饒舌り過ぎる

山本周五郎





 奉行職ぶぎょうしょく記録所きろくじょの役部屋へ、小野十太夫じゅうだゆうがはいって来る。彼は汗になった稽古着けいこぎのままで、ときには竹刀しないを持ったままのこともある。
「おい土田」と十太夫はどなる、「今日は帰りに一杯やろう、枡平ますへいへいこう、いいな」
 それから四半ときもするとまたやって来る。やっぱり稽古着のままで、額に汗が光っている。
「枡平はよそう、土田」と十太夫はどなる、「あそこは気取ってて面白くない、そで町のよし野で一杯やろう、いいな」
 また或る日は、やはり汗になった稽古着のままとび込んで来る。汗止めもそのまま、片手ではかまつかんで、湯気の立っているような顔で、せいせいと荒い息をしている。
「おい土田」と十太夫はどなる、「まだ終らないのか、まだ仕事があるのか」
 土田正三郎は黙ったまま、机の上をゆっくりと手で示す。まだ仕事の残っているときは、机の上には書類や帳簿がひろげてあり、硯箱すずりばこふたがあいてい、彼の手には筆が握られている。仕事がもう終っていれば、そこには書類も帳簿もないし、硯箱には蓋がしてあるし、机の上はきれいに片づいている。
「よし、道場へ来てくれ」と十太夫は片づいている机の上を見てせきたてる、「ちょっと道場へ来て相手になってくれ、かんが立ってしようがないんだ、一本でいいから相手になってくれ、さあいこう、おい、手っ取り早くしてくれよ」
 そこで土田正三郎は立ってゆく。道場は三の丸の武庫の脇にあり、刻限のまえなら門人たちがいるし、刻限過ぎでも次席の安川大蔵がいて、土田が稽古着になるのを助ける。早く来いよ、と十太夫がせきたてる。いつまでかかるんだ、手っ取り早くしろよ、じれったいな、などと云って足踏みをし、少しのまもじっとしていない。土田はすっかり道具をつけるが、十太夫は素面すめん素籠手すこてである。というのは、打ち込むのは十太夫で、土田は受けるだけだからだ。
「さあ」十太夫は竹刀でびゅっと空を切って叫ぶ、「ゆくぞ」
 土田正三郎は竹刀を青眼にとる。まだ門人たちがいる場合は、羽目板際に並んで見ているし、安川ひとりのときは、彼だけが祭壇の下に坐ってこの稽古を見る。十太夫はするどく絶叫し、大きく踏み込んだり、脇へとびのいたり、また土田の周囲を敏速に廻ったりする。絶叫の声は道場ぜんたいの空気をつんざくように聞えるし、床板はいまにも踏み破られそうに悲鳴をあげる。このばかげてやかましい物音と、眼まぐるしいほどの十太夫の動作に応じて、土田は竹刀を青眼につけたまま、ゆっくりとからだの向きを変え、つねに十太夫と正対するようにした。このあいだに幾たびか、十太夫は「引き太刀だち」という秘手をこころみる。十太夫自身のあみだしたわざで、この手にかなう者はないと定評がある。だが土田正三郎だけはその手にのらず、一度も打ちを取られたことがない。やがて十太夫は汗まみれになり、肩で息をしながら竹刀をおろす。
「これまでだ」と十太夫はどなる、「汗をながして来るから待っていてくれ」
 十太夫が出てゆくと、安川大蔵が立って来て、土田が稽古着をぬぐのを助ける。めんをとると、土田の顔にも汗のにじんでいるのがわかる。
「三度めの引き太刀は凄かったですね」と安川が云う、「てっきり一本と思いましたよ」
 土田はなにも云わない。
「私にはどうしてもあの手が避けられません」と安川は云う、「ずいぶんくふうしてみるんですが、どうしてもだめですね」
「そう思いこんでるだけさ」と土田が静かに云う、「腕は五分と五分だよ」
「私がですか」
 土田は黙って微笑し、安川の肩をそっと叩く、そこへ十太夫が、着替えた袴の紐をしめながら出て来て、さあ帰ろう、なんだまだ汗も拭かないのか、早くしろよとせきたてる、といったようなことが、月に二度か三度は必ずあった。
 おかしなことだが、小野十太夫がそんなふうにおちつかなくなるのは、土田といっしょのときに限っていた。ふだんでもどちらかというと気の早いほうだが、土田といっしょにいるときほどせっかちで、こらえ性のないような例はなかった。また土田正三郎も平生はもっと話をするし、動作や挙措きょそもまわりの人たちと変ったところはなかった。それが十太夫といっしょにいるときだけは、まるで人が違ったように無口になり、することが鈍重になるのであった。しかも二人は「寝るとき以外ははなれたことがない」と云われるほど仲がよく、十太夫が念流修業のため江戸へいっていた三年間をのぞいて、およそ五歳のときから二十六歳になるまで、一日として顔を合わさない日はなかったのである。
 土田の父は正兵衛といって、四百石あまりの中老。正三郎はまだ家督を取っていないが、奉行職記録所の頭取心得とうどりこころえを命ぜられ、役料十人扶持ぶちを貰っている。長島藩は三万八千石、城代家老の忍田外記しのだげきでさえ五百石とちょっとだから、土田の四百石は高禄の内にはいる。正三郎は一人息子で、妹が一人あったが、これは十二歳の年に死んだ。母親のなほは忍田氏の出であるが、この忍田は城代家老の分家であり、跡継ぎがないため絶家になっていた。――小野十太夫は近習頭きんじゅうがしらで百三十石、二十二歳で剣術道場を預かり、二十五歳で師範になった。まえの師範は柳川又左衛門といって、やはり念流を教えていたが、家職は書院番であったし、四十歳を越すころから国学にりだして、剣術の面倒をみるのがおっくうになったのだろう、師範の役を十太夫に譲ったうえ、自分は隠居してしまった。
 小野と土田の家は、まえには隣りあっていた。土田は敷地も広く建物も広く大きく、小野は小屋敷であったが、ごく幼いころから二人は仲がよかった。としは同じで、隣り同志だから絶えず往き来をしていたが、一度も口論をしたことがないし、十太夫のほうがおとなびて、なにごとによらずあにきぶっていた。それは彼が早く父親に死なれ、十六歳で家を相続するという、困難な境遇にもめげなかった性格のあらわれであったかもしれない。――十太夫にはせいという母親と、亀二郎かめじろうという弟がいた。彼は少年ながら家職を勤め、母親に仕え、剣術に励みながら、自分で弟を浅間家へ養子にやる奔走までした。このあいだも土田との往来はずっと続いていたのだ。――十太夫が家督をするまえ、米町の民家から出た火が武家町まで延焼し、御蔵の辻の小屋敷三十数棟を灰にしたのち、小野の家で焼止った。幸い土田は無事だったが、小屋敷はところ替えになり、小野は的場下へ移された。そこは武家町の殆んど端に近いので、そのため土田へゆくにはお城の大手をまわって、煙硝蔵えんしょうぐらのある二の丸下まであるかなければならなかったが、それでも一日に一度は必ず、どちらかがたずねあうのであった。
 かれらが二十六になった年の十一月、雪の降る日のことだったが、下城の刻のちょっとまえ、例のように、記録所へ十太夫が走りこんで来た。もちろん、例によって汗まみれの稽古着である。
「おい、土田」と十太夫がどなった、「まだ終らないのか」
 土田正三郎は机の上へ手を振ってみせた。そこはきれいに片づいており、硯箱にも蓋がしてあった。
「よし、帰りに袖町のよし野へゆこう」と十太夫がどなった、「雪見酒をやろう、よし野で雪見酒をやろう、いいな」
 まわりにいた下役たちは、それぞれの机の前で、にやにやしながら眺めていた。十太夫はとびだしてゆき、すぐに戻って来た。
「おい、土田」と十太夫はどなった、「よし野はだめだ、あそこでは雪なんか見えやしない、今日は枡平にしよう、気にいらないが枡平なら雪が見られる、いいな、枡平だぞ」
 半刻のち、二人は枡平の座敷にいた。そこは天神山の丘を背にし、前に芝野川の流れる広い眺めがあった。そのあたりには富裕な商人の隠居所や、藩の重臣の別宅があり、枡平はただ一軒の料理茶屋で、三人きょうだいの評判娘と、代銀だいぎんの高価なことで知られていた。客はおもに中以上の侍たちで、金まわりのいい商人たちも来るには来るが、侍客のあるときには遠慮して、小さくなって飲み食いするというふうであった。――正三郎と十太夫がいったときには、まだ時刻が早いのでひっそりしていた。大きな手焙てあぶり二つに、炭火をいっぱい盛って、障子はあけ放しのまま、雪を眺めながら飲みだした。さかな鶉椀うずらわんに鴨が主で、甘煮うまににはきのこが三種はいっていた。初めに案内したおわかという女中が、二本めまで給仕に坐った。
「どうなすったんです」とおわかは土田にいた、「ずいぶんお久しぶりじゃありませんか、ほかにいいおうちができたんですか」
 土田は黙っていた。
「いいうちができたのさ」と十太夫が答えた、「もっと安くって美味うまい物を食わせて、あいそのいいきれいな女のいるうちがね」
