城中の霜

山本周五郎





 安政六年十月七日の朝、掃部頭かもんのかみ井伊直弼なおすけは例になく早く登城をして、八時には既に御用部屋へ出ていた。今年になって初めての寒い朝であった。大老の席は老中部屋の上座にあり太鼓張りの障子で囲ってあるし、御間あぶりという大きな火鉢のほかに、側近く火桶ひおけを引寄せてあるが、えかえった朝の寒気は部屋全体にしみ徹って、手指、足の爪先など痛いように凍えを感じた。
 然し冴えかえっているのは寒気だけではなかった。常にはにぎやかな若年寄の部屋もひっそりとしているし、脇坂安宅、太田資始すけもと間部詮勝まなべあきかつ以下の居並んでいる老中部屋も、破れたギヤマンの角を思わせるような、鋭く澄徹った沈黙におおわれていた。後に安政大獄と呼ばれた大疑獄が、まさに終段に入りつつある時だった。あわただしく出入する御同朋頭どうぼうがしらや御部屋坊主たちも、みんなあおずんだ顔をしていたし、往来する老中、若年寄の人々も落着きのない眼を光らせていた。間部詮勝と脇坂安宅の前には、書類のはみあふれた御用箱があって、扇が(済んだ書類をはさんで次へ廻すもの)休む間もなく次から次へと動いている……これらの眼まぐるしい活動は、圧しつけられるような静かさのなかで、然も極めて忍びやかに繰り返されているのだが、それにもかかわらず、老中部屋の空気は、まるで巨大な樹木が眼に見えぬ旋風に挑みかかるかのように震撼しんかんしていた。
 隔ての障子の中では、井伊直弼がしきりに、右の襟首えりくびへ手をやっては眉をしかめていた。肥満した、脂肪質の彼は、二三日まえから襟首に出来ている面皰が、着物のえりに触れては不快な感じを伝えるので、そのたびに手をやってみ出そうとするのだが、小豆ほどもある脂肪の塊を包んだ皮膚は、指で圧迫する毎に鋭く痛むだけで、いっかな口を明こうとしないのである。……九時の土圭とけいが鳴った。そして間もなく、御同朋頭が町奉行石谷因幡守いなばのかみの参入を報じた……直弼はうなずいて、引寄せてあった火桶を押しやった。因幡守穆清は蒼白い痙攣ひきつったような表情をしていた。彼が大老の前に着座すると共に、若年寄の部屋も老中部屋も、廊下の隅々までがひっそりとなり、今までの静けさとは違った更に底寒い沈黙に包まれるのが感じられた。
「御裁決の罪人の処刑を終りました」
「……御苦労」
「飯泉喜内、頼三樹三郎」
 そこで穆清は口をつぐんだ。直弼は太い眉の下にある大きな眼で、ひたと穆清の顔を見下ろしたまま黙っていた……然しその息詰るような沈黙は、間もなく直弼の韻の深い声で破られた。
「それだけか、もう一人あった筈だ」
「…………」因幡守は眼を伏せた。
「越前の橋本左内はどうした」
 穆清は唇をふるわせながら面をあげた。
「今朝、死罪と御達しがございましたが、橋本左内は既に遠島と決定しておりますので、若しやなにかの御手違いかと……」
「死罪だ、橋本左内は死罪だ」直弼は圧しつけるように云った。
 絶望の色を浮べたまま穆清は退出した。……その遽しいすり足の音は、老中、若年寄、御部屋係のすべての人々の注意を集めながら消えて行った。直弼は再び火桶を引寄せながら、
「坊……茶を持て」と声高に命じた。
 茶をんで来た御部屋坊主は、常々直弼に愛されている男であったが、今朝は人が違ったように怯々おずおずして、天目を進める手は見えるほど震えていた。直弼は茶をすすりながら、のしかかって来る強大な、おそろしい拡がりをもった眼に見えぬ敵を、自分の全身でがっちり受止めようとするかの如く、その幅の広い肩をあげ、眼をひらいてじっと空をにらんでいた。
 十時少し過ぎてから、再び因幡守穆清が参入した……今度は落着いていたが、それはどこか虚脱したような力の無いものだった。
「左内の処刑を終りました」
「……御苦労」
「まことにあっぱれな最期でございました、従容として辞世の詩を認め、静かな微笑さえ見せながら、帰するがごとく」
「あれもか、あれも……従容として……」直弼が相手の言葉をさえぎって、まるで憎悪に堪えぬもののように低くつぶやいた、「莞爾かんじと笑い……辞世の詩を詠んでか、あの男もそんな……そのような」
「まことに見事な死にざまでございました」
 穆清はそう云って退った。直弼の顔に表われた侮蔑ぶべつの表情は、なかなか消えなかった。彼はなんども口のなかで……莞爾と笑い、従容として、帰するが如く。などと呟きながら、極めて不愉快そうに、その大きな唇をひきゆがめた。それから再び手をあげて、襟首の面皰をみ出そうとした。指に力をめ、歯を食いしばりながら……太い眉毛がきりきりとひそんだ。


 因幡守穆清が役所へ退って来ると、囚獄奉行の石出直胤なおたねが待っていた。
「……御首尾如何いかがでございました」
「事実は申せなかった」穆清は吐き出すように云った、「……橋本左内は従容として辞世の詩を詠み、静かに笑って死んだと申した、そのもともその心得で、みなの者に申し含めて貰いたい」
「自分もそのように思いまして、取敢えず一同の口を止めて置きましたが」
「あれほどの人物を、未練者と呼ばせたくないからな、然し不審なのは大老の御ようすだ、とんとげせぬことがある」
「なにごとか、ございましたか」
「静かに笑って死んだと申上げた時、非常に不愉快そうな顔をされて、あれも従容として死んだか、あれも……二度まで独言のように呟かれた、辞世を詠み帰するが如く死んだということが、此の上もなく機嫌に触ったような口ぶりであった」
「よもや事実が御耳に入っていたのではございますまいな」
「或いはそうかも知れぬ、が、なんと云ったらいいだろうか、とにかくあの不機嫌さは別のものだ、まるで解せぬ」
 直胤は待っていた用を切りだした。
「実は……左内の遺骸を引取りにまいっている者があるのですが」
「引渡して宜しかろう、何者だ」
「石原甚十郎と申す者の他に三名、越前家ゆかりの者と申しますが」
 直胤は愴惶そうこうと退出した。
 穆清はその日は私宅に帰る番に当っていたので、午後三時が過ぎるとかごで役所を出た。彼は橋本左内を助けようとして、遂に出来なかったことが、自分の責任のように思えてならなかった……吉田松陰も小林民部も、頼三樹三郎も梅田雲浜も、その他多くの志士たちは直接、幕政に反抗して矢表に立つ者だった。けれど橋本左内は彼等とは違っていた。彼は尊王論者ではあったが、同時に佐幕と開国を主張としていた。その説は最も穏健で、然も斬新卓抜であった。――日本の国防を完全にするには、満州から蒙古もうこあたりまで注目していなくてはならない。そのためには魯西亜ロシアと提携すべしだ。左内のそういう説は、幕府の外交策にも大きな試案として役立ちつつあった。国土の遠隔な英、米、仏などと手を握るよりは、直に日本の北辺へのしかかっている魯西亜と同盟を結び、満蒙の地を我が注目圏内に置こうとする事の方が、どんなに緊要で且つ合理的だかということは、当時多少の眼をもつ者なら誰にも合点がゆくことだった。穆清はかねてから左内の「日魯同盟論」に傾倒し、それがいつか幕府の外交策として採択される日の来ることを固く信じていた。だから今日になってとつぜん、左内の罪は遠島を改めて死罪とする。という達しが出たときは、茫然として為すところを知らなかったのである。
 然し老中、若年寄のあいだにも、ひそかにその裁決を過酷だとする空気があるのを察したので、飯泉喜内と頼三樹三郎の刑を終り、その復命に出たときわざと左内の名を口にしなかった。とがめられずに済んだら直ぐ遠島にしてしまおうと思ったからだ……そういう僅かな法規上の手落から、死罪の者が助かった例は一二ではない。穆清はそれをねらったのだが遂にその苦策も無駄だったのである。その苦心が無駄だったばかりでなく、彼は刑場でもっと堪らないものを見なければならなかった。それは武士として、彼が今日まで経験して来たどんな場合よりも苦々しく、且つ痛ましい光景であった……痛ましく感じ、苦々しいと思ったのは穆清だけではない。その刑場に立合った者のなかにはむし驚愕きょうがくし、明らかに軽侮の舌打をした者もあった。そのありさまが今でもありありと見える。刑場の白々とした広さと、断頭の刃の下の左内の姿が、そして役人たちの動揺した表情が。――未練な! 穆清は左内の胸中を察し得るだけに、それを痛ましいと思う同じ気持で立腹を感じた。
