霜柱

山本周五郎





繁野しげのという老職を知っているか」
「繁野、――」石沢金之助は筆を止めて、次永つぐなが喜兵衛を見あげた、「老職には二人いるが、どうかしたのか」
「としよりの家老のほうだ」
「御家老なら兵庫どのだろう、むろん知っているが、それがどうした」
「おれはつくづく」と云いかけて、喜兵衛は石沢の机へ手を振った、「もう片づくんじゃないのか」
「そう思っていたところだ」
「じゃあ下城げじょうしてから話そう」と喜兵衛は云った、「中ノ口のところで待ってる」
 そして足早にそこを去った。
 老いぼれの、田舎者の、わからずやのへちゃむくれめ、次永喜兵衛は心の中でそうののしっていた。中ノ口を出て、木戸のところまでいっても罵り続け、石沢が来るまで、通りかかる下役の者たちが挨拶をしてゆくのに、ろくさま会釈えしゃくも返さず悪口を並べていた。
「家でいっしょに夕食をしてゆかないか」石沢は来るとすぐに云った、「このごろあらわれないので家の者たちが心配しているぞ」
「一杯やりたいんだ」歩きだしながら喜兵衛は云った、「むしゃくしゃしてやりきれない、どうしても今日は一杯やりたいんだ」
「そんな気持で飲んだってうまくないだろう、とにかく家へゆくことにしたらどうだ」
「迷惑ならここで別れるよ」
「そろそろ癖が出るな」石沢は頭を振った、「そういう約束ではなかった筈だ」
「あんなくそじじいがいるとも云わなかったぜ」
「どこへゆくんだ」
「雪ノ井のほかにいい場所があったら教えてくれ」と喜兵衛が云った、「おちついて飲めるうちといえば雪ノ井がただ一軒、芸妓げいしゃもいねえというんだからひでえ土地だ」そして吐きだすように付け加えた、「おれはまるでペテンにかかったような心持だぜ」
 石沢金之助は黙って歩いていた。
 大手門を出て堀端ほりばたを右へゆき、くら町から横井小路こうじへぬけると馬場、そのさくに沿った片側並木の道を左にまわり、明神の森につき当って、門前を右に二丁ほどゆくと大きな池のふちへ出る。雪ノ井という料理茶屋はその池畔にあるのだが、そこへゆくまでずっと、喜兵衛は休みなしに悪口を云い、女中に案内されて座敷へとおってからも、まだ舌の疲れはみせなかった。
 その茶屋は池に東面し、左右とうしろに松林がある。二人のとおされたのは西の端にある座敷で、二方に縁側があり、庭へおりる段が付いている。そこから池まで約二十尺、向うに小さな桟橋が出ていて、小舟は二はいつないであった。――池の対岸は黒ぐろと樹の繁った丘で、それは城のある鶴ヶ岡と続いているのだが、その一部に鶴来八幡つるきはちまんの社殿があり、そこは昔の砦趾とりであとだといわれていた。
「江戸屋敷に熊平くまへいという庭番のいたことを覚えているか」と喜兵衛が急に話を変えて訊いた、「右のこめかみのところに大きなこぶがあったので、瘤平ともいわれたとしよりだ」
かみ屋敷にか」
「梅林を受持っていた」
「覚えているようでもあるな」
「酒を早く」と喜兵衛は女中に云った、「さかなはいつものとおり、魚田ぎょでんと塩焼と味噌椀、漬物をたっぷり頼む、へ、――」彼は右の肩をしゃくって唇を曲げた、「四万二千石の城下で、美味うまいのは漬物だけときている、いったいこの土地の人間には舌というものがあるのかい」
 おかやという女中は笑いながら、喜兵衛に向って舌を出してみせた。
「ごめんなさい」とおかやは云った、「この土地ではこれを舌と云いますけれど、お江戸ではなんといいますかしら」
じたというんだ」喜兵衛は膝を打った、「そんな物はしまって早く酒を持って来い」
 おかやなぐるまねをして立っていった。
「悪い癖だ」と石沢が穏やかに云った、「こういうところへ来るとまるで魚が水へ帰ったようになる、まず酔わないうちに文句を聞こうじゃないか」
「熊平という庭番は疑い深いとしよりだった」と喜兵衛は云った、「この世にある物、この世で起こることをなに一つ信じない、たとえばいま雨が降っているとすると、その雨を信じない、現に自分の着物が濡れていても、それが雨の降っている証拠だとは云えない、と云うんだ」
「話したいのはそのことか」
「まあ聞けよ」と喜兵衛は云った、「彼は自分の住んでいる小屋を信じない、湯呑を信じない、池を信じないし池の中で泳いでいる鯉を信じない、もちろん自分を信じないし、地面も天も、太陽も月も信じない、すべてはただそうあるようにみえるだけだと云うんだ」
「つまらない話じゃないか」と石沢が云った、「としをとると変屈になる人間はどこにでもいるものだ」
