菊屋敷

山本周五郎





 志保は庭へおりて菊をっていた。いつまでも狭霧さぎりれぬ朝で、道をゆく馬のひづめの音は聞えながら、人も馬もおぼろにしか見えない。生垣のすぐ外がわを流れている小川のせせらぎも、どこか遠くから響いてくるように眠たげである、……露でしとどに手を濡らしながら、剪った花をそろえていると、お萱が近寄って来て呼びかけた。
「お嬢さま、もう八時でございます、お髪をおあげ致しましょう」
「おやもうそんな時刻なの」志保は眉を寄せるようにして空を見あげた、「……霧が深いのでときの移るのがわからなかった、それでは少し急がなくてはね」
「お支度はできておりますから」そう云いながらお萱は、まじまじと志保の顔を見まもり、まあと微かに声をあげた、「……たいそう今朝はえ冴えとしたお顔をしていらっしゃいますこと、なにかお嬉しいことでもあるようでごさいますね」
「……そうかしら」志保は片手をそっと頬に当てた、「そういえば今朝はなんだかよいことがあるような気がして、……そんなことがある筈はないのだけれどね」
「そのようにおっしゃるものではございません、虫の知らせというものはあるものでございますよ、それに今日は御命日でございますから、本当になにかよいことがあるかも知れませんですよ」
 そうねと笑いながら、志保は花を持って家へあがった。
 今日は亡き父の忌日きにちである。父の黒川一民は松本藩士で儒官を勤めていた。朱子に皇学を兼ねた独特の教授ぶりを以て知られ、藩の子弟のほかにかなり遠くからも教を受けに来る者があり、それらはみな、城下の南にあるこの栢村の別墅べっしょの塾で教えていた。……一民が死んだのは二年まえのことだった。不幸にも男子がなく、志保と、その妹の小松という娘二人だけだったし、一民の遺志もあって、家はそのまま絶えることになったが、藩主の特旨で、栢村の屋敷に添えて終生五人扶持を賜わり、志保には村塾を続けてゆくようにとのめいがさがった。妹の小松は五年まえに他へ嫁していた、越後のくに高田藩士で、栢村の塾生だった園部晋吾という者に望まれてとついだのである。晋吾は塾生のなかでも秀才であり風貌もぬきんでていた。小松も幼ない頃から美しく、少し勝気ではあるが頭のよいむすめで、二人の結婚はずいぶん周囲から羨やまれたものであった。そして夫妻は祝言をあげるとすぐ高田へ去り、父の葬礼に帰ったときにはもう二歳になる男子をつれていた。……正直にいって、そのとき志保は初めて妹にねたみを感じた、ひじょうに激しい妬みといってもよいだろう。妹と違って志保は縹緻きりょうわるく生れついた。それはまだごく幼ない時からの悲しい自覚だった。そしていつからか、――自分は学問に精をだそう、結婚などは生涯しないで、父のように学問で身を立てよう、そう思って一心に父に就いて勉強した。生れつき素質があったのか熱心のためかわからないが、年を重ねるにしたがってめきめき才能を伸ばし、父の一民もおりにふれて、――おまえが男子だったら、と口にするようになった、けれどもそうして志保が十八歳になったとき、父は志保に学問を禁じた、――女としてはもう充分である、これからは筆算とか算盤そろばんなどでも稽古するほうがよい、それは志保にとって生き甲斐を断たれるような思いだった。四つ違いの妹が日ましに美しく才はじけて、人の眼をき、愛されてもゆくのをみるにつけ、かなしいうちにも、――いや自分には学問の道がある、やがては世に知られる学者になるのだ、という慰めがあった。その唯一ゆいいつの望みを禁じられたのである、志保はその後しばらくは、気ぬけのしたような気持で日を過したことを覚えている。だが父の本当の心は間もなくわかった。女が学者になるなどということを父はひじょうに嫌っていたのだ。もし結婚しないで独り身を立てるにしても、手習い算盤くらいを教えることで足りる、それ以上は女にはふさわしくないというのだ。気持のおちつくにしたがって、志保にも父の意志はよくわかった、――女はつつましく、という平凡な戒しめが、そのとき身にしみてわかったのである。どんなにすぐれた才能があろうとも、それを表にあらわさず控えめに慎ましく生きるのが女のたしなみだ、女には女の生き方がある、志保はおのれをふり返って、それまでのきおいこんだ気持が恥ずかしくなり、自分でもはじめてむすめらしい心の動きはじめることに気づいた。……だから小松が晋吾に嫁したときも、妹の仕合せをこころからよろこぶほかに、微塵みじんも他意はなかったのだが、二歳になる晋太郎という子を抱いて来たとき、そしていかにもむつまじそうな夫婦の姿を前にして、生れて初めての激しい妬みを感じた。女としての羨やみの情だけではない。自分には望むことのできない「愛児」というものへの強烈な嫉妬だったのである。


 けれどそれからもう二年という月日が経った。栢村のこの屋敷には、志保のほかに姉妹の乳母だったお萱と、老下僕の忠造がいるだけで、城下から一里余も離れた山里の明けれは、まるで僧坊のように静かなびしい暮らしである。ただ月の六日は亡父の忌日に当るので、藩にいる亡父の門下の青年十七人が来て展墓をし、別棟になっている塾で半日ほど、旧師の追憶など語りあうのが例になっている。その日だけは志保も村塾を休み、集る人々の接待に楽しい日を暮らすのだった。
 志保が髪をあげ、着替えをして、剪って来た菊を活けていると、もう門人たち十七人が訪ねて来た。……いちばん年長の杉田庄三郎という青年が母屋の縁先へ寄って、「今日は少し早めにお邪魔を致しました」と挨拶を述べた。
「午後から城中に御用がありますので」
「まあそれは」と志保は縁端へ出て残念そうに云った、「さぞお萱が残念がることでございましょう、今日はお昼餉ひるげになにか差上げたいと用意していたようでございますのに」
「それはお気のどくを致しますな、ちょっと欠かすことのできない御用なものですから、それと……」庄三郎はふとまぶしそうな眼で志保を見た、「じつはあなたに少々おたのみがあるのですが、塾のほうへいらしって頂けませんか」
「わたくしでお役に立つのでしたらお伺い申しましょう。ただ今お茶を持ってあがりますから、どうぞ皆さまお通りあそばして」
 ではご免をこうむりますといって、十七人は庭から塾の建物へはいっていった。お萱と二人して、早熟のみごとな甘柿と茶を運んだ志保は、やがてむりやりに青年たちの上座へ坐らせられた。父の門人となって日の浅い者でも五年、杉田庄三郎などはもう十年を越すくらいであるが、一民が亡くなってからは志保をかたみのように思い、みんな必要よりも鄭重な礼をもって対した。しかしそのように席の上座へ据えるなどということは、そのときが初めてのことだった。
「どうしてこのような無理をなさいますの、父が存命でしたらなんと申すでしょう、わたくしいやでございますよ」
「いやこれがお願いの第一なんです」青江市之丞という青年が云った、「……われわれはこれからあなたに師事するのですから」
「まあなにを仰しゃいます」
「青江の申すことは事実です」杉田庄三郎が口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)さしはさんだ、「……お嬢さまは先生から靖献遺言の御講義をお聴きになったと思いますが」
「さあ、そのようなことがございましたかしら」
「お隠しなさることはありません、先生がご自分の勉強のためにお嬢さまへ講義をしていらっしゃる、そう伺がったことを覚えています、その講義を、こんどはあなたからわれわれがお聴き申したいのです」
「なんのことかと存じましたら」と志保は眼をみはった、「……そのようなおはなしでしたらわたくしなどのちからで及ぶことではございません、どうしてまたそんなことをお思いつきあそばしました」
「まあお聞き下さい」庄三郎はみんなの意見を代表するように膝を進めた、「……亡き先生のお教えは、朱子とはいいながら皇学が軸となっていました、いかなる学問も国体を明徴せずしてあることは許されない、すべては国に奉ずる心、義に殉ずる烈々たる壮志を土台として始まらなければならぬ。浅見氏の靖献遺言はその意味において好資料といえよう。先生はたびたびそう仰せられました。われわれはその先生のお心を継承したいと思うのです。遺言の書冊はこちらの文庫にあるのでございましょう」
「書物はございます。みなさまのお気持もよくわかりました」そう云って志保はふと眼を伏せた、「……それでは二三日考えさせて下さいまし。そのうえでお返辞を申上げましょう」
「結構です。しかしどうか先生の御遺志を継ぐという点もお忘れなく、なるべくわれわれの望みをおかなえ下さい」
 それで話は終り、志保は茶を替えに立った。茶菓が済むと、みんなで近くの正念寺へ墓参にゆき、いちど屋敷へ戻って、そこから門人たちは帰っていった。……志保は庭はずれまで送り、菊畑のところに立って暫らく見送った。菊畑といってもたかだか四五十株の、それも小花の黄菊だけであるが、父は「河内」となづけてひじょうに愛していた。河内とは楠公を偲ぶこころを託したものであろうか、訊ねたことはないが志保はひそかにそう察し、今でも父の心がその菊に宿っているように思える。また村の人たちはこの家を菊屋敷と呼んでいるが、それも菊のみごとさを云うのではなく、亡き主人あるじの大切にする気持から出たものであった、……どの株も今が咲きざかりで、あたりの空気はせるほども高雅な香りに満ちていた。
「……今日はなにかよいことがあるように思った」志保は口の内でふとそう呟やいた、「……若い日の望みが還ってきたのであろうか」