 其処そこには囚獄奉行をはじめ卑しい獄卒まで見ているのだ。介錯かいしゃくの者は首斬り役人ではなく特に某藩の士を頼んである。たとえばどのように無念な死であろうと、左内が武士なら覚悟すべき場合である。嘘にも静かに武士らしく死すべき時であろう。……名こそ惜しけれ、武士の値打はその死に際を見なくては分らぬ。穆清は駕の中で繰り返してそれを考えていた。私邸へ着いたのはもう黄昏たそがれであった。……十日に一度の帰邸なので、妻子もそろって出迎えたが、くつろぐ暇もなく家士が訪客を知らせて来た。「橋本左内にゆかりのある者だと申します」


 左内ゆかりの者だと聞いて、穆清は直ぐ客間へ通らせ、自分も支度を改めて出ていった。客は二十ほどの娘だった。髪かたちで武家の者だということは直ぐ分る、やや浅黒い頬のりんと緊った、紅をさしたように紅い小さな唇許くちもとに、控えめながら勝気らしさの表われている、どこか寂しい顔だちである……彼女は福井藩士、喜多勘蔵の二女香苗と名乗った。
「それで、お訪ねの用件は」
「まことに不躾ぶしつけなお願いでございますが、このたび左内が遠島の御裁きを改められ、死罪となりましたに就き、どのような仔細しさいがございましたものか、また……死に際のことなどお伺い申したいと存じまして」
「どうしてそれをこちらへきにまいったのか」
「こなたさまならばお明かし下さるであろうと、さる方より教えられましたので」
 穆清は二三の人物を空に描いたが、おそらく石出直胤であろうと思った。
「して、おもとは左内どのとは」
また従兄妹いとこに当っております」
 そう云ってふと伏せた眼許に、陽炎かげろうのようなものがはしるのを穆清は見た。それはきわめてかすかな、眼に見えたというより、直感に触れた程度のものではあったけれど、穆清はふと胸をしめつけられるように思った。
「死罪に改められた点に就いては、御政治向のことでなにも申す自由を持たぬが、最後の有様だけはお伝えしよう」「……はい」「獄中に於ける左内どのは、まことに師表たるべき日常を送られた、後に下げ渡す時期も来ようが、資治通鑑を注し教学工作を論じて一書を作り、また獄制論などを書いておる、いずれも一代の見識として推賞すべき文字であった……若年ながら達人の風格をもたれていたためか、獄吏たちも一様に敬服し、また格別の思召おぼしめしを以て在獄中は充分に礼が尽されていた」
 娘は一言も聞き漏らすまいとするように、ひざの上に手を揃え、じっと眼を閉じ頭を垂れて聴いていた。
「今朝、死罪の達しのあった時だ」穆清は静かに続けた、「ろう役人が呼出しにまいると、左内どのは静かに座を起って戸前口を出られた、戸前口は四尺に三尺しかなく、どのように剛胆者でも死罪と決って是を出る折には、身がすくんで必ずどちらかへからだを打当てるものだ、然し左内どのはいかにも落着いて、殆んど衣服も触らず、すっとぬけ出られたという……見ていた役人は我知らず、おみごとと申してしまったということだ」
 その話は、彼が石出直胤から直接聞いたものである……娘は然し彼が期待していたような感動を表わさなかった。
「牢を出ると、其処そこで、春嶽しゅんがく侯から差遣さしつかわされた新しい衣服、かみしもに着替えた……これは申すまでもなくかつて前例のないことで、いかに左内どのが礼をあつくされたかお分りであろう」
「……かたじけないことだと存じます」
「刑場へ直られてからは」そう云いかけて穆清はちょっと眉を顰めたが、直ぐ口早に続けた、「既に覚悟は決っている様子で、用意の筆墨を引寄せて辞世の詩を書かれ、極めて静かに、微笑さえ含んであっぱれな最期を遂げられた、太刀たち取りは獄吏でなく、特に某藩の士を選んでさせたが、此の者もさすがは一代の傑物と」
「暫く、暫くお待ち下さいまし」娘はふと眼をあげて云った、「それでは、辞世の詩を詠み、静かに笑って、死んだのでございますか」
