末っ子

山本周五郎




一 彼に対する一族の評


 祖父の(故)小出鈍翁は云った。
「平五か、そうさな、まあ悪くはあるまい、ばあさんが可愛がりすぎたから、少しあまったれのようだが、まあそう悪くはないだろう、すばしっこいところもあるし、いい養子のくちにでも当れば、案外あれで芽を出すかもしれない、そんなうまいくちはなかなかあるまいが、まあ、あれはあれでいいだろう」
 祖母の(故)いち女は云った。
「あれはしっかりした子ですよ、敬さんやもくさんとはまるで性質が違います、上の二人よりもしっかり者です、おじいさんがあまやかすし、末っ子だからあれですけれども、しんはしっかりした賢い子です、ええ、あたしは孫たちの中では平五がいちばん好きですね、まあ長い眼で見ていてごらんなさい、あの子はきっとずぬけた出世をしますよ」
 父親の小出玄蕃げんばは云う。
「あいつはどうもかんばしくない、親の口からこんなことを云いたくはないが、いつか家名を傷つけるようなまねをするのではないかと危ぶまれる、第一に、あいつはこの父を尊敬していない、小さいじぶんからそうだ、一例をあげると、まだ赤ん坊のときだったが、さよう、生れて三十日も経ったころからだろう、あいつは私の顔を見るとべろを出した、そんな赤ん坊のことだからべつに意趣があったわけではないだろう、偶然だろうと思ったのだが、どうもそうではないらしい、ほかの者にはしないのである、私の顔を見るとべろを出すので、いいこころもちはしなかった、こんなことは誰に話すわけにもいかない、妻にさえ話したことはないが、その当時の侮辱されたような気持はいまだに忘れることができないのである、その後ずっとあいつのすることを見てきたが、すべてがうわっ調子で、侍の子らしくない、七千二百石の旗本の子であるという自覚がない、誰も知らないだろうが、たとえば饅頭まんじゅうのこと、古足袋や古肌着のこと、また道具屋のことなど、私はみんな知っているのである、じつに、なんと云いようもない、三河以来の由緒ある家柄を考え合せると、なんともなさけなくなるのである」
 長兄の敬二郎が云う。
「あいつは末っ子のあまったれだ、末っ子は三文安いというが、祖父や祖母にあまやかされたのでおまけが付いてしまった、あのままでは養子のくちがあってもやれやしない、困ったやつだ」
 母親のいつ女は云う。
「あたしにはあの子の気持がわかりません、あれは気ごころの知れない子です、末っ子だからあまやかしてはいけないと思って、できるだけ気をつけて育てたつもりですけれどね、いいえ、乱暴でもないしだらしがないというんでもありません。きょうだいじゅうではいちばん利巧でしょう、親に口返しをしたためしもなし、はいはいとよく云うことをきくんです、けれどそれはおもてだけで、はらの中はどうも人を小ばかにしているように思えてなりません、学問は聖坂ひじりざかへかよいましたし、武芸は道場が近いので柳生やぎゅうさまでした、聖坂へはいまでも、ときどき日講を聞きにゆくようですが、どちらも成績はよかったようで、ことによるとそんなことで慢心しているのかもしれません、お父さまや敬さんと気が合わないので、あいだに立つあたしは困るようなことがたびたびです、養子縁組のはなしも二度か三度ありましたが、敬さんが承知しないんですよ、いまのままで養子などにやったら小出の恥になるっていうんですの、それに本人もゆく気はないようです、もう二十四にもなるのにどうするつもりなのか、やっぱり末っ子なので、まだあまえた気持がぬけないのか、あたしにはわけがわかりません、本当にあれは気ごころの知れない子です」
 長兄の妻はる女は云う。
「平五さんですか、さあ、わたくしよく存じあげませんのよ、主人の云うほどではないでしょうけれど、みなさん少し厳しすぎるのではないかと思いますけれど、でもわたくしにはよくわかりませんですわ、ええ、本当のところわたくしよく存じあげませんですのよ」
 次兄の(木下の養子)杢之助は云う。
「あいつは末っ子のあまったれで、いくじなしのくせに向っ気が強くって、へんにこすっからいとこがあっていやなやつだ、ゆだんのならないおっちょこちょいだ、おれはあいつの顔を見るといつもぼんのくぼがかゆくなったものだ、いまから云っておくが、あいつはろくなやつにはならないぞ」
 長姉の(土方ひじかたへ嫁した)よねは云う。
「平五さんは妙な子でした、あまったれで、そのくせませていて、少しも可愛げのない、きょうだいの情のうつらない子でした、土方の親類に婿縁組のはなしがあって、いい縁だったのにあの子は断わったのです、あのときに土方も怒るしあたしもくやしゅうございましたが、いま考えてみるとそのほうがよかったと思います、あの子が土方の一族になるなんて、いま思うとぞっとするくらいです、父や母がいまでもあの子に手を焼いているかと思うと、本当に気の毒だと思います」
 次姉の(米良めらへ嫁した)くには云う。
「あのひとですか、そうねえ、末っ子だし、おばあさまが猫っ可愛がりに可愛がりましたから、ちょっとあまったれなところもあるようだけれど、でも存外しっかりしているし、思いりの深いところもあって、これは誰も知らないでしょうけれど、新庄の叔父さまなどにはときどき貢いでいるようですよ、うちでも主人がだいぶ贔屓ひいきで、小出では平五がいちばん人間ができている、などと云っています、あたしはこんな暢気のんきな性分ですし、あのひととは年も一つしか違いませんから、きょうだいじゅうではいちばん仲もよく、喧嘩けんかもした代りには、いまでもここへはよく遊びに来ます、あたしより米良に会うためかもしれませんけれど、貯めたお金を預けているくらいですから、あたしのことも頼りにしているのだと思いますわ、ええ、いま養子のくちが一つあるんですよ、先方は小普請ですけれど、五百石ばかりの内福なうちで、娘さんも温和おとなしそうな縹緻きりょうのいいひとなんです、どうして承知しないのか、あたしにはわかりません、先方ではぜひと云ってますし、米良もすすめているんですけれどね、なにか考えがあるんでしょうか、どうしてもうんと云いませんのよ」
 叔父(玄蕃の弟で新庄へ婿にいっている)主殿とのもは云う。
「私は平五についてはなにも云えません、小出の兄があのとおりですから、ええ、小出の兄はできた人物ですし、私などはこんな貧乏ぐらしで、平五にもいろいろあれしてはいますけれど、しかし私にはなにも云えないです、兄がよく知っているでしょう、小出の兄は人物ですからね、ええ、私にはなにも云えないですよ」


 その年は平五にとっていやな年であった。今年は厄年になりそうだぞ、と彼は思った。第一は正月の集まりに、次兄の杢之助とやりあったことだ。毎年正月の六日に、親族の人たちが小出へ集まる。これは個別に年頭の回礼をする煩を省くためで、以前は一年ごとにもちまわりだったが、八年まえに先代の鈍翁が亡くなってから、いつとなく小出だけへ集まるようになった。
 ――おやじのばかげた虚栄心だ。
 と平五は心の中で冷笑していた。親族の中心におさまること、かれらから「木挽町こびきちょうの御本家」とよばれること、そして骨董こっとうじまんをするのがいい気持なのである。集まるのは十二人だったが、三年ほどまえから九人に減った。おやじの骨董じまんに閉口したのだろう、と平五は思っているが、今年はさらに減って五人しか来なかった。平河町の森内膳ないぜん。神谷町の木下杢之助。薬師小路の土方市之丞いちのじょう。田村小路の新庄主殿。それからえのき坂の米良平左衛門という顔ぶれであった。
「おやおや、おまえまだいたのか、平五」
 酒宴がなかばごろになったとき、杢之助がそうよびかけた。平五より四つ上の二十八歳で、六年まえに木下へ養子にいったが、うちにいるじぶんから平五とは仲が悪かった。
 平五は返辞をしなかった。彼は席次のことではらをたてていた。新庄の叔父が末席にいるのを、誰もなんとも云わないのである。主殿というこの叔父は、父の一人きりの弟で、三十二三になってから新庄へ養子にいった。そんな年まで部屋住でいたのと、養子さきの新庄がひどく貧乏なためだろう、もともと引込み思案な人だったが、みんなの集まるときは不必要にへりくだって、いつも末席の隅のほうに小さくなっている。平五はみかねて上座のほうへ直るように云い、ほかの者にもすすめられると、ようやく席を直すのだが、その日は平五のほかに誰もすすめる者がなかった。長兄の敬二郎などは、平五に向って、「うるさいぞ」と云ったくらいである。
 ――なにがうるせえんだ、おめえにも叔父に当る人だぜ。
 と平五ははらの中でどなった。
 ――新庄がもっと金持ならへえこらおべっかを使うんだろう、ざまあみやがれ。
 そして叔父の主殿に対してもはらがたった。だらしのない人だ、そんなことだからみんなに軽蔑けいべつされるんだ、などと思い、ふくれた顔で膳の上の物をべていた。
「おい平五」とまた杢之助が云った、「おまえ耳がどうかしたのか」
「どうもしませんよ」
「じゃあおれの云ったことは聞えたんだろう」
「聞えましたね」
「聞えたのに返辞をしないのか」
「必要がないでしょう」と平五が答えた、「このとおり私はここにいるし、いることは誰の眼にだって見えるんだから」
「おれが云うのはそんなことじゃない、養子の縁談があったのに断わったというから、おまえになにか目算があるのだろうと思っていたところが、相変らずのそのそしているからいたんだ」と杢之助が云った、「おまえもう二十五になるんじゃないか」
「二十四ですよ」
「来年は五になるさ、どうするんだ」と杢之助が云った、「縁談のより好みなんかしていると、一生ひやめしを食うようなことになるぜ」
 よけいなことを、と平五はかっとなった。
「結構ですね」と平五はやり返した、「養子にいっても小遣に不自由したり、好きな酒も飲めずにちぢこまっているくらいなら、ひやめしを食ってるほうがましですよ」
 杢之助の顔色が変った。
 なんだって、それは誰のことをさすんだ、と杢之助が云った。誰のことでもありません。たとえ話です、と平五が答えた。ごまかすな、いまのはおれへの当てつけだ、と杢之助がいきりたち、つまらない応酬が始まって、すると、向うから長兄がよせと云った。
「黙れ平五、――」と敬二郎が云った、「よそへいったって兄は兄だぞ、しようのないやつだ、あやまれ」
 平五は黙っていた。
「あやまれ」と敬二郎が云った、「あやまらないのか、平五」
 そのとき米良平左衛門がとりなしにはいった。彼は敬二郎と同年の三十二歳だが、風貌ふうぼうも気質もずっと老成しているし、親族の中では唯一人の平五の味方であった。ところでその平左衛門が、とりなすに事を欠いて、とんでもないことを云いだしたのである。
「もういいよ敬さん、そう叱りなさんな」と米良が云った、「貴方がたにはまだ末っ子のあまったれとみえるのだろうが、平さんも二十四になったし、もう想いをかけた娘さえあるらしいからね」
 平五は口をあき、それから狼狽ろうばいして、「米良さん」とさえぎったがまにあわず、森内膳がそれはいいと笑いだし、それにつられてみんなが笑った。父の玄蕃さえも笑って、ばかなやつだ、と云うのが聞え、平五は立ってそこから逃げだした。
 三日ばかり経って、平五は榎坂の米良を訪ね、そのときのことをなじった。米良はにやにや笑って、あの手でなければ敬さんをそらせないと思ったのだ、と云った。
「気に障ったら勘弁してくれ」と米良はあやまった、「しかし、そういう娘がいると話していたじゃないか」
「想いをかけたなんて云やあしません、或る店で二三度会ったと云っただけですよ」
「おやそうかしら」と姉のくに良人おっとのそばから云った、「あのときの口ぶりだと、ずいぶん熱をあげているようだったことよ」
「そんなことがあるもんですか、それは思いちがいですよ、貴方がたまでがそんな」
「ばかに力をいれる」と米良がまたにやにやし、そして話をそらし、「――これから毎月一度、木挽町で寄合をすることになったのを知っているか」
「うちでですか、知りませんね」
「毎月十日の晩だ、平さんが退却したあとできまったんだよ」
 こんどは平五が笑った、「そいつはお気の毒だな、おやじの骨董じまんをたっぷり聞かされるんでしょう」
「そうらしい、みんなもなにか一品ずつ持ち寄るということになった、つまりお互いに鑑識眼を高めようというわけさ」
 平五は声をあげて笑った、「そいつはまるっきりお気の毒だ、おやじの講釈をたっぷり聞かされるだけですぜ、みんな承知したんですか」
「田村小路がまず双手もろてをあげた」
「なんですって、――あの叔父が、まさか」
「まっさきに妙案だと云った、みんなびっくりしたがね」と米良は微笑した、「――とにかく、来月の十日に第一回がある筈だよ」


 平五はその寄合には出なかった。出ろとも云われなかったし、興味もないからで、しかしその場のようすはときどき耳にした。父や兄が話すのを聞くこともあるし、聖坂で森助三郎から聞くこともある。――助三郎というのは森内膳の子で、平五とは従兄弟いとこに当り、年は二十二歳になる。学問がずばぬけてできるということだが、平五からみると純粋にできるのではなく、虚栄心のために成績だけあげているという感じだった。それは彼の話しぶりや議論のやりかたでもわかるし、あまり頭のよくないような者を好んで嘲弄ちょうろうする態度にも、よくあらわれていた。
 平五は月に三回か五回か、聖坂学問所の日講を聴きにゆく。助三郎とはそのときたまに会うのだが、呼びとめられない限り、こっちから話しかけるようなことはなかった。三月に二回めの十日会があったあと、平五は助三郎に呼びとめられ、新庄の叔父が恥をかいた話を聞かされた。叔父は家伝の品だと云って、妙な香炉を持ちだしたという。それはあらためて見るまでもなく、ごくざつな仏壇用の品で、しかし叔父は「五代前から新庄家に伝わっているそうだ」と注を加えたため、みんなが笑いだしたということであった。
「しゃれてるじゃありませんか」と助三郎はのどで笑った、「みんなにはわからないんだな、新庄さんはなかなか茶人ですよ、そう思いませんか」
 平五はその帰りに榎坂へまわった。米良平左衛門もそのとおりだと云った。
「とぼけているのか本気なのかよくわからないがね、おそらくとぼけているんだろうと思うが」
「あの叔父にとぼけるなんて芸ができるもんですか」と云って平五は溜息ためいきをつき、首を左右に振った、「しようのない人だ」
「そうだ、話は違うが、一つ聞いておきたいことがある」と米良は顔をあげて云った、「くにから聞いたんだが、平さんの預ける金が、かぞえてみたら二十両を越したというんだがね」
「ええ、八十三分になった筈です」
「なんだい八十三分とは」
「両なんていうとかどが立つから、すべて分でかぞえることにしているんです、しかしそれがどうしたんですか」
「へえ」と米良が云った、「両なんていうと角が立つかね」
「なにしろ部屋住の身の上ですからね」
「それなんだ、その部屋住の平さんが、三両や五両ならともかく、二、いや八十三分という金を溜めたとなると、預かっているこっちの責任も重くなる、どういう性質の金かということをいちおう聞いておきたいと思うんだ」
「話さなかったかな」と平五は首をかしげた、「姉さんに話しませんでしたかね」
「あたしは聞きませんよ」とくにが云った。
「米良さんは」と平五が急に問いかけた、「私が養子の縁談をどうして断わるかわかりますか」
 平左衛門はゆっくりと頭を振った。
「つまり」と平五が云った、「つまり養子にゆきたくないからです」
「それはそうだろう」
 くにがふきだした。
「そうじゃないんですよ、いや、ゆきたくないという気持には理由があるんです」と平五は云い直した、「新庄の叔父、木下へいった杢さん、ほかに友達で二人いますが、みんなそれは哀れなものですよ」
 平五は養子の哀れさを並べた。さい穿うがつといったような詳しさで、米良夫妻はいささかおどろいたようであった。
「なるほどね」と米良が云った、「正月のときに杢さんをやりこめていたが、ふーん、なるほど切実な問題なんだな」
「依田さんはそんなことはないわ」とくには反対した、「新庄さんや木下さんや、ほかの方たちのことは知らないけれど、依田さんに限ってそんなことはありませんよ」
 依田というのは、米良夫妻がすすめた婿養子のくちで、いちど平五は会ったことがある。父親はやっぱり婿だそうで、会ったのは母と娘だった。娘の年は十七。母親に似てからだつきは小柄であるが、縹緻もかなりいいし、しとやかで、いつも眼に微笑を湛えているという感じだった。婿養子にどうかと云われたのは、母娘に会ったあとの話で、先方はひどく乗り気だと聞いたが、平五はきっぱり断わったのであった。
「姉さんはそう云いますがね、杢さんの相手だって結婚するまえはよかったんですよ」と平五が云った、「それが子を一人産むとすっかり変ってしまった、二人の友達のほうも似たりよったりです、結婚するまえはしとやかに楚々そそとしていて、それが祝言してしまえばがらっと変るんですからね、小糠こぬか三合持ったらという俗言は決して誇張じゃありませんよ」
「それならそれでいいけれど、ではいったいどうするつもりなの、一生部屋住でくらすつもりなんですか」
「だから金を溜めてるんです」と云って彼は米良を見た、「五十両あれば御家人ごけにんの株が買えますからね」
 平左衛門はちょっと黙っていて、それから静かに、「それは深謀遠慮だな」と云った。
「いろいろ当ってみると、五十両あれば買えそうなんです」と平五は云った、「侍の値打もさがったものですが、町人だとまた話は違うんですね、こっちが侍ならそのくらいでも相談になるらしいんですよ」
 米良はふーんといい、それから、不審な点を思いだしたように、それにしてもこれだけの金をよく溜めたなと云った。
「よく溜めたといったところでまだ半分にも足りませんが、これには涙ぐましい話があるんですよ」と平五は云った、「ほかの者には云えないが、聞いてくれますか」
「自分で涙ぐましいって云ってれば世話はないわ」とくにが云った。
「後学のために聞きましょう」と米良は云った。
「恥からさきに話しますが、いちばん初めは七つの年です」と平五は続けた、「そのとき新庄の叔父は三十で、まだ木挽町に部屋住でいました、そして、もうそんな年では生涯ひやめしを食うことになるだろう、とまわりの者も云うし、自分でもあきらめていたんでしょう。私はそれを見ていて、子供ごころにも深刻に考えたんですね、こうしてはいられないと思ったことをいまでも覚えていますよ」
 そして、ひたむきに金を溜めようと決心した。金を溜めてどうするという目的はなかった、金さえ持っていればという、漠然たる気持だったが、彼はむきになって実行した。
「ここが恥ずかしいところなんですが、小遣を溜めるだけでなく、そんな年で私はかせぐくふうをしたんです」と平五は片手で自分の頬をこすった、「どうしたかわかりますか」
 米良は黙って首を振った。


「初めは菓子ですよ」と平五は続けた、「午後のおやつに菓子を貰うんですが、露月の饅頭が五文だとすると、それを用人とか、侍長屋の子持ちのやつなどに、三文くらいで売るんです」
「まああきれた」とくにが眼をみはった、「まあおどろいた、そんな小さいくせにそんな悪知恵をはたらかせたの、あたしはとても本当とは思えないわ」
「その次は古い肌着でした」と平五は構わずに云った、「肌着だの古足袋だの、もちろん兄たちのおさがりですから、母だってそんなものを気にしやあしません、まとめておいて屑屋くずやへ払うんですが、その中からいくらかましなのを抜いておいて売るんです、侍長屋の人間や小者たちは結構よろこんで買いましたよ」
 くには暢気な性分であるが、弟の告白にはよほどこたえたらしく、しきりに「なさけない」とか、「外聞が悪い」とか、「こんなことってあるかしら」などと云って嘆息した。
「しかし」と米良は微笑しながら訊いた、「よくそれが御両親に知れずに済んだものだな」
「知れなかったのは当然ですよ、だって私からそんな物を買ったなどということがわかれば、どんな罰をくうかもしれないでしょう、とにかくこっちはまだ頑是がんぜない子供なんですから」
「さぞ頑是なかったことでしょうよ」
「おまえがここで怒ってもしようがないさ」と米良は妻に云った、「酒の支度でもしないか」
 くにが立ってゆくと、米良はあとを促すように「それから」と云って平五を見た。
「十二くらいまでそんなことを続け、それからおやじの骨董好きに眼をつけました」と平五は話を継いだ、「十三か十四になっていたと思うんですよ、道具屋がうちへ出入りするようになったのは祖父が亡くなってからですが、その以前から松十や大庄だいしょうなどへでかけていって、よくつまらない物を買わされて来ていました」
 松十は京橋弥左衛門町、大庄は日本橋福島町にあり、道具屋としては二流どころらしいが、玄蕃はそういう店こそ掘出し物があるのだと、あたまから信じこんでいた。こちらが七千二百石の旗本だからだが、相手もばかげてあこぎなことはしないようだが、客のほうで掘出し物をねらい、いっぱし眼がきいたつもりでいるため、道具屋のほうに悪意がなくとも、三度に一度はとんでもない物をみずから背負いこんで来る。そんなときにはやがて眼ちがいということがわかるし、そうすると眼ちがいをしたことを隠すために、その「とんでもない物」は戸納とだなの中へ放りこんでしまう。これらはたいていそのまま忘れられ、屑屋に払い物をするときなど、いっしょに纒めて二束三文ということになるのであった。
「私はそれを抜いて売ったんです」と平五は済まなそうに云った、「払い物の中からなにか抜くときに思いついたわけです、屑屋はほかのがらくたとこみで二束三文だが、道具屋なら幾らかになるかもしれない、とにかく、たとえ眼ちがいにもせよおやじが掘出して来た物なんですからね」
「それは御当人も知っていたろうがね」
「おやじですか、とんでもない」と平五は首を振った、「自分の眼ちがいを認めるなんておやじの虚栄心がゆるしやしません、戸納へ放りこむなり忘れてしまうし、二度とふたたび思いだしさえもしなかったでしょう」
 払い物の中から抜くときには、むろんいちおう断わった。そうして道具屋へ持っていったのであるが、ちゃんとした店ではまるで手にしない。てまえどもではこういう品は扱わないとか、よそへ当ってみろとか、おからかいになってはいけない、などと云うだけである。そこで屑屋同然の古道具屋を捜した結果、越中堀に近い稲葉町で、一軒なじみの店ができた。――それは狭い横丁にあり、九尺間口で、奥は四帖半が一と間しかない。表のひさしの上に清鑑堂という額が掲げてあるが、「堂」などというのはおこがましいはなしで、店に並べてある物を見ると、こっちが恥ずかしくなるくらいであった。
「こいつとすっかりうまが合いました」と平五は云った、「いちど木挽町のうちを見せたんですよ、そして品物のいわれもうちあけたところ、清兵衛は清兵衛なりに欲を出したんでしょう、ことによると掘出し物にぶっつかるぞと思ったようすです、……なぜ笑うんですか」
「笑ったわけじゃあない」と米良は口のまわりをでた、「まあ、あとを聞こう」
「酒が来たようですよ」
 くにと召使とで食膳をはこんで来た。平五は飲まないから、米良だけさかずきを持ち、妻の酌でゆっくりと飲みだした。清鑑堂とのつきあいはほぼ十年に及んでいる、と平五は話し続けた。そのあいだに、清兵衛は幾たびか大きくもうけた。玄蕃が眼ちがいで買った物の中から、或るときは市で、また或るときは同業なかまで吃驚びっくりするほど高値に売れる品があった。面白いことには、それがその品の正しい値段ではなく、一種の(たとえば玄蕃のような)客に向けるのに適しているためか、現にそういう客から注文されているらしい、ということであった。
 米良が聞いていて云った、「それをまた木挽町が買ったなんて云やあしまいね」
「これはまじめな話ですよ」と云って平五はぬるくなった茶をすすった、「そうやっているうちに、私はさらに新しい方法をみつけました、おやじの品が続かなくなったからでもあるが、清鑑堂の店にあるがらくたの中から、これとおぼしき物を買って、よその店の古道具屋へ売るんです、もちろんはじめはむだ骨折りでしたが、やっているうちに勘がはたらくようになったのでしょう、中でも刀剣類ではときたまかなりな儲けがあるようになりました」そこで彼はすばやく姉に云った、「まあなさけない、でしょう、わかってますよ」
「それは幾つぐらいのときかね」と米良が訊いた。
「十六七のころからでしょうね」
「よく誰にもみつからなかったものだな」
「みつかったんですよ、いや、金のほうですがね」と平五は肩をすくめた、「ちょうど二十一分溜まったときにみつかったんです、紙に包んで長押なげしの中へ隠しといたんですが、おふくろがそれをみつけて取上げてしまいました」
「取上げられたって」
「まさか自分で稼いだとは云えやしません、小遣や人に貰ったのを溜めておいたのだと云ったんですが、そんなことは侍の子に似合わしくない、必要なときにはこっちからあげると云いましてね、くやしかったですよ、じつにくやしかった、涙が止らなかったですよ」
「二十一分となるとね」と米良が云った、「二十一というと、うう、五両一分か」
「それからあたしに預けるようになったのね」とくにが云った。
「貴女が輿こし入れをしてまもなくでしたね」と平五が云った、「とにかくここよりほかに信用できるうちはないんですから」
「わかったらあたしが怒られるだけよ」
「姉さんが云わない限り大丈夫ですよ」
「すると」と米良が云った、「この七年ばかりのうちに二十両以上も稼いだんだな」
「おそくともあと五年、三十までには予定額にするつもりです、自分ではあと三年と思ってるんですが」
 米良が「切実だな」と云ったとき、若い家士が来て客だと告げた、「木挽町の敬二郎さまです」
 平五が反射的にひざを立てた、「そいつはいけねえ、私は退却します」
「しますかね」と米良は笑いながら家士に云った、「客間へとおってもらってくれ」
「履物をまわしてあげるわ」と云ってくにが立ちあがった。

五 彼に対する清鑑堂の評


 清鑑堂のあるじ清兵衛は云った。
「小出さまの若旦那にはもう七八年ごひいきになっています、ええ、たいした方ですな、お侍にしておくのは惜しい方ですよ、大旦那が道具にかけては玄人はだしだそうで、いいえお世辞じゃあない、日本橋の大庄さんと弥左衛門町の松十さんがお出入りでしょう、おうわさいちなどでもよくうかがってます、つまりその血をひいてらっしゃるんですな、私の店などはごらんのとおり半端物をつくねたようなありさまですが、なにしろこのがらくたの中から、若旦那がこれとにらんだ物は必ず値が付くんですから、そんなことが幾たびあったかしれやしません、だもんですから私はお侍なんかやめなさいって云うんです、御三男の末っ子だそうですからな、いっそ大小を捨てて裏の細江さんのお嬢さんを貰って、道具屋を始めたらどうですって、そのほうが気楽でもあり、きっとひとしんしょうおこしますぜって、よくそう云ってあげるんです、ええ、ああ細江さんですか、それは一つ向う路次の長屋にいる御浪人で、御主人は三年まえに亡くなり、いまはその御妻女と、みのと仰しゃるお嬢さんとお二人ぐらしです、この店へは御主人の病ちゅうから、お嬢さんが物を売りにいらっしゃるので存じあげているんですが、なにしろお武家育ちだから、内職をしてもなかなか賄えないんでしょう、いまでもちょくちょくおみえになります、初めはかなりいい品も頂きました、ええ、儲けさせて頂いたこともありますが、ちかごろはもうさっぱりです、お腰の物などもやむなく頂きましたが、そこのその、隅のところにほこりをかぶっている始末で、市へ持ってゆく気にもなりません、さようです、そのお嬢さんのことは小出の若旦那も御存じですよ、この店で幾たびか顔が合ったわけで、色には出さないがお互いに気をひかれているようすです、お嬢さんはたしか十八で、若旦那とは六つ違いなんですから、年廻りもちょうどいいんですがな、いいえだめです、若旦那は侍で一家を立てるつもりだそうで、町人になる気なんぞこれっぽっちもありゃしません、本当に惜しいもんです、あれだけのめききを活かさないなんてもったいないみたようなもんですよ、ええ、十日ばかりおみえになりませんが、今日あたりいらっしゃるんじゃないかと思います」


 米良でうちあけばなしをしたことを、平五はすぐに後悔した。米良は大丈夫だが、姉はわからない。その二番めの姉だけは、きょうだいじゅうでいちばん親しかったし、いつも自分の味方になってくれていたが、いまは米良家の人間であるし、なにより良人が大事である。嫁して七年、まだ子に恵まれないのをつねづねひけめに感じているらしく、しばしば実家へ母を訪ねて来るから、どんなきっかけで口をすべらさないとも限らない。
「どうしてあんなことを饒舌しゃべったろう」と彼は自分に舌打ちをした、「今年は正月からおかしなぐあいだ、よっぽど気をつけないとなにが起こるかわからないぞ」
 こんど米良へいったら、よく姉に口止めをしておこう、と平五は思った。
 四月、五月、六月と、無事に日が経っていった。木挽町では兄の敬二郎に三番めの子が生れ、神谷町の木下では女のふた児が生れた。平河町の森で、六月下旬に老母が亡くなったが、木挽町から看病にいっていた母のいつ女が、実母の死にまいったものか、葬儀の日に倒れたまま、七月いっぱい森家で病臥びょうがした。その三十余日のあいだ、平五は毎日いちど平河町までみまいにかよった。ただみまいにゆくだけではない、菓子とかくだものとか、兄嫁の作ったたべ物などを持たされるので、ちょうど残暑にかかる暑いさかりだったし、木挽町と平河町を毎日往復するだけでも相当こたえたが、それでも三日にいちどは、たいてい越中堀の清鑑堂へまわった。あるじの清兵衛は午後はたいてい店にいるが、留守のときでも女房を相手に、店の品をあさったり、むだ話をしたりして帰る。清兵衛夫妻はそれを仔細しさいありとみていた。つまり平五がそんなふうに来て時間つぶしをするのは、細江の娘が来はしないかと待っているのに相違ない、というのである。
「もちろん嫌いじゃあないさ」と平五は正直に答える、「しかし嫁に貰えないのにじたばたしたってしようがないじゃないか」
「どうしてお約束だけでもなさらないんです、お嬢さんのほうでも貴方を好いてらっしゃることは御承知でしょう」
「ばかなことを云うな」と平五はちょっと赤くなる、「おれが家を出て一家を立てるにはまだ相当ときがかかる、三年かかるか五年かかるかわからない、そんな状態で婚約などできるもんじゃないさ、こっちはいいが向うはおばあさんになってしまう」
「だから思いきって道具屋におなんなさいっていうんですよ」
「その話はよせ」と平五はにべもなく頭を振る、「侍には侍の血があるんだ、仮におれが道具屋になりたいと思っても、先祖から伝わっている侍の血がゆるしはしない、おれにはそれがわかっているんだ」
「そういうもんですかな、こわいみたようなもんですな」
「おいもうあの娘のことは話さないでくれ」
 八月になって、母が木挽町の家へ帰った。
 その月の十日の会のあとで、来月は家蔵の刀剣を持ち寄ることになった、ということを平五は聞いた。すぐ考えたのは新庄の叔父のことで、彼は田村小路の家を訪ねてみた。叔父は四十七歳で子供が七人ある、三十過ぎての結婚だから、長男がようやく十五歳で、末の娘はまだ二歳にならない。それに家付きの妻女と、妻女の老母がいるので、狭い家の中はいつも鶏小舎とりごやのようににぎやかだった。
 平五は叔父の居間で話したが、その部屋は三帖で、板塀に鼻のつかえそうな庭があり、せた青木がしおれた葉を垂れているという、いかにも暑くるしくうらぶれたけしきであった。話は簡単に済み、平五は四半ときそこそこで帰ったが、その僅かな時間にも、子供たちが居間へ出入りしたり、喧嘩をする走りまわるで、まったくおちつく暇がなかった。
 主殿は平五を送りだしながら、例によってねだり顔をみせた。いつもひどい貧乏なので、このおいを見ると(必要のないときでも)なにかねだりたいような気分になるらしい。夕方に訪ねたときはたいてい食事にさそうのだが、まだひるまのことだから、平五は気づかないふりをし別れを告げた。
「刀とくればお手のものだ」と平五は歩きながらつぶやいた。
「ここでいちばん叔父の面目を立ててやろう、おやじは刀のことはわからないし、集まる連中はめくらばかりなんだから、いまに眼をかせてやるからみていろ」
 彼は越中堀の清鑑堂へまわった。
 横丁へ曲って、その前まで来ると、店の中にあの娘がいた。細江みのという娘である。洗いざらした単衣ひとえに古い帯をしめ、継ぎの当った足袋をはいている。狭い店の上りがまちへ、横坐りに腰を掛けているので、細いしなやかな腰の線がおどろくほど女らしいいろけをあらわしていた。膚は少し浅黒く、ひき緊っていて、眼と口が小さい。その小さな眼と口とに、平五は抵抗できないほどきつけられる。初めてその店で見かけたときからずっと、いつ会ってもその小さな眼と口つきとは、つよく深く彼をとらえるのであった。
 なんとなくはいりそびれて、平五が通り過ぎようとすると、店の中から清兵衛が呼びかけた。
「小出さまどうなさいました、お寄りにならないんですか」
 平五は立停り、それから不決断に店へはいっていった。娘はさっと腰をあげ、伏眼になって会釈しながら、脇へよけた。
「どうぞ」と平五は会釈を返した、「どうぞ用を済ませて下さい、私は通りがかりに寄っただけですから」
「有難うございます」と娘は答えた、低くて細い声だが、はっきりしていた、「わたくしもいま用が済んだところでございますの、どうぞ」
 掛けてくれというような身ぶりをした。清兵衛は銭箱をあけ、なにがしかを紙の上へ取り出していた。
「きびしい残暑ですね」と平五が云った。
 娘が「はい」と答え、それから暫くして平五がまた云った。
「ひと雨ほしいですね」
「はい」と娘が答えた。
「ああ」と急に平五が云った、「失礼しました、私は小出平五という者です」
 娘は黙って低頭した。
「お待たせ申しました」と云いながら、清兵衛が紙にのせた銭を娘に渡した、「どうかお勘定なすって下さい」
 娘は受取ってよくかぞえ、その紙で包んでたもとへ入れた。そして清兵衛と平五とに会釈をし、静かに店から出ていった。平五は上り框へ腰を掛け、清兵衛が奥へ、「茶を持って来い」と命じながらくすくす笑った。
「どうなすったんです」と清兵衛が笑いながら云った、「三年もまえにもう名のっていらっしゃるじゃありませんか、お忘れになったんですか」


「そうだったかな」と平五はとぼけた、「そんなことはどっちでもいい、今日は頼みがあって来たんだ」
 とぼけたけれども事実はそのとおりで、ずっとまえにいちど名のったことがあり、そのとき娘の名も聞いたのであるが、話のつぎほに窮して、つい、まだ名のらなかったような気がしたのであった。
 清兵衛は平五の頼みを承知し、さっそく心当りを捜してみようと云い、それからふと思いついたようすで、脇に置いてあった白鞘しらさやの短刀を示した。
「これはどうでしょう、いま細江さまから頂いたばかりですが」
「おまえ二分二朱しか払わなかったぞ」
「二分二朱でも泣きたいくらいですよ」と清兵衛が云った、「おふくろさまが腰をくじいたそうで、よっぽどお困りのようだったからやむを得ず買ったんです。まえに買った大小もあそこにつくねたままですしね、しかし、この短刀は若旦那の御注文に合ってますよ」
「どういうんだ」
「貴方の御注文は古刀のにせものということでしょう、これは正宗だそうです」
「だめだ」と平五は首を振った、「いくら友人でも正宗はだめだ」
「でしょうな」と清兵衛は太息といきをついた、「ようございます、捜してみますから二三日したら来てみて下さい」
 それから下旬まで待った。五六たびも清鑑堂へかよい、二三本みせられたが、思わしいものはなかった。寄合の連中をびっくりさせ、叔父の面目を立ててやるのが目的だから、ありきたりの品では効果がない。どうしても名のとおった古刀の贋作がんさくで、素人の眼には真偽の判断のつきにくいものが欲しかった。だが、月の終りになると清兵衛は手をあげた。
「もうだめです」と清兵衛は云った、「だいたい私に刀のことなんか役違いなんで、初めっから無理なはなしだったんですよ」そしてまた、細江から買った短刀を取りあげてみせた、「いかがですかこれは、いちど見るだけでも見ませんか」
 平五は受取って、ちょっと抜いてみたが、すぐに首を振りながらそこへ置いた。
「その、――」と平五が云った、「まえに細江さんから買ったというのを見せてくれ」
 清兵衛は立って、店いっぱいのがらくたの中から、その大小を取り出し、布で埃を拭いて平五に渡した。平五は脇差を見、次に刀を見た。どっちもうまくない、備前物のようであるが、すがたに品がなかった。
「値打はこしらえだけです」と清兵衛が云った、「鞘もまだ使えるし、こうがい目貫めぬきが幾らかになるでしょう。もうばらして売っちまおうと思っているんですが」
 平五がふいに「ちょっと」と云って、刀をそこへ置き、まえの短刀を取った。こんどは鞘をはらって入念にうち返しを眺め、それから目釘を抜いて中心なかごをしらべた。
「どうなさいました」と清兵衛が訊いた。
 平五は黙って刃を見、中心を見た。
「これは焼身だな」と平五は呟いた、「たしかに火で焼けたものだ、焼直しに相違ないが、地鉄も刃もしっかりしている、研いでみないとわからないが、刃文のあんばいだと相州の古刀に似ている」
「まさか、本物じゃあないでしょうね」
「まさかね」と平五は苦笑した、「しかし相州物の古刀に似ていることはたしかだ、うん、ことによるとこいつでいけるかもしれないぞ」
「すると、正宗ということに」
「それはむりだが、貞宗か義広だな」平五は云った、「銘のないのは修業ちゅうの作だとすればいい、この刃のぼうとうるんだところや、刃文のおおらかさは古刀の風をよく写している、よし、伝貞宗とおどかしてやろう」
「引取って下さるんですか」
「三分で買おう」
「それはあんまりですよ、現に二分二朱で買ったのを御存じじゃありませんか、お役に立つんなら少しは儲けさして下さい」
 平五は首を振った。これは値で買うのではない、寄合に出してめくら共をびっくりさせるだけだし、あとは用がないのだから、三分でいやならやめるばかりだ、と平五は云った。清兵衛はねばった。細江から買う物はたいていねかしたままで、いつも、女房にがみがみ云われるが、あの母娘が気の毒だからつい買わずにはいられなくなる。若旦那もまんざら知らない相手ではなし、こんなときくらい少しは助力してくれてもいい筈である。そんなふうに清兵衛はくどいた。
「おかしな理屈があるもんだな」と平五は笑って云った、「ではもう二朱出そう、三分二朱、それでいやならごめんだ」
「若旦那は渋すぎるよ」と清兵衛は禿げかかった頭をいた、「まったくお侍には惜しい、玄人はだしですよ」
 明くる日、平五はその短刀を田村小路へ届けた。研ぎに出そうかと思ったが、そのままのほうが無事だと考え直し、叔父に向ってよく説明した。
「この地鉄のつや、刃文の豪放さと、小乱れのまじっているぐあい、これが相州物の古刀によくみる味です」平五は刃文を仔細に示して云った、「身幅のわりに重ねが薄いのは研ぎ減りでしょう、いちど火をかぶって焼直したものらしい、それでこの中心なかごがただれているんです、ただれてはいるが、この中心のざくっとした品のよさ、これは新刀にはない味ですから、ここのところをよく見るように云って下さい」
「私にはよくわからないが」と主殿はおちつかない顔つきで云った、「貞宗だなどと云っていいだろうか」
「貞宗として伝わっていると云えばいいんです、そしていま説明した要点をうまく並べれば、みんなめくらだからわかりゃしない、きっと連中びっくりしますよ」
「しかし、もしも偽物だとわかったら」
「わかったって貴方の責任じゃあない、新庄家伝来なんですからね、大名の家蔵にだって偽物は幾らもあるし、そんな心配をする必要はありませんよ」
「やってみるか」と主殿は云った、「ではひとつ、やってみるとしよう」
 平五は少しも心配しなかった。
 ――必ずみんなひっかかる。
 彼はそう信じていた。七年あまりも道具屋に出入りをし、焼物ではしばしば儲けた。これは骨董道楽の父のおかげもあるだろう、けれども刀剣類に関しては、平五自身の勘がものをいった。もちろん鑑定をするなどというところまではいかない、楽しみに見る程度であるが、父や親族たちに比べれば、はるかに眼が高いという自信があった。
 ――ただ叔父がへまなことをしなければいい。いつかの香炉のときとは条件が違うが、小心な叔父のことだから、うっかりすると自分でぼろを出すおそれがある。それさえなければ大丈夫だ、と平五は思っていた。
 九月十日に、彼は聖坂へでかけた。寄合のようすを見てやろうかと思ったが、さすがに気がとがめるので、日講の日ではなかったがでかけてゆき、学問所の講堂をのぞいたあと、学寮へいって友人たちと雑談していると、森の助三郎がやって来て声をかけた。
「どうしてうちにいないんです」と助三郎は陽気に云った、「今日はおやじといっしょに本阿弥ほんあみがいったんですよ」


 平五はまじまじと相手を見た。すぐにはその意味がわからなかったのである。助三郎はこっちへ来て、平五が刀剣に興味をもっているなら、今日の会には出席すべきであった、どうしてこんなところへ来ているのか、と云った。
「本阿弥がどうしたって」と平五が訊き返した。
「本阿弥といっても京の多賀だ」と助三郎が答えた、「多賀の勘右衛門という人で、四五日まえから逗留とうりゅうしているんだが、今日の会は刀を持ち寄るのだと聞いたものだから、ぜひ拝見したいと云ってさ」
「いったのか」と平五がつかみかかるように訊いた、「その人が木挽町へいったのか」
「いったよ、よせばいいのにさ、ろくな刀が集まるわけじゃなし、よせばいいのにおやじはよろこんでれていったよ」
 平五はうなった。
「どうしたんだ」と助三郎が云った、「どうかしたのかい」
「よけいなおせっかいだ」と云いながら平五は立ちあがった、「くそうくらえ」
「なんだって」と助三郎が聞き咎めた。
「こっちのことだ」
「おい」と助三郎が前へ立塞たちふさがった、「いまの言葉を取消せ」
「こっちのことだと云ったろう」
「取消さないのか」
 助三郎はこぶしをにぎった。
「おせっかいと云ったのはおれ自身のことなんだ、自分に云ったことを取消すのか」
「そうじゃない、くそうくらえと云った、それを取消せというんだ」
 平五は助三郎を見て、そして云った、「ああそうか、じゃあそんなものはくらうな」
 助三郎がなおなにか云いかけたが、平五は友人に別れを告げて、学寮をとびだした。
「これはひどい、こいつはひどい」と平五は呟いた、「多賀などという本職が来るとはあんまりだ、まるでぺてんじゃないか、どうするんだ」
 彼は練塀ねりべいの木戸門をぬけ、馬場に沿って聖坂へ出た。
 平河町が初めに「多賀だ」と紹介すればいい。そうすれば叔父も短刀は出さないだろうが、いや、多賀だけではだめだ。本阿弥と多賀との関係など叔父は知っていない。おそらく紹介されても短刀を出すだろう。
 ――これは新庄家伝来で、貞宗作ということです。
 そんなふうに云う叔父の姿が見えるようである。そうして、刃文や中心の説明までするだろうと思うと、平五は全身がちぢむように感じ、歩きながら幾たびも唸り声をあげた。
「おやじやほかの連中はごまかせるが、本職の眼をごまかすことはできない」と平五は呟いた、「叔父は恥をかくことだろう、よけいなおせっかいだった、叔父の面目を立てるどころか、満座の中で恥をかかせることになった、ひどいもんだ、ひどいことになったもんだ」
 彼は自分をののしった。自分の軽薄さ。猿知恵のおせっかい。うぬぼれと高慢。平五は頭を垂れ、心の中でかぶとを脱いだ。
 田村小路を訪ねたのは夕方であった。叔父はまだ帰っていなかった。妻女があがって待つようにすすめたが、彼は用をたして来ると云い、半刻ばかり歩きまわってから、また訪ねた。主殿はちょうど帰ったところで、風呂にはいっていると云われ、平五はいつもの三帖で待った。子供たちがうるさく騒ぎ、七つと五つの男の子は、はいって来て平五をからかった。遊んでもらいたいのだろうが、こっちはそれどころではない、あいそを云う気も起こらないので黙っていた。
 主殿が汗を拭きながらあらわれると、平五はいきなり低頭してびを云った。
「本阿弥、いや、多賀が来るなんて予想もしなかったものですから、そう聞いて、しまったと思ったんですが」と平五はうかがうように叔父を見た、「御迷惑をかけて済みません、やっぱり短刀は見せたのでしょう」
「見せたよ」と主殿が答えた、「多賀という人が鑑定家とは知らなかったし、平河町もなにも云わないものだからね、鑑定家だと知っていたら見せはしなかったろうが」
「こんなことになろうとは夢にも思わなかったんです、どうか堪忍して下さい」
「いやちがう、そうじゃないんだ」と主殿は手を振った、「そうじゃない、あやまる必要なんかない、あれは本物だそうだよ」
 平五はどもった、「なんですって」
「こういうわけなんだ」
 主殿は汗を拭きながら語った。多賀勘右衛門はその短刀を二度見た。いちどはすっと見ただけだったが、他の刀を二三見たあとで、もういちど拝見したいと云った。二度目にはあらたまった態度で、丹念にうち返し眺め、中心もよくしらべたうえ、「ふしぎだ」と幾たびも口の中で呟いた。それから、研ぎにかけてみなければはっきり断言はできないが、これは貞宗ではなく、新藤五か、ことによると正宗だと思う、と云った。
「無銘である点が、おそらく正宗だろうと思われる、と云われたのだ」と主殿はまた汗を拭いた、湯あがりの汗ではなく、そのときのことを思いだした汗のようである、「刃文のどこやらは新藤五にそっくりだが、すがたのざっくりとしておおらかな味、しかも高い気魄きはくのこもっているところは正宗の作に相違ないと思う、そうくり返して云って、ともかく自分の手で研いでみたいから預かってゆくということで、一座はしんとしてしまうし、おかげで私はたいへん面目をほどこしたよ」
 平五は唾をのんで反問した、「それは事実ですか、まさか私をからかってるんじゃないでしょうね」
「うちへ帰ってみればわかるよ」と主殿が云った、「本職の鑑定家が、よもや眼ちがいをするわけもないだろう、おまえたいへんなものを掘り出したんだぞ」
「わかりませんよ、そんな筈はないと思う、もっとも私はまだ正宗を見たことはないが、しかし本当とは思えませんね、とても」と平五は昂奮こうふんを抑えきれずに云った、「仮にもし事実だとすると、あれは元の持主に返すか、相当の金を払わなければならない、仮に事実だとすればですよ」
「だってあれは平五が買ったんだろう」
「元の持主がわかってますからね」と平五は云いながら立ちあがった、「とにかく多賀という人に会ってたしかめてみます、まだ平河町にいるんでしょうか」
「そうだろうよ、ざっと下地研したじとぎをしてみて、二三日うちに返辞をすると云ってたからね」
「とにかく平河町へいってみます」
 平五は叔父の家をとびだした。聖坂の学寮からとびだしたときよりずっと勢いがよかったし、けしきばんでいた。いつもならそんな浪費はしないのだが、辻駕籠つじかごをひろい、駄賃をはずんでいそがせた。――平河町には多賀勘右衛門がいた。平五は森家の者には会わず、家扶を玄関へ呼んでもらって、じかに多賀と会いたい旨を述べた。家扶はいちど奥へゆき、すぐに戻って来て、彼を庭のほうから数寄屋へ案内した。


 勘右衛門は四十二三になる肥えた男で、顔も躯つきもたくましく、するどい眼をしていたが、京なまりの言葉が女性的なので、印象がひどくちぐはぐに感じられた。話は簡単に済み、平五は短刀を受取って帰った。
 勘右衛門はまだ研いではいなかったが、正宗に相違ないと云い、その理由を説明した。平五も正直に事情を話し、もし正宗の作だとすれば代価はどれくらいかと訊いた。勘右衛門は自分が折紙を付ければ金八十五枚だと答えた。焼身でなければ金百五十枚以下ではないが、焼直してあるからそのくらいだろうと答えた。そこで平五は、元の持主に割戻しをするとすれば、金額はどのくらいだろうかと訊いた。勘右衛門は笑って、その必要はあるまいが、もし気が済まないのなら、二十金も遣ったらよかろうと答え、「しかしこれは木挽町が譲り受けることになっている筈ですよ」と云った。
 平河町から帰る途中、平五はいろいろな思いに悩まされた。
 父がねらっているというので短刀を持って帰った。多賀はぜひ研ぎあげてみたいと云ったが、そんなことをしていて父に取上げられてはおしまいである。父から譲れと云われれば、気の弱い叔父に断わることはできないだろう。それではとびに油揚をさらわれるようなものだ。
「まるっきり鳶に油揚だ」と歩きながら彼は呟いた、「そううまくいってたまるものか、冗談を云うなってんだ」
 細江にわけを話そう、と彼は思った。清鑑堂へ売りに来たとき、正宗だと娘は云ったそうである。そう伝わってはいたが、母娘は(亡くなった細江その人も)信じてはいなかったのだろう。さもなければ二分二朱などで売るわけはない。したがって本物だとわかった以上、それを知らせるのはこちらの当然の義務である。
「だが、知らせてからが問題だ」それなら家宝として買い戻す、と云われたらどうするか。まさか金八十五枚くれとは云えない、こっちが清鑑堂から買った代価なら請求できるが、二分の銀にも困っているのだから、おそらく三分二朱の都合もたやすくはできまいし、金八十五枚とわかっているものを、みすみす三分二朱で手放すのは残念である。
「残念どころではない、それは殺生せっしょうというものだ」と平五は呟いた、「これを売ればすぐにも御家人の株が買える、うちを出て独立することができるんだ。しかも、おれがみつけなければ、こいつ、清鑑堂の店の隅で、いつまでも埃をかぶっていたことだろう、つまり、要するに」
 平五はきっとなり、額をあげて強く頭を振った。よくない考えが頭にうかんだのである。彼は心の中で、それは侍らしからぬ考えだ、単に人間としても恥ずべきことだぞ、と自分を叱った。けれども、いちど頭にうかんだ思案はなかなか承知しない。黙っていればわかりゃしない、自分の鑑識で発見したものではないか、おまけに、それで長年の望みがかなうのだ、細江に知らせたところで、かえって事を面倒にするばかりだぞ、黙っていろ黙っていろ、というささやきがしつっこくつきまとった。
「えい」と彼は立停って気合をかけた、「えい、この野郎しっかりしろ」
 向うから来た通行人がぱっと脇へとびのいた。平五の叫びを聞いて吃驚したのだろう、こちらも驚いて、いそぎ足に歩きだした。
 平五は三日間思い迷った。家を出ることは出るが、どうしても越中堀へ足が向かないのである。細江へゆけばきれいな口をきくだろう。必ずきれいな口をきいて、ことによると短刀を無償で返すかもしれない。おそらくその誘惑に勝つことはできないだろう、おれはへんな自尊心がつよいからな、と彼は思った。そして三日めの夕方に、ふと解決する手段を一つみつけた。それは、短刀といっしょに娘を嫁にもらう、ということである。細江の家名は生れて来る子供のうち、誰か一人に立てさせればいい。小出の家はみな子が多いから、自分にも二人や三人は生れるだろう。もちろん娘といっしょに母親も引取る、この条件なら悪くはあるまい、と思った。
「ばかなはなしだ」と平五はにわかに晴ればれとした顔つきで呟いた、「あれほどあの娘が好きだったのに、どうしてそこに気がつかなかったのか――欲だな」と彼は眉をしかめた、「短刀が惜しいという欲が先になったんだ、あさましいもんだ」
 明日は細江を訪ねよう。そう決心をして家へ帰ると、すぐ父に呼ばれた。告げに来たのは母で、お父さまがたいそう怒っているから、いったらすぐにあやまりなさい、と云う。なにを怒っているのかと訊いたら、なんでもいいから早くいってあやまれ、と云うばかりであった。
 父は居間で書きものをしていた。平五が坐るとこっちへ向き直ったが、その顔を見ただけで、ひどく怒っていることがわかった。
「短刀をどうした」と玄蕃はいきなりどなった。
 平五はまごつき、「なんですか」とそらを使おうとした。
「ごまかしてもだめだ、正宗の短刀を持っているだろう、ここへ持って来い」
「どうして、いや、どうなさるんですか」
「きさまなどの持つ品ではない、おれが預かるから持って来いというのだ」
 平五は口ごもって、云った、「それはちょっと困ります、あれは新庄の叔父さんのものですし、それに」
「黙れ」と玄蕃はどなった、「きさまのしたことはすっかりわかっている。主殿がなにもかも話していったぞ、この、このしれ者、きさま呆れ返ったしれ者だぞ、いいからまず短刀を持って来い」
 平五は黙っていた。
「きさまが持っていることに紛れはない」と玄蕃はなお云った、「おれは研ぎの結果が知りたいから平河町へいった、すると新庄へ返したというので主殿を呼んだのだ。主殿はすっかり話をして、持ち帰ったのはきさまだろうと云った、それに相違ないだろう」
 平五は怒りのために胸が熱くなった。
 ――なんというなさけない人だ。
 ほかの者ならとにかく、新庄の叔父がしゃべるという法はない、それだけは叔父はしてはならない筈だ。なんというなさけない腰ぬけだろう、まるで女の腐ったような人じゃないか、平五は歯がみをした。
「きさま聞いているのか」と玄蕃はどなっていた、「持って来いと云ったら持って来い、さもないと量見があるぞ」
 平五は父を見た、「量見とはなんですか」
「口答えをするか」
「量見があるとはどういうことですか」
「おれは短刀を持って来いと」
「いやです」と平五は父を遮って云った、「叔父さんが話したのなら御承知でしょう、あれは私がみつけて私が買ったものです、たとえ父上の申しつけでも、私は絶対に手放すことはできません、お断わりします」
「云ったな、こいつ、絶対にと云ったな」
「念には及びません、申しました」と平五は挑みかかるように云った、「さあ、うかがいましょう。量見があるとはどういうことですか」
「勘当だ」と玄蕃が云った、「きさまはたったいま勘当だ」
「理由をおっしゃって下さい」
 そこへ母が「平五さん」と云いながらはいって来た。玄蕃はそれで却って怒りのほのおあおられたように、口出しをするな、と声いっぱいに喚きだした。
「理由が聞きたければ云ってやる。きさまは小出の家名を傷つけ、一族の面目に泥を塗るやつだ、おれはみんな知っている、きさまのして来たことはなにもかも知っているんだ、おれはめくらでもつんぼでもないんだぞ」
「私がなにをしました」
「平五さん」と母が云った。
「おまえは黙れ」と玄蕃は激しく妻をきめつけ、平五に向って吃りながら云った、「きさまはこんな小さいじぶん、饅頭や菓子、三時に貰う菓子や饅頭を人に売って銭にした、次には古い肌着や足袋などだ、七千二百石の旗本の家に生れ、まだ十歳にもならぬ小伜こせがれがだ、そうだろう」
「まあ、あなた」と母があえいだ、「まさか、まさかそんなことが」
「おまえも悪い」と玄蕃は妻に云った、「末っ子だと思ってあまやかして育てるからこんな人間ができたんだ、まさかどころか、それからあとは古道具屋のまねだ、こんなことは舌の汚れだから多くは云わぬが、こいつは屑屋のうわまえをはねたり、古道具屋のようなことをしていたんだ、いつかおまえがみつけて取上げた五両あまりの銀は、そんな汚らわしいまねをして儲けたものだ」
「まあ平五さん」と母は泣き声をあげた。
「こんどの短刀もその伝だ」と玄蕃はふるえながら続けた、「主殿の話によると、きさまは二束三文の偽物を買って、おれたちぜんたいを嘲弄ちょうろうするつもりだったという、――もうがまんが切れた、こんなやつはおれの子ではない、こんな人間をうちに置いては小出の家名に傷がつく、一族ぜんたいの名折れだ、たったいま出てゆけ、勘当だ」
「わかりました」と平五が云った、彼はあおくなっていたが、言葉も態度もはっきりとおちついていた、「勘当と仰しゃるなら出てゆきます、いや、お母さんは黙っていて下さい、出てゆくまえに一と言だけ云いたいことがあるんです」
「なにを、きさまの云うことなど」
「一と言だけです、聞くのが恐ろしくなかったら聞いて下さい」と平五が云った、「私は父上の仰しゃったとおりのことをしました、饅頭から古道具屋のことまで、だいたいすべて本当です、しかしどうして私がそんなことをしたのか、いちどでも考えて下すったことがありますか」
「きさまに武士の誇りがなく、侍だましいがなかったからだ」
「それだけですか」
「きさまが町人根性で、古道具屋などが性に合っていたからだ」と玄蕃が云った、「いまになればどんな理由を付けることもできるだろう、しかしよく聞け、きさまがもし正当なことをしたのなら、決して弁解などはしない筈だぞ」
 平五はあっという顔をした。まるで平手打ちでもくらったように、あっという顔をして口をあき、それから唾をのんだ。
「わかりました」と平五は頷いた、「わかりました、ではべつのことを申します、いま父上はお母さんを責められた、末っ子だからあまやかして育てたって、――これはものごころがついて以来、みんなから休みなしに云われたことです、敬二郎兄さんに云わせると、末っ子で三文安いうえにあまやかされたからおまけが付いてるんだそうです、冗談じゃありません、とんでもない、私は生れてこのかたいちどだってあまやかされた覚えなんかありませんよ、お母さんからしてそうです」と彼は母に向って云った、「たぶん忘れていらっしゃるでしょうが、私がなにか頼もうとすると、まだなにも云わないうちに『いけません』とくる、お母さま私は、と云いかけるなり、なにも聞かずに『いけません』とくるんです、お母さんは忘れていらっしゃるだろうけれど私はちゃんと覚えています、兄さんや姉さんたちは自由にねだるし、ねだったことはたいてい許される、しかし私だけはすべていけません、いけませんで片付けられて来たんですよ」
「わたしは、あなたを」と母は袖で眼を押えながら、のどを詰らせた、「あなたが末っ子だから、あまやかしては悪いと思って」
「お祖父じいさんやお祖母ばあさんもそうでした」と平五は続けた、「お祖父さんはお祖母さんが私をあまやかすと云うし、お祖母さんはお祖父さんがあまやかすと云う、そんなふうにみんなで私があまやかされていると云いながら、誰一人あまやかしはしなかった、いちどでも私をあまえさせてくれたことがありましたか、お母さん、そんな記憶がいちどでもありますか」
「わたしはただ」と母はまた云った、「ただあなたをしっかり育てたいと思って」
「そうです、そのとおりです」と平五はまた頷いた、「私はお母さんを責めているんじゃありません、私は末っ子で三文安いかもしれないが、決してあまやかされたことはない、ということをわかってもらえばいいんです、では失礼します」


 平五は自分の部屋へ戻り、両刀を差し、短刀を持っただけで、内玄関から出ていった。母はそのあいだ付いて廻り、父にあやまれと泣いてくどいた。
 家を出てどうする気だ、どうしようもないではないか、それともなにか当てでもあるのか、と訊いた。
「私は大丈夫です、どうか心配しないで下さい」と平五は云った、「父上の云うとおり、私は古道具屋が性に合ってるんでしょう、今夜はじめて決心しました、私は道具屋になります」
「まあ平五さん、なにを仰しゃるの」
「おちついたらお母さんには知らせます、ではこれで、――」
 母の呼ぶ声には構わず、平五は外へとびだした。宵の街をいそぎ足にゆきながら、彼は首を振ったり舌打ちをしたり、また独り言を呟いたりした。彼は自分が云うべきことを云わなかったことでくやしがり、また、云わずにがまんしたことを誇らしく思った。
「おやじのやついいことを云やあがった」と彼は歩きながら呟いた、「あんな気のきいたことが云えるとは知らなかった、あの一と言にはまいったな」
 そうだ、弁解することはない。自分の立場を云いたて、おやじをやりこめたところでそれだけのはなしだ。おれのやったことがおれにとって正当だったということは、事実のうえで証拠だてればいい。
「一流の道具屋になってやるぞ」と彼はいさましげに呟いた、「侍だましいもくそもあるもんか、自分の力でそのみちの一流になれば、永代扶持えいたいふちで徒食しているよりよっぽど人間らしいや、へ、いまに証拠をみせてやるから吃驚びっくりするな」
 平五はまず清鑑堂を訪ねた。
 清兵衛は晩酌をしていたらしい。話を聞くと赤い顔をかがやかし、「やりましたか」と膝を叩いた。わが意を得たという口ぶりで、及ばずながら一切の世話をしよう、とにかくあがって、祝いに一杯やって下さい、とすすめた。平五はあとで来ると断わり、細江の住居を訊いた。清兵衛はまた膝を叩き、そうくるだろうと思ったと云って、向う路次の木戸からはいって左の五軒めだと教えた。
「しかし今夜はよしたらどうです、こんな時刻にいってする話じゃあないでしょう」
「いや、ほかにも用があるんだ」と平五は腰をあげながら云った、「ちょっといってすぐ帰って来る、帰ってから話すよ」
 細江の住居はすぐにわかった。
 路次は狭くて暗かった。長屋のそこ此処ここで煮炊きをする匂いや、泥溝どぶや、ごみ溜の刺戟しげき的な匂いが漂っていて、平五は空腹を感じると同時に、胸がむかむかした。細江ではもう雨戸を閉めており、平五の声を聞いてもすぐには戸をあけなかった。
「小出平五です」と彼はくり返した、「先日お売りになった短刀のことで話があるのです、清鑑堂へお売りになった短刀です」
 娘のみのは母に訊いていたらしく、やがてすべりの悪い雨戸をあけて「どうぞ」と云った。戸をあけると格子はなく、一尺ばかりの土間からすぐ二帖の上り框になっている。娘は行燈を脇に置いてきちんと坐り、作法どおりに挨拶をした。
「夜分にお邪魔をします」と平五は立ったまま云った、「じつは先日のあの短刀が、五郎正宗の真作とわかったものですから」
 みのは疑わしげに眼をあげた。平五はあらましの事情を語った。奥に寝ているであろう母親にも聞えるように、かなり高い声で話すと、ふすまの向うから呼ぶ声がし、みのは返辞をしてそちらへいった。あがってもらえ、と云うのが聞え、みのが当惑したように平五を見た。畳もやぶれているようなその二帖へ、あがれとは云いかねるのだろう、平五は「失礼します」と刀を腰から取って置き、襖の際へいって坐った。
「細江しのぶでございます」と襖の向うで云った、「病中ですから失礼ですがこのままでおゆるし下さい」
 平五もこちらから挨拶した。
「短刀のことはここでうかがいました」としのぶは切り口上で云った、「正宗だと伝わっていたのが事実だとわかってうれしゅうございます、けれどもいちど手放した以上、こちらにはなんのかかわりもございません、どうぞ御心配なくおひきとり下さい」
 切り口上のうえに、おどろくほど割りきった態度が感じられた。
 ――これは強敵らしいぞ。
 平五はそう思いながら、みのを嫁に欲しいと云いだした。短刀の事がきっかけで勘当された始終と、自分が大小を捨てて道具屋になり、一流の商人になるつもりであること、みのめとればもちろん母親も引取って世話をすることなど、気があがっているために、話が前後したり、つかえたり吃ったりしながら、それでも云うだけのことはすっかり云った。しのぶは黙って聞いていたが、平五が話し終るとすぐに「不承知だ」と答えた。
「旧主の名は申せませんが、細江は七百五十石取りの筋目正しい家柄です、たとえ浪人をし、このように貧窮はしていても、道具屋などになる人のところへ娘を遣るわけにはまいりません、お断わり致します」
「しかし」と平五はわれ知らず云い返した、「家柄の点なら小出も三河以来の旗本です」
「お家はそうでしょう、それだけの家に生れながらあなたは御勘当になった、つづめて申せば、あなたはもう三河以来のお家柄を口になさることはできない筈でしょう」
 細江家はどうです、と平五は口まで出かかった。浪窮して男子がなければ、細江の家を再興する機会もまずあるまい。それなら家柄もくそもない、同じことじゃないか、そう云おうとしたのであるが、そのとき、脇のほうでかすかに嗚咽おえつの声がしはじめ、見ると、みのが袂で顔をおおっていた。
「失礼致しました」と平五はようやく自分を抑えて云った、「私のお願いのしようが悪かったのでしょう、この話はまた改めて申上げることにします」
「いいえお断わり致します」としのぶが云った、「そのお話ならもううかがう必要はございません、おいでになることもお断わり申します」
「失礼しました」と平五はみのに云った。
 刀を持って外へ出、路次をぬけて通りへ出ると、平五は堀端へいって立停った。
「あれが、――」と彼は荒い息をしながら呟いた、「あれがおやじの云う、侍だましいというやつなんだな、ひどいもんだ、まるで歯が立たなかったじゃないか、今年はやっぱり厄年だぞ」
 彼は急に振返った。うしろに人のけはいを感じたのであるが、振返ると、みのがこっちへ来るところだった。平五のあとを追ってすぐに来たのだろう、そばまで来ると立停り、また袂で顔をおおってむせびあげた。追っては来たけれども、それ以上どうしようもない、口もきけないというようすである。平五にはそれで充分であった。彼はすばやく道の左右へ眼をやり、(暗い堀端の道には人の影もなかった)それからみののそばへ寄って、彼女の肩に手をかけた。
「私は忍耐にかけては自信があります」と平五は云った、「私の父は貴女あなたのおかあさまよりもっと頑固のわからずやでしたが、とにかく二十四の今日まで私は辛抱しましたからね、わかりますか」
 みのは嗚咽しながら頷いた。
「道具屋でもいいでしょうね」と平五が云った。
 みのはまた頷いた。彼は娘を抱きしめたい衝動に駆られた。彼の手の下で、娘の肩はあまりに弱よわしく、小さく、そして柔らかであり、彼はその肩を静かに押しやった。
「清鑑堂がお役に立つでしょう、もう帰って下さい」と平五は云った、「どうかおかあさまをお大事に」

十一 彼に対する米良の評


 米良平左衛門は云った。
「依田の婿になるより、平五はやっぱりあのほうがよかったようだな、細江の妻女が亡くなるまでに三年か、あしかけ四年がかりで結婚したわけだが、そのあいだにしょうばいの手掛りもつき、店もちゃんと持つことができたんだから、却って結果としてはよかったと云ってもいいだろう、よく辛抱したものだ、つまり好きなみちだったからだろう、なにしろ饅頭からはじまっているんだからな、そう、『平五』という店の名は、なかまうちではもうかなり聞えたものになっているそうだ、小出さんはあのとおりの道具好きだったが、『平五』の評判が高くなると、ぴったり骨董道楽をやめてしまった、おそらく、平五に舌でも出されるような気がしはじめたんだろうな、小出さんの話のようすがどうもそんな按配あんばいだったよ、あの父子のあいだでは、どうやら平五の勝ちらしい、いや、小出一族ひっくるめて、と云うほうがいいかもしれない、平五のやつ、とにかくやりとげたものさ」





底本:「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」新潮社
   1982(昭和57)年10月25日発行
初出:「オール読物」文藝春秋新社
   1957(昭和32)年10月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2019年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード