初夜

山本周五郎





 明和めいわ九年(十一月改元「安永」となる)二月中旬の或る日、――殿町にある脇屋わきや代二郎の屋敷へ、除村久良馬よけむらくらまが訪ねて来た。
 脇屋の家は七百石の老臣格で、代二郎は寄合肝煎よりあいきもいりを勤めている。除村は上士じょうしの下の番頭ばんがしらで、久良馬は「練志館」の師範を兼ねていた。彼は代二郎より三歳年長の二十九歳、筋肉質のしまったからだで、色が黒く、はっきりと濃い眉や、いつも一文字なりにひき結んでいる唇や、またたきをすることの少ない静かな眼つきなどで際立ってりんとみえる。背丈は五尺七寸あまり、少ししゃがれてはいるが幅のある、よくとおる声をもっていた。――玄関に立っている久良馬の姿を見て、代二郎はちょっと息をのんだ。久良馬の着物の片袖からはかまの一部へかけて、どす黒く血に染まっていたからである。
「小森※(「金+完」、第4水準2-90-87)蔵を斬って来た」久良馬は云った、「――川端の網屋で三人が会食しているのをつきとめ、踏み込んでいって斬った」
「一人でか」
「一人でだ」と久良馬はうなずいた、「――※(「金+完」、第4水準2-90-87)蔵は討ちとめたが、落合と井関は逃がしてしまった。落合にも一刀あびせたが浅傷あさでだったらしい、残念ながらとり逃がした」
「その血のりはけがか」
「いや返り血だ」と久良馬は云った、「――二人を逃がした以上このまま腹は切れない、これから屋敷にたてこもって、討手とひと当てやるつもりだ、久保貞造、板土友次郎、丸茂源吾らが来る」
「いっしょにたてこもるのか」
「断わったのだが承知しなかった、人数はもっと多くなるかもしれない、ここへ寄ったのはそれを断わるためだ」と久良馬は云った、「――脇屋は妹と婚約しているが、初めからおれの説には反対だった。もし脇屋が来れば、桃世ももよの縁にひかされたといわれる、それは脇屋にもおれにも迷惑だ、わかるだろう」
「考えてみるよ」
「いやその必要はない、おれははっきり断わる」と久良馬は云った、「――それから、妻と子はやむを得ないが妹は死なせたくない、桃世を引取ってもらいたいんだが、どうだ」
「もちろんだよ、云うまでもない」
「それできまった、頼むぞ」
 こう云って久良馬は大股おおまたに去った。
 代二郎はそのうしろ姿を見送った。去ってゆく久良馬の袴の裾のところが、横に五寸ばかり切り裂かれていて、そこから歩くたびに下の着物が見えた。久良馬は門を出るとすぐ右へ、振向きもせずに去っていった。――代二郎は居間へ戻った、家扶かふの小泉専之丞せんのじょうや、三人の若い家士たちが、脇の間で不安そうに坐っているのが見えた。久良馬の話を聞いたのだろう、久良馬の声は高かったし、その調子も平常とは違っていたから、母の茂登女もとじょも聞いたとみえ、代二郎が居間へ入るのを追って来た。
 代二郎は机の前に坐った。その部屋は六帖で、北側に窓がある。机はその窓に向っているので、あけてある障子の外に庭の一部が見える。隣りは空地を隔てて御竹蔵があるが、庭の樹立が繁っているので蔵は見えない。三本ある古い桜の木が、窓の近くまで枝を伸ばしていて、その枝にはふくらんで色づいたつぼみがびっしりと着き、一と枝だけはすでに咲き始めていた。
「大変なことになりましたね」
 茂登女は代二郎の脇へ坐った。代二郎は黙っていた。
「どうなさる」と茂登女が云った、「――すぐにいらっしゃるのでしょう」
 代二郎は「さあ」といって、母とは反対の方へゆっくりと振向いた。床間には「碧山雲層層」と書いた軸が懸っている、その下に香炉が一つ。ほかにはなにもない、その軸は玉林寺ぎょくりんじの住職で、亡父唯右衛門と親しかった浣石和尚かんせきおしょうの書いたものであった。
一期いちごの大事です、不参すれば臆したといわれますよ」と茂登女は云った、「――桃世さんやあとのことは母が引受けます、支度をしてすぐにいって下さい」
「少し考えてみます」
「考えるとはなにをですか」
「これは一藩の大事で、私一個の名聞みょうもんとはべつの問題です」と代二郎は云った、「――お願いですから暫く一人にさせて下さい」
 茂登女は代二郎の横顔をにらんだ。肥えた多血質の顔が白くなり、その眼は怒りのためにきらきらしていた。彼女は幾たびもなにか云おうとしたが、やがてあきらめたように、立って廊下へ出ていった。
「碧山雲層層、――」代二郎はつぶやいた、「碧色というから遠い山だろう、遠く遠く、重畳ちょうじょう山脈やまなみが重なっている、その山脈をめぐって、動かない雲がじっとたなびいている、……悠久ゆうきゅうといったけしきだ、千年不動というけしき、いまのおれにはこのけしきは苦手だ」
 彼は机に左手のひじを突いてゆったりとあごを支え、右手をふところに入れて眼をつむった。はるかに遠く紺青こんじょう色の山脈と、それをとり巻いて動かないたな雲が眼の裏にうかぶ。無限のように遠く、おごそかなほどしずかに、――そこからこちらへ、幾千万里の距離をこちらへ、この国のこの城下町へ、五万二千石の藩政をめぐって、激しく狼火のろしを打ちあげた人々の中へと、彼は自分の意識をひき戻した。
 ――無思慮も思慮の一つだ、脇屋は思慮にとらわれすぎる。
 それは久良馬の言葉であった。つい五日ほどまえ、湯の山の扇屋の会合のときにそう云った。
「彼にはかなわない」と代二郎は眼をつむったまま呟いた、「――彼にはおれのかなわないところがある、紛れのない決断や実行力もそうだ、彼は自分が好んですることを恥じない、むかしから知らない屋敷の柿でさえ、美味うまそうにみえべたいと思うと、堂々と入っていって柿を一つ下さいと云った、女が抱きたくなれば躊躇ちゅうちょなく湯の山へでかけていった。あれには到底かなわない」
 代二郎は微笑しながら眼をあいた。
 ――売女ばいたを抱くことは決して美徳ではない。しかし抱かないことも美徳ではない。売女を抱かないことはただ抱かないというだけのことだ。
 久良馬のそう云った言葉がおもいうかんだのである。それは四年まえ、代二郎と桃世とのあいだに縁談のまとまった直後のことであり、またこんどの(後に「右京亮うきょうのすけさま騒動」といわれた)騒ぎの始まったときでもあった。


 代二郎は十五歳の年に江戸へゆき、聖坂ひじりざかの学問所へ通学するかたわら、柳生やぎゅうの道場でも五年のあいだ修業した。久良馬は三年まえから柳生の道場へ入門していた。これは藩の「練志館」の師範になるための専門的な修業で、すでに門中でも上位者のなかにあり、まもなく業を終えて帰藩したが、江戸にいるあいだは親身になって代二郎の世話をしてくれた。少年じぶんからつきあいはあったけれども、その二年余日の江戸の生活で、互いに心をゆるしあうようになった。少なくとも代二郎にとってはそう思えた。
 代二郎が江戸から帰ると、久良馬が来て「練志館」でもう少し仕上げをするようにとすすめた。代二郎は断わった、彼は武芸にはあまり興味がもてなかったのである。久良馬は失望したらしいが、むりにはすすめなかったし、それからもずっと親しい往来が続いた。久良馬はよく脇屋へ訪ねて来たし、代二郎もしばしば除村へ招かれていった。この期間に彼は桃世を知ったのであるが、帰藩して三年めの春、久良馬が結婚してからまもなく、彼も桃世と婚約をむすんだ。
 桃世はそのとき十四歳であった。兄に似て膚は浅黒く、せて、小さな少女だった。眼のくりくりとした、賢そうな顔だちで、気質の明るい、よく笑う、いかにもすなおなところが、代二郎の気にいった。代二郎の母はもっと気にいって、彼の鑑識を褒めた。
 ――代二郎さんはなかなか眼が高いのね、気性がいいばかりでなく、あのひとはいまに縹緻きりょうもよくなりますよ。
 久良馬は妹のことをいつも「栗」と呼んでいた。色が黒くてちんまりしていたからであろう、そのことを話すと茂登女は笑ったが、縹緻よしになるという主張は曲げなかった。
 婚約ができてからすぐ、久良馬は彼を湯の山へ遊びにれだした。
 ――泊って来ますが御心配なく。
 久良馬は代二郎の父にそう断わった。父の唯右衛門はまだ存命ちゅうで、「泊りがけ」という意味がわかったのだろう、ひどく渋い顔をしたが、いけないとは云わなかった。湯の山というのは城下から北へ二里ばかり、峠を一つ越した山峡の湯治場で妓楼もあるし「湯汲ゆくみ」と称する女たちがいて、近国からも客の集まる繁昌な場所であった。
 ――脇屋のふっきれないのは女を知らないからだ、今日はおれが男にしてやるよ。
 久良馬はそう云った。代二郎は「へえ」といった。
 ――自分の妹婿に売女を抱かせようというのか。
 ――妹婿になる人間だからさ。
 こう云って久良馬はにやっとした。それから例の「売女を抱くことは、――」が始まったのである。代二郎は遊蕩ゆうとうしないことが美徳だと思ったことはない。生理的におくてというのか、幾たびか機会はあったが、いつも不潔感が邪魔をするし、それを押してそこまでゆく気持が起こらない、ただそれだけのことであった。……その夜、湯の山の妓楼に泊ったときも、おんなに「いっしょに寝た」と云う約束をさせて、べつの部屋で一人で寝た。こんな嘘はすぐにわかるとみえ、朝になると久良馬はさも軽べつしたような眼で代二郎を見、大きく舌打ちをして云った。
 ――おれは脇屋が男になるまで此処ここへ伴れて来るぞ。
 代二郎は苦笑しながら黙っていた。
 妓楼を出てから、久良馬は「新しい銀札が通用しない」と不審そうに云いだした。はっきり口では云わないが、明らかにその銀札をいやがるふうで、彼はしゃくに障ったが現銀で払った、というのである。久良馬はいかにもいぶかしそうであったが、代二郎には理由がほぼわかるので、つい頷きながら呟いた。
 ――そんなことになると思ったよ。
 ――それはどういう意味だ。
 久良馬は吃驚びっくりしたようにいた。
 ――新銀札には加印がないからさ。
 代二郎はそう答えた。この土地では古くから、銀札には必ず領内に住む豪商らの加印があった。つまり表記の金額を藩と連帯で保証する意味であるが、去年の冬に発行したものには加印がなかった。それは、今年(明和五年)の二月、朝廷で立太子の大礼があり、幕府からも祝儀のため使者を差遣さしつかわした。そのなかに藩主の石見守康富いわみのかみやすとみも加えられたので、その費用をまかなう必要から、在国の右京亮康貞やすさだが急に発行を命じたものであった。加印がなければ発行高もわからないし濫発らんぱつのおそれもある。しぜんその価値が下るのは当然で、老臣たちはずいぶん反対した。筆頭家老の岡島頼母たのもは「三老職、五奉行の合議によらずして政治をおこなうべからず、――」という藩祖の遺訓をあげていさめた。藩祖の遺訓のなかでも、この一条は代々の藩主の守るべき第一としてあった。それにもかかわらず右京亮はきかなかった。
 ――このたびの御役は予期しないもので、調達は急を要するから、他の方法ではまにあわない、善後の処置はあとのことだ。
 右京亮はそう云って押し切った。そのとき押し切らせてはいけなかった、そのときこそ右京亮を抑えるべきであった。そうでなくとも、すでに無謀な政治の弊害が、いろいろな方面に現われだしていたからである。
 ――おれには経済のことなどわからないが、そういうわけだとすると捨ててはおけないな。
 城下へ帰る途中、「銀札」に関する代二郎の説明を聞いて、久良馬はじっと考えこんだ。妓楼などでは客のほうで世間ていがあるから、拒まれても表沙汰にはしないが、一般では拒むことはできない、藩の銀札を拒めば罰せられるからである。したがって、それを通用させるためには物の価格を上げるよりしかたがないし、それは他の銀札にも影響を及ぼすことになる。
 ――現に去年十月に比べると、一般の物価は一割ちかくも高くなっているよ。
 と代二郎が云った。すると久良馬が訊いた。
 ――問題はやはり右京亮さまだな。
 ――そして御側近の三人だろうね。
 ――よし考えよう。
 久良馬は濃い一文字眉をぴくっとさせた。
 老臣たちが右京亮を抑えにくいのは理由があった。右京亮康貞は石見守の子ではなく、松平出羽家から養子に入ったものである。石見守康富が幕府の閣老として江戸常府だから、右京亮を国許くにもとに置いて藩政を執らせているのであるが、まだ若くもあるし、大名育ちの向う見ずと、主我意識のひどく強い、そして神経過敏でぎらぎらするような性格のため、老臣たちはみなれ物にでも触れるような感じで接しなければならなかった。そのうえ側近に悪い人間がいた、井関藤也、小森※(「金+完」、第4水準2-90-87)蔵、落合庄次郎という三人である。――井関は右京亮が実家から伴れて来たもの、他の二人は江戸邸から抜いて来たのであるが、小森は三十二歳になり、江戸では二百五十石の書院番。落合は二十八歳で、百五十石ばかりの中小姓こしょうを勤めていた。これらが、井関と小森は側用人そばようにん、落合は執奏として右京亮の側近をかため、殆んど独裁的に政治を動かしていた。
 だいたい右のような事情だったのである。


 それから約半年、久良馬はしきりに代二郎を湯の山へ誘いだした。どうしても彼を男にせずにはおかない、と云うのであるが、実際は同行者がしだいにえるし、湯治宿(もう妓楼には寄りつかなかった)では密談をするのが主になった。かれらは無謀な政治がどう行われ、いかなる弊害を生じているかということを調べ、それに対抗する方法を練るのである。代二郎は経済や政治の理論的な説明役のような立場で、初めから不即不離の態度をとり、むしろかれらの熱狂を鎮めようとさえした。
 久良馬はその実行力にものをいわせて、老臣方面にもはたらきかけたらしい。だが、それは保守的な老臣たちに逆効果を与え、久良馬はひどく叱られた。
 ――政治に口を出すことは法度はっとである。
 妄動もうどうは内紛のもとだからきっと慎め、と厳重に戒告されたのであった。
 久良馬は沈黙した。そして、なおしげしげと代二郎を伴れて湯の山がよいを続けた。十五人ばかり集まっていた同志も解散したが、これは隠密に連絡がとられていたらしい。久保貞造、板土友次郎、丸茂源吾らの三人が、ごくときたま湯治宿でいっしょになった。代二郎が警戒するような顔をみせても、久良馬はいつも先手を打って話を避けた。
 ――いいから今夜こそ男になってみろよ。
 などというのである。道楽は若いうちにすべきだとか、道楽の経験のない者は半人前の価値しかないとか、また代二郎が遊ばないのは、生娘きむすめが初夜をおそれるようなもので、そこを踏み越えればなんでもなくなるのだ、などというのであった。
 ――初夜といえば、おれは妻をめとるときに考えたのだが、女が嫁にゆく勇気というものはすばらしいな。
 久良馬はあるとき卒然と云った。
 ――生れた家を出て、育てられた親や兄弟姉妹と別れて、殆んど見も知らぬ他人の生活の中へ入ってゆく、どんな運命が待っているかもしれない「初夜」のとばりの中へ、なんの経験もない少女がただ一人で敢然と入ってゆく、この勇気はすばらしいものだ。
 代二郎は苦笑しながら云った。
 ――それは男だって同じことだと思うがね。
 久良馬はにらみ返した。なんというだらしのない人間だ、とでもいうようなにらみかたであった。代二郎は知らないふりをして、そっぽを見ていた。
 加印なしの銀札はいちど回収された。物価の高騰に対する不評を緩和するためであろう。事実それを機会に物価は下るけはいをみせた。しかし、回収するためには資源がなくてはならない。そこで右京亮は領内全般の田地に竿さお入れを命じ、約五千石という石高を新たに計り出した。検地は七年まえにもいちどあったし、こんどの竿入れは特に徹底的で、余歩(検地するとき農民のために計り残す部分)も余さないというやりかたであった。しかし、それでも新銀札の全回収はできない、続いて家臣ぜんたいの食禄を、向う五年にわたって二割借上げという方法をとった。
 この藩に限らず、当時は諸侯ぜんたいが経済的に逼迫ひっぱくしていたのであるが、ここでは計画がゆき当りばったりで、生産の裏付けのない金融操作にはしったため、その状態はしだいに破局的なものになっていった。
 ――これは取返しのつかぬことになるぞ。
 ――根本的な改革をしなければだめだ。
 そういう声が高くなった。
 その声は右京亮を制するよりも、さらにその無謀さをあおる結果になった。回収しきれなかった加印なしの銀札をそのままにして、新たに銀札を発行し、また運上うんじょうの範囲を間口二けん以上の家屋、土蔵、物品や売買、庭樹、井戸などにまでひろげた。しかも一方では、藩侯の別墅べっしょを造営するために、城下の東南にある田地(そこは領内屈指の沃土よくどであった)を五万坪あまりもつぶすといいだしたのである。……老臣たちは江戸へ使者を送った。だが、石見守は多忙で詳しく検討する暇がなかったのだろう。同時に経済的ゆき詰りから生ずる紛糾は、大なり小なり各藩に共通する問題だったから、同じような例だと思ったのかもしれない。
 ――こんな事をわざわざ江戸まで申告げて来てどうする。国許に人はいないのか。
 こう叱られて使者は帰った。
 これは秘密にされていたが、いつ漏れるともなく評判になり、除村久良馬たちの耳にもはいった。そして湯の山の会合になり、側近の三人を斬ろうという結論が出た。苛酷な年貢(二回の検地竿入れによる)に耐えかねて、土地を捨てて去る農民が出はじめていた。銀札の濫発で物価はあがるばかりだし、商人にも倒産するものが相次いで出た。
 ――右京亮さまを動かしているのは側近の三人だ、責任のすべてが三人にあるとはいわないが、右京亮さまを老臣重職から隔離し、藩政をここまで紊乱ぶんらんさせたのはかれらだ、まずかれらを除かない限り藩政改革の策は立たない。
 会合に集まったのは十七人、代二郎もその席にいた。三人を斬ろうという説は、代二郎をべつにして全部の者が賛成した。代二郎は反対だった。三人を斬ればこちらからも犠牲者を出さなければならない、それよりもっと穏便な方法がある筈だ。こう主張した。
 ――脇屋は思慮にとらわれすぎる、ときにはその思慮を捨てろ、無思慮も思慮の一つだぞ。
 久良馬はそう云ったが、「こちらからも犠牲者を出さなければならない」という言葉で、その場の熱狂した空気はちょっと冷えたようにみえ、もういちど集まろうということで、そのときの会合は終ったのであった。
「彼は感づいたのだ、あのとき熱狂した空気が冷えたのを」代二郎は呟いた、「――そして彼は、自分がやろうと即座に決心し、今日それを実行したのだ、しかし、小森は討ちとめたが他の二人は逃がしてしまった……そうだ、このまま切腹できない気持はよくわかる」
 そういう呟きとはべつに、彼の脳裡のうりではしきりに対策が立てられていた。
「代二郎さん、――」
 廊下から茂登女の呼ぶ声がした。障子があいたので振返ると、母が除村の桃世を伴れて入って来た。桃世はもう十八歳になり、躯の小柄なところは変らないが、肌の色は白く、少しあかかった髪の毛もつややかに黒くたっぷりとして、(茂登女の予言したほどではないが)縹緻もずっとひきたってみえた。
「除村から縁を切ってまいりました」桃世は手をついて云った、「――どうぞこれからお頼み申します」
「待っていたところです」と代二郎が云った、「――早速ですがこれから登城しますから、母に訊いて支度をして下さい」
「除村さんへいらっしゃるんでしょう」
 茂登女がそう訊くと、代二郎はそれには答えないで桃世に云った。
「登城ですよ、麻裃あさがみしもを出して下さい」


 桃世はおちついて着替えを助けた。少しあおざめてはいるが、動顛どうてんしたようすはどこにもなかった。代二郎は袴のひもを結びながら、いたわるように笑いかけた。
「除村が私を湯の山へ伴れていって、道楽をさせようとしたことを知ってますか」
 桃世は「はい」と頷いて、代二郎を見あげながら、ずかしそうに微笑した。
「それではとうとう道楽ができなくて、彼に軽蔑けいべつされたことも知っているでしょう」
「はい」と桃世が答えた。
貴女あなたはどうです、やっぱり軽蔑しますか」
「いいえ」と桃世は赤くなりながら答えた、「――うれしゅうございましたわ」
「それは有難い」
 代二郎はそう云いかけて振向いた。家扶の小泉専之丞が入って来た。彼は家士たちをってようすをさぐらせたのだろう、そこへ膝をついて家士たちの報告を伝えた。――それによると、除村では門をひらいて竹矢来やらいを結い、すでに三十人ほど集まっているし、なおあとから駆けつける者が絶えない。また老臣重職のうち染谷靱負ゆきえ、岡安益左衛門の二人は登城したが、他の人たちは門を閉めて、屋敷にひきこもったまま出ない。ということであった。
「よし、わかった」代二郎は桃世から扇子を受取りながら家扶に云った、「――私は登城するから、誰も外へ出さないように頼む」
 そして彼は玄関へ出ていった。茂登女は来なかったが、桃世が式台まで送って出た。代二郎は刀を差しながら桃世を見た。桃世の眼は涙ぐんでいるように見えた。彼はその眼に笑いかけながら云った。
「心配しなくてもいいよ」
 そして静かに履物をはいた。
 代二郎は父が生きていなくてよかったと思った。父の唯右衛門は去年の五月に病死し、そのため桃世との結婚も一年延びたのであるが、善良で小心な父が生きていたら、どんなに心痛し途方にくれるか、そうしておそらく桃世との婚約も破棄されるだろうということが、彼には眼に見るように想像された。……殿町の家から登城するにはたつみ門が近い、だが、そうすると、馬場下の除村家のそばを通らなければならないので、代二郎はまわり道をして、大手門へ向った。途中の町筋は色めき立っていた。早くも逃げだす人たちだろう、老人や子供をせきたてたり、家財を荷車に積んだりして、つじ町から檜物ひもの町のほうへ、群衆が列をなして動いていた。
 大手門には槍組の人数が出ていた。代二郎が通ると、かれらは異様な人間をでも見るように、眼をそばだて、また聞えがしにささやきあった。
「脇屋だ、除村の妹のあれさ」
「どうしたんだ」と云う声も聞えた、「彼は徒党に加わらないのか」
 代二郎は聞きながして通った。
 そこから中の口へゆき、中の口からあがって、中老の役部屋へ入るまで、ゆき交う人たちすべてがそういう眼で彼を見、不審そうに囁きあうのであった。……殿中はひっそりしていた。出来事の重大さと、どうなるかわからない不安のために、あらゆるものが息をころしている、といったような静寂さであった。役部屋には誰もいなかった。代二郎は支度を直して、老職の詰所をのぞいたうえ、そこにも誰もいないのを見て広敷へいった。広敷には坊主や近習きんじゅ番たちが集まって、みんな顔色を変え、うろうろと立ったり坐ったりしていた。彼は取次を待つまでもないと思い、そのまま長廊下を奥へいった。すると黒書院から染谷靱負の出て来るのが見えた。染谷は年寄肝煎で、右京亮の与党に数えられている。代二郎は靱負をやり過しておいて、すばやく黒書院へ入った。
 右京亮は上段で叫んでいた。彼は二十七歳になる。痩せた肉の薄い躯つきで、おもながな顔にとがった高い鼻と、両方から迫った濃い眉毛と、するどく光る大きな眼とが、いかにも癇癖かんぺきの強い性格をあらわしている。いまその顔は怒りのためにゆがみ、双眸そうぼうは殆んど逆上の色を帯びていた。
「ここでは余の意志はとおらないのか」と右京亮は叫んでいた、「――あのしれ者は小森を斬り落合を傷つけたうえに、徒党を集めて己れの屋敷にたてこもったというではないか、これは謀反だ、明らかに叛逆はんぎゃくだぞ」
 上段のすぐ下に岡安益左衛門がいた。岡安は末席の家老であるが、もう六十歳を越しているし、温厚篤実というだけの人で、ただもう低頭しながら、おろおろと云い訳めいたことを云うばかりであった。老人のすぐ脇に井関藤也と落合庄次郎の姿が見えた。うしろ姿でよくわからないが、落合は頭の半分をさらし木綿で巻いている。たぶんそれが久良馬のあびせた一刀であろう。ほかに二十余人、小姓組の者と近習番、それに番頭ばんがしら格の者も五人ばかりいた。
「討手を出せ、余の申しつけだ」右京亮はこぶし脇息きょうそくを打ちながら叫んだ、「――弓、鉄砲を持って取詰めろ、手に余らば火をかけて焼き払え」
 益左衛門は平伏し、染谷が戻るまでいま暫く、必ず御意のとおりに計らうから、とふるえ声で同じことを繰り返しなだめた。代二郎は人々のあいだを静かに膝行しっこうし、席次どおりの位置で頭をあげた。
「申上げます、中老脇屋代二郎、申上げます」
 高い声ではないが、よくとおった。右京亮がこちらを見た。他の人たちも振向き、多くの者があっという眼をした。
「御上意のように討手を差向けましては騒擾そうじょうがひろがり、お家の大変になりかねません」と代二郎は云った、「――刃傷にんじょうの罪は除村久良馬ただ一人、彼に詰腹を切らせれば相済むことでございます、おそれながら一人のために大事を起こすようなことは思召おぼしめし違いかと存じます」
「刃傷の罪も罪、徒党を集めて家にたてこもるのは謀反だぞ」
「徒党を集めたと申すのは注進の誤り、事実は彼の暴挙を防ぐため、彼をとり鎮めるために親族縁者が集まったにすぎません」代二郎はひと膝進めて云った、「――おそれながら私に上使の役をお申しつけ下さい、すぐにまいって彼に詰腹を切らせます」
 右京亮は井関と落合の顔を見た。二人がどういう反応を見せたかは疑うまでもない、除村久良馬は練志館の師範で、崇拝する門人も多いし、家中かちゅうぜんたいの信望もあつい。討手など出せばどんな騒動になるか、かれらにもよくわかっていたに違いない。右京亮の激昂げっこうにもかかわらず、討手を出し渋っていたのはそのためで、代二郎の申し出は、かれらにとってむしろ渡りに舟のようであった。
「その言葉に間違いはないか」と右京亮がこちらを見た、「――間違いなく、彼に詰腹を切らせるか」
「御上意を頂ければ切らせます」
「よし、まいれ」と右京亮が云った、「――上使を申しつけるぞ」


たしかに、承知つかまつりました、つきましては、――」
 こう云って、代二郎は左右に眼をやり、佐藤喜十郎という番頭のいるのを認めた。喜十郎は三百二十石で、徒士かち組総支配を勤めている、代二郎は右京亮に云った。
「つきましては検視役として、御側より井関藤也どの、またあれなる佐藤喜十郎をお差添え願います」
「よし、両名の者みとどけてまいれ」
 井関藤也はびくりとした。
「私は辞退仕ります」藤也は云った、「――私は、私はそのお役には適しません」
「貴方は小森どのと親しかった」と代二郎が云った、「――除村久良馬の切腹をみとどけるのに、貴方ほど適した人はない筈です。それとも除村を怖れて辞退なさるのですか」
「井関、みぐるしいぞ」右京亮が叫んだ、「――余が申しつけるのだ、まいれ」
 藤也は平伏した。代二郎は佐藤喜十郎を見て、それから静かに座をすべった。
 井関藤也は臆していた。右京亮もそんなに激怒していなかったら、彼を検視役には出さなかったかもしれない。「除村を怖れてか、――」という代二郎の言葉は、右京亮の怒りを煽ったうえに、もっと強く藤也の拒絶を抑えたようであった。佐藤喜十郎もおちつかないようすだった、彼は徒士組総支配だから登城していただけで、この騒ぎには巻きこまれたくなかったし、もとよりそんな役は引受けたくなかった。
 ――これはただでは済まないぞ。
 彼はそう思った。除村がおとなしく腹を切るとは考えられない、集まっている者たちが切らせもしないだろう。反抗された場合にどうするか、その点が心配でおちつかないようにみえた。
「警護の者を伴れていってはどうでしょうか」
 長廊下をさがる途中で、佐藤喜十郎がそう云った。藤也はすぐに賛成しかけたが、代二郎はあたまからはねつけた。
「気の立った者が集まっているところへ、警護の人数など伴れてゆけば衝突が起こるに定っている、とんでもないことです」
 代二郎はかれらに供を伴れることも許さず、「上使」の作法どおり、大目付の者五人の供立てで除村家へ向った。
 除村の家は馬場下の角地にあった。辻町の通りを大馬場につき当った右の角で、こちらに倉沢重太夫という納戸なんど奉行の屋敷があり、片方は小者こもの長屋になっていた。倉沢家は門を閉めていたし、小者長屋もひっそりと鎮まって、道にも人の姿は見えなかった。……除村では門をいっぱいに開き、青竹のそいだもので矢来を結いまわして、門内には水を張った手桶ておけが、幾十となく並べてあり、また夜戦に備えるためだろう、ところどころに松明たいまつを組んで立ててあるのが見えた。
 大目付の者は門からずっと離れたところに待たせ、かれらは三人だけで屋敷の中へ入っていった。玄関の前に七八人、小具足を着けた若侍たちがいて、三人を見ると(刀をひきそばめながら)前へ立ちふさがった。
「乱暴してはいけない、――私は右京亮さまからつかわされた上使だ」代二郎が云った、「――どうか除村にそう取次いでくれ」
 そのとき玄関へ板土友次郎があらわれた。彼も桶皮胴おけがわどうを着け、足拵あしごしらえをしていた。代二郎を見てとび出そうとし、佐藤と井関がいるので、式台のところで踏みとどまった。
「いま上使と云われたのは貴方ですか」
 板土がそう云った。代二郎がそうだと答えると、彼はかっとなって、ちょっとどもりながら叫んだ。
「本当に貴方が、脇屋さんがですか」
 代二郎は答えなかった。
「貴方は除村先生の立場を知っている」と板土友次郎が叫んだ、「われわれは貴方が、事を共にするために此処ここへ来るものと信じていました、それを貴方は、上使として来られたというのですか」
「そのとおりだ」と代二郎が云った、「――どうか除村にそう取次いでくれ」
「まっぴらです」と友次郎がどなった、「私にはそんな取次ぎはできない、帰って下さい」
 板土の声を聞きつけたのだろう、やはり武装した若侍たちが三人、どかどかとそこへ走り出て来た。その中に久保貞造がいて、なお板土のどなるのを聞きながら、烈しい敵意の眼でこちらをにらみつけ、ついで井関藤也をそれと認めたのだろう、手をあげて「うしろを固めろ」と叫んだ。もちろん小具足を着けた七八人のなかまに云ったもので、かれらはすばやく代二郎たち三人の退路を塞いだ。すると久保貞造が、奥へ向って絶叫した。
「獲物がかかったぞ、出て来い、井関藤也だ」
 井関は見えるほど震えだし、蒼白く硬ばった顔で、代二郎を横眼に見ながら、刀の柄に手をかけようとした。代二郎がそれと気づいて、その手を押えたとき、奥から五人ばかりの者がとびだして来た。先頭に丸茂源吾、ほかにも代二郎の知っている者が二人、みんな「練志館」の門人で、そしてあとから久良馬も来た。……除村久良馬は黒の紋服に仙台平のはかまをはき、下は白で、鎖帷子くさりかたびらを着けているのが見えた。彼は左手に刀をさげ、白足袋の足どりも鮮やかに前に出て来て、正面から井関藤也を見おろした。
「右京亮さまの上使として来た」と代二郎が云った、「――この二人は私から願った検視役だ、とおしてもらいたい」
 久良馬の眼は井関から動かなかった。
「斬らないんですか」と貞造がどなった、「私がやりましょうか、先生」
 その声でさっとみんなが殺気立った。電光のはしるように、三人を取巻いた全部の者が殺気立つのが感じられた。
「そうはしない筈だ」と代二郎が云った、「除村はそうはしない筈だ、除村は一藩の急を救うために小森※(「金+完」、第4水準2-90-87)蔵を斬った、他の二人は討ち損じたが、小森を仕止めたことで奸悪かんあくの所在をはっきりさせ、全藩に侍の本分と決意のほどを示した、除村は目的を達したのだ、城下に乱を起こし、多くの人を謀反の罪に巻きこむようなことはしないはずだ、断じて除村はそんな暴挙はしないはずだ」
 久良馬が初めて代二郎を見た。それまでじっと(またたくことの少ない眼で)井関をにらんでいて、おびえあがった井関が全身で震えているのを慥かめて、その眼をようやく代二郎に向けた。代二郎もその眼を静かに見返した。
「それで」と久良馬が云った、「――おれにどうしろというのだ」
「まずこの人たちを解散させてくれ」
「われわれは御免です」と丸茂源吾が云った、「われわれは生死ともに先生といっしょです」
 すると全部の者が口ぐちにどなりだした。久良馬は大喝だいかつした、少ししゃがれた、よく徹る声で、玄関の天床がびんと反響した。
「脇屋の言葉はもっともだ、おれの目的は十分に達した」と久良馬は云った、「――二人を討ちもらしたうえに、討手を向けられると思ったからひと当てやるつもりだった、しかし脇屋が上使として来た以上もうすることはない、みんなその男を見ろ」久良馬は井関を指さした、「息もつけないほど怯えあがって、がたがた震えているその男を見ろ、そいつはもう死んだも同然だ、われわれが手を出すまでもない、そいつも落合もやがて自分で逃げだすだろう、おれの目的はもう達した、みんなこのまま引取ってくれ」


 集まっていた者たちは解散した。
 久良馬の翻意が動かないのと、久良馬が処罰でなく切腹だと聞いたからである。かれらの多くは泣きながら、竹矢来を除き、水手桶や夜戦の支度を片づけた。家の中も、あげてあった畳を直し、障子やふすまを立て、土足で汚したところをすっかり拭き清めた。丸茂源吾が代表で、切腹に立会いたいと申出たが、これは代二郎が拒絶した。
「それより丸茂に頼みがある」と代二郎は源吾に云った、「除村が切腹すればこの家は没収されるから、妻女と市松どのを私の家へお伴れ申してくれ、それから久保と板土は残って、遺骸の始末をてつだってもらおう」
 その他の者はすぐ解散するようにと、代二郎は隙を与えない口ぶりで云った。
 丸茂、板土、久保の三人が残り、十帖の客間に切腹の支度をした。畳一帖を裏返して、晒し木綿を張り、それを部屋の上段に据えた。久良馬はそのあいだに奥へ入って白装束に着替え、髪を水で結い直して戻った。……代二郎たち三人は、隣りの六帖に坐って見ていた。久良馬が置き畳の上に直ると、妻のいつきが短刀をのせた三方さんぼうささげて来た。そのあとから三歳になる市松が(召使たちがみんな立退いたからだろう)吃驚したような顔でついて来、母親といっしょに、久良馬の前へちょこんと坐った。
 母子は簡単な別れの言葉を述べて、すぐに奥へ去った。代二郎はいつきが男まさりで、気の勝った性分だということをよく知っている。また今日は親子もろとも死ぬ覚悟で、もう水盃みずさかずきなども済ましていたのかもしれないが、それにしてもその別れようはあまりにみれんげがなく、あまりに凛として非情にさえみえた。代二郎は丸茂にめくばせをした。源吾は頷いて、母子のあとを追ってゆき、板土と久保がこちらの六帖へ来て坐った。
 代二郎はまだ黙っていた。奥のほうで人の出てゆく物音がし、それが聞えなくなると、家の中は急にひっそりと鎮まった。そのとき、井関藤也がまた震えだした。急にひろがった沈黙のなかに、再び危険を感じたのであろう、代二郎には彼の震えだすのがはっきりわかった。
「脇屋――」と久良馬が云った。
 代二郎は頷いて立ち、久良馬の脇へいって坐った。そうして、久良馬が短刀を抜くと、静かに振向いて云った。
「井関どの、みとどけられたか」
 藤也は眼をあげた。佐藤喜十郎もそちらを見たが、藤也は短刀のぎらぎらする光りと、えりをくつろげる久良馬の姿を見て、ひとたまりもなくその眼を伏せた。
「慥かにみとどけましたな」と代二郎が云った、「――では御帰城のうえ、御前へその旨を申上げて下さい、私は除村の友人として、遺骸の処置をして帰ります」
 佐藤喜十郎がなにか云おうとした。けれども代二郎は気もつかぬようすで、久保貞造と板土友次郎に云った。
「御検視が帰られる、お見送り申せ」
 井関藤也はすぐに立った。喜十郎はちょっと躊躇ちゅうちょするふうだったが、井関が立ってゆくので、これもあとから座を立った。
 黄昏たそがれてきた部屋の中に、久良馬の取り直す短刀が、きらりと冷たく光って見えた。
 代二郎はそれから一刻ちかくもおくれて城へ帰った。右京亮はすぐに、黒書院へ彼を呼びつけた。さきに帰った二人のどちらが報告したか、切腹の現場を見せなかったというので、右京亮はすっかり怒っていた。……代二郎は平然と聞いていた、そのとき黒書院には染谷靱負と岡安益左衛門の二老職に、小姓と近習番とで五人。井関も落合の姿も見えなかった。
「申せ、代二郎」と右京亮が叫んだ、「検視役に見せずして、久良馬の切腹を誰が慥かめた、切腹の現場を見せずしてなんの検視役だ」
「おそれながら」と代二郎が答えた、「除村久良馬の切腹は、御上使として私がしかと慥かめました」
「証拠はそれだけか」
「彼はみごとに致しましたし、遺骸は玉林寺に葬りました、私は御上使として、この眼で慥かにその始終をみとどけてまいりました」
「もういちどたずねる、検視役に見せなかったのはどういうわけだ」
「彼を武士らしく死なせるためです」と代二郎は云った、「――申すまでもなく、検視役が立会うのは罪死のばあいです。彼は罪人ではございません、藩家の危急を救うためにその身も家も捨て、妻子と絶縁してその本分を尽しました、重ねて申上げますが彼は罪人ではございません、私は彼を武士らしく、心しずかに死なせてやりたかったのです」
「その言葉を余に信じろというのか」
「検視役の御両名も証人の筈です」と代二郎が云った、「――万一にも御疑念があってはと存じて、私は自分から検視役をお願い申しました、御両名はその場を見、彼が切腹の座につき、衿をくつろげ、短刀を取るまでみとどけられたのです、もしそこにいささかでも胡乱うろんがあれば、検視役たる御両名が帰られる筈はありません」
 代二郎はこう云い切って、相変らず平然と面をあげていた。右京亮の拳は(脇息の上で)わなわなと震えていた。彼は刺すような眼で代二郎を睨みながら、叱咤しったの言葉に詰ったようであった。代二郎は静かに低頭し、ずっとさがってから染谷と岡安の二人を見た。
「御老職おふた方に一言申上げます」と云った、「――除村久良馬は存念を残しております、藩家の危急が打開され、万事安泰となるまでは死にきれますまい、また、われら家臣一統も彼の存念の残るところを忘れは致しません、そのことをよくよくお含み下さるよう、お願い申しておきます」
 そして右京亮に向って平伏した。右京亮は憤然と立ち、黙ってさっさと奥へ去った。二人の小姓が(一人は刀を取って捧げながら)そのあとを追った。


 久良馬の初七日に当る夜、玉林寺でひそかに法事が行われた。まだ世間をはばかるので、参会したのは遺族母子と代二郎夫妻、その他には一人も呼ばなかった。玉林寺では(亡父と親しかった)浣石和尚が健在であった。和尚は右京亮の不興を承知の上で、久良馬の遺骸を引受けてくれたし、その夜の法事にも脇僧五人のさきに立って、自ら供養の導師を勤めてくれた。
 読経どきょうが終り、焼香が済んだとき、市松はもう母の膝で居眠りを始めた。いつきはその子の肩を袖で包みながら、初めて代二郎に話しかけた。七日まえに脇屋家へ来てから、口をきくのはそれが初めてであった。僧たちはすでに去ったが、本堂の須弥壇しゅみだんには灯が明るく、大きな香炉からは、香の煙がまだ濃くたちのぼっていた。
「わたくし残念です」といつきは云った、「――あなたのなされかたは道理にかなっているかもしれません、けれどわたくしは、除村を男らしく死なせてやりとうございました」
「男らしくですって」
「除村は思い切ったのです」といつきは云った、「――侍の義理も名も捨て、妻子もろとも斬り死にをしよう、そう思い切ったのです、男がそこまで思い切ったものを、どうして望みどおりに死なせてやって下さらなかったのですか」
「なるほど、その意味ですか」
 代二郎はちょっと当惑した。いかにもいつきらしいが、そういう苦情をそんなにはっきり、しかも面と向って云われようとは思いがけなかった。
「しかし私はこう思うのです」代二郎は云った、「――彼が小森を斬ったのはどこまでも藩の安泰を守るためで、決して破壊するのが目的ではなかったでしょう、彼が小森を斬ってくれた、その決断があったからこそ、私があと始末を買って出たのだし、その始末もうまくいったので、これはみな彼の男らしい決断のたまものだと思いますがね」
「それはあなたのお道理です、わたくしは道理を申してはおりません」
 そのとき向うの暗がりで声がした。
「そうだ、おまえの云うとおりだ」
 三人は声のしたほうへ振向いた。すると、光りの中へ一人の僧が現われ、苦笑しながらこっちへ来た。それは頭をまるめ法衣を着た、僧形そうぎょうの除村久良馬であった。
「まあ」いつきが叫んだ、「あなた――」
 彼女は殆んどとびあがって、抱いている市松を危うく落しそうになった。
「おまえの云うとおり、脇屋は文弱だからおれたち夫婦の気持などはわかりゃしない」久良馬は近づいて来ながら云った、「――これを見てくれ、彼は斬り死にをさせなかったばかりでなく、おれをこんな姿に化けさせてしまったぞ」
 いつきは茫然として、口をあけ、肩で息をしながら、またたきもせずに良人おっとをみつめていた。久良馬はそこへ坐り、これも吃驚してなにも云えない桃世に向って、さも軽蔑に耐えないというように、法衣の袖を摘んでみせた。
「もっと云ってやれ、いつき」と久良馬は続けた、「――脇屋は文弱なだけではない、むしろ悪知恵にけたやつだ、悪知恵に長けたうえに、あのどたんばでこんな策略をして、平気でいるという不敵なやつだ、おれが許すから云いたいだけのことを云ってやれ」
 いつきは代二郎を見た。顔が歪み、眼から涙がこぼれ落ちた。いつきは涙のこぼれるままの眼で、くいいるように代二郎をみつめ、それから眠っている子の上に頭を垂れた。
「堪忍して下さい、脇屋さま、――」
 しかしあとは嗚咽おえつのため、言葉にならなかった。
「私は除村を死なせたくなかった」と代二郎が云った、「――小森のような人間と、命の引換えをさせたくなかったのです、右京亮さまもめがさめればわかって下さるでしょう、除村には出家してもらいましたが、時が来れば必ず家名の立つようにします、よけいなことをしたかもしれませんが、その時の来るまで辛抱して下さい」
 いつきは嗚咽にさえぎられて、答えることができなかった。しかし彼女はその全身で、感謝の情を表白していた。代二郎は桃世にめくばせをし、帰る支度をしながら久良馬を見た。
「今夜はお二人を此処へ泊める」と代二郎は彼に囁いた、「――庫裡くりへはそう云ってあるからね、私たちはこれで帰らせてもらうよ」
 久良馬はむっとした顔で頷き、「桃世」と妹に呼びかけた。桃世は包み物をしていたが、その手を止めて兄を見た。
「脇屋に嫌われるな」と久良馬は云った。
 桃世は黙って低頭した。眉をまげに結った顔が、そのときぽっと赤くなった。
「姿だけは妻らしいがね」と代二郎が微笑しながら云った、「――実を云うと祝言は今夜なんだ」
 久良馬はけげんそうな眼をし、そして口ごもった。
「するとつまり、二人は今夜が」
「そうなんだ」と代二郎が云った、「――こちらは名残なごりの夜で、われわれは……というわけだ、ではこれで帰るよ」





底本:「山本周五郎全集第二十五巻 三十ふり袖・みずぐるま」新潮社
   1983(昭和58)年1月25日発行
初出:「週刊朝日春季増刊号」朝日新聞社
   1954(昭和29)年3月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2022年8月27日作成
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