泥棒と若殿

山本周五郎





 その物音は初め広縁のあたりから聞えた。縁側の板がぎしっとかなり高く鳴ったのである、成信しげのぶは本能的に枕許まくらもとの刀へ手をのばした、しかし指がさやに触れると、いまさらなんだという気持になって手をひっこめた。
 ――もうたくさんだ、どうにでも好きなようにするがいい、飽き飽きした。
 こう思いながら、仰向きに寝たまま腹の上で手を組み合せた。右がわの壁に切ってある高窓の戸の隙間から、月の光が青白い細布をいたように三条みすじながれこんでいる。ついさっきまで夜具の裾のほうにあったのが、今はずっと短かくなって、れ畳の中ほどまでを染めているにすぎない、するともう三時ころなのだなと思った。
 物音は広縁からとのいの間へはいった。ひどく用心ぶかい足つきである。床板の落ちているところが多いから、そこでもときおりぎしっぎしっときしむが、そのたびに物音はぴたりと止って、暫らくは息をひそめているようすだった。そのうちにあまり用心しすぎたせいだろう、畳の破れにでもつまずいたらしく、どさどさとよろけざま、なにかを踏みぬく激しい音が聞えた。
 ――切炉へ踏みこんだな。
 成信はこう思ってついにやにやした。うろたえた相手の顔が見えるようである。へまな人間をよこしたものだと、苦笑いをもらしたとき、そっちでぶつぶつつぶやくのが聞えた。
「おう痛え、擦りいちまった、ちきしょう、なんてえ家だ、どこもかしこもぎしぎし鳴りあがって、こんな陥し穴みてえなものまで有りあがって、――へっ、おまけにすっからかんで、どこになにがあるかわかりあしねえ、ちきしょう、まるで化物屋敷だ」
 擦り剥いたところを縛るのだろう。手拭かなにか裂く音がした。こんどは人がいないものと信じたか、独りでしきりにぐちや不平をこぼしながら、暫らくそこらをごそごそやっていた。それからやがてふすまをあけ、この寝所へとはいって来た。
 ずんぐりと小柄の男だった。短かい半纏はんてんのようなものを着て、股引ももひきをはき、素足で、頬かぶりをしていた。もちろん武士ではないし、刺客などというものとも類の違う人間だ。
 ――とするとこれは、ことによると盗人というやつかもしれぬ。
 そう思うと可笑おかしくなって、成信はついくすくす笑いだした。相手はぎょっとしたらしい。こっちへふり返り、眼をすぼめて、そこに敷いてある夜具を眺め、その中に人間の寝ているのを見た。それからとつぜん「ひょう」というような奇声をあげてとびのいた。
「だ、誰だ、――なんだ」
 男はこう叫びながら、及び腰になってこちらをのぞいた。成信は黙っていた、仰向けに寝たまま身動きもしない、――男は迷って、逃げようかどうしようかと考え、そのあげくやっと決心したのだろう、やおら片手の出刃庖丁ぼうちょうを持ちなおし、それを前方へつき出してどなった。
「やい起きろ、金を出せ、起きて来い野郎」
「――――」
「金を出せってんだ、おとなしく有り金を出しあよし四の五のぬかすと唯あおかねえ、どてっ腹へこいつをおんめえ申すぞ」
 成信はやっぱり黙っていた。男はじっとようすをうかがい、ひと足そろっと前へ出た。
「ふてえ野郎だ、狸ねえりなんぞしやあがって、それとも何か計略でも考げえてやがるのか、へっ、こっちあな、表に三十人から待ってるんだぞ、ぴいとひとつ呼笛よびこを吹きあよ、へっ、命知らずの野郎どもがだんびら物をひからしてとびこんで来るんだ、じたばたすると命あねえぞ」
「――面白いな、ひとつそれを吹いてみろ」
「なにょう、な、なんだと野郎」
「――その呼笛を吹いてみろと云うんだ」
 含み笑いをしながら成信がそう云うと、男はうっと詰り、それから出刃庖丁をゆらゆらさせ、精いっぱいすごんで喚きたてた。
「ふざけるな、しゃらくせえや、なにょうぬかす。笑あせるな野郎、ちきしょうめ、――やい、なんでもいいから金を出せ」
「――気の毒だが金はない」
「てめえおれを素人だと思ってるのか、これだけの大屋敷で金がねえ、へっ、金はないってやがる、ばかにするなってんだ、やい起きろ、こっちあちゃんとめどをつけて来たんだ、四の五のぬかすと家捜しをするぞ」
「それはいい思いつきだ、遠慮はいらないからすぐやってみろ」
 成信はさらに、こうつけ加えた。
「捜してみてもしも有ったらおれにも少し分けて呉れ」
「ふざけたことを云いやがる、しゃらくせえや、ばかにしやあがるな、野郎、みていろ、そこを動くと命あねえぞ」
 こう脅迫して、こちらがじっとしているのを認め、そろそろ家捜しにとりかかった。しかしそれはそう安楽にはゆかなかった。襖はすぐ倒れるし、戸棚の戸はあけるなりおっこちた。がらがらとなにかが倒れ、「痛え」という声がしたと思うと、またどこかを踏みぬいたとみえ、板のへし折れるはげしい音が聞えた。
「ええいめえましい、こんちきしょう、なんてえ家だ、なんてひでえ家だ」
 こう云ったとたん、男はばりばりどすんとどこかへ落ちこんだ。


 助けて呉れと云ったようでもある。だがそうではないかもしれない、「やい」とか「しゃらくせえまねをするな」というようなののしり声は、たしかに床下のほうから聞えて来た。――それから暫らくごそごそやっていたが、間もなくいあがったのだろう、そこでまたぶつぶつ不平をこぼした。
「とんでもねえ家へへえっちゃった、がたがたですっからかんで、満足な建具ひとつ有りあしねえ、うっ、――ぺっぺっ、ちきしょう、なにか口ん中へとびこみあがった」
 だがまだあきらめきれないとみえ、納戸なんどのほうへいってなにかきまわしていた。そのうちに天床から大きな石でも落ちたように、がらがらずしんめりめりとすさまじい物音がした。男は悲鳴をあげ、とびのくとたんに柱へ頭でもぶっつけたものか、ごつんという音がして、こんどはもっと大きな悲鳴が聞えた。
「おい、たくさんだ、もうよせ」成信はふきだしながらこう呼んだ、「――本当になにも有りあしない、捜してもむだだからやめるがいい」
 ああ吃驚びっくりした、とんだめにあった、ひでえ家だ、なっちゃねえや。こんなことを云いながら男はこっちへ戻って来た。
「やい、本当になんにもねえのか」
「おまえの云うとおりすっからかんだ、おれも始めにそう云ったではないか」
「笑いごっちあねえや、おお痛え」
 男は方々をでまわしながら、夜具のそばへ来て坐った。右足の股引をまくりあげて、そこを布切で縛ってある。さっき擦り剥いたところなんだろう。――男はあたりを眺めやり、溜息ためいきをついた。するとそのとき彼の腹の中でくうくうぐるぐると妙な音がした。
「腹がへってるんだが、なにか食う物はねえか」
「ないようだな」
「晩飯の残りでいいんだ、なにか食わしてくれ」
「――それがないんだ」
 舌打ちをして男は立上った。それからくりやのほうへいったが、なにかがたがたやりながら、ひどく腹を立てたように、「だだっ広くってなにがどこに有るかわからねえ」とか、「ここにかまどがあるとすれば」とか、「ちぇっ、こいつも空っぽだ」とか、いろいろ独り言を云ったのち、がっかりしてまた夜具のそばへ戻って来た。
米櫃こめびつも空っぽみてえだが、米もねえのか」
「――おれは嘘は云わない」
「じあおめえどうしてるんだ」
「――ごらんのとおりさ」
「だって飯は食ってるんだろう」
「――今日で三日、なにも口へは入れない」
「しようがねえなあ」
 男は太息をついてこちらを眺めた。するとまた腹がくうくうと鳴ったので、なま睡をのみながら立ち、なにか考えていたが、もういちど、「しようがねえなあ」と呟やき、広縁からどこか外へと出ていった。
 成信は間もなく眠ったらしい、誰かゆり起す者があるので眼をさますと、障子が仄明ほのあかるくなり、すぐ側にさっきの男が立っていた。
「起きて顔を洗わねえか、飯ができたぜ」
「――飯、……どうしたんだ」
「どうしたっていいや、早く起きねえ」
 男は厨のほうへ去った。年は三十四、五だろうか、色のくろい愚直そうな顔で、ちから仕事をした者に特有の、こごんだたくましい肩と外へ曲った太い足とが眼立った。
 ――それも面白い。にが笑いをして成信は起き、少しばかりふらふらするが、すすぎ口の廊下から井戸のほうへと出ていった。
 表のほうは正門から段下りに、畑や田のある村里へとひらけているが、裏は二千坪にあまる庭がそのまま、片ほうは黒谷の深い渓流へさがり、奥へゆけばしぜんと鬼塚山へつづいている。そちらにも昔はさくをまわしてあったのだが、ずっとまえに朽ち倒れて、今では山との境界がなにもない。それで鹿とかいのししとか、ときには熊などまでのこのこはいって来るし、狐や狸などは常住の巣をもっているようだ。――二十年以上も人が住まず、もちろん手入れなどもながくしないので、樹という樹は勝手なほうへ伸びたいだけ伸び、お互いの枝と枝、葉と葉をさし交わし重ねあうところへ、藪枯やぶからしや藤やくずなどがむやみに絡みついているから、どれが松どれが梅とも差別がつかなかった。……もちろん見るかぎり夏草の繁みで、地面のみえるところはごく僅かしかない。そのひとところ、ちょうど厨口の外に当るところに井戸があり、その四、五間さきには山水を集めたほそい流れが、夏でも指のこごえるほど冷たい水を湛えて屋敷の内をよこぎっていた。
 顔を洗って戻ると、夜具があげてあり、広縁のほうへ寄って男がぜんごしらえをしている、大きななべからはこうばしい味噌汁の匂いがひろがり、蓋をとったかまから飯の湯気が立っていた。
「顔を洗ったか、じあここへ坐んねえ」
 男はこう云って膳のそっちを指さした。


 坐ってはしをとったものの、成信はちょっとそこで躊躇ちゅうちょした。つまらないようなはなしだが、かっしても盗泉とうせんの水をのまずということが頭にうかんだのである。
「どうしたんだ、食わねえのか」
「――いや、食わなくは、ないが」
「じあさっさとやんねえな、ちっとも遠慮するこたあねえんだ、ひもじいときあお互いさまよ、にんげん三日も食わずにいて堪るもんか」
 こう云ったが、やはり成信は食べようとしない。どうしたんだ、と、男はいぶかしげにこちらを見まもった。それからふいに肩をいからせ、
「そうか、おめえこの米や味噌をおれが盗んで来たと思ってるんだな、冗談じゃあねえ、そんなべらぼうな、おめえ、とんでもねえこった」
 本気に怒った顔で口をとがらした。
「おらあ身銭を出して、この米も味噌もちゃんと買って来たんだぜ、嘘だと思うならいってきいてみねえ、この下の柘榴ざくろの花の咲いている百姓家だ、石臼いしうすみてえに肥えたかみさんからちゃんと買って来たんだから」
「いや勘弁して呉れ、おれが悪かった、それでは馳走になる」
 ほっとして成信は茶碗を持った。
 終ると男は膳をさげ、厨口から出ていって、向うの流れでよごれものを洗うらしい。成信は風とおしのよい小書院へいって横になり、ぼんやり庭の樹立を眺めやった。――まもなく男がやって来た。手を拭きながらあたりを見まわし、さてと云ったが、なにか迷うようにこちらを見て、ぶしょうひげの伸びたあごを撫でたり、ぼんのくぼを掻いたりした。
「じあこれでおらあゆくが、おめえまだずっと此処ここにいるのか」
「――まあ、そうだ」
「それでその、飯なんぞどうするんだ、なにか当はあるのか」
「――なんにも、ない」
「ないったって、そんなおめえ、それじあかつえて死んじまうぜ」
「――まあそうだろう」
 男はまたおとがいを撫で、ぼんのくぼを掻いた。こちらを見たり、肩をゆすったりして、なにかあいまいなことを云って、不決断にいちど出てゆこうとした。が、すぐ引返して来て、
「しようがねえ、冗談じあねえ」
 こう云って赤児の頭ほどの風呂敷包を腰からとり、成信の前へどさりと置いた。
「まさかおめえが飢死にをするってえのに、おれがみすててゆかれるもんじあねえ、とんだところへへえっちまった、こんなべらぼうなはなしがあるもんか、――だが、まあしようがねえ、なんとかするから、これでも食べて待っていねえ」
「――おまえそれで、どうするんだ」
「どうするったってどうしようもねえじゃねえか、なんとかするよりしようがねえ、まあいいから此処に待っていねえ」
 男は怒ったような顔でどこかへ出ていった。
 ――土地の人間ではないな。
 成信はこう思った。この附近はいうまでもない、城下町の者でさえ、この鬼塚山の御殿が廃屋であり、近づくことを禁じられ、それを犯すと罰せられることを知っている。ときおり百姓とか猟人とかきこりなどにやつして、まわりをうろうろする者があるが、それは滝沢一派の監視者たちで、そのなかには成信の命をちぢめる役を受持った人間もいるのである。
 三年まえに此処へ幽閉されるまで、成信は江戸の京橋木挽町こびきちょうにある中屋敷にいた。彼は大炊頭成豊おおいのかみしげとよの二男に生れ、成豊の側室である生母とともに、ずっと中屋敷で育った。
 大炊頭はいちど大坂城代で五年ちかく江戸を留守にしたが、その他のときは寺社奉行とか、若年寄とか、勘定奉行とか老中などとかいうぐあいに、重職の席からはなれることが少なく、参覲さんきんのいとまで領地へ帰るのもごくまれであった。――そういう多忙なためでもあろう、成信は二十歳になるまで数えるほどしか父に会っていない。また丸の内にある上屋敷には、長男の成武しげたけのほかに女姉妹が三人いて、兄とは定日には挨拶にゆくので話しもしたが、姉や妹たちは名まえを聞くだけで顔を見たこともなかった。
 成信は十五の年に他家から養子にのぞまれた、殆どまとまりかかったらしいが、父の成豊がどうしても承知せず、その後も二、三そういうはなしがあったのに、みんな断わったそうである。――これが思わぬ紛争の原因になったわけだが、成信としては、自分をはなさないのは父が自分を愛しているからだと思い、ひじょうに感動したことをおぼえている。……だが父の大炊頭は彼が二十一歳のとき卒中で倒れ、兄の成武と彼をめぐって、家督問題のはげしいあらそいが始まった。


 まえにも記したように、大炊頭はつねづね公務に追われるため、藩の政治は老臣にまかせきりのようなかたちだった。その首班は江戸の筆頭家老で、滝沢図書助といい、風貌も才腕もずばぬけた、ひところ名執政という評の高い人物でもあった。――図書助は十五年ちかくその席にいた、それだけの能力と人望があったのだろう、しかし一方では彼に反感をもち、その政策に不満をいだく者も少なくなかった。うがちずきな人たちに云わせると、大炊頭そのひとがすでに図書助を嫌っていたそうである。……反滝沢派の中心は梶田重右衛門であるが、彼が大炊頭の側用人だったところから考えると、案外それが事実であったかもしれない。
 滝沢派は兵部成武の家督をいい張った。もちろんそれが正論である。成武は長男であるし、八歳のとき将軍にめみえも済んでいる。ただ十三歳のとき脳をひどく病んでから、からだだけは丈夫であるが頭がわるく、ときどきおかしな挙動をしたり、言語がはっきりしないようなところがある、それが問題であった。
 梶田派は成信を擁立しようとした。
 ――成武が脳を病んだ直後から、大炊頭は成信に家督をなおすつもりであった。幾たびも養子のはなしがあったのを、大炊頭が断わりとおしたのはそのためである。
 かれらはこう主張し、その反面、成武が白痴であるということを、幕府の閣老のあいだに宣伝したらしい。……大炊頭は卒中で倒れて寝たきりだった。全身の麻痺まひで、口をきくこともできなかったようだ。
 成信は詳しいゆくたては知らない。知りたいとも思わなかったが、三年まえの二月のはじめのある夜、いつも側に仕えている鮫島平馬という者が来て、――梶田重右衛門がとつぜん謹慎になったこと、その一派のおもだった者はみな職を免ぜられ、三人ほど追放になった者があること、そして若殿の身にも累が及ぶかもしれないので、充分に注意して貰いたいことなどを顔色を変えてあわただしく申し述べた。
 注意するもしないもなかった。その翌朝、成信はみしらぬ侍たちにとり囲まれ、本所の下屋敷へと移された。そしてひと月すると上屋敷から使者が来て、大炊頭の名でつぎのようなことを申し渡された。
 ――おまえは一部の奸臣かんしんはかって、兄、成武をさし越し、自分が家督になおろうと企だてた、この事実はわが家法の重過であって、とうていゆるすわけにゆかない。そのため国もとへ長の蟄居ちっきょを申しつけるものである。
 成信はいちど父に会いたいと云ったが、かれらは耳にもいれなかったし、中屋敷にいる生母と別れをつげるひまもなく、すぐさま領地へ送られてしまった。――この鬼塚山の御殿というのはまえの領主の山荘だったそうで、松平家が移封して来てから、成信の祖父にあたる大炊頭成光というひとが、暫らく隠居所に使ったことがある。それもごく短かい期間のことで、あまりに荒れているし、城と五里も離れていて不便なため間もなくやめたらしい。それからのちは番人も置かず、荒廃するままにしてあったというが、……国もとへ着くとすぐ成信はここへ入れられたのであった。
 初めのうちは侍五人と、下僕が数人ついていた。そのうちに侍が一人ずつ減ってゆき、下僕も去り、今年の春から成信ひとりだけとり残された。しかし米だけはどうにか届いていたのだが、それもだんだん間遠になり、ついには米も来なくなった。――城からはときどきようすを視に来るし、この屋敷まわりには妙な人間がつねにうろうろしている、三度ばかり成信を刺しに忍びこんだ者もあった。ごく最近も表の門番所のかげから、広縁にいる彼に矢を射かけたことがある。
 城からようすを視に来る役人に、従者の欲しいこと、食糧の届かないこと、また刺客のことなど、たびたび訴えてみた。すると役人は、自分たちはすべて江戸からの申しつけどおりにしているが、貴方あなたのおこないがあまりに粗暴で、従者がみな逃げだしてしまうのである、食糧はきちんと届いている筈であると答え、また刺客の件についてはつぎのように云った。
 ――そんなことは有ろうとも思えないが、もし事実とすれば梶田一派のまわし者であろう、貴方のお命をちぢめて、継嗣問題の密謀をやみに葬むるつもりではないか。
 成信はやんぬるかなと思った。
 ――餓死か暗殺か、もう運命はきまった。
 じたばたするだけむだである。こう覚悟をきめ、すべてを投げ出した気持で、米が一粒もなくなると共に、そこで飢え死ぬつもりで寝ていたのであった。
 こういう状態のところへ賊がはいった。おそらく他国から来たもので、なんにも事情を知らないのであろうが、りにえってこんなところへはいるというのは皮肉すぎる。――おれを素人だと思うかなどと威張ったが、おそらくそのとおりに違いない。ひとがらも悪人にはみえないし、自分の銭で米味噌を買い、煮炊きをして食わせさえした。
「家来たちがおれの命をちぢめようとしているのに、盗賊はおれに飯を食わせて呉れた、妙な世のなかだ」
 成信はこう呟やいて、男の置いていった包をあけてみた。中には味噌をまぶした大きな握り飯が三つはいっていた。


 うす暗くなってから男が帰って来た。
「おう今けえったぜ」男は広縁のところからそう叫んだ、「おそくなっちまった、腹が減ったろう、いますぐ飯にするからな」
 裏へまわってゆく男のうしろ姿をみおくりながら、成信はふと胸の温たまるような感動をさそわれた、自分では理解しがたい、温たかく胸のうるおうような感動である。彼は久しぶりで机に向い、それへ両肱りょうひじをついて、厨口のもの音をなつかしいような気持で聞いていた。
 食膳は味噌汁と飯のほかに、鉢いっぱいの梅干が出ていた。
「これもみんな買って来たものか」
「よせやい、いやなことを云うな」男は眼を三角にし、口をとがらした、「にんげんひとり抱えて、おめえ、泥棒なんぞでやってゆけるもんじあねえや」
「――はあ、そういうものか」
「独り身ならそれあ、まあ泥棒でも食っていけるかもしれねえ、けれどもおめえという者を抱えてみりあ、まじめにかせがなくっちゃあ追っつきあしねえや」
「――はあ、それは気の毒だな」
「いやな挨拶をするなよ、気の毒だったってべつに、おれだってそんなに泥棒なんぞしたかあねえや、まあ食おう、――飯が少しかてえかもしれねえ」
 夜になると夜具を並べて寝た。おそろしく疲れたとみえて、男は横になるとすぐ眠りこんだ。大きないびきをかいたり、どたんばたんと手足を投げだしたり、夜具の外へころげ出たり、無作法きわまる寝かたであった。――成信はいつもの癖で、蚊遣かやり火をきながら、燈火をひき寄せて夜半すぎまで本を読んだ。
 明くる朝も男はどこかへでかけたが、出てゆくとき成信に昼食のあるところを教え、今日はなにか魚の干物でも買って来ようと云った。
「ところで名めえが知れねえで不便なんだが、おらあ伝九郎てえんだ、伝九ってえばいいんだが、おめえの名はなんていうんだ」
「――おれか、おれの名は……信だ」
「ただ信だけかい、お侍らしくないじゃねえか、なんのなに信てえわけじゃねえのか」
「――いやそれでいい、信でいいんだ」
「ただの信、さとうただのぶか」
 芝居ですれあいかりを背負ってくる役だ、などと、まちがったしゃれを云いながら出ていった。
 伝九郎は云ったとおり、その日はちめという魚の干物を買って帰った。ここへ幽閉されてから初めての魚といってもよい、成信は幾たびも、「うまい」と云いそうになっては口をつぐんだ。――こうして三日、四日と経った。伝九郎は大妻川の堤防工事で働らいているという。それはいいが、いつも厳しい監視者はどうしたのか、伝九郎のような人間が出はいりしているのに、どうしてすてておくのか、そこが成信には不審に思われた。
「この屋敷へ出はいりして、誰かにとがめられたことはなかったか」
 いちどそうきいてみたところ、
「おらあそんなへまなこたあしねえよ」
 伝九郎はさもるそうに笑った。
「この近所の百姓だって、おれたちが此処にいるこたあ知っちあいめえ、工事場の者なんざ云うまでもねえさ、そこはおれだって考げえてらあな」
 ほの暗いうちに出てれてから帰る。往来ゆききとも黒谷の谿流けいりゅうに沿った杣道そまみちをとるので、まだ途中で人にであったこともないと云った。これまでの監視ぶりは、そんなことでごまかされるような、なまぬるいものではなかった。とすれば、あるいは監視がゆるんだのかもしれない。
 ――そういえば城からのみまわりも暫らく来ないようだが。
 成信はこんなふうに考えていた。
 はなはだ奇妙な、一種の共同生活が、こうして続いていった。男は言葉つきこそ対等であるが、そのほかのことは主人に仕える召使いのようだった。労働をして稼ぎ、煮炊きをして成信に喰べさせ、洗濯までするのである。――家臣に仕えられて育った成信すら、ときには済まないと思い、なぜこんなにして呉れるのかと、いぶかしくなることもあった。
「おめえってひとはじつにふしぎだ」伝九郎は伝九郎でそんなことを云った、「おらあ生れてからこんな気持になったなあ初めてだが、おめえを見ているとへんに楽しいような、うれしいような、――こう、なんと云えばいいか、その、世のなかも案外いいもんだっていうような気持かな……ふしぎにそんな気持がするんだ」
「――これまではそうではなかったのか」
「そうでねえからこそ、泥棒にでもなっちめえてえ量見にもなったのよ、思いだしてもはらわたの煮えるような、ひでえにばかりあって来たからな」


 伝九郎はごくたまに、それもきわめて断片的に、自分の身の上ばなしをした。
 生活の環境がちがうし、こまかい部分は話さないから、ごくあらましのことしかわからなかったが、ぜんたいとして、その過去はいたましいほど運が悪く、聞くほうでも暗然となるようなことが多かった。――彼は江戸の下町の生れで、家はちょっとした乾物屋だった。父親はおとなしい好人物であったが、酒を飲むとひとが変り、あるだけの金を持ってとびだしたきり、五日も六日も帰らないようなことがしばしばあった。結局は店を飲みつぶしてしまい、親子三人で長屋へひっこむと、まもなく父親は急死した。急死といっても酔って川へおちて死んだのである。
「おらあそれで七つの年からしじみを売りに出たもんだ」
 母親が後夫をむかえ、彼は日本橋のほうの海産物の問屋へ小僧にいった。義理の父というひとがまたずぬけた酒のみで、母親はずいぶん苦労したらしい、そのためか三年ばかりして亡くなった。
「だから十三でおらあみなしごになったわけだ、本当はみなしごなんだが残ったその義理のおやじてえのがいる、こいつがおれの厄病神になりあがった」
 新三というその男は、妻に死なれてから三日にあげず店へ来た。伝九郎をよびだして小遣い銭をねだる、いつもひどく酔っていて、大きな声をあげたり、ときには暴れたりした。なにかの職人だということだが、もうまえから仕事などはしないらしい。博奕ばくちうちにでもなっているのか、風態も悪いしいやな人相だった。――問屋の主人もそんな人間にしげしげ来られるのは迷惑だったろう、新三がたびたび、「こんな給金の安いところへ置くわけにあいかねえ」などと云うのを幸わい、二年たらずで態よく店からひまをだされた。
 伝九郎はたるひろいをした。子守りもした。石屋、左官、車屋、米屋、いろいろな家へ小僧にいった。だがそれは職をおぼえるためではない、年季奉公の約束で、さきに幾ら幾らと養父が金を取る、そうして少し経つとそこを逃げだすのである。つまり先取りの金が目的なのだ、――なかには奉公さきがよくって、逃げたくない、この家で暮したい、そう思うことがある。すると日本橋の問屋の例で、養父が毎日のように酔っぱらって来て、前借を増せとか、給金が安いとか喚きたて、店さきへ寝たり、暴れまわったりする、それでたいてい向うからひまがでた。
 二十五で妻をもらったとき、伝九郎は本所で左官のてつだいをしていた。妻は居酒屋などにいた女らしく、養父がれて来ていつくようにさせたのであるが、以来、その長屋のひと間は博奕場のようになった。いつも妙な人間が出いりをし、夜どおしさいころや花札の音がしていた。妻は伝九郎などそっちのけで、そのなかまと博奕を打ったり、酒の相手をして騒いだり、まるで夫婦というようなものではなかった。
「その女は百日もいたかな、まもなくそのなかまの一人とどこかへいっちまった、じつはそれがその女の本当の亭主だったらしい」
 養父は彼を搾れるだけ搾りとおした。そして胃を病んで死んだのであるが、寝こんでから息をひきとるまで、半年以上ものあいだ彼を「不孝者」といってののしり続けた。――伝九郎は三十になっていた、はじめて自分ひとりの、好きなように生きられるときが来た。そう思ったのであるが、これといって手に職があるわけではないし、年がもう年で、そのときどきの仕事を転々と稼ぐよりほかにしかたがなかった。
 三十一で二度めの妻をもった。もう二十三になる気の強い女でいちど嫁にいったことがあるらしい、こまめに働らくのはいいが、口やかましいうえにぐちっぽくて、おそろしい吝嗇りんしょくで、しかも平気で嘘をついた。
「そのじぶんおらあ車力をしていたが、親方にみこまれて古石場の近くへ帳場を持たせてもらった、堅いところをみこまれたんだろう、車を十二台と曳き子を三人あずかった、貸し車もするわけなんだが、――その曳き子のなかに吉五郎という男がいて、こいつはおれより古株なんだが、……悪い野郎で、三月と経たねえうちに帳場の金をさらってずらかりあがった、そればかりならいいが、十二台の車もひとに売る約束で、その金も持ってきあがったにはびっくりした」
 もちろん彼はその親方とは縁が切れた。一方では妻の吝嗇と嘘つきと口やかましいのにあいそをつかしていた、がみがみと云いたいほうだいのことを云って、それこそ三杯の飯を二杯に詰めて、そうして自分はへそくりを溜めるというふうだった。――もう顔を見るのも声を聞くのもいやらしくなったので、古石場の帳場がつぶれるとすぐ、彼は江戸を逃げだした。


「この土地へ来るまでにあずいぶんほうぼう渡り歩いたが、どこにもおちつく場所はなかった、世間はせちがれえし、にんげんはるくて不人情で、おらあ小股こまたをすくわれたり陥し穴へつきおとされたり、ひでえにあいどおしだった、――さすがのおれもごうが煮えて、やけっぱちになって、そうして、……ええくそ、そっちがそうならこっちもと思って――だが智恵のねえやつはしようがねえ、泥棒にへえったのがこの化物屋敷だよ、……へっ、まったくのところうまく出来てやがる」
 話しはごくとびとびで前後がとり違ったり、同じことをなんども繰り返したりした。そのうえ成信には理解のつかないところがたくさんある、樽ひろいとか蜆売りとか、そのほか日傭ひようとりの暮しなどは殆んどわからなかった。――しかし成信にはその話しは楽しかった、楽しいといっては違うかもしれない、事実はいたましく哀れなのだ、聞いて思わず歎息ためいきのでるようなことがしばしばであった。けれどもそこには成信などの知らない、活き活きした生活があり、人間のあからさまなすがたが感じられた。
 夜半に眼がさめて、隣りに熟睡している伝九郎の寝息を聞きながら、成信はしみじみとしたおもいで、酔って川へはまって死んだという彼の実父のことを想像した。七つという年で蜆を売り歩いたという、霜のおりた、寒い、早朝の街のひっそりとした景色を、眼にえがいてみた。
 ――このおれがもしそのような身の上だったら。
 成信は彼と自分とを置き替えてみた。すると置き替えたほうが人間らしく、生き甲斐がいのあるように感じられた。
 古石場の帳場から金をさらって逃げたという男。吝嗇で嘘つきで口やかましい女房。彼を苦しめ、搾れるだけ搾りながら、死ぬまで彼を「親不孝者」と罵しったという養父。妻とは名ばかりで、博奕を打ち酒を飲んで騒ぎ、じつはほかに本当の亭主があったという初めの女。――みんなそれぞれ狡猾でいやらしい、だがそうやって伝九郎をいためつけ、彼をだまし、彼を憎み、彼からくすねたり奪ったりしながら、かれら自身もそれほど恵まれはしなかったであろう。……今でもどこか世間の隅のほうで、それぞれの苦しい生活に追われ、ときにつくねんと溜息でもついているのではないだろうか。
 ――みんな気の毒な、哀れな本当はよき人たちなんだ。少なくともおれの周囲にいる人間よりは人間らしい。
 二十日はつかあまりいっしょに暮すうち、成信はすっかり伝九郎が好きになった。彼の躯には生きた世のなかの匂いが附いている、良いところも醜くいところも、卑しさも清らかさもひっくるめた、正直なあるがままの人間の呼吸が感じられた。
「おう信さん、おめえどじょう汁を食うか」
「――よく知らないが食うだろう」
「食うだろうってどじょう汁も知らねえのか、へえ、おめえ知らねえものばかりじゃねえか」
「――うん、まあそんなところだ」
「よっぽど家が貧乏か、それともお大名の若さまみてえだぜ」
 こんなふうで、まだ口にしたことのないものもいろいろ喰べた。武家の生活とは違って、無作法な下品なような感じであるが、すべてに情があり真実がこもっていた。――炊きたての飯に熱い汁をかけて食ううまさ、肌ぬぎの茶漬け、青じその香をきかした冷奴、さらに釜底の狐色に焦げたところへ塩をふった握り飯など、品も作法もなくうまかった。これが本当の喰べものだという気がした。
「おもしれえことがあるぜ、信さん」
 ある夜、夕餉ゆうげをとりながら伝九郎がこう云った。
「世のなかは広大だ、おれがどじだと思ったら、おれに輪をかけた野郎がいやあがる」
「――それはいることは、いるだろう」
「いるったって、それがおめえ、泥棒だぜ」
「――ばかなことを、まさか……」
「それがそうらしいんだ、百姓みてえな恰好なんだが、表のへいのまわりや、裏庭の奥のほうをときどきうろついている、おらあ気がつかねえふうで見ているが、さっき飯を炊いてるときもちらっとしやがった、――うまやのぶっこわれたのがある、あのかげのところだ」
 成信は顔をうつむけた。表情の変るのをみられたくなかったのである。伝九郎はまるで気がつかず、にやにやしながら面白そうに云った。
「今夜あたりへえって来るかもしれねえ、そうしたらこんだあおれが見物する番だ、へっ、つんのめったり、踏みぬいたり、どたんばたん独りで暴れて、ほこりまみれの汗だくんなって、それですっからかんのなんにも無しとくらあ、――へっ、野郎びっくらして馬鹿にでもなっちまうな」
 だがその夜はなにごともなかった。


「どうしようてんだ、あの野郎、なにをいつまでまごまごしてるんだ、まだへえる決心がつかねえのかな」
 伝九郎はもどかしそうに舌打ちをした。
「思いきってへえりあいいじゃねえかなあ、こっちは手出しはしねえんだ、見ていて笑ってやろうってだけなんだ、八方あけっ放しで待ってるんだ、よっぽどの臆病者にちげえねえ」
 彼がいくら不平を云っても、やっぱり泥棒のはいるようすはなかった。――するとある日、伝九郎がその話をしてから七日ほど経っていたが、曇り日のむしむしする午後、成信が小書院で横になって本をみていると、まえ庭のほうで「若殿、若殿――」という声がした。成信は頭だけそっちへ向けて、誰だ、と、もの憂げに答えた。
「平馬でございます、鮫島平馬でございます」
 成信はだるそうに本を投げた。鮫島平馬、ああ江戸の中屋敷にいた男か、そう思ったが、起きてゆく気持にはなれなかった。
「――なんだ、おれになにか用か」
「急ぎますので、要点だけ申しあげます、大殿には御他界にございます、御承知でいらっしゃいますか」
「――知らない、初めて聞いた」
 五月十日に逝去したと云うのを聞きながら、成信は眼をつむって、口のなかでそっと、「父上」と呟いた。平馬はさらに、梶田重右衛門が家老に就任し、滝沢図書助が待命になったこと、つまり情勢が大きく変化し始めたことを述べた。しかし成信にはもうそんなことは興味がない、誰が勝ち誰が負けようと、権力の席がどう変ろうと、彼にはなんの関わりもないことだ。
 ――そうか、父上はお亡くなりなすったのか、御臨終は平安だったろうか、中屋敷の母上はおなごりを申しにあがれたろうか。
 平馬はなお続けていた。この山荘は早くから自分たち同志の者で護って来た。すでに滝沢家の監視はゆるんでいるが、情勢がはっきり決定するまでは油断ができない。非常手段を打たれる心配もあるから、いま暫らくこのままかげから守護をしている、若殿にもそのつもりで辛抱して頂きたい、などとも云った。
 そのなかで一つ意外なことがあった。それは三度あらわれた刺客も、ふいに矢を射かけた者も、みな梶田一派の人間だったということで、これには成信もびっくりした。
「まことにやむを得ぬ、苦肉の策でございました」
 平馬は歯をくいしばった声でそう云った。
「滝沢党ではかねてから、若殿のお命をおちぢめ申すてだてにあいみえました、それで逆手を打ったのですが、かれらは幸いこれをみやぶることができず、手を濡らさずして目的を達すると思ったようすでございました、――かような事情で、万やむを得ない窮余の策ですから、不礼のだんはどうぞ幾重にもおゆるしを願います」
 成信はしまいまで横になっていた。そうして平馬が去ろうとしたとき、
「――みんなにそう云え、もうおれに構うな、いいか、おれのことは放っておけと」
 刺客が自分のみかただったということは、なにより成信を不愉快にした。それは愚弄ぐろうではないか、そのとき成信はしんけんであった。本当に暗殺されるかもしれないと思った。枕のそばへ刀を置く習慣も、夜よく熟睡のできない癖も、みんなそれ以来身についたものである。
 ――刺客などが来るとすれば梶田一派のまわし者であろう。
 城からみまわりに来た役人が、そう云って冷笑したことを思いだす。かれらは裏を掻かれていたわけであるが、成信の身にすれば、「裏を掻く」ことのほうがずっと恥かしかった。
「いやだ、つくづくいやな世界だ」
 成信はこう呟やき、なにもかも忘れたいというように、頭をはげしく左右に振った。
「――伝九、二人でどこかへゆくか」
 成信はその夜そう云った。
「悪くはねえな、おめえさえいて呉れりあ、おらあどこでどんな苦労でもするぜ」
「――なに、おれだって、なにか、するさ」
「それあさきゆきあそうさ、にんげん遊んで食ってちあ天道さまに申しわけがねえ、けれどもせくこたあねえぜ、おめえの躯が丈夫になり、そういう気持が出てからのはなしさ」
「――おれは、躯は丈夫だよ」
「自分じあそのつもりだろうがそうじあねえ、おめえの躯は病んでる、病気てえものじあねえかもしれねえが」
 伝九郎はきまじめな顔でこちらを見た。
「そうよ、躯か心んなかかわからねえが、とにかくどこか相当いたんでる、おらあこれでそういう勘はわりかたたしかなんだ」
「――ほう、そんなふうにみえるかな」
「心配するこたあねえんだぜ、信さん、おれがついてるからな、大船……ってえわけにあいかねえが、おれにできるだけのこたあするつもりだ、まあいいから、当分おめえは暢気のんきにしていねえ」


 成信は本気であった。伝九郎といっしょにここを出奔し、どこでもいい、この身で働いて、人間らしい慎ましい生活をしよう。伝九郎を騙し、搾り、くすね、罵しり辱しめたような人間はどこにでもいるに違いない。しかしそれもさして悪くはない、権力争奪の傀儡かいらいにされるより、はるかに人間らしく、生き甲斐もありそうだ。
 ――出てゆこう、伝九郎といっしょに、自分で働いて生きよう。
 成信がそう決心するのと反対に、伝九郎はなかなか動くけしきがなかった。堤防工事の人足の親方がだいぶ彼に執心で、その頃はもう小頭にひきあげていた。さきへいってはひと現場まかせてもいいような口ぶりらしい。
「自分でもいやなんだが、どうもおれにあそういうところがあるらしい」
 伝九郎はてれくさいような眼つきをした。
「おらあ嫌えなんだ、そういうことはいやなんだけれども、――古石場のときもそうなんだが、へんに信用されるところがあるらしい、べつにおべっかを遣うようなこたあねえつもりなんだが」
 しかし信用されてみれば悪い気持ではないし、こちらもそれだけのことをする義理はある。伝九郎はそういうつもりのようだ。
「此処はこのとおりぶっ壊れの化物屋敷で、誰に邪魔をされる心配もねえ、閑静で暢気で、おれたちがこうしているにあ持って来いだぜ、――とにかくもうちっといてみようや」
 こんなふうに云っているうちに、十日ばかり経ってしまった。
 その日はよく晴れて、秋をおもわせるような、爽やかな、ややつよい西風が、朝からしきりに樹々の枝を鳴らしていた。伝九郎がでかけて一ときあまり経ったろうか、遠くから馬蹄ばていの音が近づいて来て、表門のところで停った。――五、六騎はいるらしい、成信はどきっとし、刀をひきよせてそっちを見た。平馬が云ったように、滝沢派で非常手段を打ちに来たのかもしれない。
 ――もうやみやみと討たれはしないぞ。
 こう思っていると、前栽せんざいをまわって五人の武士がはいって来た。なかに一人、塗笠を冠った者がいて、その者だけがそこで笠をぬぎ、刀を侍者に渡して、こちらへ進んで来た。他の四人はその場にひざをついて控えたが、鮫島平馬の顔もそのなかにみえた。
 こちらへ来たのは榁久左衛門むろきゅうざえもんという者だった。江戸の上屋敷でたびたび会ったことがある、中老格で、慥かずっと馬廻り支配をしていた筈だ。年は四十三、四、柳生流の達者だと聞いたように思うが、――今みるとたいそうせて、左右のびんが白くなったし、日にやけて、とがったような顔に、おちくぼんだ眼だけが強い光りを帯びていた。
「おみ忘れでございましょうか、榁久左衛門にございます」
 縁さきに片膝をついて彼はこう云った。そうして、頭を下げたまま、成信にながい辛労をさせたことをび、城へ迎えるために来たこと、詳しい事情は城へいってから申しあげよう、御乗馬を曳いて来てあるから、すぐしたくをしてお立ち下さるようにと云った。
「――おれに構うな、平馬にそう申した筈だ」
 成信は正坐して静かにそう答えた。
「――城へはゆかぬ、いやだ」
「わたくしは五日まえに江戸からこちらへ到着いたしました、当地におきましてのおいたわしい御日常は、江戸でもあらまし承知しておりましたが、こちらへまいり、三年以来の詳しいことを聞きまして、おそれながら五体も砕けまじい、心魂の消えるおもいにございました」
「――おれが飢えていたことも聞いたか」
 成信はむしろほほ笑みながら云った。
「――おれが泥棒に食わせて貰っていることも聞いたか」
「おそれながらすべて承知いたしております、その者とのお暮しぶりも、そのお暮しぶりが御意にめしたというごようすも、また、御身分をすてて世に隠れるおぼしめしのことも、すべて承知いたしております」
 これは成信には思いがけない言葉だった。平馬か、とも思ったが、平馬にもそこまでわかる筈はない、出奔して庶民のなかへはいろうという思案は、伝九郎のほかに知る者はない筈である。――では伝九郎か、そう考えてきて成信ははっと眼をあげた。
「――伝九郎の足をとめたのはそのほうどもか」
「当地の者どもが計らいました、知れざるように手をまわして、賃銀も多く遣わし、役もつけ、今後もながく当地にいて、身の立つようにとも計らってございます」
「――それでおれが城へ帰ると思うのだな」
 成信は冷やかな、しかし強い調子でこう云った。
「――おれはいやだ、もうおれに構うな、おまえたちの傀儡になるのはもうごめんだ、おれは人間らしく生きることを知った、おれは人間らしく生きる」
「その仰せは覚悟のうえでまいりました」
 久左衛門はこう云って静かにこちらを見あげた。


「おぼしめしどおり市井しせいのひととなり、御意のままにお暮しなされば、御身おひとつなんのお心づかいもなく、無事安穏におすごしあそばすことができましょう、しかしそれだけでようございましょうか、御自分だけ気まま安楽におすごしあそばせば、他のことはどうなろうと構わぬ、そうお思いなされますか」
 久左衛門の眼はきらきらと光った。
「ただいまそのほうどもの傀儡と仰せられましたが、このたびの御継嗣問題では三名の者が切腹しております、梶田どのをはじめ同志の者ども、みないのちをなげだし、肝胆を砕いて奔走いたしました、――こんにちまでの若殿のながい御艱難かんなんは、申すもおそれおおいしだいですが、われらもまた死ぬ覚悟でやってまいったのです、……滝沢どの一党が兵部さま御相続をしいましたのは、おそれながら御瘋疾にわたらせらるるを幸い、おのれの権勢をほしいままにし、専制、事をおこなう手段でございました」
 しだいに声が激しく、調子もぐんぐん強くなった。
「これまでも滝沢どの一党の専断は眼にあまるものがあり、大殿にもよほど御心痛あそばされたとうかがっております、兵部さま御瘋疾のあとより、若殿を御世子になおし、それによって重職の交替と、政治の更新とを御思案あったと承わりました、――さればこそ梶田どのはじめわれら同志の者は、骨を砕き肉を削るおもいでやってまいったのです、御家のため、政治を建てなおすため、ひいては七万五千石の領民のために、……そうしてようやく今日という時がまいりました、この日のためにみな身命をなげだして働いたのです、――若殿、こなたさまはこれらの者を捨てて、自分おひとりだけ安穏に暮したいとおぼしめしますか」
 いつか成信は眼を伏せていた。久左衛門は声をやわらげ、そっと息をついて続けた。――人間には身分のいかんを問わずそれぞれの責任がある、庶民には庶民の、侍には侍の、そして領主には領主の、それぞれが各自の責任を果してこそ世のなかが動いてゆく。領主となって一藩の家臣をたばね、領民の生活をやすんずるよき政治をるということは、市井のひとになるよりは困難で苦しい。しかし大殿も先大殿も、その苦しい困難な責任を果された。……気まま安楽に生きたいと思うまえに、自分の責任ということも考えなければならぬであろう。われわれ同志ばかりでなく、一藩をあげてあなたを待っている。みんな手をさしのべるおもいで待っているのである。――久左衛門はこう云って、涙でうるんだ眼でじっとこちらを見まもった。
「お帰り下さい、若殿、お願いでございます」
 眼を伏せたまま成信はやや暫らく黙っていた。さっきからみると頬がこけ、眉のあたりに一種の気宇のあらわれがみえる、彼はやがて静かに顔をあげ、あるかなきかにうなずきながら云った。
「――わかった、城へ帰ろう」
 それが聞えたのだろう、前栽の脇につくばっていた四人の者達が、いっせいに芝の上へ手をつき、耐えかねた様に、啜り泣きの声をあげた。
「――伝九郎はおれにとっては、恩人ともいうべき者だ、ゆくすえをくれぐれも頼む」
「必らず御意どおりにつかまつります」
「――おれは明日ひとりで帰る、彼とひと夜なごりをおしみたい、今日はこれでひきとるように」
 成信はかれらが去ってからも、ながいことそこに坐っていた。それから庭へ出てゆき、荒れはてた邸内をあちらこちら歩き廻った。彼の相貌はひきしまり、あたりを見廻す眼には強い意志のいろがあらわれた。
「――伝九、……おれは帰るよ」
 口のなかでそっと呟やき、風のわたる晴れあがった空へと、かなしげに眼をやった。
 伝九郎が帰って来たとき、成信は竈で汁をこしらえていた。頭から灰まみれで、煙にまかれたのだろう、眼のまわりを黒く汚していた。伝九郎はびっくりし、とんで来て、彼の手から火吹き竹をひったくった。
「なにをこんな、おめえがなにもこんなことをするこたあねえじゃねえか、冗談じゃねえ、お天気が変らあ」
「――今日はおれがするよ、わけがあるんだ」
「わけがあったっておめえに出来るこっちあねえ、おれが代るから向うへいって」
「――いや、もう済んだんだ」
 成信は鍋の蓋をとり、ざるにあげてあった刻み大根を入れた。
「――飯も炊けたし、魚も焼いてある」
「こいつあびっくり仰天だ、冗談じあねえ、せっかく続いていた日和が、これできっとおじゃんになるぜ」
「――まあ足を洗え、そして飯にしよう」

十一


 食膳に向うと伝九郎はもういちど驚ろいた。
「おめえこれあ、これあどうして、ちゃんとしたもんじあねえか」
「――ちゃんとしたもの、とは、なにがだ」
「飯も上出来だし魚の焼きかたもいいし、おまけにせりのしたしたあ驚いた、こいつあたいした驚きだ、かぶとをぬいだぜ」
 成信は笑ってなにも云わなかった。
「お侍は恐えてえことを云うがまったくだな、すまして肩肱を張ってるが、いざとなれあこんなこともできるんだ、やっぱり修業てえものが違うんだな」
「――そう褒めるな、まぐれ当りだ」
「御謙遜けんそんにあ及ばねえ、と、思いだしたんだが、おめえさっきこれにあわけがあるとか云ったようだが、あれあなんだ」
「――うん、しかしそれは、喰べてからに、しよう」
「気をもたせねえで呉れ、心配になるぜ」
 食事をしながら話すつもりだった。しかし箸をとってみると口がきれない、それでいっとき延ばしたわけであるが、食事が済み、あと片づけが終って、いつもの炉端へ坐ってからも、胸さきの詰るような気持で、どうにも話しができなかった。
「どうしたんだ、わけてえのはなんだ」
「――なに、たいしたことでは、ないさ」
「たいしたことでねえにしても、話しを聞かなくちあおちつかねえ、云って呉んねえな」
 成信は蚊遣りの煙にむせて、せきをしながら脇へ向き、笑いながら、じつはわけもなにもない、あのときのでまかせだと云った。
「冗談じあねえ本当かいそれあ、本当になんにもわけあねえのかい」
「――いちどぐらいは、おれが煮炊きをして、伝九に喰べて貰いたかった、おまえにはずいぶんながいあいだ、世話になったから」
「やめたやめた、そんな水臭えこたあ聞きたくあねえ、おらあ横にならして貰うぜ」
 伝九郎はそこへ寝ころび、手足をうーんと思いきり踏みのばした。――いつもそうして、その日の仕事場の出来ごとなどを話し、終りのほうは舌がもつれて、欠伸あくびが欠伸につぐようになると、そのままそこで眠ってしまう。夜中になって気温の下るじぶん、成信が起して寝床へいれてやるのだが、その夜はいつもより早く、十時頃にはゆり起した。
「――さあ寝るんだ、風邪をひくぞ」
 伝九郎は殆んど夢中のようで、這って夜具までゆくとそれなり、手足を投げだして眠りこけた。――成信はその寝姿を、やや暫らく見まもっていたが、裏庭の樹をわたる風の音を聞いて、われに返ったように立上った。――今だ、今ゆかぬと気がくじける。
 時が経つほどみれんが強くなる。朝までというつもりだったが。早いほうがまちがいなしと思い切って、なにもかもそのまま、立っていってすばやく身仕度をした。――はかまをはき、刀を持てばよい、広縁のきしみを除けて、沓脱くつぬぎの草履をさぐり当てた。そうして前庭へ出てゆくとたん、うしろから伝九郎の声がした。
「おめえいっちまうのか、信さん」
 成信は身のすくむ思いで立停った。
「おれを置いて、いっちまうのか」
「――伝九郎、堪忍して呉れ」成信は頭を垂れ、声をころして云った、「――おまえはこの土地でりっぱに生きてゆける、おれも生きたい、おれも武士として生きたくなった、おまえがおまえらしく生きるように、おれもおれらしく生きたくなったんだ、……世話になり放しで済まない、まことに済まないがおれをゆかせて呉れ」
「晩の飯はこのためだったんだな」伝九郎は広縁の柱を抱いたまま云った、「おらあ信さんといっしょにいたかった、一生ふたりで暮せると思ってたんだ、信さんと暮すようになってから、初めておらあ生きる張合ができ、世のなかが明るくみえてきた、ようやっと人間らしい気持になれたのに、――いまんなっておめえにいかれちまう、信さんてえものがいなくなる、……伝九が可哀そうだたあ、思っちあ呉れねえのか」
 成信は夜の空をふり仰いだ、頭をはげしく左右に振り、きっぱりと力をこめて云った。
「――また会おう、伝九、人間にはそれぞれの道がある、おれはおれの道をゆくんだ、達者でいて呉れ、さらばだ」
 成信は思いきって、大股にぐんぐん歩きだした。
「それじあ、いっちまうんだな、信さん」伝九郎の声がうしろから追って来た、「おらあもうとめねえよ、――どうかりっぱに出世して呉んな、……祈ってるからな、病まねえようにして、――いつか、もしできたら、会いに来て呉んな、信さん、おらあ待ってるぜ」
 歯をくいしばり、耳をふさぐおもいで、成信はずんずん門の外へ出た。するとそこに誰かいてつくばった。
「お供をつかまつります」
 鮫島平馬である、成信は頷ずいて、そのまま道を下っていった。
 まだ西風が強く、夜空はちりばめたような星であった。
 ――信さん、いっちまうのか信さん。
 成信の耳には伝九郎のかなしい声がいつまでも聞えていた。





底本:「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」新潮社
   1983(昭和58)年4月25日発行
初出:「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社
   1949(昭和24)年12月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2020年3月28日作成
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