「しかし熊平のはただの変屈じゃない、なにも信じないということは彼にとってりっぱな信念だったんだ、或るとき梅林の脇にひきがえるがいた、おれは熊平を呼んでそのひきがえるを見せたのさ、すると熊平はそれをひきがえるだと信じない、おれはそこで棒切れでもってひきがえるのしりを突っついてやった、ひきがえるはもちろんのそのそ歩きだし、おれは熊平にどうだと訊いた」
「おまえの口まねをするわけではないが」と石沢金之助がさえぎった、「そのひきがえると熊平をちょっと片づけてくれ、おまえがここへ来たのはおれに話すことがあるからだろう、その話というのを聞こうじゃないか」
「だからおれはいま、――」喜兵衛は上眼うわめづかいに天床を見上げ、唇をめて、ひょいと片手を振った、「おい、よけえなことを云うから話のつなぎが切れてしまった、冗談じゃない、ええと」
「酒が来たよ」と石沢が云った、「一と口やったら思いだすだろう」
 おかや小女こおんなと膳をはこんで来、喜兵衛はすぐに盃を取った。小女は去り、おかやは給仕に坐った。盃で三つ飲むまで、喜兵衛は頭をひねりながら考えてる、石沢はおかやに話しかけた。この家の隠居は弓の稽古を始めて、石沢と知り合になったらしい。近ごろみえないがどうしたと石沢が訊き、丈夫でぴんぴんしていますとおかやが答えた。ではもう弓はやめたのかな。そうでしょう、なにしろ飽きっぽい人ですから、と答えながらおかやは喜兵衛に酌をした。
「どうなさいましたの、なにをそんなに考えこんでいらっしゃるんですか」
「ひきがえるだ」と石沢が云った、「繁野老職とひきがえるを結びつけるために、苦労しているんだ」
「じゃあ肝心なことだけは云おう」喜兵衛はみれんがましい口ぶりで云った、「熊平の話から持ってゆきたかったんだが、――まあいい、問題はあの老人だ」
「繁野さんのことだろうな」
「むろんあのじじいだ」
「口を慎め」
「話が先だ」と喜兵衛が云った、「おれはこの土地へ来てもう九十余日になる、まだ九十余日しかならないともいえるが、この九十余日という日数ひかずを覚えておいてくれ」
 おれは国許くにもとで廃家になった次永の家名を継ぐためにこっちへ来た、と彼は続けた。次永の家を再興し、中老和泉いずみ作左衛門の娘すみめとる約束で、郡代支配という役についた。和泉家の娘ともたびたび会い、大いに気にいっている。温和おとなしそうだし縹緻きりょうもいいし、妻にするにはもってこいの娘だと思う。住居も悪くない。繁野のじじいが自分の控え屋敷をあけてくれたのだそうだが、庭もかなり広いし家の間取も気がきいている。家僕の仁兵衛夫妻もいい人間で、女房のこしらえる食事も尋常だ。役所のほうもまず文句はない、下役はよく働いてくれるし、郡代たちにも反感を示したり、不服従なまねをするような者はいない。とにかく、いままではそういう者はいなかった。これを要するに、大体としておちつけるような条件がそろっているし、おれもおちつきたいと思っていた。本当におちつきたいと思っていたんだ、と喜兵衛は念を押すように云った。
「ところがだめだ」と喜兵衛は首を振った、「今日までがまんして来たが、あの繁野のくそじじいには手をあげた、おれは辞職して江戸へ帰るぞ」
「帰れやしないさ」と石沢が云った、「おまえはもう北島家の二男ではなく次永喜兵衛なんだ、まあ話してみろ、いったい繁野さんがどうしたというんだ」
「おれを眼のかたきのように小突きまわすんだ、老職部屋へ呼びつけてどなる、こっちの役所へ来てどなる、おまけに住居まで小言を云いに押しかけて来るんだ」
「繁野さんは温厚な人だぞ」
「郡代支配という役はむずかしい」と喜兵衛は酒をすすってから云った、「それは説明するまでもないだろう、この土地に長くいて、土地の事情に通じていなければなかなか勤まらないものだ、ところがおれは江戸から来た人間だし、来てから九十余日にしかならない、二人の助役すけやくやその他の下役たちに助けられて、どうやら事務にれ始めたところだ」
 繁野兵庫はもちろんそれを知ってる筈だ。しかもまったく容赦ようしゃしない。役所に勤めだすとすぐから、どんな些細ささいな誤りをもみのがさず、子供でも叱るようにびしびし小言を云う。助役の思い違いとか、下役たちの誤りまで、すべておれの責任にして叱りつけるのだ、と喜兵衛は云った。
「あんなひねくれた意地わるじじいは初めてだ」喜兵衛は唇を片方へぐっと曲げた、「あんなじじいを親に持ったせがれつらが見たいくらいだ」


「いや」と石沢金之助が云った、「繁野さんには子供はないんだ」
「あの年で、――子供がないって」
「繁野さんは家庭でもさびしいほど静かな人だし、謙遜けんそんで温厚な人だということを知らない者はない、これは少しも誇張のない事実だ」
「ではどうして、おれだけをこうひどく小突きたてるんだ」
「理由はいろいろあるだろう」と石沢が云った、「まずおまえ自身の行状だ、江戸屋敷で北島の二男といえば、乱暴と放蕩ほうとうぶりで第一に数えられていた、おれは七年まえまで江戸屋敷にいたし、従兄弟いとこどうしとしておまえのことはよく知っている、だからおまえがこっちへ来たときくどく意見を云ったんだ」
「おれはそれを守ったつもりだぜ」
「それは認めてもいい、しかし繁野さんは危ぶんでいるのかもしれない、ものごとは初めが肝心だというから、いまのうちにめるところを緊めておこうというつもりかもしれないだろう」
「向うにそんな気持があればこっちに通じない筈はない、おれにだって人の気持を感じとるくらいの能力はあるんだ」
「もう一つの理由は」と石沢は構わずに続けた、「これはおれの想像だけれども、繁野さんがおまえを好いてるということだ」
「なんだって」
「あの温厚な人がそれほどきびしくするというのは、おまえを好いているからではないか、そうだ」と石沢は大きくうなずいた、「単に家老と郡代支配という関係なら、そんなにきびしく当るわけがない、おまえはいま子供でも叱るようにと云ったが、繁野さんはおまえを好いているため、親が子供にきびしくするようにきびしくするのではないか、それならおれにはよくわかるが、おまえにはそうは思えないか」
「そうだ」と喜兵衛は顔をあげた。
「そう思えるか」
「いや違う、ようやく思いだしたんだ」と喜兵衛は首を振って云った、「熊平のことを持ちだしたのはそのことが云いたかったからだ」
 おかやは酒を取りに立っていった。
「あのとしよりはなんにも信じなかった」と喜兵衛は続けた、「おれもいまはなにも信じられない、たとえ繁野老職の口から、おまえを子供のように思っているとは云われても、おれは断じて信じないぞ」
「ひきがえるもか」と云って石沢は笑った、「だだっ子みたようなことを云わないでもう少し辛抱しろ、いやでも辛抱しなくてはならない立場だが、いやいや辛抱するのではなんにもならない、このへんで肚をきめて、もし不当な小言だと思ったら繁野さんにはっきり云ってみろ、自分の責任でないと思ったらそれもはっきりさせるんだ、不平や不服なことは胸にしまっておかず、じかに繁野さんにぶっつかってみるんだ、そのくらいの度胸がないことはないだろう」
 おかやは酒を持って来た。喜兵衛はまだ憤懣ふんまんがおさまらないらしく、肴をつつき酒を飲みながら、なおぶつぶつ文句を云い続けたが、石沢はもう相手にならず、半刻はんときほどすると先にひとりで帰っていった。石沢には正之助という六歳の子供がいて、夕餉ゆうげは必ずいっしょに喰べる約束だし、それをやぶると罰をくう、ということであった。
「諄いようだがやってみろ」と石沢は帰るときに云った、「ながめているだけでは笛の音もわからないからな」
 喜兵衛は返辞をしなかった。
「辛抱しろか、へ」と石沢が去ったあとで喜兵衛は云った、「江戸にいたころはもっときりっとしていたのに、僅か七年でいやにおさまっちまやあがった、へ、田舎者め」
 石沢を送って戻ったおかやが、それを聞きつけて咎めた。
「そんなことをおっしゃるものじゃありません、そんなわる口を云うなんてあなたはいけない方よ」
「おいおい、おまえまでが意見をするのか」
「石沢さまの仰しゃったことは本当なんです」とおかやは彼に酌をしてから云った、「繁野さまはあなたをわが子のように思っているっていうこと、あれは石沢さまの当て推量ではなく、本当のことだと思うんです」
「でたらめなことを云うな」
「聞いてから仰しゃいまし」とおかやは云った、「あたし十三から十七の年まで、繁野さまのお屋敷へ奉公にあがっていたんです」
 喜兵衛は口まで持っていった盃を止め、そのままでおかやの顔を見まもった。
「そのころお屋敷には、義十郎といって、繁野さまの一人息子がいました」とおかやは続けた、「あたしより五つ年上で、男ぶりのいい神経質な方でしたが、十六七のころから酒の味を覚え、まもなく悪いなかまができて、女あそびや博奕ばくちまで手を出すようになったんです」
「ちょっと待て、繁野には子がいないと聞いたぞ」
「ええ、みなさんそう仰しゃいますわ、繁野さまに遠慮して、そんな方がいたことは口にする人もないでしょう」とおかやが云った、「義十郎さまは小さいときからからだがお弱くて、なにか気にいらないことがあるとか、ちょっとでも叱られたりするとすぐにひきつけを起こし、医者だ薬だという騒ぎになったそうです、なにしろ結婚なすってから九年めとかに生れた一人息子で、可愛かわいさも可愛かったでしょうけれど、そういうわけでうっかり叱ることもできない、我儘わがままいっぱいに育ったんですね、道楽が始まったらもう手もつけられない、お屋敷の金や品物を持ち出す、お茶屋に泊って十日も帰らない、博奕場で喧嘩をするという始末で、とうとう繁野さまもがまんが切れたのでしょう、いまから八年まえに勘当なすってしまいました」
 喜兵衛は酒を啜り、からになった盃をぼんやり眺めていた。
「それだけならまだいいのですが」とおかやはなお続けた、「勘当になってここを立退たちのくとき、博奕場であばれて三人にけがをさせ、中の一人は片輪になったということです、勘当したあとのことですから、べつにお咎めの沙汰さたはありませんでしたけれど、繁野さまはたいそう心配なすって、その三人をたずねてびを云い、お金もたくさんおつかいになったうえ、半年ばかり閉じこもって謹慎をなさいましたわ」
 喜兵衛は盃を出し、おかやが酌をすると、黙って飲んでから、ふと顔をあげて訊いた。
「その義十という息子はどうした」
「知りません、それっきり音沙汰なしで八年もったんですから、生きていて真人間になったら、とっくに帰っているじぶんでしょう、いまだに帰らないとすると」
「酒がないぜ」と喜兵衛が遮った、「こんどはちょっと熱くして来てくれ」
 おかやは立っていった。
「すると、ずいぶんつらいめにあったんだな」と彼は口の中でつぶやいた、「ただひねくれた意地わるじじい、というだけじゃないかもしれないな、うん、そうじゃないかもしれない」それから少しをおいて呟いた、「ひとつ眼をあいて見直してやろう」
 医者嫌いな人間が悪い風邪にかかり、くしゃみとせきと熱で苦しみながら、がんとして医者を呼ばず薬ものまずにいる。そしてやがてがまんのつのを折って売薬などをのむと、ふしぎに病状の軽快することがある、これはなおる時期が来ていたので、薬の代りに糠味噌をのんでも同じことであろう。次永喜兵衛が忍耐しきれなくなって、従兄の石沢金之助に不平をぶちまけたのも、同じように、その状態の転換する時期が来たということ、しかもそれは単独ではなくて、二つのものがかちあうめぐりあわせになった。という結果を伴っていたようであった。
 雪ノ井で飲んだ日から十日ほどのち、城中の長廊下で、喜兵衛は石沢金之助に声をかけられた。
「その後どうだ」と石沢が訊いた、「辛抱ができそうか」
「うん」喜兵衛はまぶしそうな眼つきをし、ちょっと口ごもった、「まあ、大丈夫だろう」それからぽつりと云った、「あの老人は気の毒な人らしいな」
 石沢はいぶかしそうに眼を細め、喜兵衛は顔をそむけながら、いそぎ足に去った。それは正月下旬のことであったが、二月にはいってまもなく、喜兵衛は石沢家へ夕餉に呼ばれていった。和泉すみとの祝言しゅうげんが近づいたので、その打合せもあり、喜兵衛は珍しく上機嫌に酔った。そのうちにふと、彼は急に首をれながら「可哀かわいそうな人だ」と呟いた。
 言葉は簡単であるが、心からにじみ出るような、感情のこもった口ぶりで、石沢は思わず彼に振向いた。そして、彼が誰のことを云っているか、すぐに理解した。
「おい石沢」喜兵衛は顔をあげた、「江戸屋敷に時岡八郎兵衛という足軽がいたのを覚えてるか」
「知らないな」
けいさん」と喜兵衛は石沢の妻に呼びかけた、「酒をもう少し頼みます」
 けい良人おっとの顔を見た。石沢が頷き、けいは立っていった。
「その時岡という足軽だが」と喜兵衛は続けた、「もう六十くらいのとしよりで、妻もいたし伜夫婦もいて、貧乏なもんだからなにかの内職をやっていたっけ」
「おまえは庭番だの足軽だのと、妙な人間ばかり知ってるじゃないか」
「そのとしよりが若いとき」と喜兵衛は構わずに続けた、「貰ってまもない女房が、同輩の足軽と密通している現場をみつけた」


