのすけという新蔭流の師範がいて、家中かちゅうの教授をしておる、けれどもこれだけでは、家中ぜんぶに充分の稽古はつけられないし、もしも適当な師範がいて別に教授をすれば、かえって互いに修業のはげみともなるので、実はしかるべき兵法家を求めたいと思っていたところだった、尤もすぐ師範としてお取立てになるとは申しかねる、当分のあいだは町道場として稽古をつけて貰わねばなるまいが」
「失礼でございますが、わたくしがお願いに出ましたのは、仰せのおもむきとは少し違うのでございます」十時隼人は、ちょっと具合がわるそうに惣兵衛の言葉をさえぎった、「わたくしは足軽衆のうちからその志のある人々にかぎって稽古をつけたいのでございます」
「ほう、足軽にかぎって」惣兵衛はにがい顔をした、「それはどういう仔細か知らぬが、さむらいには教授せぬというわけなのだな」
「わたくしは兵法家ではございません、教授などという人がましい技は持ちませんので、ただ御城下に住居させ頂く御恩の万分の一にもあいなればと存じ、おのれの分相応にいささかのお役に立ちたい考えだけでございます」
「それで、……わしへの願いと申すのは」
「足軽衆への、稽古をお許しねがいたいと存じます」隼人はつつましく云った、「稽古は未明から日の出までとかぎり、お勤めには差支えのないように計らいます、如何いかがでございましょうか」
「それだけのことならば別に仔細もないであろう、尤も一応は支配むきへその旨を申してやる、追て沙汰をするであろう」
かたじけのうございます、よろしくお願い申上げます」隼人は、鄭重ていちょうに挨拶をして辞去した。
 その日のうちに、惣兵衛は足軽支配を呼んではなしをした。支配役はむしろよろこんだ。ちかごろ足軽たちには、そういう機会がだんだんと少なくなり、このままではやがて武士としての心構えもうとくなるのではないかとおそれていた。早速その手配を致しましょうと非常な乗り気だった。……そして、それからひと月ほど経った。惣兵衛は繁務に追われてそのことはそのまま忘れ過していたが、或る日ふと思いだして、「いつぞやの浪人者はどうしておるか」と、足軽支配に訊いた、「足軽共は稽古にかよっておるか、道場のようすはどうだ」
「ただいま十人ほどかよっております」支配役はそう云って笑いながら、「みんななかなか熱心のようでございますが、道場というのが草原でございまして……」
「草原というと、ただの草原か」
「ただの草原でございます、両町の裏の小川に沿った広い草原でやっております」
 ふうんと惣兵衛はなにやら云いたげに鼻を鳴らした。しかしそのまま口をつぐんで事務に戻った。明くる早朝、まだほの暗い時刻に、惣兵衛は独りでそっと屋敷をでかけていった。霧のふかい朝で、少し早足にゆくと胸元がしっとりとなるほどだった。両町というのは、城下のほとんど東端とうたんにちかいところだった。およその見当をつけて裏へぬけると、霧にかすんで青田と雑木林とが、ぼかしたようにうちわたしてみえる。そしてその霧のかなたから「えい」「おう」というはげしい、元気いっぱいの掛声が伝わって来た。「ほう、やっておるな」惣兵衛は足早にそちらへ近寄っていった。


「稽古を終ります」十時隼人がそう叫ぶと、十人あまりの足軽たちはいっせいに木剣をおろし、隼人の前に集って会釈した。みんな着物を浸すほど、汗みずくになっていた。「御苦労でした、支度ができたようですから、すぐに汗を拭いて来て下さい」そう云って隼人が去ると、かれらは小川のほとりへいって肌脱ぎになり、黙って手早く汗を拭いた。二十前後の者が多く、なかには三十五六とみえるのもいる。こういう時こういう者たちに有りがちな無駄ばなしがでるでもなく、みんな黙って、いかにもてきぱきとした動作だった。……そのあいだに、向うでは十時隼人が、ひとりのまだ若い婦人(それが妻の七重だった)といっしょに、大きななべと椀箱を運んで来て草原へ据えた。
「支度ができました、来て坐って下さい」
