「
「…………」
「高閑さま、高閑さま」
連日のお
「どうあそばした、御急変か」
と息を詰めながら
「いえ、お上がお召しなされます」
「お召し、ああそうか」
ほっと
土佐守
病間はがらんとしていた。お
「近う、ずっと近う」
「……御免」
「遠慮は無用だ、ずっと近う寄れ」
一豊は、
「今宵は、……其方と
斧兵衛はすばやく
「其方もじじいになったな」
としみ入るような声で云った。
「思えば其方とは長い宿縁であった。主従そろって
「まことに、昨日の如く覚えまする」
一豊がまだ木下秀吉の配下であった頃、その妻が
「あの時分は苦しかったな。……越前攻めの折などは、武具が足りなくて、其方などは竹槍へ渋を塗って持ち居ったぞ。……それが、今ではこうして
斧兵衛は声をのんで平伏した。一豊は暫く息をついていたが、
「わしはするだけの事をした」
と静かに続ける。「もういつ死んでも惜しくはない。唯ひとつ……心残りなのは、わしが不徳であったばかりに、生前、この国の民心を統一することが出来なかったことだ」
「…………」
「これだけが往生の
斧兵衛の肩の震えるのが見えた。
一豊が土佐に封ぜられたのは、慶長五年であった。その以前は、
併し、一豊は
「
そう云って家臣の自重を命じた。
かくて五年、一豊は熱心に善政を布き、諸民の
「……わしの申すことが分るか」
「……はあっ」
「土佐一国、山内家に帰服する日こそ、初めて一豊が成仏をする時だ、それまでは万巻の
そう云ってから、一豊はやや久しく気息を調えていたが、やがて調子を改めて、
「斧兵衛、其方は
「お許し下さいまするか」
「許さぬと申しても、わしが死んで生残る其方ではあるまい。追腹許す。……なれど、直ぐにはならんぞ、三年待とう」
意外な言葉であった。
「三年とは、……
「土産を頼みたい」
「…………」
「三年のあいだに土産を作って参れ、それまでは冥途で待つ。一豊は成仏せずに、其方の追いつくのを待って居る。……分るか」
「委細かしこまり奉る」
と答えて平伏した。
四十余年、
其日、一豊は死に臨んで世子の忠義(一豊に子が無かったので、弟
「斧兵衛は我が家にとって、功労抜群の者である。老年であるから
と遺言した。
一豊の遺骸は、
かくて百日忌の時である。
二代忠義が法会に参ずるため、行列を真如寺に向って進める途中、
「
「邪魔する者は斬ってしまえ」
と
「鎮まれ鎮まれ。なにを騒ぐ」
「狼藉者です」
先供のなかから、
「お供先へ生魚を
「嘘だ。投げたのではない」
捕えられた若者は傲然と叫んだ。「魚にはぬめりというものがある。洗っていたら手を滑って飛んだのだ。人間には過ちということがある。過ちで飛んだのだ」
「此奴、ぬけぬけと申す」
「問答に及ばぬ、斬ってしまえ」
「待て、待てと申すに」
騒然となる家臣たちを、斧兵衛は大音に押えながら云った。
「過ちであるか、
「仰せではござるが、土民へのみせしめとして此奴は
喜兵衛が、我慢ならぬという調子で云った。併し、斧兵衛は固く
「ならぬ、奉行所へ曳け、申付けたぞ」
そう命じて立去った。
法会が済んだ後。……この若者の処置に就て、老臣たちが評議を開いた。田中孫作、西崎
「刑罰を明かにするいい機会だ。お代替りを幸い律を改め、威を厳にして領民の心を帰服させなければならぬ。このためには斬罪にして諸民へのみせしめとするが宜い」
ということを主張した。
議論は殆ど列座一致するところであったが、そのなかで独り頑として承知しない者があった。高閑斧兵衛である。
「拙者の意見は違います」
と彼は座の真中へ進んで云った。
「大通院さまは御生前、刑罰は重からざれと、
「聞き捨てのならぬ
「言葉
「貴公は御遺言を盾にとって、横車を押すか」
田中孫作は怒気を発して、「さらば孫作など、なにを申上げるにも及ぶまい。退座しょう」
そう云って、席を
五藤靱負も、西崎玄蕃もそれに続いた。……そして斧兵衛の主張がうやむやの内に通ってしまい、

とりひろげ、鳥刺毛、御陣場とおく、見てあれば。
「やんや、やんや」
「うまいぞ小弥太、起って舞え」
「若衆ぶりを
十四五人の若い武士たちが手を
「それでは舞うぞ」
「白い
「まあ、
「憎い髭十さま」
「
浦戸から呼ばれて来た妓たちは、きゃらきゃらと
小弥太はよろよろと立ちあがり、
「よいか、舞うぞ」
もういちど云って大剣を抜くと、よく澄んだ声で、平家を朗詠しながら舞いはじめた。……
『忠度は西の手の大将にておわしけるが』より始って、岡部の六弥太と組討ちになる。
『……
絵のような舞い振りだった。
池藤小弥太は、近習番のなかでも評判の美男で、背丈は六尺に近く、
ここは高知城下とは国分川を隔てた、五台山の中腹にある
併し、ここでばか騒ぎをやっているのが全部ではない。この棟のうしろが丘になっている。その丘の松林のなかにもうさっきから六人の若侍たちが集っていた。……堂上喜兵衛、渡辺勝之助、林久馬、林甚三郎、庄野九郎兵衛、
「仕様がないな、いつまで待たせるんだ」
「忘れているんじゃないか」
「そう云えば、だいぶ酔っていたぞ」
「……呼びに行きましょうか」
いちばん年少の林久馬がそう云って立った。
「うん、そうして貰おう」
喜兵衛が
久馬は直ぐに走って行った。……
間もなく久馬が、小弥太の腕を肩にかけて、担ぐようにしながら戻って来た。
「やあ、失礼、……まことに失礼」
小弥太はひどく酔っていた。
「すっかり酔ってしまって。……もう談合は済んでしまったのですか。いい気持に舞いはじめたものだから、つい」
「談合はこれからだ。まあ下にいないか」
喜兵衛が、ぶすっとした調子で云った。
小弥太が、
「今日集って貰ったのは、高閑斧兵衛どのに就て、最後の意見を
喜兵衛が静かに口を切った。
「大通院さまが御他界あそばされて二年、この秋には御三年忌が行わせられる。各々も知っている通り大通院さまには、御生前なによりも、土佐の民たちがお家に帰服していないことを御無念に
「土民たちは依然として反抗の
喜兵衛は言葉を強調するために、暫く黙っていたのち再び続けた。
「こういう状態を来した直接の責任は、高閑斧兵衛どのにある。斧兵衛どのは『刑罰を厳にしただけでは民心は帰服せぬ』という仰せを
喜兵衛の言葉が静かであるだけ、その声音の底に
「こんな事が度重っては、土民たちがお家の御威光を軽んじ奉るのも道理だ。……これ以上こんな事を繰返していてどうするか」
「思切ってやるべき時だと思う!」
「そうだ、その時なんだ」
庄野九郎兵衛の突っ掛かるような声に、喜兵衛は強く頷いて云った。
「大通院さまは御臨終に、斧兵衛は功労格別の者ゆえ、われ亡き後も、我儘勝手を許すと仰せられたと承る。老職方がその御遺言に遠慮して、なにも出来ぬのなら、我々が代って、お家の禍根を断つべきだ」
「もうそれ以上、理非の
「まあ待て、……」
渡辺勝之助の
「もう一つだけ云うことがある」
と喜兵衛は
「斧兵衛に……追腹のお許し」
「殉死のお許しを!」
みんな水を浴びたように息をひいた。
「お人払いでお側には誰もいなかった。しかし小姓の一人がお
「岡田伊七郎だな!」
林甚三郎が云うと、
「いや、誰であろうと構わぬ」
勝之助が
「しかし生きている。斧兵衛は生きているぞ」
「
「それなんだ」
喜兵衛は頷いて云った。「……斧兵衛どののお命を貰うことは
云いかけて、喜兵衛は口を
池藤小弥太が立ちあがったのである。……今まで茫然と眼前にある若草の芽を摘んでいた彼は、急にひょろひょろと立ちあがって、そのまま向うへ行こうとする。
「池藤、貴公どうするのだ」
喜兵衛が鋭く声をかけた。
「
「……拙者は、いても仕様がないと思いまして」
「どういう意味で?」
「御一同の意見は伺いました」
小弥太は空の向うを見やりながら、
「それで失礼しようと思うのです。各々がお家のためを想って、高閑どのを除こうとなさる気持はよく分りますが、……拙者は同意できません」
「同意できない、……!」
「なぜだ」
勝之助が、ぎらりと眼を光らせた。
「なぜ同意ができない。その理由を聞こう」
「理由というほどのことはありません。……まあ強いて申せば、拙者は近いうちに高閑どのの娘を妻に貰おうと思っているのです」
「なに、斧兵衛の娘を!」
「
小弥太は、
「池藤、あの
「噂とは……」
「高閑の娘を
貫島十郎左はむずと坐りながら云った。
「なに、貰おうと思うと云ったまでだよ」
「なぜそんな馬鹿なことを。……貴公、高閑と一緒に斬られてしまうぞ」
「そんな事はないさ」
「無くはない、全体が貴公のこの頃は少し不審なことばかり多過ぎるぞ。まるで、人が違ったようではないか。……今まで親しく付合っていた我々とは疎遠になるし、余り呑まなかった酒を馬鹿に呑みはじめるし、先日みたいに、急に舞いだしたり、……
「人間はみんな、……いつか少しずつは変るものだよ」
「いったい貴公、高閑の娘を知っているのか」
「隣同志ではないか」
小弥太はちらと、隣屋敷の方へ眼をやった。……南国の春は早く過ぎる。低い生垣を境に隣っている高閑斧兵衛の屋敷は、家構えこそ松林に隠れて見えないが、相接している庭の隅に、もう散りはじめた桜がひともと、
「隣同志だからどうだというのだ、美人だと評判だけは聞いているが、まだ誰も近寄って顔を見た者はないぞ」
「馬鹿だな」
小弥太は苦笑しながら云った。
「嫁に貰おうと思うくらいで、相手の顔も知らぬ筈はないじゃないか。……断って置くが、まだ話は決った訳じゃないからな。拙者が貰いたいと思っているだけのことだからな」
「詰らぬ。池藤小弥太ともある者が、なにも好んで斧兵衛づれの娘を貰わんでも……」
「なんとやらは、思案の他と云うぞ」
「まるで分らん」
十郎左は
「それは怖いな。あいつは無鉄砲だからな」
「己は冗談を云いに来たんじゃないぞ」
十郎左は立ちあがって、
「もういちど云うが、高閑の娘を貰うことはよく考えた方がいい。己は貴公の親友を以て任じているが、いざという場合には……遠慮はしないぞ」
「駄目だよ、……貴公には斬れぬ」
「斬れぬと?」
「貴公の太刀筋は悪くない」
小弥太は微笑しながら云った。
「悪くないどころか、恐らく家中で十郎左と三本に一本の勝負の出来る者は、渡辺の勝之助くらいのものだろう。……けれど、小弥太を斬ることは出来ないさ」
「池藤、……貴公、己と立合う積りか」
「なるべくなら、そんなことになりたくないものだ」
十郎左は立ったまま、とび出しそうな眼で小弥太を
「己にはもう、すっかり分らなくなった」
と投げるように云って立去った。
十郎左を玄関まで送って戻ると、庭から、そっと家来の岡倉金右衛門があがって来た。……まだ、十九歳であるが、顔だちも心までも、老成した青年で、右足が少し
「貫島さまは、怒ってお帰りでございましたな」
「見ていたのか」
「直ぐにも抜くかと思いました。……貫島さまがあんなでは、他の方々はどれほどかと考えまして、
「喜兵衛が探りに寄来したのだ」
小弥太は坐って、
「……それが分っているから、
「矢張りおめがね通りでございました」
金右衛門は縁先に坐った。
「……
「住江宮内、……それは大物だな」
「他の三人はどうしても分りませんでしたが、そのなかに
小弥太は黙って頷いたが、その眼は明かに深い感動の色を表わしていた。
「……或は、そうかも知れぬ」
「高閑さまの応待ぶりからみましても、私はそれに違いないと考えられました。――いったい、ああして諸方の豪族たちと密会して、高閑さまはなにをなさるお積りなのでございますか。土地の豪族ばかりでなく、関ヶ原の残党まで加わっているというのは、全く……」
「それを
「……はい、承って居ります」
金右衛門は
「……承っては居りますが、今日まで仰せのままに、私が調べましたところでは高閑さまの
「金右衛門、それ以上申してはならぬ」
小弥太が鋭く制止したときである。
「……ああ危い!」
というけたたましい叫声が聞えて来た。
声は隣屋敷の庭である。
小弥太はまるで待受けていたもののように、即座に庭へとび下りて、境の生垣の際へ走せつけた。
松林の中で、きらりと白刃が光った。
高閑斧兵衛と、
――
斧兵衛は娘を斬ろうとするらしい。
「放せ、茂右衛門、放さぬか!」
「お待ち下さい。……御短慮でござります。お嬢さま早く、逃げて……」
「おのれ、放せというに!」
大剣を持った手で、烈しく茂右衛門を突き退けたとき、……生垣を乗り越えて小弥太が
「御老職、お鎮まり下さい」
と立ち
「……池藤か」
「御
「ならぬ。貴公の出るところではない」
「
「なに、其方が不承知だと?」
「御老職も噂くらいはお聴きでしょう」
「…………」
「拙者は予てから御息女を家の妻に申受けたいと存じていたのです。いや! 場所柄作法の論は無用です。妻に申受けたいという考えをお含み置き下さればそれで宜しい。……小百合どの、さあ参りましょう」
「待て池藤、待て!」
斧兵衛は、怒声をあげた。
「それは斧兵衛の娘だぞ」
「年頃になれば
「いいえ、お放し下さいまし」
小百合は、執られた手を放そうとしながら、
「わたくし、父の成敗を受けなければなりませぬ。どうぞこのままお捨て置き下さいまし」
「話はあと、話はあとです」
小弥太はびくともせず、
「茂右衛門どの、後は頼むぞ」
と云い捨てると、
遠くから姿こそ見たが、近寄って顔を合せるのも初めてだし、むろん言葉を交わすのも初めてである。小弥太の思い切った態度に遭って、小百合は僅に反抗しながらも、それ以上どうすることも出来ない圧迫を感じて、あとはただ
「もう大丈夫ですよ」
小弥太が家へ伴れ戻ると、……広縁に母親の亀女が立っていた。
「どうしたのですか、小弥太」
「小百合どのが折檻されていたので、まあ預って来たのです。……小百合どの、母です」
「御挨拶はあとにして」
と亀女は振返って、
「おかよ
「……お恥ずかしゅう存じます。お言葉に甘えまして、それでは……」
小百合はようやく
「母上、眼を離さぬように願います」
小弥太は
「ひどく思い詰めている様子ですから」
「いったいどうしたという訳です。……親しくせぬ高閑さまへ、勝手に生垣を越えて行ったり、お嬢さまを無理にお伴れ申したり、……おまえの仕方は、不作法ですよ」
「訳があるんです。やがて仔細を申上げる時が参りますから、……どうか小百合どののことは母上にお願いします」
そう云って小弥太は、自分の居間の方へ立去った。
その夜のことであった。
小弥太が居間で、なにか
「申上げます。……参った様子です」
と血の気をなくした顔で云った。……小弥太は筆を措いて、
「そうか、人数は」
と訊きながら立って、
「四人と見ましたが」
「よし、出るなよ」
そう云ってくるりと裾を端折った。
高閑斧兵衛の屋敷の西側は、
渡辺勝之助、林甚三郎、庄野九郎兵衛、それと
「お待ちなさい」
と声をかけた。
四人はぎょっとして振返ったが、先ず勝之助があっと云って刀の柄に手を掛けた。
「……池藤だ!」
「小弥太!」
四人とも
「堂上、……喜兵衛はいないか」
と低く叫んだ。
「……みんな待て、お家のために高閑どのを除くならその時期を選ばなくてはならん。ここはまず引き揚げて呉れ」
「貴公の指図は受けぬ、退け!」
勝之助が叫んだ。
「問答無用だ」
「退かぬと斬って通るぞ」
十郎左がぐいと出て云った。
「小弥太、昼間そう云ったことを忘れるな。我々はお家の
「無駄だ。――十郎左」
小弥太は手を挙げながら、
「……屋敷の中には家来が三十余人いる、不意の手当ても出来ている。こんな僅かな人数で討てるものではない。拙者から喜兵衛に話もある。待って呉れ」
「構わぬ、斬れ」
十郎左の声と同時に、渡辺勝之助が抜き討ちをかけた。
十三日の月が、矢竹蔵の屋根の上にあった。土塀と築地に
小弥太も抜いていた。
彼は正面に十郎左を迎えて、背を土塀につけながら呼吸を計っていたが、不意にその上体をぐらっと左へ動かした。……
小弥太の体はその二つの動作を割るように、さっと月光のなかへ躍り出す、
「十郎左、……引き揚げろ」
小弥太が低く叫んだ。
「貴公らが乗込もうとするのと同様、拙者が阻止するのもお家のためだ。一人二人を斬ることを焦ってはならぬ。まだ時期ではないのだ。引け、喜兵衛には拙者から話す」
「云うな」
勝之助が、強く頭を振って叫んだ。
「斧兵衛の娘を
「拙者の申すことを聞け! まだ……」
云わせも果てず、勝之助が踏み出した。
絶叫と共に、二つの体が躍動した。白刃が光の
残るは十郎左ひとりである。
小弥太の
「待て、十郎左、勝之助待て!」
呼びかけながら近寄ったのは堂上喜兵衛であった。……息をはずませながら近寄った彼は、茫然と立っている九郎兵衛と、月光の路上に倒れている勝之助、甚三郎の二人を見て、
「しまった、遅かったか」
と
「大丈夫、峰打ちだ」
と云った。
「……十郎左を止めて呉れ」
「おお、池藤、貴公だったのか」
喜兵衛は云いながら間へ割って入った。
「貫島、刀をひけ、いいから刀をひくんだ。……軽はずみなことをしてはいかんと申したのに、年
「我々は待ち切れないのだ。もう一刻も」
「仔細があるんだ。兎に角刀をひけ」
十郎左は黙って刀をおろした。
「ここは拙者が預る」
喜兵衛は振返って、
「話はあとで聞こう。貴公はいない方がいい」
「そうか、では後に」
そう云って、小弥太は大剣を納めた。
それから三日めの夜。
小弥太の居間に、堂上喜兵衛、渡辺勝之助、貫島十郎左の三人が集っていた。……小弥太は小机の上に、なにか細かく書込んである巻紙をひろげながら、さっきから低い声で説明していた。三人とも石のように硬い表情で、眼には
「……その他に、朝倉の幸田久左衛門、安芸の住江宮内がいる。この二人は各々も知る通り土佐でも五本の指に折られる豪族だ。以上……八人の者たちは、長曽我部氏の以前からそれぞれ、その土地に強い勢力の根を張っている。……いいか、そして斧兵衛どのは、この一年あまりというもの、これらの豪族どもと絶えず密会しているのだ」
「それはいったい、どういう意味だ」
「分らない。拙者にもまだ分らないのだ。……一応は、豪族どもを懐柔なさろうとしているとも思える。然し不審なことは、……正念寺で密会する者のなかに、関ヶ原残党の槇島玄蕃頭がいることだ」
三人は、いきなり
小弥太の調べに依ると、高閑斧兵衛はこの一年のあいだ、城下の西にある正念寺という古寺で、ひそかに諸方の豪族と密会していたのである。……彼がいま挙げた名の他にも六人、みんな土佐に旧くから土着している郷士たちで、豊かな金力と
「それで、貴公はどうする積りなのか」
「今のところでは、どうしようもない。高閑どのがなんの目的でそういう密会をしているか、その本心をつきとめるのが第一だ。それまでは、貴公たちも事を急がず、拙者の調べに力を
「どのようにも手助けをしよう」
「なんでも申付けて呉れ」
三人は、熱心に膝を進めた。
小弥太はその言葉を待っていたように、十郎左には浦戸の見張りを、勝之助は正念寺を、喜兵衛には城中での老職たちの動静を、それぞれ手ぬかりなく見張るように頼み、尚、これらの始末を他言せぬように念を押した。
三人が辞去して間もなく、小弥太が寝所に入ろうとしていると、
「急いでおいで下さいまし。高閑のお嬢さまが……」
「小百合どのがどうした」
「御自害をなさろうとして……」
小弥太は愕然として部屋をとびだした。
母親の隣の部屋を小百合に与えてある。行ってみると母が娘の両手を
「小百合どのなにごとです」
と云いながら坐った。
短刀を

「どうしてこんな事をなさるのです。拙者が家の妻に迎えると申上げたのを、冗談だとでも思っているのですか」
「小弥太、そのような不作法なことを……」
「不作法は承知の上です」
小弥太は小百合の方へ膝を進めて、
「高閑どののお手から貴女をお預り申したとき、拙者がそう云ったことを御存じでしょう。あれから詫び言を申上げてもお父上は御承引なく、娘は勘当した、死体になって戻るとも家へは入れぬと仰せられる。……それはお父上が、貴女を拙者の妻に下さるお心なのだと思っていました。……貴女はそうお考えになれませんか、それともそう考えたうえ、池藤に嫁すことは出来ぬと思われて」
「いいえ、違います」
小百合は、
「わたくし、お情けのほどは身にしみて、有難く、嬉しく存じて居ります。……けれど、どうしても生きてはいられませんの」
「なぜです。その仔細を聞かせて下さい」
云いかけて、小弥太は母に
「小百合どの」
と低く力を
「拙者にも大抵は、察しがついているのです。自害すればそれで貴女自身のことは、解決できる。けれどそれだけで宜しいのですか。拙者はお父上が土地の豪族たちと密会し、尚また関ヶ原の残党どもを」
「池藤さま、……申上げます」
小百合は堪り兼ねたように、小弥太の言葉を押切って云った。
「なにもかも申上げます。……貴方さまが御存じならば、黙って死んでも罪は消えませぬ。仔細を申上げて御処分を受けまする」
「さあ伺いましょう」
「父は、……謀反を企んで居ります」
小百合の言葉は、先ず意表を
「大通院さま御他界この方、当うえさまはじめ、御老職がたにとかく
「それで、貴女が謀反と云うのは、全体どのようなことですか」
「父の様子が余りに不審でございますから、わたくしは絶えず注意をして居りました。すると先日、父の居間で恐ろしい
小弥太は、全身を耳にして乗出した。……娘は
「それは、一味の人々に与える手配り書きでございました。……土地の豪族の名、関ヶ原で治部さまのお味方をした大将分二人、槇島玄蕃頭さまと木村壱岐さま、この方々の手兵合せて二千五百人、今月十六日の朝、
「それでは十六日の朝、二千五百余の兵をすっかり鷲尾山の谷合へ集めるのですね」
「其所へ集るのは重立った人々だけでございましょう。武具弾薬を浦戸から陸揚げすると同時に、城攻めをするというように
小百合は、絶望的に小弥太を仰ぎながら、
「池藤さま、わたくしが生きていられぬと申上げました仔細、これでお分りでございましょう。小百合は大逆人の娘、
「お待ちなさい、自害はなりません」
小弥太は抑えるように云った。
「勘当された以上、もう貴女は高閑どのの娘ではない、改めて云うが唯今から池藤小弥太の妻です。大逆人の娘どころか、貴女は大逆を未然に防いで呉れたのだ。貴女は山内家にとって非常な手柄をたてたのです。……小百合どの、忘れても軽挙なことをしてはなりませんぞ。拙者は出掛けて来ます」
「父は……父はどう成りましょう……」
「高閑どのは、御自分の考えた通りになさるでしょう。……と……申しても貴女には分らぬ。孰れお話しするまで、貴女は小弥太の妻だということを忘れずに、待っていて下さい」
小弥太は
斧兵衛謀反!
一豊が山内家にとって無二の功臣と云った、その高閑斧兵衛が、主家に弓を引こうとしているという、余りに意外な、想像を絶した事である。若しそれまでに斧兵衛の不審な行動を調べていなかったとしたら、小弥太でも直ぐにそうと信ずることは出来なかったであろう。……然し彼は今こそ合点がいった。今日まで分らずにいた根本をつきとめたのである。
小弥太は、馬を飛ばして登城した。
もう十時を過ぎていたが、大変と聞いて忠義は引見を許した。そのとき忠義はまだ十八歳の
「憎いやつ、憎いやつ」
忠義は、面色を変えて怒った。
「直ぐに総登城を触れい。明日とも云わず今宵のうちに、討手を向けて踏み殺して呉れる」
「恐れながらそれは不得策に存じます」
「なにか他にてだてがあると申すか」
「総登城を触れまして、若し其中に一味の者が居りましては一大事、……私が老職どもにも計らず直ちにお目通りを願いましたのもそのためにて、是は隠密のうちに不意を衝き、一挙に事を始末するが万全と存じます」
「方策を申してみい……」
「十六日と云えば明後日、当日早朝、お上には猪狩りを仰せ出されますよう、お旗本の士だけ二百人、
「そのような手薄で出来るか」
「鷲尾山の本拠を
「よし
「お家にとって一
「覚えて置く。其方もぬかるな」
忠義の眼は、
だだだあん、だあーん!
銃声が山々にこだました。
時は慶長十二年三月十六日。
蛭谷の一角に造った
と
彼は穂先二尺に近い大槍を手に、
砦の中は嘘のようにがらんとしていた。……踏込んだ小弥太は大音に、
「高閑どの、見参仕る。高閑どの」
と絶叫しながら、奥へ進んだ。
「……応! 斧兵衛は此処じゃ」
「……御免!」小弥太はそのまま突込んだ。
老いたりとも千軍万馬の勇士、亡き一豊と共に一生を

「……高閑どの」と槍を引いた。斧兵衛は声高く、
「あっぱれ手柄だぞ、小弥太」
と自分の首を叩きながら云った。
「早くこの首打って殿の御前へ持て。……最期に臨んで其方だけに申す、最早お家は万歳だぞ」
「…………」小弥太は雷火に撃たれた如く、総身を震わせながら、斧兵衛の白髪首を見下ろしていた。
同年九月二十日。
忠義は、むろん直ぐに信じられなかった。
「……大通院さまは、御他界の数日前、斧兵衛を召されて追腹を許すと仰せられました。しかし、それには土産が要る。三年のあいだに土産を拵えて追って参れ……そう仰せあそばされたそうにございます」
「それがあの叛逆だと申すのか」
「土佐の各地に根強い勢力を持って、お家に反抗する豪族どもは、尋常一様の手段で帰服する気色がございません。斧兵衛は追腹すべき命を延ばし、これら土豪たちと謀反を計ったうえ、ひとところに集めて自分もろとも、一挙に禍根を亡ぼしたのでございます。……娘小百合がその密謀を知りましたのは偶然のことでなく、斧兵衛が
「……小弥太!」遂に、忠義は感動に震える眼をあげて、宙を睨めながら云った。「よく分った、よく分ったぞ」
「はあっ」
「大通院さまが御臨終に、……斧兵衛は当家にとって、格別の者と仰せられた。格別の者と、……心と心と、こんなにぴったりと触れ合うものだろうか、大通院さまと斧兵衛と。……小弥太」
忠義の声はいつかしめっていた。
「斧兵衛は、土佐の国柱だな」
「そのお言葉を……ひと言、生前の斧兵衛に聞かしてやりたかったと存じまする」
「泣くな、……」
忠義は、脇を向きながら云った。
「そして、そう思うなら、娘小百合に眼をかけてやれ。……斧兵衛に若し心残りがあるとすれば、それだけであったろう。よいか」
「……殿」
小弥太は涙の
客殿の広縁には秋の日が明るく、土佐二十余万石の礎が、確固として築かれたのを祝福する如く、前庭の樹々は