「へえ」とおわかはとぼけた顔で云った、「袖町あたりにそんなうちがありましたかしら」
「袖町とはなんだ」
「このごろずっとよし野がごひいきなんでしょ、あのうちはとしより夫婦に小女こおんながいるだけの筈ですけれどね」
 十太夫は咳をして云った、「袖町ではよし野だけが呑み屋じゃあないぜ」
「とするとどこでしょう」おわかは首をかしげた、「小花かしら、千石かしら」


 なにを数えてるの、と云いながら、この家の娘おみのがはいって来た。三人きょうだいのいちばん姉で、としは二十二。背もいちばん高いし、ぜんたいがおっとりしていて、いつか十太夫が土田に、女でも総領の甚六じんろくというのかな、と訊いたことがあるし、妹の二人はかげで「ぐず」と云っているそうであった。二女はおきぬ、三女はおしん。十八と十七であるが、十太夫たちの座敷にはめったにあらわれない。土田正三郎と小野十太夫は姉のもの、ときめているためだという。
「だめだ、だめだ」十太夫は無礼にもおみのに手を振った、「おれたちは二人で雪見酒をやってるんだ、おわかもいってくれ、おれたちの邪魔をするな」
「いいわよ」とおみのは二人のあいだに坐り、徳利を取って土田に酌をした、「――あたしだって雪見酒をするんですもの、わかちゃん、こっちへお酒とおかんの支度を持って来てちょうだい」
「おれたちは」と十太夫がまじめに云った、「人に聞かれたくない相談があるんだ」
「ようござんすよ、百日以上も待ってたんですもの、はいお一つ」
「勘のにぶいやつだな」十太夫は酌を受けながら、露悪的な口ぶりで云った、「おれはおまえが嫌いだ、土田もおまえが嫌いなんだ、二人ともおまえが嫌いなんだぞ」
「そんなにひとをおだてないで」
「よく聞け、いいか」
「お酌して下さらないの」おみのは盃を取って云った、「きれいな雪だこと」
 土田正三郎がおみのに酌をしてやった。十太夫は土田をにらみ、おみのを睨んだ。
 彼女は二人の恋人だったのだ。十太夫が念流の修業から帰ったのは二十一歳のときで、その帰国祝いに、二人は初めてこの枡平へ来、おみのの給仕で小酒宴をたのしんだ。そして十太夫は一遍でおみのが好きになり、せっせと枡平へかよいだした。枡平は勘定の高いので有名だから、三日にあげずというわけにはいかなかったが、少なくとも七日に一度ぐらいは、休まずにかよいつめた。さそうのも十太夫であり、勘定も十太夫が払った。土田が心配すると、十太夫は笑って「じつは内職をしているのだ」とうちあけた。富裕な商家の息子とか、家中かちゅうの裕福な家のせがれなどに、内密で稽古にかよい、毎月それから謝礼を取るのだそうである。土田はそうかなと首をかしげたが、おそらく事実だろうと思った。それから二年のち、――十太夫はおみのが土田のほうに好意をよせている、ということを感づいた。土田もまたおみのが好きらしく、そう気づいてから注意してみると、二人がひそかに意中をしめしあうようなそぶりをする。まぎれなしと認めたから、或るとき土田に本心を訊いた。土田はびっくりし、口をあけて十太夫の顔を見まもり、ついで微笑しながらそれは逆だと答えた。たしかに自分はおみのが好きだが、おみのは十太夫にのぼせている。だから自分はなるべく二人の邪魔をしないようにしているのだ、と云った。嘘ではないらしい、それならおみのの気持を訊いてみようということになった。おみのの答えは、「お二人とも同じくらいに好き」だというのであった。土田さまも好きだし小野さまも好き、どちらがどちらよりも好きだと比べることはできないし、お二人をべつべつに考えることもできない、と困ったように告白した。面倒くさいことになった、男二人に女一人ではどう片づけようもない、暫くこのままでようすをみよう、と十太夫が提案した。三人の気持が変るのを待とう、というわけであろう。そのときおみのは十九で、そろそろ縁談が断われなくなっていたが、「ぐず」と云われるにしては芯が強く、やんわりとたいかわしてきた。心の中ではひそかに、十太夫か土田の嫁になるつもりだったらしい。二人のほうでも三者の気持のおちつきようで、おみのを妻にしてもいいと思っていたのだが、この三すくみの関係はまる三年、つまり今年の春まで続き、十太夫がはらを立ててしまった。
 ――こんな子供じみた、通俗な、ばかばかしい話があるか、と彼は云った。おれも土田もおみのあきれ返ったやつだ、もう打切りにしよう。
 こうして十太夫たちは枡平を避けるようになったのだ。酒が飲みたくなれば、袖町とか米町などの気楽な店で、町人たちにまじって飲み、家中の祝儀不祝儀でやむなく枡平へあがらなければならないときでも、おみのとはできるだけ接近することを避けたし、おみのもまたしいて二人に近づこうとはしなかったのである。
「さあ、相談があるならなさいな」おみのは五つめの杯をすすりながら云った、「まさか謀反むほんの計略でもないでしょ、あたしは雪を見ていますから」
「強情なやつだな」と云って、十太夫は土田を見た、「――まえから話そうと思っていたんだが、どうだろう土田、机の上の仕事なんか誰にだってやれる、この辺でおれといっしょにやる気はないか」
 土田正三郎は十太夫を見て、静かに眼を細めた。
「そうさ、剣術だよ」十太夫は一と口飲んでうなずいた、「専門にやらなくたっていい、一日に一刻か一刻半、道場へ来て稽古をつけてくれればいいんだ」
 土田は細めた眼で十太夫を見まもり、それから首を左右に振った。
「道場に席のあるやつは三十七人」と十太夫は続けた、「みんな凡くらばかりで、おれのあとを任せられるような人間は一人もいない、いやわかってる、安川大蔵のことは云うな、土田には安川の能力がみぬけないんだ」
 土田正三郎はおみのを見た。おみのは彼の盃に酌をした。
「そんなことはない」と土田が低い声で云った、「安川はいいよ」
 十太夫がやり返そうとすると、おわかが小女たちと共に、角樽つのだる片口かたくちや、燗鍋かんなべをかけた火鉢などを運んで来、賑やかに燗の支度を始めた。十太夫が「やかましい」とどなり、おみのが燗番をひき受け、おわかたちは去っていったが、出てゆくときにおわかは振返って、十太夫にぺろっと舌を見せた。
「枡平は女中のしつけがいいな」と十太夫は云った、「そこを閉めろ」土田は焙った鴨を、両手で※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしりながら喰べた。
「お客さまも躾がいいじゃありませんか」とおみのが云った、「はいお酌」
「よく考えてみてくれ、土田」十太夫は飲みながら云った、「べつにいそぐわけじゃない、おれはどうしても土田が欲しいんだ」
「あたしを欲しくはないの」おみのは手酌で酒を啜った、「あたしもう二十二にもなってしまったのよ」
「飲みすぎたな」と十太夫がさえぎった。
「今日は飲むの」おみのなまめかしい表情で微笑し、手酌でまた酒を啜った、「これまでずっと胸にしまっておいたことを、今日はすっかり云うつもりよ、枡平の娘とお客さまではなく、土田さま小野さまとおみの、男と女の対でいきましょう、いいわね」
「おれの失敗だったな、土田」と十太夫が云った、「よし野にすればよかった」
「初めてお二人がみえたのはあたしが十七のとしだったわ」とおみのは続けた、「それから十九のとしにあの話が出たのよ、いったい二人のうちどっちが好きだ、土田かおれかって、小野さまが膝詰めでおっしゃった」
「とんだ雪見酒になったぞ」と十太夫が云った、「まあお酌をしよう」
「あたし途方にくれちゃいました」十太夫の酌を受けながらおみのは続けた、「あなた方はいつもお二人ごいっしょだし、土田さまも小野さまもいいお方だし、一人ずつべつにお会いしたことはないでしょ」
「その話ならむし返すことはない」と十太夫が云った、「三年まえに相談しあって、ちゃんときまりがついている」
「あたしはまだ娘のままよ、なんのきまりがついたんですか」
「三人の気持が変るのを待とう、ということだったろう、だが肝心な点は一つ、お公が誰を選ぶ気持になるかということだ」
「卑怯だわ」とおみのは云い返した、「あたしは二人とも好きだし、この気持は変りようがないんですもの、こういうことは男のかたのほうできめるのが本当じゃありませんか」
「おれはみの公が欲しい」と十太夫がまじめに云った、「けれども土田を押しのけてまで、自分のものにしようとは思わない」
「あなたは」とおみのは土田を見た。
 土田はからの盃をじっとみつめていた。十太夫とおみのはそのようすを眺めながら、やや暫く待っていた。
「おい――」と十太夫が云った、「おまえ饒舌しゃべり過ぎるぞ、土田」