「これがその辞世の詩だ」
 穆清は反問には答えず、ふところから折畳んだ紙片を取出して娘の手に渡した、娘は少し退ってしずかにそれをひらいたが、そのなめらかな皮膚に包まれた手は見えるほど震えていた。
苦寃難洗恨難禁、  俯則悲傷仰則吟
昨夜城中霜始隕、  誰知松柏後凋心
 彼女はやや暫くその文字をみつめたまま、その円い肩を波うたせていた。
 香苗は間もなく因幡邸を辞した。……冬の短い日はもうれて、街にはすっかり灯がいていた。今夜もまたてるのであろう、風もないのに空気は冷えきって、足元から這上はいあがる寒気は骨までしみ徹るかと思われる。香苗は両袖で確りと胸を押えながら歩いた。ふところへ入れて来た辞世の詩に籠っている左内の心を、その寒さから護ろうとでもするように、……つじへ出ると灯の明るい商家の街になった。往来の人々が寒さに身を縮めながら、追われるように前後へすれちがった。――どうしたのかしら、この感じは。どうしてもぴったりとしない気持が、いつまでも香苗の心にとげを残していた。――あんなにくわしく聞いたのに、少しも左内さまの御最期という感じがしない、左内さまがどんな人であるかということは、香苗がいちばんよく知っていた筈なのに。彼女はにおちない気持で幾たびもそう呟いた。


 香苗は左内と三つ違いだった。二人とも福井の国許で生れ、また従兄妹という縁もあったし、屋敷も近かったので、幼い頃からよく往来ゆききして知合っていた。左内は色の白い、眉の秀でた小柄の美少年で、口数のすくない、極めて温和な、どちらかというと少女のような優しい性質をもっていた。父の長綱が藩医であったため彼も早くから文学に入ったが、たちまち俊英の才を顕わして、十五六の頃には既に福井藩中に其の名を知らぬ者がないと云われるに至った。
 香苗はいまでもその頃の事を生々と思い出す。当時、左内はもう藩儒吉田東篁とうこうの門に入って、常盤町の家から毎日通学していた。いつも片方の眉をきりっとあげ、書物の包を左手に抱えながら一人で静かに歩いて来る、……どこか弱そうな、憂いのある白皙はくせきの顔に、乱れかかる髪の二筋三筋が、どうかするとなまめかしいほども美しい印象だった。香苗が十二(数え年の十四歳)の初夏のことである。下女をれて買い物に出た帰り、幸橋筋を曲ろうとすると、左内が豊島の馬場の方へ行くのをみつけた。ふと立止って見ると、同年輩の少年が五人、まるで護送するように、少し離れて前後を取囲みながら付いてゆく、その少年たちがいま評判の乱暴者で「青竜組」などと称し、城下街を荒し廻っている仲間だと気づいた香苗は、下女を先に帰して置いて彼等の後を追った。少年たちは馬場外の雑木林の中へ入ると、左内を中心に円陣を作った。左内は静かに見廻してなにか云った。香苗の隠れている場所からは、彼の言葉は聞えなかったが、直ぐ蒔田金五という少年がそれに押しかぶせて喚きだすのはよく聞えた。金五は、左内を柔弱者だとののしった。生白い面をして、女の腐ったような奴だと、罵詈ばり悪口した末に、喜多の香苗とみだらな仲だと云った。香苗はそれをはっきりと聞いた、言葉の意味は本当には分らなかったが、なにかしらん罪深い、禁断のとばりの奥をいきなりあけて見せられたような、胸苦しい羞恥しゅうち忿いかりに身の震えるのを覚えた。
 左内は静かな、然し鋭い声で、――それは嘘だ。と云った。――根も葉もないことを云うものではない、自分は男だからよいが、女には取返しのつかぬことになる、それだけは取消せ。――取消す必要はない。金五の声よりはやく左内は刀を抜いた。不意を衝かれた少年たちは四方へ逃げだしたが、左内は切尖きっさきを付けて金五を動かさなかった。――金五、いまの言葉を取消せ。声は矢張り静かだが、その眼は烈火のように相手の面上に食いついていた。
 香苗は今でもその時の感動を忘れることが出来ない。日頃は女のように弱々しく、曾ていちども怒った例のない左内が、香苗のために刀を抜いて立ち向ったのだ。その必死の意気に呑まれて、金五はその暴言を取消したが、香苗にとってはそんなことは問題ではなかった。自分の名誉のために刀をもって立ち向ってれた彼の断乎だんこたる態度、それだけでどんな恥辱も拭い去られるような気がしたのである。
 左内は十六歳の時、緒方洪庵の許で西洋医術と蘭学を学ぶために大阪へ去った。その別れのとき、香苗は二人きりになった機をみて、――いつぞやは香苗のために危うい目にお遭いなされて申し訳がございません。それまで曾て口にしたことがないので、左内は初めなんのことか分らないようすだったが、香苗があの時のあらそいを見ていたのだと語ると、にわかにその頬を染めながら眼をらした。その表情は逆に香苗を狼狽ろうばいさせた、香苗も自分が耳まであかくなるのを感じて逃げだしてしまった。
 左内はそれから三年目に、父の死を見送るために帰郷し、二十一歳の春江戸へ去った。この二年のあいだに、左内はしばしば喜多を訪れ、兄の勘一郎とよく議論をした。その頃もう彼は父の跡を継いで藩医に列していたが、外科手術とか、種痘しゅとうとか、解剖とかいう、新しい医術を以て重んぜられ、また種々の西洋医学書を同列の医師たちに講じたりして隆々たる名を持っていた。然し香苗とは親しく語り合う機会もなく、再び学問修業のために江戸へ去った。
 三度めに帰ったのは二十三の時だった。この二年の江戸在府中に、彼はその方向を一変していた。藤田東湖と識り安井息軒と識り、更に西郷吉之助と交友を結んで志士としての第一歩をふみ出すと同時に、藩主松平春嶽に見出されて君側に侍し、鈴木主税、中根雪江ら老臣と共に重要な国事に当る人物になっていた。……香苗が左内に会ったのは、彼が帰郷して藩校明道館を統裁するようになってから暫く後のことであった。香苗は兄から、左内のうわさはよく聞いていたので、どんなに変ったかと想像していたが、会ってみて少しも変っていないのにかえって驚いた。


 言葉つきも穏やかで、以前の通り女のように優しかったし、起居動作も極めて静かだった。――たいそう御出世でおめでとう存じます。香苗がそう云うと、彼はいつものどこか悲しげな微笑をうかべながら有難うと云い、然し本を読む暇もなくて寂しいと云った。そういう声音も、悲しげな微笑も、香苗の胸に刻みつけられていた過去の印象を、いささかも崩しはしなかった。書物の包を抱えて通学した彼、金五との諍いを云いだされて赧くなった彼、否それよりもっと幼い頃、二人で無心に遊んだときの彼が、少しも変らず、そのまま彼女の前に成長した姿を見せたのである。皮膚の薄い彼の顔は、うち続く劇務に少しやつれてはいたものの、やはり血が透くように白く、柔らかい小柄な躯つきは、静かな動作と共に今でもひどく女性的である。そして同時に、その底には地熱のような、ねばり強い強靱きょうじんな意力が隠れているのだ。青竜組の暴れ者五人に向って、唯一人抜刀して立ち向った時の、烈しい、断乎とした情熱が秘められているのだ。
 左内は翌年、二十四歳で江戸へ去った。その別れに臨んで、彼は香苗に向って、「こんど帰って来たら」という一語を残した。それが彼と会った最後であり、彼の言葉を聞いた最後であった……こんど帰って来たら。左内はなにを云う積りであったろう。そう云ったときの彼のようすはそのあとを云う必要のない光りを帯びていた。
 ――御無事でお帰りをお待ち申します。香苗はそう答えるだけで満足した。
 左内は帰らなかった。時勢はしだいに険悪になり、彼もまた騒然たる世の怒濤どとうのなかへ身をていしていった。香苗はなにも知らなかった、自分の胸のなかに生きている左内のおもかげを抱いて、しずかに彼の帰る日を待っていた。左内が幕吏の審問を受けたと聞いたときも、遂に捕縛されたと聞いた時も、――あの左内さまが。とまるで縁の遠いことのようにしか考えられなかったし、愈々いよいよ遠島と決ったと聞いて、兄の勘一郎と共に江戸へ出て来る途中も、却ってそれが、左内を自分の許へ取戻す機会になるような気さえしていた。
 香苗は兄と共に三日まえに江戸へ着いた。遠島になる彼を見送る積りだったのである。然し左内は急に罪を加えられて、斬罪に処せられた。香苗は初めて動顛どうてんし、あの左内がどうしてそんな重罪に問われたのか、また、どんな死にようをしたのか知りたいという烈しい欲望を抑えることができなかった。そして聞き得た結果は、香苗にとってやはり縁遠い左内の姿だった。従容として刑場に辞世の詩を詠み、静かに笑って、帰するが如く死んだという。香苗の胸に生きている俤には、どこを捜してもそんな豪快な彼はいない……まるで違う、まるでちぐはぐなのだ。
「……香苗ではないか」突然そう呼びかけられて、ぎょっとしながら立止ると兄の勘一郎が近寄って来た、「いま戻ったのか」
「……はい」香苗は思わず胸を押えた。
「うかうかと歩いていてはいけない、御門を通り過ぎているぞ」
 そう云われて気づくと、香苗は藩邸の前をもう二三十歩も通り過ぎているのだった。勘一郎は直ぐ妹の気持を察したらしく、「己もいま戻ったところだ、帰ろう」そう云って先に歩きだした。
 彼は、石原甚十郎らと共に左内の死躰を受取りにいったのである。そして遺骸を千住小塚原の回向院へ仮埋葬すると、独りだけ先に帰って来たのであった。藩邸内にある喜多の家には、すでに十数人の若者たちが来て待受けていた。そのなかには蒔田金五もいた。
「……どうした、首尾よくいったか」
「死躰を渡したか」
 勘一郎の顔を見ると、待っていた人々は一斉に膝を乗出した。
「遺骸は正に受取った」勘一郎は凍えた手を膝に置いて、「役人たちは礼を尽した応待だった、なかにも囚獄奉行の石出帯刀たてわきは、我々を招じて左内の在獄中の起居から最期の模様まで精しく語って呉れた」
「では左内の待遇も悪くはなかったのだな」
「お上から差遣わされた新しい衣服で斬られている、獄制はじまって以来の異例だそうだ、左内は辞世の詩を詠み、笑って刑を受けたと感じいっておった」
「それは、それでいい、然し」と円鍔藤之進が割込んで云った、「然し、いちど遠島と決ったものを、どうして急に死罪と改め、そのうえ半日の猶予もなく斬ったのだ、その理由はなんだ」


「そんなことは分りきっている」金五が叩きつけるように云った、「建儲けんちょ問題に連坐した者はみんなやっつけようというんだ、井伊掃部の指図に違いない、尾張の慶勝よしかつ公、水戸の斉昭なりあき公、御三家でさえ謹慎隠居を命ぜられたくらいではないか、左内を斬ったのは福井藩に対する威嚇いかくだ」
「そうだ、井伊掃部の手が斬ったのだ」
「彼は勤王志士として梅田を斬り、松陰を斬り、三樹三郎を斬った、小林民部はじめ、多くの者を斬った、同時に建儲問題では御三家の威勢を粉砕し、諸侯を罰し、続いて安島帯刀を斬り左内を斬る……彼は崩れんとする長堤の蟻穴ありあなへ、更に自らすきをうち下ろしているんだ、彼は幕府を倒壊するためにおのを加えているんだ、彼こそはまさしく倒幕の首魁しゅかいだ」
 当時、十三代家定の継嗣問題は、一橋慶喜よしのぶと紀伊慶福よしとみ丸をめぐって大きな波紋を描いた。これは通商条約の調印と共に、朝廷から御内旨が下ったほどの重大問題であったが、幕府は断乎として慶福丸を嗣に決定し、一橋慶喜を推輓すいばんした人々に大弾圧を加えたのである。すなわち水戸斉昭は譴責けんせきのうえ隠居、その子慶篤には謹慎、尾張慶勝は謹慎蟄居ちっきょ、松平春嶽も謹慎、水戸家の家老安島帯刀は切腹、その他多くの犠牲者を出している。そして左内もまた同じ事件の網にかかったのだ。「如何いかにも、井伊大老こそ倒幕の首魁だ」
 この春秋流の表現が一座を沸立たせた。
「喜多、君は知らんだろうがな」円鍔藤之進がふと思い出したように、「左内が薩摩さつまの西郷吉之助と交友を結んだとき、面白い話があるんだぞ」
「いやその話なら拙者にさせろ」
「まあ己に話させろ、貴様は話がくどくてらちが明かんから駄目だ、こうなんだ、初めて左内が訪ねていったとき、吉之助は庭で若者たちに相撲をとらせて、こうどっかり坐って見ているところだった」
「吉之助は大肌脱ぎになって」
「黙っていろと云うのに」香苗は茶を運んで来たまま、隅の方にそっと坐って聴いていた。「左内は初対面の挨拶の後、礼を篤くして時勢に対する意見を訊いた、然し吉之助はまるでそらっとぼけた調子で、自分は御覧のとおり若い者共と相撲でも取る他に能のない男だから、そんな難かしい話は分り申さんと云って、遂に一語も交わそうとしなかったそうだ」
「ところがその明くる日」
「黙れと云うのに、ところが左内が帰ってから、はじめてその大人物だということが分ったのだ、吉之助は驚いて、直ぐその明くる日此処ここへ左内を訪ねて来た」
「おい……石原が帰ったぞ」話をさえぎって一人が叫んだ。
 後始末をするために、回向院に残った石原甚十郎と、他の二人が戻って来たのである、三人を入れるので一同は席をひろげた。
「御苦労だった、すっかり済んだか」
「大体のところ済ませて来た、けれど、……不愉快な話を聞いて来た」
 甚十郎は、香苗の進める茶には手も出さず、色の黒い角張った顔に、深いしわを刻みながらぶすっとした調子で云った。
「なんだ、不愉快なことって」金五が顔をあげた。
「寺で無礼な扱いでもしたのか」
「そうではない」甚十郎はぎろっと眼をあげた、「左内が泣いたと云うのだ」
「泣いたとは、つまり……」
「刑場へ曳出ひきだされ、介錯の刃が上った時、両手で顔を押えて泣いたのだそうだ」
 意外な言葉だった。みんなごくっとのどを鳴らし、暫くは真偽のほどを計り兼ねて沈黙した、……やがて勘一郎がぐっと向直って、詰問するように云った。
「石原、それはどこから聞いた、誰から出た話だ、まさか根もない話を……」
「その方が百倍も増しだ、根も葉もない噂ならこんな恥ずかしさは忍ばずとも済んだ、それが悲しいことに事実だったんだ」
「精しく聞こう、話して呉れ」
「貴公が先に帰って間もなくのことだ」甚十郎は吶々とつとつと話した、「……遺骸に付いて来た下役人に酒を出してやった、それは貴公も知っているだろう。あの下役人の年寄の方が酔って、泣きながら饒舌しゃべっているんだ――橋本左内は天下の志士だと聞いていたし、在獄中は獄卒までがその人柄に尊敬を払っていた、自分もまた常から心服していたが、人間の値打は棺の蓋をしてからでなくては分らぬ、あの左内が命を惜しんで泣くような未練者とは知らなかった。そう云うのだ……我々はそれを聞いたので、直ぐ其奴を引摺ひきずって来て糾問した、すると其奴は急いで、酔ったまぎれの失言だとごまかしたが、問詰めするうちに事実を吐いたのだ」
「……その事実とは」みんなかたずをのんだ。


「左内は刑場へ出て、定めの席へ就いた」甚十郎が口重く続けた、「太刀取りは某藩の士だった、それがうしろへ廻って大剣をあげ、よいかと声を掛けたとき、左内は振返って、
 ――暫く、暫く待て。
 と云った。そして刀を控えさせると、少し座をずらせ、藩邸の方を拝してから、両手で面をおおい、やや暫く声を忍んで泣いた、やや暫く、それから坐り直して、
 ――もうよい、斬れ。
 と云ったそうだ、是が事実だ」
「事実だということがどうして分る」
たしかめて来た、太刀取りをした某藩の士、藩の名も姓名も約束だから云えぬ、その男に会って慥かめて来た、いまの事実に些かも相違なかったのだ」
 誰も言葉を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)はさむ者はなかった。甚十郎はぴくぴくと眉を動かしながら、「石出帯刀が我々に語った話は武士の情だ、下役人の云うところに依ると、そこに立合った者全部に左内の泣いたことを口外するなと申渡したそうだ、みんな左内を惜しんで呉れた人たちらしい、町奉行もそうだと聞く、それなのに当の左内は」
「やはり、やはり長袖ちょうしゅう者だ」腕を組み、さっきから一言も口を利かなかった金五が、鋭く切込むように云った、「才はあったが、医者のせがれだし、つい先頃まで外科手術だの種痘だのと、薬匙を手にとび廻っていた男だ、武士らしい死に方を知らんのは当然かも知れぬよ」
「それはそうかも知れぬが、左内だって志士の端くれなら、自分の死がどんな意味をもつかくらい、分らぬ筈はないだろう」
「そうだ、橋本左内は一私人として斬られるのではない、彼には福井藩士の面目が懸っている、全国の志士の名誉が懸っているんだ」
「然し……然し、事実とは思えんなあ」
「そうでない、彼は蒔田の云うとおり長袖者だからな、武士の誇りは持合わさなかったかも知れんぞ、それにしても、死に臨んで泣くとは未練極まるな、如何になんでも泣くというのは」
「暫く、暫くお待ち下さいまし」
 片隅から香苗が静かに呼びかけた。騒然となっていた一座は、その声でぴたっと静まり、一斉に香苗の方へ振返った……彼女の額は蒼白く、その唇は心の忿りをそのまま語るかのように痙攣ひきつっていた、……人々はその表情を見て、いずれも虚を衝かれたように膝を正した。
「石原さまのお話は伺いました」香苗は声を抑えながら云いだした、「そして皆さまの御非難も伺いました、けれど、左内さまがお泣きになったことが、そんなに未練がましい、恥ずべきことでございましょうか、……左内さまは仰せのとおり医者としてお育ちになりましたけれど、いざという場合に命を惜しむような方ではございませんでした、それは蒔田金五さまがよく御存じの筈だと存じます」
 金五は恟として香苗を見たが、直ぐにその意味が分ったらしい、たちまちその眼を伏せ頭を垂れてしまった。
「皆さまは泣いたということをお責めなさいますけれど、笑って死ぬ者なら勇者でございましょうか、話に聞きますと、強盗殺人の罪で斬られる無頼の者も、その多くは笑い、悠々と辞世を口にして刑を受けると申します……それが真の勇者でございましょうか」香苗はつきあげてくる忿怒いかりを懸命に堪えながら、息を継いで云った。
「いまのお話をくお聞き下さいまし、左内さまは太刀取りを押止め、静かに御藩邸を拝し、声を忍んで泣かれたのです、刑場にかれた以上、泣こうと喚こうと※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれるすべのないことは三歳の童でも知って居りましょう、多少なり御国のために働くほどの者が、其の場に臨んで、命が惜しくて泣くと思召しますか、……未練で泣くと思召しますか、……強盗無頼の下賤でも笑って死ぬことは出来ます、けれど断頭の刃を押止め、静かに面を掩って泣く勇気は、左内さまだから有ったのです、……御国を思って泣いたとも申しませぬ、お家を想って泣いたとも申しません、けれどけれど、わたくしには分ります、卑怯ひきょうでも未練でもない、否えもっとお立派な、本当の命を惜しむ武士のなみだだということが、わたくしには分ります」
 香苗は云い終ると共にわっと泣いた。並居る人々はいつか面を垂れ、そのなかには指で眼を拭いている者さえあった、香苗はむせびあげながら座を起った。
 逃げるように広間を出ると、そのまま自分の部屋へ駆込み、小机にもたれて暫くのあいだ背に波をうたせながら泣いていた。香苗は今こそ本当の左内に触れたと思った。因幡守から笑って死んだと云われたとき、どうしても心に生きている左内とはぴったりせず、まるで他人の事を聞いているような気持だったのが、今こそ左内は昔の姿になって戻って来た。今こそ本当の彼を取戻したのであった。
 ――左内さま、あなたは、少しの偽りもなく、あなたらしい生き方をなさいました、あなたらしい死に方をなさいました、あなたはもう再び、香苗の心から去っておゆきにはなりませんわ。
 香苗は生きた彼に呼びかけるようにそう呟いて、ふところから辞世の詩を取出した。そして、第三の句に至ると、噎びあげながら静かにこう吟んだ。
「……昨夜、城中、霜始メテツ。……昨夜城中霜始メテ隕ツ……」





底本:「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」新潮社
   1983(昭和58)年6月25日発行
初出:「現代」
   1940(昭和15)年4月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2022年8月27日作成
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