「おい、むこうから来るのは三左だろう」「そうだ三左だ」「天気を
そこへ大手筋の方から、ひとりの大きな男がやって来た。眉のふとい、口の大きな、おそろしく
待っていた三人のうち、
「やあ三左ではないか、いい天気だな」「…………」「富士がよく晴れている、すこし歩くと汗がでるぞ、なんといい天気ではないか」三左と呼ばれた相手は答えなかった。黙ってまっすぐ前の方を見ていたが、やがてむっとしたような調子でしずかに云った。「そこを通してくれ、拙者は嫁をもらいにゆくところだ」三人はあっと云った。
あっと云って眼を
それは辻へ出たとたんに、西からやって来た旅装の武士とばったり突き当ったのである。相手はどこかの大身らしく、槍をたて、供を四五人つれたりっぱな武士だったが、であいがしらに両方から突き当ると、そのはずみで、冠っていた笠がつるりと前へこけた。
「ぶれい者!」りっぱな武士はこけた笠をはねあげながら、まっ赤になって
よほど
「黙れ、貴様の出る場合ではない!」と叱りつけた。……のちに人の伝えるところによると、そのときの一喝は、一町四方の家々の戸障子にびりびり響きわたったという。……犬は黙った、りっぱな武士も黙った。それから遠巻きに見ていた群衆も鳴りをひそめた、つまり一喝であらゆる物音がとまり、街筋は森閑となってしまった。
「ごぶれいを
すなわちこれ国吉三左衛門常信である。徳川家一方の旗がしら榊原式部大輔康政の家来で、「避けぬ三左」とも「天気の三左」とも呼ばれる名物男だった。
彼は飛んで来る
三左衛門はまだ戦場でこれという手柄をたてていない。もっとも五年まえ、信濃の真田攻めの折に、ちょっと合戦に加わっただけであるが、その戦いぶりは鈍重で、将来もたいした期待はかけられぬという評判である。しかし、主君榊原康政はそう見てはいないらしい。――あいつの中にはなにかありそうだ、なにかやりそうに思える。しばしば側近の者にそうもらしていた。どちらの鑑識が当っているか、当の三左衛門はのんびりと天気をよろこび、悠々閑々と日を送っていた。
ところがこの十日余り、彼のようすが急に変ったのである。「いい天気だ」と云わなくなった。
動作はあいかわらず鈍重だけれども、顔つきがどこか沈んで、云ってみればなにか重い荷物でも背負った人のようにみえる、――三左がどうかしたらしい。からだでも悪いのではないか。まさか恋患いでもあるまいが。そんな
「おねがいがあって参上いたしました」
「改まってなんだ」
弥左衛門はけげんそうに、ふかく落ち
「じつは、妻を
三左衛門はずばりと云った。弥左衛門はううんと
「それは、その、また、けれども」弥左衛門はごくっと唾をのんだ、「どうしてさようなことをその」
「そうせねばならぬ仕儀になりましたから」
「そういう仕儀とは、どんな仕儀だ」
「申しあげなければなりませんか」彼はまったく生まじめである。
「無理に申せとは云わぬが、こと縁談とあるからは聞いておきたいものだ」
三左衛門は、うなだれて自分の膝を見た、それからすぐに眼をあげ、ぐっと
「それでは申上げますが、このたび上方と小田原おてぎれに及び、大納言さま(家康)にはご
「これ待て、待て三左」弥左衛門はおどろいて制止した。
太閤秀吉が北条氏討伐を決したのは、その年霜月のことで、軍議のため家康は
「さようなことを誰から聞いた」
「おん大将(康政)よりうけたまわりました、なれどもわたくしの申上げたいのはそのことではございません」
三左衛門はぐっと拳をにぎりながら、
「そのご軍議のおり太閤さまの御意には、小田原めつぼうのうえは大納言さまをもって関東八州にお封じ申すと
「されば、そのようにうけたまわった」
「これをなんとお考えなさいますか」
「…………」弥左衛門は口をつぐんだ。
「いまご領分の駿、遠、甲、信の土地は日本国の中部を押さえ、京へも近く、攻防共に絶好の位置でございます、まして三河は松平のおいえ発祥の地、国土も民も、おいえとは切り離すことのできぬふかい因縁にむすばれております、これに反して、関東八州はあらえびすの国と云われ、都より遠く、国土も民も荒れております、これを経営するのはまったく創業よりはじめるといわなければなりますまい」
「だが、だがそれは、まだそう決ったというわけではなく、また」
「いや決ったことでございます」三左衛門は拳でおのれの膝を打った、「太閤秀吉どのは、徳川家康のまことの力を知っております、だから箱根のかなたへ追いやらなければならぬのです。わたくしにはその
弥左衛門はひそかに驚いていた。――そうだ、
弥左衛門は
「わたくしは」と三左衛門はつづけた、「今日までわたくしは、自分一代のご奉公と考えておりましたけれども、関東移封とあいなれば、おいえの天下は遠いことになります。とてもわたくし一代のご奉公では、おいえのご運には及びますまい」
「…………」
「それで妻帯のことを想いたちました、
戦国の武士はつねに身命を
「よくわかった」弥左衛門はふかく
「ございます、この人こそと思いきわめた娘があるのです」
顔も赤めずにずばずばと云った。
「執心とみえるが」弥左衛門の方でたじたじとなった、「それはどこの娘だ」
「お使役、鷲尾八郎兵衛の妹ごでございます」
「鷲尾の妹」弥左衛門はぴくっと眉をあげた。
「はあ、鷲尾の妹を妻にもらいうけたいと思います、もはやそうきめてしまったのでございます」
「ちょっと待て、まあ待て」弥左衛門は慌てておし
「いや、さようなことはいちどもございません、ただ八郎兵衛はあっぱれもののふでございますから、彼の妹なれば、妻にして過ちなしと信じたのです」
「では、まるで相手を知らないのか」
「さればでございます」そう聞いて弥左衛門は眼を
「けれども、それは、とにかくその……」
「万事こなたさまにお任せ申しますから」
三左衛門は自分の云うことだけ云うと、あきれている弥左衛門をあとに、のっしのっしと帰って行った。
じっさいのところ、三左衛門は嫁にもらう相手を知らなかった。顔を見たこともなし、しぜん話をしたこともない、鷲尾八郎兵衛が榊原家中の高名な勇士であり、それに年頃の妹があるということだけで、この縁組を思いたったのだ。そのほかのことはなにも知らない、申し込んだら相手が承知するかどうかなどということも考えない、……つまりこの辺はまったく「避けぬ三左」の本領であった、これで出陣のまえに祝言ができる、そう信じて三左衛門は家へかえった。しかしその翌朝、まるで思いがけないことが
思いがけぬ事とは「出陣進発」の命令である、本軍を発する先行として、榊原康政の軍の一部に、まず三島駅まで挺身せよという命令がくだったのだ。密令でもあり、急を要した。間にあわなかった。三左衛門は眼をつむって
先行隊はすぐに準備を
夜明けちかく、江尻の駅へさしかかったときである、うしろから馬をとばして追って来た者があった。
「国吉はいないか、国吉はどこだ」そう呼びながら、乗りつけて来た馬を隊列に沿って進めるうち、ようやく聞きつけた三左衛門が出て来た。
「国吉三左衛門はここにおる」
「おお国吉か」馬からとび下りたのは、鷲尾八郎兵衛であった。ひどくとばせて来たとみえて、小具足の下に着たよろい
「だが、もはや出陣のうえは」
「なにを云う、出陣にあたって縁談のまとまるのは二重のよろこびではないか、妹小萩は貴公の妻だ、忘れるな」八郎兵衛はどなるように云った。
「それにしても鷲尾、このことは」
「云うな、大橋どのからすべては聞いた、おれはただ承諾を告げさえすればよい、あっぱれ武運を祈るぞ」
「鷲尾、待ってくれ」
呼びとめようとしたが、八郎兵衛はそのまま馬にとび乗り、
「忘れるな、小萩が待っているぞ」
そう云いざま、
これだけの会話は、むろんまわりにいる者の耳にはっきりと聞えた。同時に、聞いた人々の顔にはありありと驚きの色がうかんだ。そして次ぎから次ぎへと、なにごとかささやき交わすのだった。「……ええ、本当かそれは」「まさか、まさかあの娘が」「あの駿府のかぐや姫がか」そんな声があっちにもこっちにも起った。しかし三左衛門の耳にはなにも聞えない。彼は黙々とあるいている、彼のあたまのなかには、父祖伝来の三河と、荒茫たる関東の原野のまぼろしが明滅している、いま天下のうえにますます不動の地歩を占める秀吉と、関東の隅へ追われるしゅくん家康の困難な将来とが、明暗、表裏の画像となって揺れていた。
こうして国吉三左衛門は、まったく無口な、動く木像のような存在となったのである。
さて小田原征討がまさしくはじまったのは、天正十八年二月一日のことであった。先鋒たる徳川家康は二月二日に出馬。酒井、榊原、本多、平岩、鳥居、大久保これら旗下精鋭の軍を第一線に、
三左衛門は大股に進んでいった。……矢弾丸は雨の如く飛来する、硝煙と、
「三左あぶないぞ、頭が高すぎるぞ」
「…………」
「身を伏せろ、伏せてゆけ」叫びながら追いついた、「このはげしい矢弾丸が見えないのか、身を捨てるにも法があるぞ、避けてゆけ」
すると三左衛門がふりかえって叫びかえした。
「みんながそうよけてばかりいてはいくさに成りません」
山中城はその日の
「そうか、そう申したか、みんなが避けてばかりいては戦にならぬ、面白いな、なんでもない言葉のように聞えるが、なかなかふかい味をもっている」
「けれども」と康政はそのあとで云った。「三左めはこの合戦で死ぬつもりかも知れぬ、よく眼をつけて犬死させるな」
「そう
「そのほうから聞いた関東ご移封についてのかれの意見、あれを考えるとそう思える、よくよく眼をつけて乱暴な真似をさせるな、万一のことがあると駿府に待っているものに
康政の顔には、ふしぎな笑いがうかんでいた。
徳川の軍はつづいて前進し、山中城の炎上する煙を見ながら、二子山、駒ヶ岳のあいだを突破して鷹巣城へと迫った。この先鋒をのり打ったのは榊原康政の兵である、山路は
三左衛門はつねに先頭を押していた。二間柄の大槍を手に、黙々として前へ前へとあるいていた。暮春の空はあざやかなみどりに晴れあがって、箱根竹のこまかな葉に微風がわたっていた。わあーッわあーッという
そのときである。突撃にかかる前、敵味方の銃撃のもっとも
三左衛門は戻らなかった、大槍を手にして、まっすぐに敵の城門をねめつけながら、ゆっくりと大股に、ずんずん進んでいった。弾丸は彼をめがけて集中した、しかし彼は身をかがめようともしない、眼も動かさない、ただまっすぐに、ずんずん進んだ、そして城門まで二三十間の近さへ来ると、槍を大地につき立てて停り、
「城の大将にもの申す」と大音をあげて叫んだ。それは敵味方の銃声を圧倒するほどの響きをもっていた。「城の大将にもの申す、山中城すでに落ち、守将松田康長どのはじめ池田民部、椎津、行方、栗木、山岡、各部将それぞれ討死をされた、韮山城もまた乗り崩され、箱根山中には小田原軍の影もとどめぬ、あわれ鷹巣城の諸公も及ばぬ腕立てをせんよりは、早く城門を開いて降参せられよ」りんりんと四方にとどろく声だった、「さらば国吉三左衛門、ここふみ破って見参申すぞ」
大槍を、空へ高く突きあげながら、そう叫んで前へ出たその
三左衛門は、胸と胴に矢を四筋うけた。
しかし彼はぐっと槍を
「突っ込め、敵はくずれたぞ」「ふみ破ってゆけ、敵を逃がすな」おめき叫びながら味方の兵は早くも城門へ城壁へとりついた。このあいだに、康政は馬を三左衛門のそばへ乗りつけ、なおも進んでゆこうとする彼をしかと押えつけた。
「三左、もうよい、城は落ちる、もどれ」
「お放し下さい」
彼はふりきってゆこうとした。しかし、もう力が尽きていた、彼の大きなからだはぐらっと傾き、そのまま康政の腕へ倒れかかった。
「源七郎、まいれ」康政は身ぢかの者を呼んだ、「三左を余の馬へ乗せて、陣まではこんでゆけ、余は城乗りを見てもどる、傷の手当をよくしてやれ」そう云って、康政は前進していった。
三左衛門は陣へ運びもどされた。傷はふかでだったが、命だけはとりとめた。突き立った矢を抜きとる痛さはどんな傷の痛みよりも耐えがたいものだという、けれども三左衛門は眉をしかめもしなかった、それだけではなく、医者が二本めを抜こうとしたとき、「うまくやれよ、血がもったいないから」と云ってにやりとした、しかし手当が終ると間もなく彼は意識をうしなってしまった。
鷹巣城はひとたまりもなく落城した。三左衛門の不敵な仕方と、彼を討たすまいとして強襲を敢行したことが、はからずも功を奏したのである。殆んど無血に等しい勝ちであった。
「どうだ、傷は痛むか」明くる朝はやく、みまいに来た康政は三左衛門の枕近くへ寄って呼びかけた、「いやそのまま寝ておれ、命を
「かたじけなき仰せでございます、三左はただ……」
「あっぱれ避けぬ三左の名を見せたな、すさまじい武者ぶりであったぞ、けれども三左」康政はしずかに身をのりだした、「そのほうは少し考えちがいをしておる、避けていては戦にならぬという覚悟はよい、まことに戦う者の意気だ、なれども死に急ぎは勇士のすべきことではない、そのほうは小田原めつぼうのうえ、大納言さまが関東へご移封にあいなると聞いて、徳川のご運が遠くなったと考えたそうな」
「いかにも、仰せのとおりでございます」
「ちがう、それは大きな思いちがいだ」康政は力をこめて云った、「なるほどそのほうの申すとおり、駿遠参の地は都に近い、日本国の中央を押えている、松平家発祥の由緒ふかい土地だ、けれども三左、これらの土地はもう古いぞ」
「古いと仰せられますのは」
「古い、いかにも古い、昨日までは日本国中部の押えであった、だがいつまでも不動の押えではない、時代は変りつつある、古いものは絶えず新しいものに移る、関東は都から遠いが……見ろ、
「…………」
「大納言さまのおんまなこは大きい、そのはかりごとは深い、太閤どのは箱根の東へ追うことによって、徳川の勢力をそぐつもりであろうが、その箱根をまもりとして、葵の花は関八州に根をおろすのだ、新しい国土、新しい民たち……そのうえに葵の花をらんまんと咲かせるのだ、これがそのほうにはわからぬか三左」
三左衛門の顔がいつか柔かくほぐれていた、ながいあいだ、重い荷物を背負った人のようだった眉つきが、雨去る空のように少しずつ明るくなって、その
「おねがいがございます」やがて三左衛門が云った。
「なんだ」
「まことにわが
「小田原を見たい、そうか」康政は三左衛門の心を察した、「よし見せてやろう、誰ぞまいれ、三左を山へ運ぶのだ、
軍兵八人が、楯の上に三左衛門をよこたえて、二子山を登っていった。今日もよく晴れあがった空には雲一つない、
楯は山の中腹でとまった。
三左衛門は片手を
「ああ、……いい天気だな」
その声でみんな空を見た、絶えて久しい三左の「いい天気」である。空をふり仰いでこういうことに気付いた兵たちは、思わず顔を見合せて笑った。そしてそのなかの一人が、脇の者にこうささやくのが聞えた、「鷲尾の小萩どのを見たらもっといい天気だろうぜ、なにしろあの人が駿府のかぐや姫といわれる佳人だとは、彼まだ知らずにいるのだから」