その事のおこる五日まえ、
「わるかったね、おれの
「大丈夫ですとも」気丈なあやは明るく
結婚して二年、まだ子を産まないせいか、あやは二十二歳になるのに娘らしさがぬけていない。実家の安田は三百石の
あやの手は夜になると痛みだし、庄兵衛はむりに医者へゆかせた。
「うどん粉を酢で練ったのは、筋の
「すると痕になるのか」
「できるだけのことはやってみるそうです、でも先生はね」とあやは肩をすくめながら忍び笑いをした、「もう結婚していることだし、片輪になるわけではないから、痕ができるくらいどうでもよかろう、それより早く子を生むように心掛けるがいい、ですって」
「
五六日はかよって来いと云われたそうで、毎日一度、朝の片づけ物が終ると、あやは女中を供に松屋町へかよった。――こうして、五日めになった日の夜、およそ十一時すぎたころに、伊原友三郎が逃げこんで来た。母はもう眠ったあとで、あやも
「誰かいるのか」と彼は云った。
「入れてくれ、伊原だ」と外で答えた、「伊原友三郎だ、人に知れては困る、静かに、早くたのむ」
「縁側へまわってくれ」
「こっちだったな、わかった」
庄兵衛は
「たいへんな血だぞ」と庄兵衛が息をひいて云った、「どうしたんだ」
「たのむ、庭の血の痕を消してくれ」と伊原は囁いた、「裏の木戸からはいった、川の中をあるいて来たから外はいい、木戸から中には痕があるかもしれない、たのむ」
庄兵衛はそのままとびだした。まもなく戻って来ると、羽折をぬいで足を拭き、
傷は脇腹に二カ所、一つは殆んどかすり傷だが、一つは相当な深手で、医者の治療を要することが明らかだった。しかし伊原は朝まで待つと主張した。追手が出ているからいまはだめだという、夜が明けるまで急場の手当だけで
あやは傷を見たときちょっと
「御政道のため或る男を
「しかし、これからどうするつもりだ」
「ようすをみて江戸へゆく、おれはここで捕えられたり死んだりするわけにはいかないんだ、おれは大事なからだなんだ」そう云って彼は庄兵衛を見、あやを見た、「おれが江戸へぬけだせればよし、さもなければ取返しのつかないことになるだろう、ことによると、――いや、口でこんなことを云ってもしようがない、ただどうかおれが江戸へ脱出できるように力をかしてくれ」
「傷に
伊原を庄兵衛の寝間に寝かせ、二人はあやの寝間へはいった。それから殆んど眠らずに、伊原を脱出させる相談をし、外が白みはじめたのに気づくと、下男の加助を松屋町へやって、笈川老医に往診を頼んだ。母のたえがあやまって手にけがをし、出血がひどいからという理由で。玄智老が来るまで、庄兵衛は庭へおりて
母には告げたが、家士や召使たちには、できる限り知れないようにした。伊原は「追手が出ている」と云ったので、
「刀傷は吟味され、場合によっては私闘のお
「御家法二十六条によると、侍の刀傷は大目付へ届け出なければならない」と笈川医師は云った、「それがこの領内の医師の義務になっているが、私はもはや余命いくばくもない老骨だ、どんなことがあっても口外しないから安心するがよい」
そして明日また来るが、縫合した傷口を動かさないよう、特に注意しろと云って帰った。
庄兵衛は定刻に登城し、役所で事務をとりながら、なにか噂が聞けるかと期待していたが、平生どおり変ったこともなく、下城するまでそれらしい話さえ出なかった。伊原にそのことを告げると、却って不安がましたようすで、すぐにもこの城下から出たいと云いだした。
「傷は縫ったから、あとは
伊原はそう主張してきかなかった。そこでその夜半、庄兵衛は伊原を背負い、必要な金と品物の包をあやが持って、裏木戸から家を出た。夜空は晴れて星がいちめんに見えたが、地面は雪が五寸くらいも積っているため、木戸を出たところで小川にはいり、流れの中を地蔵橋までいった。流れは早いが水は浅く、底は小石まじりの砂だから、あるくのに苦労はなかったが、伊原を背負っている庄兵衛は、重いのと緊張とでへばってしまい、躯じゅうに冷汗をかいた。――その橋には名がない、すぐ
駕籠屋を伴って戻ると、あやはそこから家へ帰らせ、庄兵衛は
「礼は云わない」と別れるときに伊原友三郎は云った、「西条のしてくれたことはおれのためではなく、藩ぜんたいのためなんだ、まもなくすべてがはっきりするだろう、まもなくな」
五六日のち、あやの里の安田で長兄が中老職に呼びだされ、大目付の立会いで吟味を受けた、ということが伝えられた。吟味の内容がどんなことだったか、きびしく口外を禁じられたそうでわからず、次に原田十内と伊原やえ、同じくむすめの
これらのほかに、十数人の家臣が吟味を受け、城中とめ置きになった者の中には、重職もいるなどという噂さえあったが、なに一つ公表されないため、どこまでが真実であるか見当もつかなかった。城代家老の
月があけて十二月五日、西条家へ大目付の滝沢忠太夫が来て、萩岡左内から出頭せよとの書状を示し、すぐ同行するようにと促された。萩岡は上席中老で、安田又次郎を呼びだしたのも彼であった。――城中へゆくのかと考えていたら、連行されたのは三の丸下にある大目付役宅で、着くとすぐに大小を取られたうえ、火鉢もない狭い部屋へ入れられた。そのまま三日間なんの
そこは二十帖ばかりの広さで、上段があり、その下に滝沢忠太夫と、二人の
「先月十六日の夜、そのほう居宅に伊原友三郎が逃げこみ、
庄兵衛はためらわずに、その夜のことをすべて答えた。伊原はなにも話さなかったし、西条には関係のないことだと云った。妻の従兄に当る者が負傷して逃げこんだ、理由は云わないからわからないが、縁につながる者として捨ておけず、手当をしてやったうえ、翌日の夜まで自宅に寝かして置いた。とありのままに述べた。
「彼の逃亡にも手を貸したか」
「手を貸しました」と庄兵衛は答えた、「傷が軽いものでなく、自分では充分に動けないようすでしたから」
滝沢は
「次にたずねるが」と滝沢が云った、「伊原友三郎はひごろより御政道を批議し、おのれの意を立てんため御城代佐野
「存じません、伊原とは殆んどつきあいがございませんし、十六日の夜も彼はなにも話しませんでした」と庄兵衛が答えた、「そのようなことはいまうかがうのが初めてです」
「誓ってそう申せるか」
「誓ってそう申上げます」
滝沢はまた萩岡左内を見あげ、それから庄兵衛に向って、吟味は済んだと告げた。
元の部屋へ戻るとほどなく、与力の一人が大小を持って来て返し、帰宅していいが、当分は謹慎しているようにと、穏やかな調子で注意した。正式の命令かと、問い返そうと思ったけれど、母や妻のことが気になるので、庄兵衛は
帰ってみると母も妻も家にいた。二人が萩岡中老に呼びだされたのは事実であり、笈川玄智が訴状を出したというので、あったことの始終を語った。二人の吟味はそれぞれべつにおこなわれたが、返答にくいちがいのないのがよかったのだろう、半日ほどで帰宅を許された、ということであった。
「これで済むのでしょうか」とあやは心もとなげにきいた、「それともなにかお咎めがあるのでしょうか」
「ここではっきり断わっておくが、この話は口にしないことにしよう」と庄兵衛は自分にはらを立てているように云った、「私はふだんから政治には関心をもたなかった、祖父に
こんどの出来事も好んでしたわけではないし、紛争の内容は知らない。罪に問われるかもしれないしこのままで済むかもしれない。いずれにもせよ西条一家には関係のないことだから、今後どんなことがあってもこの話はしないことにする。もし罪せられるようなことになったら、避けがたい災難だったと諦めるだけだ。庄兵衛は怒りを吐きだすような口ぶりでそう云った。
雪の中で年があけ、正月になった。そのとき藩主
「ちょっとその手をおみせ」庄兵衛はすぐに声をやわらげて云い、妻のほうへ手をさし伸ばした、「その火傷をした手だよ」
あやは膝の上で、その右の手を左の手で隠した。庄兵衛はすり寄って、押えている手をはなし、右手を取ってみた。
「知らなかった、こんなになってしまったのか」庄兵衛はするどい痛みを感じたように顔をしかめた、「治療にはちゃんとかよったのだろうね」
「もういいと云われるまでかよいました」
「あのごたごたでつい忘れたんだな、私が知っていたら医者を変えるとか、湯治にゆくとかなにか方法を考えたろうのに、どうして私に云わなかったんだ」
「火傷はむずかしい病気ではありませんもの」あやは頬笑みながら云った、「なにかいい方法があれば玄智さまがそう仰しゃったでしょう、片手をなくしたわけではないのですから、そんなに大事がらないで下さいまし」
「私の罪だ」庄兵衛はあやが放そうとする手をなお握ったままで云った、「こんな手にしてしまって、これではもう嫁にゆけないじゃないか」
あやの眼が
「もう嫁にゆけないとすると、不都合なことがあっても離縁はできない、これは高価なものについたぞ」
あやも冗談のように、「では安心してわがままができますね」と云った。
正月十七日、庄兵衛は城へ呼びだされ、閉門
抗弁や異議の申し立てなどはむろんできない。庄兵衛が下城すると、大目付の者がついて来て、裏門を閉め、青竹を打った。閉門蟄居となれば家士も置けないし、西条家の身分では召使も一人ときまっていたから、下僕加助のほかはみな暇をやった。
「さて、島流しになったわけか」庄兵衛は皮肉に笑って云った、「こうなってみると、伊原の無事を祈り、その計画というのが成功するように祈るほかはないな」
日用の買物に下僕が出るだけで、家人は一歩も外出できないし、親の死はべつだが、親族知友との往来も禁じられる。庄兵衛の云った島流しとは少しも誇張ではなく、その字義どおりの生活が続いた。家禄を削られたから実収入は約百石になったが、他家の交際もないし余分の入費は不用なので、家計が苦しいようなことはなく、ただ、なにもしないで閉居していることに慣れるだけが、なんにたとえようもなく苦しかった。
五十日ころがもっともひどかった。神経が
「伊原はどうしたんだ」と突然どなりだすこともあった、「生きているのか死んだのか、自分で事を起こし、迷惑をかけないと云いながら、その結果はこのありさまじゃないか、これでも迷惑をかけないというのか」
そんなとき母は仏間へこもり、あやは黙って忍び泣くばかりであった。五十日が過ぎると少し気がしずまり、彼は禅の書物を読み
「永平寺で参禅したとき、これを
百日目ぐらいにまた荒れる時期があり、十日ばかりは側へも寄れないような状態が続いた。
「お父さまがあの世で、それみたことかと仰しゃっているでしょう」と母は泣きながら云った、「そんなにみれんな、とり乱したまねをするのも、みなこの母があまやかして育てたからです、いまになってそれを後悔しようとは思いませんでした」
「永蟄居の味がどんなものかわかっても」と庄兵衛は云った、「父上はなお、それみろと仰しゃるとお思いですか」
けれども彼はすぐにあやまり、これからは慎みますと誓った。
日の
その年の十一月に、母親たえが急死した。或る朝、いつまでも起きるようすがないので、あやが寝間へみにいったら、仰向きに寝たまま死んでいたのである。平穏な顔で、苦しんだようすはまったくないし、夜具をのけてみると、寝衣の
母の実家である
こうして五年という月日が経った。
伊原友三郎が事を起こしてから六年めに当る、
庄兵衛には詳しいことはわからなかった。定期的な見廻りに来る大目付の役人、――それはもう以前の滝沢忠太夫やその部下ではなく、新しく任命された者だったが、かれらが言葉少なに語ることで、およその経過を知るだけであり、また、かれ自身それ以上その紛争の内容などには関心がなかった。騒ぎがおちついてから、伊原友三郎が中老になり、
「永蟄居もこれで終るか」と庄兵衛は
あやはそっと、良人の手の上へ自分の手をかさねた。
定期的な見廻りはあるが、閉門蟄居についてはなんの沙汰もなかった。騒ぎはおさまり、
「ことによると忘れたのかな」庄兵衛はなんどもそう云っては首をかしげた、「騒動のあと始末もあるし、新任の役目に追われて、つい忘れているということも考えられる、とにかくいちど手紙をやってみようか」
庄兵衛は伊原に宛てて手紙をやった。五日待ち、十日待ったが、返辞もないしたずねて来るようすもなかった。庄兵衛は自分のもとの上役である
庄兵衛は伊原に宛てて、もういちど手紙を書き、こんどはあやに持たせてやった。もちろん妻の外出は禁に触れることだが、いまでは監視もゆるんでいるし、庄兵衛には法を守るような気持はなくなっていた。
「実際にあったことを詳しく話せ」と彼は妻に云った、「手紙にも書いたが、文字では実際の気持はとうてい伝えられない、おまえの口からじかに云うんだ、あしかけ九年にも及ぼうとする、このみじめな罪人の生活、その中で母に死なれたことも、なにもかも残らず話して聞かせるんだ、遠慮することはないんだぞ、いいか」
あやは眼を伏せたまま
さすがに世間を
「伊原は会わなかったのか」
「おめにかかりました」あやは眼をあげて良人を見、その眼を伏せながら答えた、「――手紙は見なくともわかっているし、決して忘れているわけでもない、けれども動かしがたい御家法があるので、いますぐにはどうすることもできない、もう暫く辛抱してくれるようにと、仰しゃっておいででした」
「御家法、――」庄兵衛は詰めよるように反問した、「動かせない御家法とはどういうことだ」
あやは封書を出して良人に渡した。「伊原さまが写して下すったものです」
庄兵衛はすぐに
要旨は「お
「御家法がなんだ」と彼は叫んだ、「あの夜かれはなんと云った、もし自分が江戸へ脱出できなければ、計画のすべてがだめになる、なんとしてでも生きて脱出できるように、方法を考えてくれと云ったではないか」
「おれは政治は嫌いだ」とすぐに彼は続けた、「政治なんぞには爪の先ほども関係したくなかったが、伊原はけがをしていたしおまえの従兄だ、妻の縁者であり重傷を負っている者を、いやだと追い払うことができるか、断わると云って、あの雪の中へ追い返せばよかったというのか」
「おれは伊原を背負って、あの川を
庄兵衛は立ちあがり、刀を持って庭へとびおりた。庭には若木の八重桜が一本、もったりとおそ咲きの花をつけていた。彼は刀を抜き、
あやは
「あなた、気をおしずめ下さい」
「うるさい寄るな」庄兵衛は妻の手を乱暴に振放した、「おれはこの藩が憎い、伊原友三郎が憎いし伊原と血のつながるおまえも憎い、おれはここを出てゆくぞ」
庄兵衛は泥まみれの足で家の中へとび込んでゆき、金包とみえる物を持って戻った。刀をぬぐいもせずに鞘へおさめ、居間へはいったと思うとすぐに、
「閉門の身だからな」彼は草履をはき、刀を腰に差し、笠を持って庭へおりた、「門からも木戸からも出ない、罪人は罪人らしく、塀を乗り越えてゆくぞ」
「あなた」とあやがふるえる声で云った、「それはご本心ですか」
「見ていればわかる」と彼は云った、「他国へいって
「待って下さい」あやは良人の
「おれはおまえを憎んでいるんだぞ」
「それでお気が済むなら憎んで下さい、わたくしあなたの妻ですから、あなたが出ていらっしゃるならわたくしもまいります」
「放せ、うるさいぞ」
「放しません、わたくしごいっしょにまいります」
庄兵衛は妻を突きとばした。あやはうしろへよろめいて膝を突き、庄兵衛は笠木塀のほうへ歩み寄った。そして、木戸になっている笠木のない部分へ手を掛けると、それを外へ乗り越えようとした。そのときあやが走って来、庄兵衛の着物の袖を
「あなたはあやを置いてはゆけない筈です」とあやは悲鳴のように叫んだ、「わたくしの、この右の手を見て下さい」
庄兵衛は振向いた。月がま上にあり、塀にしがみついたあやの手を照らしていた。あやの右手にある大きな火傷の、ひきつれになった痕が、雲母でも貼ったように光ってみえた。
「あなたはいつか仰しゃいましたわ」とあやはふるえる声で云った、「こんな手にしてしまって、もう嫁にはいけないなあって」
庄兵衛の顔がみにくくしかめられた。
「嫁にゆけなくなったとすると」あやは続けた、「不都合なことがあっても離縁はできないなあって」
庄兵衛の持っていた笠が、その手から落ちた。
「あなた」とあやが叫んだ、「そこにいらっしゃるんですか」
彼は「いる」と答えた。
「御家法も人が定めたものです」あやは云った、「御改新があったのですから御家法もやがて変ることでしょう、もう暫く辛抱なすって下さい、それがだめならあやを伴れていっていただきます」
庄兵衛はふり仰いで月を見た。
「あなた」とあやがまた呼びかけた。
「やめたよ」と庄兵衛が答えた、「――おれの負けだ、その手はやっぱり高くついたな」
高価についたとは、支払いでか、それとも受取りの意味でか。
庄兵衛自身でも、どちらにつくかは知らないようであった。