 隼人がそう呼びかけた。足軽たちは互いに眼を見交わしなにかうなずき合いながら、近寄っていって鍋の前の草地へ坐った。そして隼人の妻が大鍋の蓋をとろうとしたとき、「頂戴するまえに今朝はひとつお願いがございます」と、一人が改まった態度で云いだした。「なにごとです」「わたくし共は、もう三十日あまりお稽古を受けにかよっております、稽古をつけて頂くうえに、十余人の者が毎朝こうして馳走にあずかりましては、かたじけないと申上げるよりもかえって心苦しいのです、はなはだ申兼ねたことではございますが、御教授料としてではなくわたくし共の寸志と致しまして、今後そくばくの料をお受けが願いたいのでございます」「わたくし共、一同のお願いでございます」別の一人がそういい、みんながそこへそろって手をついた。「是非おききとどけ下さいますよう」「お志はよくわかるが、それはお断り申します」隼人は微笑しながらいった、「初めに申上げたとおり拙者は兵法家ではない、あなたがたに教えるのではなく、ごいっしょに武道の稽古をする修業者にすぎないのです、また一椀の薯粥いもがゆは拙者から進ぜるものではなく、天の恵み国土の恩なのだ、拙者はただ、そのなかつぎをしているまでのことです、出来なくなれば仕方がないが出来るあいだは差上げますから、そんな心配は無用にして喰べて下さい、さあいっしょにやりましょう」誰もなにもいえなかった。妻女が盛りつける熱い薯粥の椀が配られると、隼人がまずはしをとり、みんな感動のあふれた表情で、うまそうに喰べはじめた。
 惣兵衛はこれだけのことを見て、気づかれぬようにその場を去った。妙な気持だった。いま聞いた話のもようでは隼人は教授料も受けず、毎朝かれらに薯粥を出しているらしい。どういうつもりか見当もつかないが、なにかしら、尋常でないものが感じられる。殊に足軽たちのつつましい態度や、いかにもひたむきなようすがかれを驚かせた。――これは注意する要があるぞ、惣兵衛は自分が許可した責任者なので、そう思いながらそれからも時々そっと見にゆくことを続けた。……稽古は未明にかぎっていた。ちょっと時刻に遅れてゆくと終ってしまう。人数は少しずつ殖えて、いつか三十人あまりになったが、毎朝の薯粥は必ずみんなに出していた。――たとえ薯粥にもせよ、あれだけの人数へ欠かさずやるのは容易いことではない。そう思っているうちに、惣兵衛はいつかその場の雰囲気に強く心を惹かれるようになった。隼人の稽古ぶりは凛烈りんれつであったが、終って鍋を囲むときになると、にわかに温かい、なごやかな空気がみんなを包む。早朝のはげしい稽古のあとで、師弟がひざをつき合せて粥をすするのだから、なごやかな感じに包まれるのは当然だろうが、それは寧ろ隼人のゆたかにおおらかな人柄からくるものらしかった、また慎しやかに微笑を湛えて接待する妻の七重の姿も、その場に明るい楽しい色彩いろどりを添えていた。――あの仲間にはいって、いっしょにあの粥をすすったらさぞ楽しいことだろう。惣兵衛はそう考えて思わず足を進めようとしたことさえあった。
 季節は真夏になって、七月にはいった或る早朝のことだった。例になく早く、まだ足許あしもとも暗い時刻にいってみるとちょうどこれから稽古が始まるというところへゆき合わした。稽古着に短袴たんこをつけた隼人が三十余人の門人たちの前に額をあげて立ち、ぱきぱきとよく徹る声で云っていた。「今日から稽古の法を変えて、打ち太刀をはじめる、その前にひと言いって置きたい」かれはぐっと三十余人を見まわして、「貴公たちは合戦に臨めば軍兵となって戦うのだ、軍兵ということを、雑兵などと卑下してはならぬ、いくさの指揮、計略は部将から出るが、合戦の主体となるものは軍兵だ、いかにすぐれた大将が指揮をとっても、戦う主体の軍兵が不鍛錬ではたたかいには勝てない」と、一同のはらわたへしみ透るような調子でいった。


「では軍兵としての鍛錬とはなにか、一途不退転の心だ、命令のあるところ水火を辞せざるの覚悟だ、口で云うことは容易いが、一途不退転の心とはそうやすやすと鍛えられるものではない、その例を見せよう」そう云って隼人は、傍に置いてあった、青竹の一本をとりあげ、百歩ばかり先の地面へ突き立てた。そして戻って来ると、しずかに刀を抜いてふり返った。「ここから走っていって、あの竹を二つにり割るのだ、拙者がやってみせるから見ろ」みんな眸子ひとみを凝らして見まもっている。隼人は刀を右脇につけると無雑作に走りだした、走りだしは無雑作だったが、やがてすばらしい速度で一文字に疾走し、きらりと大剣が空にひらめいたとみるや、「えいっ」という烈しい気合と共に、竹の上をぱっと向うへとび越えていた、青竹はみごとに真中から二つに割れ、地に突き立ったままぶるぶると震えていた。「佐野氏やってごらんなさい」戻って来た隼人は、門人のひとりにそう声をかけ、自分はまた青竹の一本を持って引返していった。……佐野と呼ばれた男は前へ出てゆき支度を直してしずかに大剣を抜いた。
 このあいだに青竹を立てた隼人は、佐野が位置につくのをみて、「待て」と呼びかけた、「これを青竹と思ってはならんぞ、甲冑かっちゅうに身をかため太刀をふりかぶっている敵兵と思って来い、こちらの太刀は、そこもとの面へゆくかも知れぬ、胴を払うかも知れぬ、そのつもりではらを据えてかかれ、よいか」
 佐野という男の眼つきが変った、かれは抜いた刀をつかみしばらく青竹の立っているあたりをぐっとにらんでいたが、やがて意を決したように走りだした、間百歩ひと息に疾走していって刀を振上げる、その刹那せつなに隼人が、「面へ行くぞ!」と絶叫した、まるで壁にでもつき当ったように、そのひと声で佐野は身をらしながら踏み止まった、竹との距離は九尺ほどあった。
「つぎ早瀬氏お出なさい」隼人は一顧も与えずそう叫んだ、「戦場へ出た覚悟でやるのだ、この青竹は敵だ、ゆだんをすると逆に斬られる、そのつもりで来い……さあ」
 早瀬というのはまだ二十そこそこの青年だった、かれは前の例をよく心にとめたようすで、ひとりなにか頷きながら位置に立ち、やがて呼吸をはかって走りだした、こんどは隼人は声をかけなかった、早瀬はいっさんに走せつけ、刀をふるってえいと斬りつけた。しかし青竹と刀の切尖きっさきとは五尺もはなれていたし、斬りつけた余勢でかれは右へのめって膝をついてしまった。
「代ってつぎ松田氏」隼人はすぐそう叫んだ。五人まで続けざまにやらせたが四人めのひとりが、青竹を叩き伏せただけで、ほかの者はみな失敗した。
「みんな見たとおりだ」隼人は元の場所へ戻って来て、ずっとかれらを見なおしながらいった、「青竹一本でも今のようにしてはなかなか斬ることができない、なぜ斬れないか、それは貴公たちの頭に疑惧ぎぐが生れるからだ、甲冑を着け太刀を持った敵兵と思えという拙者の言葉で、貴公たちの眼に敵が見えてくる、間近に迫った『面へゆくぞ』と叫べば、敵兵の剣が面へ来るさまが見える、そのときやられるかも知れぬという疑惧が生れて距離を誤ったり躰勢が崩れたりするのだ、……さっき云った一途不退転の心とは、つまりこの疑惧の念をうちやぶることから始めなければならぬ、相手が青竹であれ敵の強兵であれ、走りだしたら真一文字にいって斬り倒すその一途のほかには微塵みじんもゆるぎがあってはならぬ、その鍛錬をこれから打ち太刀の稽古でやってゆくのだ、ではもういちど拙者が見せてやる、よいか」
 惣兵衛はその稽古の終るまで、ほとんど時の移るのも忘れて見まもっていた。――ただ者ではない。屋敷へ帰ってからも、かれの頭のなかはそのことでいっぱいだった。「軍兵の覚悟」という言葉も明確だし、青竹を使っての教えぶりも要を得ている。そして全体を通しての湧きあがるような情熱が、三十余人の者へびしびしとはいってゆくさまは更にみごとなものだった。――あんな事をさせて置くには惜しい、機会をみて世に出すべき人物だ。それまでの興味とは違った角度から、惣兵衛は改めて隼人に注意しはじめた。そして間もなくその機会が来たのである。……新秋八月の或る日、惣兵衛は矢作橋改修の工事場へでかけていった。橋の上下にかなり大掛りな護岸工事をする設計で、それがほぼ出来かかっている。かれはその模様を下役人の案内でずっと見て廻った。