 世に知られる学者に成ろう、そう思ったあの頃のひたむきな情熱が、今また志保の胸をあやしくそそった。女の身で書を講ずるなどということはおこの沙汰ともいえよう、けれども父の遺志を継ぎ、身についた学問を生かすことができれば、必ずしも無益とはいえない筈だ。自分は幼少から父のそばにいて親しく教えを受け、その学統の方向もわかっている。あの頃の情熱が残っているなら、これからでも充分にそれを生かしてゆけるに違いない。
「……それに」と志保は自分にたしかめるような調子で呟やいた、「あのじぶんのようなうわついた高慢はもう無くなっているから」
 浮ついた高慢という言葉には一つの回想があった。小松の結婚する少しまえのことだったが、或日、志保の居間へふみを入れた者があった。ひらいてみると一首の恋歌がしたためてある。自分が美しからぬ娘で、人に愛されるようなことはないと固く信じていた志保は、それを門人たちの嘲弄であると思い、屈辱感のためにはげしく身が震えた。そしてその恋歌が、どこかでたしかに読んだ記憶があるように思えたので、歌集をとりだしてきて丹念にしらべた、するとそれが実朝の金槐集のなかにあるものだということがわかった。そこで志保は父のいない折をみて、門人たちの集っているところへゆき、その歌をよみあげて、――どなたかこの歌をご存じでございますか、と訊ねた。門人たちはなにごとかという顔つきで志保を見まもったが、知っていると云う者はなかった。――このなかにお一人、たしかにこの歌をご存じの方がある筈です、志保は珍らしく針を含んだこわねでそう云った。――そのお一人に申上げますが、いまの一首は金槐集にある名だかい歌です。いたずらにしても、金槐集などにある恋歌をひくとは、お智慧ちえのないなされ方だと思います。こんどはもっと稀覯の書からおひろいあそばせ。……誰かそぶりでそれと知れる者はいないか、そう思って注意していたがまるでわからなかった。しかしはずかしめられた怒りもそれでやや解け、これは古歌だとすぐにひきだせる自分の記憶力をもたしかめて、そのときはかなり得意だったのである。もちろん今ではそんなきおい立った気持はない。控えめにつつましくという戒しめも、自分で望んだほどは身についたと思える。この謙虚さに誤まりがなければ、女として学問の道にわけ入っても、お役にたつことができるのではないか。
 若き日に夢み描いたような輝やかしさはないが、学問へ還れると思うことは、さすがに心おどる誘惑だった、志保はからだの内に新しいちからが動きだすように感じ、上気した眼をあげて秋空を見た。……そこへお萱の呼ぶこえが聞えた。塾の建物から出て来たところで、手に一通の封書を持っていた。
「いまあと片付けにまいりましたら、このようなお文が置いてございました」
「どなたかお忘れだったのでしょう」
「いいえお嬢さまへ宛てたお文でございますよ」
 そう云って渡された封書を手にして、志保はひらめくようにいつぞやの実朝の歌を思いだした。それはつい今そのときのことを回想していたからかも知れない、――あのときの方だ、という言葉が反射するように頭へのぼった。表には自分の名が書いてあるけれど、署名はどこにもみつからない、
「……まあ、どなたからでしょう」
 志保はさりげなく呟やきながら、お萱に顔を見られないようにして家へあがった。
 その文をひらいたのは夜になってからだった。そのまま破いてしまおうかとずいぶん迷ったあげく、やはり披く気持になったのである、あのときの手と同じものかどうかはわからないが、しっかりとしたみごとな筆跡で、墨色もきわめて美しい、志保は宛名の文字を暫らくみつめていたが、やがて封を切ってしずかに読みはじめた。……果して察しのとおりだった。それは実朝の歌を書いてよこした同じ人で、手紙はまずかつての無礼を繰り返しびる文字から始まっていた。
 ――自分もまだ年が若く、いちずの気持に駆られてあんなことをしたが、しかし決していたずらとか嘲弄などという意味はなかった、金槐集の歌を書きぬいたのは、あれが日ごろ自分の愛誦するものであり、あのときの心をいかにもよく伝えられるように思えたからである。
 そこまでの文章のすなおさ、飾りのない正直な書きぶりが志保の胸をうった。そしていちがいに嘲弄されたと思った自分の、かたくなな心ざまをかえりみて脇のあたりにじっとりと汗を感じた。だがふみはそこからしだいに強い語調に変っていた。――あのときの気持は、現在なお同じ強さで自分の心を占めている、こう云うとあなたはまたお怒りなさるだろうか、もしお怒りになるようだったらあなたの間違いである、あなたは冷たいくらい怜悧れいりな頭をもっていらっしゃるのに、唯ひとつの事だけには愚昧ぐまいのように眼がおみえにならない、それはあなたがご自分を美しくないとお信じになっていることだ。


 なるほど、あなたは世にいう艶麗えんれいのおひとがらではない、と手紙は書き続けてあった、――だから人にはたやすくはわからないかも知れない、けれどもあなたに近づき、あなたと言葉を交わしていると、云いようのない美しさ、心の奥まで温められるような美しさにうたれる、そういうときのあなたは、お顔つきまでが常には見られない冴え冴えとした美しさを湛えるが、おそらくあなたご自身はお気づきなさらぬだろう、そしてそれに気づかぬところがあなたのよいところであり欠点ともなっている。……自分は今でもあなたを家の妻に迎えたいと願っている、この気持は六年まえと少しも変ってはいない、寧ろながくお近づき申していればいるほど、あなたならではという確信が強まるばかりである、どうか平生のあなたの温かな心で、すなおに自分の申出を聞いて頂きたい、少し考えることもあるのでこの手紙にもわざと署名はしないが、もしこの願いがかなえられるものであるなら、明七日の朝十時、正念寺の先生の御墓前までおはこびを待つ、御墓前でなら亡き先生もそう強くはお叱りなさるまいと思う、十時までにおいでがなければ、……もしおいでがないとすれば、まだ時期でないものと思って、なお自分はそのときの来るのを待つ決心である。
 手紙の文字はそこで終っていた。署名はもちろん、そのぬしを暗示するなんの印も付いていない、志保は心をかき乱された、生れて初めて全身の血がかっと燃えるように感じ、文を持つ手が恥ずかしいほど顫えた。六年という星霜を隔てて、少しも変らず自分を愛しつづけて呉れた者がある、いちどは愛誦の古歌に託して、こんどはうちつけに、けれどすがすがしいほど率直に心をうちあけている、志保は息苦しいような切なさに胸を緊めつけられた、――どなたかしら、それを知りたかった。これだけ自分に心をよせて呉れる方なら、今までどこかにそういうそぶりの見えなかった筈がない、そう考えてよくよく思い返してみるが、相手が深く慎んでいたためか、自分にそういう意識が無かったからか、おぼろげにもそれと推察のつく記憶はなかった。
 臥所ふしどにはいってからも、その夜はなかなか眠ることができなかった。二十六年の来し方が夜明け前の朝靄に包まれていたとすれば、いま雲をひき裂いて日が昇り、朝の光が赫燿とみなぎりだすような感じだ。望んでも得られないとうに諦めていたものが、同じ日に二つとも自分のほうへ手をさしのべてきた。ただ「はい」とさえ云えば二つとも自分のものになる、それは考えるだけでも充実した大きな幸福感であった、――仕合せとはこういうものか、志保には初めてそれがわかるように思えた。
「……二十六にもなって」ふとそう呟やき、またすぐうち消すように、「いやたとえ三十、四十になっていたとしても、こういう仕合せにめぐり逢えるとわかっていたら、人間はどんな困難にもってゆくことができるだろう」
 宵のうちから吹きだした風が、夜半には秋嵐となり、裏にある松林がしきりに蕭々しょうしょうと鳴りわたっていた。いつもならふすまの襟をかき寄せ、息をひそめて聴きいるのだが、今宵はその寒ざむとした松籟しょうらいの音までが、自分の幸福をうたって呉れるように思いなされる、――そのときの心のあり方によって、人間は風を聴くにさえこれだけの違いがある。幾たびも寝返りをしながら、志保はふと自分の気持をそう思い返して、はてのない空想をうち切ろうとした。
 よく眠れなかったにも拘わらず、明くる朝は早く眼が覚めた。今日から新しい自分の人生が始まるのだ、そういううちから強い感情が胸いっぱいに溢れて、家のなかにじっとしていられない気持だった。まだ霧の濃い庭へおり、氷のように冷たい小川の水で洗面した。約束の時刻に正念寺へゆくことはもうきまっている、すべてをあるがままに受けよう。父の忌日にあったことだから、もしやすると父上のお導きかも知れない、相手がたとえ誰であろうと、六年もこころ変らず、こんどの機会がいけなければさらに次の折まで待つという、その真実さにはこたえなければならない、……ただおそれるのは、自分のものでない幸福を誰かからぬすむような不安な感じのすることだ。それはうち消してもうち消しても胸につかえてくる。
「こんな風に裏を覗く気持はもうやめなければならない」志保はそっとかぶりを振りながら呟やいた、「……これからはなにもかもあるがままに、すべてをすなおに受け容れて生きるのだ、それが志保の新しい生活だ」
 食事が済むと、お萱に髪をあげて貰い、着物を着替えた。お萱はいぶかしがりもせず、志保がそんな気持になったことをよろこんで、いそいそと着附けを手伝った。
「ごらんあそばせ、ちょっとお着替えあそばすだけでこのようにお美しくおなりなさるではございませんか、少しは髪化粧をあそばすのも婦人のたしなみでございますよ」


「……飾り甲斐があればねえ、お萱」
「それがお嬢さまのたった一つの悪いお癖です」お萱は心外そうに云った、「……あなたはご自分でお美しくないときめていらっしゃる、それはご謙遜というよりも片意地と申すものでございます、小松さまはお美しいお生れつきです、誰だってそう思わない者はございません。それに比べますとお嬢さまのお美しさは、本当に美しさを見る眼のある者にしかわからないお美しさです。お信じになれなかったらこれからよく鏡をごらんあそばせ、お嬢さまは鏡さえお手になさらないのですもの」
「それが本当であってくれたらと思います」志保はいつになく穏やかにそううなずいた、「……そしてこれからは美しくなるように努めましょう、いまの片意地という言葉は……」
 そこまで云いかけて志保は口をつぐんだ。門に誰かのおとずれる声が聞えたのである。お萱も聞きつけたとみえ、足早に立って玄関へ出ていったが、「まあこれは」とおどろきのこえをあげ、すぐにひき返して来た。
「小松さまがお越しあそばしました」
「ええ小松が」志保も眼をみはった、「……小松が高田から……」
 云いかけて玄関へ出ると、そこに小松が赤子を負って立っていた。そして良人おっとの園部晋吾と、二人の間に晋太郎であろう、五歳くらいにみえる男の子もいた。みんな旅支度で、頭から埃にまみれている感じだった、――まあ、と云ったまますぐには言葉も出ず、姉妹は暫らく涙を湛えた眼でお互いを見いるばかりだったが、「まことに御無沙汰を仕りました」という晋吾の挨拶でわれに返り、ともかくもお萱と老僕に洗足をとらせ、親子の者を座敷へあげた。
 昨夜は松本城下に泊り、朝餉は済ませて来たという。茶をれ、菓子を出しなどするあいだも、小松は殆んどやすみなしに独りで話した。晋吾はなにか屈託ありげに黙しているし、志保は正念寺へゆく時刻が気になっておちつけなかった。しかしそんなことには遠慮もなく、まるでとりとめのないことを次から次へと話しかける。口数の多いのは小松の生れつきであるが、そのときはどこやら追われる者のようなせかせかした調子で、態度にもおちつきがなかった。
「こんどはなんでいらしったの」志保は妹の饒舌を抑えるように口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)さしはさんだ、「……なにかこちらに御用でもあってなのですか」
「ああ忘れていた」小松は慌てて向き直り、「……お乳をやる刻だったのに、つい話にまぎれてしまって」そう云いながら、寝かしてあった赤子を抱きあげて衿をひろげた、「大きい赤子あかでしょう姉上さま、これで百五十日ですのよ、もう片言を云いますの、名は健二郎、たしかお知らせ申しましたわね」
「いいえ今日はじめてですよ、知らせて下さればお祝い申しましたのに」
「あらそんなことはないと思いますけれど、でもそうね、つい忘れたかも知れませんわ、ちょうど主人が学堂の御用で江戸へ出たりしてごたごたしていましたから、……ああそうそうそれに就いて姉上さまにお願いがありますの。健さんお乳はもう沢山ですね、おたあさまはお話があるからおとなに待っていますのね、さあまたおねんねですよ」
 云うことも態度もひどくそわそわして、少しも同じところに止まっていない。それも気懸りだし、相対してよく見ると小松はやつれが眼立っていた、着ている物も粗末だし、自慢の髪道具もみえない。美しいことはやはり美しいが、眼のまわりびんのあたりに疲労の色がしみ附いて、肩つきなどぐっと痩せているようだ。――産後のせいなのだ、志保は初めそう思っていたが、妹のようすを見ているうちに、この夫妻がなにか困難な立場にいるということを察しはじめた。
「うちあけて申しますとね姉上さま、園部は高田藩から退身してまいりましたの」小松はひじょうな早口でそう云った、「……おいとまになったのではなく、こちらから願った退身ですの。理由は園部の才能のためですわ。この塾の秀才といわれ父上もあれほど認めていらっしゃいましたわね」
「さようなことを申して」晋吾が堪りかねて妻を制した、「……聞き苦しいではないか小松、姉上がおわらいなさるぞ」
「わたくし本当のことを申しているのですもの、ええ本当のことですとも、そして世間で認めなければ、こちらで認めさせるより仕方がございません。まして肉親の姉上ではございませんか、わたくし思っているとおりを申上げますわ」
「そうですとも、姉妹の仲ですもの、遠慮なしに聞かせて下さらなければ……」
「ええすっかり申上げますわ、そうでなければお願いの筋だってとおりませんもの」小松は勢を得たように坐り直した。


 園部晋吾は藩の学堂助教として、二十石三人扶持を給されていた。気は弱いが自分の才能には確信をもっていたかれは、そんな僅かな扶持で、いつまでも田舎の学堂などに埋れているつもりはなく、やがては第一流の学者として名を挙げる野心をもっていた。それで江戸藩邸にいる知友をとおして絶えず書物を買い求めたり、また筆写を依頼したりする費用が意外にかさみ、どんなに倹約しても家計は苦しくなるばかりだった。――これではどうにもしようがない、晋吾よりさきに小松がそう思った、――なんとかこの状態を打開しなければ、なにか方法はないだろうか。そう思案していたとき、たまたま学堂の用で江戸へ出た晋吾は、そこで蘭学というものが学界で珍重されはじめているのをみた。勿論まだ専門家はいないし、研究する者も極めて少数だが、多少とも新しい方向を見る者は、ごく近い将来に大きな勢力をもつだろうということを認めていた。表向きには幕府の禁圧があるけれども、それが却って珍重されるちからともなり、大藩諸侯のなかにはひそかに手をまわして、蘭学をまなぶ者のために補助を与えようとするものが少なくなかった。晋吾はこのありさまをよくみて帰藩したのである、
「……わたくしには学問のことはわかりませんが」と小松は続けた、「姉上さまなら理解して下さるでしょう。わたくしたちは長崎へゆくつもりなんです。期間はだいたい三年ときめておりますけれど、五年でも六年でも、主人が蘭学をえるまでは辛抱します。そのあいだ縫い針洗濯の手仕事をしても、どんな事をしてでもきっと辛抱しとおしてみせます」
「ではこれから新しく、蘭学の勉強をお始めなさるというのですね」
「そして石にかじりついても、蘭学者として天下に名をあげて貰いますわ、お願い申すというのはそこなんです」小松はじっと姉の眼に見いった、「……長崎へまいればわたくしはその日から生活たつきの手仕事を始めるつもりですの。それにはこの晋太郎が、……この子がどうしても足手まといになります。それで、ずいぶん我が儘なおたのみですけれど、晋太郎を預かって頂きたいと思いまして」
 そのとき志保は頭からすっと血の消えるような感じがした。
 ――これで昨日からのことはすべて終った、そう思った。学問の道へ還ることも、正念寺の墓前へゆくことも、みんな一夜の夢として終った、あのような幸福はやはり本当に自分のものではなかったのだ。
「よくわかりました」志保は自分の蒼ざめてゆくのがわかるようで、面を伏せながらしずかに頷ずいた、「……わたくしに養育ができるかどうか不安ですけれど、任せて貰えるならお預りしましょう」
「まあ、承知して下さいますの、有難うございますわ、きっとそう仰しゃって下さると思いました」小松はそう云ってふと眼を輝やかした、「……けれど姉上さま、いま思いついたのですが、いっそ晋太郎を貰って頂けませんかしら」
「だってあなた御長男ではないの」
「長男でも健二郎が男の子ですから、家の跡取りには少しも差支えませんわ、姉上さまこそこれまでご結婚あそばさなかったのだし、これからだってもうお輿入こしいれなどはあそばさないでしょう。それならこの子を育ててお跡を取らせて下されば」
「それはわたくしのほうはどうせお育てするのだからよいけれど、あなたはご自分の身をいためたお子ですよ、今はそうお考えでも、いつかはきっと後悔すると思いませんか」
「そんなことは決してありません、そうして頂ければ気持もずっと楽ですし、こころ残りなく長崎へもまいれますわ、ねえ姉上さま、ご迷惑でなかったらそうきめて下さいまし……」
 そう願えればぜひ、と晋吾もそばから言葉すくなに云い添えた。
 相談はそれできまった、志保がなにを考える必要もなく、小松は自分の思うままに事を運んでゆき、てきぱきと締め括りをつけた、「今日からはこの伯母さまのお子になるのですよ」子供にもそう云いきかせた、「……いつも話すとおりお祖父さまは他国にまでお名を知られたりっぱな方でした。あなたも伯母さまのおおしえをよく守って、お祖父さまに負けないすぐれた人にならなければいけません。あなたの成人ぶりに依っては、黒川の家名を再興して頂けるかも知れないのですから、わかりましたね」まる四歳の子には無理なことをきびきびと云い聞かせ、なおせきたてるように志保との母子のかための盃を促がした。
 志保は云われるままになっていた。今頃はちょうど正念寺の父の墓前で、手紙のぬしが空しく自分を待っているに違いない、――どうぞお赦しあそばして。志保は胸苦しいほどの思いでそう念じた、――こうなることが亡き父の意志だと存じます。あなたもそう思召おぼしめして、わたくしのことはどうぞこれぎりお忘れ下さいまし。そしてなお志保は自分に誓うのだった。
 ――これで生涯の道がきまった。自分は晋太郎の養育になにもかもうち込もう、あらゆるものをなげうってこの子を生かすのだ。


 園部夫妻が立っていった日から三日めに、杉田庄三郎が三名の青年たちと訪ねて来た。用件はむろん靖献遺言の講義のことだった。志保ははっきりと断わった。
「よく考えてみましたが、あの書は宝暦年中、竹内式部どのが京で公卿がたに講義をあそばして、幕府から厳しいお咎めを受けたものだと伺いました。父がみなさまに授講しなかったのも、そこを憚かったのではございますまいか、わたくしそう存じますけれど」
「仰しゃるとおりだと思います。しかしわれわれが遺言を講じて頂きたい理由の一もそこにあるんです」庄三郎は声を低くした、「……わたくし共は幕臣ですけれども、ただ幕府に仕えているだけで本分を尽したとはいえません。亡き先生の教はつねにそれを示して下すった、ぎりぎりにつき詰めればわれわれはみな朝廷のつわものである、大義とはその一点をさし、身命を捧ぐるところもそのほかにはない、直接のしゅくんたる幕府へ忠節を尽すのは云うまでもないが、万一にも幕府に非違ひいがあれば、敢然と起ってちょうの御盾とならなければならぬ、忠とはそのことのいいだと仰せられました、……靖献遺言がまことに義烈の精神をやしなう書であるなら、幕府の忌諱を怖れる要はない、先生の時代にもし憚らねばならなかったものなら、われらの時代においてその蒙をひらくべきだと思うのです、おそらく先生もこれに御異存はないと信じます」
「それこそ父の望むところだと存じます、わたくしにはどうしても御講義などはできませんけれど、皆さまでご一緒にご講読あそばしてはいかがでございますか。毎月の忌日には此処へいらっしゃるのですし、その日なら塾もあいておりますから」
 庄三郎はそれでもなお志保の講義を望んだ、それは志保を通じて亡き一民の精神に触れたいからである。しかしどうしても志保が承知しないので、ついには仕方なく、忌日に塾へ集って自分たちで講読することにきめ、話が終るとすぐに座を立った、……このあいだ志保は、注意を凝らせて杉田庄三郎の挙措きょそを視た。理由はなにもないが、相対しているうちにふいと、――この方ではないかしら、そういう気持がしはじめたのである。なぜそう思いついたのかまったくわからないし、相手のそぶりに変ったところがあるわけでもなかった。ただふいとそういう気持に襲われ、同時になぜ今までこの方に気づかなかったのかと自分が訝かしくさえ感じられた。……杉田は藩の書院番を勤めている、二百七十石余の筋目正しい家柄で、父はすでに歿し、家族は母親とかれの二人きりである。年は三十一になるがまだめとらず、「嫁の代りです」などと云いながら、ずいぶんまめまめしく母に仕えているという。一民の旧門下十七人のなかでは古参だし、条件を考えると志保がそう思いついたのは寧ろ遅すぎたくらいかも知れない。けれどそう思ってよくよく注意してみたが、庄三郎のようすにはいささかも変ったところはなかった。
「では考え違いかしら」志保はかれらを送りだしてから、思い惑ったように呟やいた、「……もしあの方なら、あれほど平気な冷淡な応対はなされない筈だ、ではいったい誰だったのだろう」
 すべてを諦めたと思い切ってから、却って志保の心は手紙の主に惹きつけられるようだった。むろんそのぬしがわかったとしても、今はもうどうするすべもない。晋太郎を育てあげることに一生を捧げるほか、自分の生きる道はない。かたくそう決心しているにも拘わらず、却ってこころ惹かれるのはなぜだろうか、――こういう気持をみれんというのであろう、恥ずかしいことだ。志保は自分を責め、できるだけそういう感情からぬけ出ようと努めるのだった。
 晋太郎は温順な子だった。父母と別れてから四五日は、ともし頃になると悲しそうで、独り庭へ出ていっては、涙の溜った眼でじっと遠い山脈やまなみを見ていたりした。寝床のなかで微かにむせび泣いている声も二三ど聞いた。志保の胸は刺されるように痛んだ。かき抱いていっしょに泣きたいという烈しい衝動がつきあげてきた。けれど志保はじっとそれをがまんした、――つまらぬ慰めなどでまぎれる悲しみではない、好きなだけそっと泣かせて置くべきだ、悲しさ辛さに堪えるところから、人間の強く生きるちからが生れるのだから。歯をくいしばる思いでけんめいに自分を抑えつけ、できるだけ見て見ぬふりをしとおしたのであった。……だがそういう悲しみもやがて薄れてゆき、少しずつ志保やお萱にも馴れはじめた。
「晋太郎さまはきっとたいそうなご立身をあそばしますよ」お萱は自信ありげにたびたびそんなことを云った、「……眉つきとお口許が尋常でいらっしゃらない、これは人の頭に立つ方の御相です。まあみておいであそばせ、いまにお萱の申すとおりにお成りですから」


 子をさぬ者に子は育てられぬという。志保はその言葉を自分への戒しめにした。不可能なことを可能にするためには、人なみなことをしていたのでは及ばない。そのうえ志保はかれを武士に育てようと思っていた。ただ自分だけの子にするのではなく、御国の役にたつ人間、りっぱに御奉公のできる武士にしたい。そしてもしできるなら松本藩で黒川の家名を再興させたい。そう考えたので、育てかたの困難さは一倍だったのである。
 妹のしつけかたによるのだろう。温順な性分とみえるのに少し神経質で、おどおどとしりごみするところがあった。志保はまずそれをめることから始めたのである、……晋太郎はすなおにその気持をうけれた。なかなか笑わない子だったのが、時には声をあげて笑うようになり、志保をもごく自然に「お母さま」と呼びはじめた。初めてそう呼ばれたときの感動を、ながいあいだ志保は忘れることができなかった。どういう感じだったか、的確に云い表わすことはできないが、ただこれまでに覚えたことのない歓び、それも身内がうずくような大きな歓びであったことはたしかだ、――子のためにはどんな辛労もいとわないという、母親の愛とはこういう感動のなかから生れてくるのに違いない、志保はそのときそう思った。
 けれども後から考えると、はじめの一年ほどは子供を養育するというより、寧ろ志保のほうが教えられ勉強した期間のようであった。――母とはどういう存在であるか、子供とはどういうものであるか、明け暮れ晋太郎をみとりながら、瑣末な事の端はしに、びっくりするほど子供から教えられることが多い。志保のすること、志保の考えること、それがみんな子供の上に現われる。まるで鏡のように、母親の挙措言動がそのまま子供の上に反映するのである、――子供を育てるということは自分が修業することだ、志保が心からそう悟ったのは明くる年の秋の頃だった。子供は教えられることよりも、教えまいとすることのほうをすばやく覚える。こちらが膝を正してさとすことは聞きたがらない。しかしたとえば寝そべって話す気楽な話はよく聞く。あらわれたところよりも隠れてみえないところに興味をもつ。だから事のよしあしは、訓えるよりもまず自分で示すほうがすなおに受け容れられるのだ。
「養育するのではない」志保はつくづくとそう思った、「……自分が子供から養育されるのだ、これが子供を育てる根本だ」
 母子の愛情というものもしぜんに結ばれてゆき、性質も少しずつ志保の望むほうへと根をひろげた。質素に、勤倹に、剛毅に、云ってしまえば簡単であるが、じっさいにはなかなか困難なことを、自分から身を以て示しつつ導いていった。……厳寒の未明に起こし、裏の小川へいって、薄氷を破って※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)はんぞうへ水を汲み洗面させる。いかに寒くとも肌着に布子、半袴よりほかには重ねさせない。それらの品もみな幾たびか洗濯をし、破れたところには継ぎをし縫いかがって着せる。食事は一菜か一汁にかぎり、物日ものびに干魚を焼くのが精ぜいだった。こういうことをきちんと励行するのは、子供よりもこちらが辛いものである、「ああ寒かろう」「ああ冷たかろう」「さぞ甘いものが欲しいであろう」事毎にそう思う。子供がおとなしく従えば従うほど、いじらしいという感情がはげしく心を責める。もっとも怖れたのはそれだった。可哀そうにと思うあまりついあまやかしたくなる。しかしそれは子に対する愛にはならず寧ろ自分の感情に負けるだけなのだ。子供はそれほどには思わないものを、親が自分で自分をあまやかすに過ぎない、……ここでもまた「しっかりしなければならぬのは親だ」ということを悟らされたのであった。
 こういう反面に志保は子をもつ歓びをつよく感じていった、「女は子をもってはじめて本当に女となる」という、それがしみじみとよくわかった。寝ても起きても、絶えず自分にたより自分の愛を求める者がいる。「お母さま」と呼びかける声、じっと見あげるつぶらな、汚れのない大きな眸子、まとい付く柔かな温かい手、それはみな紙一重の隙もなくじかにこちらの血肉へ触れるのだ。志保は夜なかにいちど、必ず晋太郎の寝所をみまうならわしだったが、平安にねいっている子の寝顔を見ると、そのまま去ることができず、惹きつけられるような眼で、ながいあいだじっと見まもっていることがしばしばだった。
「お嬢さまはお変りあそばしました」お萱はよくそう云うようになった、「……この頃のように活き活きとした、お仕合せそうなごようすは拝見したことがございません。お顔もつやつやとしてきましたし、いつもお楽しそうで、本当にお人が違ったようでございます」
「自分でもそう思いますよ」志保はすなおに頬笑んでそう答えた、「……毎日まいにちがこんなに生き甲斐のあることは初めてです。本当に女は子供をもってこそ生きるはりあいがあるものですね」
「そんなにお思いなすって、もし晋太郎さまとお離れなさるようなことがあったらどうあそばします」
「この子と別れるのですって……」
「実の親御がいらっしゃるのですもの、無いことではないと存じます」


 深い考えがあって云ったのではない。なんの気もなくふと口に出たのであろう。しかしお萱の言葉は志保にするどく突き刺さった。――そうだ、この子には実の親がある。たとえあのときの約束がどうであろうと、返せと云われれば返さないわけにはいかない、もしそんなことになったとしたら……。志保は全身の血がこおるように思った。本当になにかで突き刺されたように、心臓のあたりがきりきりと痛んだ、――いいえできない、晋太郎を離すことはできない、もしそんなことになったとしたら、おそらく自分には生きるちからが無くなってしまうだろう。もうその時が来たかのように、志保が色をうしなって考えこむのを見たお萱は、却ってうろたえたように急いでうち消した。
「そんなにお考えなさることはございませんですよ。小松さまにはご二男がおありですし、あんなに堅くお約束をあそばしたのでございますもの。あまりお嬢さまがお仕合せそうなので、お萱がつい心にもないことを申上げたのです。決してそんなことはございませんからご安心あそばせ」
 そうだ、そんなことがあってよいものか。志保はお萱のうち消しに縋りつく思いで、不安な想像を忘れようとつとめた。けれどもいちど心に刺さった苦痛の感じは決して去らず、それからもときどき襲ってきては志保の胸をかきみだすのであった。
 毎月の忌日に塾へ門人たちの集ることは、あれ以来ずっと欠かさず続けられていた。かれらのあいだでは、いちばん年長でもあり黒川門の先輩でもある杉田庄三郎が、いつか指導者のようなかたちになり、青江市之丞がその補助者とでもいう位置で、みんな固く結びついているようだった。
「靖献遺言」の講読にはかなり時日を費やして、ときには激しい議論のこえが母屋のほうまで聞えてくることなどもあった。
「みなさまたいそうご熱心でいらっしゃいますのね」或るとき志保がそう云った、「……わたくしが父からお講義をして頂いたときは、たしか半年ほどで済んだと思いますけれど」
「いや遺言だけではないのです」庄三郎はそのときふしぎな微笑をうかべながらそう答えた、「……遺言の講読をはじめてから暫らくして、わたくしはふとこういうことを考えたのです。ご存じのとおり此書は、楚の屈平、漢の諸葛亮、晋の陶潜、唐の顔真卿、宋の文天祥、宋の謝枋得、処士劉因、明の方孝孺、以上八人を選んでその最期のことばをあげ、義烈の精神をあきらかにしたものです。そしてそれはむろんわれわれを感奮せしむる多くの内容をもってはいますけれども、しょせんはみな海を隔てた異邦の歴史であり異邦の人の詞です。もちろんそれだからといって此書の価値を云々しようとは思いませんし、異国の事蹟をとって参考とする必要もよく認めます。だがそれと同時に、いや寧ろそれよりさきに、わが日本の国史をり、われわれの先祖の事蹟からまなぶべきではないか、そう思ったのです」
 庄三郎はそこでふと口を閉じ、溢れてくる感情を抑えるもののように、暫らく黙って自分の手を見まもっていた。そう云いだすまえの、かれのふしぎな微笑の意味が、そこまで聞くうちにおぼろげながら志保にも推察できるような気がした。それは志保が講義を聴いたとき、亡き父の一民が、――絅斎先生がこれを編まれたのは時代のむべからざるためだ、そうでなければおそらく我が日本の靖献遺言を撰せられたであろう。そう云ったことを思いだしたからである。いま庄三郎はじめ門人たちが当面した観念も、おそらくは父の志したところへゆき当ったのに違いない。そうだとすれば、庄三郎のもらした微笑は危険の自覚である。
「わたくしたちはいま遺言と並行して太平記を講読しています、そして別の時間に神皇正統記を読みはじめました」庄三郎はやや声をひそめる感じでそう云った、「……まず国史です、異国の思想にも禍されず、時代の権勢にも影響されない純粋の国史を識らなければならない、同時にわれわれ日本の先人たちの遺した忠烈の精神、われわれがけ継ぎ、子孫こまごへと伝えるべき純粋の国体観念、これをあきらかにしなければならぬのです、だが……ひじょうに悲しいのは、この国の民ならおよそ十歳にして知らなければならぬことを、今はじめて、しかも戸をしてひそかにまなぶということです、しかもその戸は、おのれ自身の心にもあるのですから、自分の心の一部にさえ戸をさなければならない、……悲しいというよりはわらうべきことかも知れませんが」そう云いかけてふと、他をかえりみるように「山崎闇斎が――藩国に仕えず王侯に屈せず、といった言葉を、わたくしはいま身にしみて羨やましく感じますよ」
 志保は黙って頷ずきながら聞いていた、なにも云うことはなかった、ただ心のなかで、――この方たちも成長してゆく、ということを呟いていた、この方たちも……。


 それは一種の云い表わしがたい感動であった。自分のふところで晋太郎が成長してゆくように、亡き父の志した方向へと門人たちが成長してゆく、二つのものが、この菊屋敷のなかで逞ましく成長してゆきつつある、しかも両者とも志保と深いきずなにつながれているのだ、晋太郎が志保の子であるように、門人たちのなかに一人、いまもなお志保に心をよせている者がある、……そう思うと身内が熱くなるような、よろこびとも顫震せんしんとも云いようのない感動がこみあげてきて、志保はわれにもなく胸をかき抱く気持だった。
 三年めの冬にかかり、初めての雪がちらちらと舞いはじめた日の午後に、とつぜん園部夫妻が帰って来た。そのとき志保は家塾のほうで、村の児女たちの手習をみていたが、――夫妻が帰った、とお萱から聞くなり、
「子供は、健二郎どのは」とうち返すように訊いた、「健二郎どのも一緒ですか」
「はいご一緒でございます」お萱には志保がなぜそんなことを訊くのかちょっとわからなかった、「……お可愛らしくまるまると肥えて、お丈夫そうに育っておいでなさいます、すぐおいであそばしますか」
「もう少しお稽古があります、済んだらすぐにゆきますから」
 志保はおちつきをとり戻してそう答えた。健二郎が丈夫に育っているならよい、これでもう晋太郎を取り返される心配はない、つねづね頭のどこかに、とげの刺さっているような感じだったのが、さっぱりときれいに抜け去った、そういう気持だったのである。……児女たちの稽古を済ませて母屋へゆくと、夫妻は健二郎と晋太郎を前に坐らせ、なにか菓子のような物を出して与えているところだった。
「わたくしたち明朝おいとましますのよ」挨拶が終るとすぐ小松が云った、「……園部がこんど伊勢の藤堂家へお召抱えになりましたの、それも江戸詰めで、まっすぐくだらなければならなかったのですが、いちどお逢い申さなければと思ってお寄り致したのですわ、どうぞなにもお構い下さいませんようにね」
「それはようございましたこと、では長崎でのご修学が実をむすんだのでございますね」
「いやまだなかなかです」晋吾は控えめに眼を伏せた、「……僥倖とでも申すのでしょう、紹介する人があって、二百石という過分の禄で召抱えられましたが、蘭学のほうは殆んどまだ覗いたという程度にすぎません」
「こういう謙遜ぐせが主人のいけないところですわ」小松が歯痒そうに遮ぎった、「……必要もないのにへりくだってご自分で損をなさる、これまでにもたびたびそれが禍をなしてきました、もうこれからはそんなお癖はおやめなさらなければね、だってこんどは高田のときとはご身分が違うのですから」
 志保はつくづくと夫妻を見まもっていた。あのときとは人が違ったようである、二人とも活き活きとして、希望を達したよろこびに溢れてみえるし、衣装も髪道具も、なかなか高価な品を用いている、小松は少し肥えたようで、血色のよい顔はむすめ時代の美しさをとりもどし、眉のあたりには権高けんだかな、誇らしげなものさえあらわにみえる、――環境に依ってこうまで変るものだろうか、志保は眼をみはる思いだった、妹の気質はもともと華やかさ豊かさを好み、いつもひとに勝っていなければ承知できないほうだった。晋吾を長崎に遊学させ、二百石という出世をさせたのは、おそらくその気質が良人をひき立てたからに相違ない、そしてその望みのかなった今は、このように誇りかに活き活きとしている、しかし人間は世の転変からまぬがれることはできない、こういう生き方を押し進めていって、もしまた蹉跌するようなことがあったらどうするか、――環境の善し悪しに依って生きる気持まで左右されるようでは、良人の事業を大成させることはできないだろうに。……だがそれをいま注意したところで妹にはわかるまい、志保はそう思った、妹は妹なりに、自分の身を以てそれを知るほかはないであろう。
「まあ晋太郎さんは」と小松がはじめて気づいたように声をあげた、「……ずいぶんご質素な物を着ておいでなさるのね、着物もお袴も継ぎが当っているではありませんか、それにお袴はどうやらお祖父さまの物のようね」
「そう、父上のおかたみを仕立て直しました」志保はことも無げに云った、「……かなりお着古しになった筈だけれど、やはり昔の物は品がよいのですね、直せばまだ二年くらいは使えそうですよ」
「でもこれでは可哀そうですわ、幾ら山里にしても子供がこんな柄のお袴ではね」
「そんなことはありません、どこでだってみな親たちの着古しを直して用いますよ、晴着はべつですけれど……」
「お百姓や町人ならそれでもよいでしょうけれど、晋太郎さんは武士の子ですものね」小松は子供の顔を覗くようにして云った、「……長崎からなんのお土産もなかった代りに、着物とお袴を調えてあげましょう、明日いっしょに御城下までいらっしゃい、ねえ晋太郎さん」

十一


 夕餉のときも、済んでからも、殆んど絶え間なしに小松の話しごえが続いた。往復の旅のこと、長崎の生活、異様な風俗や言葉、そして山河の景色など、次ぎから次ぎへと語って飽きない、それがみな志保には興味のないことなので、ようやく妹の饒舌が終り、おのおのの臥所へはいったときはすっかり疲れていた。
「あんなに浮わついた妹ではなかったのに」夜着の中で志保はそう呟やいた、「……あれでは心もとない、あの気性はこれまで園部どのをひき立てたかも知れないが、あのままではやがて良人を誤まらせないとも限らない、どうかそんなことのないようにしたいものだ」
 園部夫妻は翌日の朝はやく出立した、そして志保が辞退するのを押して、晋太郎を松本の城下町へともない、衣服ひと揃えを買い求めて与えた。……晋太郎にはお萱が付いていったのであるが、帰って来るとお萱はひどく感心したようすで、「まあごらんあそばせ、こんなによいお支度を頂きました」とすぐにその品々をとりひろげてみせ、晋太郎を呼んで着付けさせた。なるほど高価なよい品だった、妹の好みらしく、染め色も縞柄もおちついた、ひんの良い選みで、少しはでだというほかには難のない支度である、すっかり着付け終ると、晋太郎はおどろくほどおとなびて凛々りりしくみえた。
「ああおりっぱにみえます」志保はしずかに見あげ見おろしして云った、「……あなたも嬉しいとお思いでしょう、晋太郎」
「ええ嬉しゅうございます、でもなんだか少し、少しよすぎて恥ずかしいようですね」
「そう、よすぎて恥ずかしいの」
「だってこんな物を着ていると、きっとみんなが笑うだろうと思いますよ」かれはたいそうまじめな調子でそう云った、「……ただ新らしいだけだって笑うんですからね、いつか足袋をおろして頂いたときなんか困ってしまいましたよ」
 本当に困ったらしく眉をひそめるのが可笑しくて、お萱はつい声をあげて笑ってしまった。志保はそのとき座を立って、「ちょっとこちらへいらっしゃい」と晋太郎を呼び、いっしょに仏間へはいっていった。
「あなたは本当にその着物を頂いて嬉しいと思いますか」ほの暗い部屋の中に相対して坐ると、志保は穏やかな声音こわねでそう訊いた、「……正直にお返辞をなさい、本当に嬉しいとお思いですか」
「はい、お母さま、そう思います」
「でも母さまはそう思って貰いたくないのですよ、晋太郎、これまで母さまが教えてきたことを覚えておいでなら、あなたもそうは思わない筈ですがね」
 晋太郎はびっくりしたようにこちらを見あげた。志保はその眼を穏やかに見まもり、寧ろかれの同意を求めるような調子で続けた。
「着せてあげてよいものなら、それくらいの支度を調えることは母さまにもできます、でもお忘れではないでしょう、あなたは武士の子です、やがてはあなた自身も武士として御奉公をするのです、さむらいというものは、いついかなる時にも身命を捧げる覚悟がなくてはならない、暫しという間はない、召されればその場で死ななければならぬものです、……こう云うだけではやさしく思えるでしょうが、その覚悟をやしなうのは一朝一夕のことではありません、ごく幼少の頃から粗衣粗食を守り、寒暑に耐え、身も心も鍛えつづけてこそ、はじめて、どんな困難にであってもたゆまぬ人間となれるのです、おわかりでしょう、晋太郎」
 はいと晋太郎は頭を垂れた、志保はその額のあたりを見まもって、「ではその着物はしまって置きましょうね」と云った。
 その前後から、忌日に集る門人たちのなかに、江戸詰めになって去る者があり、新しく加わって来る者がありして、かなり顔ぶれが変っていった。杉田庄三郎はやはりおなじ位置にいたが、青江市之丞が去って吉岡助十郎という者が代り、そのほかときおりは他藩の者も来るようにみえた、……そういう人の異動を知るたびに、志保はいつもあの手紙の主を思わせられた。いちどは庄三郎に違いないと考えたが、そうきめる根拠がないために、やっぱり十七人のなかの誰かというよりほかになく、去ってゆく者のあるたびに「もしやあの方ではないか」という気がしたり、「……いやあの方はお若すぎる」と否定したりする、そういうときの気持は、しかしもうずっとおちついたものになっていて、どうかすると物語でも読んでいるような、現実から離れた美しさをさえ感ずるのだった。
 園部夫妻が長崎からの帰りにたち寄った、その明くる年の二月のことである。珍らしく※(「易+鳥」、第4水準2-94-27)いすかが五羽も到来したので、志保とお萱とで手料理を作り、忌日に集った門人たちに馳走をした、これまでにもおりおり食事くらいは出していたが、料理に酒まで付けたのは初めてのことで、みんなよろこんで膳に就いて呉れた。
「晋太郎さんもお呼び下さい」庄三郎がそうせがんだ、「……もう八歳だから時には男のなかへ出さなければいけません、あなたはずいぶん厳しく躾けておいでのようだが、婦人はやっぱり婦人ですからね」
「いやそうでもないですよ」と脇のほうから若い門人のひとりが顔を覗けて云った、「……ちょっとみると温和おとなしそうですが、わたくしなどはかなり虐待されたものです、いや本当にひどいに遭っているんですよ」

十二


「それはまたどういうことでございますか」
「表の道から門へはいる途中に晋太郎さんが立っていましてね、――ここは関所だ、旅切手を持たない者は通さない、そう云って立塞がるんです、はじめはごまかして通ろうとするんですが、そうするといきなり、隠して持っていた木刀でやっと打たれるにはおどろきました」
「ああそれか、これならおれもやられたよ」別の青年が笑いながら口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)んだ、「……おれは初めてのとき蜜柑を持っていたので、これが切手でござると出したんだ、すると、――喰べ物などとは卑しいやつだ、そう云ってやっぱり木刀でぽかりさ」
 すると次ぎ次ぎにおれも自分もと云いだして、たいていの者がおなじに遭っていることがわかり、みんなどっと笑いだしながら、「こうなったらぜひ此処へ呼んで、いっぺんに仇討をしようではないか」などと云いはやした。志保はにわかに信じられなかった、気性だけは自分の望むほうへと育って呉れるようだし、ときどき子供には意外なほどはっきりした態度をみせることもあったが、そういう腕白なところはまるで無い、寧ろ無さ過ぎるのがもの足らぬと思っていたくらいである、――それが本当ならどんなに嬉しかろう。志保はそれが事実であるようにと祈りながら、晋太郎を呼んでその席へ坐らせた。
「やあ関守どのの御出座だな」
 一人がそう云うと、みんないっせいに晋太郎のほうへ向き直って呼びかけた。
「今日はこちらが関守でござるぞ」
「この関所の切手は酒だ、酒をまいらなければその座は立たせませんぞ」
「そのうえ木刀でぽかりだ」
 晋太郎は黙ってにっと微笑したきりだった。そしてかれらがなおやかましく叫びたてるのを聞いていたが、ふと志保のほうへふり返って、「お母さま、おとなというものは妙ですね」といかにもあなどり顔に云った。
「なにが妙なのですか」
「ふだんはみんな温和しいけれど、酒を飲むと急に元気がでるのですもの、みんないつもあんなに威勢がよくはありませんよ」
「まあ晋太郎、あなたは……」
 門人たちはまさに面へ一本くった感じで、ひとりが「まいった」というのといっしょにみんなどっと笑い崩れた。志保は眼をみはった、晋太郎がそのようなもの云いをしたことはない、こんな大勢の青年たちからいちどに詰寄られれば、赤面してものも云えないと思っていた、それがいま平然として、子供らしいが辛辣な批評をさえ投げつけている、――こんな臆さないところがあったのか、志保はふしぎな感動にうたれながら、そっとわが子の横顔を見まもるのだった。
「……子供の言葉は怖ろしいな」庄三郎がふとそう云った。晋太郎が去り、かなり盃がまわってからのことである、声の調子が違うのでみんなかれのほうへ眼を集めた。
「酒に酔うと元気が出るという、常にはあんな威勢がないという、……われわれはこうして月に一回この塾へ集り、国史の勉強から始めて、現在では幕府政治の検覈けんかくにまではいって来ている、こうして集っているときは慷慨こうがいの気に燃え、大義顕彰の情熱に駆られるが、塾を去って独りになるとき果してその情熱が持続しているかどうか、……われわれの血にながれている伝統のちからは根づよい、父祖代々、幕府の扶持をんで来て、相恩の御しゅくんというものを観念の根本にもっているわれらは、それを飛躍して大義に奉ずる精神をつかむことだけでも容易ではない、こうして同志が相集っているときには火と燃える決意も、おのれ独りとなり、百年伝統のなかに戻るとその火は衰え、決意は決意だけの空疎なものになり易い、おれはいまそれを痛いほど感じた、われわれのこの情熱が、あい寄ったときの酔でないようにありたいと思う」
「とつぜん変なことを云うようですが」端のほうにいた青年のひとりが、ひどくまじめな口調でそう問いかけた、「杉田さんが妻帯なさらないのはその意味からなんですか」
「わたしが妻帯しない意味だって」
 思いがけない質問なので庄三郎はまごついたらしい、それよりもなお志保はどきっとした、そしてわれにもなく、庄三郎の返辞に耳をかれる気持だった。
「どうして今そんなことを訊くんだ」
「わたくしは先日からこんなことを考えていたんです、禅家が家を捨て親族と絶つのは、生死超脱の道を求める前提です、つまり道を悟るためにまず肉親俗縁と離別するわけですね、妻子親族と絶つことは、つづめて云うと自己の生命の存続を否定することでしょう、親から子、子から孫へと続く生命の系列を自分で絶つ、そこではじめて生死超脱の道を求めるわけです、……わたくし共のめざす道が、大義に殉ずるということを終局の目的にするとすれば、禅家の求道どころではなくもっと直接に生死を超越してかからなければならない。……現に杉田さんはいま、百年伝統のなかに独りいて慷慨の情熱を持続できるかどうか、ということを仰しゃった、そういう意味から、つまり係累をもたぬという意味で妻帯なさらないのではないかと思うのですが」

十三


「いまの言葉がそんな風に聞えたとしたらわたしの誤りだ」庄三郎は苦笑しながら、「……わたしが結婚しないのは理由があるわけじゃない、ひと口に云えば縁が無かったので、あれこれと迷っているうちにこんな年になってしまった、ただそれだけのことなんだ」
「それは嘘だな」と吉岡助十郎が笑いながら云った、「……ずいぶん羨やましいような縁談がたびたびあった、拙者の知っているだけでも」
「よさないか、つまらぬことを……」
 庄三郎が慌てて遮ぎったので、青年たちは手をって笑いだした。志保はそのときまた胸がきりきりと痛むのを感じた、そんなことを思ってはいけないと叱りつつも、手紙の主が庄三郎ではなかったかという疑いが、再びはげしくこみあげてきたのである。しかし庄三郎は眉も動かさず、平然とさっきの青年のほうへ呼びかけた。
「いまの生死超脱のことはいちおう尤もに聞えるが、その考えは少し違うと思う、禅家が生死超脱を追求するのは個人の問題だ、すなわちおのれが大悟得道すればそれでよい、生死の観念を超越するために肉親を捨てる、まず生命の存続を絶つことに依って生の観念の転換をおこなう、それはそのとおりだ、けれどもかくして大悟の境に到達すれば、そこですでに目的は終ってしまうのだ。生死関頭を超克したことに依って、現実にはなにものをももたらしはしない、……われわれが死を決するところはそれとは違う、大義を顕彰するということはわれわれ自身の問題ではなく、この国民くにたみぜんぶの系体に関するのだ、われわれが生命を捨てるだけで終りはしない、われわれの子も孫もあとに続かなければならぬ、つまりわれわれのばあい生命は存続しなければならぬのだ」
「お言葉ですが、禅家の悟りが個人の問題で終るというのはどうでしょうか」
 脇のほうからそう問いかける者があって、話題は宗教のほうへ変った。志保はそこでしずかに座を立った。……かれらの集りが死を問題にするところまできているということはそのとき初めて知ったのである。正しい国史を識ることは、やがて現在の幕府政体の批判に及ばざるを得ない、「忠義」という観念でさえ、つきつめればおなじ点へゆき当る、宝暦六年に竹内式部が譴責けんせきされ、明和四年に山県大弐が刑死したのも、つづめていえばその一点が原因であった。したがってかれらがやがてここへ達するであろうことは、当然わかっていなければならなかった筈だ。
 ――そうだ、そのことは予期しなくはなかった。自分の居間へはいった志保は、しずかにこれまでの自分の想いをふりかえってみた、――ただあの方たちの口をとおして聞いたことが自分をおどろかせたのだ。そして、……大義顕彰のためには自分が死ぬだけでは終らない、子も孫もあとに続く、生命の存続がなければならぬと云った杉田の言葉が、ひじょうに強い意味をもって志保の心を叩いたのである、「命を捨てる覚悟だから今までめとらないのか」という問いに対して、「自分が死ぬだけでは目的は達せられない、続くべき子孫が必要だ」と云う、子々孫々をあげて大義顕彰の道へ進もうというのだ、ではなぜ今日まで結婚しずにいるのか、吉岡助十郎のふと口にした、――羨やましいような縁談がしばしばあった、というのがもし事実なら、それを断わって娶らずにいる理由がなくてはなるまい。
「……ああ」志保は緊めつけられるように声をあげた、「それではやはり杉田さまだったのかしら、いえいえ、そんなことはない、杉田さまならうちつけに仰しゃれる筈だ、父上が在世のときにだって、じかに父上にお望みなさることもできた筈だ、……そんなことはない、決して杉田さまではない」
 かれではないと否定することは、かれだという疑いをたしかめるためだったかも知れない、その夜からのち、志保の耳には「杉田さまだ」と囁やくこえが絶えず聞え、そのたびにあわてて「いいえ違う、あの方ではない」と心にうち消すことが続いた。それはもう物語を読むような美化されたものではなく、追い詰められるような胸ぐるしい感じだった。……かつてぬしの知れない手紙に書いてあったように、自分は美しくないというかたよった感情、女でこそあれ学問の道で名をあげようと思いあがった気持、男性などには眼もくれなかった傲慢、そういうむすめらしからぬ態度が、杉田の求婚をよせつけなかったのだという、はげしい自責の念さえつきあげてくる、「このままではいられない」志保はやがてそう思うようになった、「……もうこのままうやむやにはして置けない、善かれ悪しかれ、はっきりさせなければならない、それも早くしないととり返しのつかぬことになりかねないから」

十四


 そう心はきめたものの、いざとなると気臆れもし、またその方法にも迷った。もちろんじかに逢って話す勇気はない、といって手紙をるのはふたしなみのようである、いっそお萱のちからを借りようか、そんな風に考え惑いつつ徒らに日は経つばかりだった。ながい年月としつきそっと秘めてきた心の手筺てばこともいえよう、蓋を明けたい気持はあっても、むざと鍵に手をかけられないのは当然だったかも知れない、こうして春も過き、夏も終りかけた或日のことだった。……夕餉の膳に向おうとしているとき、訪れる人の声がしてお萱が立っていった。そして戻って来ると一通の封書をさしだしながら、「お江戸の小松さまからお使です」と云った。
「小松から、……手紙だけですか」
「お使の者が持ってまいったようです」
「そう、晋太郎はさきへ召上れ」
 志保はそう云って居間へはいり、妹の手紙をひらいてみた。胸騒ぎを抑えながら読みすすめると、健二郎が死んだという文字にゆき当った、……志保はそこでひしと眼をつむった、それは次ぎにくる文字を読みたくないという本能的な動作だった、そのあとになにが書いてあるか直感でありありとわかる、石を投げられると無意識に手をあげて防ぐ動作をする、志保が眼をつむったのはそれとおなじものだった、そしてそのまま暫らくじっと息を詰めていた。
「どうあそばしました」お萱が気遣わしげにはいって来た、「……なにか悪いお便りでもございましたか」
「健二郎どのが亡くなったのです」
「まああの、ご二男さまが……」
 お萱のおどろきの声もひどくよろめいたものだった、志保はしずかに眼をあけて、手紙の文字を読み継いだ。――今年の夏は江戸に悪い時疫がはやり、できるだけ注意したがついに健二郎も冒され、僅か七日ほど患らっただけではかなくなってしまった。そういう意味が、妹には珍らしくすなおな筆つきで書きしるしてある、――できるだけ注意したとは書いたが、正直に云うと自分が悪かったのである、良人に禁じられていた巴旦杏はたんきょうを、せがまれるままに喰べ過ごさせた、それが原因だということは医師も認めているくらいで、それを思うと夜なかなどに、つい叫びだしてしまうほど、恐ろしい後悔に責められる、自分は良き母ではなかった、けれど健二郎の命に代えてそれを思い知らされたと考えると神をも怨みたくなる、……自分はいま子が抱きたい、この石のように空虚で冷たくなった胸へ、ちからいっぱいわが子を抱き緊めたい、どうか晋太郎を返して呉れるよう。
 志保はからだじゅうの血が凍るような悪寒に襲われた、怖れに怖れていた文字がとうとうそこへ出てきたのだ、しかし志保はけんめいに自分を抑えつけた、――こんなことを云っては申訳がないけれど、と手紙はさらに続く、――健二郎が死んだ今は晋太郎が跡継ぎである、しかし自分が返して欲しいのはそのためではない、理窟なしの愛情である、わが子を抱きたいという母親の愛だけである、姉上は子をしたご経験がないから、こういう母の愛の烈しさはおわかりにならぬかも知れない、この烈しさはいかなるものも拒むことができないのである、怒られてもよい罵しられてもよい、どうか晋太郎を返して呉れるよう、使の者といっしょに早く、一日も早く晋太郎を返して呉れるように、……懇願というより叫びのような文字で、その手紙は終っていた。
「使の者はさぞ疲れているでしょう」志保は声のおののきを隠しながら、つとめてしずかにそう云って立ちあがった、「……今宵はここへ泊めてあげなければなりません、忠造に洗足や食事の世話をしてやるよう申し付けて下さい」
「でもお嬢さま、そのお手紙はいったいどういうことが書いてあるのでございますか、もしや……」
「あとで話します、とにかく御膳を済ませましょう」
 さきへ食べるように、そう云ったのに晋太郎は待っていた。そして志保が戻って来ると、もの問いたげな眼でじっとこちらを見まもった、志保にはその眼を見るちからがなかった、そして殆んどかたちばかりに箸をつけ、終るとすぐにまた居間へはいってしまった。
 ――どうしよう。
 机の前に坐り膝に手を置いて、志保はかたく唇を噛みしめながら頭を垂れた。……妹の手紙は殆んど悲鳴である、そのかなしみは尤もだと思う、子を喪なった母の気持がどのようなものか、今の志保にわからないわけがない、身をいためこそしないが四年のあいだ晋太郎を育ててきて、子の可愛さいとしさというものを、骨にしみるほど味わっているのだ、小松の悲鳴をあげる苦しさはよくわかる、しかし、それほど自分が悲しさにまいっているのに、姉の気持をどうして察しようとしないのか、健二郎に死なれて自分がそれほど悲しいなら、晋太郎をとり返される姉の気持も察しられる筈だ、……それほどの思い遣りもないのか。
「勝手すぎます」志保はわれ知らずそう云った、「……それではあまり勝手すぎますよ小松」

十五


 晋太郎を返してしまう、志保はそれを考えてみた。あのさかしい眼がもう自分を見なくなる、この頃とくに凛としてきた動作、つい過まちをして叱られるときの悄気しょげた顔つき、なにやら独りで力んでいる可愛い唇もと、それが再び見られなくなるのだ、おっとりとして明るい声も聞けない、かれのものに当ててある部屋はからになるのだ、夜半に見まわってもそこはもうがらんとして誰もいない、いつまでも見飽きないあの寝顔もなくなってしまう、そのほか晋太郎に付いていたもの、晋太郎だけしか与えて呉れなかった有らゆるものが、すべてが跡方もなく拭い去られてしまうのだ。
「それはあんまりだ、あんまりですよ小松、だからわたしは初めに云ったではないか、呉れてしまって大丈夫ですか、あとで悔みはしないかって、……あなたはあのときあれほどきっぱり約束したでしょう、晋吾さんもお萱もちゃんと聞いていました、それなのに今になって、わたしがこんなに晋太郎を失ないたくない今になって、あなたは酷すぎます、あんまりです小松」
 ずいぶん更けるまで、志保は妹を眼の前に見るような気持でかきくどいた。そんなことは志保には似合しくない、そんなにみじめにとりみだすのは志保の性質にはないことだ、返したくなければ「返さない」と云うべきである、そしてこれまでの志保ならそう云った筈なのだ、それがそう云いきれず、そのように哀しくかきくどくのは「返さずに置きたい」というみれんがあるからだった。悲しむだけ悲しみ、怨むだけ怨んで、やがて志保はその「みれんな気持」ということに気がついた。晋太郎を返せという妹のねがいが母親の無条理な愛なら、ただ返したくないという、感情にひきずられる自分の気持も無条理である、どちらも自分の愛、自分の感情に囚われているだけで、晋太郎というものをまるで考えていない、――それでよいのか、志保はそこに思い到って、はじめて自分のうろたえた姿に眼を向けた。
「そうだ、妹もわたしも二の次ぎだ、肝心なのは晋太郎の今後だ」少しずつ鎮まりかけた気持で、しずかに志保はそう呟やいた、「……晋太郎がものの役に立つ武士に成って呉れるなら、自分の失望や悲しみなどは問題ではない、大切なのは晋太郎だけだ、晋太郎をもっとも良く育てる方法、それが第一だ」
 そしてそれを中心にしてもういちど考え直してみた。自分は今日まで質実に剛毅にと育ててきた、衣服も食事もできるかぎりつつましく、起居の行儀も正しく、常に「武士」という観念を基礎づけるよう注意を怠らなかった。万全をつくしたとは云えないまでも、その努力を忘れたことはないと信ずる。……小松は実の母親である、いかに自分がけんめいになっても、血を分けた母子の愛には及ばない、自分が百の努力をしても実の母親の愛の一には及ばないだろう、しかしそれはその愛が正しくある場合のことだ、実母の愛がいかに強く真実であろうと、正しい方向のない、盲いたものであったら却って子を誤まるだけである、――晋太郎を返して、という小松の叫びは悲痛だ、誇りも意地もかなぐり棄て、素裸になった母の哀訴である、しかしそれが晋太郎を正しく育てる愛であるかどうか、子の将来を想うよりも、おのれの愛に溺れているのではないかどうか。
「……まだお眼ざめでございますか」襖の向うでお萱のこえがした、「お邪魔いたしましてもよろしゅうございましょうか」
「いいえもうやすみます」志保はそう云って断わった、「……話は明日いたします、今夜はなにも聞かずに、どうかさきに寝てお呉れ」
「……でもお嬢さま」
 お萱はなお心のこりらしかったが、志保が黙っているので、やがて自分の部屋のほうへ去っていった。
 自分のことは自分がよく知っている、小松のことも知ってはいるが、批評の眼でみては正しい判断はできない、志保は不公正な考え方できめたくなかった、それで結局は「晋太郎の気持で決定するより仕方がない」と思った。幼ないということは、それ自身ひとつの正しさをもつ、成長しようとする本能は純粋だから、選択も迷いがなく、たしかであるかも知れない、……そうきめたときは心もすっかりおちついていた。それからしずかに立って、いつものように晋太郎の寝所を見にゆこうとしたが、それではまたみれんが起るかも知れないと思い、
「起きておいでかお萱」とばあやの部屋へ声をかけた、「……まだ起きておいでなら、お茶をれたいと思うのだけれど」
「はいお嬢さま、唯今お支度をしてまいります」
 お萱の返辞を聞いて志保は居間へ戻った。

十六


 明くる日は父の忌日であった。
 門人たちが集るまえにと思い、晋太郎を仏間へ呼んで相対した。膝と膝とを接して坐り、さてどう云いだそうかと思うと、そしてかれの返辞に依っては、もうかれを子と呼ぶことができなくなるのだと思うと、あれだけ考え悩んで決めた心がふがいなくもよろめきだし、どうか「ここにいる」と云って欲しいと祈りたいような気持さえこみあげてきた。
「江戸から昨日お使があったのはあなたも知っていますね」志保はやや暫らくしてそう口を切った、「……あれは悲しい知らせでした、あなたには弟に当る健二郎どのが、この夏のはやり病にかかってくなったのです」
「健二郎が、……死んだんですか」かれは大きくみひらいた眼で志保を見あげた、「それは可哀そうだったなあ、あんなに肥って可愛らしかったのに、……ねえお母さま」
「本当に可哀そうなことです、でもそれより残ったご両親もずいぶんお気のどくですよ、健二郎どの一人のお子でしたからね、それであなたにご相談なのだけれど……」
 志保がそう云いかけると、晋太郎はなにを思ったかびくっと頬肉をひきつらせ、眼を伏せてじっとからだを固くした。――察しているのだ、そう思うと志保は胸がふるえた。続けようとした言葉も喉につかえ、早くも眼に涙が溢れそうになる、しかし自分で自分に鞭打つような気持で、「江戸の母が呼んでいる」と告げた。できるだけ感情を混えないように、少しでも子供の気をひくような言葉を使わないように、つとめて平静にわかり易く事情を語った。
「……そういうわけで、江戸にいる本当の母があなたに帰って欲しいと願っています、わたしにすれば、これまで育てて来たのだからこれからもそばに置いてお世話をしたい、そしてあなたがりっぱな武士になるゆくすえを拝見したいのですが、……どちらになさいともわたしは云いません、あなたご自身でよく考えて、こうしたい、こうするほうがよいと思うところを云ってごらんなさい、わたしはあなたのお考えどおりにしたいと思いますから」
 晋太郎は俯向いたまま身動きもせずに聴いていた、志保の言葉が終ってからも、からだを固くし、拳をきつく握って、……よく見ると破れるほど強く唇を噛みしめている。
 ――どう答えるだろう。志保は眼まいのしそうな気持だった、江戸へ帰ると云うか、それともここにいると云うか、ああ。
 晋太郎はまだ黙っている、志保は息ぐるしさに耐えられなくなった。すると、そのときお萱が、「……ご門人衆がおいでになりました」と襖の向うから告げた、志保には、救いの手のように思えたので、「……ちょっとご挨拶にいって来ます、よくお考えになって、戻って来たらお返辞を聞かせて下さい」そう云って仏間から出た。……庭へ下りると、ちょうど門人たちがはいって来たところで、八月はじめの強い日光を浴びながら、みんな一斉に志保のほうへ会釈を送った。
「どうかなすったのですか」先にはいって来た庄三郎が、抱えていた書物の包を持ち直しながら問いかけた、「……なんだかお寒そうなごようすにみえますよ、おからだの具合でもお悪いのですか」
「いいえなんでもございませんけれど」志保はそっと頬を押えた、「……急に日の下へ出たので顔色が悪くみえるのでしょうか、今日はお人数が少ないようでございますのね」
「いろいろ故障があって珍らしく小人数です、それに今日は早くしまう筈ですから……」そう云いながら、庄三郎はまじまじとこちらを見て首を傾けた、「やっぱりごようすが違う、いつもとはまるでお顔つきが違いますね、具合がお悪いなら大切になさらぬといけない、どうか構わずおやすみになっていて下さい」
 いかにも気遣わしげな、心の籠った云い方だった。志保はわれ知らず縋りつきたいような衝動に駆られた、逞ましい庄三郎の肩、意志のつよそうな眉、豊かな線をもつひき緊った唇つき、なにもかもが親愛な、温かくじかに心に触れてくる感じだ、――こんなにも自分に近いひとだったのか、そういう気持がぐんと志保をひき寄せるように思えた。
 かれらを塾へ送って仏間へ戻ると、晋太郎はさっきの姿勢をそのまま坐っていた。はいっていっても、眼の前へ坐っても、じっと俯向いたきり顔をあげなかった。そして志保がながいこと辛抱づよく待っていると、やがて眼を伏せたままかれは云った。
「晋太郎は江戸へまいります」
「…………」
「江戸へゆくほうがよいと思います」
 志保はからだから何かがすっと抜け去るように思った、「そう」と云いたかったが声が出ず、一瞬あたりが暗くなるように感じた。

十七


 晋太郎は黙っている志保の気持がわからなかったのだろう、しずかに眼をあげて、どう云ったら自分の考えを伝えられるかと、幼ない頭で言葉を拾い拾いこう続けた。
「本当はここにいたいんです、友達もいるし、いろいろな物があるし、……お萱だって、晋太郎がいなければ寂しがるでしょう、でもそれは、それはわがままだと思います」
 えっと志保は面をあげた。
「いつもお母さまはこう仰しゃっていましたね、りっぱな武士になるには、子供のうちから苦しいこと、悲しいことに耐えなければいけない、からだも鍛え心も鍛えなければいけない、……そう仰しゃっていました、本当はここにいたいんですけれど、そんな弱い心に負けてはりっぱな武士になれませんから、……ですから、晋太郎は江戸へまいります」
 言葉も足りないし表現も的確ではない、けれどもおのれの好むところを抑えようとする意味はよくわかる、志保はぐっと喉が詰まった。この際になって、自分がまだみれんな考につきまとわれているのに、かれは幼ない身でそれだけの反省をし、けなげにもおのれにっている。――よくそこに気がついてお呉れだった。志保は抱き緊めてやりたい気持だった。――これまで育ててきた甲斐があった、これなら小松の手へ返しても大丈夫だ、もう悲しんだり失望することはない。
「あなたの云うとおりです」志保はしいて心を鎮めながら頷ずいた、「……辛いこと苦しいことに耐えてゆく、幼ないうちからそういう忍耐をまなぶことが、なにものにも負けない武士のたましいをつくる土台です。よくそこに気がおつきでした。母さまもうれしゅうございますよ」
「本当は……こっちにいたいんですけれどねえ、お母さまだって寂しくなるし、それに……」
「いいえ母さまは寂しくはありません、たとえ寂しくとも、あなたが人にすぐれた武士になって下されば満足です、ただ江戸へいったら、いまの気持を崩さないように、しっかりと心をひきしめて勉強して下さい、まえにもたびたび申上げたように、さむらいというものは……」
 云いかけて志保はぴたっと口を噤んだ、襖を明けてお萱が顔をだしたのだ、「どうぞお玄関まで……」と囁やくように云う、なにごとかしらんお萱の顔は紙のように白かった、志保は再び座を立った。……玄関へいってみると、常には見慣れない武士が三人立っていた。一人は以前この塾へも通って来たことのある者で、五浦なにがしとかいい、そののち目附役になったとか聞いた。
「失礼いたします」五浦なにがしが軽く会釈をして云った、「……塾のほうへ家中の者が集っている筈ですが、何人ほどおりましょうか」
「よくは存じませんが、たしかお十人ほどではなかったでしょうか」
「……十人、そうですか」
 かれはれの二人にふり返り、なにかすばやく囁やき交わしたのち、しずかに前へ進み出て云った。
「これにおられるのは江戸公儀の大目附から差遣わされた方がたです、あなたはご存じのないことでしょうが、塾へ集っている者たちに御不審があって、これから拘引しなければならぬのです、場合に依っては争闘が起るかも知れませんから、あらかじめお断わり申して置きます」
「それは、それはあの」志保は自分が蒼白になるのを感じた、「……この家でなく、この家でなく外でお願いできませんでしょうか」
「いや外ではとりがすおそれがあります、もはやお屋敷まわりに手配りもできていますから、ではごめんを蒙ります」
「お待ち下さい」志保は反射的に立った、「……それではわたくし、ご案内を致しましょう、そのほうがご穏便にまいると存じます」
「たしかですか」公儀大目附の者だという中年の小柄な武士が、するどい眼でこちらを睨んだ、「……まさか迯がす手引きをするようなことはないでしょうな」
「わたくし黒川一民のむすめでございます」
 殆んど夢中でそう云った、そしてそのひと言が自分で自分の支えになった。がらがらと何かのむざんに崩壊する音が聞えるようだ、すべてを押し倒しつぶす雪崩のように、なにもかもを志保の手から※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)ぎ去ってゆく、――だが狼狽してはならない、こうなることはわかっていた、真実をたしかめるためにはいつでも多少の犠牲は必要なのだ、みぐるしいふるまいをしてはならない。震えてくる手足にちからをこめ、そう自分を訓しながら、志保は先に立って廊下伝いに塾のほうへゆき、しずかに入口の引戸へ手をかけた。
「……ごめんあそばせ」
 そう云って返辞を待とうとしたとき、うしろにひき添って来た大目附の者が、志保を押しのけざま引戸を明け、五浦なにがしと共につかつかと中へ踏み込んだ。
「上意である、神妙になされい」
 そう叫ぶのと同時に、だだと総立ちになる物音が起り、「みんな迯げろ」「斬ってしまえ」と絶叫の声があがった。志保はああと身をひき裂かれるように呻き、どうしようという考えもなく、ただ夢中で明いている戸口から塾の中へはいった、門人たちは一斉に立って刀を抜いた、しかしそれよりはやく、杉田庄三郎がとびだし、両手をひろげてかれらの前に立塞がった。
「刀を置け、なにをうろたえるか、抜いた者は同志を除くぞ」かれの声は塾の四壁へびんと響いた、「……今日あることはかねて期していた筈だ、たとえ捕繩をかけられようと、拘引されて首をはねられようと、われらの志す道にはいささかのゆるぎもない、生きてこの道を天下に顕彰するのはむつかしいが、われらが死ねばあとへ続く者は必らず出る、大やまとの国びとはあげてわれらのあとへ続くのだ、迯げたり隠れたり、生きのびようなどと考えるのは恥辱だぞ」
 肺腑からほとばしり出る叫びだった、みんな蒼白になった面を伏せ、ひきそばめた刀をしずかに下へ置いた。庄三郎は役人たちのほうへ向き直って、まず自分の大剣をさしだしながら云った。
「ごらんの如く、みな慎んで上意をお受け致します、お役目ご苦労に存じます」
「神妙なことだ」幕府大目附の者は庄三郎の刀を受取って、
「……本来なれば腰繩をうつべきであるが、一存をもって御藩の役所までさし許すとしましょう、必らず手数をかけぬように」
 このあいだに庭へ、十七八人の下役人が集って来ていた、五浦なにがしは部屋の中にあった書物や筆記類を包み、なお門人たちの大剣をまとめて下役の者に預けた。……すっかり始末ができると、十人の者は左右を警護されて庭へ下りたが、そのときはじめて、庄三郎が志保のほうへ向き直った。
「……ご迷惑をかけました、志保どの」かれはこちらを燃えるような眼で見た、「ながいあいだお世話になりましたが、たぶんこれでもうお眼にかかることはないでしょう、ほかに心残りはありませんが、今年の菊を見られないのが残念です、……では、ご機嫌よう」
 志保は全身を耳にしてかれの言葉を聞いた、全身を眼にしてかれを見た。もっと、もっと云って下さい、なにもかも残らず、お心にあることをすっかり仰しゃって下さい、今こそ志保はどんなことでもお聞きします、杉田さま、胸いっぱいにそう叫びたい気持で、火のような庄三郎の眼に見いっていた。……しかし庄三郎はそれで口を閉じ、会釈をしてさっさと歩きだしてしまった。
「……晋太郎」志保は廊下を走った、「晋太郎いらっしゃい」
 仏間から子供が出て来た。志保はその手を取って庭へ下り、枝折り戸まで出て、曳かれてゆく青年たちのほうを指さした。
「あの方がたのお姿に礼をなさい、わけはあとで話してあげます、母さまといっしょに、心から礼をするのですよ、さあ……」そして子供の肩に手を当て、いっしょに低く敬礼をしてから、志保はおののく声を絞るようにしてこう云った、「あなたも成長したら、あの方がたのようにりっぱな武士になるのですよ、命を捨てて正しい忠義の道を守りとおす、あなたはあの方がたの跡を継ぐのです、忘れないように、よくよくあのお姿を拝んで置くのですよ」

十八


 曇るというほどでもなく晴れもしない、どんよりとものがなしげな秋の日が、朝だというのにまるで昏れ方のような侘しい光を湛えている、四五日まえから咲きだした菊のひと枝をろうとして、鋏を手に庭へ下りた志保は、菊畑の前まで来てふと足を止め、そのままなにか忘れ物でもしたように惘然と立ちつくした。
 菊はどの株も濃い緑色の厚手の葉をいきおいよくみっしりと重ね、それを押し分けるようにしていっせいに花枝を伸ばしている、今年は季候がおくれたのか、いつもなら見頃なのにまだようやく咲きはじめたばかりで、けれど清高な香気はそれだけ鮮やかに、重たさを感ずるほど密に匂っている、――志保はその香に酔ったような気持で、そのままなおじっと佇んでいたが、やがてふと放心したように「※(「易+鳥」、第4水準2-94-27)いすかは松の実だけ喰べる……」と呟やいた、そしてそのこえで我に返った。
「……※(「易+鳥」、第4水準2-94-27)は松の実を喰べる、なぜこんなことを云いだしたのだろう」そう云ってみてはじめて、いつぞや塾で青年たちに※(「易+鳥」、第4水準2-94-27)の馳走をしたときのことを、回想していたことに気づいた、「そうだ、あのとき話そうとして忘れていたことを思いだしたのだ、杉田さまが晋太郎を呼べと仰しゃったので、云おうと思ったことを云いだす折がなかった。……※(「易+鳥」、第4水準2-94-27)は、あのくいちがったくちばしを松かさの弁の間へ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しこんで巧みに実をついばむ、あの肉があんなに美味なのは好んで松の実を喰べるためだ、……そう聞いたことを話そうと思ったのに、とうとう云いだせずにしまった」
 庭はずれの垣の外を、城下へ荷を積んでゆくのだろう、四五人の農夫たちが通りかかった、
「ああよく匂うな、菊屋敷の菊が咲きだしたぞ」ひとりがそう云うと、老人とみえるひとりが間をおいて、「今年はどこでも遅いだ」と云った、「……陽気がおくれてるだからな、けれどもこういう年は雪が多いもんだ、つまり来年は豊作ということになるだよ」そしてゆったりとした馬の蹄の音が、道を曲ってしだいに遠く去っていった。
 ――あの朝もこの菊畑のなかで、垣の外を通る馬の跫音を聞いていたっけ、いつまでも霧のれない朝だったが……、志保はふとそのときのことを思いだした。――なんだかひじょうに幸福なことがあるような気持で、露に手を濡らしながら菊をっていた、お萱も「たいへん冴えざえとしたお顔つき」だと云って呉れた、そのあとであのぬしの知れない手紙を受け取ったのだ、正念寺へゆこうと思いきめるまでの、そそられるような気持は今でも忘れられない、……あのとき父上のご墓前へいって、手紙の主に会っていたら、……自分の運命はどうなっていたことだろう、ああ、本当に自分は今ごろどういう身の上になっていたことだろう。けれども小松が訪ねて来て、とうとう正念寺へゆくことはできなくなった、そして自分は一生を晋太郎の養育に捧げる決心をしたのだ。
 ――なにか仕合せなことがあるように思った、あのときの予感は、偶然にではあろうが当った、はじめの幸福は、手にとることもできなかったが、晋太郎をわが子と呼んだ明け昏れの仕合せは、自分のものだった。……正念寺へはゆかなかったが、あの手紙の主も自分の身のまわりから離れなかった、その主が誰であるかというたしかなことは、遂に知る機会がなかったけれど、その人がいつも自分のことを案じ、見まもっていて呉れると思う、あのひそかなよろこびも自分のものだった。……二つのものはこの菊屋敷で成長した、自分は絶えずその成長をみつめて来たが、その二つとも今はもう自分のものではなくなってしまった。
 ――あの朝のように、自分はまた独りでこの菊畑に立っている、幾春秋いくはるあき、自分を慰め、ちからづけて呉れたもの、生き甲斐を与えその日その日を充実させて呉れたもの、それはもう再び此処へは帰って来ない、おそらく永久に帰っては来ないだろう、そして来る秋あき、自分はただ独りでこの菊の咲くのを見るのだ。
 そこまで思い続けてきて、志保はふと眼を空へあげた。……去っていった二つの幸福はかえらない、けれどもその二つは、どちらもこの菊屋敷で育ったのである、この家で成長し、この家から出ていった、江戸へ送られたという門人たちの道も、小松の許へ去った晋太郎の道も、まっすぐにこの菊屋敷の門へ、志保の心へと続いているのだ、門人たちは罪死するかも知れないが、跡を継ぐ者によってその道の絶えることはあるまい、晋太郎は自分のさし示した道を逞ましく生きて呉れるだろう、両方ともそれぞれに生きてゆく、……自分は決して独りではないのだ。空をふり仰いだ志保の胸に、新らしい、力づよい感慨がこみあげてきた、そして鋏をとり直し、菊の花枝を剪ろうと身をかがめたとき、母屋のほうからお萱の呼ぶ明るいこえが聞えてきた。
「……お嬢さま、お髪をおあげ申しましょう、お支度ができましたから」





底本:「山本周五郎全集第一巻 夜明けの辻・新潮記」新潮社
   1982(昭和57)年7月25日発行
初出:「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社
   1945(昭和20)年10月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2018年8月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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