 土田正三郎は十太夫を見て、てれたように頭を下げ「うん」と口の中で声を出した。それまで饒舌り続けていたが、注意をされて口をつぐんだ、というふうにみえた。
「つづめて云えば」と十太夫が云った、「おれが代りにつづめて云えば、土田の考えもおれと同じだということなんだ、つまり彼もまたおれを押しのけてまでお公を女房にする気はないんだ」
「じゃあどうすればいいの」おみのは盃の酒をあおるように飲んで云った、「あたしもう二十二よ、縁談は片っぱしからはねつけて来ちゃったし、こんなとしになってはもう嫁に貰ってくれるとこなんかありゃあしないわ、いったいあたしはどうしたらいいのよ」
「それはだな」十太夫は少なからず押されぎみになり、うなり声をもらしてから云った、「つまるところ、みの公はこの枡平の長女で、だとすれば跡取りだから、いずれ自然と婿を貰うことになるんじゃないか、そうだ」と彼は自分の着想に勇み立って続けた、「嫁にゆくことなんか考えるな、枡平の身代しんだいみの公の縹緻きりょうなら、婿に来てはそれこそ芝野川の砂利だぞ」
「あたしがお二人のほかの人といっしょになれると思うんですか」おみのは手酌で一と口啜ってから、いぶかしげに十太夫の顔を見た、「――なによ、芝野川の砂利って」
「なんでもない、忘れてくれ」と十太夫は手を振って云った、「だいたいこういう話は世間にありふれていて、ちっとも珍しくないし洒落しゃれにもならない、今日は雪見酒だ、そんな話はよそうじゃないか」


 枡平を出たとき戸外はれていた。風はないので、合羽かっぱかさをつけた二人は、雪の中をのんびりあるきだした。危なかったなあ、と十太夫が云って、可笑おかしそうに笑った。みの公のやつ居直ったぜ、あたしをどうしてくれるんだって、冗談じゃない、結婚の約束をしたわけじゃあるまいし、三人の気持が変るまで待とうと云っただけじゃないか。今でもそれが変らないとなれば、責任はおれたちだけにあるんじゃない、お公にだってあるんだ。みの公は自分をも責めなければならない筈だぞ、そうだろう、と云って土田を見た。
「そうかもしれないが」と土田が答えた、「笑いごとじゃあないな」
「そこでよせ」と十太夫が遮った、「おまえは饒舌り過ぎる」
 土田正三郎は黙った。笑いごとじゃないさ、おれたちはこれが三度めだぜ、と十太夫が云った。初めは北園の娘、二番めは安川の妹、覚えているか。土田正三郎は黙って頷いた。初めは十五のとしだったろう、火事のあるまえ、小野の家が御蔵の辻にあったころ、同じ小屋敷の中に北園勝兵衛という納戸役なんどやくがおり、そこに菊乃きくのという娘がいた。三男四女という子福者であり、菊乃は二女で十六歳だった。十太夫は北園の長男の勝之丞かつのじょうと剣術なかまで、家も近いことだし、菊乃が好きになった。以前から知ってはいたが、好きだと思いはじめるとすぐに、土田正三郎をれていって、菊乃にひきあわせた。男の十五と女の十六歳は一つ違いとは云えない、女のほうが躯も感情もずっとおとなである。十太夫は自分が子供扱いにされているように誤解し、対抗しようとして土田を伴れていったのだが、すると、土田も菊乃を好きになったことがわかった。菊乃は左の眼が少し斜視で、人をみつめるとそれが嬌かしく、こびをふくんだようにみえる。菊乃について語りあったとき、二人はどちらもその眼つきに魅せられたことを知ったし、お互いの気持がどんなに熱しているかも理解した。まもなく、土田正三郎は北園へゆかなくなった。十太夫のほうが古くからの知り合だから、自分は身をひくべきだと思ったのだが、十太夫もすぐにそれを察して、菊乃のことは諦めてしまった。
 ――おれは小野家を背負っているんだからな、と十太夫は分別ありげに云った。いまから女のことなんか考えていらりゃしないよ。
 安川の妹はしづといった。これは二人が十八歳のときで、小野が修業のため江戸へゆくまで、一年ちかく続いたものだ。しづは縹緻も十人並だし、どこといって特徴のない、ふっくらとした感じの、おとなしい娘で、としは十五歳だった。安川の母と土田の母とが娘時代の友達だったため、安川の母が娘のしづを伴れて、しばしば訪ねて来た。しづが十歳くらいのときから土田正三郎は知りあっていたが、好きだという感情がめざめると、これまた十太夫を同席させずにはいられなくなった。半分はしづを見せる気だったろう、いくらかは自慢したかったとも云えるが、十太夫は一と眼でしづにのぼせあがってしまい、十太夫がのぼせあがったことを土田正三郎も感じ取ったのであった。また鉢合せだ、と二人はお互いに思ったが、こんどは譲らないぞ、とはらをきめたことも一致していた。
 ――二十歳になったら嫁に貰おう、おれは小野の当主だから、早く身をかためなければならないんだ、と十太夫は思った。
 ――妹が死んでおれは一人息子だ、と土田は土田で思った。早く嫁を貰って親たちを安心させなければならないからな。
 二人ともまず彼女の心を掴もうとした。しづの気持をしっかり掴むほうが勝ちだ、縁談はそれからのことだと思い、かれらなりにいろいろ努力をした。もちろん十太夫は勤めのほかに道場での稽古があったし、土田正三郎は奉行職記録所へ勤務の命が出たから、努力をした、というのはおもに主観的な意味で、実際にこれこれのことをした、という実績はあまりなかったようだ。このあいだに、二人の感情には幾たびかの波があった。すなわち、十太夫は土田が早くしづの心をとらえればいいと思い、土田正三郎も同じことを十太夫に期待し、それが逆になって、こんどこそおれがしづを嫁に貰うぞと、互いに心の中でいきり立つ、というぐあいだったのだ。そうして、十太夫が江戸へ修業にゆくことになり、それといっしょに土田もしづから遠ざかった。
 ――親友の留守に親友をだしぬくのはいやだ、と土田正三郎は言明した。
 そのとき十太夫と土田と喧嘩になった。そんな例はあとにも先にもない、たった一度のことなのだが、問題はしづで、自分が留守のあいだ安川へ近よらないというのは侮辱だ、と十太夫が怒りだしたのである。それは恩きせがましいうえに高慢だと云い、土田も珍しく、安川から遠ざかるのはおれの自由だとやり返した。兄弟よりも仲のいい二人、いつも形と影のようにはなれない二人が口論をはじめたので、周囲の者たちは半ば吃驚びっくりし、半ば好奇心をそそられて、そのなりゆきを見まもっていた。十太夫は赤くなってどなりたて、土田も肩をいからせて叫び返し、やがて下城のときが来て、大手門を出るまで続いた。そのころには大勢の者が二人のあとからついて来、二人はついに取っ組みあいになった。十太夫のほうが先にとびかかり、土田を押し倒したが、土田はすぐにはね返して、反対に十太夫を押えこんだ。
 ――さあどうだ、と土田が云った。
 ――ちょっと待て、と十太夫が云った。
 ――待てとはなんだ。
 ――まわりを見ろ、と十太夫が云った。こいつらはおれと土田が無二の親友だということを知っている、にもかかわらず、二人の喧嘩を止めようともせず、面白そうに見物しているとは不人情じゃないか。
 ――それはそうだ、と土田は手を放した。
 ――こんな不人情なやつらに見物させることはない、と云って十太夫は立ちあがった。こいつらから先にやっつけてやろう。
 見物していた者たちが逃げだしたのは云うまでもないし、二人の喧嘩もそれで終った。十太夫は江戸へゆき、土田正三郎はしづから遠ざかった。
「おい、ちょっと待て」十太夫が急に雪の中で立停たちどまった、「その話で思いだしたが、安川の妹はどうした」
「知らないな、もう嫁にいって子供の二、三人もいるんじゃないか」
「うん」十太夫は指を折ってみて頷いた、「そうだろうな、もう二十三ぐらいだからな」
「北園の娘はどうしている」
「あれは嫁にいって死んだよ」と十太夫はまたあるきだしながら云った、「いったさきの名は忘れたが、初めてのお産がひどい難産、そのために死んだということだ」
 土田正三郎は黙ってゆっくりと頷いた。十太夫は笠のふちを指ではじいて雪をとばし、合羽をばたばたと、鳥の羽ばたきのように振って雪を払いながら、口の中でぶつぶつ独り言をつぶやいていたが、急になにごとか決心したように、「じゃこれで」と云いさま辻になっている道を、せかせかと右のほうへ曲っていった。
 その翌日から五日のあいだ、十太夫は土田の役所へあらわれなかった。役部屋の者たちはふしぎそうな、そして、なにか始まるぞという刺戟的しげきてきな期待のために仕事も手につかないような眼つきで、ひそかに土田正三郎のようすを見まもっていた。頭取の加地宗兵衛かぢそうべえは三日めに気がついたらしい。頭取部屋は役所の中で一人だけ別になっているが、三日めの下城の刻が近くなってから、仕切の襖をあけて、土田の机の側へやって来た。
「どうしたんです、あの豪傑は」と頭取は温厚な笑顔で問いかけた、「二、三日みえないようだが、なにかあったのですか」
「私はなにも知りません」と土田は答えた、「たぶんいそがしいのでしょう」
「あのくらいそうぞうしい人間もないが、来ないとなると気になるから妙なものだ」と頭取は云った、「病気でなければいいがな」
 五日目にも姿をみせないので、役所が終ったあと、土田は三の丸の道場へ寄ってみた。十太夫は素面素籠手で、上位の者に稽古をつけていた。汗止めはもとより、稽古着も汗びっしょりであるが、これまでに見たことのないくらい力のこもった、精悍せいかんな稽古ぶりであった。道場の臆病口おくびょうぐちで見ていると、安川大蔵が側へ来て目礼した。
「元気なようだね」と土田が云った。
「あのとおりです」安川は苦笑した、「もう二刻以上も休まないんですよ」
「なにかわけでもあるのか」
「そのようですが」安川はちょっと口ごもった、「口止めされていましてね」
「この四、五日とんと姿をみせないんだ、病気でもしているんじゃないかと思ってね」
「あのとおり元気いっぱいです、いずれ小野さん自身から話されるでしょう、決して心配することはありませんよ」と云って安川は向うへ頷いてみせた、「――気がついたようですね」
 十太夫が走って来て、荒い息をしながらどなった、「どうした土田、ちっともあらわれないじゃないか、風邪でもひいたのか」


 当時、長島藩では治水工事に関して面倒な事件が起こり、普請ふしん、材木、勘定の三奉行ぶぎょうと重職とのあいだに、三年越しの吟味が行われていた。――工事は芝野川と久呂川との合流点に、水量を調節するための二重水門を造る計画で、もう七年もまえから着手されたのだが、出水のために二度失敗したうえ、計上費や用材の不正が発見され、その責任問題がやかましくなっていた。
 だからといって、家中ぜんぶがその紛争に関係しているわけではない。工事の担当者とか、吟味に当る役人や重職のほかは、平常と変りのない生活をしていた。土田の属する記録所は、役目の性質から多少は事務が煩雑はんざつになり、ときには下城が一刻もおくれることなどもあったが、吟味事件そのものにはむろんかかわりはなかった。
 十太夫の無沙汰ぶさたはさらに十日ちかくも続き、それから或る日、例のように突然、稽古着のままとびこんで来た。
「今日はいっしょに帰ろう」と十太夫は片手で額の汗を拭きながらどなった、「久しぶりで一杯やろう、いいな」
 下役の者たちは忍び笑いをし、仕切の襖をあけて加地頭取が覗いた。十太夫はそんなことは眼にも入れず、とぶようにして出ていったが、またすぐに戻って来た。
「帰るまえに道場へ来てくれ」と十太夫はどなった、「ちょっと相手をしてもらいたいんだ、いいな」
 土田は眼で返辞をし、十太夫は走り去ろうとしたが、その役部屋にいる若侍の一人を認めると、部屋じゅうに鳴り響くような声で咎めた。このごろ稽古をなまけている、そんなことでは上達しないぞ、どうして道場へ来ないんだ、とたたみかけるように云った。その若侍は赤くなった顔を机の上へ貼りつくほど伏せ、口の中でなにやら答えながら、さもいそがしそうに筆を動かしていた。
「またそうぞうしくなるようだな」加地頭取が襖を大きくあけ、土田の側へ来て、机の上を眺めながら云った、「道場へゆくんならもう片づけるがいいでしょう、済んだ分だけ受け取りますから」
「いまお届け致します」と土田は答えた。
 道場には十太夫と安川だけで、ほかには誰もいなかった。十太夫の脇に道具が置いてあり、土田正三郎を見るなり、待ちかねたようにめん籠手こてをつけ始めた。
「今日はおれが受ける」と十太夫は云った、「土田が打ちをやってくれ」
 土田は十太夫を見た。
「文句を云うな」と十太夫は面の中からどなった、「そっちで打ちを入れるんだ、遠慮はいらない、おれを粉砕するつもりでやってくれ」
 土田正三郎はもの問いたげな眼をした。
「文句を云うな」と十太夫は竹刀しないを取って素振すぶりをくれた、「さあ、支度をしてくれ」
 土田は稽古着に着替えながら、なにがあったのかと、安川大蔵に訊いた。安川はただ肩をゆりあげただけであった。道場へはいっていった土田は、自分の竹刀を取って立ち向うと、十太夫の面と胴へ、みごとな打ちを二本入れた。
「弱い、弱い」と十太夫が叫んだ、「もっと力いっぱいやれ」そしてさらにどなった、「おれをかたきと思って打ち込むんだ、さあ」
 土田正三郎はするどい打ちを面へ入れ、十太夫が受けると、竹刀を返して躰当りをくれた。十太夫は転倒し、転倒したまま十二、三尺もすべってゆき、「これまで」と叫んで面をぬいだ。ばか力だ、よけいなことを、と云いながら十太夫は足を投げだした恰好で、籠手を外し、胴をぬいだ。安川がそれを助け、十太夫は額の汗を手で押しぬぐった。
 半刻のち、十太夫と土田は芝野川に沿った畷道なわてみちをあるいていた。
「おれは安川のしづを嫁に貰う」と十太夫が云った、「異存があるか」
 土田は眼をそばめて十太夫を見た。
「安川大蔵の妹だ、忘れたのか」と十太夫が云った、「――このまえ二人で話してから、気になったので安川に訊いてみたんだ、するとまだ未婚のままうちにいるという、母親に亡くなられて女手がないため、主婦の代りになったので婚期を逸したということだ」
 十太夫の口ぶりにはなまなましい感動がこもっていた。彼は安川家へ訪ねてゆき、しづと会って話した。彼女が嫁にゆかなかったのは、主婦代りをしなければならなかったからではなく、土田と十太夫の二人を忘れることができず、そのどちらかでなければ、一生をともにする気になれなかったためである、と告白した。十太夫は続けて安川家へゆき、そのたびにしづと話しあった。安川大蔵はすでに結婚して、二歳になる子供もある。しづは父親や弟の世話をするだけだから、その機会さえあれば、いつ嫁にいってもいい立場であった。これらの事情を話しあっているうちに、しづの気持は十太夫にかたむいてき、十太夫もしだいに心がきまってきた。
「おれは抜け駆けをしたかたちだが、卑怯ではなかったつもりだ」と十太夫は肩を怒らせるような調子で云った、「――会って話すたびに、必ず土田のことを話題にし、むしろ土田を推薦するようにつとめた、けれども、しづの気持は少しも迷うようすがなく、おれとの結婚なら承知すると云った」
 十太夫が立停ったので、土田正三郎も足を停めた。れかかる空は青ずんで高く、まだらに雪の残った河原の向うで、芝野川の流れが静かに瀬音をたてていた。
仔細しさいはこのとおりだ」と云って十太夫は土田を見た、「そっちに異存があれば聞こう」
 土田正三郎は高い空を見あげ、唇を舐めながら、暫くのあいだ黙っていた。
「よし、もうそのくらいにしろ」と十太夫が云った、「土田はいつも饒舌り過ぎる」
 土田正三郎はてれたような苦笑をもらし、十太夫はおうとえながら、力をこめて、右手のこぶしを空へ突きあげた。若い精力が躰内に満ち溢れていて、どうにもじっとしていられない、というふうな声であり動作だった。
「少し寒くなったようだな」土田が云った。
「待て、まだ話が残ってる」と十太夫がさえぎった、「土田はこれから枡平へゆくんだ、今日はもとより、これから先も暇があったら、自分ひとりで飲みにゆくんだ、わかるか」
 土田正三郎は眼を細めた。
「おい、先ばしったことを思うな」十太夫は土田がなにか云ったことを制止するように続けた、「まず聞け、いいか――安川のしづがなぜおれを良人おっとに選んだか、その理由がわかるか」
 土田は黙っていた。十太夫はすぐに続けた。
「それはな、おれが一人で安川へいったからだ、初めからの計画じゃない、しづが未婚のままにうちにいると聞いて、どんなふうに変ったかを見たうえ、まだあのころのように美しかったら土田もさそってゆくつもりだった、嘘じゃないぞ、本当にそう思って訪ね、しづと二人だけで話した、その初めて訪ねていった帰りに、おれはしづのようすに昔とは変ったところがあったことに気づいた、――よく聞いてくれ、いいか、ここが肝心なところなんだ」
 まえにはどこかに隔てがあった。こっちをみつめるまなざしにも、話しぶりにも、しなを作ったはにかみようにも、薄い紙一重を隔てて見るような、もどかしさが感じられた。それがこんどはまるで違う、すべてがしっくりと、割った木を合わせるように、お互いの感情が隙間なしに通じあうのだ、と十太夫は云った。
