月の松山

山本周五郎





 宗城孝也むねきこうやは足袋をはきながら、促すように医者のほうを見た。花崗道円みかげどうえんは浮かない顔つきで、ひどく念いりに手指を拭き、それから莨盆たばこぼんをひきよせて、いっぷくつけた。
「やはりそうですか」と孝也がいた。
 道円は聞えなかったように、じっと、煙管きせるからたち昇る煙を見まもっていた。
 唇の厚い、眉毛の太い、酒焼けであかくなったつやのいい顔が、とつぜん老人にでもなったように、暗く皺立しわだってみえた。
「間違いありません」と道円は云った、「お気の毒ですが、もう間違いはありません」
 孝也は足袋のこはぜをしっかりと掛け、坐り直して医者の眼を見た。
「すると、期間は、どのくらいですか」
 道円は「さよう」と云って、庭のほうへ眼をやり、それから煙管を詰め替えて、またいっぷく吸いつけた。
「さよう」と道円は云った、「人によって違うが、このようすだと、おそくとも一年、早ければ百日、……百日より早いことはあるまいが、一年よりおそくはないと思います」
 孝也はうなずいた。顔の硬ばるのが自分でよくわかった、全身の血がひいてゆくような感じで、眩暈めまいが起こりそうであった。
「――百日、というと、月ばかりですね」
「人によって違うから、むろん断言はできません」と道円は云い、初めて孝也を見た、「それに、私がそう診たてたというだけで、診たては医者によっても違うし、人間のからだというやつはときどき思いがけない変りようをするものですからな、まあいちおう、そのつもりでいてもらう、ということです」
「ほかにはもう、なにか」
 云いかけて孝也は黙った。道円が彼を見た。孝也は首を振った。
「いや」と彼は口を濁した、「ではもう、あの薬を塗るだけでいいのですね」
「痛みがひどくなったら、そのほうの薬を調合しましょう」と道円が云った、「また変ったことがあったら来てみて下さい」
 孝也は礼を述べて立ちあがった。あとから道円が送って来た。明るい二月の陽のあふれている庭に、紅梅がしんと咲いていた。
「まだ梅が咲いていますね」と孝也が云った。
「あれはばか梅で」と道円が云った。
 辞去して門の外へ出ると、非常な力で緊めつけられるように胸が苦しくなり、呼吸が詰って、われ知らず孝也はあえいだ。
「覚悟していた筈じゃないか」と彼はつぶやいた、「覚悟していたんだろう、だらしがないぞ孝也」
 彼は立停って空を見あげた。よく晴れた空に、白い綿雲が幾つか浮いていた。孝也の眼はそれを見ながら、なにも見てはいなかった。胸に大きな空洞があいて、そこを冷たい風が吹きぬけてゆくようである。彼はまた激しく喘ぎ、首を振って歩きだした。
 ――坪田へゆかなければならない。
 頭の中でそう思いながら、孝也は反対のほうへ歩いた。形容し難いほど重い荷を背負っているような、危なっかしい歩きぶりである。冷たい膏汗あぶらあせが額からこめかみのほうへ、条になって流れた。
 ――坪田へゆかなければならない。
 頭の中でまたそう思った。小泉村の坪田与兵衛のところへ、地境の事で話しにゆく筈であった。しかし彼は(そう思いながら)やっぱり小泉村とは反対のほうへ歩き続け、大渡橋を渡ると街道からそれて裏道へ曲った。
 茂庭家の屋敷のあるとがしょう村は、その裏道から「松山」を越してゆくのが近い。彼は松山への坂を登っていった。途中で三人ばかり農夫とゆき会い、農夫たちはかぶり物をって挨拶したが、孝也は常に似あわず挨拶も返さないし、殆んど眼もくれずに通り過ぎていった。――松山は高さ百尺ばかりのなだらかな丘陵で、その名のとおり松林でおおわれている。ずっと昔、そこになにがし氏の城砦じょうさいがあったといわれ、現在でも頂上に五段歩ほどの平地と、空濠からぼりの跡や、石畳に使ったらしい石などが残っていた。
 坂を登りつめた孝也は、道から松林の中へ入ってゆき、枯草の上へ腰をおろした。そこは北向きなので枯草の根にもまだ青みはみえない、前方はなだらかな斜面になっており、低くなってゆく松林の向うに栂ノ庄村の一部と、小高い丘の上にある茂庭家の築地塀ついじべいが、白く、城館のように堂々と眺められた。孝也は立てた膝頭ひざがしらひじをつき、両手で顔をおおった。
「百日――」と彼はうめいた、「百日か」
 松のこずえで小鳥が鳴き騒いだ。顔を掩った両手の指が(苦悶くもんのため)かぎのように曲り、やがて嗚咽おえつの声がもれた。それはぞっとするほど絶望的で、圧しひしがれるような響きをもっていた。
 約半刻ほどのち、茂庭家へ帰った孝也には、いつもと変ったようすはなかった。
 茂庭邸は栂ノ庄村の北端の台地の上にある。石段を登ると古い長屋門で、門を入ったところにおおきな老杉が二本、広い前庭と屋敷ぜんたいを圧するように高く梢をぬき、たくましく枝を伸ばしている。武家造りの母屋と、それに続く道場は茅葺かやぶきで、門人や召使たちの住む長屋は※(「木+(朮−丶)」、第4水準2-14-36)こけら葺きであった。
「お帰りなさい」
 孝也の姿を認めて、道場の臆病口から西秋泰二郎が出て来た。稽古着のままだし、木剣を持って、おもながの眉の濃い顔に、活き活きと血が浮いていた。道場の中からは、稽古の物音が聞えて来た。
「ようすはどうでしたか」
 泰二郎が近よって来て訊いた。孝也はけげんそうに相手を見た。
「坪田ですよ」と泰二郎が云った、「承知したんですか」
「うん、いや」と孝也は眼をそらした、「留守でだめだった、また改めていってみる」
「世話をやかせるやつだな」
「今日は稽古を休むからね」孝也は歩きだしながら云った、「済まないが頼むよ」
「弥六が熊のつかまえました」うしろから泰二郎が云った、「井戸の脇の柿の木につないでありますよ」
 孝也は長屋の自分の住居へ入った。
 長屋はT字形になって二棟あり、一方が召使たち、一方が門人のもので、こちらには二部屋ずつの住居が七戸並んでいる。いまは孝也と泰二郎のほかに三人。孝也のは南の端であった。――夕刻、母屋のほうから、小間使のお品が食事を知らせに来た。孝也だけは母屋で(茂庭父娘と)食事を共にする習慣だった。お品は戸口で二度呼んだ、すると奥の部屋で孝也の断わる声が聞えた。
「食事はしない」と彼は云った、「少し腹痛ぎみだからと申上げてくれ」


 その夜、孝也は眠ることができなかった。夜具の中で輾転てんてんと悶えたり、呻吟しんぎんしたり、はね起きて、がたがた震えながら歩きまわったり、また幾たびも暗い庭へ出ていったりした。
 すっかり明けはなれてから、桂がみまいに来た。茂庭掃部介かもんのすけ信高の一人娘で、年は十八歳になる。――一刻ほどまえ、彼は西秋泰二郎に「稽古を休む」と云ったが、桂はそれを聞いてみまいに来たようであった。孝也の顔を見るなり、桂は吃驚びっくりして眼をみはった。彼は毛の濃いたちで、無精髭ぶしょうひげが伸びていたし、まだ洗面もしていなかったが、その顔や眼つきに現われた憔悴しょうすいの色は異常であった。
「そんなにお悪かったのですか」桂は非難するように云った、「どうしてそうおっしゃいませんでしたの」
「いや、たいしたことはないんです」
「すぐに誰か医者へやりますわ」
「いや、たいしたことはない」と孝也が云った、「もういいんです、もう少ししたら御挨拶にまいります」
 娘は黙った。孝也の口ぶりは突放すようだし、その眼もいつものようには桂を見なかった。いちどすばやく彼女を見たが、すぐ冷淡に脇へそらした。
 ――なにか変ったことがあったのだ。
 桂はそう思った。そう思いながら、黙って孝也の顔を見まもった。
「先生には黙っていて下さい、本当にもういいんだから」と孝也は云った、「あとでうかがいます、……弥六が熊の仔を捉まえたそうですね」
 彼は突然その唇を醜くゆがめ、桂のほうは見ずに奥へ去った。
 半刻ほど経ってから、孝也は母屋へいった。
 寝ている信高の夜具の側に桂がいた。彼女は掛け夜具の下へ手を入れて、父の足をさすっていた。孝也が挨拶をすると、信高は枕の上でこちらを見、眼で頷いた。顔色は蒼黒あおぐろく、骨のようにせて、おちくぼんだ眼だけが大きく、生きている証拠のように、たしかな光りと動きをもっていた。――掃部介信高は一昨年の冬、卒中で倒れた。そのときは軽症だったが、半年ほどしてまた倒れ、こんどは半身が不随になった。それで病状にあきらめをつけたのだろう、孝也に桂をめあわせて、茂庭の跡を継がせることにした。まだ表立って披露はしていない、孝也と桂の二人に承諾させ、披露の準備をしているうちに三度めの発作が起こり、全身不随になったまま寝ついた。
 信高が婚約のことを心配していることは、孝也にも桂にもよくわかった。信高は口がきけなくなった代りに、自分の要求を眼で表現するようになり、桂もそれを理解することにすばやく慣れていった。七歳のとき母に死なれてから、ずっと父の側で寝起きしていたし、父の身のまわりの世話もして来たので、父の眼の動きを見てなにを求めているかを判断するのに、それほど暇はかからなかった。
 ――父は婚約の披露のことを気にかけているようです。と桂が孝也に云った。ひどく気にかけているようですから、内輪だけでも披露をしてはいかがでしょうか。
 それは去年の十月のことであった。孝也にも信高の懸念がわかっていたし、反対する理もなかったが、すぐにそうしようとは、ふしぎに、答えられなかった。
 ――奉納試合が済んでからにしましょう。と孝也はそのとき云った。先生には私からそう申上げます。
 桂が承知したので、彼は信高にそう云った。信高は不満のようであった。気力が弱っているためだろう、早く二人のいっしょにいる姿を(たとえかたちだけでも)自分の眼で見たいようであった。そこで桂が主張し、信高の前で二人いっしょに食事をするようになった。
「昨日から少し腹が痛みましたので」孝也は挨拶のあとで云った、「用心のために食事をぬきました、もういいのですが、稽古も今日一日休もうと思います」
 信高は眼で頷いた。孝也は坪田に会えなかったので、もういちどゆくつもりであると告げ、まもなく病間を去った。
 道場をのぞくと、西秋泰二郎が稽古をつけていた。孝也は入っていって、暫くそれを見ていた。いま住込みの門人は、浅野家から来ている西秋泰二郎が古参で、次に酒井家の庄司勇之助、戸田家の益島弁三郎、常陸の郷士の宮原忠兵衛。そしてほかに、通いの門人が七人いるが、西秋だけ群をぬいていた。古参だというばかりでなく、才分があるらしい。四年このかた代師範をして、信高をしのぐといわれる孝也が、ときに舌を巻くほどみごとな太刀さばきをみせることがあった。
「それでいけるか」孝也は口の中で自分に云った、「いけるだろう、充分いけると思う、もうひとつ足りないかもしれないが、仕上げをする時間はある」
 もちろん誰にも聞えはしない、眼はするどく泰二郎を見つめていた。しかしまもなく、孝也はぐっと眉をしかめた。僅か四半刻ほどだったが、立ったままでいるのがいちばん悪いらしい、右足のそこにあの痛みが始まったのである。彼はさりげなく道場を出た。
 茂庭家は古くから兵法をもって北条氏に仕え、代々掃部介を許されていた。四代まえの掃部介信剛のとき、小田原を去ってこの地に土着し、(農耕のかたわら)家に伝わる鞍馬くらま古流の小太刀を教えて来た。現在二十町余の山林と、十五町歩あまりの田地があり、家計は豊かだったから、教えを乞う者でその資格ありと認めれば、邸内に住まわせ、食事を与えて修業させた。茂庭の小太刀は古法で、一般的にはすでに流行からおくれ、殆んど忘れられかけているが、それでもなお古法を慕って来る者が(数は少ないけれども)跡を断たなかった。――孝也もむろんその一人である。彼は浪人の子で江戸に育ち、十六歳のとき孤児になった。父の宗城伊十郎は越前家の勘定方に勤めていたが、重役に涜職とくしょく問題が起こったとき、その責任を負わされて退身した。浪人してからの伊十郎はすっかり世をね、なにもせずに酒ばかり飲んでいたが、やがて妻と相前後して死んだ。
 ――おれにもしものことがあったら。と父は死ぬまえに云った。この人を訪ねてこの手紙を読んでもらえ、たぶんおまえのことを引受けてくれるだろう。
 父の死後、彼はその人を訪ねた。それは越前家の重役だったが、手紙を読むと孝也を茂庭信高に預けた。「修業を積んだら主家へ推挙しよう」という約束だった。しかし、それから数年のちにその人も死んでしまった。


 その人が生きていたら、孝也は越前家へ仕えただろうか。そうではあるまい、男子のない信高は早くから彼に眼をつけていたようだ。
「自分もそれを望むようになっていた」孝也はつぶやいた、「世に出るよりも、此処ここで一生くらしたいと思い始めた、――桂が好きになったからか、そうだ、桂が好きになったからだ、桂を妻と呼ぶことができ、此処で一生くらせるなら、宗城の家名が絶えてもいいと思った、そうして、それが望みどおりになったのに、――まもなく桂と祝言をし、茂庭の跡を継ぐことになったのに」
 孝也は熊の仔の前で立停った。
 黒い毛毬けまりのように、ころころした仔熊であった。太い首輪をはめ、鎖で柿ノ木に繋がれたまま、ひとりでむきになってじゃれていた。誰かが玩具に与えたのだろう、二尺ばかりの松薪に向って、威嚇いかくうなりをあげたり、手で押えつけてんだり、うしろへさがって、突然とびかかったりする。そしてときどき(ひどく自慢そうに)横眼で孝也のほうを見たりした。
「こいつは捉まって、鎖で繋がれている」と孝也は呟いた、「だが鎖を噛切って逃げることもできる、おいちび、おまえは逃げることができるんだぞ――おれは首輪もはめられてはいないし、鎖で繋がれてもいない、しかし確実に捉まってしまった、おれを繋いでいる鎖は眼に見えないが、どんなことをしても断ち切ることはできない、おれは逃げることができないんだ」
 眼に見えないその鎖が、(現実に)非常な力で彼を緊めつけるようであった。孝也は大きく喘いだ、苦悶の衝動とたたかうために、大きく深く喘ぎながら、彼はそこを離れて自分の住居のほうへ歩きだした。
 三日のちに、孝也は小泉村へでかけてゆき、用件をはたして戻った。
 小泉村の坪田与兵衛は地着の大地主であるが、十年ほどまえ当代の与兵衛になって、領主松平家の金御用を勤めだしてから、にわかに横暴になり、自分の持ち地所と接する到るところで地境のあらそいを起こした。領主の威光を笠にきているし、実際にも藩士の二三(金を握らされているらしい)が常に付いてまわった。それでたいていの者が泣きねいりになると聞いていたところ、去年の春、ついに茂庭の地所でも問題を起こした。小泉村の北に接する西山というところに、茂庭家の所有で二町五反歩ほどの田地がある。信高の亡くなった妻(桂の母親)の実家である河野家のものだったが、十年ほどまえ、河野が倒産しかけたとき茂庭で買って、そのまま河野に管理させていた。その地内へ坪田の小作人たちが無断でくわを入れ、勝手な処に地境の標を立てたり、不法にせきの水路を変えたりした。もちろん謀ってやったことだから、河野で文句をつけても相手にならない。そこで茂庭家から用人の俣野孫右衛門が掛合にゆき、再三にわたって交渉した。その結果、藩の郡代役所へ双方から出頭し、年貢帳を照合したうえで、地境を元のように直して標を立てた。これは今年の正月下旬のことであるが、そのとき郡代と双方と三者のあいだに、「今後は境を越えない」という誓書を取交わした。俣野孫右衛門はうっかりそうしたらしい、孝也はあとで聞いてまずいと思った。地境を乱したのは坪田の責任で、こちらは被害者だからそんなものを出す理由がない。今後もし問題が起こったばあいに、相手がその誓書を悪用すれば、こちらにも非分があったことになりかねない。そこで孝也がいってその理由を述べ、誓書を取戻して来たのであった。
 幸い主の与兵衛に会えたので、案外なくらい簡単に取戻せたが、側に二人の侍がいて、嘲弄ちょうろうがましいことを云った。例の松平家の家来で一人は大道寺九十郎、他の一人は日野数右衛門といい、日野はかつて茂庭の道場で学んだことがあった。素行がよくないために、半年ばかりで破門同様にされたのであるが、いまでもそれを根にもっているらしく、与兵衛と対談ちゅう、意地の悪い眼つきで眺めたり、嘲笑したり、また大道寺という男に向って、
 ――紙きれ一枚が役に立つと思うのかね。
 などと高声に云ったりした。だがもちろん孝也は相手にならず、用件をはたして戻ったのであった。
 小泉村へいって来てから、孝也は道場へも出るし、母屋で食事もするようになり、日々は元どおりにかえった。ただ、孝也の泰二郎に対する稽古が、これまでより熱心に、そして厳しくなるのが眼立った。また、これは誰も気づかないことであるが、桂に対する態度が変りだし、ひどくよそよそしく、冷淡になった。
 ――なにかわけがあるのだろう。
 桂はそう思って注意していたが、どうしてもこれと思い当ることがない。それとなく訊いてみたこともあるが、孝也はろくろく返辞もしないのであった。
 ――桂のことを嫌いになったのかしら。
 そんな疑いさえ起こってきた。恢復かいふくの望みのない病床の父と、茂庭家の将来を考えるとき、そういう疑いに長く耐えることはむつかしい。桂は辛抱できなくなって、泰二郎に相談する決心をした。
 三月中旬の或る夜、――桂は泰二郎と裏庭で会った。そこには裏の山から水をひいた池があり、池畔に腰掛が二つと亭がある、二人は亭のほうでおちあった。曇った夜で気温が高く、まっ暗な茶畑で地虫の声がしていた。
 泰二郎は桂の話を聞いた。彼には桂の心配がよくわからないようであった。
「そうでしょうか、私は気がつきませんでしたが」と泰二郎は云った、「いったいどんなふうに変ったのですか」
「どう云ったらいいでしょう」桂はもどかしそうに首を振った、「どう云ったらいいかわかりませんわ、口では申せませんの、だからよけい心配なんです」
「じつは、――これはそれとは違うかもしれないんですが、私にもちょっとにおちないことがあるんです、いや大したことじゃない、私の稽古のことなんです」と泰二郎が云った、「貴女は御存じないでしょうが、私はこのところ半年以上も宗城さんの手を放れて、他の者に稽古をつけていました。宗城さんからはときどき口で手を直されるくらいのものだったんですが、二十日ばかりまえからまた毎日稽古をつけられるようになったんです、それもこれまでになく念入りで、相当に厳しいやりかたなんですよ」
「西秋さまはそれを、へんだとはお思いになりませんの」
「わかりません」
「なにかわけがあるんだというふうにはお思いになりませんでしたの」
「待って下さい」泰二郎は云った、「そんなことは考えもしませんでしたが、しかしちょっと待って下さい」
 そのとき裏門のほうから、孝也が近づいて来た。


 孝也はそのとき、茂庭家の菩提寺ぼだいじから帰って来たところであった。
 彼は広雲寺の無元和尚に会いにいった。その臨済派の老僧にはたびたび教えを受けたことがあった。禅堂で坐ったこともあるし、講話を聴きに通ったこともあった。彼は和尚と会って話せば、その苦悶から救われるかもしれないと考えた。
 ――そうだ、老師に会うだけでも、この苦しさを克服することができるだろう。
 そして彼は広雲寺の方丈を訪ねた。
 老僧は茶をれ、自分で栗を焼いて彼をもてなした。孝也はなにも云えなかった。無元和尚は非凡な作家さっけである、だが彼とは縁のない人であった。彼の苦悶とは縁のない、遠いところにいる人であった。孝也は無元と対坐しながら、かつて無元が「生死関頭」について語ったことを思いだした。
 ――飛花落葉。
 老僧は生死を超脱していた。彼もまた老僧について生死の関頭を打破した。生があり、死がある。花が散り葉が落ちる、「死」はごく自然なものである、――たしかに彼は、かつて生死超脱の境地をつかんだと思った。けれどもいま無元和尚を前にしてみると、「死」の恐ろしさがいかに深く大きいか、いかに救い難いものであるかを知った。
 ――そうだ、この恐ろしさは老師にはわかってもらえない、わかってもらっても、老師にもどうすることもできないだろう。
 彼は方丈に半刻はんときほどいただけで辞去した。
 茂庭邸まで戻って来て、裏門のくぐりから入り、茶畑のあいだを歩いてゆきながら、孝也は池畔のほうで人の話し声のするのを聞きつけた。彼は立停って耳をすませた。それから、静かにそちらへ近づいていった。
「そうなんです、夜なかにです」と泰二郎が云っていた、「ときによるとひと晩じゅう聞えることもありました」
「そんなに苦しそうにですの」桂の声であった。
「ひどく苦しそうにです」泰二郎が云った、「私は疲れてうなされているのだと思っていたんですが、貴女のお話を聞いてみると」
 孝也は「誰だ」と云いながら、亭のほうへ歩み寄った。二人ははじかれたようにお互いから離れた。
「こんな処でこんな時刻になにをしている」と孝也が云った、「誰だ」
 闇夜であるが、側へ寄ればむろん人の見わけくらいはつく、泰二郎はどもった。孝也は二人の前へ来て立った。
「お嬢さん、――」と孝也は云った、「おまえ西秋だな、密会か」
 桂がああといった。
 泰二郎は桂をかばうように前へ出た。
「弁解か、云ってみろ」と孝也が云った、「お嬢さんは帰って下さい、お帰りなさい」
「待って下さい、ひとこと云わせて下さい」と桂が云った、「西秋さまには罪はありません、桂が此処へ来て下さるように頼んだのです」
「家へお入りなさい」孝也が叫んだ。
「どうか聞いて下さい」泰二郎が云った、「貴方は誤解しているんです、密会なんてとんでもない、私たちはいま」
「西秋さま」と桂がさえぎった。
 泰二郎は口をつぐんだ。それは云ってはならないことであった。孝也は黙って二人を見ていた。
 ごく短いあいだではあったが、息苦しく気まずい沈黙が、三人の上にのしかかった。
「家へお入りなさい」孝也が桂に云った、「人に見られないうちにお入りなさい」
「いらしって下さい」泰二郎も桂に云った、「あとは大丈夫ですから、どうか」
 桂は母屋のほうへ去った。四、五間ばかりゆくと泣きだしたようであるが、そのまま小走りに去っていった。桂が去ってしまうと、孝也も歩きだした。
「どうか誤解しないで下さい」泰二郎は孝也についてゆきながら云った、「お嬢さんはいうまでもないし、私がそんなことをする人間かどうか知っていらっしゃるでしょう」
「おれが知っているって」
「お願いです」泰二郎は云った、「夜こんな処で話していたのが悪かったんですが、わけがあってほかにしようがなかったんです」
「おれが知っているって」孝也は云った、「よしてくれ、人間の本心なんて誰にわかるものか、おまえがどんな人間か、おれは知りもしないし知りたいとも思わない、ただこの屋敷の中でみっともないまねをすることだけはよしてもらおう」
「貴方はどうかしているんだ」
「黙れ」孝也は立停って叫んだ、「きさま、おれを非難するのか、自分のしたことを棚にあげておれを非難するのか」
「そうじゃありません、私はただ」
「云え」孝也は叫んだ、「云ってみろ、おれがどうしたというんだ、さあ云え西秋、――云わないのか」
「よします」泰二郎は頭を垂れた。
「云えないんだな」
「いまはよします」と泰二郎は云った、「云ってもわかってもらえないようですから、明日にでも改めて云います」
「ごめんこうむる」と孝也が云った、「二度とこの話はしないでくれ、たくさんだ」
 そして彼は足早にそこを去った。
 孝也は一人になると身ぶるいをした。夜具の中へ入ってからも、思いだしては身ぶるいをし、呻き声をあげ、それから口の中で自問自答をした。
「あれでいいんだ、いい機会だった。広雲寺へいった利益かもしれない」孝也は眼をつむったまま呟いた、ごく低い、ささやくような呟きであった、「もちろんあれでいいさ、恥じるな、嫉妬しっとを感じたんだろう、有難いことに嫉妬を感じたんだ、嫉妬は醜いものだ、嫉妬は醜くって卑しいものだ、あのとき感じた嫉妬を忘れるな、もっと卑しくなれ、もっと、――あの泰二郎のやつ」孝也は枕の上で頭を振った、「なれるとも、いくらでも卑しくなってみせる、救いのない悲しみよりも、軽蔑けいべつのほうが桂にとっては楽な筈だ、そしておれのためにも」
 つむっている彼の眼尻から、枕の上へ、涙が糸をひいた。のど嗚咽おえつで詰った。
 孝也は眼にみえて変りだした。
 特に泰二郎へ稽古をつけるときの、烈しさと仮借なさとは徹底的で、少しでも気にいらないと、頭ごなしに罵倒ばとうするし、泰二郎がどんなに疲れても、自分で納得するまでは稽古をやめさせなかった。もちろん自分だけが相手をするのではない、庄司勇之助、益島弁三郎、宮原忠兵衛の三人にも代る代る相手をさせ、付いていて辛辣しんらつに手直しをする、しかも日の経つにしたがって、自分が木剣を取ることは少なくなり、大抵のばあい三人に相手をさせた。そんなぐあいなので、泰二郎はしだいに過労が重なり、四月にはいると躰力たいりょくの消耗がめだってきた。


 泰二郎は音をあげなかった。彼は意地になっていた、「倒れるまでやってやるぞ」と思っているようであった。しかし三人は見るに耐えなくなったらしい、或る日、かれらは泰二郎の相手をすることを拒んだ。
「なぜだ」と孝也が訊いた。
「理由はおわかりでしょう」宮原忠兵衛が云った、「西秋さんのようすを見て下さい、これではあんまりひどい、私たちはこれ以上西秋さんを疲らせるのはごめんです」
「よせ」と泰二郎が云った、「おれは疲れてはいないぞ」
「いや私たちはもうごめんです」
「よく聞け」と孝也が云った、「おまえたちはこの十月に奉納試合のあることを忘れたのか」
「知っています」と宮原忠兵衛が答えた。
「五年に一度の奉納試合は、世間に鞍馬古流の正統を示す大切な行事だ、ことに先生が御病気だから、万一にも不覚なことがあっては申し訳が立たない、今年こそ、どんなことをしても勝たなければならないんだ」
「しかしそれは」と益島弁三郎が云った、「その試合には御師範代がお出になるのでしょう」
「出るのは腕だ、席順ではない」
「御師範代ではないのですか」
「先生が御丈夫なら先生の御指名がある、しかしいちばん腕の立つ者が試合に出ることに変りはない」と孝也は云った、「西秋は席次だけでなく腕が立つ、西秋は試合に出るための稽古をすべきだ、試合に出るための稽古をする責任がある筈だ」
「それで理由がはっきりしたろう」と西秋泰二郎が三人に云った。孝也のほうは見ないし、孝也の言葉も信じていないような調子だった、「さあ続けよう」と泰二郎は云った、「こんどは庄司の番だ、おれは大丈夫だから心配するな」
 そして木剣を取り直した。
 その夜、泰二郎は桂と会った。二人には七日に一度ずつ会う機会があった。七日に一度、孝也が城下町へ用事にゆくのである、稽古が終ったあと、大抵は四時ごろにでかけて、帰るのは九時過ぎであった。その日も孝也がでかけたので、日がれてから二人は会った。屋敷の北の隅に「茂庭明神」といって氏の神をまつったほこらがある。まわりを杉林で囲まれているし、ふだんは人の近寄ることがないので、桂がそこを会う場所に選んだのであった。
 その宵、桂は化粧をしていた。四月の暖かい宵の空気が、彼女のあまい香料で匂った。
「どうでした」と泰二郎がまず訊いた、「うまくつきとめましたか」
「だめでしたわ」
「どんなぐあいだったんです」
 桂は話した。これまで三度、彼女は孝也のゆく先をつきとめようとした。きちんと七日に一度ずつ、城下町へなにをしにゆくのか、どんな用があるのかを知りたかった。それで下僕の弥六にあとをけさせたのであるが、孝也は街道口で馬を借り、馬に乗ってでかけてゆくという。馬では跟けるわけにいかないから、このまえのときは先廻りをさせ、城下の東木戸で待つように命じた。
「弥六はずっと待っていたけれど、とうとう姿をみせなかったと申しますの」と桂は云った、「馬で街道をゆくことは慥かだから、木戸で待っていればみつからない筈はないんですけれど」
「すると城下町ではないのかもしれませんね」
「わたくしもうたくさん、もう諦めることにしました」と桂は云った、「慥かめなくってもおよそわかります、二月から数えてもう九度もでしょう、桂がいくらぼんやりでも、なにがあるかくらいおよそ想像がつきますわ」
「私はこう思うんです」
 泰二郎は云いかけて口ごもった。桂が「どうお思いなさるの」と訊いた。するとまた、彼女の躯から香料が匂った。泰二郎はその午後の(道場での)出来事を話した。
「わたくし信じられませんわ」と桂は首を振った、「奉納試合のためだなんて、わたくしには信じられません」
「私はこう思うんです」泰二郎が云った、「宗城さんはあの晩のことを誤解している、私たちが宗城さんのことを心配して、そのことで話しあっていたと云えばいい、けれどそれはあの場では云えなかったし、あとで説明しようとしても聞かなかった、聞いても弁解だと思われたかもしれない――、たぶん、そこにいろいろな原因があるんだと思うんです」
「でもあれは三月になってからのことよ」と桂が云った、「あの方のようすが変り始めたのはそれよりまえからでしょう、城下へ通いだしたのは二月の初めからでしたわ」
 泰二郎は頷いた。孝也の自分に対する態度の変化は、あの晩を境に際立ってきた。誤解からうまれた嫉妬だと思っていたし、その点はいまでも誤ってはいないと思うが、桂の云うことも事実であった。孝也はそのまえから変りだした、彼女に対しても変りだしたというし、彼自身にも(久しく放していた)稽古をつけ始めていた。
「わたくしどうしたらいいでしょう」と桂が云った、「父はいつどうなるかしれませんし、あの方は離れていってしまう、もうすっかり離れてしまっているんですわ、西秋さま、桂はこれからどうなるのでしょうか」
「そんなふうに考えないで下さい」
 泰二郎はよろめくように云った。彼はけんめいに自分を抑えた。桂は彼を見あげて喘ぐような息をした。泰二郎は唾をのんだ。
「そんなにつきつめないで下さい」彼は吃りながら云った、「私がいちどぶっつかってみます、折をみて本当のことを慥かめてみます」
「いいえもうだめ、もうそんなことをしてもむだですわ」桂は嗚咽した、「わたくしにはわかっているんです」
「お願いです、私がきっと慥かめてみますから」
「なにをですの」嗚咽の中で桂が云った、「なにを慥かめるんですの、あの方がどこに女のひとを隠しているかということをですか」
「そんなことを、お嬢さん」
「いいえ申します」桂は泣きだした、「あなただってそう思っていらっしゃるのよ、わかってますわ」
 桂は泣きながら身をんだ。泰二郎は喘いで、桂のほうへ手を伸ばそうとしたが、唇を噛んで脇へ振向いた。桂の躯からつよく香料の匂いが立った。
 泰二郎が長屋へ戻ったとき、彼の住居の前に孝也が立っていた。いつもはもっとおそく帰るのが例である、いつもより半刻も早いだろう。戸口の前に立っている孝也の姿を見たとき、泰二郎はとつぜん平手打ちをくったような驚きと同時に烈しい怒りにおそわれた。彼は大股おおまたに、孝也のほうへ歩み寄った。
「なんですか」泰二郎は云った、「私になにか御用ですか」
「灯がついたままだ」孝也は指さした、「灯をつけたまま留守にすることは禁じられている、でかけるなら消していってくれ」


「それだけですか」泰二郎が云った。
「それだけだ」
「そうではない、もっと云うことがあるでしょう」泰二郎は挑みかかった、「貴方あなたが云いたいのはそのことではない、ほかに云いたいことがある筈だ、それを云ったらどうですか」
「でかけるときは灯を消してくれ」と孝也が云った、「私が云いたいのはそれだけだ」
 孝也は歩きだした。泰二郎は前へ立塞たちふさがった、彼は自分が抑えられなかった。
「待って下さい、云うことがあるんだ」
「その話はよそう」
「いや私は云う、貴方も聞きたい筈だ」
「おれは聞きたくない、どいてくれ」
「どうしてもですか」
「まっぴらだ」
 泰二郎はかっとなった。「宗城さん」と云って思わず相手の腕をつかんだ。孝也は振放そうとした。泰二郎はその腕をぐいと引いた。すると孝也は「あっ」と苦痛の叫びをあげ、まったく力を失って横さまに倒れた。泰二郎はぎょっとし、いっぺんに昂奮こうふんからさめた。孝也の叫びにはするどい苦痛の響きがあったし、その腕から感じた躯には力の抵抗がなかった。少しの抵抗もなしに孝也は倒れ、そうして、右足をすばやく縮めたまま、地面の上に手をついていた。泰二郎は水を浴びたように昂奮からさめ、手を貸して立たせようとした。
「勘弁して下さい」と泰二郎は云った、「乱暴するつもりじゃあなかったんです」
「酔ってるんだ」
「済みません」泰二郎はおろおろした、「ついかっとなってしまって、――どこか痛めたんですか」
「少し酔ってるんだ」孝也はようやく立ちあがった、「もういい、大丈夫だ」
 そして顔をそむけて歩きだした。右足をひきずるような、ひどく不安定な歩きぶりであった。
「宗城さん」泰二郎が呼びかけた。
「明日にしよう」
 孝也は自分の住居のほうへ去った。泰二郎はそれを見送りながら、表現しようのない混乱した感情にとらえられた。暗い杉林の中のあまやかな香料の匂いと、桂の火のような喘ぎとが、あまりにもろく倒れた孝也の姿と重なりあったり、はなればなれになったりして、彼の想いをかき乱すようであった。
「明日にしよう」と泰二郎は呟いた、「そうだ、明日になればなにかわかるかもしれない」
 しかし翌日になっても、孝也の態度に変りはなかった。
 ただ一つだけ気がついたのは、孝也の動作にどこかしら力がなく、注意して見ると右足を少しひきずって歩くことである。また、もう四月中旬だというのに、いつも足袋をはいていた。道場へ出てもぬがないし、稽古ばかまを裾さがりにはいて、殆んど足首まで隠すようにしていた。
 ――あのとき転んでくじいたのだろうか。
 泰二郎はそう思った。けれども、ずっとまえからそんなふうだったようにも思えた。
 ――なにかある、慥かになにかある。
 彼は孝也のようすに絶えず注意しだした。
 それから数日のち、西山村の河野から使いがあり、坪田の小作人がまた事を起こしたと知らせて来た。泰二郎は孝也に云われて、用人の俣野孫右衛門といっしょに西山へいった。そして、明らかに地境が無視されているのを見て、その次の日、泰二郎は小泉村の坪田へ一人で掛合にいった。坪田では主人が留守だし、「こちらはなにも知らぬ」と云うばかりだった。
「穏やかにしていてはだめです」泰二郎は孝也に報告した、「明日は郡代役所へ寄って、役人をいっしょにれてゆきます」
「それがいいだろう」孝也は頷いた、「坪田にはよく松平家の人間が来ている、一人はこの道場へ通ったことのあるたちの悪いやつだ」
「日野数右衛門でしょう、私は彼が破門されたのも知っているし、昨日も坪田で会いましたよ」
喧嘩けんかを売ろうとしなかったか」
「こっちで相手にしません」
「私がいきたいんだが」と孝也が云った、「彼はごくたちの悪い人間だから、――しかし役所の者を伴れてゆけばいいかもしれない」
「大丈夫です、決して喧嘩なんかしませんから」
 明くる日、泰二郎は帰って来て、「掛合がうまくいった」と報告した。郡代役人を現場へ案内し、地境が荒されているのをみせ、それから坪田へいった。坪田では主人の与兵衛が出てあやまり、「なにかの間違いだろうから、すぐ小作人たちに中止させる」と答えたそうであった。
「明日いって慥かめて来ます」泰二郎はなおそう云った、「本当にやるかどうか慥かめて、やらなかったらその足で坪田へゆきます」
 泰二郎は気負っているようであった。
 孝也はちょっと不安だった。泰二郎があまり気負っているので、間違いでも起こらなければいいがと思った。しかし、その日いって来た泰二郎は、あっさり「見届けて来ました、あれなら大丈夫でしょう」と云った。極めてむぞうさなので、どんなようすか訊きただす余地もなかった。彼は付け加えて云った。
「念のためにもう一度いってみますが、しかしあれなら大丈夫だと思います」
 孝也はそうかと頷いた。
 その夕方、孝也は城下へでかけた。なが道は歩けないので、街道口の車屋で馬を借りていった。知人に見られないように、橋を渡って畷道なわてみちの途中から裏道へまわり、武家屋敷のほうから町へ入ると、桶屋町の「藤十」という料理屋へ馬を預け、そこから歩いて花崗道円の家へゆくのである。――いつかは(それもそう遠いさきではない)わかることだろうが、「そのとき」が来るまでは人に知られたくなかった。日も夜も、彼を捉まえて放さない恐ろしさと絶望感とは、彼以外の誰にも理解されるものではない。それを知られて、あわれまれたり同情されたりすることは、苦痛を二重にするばかりである。彼はどんなことをしても、その事実を知られないようにとつとめた。
 治療を受け、薬をもらって出ると、孝也は「藤十」へ戻って酒を飲んだ。半月ほどまえから患部が痛みだして、痛みを止める薬を用いるようになっていた。
「この薬が倍量になったら」と道円は云った、「お気の毒だがどうか諦めて下さい」
 諦めるという意味は明瞭である。孝也は酒を飲みながら、今日もらった薬の量が、明らかにえていることを思った。
「来なければ押しかけてゆくさ、こんどは必ずものにしてみせる」
 隣り座敷で客たちの話しているのが聞えた。三人ばかりいるらしい、もう酔っているとみえて声が高く、こちらへ筒抜けに聞えて来た。
 ――酔わなければならない。
 孝也は汁椀の蓋でぐいぐい飲んだ。


 早ければ百日と云われた。その百日がすでに七十日ちかく経っている、また医者の予告した症状が、殆んどその予告どおりに経過していた。それを忘れようとして、孝也は乱暴に飲んだ。
「そんな必要はないだろうが」と隣りの客が云った、「しかし伏せるだけは伏せるか」
「あんまり油断はできないんだ、あれでいまは師範の次くらい使うんだから」
「なに、真剣勝負はべつさ」もう一人がそう云った、「道場の試合と真剣勝負はべつものさ、まあ見ていろ、まあ見ていてもらおう」
 孝也はふすまのほうへ振返った。話し声はその襖のすぐ向うから聞えて来る。孝也は飲むのをやめて耳をすませた。
「じゃあおれは先へ帰る」と一人が云った、「これから三浦へまわって打合せをしておこう、時刻は十時だったな」
「松山までかなりあるから、そうさ」とべつの声(その声には聞き覚えがあった)が云った、「そうさな、九時まえに坪田へ来てもらおうか」
 その声には聞き覚えがあった。孝也はそれが日野数右衛門の声だということを知っている。そうして、かれらの断片的な話から、孝也は敏感に一つの事情をまとめあげた。
 ――真剣勝負。師範の次くらい使う。松山で十時。坪田へ来い。
 孝也はその午後の泰二郎のようすを思いだしてみた。不審なようすはなかった、「あれなら大丈夫です」「念のためにもう一度いってみますが」ごくあっさりとそう云った。なにかあったようなふうは少しもなかった。「だがそれがなんの証拠になる」孝也は自分に云った、「彼は西山へいって来たのだ。そこで日野たちと会い、売られた喧嘩を避けきれなかった、と考えることはできないか」
 孝也はなお暫く隣りの話を聞いた。それから勘定を払い、馬をいて外へ出た。酒が中途半端だったので、少し歩くと患部が痛みだした。彼は薬袋を出して、二服分の粉薬を口へ入れた。その粉薬は苦く、そして胸の悪くなるような匂いをもっている、孝也はそれを舌の上でゆっくりと唾で濡らし、それから喉へとのみおろした。――かなり人の往来する町角で、孝也は馬を曳いたまま立停っていた。その薬はのんで半刻ほど経つと、下半身がしびれたようになる。それまでに帰りたかった。隣りの話のようすでは、かれらも帰るらしいので先へ出て来たのだが、それでも四半刻ほど待たなければならなかった。
 二人は「藤十」と印のある提灯ちょうちんを持って出て来た。孝也はそれを認めると馬に乗った。茶屋から出た二人は、こっちへは来ず、武家屋敷のほうへ曲っていった。孝也は静かに馬を進め、横町の半ばで追いついた。二人はひづめの音を聞いて、少し左側へ身をよけた。孝也はそこで馬を停めた。相手は提灯をあげてこちらを見た。
「通れ、――」大道寺九十郎が云った、「おっ、茂庭の宗城だな」
「宗城孝也だ」と彼は馬上から云った。
「なんの用だ」日野数右衛門が云った、「果し合の取消しか」
 やっぱりそうか、と孝也は思った。
「そうではない、時刻の変更だ」と孝也は云った、「十時では人が邪魔に入るかもしれない、もっと早朝にしたいのだ」
「きさま助勢する気か」
「おれ一人だ」と孝也は云った、「西秋は来ない、おれ一人だ」
「早朝とはなん刻だ」数右衛門が云った。
「四時なら明けている、四時ではどうだ」
 二人は眼を見交わした。
「よかろう」と数右衛門が云った、「明朝四時松山の砦跡とりであとだぞ」
 孝也は馬を返した。
 その夜、孝也は二通の手紙を書いた。一は掃部介信高、一は西秋泰二郎に。それから外へ出て、熊の仔のおりのところへいった。あれからまもなく、弥六が檻を作って、その中へ熊の仔は入れられていた。
「おい、どうしたちび、元気か」
 孝也は檻の前にかがんだ。仔熊は眠っていたらしい。だがすぐに眼をさまし、餌でもれると思ったものか、喉を鳴らしながら、がたがたと檻を揺すった。
「お母さんのところへ帰してやるぞ」と孝也は云った、「おれは両親のところへ帰る、たぶん帰ることになると思う、だからおまえも帰らしてやる、わかったかちび
 檻の戸口は藤蔓ふじづるで絡げてあった。孝也は脇差を抜いてそれを切り、戸口をあけた。仔熊は出て来て彼を見あげた。仔熊の眼が青白く光った。どうやら遊ぶつもりらしく、威嚇の唸り声をあげながら、彼の足へとびかかって来た。
「ふざけるんじゃない、帰るんだ」孝也は立ちあがった、「さあ、山へ帰るんだちび、こっちへ来い」
 孝也が歩きだすと、あとからじゃれながらついて来た。彼は茶畑をぬけてゆき、裏の生垣の隙間から仔熊を出してやった。その外はすぐに山へ続く叢林そうりんである、仔熊のがさがさ暴れる音が、遠のいてゆくのを聞きすましてから、孝也は戻って、召使長屋を叩き、弥六を呼びだした。弥六はもう寝ていたとみえ、寝衣ねまきの上に半纒はんてんをひっかけて出て来た。
「こっちへ来てくれ」
 孝也は長屋から離れた。弥六は黙ってついて来た。孝也はふところから封書を出して、弥六に渡した。
「明日の朝七時になったら、これを西秋に渡してくれ」と孝也は云った、「おれは用事ができて早くでかける、七時まえではいけない、七時になったら渡すんだ、わかったか」
「わかりました」と弥六が答えた。
「ほかの者には黙っていてくれ」と孝也が云った、「いいか、七時だぞ」
「七時になったら渡します」
「頼む、起こして済まなかった」
 弥六は長屋へ戻り、孝也は住居へ帰った。部屋の中をすっかり片づけ、不要な物は焼いた。机を直して信高に宛てた封書を置き、それから着たままで横になった。気持はおちついていた。二月のあの日、道円に病気の宣告をされて以来、そんなに気分のおちついたことはなかった。薬の切れる時刻を過ぎていたが、ふしぎに痛みの起こるようすもなく、彼は少しのあいだ眠りさえした。
 午前三時まえ、孝也は水を浴びて、身支度をした。薬は二服を一度にのみ、香を※(「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40)いて、やや暫く静かに坐った。
「これでいいな」と孝也はやがて呟いた、「これでよし」
 彼は立って行燈を消した。


 地上には濃いもや揺曳ようえいし、空には白く月がかかっていた。坂を登りつめる少し手前で、孝也は馬からおり、馬を繋いだ。そして、そこでゆっくりと身支度をした。たすきをかけ汗止をし、袴の股立をしぼり、草鞋わらじの緒をしらべた。右足の足首から先は、痺れていてまったく感覚がない。だから充分に踏みこたえたり、敏速にとび込んだりすることはできなかった。激しい力を加えれば、すねのどこかで骨が折れるかもしれない。右足の骨は病気におかされて、朽木のようにもろくなっているのである。孝也は丹念にその足の踏みようを慥かめ、それから坂道ではなく、松林をぬけながら斜面を登っていった。
 約束の時刻よりかなり早い、まだ来てはいないだろう。こう思いながら登りつめると、うしろで馬のいななくのが聞えた。いま繋いで来た馬である、まるで別れを惜しむかのように、続けて三度ばかり嘶いた。孝也は振返った。馬のほうではなく、もういちど茂庭家を見ようとして、――だが、まえよりも靄が濃くなったようで、視界はぼうと灰色に塗りつぶされ、屋敷の白壁も、標の樅ノ木も見ることはできなかった。
「ではさよなら、桂」孝也は口の中で云った、「どうか仕合せで、――」
 孝也は砦跡のほうへ出ていった。登って来た斜面はまだ薄暗かったが、平らにひらけたそこはすっかり明るく、靄は地面をっているだけであった。孝也は西の空を仰いで、光りをなくした白い月を見た。
 砦跡の道へ寄ったほうに、日野と大道寺が立っていた。
 かれらは来ていたのである。かれらはすでに来ていて、馬の嘶きを聞きつけ、孝也の来たことを知り、孝也の現われるのを待っていたのであった。孝也が二人を認めたとき、二人はこっちへ向って歩きだした。大道寺は右、日野は左、九尺ばかり離れて近づいて来る。
 孝也もすり足で前へ出ていった。
「なるほど」と日野数右衛門が云った、「なるほど一人だな、あっぱれだ」
 孝也は黙って進んだ。一歩、一歩と、すり足で、静かに、――二人は足を停めた。間隔はほぼ四間、大道寺が抜き、日野が抜いた。大道寺九十郎の刀は寸延び厚重ねの剛刀であった。孝也も抜いた。
「いいか」日野数右衛門が云った、「云うことはないか」
 孝也は黙って、なお前へ進んだ。間合が二間ばかりになったとき、孝也が云った。
「数右衛門」と彼は云った、「おれの教えた手を忘れるな」
 日野の唇がまくれて歯が見えた。大道寺が前へ出た、大道寺は(右側から)仕掛ける姿勢をみせた。孝也はまっすぐに日野をにらみ、一歩、一歩と日野に向って進んだ。
 日野数右衛門の顔がさっと怒張した。孝也はするどく叫んで刀を右へ振った。それは(間合を詰めて来た)大道寺の面上へとぶかとみえた。大道寺九十郎ははじかれたようにとび退き、日野が絶叫して踏み込んだ。孝也はそれを期待したのだ、日野は絶叫し、刀を上段から打ちおろしながら踏み込んだが、踏み込んだ勢いのまま「ひっ」と悲鳴をあげて転倒した。丸太を倒すような倒れかたで、すぐに脾腹ひばらを押えながら起きあがろうとしたが、唸り声をあげてぐっと(地面の上で)身をちぢめた。脾腹を押えた手がたちまち血に染まっていった。
 大道寺は離れたまま見ていた。彼は右手を高くあげてなにやら叫んだ、誰かに合図をしているようである。孝也ははっとした。坂道に馬蹄ばていの音がした。――念のために伏せるだけ伏せよう。
 孝也はその言葉を思いだした。「藤十」の隣り座敷で、かれらがそう話していた。――伏勢がいる。
 孝也はそう思った。馬蹄の音は坂を登って来る。大道寺は孝也の右へまわった。孝也はその位置のままそちらへ構え直した。するとうしろで糸をひくような風音がし、左の背中へ矢が射込まれた。孝也は前へよろけた、そこへもう一矢、腰骨の上のところへ射込まれ、孝也ががくっと膝をつくと、とび込んで来た大道寺が右の肩へ斬りつけた。
 ――弓だったか。
 孝也はそう思いながら倒れた。大道寺の二の太刀をよけようとして、本能的に振向くと躯がぐらっと仰向きになり、胸と腹とで(射込まれた)矢が内臓を突き破った。孝也は苦痛のあまり息が詰り、眼がくらんだ。馬蹄の音と、大勢の喚く声が聞え、誰かが脇へ来て、ひきつった調子で孝也の名を呼んだ。
「西秋だな、早すぎた」孝也は云った、「あいつ、約束をやぶったな」
 孝也は眼をあいた。西秋泰二郎の顔が眼の前にあった。泰二郎の頭の横に、高い空の白い月が見えた。
「私がむりに訊きだしたのです」と泰二郎が云った、「すぐに庄司や益島たちと馬で駆けつけたのですが、ひと足おそかった、宗城さん、貴方はどうしてこんなことをしてくれたんですか」
「おちつけ」と孝也が云った、「大道寺らはどうした」
「彼は仕止めたが、ほかの者は逃げました」
「二人だけで話したい」
 孝也は喘いで、右手をゆらっと振った。泰二郎は振返った、そこには益島弁三郎、宮原忠兵衛、庄司勇之助たちと、ほかに上位の門人が五人(みんな武装して)立っていた。かれらにも孝也の言葉は聞えたので、泰二郎がめくばせをすると、静かにそこから遠のいていった。
「おれの足を見ろ、右の足だ」孝也が云った、「どうしてか、という理由は、それだ」
「ああこれは、宗城さん」
「触るな、それは脱疽だっそというのだ、おれはもうこのままでも、五十日とは生きられない躯なんだ」
「脱疽ですって、あの骨も肉も腐る、――」泰二郎は息をのんだ、「しかし、いつからです、いつからこんな病気にかかったのですか」
「そうと宣告されたのは二月だ」
 泰二郎は「ああ」という眼をした。
「では――それで貴方は」
「おれはうまくやったと思う」
「宗城さん、それでですか」突然、泰二郎の声がふるえだした、「それで貴方はあんなふうにしたんですか」
「うまくやったと思わないか」
「それはひどい、あんまりだそれは、宗城さん」
「よく聞け」孝也が云った、「おれは死ぬ躯だ、持てるものは持ってゆかなくちゃならない、はっきり云えなくなった、――こうだ、おれが自分を醜くすれば、あとが美しく纒まる、あのひとの気持には、もうおれは残ってはいないだろう、西秋、――あのひとを頼む、茂庭のあとを頼む」
 泰二郎の喉へ嗚咽がつきあげた。
「手紙を読んだな」孝也が云った。
 泰二郎は泣きながら頷いた。
「泣くな、これで万事おさまるんだ」と孝也は云った、「郡奉行へ届ければ、もう坪田も悪あがきはすまい、おれはいい死に場所に恵まれたんだ、おれは、――この病気、このくそいまいましい病気では、死にたくなかった。西秋、どうか病気のことを知れないようにしてくれ、この病気を知れないように、このまま焼くか埋めるかしてくれ、約束できるか」
「約束します」
「それでいい」孝也は頷いた。
「宗城さん」
「あのひとを頼む」と孝也は云った、「――熊の仔はおれが放した」
 泰二郎は孝也の手を握った。孝也の呼吸は止った。泰二郎は孝也の手を握ったまま激しく泣きだした。靄は殆んど消えていた。





底本:「山本周五郎全集第二十五巻 三十ふり袖・みずぐるま」新潮社
   1983(昭和58)年1月25日発行
初出:「キング」大日本雄辯會講談社
   1954(昭和29)年8月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2022年7月27日作成
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