 秋とはいっても、日盛りはまだ暑さがひどかった。工事場はいちめんに埃立ほこりだって、石を運んだり土を起したりする雇い人足や足軽たちの群が汗まみれになって右往左往していた。……するとそのなかで差担いで石を運んでいる若い足軽の一人と、見張り番の侍とのあいだに、とつぜん喧嘩けんかが始まった。事の起りはこうだ、足軽が石を運んで通るたびにその侍が同僚たちと口を合わせて嘲弄ちょうろうする。「あのぶ態な腰つきをみろ、満足に石運もできはせぬ、あれで剣道稽古などをするとは笑止なやつだ」「まさにそのとおり、役にも立たぬ稽古がよいなどをするから、大切の役目に日雇い人足ほどの働きもできぬのだ、お上から頂く扶持ふちは盗んでいるのも同様だぞ」若い足軽は、耳にもかけなかった。それで侍たちは図に乗り、なん度めかに通りかかった足軽の足下へ、ひょいと六尺棒をつき出した。重い石を担いでいるので、けようがなかった。若い足軽はあっと叫びながらのめり、土埃をあげながら転倒した。
「なにをなさる」はね起きたかれは、我慢の緒を切ったらしく、いきなり侍の手から六尺棒を奪い取ると、足をかけてぴしりと踏み折った。「おのれ無礼者」と相手の侍はこぶしをあげて殴りかかったが、足軽はその腕を逆に掴み、つけ入ったとみるや、腰車にかけてだっと投げた。見ていた侍のれ三人は意外な結果にとりのぼせたとみえ、「うぬ叩き伏せろ」と叫び、ひとりは「斬ってしまえ」と喚いて刀を抜いた。足軽は無腰だったが、いま踏み折った棒の半分をすばやく拾いとると、つぶてのように三人のなかにとび込んでいった。いささかも臆せぬ断乎だんこたる態度で、……そして一人の刀を突き落し、一人を躰当りで突き倒した。このありさまを認めたのであろう、向うからさらに七八人の侍たちが駆けつけて来て、まさに大事に及ぼうとしたとき、工事場の人足の中から一人の男がとびだして、両者の間へ割ってはいった。「お待ちなさい、このうえ騒ぎを大きくしては武士の体面にかかわりましょう、場所がらをお考えなさい」かれはそう叱呼しっこしながら、大手をひろげて立ちふさがった。その声の凛乎りんこたる響きと、立ち塞がった身構えのするどさに、さすが殺気だった侍たちも思わず踏み止まった。そこをすかさず、「相手は足軽一人、御家中の士大勢でとり詰めては云分が立ちますまい、お退きあれ」きめつけるように叫んだ。そして、そのとき鈴木惣兵衛が工事支配の役人たちといっしょにそこへ近寄って来た。「役目を捨ててなにごとだ、見苦しいぞ」惣兵衛の一喝いっかつは決定的だった、「この場の詮議せんぎは追てする、みな持場へかえれ、みだりに騒ぎたてると、屹度きっと申しつけるぞ」喧嘩の当人たちも、駆け集って来た者も、この一言で潮の退くように散っていった。そして止めにはいったくだんの人足もすばやく去ろうとしたが、「その男、しばらく待て」と、惣兵衛がきびしく呼び止めた。
「たずねたいことがある詰所までついてまいれ」
「はっ、仰せではございますが、わたくしは」
「いやならん、ついてまいれ」そういうと、すぐに惣兵衛はさっさと歩きだした、その人足は、なお躊躇ちゅうちょするようすだったが、支配役に促されてよんどころなくあとからついていった。……詰所へはいると、惣兵衛は人を遠ざけて二人だけになった。
「十時……と申したな、たしか」惣兵衛にいきなりそういわれて、土間に平伏してからかれはしずかにおもてをあげた、まさに十時隼人であった。「まことに、意外なところで会う、そのもとは武道教授のほかに人足もするのか」
「……いかにも」隼人は恥じるようすもなく答えた、「ごらんのとおり、人足も致します」
「理由を聞こう、わしは内々、そこもとの教授ぶりも見ておる、そのもとほどの心得を持ちながら、人足をしなければならぬとは不審だ、しかと答弁を承ろう」
「べつに理由と申すほどのことはございません」
「ないとは云わさぬぞ」惣兵衛は、鋭く突っ込んだ、「矢作橋は、岡崎城にとって攻防の要害だ、改修工事の模様を探索に入りこむ者が無いとも云えぬ、どうだ」
「さような考え方もございますか知らん」にっと隼人は微笑をもらした、「合戦にのぞんでこの橋ひとつが要害とは、さても岡崎は攻め易うございますな」「…………」「城砦じょうさい壕塁ごうるいはいくさのしのぎで、攻防のかなめは人にあると存じますが、……しかし、その御疑念があるからは申上げましょう、わたくしが人足を致しますのは、おのれの生活たつきをたて、門人衆に一椀の薯粥をふるまいたいからでございます、これよりほかに些かの理由もございません、お疑いになればどのようにも御詮議下さるよう」


 言葉つきにもまなざしにも、曇りはなかった。それよりも、毎朝三十余人の者に粥をふるまっている事実は、惣兵衛がみずから見ていることだ。――あれだけの人数に、毎朝のふるまいには容易くはあるまい。そう思いやったこともある。また足軽たちに教える「軍兵としての鍛錬」の仕方など、どれをとってもかれの言葉が嘘だとは思えない。ただ残る不審は、なぜ自分が人足までして粥ぶるまいをするかという点だけだった。それを問い詰めると隼人は笑って、「足軽衆には、早朝からの勤めがございます、稽古から戻って食事をするのでは、勤めに遅刻する場合があるかも知れません、稽古も大切ではありますが、日々の勤役に些かでも怠りがあっては、本末を誤ります、それにもうひとつは、……日々の勤めで労れたうえ熱心に武道をはげむ、その心に少しでも酬いたいと存じまして……」
 惣兵衛は、心をうたれた。言葉は短いけれど、そこにあらわれている隼人の、ゆたかな温かい気持はまれなものである。――なんという行届いた温かい心だろう。心から感動した惣兵衛には、もうちりほどの疑念も残ってはいなかった。
「よく相わかった、もはやなにも云うことはない、だが十時氏」かれは眼をうるませていた、「改めて御相談だが、毎朝おふるまい下さる粥の料として、僅かながら月々十俵ずつお受け下さらぬか、そうして頂ければ……」
「それはお断り申します」しまいまで聞かずに、かれはかたく拒んだ。
「なぜいかん、知らぬうちならともかく、家中の足軽が無料で御教授を受け、また毎朝のふるまいまで頂いておるとわかった以上、藩の老職として、捨て置くわけにはまいらぬ」
「よくわかりました、仰せはよくわかりましたが……」と隼人はしずかに答えた、「そう致してはわたくしの心がとおりません、どうぞこのままおみのがしを願います」それでもと云う隙のない、心のきまった口ぶりだった。惣兵衛は、ついに黙るより仕方がなかったのである。
 その日の仕事を終って、隼人が両町の裏にあるおのれの住居へ戻って来ると、貧しい家の中に三人の若い侍が待っていた。……妻の七重は部屋の隅で賃仕事の縫物をしていたが、良人おっとの姿をみると膝の上の物を押し片付け、「お帰りあそばしませ」と云いながら、※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)はんぞう(洗面おけと着替えを持って出て来た。二人はそのまま井戸端へいった。「御家中のお侍衆でございます」水をみながら妻がささやいた、「たいそう気色けしきばんでおいでのようですけれど、なにか間違いでもございましたのですか」「心配するほどのことではない」隼人は汗を拭きながら答えた、「それよりも今日、御老職から米を扶持しようと云われたぞ」「はあ……お扶持を」「扶持を貰えば、おまえが賃仕事をして疲れる分だけでも楽になる、おまえには少し息ぬきをさせてやりたい、そう思った」「まあなにを仰しゃいます」七重は、びっくりしたように面をあげた。びっくりしたというよりも、うらめしそうな眼もとだった。隼人は、すぐに首を振ってつづけた。「むろんそれは、思っただけのことだ、おれは断った、おれが人足をし、おまえが昼夜をわかたず賃仕事をする、そしてふるまうからこそ、貧しい薯粥にも心がこもるのだ、その心が、修業する人々へも通ずるのだ、おのれの教える武道は『心』だ、技ではない、だから心と心との通ずることがなによりも大切なんだ」「よくわかっております、わたくしの賃仕事などが、なんの苦労でございましょう、今さらそのようにお考え下すっては、わたくしお怨みに存じます」「つい口がすべったまでだ」隼人はそう云って笑った、「このような気持を俗に夫婦の情とでも申すのであろう」
「珍しいことをおっしゃいます」七重も頬を染めながら、恥かしそうに笑った。
 からだを拭い着物を着て家へ戻ると、待ち兼ねていた三人は、にわかに坐り直した。しかも隼人は妻に茶をてさせ、いかにも心しずかに一服してから、はじめて客の前へ来て坐った。これだけの順序で、三人の者はまったく圧倒されいきごんでいた出端をくじかれたかたちだった。「もはやお聞き及びかと存ずるが」と一人が用件をきりだした、「今日、矢作橋の工事場で足軽と侍とのあいだに喧嘩があった、近来そこもとが武道の教授をされるそうで、足軽どもの気風が僭上傲慢せんじょうごうまんになっておる、いかなる御教授によるのか、お心得のほどを拝見申したいに就いて、われら師範梶井図書介より御前試合の願いを呈出仕った、不日おゆるしのお沙汰があろうと存ずるゆえ、そのおり逃げ隠れなさらぬよう、しかとただいま申入れる」


 いうだけ云うと、三人はすぐに帰っていった。隼人は、やはりそうだったかと思った。今日の喧嘩の原因も「足軽に武道の教授をしている」という反感もあるのだ。そして結局は、足軽が三人の侍を相手にして勝ったとなると、かれらの鉾先ほこさきが自分に向って来るのは当然である。
「いかがあそばしますか」七重が気遣わしげに良人を見た。
「争いは好まないが」と隼人は困惑しながら、「しかし武道のまことを守るためには、いたずらに争いを避けるだけが能ではない、……受けるより仕方がないだろう」
 いかにも気の進まぬようすでそう云った。……その翌々日、鈴木惣兵衛から使者があった。「御前試合の下命があったから、この使者と同道で登城されたい、悪くは計らわぬから……」そういう口上こうじょうだった。隼人は覚悟をしていたのですぐに支度をし、愛用の剣を持って、使者といっしょに登城した。
 案内されたのは本丸の月見櫓つきみやぐらの前で、試合の場所には幕が張り廻してあった。席に就いたのは、鈴木惣兵衛とほかに老職二名だけで、間もなく城主水野監物けんもつ忠善が上座へあらわれたほかには、見物の者はひとりも無かった。梶井図書介は、三十六七になる立派な人物だった。上背もあり骨組も逞しく、眉のはっきりした堂々たる風貌である。「用意がよくば、双方出ませい」城主が席に就くと惣兵衛がそう声をかけ、勝負は一本、遺恨あるべからずと云った。……隼人は拝礼して木剣を袋から出し、しずかに相手を見ながら進み出た。
 図書介の木剣は三尺ちかい大きなものだった。かれは位置につくと、それを青眼にとってきっとこちらを見た。隼人は木剣を下げたままその眼を見かえした、両者の距離は二間あまりある。互いの双眸そうぼうはしかとみ合って、さながら空中に線を結ぶかと思われるようだった。そのまま時が経っていった。どちらも微動もしなかった。図書介の青眼の木剣も動かず、右脇へひっさげたままの隼人の木剣も動かない。ただ呼吸と眼だけが、一瞬の「期」をみきわめようとして火花を散らしている、……するとやがて、隼人がふいと躰をひき、図書介が絶叫しながら打ち込んだ。それはまるで隼人が誘いこんだようにみえたし、打ちを入れて伸びた図書介の籠手こてを、隼人の木剣が眼にもとまらず斬って取るのがみえた。
 ――勝負あった。監物忠善も、老職たちもそう認めた。しかし、図書介は、どうしてかそれを無視し、重ねてはげしく打ち込んだ。隼人はさっと身をひき、図書介の木剣をかつと叩き落したが、それと同時に自分の木剣もぽろっととり落した、「まいった」「まいった」二人はほとんど同時に叫んだが、それでも隼人が相打に譲ったのだということは隠しようがなかった。
「勝負みえた、両人ともみごとだ」忠善がみずからそう声をかけた。
「十時隼人とやら、ゆるす、近うすすめ」「上意であるぞ」惣兵衛も促すので、隼人は支度を直して前へ進んだ。忠善は、じっとその顔をみつめながら、「そのほうのことは、かねて惣兵衛より聴いておる、唯今の試合ぶりもあっぱれだった、食禄しょくろく五百石で師範に召出したいと思うがどうか」「有難き御意を賜り、おん礼を申上げまするが、御当家にはすでに師範として梶井どのもおいでになることなのであり、はばかりながらかたく御辞退を申上げます」
「ああいや、十時氏しばらく」うしろから図書介が声をかけた、「唯今の勝負はまさしく拙者の敗北でござる、御前においてかく明らかに優劣がきまったからは、もはや師範の役は勤まり申さぬ、拙者は退身つかまつるゆえ、どうぞ御斟酌しんしゃくなくお受け下さるよう」
「……ほう」隼人は眼をみはり、びっくりしたようにふり返った、「唯今の勝負に負けたから、もはや師範は勤まらぬと仰しゃるか、……すると、仮に拙者が師範となっても、また別に兵法家がまいって試合をし、負ければ師範ができぬというわけですか」そこまでいうと、急に隼人の頬へかっと血がのぼった。かれは膝をはたと打ち、「ばかなことを仰しゃるな」と大喝した、「兵法は死ぬまでが修業という、技の優劣は、修業の励みでこそあれ、人間の価値を決めるものではないぞ、人の師範たる根本は『武士』として生きる覚悟を教えるもので、技は末節にすぎない、貴殿はその本と末とを思い違えておる、さようなことでは、今日までの御扶持に対しても申し訳はござらぬぞ」
 図書介はいつか両手を膝に、ふかく面を垂れていた。技に負けたら勝つ修業をすればよいので、師範の勤めは技の優劣ではあるまい、その一言は図書介ひとりならず監物忠善はじめ老臣たちをも感奮させるのに充分だった。
「わたくしが御辞退つかまつるのは」と、隼人は忠善に向き直った、「べつに些か、おのれの思案があってのことでございます、一言にして申上げれば……わたくしは兵法で、一国一藩のお抱えとなるのが目的ではございません、日本国いずれの地もわが道場、いずれの人もわがゆく道の同志門人と心得ます、一人でも多く『まことに武士として生きる心』を啓発してまいるのが、わたくしの望みでございます、どなたに限らず、一粒の扶持も頂戴する考えはございません」監物忠善には、もう云うべき言葉はなかった。ただこれほどの人物を眼の前にして、おのれの家臣にできぬ恨みだけが、苦しいほど切なくかれの胸をしめつけるのだった。

 十時隼人は矢作橋が完成するまでいたが、完成すると間もなく、来たときと同じように飄然ひょうぜんと岡崎を去った。
「もうみんなに、薯粥のふるまいができなくなったからな」袂別べいべつの朝、さいごの粥を啜りあいながら、隼人は笑ってそういった、「また何処どこか人足の稼ぎのあるところへゆくよ、そして青草原のあるところへ、……この二つさえあるところなら、どこでもおれの道場だ」それから餞別せんべつとしていって置くがと、かれはかたちを正していった、「戦場へ出て、一途不退転のはたらきをするのには、日常の生きかたが大切だ、百石の侍に出世することよりも、足軽として誰にも劣らぬすぐれた人間になれ、それが正しい生きかただ、今日まで教えたおれの兵法の根本は、ここにある、それを忘れぬように……」こうして、十時隼人と妻の七重とは去った。しかしかれが去ってからあとで、かれの評判は却って高くなった。さまざまなうわさがうまれ、まことしやかな説がひろまった。
 ――十時隼人というのは仮名だった、あれは柳生家の十兵衛三厳みつよしどのだというぞ。――いや十兵衛どのは隻眼だと聞いた、十兵衛三厳どのではなく主膳宗冬という人に違いない、たしかに顔に見覚えた者がいる。――そうだ宗冬どのに相違ない。そのほかにも当代剣聖の名がいろいろ出たが、どれが本当かは遂にわからずに終った。さもあらばあれ、心のこもった温かい薯粥の伝説は、岡崎人の心にながく忘れがたい印象となって残ったのである。





底本:「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」新潮社
   1983(昭和58)年10月25日発行
初出:「講談雑誌」博文館
   1943(昭和18)年12月号
※初出時の表題は「薯粥武士」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2022年2月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード