つばくろ

山本周五郎





 吉良の話しがあまりに突然であり、あまりに思いがけなかったので、紀平高雄にはそれがすぐには実感としてうけとれなかった。
「話したものかどうかちょっと迷ったんだけれど、とにかくほかの事とは違うからね」
 吉良節太郎はつとめて淡白な調子で云った。
「なんでも梅の咲きだす頃からのことらしい、七日おきぐらいに逢っていたというんだが、そんなけぶりを感じたことはなかったのかね」
「まるで気がつかなかった」
「だって七日おきぐらいに外出していたんだぜ」
「願掛けにゆくということは聞いていた、たしか泰昌寺の観音とか云っていたように思うが」
「それが不自然にはみえなかったんだね」
 吉良はこう云ってから、ふと頭を振り、口のなかで独り言のようにつぶやいた。
「いかにも紀平らしい」
 それは彼が高雄に対してしばしばもらす歎息であった。高雄の弱気に対して、善良さに対して。感動したばあいにも、またとがめるようなときにも、そう歎息することで彼は自分の気持を表現した。高雄は眼を伏せたまま遠慮するようにきいた。
「それで、相手も見たのかね」
「見たよ、森相右衛門の三男だ、知っているだろう、森三之助」
「――と云うと、たしか江戸へいった」
「ゆかなかったんだな江戸へは、現におれがこの眼で見ているんだから」
 そこで吉良はちょっと口をつぐんだ。こちらの話すことが高雄をどんなにいためつけるか、どんな苦しみを与えるかは初めからわかっていた。しかしこんどの事はへたにいたわったり妥協したりしてはいけない。どんなに残酷であっても、傷口のまん中を切開し、腐った部分をきれいにき出してしまわなければならない、このばあいは無情になることが彼に対する友情なのだ。こう思いながら、吉良は事務的な口ぶりで云った。
「伊丹亭の者はまだなにも知らない、ほかにも気づいている者はないだろう、いまのうちに片をつけるんだな、狭い土地のことだからこのままいくと必らず誰かの眼につく、そうならないうちに始末をつけるんだ。……おれで役に立つことがあったらなんでもするよ」
 吉良の家を出てしばらく歩くうちに、高雄はからだに不快な違和を感じた。発熱でもしたようで、頭がぼんやりし、ひざから下がひどく重かった。
 ――吉良がその眼で見た。
 ぼんやりした頭のなかで絶えずそういう声が聞えた。自分でない誰かほかの者が呟やいてるように、よそよそしい調子で、繰り返し同じ声が聞えるのであった。
 ――吉良が自分でつきとめた。
 ――どうにか始末しなければならない。
 ――だがどうしたらいいのか。
 意識はしびれたように少しも動かなかった。まるで白痴にでもなったように、集中してものを考えることができず、想うことが端からばらばらに崩れ、とりとめのない断片ばかりが、休みなしにからまわりをするだけだった。
 家へ帰って妻の顔をどう見たらいいだろうか。平静でいることができるだろうか。
 彼はそれを案じた。だが思ったより心は穏やかで、夕餉ゆうげも平生のとおり大助といっしょにった。妻のようすにも変ったところはみえなかった。かえって明るく元気なふうでさえあった。……大助は半月ほどまえから自分で喰べるようになったが、まださじが自由に使えないので、顔じゅうを飯粒だらけにし、口へ入れるよりこぼすほうが多かった。へたに手を出すと怒るので、うまくだましだまし介添をしてやるのだが、顔に付いたのを取ったりこぼしたのを拾ったりする妻のようすは、若い母親の満足と喜びにあふれているように思えた。
 ――寝るまえに話そう。
 高雄はそう思った。あっさり云いだせるような気持だったが、いざそのときになると云いだすことができなかった。役所から持って来た仕事を机の上にひろげ、筆を持ったが、そのまま机にもたれてぼんやりと時をすごした。
 自分では気がつかなかったが、そのときすでに彼の苦しみが始まっていたのである。それは効きめの緩慢な毒が血管を伝わって徐々に組織を侵すように、じりじりとごく僅かずつ、時間の経過につれてひろがり、むしばみ、深く傷つけていった。……三日ばかりのあいだに彼はせて、顔色が悪くなり、食事の量も少なく、ひどい不眠のあとのように眼が濁ってきた。
「おかげんでもお悪いのではございませんか」
 おいちが心配そうにたずねた。
「――おれか、……」
 高雄は妻のほうへ振向いた。それは吉良から話しを聞いて五日目の朝のことで、彼はちょうど登城の支度を終ったところだった。振向いて妻を見たとき、彼の胸のどこかにするどい痛みが起った。
 おいちは青みを帯びたきれいな眼でこちらを見あげていた。五尺そこそこの小柄な躯つきであるが、ぜんたいの均整がよくとれているので、立ち居の姿はかたちよくすらっとしてみえる。きめのこまかい膚はいつも鮮やかに血の色がさしていて、濡れたようになめらかな薄紅梅色の唇とともに、まるでそだちざかりの少女のような、あどけないほど柔軟で匂やかななまめかしさをもっていた。
 ――ちりほどのよごれもないこのきれいな眼が、……少しの濁りもないこの柔らかな肌が。
 高雄は云いようのない激しい感情におそわれ、おれか、と反問しかけたままで顔をそむけた。そのときつきあげてきた感情は生れて初めて経験するものだった、苦しいとも悲しいとも寂しいとも形容できない、自分ではまったく区別のつかない、しかし非常に激しいものであった。……玄関へ出ると、おいちは大助を抱いて送りに出た。高雄の気持がわからなかったのだろうか、式台へ膝をついてこちらを見ながら云った。
「わたくし今日は泰昌寺へ参詣さんけいにまいりたいのですけれど、よろしゅうございましょうか」
「いや今日はいけない」
 高雄は向うを見たままで答えた。
「今日は早く帰って来る、話しがあるから、どこへも出ないでいて貰いたい」
 はいというおいちの声は消えるように弱かった。高雄は硬ばった肩つきで、妻のほうは見ずに玄関を出た。そのうしろへ大助の舌足らずな声が追って来た。
「たあたま、おちびよよ、よよ」


 泰昌寺という妻の言葉が、反射的に彼の決心を促したようだ。城へあがるとすぐに支配へ届けをし、ひるの弁当をつかわずに下城した。……決心はしたものの、心は重くふさがれ、刺すような胸の痛みは少しも軽くならなかった。帰る途中でなんども立停り、白く乾いて埃立ほこりだった道のおもてを眺めながら、彼はふと無意識に頭を振ったり、思い惑うように溜息ためいきをついたりした。
 おいちは家にいた。
「食事はいらない、おまえ大助と済ませたら居間へ来てれ」
 高雄は着替えをしながらこう云った。妻の顔を見ることができなかった。返辞を聞くのも耐えがたいようであった。