 八郎兵衛は怒った。まだ若かったし、新婚の妻に裏切られたのだから、五躰ごたいが消えてしまうかと思われるほど絶望し、怒った。しかし彼は思案した。たとえここで二人を殺しても、自分の面目が立つわけではなし、死んでしまう二人には一瞬の苦痛しかない。それよりも生かしておいて、じりじりと長い時間をかけ、自分の受けた絶望と苦しみを二人に返してやろう、と決心した。そこで、「現場を見たぞ」という意味を二人に悟らせただけで、なにもせずに放っておいた。――一年経ち、二年経った。二人の関係はその一度だけだったらしく、妻は哀れなほど従順に身を慎んでいたし、相手の男はやがて出奔した。八郎兵衛は妻をゆるさなかった。けれども三年めに女の子が生れ、一年おいて男の子が生れた。
「私はいまでも妻をゆるしてはいません、と八郎兵衛はおれに語った」喜兵衛は云った、「娘は嫁にやりましたし、伜にも妻子ができました、貧乏だけはどうにもなりませんが、まあまあ平穏無事にくらしています、――どうしてだ、とおれは訊いてみた、殺そうと思ったほど憎み、いまでもゆるせないというのに、それでなおこんなに長いあいだ夫婦ぐらしができるのか、とね、――すると八郎兵衛は答えたよ、人間とはそういうもののようです、どんなに激しい憎みでも、憎むことだけでは生きてはゆかれない、愛情だけで生きることができないように、一つ感情だけで生きとおすことはできないようです」
 石沢がなにか訊き返したように思い、喜兵衛は首を振った。
「いやおれは」と彼は云った、「そのとしよりのことが云いたいんじゃない、繁野さんがいまどんな気持でいるか、六十に手の届く年になって、勘当した放蕩息子のことをどう考えているか、ということが云いたいんだ」
 石沢がまた義十郎のことでなにか云った。よく聞きとれないので、面倒くさくなり、「もういい、義十なんか知ったことか」と云い返したが、そう云う自分の声で眼がさめた。
 ――こまった、酔い潰れたな。
 そう思って頭をあげると、枕許に暗くした行燈あんどんがあり、自分は寝衣ねまきになって、ちゃんと夜具の中に寝ていた。たしかに石沢と話しているつもりだったが、いつか帰って寝たものらしい。話し終ってから帰ったのか、それとも酔ったので話し終らずに帰り、夢の中で話し続けたものか、まだはっきりしない頭ではどちらとも区別がつかなかった。
「そんなに酔ったのかな」彼は腹這いになって水を飲もうとした、「だらしのないやつだ」
 そして急に口をつぐんだ。
 勝手のほうで人声がし、誰かどたばた暴れる音と、「義十郎だ」とわめくのが聞えた。夢の中で石沢が云ったように思ったのは、じつは勝手で喚いたその声だったのだろう。喜兵衛はあらあらしい物音とその喚き声とで、はっきり眼がさめると同時に、なにごとが起こったかを悟り、すぐに立ちあがって着替えをした。
 勝手では家僕の仁兵衛が、一人の男とみあっていた。脇に置いてある手燭の光で、喜兵衛はまず男のようすを見た。年は三十二三、痩せた貧相な顔にひげが伸び、月代さかやきも伸びていた。揉みあっているうちに着崩れたものか、縞目しまめもわからないような古布子ぬのこの前がはだけ、平べったい胸や、さら木綿もめんを巻いた腹があらわになっていた。「おれがこののあるじだ」と喜兵衛は呼びかけた、「そのほうはなに者だ」
 男は家僕を押し放した。
「あるじだって」と男が云った、「嘘うつけ、これはおれの家だ、これは繁野家の控え屋敷、おれは繁野義十郎だ」
 江戸の深川でこういう男と喧嘩をしたことがあった。三年か四年まえ、新大橋のたもとのところだったな、と喜兵衛は思った。
「なんの話かわからないが、とにかくあがったらどうだ」と喜兵衛が云った、「仁兵衛とおしてやれ」
「しかし旦那さま」
「心配するな」と喜兵衛は家僕に頷いた、「おれは大丈夫だからとおしてやれ」
 そして彼は寝間へ戻り、行燈を持って客間へはいった。男は家の中を知っているようすで、家僕の先になってやって来、床ノ間を背にしてあぐらをかいた。男の躯から汗とあかと、強い酒の匂いとが入り混った、胸の悪くなるような臭さが漂ってき、われ知らず喜兵衛は顔をしかめた。
「おい、酒があるだろう」男は振返って、襖を閉めようとする家僕に云った、「ひやでいいからあるだけ持って来い、あるだけ持って来るんだぞ」
「持って来てやれ」と喜兵衛が云った、「肴はいるまい、盃も大きいのがいいだろう」
 家僕は去った。
「話はわかるらしいな」男は汚ない歯を見せて嘲笑ちょうしょうした、「おれさまと同様、江戸では道楽者でとおったそうだから、やぼな人間じゃあねえと思った、おめえのことはすっかり吟味済みだからな、へたに恰好をつけようったってむだなこったぜ」
「用はなんだ」と喜兵衛が訊いた。
「せくなよ、いま酒が来るんだろう」男はぼりぼり頭を掻いた、「もう一つ断わっておくが、おめえおれのめえで大きな面あしちゃあいけねえぜ、おめえはおれの屋敷を取り、おれの許婚者いいなずけまで横取りしたんだ、許婚者のほうはまだこれからだろうが、うわさによると祝言の日取まできまってるらしいからな、大きな面あしちゃあいけねえ、さもねえと高いものにつくぜ」
 家僕が酒徳利と盆を持って来た。盆の上にはなにかの佃煮つくだにと漬物の皿、それに椀の蓋くらいある盃がのせてあり、喜兵衛が頷くのを見てから、家僕は去っていった。
「おめえやらねえのかい」男はすぐに盃を取り、徳利を持ってみながら云った、「おれのような人間と飲むのはいやか」
「今夜は少しやり過ぎたんだ、いいから独りで飲んでくれ」
「大きなことを云うない、五合徳利に七分目もありゃあしねえぜ」男は盃を置き、徳利の口からじかに飲んだ、のどの骨が上下に動き、喉でごくごくと音がした、「悪かあねえ」と云って男は大きく息を吐いた、「腹の焼けるときにゃあ冷に限るってな、躯の隅ずみまでしみとおるぜ」
 憎みや怒りの中だけでは生きられない、と喜兵衛は心の中で思った。時が経つうちには、どんなに深い憎悪も怒りも、やわらげられ、いやされてゆく、時岡八郎兵衛が現にその事実をみせてくれた。
 ――繁野さんもそうではないだろうか。
 六十歳近くなって養子も取らないのは、いつかわが子が帰って来る、性根しょうねが直り、侍らしい人間になって帰るだろう、そう思って待っているのではないか。勘当したときの怒りや憎みはすでにやわらいで、ただわが子の帰るのを待っているのではないだろうか、そう考えて八郎兵衛の話をしたのだが、そうだとすると待ち甲斐がなかった。これでは帰って来ないほうがよかった、と喜兵衛は思った。
「おれがこんな人間になったのは、おれのせえじゃあねえ、わかるか」と男は饒舌しゃべっていた、「おい、聞いているのかよ」
 男はさっきから饒舌っていたのだ。
「聞いている」と喜兵衛は答えた。
「人間はな、うじより育ちっていう」男は手の甲で口を横撫でにした、「親の育てかたしだいでよくもなれば悪くもなるんだ、そうだろう、おれの親はなっちゃなかった、てめえたちには一粒だねだから、可愛くって大事な子だったろう、まるで飴ん棒のように甘く、我儘のし放題に育てた、小言を云うのもれ物にさわるようなあんべえ式だ、そんなこって子供が満足に育つかってんだ」
 男は指で佃煮をつまみ、口へ放り込んで噛みながら、徳利へ口を当てて飲んだ。
「ごらんの如く」と男は片手で胸を押えた、「おらあこんな人間になった、牢屋のめしこそ食わねえが、ぬすっと同様なこともし、女を売りとばしたことも五たびや六たびじゃあねえ、大阪では賭場とばのでいりで、人を二人あやめたことさえあるんだ」そして急に声をひそめ、喜兵衛の顔をのぞきながら云った、「おめえ、人をあやめるってことを、知ってるか」
「自慢されたのは初めてだ」と喜兵衛が云った、「もう要件を持ち出してもいいだろう」
「金五十両」と男が云った、「あさっての朝までに都合してもらおう」
「どういう理由だ」
「この屋敷と和泉の娘の代銀だ」と男は云った、「おれはこの城下へ半月めえに帰ったが、ここでもまたまちげえをやらかしてふけなきゃあならねえ、町にもいどころがねえから、鶴来のやしろに隠れてるような始末だ、あさっての朝までに金五十両、それでおめえも厄介ばらいができる、安いもんだぜ」
草鞋代わらじだいとして小粒一枚、それ以上はびた一文もいやだ」
「小粒一枚、と、一分か」
「草鞋代には多すぎるだろう」
「おいおい」男は片ほうのすそまくって、裸になって膝がしらを叩いた、「おめえおれの云ったことを聞いていなかったのか、おれは九寸五分の義十といって、海道筋に人相書の廻っている男だぜ、五十両とは急場だからまけたんだ、取る気になれば百両、二百両でも取ってみせるぜ」
「面白いな」と喜兵衛が云った、「できるなら取ってみろ」
 男の顔がきっこわばり、唇が一文字になった。喜兵衛は躯の筋をゆるめ、さあ来い、と相手の眼をみつめた。すると男は歯を出して笑い、裸の膝を叩いて「負けたね」と云った。


「いい呼吸だ、負けたよ」男は卑屈に笑って徳利を取り、それを口へ持ってゆきながら云った、「さすがに江戸育ち、本場で鍛えただけのことはあるぜ」
 徳利の口から飲むとみえたが、いきなりひじを返して徳利を投げつけ、喜兵衛がたいかわすところへとびかかった。かなり酔っている筈なのに、その動作は的確ですばやかったし、とびかかるとき右手で匕首あいくちが光った。喜兵衛は投げられる徳利は見ずにその匕首を見、自分から仰向けに倒れながら、突込んで来る相手のき腕をつかみ、足をはねた。男は喜兵衛の上でもんどりを打ち、投げとばされた勢いで障子のきわまですべっていった。はね起きる隙はあったのだろうが、あまりきれいにきまったのでぼっとしたらしい。気がつくより先に、喜兵衛が馬乗りになっていた。
「きさまは人間じゃない」喜兵衛は匕首をもぎ取って投げ、片手で男の首を押えながら、片手で顔を殴りつけた、「畜生にも劣ったやつだ」
 彼が殴るたびに、男の頭が右へ左へと揺れ、唇が切れて血が出た。
「わかったよ、おめえは強いよ」男はなだめるように云った、「おれの負けだ、みっともねえからもうよそう」
「きさまなどにものを云ってもむだだろうが、よく聞け」喜兵衛は男の喉を押えた手に力を加えながら、云った、「きさまは親が甘く育てたからこんな人間になったと云った、きびしく育てればきびし過ぎたと恨むだろう、臆病者おくびょうもの卑怯者ひきょうものはみんなそれだ、自分で悪いことをしておきながら、その責任を人に背負わせようとする、なにより恥知らずな、きたならしい卑劣な根性だ」
 男の顔がどす黒くふくれ、眼球がとびだしそうになった。男の躯から力がぬけ、手足がだらっと畳の上で伸びた。喜兵衛は喉の手をゆるめ、もう一つ平手打ちをくれてから、男を放して立ちあがった。
「けがらわしいやつだ」と喜兵衛は云った、「出てゆけ」
 男は喉を撫でながら咳をし、仰向きに伸びたまま喜兵衛を見た。
「すると」と男はしゃがれ声で云った、「五十両はだめか」
「出てゆけ」と喜兵衛が云った。
「たった五十両、安いもんだがな」男は咳きいり、喉を撫でながら、ゆっくりと起き直った、「おう痛え、喉ぼとけが潰れるかと思った、おめえおっそろしく強えんだな」
 喜兵衛は黙って立っていた。
「こうとは知らなかった、どうやら相手をまちげえたらしい、おめえなら話はわかると思ったんだが、おう」と男は喜兵衛を見て、わざとらしく首をすくめた、「そんなおっかねえ顔をするなよ、足がふるえて立てなくなるじゃねえか、いますぐに出てゆくよ」
 男は掛け声をして立ちあがり、大げさによろめいて、また喉を撫でた。
「しようがねえ、もう運の尽きだ」男は溜息ためいきをついて云った、「じたばたしても始まらねえからおやじの名を出すとしよう」
 喜兵衛はなお黙っていた。
「勘当されても血はつながってる」と男は続けた、「当藩の家老、繁野兵庫の子だ、義十郎だと素姓すじょうをあかせば、まさかやつらも手は出せめえ、これからは繁野義十郎を看板に、大手を振って歩いてやるぜ」
「この城下のことはそれで済むかもしれない、だが海道筋に人相書の廻っているという、凶状のほうはどうだ」
「人のこった、心配しんぺいしなさんな」男はせせら笑った、「どうせいつかはお仕置しおきになる躯だ、この土地でお繩になれば親の名にはくがつく、和泉の娘にも箔がつく、なにしろ子供じぶんからの許婚者だったからな、おめえも嫁にもれえ甲斐があるぜ」
 喜兵衛は躊躇ちゅうちょなく肚をきめた。
「きさまの勝ちだ」と喜兵衛は云った、「かぶとをぬいだ、金は都合しよう」
「五十両だぜ」
「あさっての朝早く、鶴来八幡へ届けよう、但し、金を受取ったらその足で城下を立退いてもらおう、その約束ができるか」
「口約束でいいのか」男はまた嘲笑した、「それとも証文でも書こうか」
「約束も証文もいらない、立退くか立退かないかだ」
「金を見てからだな」男はまわりを眺めまわし、落ちている匕首を拾った、「じゃあ、あさっての朝、――待ってるぜ」
 袂からさやを出し、匕首をおさめてふところへ入れると、汚ない歯を出して笑ってみせ、痩せた肩を突きあげながら、勝手のほうへ出ていった。
 喜兵衛は立ったまま、裏戸のあいて閉る音を聞き、それから「仁兵衛」と家僕の名を呼んだ。家の中はしんとして、答える声も、物音も聞えなかった。彼は行燈を持って、寝間へはいった。――明くる朝、喜兵衛は家僕に向って、昨夜のことを口外するなと、固く命じて登城した。石沢に相談しようとも思わなかった。相談することはない、手段はたった一つなのだ。
 喜兵衛は胸の中で怒りを育てた。怒りが少しでも軽くなったり、決心した気持がにぶったりすることをおそれ、絶えず義十郎の言葉や態度を、ことこまかに思い返していた。
「石沢の云ったことは本当だ」彼は下城しながら呟いた、「繁野さんは子の育てかたを後悔して、おれには必要以上にきびしくしたんだ、ぶきような人だな、正直すぎてぶきような人だ、育てかたで人間の性分がきまるなら、世の中に悪人なんか出やあしないのに、うん、おれを好いているというのも本当らしい、たぶんおれが、あいつのようになることを恐れたんだろう、いい人だな」
「あんないい父親を持ちながら」とまた彼は呟いた、「ひとでなしめ」と云って唾を吐いた、「きれいに片をつけてやるぞ」
 その夜、喜兵衛は差替えの刀を出して、手入れをした。常の差料さしりょうは使いたくなかった。犬を斬るよりけがらわしい、済んだらそのまま捨ててしまおう、と思っていた。――家僕に起こす時刻を告げ、彼はいつもより早く寝間へはいり、なにも考えずに熟睡した。
 翌朝、家僕が知らせに来るまえ、喜兵衛はもう起きて着替えをし、井戸端へ洗面に出た。東は白んでいるが、あたりはまだ暗く、地面は霜で白くおおわれていた。洗面が済むとすぐに、「ちょっと歩いて来る」と云い、食事をせずに家をでかけた。――鶴ヶ岡までは約二十町ある、町はまだ殆んど眠っていたが、農村から車で野菜を運ぶ農夫たちが、霧の中を近づいて来てはすれちがっていった。空が明るくなるにつれて、霧が濃くなり、鶴ヶ岡の下までいったときには、岡の樹立も見えなかった。
 八幡社へゆくには五十段の石段と、その先は稲妻形になった坂道を登らなければならない。その左右は苔の付いた崖で、僅かながらいつも水が湧き出ているため、石段は薄く氷に掩われてい、喜兵衛はそこで三度もすべった。
「おい、しっかりしろ」と三度めに彼は舌打ちをした、「だらしがねえぞ」
 石段が終って坂道になった。
 勾配こうばいはゆるやかであるが、赭土あかつちのその道は霜柱が立っていて、浮いた土が雪駄せったの裏にねばり着くため、歩くのにひどく骨が折れた。初めに左へ登り、次に右へ登る。その二た曲り曲ったところで、喜兵衛はさっと刀へ手をやりながら、立停った。
 上からおりて来る者があった。
 ――義十郎か。
 そう思ったのだが、霧の中をおりて来たのは繁野兵庫であった。喜兵衛は口をあき、兵庫がよろめくのを茫然ぼうぜんと眺めていた。極めて短い時間だったろうが、兵庫の姿が夢の中で見る人のように感じられたのである。――だがすぐに、喜兵衛はそっちへ駆け登った。霜柱のために滑って膝を突き、立ちあがってまた膝を突き、両手も泥まみれになった。
 兵庫は彼の見ている前で倒れ、低いうめき声をもらした。二十尺にも足りない距離を、喜兵衛は泥まみれになりながら、殆んど這うようにして登った。
「御家老」と彼はあえぎ喘ぎ、兵庫を覗きこんで呼びかけた、「どうなさいました、御家老」
「済ませて来た」と兵庫が歯と歯のあいだから云った、「おれは自分の手でやりたかった、人の手に掛けたくはなかったのだ」
 喜兵衛はぎゅっと顔をしかめた。兵庫の躯から血の匂いがたち、見ると、脇腹を押えている手が赤く染まっていた。
「傷をみましょう」と喜兵衛が云った。
「大丈夫、深手ではない」と兵庫がしっかりした声で云った、「あの臆病者は、霧の中からとびだして来て、いきなり刺した、深くはない、急所も外れている、――ばかなやつが、おれだとわかったら、ふるえだして、人違いだと云った」
「血を止めなければいけません、傷をみせて下さい」
「医者を呼ぶほうが早い、こうしているから、済まないが馬場脇の祐石ゆうせきを呼んで来てくれ、いっしょに駕籠かごも頼む」
「しかしお一人で大丈夫ですか」
 兵庫は微笑してみせた、「次永、――仁兵衛を叱ってはならんぞ、彼はおれの申しつけを守っただけだ、いいか」
 やっぱりそうだったのかと思い、喜兵衛は「はい」と答えて立ちあがった。
「あの臆病者が」と兵庫が呟いた、「――ふるえながら、人違いだと云った、……哀れなやつだ」
 兵庫のかたくつむった眼尻から、涙のこぼれ落ちるのを、喜兵衛は見た。彼はすぐに顔をそむけて、滑りやすい道をおりていった。





底本:「山本周五郎全集第二十九巻 おさん・あすなろう」新潮社
   1982(昭和57)年6月25日発行
初出:「オール読物」文藝春秋新社
   1960(昭和35)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2022年10月26日作成
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