慶長五年
(一六〇〇)六月のある日の
昏れがたに、岩代のくに白河郡の東をはしる山峡のけわしい道を越えてきた一隊百二十余人のみしらぬ武者たちが
竹置という小さな谷あいの部落へはいって野営をした。……かれらは
馬標も立てず、旗さし物もかかげていなかった。みんな頭から灰をかぶったように
埃まみれで、誰の顔にも汗の
条が塩になって乾いていた。疲れきっているとみえてむだ口をきく者もなく、部落へはいるなりぱたぱたと地面へからだを投げだす者が多かった。部将は三十二三になる眼のするどい小柄で
精悍そうなからだつきの男だったが、村へ着くとすぐ二人の副将をつれて
村長の家をおとずれた、そしてそこを宿所にきめ、各隊の番がしらを呼び集めて野営の命令をだした。
隊士たちは静粛に列を解いた、
甲冑や具足をとり
草鞋をぬいで、谷川の
畔りや噴き井のまわりへ汗を拭きに集った。そこにも
此処にもたくましい裸が
往き交い、水音がこころよくあたりにひろがったが、やっぱりむだな話しごえはどこにもおこらなかった。荷駄を
曳いて来た二十余人の足軽たちは三カ所にわかれて
兵粮をつくり、それを手ばやく各隊へ配ってまわった。日没のはやい谷峡はもうすっかり昏れて、空には星がきらめきだしていた、風のないむしむしする宵だった。蚊の群れが八方から寄ってくるなかで、武者たちは笑いごえもたてず兵粮をつかった、湯を
啜るにも音を忍ばせるし、隣りの者と話をするのも声をひそめた、「済んだ者は腰兵粮をわけるから荷駄へ集れ」そう伝えてまわる使者の声もどこかしら押えつけたように低かった。そしてすっかり終ると、かれらは黙々として
鎧や具足をつけ、新しい草鞋をとりだして
穿いた、銃隊は火繩をかけ、槍隊は差したばかりの
鞘をはねた、こうして今にも合戦を始めそうな支度をしてから、はじめてかれらは思い思いの場所で横になった。……このあいだに十人の兵が、部落のまわりへ立番
(立哨)のために出てゆき、また副将のひとり
相良官兵衛が二十余人の兵をひきいて、
先鋒隊として夜道へ向って進発していった。すべてが手ばしこい順序と、ひきしまった沈黙のうちにおこなわれたので、つい隣りの村の住民たちでさえ、これだけの兵が野営をしているとは気づかずにしまったくらいであった。
竹置の部落はひっそりと夜を迎えた、平常と少しも変らない静かな夜だった、露をむすびはじめた
叢のそこ此処から
涌きあがってくるように虫の音が
冴え、おちこちの森で鳴く
梟のこえがきみのわるいほどはっきりと谷に
木魂した。しかし時刻はまだそれほどおそくはなかった。かなり更けたと思われるのに、谷あいの下のほうで十時を打つ寺の鐘がきこえて来た、そしてその余韻がしずかに尾をひいて消えてしまうと、村長の家からそっと部将が出てきた、うしろには残った副将のひとりが、がんどう
提燈を持ってついていた。
「今日はえらかったとみえてみんなよく眠っているな」あちらに一団こちらに一団とぐっすり眠っている兵たちを見まわりながら、部将は低いこえでそう
呟いた。
「あの峠で精をだしきりました」副将はときどきがんどう提燈で寝ている兵たちを照しだした。
「荷駄がどうかと案じましたが、今日の峠越えがあれで済めばあとは大丈夫でしょう」
部将はひどい蚊だなと云いつつ、木下闇の道を拾うようにして、部落の東の端のほうまで出ていった。立番の
哨戒はきびしく守られていた、かれらは二人が近づいてゆくと、樹蔭の闇からするどく
誰何した、闇のなかで、持っている銃の火繩がちらちらと動いた。部将はその一人ひとりに
労いの言葉をかけた、
「眠いのにご苦労だな、知ってのとおりわれわれは
覘われている、立番の役は全隊士の命を預かっているのも同様だ、
掟を忘れずしっかり守ってくれ」
「そのほう掟の条目を知っているだろうな」副将がそばから云った、「覚えておるとおり申してみい」
「はっ、立番を仰付けられたる者は」と暗がりのなかで番士はかたちを正しながら、低いけれど力の
籠った調子で答えた、「許しなくしてその持場を動くべからず、万一その掟に触れたる者は、
仔細を問わず死罪たるべきこと」
「……よし、仔細を問わずということを忘れるな、たのむぞ」そして二人はまた他の方へとまわっていった。
立番の者に会うごとにおなじ問答が繰り返されたが、それはいかにもこの一隊の危険なことを示しているものだった。こうして二人が部落の南のはずれへまわっていったときである、狭い桑畑のつづく闇のかなたで、
「待て、誰だ、動くな」という誰何のこえが聞え、ぱたぱたと人の走る足音がした。
「……なんだ」部将が足をとめた。
「夜襲でしょうか」うしろにいた副将がそう云いながら前へ出た。しかし物音はそれっきり絶えて、こんどはなにやら訴えるような若い女のこえが
微かに聞えてきた、「ちょっとみてまいります」そう云って副将が走っていった。
部将は道の上にじっと耳を澄ましていた。身のまわりは虫の音でいっぱいだった、寝鳥でも立つのであろう、左がわの
叢林の奥で、ときおりばたばたと翼の音がするほか、あたりはひっそりと夜のしじまに包まれていた。間もなく副将が戻って来た、かれは肩と腰に
包物を結びつけた農家風の若い娘をひとりともなっていた。
「お旗がしらにお会いしたいと申しますのでめし連れてまいりました」
「おれに会いたい、……なに者だ」
「わたくしは初と申します」娘はまだ震えのとまらぬ声で云った、「三日まえに
棚倉の在で、御家来のお世話になりましたので、それと、少しおたのみ申したいことがございましたので……」
「おまえ独りなのか、
伴れはないのか」
はいと云う娘のようすをみて、敵の探索ではないと認めたのであろう、部将はうなずいて、ではこちらへまいれと云って宿所のほうへ戻っていった。
かなり疲れてもいるし空腹でもあるようだったので、宿所へつれて戻るとすぐに汗をぬぐわせ、また家の者に命じて食事をさせた。かの女は十七歳くらいの眉のはっきりした眼の大きな顔だちで、からだは成熟しかかっているのに人を見る表情はまだまるで少女らしい、その年ごろの娘によくみかけるようすの娘だった。言葉に
訛があるのでたずねると陸前のくに柴田の生れで、これからそこへ帰る途中だということだった。
「それで、どうしてここまでたずねて来たのか」食事がすんでから、蚊いぶしの煙のゆらめく
端近に坐って、部将はしずかに娘のはなしを促した。
初はまるい
膝の上にきちんと手を
揃え、つつましく眼を伏せて語りだした、年のわりにしては気性のしっかりした生れつきとみえ、むだの少ない要領を得たはなしぶりであった。……かの女は
下野のくに大田原の麻商人をしている叔父の家に、三年まえから手つだい奉公をしていた。それがこの夏のはじめころ、上杉景勝と徳川家康とのあいだに戦がはじまるという
噂がひろまり、いよいよ危ういようすにみえるので、故郷の柴田から父親が心配して迎えに来た、叔父も帰ったほうがよいと云うので、すぐに支度をして父といっしょに出立したが、そのときはもう白河口は通行がむつかしくなっていたから、
磐城をまわってゆくつもりで棚倉へさしかかった。おりあしく夜道になってしまい、宿を捜しているところへ、いきなり浮浪の野武士たちが出て来て
父娘をとりかこんだ、
「わたくしを
庇おうとした父はすぐうち倒されてしまいました」娘はそのときの恐怖を思いかえすように、肩をすくめながら云った、「わたくしもうだめだと存じました、ひとりの手が肩へかかったとき舌を
噛切ろうと致しました、そのとき御家来の方が来あわせて助けてくだすったのです。……父は頭と背中にひどい怪我をしておりました。御家来の方はその手当をしてくださいましたうえ、なおお持ちになっていたお薬をも置いていってくださいましたが、父は年もとっていますしからだも弱っていましたためか、その夜明けちかくにはかなくなってしまいました」
娘は朝になるのを待って、付近の農家の者に助力をたのんだ。人々はすぐに集って来てくれた、寺から僧も来た、そして見知らぬ土地とは思えない心の籠った
荼毘がおこなわれて、父親は一片の骨となった。
「あの包みが父の遺骨でございます」初はそっと眼がしらを押えながらつづけた、「その村の人たちはしきりにひき留めてくれましたけれど、わたくしは一日も早く故郷へ帰りたいと存じまして、ふり切るようにして立って来たのでございます」
「それはまことにきのどくなことだ」部将はいたましそうになんどもうなずいたが、「しかし故郷へ帰るのに、どうしてこんなところまで追って来たのか」
「はいそれは」云いかけて娘はしばらく口籠るようすだったが、すぐ思いきったという調子で、「それはあの、助けて頂いた御家来の方にお会い申して、そのときのお礼やら、父の最期のもようをお話し申上げたいと存じました、そしてそのうえで、もしおゆるしがかないましたなら、御荷駄のあとに
跟いてゆかせて頂けますようお願い申したいと存じまして……」
陸前までの道は遠く、ましてこの騒ぎのなかを娘ひとりの旅は無謀というよりほかにない、兵たちといっしょなら大丈夫と考えた気持は
尤もであるし、身の上の哀れさはつよく部将の心をうごかした。けれどもこちらの事情はもっときびしく、危険はさらに大きい、到底むすめの足などでついてゆける道次ではないのである。
「そのときの隊士の名は知っておるのか」
「はい、……三瀬新九郎さまとうかがいました」
「ああ三瀬か」思い当るとみえて部将はふりかえった、「ちょっと三瀬を呼んで来てくれ」
「あれは此処にはおりません」脇にいた副将が答えた、「相良の尖鋒隊に加わってもう出発いたしました」
そうかと部将は残念そうにうなずいた、娘の初は不安そうにこちらを見あげていた。
「いま聞くとおりだ、その者はもう此処にはいない、尖鋒隊というものに加わってさきへ出発してしまった。またこの人数といっしょにゆきたいとのことだが、われわれは山々谷々の
嶮岨な道を突破しなければならぬし、事情は云えぬが絶えず敵につけ覘われている、いつ不意を襲われて合戦になるかも知れないので、とても女の足でついて来られるものではない、新九郎にはおまえが礼に来たことをよく伝えてやるから、夜が明けたら須賀川へでも下りて、しかるべき人をたのんで故郷へ帰るがよい」
理を尽した部将の言葉に、娘は眼を伏せながらはいと答えた。けれども眉のあたりには心のきまった、確固とした意志の表白があるようにみえた。かの女はしずかに立ち、背負って来た包みの一つを持って戻ると、
「途中でみつけましたので求めてまいりました、皆さまにめしあがって頂こうと存じまして……」そう云いながら包みを解いた、中からは
早熟のみごとな梨がころころと転げだした、それを拾い集める娘の手が、ほの暗い
燈あかりに思いがけないほど白く
嬌めかしくうつしだされてみえた。
明くる早朝、まだ天地の暗いじぶんに、この一隊は北へ向って進発していった。銃隊が先頭になり、槍隊、抜刀隊とつづき、しんがりには荷駄十二頭という順で、……かれらは暁の濃い霧を押しわけ、山峡のけわしい道を踏んで、樹の間がくれに黙々と遠ざかっていった。部落の人々はながいことそれを見送っていたが、やがて思い思いに散ってしまうと、村長の家から昨夜の娘が道へと出て来た、すっかりと
足拵えをして、背中には遺骨の包みを結びつけていた。かの女は笠をあげて谷のかなたを見やり、きゅっと唇をひきしめながら、しっかりとした足どりで武者たちのあとを追ってあるきはじめた。
小谷弥兵衛は
伊達政宗の家臣で侍大将をつとめていた、「
松皮菱の差物」とさえいえば名のとおるもののふで、ことに先駈けを戦うのに
巧者だった。その年六月、徳川家康が会津征討の号令を出すと、伊達政宗はすぐに兵をまとめて帰国の途についた。そして下野のくにへはいると間もなく、小谷弥兵衛に特別の任務をさずけ、百五十人の隊士をつけて先行を命じたのである、特別の任務とは、
間道を強行して敵の白石城へ迫り、本軍攻撃の
あしばを確保することだった。……
常陸の佐竹も磐城の岩城貞隆も敵である、会津はもとより上杉の本領だから、白石へ強行するには
阿武隈山系の峡間の
嶮路をゆかなければならなかった。弥兵衛は副将として吉岡小六、相良官兵衛のふたりをきめ、兵糧、弾薬を十五駄の馬に積んで出発した。吉岡小六は磐城のくに
相馬の生れであり、相良官兵衛は岩代の田村の庄の出である、それで二人は交互に尖鋒隊となって道次の案内に立ちつつ、白河の旧関のあたりから山道へとわけ入ったのであった。
季節は夏、道は嶮岨をきわめた。そのうえ夜になって宿営すると、どこから忍び寄って来るのか不意に敵の銃撃をうけた、これはまったく思いがけぬことで、隊士たちは一時かなり
昏乱したが、弥兵衛は即座に「応戦してはならぬ」ときびしく命令をだした、「各隊は分散して伏せ斬り込んで来たらひっ包んで討つ、そうでなければ一弾も応射してはならぬぞ」昏乱しかけた兵はすぐに鎮まった。夜襲は烈しかった、大がかりなものではなかったが、誘い出そうとする戦法があからさまだった。第一夜には兵を五人と馬を一頭やられた、次の泊りは無事だったが、第三夜にはまた兵四人と荷駄を一頭失った。どうして山峡の間道をゆくこの小谷隊を敵が
嗅ぎだすのかわからなかった、かれらはまるで見てでもいるように、正確に宿営地へ襲って来てはわずかながら必ずいくらかの損害を与えるのだ。かれらがどうしてこっちの行動を探知するか、それがわからぬ限り防ぐ方法は一つしかない、つまりどこまでも警戒を厳にし損害をできる限り少なくすることだ。弥兵衛は「立番」の定をきびしくした、現今の立哨に当るもので、……ゆるしなくして持場をはなれたる者は理由の
如何にかかわらず死罪たること、そういう規律をかたく申しわたしたのである。暑熱と嶮路を冒して強行する兵士たちは、宿営地へ着くともうへとへとだった、その疲労しきったからだでなお立番に立つのは、刀を交えて戦うよりも苦しく辛い、けれどもそれは文字どおり全隊士の生命を預かる役目なのだ、ほんの一瞬のゆだんがどのような損害をまねくかも知れない、「定にそむく者は死罪」という掟は決してきびし過ぎはしなかったのだ。
竹置をしゅったつした小谷隊は、
鮫川の上流にあたる
谿谷を
渉っていった。弥兵衛は道が高くなっているところへ来るたびに、伸びあがってうしろを見かえり見かえりした。……やっぱり
跟いて来る、あるときは黒ずむほどの樹立に
蔽われた急な坂を、あるときは身の丈をぬく夏草にはさまれた蒸されるような埃立つ道を、また樹も草もなく、ぎらぎらと日光のじかに照りつける岩地を、ゆうべの初というあの娘がけんめいにこの隊のあとを追って来るのが見える。列の中へいれてやろうか、弥兵衛はなんどもそう思った、また荷駄の背へ乗せていってやろうかとも、――けれどこの隊の目的の重大さを思うとそれは不可能だった。道のぐあいで、ときどき娘の姿がしばらく見えないことがある、すると弥兵衛はほっとして、ああやっとあきらめたなと思うのだが、間もなく娘はまたあらわれる、背に遺骨の包みを結いつけ、少し
前跼みになって、叢林の中から、
崖のかどから、とぼとぼと、しかしけんめいに追って来るのがみえるのだった。磐城領の宮下という部落で、さきに来ていた相良官兵衛の尖隊と合し、そこで弁当をつかった、四半
刻の足休めである。大きな
朴の木の下で腰兵粮をひらきながら、弥兵衛は使番をやって三瀬新九郎を呼ばせた。新九郎はすぐに来た、二十四五になる背丈の高いからだで、面長の眼の澄んだ、おとなしそうな顔つきの若者だった。お召しでございますかといってかれが面前へ立ったとき、小谷弥兵衛はうんとうなずいたなり言葉に詰った、棚倉での出来事を
訊こうと思って呼んだのだが、いまさらかれに訊くことはないと、また初という娘のことを話したところで若者の心をいたずらに騒がせるだけである、つまり呼んでみてもしかたがなかったのだ。
「三瀬新九郎でございますがなにか御用ですか」
「うん、……そのほう、今日からおれの下へつかぬか、相良へはおれからそう申してやるが」
手もとで遣ってみたいとふと思いついたのでそう云った。新九郎はけげんそうに眼をみはっていたが、
「有難うございますが、できることならこのまま尖隊に置いて頂きたいと存じます」
「おれの下では窮屈とでも思うのか」
「さようなことではございません、ただ尖隊におりますほうが、わたくしにははたらき
甲斐があるように思えますので……」
尖隊は道をしらべ、敵の状況をさぐりつつ本隊を導くのが役目だった、ほねもおれるがそれだけやりがいもある、新九郎がそこから離れたがらないのも無理ではないだろう、もともとその場の思いつきで云ったことだから、弥兵衛はそれでもと押しつける気はなかった。ではいいから今のまましっかりやれと云い、新九郎の去ってゆくうしろ姿を見送りながら「いい若者だな」と呟いた。まじめな、よごれのない顔つきだし、口の重そうな、いかにも北国人らしい厚みのあるひとがらが温かく印象にのこる。初という娘とその父親を救ったことなどはさして問題ではないけれども、隊士のなかでも誰ひとり知らぬらしいのがゆかしく思えた。……ああいう者がいざというときにめざましくはたらくのだ、白石の合戦には眼をつけていてやろう。弁当をつかいながら、弥兵衛は心たのしくそんなことを思いつづけるのだった。
戻って来た新九郎をみると、相良官兵衛が呼びとめて「なんの用だった」と訊いた、新九郎はありのままを答えた。官兵衛は
顎骨の張った眉の太い、唇をいつも
への字なりにひきむすんでいる頑固そうな男で、なにか気にいらぬことがあるとぺっぺっと唾を吐きちらす癖があった。かれは今もその癖を出しながらひどく気にいらぬげに鼻を鳴らした、
「冗談じゃない、尖隊からおまえを抜かれて堪るものか、しかしそれで済んだんだな」
「はい元のままでよいことになりました」
「じゃ早く弁当を済ませるがいい、今日はこれから吉岡隊と交代だが道が長いからな」
新九郎は自分の場所へ戻って腰兵粮をひらいた。そしてかれが
麦藁堆の蔭へ坐ると間もなく、吉岡隊の戸田源七という若者が来て、なにげないようすで、「よく晴れるな」と空を見あげながら云った。青々と晴れあがった空を、まぶしそうに眼を細めて見あげながら、けれどその眼はゆだんなくあたりの人の眼をうかがっている、「行軍には辛くなろうがひと雨ほしいものだ、こう晴れ続きでは堪らない」新九郎は口のなかの物をごくっとのんで、ほとんど聞きとれぬほどの声ですばやく云った。
「……なにごともない、そっちはどうだ」
「……なにごともない」と源七もすばやく答えた、「今日はおれのほうが尖隊だそうだ、なんだかそろそろ
尻尾をつかめそうな気がする」
「なにかそんな
緒口でもあるのか」
「まだなんとも云えないが」そう云って源七は指をぴっと鳴らした、「……しかし、とにかく近いうちにきっと……」
「慎重にやれ、しくじるとそれまでだぞ」
うんとうなずきながら、源七がそ知らぬ顔で元のほうへ去ってゆくと、新九郎はなにごともなかったように弁当をつづけた。……かれが相良隊にとどまりたいと主張したのは、はたらくかいがあるという単純な理由だけではなかった、三度めの宿営地で敵の夜がけをくったときかれはふとある疑いを感じたのである、この隊が白石へ強行することは隠密で、伊達の本隊でも知っている者は少なかった、しかも山峡の知られざる間道をゆくのだから、よし敵が探り当てたにせよ、かくまで正確に宿営地を襲うことは尋常では不可能な筈だ。もちろんその点は誰しも不審だったろう、けれども敵地のなかを潜行してゆくという事実がそのくらいの抵抗は予想させたから、損害をできるだけ少なくしようと努めるほかにはあまり関心をもつ者がなかったのである。新九郎はそうではなかった、かれは「内通者」ということを疑ってみた、隊士のなかに敵へ内通し、宿営地の
てびきをする者があるのではないか、乱世のことでほかに例のないことではなし、ことに隊士たちは多くこの附近から北へかけての出身である、上杉領にふかい縁故のある者もいよう、そう考えてみると敵の夜襲の正確さがますます疑わしくなる、そこで新九郎はひそかに戸田源七とはかって隊士たちを監視しはじめた。源七は同郷の古い友達で、かれより一歳だけ年長だったが自分では新九郎のひとがらに敬服して兄事していた。二人とも無口な性質で、向き合っていても話などはろくろくせず、口で云うよりも心で語りあうという風だったから、こういう場合にはくだくだしい説明なしにぴたりと気持が合った。……内通者がいるとすれば尖隊の中だ、少数で先行しながら道をしらべ敵状をさぐって本隊を導く、つまり全隊の行動をきめるのだからその中にいるとみていいだろう、二人の意見はそう一致した、さいわい新九郎は相良隊にいたし源七は吉岡隊にいる、両者とも交番に尖隊をつとめるので好都合だ、……どのようなことがあっても他人に悟られるな、かたくそう誓いあって、二人はひそかに監視をつづけて来たのである。源七はいま、「そろそろ尻尾がつかめそうだ」と云った、事実なにかみつけたとすれば要慎のかいがあったというべきだ、新九郎はふと眼をあげて
蝉しぐれの
湧くような樹々の
梢を見やった。
宮下を発した小谷隊はその夜、三笹という部落で宿営した。竹置ではめずらしく夜襲が無かったので、ことによると敵の
追蹤からのがれたかと思い、また今夜こそあぶないぞという気もした。するとはたして午前一時ころになって「夜がけだ」という立番の叫びが聞え、ほとんど同時にごく近いところから敵が銃撃をあびせて来た、こちらはもう数回の経験で馴れているから、全員はすぐ分散してそれぞれ
遮蔽物のかげへ身を隠したが、敵もまたこっちの応戦しないことをみきわめているとみえ、前へ前へと大胆に進みながら撃ちかけた。いちばん接近したものは火繩を吹くありさまさえ見えたほどである。
「よく飽きもせずに撃ちやがる、やつらは撃てるだけ撃ってはやく荷を軽くしたがっているんだぜ」「鉄砲だけ撃っても突っ込んで来ないところをみるとやつらの刀は
錆びついているに違いない」「上杉ではなくって撃ち過ぎと名を変えるがいい、ぷっ、畜生、おれの
髭をかすりあがった」そんな
囁きがあちらこちらに聞えた。新九郎は古い
樫木の幹にぴったり身をよせかけ、敵のようすと、あたりにひそんでいる味方の者たちとをじっと見まもっていた。今この瞬間にも、敵へなにか合図をしている者があるかも知れないと思ったからだ、銃弾はしばしば樫木を打った、そしてばらばらと樹皮をはね飛ばしたり、幹を
抉ってうしろにいる新九郎の頬をかすめたりした。
「これあたまげたなあ」すぐ右がわの
堆肥の山のかげで妙な声をあげる者があった、「この騒ぎのなかでおれの頬ぺたを蚊が喰った、よっぽどかつえていたんだなあ」それを聞いてまわりにいた四五人のくすくす笑うこえがした。新九郎も思わず苦笑した。矢内武左衛門という男で、とんでもない時に拍子もないことを云ってよくひとを笑わせる、黒川在の僧家の出だそうだが、合戦になると大胆ふてきなたたかいぶりでいつもぬきんでた手柄をたてる若者だった。そのころから、銃声が左へ移りだした、はじめ敵は正面と右翼へひっしと撃ちかけていたのだが、ようやく左へ左へと移りだし、ときおりどっとさそいの
鬨をあげた、いちどはひそんでいる松林の中から十四五人ばかりとびだして来さえした。銃火の
閃光でその姿をみつけた味方の兵たちは、抑えようのない闘志をそそられたとみえていっせいに
呻きごえをあげた、「出てはいけない」「動くな」そういう戒めの
叱咤がなかったら、おそらくかれらは斬って出たことだろう、敵のようすはあきらかにその機をさそうもののようだった。
その夜の損害は大きかった、兵八名と足軽三名が討死し、ほかに負傷者が十名ほどあった。夜明けのさわやかな光のなかで、死者を荼毘にする煙がゆらゆらとたちあがるのを見かえりながら、しかしながくは名残りを惜しむいとまもなく、かれらはまた黙々と北へ向ってしゅっぱつした。
楢葉の郡と田村の庄との境にまたがる大竹山は、阿武隈山系のなかでもぬきんでて高く、そのふところには夏井川、木戸川、大滝根川などの深い源流谿谷をいだいている。三笹から夏井の谿流を渡って来た小谷隊は、二日めの昏れがたに、大竹山の両がわの高原にある波山という部落に着いて野営をした。……片方は叢林の密生した山の急な斜面だし、高原の左は段さがりに低くなって、三春郷へ通ずる
大越のあたりまで見とおすことができる、眺望がひろいので、敵襲に備えるには
究竟の場所だった。めずらしく尖隊もいっしょの陣泊りで、晩には鶏が煮られたり、少しずつではあるが酒もくばられた。山へはいって以来はじめての馳走だし、高原の夜の思いがけない涼しさもなにやら拾いものをしたようで、みんな久しぶりに、気持の浮きたつのが感じられた。
「おいみんな、おれたちのあとから若い娘が跟けて来るのを知っているか」ひとりがわずかな量の酒をさもたいせつらしく、
舐めるようにして
啜りながらそう云いだすと、「なんだきさま知っていたのか、眼のはやいやつだ」と云う者があり、おれも知っているぞ、おれも見たなどと、四五人がわれがちにその話をはじめ、まだ気づかなかった者はなんだなんだと興ありげに膝を寄せて来た、「えへん」とはじめに話しだした男がきどった
咳をして「年はまず十六か七だろうな、いいから黙って聞け、まるぽちゃでふんわりと
棉の花のように軽そうなからだつきだ、遠山に
霞のかかったような眉、
山茱萸の実をふたつ重ねたようなおん唇、髪は」「烏の濡れ羽色さ」「黙れ黙れさような通俗なものではない、まずおれの見たてを云えば、おれの見たてを云えばさ」「やっぱり烏の濡れ羽色か」くすくすと抑えつけたような笑いごえがおこった、「冗談はぬきにして、その娘が跟けて来るというのは本当か」「いやに乗りだして来るな、本当だよ、足弱の風にも堪えぬという身で、山坂いとわず追って来るんだ」「いったい誰を追って来るんだ」「伊五右衛門さまえのう……といってな」「こいつ暑気が頭へきたとみえる」こんどはわっと笑いごえが高くあがった、しかし自分たちの声に自分たちでおどろき、しっと云いあいながら慌てて肩をすくめたり口を
塞いだりした。いったいどこまで事実なのかと、まじめに問いかけられると誰もたしかだと云える者はなかった、竹置から此処へ来るまでにそういう娘を見かけたことは見かけたが、それがおなじ者であるか、はたして小谷隊のあとを追って来るのかどうかはむろん知るよしもない、「阿武隈の狐だろう」しまいにはそんなことを云いだす者もあり、やがて話はほかへ移ってしまった。
そのなかまから少しはなれたところで、
藁束の上に寝ころんでいた新九郎は、その話を聞きながらふと記憶のどこかにそういう娘のおもかげがひそんでいるように感じた。……誰だったろう、十六か七の年ごろで、自分を追って来るような娘、……なんだかすぐその顔が思いうかびそうだった、故郷の者かしらん、それともかみがたの者かしらん、たしかにそういう娘がいそうに思えるのだが、そしてその声音まで聞えそうなのだが、しかしつきつめて考えると故郷にもかみがたにも、こんな山峡の奥まで自分を追って来るような娘はいる筈がなかった。かれはそっと頭を振りながら、若さというものはこんな
些細な話にもつまらぬ空想をはたらかせるものだと思って苦笑した。そこへ「涼しい晩だな」と云いながら戸田源七があゆみ寄って来た、かれは新九郎と並んで藁束の上へ仰向きに寝ころび、両手を頭の下に敷いてふかく息をついた。
美しく澄みとおった星空が手の届きそうなほどにも低くみえる、薄い綿雲が二つ三つながれているばかりで、きらきらと耀く群星をさえぎるものもない。源七は投げ出した足をだるそうに組み直しながら「このあいだのは思い違いだった」と囁いた、それから声を高くして「こうしていると故郷を思いだすなあ」と云った。するとまるでそれに答えるもののように、少しはなれたところからさんざ
時雨をうたいだす者があった。……さんざ時雨か
萱野の雨か、音もせで来てという、伊達軍の出陣
凱陣にうたわれる歌である、さすがに声はひそめているが、三人五人とそれに和す者があり、やがて暗がりのそこ此処から虫の音のわくような合唱になっていった。それはもう凱陣の歌ではなく、やみがたい望郷のおもいだった、敵地をくぐって強行するはりつめた時間から解きはなたれて、身も心もふるさとの山河へはせもどるいっときの
詠歎だった。
「こんな晩はこれがさいごだろうな」新九郎がしずかな調子で云いだした、「こういう美しい星空を見ているとおれはきまって思いだす話がひとつある、かみがたにいたとき会った老人から聞いたのだ、老人はもと織田右府公の幕下にいたいわば無名のさむらいだが、
長篠の合戦のとき本陣にいて見たことだという、……あのとき甲斐の武田勝頼の家来に多田新蔵という者がいて、敗戦のとき不幸にも織田軍の手に捕えられ、信長公の本陣へ曳かれて来た」
「多田というと多田淡路守のゆかりの者か」
「淡路守の二男だそうだ」新九郎は藁束の上でちょっと身をずらし、星空をじっと見あげながらつづけた、「……信長公は淡路守の子と聞いて、多田ならばおなじ
美濃のくにの出身である、あらためて自分に随身せぬかと云われた、新蔵は黙っていた、信長公はさらに悪源太もいちどは繩にかかった、戦場では捕虜となることも無いためしではない、自分の家来になるなら
食禄も望むほどはとらせよう、そういって熱心に随身するようすすめた、けれどもやはり新蔵は黙っていて答えない、そこで信長はその繩を解いてやれと命じた、警護の士は命ぜられるままに新蔵のいましめを解いた、そのときである……」そこまで云いかけて、ふいに新九郎は身を起した、向うから自分の名を呼びながら来る者があるのだ、「ちょっといってくる」そう云ってかれは立っていった。
呼びに来たのは使番だった、小谷弥兵衛が用事だという、すぐに宿所へゆくと弥兵衛と吉岡小六が表に出て待っていた。「ああご苦労」と弥兵衛は新九郎の礼をさえぎりながら云った、「実は立番の者が急病でひとり欠けたのだ、気のどくだがそのほう代りに立って貰いたい」「はい承知いたしました」「ではすぐ支度をして来い」「支度はできております」「そうか、ではこれが番の銃だ」そう云って弥兵衛は火繩の付いた銃をわたし「申すまでもあるまいが立番の掟を忘れるな、銃には弾丸一発、敵の夜がけを認めたときのほかは撃ってはならない、いいか」「はい」ご苦労ともういちど云って弥兵衛は宿所へはいった、新九郎はすぐ吉岡小六に案内されて自分の持場へとでかけていった。
かれが番に立った
処は、この高原の部落から大越へくだる裏道の切通しの上で、松林のあるちょっと広い台地のような場所だった。独りになると、かれは銃の火繩が見えないように脇へ隠し、細い松の四五本かたまっているところを選んで立番についた。まだそう更けてはいない筈なのに、独りになってみると高原の冷える夜気が身にせまるようにも感じられ、そのためか虫の音も心ぼそげで、なんとはなく晩秋のような気がするのだった。そういえば今日ここへ来る途上の崖道で、美しい
苔竜胆の咲いているのを見た、そのときのあざやかな眼にしみるような紫が、新九郎には今もまざまざと印象にのこっている、……子供のころ山へ
茸を採りにゆくとよくあれが咲いていた、そういう回想がなおさら秋のおもいをそそるのであろう、新九郎は松の幹にもたれかかって、しずかに星のまたたく空を見あげるのだった。
一刻ほども経ったであろうか、部落のほうから人の足音が聞えて来たので、かれはすぐ道のそばまで出ていった。足音はずんずん近づいて来る、かれは銃を持ち直して誰何した、部将の見まわりだとは思ったがそれが立番の役目なのだ、相手はすぐ「おれだ」と云いながらこちらへ寄って来た、相良官兵衛だった。かれは
がんどう提燈をさし向けながら「なんだ三瀬か」と云った。
「そのほう今夜が立番に当るのか」
「はい急病人が出ましたそうで代役を仰せつかりました」
「それはご苦労だな、しっかりたのむぞ」
そう云って官兵衛はゆこうとしたが、ふとなにか思いだしたというようにふり返った、そしてめずらしくうちとけた調子で云った。
「そのほうの勤めぶりはおれがよくみている、人のいるところで云えることではないが、折があったら身の立つように推挙するつもりだ、白石へ着くまでの辛抱だと思ってもうしばらくがんばってくれ、わかったな」
新九郎は黙っていた、そういう言葉には答えようがなかったのである。官兵衛はなおなにか云いたげだったが、ひょいと片手を振ってそのまま向うへたち去ってしまった。……なぜあんなことを云うのだろう、新九郎は元の位置へ戻りながらそう呟いた、つい先日は部将の小谷弥兵衛から自分の下へ来ないかと云われたし、今また副将の相良官兵衛からそういう特別な言葉をかけられる、自分では決してそんな勤めぶりはしないつもりだった、ぬきんでて上役の眼につくような勤めは偽りである、そう信じて日常を慎んできたのに、二人からおなじような
贔負を受けるのは心外だった。……やはりおれのどこかに純粋でないものがあるのかも知れない、これはよくよく注意しないといけないぞ。そう反省しながら、ふとかれはびっくりしたように切通しのほうへふり返った。
――相良どのが切通しをおりてゆく。
新九郎は思わず銃をとり直した。
相良官兵衛は切通しをおりていった。新九郎はおのれを反省しながら、その耳は無意識のうちに官兵衛の足音を追っていたのだ、夜露に湿った道を草鞋でゆくのだから、聞えるほどの足音はない筈だった、新九郎がそれを聞きとめたのは「勘」である、そしてその勘がたしかだとみるなり、かれはなかば反射的に銃をとり直して台地の斜面をすべりおりた。
下は段畑になっていた、かれは星あかりをたよりに、物音をしのばせながら下へ下へとおりていった。
瓜畑があった、番小屋のような小さな建物があり、一段さがったところに水車が廻っていた、落ちてゆく水はそのまま田へひくのであろう、石で畳んだ
堰へとまっすぐにはしっている、堰についてくだり、かなりな高さの堤をとびおりると桑畑だった、そこからはすぐ左がわに切通しから曲ってくる坂道が見える、新九郎は桑畑のなかに
跼んで、息をひそめながらじっと坂道を見まもった。……なんのために官兵衛のあとを跟けるか、かれはあらためて自分にたしかめる要はなかった、たとえ相手が誰であろうともこんな時刻に宿所をはなれるのは不審である、それだけでかれは自分のとるべき態度をきめた、そのことの結果がどうなるかは問題ではない、全隊士のために「内通者をつきとめる」ただそれだけでよいのだ、そのほかのことは
八幡、どうあろうとも神のしろしめすままである。
ひたひたと、湿った土を踏む足音が近づいて来た、坂道の片がわに
楢の並木がつづいている、ときどき
がんどう提燈の光がちらちらと樹の間に動いた、足音は新九郎の正面をとおって右へゆく、並木の出はずれた道は、すぐにみっしり枝葉をさし交わした
藪のなかへはいる、足音がその藪のなかへ消えてゆくのを待って、新九郎は桑畑からそっとぬけだした。そして道へあがって藪の入りくちまでいったが、すぐにうしろへさっと身をひいた、闇のなかのついそこで人のけはいが感じられたのだ、かれは道の脇へひそんでじっと耳をすました、息詰まるような瞬間だった、暗がりで人の姿はまったく見えないが、ひと言ふた言なにやら囁きあうのが微かに聞えた、そしてすぐに足音の一つは向うへ去り、一つはこちらへ戻って来る、新九郎は身を跼めてそれをやり過した。
戻って来たのはまぎれもなく相良官兵衛だった、かれは新九郎のすぐ眼の前をとおって、坂のほうへと
大股に登っていった。新九郎はそこへ銃を置き、足音をしのばせてうしろからしずかに追いついた、
「お待ち下さい」
とつぜんうしろから呼びかけられて、官兵衛はあっと叫びながらふり返った、新九郎はその
驚愕の真向を叩くように、ずかずかとあゆみ寄りながら云った。
「三瀬新九郎です、いまの始終を見ていました」
「……なに、なに」
「すっかり見ていたんです、ご弁明がありますか」
それは念のためのたしかめだった、しかしその言葉が終らぬうち、官兵衛はいきなり
がんどう提燈を投げつけ、するどく叫びながら抜き討ちをあびせかけた。もちろん期したことである、というよりもむしろそれは事実がたしかめられた証拠だった、――まちがいない、という確信はそのまま「斬る」という決意につながった、官兵衛の抜き討ちを
躱しもせず、新九郎は踏みこんでちからいっぱい大剣を打ちおろした。ものを吐くような喚きごえと、強い手ごたえがあり、官兵衛は道の上へだっとのめった、新九郎はさらにその
頸の根へ一刀いれてうしろへとび
退った。……官兵衛は起きあがろうとして二度ばかり頭をあげたが、間もなく大きく
溜息のような呼吸をして、動かなくなった。
新九郎はそれでもなおしばらくようすを見ていたが、やがて大剣を押しぬぐって鞘へおさめ、元のところへ戻って銃を取って来た。それから死体をひき起してふところをさぐった、あまり話ごえが聞えなかったところをみると密書でもとり交わしたに違いない、そう思ったのである。ふところにはなにも無かった、
燧袋をあけてみた、腹巻も解いてみた、そしてようやく、武者鉢巻の下から小さく折り畳んだ紙きれをみつけだした、しずかにひろげてみると、ごく薄く
漉いた紙になにか書いてある、新九郎は銃の火繩をとり、その火を押し当てるようにして書いてあるものを
検めた。それは大竹山から天王山までの道次を書き、宿営地と思えるところに朱を入れた図面だった、しかもその余白に
註して、相馬
利胤の部将近藤主膳が兵五百騎をもって
常葉口に伏せているということが記してある、常葉口といえば此処から三里ほどさきの谷合で、もちろん明日の道次に当っている、「危ないところだった」と新九郎は肌寒くなる気持で呟いた。紙片をふところへ入れて立ちあがったかれは、すぐに官兵衛の死体を担ぎあげ、右がわの叢林へわけ入って百歩ばかり奥の
笹簇の中へ隠して戻った、道の上にとび散った血潮のあとを踏み消し、落ちている死者の持物を桑畑の中へ投げこみ、すっかりあとを片づけると、はじめて銃を取って坂道をおのれの持場へと
馳け登っていった。滑りやすい坂を登りつめて、松林のほうへ曲ろうとしたときである、いきなり闇のなかから「待て、なに者だ」と叫んで、
がんどう提燈を真向へさしつけられた。とつぜんでもあったし息もつかずに馳けあがって来たので、かれにはすぐ返答ができなかった。誰何したのは小谷弥兵衛だった、うしろには吉岡小六がいた、「おまえは三瀬新九郎だな」弥兵衛はあゆみ寄りながら云った、「どこへいっていた、おまえは立番ではなかったのか」
「立番でございました」
「立番には掟がある、知っているか」
「はい」新九郎は姿勢を直して云った、「ゆるしなくして持場を離れたる者は、仔細を問わず死罪たるべきこと」
弥兵衛は聞き終るなりくるりと
踵をかえし、うしろにいた吉岡小六に向ってはっきりと云った、「三瀬新九郎は掟にそむいた、帯刀をとって宿所へ曳け」
戸田源七がはなしを聞いたのは三更を過ぎてからだった。かれはすぐ宿所へ馳けつけた、吉岡小六は
行燈のそばでなにか書き記しているところだったが、源七をみると黙って自分の前にある席をさし示した。いったいどうしたのですかという源七の質問に対して、それはむしろおれのほうで知りたいことだと小六は答えた。
「お旗がしらといっしょに見まわりにいったらかれがいない、用でも足しにいったかと声をかけたが返事がないのだ。あれに限って掟にそむくようなことはない筈だ、お旗がしらもそう云われた、すると四半刻も待ったろうか、やがてかれが切通しを馳け登って帰って来たのだ」
「なにか申しませんでしたか、出ていった理由は云わなかったのですか」
「此処へつれて来てから、お旗がしらとおれで繰り返し
訊問した、けれども頑として理由を云わない。掟にそむきました、御法どおりに願います、……その一点ばりだった、どうしようもないのだ」
「ではやはり、死罪でございますか」
「明け七つがその刻限だ」
小六はそう云いながら、今まで書いていたものの上へ眼をやった、それはやがて新九郎の死罪に当って読むべき申渡し状だった。源七はしばらく黙っていたが、やがて面をあげながら「お願いがございます」と云った、「わたくしと三瀬とは幼少からの友でございました、ことに宵のうちかれから聞きかけた話がございます、
今生の別れに話の残りを聞きたいと存じますが、おゆるし願えませんでしょうか」小六はそっと
襖のかなたへ眼をやった、そこにはおそらく小谷弥兵衛が寝ているのであろう、小六はその寝息を
窺っているようすだったが、やがてうなずいて云った、「……向うの隠居所にいる、番士にはおれがゆるしたと申せ」「ありがとうございます」源七はうしろから追われるように宿所を出ていった。
その建物は庭はずれにあった。うしろは古い樫木を隔てて崖にのぞみ、左右はあぶら竹と小松の植込になっている、ささやかではあるがいかにも旧家の隠居所という感じだった。源七は表に立っている二人の番士にゆるしを得たということを伝えて家の中へはいった。なかは八畳ほどのひと間きりで、新九郎はいま
水髪にゆい直したばかりの頭を
撫でていた、
煤けた行燈の光がゆらゆらと揺れながら、片ほうの壁に大きくかれの影をうつしていた。
「さっきの話が中途だった」源七はそう云いながらあがった、「それで番がしらにおゆるしを得て来た、話の残りを聞かしてくれ」
「話の残り、ああ多田新蔵のことか」新九郎はにっと微笑した、「そうだった、あれが途中できれたままだったな……」
源七はむずと坐りながら新九郎の眼をみまもった。新九郎はちらと戸口を見た、二人の番士はどうやら庭のかなたへ去ったようである、おそらくは旧友の別れの邪魔をしたくないというつもりであろう、新九郎は「こちらへ」と源七を眼で招きながら、ふところから先刻の紙片をとりだした。
「これは密書だな」源七はひらいて見て眼をみはった、「では内通者をつきとめたのか」
「つきとめた、それをよく見てくれ、此処から天王山までの道筋と宿営する場所が書いてある、朱を入れてあるのがそうだ、つまり宿営地は敵がきめていた、われわれは敵がきめた場所へ陣泊りをしていたんだ、これでは夜がけは思うままだし、むしろ損害の少なかったのがふしぎなくらいだ」
「なに者なんだ、その内通者は誰だ」
「それは云えない、いずれはわかるだろうがおれの口からは云えない、だが心配しなくてもいい、そいつはおれが斬った」
そう云ってかれは自分の右手をじっと見た、源七はいろいろな感情がつきあげてきて、しばらくはなにも云えなかった。いま眼の前にいる友は間もなく死罪になるのだ、おなじ故郷に生れおなじ風雪のなかで育ってきた、いくたび共に
戦塵を浴びたことだろう、いくたびいっしょに生死の境をくぐったことだろう、その友がいま首の座に直ろうとしている、しかもその罪は罪と呼ぶことのできぬものだ、むしろ全隊士の生命を危険から救った功名でさえある、これをむざむざ死罪にしていいだろうか、
「おれはそう思うのだが……」源七は眼を伏せたまま云いだした、「事情をすっかり話すべきだと思うのだが、どうだろう、……掟はたしかに掟だ、けれどもこんどの場合は違う、内通者をみいだして斬ったということは全隊士の安全をまもったので、つきつめて云えば立番をする根元を断ったのだ、ここで死罪になる法はない、おれは不承知だ」
「しかしそれでどうなる、事情を話したらどうなるんだ」
「少なくとも死罪にはならぬ筈だ」
「そうかも知れない、だが死罪をまぬがれたとして、さてどうなるんだ」新九郎はじっと友の顔を見た、それからしずかにかぶりを振ってつづけた、「死ぬことなど問題ではない、肝心なのはどう生きるかだ、おれは生きた、こうと信ずることを為遂げたんだ、仔細を問わず死罪だという、軍の掟を
枉げてまで、命を助かろうとは思わないよ」
しずかなこえだったが動かしがたい決意がこもっていた。まさしく、かれにはもういささかの未練もなかった、掟にそむいて罪死するという不名誉も他人からみてのことで、自分がなにをしたかは自分がいちばんよく知っている、真実さえたしかなら死の名目などは末の末だ、……おれは生きた、そういう確信をもって死ねるだけでも、もののふと生れたかいがあったというべきである。
「その註を忘れてはいけないぞ」新九郎はふたたび指を密書の上へ置いた、「この常葉口には相馬軍の伏兵がいる、此処からさきの陣泊りは、この図面に印してある場所を避けるんだ、わかったな、それから……これは預けて置くから、おれの始末が済んだらお旗がしらにさしだしてくれ、そのまえにはいけない、かたく約束したぞ」
源七は答えなかった、わたされた紙片をふところへおさめながら、堪りかねたようにくくと
噎びあげた。新九郎はちょっと眼を閉じ、遠くのもの音を聞きすましでもするように、しばらく息をひそめていたが、間もなく低い呟くようなこえで話しだした。
「その繩を解いてやれという信長公の命をきいて、警護の士がそばへあゆみ寄り、多田新蔵のいましめを解き放した。……そのときだった、新蔵はがばとはね起きると、かたわらに有りあう槍をとり、ずぶずぶと四五人、まわりにいた織田家の士を眼にもとまらず突き伏せた。すさまじい早技だった、織田家の人々はあっといって瞬時そこへ立ち
竦んだ、それからはじめて抜き合せ、……四方からとり詰めて、ようやく新蔵を討ち止めたという」
そこまで云いかけたとき、新九郎の閉じた目蓋を縫ってふっと涙が
溢れ出た。
「老人から聞いた話はそれだけだ、おれはこの話を思いだすたびに泣ける、これをよく味わってくれ源七、ただあたりまえに聞きながしてはいけない、ここにもののふの精髄があるんだ、おのれの名も命もない、どんな窮地に立ってもさいごまで闘いぬく、この心をよく味わってくれ、……それにくらべれば、おれの死などはめぐまれているよ」
夏の夜は明けるにはやく、いつか障子が
仄かに白みだしていた、新九郎はそっと涙をぬぐい、手を伸ばして行燈の火を消した、それからしずかに立ちあがって障子をあけた。……すぐ前にある樫木もおぼろに、崖のかなたはいちめんの濃霧だった、それであけた障子の間から煙のようにその霧が巻きこんで来た。
「来てみろ源七、おまえの好きなすばらしい霧だぞ」
ふしぎな一夜だった。
隊士のなかでも精兵とみられた若者が掟にそむいて死罪におこなわれたし、副将のひとり相良官兵衛がゆくえ知れずになった。どこへいったかもわからないし、夜が明けても戻って来なかった、手わけをして付近を捜したけれども、まるで消えてしまったように
踪跡がない、さきを急ぐ小谷隊はそれ以上そこに留まってはいられないので、時刻よりは少しおくれたが、北へ向って進発した。銃隊を先頭に、槍組、抜刀隊とつづき、そのあとから足軽たちが荷駄を曳いて、土埃をあげながら遠ざかっていった。
その小さな部落は、かくてまた元のようにひっそりとなり、高原の乾いた道の上には、ときおり吹き過ぎる微風がくるくると埃の渦を巻きあげていた。小谷隊が去ってから一刻ほども経って、その乾いた道をひとりの娘がその部落へはいって来た。背中に包みをゆいつけて、笠も着物も埃まみれになって、……草鞋の緒にでも食われたのであろう、右足を少しひきずるようにしてとぼとぼとあるいて来た。そうして村はずれへさしかかると、そこに遊んでいた四五人の子供たちに呼びかけた。
「おまえさんたち、此処をたくさんのおさむらいが通ったのをお見でなかったかえ」
「通ったんじゃないよ」子供たちのひとりが不平そうに答えた、「おさむらいさんたちは此処で泊ったんだよ、おらの家なんかいちばんえらい人が泊ったんだぜ、なあ」
「そうだ、二人もだなあ、兄やん」
娘はそうと云って微笑した。
「それでその方たちはもうごしゅったつなすったの」
「ああいっちまったよ、いくとき家へ泊ったえらい人がおらに銭をくれたっけ、でもお
祖父さんが銭を持ってちゃいけないって取りあげられちゃった。それで、うん、もういっちまったよ」
「兄やん」その弟とみえる幼い子が云った、「家へ泊ったえらい人はお寺さまへも銭をくれていったじゃないか、兄やんにくれたよりもどっさりさ」
「おまえ知らないんだ、あれはくれたんじゃないんだよ」
「くれたんじゃねえ」そばにいたべつの子が舌たるい調子で説明した、「お寺さんへはくれたんじゃねえよ、あれは死んだおさむらいの墓の……お墓の……なあみんな」
「そうだお墓のあれだよ、お墓の、おとむらいの銭だよ、
父うがそ云ってたから」
なにげなく聞いていた娘はそこではっとしたようだった、「死んだおさむらいとはどうしたのか、病気で亡くなったのか」そうせきこんでたずねた。子供たちはよく知らないとみえて、娘のせきこんだ問いには誰もはっきりとは答えられなかった。
「どうしてだか知らないよ、朝はやく大勢のおさむらいが集ってた、そしてそのあとでみたら墓ができてたんだ、誰も知りやしない、そしてみんないっちまったんだよ」
「その墓はそこに見えてるよ」
そう云ってひとりの女の子が道の左がわを指さした。そこは桑畑にはさまれて、かなり広く夏草の生い繁った原になっている、道から五十歩ばかりはいった原のなかに、ひとところ土が掘り返されて、新墓と思えるものができていた。娘はそれを見ると「ではちょっと拝んでいきましょうね」と云って原のなかへはいっていった。……二尺あまり盛りあげた土の上に、表へただ名号だけ書いて、ほとけのぬしの名のない小さな墓標が立っている、娘はあたりに咲いている夏草の花を
手折ってその墓に供え、しずかに膝まずいて合掌した。
「あの方ではないでしょうけれど、あの方とごいっしょにいらしった方ですのね、どうぞ成仏あそばしますように……」
かなりながいあいだ、口のうちで唱名念仏していたが、やがて娘は立ちあがって膝をはたき、そっと目礼をして道へ出た。子供たちは興を失ったものか、もう向うのほうで
蜻蛉を追うのに夢中である。娘は背負った包みの結びめを直し、いかにも痛そうに右足をひきながら、ふたたびとぼとぼと北へ向ってあるきだした。小谷隊のあとを追って、……そのたより無げな足どりをせきたてるように、ときおり道から埃を巻きたてる風が、草原のなかにある墓をも吹きはらっていた、娘の供えたのは夏草の名もなき花である、それがなんと似つかわしかったことだろうか、墓のあるじもついにおのれの名は立てなかったのだから。……一年と経たぬうちに墓標は倒れるであろう、盛りあげた土はすぐ崩れるに違いない、しばらくすれば元のように夏草が生い繁って、そこに墓のあったことさえ忘れられてしまう、だが、そうしてすべてが無くなっても、そこに死んだ三瀬新九郎のたましいだけは無くなりはしないのだ、新九郎にはかぎらない、どれほど多くのもののふが夏草の下にうもれたことだろう、その人々は名も遺らず、伝記もつたわらない、かつてあったかたちはあとかたもなく消えてしまう、だがそのたましいは消えはしない、われらの血のなかに生きている、われらの血のつづくかぎり生きているのだ。
夏の日はようやく大竹山の樹々の上にたかくなった。