 居間へはいった彼は、机に向って坐り、あけてある窓から外を眺めた。おちつかなければいけないと思った。……そこは東北に向いた横庭で、亡くなった父の植えた岳樺だけかんばが五六本あるほかは、袖垣のいばらが枝をのばしたのや矢竹のやぶなどが、手入れをしないので勝手に生えひろがっている。岳樺は寒い土地の木で、こんな処では根づくまいといわれたのだが、植えたときからみると倍以上にもそだち、今も若枝にみずみずと、柔らかそうな双葉が出そろって、春昼の日光をきらきらと映していた。
「――おいち、……おいち
 高雄はそっと口のなかで呟やいて、そうして机にひじをついて、眼をつむった。
 彼女は貧しい鉄砲足軽の一人娘だった。父親は幸助といってたいそう好人物だったらしい。妻がながいこと胃を病んで、ずいぶん貧窮していたところへ、幸助がまた卒中で倒れた。母親がながいあいだ寝ていたので、おいちは八九歳のころから炊事や洗濯をし、かたわら近所の使い歩きや子守りなどもして家計を助けていた。父の倒れたのは十三歳の秋であったが、そのじぶんには糸針を持って巧みに繕ろい物をし、またしばしばよそから頼まれて、解き物や張り物などの手伝いにいった。両親の世話をしながらのことで、どんなにか苦労だろうと思われるのに、そんなふうは少しも人にみせなかった。明るい顔つきではきはきして、いかにもすなおであった。背丈は小さいが縹緻きりょうはかなりいいし、気はしがきくので誰にも可愛がられた。
 幸助が倒れてからまもなく、まわりの人々がおいちに縁談をもって来はじめた。おいちはまだ十三であったが、一人娘だから形式だけでも婿を取って、いちおう相続の届けを出すのが常識である。そういう話しの出るのは当然なのだが、十三のおいちがそのことだけは固く拒んだ。
 ――わたくしは一生ふた親の面倒をみてくらします。
 たとえかたちだけでも親子三人の生活を変えたくないという気持らしい。父親の幸助もそれに同意とみえて、かなりいい縁談にもはかばかしい返辞をしなかった。
 ――久尾の家名などといっても、しょせんは高の知れた小足軽のことだし、へんな者を婿にして、ゆくさきおいちに苦労させるのも可哀そうだから。
 卒中でよく舌のまわらない幸助は、そんなふうに云ってどの話しをも断わった。……その頃は世の中が一般に爛熟期といったぐあいで、貧富の差もひどく、人情風俗も荒れていた。貧しい多数の人たちが餓えているのに、富裕な者はその眼の前で贅沢三昧ぜいたくざんまいをして恥じない。武家でも富んだ町人から持参金付きの嫁や婿を入れて、それがさほどまれなことではなくなっていた。……男女間の風紀などもとかくみだれがちで、いろいろといやなうわさが多かった。幸助が婿養子の話しに乗らなかったのは、こういう世相から推して、来て呉れる人間に信頼がもてなかったらしいのである。
 おいちが十五歳の春に幸助が死に、ほんの三月ほどして、あとを追うように母も亡くなった。その少しまえから、おいちは縫い物や解き物をしに、紀平の家へしばしば来た。高雄は知らなかったが、母の伊世がひじょうな気にいりで、特別にひいきだったらしい。父の雄之丞もむろん同意のうえだったろうが、おいちが孤児になるとすぐ、母の実家の青野へ彼女を預け、そこで十八まで教育したうえ、青野を仮親にして、高雄の嫁に迎えた。
 紀平へ来てから二年ばかりは、おいちは悲しそうな浮かないようすであった。この結婚が気に入らないのかとも思えた。母はいろいろ心配したようであるが、高雄は殆んど無関心であった。
 一年半ほどして父の雄之丞が亡くなり、その翌年の夏に、母も烈しい痢病で死んだ。そのときのおいちの歎きようは異常であった。こんなにも母を慕っていたのかと、高雄が眼をみはるほど歎き悲しんだ。……あとで思うと、そのときおいちは身ごもっていたので、そんなことも影響したのかもしれない。そうしてそれを機縁のように、おいちは初めて高雄に心をよせてきた。性質もしだいに明るくなり、家事のとりまわしもきびきびするようになった。
 大助を産んでから、おいちはさらに美しくなっていった。それは堅い木の実の殻が破れて新鮮な果肉があらわれたという感じである。膚は脂肪がのっていよいよつややかに、しっとりと軟らかい弾力を、帯びてきた。自信とおちつきを加えた眸子ひとみは、ときに驚くほどなまめかしい動きかたをする。生命と若さのあふれるような、みずみずしい妻の姿に、高雄は初めて女の美しさをみつけたような気がした。
「――そのおまえが、……おいち、そのおまえが、おれの知らないところで……」
 高雄は眼をつむったまま、そっとこう呟やいて、苦しさに耐えないかのように、あえいだ。
 廊下を妻の来るのが聞えた。
 その足音はいつもの妻のものではなかった。弱々しくためらいがちな、爪尖つまさきで歩くようにさえ聞えた。高雄は妻が坐るまで黙っていた。それから眼をあいて岳樺の枝を見あげ、薄くかすみをかけたような空の青を眺めた。
「――おまえにききたいことがある」
 彼は妻に背を向けたままで云った。
「――私もききにくいし、おまえも答えにくいだろうと思うが、とにかく、正直に返辞をして貰いたい」
 おいちははいと云った。低くかすれた声ではあるが、すでに覚悟をきめたという響きがあった。高雄はくじけそうになる自分に鞭を当てる気持で、思いきって妻のほうへ向きなおった。しかしそのとき、廊下をばたばたと大助が走って来た。
「たあさま、かあかん、ちばめよ、ちばめがおちかけたのよ、ちばめのおちよ」
 まわらない舌で叫びながら、走って来て、母親の肩をつかみ、昂奮こうふんして赤くなった顔で父を見て、せいせい息をきらして云った。
「ほんとよたあさま、いやっちゃい、ちばめがおちかけたのよ、早くよ、ねえかあかん」
「よしよしわかった」高雄は子供に笑いかけてうなずいた、――「父さまはいま御用があるから、母さんと先にいっておいで、あとからすぐにゆくよ」
 おいちはとびたつように立った。まるで囚われた者が解放されたように、大助を抱きあげて小走りに出ていった。
 高雄は窓のほうへ向きなおり、机へ片手を投げだしながら溜息をついた。ふしぎなことに彼自身も救われたような気持だった、それは不決断でありみれんであるかもしれない、単に時間を延ばしたにすぎないのであるが、彼はほっとして、もう少し待ってみようと思った。――人間はみなそれぞれの過去をもっている、ただ現在の事実だけで責任を問うわけにはいかない、男女関係は特に微妙なのだ、もう少しようすをみていよう、こう考えたのであった。
 おいちはまもなく戻って来た。大助を抱いたまま、廊下からおずおずと云った。
「脇玄関の中へ燕が巣をかけましたの、払わなければいけませんでしょうか」
「そのままでいいだろう」高雄はこう云いながら、振返って子供を見た、「――そうか、おちというのはお巣のことだったのか、大さんの云うことはわからないねえ」
「あのちばめだいたんのだね、たあたま」
「うん大さんのだ、そしてこれからはずっと毎年やって来るよ」
「だいたんのだかだだね」
「そうだ、大さんの燕だかだだ」
 良人おっとの軽い口ぶりを聞いて、おいちは声をあげて笑いだし、大助に激しく頬ずりをしながら、そしてむせるように笑いながら去っていった。


 もちろんそれで事が解決したわけではない、彼の胸にできた傷は絶えず痛み、時をきってするどい苦痛におそわれる。夜の眠りは浅いし、無意識に溜息をついたりうめきごえをあげたりした。ふとすると兇暴に妻を責める空想にふけっていることもあり、なにもかも投げだして山へでも逃げたいと思うこともあった。
 これらは生れて初めての経験であって、その苦痛の激しさと深さはたとえようのないものであった。
 ――だがこの苦しさには馴れてゆけるだろう。
 彼はそう思った。人間はたいてい悪い条件にも順応できるものだ、辛抱づよいことでは彼は自信がある。自分が苦しむだけで済むなら、それで誰も傷つかずに済むなら、必らず耐えぬいてゆけると思った。
 ――残る問題はおいちの気持だ。
 相手は森三之助だという。かれらがどうして知りあい、どこまで深入りしているのか、相手はとにかくおいちはどう思っているのか。それだけはどうしてもはっきりさせなければならないだろう。……だがそうだろうか、二人に逢う機会を与えないで、このままの状態で、時間が解決して呉れるのを待ってもよくはないか。
 燕が脇玄関に巣をかけた日から、高雄はこのように思い惑い、苦しい悩ましい時を送った。だがそれからちょうど四日めに、とつぜん思いがけない出来事が起った。
 その日は下城のあとで役所の支配に招かれていた。正満文之進というその支配は四十三になるが、結婚して十四年めに初めて男の子をもうけた。
「まるで大将首を拾ったような気持でね」
 彼は相手構わずそう云って喜んだ。その出生祝いに招かれたのであるが、老職も三人ほど来て、酒宴は思いのほか長くなった。高雄は上役の人たちのあとから辞去したので、正満家の門を出たのは十時に近かった。……正満の家は三条丸にある、そこから下北丸の自宅まで帰るには、大手道と的場跡をぬけるのと二つある、的場跡の脇をぬけるのは裏道だが、そのほうが早い。下僕は先に帰らせたので、高雄は自分で提燈ちょうちんを持って、その裏道を帰途についた。
 的場跡は二万坪ばかりの広さで、今では石や材木の置場に使われている。周囲には古いしいの木やかしならなどが、さくのように幹を接し枝をさし交わし、その向うに荒れた草原がひろがっていた。……そこは武家屋敷の西の外郭に当る。道幅も六間ほどあって、ぐるっと的場跡を半周することができた。
 月のえた晩であった。片側の樹立の枝葉が、道の半ばまで鮮やかに影をおとしていた。あまり月が明るいので、高雄は提燈を消そうと思って立停った。そのときうしろに尋常でないもののけはいを感じ、反射的に振り返るなり、あっと云って、持っていた提燈を投げながら、彼は横へ跳んだ。
 うしろからはだしでけて来たらしい、覆面をした男の躯と、頭上へ襲いかかる刀の閃光せんこうとが、振り返る高雄の眼いっぱいにかぶさったのである。
「なにをする、待て」
 横っ跳びに道の一方へ避け、自分の顔を月のほうへ向けて彼は叫んだ。
「人ちがいするな、紀平高雄だ」
 男は樹立の陰にいた。その二間ばかり左で、ほうりだされた提燈が燃えている。相手は誰とも見当はつかないが、覆面しているのと、はだしになった足袋の白さとが、烈しい殺気を表白するようにみえた。
「人ちがいではないのだな」
「――――」
「名を云え、誰だ」
 高雄は危険を感じて刀を抜いた。そのとき相手はつぶてのように斬り込んで来た。少しも声をあげない、息を詰めて、殆ど捨て身の動作で、しゃ二無二斬り込み、斬り込み、そして斬り込んだ。
 ――あ、そうか。
 高雄は樹立の中へとびこみながら、思わず心にそう叫んだ。そうだ、その人間のほかに自分をねらう者はない、彼だ。こう思い当ると高雄はとつぜん激しい怒りにおそわれた。
「わかった、森三之助だな」
 彼がそう叫ぶと、相手の躯が戦慄せんりつするようにみえた。高雄は自分の声に自分で闘志をそそられ、さっと明るい路上へとびだした。
卑怯者ひきょうもの、そんなにおいちが欲しいならやってみろ、そうむざむざと斬られはしないぞ」
 相手は呻きごえをあげた。絶体絶命と思ったらしい、やはり声はださなかったが、まるで逆上したように突込んで来た。
 ――斬ってやろう。
 高雄はそう思った。だが、次の刹那せつなに、相手が激しくのめって、顛倒てんとうした。どこか骨を打つような音が聞え、刀が手から飛んだ。すぐはね起きるふうだったが、どうしたのか、そのままがくっと地面に伏し、苦しそうに足を縮めてあえいだ。
 そのみじめな姿を見たとき、高雄の怒りは水を浴びたように冷めた。
 ――逃げろ、今なら逃げられるぞ。
 高雄は刀を持ったまま走りだした。


 紀平高雄の弱気は知らない者はなかった。吉良節太郎とはごく幼ないころから、誰よりも親しくつきあい、互いに深く信頼しあっていたがその吉良でさえ彼の弱気にはしばしばかんを立てた。近ごろではあきらめたようすで、そんなことがあっても、相変らず紀平らしいな、こう云って苦笑する程度だが、以前はよく怒って意見をしたものであった。
 的場跡から家へ帰ったとき、彼はもうすっかりおちついていた。むしろ異常な昂奮のあとの、しらじらとかなしいような気持であった。けれども着替えをしたとき、脱いだ物をたたんでいたおいちが、あ、と低く叫ぶのを聞き、なにげなく振返って、おいちの手にあるはかまを見た刹那に、再たび怒りがこみあげてきた。
 袴の腰下が横に一尺ばかり切れていたのである。高雄はやや乱暴に着物を取ってひろげてみた。着物もその部分が切れていた。
 ――なんというやつだ。
 高雄は激しい怒りのために息が詰りそうだった。おいちも震えていた。およそ事情を察したのだろう。ひろげた袴の上へ手をついて、頭を垂れたまま震えていた。
「おれは闇討をかけられた、誰が闇討をしかけたか、おまえにはわかっている筈だ、おいち」彼はこう云ってそこへ坐った、「――おまえは今夜のことを知っていたのではないか」
 おいちはうなだれたまま頭を振った。
「正直に云え、正満から帰る途中にやるとおまえは森から聞いていたのではないのか」
 高雄の声は激しかった。おいちはその声にうち伏せられるかのように、ううと声をあげて前へのめった。前のめりに倒れると、片方の腕がぐらっと力なく投げだされて、そのまま動かなくなった。
「――おいち、おいち
 彼はすり寄って呼んだ。妻の顔は血のけをうしなって硬ばり、固く歯をくいしばっていた。悶絶もんぜつしたのであった。……高雄は茶碗に水をんで来て、妻を抱き起して、くいしばった歯の間から口の中へ注ぎ入れてやった。
 息をふき返したおいちは、ようやく身を起したものの、正しく坐ることができないとみえ、両手を畳について、それでも不安定に半身をぐらぐらさせていた。
「今夜はきかなければならない、どうして彼と知りあったのだ、二人はどんな関係になっているんだ、正直に云って呉れ」
 おいちは荒く息をついていた。だが悶絶するほどの苦しみを経て、覚悟はきまったのだろう、低くかすれた、うつろな声で、とぎれとぎれに云い始めた。
「――あの方に、松葉屋のあめをさしあげました、それから、米屋のお饅頭まんじゅうも……」
 なにを云いだすのかと思ったが、それがおいちの告白の最初の言葉であった。
「――あの方は御三男で、そのうえ、ほかの御兄弟とは、お母様が違うのです、……あの方はみなさんとは別に育てられ、下男たちと同じ長屋に、独りで寝起きしていらっしゃいました、……あの方はいつも独りで、淋しそうに、悲しそうに、……窓から外を眺めておいででした」
 森三之助が相右衛門の妾腹しょうふくの子だということは、おいちは森家の下婢かひから聞いた。そのころ十三になっていたおいちは、まえに記したような事情で、森家へもしばしば頼まれ物でゆくうち、三之助の不幸な身の上を知ったのである。……おいちは彼が哀れで堪らなかった。彼は小遣などは貰えないで、自分に宛がわれたその長屋のひと間で、なにかの写し物をしていたり、ぼんやりと窓から外を眺めたりしていた。
「あの方がどんなに淋しく、悲しい気持でいらっしゃるか、わたくしにはよくわかりました、わたくしも貧しく、苦しい辛いくらしをしていましたから、……あの方がどんなに不幸でいらっしゃるか、わたくしには自分のことのようにわかりましたの」
 不幸を経験した者でなければ、不幸の本当の味はわからない。おいちは彼の上に自分の哀れさをみた、慰さめてやらずにはいられなくなった。そして或日、おいちは乏しい銭で松葉屋の飴を買って、彼にった。
「あの方は初めてのときは、そんな物は要らないと云って、怒ったように脇へ向いてしまいました、……あの方はからかわれたと思ったそうですの、……あの方が十九、わたくしが十三のときでございました」
 三度まで彼は受取らなかった。三度めにおいちは泣いて帰った、そして四度めに、初めて三之助はおいちの贈物を取った。
 ――これではあべこべだね、でも貰うよ、有難う。
 彼はそう云って、泣くような笑い顔をした。そしてこっちの気持がわかったのだろう、それからはいつもおいちの持ってゆく物を喜んで受取った。こちらの境遇が境遇なので、むろんそういつもというわけにはいかなかった。だがおいちは身を詰めるようにして小さい智恵を絞って、できるだけ彼を慰さめることに努めた。城下で名の高い米屋の饅頭なども、幾たびか持っていって彼を喜こばせた。
 ――美味うまかったよ、話には聞いていたが食べるのは初めてだ、やっぱり評判だけのことはあるね、有難う。
 初めてその饅頭を食べたときの、三之助の嬉しそうな顔は、おいちには長く忘れることができなかった。……高雄の母のとりなしで、青野へひきとられてから、おいちはもう三之助を訪ねることはできなかった。新らしい生活を身につけることでいっぱいだったし、時の経つうちにしぜんと忘れていった。そうしておいちは紀平家の嫁になったのである。
 今年の一月の下旬、おいちは大助の虫封じに泰昌寺へ参詣をした。その帰りに三之助に呼びとめられ、彼に強いられるままに、蘆谷河畔の伊丹亭という料亭にあがった。
 三之助はひどく痩せて、蒼白あおじろい顔になり、しきりに咳をしていた。彼は初めから昂奮しておちつかないようすだったが、坐ってまもなく思い詰めたような表情で、意外なことを云いだした。
 ――私は今では逃亡者なんです。
 彼はまずこう口を切った。前の年の暮に彼は婿の話しが定った、先方は江戸邸の者で、五石三人扶持ぶちくらいの徒士かちだという。それもいいが話しのまとめかたが乱暴で投げやりで、下僕たちまでが「厄介ばらいだ」などと蔭口をきいていた。そして正月になるとすぐ、若干の金を呉れ、殆んど着のみ着のままで、江戸邸のこれこれという者を訪ねてゆくようにと、命令するように云われたのであった。
 三之助は江戸へはゆかなかった。ゆくとみせて城下にひそんでいた。二十七歳まで耐え忍ぶ生活をして来た彼は、そのとき初めて怒ったのである。その怒りがそのままおいちへの思慕に変った。彼はおいちに会って、自分の不幸を訴たえたかった。おいちならわかって呉れるだろう、そしてあのころのように温たかく慰さめて、今後の相談相手にもなって呉れるだろう。……こう思ってひそかに機会を待ち、ようやくその日にめぐりあえたという。……彼の話しをおいちは泣きながら聞いた、そしてやはり江戸へゆくようにとすすめたのである。
 ――このままではゆけない、もういちど会って下さい。三之助はそうせがんだ、おいちは拒むことができなかった。日を定めてまた会い、そしてまた次の日を約束させられた。
 ――私に愛情をみせて呉れたのは貴女ひとりだ、私に持って来て呉れたあの菓子が、どういう銭で買われたものか私はよく知っていた、私がどんなに嬉しかったか貴女にわかるだろうか、……持って来て呉れる菓子よりも、そうして呉れる貴女の気持が、私にとってどんなに嬉しかったか。
 ――このひろい世の中に、私には父も母もない、兄弟も友達もない、私には貴女だけだ、貴女は私のたった一人の人だ。
 彼の言葉は会うたびに激しくなるばかりだった。
 ――もう貴女なしには生きてはゆけない、生きてゆきたくもない、どうか私のところへ来て下さい、紀平さんは身分もよし裕福で、あんな可愛い子供まである、紀平さんにとっては貴女が全部ではない、しかし私には貴女が全部だ、貴女に別れるくらいなら私は死ぬことを選ぶ、私のところへ来て下さい、貴女にはこの気持がわかる筈だ、どうか私をこれ以上不幸にしないで下さい。
 おいちには彼を突き放すことができなかった。現在の満ち足りた生活が、彼に対して罪であるかのように思えた。
「あの方がどんなにお可哀そうか、わたくしにはよくわかりますの、わたくしも小さいときから苦労してまいりました、世の中の冷たさ、人々の無情さ、……苦しい辛い日々、云いようのない貧しさ、……おいちはそういうなかで育ちました、あの方を慰さめてあげ、あの方の支えになってあげられる者は、わたくしのほかにはございません、ほかには一人もいないのでございます」
 おいちはこう云って、たもとをきりきりとんで、声をころして泣きいった。高雄は眼をつむっていた。怒りは消えたが、怒りよりも耐え難い悲しさ、絶望といってもよいほどの悲しさが、彼の全身をひたし、呼吸を圧迫した。
「――わかった、それでよくわかった」
 高雄はやがて口をきった。云いたいことがのどへつきあげてくる、思うさま声をあげて叫びたい、喚き、どなって、胸にあるものを残らず吐きだしたかった。しかし彼には出来なかった。けんめいに自分を抑え、できるだけ平静な声で、静かに続けた。
「――私にも云いたいことはある、だが、それは云わなくとも、おまえにはわかっているだろう、……だから、ここでは、いちばん大事なことだけを話そう」
 彼は眉をしかめ、ちょっとどもって、だがやはり穏かに言葉を継いだ。
「――私が苦しんだように、おまえも、そして森も苦しんだろう、……私だけが苦しんだとは思わない、三人とも、お互いに苦しんで来た、おいち、……この苦しみを活かす法を考えよう、今いちばん大事なのは、それだと思う……この苦しみをむだにしてはいけない、これをどうきりぬけるか、お互いが傷つかぬように、できることならお互いが仕合せになるように、……それをよく考えてみよう、おまえそう思わないか、おいち
「あなたの思うようになすって下さいまし」嗚咽おえつしながら切れ切れにおいちが云った、「わたくしにはもうなにを考える力もございません、あなたがこうしろとおっしゃるとおりに致します、どうぞどのようにでも、思いのままになすって下さいまし」


 それから数日して、おいちは猿ヶ谷の湯治場へ立っていった。衰弱した躯の療養という届けを出し、供には松助という老僕を一人付けてやった。
 供をさせる以上は秘密にはできないので、松助には事情をあらましうちあけた。すると初めはどうしても供はいやだと云って拒んだ。彼は父の代からもう三十余年も紀平に勤めている一徹で頑固で、人づきあいは悪いが正直な、いつもむっとふくれているような老人だった。
「さような不貞に加担するようなことはお断わり申します、私には勤まりません」
 不貞に加担するなどという強い表現は、いかにも彼らしかった。高雄は彼に頭を下げた。いきさつの複雑さと、周囲の者に不審をもたせないためには、紀平家にもっとも古くからいて、親族や知友にも信用されている松助に供をして貰うよりほかにない。もしこの内情が漏れたら、紀平の家がどうなるかわからないのだから、こう云って頼んだ。
「なが生きをすると恥が多いと申します、こんなお役を勤めようとは夢にも思いませんでした」
 松助は口惜しそうに涙をこぼした。
 猿ヶ谷は城下から東北へ十里ほどいった、隣藩の領内にある山の中の湯治場で、五種類の温泉がくので名高く、ずいぶん遠くから病気療養の客が来る。しかし他領のことだから、この藩の武家でゆくものはごく稀である。雑多な客が絶えず出入りすること、家中の者にみつかる危険の少ないこと。そういう点で、高雄はそこを選んだのであった。
 おいちが立ってから三日ほどして、高雄はその報告をしに吉良へいった。
「療養で湯治にやったそうだね、聞いたよ」
 節太郎はきげんよくそう云った。そして慰さめるつもりだろう、すぐに酒の支度をさせて、さかずきを交わしながら高雄の話しを聞いた。……はじめはきげんがよかったけれども、聞いているうちに吉良はむずかしい顔になりしまいには怒ったように高雄をにらんだ。
「では森もいっしょに猿ヶ谷へいったのか」
「――彼には今おいちが必要なんだ」
「では紀平には必要ではないというのか」
「――こんどの事は誰が悪いのでもない」
 高雄は眼を伏せて低い声で云った。
「――ただ不運なめぐりあわせだったんだ、誰にも責任はないし、誰を不幸にもしたくない、おれの考えたことはそれだけだ」
 吉良はそっぽを向いた。いかにも不服そうである、そしてそっぽを向いたまま、どういうふうに解決するつもりかときいた。
「二人は猿ヶ谷に一年いて貰う」高雄はこう答えた、「――そのあいだに生活の手蔓てづるがみつかるだろう、みつからないばあいにも、一年経ったらおれはおいちが病死したという届けをする、……二人は二人の生活を始め、おれはおれで、……できるなら、新らしい生活を、始めようと思う」
「やりきれないな、そういう話しは」
 吉良は突っ返すように云った。
「そこまでゆくともう弱気とか、善良などという沙汰ではないね、むしろ不徳義だし、人間を侮辱するものだ、森が男ならそういう恩恵には耐えられなくなるぜ」
「吉良ならほかに手段があるかね」
「森とは決闘するか追っ払うかだ、妻はきれいに赦すか離別するかだ、それがお互いを尊重することなんだ」
「――おれには自分に出来ることしか出来ない」
 高雄は自分に云うように云った。
「――おれは人の苦しむのを見るより、自分で苦しむほうがいい、これがもし人間を侮辱することになるなら、おれは喜んでその責を負うよ」

 日が経っていった。月にいちどずつ猿ヶ谷から松助が来る、表て向は療養の経過を知らせるという意味で、そのとき二人に変ったことがあれば聞き、こちらからは滞在雑費を渡すのである。……だが二人には変ったことはないとみえ、松助はなにも云わず、高雄もそれには触れなかった。松助は来ると一夜泊って、またむっとした顔で戻っていった。
 大助はおいちの立っていった日から、ぷつっと母を呼ばなくなった。亡くなった母の実家の青野では、実際の内情はもちろん知らなかったが、高雄が不自由だろうというので、青野の遠縁に当る者を手伝いによこした。……勝江という名で二十六歳になり、いちど結婚したが、不縁になって戻ったのだという。それにしては少しも暗い翳のない、解放的なひどく明るい性質で、一日じゅうどこかしらで笑い声の聞えないことはないというふうだった。
「大さん、さあ小母さんに乗んなさい、お馬どうどうしましょう、ほら、走るわよ」
 四んいになって、大助を背中に乗せてばたばた騒ぐ。来る早々からそんなぐあいで、大助もたちまち懐いていった。


 時は経っていったが、高雄の傷心は少しも軽くならなかった。
 おいちが自分にとっていかに大事な者であったかということを、彼はますます強く、ますます深く感ずるばかりだった。嫉妬しっともあるかもしれない、たしかに、森とおいちとをひとつにした想像は、呼吸を止められ、胸を圧潰おしつぶされるような苦しさだった。心理的であるよりもはるかに直接な、肉体的な苦悶であった。……けれども、それにも増して、おいちがどんなに大事な存在であったかということ、彼女が自分を去ってからそれがわかったこと、そうして、それほど大事であったおいちを、自分がなおざりにしてきたことなど、こういう想いがいつも頭を離れず、とりかえし難い罪のように彼を苦しめた。
「もっと愛さなければいけなかった、もっと愛情といたわりがなければいけなかった」
 彼はときどきそのように独り呟やいた。
「そうすれば、あの男に会っても、あんなに気持を動かされはしなかったかもしれない、……おいちの心を、おれの愛といたわりでいっぱいにしていたとしたら、……悪いのはおれだ、おれは盲人で馬鹿だった」
 しばしば彼は夜半に起きて、暗い庭の内を歩きまわったり、腰掛に倚って、なにを思うともなくじっと動かずに、ながい時間を過したりした。

 雨のない暑い夏が過ぎていった。
 或日の午後。大助の部屋をのぞくと、勝江といっしょに午睡をしていた。勝江は上半身を大助のほうへ向け、下半身を仰向けにしていた。裾が乱れて、水色のふたのの絡まった太腿ふとももが、あらわに見えた。たくましいくらい成熟した、こりこりと張切った豊かな腿であった、けれども膚の色は驚くほど黒かった。
 高雄はすぐに眼をそらしてそこを去った。いま見たものは少しも彼を唆らなかったが、その印象は新らしい苦痛を与えた。いくらか野蛮な勝江の太腿は、まったく違うおいちの躯の記憶をよびさました。
 ――おいちの肌はもっと美しかった。
 白くてなめらかでしっとりと軟らかで、そして吸いつくような弾力があった。しかし彼はそれを眼で見たことはなかった。感じとして、記憶には残っているが……おいちは自分の妻であった、いつも自分の側にいた。いつでもその声を聞くことができたし、その姿は手の届くところにあった。
 ――そうだ、おいちはそのように自分の近くにいたんだ、この手はおいちを抱き、この肌はおいちの肌に触れたんだ。
 だがはたして本当に彼女を抱き、本当に肌と肌を触れたろうか。……そうではなかった、自分はおいちを本当には見もせず、抱きもせず、肌を触れもしなかった。風が林を吹きぬけるとき、樹々の幹や枝葉の表てをかすめるように、ただ彼女の表面をかすめたに過ぎない。
「そうだ、おれはおいちという者を知らない、四年もいっしょに夫婦でいて、おれはおいちを少しも知ってはいないのだ」
 高雄はその日は夕餉を摂らなかった。

 或日、勝江が大助のいないときに云った。
「ふしぎでございますわね、大さん少しもお母さまのことを仰しゃいませんわ、お母さまはどこってききますといやな顔をなさいますの、そしてほかのことに話しをそらしてしまうんですの、……親に早く別れる子は親を慕わないと申しますけれど、もしやお母さまの御病気がお悪いのじゃございませんかしら」
 悪意のないことは云うまでもない。結婚に失敗してもさして苦にしない、さばさばと割切った性質なので、感じたままを云ったのではあろうが、高雄には胸を刺されるほど痛い言葉だった。彼は叫びたい衝動を辛うじて抑え、そこを立ちながら哀願するように云った。
「どうか母親のことは云わないで下さい、できるなら母親を忘れるようにしてやって下さい、……ことによると、死別してしまうかもしれないのですから、どうかお願いします」
 高雄はなるべく大助を見ないようにした。おいちが去った日から、大助はぷつっと母の名を口にしなくなった。それは知っていたけれども、まだ頑是ない年のことでもあるし、まわりに人が多いので気がまぎれているのだろうと思った。母を恋い慕われるよりいいので、かくべつ気にとめてはいなかった。それだけよけいに勝江の言葉にまいったのである、……母のことをきかれると話しをそらすとか、いやな顔をするという。それは母の去った理由を感づいているのではないか、療養にいったのではなく、もう帰って来ないということを本能的に気づいているのではないか。
 ――親に早く別れる子は親を慕わない。
 彼も耳にした言葉ではあるが、現実に自分の子に当てて考えたことはなかった。しかし勝江の眼にはそれがわかったのだ、意識的であるか本能的であるか、ともかく大助がそんな幼ない年で、母のことに触れるのを避けようとするのはもう母には会えないと知っているために違いない。そう思うと高雄には大助を見ることができなかった、大助が独りで遊んでいる姿など眼につくと、胸がきりきり鳴るようで、思わず顔をそむけずにはいられなかった。そしていつも勝江に向って、
「大助をみてやって下さい、ほかの事はなにも構わないでいいのです、大助の世話だけして呉れればいいのですから、どうかなるべくあれの側を離れないで下さい」
 少しくどいほどこう繰り返し頼んだ。本当はそんなに云う必要はなかったであろう、勝江はいつも大助に付ききりだった。おいちはしなかったが夜は抱いて寝るらしい、大助を背に乗せて馬のまねをするとか、庭で砂いたずらとか、鬼ごっこや隠れんぼうをするとか、自分が子供のように面白がって、さきだちになって遊ぶ。しばしば蘆谷川や亀丘山などへも伴れてゆくようすで、
「だいたんも、大きくなったや、およげゆね」
 などと高雄のところへ突然やって来て云うことがあった。彼が登城するとき、玄関へ送って出ると、
「たあたま、ごちゅびよよちゅう」
 と云う、春の頃はごちびよよよよだった。御首尾よろしゅう。この家中の定った挨拶であるが、舌が少しずつまわり始めたのだろう。勝江と脇玄関で話すのを聞いても、
「あのちばめ、おばたんちばめだね」
 などとかなりはっきり云うようになった。
「あれだいたんのよ、だいたんのちばめね、こよぶの、こよぶのよ」
「あら、燕がころぶの、大さん」
「うん、こよぶの、ほんとよ、こよんで頭いたいいたいって、ここぶっちゅけて」
 或日こんな問答も聞えた。
「大さん、あれが燕のお母さまよ」
 不用意に云ったものだろう、ふっと声が絶えた、それから大助が怒ったように云った。
「ちばめ、かあかん、ないよ」
 秋にかかるじぶん、高雄はしきりに家康の言葉をそっと呟やくことが多くなった。
 ――人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し、いそぐべからず。
 少年時代に鵜呑うのみに覚えたのだが、いま口にしてみると、深い慰さめを感じることができた。森三之助も、おいちも、重い苦しい荷を背負っている、小さい大助でさえ、すでに心の中で重荷を負っているのだ。
「――いそぐべからず……」
 彼は夜半の雨の音を聞きながら、じっと眼をつむって呟やくのであった。
「――みんなが重い荷を負っている、境遇や性格によって差はあるが、人間はみなそれぞれなにかしら重荷を負っている、……生きてゆくということはそういうものなんだ、そして道は遠い……」
 互いに援けあい力を貸しあってゆかなければならない、互いの劬わりと助力で、少しでも荷を軽くしあって苦しみや悲しみを分けあってゆかなければならない。自分の荷を軽くすることは、それだけ他人の荷を重くすることになるだろう。道は遠く、生きることは苦しい、自分だけの苦しみや悲しみにおぼれていてはならない。高雄はこう思うようになり、おいちを失なった苦痛から、ごく徐々にではあるが、少しずつ立直ってゆけるように思えた。
 九月になってまもなく、吉良節太郎から夕食に招かれた。
 にわかに秋めいた風の渡る宵で、吉良の庭はもう自慢の白萩もさかりが過ぎ、すすきの穂がいっせいに立っていた。高雄のほかに宮田慎吾という相客があり、みなれない娘が吉良の妻女といっしょに給仕をした。宮田は吉良の役所の同僚だそうで、みなれない娘はその妹であり、名を雪乃、年は二十になると紹介された。
 ――この娘をみせるために呼んだのだな。
 高雄はすぐにそう察した。雪乃は五尺二寸ほどあるゆったりした躯つきで、立ち居のおちついた、口のききかたなどものんびりした娘であった。吉良の妻女にすすめられると、すなおに盃も受け、吉良や兄が話しかけるとはにかんだりしないで、ごく自然におっとりと受け答えをした。
「そろそろお手並を聞かして貰おうじゃないか」
 少し酒がまわったとき吉良がそう云い、妻女が召使いの者と琴を運んで来た。
「雪乃さんは琴では教授の腕があるんだよ」
 吉良が高雄にこう云った。すると雪乃はほのぼのとした笑い顔で、「教授にもいろいろございますわね」と吉良の妻女に向って云った、「――わたくしのは、こう弾いてはいけませんという教授、……父も兄も酒がめると申しますわ」
「そのとおりなんですよ、聴いてみればわかります」
 宮田慎吾が高雄にそう云った。
「家では酔醒しと折紙が付いているんです」
 高雄は黙って苦笑していた。
 彼にはまだ縁談などを受ける気は少しもなかった。それで娘の気持を傷つけないように、つとめてその座の空気から自分をそらすようにしていた。……雪乃の弾いたのは「老松」という古曲で、きわめて優雅なものであった。


 彼女の琴が終るのと殆ど同時に、高雄の自宅から使いがあった。いそぎの用事らしいので、中座のびをして帰ってみると、大助が急病で医師が来ていた。
 大助は夕方から激しい発熱で、ひきつけたようになり、嘔吐おうとと下痢が続いた。
「九分まで助からぬものと思って下さい」
 医師はそう云って、その夜は朝まで付いていてくれた。明くる日になっても大助は昏睡こんすい状態で、吐くもののなくなった嘔吐の発作と、水のような下痢が止らず、高雄の眼にも望みはないように見えた。
 一睡もしなかったが、役所にやむを得ない仕事があったので、早く登城して、午前中で帰ってみると、猿ヶ谷から松助が戻っていた。例月より少し早いが、用事があったので来たということであった。……彼は大助が絶望だと知ったのだろう、蒼い顔で、眼を泣きらしていた。そして高雄の昼食が済むと、声をひそめて、
「奥さまを御看病に呼んであげて下さいまし」
 こう云った。高雄は驚いて彼を見た。充血した松助の眼は、思い詰めたようなけんめいな色を湛えていた。高雄は首を振った。
「――いけない、二度と云うな」
 そしてすぐに病間のほうへ立った。
 大助はびっくりするほど肉がこけ、皮膚は死んだような色になり、薄眼をあけて、小さく喘ぎながら、絶えず頭をぐらぐらと左右に揺っていた。勝江もゆうべから眠っていないので、自分が代るからと云って、寝にゆかせ、彼は一人で子供の枕元に坐った。
「ちばめよ、たあたま……ちばめのおちよ」
 大助は昨夜からしきりに同じうわ言を云った。
「痛い痛いって、だいたんの、ちばめ、ね、こよんで痛いって、ほんとよ、……ねえ、たあたま、ちばめ、どこへもいかない、ね、……ちばめ、いっちゃ、いや、だいたんのちばめ、いっちゃいやよ、……いやよ」
 高雄は歯をくいしばった。
 ――重荷を負うて、遠き道を……。
 彼は眼をつむって、大助死ぬな、と心のなかで叫んだ。生きて呉れ、生きて呉れ、闘かうんだ、死ぬな、石にかじりついても生きるんだ、苦しいだろうが頑張れ、……哀願するように、こう呼びかけていると、うしろで耐えかねたように噎びあげる声がした。
「お願いでございます、旦那さま、爺が一生のお願いでございます」
 松助の声であった。高雄はそちらへ背を向けたままで、ささやくような声で云った。
「おまえが聞いていたら、わかるだろう、……大助は、うわ言にも、母の名を呼ばない、あれが出ていった日から、いちども母のことは口にしないのだ、……大助は、この小さな、幼ない心で、母を忘れようとして来たのだ、……このままがいい、……ここであれを呼ぶことは、大助をも含めて、四人がもういちど苦しむことになる」
「そこを押してお願い申すのでございます、一生のお願いでございます」松助は叩頭しながら云った、「――そしてこれは、奥さまを呼び戻して頂だくことは、いつかは爺からお願い申さなければならないことでございます」
 高雄は静かに振返った。松助の云う意味がちょっとわからなかったのである。
「――あれを呼び戻すって」
「初めにお供を仰せつかったとき、爺がなんと申上げたかお忘れではございますまい、……召使の身で、不貞の加担はできませぬなどと申しました、なにも知らず、愚か者のいちずな気持から、ただもう前後もなく申上げたのでございます」
「――なにも知らないとは、どういうことだ」
「まるで違うのです、奥さまには不貞などはございません、爺は二百余日もお付き申していて、この眼でずっと見てまいりました、奥さまには決して不貞などはないのでございます」
「――松助、なにを云いだすのだ」
「お聞き下さいまし旦那さま、私の申すことをどうぞお聞き下さいまし」
 松助は訥々とつとつとした口ぶりで話しだした。片手で自分の膝を掴み、片手で涙を拭きながら、……高雄は聞きたくなかった、叱りつけようとさえしたが、松助がのっけに森三之助が重態であって、余命いくばくもないと云いだすのを聞くと、つい知らず話しにひきいれられた。
 森三之助は数年まえから肺を病んでいた。自分でも気づかなかったが、あの夜、高雄に闇討をしかけて、顛倒したとき、ふいに喀血かっけつしたという。高雄が去ってから四半ときも動くことができず、這うようにして宿所へ帰った。……猿ヶ谷へはおいちに七日ほどおくれていったが、着くとすぐにまた喀血し、そのまま寝たきりになったそうである。
 おいちは三之助とはずっと離れた部屋で寝起きをした。三之助の部屋にいるときは、必らず障子をあけておいた。宿帳にはもちろん偽名であるが兄妹と書いて、それが宿の者に少しも疑がわれずに来た。……紀平とはっきり縁が切れるまではそれが当然だろう、松助はそう思っていた。そのまえにもしふたしなみなようすでもあったら、容赦なく面罵めんばしてやるつもりでさえいた。しかし二人の態度はいつまでも変らず、松助の眼にもすがすがしくみえるようになった。かれらは殆ど話しをしなかった、同じ部屋にいるときでも、おいちは縫い物をしたり薬をせんじたりし、三之助は黙ってしんと寝ていた。ときどき短かい話しを交わすと、いつもお互いの小さい頃の思い出であった。
「そしてつい先夜のことですが、森さまは奥さまがお部屋へ去られてから、私をお呼びになって、泣きながらこのようにお話しなさいました」
 松助は呻くような声で云った。三之助は自分とおいちとの関係を語ったのである、それは高雄がおいちから聞いたのと同じもので、彼は自分が庶子であることもうちあけた。……江戸へ養子にゆくことに定り、ゆくまえにひと眼だけ逢いたいと思い、逢うと一度では済まず、二度、三度と重なるうちに、こんどは離れることができなくなったいきさつ、それも隠さずに語った。
 ――高雄の計らいで猿ヶ谷へ来て、おいちと二人になったとき、自分はすぐに気がついた、自分の気持は恋ではなかった、母のように、姉のように慕っていたのである、愛情というものを知らなかった自分に、おいちが初めて、この世でたった一人、愛情を示して呉れた、……生れて初めて、愛情のあまやかさを知り、温かな心の喜びを知った、そうしていかなる犠牲をはらっても、おいちを奪い取りたいと思ったのである、だがいざ望みどおり二人だけになったとき、自分にはおいちの手に触れることもできなかった。
 三之助はこう云ったということだ。
「おいちどのは自分には母親であり姉である、おいちどのの気持も恋ではない、母が子を、姉が弟を、いたわりかばう愛情にすぎない、……ここへ来てから二百幾十日、おいちどののゆき届いた介抱を受けて、自分は初めて人間らしい、やすらかな、心あたたまる日を過した、初めて生れて来た甲斐かいがあったと思った、……森さまはこう云ってお泣きなされました、医者も云うとおり、自分はせいぜい今年いっぱいの寿命だろう、おいちどのは潔白だ、あのひとは昔から自分の哀れさに同情していた、無法な懇願を拒むことができなかったほど深く、親身に同情していて呉れたのだ、不貞な気持などはちりほどもなかった、あのひとの潔白は神仏を証に立ててもよい、……あのひとを頼む、自分が死んだら紀平家へ戻れるようにして呉れ、あのひとを不幸にしないように、……このとおりだ、……森さまは枕の上に顔を伏せて、泣きながら、この爺に頭を下げて、お頼みなされたのでござります」
 高雄はすなおに感動して聞いた。三之助の執着は闇討をかけるほど激しいものであった、それが許されてみると恋ではなかったという。彼の態度が異常といってもいいくらいだっただけに、それが恋でなくて、母や姉に対する愛情であったという告白は高雄をすなおに感動させ、いささかの疑念もなくうけいれていいと思った。
「爺は口がへたでござります、思うようには申上げられません、けれども奥さまのお気性は旦那さまがよく御存じでございましょう、……爺もこの眼で、奥さまの御潔白は拝見してまいりました、旦那さま」松助はぐしょぐしょに濡れた顔でこちらを見あげた、「――坊さまに万一のことがあっては取り返しがつきません、一日でも一夜でもようござります、どうぞ奥さまをお呼び戻し下さりませ、どうぞ奥さまに看病させてあげて下さりませ、一生のお願いでございます」
 高雄は暫らく黙っていたが、やがて低い声で、しかしきっぱりと答えた。
「おれたちは苦しんだ、おれも、おいちも、森も、……お互いに苦しんだ、その苦しみをむだにしないようにと思って、ああいう方法をとってみた、……それはまだ終ってはいない、二人の潔白は信じるが、その事にはっきり区切がつくまでは、おいちの戻ることは許せない」
 そうしてさらに低く、呟やくように云った。
「そのときが来たら、おれが迎えにゆこう、もし助かったら大助を連れて……猿ヶ谷へ帰っても、これの病気のことは決して云うな、固く申しつけたぞ」

 四五日して吉良が来た。はたして雪乃を貰わないかという話しであったが、高雄ははっきり断わった。そのときは大助も危うく峠を越して、これなら命はとりとめるだろうと医師も云い、高雄はようやく息をついたところだった。
「坊やがそんな病気になるのも母親がいないためだ、どうしたって頼んだ者ではだめなんだ」吉良はたいそう乗り気らしくこう云った、「――子供のためにも貰うべきだよ、宮田では約束だけでもいいと云ってるんだ」
「――おいちが戻るかもしれないんだ」高雄はそう答えた、「――湯治は病気によかったらしい、詳しいことはいずれ話すが、……たぶん戻ることになると思う、そういうわけだから」
 吉良はむっと口をつぐみ、睨むようにこちらの顔を見て、そしてその話しにはもう触れずに去った。
 それから七八日経った或朝。大助がなにかひどくむずかっているので、高雄は登城の支度を手早くしていってみた。勝江がけんめいになだめているが、彼はべそをかいて、足をばたばたさせてなにかせがんでいた。
「燕を見るんだと仰しゃってきかないんですの、まだ起きたりなすってはいけませんのに」
「よしよし、そのくらいならいいだろう」
 元気な暴れようを見て、高雄は唆られるような気持になり、夜具をはねて大助に手を伸ばした。
「玄関ぐらいならね、さあ抱っこして、おおこれは重くなった、大さんまた重くなったぞ」
「だいたん重たい、はは、重たいねえ」
 勝江が背中を薄夜着でくるんだ。
「重たい、重たい、きいきがよくなったから重たい重たい、さあいって燕にお早うをしよう、燕もねえ、大さんお早うって云うよ、お早うって」
「燕はもういませんですよ」うしろから勝江がそう云った、「――二三日まえからいなくなりましたの、もう南へ帰ったのでございますわ」
 高雄ははっとした、燕は去ったという、うわ言にまで云っていた大助の燕が。
「どうったの、たあたま、ちばめどうったの」
「――うん、燕はね」
 当惑しながら、高雄は脇玄関へ出ていった。差懸けのはりに巣はあるが、そこはひっそりとして、見ただけでもむ主のいなくなったことがわかる。大助はべそをかいて、燕がいないと泣き声をあげ、父親の腕の中で身もだえをした。
「燕はねえ大助、よくお聞き、燕は寒くなると暖かいお国へ帰るんだよ、あっちの遠いお国へね」高雄は子の頬へ頬を寄せながら云った。
「――そして春になって、こっちが暖たかくなると、また大さんのお家へ帰って来る、大さんが四つになると、燕はちゃんと帰って来るんだよ」
「――ちばめ、またくゆの、また」
「ああちゃんと帰って来るよ」
 高雄の胸に熱い湯のようなものが溢れてきた、彼は殆んど涙ぐみながら、大助に向って囁やくように云った。
「暖たかくなればね、燕も帰って来るし、大さんの母さんも帰って来る、……もう少しのがまんだよ、冬を越して、春になれば、……大さんが偉かったからね」





底本:「山本周五郎全集第二十三巻 雨あがる・竹柏記」新潮社
   1983(昭和58)年11月25日発行
初出:「講談倶楽部 秋の大増刊」大日本雄弁会講談社
   1950(昭和25)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2020年8月28日作成
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