「お互いがそれだけとしをとった、つまりおとなになったためだろうか、と考えてみた、婚期におくれたしづの気持が、男を求めてあせっているからではないか、いろいろ考えたが、そうじゃない、問題はしづのほうにだけあるんじゃなく、おれのほうにもある、おれの気持もあのころとはまったく違っているんだ」と云って十太夫は、土田を咎めるような眼でみつめた、「これはどういうわけだ、二人のこの変りようはなんだ、――おれはそれがどんな原因によるものか知りたかった、それで土田をさそうまえに、その理由をつきとめようと思い、二度、三度と一人で訪ねた」
「寒いよ」と土田が云った、「すっかり昏れてしまった」
「そうして二人だけで会っているうちに」と十太夫は構わずに云った、「おれはだんだんにわかってきた、なんだと思う、しづとおれの気持がぴったりよりあい、結婚にまで踏み切れた理由はなんだと思う」
 土田正三郎は黙って空をにらんでいた。
「それはこうだ」と十太夫は云った、「その理由はただ一つ、おれが土田といっしょにではなく、一人で訪ねてゆき、しづと差向いで話しあったからだ、つきつめたことを云えば、男女の仲は一対一ということなんだ、また、そこで思い当ったんだが、いつの場合でもおれと土田は一躰同様だった、おれが好きになれば土田も好きになる、そしてお互いの友情を裏切らないためだと思って、二人いっしょでなければどの娘ともつきあわなかった、ばかばかしい、娘のほうではこれをどう感じるか――こっちが二人で一躰同様なら、娘のほうでもそのとおりに感じただろう、だから枡平のみの公のように、おれたちのほかの男とは結婚できないが、おれたちのどっちを選んでいいかもわからないと云うことになる、これでわかったろう、おれたちは極めて子供くさい、ばかげた廻り道をしていたんだ」
 土田正三郎はくしゃみをし、懐紙を出してはなをかんだ。
「土田はこれから一人で枡平へゆけ」と十太夫は云った、「一対一でやればみの公の気持も片づくだろう、そうしたら二た組でいっしょに式をあげよう、いいな」


 その翌年の二月、小野十太夫は安川しづ祝言しゅうげんした。土田正三郎にも婚約者ができたが、例の治水工事にからまる吟味が終りかかっていて、役所の事務が多忙なため式が延び、九月になってようやく祝言をすることができた。相手は枡平のおみのではなく、城代家老のめいに当る篠原しのはらしのぶであった。
 ――どうしたんだ、あんなに仲のよかった小野と土田が、このごろすっかり疎遠になったじゃないか。
 ――生活が変れば感情も変るさ、両方とも結婚したからだろう。
 ――そうだ、二人ともおとなになったのさ、あの友情はおとなのものではなかった、幼年時代からずっと続いていて、つまり遊び友達という気持が抜けなかったまでだ、それが二人とも妻帯したので、ようやくおとなになったというところだろう。
 ――はかなきものだね。
 家中の人たちはそんなふうに評しあった。たしかに、二人はほぼ一年くらい疎遠にみえた。そのあいだにも、土田は三日か五日に一度は道場へゆき、半刻くらい十太夫と立合いをした。からだをやわらかくしたいというのが目的で、べつに剣術修業という意味ではなく、一と汗かくとやめてしまう。以前ならそこで「一杯やりにいこう」という段取になるのだが、そうはせず、まっすぐにお互いが帰宅する、という状態が続いたのである、――大多数の例では、これがそのまま自然のなりゆきというかたちになるであろう、生活が変れば人間の感情も変るものだ。はかないと云えばはかないだろうが、十太夫と土田の場合はそうはならなかった。かれらが結婚した年の冬にかかるころから、いつとはなしにまた接近しはじめたのである。いつそれが始まったかはわからない、或る日、十太夫が「今日は一杯やろう」と云いだし、それから五日おき、三日おきに飲み、いっしょに稽古をしたあと、道場で話しこむというぐあいだった。そうして、周囲の人たちがそれと気づいたときには、二人はまったく以前の二人になっていたのであった。
「土田は酒が弱くなったな」と十太夫が云った、「もう酔ったようじゃないか」
 十月下旬のかなり強い風の吹いている夕刻、袖町という横丁にある「よし野」の店で、二人はつけ板に向って腰を掛けていた。台を隔てて主人の留吉とめきちと女房のおいせがいる。おいせ燗番かんばんであり、留吉はさかなを作る。まだ早いので、客は二人だけだし、留吉夫婦は二人の気性を知っていたから、なるたけ話の邪魔にならないようにとつとめていた。
「酔ったのでなければ、なにか心配ごとでもあるのか」と十太夫が云った、「そうだろう、うちでなにか気にいらないことでもあったんだろう、どうだ」
 土田正三郎は盃の中をじっとみつめた。
「むだなお饒舌りはよせ」と十太夫はまた云った、「土田はみの公を貰えばよかった、みの公を女房にしていればうまくいったんだ、――いったいどうしてみの公を貰わなかったんだ、え、どういうわけだ」
 土田正三郎は静かに手をあげて、右の耳のうしろをでた。どう答えたらいいか考えているようすで、しかしやがて、僅かに首を左へかしげた。
「わけなんかないさ」と土田は云った、「――つまり、小野が結婚してしまったんで、あの娘も拍子ぬけがしたらしいよ」
「拍子ぬけだって」十太夫は軽蔑したように唇を片方へゆがめた、「こんな場合に拍子ぬけなんて言葉を使うやつがあるか、枡平には金が預けてあったんだ、土田が一人で飲みにゆくようにって、ところが預けた金はそっくり枡平から返してよこした、つまりおまえは枡平へゆかなかったんだろう」
「いったさ」と云って土田は十太夫を見た、「――どうしてゆかなかったなんて思うんだ」
「金がそっくり返って来たと云ったろう」
「おれは役料を十人扶持ぶち取っている」と土田は穏やかに云った、「父からきまって貰う小遣こづかいもある、それに、枡平では勘定をろくさま取らないんだ」
「どうして勘定を取らないんだ」
 土田は考えてみてから、云った、「――たぶん拍子ぬけがしたんだろう」
「おまえはお饒舌りのくせに言葉を知らないやつだ、それも拍子ぬけなんていう問題じゃないじゃないか」
 そして十歳か十一歳のころ、土田が同じように当てずっぽうなことばかり云った例を幾つかあげ、それでよく記録所などに勤めていられるものだ、ときめつけた。やがて十太夫も酔ってきて、話を元へ戻し、家庭でどんな不愉快なことがあったか、と訊き直した。土田正三郎は考えこんだ。なにが不愉快だったろう、今日うちでなにか気にいらないようなことがあったろうか、とふり返ってみるようすだったが、そんなような記憶はないもようであった。
「じゃあ訊くが」十太夫はもどかしそうに土田を見ながら云った、「土田は女房とうまくいっているのか」
 土田正三郎は平手打ちでもくらったように、眼をみはって十太夫を見返した。十太夫はまた土田のその眼をじっと見まもっていて、それから唇で微笑した。
「よし、それ以上饒舌るな」十太夫はいかにも先輩らしく云った、「土田は結婚してまだ三十日ちょっとしかたない、おれはもうその十倍も経験しているんだ、いいか、ほぼ三百日も結婚生活をしているが、まだ女房とのあいだに一度だって不愉快なことが起こったためしはないんだぞ」
 土田正三郎は手酌でゆっくりと飲んだ。おいせが新しい燗徳利を二本持って来、二人の前にあいている徳利と替えていった。十太夫は新しい徳利から酒をぎ、横眼で土田を観察しながら、独りでしきりになにか合点していた。
「そうだ、そのとおりだ」と十太夫はうなずいて云った、「結婚生活をうまくやってゆくにはその点が大事だ、その点さえ故障がなければ、たいていの不平不満は解決されるものだ、土田はそこに気がつかないんだろう」
 土田正三郎は唇をまるくしながら、やむを得ない、とでも云うふうに首をかしげた。
「心配するな、おれがうまく指南してやる」と酒をすすって十太夫が云った、「おれも二月に祝言して、しづと寝所をともにするようになってから気がついたんだ、おれたちは、と云うのはつまりおれと土田のことなんだぞ、――おれたちは二人ともおんなを知らなかった、酒は早くから飲みだしたし、娘にれることは惚れた、しかしおんなに触れる機会はなかったから、まるでお先まっ暗だった、あんなにまごついたことはないぜ、まったく、まったくまごついたよ、ああ」十太夫は喉で笑った、「ばかばかしい話さ、なんだっておれたちは遊ばなかったんだ」
 土田正三郎は当惑したように、片方の肩をむずっと動かした。
「饒舌るな」と十太夫が云った、「なにも理由なんかありやしない、潔癖だとか、志操しそう堅固なんていうものでもない、要するに、その方面にかけては育ちそくないであり怠け者だったんだ、そうだろう」
 土田正三郎は考えてみて、そうかな、というふうに首をかしげた。
「そうさ、それだけのことさ、きまってるじゃないか」と十太夫は云った、「土田だって結婚したときにはまごついたろう、おまえは融通がきかないからな、どんなにへどもどしたかおれには見えるようだぜ」
 土田は静かに「知ってたよ」と云った。
「知ってたって」十太夫は不審そうに問い返した、「――なにを知ってたんだ」
「小間使から教えられたんだ」と土田はゆっくりと云った、「十二のとしにさ」
 十太夫の眼が大きくなり、土田を睨んだまま眼球がとびだしそうになった。
「こま」と十太夫はどもった、「――小間使に教えられたって」
「十二のとしだったそうだ」
「おい、少しはなれろ」十太夫は顔をしかめながら身をらした、「きさま、――不潔なやつだな、冗談じゃない、十二やそこいらで、ちえっ、いやなやつだな、どの小間使だ、こそのとかいったあのちびか」
 土田正三郎は首を振って否定した。
「でないとすると太っちょのほうか」
「おれは知らないんだ」
「そんなことを教えられたのにか」
「少しおれに話させてくれ」
「土田は饒舌り過ぎる」
「おれではないんだ」と土田が云った、「おれはおまえと同様、なにも知らなかった、知っていたのはしのぶのほうで、聞いてみると十二のとしに、小間使から教えられた、と云うんだ」
 十太夫は反らせた躯を元へ戻し、土田を眼の隅で睨みつけながら酒を啜った。土田正三郎は済まなそうな顔で、だがなにも云わずに手酌で飲んだ。
「それなら、なにをそんなに気に病んでいるんだ」と十太夫が問いかけた、「女房と喧嘩でもしたのか」
 土田正三郎は「なんにも」と云って、片方の肩をまたむずっと動かした。
 土田正三郎には不愉快なことも、気に病むこともなかった。実際は小野十太夫こそ、そのとき大きな心配があり、気分がおちつかず、いらいらしていたのである。そうして、その日から十四五日のち、十太夫は目付役へ呼びだされ、数回にわたって吟味役から取調べを受けた。理由は、治水工事で不正のあった商人と、材木奉行、郡奉行こおりぶぎょうらと関係があり、不当の金品を受取った、ということであった。


 十太夫に続いて土田が呼び出された。土田が証言をし、枡平の主人が呼び出され、それで十太夫に対する嫌疑はきれいにぬぐい去られた。――疑われたもとは、治水工事で不正をはたらいた主謀者たちの中から、十太夫に金が渡っていたことがわかったからであるが、これは十太夫がこれらの子供たちに剣術を教えた謝礼であり、その金は別途収入として土田と飲食に使ったものだし、枡平もその裏付けをしたので、結局なにごともなく済んだのであった。
「おまえ道場を引受けてくれ」事が片づいたあとで十太夫が土田に云った、「――目付役に呼び出され、吟味を受けたようなからだで人に剣術の指南はできない、土田の腕なら申し分なしだ、頼むからおれのあとを引継いでくれ」
 土田正三郎は答えなかった。十太夫は暫く土田のようすを見まもっていて、ごうをにやしたように向き直ったとき、昔どこかの藩にたれそれとかいう侍があった、と土田がゆっくり云いだした。
「どこの藩だか、なんという名の侍か忘れたがね」と土田は語った、「役目が勘定方かんじょうがただったことは慥かだ、或るときその役所で五十両という現金がなくなった、どうしたのかわからない、役部屋の者に嫌疑がかかり、厳重な吟味が行われたが、それでも金は出てこないし、盗まれたのか紛失したのかもわからなかった、そんなことはよくあるものさね」
「肝心な話になると」十太夫はいらいらして云った、「土田のお饒舌りはちっとも進まなくなる、それからどうしたんだ」
「その事は解決のつかないまま、結局うやむやに終ってしまった、ところが」と土田は一と口酒を啜ってから云った、「――ところが無解決のまま吟味が終ったあとで、たれ某という一人の侍が辞任を願い出た、こんな疑いを受け、吟味取調べをされた以上、この役にとどまるわけにはまいらない、それでは自分の良心がゆるさない、そう主張してゆずらず、やむなく役替えになった、つまり当人の主張がいれられたわけなんだな、まことに出処進退のいさぎよい男だといわれたそうだが、暫く経つと妙な噂がひろまった、――彼はなぜ辞任したのか、ということだね、吟味取調べを受けた者は、ほかにも大勢いる、彼だけが疑われたわけではない、それであるのに、彼一人だけがその役所を去ったのはなぜだ、かえりみてやましいことがあったんじゃないか、その役所にとどまっていると、気が咎めて耐えられないようなことが、――こういう疑惑は、五十両という金に対して現実的な責任が明らかにされたよりも、かえって彼のために不利であり、ぬぐうことのできない汚点となるものだ」
「それでどうした」
「噂は弘まるばかりだし、無実を証拠立てる方法もない、たれそれとかいうその侍は、たまりかねてその藩を退身した、たぶんこらえ性のない男だったんだろうな」と土田はたくみにをおいて云った、「――彼が退身したあとで、問題の金が発見された、どういういきさつだったか忘れたが、ともかく五十両はちゃんと出て来たんだ、けれども、退身したたれ某に同情する者はなく、彼に対する疑惑が誤りだったと云う者もなかった、つづめて云うと、彼は出処進退を明らかにしたことによって、却って自分を不当な」
「その話はいつか聞いた」と十太夫が遮った、「おまえはおれに師範を続けさせようとして、そんな話をもちだしたんだろう、だがそいつはでたらめだ、作り話だ」
「それなら云ってしまうが、これはこの長島藩であった事なんだ」
「ばかなことを」
「古い人は知っている筈だ」と土田は云った、「おれは父に聞いたんだがね、御先代の治世にあった事で、その侍の名は矢野五郎兵衛というんだよ」
 十太夫の口がだんだんに大きく開いた。じょうはずれた木戸がしぜんと開くように、少しずつ大きくなり、下顎が垂れさがるようにみえた。
「矢野五郎兵衛だって」と十太夫は唾をのみこんで反問した、「――それは土田の」
「そう」と土田は頷いた、「おれの母の外祖父だ、母は忍田の養女になっていたが、じつは矢野家の出なんだ」
 十太夫は唇をひき結んだ。矢野五郎兵衛という名を聞いて、彼もまたその話を思いだしたのであろう。ふきげんに手酌で二杯飲んだ。
「おまえは饒舌り過ぎる」と十太夫は顔をしかめて云った、「いちごんで云えば、師範のあとを引受けるのがいやなんだろう」
 土田正三郎は黙って微笑した。
「それならそう云えばいいんだ」と十太夫は云った、「なにもたとえ話なんかもちだすことはありやしない、いやだと云えばわかることだ、まったく土田は面倒くさいやつだよ」
 土田正三郎はなにも云わなかった。そのとき二人は、袖町の「千石」という店で飲んでいたのだが、そこを出てから「よし野」へゆき、腰を掛けたかと思うとすぐに、十太夫が「枡平へゆこう」と立ちあがった。土田正三郎は反対しようとしたが、十太夫は「饒舌るな」ときめつけ、土田の手をつかんで外へ出た。枡平ではおみのが給仕にあらわれ、十太夫としきりにやりあったが、土田は聞くだけで話には加わらず、しまいには肘枕ひじまくらで横になってしまった。
 二人の生活は完全にもとどおりになった。十太夫に子供が生れ、土田正三郎は父の隠居で中老職を継いだ。そして記録所頭取を兼任することになったが、相変らず十太夫は「おい、飲みにいこう」とか、「道場で一本つきあってくれ」とか、云ってとび込んで来るし、そうでなければ土田のほうからでかけてゆき、どちらにせよ下城のときは必ず二人いっしょだった。一般にはこういう関係は嫌われるか、笑い話にされるものだが、この場合はごく自然に受けいれられ、家中かちゅうの人たちはむしろ好感をもって二人を見ていたばかりでなく、長島藩の「名物」というふうに考えていたようである。一例をあげると、或るとき十太夫に江戸詰の沙汰さたが出た。小姓頭という役目だから、もうとっくに江戸詰に当っていなければならなかったのだが、精武館道場の師範であるため延びていた。それがいよいよ延ばせなくなったわけで、その沙汰を申し渡すことになったのだが、老職たちの中から誰が云いだすともなく、十太夫を江戸へやるなら土田も江戸へやらなければなるまい、という説が出た。しかし国許くにもとの中老職は動かせないため、協議をかさねた結果、ついに十太夫の江戸詰は延期することになった。それほど二人の友情が大事にされた、というのではなく、かれらをはなればなれにすることがなんとなく「不自然」であるように思えた、というほうが事実に近いようだ。
 土田は三十歳のとしに女子をもうけ、それと前後して枡平のおみのが婿を取った。――土田は女児にすずと名付けたが、十太夫はすずを自分の子の小十郎の嫁にすると主張した。かくべつな意味はない、世間の親たちがよく考えることだし、それが実現することもあり、年月の経つうちに忘れられることもある。だが二人の場合にはほんの少しだが変ったところがあった。というのは、結婚以来はじめて、お互いの家族のことが話題になった、という点である。かれらは少年時代まで、――つまり十太夫の家が御蔵の辻の土田家と隣りあっていたころは、お互いにその家を訪ねあっていたが、火事のあと十太夫が的場下へ移ってからはまれになり、ことに結婚してからは一度も訪ねあったことがない。城中や戸外では絶えずいっしょになるけれども、お互いの家族とはまったく交渉がなかったのだ。――したがって、十太夫がよく、そのすずを伜の嫁にきめた、と主張したのは珍しいことであり、云われた土田はけげんそうな顔をしたし、主張した十太夫も、主張したすぐあとでばつ悪そうな顔をした。
 二人が三十二歳になった年の十一月、十太夫が吐血して倒れた。道場で稽古をしているとき、突然よろめいて膝を突き、吐血したのであった。知らせを受けた土田正三郎は、すぐに医者を呼べと命じたが、自分はそのまま事務をとり続けていた。道場から二度も迎えがあり、三度めに医者が来たと告げられてから、ようやく机の上を片づけて立った。
「どうしたんだ」下役の者たちは、土田のうしろ姿を見送りながらささやきあった、「小野さんが吐血して倒れたというのに、なにをぐずぐずしていたんだろう」
「御用はそれほどいそぐものではなかったのにな」
動顛どうてんしたんだろう」と一人が云った、「吐血といえば尋常なことではないからな」
 土田正三郎がいったとき、十太夫は道場のまん中に夜具を敷いて寝ていた。若い門人が三人ばかりで、床板を拭いており、枕の脇には医者の桂慈石かつらじせきと安川大蔵が坐っていた。話をしてはいけません、と医者が注意するのを聞きながして、十太夫は「おそいじゃないか」と口をとがらし、安川と三人で話すことがあるから、みんなちょっと遠慮してくれ、と云った。
「話はあとだ」と土田はやわらかに拒絶した、「雨が降ったら傘をさす、病気になったら医師の指示にしたがわなければならない、たまには人の意見も聞くものだ」
「雨が降ったらだって、ふん、饒舌り過ぎるぞ」十太夫は救いがたいと云わんばかりに首を振り、眼をつむった、「――土田の悪い癖だ、おまえはいつも饒舌り過ぎるぞ」
 土田正三郎は医者の顔を見た。桂慈石は無表情のまま、十太夫の胸に当てた濡れ手拭を取り替えた。軽い症状ではないという意味か、いまは見当がつかないという意味か、どちらにせよ土田の眼に答えるようすはなかった。
「病気のときぐらいおとなしくするものだ」と土田は十太夫に云った、「――どこか痛むのか」
「話しかけないで下さい」と医者が云った。
 十太夫は口の中で「それみろ」とつぶやき、白っぽい唇に微笑をうかべた。


 十太夫はそのまま道場で一夜をすごし、明くる日の午後に自宅へ帰った。土田正三郎も朝まで側にいたが、医者も付きっきりだし安川大蔵もいたので、十太夫と二人になる機会はなかった。医者も二人のことは知っているから、話をする隙を与えないように、絶えず気を配っていたし、土田もそれを察したように、なるべく十太夫を見ないようにしてい、夜が明けて十太夫が眠ったのをたしかめると、安川にあとのことを頼んで、城をさがり、家へ帰った。
 土田正三郎は一睡もしなかったが、帰宅すると風呂ふろかせてからだを洗い、平生どおり髪を直しひげって、父と朝食をともにした。事情を訊かれたので、あらましのようすを話すと、父の正兵衛は登城を休めと云った。母も側から休むようにとすすめたが、彼は欠かせない御用があるからと断わり、時刻になると登城して、自分の役部屋へはいった。
「小野さまはいかがですか」と下役の者がすぐに訊いた、「もうよろしいのですか」
 土田正三郎は単符と呼ぶ紙片へなにか書き、自分の印をしてその下役に渡した。
「お蔵へいって、この記録を出して貰ってくれ」と土田は云った、「それから中林、昨日の書類はまだか」
「もうすぐです」とその中林が答えた。
「いそいでくれ」と土田は云った、「このごろ事務がはかどらないようだな、郡奉行からの期届きとどけはまだか」
「まだまいりません」と他の下役が答えた、「催促いたしましょうか」
「まあよかろう」土田は机の上へ書類をひろげ、硯箱すずりばこをあけて朱墨をりだした、「――郡奉行か」
 下城の刻が近くなったとき、安川大蔵が役部屋へ来て、半刻ほどまえに十太夫を家まで送ったと告げた。
「病気はなんだった」
「胃だろうと云うことです」安川が答えた、「吐血したのは初めてだが、知らないうちに胃がただれていて、下血げけつしていたに相違ない、躯がすっかり弱っていると、医者は申しました。私どもは毎日会っているせいか、そんなふうには思えませんでしたが」
「酒も弱くなっていたようだ」と云って土田は安川を見た、「道場のほうは頼むよ」
「帰りにお寄りなさいますか」
「いや」と土田は顔をそむけた、「当分そっとしておくことにしよう」
 安川大蔵はじっと土田の横顔をみつめていたが、やがて挨拶をして去った。
 三日のちの朝、土田正三郎が登城の支度をしていると、十太夫の家から使いがあり、ぜひ来てもらいたいという口上を伝えた。十太夫がまた吐血をし、土田に会いたがっている、妻女もこころぼそそうだということであった。土田は当惑したように、いそぎの御用があるので、登城の刻限におくれるわけにはいかない、いとまができたらゆこう、と答えて使いの者を帰らせた。――土田は十太夫をみまいにゆかなかった。それほどいそぐ事務があろうとは思えないのに、毎日たれよりも早く役部屋へはいり、下城の刻が来てもあとに残って仕事をした。小野家からはその後なにも云っては来なかったが、安川大蔵がたびたびあらわれて、十太夫の容態を伝え、みまいにゆくようにとすすめた。
「そのつもりだ」と土田はいつも答える、「からだがあきさえしたら訪ねよう、もう四五日したら時間ができると思う」
「なにかおことづけはありませんか」
「ないようだな」と土田は首を振る、「あれば会ったときに話すよ」
 けれども土田は小野家を訪ねなかった。
 十太夫の容態は少しずつ快方に向っているという。土田正三郎に対する家中の評は、しだいに悪くなるばかりだった。あれほど仲がよかったのにどうしたことだ、肉親のきょうだいより親密で、いつもはなれたことがなかったではないか。それなのにどうしてみまいにゆかないんだ、会いたいという使いさえ受けたそうだが、それでも訪ねてゆかず、みまいの伝言もしないという。それでも親友だろうか、平穏無事なときはつきあうが、病人には用がないというわけか。そういうような非難が弘まり、しばしば土田の側で、聞えよがしに云う者さえあった。
「なにか仔細しさいがあるのですか」と或る夜、妻のしのぶが訊いた、「いろいろ噂があるそうで、実家さとの篠原でも案じておりましたが」
 土田は黙っていた。
「あれほどお親しくしていらしったのですから、さぞ待ちかねていらっしゃることでしょう、どうぞ一度みまってあげて下さいまし」
 土田正三郎は頷いただけで、なにも云おうとはしなかった。十二月になってまもなく、夜の十時すぎに安川大蔵が訪ねて来、十太夫の病状が急変したこと。その日の夕食のあとで激しい吐血がおこり、一刻ちかく失神していたこと。医者は桂慈石のほかに阿部甫悠ほゆうが立会い、夜半が峠だろうと云っていることなど、走って来たために肩で息をしながら、おろおろと告げた。
「万一のことがないとは云えません、どうかいっしょにいらしって下さい」
「おちつけ」と土田は静かに云った、「これからいったところで、医者が面会をゆるす筈はない、朝になったら訪ねよう」
「しかし万一のことがあったら」
「なにができる」と土田は安川の言葉を遮って反問した、「二人の医者が付いていて、それでもだめなものなら、私がいったところでどうしようもないではないか、うろたえるな」
「うろたえる」と云って安川は土田の眼をするどく睨んだ、「――土田さんは平気でそんなことが仰しゃれるんですか」
「云っておくが」と土田は声を低くした、「私は十太夫の友人であるだけではない、中老という重任があり、奉行職記録所の頭取という役目も兼ねている、いまは十二月で、どちらにも欠かせない御用がたまっているのだ、わからないことを云うな、安川」
「わかりました、それがあなたの友情だったのですね」と安川は云った、「――失礼します」
 安川はきびすを返して去った。
 この問答を父の正兵衛は聞いていたらしいが、そのことについてはなにも云わず、寝所へ立つときに、正三郎の居間の外から、「雪になったぞ」と声をかけていった。その夜半すぎに十太夫は死んだ。正三郎は父に弔問ちょうもんを頼んで登城し、葬儀も父に代ってもらった。年があけて三月はじめ、宗光寺で十太夫の七十五日忌がいとなまれたとき、初めて土田は焼香しにいったが、ほんの形式だけの焼香ですぐに帰ろうとした。
 安川はもちろん、知った顔ばかりだったが、誰も土田には挨拶をしなかったし、眼を合わせることさえ避けていた。
 土田もそんなことには無関心なようすで、接待で刀を受取り、そのまま出ようとすると、十太夫の妻のしづが、幼児を抱いて小走りに来、声をかけた。
「こんにちは有難ありがとうございました」としづは低頭して、抱いている子を見せた、「これが小十郎でございます」
「そうですか、丈夫そうなよい子だ」土田は幼児に笑いかけた、「坊や、幾つだ」
 小十郎は母の顔を見、それから片手を出して、慎重に三本を伸ばして差出した。
「ああ三つか、おりこうだな」土田は手で幼児の肩をそっとたたいた、「お父さまに負けない立派な侍になるんだよ」
「あの」としづが云った、「わたくしうかがいたいことがございますのですけれど」
「失礼ですが御用がありますから」と土田は遮って云った、「――どうぞお大事に」
 そして顔をそむけてそこを去った。
 土田正三郎は十太夫の危篤きとくが伝えられたとき、仏間にこもって夜を明かした。そういう噂が弘まった。十太夫の死後も、七日ごとの供養をひそかに行なった。家人の誰にも知れないように、仏間で夜明けまで誦経ずきょうしてすごした。――こういう噂も伝えられた。土田の妻しのぶの実兄である篠原頼母たのもから出た話で、妻のしのぶだけが知っていたのだという。だが、そんな噂も土田正三郎に対する反感をたかめる役にしか立たず、その評判は少しもよくならなかった。そして六年という月日が経ち、土田正三郎は三十九歳になった。
 その年の十二月はじめ、少し早めに下城した土田正三郎は、まわり道をして宗光寺へ寄り、小野十太夫の墓参をした。香華こうげをあげるでもなく、手ぶらでいって、墓に合掌したのち、暫くそこで、あたりを眺めまわしていた。
 ――ぼんやりしていたので気づかなかったが落葉を踏む足音が近づいて来、ささやくような声で呼びかけられ、振返って見ると、小野しづがそこに立っていた。黒の紋付に濃紺の頭巾ずきんをしていたが、頭巾を取りながら挨拶をし、墓参の礼を述べた。
 土田はその後のようすを問い、しづは小十郎が健康に育っていること。実兄の安川が後見になり、二人きりでは淋しいので、安川の末弟の伊四郎が寄宿していること、などを答えた。
 ――それで話は途切れた。土田も父母は健在だし、娘のすずの下に男の子が生れ、鶴之助つるのすけと名付けて今年三歳になっていた。しかし問われないのに話すきっかけもなく、土田は別れを告げて去ろうとした。するとしづが微笑しながら、一つだけ聞かせてもらいたいことがある、と呼び止めた。
「あれからまる六年になります」としづが云った、「世間の噂も、すっかり消えてしまったようですから、もう本当のことを仰しゃって下さってもよろしゅうございましょう、――小野が倒れましてから亡くなるまで、土田さまは一度もみまいに来ては下さいませんでした、どういうわけでいらっしゃらなかったのか、わけを話していただけませんでしょうか」
 土田正三郎はしづの顔を見た。


 しづは微笑しているのではなかった。かすかに赤らんだその顔には、おそれと期待と、好奇心とがいりまじって、しかもそれをあらわすまいとする努力が、微笑しているような印象を与えたのであった。
「過ぎたことですが、人には知られたくないのです」と土田は空へ眼をやりながら静かに云った、「あなたは秘密を守ってくれますか」
「はい」しづは力づよく頷いた。
 土田正三郎は履物はきものの爪先で、地面に散っている落葉を掻きわけた。ひっそりとした墓地の中で、落葉の触れあう乾いた音が、おどろくほど高く聞えた。
「十太夫は私に、道場の師範役を継がせるつもりでした」と土田は話しだした、「――かなりまえからのことで、私は相手にしなかったが、彼は幾たびも繰り返し、飽きることなく私をくどいたものです、師範の次席には安川大蔵がいるし、安川は師範として充分の腕をもっていました、十太夫はどういうわけかそれを認めようとしません、そのうちに、――彼はあなたをめとりました、安川の妹であるあなたをです」
 しづの顔がひき緊まり、その眼はなにかをさぐるように、土田の云う言葉の裏にあるものをさぐり当てようとでもするように、熱心に土田の表情を見まもった。
「十太夫には口実がふえたわけです、妻の兄に自分の役目を継がせることはできない、とね」土田は非情ともいえる口ぶりで続けた、「私がみまいにゆけば、必ずその話が出たでしょう、道場で倒れたときも、私はその話に触れないようにつとめました、もし危篤の病床で頼まれれば、いやとは云えませんし、約束してしまえば反故ほごにはできない、それでは済まない、私の中老という職からいっても、安川大蔵に対してもそれでは済まないことになる、それでみまいにはゆけなかったのです」
 しづの顔にさみしそうな、失望のいろがあらわれた。土田正三郎はすばやくそれを認めたが、声の調子は変えなかった。
「無情なやつだというような噂はずいぶん聞きました」と云って土田は片手をゆっくりと振った、「噂などはなんとも思わなかった、云うだけ云えば飽きるものですからね、けれども、みまいにゆけないというつらさは、耐えがたいものでしたよ、あなたならわかって下さるでしょう、私は辛かった」
 しづは頷いたが、それは力もないし、意志も感じられない頷きかたで、心はもうそこにないようであった。
「それだけでございますか」としづは細い声で問い返した、「ほかに仔細はなかったのでしょうか」
 土田正三郎は黙っていた。
「よくわかりました」しづはそっとじぎをして云った、「これでわたくしの気持もおちつきます、決して他言はいたしません、――有難うございました」
 土田は会釈えしゃくをしてそこを去った。
 彼の顔には、しづとは反対に、明るく挑戦的な微笑がうかんでいた。眼に見えない誰かをくうに描いて、そのものに得意なめまぜでもするような、満足げな微笑であった。
「どうだ十太夫、みごとなものだろう」――寺の山門を出ると、土田はそう云いだした、「おれがみまいにゆかなかったのは、あの人のためさ、いつかおまえは云ったな、おれたちは二人いっしょにいると一人になってしまう、おれたちはいつも同じ娘に恋してしまうし、娘のほうでもどっちが好きか判別がつかなくなる、奇妙な、有り得ないことのようだが、事実がそのとおりだったことは、おれとおまえがよく知っていた」
「死んでしまったいまは、おまえにも見とおしだろう」と土田は続けた、「おれが枡平のおみのと結婚しなかったのは、おみのが拍子ぬけしたのではなく、おれのほうで興味がなくなったからだ、十太夫といっしょでなければ、これっぽっちも興味がわかないんだ、これが本当のことなんだ」
 ――おまえは饒舌り過ぎるぞ。
「その小言はもうきかないな、十太夫はこの世の人間じゃないんだから」
 ――土田は饒舌り過ぎる。
「おれがみまいにゆかなかったのは、危篤の病床にいる十太夫に、あの人とおれの並んだ姿を見せたくないと思ったためだ」と土田は云った、「――そしてまたあの人にも、おれと十太夫の二人がいっしょにいるところを見せたくなかった、いまになればつまらないことのようだ、子供っぽい心配のようだが、あの当時のおれたちのあいだでは大切なことだった、十太夫にもしづさんにもおれにも、――そうだろう、その証拠はいま、あの人の顔にあらわれていた、おまえもあの表情は見ただろう、おれが師範のあと継ぎの話をしたときの、あのがっかりしたような顔つきをさ」
 ――もうそのくらいでよせ。
「そうしよう」と云って土田はまた微笑した、「だが断わっておく、安川を師範にえようと思ったのも事実なんだぜ、いいよ、おれは饒舌り過ぎた、これでやめるよ」
 土田正三郎はゆったりとした大股おおまたで、御蔵の辻のほうへ曲っていった。





底本:「山本周五郎全集第二十九巻 おさん・あすなろう」新潮社
   1982(昭和57)年6月25日発行
初出:「オール読物」文藝春秋新社
   1962(昭和32)年2月
※「お公」と「みの公」の混在は低本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2022年10月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード