野分

山本周五郎





「なにがそんなに可笑おかしいんだ」
「だってあんまりですもの」運んで来たかん徳利を手に持ったまま、お紋は顔を赤くして笑い続けた、「……板前さんがあんまりなんですもの」
「板前がどうあんまりなんだ」
「若さまがはぜあらいっておっしゃったでしょう、ですからそう通したんですよ、本当にちゃんとそう通したのに、今いってみたらこうやって、爼板まないたの上へ黒鯛をのせているんです」そこでまたさも堪らないというようにふきだした、「……澄ましてこうやって黒鯛を作ろうとしているんですもの、鯊と黒鯛とまちがえるなんてあんまりだわ」
「ばかだな、それがそんなに可笑しいのか」
 こう云って又三郎はもの憂げにさかずきを口へもっていった。……その夜、屋敷へ帰って寝所へはいってから、又三郎はふいとそのことを思いだし、ひとりでくすくす笑いだした。つまらないことをあんなに笑うお紋が可笑しくなったのだ。顔を赤くして片頬にえくぼをよらせて、くるしそうに笑いこける娘の姿も、ありありと眼に浮んだ。……後から考えると、それがお紋という者に眼をかれる、最初のきっかけだったのである。
 蔦萬というその料理茶屋は、脇屋五郎兵衛という留守役の老人の案内で、一年ほどまえに知って以来の馴染だった。それは両国橋の広小路を南へさがった米沢町の地はずれにあり、すぐ前に薬研堀の水が見えるし、左どなりは石町のなにがしとやらいう太物問屋の隠居所で、松の多いその庭と接しているため、ひなへでもいったような静かな環境をもっていた。茶屋の構えも小ぢんまりしていた。二階も下も小部屋ばかりだし、けばけばしい飾り付はなし、簡素とおちついた気配りがゆき届いていた。主人の萬吉はもと幕府の配膳方に勤めていたそうで、庖丁ほうちょうぶりもよそとは違っていたし、女房のお蔦――蔦萬はつまり夫婦の名を取ったものだ――の好みだろう、女中たちもしっとりとした温和おとなしい性質の者ばかりだった。したがって客はたいてい武家か、町人でも静かに酒さかなを楽しむという人たちが多かった。……彼にはそういう静かなおちついた雰囲気ふんいきだけで充分だった、自慢らしい割烹かっぽうも酒も二のつぎだった。誰にも煩わされず、独りで勝手に酒をすすり、ぼんやりもの思いにふけることができれば他に望みはなかった。お紋は彼の受持のようで、給仕にはたいてい彼女が出たけれど、彼にとっては顔を覚えているという程度で、名も知らず、当人に対してもまるで興味などなかった。もしそんなきっかけがなくて過ぎたら、やがて蔦萬にも遠ざかったであろうしお紋という者も知らずに済んだに違いない、ずっと後になって、又三郎はそう考えては、独りで悲しげにつぶやいたものである。「本当に、あのときあんなきっかけさえ無かったら」と。
 まえの事があってから、お紋はずっとれたようすを見せ始めた。彼のほうからも気軽に話しかけるようになった、「鯊と黒鯛」とか、「あんまりだ」などという言葉が二人だけの通言になったようで、「隣りのお客さまは鯊と黒鯛よ」とか、「この吸物はあんまりな吸物だ」そんなことを云い興じた。お紋はようやく十七くらいだろう、さして美しくはないが、どことなくしゃくんだような愛くるしい顔だちで、微笑すると片頬に刻むようなえくぼがよる。上眼づかいにすばやく人を見る眼つきが、特にきわだってなまめかしい、その年ごろに顕われる自然のこびで、自分では意識しないのだが、それがかえって生なまとした魅力をもっていた。
「お紋はどこに住んでいるんだ」
「お屋敷のすぐ近くでございますわ」
「屋敷を知っているのか」
「ええ、脇屋さまは古くからいらっしゃいますもの、わたくしの家は三つ目橋のそばの徳右衛門町でございますわ」
「そうか、ではそのうち送っていってやろう」
「まあうれしい、きっとですよ」
 そんな話をするようになって間もなく、或る秋のはじめのことだったが、彼は蔦萬の帰りに、お紋をその町まで送っていった。そのとき運命のように時雨しぐれが降りはじめ、誘われるままに、ほんの雨やどりをする積りで、露路裏にあるお紋の住居に寄った。……そこは入口と台所と並んでいるありふれた長屋の一軒で、彼女は藤七という祖父と二人で暮していた。老人は腕のいい植木職だったが、もう七十幾つという年でほんの手伝いかせぎしかできないという、せていて小さいが、日に焦けた緊ったからだつきで、歯切れのいい調子でものを云うところなど、まだなかなかかぬ気に満ちていた。又三郎は、そのとき酒を馳走になって帰った。
 はっきり覚えているが、その夜のことだ。本所二つ目の屋敷へ帰ると、上屋敷から用人の作間丈右衛門が来て待っていた。
「もう二刻も待っておいでです」脇屋五郎兵衛がひそひそ声でささやいた、「……蔦萬のほうへ使いをやったのですがお帰りになったあとで、御用人へは中屋敷へおいでになったと申上げてあります、そのお積りで、梅芳丸でも口へお含みになるが宜しいでしょう」


「だいぶおそくなりましたので、簡単に申上げてお暇を致します」丈右衛門は熟れた柿のようにあかいてらてらした顔をひき緊め、まるで柱へくぎでも打ち込むような具合にこう云った、「……先頃もよくお話し申したように、お世継ぎの件は順調にはかどり居りまして、おそらく今年じゅうには公儀へお目見得の運びにも相成ろうかと心得ます、依ってこなたさまにも御修身の儀はもちろん、日常お出入りに当りましても軽がるしいお振舞いは固くお慎みあそばすよう」
「あのときも云いましたがね」又三郎は無遠慮に相手をさえぎった、「……私は初めからこの話はごめんこうむっているんですよ、壱岐いきさんにもちゃんと断わってあるし、なにしろ私なんぞに勤まることじゃあないんだから」
「御承知の如く馬場殿ご一派の眼が厳しゅうござります」と、丈右衛門はまるで又三郎の言葉など耳にもかけずに続けた、「……近頃はしばしばお独りで外出をあそばすことなど、彼等一派の口の端にのぼっております。かようなことは今後きっとお慎みあそばすよう、との上の御意にございます、必ず御違背これなきよう」
 下屋敷の役人どもにも固く申付けて置くからと、感情も潤いもない調子で、云うだけ云うと丈右衛門は帰っていった。
 脇屋はそれほどでもないが、他の年寄たちが眼を光らせているので、それからしばらくは外出もできず、又三郎は居間にこもって退屈な無気力な日を送った。――これではまるで押籠おしこめ同様だ、そう思った、想いは暗く、光りも希望もなかった、窓からは晴れてさわやかに風のわたる空が見えた。或るときふと窓から醜く縮れた桜の枯葉が舞いこんで来た、彼はそれを手に取り、かさかさに乾いて虫にわれた、穴だらけの葉をまさぐりながら、それがそのまま自分の身の上のように思えて憂鬱になった。……又三郎は出羽のくに新庄藩の侍で、父は楢岡ならおか兵庫といい、物頭を勤めていた。彼はその二男として育ったが、実は藩主のとのかみ戸沢正陟まさたかの庶子で、生れるとすぐ楢岡兵庫の手にわたされ、その二男として成長したのである。そのころ能登守には帯刀たてわきという世子がいたし、その下にも右京、主計、市蔵など男子が五人もあった。それが次ぎつぎと死去し、五年まえから一人も跡目を継ぐ者なしに現在に及んでいる、そこで去年の春あたりから嗣子選定の問題が起こり、初めて又三郎の身分が表面にうかびあがった。かれ自身もそれまでの育てられようから、自分が兵庫の実子でないということはほぼ察していたので、藩主の庶子だと聞いてもかくべつ驚きはしなかった。然しいちどその事実がわかると同時に、彼の身辺がたちまち虚構と偽善と阿諛あゆで塗り固められ、彼を中心にして家臣のあいだに対立と暗闘の始まったのを見て、彼はようやくおのれの身分と境遇をのろうようになった。然もまだ彼が世子と決定したわけではない、江戸家老の馬場庄左衛門ら一派は、正陟の女で他へ嫁したものが二人あり、そのうち摂州浅田の領主で、かいのかみ青木重安に嫁いでいる松姫に男子が三人ある、その中から世子を迎えるのが正統だと云って、かなり頑強に主張しているのだった。そしてせんじ詰めたところ、どちらが選ばれるにしても、結局は権勢争奪の傀儡かいらいであって、自分にはまったく去就の自由の与えられていないということが、たとえようもなく彼を虚無的にしてしまった。
「この落葉のように」と、又三郎はかなしげに呟いた、「……風に吹き巻かれて、好みもしないほうへ、飛ばされてゆくんだ、自分ではどうしようもなく、――これでも人間の生き方といえるだろうか」
 冬の前触れのような、冷たい雨が三日ほど降り続いた、わびしく悲しく、めいるような雨だった。ひさしごしにその雨を見ているうちに、彼は云いようのない孤独な寂しさに襲われ、なにかに追われるような気持で外へ出ていった。……雨つづきの街はうらさびれていた、家々は鼠色の空の下に濡れしょぼれてつくばい、どの軒下も黄昏たそがれのように暗かった。狭い横丁に尾を垂れた犬がえさをあさっているのもかなしく、みの合羽かっぱを着た物売り商人が、重そうに荷を担ぎながら黙って道を往くさまもかなしかった。――どこへゆこう、又三郎は雨のなかに立ち止った。するとそれまでまったく忘れていたお紋の住居を思いだした。蔦萬はにらまれているからゆけない。お紋はいないだろうが、雨で藤七老人は家だろう、このあいだ酒の馳走になったままだ、色いろな理由が彼をしかけた。彼はつじを右へ曲って、こんどは足ばやに徳右衛門町のほうへ急いだ。
 藤七は、しょんぼりたばこをふかしていた。はじめちょっとけげんな顔をしたが、又三郎だということがわかると、殆んど跳びあがった。彼は紙入を老人に渡して、酒とさかなをたのむと云った。藤七は手を振って拒んだ、「冗談じゃあねえ、冗談じゃあねえ」と喧嘩けんか腰で繰り返した。
「おまえが江戸っ子ならおれも江戸っ子だ」又三郎は構わずそこへ坐った、「……いちど出したものがそうかと云って引込められるか、いやなら竪川へでもほうり込んで来てくれ」
 そして結局は、小半刻すると蝶足のぜんを二つ、つつましく皿小鉢をのせて、なんとも侘しい酒が始まった。


 はじめは、たしかに侘しかった、しかしやがて老人がぽつりぽつり話しだした。ひと口に云えば身の上ばなしだが、飾らない言葉と、巧みな省略ぶりで、くどいというところが無く、そのうえまったく違った世間のことではあり、又三郎は惹きいられるような気持で聞いた。……老人の一生はごく平凡な、どこにでもある汗と貧苦と、涙と失意とでつづられたものだった、息子夫婦に先立たれて、孫娘と二人で稼いでいる事実だけでも察しはつく、それにもかかわらず、又三郎はそこにしみじみとした深い味わいを感じた。善良で勤勉で謙遜けんそんで、いつも足ることを知って、与えられるものだけを取り、腰を低くして世を渡る人たち、貧しければ貧しいほど実直で、義理、人情を唯一つの宝にもたのみにもしている人たち、……又三郎にはそれがうらやましいほど充実したものにみえ、本当に活きた人生のように思えた。
「おれも爺さんのように生きてみたいと思う」彼は溜息をつきながらそう云った、「……世の中はどっちへまわっても苦労なものだ、それならせめて自分の生きたいように生きてみたい、安楽や贅沢ぜいたくだけが最上のものじゃないからな」
「若さまのような御身分でも、ときにはそんなふうに、他人の暮しがよくみえるものでございますかね」
「爺さんにはわかるまいが、おれの暮しなんぞは……」云いかけたが、そこで又三郎は口をつぐんだ、この老人の前で、自分などが生活のことを口にするのは、お笑い草だと思ったから。
 その日は半刻あまりして帰ったが、五日と間をおかずにまた訪ねた。こんどはお紋がいた、風邪ぎみで昨日から休んでいると云ったが、彼を見るとえくぼをよらせながら元気に笑った。
「こないだはせっかくいらっしたのに、どうして帰るまで待っていて下さいませんでしたの、ずいぶん情無しでいらっしゃるのね」
「お紋の帰りなんぞ待っていたら、屋敷を抛り出されてさっそく路頭に迷ってしまうよ」
「あらうれしい、そうしたらここへいらっしゃいまし、若さまのお一人くらい」
「その先は云うな」藤七が脇からさえぎった、「……そんなせりふはいちにんまえの女の云うこった、それより三河屋と魚政へでもいって来な、さっき見たら活のいいぼらがあったっけ、あいつの酢味噌と、なにか焼き物に椀というところでいこう」
「はい、でも若さまは張合のないほど肴にははしをおつけなさらないから」
 ごめんあそばせと羽折をひっかけて、お紋はいそいそと出ていった。……酒と肴が来て、お紋が燗をつけ酌をして遠慮のないうちとけた酒になった。老人とお紋との意気の合ったもてなし、する事の端はしに心のこもった、胸のすくような小とりまわし、それは貧しい席をこのうえもなく豊かに、温かくし、どんなにおごったものよりも楽しく感じさせた。又三郎のいかにも気にいったようすを見て、お紋もたいそう嬉しそうだった。
「お店へいらっしゃるといつもこわいお顔で、そのくせ寂しそうにとぼんとしておいでなさいますのに、きょうはたいそう御機嫌がおよろしいんですね」
「いつもこうして呑めたらな」又三郎はしみじみとこう云った、「……いちにち汗をかいて稼いで、さっぱりとひと風呂あびて、こうやってらくらくと坐って、爺さんやお紋とこうやって気楽に呑めたらと思うよ」
「冗談じゃありません、毎日そんなことをしていたひにゃあ飯の食いあげでさあ、働きざかりのそれこそ腕っこきの職人でも、酒を毎日のめるなんてえ者あ広いお江戸に数えるほどしかいやあしません、はたでごらんになるとは段違いに、それはまるっきりしがねえものでございます」
 そして職人の稼ぎというものがどれほどのものか、どんなにつましい生活をしなければならないかということを藤七は語った。その話から又三郎が受けた感じは、かれらの生活の困難さではなくて、困難のなかにある生甲斐いきがい、困難にうちってゆく緊張の力づよさだった。武家の完全な消費生活では、厳しい規矩きくによって手足を縛られ、退屈と無気力に馴らされる、生活は保証されるが冒険もなければ夢も理想もない。又三郎は二十四になるけれども、その過去は単調な灰色の道がひとすじ坦々と延びているだけだ、それはこれから先も灰色に坦々と死ぬまで続くだろう、決して誇張ではない、彼は現実にそういう生涯をたくさん見て知っているのだ。
「おれの云うのは、毎日こうして酒を呑むことではないんだ」彼は老人に向って訴えるように云った、「……自分で稼ぐ暮し、自分のちからで生きてゆく暮し、どんなに苦しくとも、骨がおれても、自分の腕で妻子をやしなってゆく暮しがしたいんだ、ひと口に云えば、本当に生きてるという気持になってみたいんだ」
「そういうのを栄耀えいようの餅の皮と云うのじゃあございませんか」
「そうだ、爺さんにはわからないかも知れない、あんまり違いすぎるからな」
 又三郎はこう云いながら、とつぜんはげしい酔いを感じて頭を垂れた。
「……けれどもおれはやってみる、しょせん一生だ、土担ぎをしたって、今の暮しよりは張合がある、生きるんだ」
 生きるんだとうめくように云いながら、又三郎はそこへ横になってしまった。


 又三郎は繁しげ徳右衛門町を訪ねるようになった。たいてい午後かられじぶんまでなのでお紋とはかけ違うことが多かった、老人はすっかり気が合ったとみえ、足の痛風がやむとか腰が痛いとか云っては仕事を休み、又三郎の来るのを楽しみに待っているようだった。来ない日があると可笑しいほどしょげて、夕飯もべずに寝ることさえあった。
「またこんなにお預かりしたの、お祖父じいさん」留守に来て又三郎の置いてゆく金を見て、お紋は肚立はらだたしげによくそう云った、「……一昨日のも、そのまえのもまだ手つかずじゃありませんか、お断りしなくちゃあいけませんよ」
「おまえは黙っていな、おれにゃあおれで考えがあるんだ」
「仕事を休んで若さまと呑む考えですか」
「そんなんじゃあねえ、若さまのことに就いてだ」藤七は或るときこう云った、「……おれが考えるには、若さまは遠からずお屋敷を出る、あんなに嫌っていらっしゃるんじゃあ勤まらねえ、この頃はお武家の武家嫌いが流行はやるけれど、若さまのはそんな上っ調子なものじゃあねえ、なにか深いわけがありそうだ、だから近いうちにきっと屋敷を出ていらっしゃるに違いない、そのときの足しにと思って、おらあ黙ってお預かりしているんだ」
「それが本当なら……」お紋はふと胸のときめきを覚えた。もし若さまがお屋敷を出て、自分たちと同じ町住居をなさるとしたら、……繁しげ訪れて来る又三郎の存在はいつかお紋の心に一つの感情をめざめさせていた、その年頃の描かせる夢のようにおぼろげな、そして、「身分ちがい」という動かし難い垣を隔てた、はかないあこがれにはすぎなかったが、新しい雪のように柔らかく清らかに彼女の胸を満たしていた。そして今、又三郎が侍の身分を棄てるだろうと聞いたとき、そのおぼろげな感情がにわかにはっきりとかたちあらわすように思えたのだ。
「あたしお店をやめようかしら」お紋は暫くしてなにか思い惑ったように云った。
「……ねえお祖父さん、お針も習いたいし、仮名の読み書きぐらいお稽古もしたいし」
「そうだな、そのうち若さまにも御相談してみるとしよう」
 こうして次ぎに又三郎が来たとき、お紋は蔦萬をやめることにきまった。お紋の心に愛情が育っていたと同じように、彼もまたお紋に心を惹かれていた。しかしそれはかくべつ際だったものではなく、二十四歳の夢と若さと現実性をもった、きわめてあたりまえな愛であった。だが後に彼は知ったのである、烈火は消え易いが、くすぶっている埋み火は冷えにくいということを。
「今日が三日だな」とそのとき帰りがけに、又三郎はなにやら決心したようすで、藤七にそう云った、「……明後日の三時ごろ、御苦労だが蔦萬へ来て貰えまいか、ちょっと二人きりで話したいことがあるから、三時ごろがいいんだが」
 へえと藤七はいぶかしげに見たが、合点するものがあったのだろう、かしこまりましたお伺い致しましょう、と答えた。
 又三郎は路次を出ると、心に張の出た足どりで竪川の岸を歩いていった。まだ昏れて間もないのに、家々はたいがい戸をおろしていた、印を書いた油障子に灯のさしているのは、居酒屋か一膳めし屋のたぐいで、酔って唄うだみ声が、ひっそりとした河岸かし通りにもの侘しい反響を伝えていた。それは川の上のつなぎ船でく火明りの、ちらちらと頼り無げなほのおの色と共に、初冬の宵のしみとおるような寒さを際だたせるものだったが、そのときの又三郎にはなにやら懐かしく、できたらその仲間へはいってゆきたいような、誘惑をさえ感じた。彼は決心していたのである、大小を棄て、屋敷を出て、町人の生活にはいろうということを。そのさきはわからない、どこに身をおちつけるか、どんななりわいで喰べてゆくか、それはまるで見当もつかなかった、然しともかくも屋敷を出ることがさきである。ただとび出すだけなら雑作はないが、戸沢家とのかかわりをはっきり断ち切って、あとくされのないようにしなければならない。そしてこれにはかれ自身ひじょうな心のふみきりが必要だった、なぜなら、彼の身内にながれ生きている武家の血はながい伝統と歴史の糸につながるもので、単に環境を変えるだけではどうにもならぬ根強い力をもっているのだから、したがってもし彼が能登守の庶子であり、世子選定などという紛糾した事情がなかったら、それだけきっぱりとふみきることはできなかったかも知れない。
「もうひとがまんだ、そうすれば肌着からすっぽり脱いで、すっ裸になって出られる、それからはおれの自由だ、人間らしくつつましい、正直な、活き活きした暮しが出来るんだ……」
 そう呟きかけた彼は、そこでぎょっとしながら立止った。うしろから足ばやに追いぬいた三人の黒い人影が、いきなり彼のゆくてに立塞たちふさがったのである。


 又三郎は後ろを見た、そっちにも三四人いた、つまり前後を塞がれたわけである。彼等はみんな面を包み、姿勢にものものしい意気ごみをみせていた。
「黙ってついて来ていただきたい」前に立った三人の中からこう云った者がある、「……声をだしたり逃げたりするとお為になりません、どうかおとなしく来て下さい」
「私は楢岡又三郎という者だが」
「黙ってと申上げたでしょう」その男はのしかかるような調子で云った、「……お手間はとらせません、そこまで来て頂けばいいのです、まいりましょう」
 彼等は巧みにすり寄って又三郎の左右をきびしく固めた。これは暗殺者だ、彼はそう直感した。もちろん世子選定にからんだもので、又三郎の存在が邪魔になる一派のさしがねに違いない、なんというばかげたはなしだ、――本能的な恐怖はむろんあった、けれども彼はそれより強くののしわらってやりたい欲望を感じた。彼は戸沢家の世子になりたいと思わないばかりでなく、きょうあすにも大小を棄てて屋敷を出てゆく積りでいる、それをうちあけたら意気ごんでいる彼等がどんな顔をするか、そして暗殺者を出すところまで切迫した重臣たちのあいだに、どんな悲喜劇が起こるだろうか、それは考えるだけでもひと笑いの値打はありそうなことだ。
「早くして貰いたいな」又三郎は右手をふところへ入れながら云った、「……どこへゆくのか知らないが寒くってしようがない」
「寒いだけで済めばお仕合せです」
 冷笑するように云ったまま、彼等は川沿いに三丁あまり東へゆき、材木蔵の空地を右に折れた。そこに亀戸村の飛地がある。一方は堀に面した道で右側はかなり広く草原と畑が続いている、そこまで来ると人家も遠く、堀を隔てて東は殆んど荒地と畑と雑木林ばかりだった。……彼等は又三郎を枯草の中へれこみ、そのまわりに輪をつくって立った。
「簡単に申しましょう」初めに呼びかけた男がかなり歯切れのいい調子で、こう云いだした、「……先頃から御家の跡目決定に就いて、家中に種々の説をなす者があり、或る人々はこなたを直すよう奔走していると聞きました、然もその人々はまず殿の御意志をげ、多数の者を語らって無理押しに事を決めようとしている模様です、我われも勿論もちろん、こなたが殿の御胤おたねだということは聞きました、それに相違ないとは信じますが、いちど楢岡という家臣の子になり、家臣としてお育ちなすったことは消すわけにはまいらない、そして家臣から主君を迎えるとなると、戸沢家将来の綱紀がみだれるのはわかりきったことです、我われは断じて承服ができません」
もっともだ、私もそう思う」又三郎はまじめに答えた、「……たしかに私が戸沢家を継ぐのは将来のためではない、そして、私にもそんな積りはまるでないんだ」
「と仰しゃると、詰りどうなのです」
「私は決して跡目には直らない、そればかりではなく、武士であることさえやめる積りだ」
「ははあ」と、脇のほうで云う者があった、「……その手で来るか」
 又三郎はそっちへ向いた。すると背丈の低い、ずんぐりとまるく肥えた男が、頭巾の間から眼をぎらぎら光らせながら詰寄って来た。
「そんな切ってめるような言葉を我われが信ずるとでも思うんですか、こっちはまじめなんだ、あなたも能登守の御胤ならもう少し堂々とやったらどうです」
「するとそこもとは、私がでたらめを云うとでも」
「でたらめでないなら」とその男は性急に叫んだ、「……もし本心なら問題がここまで来ないうちにその意志を表明すべきではないか、明日は御親子対面という運びの今夜になって、然もこういうどたん場へ来て云うなどとは人を愚にしたはなしだ、覚悟をきめたらどうです」
 そうか、明日はもう父と会う運びになっているのか、又三郎は「親子対面」という言葉に胸をうたれた。そして卒然とそこにいる男たちが憎くなった、ふしぎな感情である、今日までこの問題に就いてずいぶん考えもし苦しみもしたが、能登守正陟に対して「父」という気持をもったことはない、親子などという考えはまるっきり頭に浮ばなかった。それがいま痛いほど鮮やかな実感ではげしく心を緊めつけた。自分の言葉を信じない彼等の頑迷さ、あす父に対面しようとする子を、その直前に斬ろうとする非道、又三郎は生れて初めて火のような憎悪と忿怒ふんぬに駆られた。
「そうすると貴公たちは、是が非でもここでおれを斬ろうというのだな」
「戸沢家六万八千石の社稷しゃしょくを守るためにです、あなた個人を斬るのではない、戸沢家の社稷の害となる存在を斬るのです」
「七人と一人では」と又三郎は頭を垂れて云った、「……とうてい※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれるみちは」
 そう云いかけた彼は、とつぜん人が違ったようにすばらしい呼吸で身をひるがえした、頭を垂れた上躰が右へ傾くとみえ、人々が誘われるようにそっちへ寄ったとたん、又三郎は右足で強く地をり、あの肥えた小男に猛烈な躰当りをくれると、そのままつぶてのように道へ疾走していた。……生きるんだ、ここで死んではならない、生きるんだ、どんなことをしても。彼は殆んど叫びたいような気持でそう思いながら、歯をくいしばってけんめいに走った。


「若殿、若殿ではございませんか」
 竪川の河岸へ出たとき、向うからのどをひき裂くような叫び声が聞えた。又三郎は水をあびたように踏み止まった、はさみ討ちだと思ったのだ。後ろを見ると、そっちからもつい四五間のところへ追い迫っていた。だめだと思った、それで彼は刀を抜いた、そこへ揚羽鶴の家紋を印した提灯ちょうちんをかざして十四五人の侍たちが殺到し、ぐるっと又三郎をとり囲んだ、みんな足袋はだしにはかま股立ももだちを取り、たすき、汗止という身拵みごしらえで、彼をとり囲むとすぐ、肩で息をしながら手に手に刀を抜いた。然しそれは又三郎を斬るためではなかった、中の一人がよく徹る声で、「小林、原田、沼野、貴公たち若殿のお供をしてゆけ、あとは我われがひきうけた、急げ」そう叫ぶなり、七八人は向うから来る人数を迎えてさっと左右にひらいた。――おれを救いに来た者たちだ、そうわかると同時に、又三郎は理由のわからない嫌悪感におそわれ、眼をつむるような気持で、四五人の侍たちに護られながらそこを去った。
 小林新吾、沼野忠太夫という二人は近習番で、上屋敷にいたころ知っていた。彼等の語るところによると、馬場派の行動にはかねてから監視が付けてあって、今夜の企てもすぐ通報があった。そこで上屋敷から五人こちらへ駆けつけ、人数を分けて先手を打つ筈のところ、三つ目橋付近というだけで場所がはっきりしなかったためつい後れたのだという、「まことに我われの怠慢で申し訳がない」心から畏懼いくするように、寒風のなかで彼等はなんども汗を拭いた。……又三郎はまるで聞いていなかった、この騒ぎから早く縁を切りたい、どんな事情があってもおさらばだ、もうたくさんだ、そんなことを繰り返し考えながら、彼等には構わず、大股おおまたにずんずん歩いていった。
 屋敷の中も色めき立っていた。上屋敷から作間丈右衛門はじめ重だった顔が五人も来ていて、帰って来た又三郎を見ると左右から押包まんばかりにして奥へ導いた。どの部屋にも煌々こうこう燭台しょくだい耀かがやき、顔を硬ばらせた老若の侍たちが詰めていた。庭にはかがりが焔をあげ、ものものしい身拵えをした人数の、警護しているのが見えた。導かれたのは休息の間であった。つまり藩主のほかには用いない部屋である、そこで彼は着替えをさせられたが、脱いだ着物を片付けていた若侍が「あっ」と云ってそこへ拡げたのを見ると、羽折から小袖へかけて、背中のところが斜めに五寸ばかり斬裂かれていた。丈右衛門はもちろんのこと、みんな色を変えて、彼の背中へまわった。
「お膚は大丈夫でございますか」「おけがはございませんか」「いちおうお躯を拝見いたしましょう」
 又三郎は黙って手を振り、さっさと着替えをしてしまった。どこで斬られたろうと考えてみたが、まるでわからなかった、おそらくあの小男に躰当りをれたとき、後ろから抜き打を入れられたに違いない、――一瞬の差だった。そう思ったが、実感がないのでかくべつなんとも感じなかった。彼はその夜、滑稽なほど厳重な宿直の人数に護られて寝た。
 朝は暗いうちに起こされた。風呂に入り、月代さかやきり、髪をあげ、丸に九耀星の家紋の付いた熨斗目麻裃のしめあさがみしもを着せられた、彼はなにも云わず、人形のようにされるままになっていた。支度はばかばかしく入念だった、丈右衛門が付きっきりで、そこを此処ここをといじりまわした。それが終ると上段の間に導かれ、上屋敷から来た老職と会った。すべては「親子対面」の手順であるが、彼には興味も必要もないので、躯をそこに置く以外はなにも見ずなにも聞かずに過していた。そして、やがて迎えの乗物が来て屋敷を出たが、そのとき駕籠かごに付いた小林新吾が、昨夜あれからの始末をささやくような声で簡単に報告した。
「こちらは二人ほど薄手を負い、相手にも数人負傷者が出ました、然しその程度でものわかれとなり、今早朝、馬場老職が責を負って隠居のお届けを致しました、それでひとまず落着する模様でございます」
 だが又三郎は、そうかとも云わなかった。彼は目前に迫った正陟との対面を思って、世子を辞退すること、同時に武士の衣を脱ぐこと、その二つをどのように云いだすべきか考えふけった。昨夜からの出来事は、彼の立場をぬきさしならぬものにしてしまった。世子辞退のことだけでもひじょうに困難であろう、だがおれは出てゆく、こんな生活は飽き飽きした、おれはもっと人間らしく生きるんだ、お紋を女房にし、あの老人をお祖父さんと呼んで。お紋、又三郎はずいぶん久方ぶりで呼ぶように、口の内でそっと呟いてみた、「……お紋」と。


「そして父と会ったのだ」
「…………」藤七はひざを固くして聴いていた。
「生れて二十四年、はじめて会う父だった、上屋敷へ着いてからその席へ出るまでは、正直に云って胸がふるえた」又三郎はそこでふと言葉を切った。
 きょうは約束の日である。蔦萬の二階の馴染の部屋で、藤七とおちあって半刻あまり、運ばれて来た酒肴にも殆んど手をつけず、苦いものを飲むような調子でここまで語ってきたが、彼の舌はいよいよ重く、調子はますます沈むばかりだった、「……だが会ってみると、やっぱり親子の情などは感じられなかった」と彼はしずかに言葉を継いだ。
「もちろんそれはそれでいい、おれはすぐに云いたいことを云った、跡目に直ることは云うまでもない、さっぱりと武士をやめて町人になるということを、爺さんのことも云った、お紋のことも隠さずに云った、そして人間らしく正直に、つつましく生きたいということを」
 又三郎はそこで眼をつむった。そのときの父の顔がありありと思い浮んだのである、六十三歳になる正陟はもう髪も白く、皮膚のたるんだ頬にも、緊りのなくなったくちつきにも、もの憂げな、力のないまなざしにも、年齢よりはるかに老衰の色がはなはだしかった。……又三郎の云うことを聞き終ると、正陟は、「みな遠慮せよ」と、侍臣をすべて遠ざけ、こちらへ寄れと又三郎を身近に招いた。
 ――おまえの云うことはよくわかった。
 能登守は眠たげな調子で、こう云った。
 ――武家の生活には冒険も夢も理想もない。伝統を守り、扶持ふちに縛られ、非人情な規矩に従い、自分というものを無にして、奉公に一生を終る、まことに人間としては苦しい生き方だ、……然し又三郎、いかに苦しく、徒労のようにみえても、武家生活は在るのだ、領民の生命財産を保護し、世の中の秩序を守るためには、武家は無くてはならぬだろう、……おまえの望む人間らしい生き方、自分で稼いで妻子をやしない、寝起きも飲み食いも自由に、肩腰の楽な生き方、それは誰しも望むところに違いない、そうすることができさえしたら。
 正陟の眠たげな調子がそこで変った、糸のように細かった眼がきらりと光り、たるんでいた頬がぴくぴくと痙攣ひきつった。そして片手でまるい膝頭をでながら、なにか告白するような口ぶりでこう云った。
 ――だが、農工商の生活が安穏に、自由に営まれ、世を泰平に持続するためには、冒険も夢も自分の理想も棄て、厳しい規矩のなかで一生を公のためにささげる者が無くてはならない、いつか世の中が変ってこういう責任を四民が平等に負うような時代が来るかも知れない、然しそれまでは誰かがその責を負わなくてはならぬ……又三郎、おれの顔をよく見るがいい。
 正陟はぐっと上半身を前へのり出した。
 おまえの知っているその藤七とか申す老人は、七十幾歳になるということだが、六十三のこのおれとどちらが若くみえる、この白髪、このしわたるんだ皮、どちらが多く老衰してみえるか。
「どうしてこのように老衰したかは云うまい、然しこのような父を棄て、苦しい退屈な勤めに一生を捧げる武家生活を見限って、自分だけ人間らしい自由な生き方へ奔る、それでおまえは満足できると思うか、……そう云われたとき、おれがどのように感じたか、爺さんには察しがつくだろう」又三郎はこう云って藤七の前に頭を垂れた、「……自分だけそういう世界から逃げだす、自分だけ、いやできない、おれは戸沢家の世子になる覚悟をきめた、爺さん、わかって呉れるか」
 さっきから膝を見おろしたまま黙っていた老人は、かすかにうなずきながら、こぶしでそっと眼をこすった。又三郎は冷えた盃をとり、眉をひそめながらくっとあおった。
「これでおれの夢は消えてしまった、然しまだ一つだけ残っている、それはお紋だ、気兼のない裏店に住んで、爺さんとお紋と水入らずで、夏は肌脱ぎ冬は炬燵こたつで、気ままな暮しをする積りだった、それはできなくなった、堅くるしい屋敷住いで、気も詰ろうし可笑おかしくもなかろうが、おれのたった一つの夢なんだ、爺さん、お紋を又三郎の妻に貰えないか」
「若さま、よくわかります、思召おぼしめしはよくわかりますが」
「そのあとは聞くまでもないよ、爺さん、身分が身分だから、表むきはどこかの大名の娘をめとらなければならぬだろう、だがそれはまったく名だけだ、式張ったときのほかは話もせずに済む、おれにとって本当の妻は、――お紋ひとり、生涯それでとおせるんだ、父のゆるしも得てある、爺さん、これが唯一つ残った、どうしても失いたくないおれの夢なんだ、お紋をおれの妻にして呉れ、爺さんの一生もひきうけるよ」
 藤七はながいこと黙っていた、石のように躯を固くして、おそらく膝の上に置いた拳は、膏汗あぶらあせで濡れているに違いない、だがやがて、喉になにか絡まったような声で、こう云った。
「私に異存はございませんが、帰ってお紋によく相談をしまして、それから……」
「待っている、返辞はこの家で聞こう、待っているぞ爺さん」


 蔦萬を出た藤七は、肩をすぼめ頭を垂れ、気ぬけのしたような足どりで大川を越したが、竪川通りへ来ると眼についた居酒屋へはいって、溜息ためいきをつきながら黙って三本ばかり呑んだ、そしてそこを出て二町ほどゆくと、こんどは酒屋の店先で一合ますを二つあけた。それでかなり酔いが出たのだろう、歩きだすとちょっとよろめき、往来のまん中に立止ってぐいと向うをにらんだ。
「べらぼうめ、江戸っ子だ」
 老人は気張った声でそう呟いたが、そのとたんにぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。それを拳でじゃけんにこすり、ふらふらと歩きはじめたが、居酒屋があるとはいり、酒屋があると立呑みをやった。そして「べらぼうめ、江戸っ子だ」と、同じことを繰り返しては涙をこぼした。
 徳右衛門町の裏長屋へ帰ったのは、もう灯がついたあとだった。泥酔した老人は、上へあがるにも孫娘の手を借りなければならなかった。まるでこわれた木偶でくのように、ぐたぐたとそこへ、しだらなく躯を投げだした藤七を見て、お紋は暫く途方にくれるばかりだった。
「お祖父さんどうしたの、いったい、こんなに酔っちまって、途中が危ないじゃないの、若さまにはお会いして来たんですか」
「会って来たよ、ああ会ったとも」老人はよくまわらない舌でそうどなった、「なにが若さまだ、ちえっ、あの銀流しめ」
「お祖父さん、おまえ寝言を云ってるのね、そんなに酔って、失礼でもあったんじゃないんですか」
「おらあ酔ってるよ、おめえの見るとおり泥亀のように酔ってる、……なにょう云やあがる、町人になるのはやめた、お紋をめかけによこせ、それだけの前金を渡してある、……そんなちょぼ一があるか、若さまどころかあいつはぺてん師だ、これが酔わずにいられるかい」
「お祖父さん」お紋はとつぜん氷でもつかんだように身震いをした、「……お祖父さんはっきりして下さいな、今のはいったいなんのことなの、誰がぺてん師だっていうんですか、ちょっと起きてわかるように話してお呉んなさいな」
「云えというなら云おう、ああ云おうとも」藤七は両手を畳に突いてゆらゆらと半身を起こした、「……云うからびっくりしねえで聞け、お紋、おらあ蔦萬であいつに会った、なにが失礼なものか、あんな野郎はあいつぐれえが相応だ、おらあおめえにも云ったとおり、今日こそ侍をやめて、これから先の相談があるものと思っていた、あいつは始終そんなことを云っていたし、いかにもしおらしい口ぶりだったからよ、そればかりじゃあねえ、大小袴をぬぐに就いては、おめえを女房に欲しい、そう云うとさえ思っていたんだ、違ってるかお紋」
 お祖父さんと云って、お紋はかたくくちびるみしめた。藤七はぐらりと首を垂れ、片手をふところへ入れて、胸のあたりをさすりながら続けた。
「ところがあいつは、……あいつは、こう云った、自分はこんど出世することになった、どえれえ出世だそうだ、それで町人になるのはやめにした、いいか、槍を立てて歩ける身分になれば不足はないし、これからどんな出世でもできる、就いてはお紋を妾によこせ、……聞いてるのかお紋、妾だ、妾だぜ、それからこのおれも一生飼い殺しにして呉れるとよ」
「あんまりだお祖父さん、そんなこと、若さまがそんなことを」
「云ったんだ、そればかりじゃあねえ、おれが返辞に困っていると、いざを云うとでも思ったんだろう、これまで酒肴代として渡してある金はしめてこれこれになる、口では云わないがあれはその手付の積りなんだ、手付を受取った以上いなやは云わせない、五六日うちに迎えをやるから支度をして置け、……こうだお紋」
「よして、もうよして、お祖父さん」お紋はたもとでひしと面をおおい、はげしくかぶりを振りながら叫んだ、「……本当とは思えない、お祖父さんが云うのでなければ、あたしにはとても本当とは思えないわ、でもよくわかってよ、人間なんて、人間の心なんて、いざとなってみなければ知れないものね」
「おれがどんなに、どんなに、辛いか、おまえにそれがわかったらなあ……」老人はこう云うと再びそこへ俯向うつむけに倒れ、腕の上へ顔を伏せてしまった、その腕はたちまち老人の眼からあふれ出る涙のために、濡れていった。
「泣かないで、お祖父さん」お紋は片手を伸ばして藤七の背をしずかに撫でた、「……あたしなんかなんでもなくってよ、それよりお祖父さんが可哀そうだわ、あんなに気が合っていたんだのに、あんなに楽しそうに呑んだり話したりしていたのに、あたしなんかどうだって、お祖父さんをこんなめにあわせるなんて、それだけでもひどいわ、それだけでも、――お祖父さん」


「ここを立退こう、お紋」藤七は呻くような声で云った、「……このまま此処にいれば、どんな難題をふっかけて来るかも知れねえ、おれもそろそろ閑静なところへひっこみたくなった、おまえだって処が変れば気が紛れるだろう、どっちにしても立退くほうがよかあないか」
「ええそうしましょう、誰も顔を知らない処へいって、お祖父さんと二人っきりで静かに暮しましょう、そうすれば、こんな厭なこともすぐ忘れるわ、そして……」
 こうしてその明くる日、藤七はどこかへ出ていったが、ひるすぎに帰って来るとすぐ、「ゆく先がきまったから」とお紋をせきたてて家の中を片づけ始めた。これまでの帳場だった大茂の世話で、日暮里に畑を持つ「植伴うえはん」という鉢物作りの家へ、住込みで話がきまったのである。二人はその翌日、近所の人たちへも行先は告げないで、藤七が荷車をき、お紋が後を押して、風の冷たい薄ら日のなかを、引越していった。
 移っていった先は道灌山どうかんやまの近くにあった、後ろは上野からの丘陵の起伏が延びているし、前は草原と田と雑木林がうちわたして、晴れた日には筑波や日光の山々が鮮やかに見える。……植伴は庭樹の畑もあるが、鉢に作る物を主にしていたので、そのための板小屋が五棟もあり、職人たちも十人からいた。藤七はその小頭という格で、別棟の住居を貰っておちついた。それは植木畑の中にあり、植伴の先代の隠居所だったという。六じょうに四帖半だけのごくざっとした建物だが、井戸がすぐ脇にあるし、まわりは広く、樹にとりまかれているし、徳右衛門町の裏長屋に比べると、まるでお屋敷へでも住むような気持だった。
「日暮里といえばおまえ、市中から銭をつかって、わざわざ旦那方が遊山に来るところだ、この家だってみな、まるで大店の寮といっても恥ずかしくはねえぜ」
 藤七には珍しく、当分のあいだくどいほどそう云い云いした。四五日ばかりはお紋もそう思ったが、少しするとだんだんこころぼそくなり、殊に昏れ方には胸ぐるしいほどの淋しさにおそわれ始めた。本所にいれば物売りの声が次ぎつぎに来た、人の往き来も繁くなり、子供の騒ぎや家々のくりやの音や、近所同志の高笑いや呼びあう声など、黄昏のものかなしいなかにも、しみいるような懐かしいにぎやかさがあった。此処にはそういうものがまるで無かった。……来る日も来る日も風だった、筑波おろしという乾いた刺すような木枯しが、遠い野づらをわたり林をゆすり、みた刈田や茶色になった草原をそよがせて、ひょうひょうと家の軒を吹きめぐった。植木畑はひまな季節なので、職人も常には二人ほどしかいず、それさえ外出がちで、家のまわりはいつもひっそりしていたし、たまに話し声がすると思って見ると、三町も向うの田道をゆくものもうでの人だった。……お祖父さんのいない昏れ方など、しんとした家の中で行燈へ火を入れながら、お紋は茫然と手を休めたまま、よく独りで泣いたものだ、もとの長屋の人々を想って、もうひとり、あまりにむごく裏切った人を想って。
 雪と霜と、あらあらしい風と、荒涼と枯れたながめのなかで、冬を越した。そして春となったが、お紋は笑うことの少ない沈みがちな娘になった。藤七はいたましげな眼で、脇のほうからそのようすを見やっては、溜息をついた。慰めようともし、明るくなるようにもしむけてみた。然しそんなことがなんの役にも立たないことは、老人にはよくわかっていたのだ。時が経てば。それだけが頼みだった。――時はすべてのものをやして呉れる、どんなに深い悲しみも苦しみも、やがては忘れる時が来るだろう、ましてお紋は若いのだ、若さというものは、それだけでどんな痛手をも癒やすちからを持っているのだから。……仕事の動きだす季節になった。出入りの人も多くなり、畑でも板小屋でも、絶えず活気のある掛け声や罵り笑う声が聞えた。お紋も忙しくなった、客が来れば茶菓の接待をするし、職人たちの八つや弁当の世話から、縫い繕いなどまですすんでひきうけた。夜になると、彼等はよく藤七の住居へ集まるようになり、もの日には酒肴を持ち寄って、賑やかに飲み更かすことも珍しくなくなった。そんなときには、お紋も片頬にえくぼをよらせて、楽しそうに燗をつけたり酌のまねをしたりする、起ち居や手もとが板についているから、しぜん彼等の眼について、若い者のなかには、心をかよわせるようなそぶりを示す者も出て来た。けれどもお紋が明るい顔をするのはそういうときだけで、ふだんは眉も曇り眼も暗く、はかばかしくは口もきかないふうな、沈んだようすにかえってしまう、したがって程を越えて馴れ馴れしくする者もなく、夏になり秋を迎えた。
 このあたりは丘つづきに名所が多く、青雲寺の桜、諏訪すわの台の雪見寺、道灌山の月と虫、六あみだ四番の興楽寺、また尾久から荒川堤への枯野など、四季それぞれの眺めに富むため、市中から遊山に来る人が絶えなかった。……秋も末になった或る日、植木畑の片隅に作った菜畠なばたけで、お紋がざるを片手に菜を採っていると、すぐ脇の道を通りかかった三人づれの女たちが、びっくりするような声をあげて呼びかけた。
「まあお紋ちゃんじゃないの」
 お紋もああと云いながら立った。その三人はお糸、お琴、およねといって、蔦萬にいたときいっしょに働いていた友だちであった。


 三人は六阿弥陀まわりに来たのだという。どんなに懐かしかったろう、問いかけも返辞もいっしょくたになり、手を握ったり、叩かれたり、華やいだ笑いごえをたてて、暫くは語り飽かなかった。そのうちに、いちばん年嵩としかさのお糸が、にわかに顔をひきしめて、「お紋ちゃん罪よ」と云いだした。
「いきなりなによ、なにが罪なの」
「あんな風に若さまを振るなんてあんまりだわ、あたし若さまの話を伺って泣かされてよ」
「若さま」お紋はふいに身を震わせた、「……あたしが若さまを振ったんですって」
「そうじゃないの、奥方になれないからって、事情があんな事情なら、そして若さまがあんなに真実な気持でいらっしゃるなら、お断りするにしても仕方があると思うわ、若さまは本当にお痩せになったことよお紋ちゃん」
「あんたはなんにも知らないのよ、若さまがどんな方か、どんなひどい方かということを、……痩せたのはあたしだわ」
「うそ、それはうそよ、うそだわお紋ちゃん、あたしすっかり伺ったのよ、若さまがお侍をやめて、町人になって、お紋ちゃんを貰うお積りだったことも、それがどうしても戸沢様の御家を継がなければならなくなったことも」
「戸沢様の跡継ぎですって」お紋にはわけのわからない言葉だった、「……それは誰のことなの、まさかあの方では」
「あの方だわ、能登守さまの本当のお子で、色いろなゆくたてから、どうしてもお世継ぎに直らなければならなくなったんでしょう、六万石のお大名ですもの、幾らあんなにうちこんでいらしったって、奥方と呼ばせることはできないわよ、正式にはよそから奥方を迎えなければならない、でもそれは表向きのことで、心から妻と呼ぶのはお紋ちゃんひとり、生涯変るまいとまで仰しゃったというわ」
「あの方が」お紋はさっとあおくなった、そしてぶるぶるとおののきながら、こう呟いた、「……若さまが」
「あんたがいなくなってから、もしかして戻って来はしないか、ゆく先が知れはしないかって、若さまはよくお忍びで蔦萬へいらっしゃった、そしてあんたが戻りもせず居どころもわからないと聞くと、お気の毒なほどがっかりなすって、時には悪酔いをなさるほど召上って、あんたのことをみれんなほど恋しがっていらっしゃったわ、お琴さんだっておよんちゃんだって、みんな泣かされないことはなかったのよ」
 そんなことがあるだろうか、藤七の話とは表と裏ほど違う、もしそれが本当なら、お祖父さんがあんな悲しいことを云う筈がない。でも、若さまがお屋敷のお世継ぎになったということは聞かなかった、奥方にはできないが、本当の妻として生涯変るまいという言葉も。
「あんたが此処にいるって、若さまに申上げてもいいでしょう」別れるときお糸がそう云った、「どんなにおよろこびなさるか、見えるようだわ、そしてもういちど二人で、よくお話してごらんなさいよ、お礼はあとでたくさん頂くわ」
 然しお紋はまるで聞いていなかった。別れの挨拶もうわのそらで、三人の遠ざかってゆく姿が野道のかなたへ見えなくなっても、喪心したようにそこへ棒立になっていた。そのうしろへ、藤七がそっと近づいて来た。すぐ向うの樹蔭で、植木に霜除しもよけをしていた老人は、いまの話を残らず聞いてしまったのだ。
「お紋……」こう呼んだまま、藤七は孫娘の前にその頭を低く垂れた。
 お紋はびくっと身震いをしてふり返った。そして頭を垂れたお祖父さんの姿を見、その頬に涙のすじが光っているのを見た。なにを疑うことがあろう、お紋はすべてが事実だということを知った。
「お祖父さん、聞いていたのね」
「ああ、……そして、みんな本当なんだ」
「なぜ、なぜ、お祖父さん」お紋はひき絞るように叫んだ、「……なぜなのお祖父さん、あたし若さまが好きだったのよ、若さまの気持さえ本当なら、お部屋さまだってよかった、一生お側で暮せるならお端下にだって上ったわ、それなのにお祖父さんはあんなひどいことを云って、あんなひどいことを」
「堪忍してくんな、わかっていたんだ、若さまの気持もおまえの気持も、おれにはよくわかっていたんだ、辛かったんだ、おれだって辛かったんだお紋」
「わかっていたんなら、なぜ、お祖父さん」
「若さまはいまお糸さんの云うとおり仰しゃった、他から奥方は貰うが、身も心もゆるす本当の妻はお紋ひとり、生涯変るまいと仰しゃったんだ」藤七は腰から手拭を取り、両の眼を押しぬぐいながらこう云った、「……だがお紋、おらあ考えた、本当の妻になって、生涯かわいがって貰えるおまえは、しあわせだろう、けれどもそれじゃあ奥方になって来る方が気の毒じゃあないか、お大名そだちだって人の心には変りはない筈だ、一生の良人おっととたのむ人が自分には眼も向けず、同じ屋敷のなかでほかの者をかわいがっているとしたら、お紋、おまえがその人だったとしたら、どうだ、悲しくも辛くもねえか、平気で一生みていられるか」
 お紋は血の出るほど唇を噛みしめた。膝がしらが音のするほど震える、両手の拳をひしと握りながら、彼女は大きくみひらいた眼で、空の向うを見まもった。
「老いぼれてもおらあ江戸っ子だ、そんなむごい、不人情なことに眼をつむる訳にはいかねえ、人に泣きをみせてまで、自分の孫を仕合せにしたかあねえ、おらあ酔った、……しらふじゃあ舌が動くめえと思ったから、泥のように酔って、死ぬ思いで、あんな作りごとを云ったんだ、……ああ云えばおまえにみれんも残るまい、いっときの嘆きで忘れて呉れると思ったから」
「わかったわお祖父さん」お紋は空洞を風がはしるような、うつろな声で云った。「……よくわかってよ、恨んだりして、あたしがいけなかったわ」
「そう云って呉れるか、本当にそう思って呉れるのかお紋」
「お祖父さんの孫じゃないの」お紋は眼をかえして老人を見、片頬にえくぼをよらせながら云った、「……あたしだって江戸っ子だわ」
 そして笑おうとしたが、こみあげてくる涙を隠しようもなく、前垂で面をおおいながら、声をあげて泣きだした。藤七は孫娘の肩へ手をまわして、かたくひき寄せた、どんな慰めの言葉があるだろう、胸も裂け眼も昏むおもいで、ただ老いの手にかたく抱き緊めるばかりだった。
「また引越しましょう、お祖父さん」むせびあげながらお紋が云った。「……さっきお糸さんが、此処にいることを若さまに教えると云ったわ、もしかしておいでになったら、あたしとても、……こんどはとても、だめよお祖父さん」
「そうしよう、こんどは知った者にも会わないような、どこか遠いところへな……」
 前の日から三日めの、風の吹く午後だった。道灌山のほうから馬を駆って来た一人の武士が、植伴の前へ馬をつなぐと、片手にむちを持ったまま大股にはいって来た。塗笠を冠っているので人品はわからないが、身装みなりや態度から、然るべき、身分の人だということは明らかだった。植伴は大名屋敷へも出入りがあるので、決して驚くほどの出来ごとではなかったが、主の伴吉がてばやく着物を直して出迎えた。
「この家に藤七と申す老人がいるか」その武士は笠を冠ったままこういた、「……お紋という孫娘のいる、本所から移って来た老人だ」
「へえ藤七はおりました、去年の冬から此処へ来ておりましたが、一昨日その孫といっしょに出ましてございます」
「出たというと、用事ででも……」
「いいえ暇を取りましたので」
「ああ」武士は呻くような声をあげた、「……それで、何処どこへいったかゆきさきはわかっているか」
「さようでございます、目黒とか、荏原えばらとか申しておりましたが、はっきりしたことはおちついたら知らせると云うばかりで、とつぜんでもあり私どもでもなにがなにやら……」
「そうか」武士は溜息をつくように、低いこえでそうかと云い、ぞうさであったと、力のない足どりで出ていった。
 つないであった馬に乗り、鞭をあげて、道を二町あまり北へ向って駆けさせたが、刈田が終って、田端の平地の見えるところまで来ると、武士は手綱を絞って馬を停めた。……葉の黄ばんだ雑木林と、枯れた草原のあいだを、道は北へと迂曲うきょくしながら消えてゆく、人の影もないうらさびれた眺望を、さらにもの哀しくするように、林をそよがせ枯草をゆすって、ひょうひょうと野分が吹きわたっていた。
「お紋……」口のなかでそっと囁くように、その武士はこう呟いた、「……逢わなければよかった」





底本:「山本周五郎全集第二十巻 晩秋・野分」新潮社
   1983(昭和58)年8月25日発行
初出:「講談雑誌」博文館
   1946(昭和21)年12月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2021年12月27日作成
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