溜息の部屋

山本周五郎




 今でもその室の壁には『溜息の部屋』と彫りつけた文字が遺っている。

 山手の並木街に添った古風な映画館、ブラフ・シネマの楽屋には、そのころ実にさまざまな人間が集まっていた、同時に奇妙なことは、それらの者たちがみな、それぞれに人生のらちの外へはみ出た、一言にして云えば落魄らくはくした者ばかりであったことだ。
 主任弁士の沢木七郎さわきしちろうは朝から酒びたりで、オセロオの説明に浪花節を入れたり、ファスト・ヴァイオリンを弾いていた安土竜太郎あづちりゅうたろうは向う鉢巻でユウモレスクの曲弾をやったりして、気の良い山手の客の度胆をぬいていた。見習弁士の早見俊平はやみしゅんぺいは七郎の弟子であったが、彼はしばしば泥酔する師匠のために、沢木七郎そっくりの声色でとりの説明をしなければならなかった、しかしこれらのでたらめな悪戯は、彼らが不真面目であったからではなくて、あまりに多く真面目であろうという欲求をもった結果というべきだった。コントラバスの米山八左衛門よねやまやざえもんにしろ、ピアノの粕壁大五郎かすかべだいごろうにしろ、技師の久良三吉くらさんきちにしろ、また見習の早見俊平にしろ、みんな生活に一つの強い信念をもっている人間で、それゆえにこそ、だんだんと下積みへ落ちていくそれぞれの境涯を、どうしようもないほどはっきりと見なければならぬ苦痛に堪えられなくて、浪花節をうなり曲弾をやらずにはいられないのだ。
 その楽屋は横に長い四坪ばかりの陰気な室だった。ながいこと塗替えをしない壁は、すでに所々に剥落はくらくしていたし、それを隠すために貼付はりつけた外国映画のポスタアは、いつも端ののりが乾き割れるので、ただ一つ並木街へ面してひらいている小さな窓から、吹きこんでくる風にあおられては、ぱさぱさと人知れず音をたてていた。真中に炉を切って、冬になるとこれへ炭火を盛上げ、すっかり綿天鵞絨ビロードの磨切れている椅子をまわりへ置いて、みんな無遠慮に炉の上へ足を差出しながら煖をとった。
 見習の早見俊平や、ピアノの粕壁大五郎や、コントラバスの米山八左衛門――彼はでぶの米八と略称されていた――や、さらによりしばしばファスト・ヴァイオリンの安土竜太郎などは、酒に夜を更して下宿へ帰れなくなると椅子をこの炉辺へ並べ、その上に外套がいとうを引掛けて朝までごろ寝をしたものである。でぶの米八とひと口に呼ばれている彼八左衛門が、ときによると終夜その椅子の上で眠らず、みじめにあふれ出る涙を抑えかねていたことなどはおそらく椅子の磨切れた綿天鵞絨のクッションの外には知る者もなかろう。
 この灰色の壁に取囲まれた穴倉のような部屋の片隅に、爺さんと呼ばれて、その頃すでに七十に近い老人が、いつも溜息ためいきをつきながらしょんぼりと生きていた。長いあいだ芝居の中売や寄席の下足番などをしてきた男で、人の世の隅という隅を見て歩いたはてに、辛うじてみつけ出した最後の片隅がそこだったのだ。爺さんは泥靴で汚れた床を掃き、炭を砕き、湯を沸し、そして隅へ引込んでは居睡をするか、でなければ溜息を吐いていた。

 この灰色の室に『溜息の部屋』という文字が書付けられたのは、しかし爺さんがいつも溜息を吐いていたからではない、これまで描いてきた冗長な説明は、私がこれから語ろうとしているきわめてありふれた喜劇の書割にすぎないのだ。

 その年の十一月に入った第一週から、ブラフ・シネマではインタアバルに、奏楽へ女声独唱を加えることになった。
 提案を通させたのは沢木七郎だが、コントラバスの米山八左衛門が友だちに頼まれて、これも中央地区からだんだんと場末へ落ちつつあった歌手、根来八千代というのを持ちこんだのである。館主は初め不賛成だったが、二番せんじのバアサル物ばかりでは、せめて女声の甘い小唄でもはさまぬかぎり、入をとることはできないと熱心に沢木が口説いた結果、向う五週間という契約で話がきまったのだ。
 契約が定って、根来八千代が初めて楽屋へ挨拶に来た――その明る日、この灰色の陰気な室には驚くべき変化が起った。
 朝、いつものように出勤して、楽屋へ入って来た爺さんは、脚の欠けた喫煙卓子の上に、赤い花を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)した一輪差の花瓶かびんをみつけてまず驚かされた。壁には新しく――とくに図案的な柄の――映画ポスタアが何枚も貼られ、入口には厳しい文字で『土足厳禁※(感嘆符二つ、1-8-75)』と書いた紙が、綺麗きれいに掃清められた床を見下していた。炉の中にはもはや一本の煙草の吸殻もなく、さらに笑うべきは、三升も入ろうという大きな湯沸しが、何年ものさびを磨き落されていかにも気羞きはずかしげに、真鍮色しんちゅういろの光を放っていたことである。
 この現象については誰も一言も触れようとしなかったが、ともあれ昨日までのよどみきった退屈なこの部屋の面貌はまるで一変して、そこには不規則ながら整頓せいとんができ、かすかながらテンポと調和とが現れはじめた。しかしさらに驚くべきことは午後になってから、その夜うたう歌をオーケストラと打合せるために、根来八千代が舞台へ立ったときのできごとである。
 客の入っていないがらんとした小屋の中に、根来八千代のうたうソルベイジの唄の第一節が終って、第二節にかかろうとしたとき、ファスト・ヴァイオリンを弾いていた安土竜太郎はふいに指揮台へ上った。そしてその上で唄の最後の一節が終るまで異常な熱心さで伴奏をつけ終ると、弓を措くなり、
「すてきだ、すてきだ」
 と云いながら拍手を送った。米八をはじめ粕壁大五郎も、外のみんなも、それにならって熱心な拍手を続けた。
 みんなついに活々とひじを張った、そして尊敬の眼をあげて根来八千代を見上げながら、おのおのの楽器を執直した。かくて第二の歌ミニヨンが始まったとき、その貧しいオーケストラ・ボックスからは、かつてその建物の中で響いたことの無い、素晴しく立派な、美しいメロディが流れでてきたのである。
 さらに二種のバルカロールを合せ終ると、一斉に立上った楽手たちが歌手へ、舞台の上の歌手が楽手たちへ、感謝をこめた拍手を送りあったとき、両者の眼に涙があったと云っては、嘘に聞えるであろうか。
 打合せが済むと、安土竜太郎は米山八左衛門を誘って外へ出た、そしてひどく亢奮こうふんしたようすで、大股おおまたに歩きながら云った。
「おい、ありゃ本物だぞ」
 それからこう付け加えた。
「声も荒れてるし、テクニックも随分と安手なもんだが、素晴しい感情だ、あれだけおれのヴァイオリンへ透ってくるなあねえぞ」
 二人は開幕楽の始まるまで帰って来なかった。そして帰って来たとき、安土竜太郎も米山八左衛門も、深い奇妙な光を両の眸子ひとみに湛えていた。
 根来八千代は年の頃二十三四で、やや肥りじしの眼の細い、頬の紅い小柄な女だった。無雑作に女性を二つの型に分類したがる人たちの言葉を藉りて云えば、正しく彼女は母型に属すべきタイプであろう、際立って美しくない代り、ひと眼で誰にも好感をもたれる人柄だ。そして彼女にはいつも良人おっとが付いていた。
 彼女に良人のあることなどは、無論このブラフ・シネマの者たちには何の影響でもなかった。そればかりでなく、彼根来勇助が描かぬ貧乏画家で、ひどく進んだ肺病患者であることを知ると、八千代に対するみんなの好感が、一種の尊敬にさえ変っていったくらいである。勇助自身は自分の病気を肋膜ろくまく痼疾こしつだと云っていたが、そんなことを彼が自分でも信じていないくらいは、誰にも理解することができた。
 根来勇助はいつも八千代と一緒に楽屋へ現れるか、でなければ一足先に来て、炉端の古椅子にかけては陽気な雑談を楽しんでいた。そして八千代がその日の歌を終ると、気の良いオールボアルを叫んで帰ってゆくのだ。
 さもあらばあれ、この灰色の室はめざましく変化を続けた。壁の映画ポスタアは絶えず新しく貼替えられ、喫煙卓子の上の花瓶には欠かさず、赤か青か、でなければ紫色などの花が※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)された。吸殻はかならず灰落しの中へ捨てられるし、誰も彼も靴の泥は叮嚀ていねいに拭ってからあがった。そして爺さんは、より部屋の隅に引退って、もはやその溜息はみんなの耳に届かなくなってしまった。
 誰かが米八などが、洋服の月賦屋に厳重な催促を喰ってくさっているときなど、根来八千代は相手の腕を軽く叩きながら云う。
「ばかねえ。あんたはバスを弾くのが商売だし、月賦屋は月賦の催促をするのが商売じゃないの、とすればあんたのバスを聴いてくさる人のないように、あんただって月賦の催促でくさるわけはないはずよ――さ、元気になんなさい、あたし今夜アンクオルのとき、あんたのためにスィート・アドレインをうたってあげるわ」
 そして米八がバスを弾きながら眼にいっぱい涙をためるまでに美しく、あまく、マイ・スィート・アドレインをうたうのだ。
 もはや沢木七郎は浪花節をうならなかった、安土竜太郎は鉢巻を捨てた。
 何という変りようだ。今まで大きな声ひとつ響いたことのないこの部屋に、活気のある笑いが絶えずわいた。出たり入ったりするみんなの足取は軽く、そして楽しげだ、偏屈な沢木七郎まで柄になく冗談をとばした。映画がかぶってから、待っていた根来八千代夫妻を取巻いて、みんなが近くの喫茶店に集まるときなど、そこには若々しく力強い芸術の雰囲気ふんいきかもしだされる。一言にして云えば小さなラ・ボエームの一場面だ。安土竜太郎がふいに立って外へ出て行ったかと思うと、間もなく赤葡萄酒の――途中で日本製のあくどいレッテルを剥取はぎとって――びんを二三本抱えて戻って来る。それぞれのタンブラアへ酒が注ぎ回される、ブラボーの三唱だ。見習の早見俊平は立上って、うろ覚えのアンニイ・ロオリイをうたい始めた、しかしひどく亢奮しているので歌を続けることができず、すぐにやめて腰を下す、みんながそれに好意ある拍手を送る、やがて根来勇助が椅子の上に立って、タンブラアを高くささげながら叫ぶ。
「諸君、これこそ正に我らの人生だ、今や世の芸術は黄白の密室で取引され、卑俗の冠を頭に、汚穢おわいくつ穿いて太陽の下を往くが、ここには一杯の佳き葡萄酒と、高邁こうまいなる感情の昂揚こうようがある、見えずといえども桂冠は我らの額高く輝き、かたちなけれど綾羅りょうらの衣我らを飾る、我らに掣肘せいちゅうなく、我らに阿諛あゆなし、猥雑わいざつの世をはるかに見下して、飢と貧困の楼高く我らはうたう。見よ、これこそ正に我らの人生だ」
 みんなのタンブラアが高くあげられた。安土竜太郎ははこからヴァイオリンを取出し、みんなは根来八千代を、擬大理石の卓の上へ押上た。
「チゴイネルワイゼン※(感嘆符二つ、1-8-75)
 根来八千代はうたいだした。みんなは軽く軽く卓を叩いていたが、やがてそれが混声合唱になった。
 この奇妙な宴の果てた後、安土竜太郎と沢木七郎は、腕を組みながら深夜の街へ歩きに出て行った。二人の眼は輝き、呼吸は深くなり、足は力強く、凍てついた道を踏緊めて行った。
「そうだ、これこそ人生だ、貧乏と、屈辱と、嘲笑ちょうしょうと、そして明日の望みのなくなったときこそ、はじめて我々は人生に触れるのだ」
「落魄とは何だ、もっとも高く己を持する者のみに与えられた美酒ではないか」
 そんな事を取止めもなく語りながら、暗い裏街をそれからそれへと、あてどもなく歩き廻った。そして夜明けがたブラフ・シネマの楽屋へ戻って来た彼らは、並木街に面した窓から部屋の中へもぐりこんで寝た。
 しかし、こういう亢奮は、べつに安土竜太郎や沢木七郎だけが味わったのではない、一例をあげて云えば、見習の早見俊平が英語学校へ入ろうと決心したのも――これはついに実現されなかったが――その影響であるし、ピアノの粕壁大五郎が、共同で大きなシムホニイを作曲しないかと、竜太郎に向って真面目に相談をもちかけたのも、同じ亢奮に根ざしていた。
 この不思議な現象を何と説明したらよかろうか。話の表情だけに敏感な人は、おそらく根来八千代が、その偉大な音楽的才能をもって、この楽屋に現れた結果、一瞬にして光明が展開したというふうに思われるであろう、けれど事実はひどく違うのだ、根来八千代はべつに偉大な才能をもってはいない、彼女はその才能が自ら導く経路を辿って、次第に下へ下へと落ちていく、あらゆる人々と同じ人間だ。安土竜太郎は初めに、
「素晴しい、こいつは本物だ」
 と叫んだが、それは微塵みじんも偽のない言葉とは云えなかった。音楽学校の初年級にも、もう少し良い素質の歌手のいることは、彼といえども知っていた。
 ではこのブラフ・シネマの人たちを捕えたふしぎな亢奮は何の故だろう。
 契約の最後の週に入ったある夜。
 いつもよりばかに早く、しかも大分酔って、根来勇助が楽屋へ現れた。彼は炉端の椅子の背に凭れかかって、くどくどと泣言をならべ始めた。
「僕は可哀想な人喰鬼だ、僕は八千代をって生きている。八千代には良いパトロンがあったんだ、それを僕が横から奪い取った。僕たちは愛を金で売りたくないと思ったからだ。はっは、諸君、ところがこんな始末だ、愛を売らなかった僕は、今や八千代の芸術を売って生きなければならない――見たまえ、ここに可哀想な人喰鬼がいるのを!」
 勇助がくどくどとしゃべっているとき、不幸にも向うの隅の卓子で、安土竜太郎がせっせと作曲の鉛筆を走らせていた。彼は今粕壁大五郎との共同作品である、例の大きなシムホニイのテエマ・メロディを苦案しているところなのだ。
 そのとき舞台では『思出の小径』という甘いアメリカ映画が進行中であった、おそらくその伴奏楽の感傷的な曲が、勇助の饒舌じょうぜつに油を注いだに違いない、彼の口調はわけもなく涙の色彩を濃くした。突然、安土竜太郎は鉛筆を卓子の上に叩きつけて喚いた。
「そうだ、君は可哀想な、あわれむべき人喰鬼だ、八千代さんの血を吸うひるだ、君がいなければあの人は芸術を取戻せる、なぜ君は自分の首へ繩を巻付けないんだ、そうすれば何もかも解決するのに、え?」
 根来勇助は蒼白そうはくになった、初めは竜太郎の言葉の意味がのみこめぬらしく、白痴のように唇をもぐもぐさせていたが、やがて立上って、吃りながら、
「君は、君は――」
 と叫んだ。
「君は、何の権利があって、そんなに僕を侮辱するんだ、僕が何をしたというんだ、僕は君から、一銭だって借りてやしない」
「は、は、は」
 安土竜太郎は、調子のはずれたからっぽな声で笑うと、卓子の上へ頭を抱えて俯伏うつぶした。勇助はそれを見ると、ふいに刺すような口調で、
「分った」
 と云った。
「分ったよ、君。君は八千代にれているんだ、僕の女房にさ」
 竜太郎はびくっと身をふるわせて顔をあげた。根来勇助はゆがんだ、意地の悪い冷笑を、竜太郎の眼へ射込みながら続ける。
「誰でもそうだ、みんなが八千代に惚れる、そして僕に自殺をしろと云う、だが僕だってまんざら馬鹿じゃない、知っているんだ、君がなぜそんなことを云うか――ねえ」
 安土竜太郎は拳を握って立上った。するとおりよくそこへ八千代が入って来たのである。それからあとの安芝居をここに書く必要はあるまい、竜太郎と勇助とは握手をした。
 十二月三日、土曜日の夜の舞台で、ファウストの宝石の歌をうたいながら、根来八千代は突然に咯血かっけつして倒れた。
 安土竜太郎とでぶの米八に楽屋へ担ぎこまれた彼女は、炉端に急造された綿天鵞絨の椅子のベッドに横たわって、きょとんとした眼つきで四辺を見廻しながら、
「どうしたの、ぜんたいどうしたのよ、私は」
 と云い続けていた。舞台ではとりの画が写され始めたが、沢木七郎は説明を早見俊平に任せて、八千代の傍から離れなかった。でぶの米八や安土竜太郎はもちろん、手の明けられるかぎりみんなが、八千代の廻りに集まった。医者の来る五分ばかり前に、八千代は二回めの大咯血を起し、失神した。
 駈つけて来た医者はすぐにゲラチンを注射し氷嚢ひょうのうを肺部に当るよう、応急の処置をしてから、意識を回復した八千代に濃食塩水を飲ませつつきわめて愛相の良い表情で、慰安を与えた。
「かえってこう、最初に咯血のくるほうが、病状としては良好なのです。なに、半年も転地をして養生なされば、じきに恢復かいふくしますよ」
 半年の養生。紫外線のじゅうぶんに含まれた日光と、清らかな空気と、豊富な滋養物と、安逸と。――八千代自身がうたえなくなった今、誰がそれらのものを与えようというのだ。
 みんな暗然と声をのんだ。一瞬、冷凍室のように酷烈な沈黙がこの部屋をおおったとき、片隅で爺さんの吐く溜息の声がみんなの耳に聞えてきた、長いことこの部屋から忘れられていた爺さんの溜息が――。
 医者が入院をすすめて去ると間もなく、ほとんど入違いにやって来た根来勇助は、集まっているみんなの顔を見ると、高く右手をあげながら、何ごとも知らぬ陽気な声で叫んだ。
「諸君、検察官が来ましたぜ」

 私の語りたかった喜劇というのはこれで終いだ。その後ブラフ・シネマではふたたび女声独唱を加えようとはしなかった。
 安土竜太郎はほどもなく、ふたたび以前のように鉢巻をして曲弾を始めたし、沢木七郎は酔って『ニイベルンゲン』の説明に浪花節を入れた。喫煙卓子の上の花瓶には、ながいこと一輪の赤いカネエションが、汚くしおれたままうちやられてあったが、いつかそれもどこかへ見えなくなってしまった。
 壁にはもはや新しいポスタアは貼られなかった、単に貼られぬばかりでなく、糊が乾き割れて落ちるものさえ、あえて元のように貼直す者もないのだ。かくして壁さえも以前のように、その灰色の面をだんだんとひろげていった。
 すべてがもとの姿にかえった。炉の中はいつも煙草の吸殻で狼藉ろうぜきをきわめ、掃いても掃いても床の上は泥靴で汚された。そして爺さんは、すこしも変らぬテンポで炭を割り、湯を沸し、それから部屋の隅へ引籠ひきこもって溜息を吐いている。すべてが旧のままになったのだ。
『これは人生の溜息の部屋である』
 そういう文字が、火箸ひばしか何かで灰色の壁へ荒あらしく書きつけられてあるのを爺さんが発見したのは、安土竜太郎が、新しく下町にできるダンス・ホオルの楽手に身を売って、ブラフ・シネマから去って行ったよほど後のことである。
 壁に彫つけられた文字は前と後がいつか薄れて、うまく火箸が塗料を傷つけた部分だけ、いつまでもそこに遺っていた。『溜息の部屋』という部分だけが――。





底本:「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」新潮社
   1983(昭和58)年6月25日発行
初出:「アサヒグラフ」
   1933(昭和8)年4月12日号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2022年8月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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