ばちあたり

山本周五郎





 私をみつけるとすぐに、弟の啓三は例のとおり大きく手を振った。私は気がつかないふりをして、三番線のプラット・ホームのほうを見ていた。啓三は近よって来ると、これまた例の如く私の肩を叩いた。彼の体から香水が匂った。
「早かったね」と啓三が云った、「病院のほうはいいの」
 私は黙って頷ずいた。
「この暮になってひどいよ、おれにとっちゃあ一時間が何万円にもつくときだからね」と啓三はなめらかに云った、「往復するだけでも二日だぜ、もしものことがあっても一日しきゃ日は取れないんだ、一日だな、一日以上は絶対にだめなんだ、おふくろも罪なときに罪なことをするよ」
 私は黙って階段口のほうを見た。啓三は母を責めているのではない、一時間が何万円にもつくという、自分の言葉の裏書きをしているにすぎないのだ。
「こんなところに立っていてもしようがない」と啓三が云った、「中へはいって坐ろうじゃないの」
「室町がまだ来ないんだ」
「いいよ、車がきまっててシート・ナンバーがきまってるんだもの、そうでなくったってあの女傑がまごつきますかさ、わからなければ駅長を呼びつけるくちですよ、駅長おどろくなかれって、ね」
 私は彼に「乗れよ」と云った、発車時刻が迫っていて、歩廊にいる客たちは次つぎと車内へはいってゆき、私たちのまわりには見送りの人や、走って来る乗客たちがまばらに見えるだけであった。
「ねえ、どう思う」と啓三は急に声をひそめて云った、「キトクっていう電報はこれで三度めだろう、あんたは三度とも診察しているでしょう、それでこんどはどうだと思う」
 私は穏やかに云ってやった、「きみは香水のスプレーは丹念に握るくせに、髭を剃ることは忘れるらしいな」
「あんたにはわからないポケットさ」啓三は右手で口のまわりを擦った、「このぶしょう髭を少し伸ばしてるのが、当代仲買人のはやりっ子っていう看板なんでね、いまどき髭をきれいに剃ってるなんてのはバーテンダーか、信託銀行の支店長かベル・ボーイ、やあ、女傑があらわれましたぜ」
 啓三は右手をあげて振りながら、階段口のほうへ走っていった。姉の順子は、トランクといいたいほど大きなスーツ・ケースを、両手で提げて持っていた。私は啓三がそれを受取るのを見て、車室の中へはいった。――十二月十八日という時期のためか、それとも午前八時なにがしという半端な時間のためか、その特二の車内は客も三分の二くらいしかなかったし、私たちのまわりには、一と組の若い夫婦らしい二人が、通路を隔てた向うの席にいるだけであった。
 啓三が姉といっしょにはいって来た。姉は私の前のシートに坐り、啓三はスーツ・ケースを網棚にあげ、窓を下一段だけあけて、私の隣りに坐った。
「喪服を持って来たんで重くなっちゃったの」と姉はマフラーをとって啓三に渡しながら、誰にともなく云った、「啓ちゃんこれもあげといて、――タクシーが来ないんで困っちゃったわ、このごろはそうでもないような者まで車に乗るのね、空き車なんて十台に一台もありゃあしない、出るたんびに、あら、タバコをどうしたかしら、啓ちゃんちょっと鞄をあけてみて」
 マフラーを棚へあげて、腰をおろしたばかりの啓三は、いやな顔もせずにまた立ちあがった。軽薄な男であるがそれだけは取り得といえよう、人に頼まれると決していやとは云わない。小さいじぶんからの性分で、ことに親きょうだいより、他人のことのほうに精を出すので、リップ・バン・ウィンクルのようなやつだ、と父がよく云ったものであった。
「これでも三人の子持ですぜ」啓三はタバコとライターを出して渡し、鞄を元のように直して坐りながら、姉に云った、「あんたと伴れになるといつもこき使われるんだ、あんたの側にいるときまって自分が小僧にでもなったような劣等感におそわれるよ」
 発車を告げるベルが鳴りだし、歩廊を走る足音やひと声が、他の始発駅とは違うこの駅特有の騒がしさで聞えた。
「三人の親なら親らしくもっとしっかりしなさい」と姉はタバコに火をつけながら云った、「このあいだ高ちゃんが来てこぼしてたわよ、また遊びだしたんだって、ちょっと景気がいいと思えばすぐにそれなんだから、あんたの悪い癖よ」
「冗談でしょ、嘘ですよそんなこと、あいつはすぐにそんなふうな勘ぐりをするんだ、このまえのときだって、あの女とはなんでもありゃあしないのに、高子のやつが独りでばかな想像をして」
「なんでもない女にどうして二十万もやったの」と姉が云った、「つまらない云い訳はよしなさい、あんたときたら女にはまったく――」
 列車が動きだし、私は窓外へ眼を向けた。この沿線では始めの二時間の風景がたまらなく退屈である、田と畑と林、僅かな丘の起伏しかないところへ、工場と安普請の住宅、――古いのも新らしいのも玩具のように小さくて、広い田や畑のあいだにそこだけぎっちりと寄り集まり、きまったように洗濯物を掛けつらねている、その洗濯物の大部分が赤児の肌着やおしめであるのを見るたびに、人間の無知や貧困さが露骨に感じられて、云いようもなく重い、かなしい気分をそそられるのである。
「ねえ健さん」姉は啓三との話しを切上げて私に呼びかけた、「健さん」と繰り返して、私のほうへ顔を寄せながら、声をひそめた、「――おかあさんどうかしら、あたしこんどはだめだっていう気がするんだけれど、あんたの考えではどう思って」
 私はちょっとまをおいて答えた、「わからないな、おふくろは芯が強いからね、――なにしろ」
「芯は強いよ」と啓三が云った、「あの呑んだくれで我儘いっぱいだったおやじが、おふくろの芯の強さにはシャッポをぬいでたからね、そう云えば敏公にも芯の強いところがあるぜ、そこがおふくろと性の合うところなんだろうな」
「気が合ってなんかいるもんですか、おかあさんはあの子のことばちあたりって云ってますよ」
 私は姉の顔を見た、
「去年いったとき聞いたのよ」と姉が云った、「おかあさんの口からと、テープ・レコーダーと、二度も聞いたわ」
「それでどうしてあいつにばかりくっついてるんだろう」と啓三が云った、「おれんところはともかく、室町にしろ健さんのとこにしろ、それこそ御隠居さまさまでいられるんだからな、いくら生れ故郷だからって、あんな寒い田舎町で敏公なんぞと苦労している必要なんかありやしない、結局おふくろはあいつが可愛いんですよ」
 それから彼は急に姉を見た、「テープ・レコーダーがどうしたんですって」
「もう話したじゃないの、忘れっぽいのね」
「いいえ聞きませんよ、あたしは聞いた覚えはありませんよ」
「そうかしら、敏夫がおかあさんの声をレコードに取ったっていうことよ」と姉はまたタバコに火をつけながら云った、「啓さんには話さなかったかしらね、こうなのよ」
 私は窓外をぼんやり眺めていた。時間があったら読むつもりで、三冊ばかり本を持って来てあった。十年以上も臨床専門にしばられて、初めにこころざした研究のほうは埃まみれになっている。このままで一生を終りたくない、私はまだ三十七だ。
 ――三十七、おお、と私は心の中で呟やいた。もうすぐ四十だぞ、もうすぐ、……あと三年でだ。
 私は口の中で熱っぽい匂いがするのを感じた。鉄の灼けるような、イオン臭に似た匂いである。私は網棚の上にある自分の手提げ鞄の中から、持って来た本を出そうと思った。そうしなければならないと思ったが、鞄の中にある応急用の診察器具や薬品類に気づくと、それだけで気持が重くなり、立ちあがって手を伸ばす力がなくなるのを感じた。
「それでおかあさんが怒って、敏夫、ちょっとおいでって云ったのよ」と姉は啓三に話し続けていた、「そうするとあの子ったら、ちょいと待ったって云って、自分の部屋からテープ・レコーダーを持って来て、――おふくろの小言はこいつにとってある、口がくたびれるといけないからおふくろは黙ってていいよって、そしてそのレコードを廻したんですって」
「へええ」と啓三はにやにや笑った。
「するとどうでしょう、おかあさんの叱る声がすっかりはいってるじゃないの、こうよ」姉は記憶をたどるように、上わ眼づかいになり、口の中で暗誦してから続けた、「――こうだったわ、敏夫、おまえまたやったね、あれほどあたしが云っておいたじゃないか、よしたほうがいい、どうせうまくいきっこないんだから、そんなつまらない事にひっかかると取返しのつかないことになるからって、……すっかり覚えてたんだけれど、ええ、あたしそのレコードを聞いたのよ」
「たいしたやつだな」啓三は声をあげて笑った、「へえ、そいつはたんまだ、おどろいたやろうだな」
「ばちあたりな子だって、おかあさん怒ってたけれど、あの子はのんこのしゃあよ、側で仰向きに寝ころんだまま、死んでしまえばそれまでよ……って、暢気な声で鼻唄をうたってるじゃないの」
「知ってしまえばそれまでよ、っていうんですよその唄」と啓三が云った、「あいつは音痴で君が代も満足にはうたえないんだ」


 私は長いあいだ眼をつむっていた。知ってしまえばそれまで、――死んでしまえばそれまで、……どちらも敏夫の口からよく聞いた文句である。なにか流行歌の一節らしいが、文句はそれだけ、きょくもでたらめで、そのときによって違っていた。その唄がいつごろ流行しはじめたものか私は知らない、まだ郷里の高校にいたとき聞いたようにも思うが、慥かではない。けれども敏夫がうたいだしたときのことはよく覚えているし、そのとき自分の受けたショックも、いまなお忘れがたいほど深いものであった。
「しかしその」と啓三が姉に云っていた、「どうしてまた敏公のやつ、そんなテープ・レコーダーなんか持っているんです」
「なんていうのかしら、自分では巡回講演だなんて云ってたけれど」
「講演ですって」
「あたしよくは聞かなかったのよ」と姉はまたタバコに火をつけた、「つまりね、鉄なら鉄、炭坑なら炭坑を写真にとって、スライドってものにするんですって、そしてそれといっしょに、そこで働らいている技師とか職工とか、石炭なら坑夫とかなんだとかっていう人たちに、それぞれ話しをさせてテープに録音するのよ、それが出来たらその二つを持ってほうぼうをまわるの、たいてい学校なんでしょう、スライドを映しながら、そのテープをかけて聞かせて、敏夫がそれについて講演するんだっていう話しだったわ」
「すっとぼけた野郎だな、そんなことをして食っていけるんですかね」
「食う心配はないでしょ、池田からお金が来るんですもの」
「そうか」と啓三が云った、「そうだ、それがいけねえんだな、そんな金があるからまじめに働らく気になれないんですよ」
「それだけじゃない、敏夫のは生れつきだっていうこと知ってるじゃないの、小さいじぶんからおちつきのない、気の変りやすい、そのくせ片意地な子だったわ」
 姉と啓三は敏夫の非難を続けていた。そのうちに私はうとうとしたらしい、昼食のときは啓三に呼び起こされて食堂車へいった。
 食事まえにビールを少し飲んだのが効いたのだろう、座席へ戻って暫らくすると、私はまた仮睡にひきこまれた。
「そっとしておいてあげなさい」と姉が啓三に云った、「健さんよっぽど疲れてるのよ」
 私は眼をつむったまま、頭の位置をぐあいよく直した。
 仮睡は浅かった。眠りと眼ざめのあいだの不安定な意識の中で、私は敏夫のことを考えていた。母にもしものことがあれば、そして、こんどは助からないだろうと思うのだが、そうなったとき敏夫がなにかやりはしないか、というおそれが強く私には感じられるのであった。その心配はいまはじまったことではない、いまから十二年まえ、私が郷里の高校を出たあと、東京の学校の医科を卒業した翌年の春、敏夫が中学二年のときにそのことが起こった。
 ――敏夫は読んだ。
 あのとき敏夫が読んだということは確実ではない。私が学校の付属病院から帰ると、彼が私の部屋から出て来たのだ。敏夫は八重歯のある白い歯をみせて微笑し、持っている鋏を振りながら云った。
 ――これ、借りるよ。
 ――使ったら返すんだぜ。
 彼は持っている鋏を見、うん、と云って去った。私は部屋へはいって着替えをしながら、敏夫がノートを読んだ、ということを直感した。いそいで机の抽出をあけたが、ノートは日記の下にちゃんとあり、動かされたようすもないし、それを披いたり読んだりしたという形跡も残ってはいなかった。にもかかわらず、敏夫がそれをみつけ、その項目を読んだという直感は、私をつよくとらえて放さなかった。
 ――中川のときもこんなふうだった。
 中川という男が二階からおりて来たとき、どこにも変ったようすはなかった。私はまだ十歳だったし、中川に対して特に関心を持ったことはなかった。母の郷里のほうの親類の者で、大学の籍を東京に移したが、下宿のきまるまで預かる、ということであった。うちには半月ほどいたであろうか、私たちきょうだいとは殆んど没交渉で、いっしょに食事をした記憶もないし、中川という姓だけは覚えているが、名前も知らないくらいだった。
 弁護士をしていた父は、そのころがもっとも全盛だったのだろう、東京の事務所にいるときでも、たまにしか私たちと顔の合うときはなかったうえに、絶えず長い出張をしていた。中川が寄宿していた期間、父が麹町の家にいたか、それとも出張した留守のことであるかはよくわからない。――五番町にあった家はあまり広くはなかったが、二階に三間、階下に五間あり、中川は階下の南の端にある四帖半を使っていた。その彼が或る朝早く、二階からおりて来たのだ。もう校服を着ていたが、帽子はかぶらず、手ぶらで、ゆっくりと階段をおりて来た。
 私はなんの理由もなくどきっとした。
 そのときの感じを云いあらわすことはできない。もちろん、二階に寝ている母のことなど考えてもみなかったし、中川のそぶりに変ったところがあったのでもない。中川は平静そのもので、廊下にいる私を見ると、いつものとおりぶあいそに「よう」と云っただけであった。しかも私はどきっとしたのだ、そんな感じは初めて経験したことであるが、十歳の子供の頭では解釈のしようもないし、すぐに忘れてしまった。
 中川は下宿へ移り、学校を出ると父の事務所へ勤めた。このあいだに敏夫が生れた。姉の順子は私より二つ上、啓三は私と一つ違いであるが、敏夫だけ年がはなれていて、私より十一も下であった。
 父の事務所へはいった中川は、半年も経たないうちにやめ、満州へ渡ったということを聞いた。事務所でなにか失敗をしたらしい、詳しいことは知らなかったが、あの年であんなことをするようではあの男の一生も先がみえてる、と父が云ったのを覚えている。年が経ち、戦争になった。父は昭和十八年に死んだが、遺していってくれたものがあるので生活の心配はなかった。啓三は陸軍に取られたが、私は体が弱かったから兵役はのがれ、学徒動員のときにも主任教授の好意で、特別研究生として学校をはなれずに済んだ。
 姉は十八の年に矢田家へ嫁した。矢田は日本橋通三丁目でかなり大きな貴金属商を営なんでいたが、十八年の秋に店を閉めて、宮城県の塩釜へ疎開した。そのとき相当多額な品を隠して持っていったらしく、二十四年にいまの室町へ店付きの家を建て、二年ばかり証券業をやったのち、元の商売に返り、いまでは軽井沢と熱海に別荘を持つほどみごとに立ち直った。
 中川があらわれたのは、敗戦の年の二月であった。鉄兜に汚れた国民服で、雑嚢を肩に掛け、髭だらけの顔は青ぐろくむくんでいて、中川だと名のられても、すぐには誰だか判別がつかなかった。彼は母の部屋で二時間ばかり話しこみ、夕方になると、握りめしを包んでもらってたち去った。おそらく門のところで会ったのだろう、入れ違いに敏夫が帰って来た。中学二年生の彼は勤労動員で、芝の浜松町にある木工工場へ通勤していたのだが、靴をぬいであがるとすぐに、いまの人は誰だ、と私に訊いた。
 ――かあさんの親類の人だ。
 ――ふーん、汚ねえ親類だな。
 敏夫はそう云ってから首をかしげた。
 ――ぼくのこと知ってるかい。
 知らないだろう、ちょっとのあいだうちにいたことはあるが、おまえの生れるまえのことだからな、と私は答えた。
 ――だって、大きくなったなって云って、ぼくの顔をいやにじろじろ見ていたぜ。
 ふしぎなことはない。親類なら手紙のやりとりはあったろうし、敏夫の生れたことぐらい知っているのは当然であろう。私はそう思いながら、それと同時に、漠然と昔のことを思いだした。二階からおりて来た中川を見て、どきっとしたときのことを、――それは「思いだした」というのではなく、記憶の底にひそんでいたものが、しぜんによみがえってきたという感じであった。私はそのことをすっかり忘れていた。そのときまでいちども思いだしたことはなかったのだ。
 医学をまなび、インターンをやっていて、人間をみる眼が一般とは違っていたからだろうか、それとも生れついた性質のためか、私は平静な気持でそのことを考えてみ、それをノートに取った。中川が寄宿していたときと、敏夫が生れて来たときとは、計算するまでもなく符合した。姉と私と啓三とは、顔かたちや体つきまで似ているが、敏夫だけは体も小柄だし、まる顔で、眼鼻だちも違っていた。
 ――敏夫はあたしの父に似ている。
 母が幾たびかそう云うのを聞いた。私も郷里の高校時代に母の実家を訪ね、その祖父に会ったことがあり、そう云われれば顔だちに似たところがあるなと思った。
 中川と母とをむすびつける証拠はなにもない。いつか中川が二階からおりて来たのも、ただそれだけのことだったかもしれないし、敏夫の出生がその月日にほぼ該当するのも、偶然にすぎないかもしれない。そうでないということを証明するものはなに一つないのであるが、「なに一つ疑がわしいことはない」というところに、却って私は深い疑惑をもったのであった。


 食堂車で夕めしを食べたあと、啓三にすすめられて私はウイスキーを飲んだ。姉もハイボールで半分ほど飲み、頬を赤くして先に車室へ帰ったが、私たちは二時間くらい残っていた。啓三は能弁にしゃべり、はでな身振り手振りで陽気に笑った。私はめるように、水と交互に啜りながら、殆んど黙って彼の話すのを聞いていた。
のままでいいのかい」と啓三が急に云った、「素人が医者に云うのはおかしいが、水で割るほうがいいんじゃないのか」
 私はあいまいに首を振った。
 車室へ帰ると、姉は読みかけの雑誌を顔に当てて眠っていた。啓三もしゃべりくたびれたのか、それとも酔ったためか、まもなく腕組みをして眼をつむった。私はその程度に酔うと、却って頭が冴えて眠れなくなる。窓外はすでに夜で、走り去る灯の数も稀にしかなく、うしろのほうの座席でときどき高笑いをする声が、めっきり客の少なくなった車室の静かさを際立てるかのように聞えた。
 私は中川についてはなにも知らない。死んだ父はもちろん、母も彼についてはなんの話しもしなかった。満州でなにをしていたのか、いつ内地へ帰ったのか、敗戦の年に五番町の家へ寄ったあと、死んだのか生きているのか、いまでもまったく不明のままである。
 ――いっそ母に訊いてみよう。
 そう思ったことは幾たびもあった。けれども、こっちの気持にこだわりがあるのと、もしかして母の心を傷つけはしないかというおそれとで、ついに訊くだけの勇気は出ずにしまった。
 ――これはすべて自分の妄想だかもしれない。
 これも繰り返し反省かえりみたことだ。すると敏夫の不審な変化が思いうかんでくる。あの、鋏を借りに来た直後から、敏夫のようすはめだつほど変った。知ってしまえばそれまでよ、とうたいだしたのもそのすぐあとのことであった。死んでしまえばそれまでよ、ともうたった。あのノートを読んだな、という直感が、誤まってはいなかったと私は思い、触れてはならぬものに触れたような、あるいはなにか神聖を冒涜したような、するどい罪悪感のために頭を垂れたことを、私はいまでも忘れることができない。
 ――死んでしまえばなんて、そんないやな唄はうたわないでおくれ。
 母がそう云って咎めたことがあった。すると敏夫は「そんなら予科練へでもはいろうか」と答えた。戦争が続いていれば、本当にそういうことになったかもしれない。母はそれを恐れたのだろう、夜間爆撃が始まるとまもなく、敏夫を伴れて郷里の町へ疎開した。
 敗戦後の約五年間が、窮乏と不安と狂騒の生活だったことは、私たち家族も一般の例からもれるものではなかった。啓三が復員し、姉の一家が戻り、私は母校の教授に推されていまの病院に勤め、同時に結婚をした。――敏夫は母と郷里に残って、私と同じ高校に進み、そこを出ると、県庁のある市に新設された大学へはいった。
 ――ばかなやつだ、学校なら東京へ出て来ればいいじゃないか。
 啓三はそう云っていたが、そんなことには関心がないのだ。彼自身は学徒動員で取られたので、復員したら学校を続ける筈であった。財産税その他で私たちもはだか同様になっていたが、まだ弟たちを学校へやるくらいのことはできた。というのは、父が生きていたころ、郷里の友人にかなり多額な金が貸してあった。池田平二郎という人で、現在は県会議員をしているが、その事業がうまく当り、戦争が終った直後からめざましく発展し、その業界では県下で五人の内にかぞえられるようになった。――こういう関係で、池田から償還される金があり、いまでも(母のほうへ)続いて送られているのだが、啓三は学校に戻る気などなく、ブローカーのような仕事にとりついて、むやみにいそがしがっていた。
 啓三が姉の良人の助力で仲買人になったとき、郷里では敏夫の生活が荒れだした。姉や啓三は「ぐれ始めた」と云う。敏夫自身は本気だったかもしれない。私にはどっちとも区別できないが、大学を一年でやめると、闇物資の売買をやり、次に県庁のある市で食堂をひらき、また、小学校の準教員になるかと思うと、町へ帰って貸し自転車屋をはじめるというぐあいで、四年ばかりのあいだに五つか六つ職を変えた。しかもそこには一貫したものがなく、軽率とでたらめ、生来の飽きっぽさ、といったふうな感じしかみられなかった。
「雪がないね」眠っていると思った啓三が、窓外を覗きながら云った、「いつもならこの辺はもうまっ白なんだがな」
 私は黙っていた。
「眠ってるの」
「いや」
「雪がなかったらまっすぐ家へゆきますか」
「そうだな」と私は答えた、「まず木内へ電話をかけてからにしよう」
 啓三は腕時計を見た、「あと二時間とちょっとですよ」
「暢気な人たちね」姉が顔を掩っている雑誌の下から云った、「おかあさんが危篤だっていうんじゃないの、雪があろうとなかろうと、着いたらすぐゆくにきまってますよ」
「雪の夜道を三里ですか」と啓三が云った、「あたしはゆうべ殆んど眠ってないんですがね」
「あたしは独りでもいくわよ」
 啓三は私の顔を見てひょいと肩をすくめた。いつもながらそういう身振りを見るといやになる、自分では気がつかないようだが、すぐに人の肩を叩いたり握手を求めたり、大げさな身振りをしたりすることは、彼のためにマイナスになっているのだ。
 ――マイナスか。
 暫らくして、私は心の中でそう呟やいた。おれの生活も同じことじゃないか、いまの私は自分が望んでいた私ではない、病人を診察し治療する毎日、夜でさえ自由になる時間の少ないこの生活は、本来そうあるべき自分にとってはマイナスである。おかしなことだ、啓三も口で云っているのとは反対に、仕事はいつもつまずきを繰り返している。室町の矢田も去年あたりから彼を避けているらしいし、当人にもそろそろ仲買という仕事に飽きたようすがみえる。そうではないかもしれないが、彼の動静から察すると、私にはもう時期の問題のように思えるのである。
 ――そしていま、敏夫のことがひっかかってきた。
 そこまで考えたとき、まるでそれを耳で聞きでもしたように、姉と話していた啓三がこっちへ向き直った。
「そうだ、これはいまのうちに相談しておかなくちゃいけないと思うんだが」と云って彼は前跼まえかがみになり、両手を左右に開いた、「もしおふくろに万一のことがあった場合、敏夫をいったいどうします」
「もちろん東京よ」と姉が云った、「独りで置いたらなにを始めるかわかりゃしないもの、あの人にはこわい者が側にいなければだめよ」
「おふくろは甘かったぜ」
「母親というものは甘いようでもこわいもんなのよ」姉はちょっとまをおいて、「いろいろな意味でね」と云い、タバコに火をつけた、「敏夫はしようのない子だけれど、ひどい間違いをしずに済んだのは、おかあさんがずっと側にいたからだわ」
「するとこんどは独りになりたがるかもしれませんぜ」
「そんなこと云わせるもんですか」
「健さんの意見はどうです」
 私は窓外を見たまま黙っていた。そして十秒ばかり経ってから云った。
「雪が積ってるよ」
 午後八時過ぎ、その線の終点に着き、そこで乗換えて約一時間、鈍行の列車に揺られてから郷里の町の駅におりた。雪はかなり積っているが、夜空は晴れて、眼にしみるほど鮮明に星がきらめいていた。――駅の前にバスの営業所がある。タクシーも兼業していて、毎年のように来る姉はよく知っているとみえ、私たちをそこへ伴れていった。
 私は母のいる町の木内医師に電話をかけた。去年来たときに、初めて診察に立会ったのだが、母のかかりつけだそうで、六十歳ぐらいの、ごく温和な、昔よくいわれた「田舎紳士」といったふうな人柄であった。
 電話は簡単に済んだ。
「どうなの」姉はしがみつくような眼で私を見た、「どうなのよ健さん」
「五時十分だったそうだ」
「今日の、今日の五時」
 私は頷ずいた、「宿を取りましょう」
「あたしはいくわ」と姉が突っかかるように云った、「いってお通夜をするわ」
 私は姉の腕を握った。
「敏夫にさせましょう」と私は云った、「二人っきりの最後の晩ですからね、今夜は敏夫に任せておきましょう」
「だっておかあさんが」姉は手帛を出して鼻を押えた、「それじゃあおかあさんが淋しいじゃないの」
「木内から知らせるように頼みました」私は手を放しながら云った、「ここまで来ているんだから同じことです、宿を取って明日にしましょう」
「松村がいいな」と啓三が云った、「おれが先に云っておくよ」
 啓三は自分の手提鞄と、姉の大きな鞄を両手に持って、雪の中を小走りにいそいでいった。姉は泣きだしていた。


 敏夫はおどろくほど変っていた。体も顔も痩せ細って、かさかさに乾いた皮膚が骨へじかに張りついているとしかみえない。かなり悪化した消耗性疾患の患者のようで、眼だけが際立って光っていた。
 姉から順に、母の死顔を見、死んだ唇を水でしめした。母の死体は死んだままで、あとの処置はなにもしてないらしい。顔には白い晒木綿が掛けてあるが、枕許には燈明や線香をあげる支度もできていなかった。――家は勝手のある広い土間と、炉のある八帖と、母の部屋の六帖の奥に四帖半があるだけで、水道もないし、煮炊きは古風な竈でするようになっていた。
「どうして」と姉の尖った声が聞えた、「どういうわけなの」
 私はまだ母の枕許に坐っていた。姉と啓三は先に立って炉の間のほうへいったが、すぐに敏夫と始めたようすである。湯灌をしたかどうか、寺へ通知したか、どうして香や燈明をあげないのか、くやみに来る客の用意はどうする、というようなことを、姉はいつもの調子で追求し、敏夫はそれをみんな突っぱねていた。
「これはおふくろとぼくで話しあったことなんです」と敏夫は云っていた、「ほとけ臭いことはいっさいやらないからって」
「おかあさんがそれを承知したっていう証拠でもあるの、あるなら見せてちょうだい」
「法光寺の石岡さんに訊けばわかりますよ、石岡さんもその話しは知ってるんだから」
「そんなこと他人に訊けますか」
「他人たって菩提寺の住職ですよ」と敏夫は云った、「五番町の兄さんは知っている筈なんだ、高校で同級だったっていうから、――ふだんからおふくろと話しの合う人で、坊主が経を読んだって成仏するなんてことはない、死ねばみんな同じとこへゆくんだ、寺へ納める金があったら生きてるうちにうまい物でも食っておくほうがいいって、――おふくろも笑って、そのとおりだって云ってましたよ」
「なんてまあひどいことを、そんな一休さんみたいなこと云ったって世間に通用すると思うの」姉の声は高くなった、「おかあさんにさんざん苦労をさせたうえ、死んだあと問い弔らいもせず、線香一本もあげないなんて、そんな人間の道に外れたことがありますか」
「なんとでも云って下さい、ぼくは姉さんに褒めてもらうつもりはないんだから」
 私は立って、炉の間へ出ていった。啓三は長い金火箸で炉の火を突ついてい、姉は手帛をつかんだ手をふるわせながら、私のほうへ振向いた。敏夫は啓三の隣りにあぐらをかき、腕組みをして炉の火を見まもっていた。
「健さん聞いて」と姉が云った。
 私は坐ってから、そこが脇座といって、家長の坐る場所だということに気づいた。
「敏夫」と私はできるだけくだけた調子で呼びかけた、「ここは君の坐る場所じゃあないのか」
 敏夫は火を見たままで首を振った。
「とうさんですよ」と彼は云った、「かあさんはそこへ毎晩、とうさんのかげ膳を据えていましたからね」
「とはまた古風だな」と啓三が云った。
「健さん」と姉が云った。
「聞きました」と答えて、私は敏夫を見た、「敏夫、――おまえ本当にかあさんとそう話しあったのか」
 敏夫は頷ずいた。頷ずいてから、やはり火を見まもったままで、下唇を噛んだ。すると、無精髭の伸びた頬が抉ったようにくぼみ、ぼさぼさの髪が額へ垂れかかった。
「姉さん、敏夫の好きなようにさせてやりましょう」私は姉のほうを見て云った、「――十幾年もいっしょにくらしたんだし、東京にいた私たちにはわからないこともあるでしょう、かあさんがそれでいいと云ったというなら、それを信じてやるほうがいいじゃありませんか」
「健さんまでがそんなことを云うの」姉はくしゃくしゃになった手帛で鼻を押えた、「――それじゃああんまりだわ、それじゃあおかあさんがうかばれやしないじゃないの」
 私は啓三を見た。こういうときに、啓三の受け止める感受性はみごとなものだ。彼は私の眼を見るなり、私が云いたいと思うことそのままを姉に云った。もしもそれで姉の気が済まないのなら、分骨をしたうえ東京へ持っていって、姉の望むような弔らいをすればいいだろう。いまは田舎でも習慣が変っているようだし、寺の住職までそんなふうだとするなら、ここは敏夫の思うとおりにするほうがいいと思う、と啓三は巧みな身振りと、味のきいた言葉とで姉を説得した。
「そんならお葬式はどうするの」と姉は譲歩した、「まさかあたしたちで焼場まで担いでゆくわけじゃないでしょ、あたしそのために喪服を持って来たんですもの」
「それを云うことはないですよ」と啓三が云いかけ、私の顔を見て口をつぐんだ。
「敏夫」と私は呼びかけた、「ちょっと歩きに出ないか」
 敏夫はゆっくりと私を見た、「なにを心配してるの、ぼくのことなら心配はいらないよ」
「ちょっと歩きに出ないかというんだ」
「まあ坐っていて下さい」敏夫は妙な微笑いをうかべながら云った、「もういちど云いますが、おふくろのことはぼくに任せてもらいます、木内さんの話しではまにあうだろうというので電報を打ったんですが、まにあわないとわかれば知らせるつもりもなかったんですよ」
「どういうことなの、それは」と姉が吃驚したような声で訊き返した、「おまえまさか、あたしたちに死顔も見せないっていうつもりじゃあないだろうね」
「まあいいから姉さん」と啓三が手を振った、「とにかく云うだけ云わせなさいよ」
「サンキュー、啓さん、だがもう云うことはないんだ」と敏夫は云った、「あなた方はみんないそがしいんだし、こっちはこんな始末で接待もできない、失礼だけれどぼくとしては帰ってもらいたいんですがね」
「ちょっと待てよ」と啓三がさえぎった、「おどろかすのもほどほどにしてくれ、いくらなんでもそんな乱暴なはなしはないぜ、なるほど君は十何年も二人っきりでくらしたろうけれど、おふくろは君だけのもんじゃない、おれたちにとっても実の母親だぜ」
「だからちゃんと知らせたじゃあありませんか」
「じゃあ訊くがね、まにあわないとわかってたら知らせないつもりだった、というのはどういう理屈だい」
「理屈も理由もありません、そう思ったからそう思ったと云ったんです」
「まあおちつけよ」啓三は押しなだめるような手まねをした、「ちょっとおちついてものを云ってくれ、いいかい」と云って啓三は唇を舐めた、「君の云うとおりおれたちはいそがしい体だ、ことにこの年の暮で、自慢するようだがおれの体は一時間が何万円にもつくんだ、しかしたった一人のおふくろが死んだんだよ、東京からここまでやって来た以上、通夜もしない葬式も送らないで帰れるかい」
「それだけじゃないわ」と姉が割込んだ、「あたし帰るときにはあんたを伴れてゆくつもりなのよ」
 敏夫はぼんやりと前を見ていた。生気のない骨張った顔は無表情だし、その眼にもなんの反応もあらわれていなかった。
「敏夫」と姉が云った、「おまえあたしの云うこと聞いてるの」
「つまりません、そんなこと」と敏夫は精のない口ぶりで答えた、「かんじんのおふくろが死んじゃったんだから、なにをしようったって始まりゃあしない、ぼくも一巻の終りだし、自分のことぐらい自分でやりますよ」
「じゃあ東京へはいかないっていうの」
 敏夫はうつろな眼で姉を見た、「――東京へですって、ぼくが」彼は重たげに頭を振り、べそをかくような顔つきで云った、「あんたたちにはわからない、あんたたちにはなんにもわかっちゃいないんだ」
「よせよ」と啓三が云った、「芝居のせりふみたいじゃないか、いったいおれたちがなにを知らないっていうんだ」
「なんども云ったじゃないか」敏夫の声がふるえだした、「ぼくは独りでかあさんを葬むりたいんだ、ぼくはかあさんと約束したんだ、死んでも湯灌なんかしないでくれ、誰にも体を見られたくない、ぼくにさえ見られたくないって云ったんだ、通夜もぼく一人だけでしてくれ、誰にも通夜はしてもらいたくない、そのまま焼いて骨にして、その骨は山でも野原でも、どこでもいいから撒きちらしてくれ、きっとそうしてくれって、いくどもいくども約束させられたんだ」
 敏夫の眼から涙がこぼれ落ちたが、彼は拭こうともせず、こぼれ落ちるままに言葉を切った。姉は呆れたような眼で私を見た。私は感情が顔にあらわれるのを、けんめいに抑えるだけで精いっぱいだった。
「あたしにはわけがわからない」と姉が云った、「そんな話しってあるかしら、健さんあんたどう思って」
「わかりませんね」と私は答えた。
「わからない」と云って敏夫が私を見た、涙でぐしゃぐしゃになったその眼は、まるで噛みつきでもするような、異様な光りを帯びていた、「――五番町の兄さんにもわかりませんか」
 私は頷ずいた。敏夫は笑った。空罐の中で石をころがすような、空虚な含み笑いであった。
「じゃあ姉さんや啓さんにわかるわけがないや」と敏夫は手の甲で眼のまわりを拭きながら立ちあがった、「ちょっとそこまでいって来ます」
「どうするんだい」と啓三が訊いた。
「めしの注文ですよ」と敏夫は答えた、「ひるめしぐらい喰べてってもらわなくちゃあ済みませんからね」


「いっしょにいこう」と私は立ちあがりながら姉に云った、「ちょっと外を歩いて来ます」
 敏夫は黙って土間へおりた。私が靴をはいて出ると、敏夫はもう表て通りへ曲るところだった。滑りやすい根雪の上を、私は危なっかしい足どりで彼に追いついていった。――この町は小さく、殆んど帯のように、一と筋の道を挾んで左右に家が並んでいる。うしろはどちらも田畑と草原がひろがり、東のほう遙かに遠く、この県で名高い山塊が、他の低いやまなみを抜いてそびえていた。――いまはさびれているが、昔は郡役所のあったところで、町の中央には繁華街のなごりを残す建物が多く、現在でも映画館や酒場、料理屋などが集まっていた。
 私は黙ってついてゆき、敏夫が「雁木屋」という料理屋へはいるのを見ていた。そして彼が出て来るのを待って、なにげなく云った。
「寺町のほうへいってみないか」
「いってみたいんですか」敏夫は遠くから見るような眼で私を見た、「それともなにか話しがあるんですか」
「話しもあるんだ」
「うんざりだな」と云って敏夫はすぐに微笑した、「失礼、これはぼく自身に云ったんですよ」
 私は黙って寺町のほうへ曲った。その名の示すとおり、そこは寺がずっと並んでおり、何百年かまえにこの土地の領主だった人の墓もある。片側はもと武家屋敷だったらしい、白く乾いた土塀が続き、寺のある側には古い榎が並木になっていた。曇ってはいるけれども、が高くなったためだろう、道の雪が溶けはじめたので、ぬかるみを拾って歩かなければならなかった。
「あれが法光寺です」敏夫は手をあげて云った、「寄っていきますか」
 私は答えなかった。
「石岡起善きぜんって人、知ってるんでしょう」と敏夫は続けた、「兄さんと高校で同級だったって、面白い人ですよ、いまは寺の住職というより幼稚園というか、託児所のような仕事のほうにうちこんでますがね」
 敏夫はそこで思いだし笑いをし、細い頸で支えられた危なっかしい頭を左右に振った。
「あれには困ったな」と彼は独り言のように云った、「――一休さんみたいなことを云うなって、姉さんらしいや、ぼくは笑うのをがまんするのに汗をかきましたよ」
「敏夫」と私は呼びかけた。
「法光寺はどうします」と敏夫が云った、「石岡さんはあなたに会いたがってましたよ」
 私は黙って歩いた。
「一時間が何万円にもつく体だって、啓さんは善人だなあ」と敏夫は云った、「ぼくは啓さんが大好きだ、室町の姉さんも好きだな、女のいいところと悪いところをそのまま出してる、世間態やみえにこだわってることを隠そうともしない、いいな、ぼくは姉さんも大好きだ」
 私は立停って敏夫を見た。
「君はなにが云いたいんだ」と私は低い声で訊いた。
「なんにも」と敏夫は顔をそむけた、「ぼくには云いたいことなんかなにもありませんよ」
「本当にないのか」
「ありません」
「君はさっき、五番町にもわからないのかと云った」私は歩きだした、「かあさんが死んだらこうしてくれと、君に約束させた理由を私が知っている筈だ、という意味だろう、そうじゃないのか」
 敏夫は答えなかった。
「君が云わないのなら私から云おう」私はいっそう声を低くした、「君はいつか私のノートを読んだ」
「兄さんは知らないんだ」
「君はあのノートを読んだ」
「読んだのはかあさんだよ」
 私は思わず立停り、敏夫も立停った。そこは寺町のはずれで、向うは雪に掩われた田圃がひろがり、左の遙かかなたに、孤立したその山がぬきんでて高く見えた。私は深く息を吸い、静かに吐きだしながら、敏夫を見た。
「読んだのはかあさんですよ」と敏夫は山のほうを見たままで云った、「なんだってあんなことを書かなければならなかったんです、兄さん、なんのためです」
 私には答えようがなかった。
「なんのためです、兄さん」と敏夫はひそめた声で囁やくように云った、「面白かったからですか、好奇心ですか、それともかあさんの罪をとがめたかったんですか」
 私は靴の先で雪を突ついた。
「わからない」と私は答えた、「自分でもどういう気持で書いたかはわからない、ああいうことにぶっつかったら、おそらく君でも書いたんじゃないかと思う」
「生みの母親のことをですか」
「私は非難しはしなかったよ、君が読んでいればわかるだろうが、私は自分の感じたことを感じたままに書いただけだ、生みの母親だということも考えなかったろう、正直に云えば自分の研究の材料になる、というくらいの気持はあったかもしれない」
「研究とはどんなことです」
「皮膚だ」と私は云った、「視覚や聴覚や味覚よりも、皮膚から受けるもののほうが人間の感覚を支配するのではないか、――いろいろな事情で臨床専門になってしまったが、私はこのテーマに一生を賭けるつもりだった、あのノートを書いたのはそういう時期だったんだ」
 敏夫は脇へ向いて唾をした。
「あんたはいやな人だ」と彼は云った、「あんたははなもちのならない人ですよ、姉さんは女の弱点をよせ集めたような人だし、啓さんはみっともない俗人だ、それでもあんたよりましです、人間としてはずっとましですよ、わかりますか」
「ぼくは知らなかった」とすぐに敏夫は続けた、「どうしてかあさんが東京へ帰りたがらないのか、姉さんやあんたがくどいほどすすめたし、ぼくだって東京へゆくようにすすめたのに、かあさんはどうしても承知しなかった、なぜだと思います、え」敏夫は眼をほそめて私をみつめた、「――学校が新制になって高校へはいったとき、こんなことを云うのはいやだけれど、ぼくは失恋した、ぼくは死にたかった、死のうとしたんだ、そのときかあさんがあのことを話してくれたんですよ、――そのあとでかあさんがなんと云ったと思います、あの人とのことがあったので生れてきた甲斐があった、いいですか、あの人とのことがあったので、この世に生れてきた甲斐があったっていうんですよ」
「言葉は違うけれどかあさんはこう云いましたよ」と敏夫は云いかけて、首を振った、「いや、よしましょう、人間を実験動物のようにしかみない兄さんにはわかりゃあしない、一と言だけ云えば、かあさんはあんたたちに顔を見られるのがいやだったということです」
「おれは人間を実験動物のようにみたことはないよ」
「断わっておきますがね」敏夫は歩きだしながら云った、「ぼくは死んだおやじの子ですよ、それだけはかあさんの名誉のために覚えておいてもらいますよ」
 私は頭を垂れて、敏夫のあとから歩いていった。
 ――おれは母を実験動物のようにみたことはない。
 あのノートはまったく客観的に書いたものだ。中川という男と母のあいだに、なにかがあるという直感。それが敏夫の出生とむすびついているという事実。これは事実であって空想ではない。繰り返すようだが、私には母を咎めるような気持は少しもなかった。むしろ、と思って私は唇を噛んだ。
 ――面白かったからか、好奇心か。
 敏夫の云った言葉が、まるで審判者の声のように、するどく耳の奥で聞えたからだ。私は急に足が重くなったように感じ、雪泥の道を拾ってゆくことも忘れて、幾たびかぬかるみへ踏みこんだ。
 私はまいった。母があのノートを読んだということは想像もしなかった。敏夫が読み、そのために性格がぐらついたものと考えていた。私はしんそこまいった。かあさん、と私は心の中で繰り返し呼びかけた。あのとき、神聖なものを冒涜したというように感じた、その感じが、いまはもっと現実的な量感で私を押し包み、全身を搾めあげるように思われた。
 ――自分は母を実験動物のように考えたことはない、そんな考えは微塵もなかった。
 家へ帰るまで、私は救いを求めるように、そう主張し続けていた。
 注文の料理が届き、姉が酒の支度をした。敏夫は陽気になり、なにかうれしいことでもあるように、活発にしゃべったり笑ったりし始めた。膳には甘煮や焼き物のほかに、この地方のこの季節だけにある鱈の料理。作り身や、肝臓を入れた味噌椀があり、私にはなによりの好物だったが、たのしんで味わうような気持のゆとりはまったくなかった。
「ぼくがかあさんに苦労のさせどおしだったって、さっき姉上は仰せられましたね」敏夫は明るく微笑しながら云った、「――仰せのとおりです、ぼくはなっちゃない野郎です、ぼくはあんたたちの余りっかすで出来たらしい、姉上や健さんや啓さんに、いいところはみんないっちゃって、残りのかすでやっとこさぼくが生れたんでしょう、することなすこととんまで、まぬけで、おふくろに苦労ばかりかけて来ました、弁解なんかしません、ぼくは本当にしようのない野郎ですよ」
 姉が私の顔を見た。
「ほう」と啓三が片手をひらめかせて云った、「どうやら一席ぶつつもりらしいな、拝聴しようじゃないか」


「一席ぶつなんて不遜なもんじゃない、慎しんで申上げるというわけですよ」
「やってくれ」と啓三が云った、「おふくろもいっしょに聞くだろう、拝聴するよ」
「そんなに開き直るほどのことじゃないさ、ぼくはおふくろに苦労させたけれど、それで自分が甘い汁を吸ったわけじゃありません、あんたたちにはわからないかもしれないが、おふくろはちゃんとわかっていてくれましたよ」
「まあ一杯やれよ」と云って、啓三が彼に酒を注いでやった、「御高説はうかがうが、鱈の刺身の味がおちない程度にたのむぜ」
「サンキュー」と敏夫は盃を額まであげ、歯を見せて微笑しながら云った、「本当はそれほど云うことはないんだ、おふくろが死んだ、ぼくも全巻の終りだっていうことです、――息をひきとるまえにね、あたしが死んだらおまえはどうなるだろうって、おふくろが云って、涙をこぼしました、ぜんぜんそのとおりです、おふくろに死なれてどうしようがありますか、ぼくは全巻の終りです」
こうらいや」と啓三が云った。
「およしなさい」と姉が云った、「敏夫、――そんなやけなようなことを云って、いったいこれからどうするつもりなの」
「だから、おふくろもそれを心配してたって云ったでしょう、ちょっと失礼」
 敏夫は立ちあがって、母の遺骸のある六帖へゆき、自分の四帖半へいったが、すぐに素焼の小さな壺を持って戻って来た。四分の一リットルくらいはいりそうな壺で、口のところに細い繩が巻きつけてあった。
「おふくろ手製の梅酒です」敏夫は茶箪笥からグラスを出して来、壺の木栓を取って、その酒を注いだ、「世間で作るようなやつじゃない、純粋な梅酒、七年経ってるんですよ、失礼だけれどあんた方には差上げません、おふくろがぼくのために作ってくれたもんですからね」
 薄い琥珀色の、とろっとした酒で、敏夫は仰向いてそれを喉へ流しこんだ。
「どこまで話したっけな、ああそうか」敏夫は二杯めを呷って云った、「これからどうするつもりか、っていうところでしたね、ええ、あんた方はよく聞いていないらしいが、ぼくは全巻の終りだって云ったでしょう」
「ふざけたことを云うのはよしなさい」と姉がタバコに火をつけながら敏夫を睨んだ、「さんざっぱらおかあさんにあまえたあげく、あたしたちにまで甘ったれるつもりなの、こんなときぐらい少しはまじめになるものよ」
「ぼくはまじめですよ」敏夫はまた梅酒を呷った、「生れてこのかた、いまぐらいまじめにものを云ったことはありません、ぼくはだめなんだ、いいですか、かあさんが生きていてくれてさえ、ぼくはなっちゃない野郎だった、なにをやってもしくじるばかり、かあさんにしりぬぐいをしてもらって、こんどこそはと思ってやる事がまたおしゃか
 彼は続けさまに二杯呷り、ぐらっと頭を垂れて、それから喉で忍び笑いをした。
「室町は大資産家、五番町は大病院の内科部長、啓さんは一時間が何十万円にもつくという、――何万円でしたかね、失礼、――その中で残りっかすのぼく一人ぐらい、どうなったっていいでしょう、姉さん、あんたにはぼくが甘ったれにみえるかもしれませんがね、これでも自分にできるだけのことはやってきたんですよ、かあさんはそれを知っていてくれた、隣りでいまかあさんは聞いていてくれるでしょう、ぼくは自分にできる限りのことをやってきた、することなすことおしゃかになっちゃったけれど、自分では精いっぱい、いま思うとおかしいくらいしんけんにやってきたんですよ」
「そろそろ弁解になってきたようだな」と啓三が云った、「そのへんで切上げにしようじゃないか」
「OK、ぼくにももう云うことはありません、ぼくはかあさんといっしょにくらした、かあさんがいてくれたからこれまでやってきた、そのかあさんが死んでしまった、――いけねえ、同じことの繰り返しだな、ぼくは何百遍でも繰り返したいが、あんたたちにはお笑い草でしょう」敏夫は壺とグラスを持って立ちあがり、ちょっとよろめきながら、姉に云った、「――姉さん、いいことを教えてあげましょうか、ねえ、かあさんには恋人があったんですよ」
「ばかなことをお云いなさい」
「かあさんには恋人があった」と彼は云った、「それを聞いたときぼくはうれしかったな、あんたたちにはわからないだろうが、ぼくはかあさんに抱きつきたいように思った」
「敏夫」と姉がきめつけるように云った、「おかあさんがまだそこにいるのに、けがらわしい、なんということを云うの」
「けがらわしいの、姉さんには」敏夫はまた歯をみせて微笑し、姉におじぎをして云った、「ぼくは美しいと思ったな、本当にかあさんに抱きついてよろこんであげたかった、――もうこれでおしまい、酔ったようだから失礼して、ちょっと横にならせて頂きます」
 そして敏夫は自分の部屋のほうへ去った。
「相当いかれてますね」啓三は私に酌をしながら云った、「おふくろに恋人があったなんて、どういうつもりで云いだしたんでしょう」
「でたらめよ」姉は色をなしたといったような表情で云った、「あの子は昔っからあんなふうだったわ、そんなことを聞けばあたしたちが吃驚するだろうと思って云っただけよ、でたらめにきまってるわ、いやらしい」
「いかれたんだな」と啓三は手酌で飲んでから云った、「おふくろに死なれて途方にくれてるんでしょう、あの」
 あの、と云いかけて啓三は口をつぐんだ。向うの四帖半から、母の声が聞えて来たのである。すぐにはわからなかったが、それが母の声だとわかったとき、私たちは息をのんだ。私は啓三を見た。すると姉が肩をおとしながら云った。
「あのテープ・レコーダーだわ」
「テープ」と云って啓三が姉を見た。
「聞いてごらんなさい」と姉が云った。
 かなり明瞭に母の声が聞えた。
 ――そんなことはだめだって云ったでしょう、どうしておまえはそう懲りないの、女親だと思ってばかにするのもほどにしておくれ、かあさんがこんなに心配しているのがわからないのかい、ばちあたりな子だよ。
 そこまで聞いて姉が立ちあがった。
「なんて人でしょう」と姉は云った、「おかあさんがまだそこにいるというのに、まるでからかってるようなもんじゃないの」
「うっちゃっておきなさい」と啓三が云った、「敏公には敏公でやりたいようにやりたいんでしょう、放っときなさいよ」
 だが姉は聞こうともせずに、敏夫の部屋のほうへ出ていった。啓三は気取った動作で肩をすくめ、私に酌をし、自分も手酌で飲んだ。
「しかし敏公はいったい」
 啓三がそう云いかけたとき、姉が駆け戻って来た。
「健さん来てちょうだい」と姉はふるえ声で、奥のほうを指さしながら云った、「敏夫のようすがおかしいのよ、早くいってみて」
 私の頭の中で「全巻の終り」という言葉が、鐘を撞き鳴らすように大きく、重おもしく聞えた。まず啓三が立ち、私も立っていった。
 敏夫はテープ・レコーダーを枕許に置き、掻巻を掛けてごろ寝をしていた。骨ばかりのように痩せた顔を仰向け、口をあけて、不自然な鼾をかいて眠っていた。半眼にあいている眼の瞳孔は拡大し、口の脇は涎で濡れていた。私は瞳孔と脈をしらべながら、催眠薬だなと思った。
「啓三」私は敏夫の着物の衿をひろげながら云った、「木内という医者を呼んで来てくれ、胃の洗滌をすると云えばわかるだろう、薬はおれの持っているのでまにあうだろう、いそいでいって来てくれ」
 啓三はとびだしてゆき、姉はわなわなとふるえていた。
「どうなるの、大丈夫」と姉はのぼせあがったように云った、「どうしてこんなばかなことをしたのかしら、本当に死ぬつもりだったのかしら、健さん、この子は大丈夫」
「水を持って来て下さい、土瓶がいい、大きいのに入れて来て下さい」
 姉は躓ずきながら出ていった。
 テープ・レコーダーはから廻りをしていた。母の小言はもう終って、空転する音だけが聞えてい、私は敏夫の上半身を抱き起こした。薬は梅酒の中に混ぜてあったのか、そのまえからのんでいたのか、いずれにせよこいつは死ぬ気だった、と私は思った。失恋したときに死のうとしたと云った。それが現在まで続いていたのか、それとも母に死なれたことと、自分の将来に絶望したためだろうか。おそらく、それらが積重なって自殺する気になったのであろう、と私は思った。
「しかし失敗だったよ、敏夫」と私は彼の上半身を抱えたままで呟やいた、「君はこんども失敗した、君は死にゃあしないよ」
 姉が水を持って来た。私は姉に、敏夫の口をあけさせて、土瓶の口からむりに水を流しこんだ。敏夫は唸り声をあげ、首を振り、身をもがいた。激しくむせたので、私は水を飲ませるのを待った。そのとき、空転していたテープ・レコーダーから、母の声が聞えはじめた。
 ――悪く思わないでおくれ、敏夫。
 と母のやさしい声が云った。
 ――おまえの留守にこれを吹き込んでおくんだけれど、いつかおまえが聞いてくれるだろうと思う、かあさんはいつもおまえに小言ばっかり云ってきた、ばちあたりなんて云ったこともあるね、でもあれは本心から云ったことじゃない、あたしはおまえが可愛かった、四人きょうだいの中で、おまえだけがいちばん可愛かった、こんなことは姉さんや兄さんたちに聞かせられないけれど、本当にあたしはおまえが可愛んだよ。
 姉が急に手帛で眼を掩い、くくと嗚咽し始めた。母の声はなお続いた。
 ――なにをやってもものにならない、そのたびに小言を云ったけれど、本当はかあさんは心の中で頭を下げている、あやまっているんだよ、おまえをそんなふうに産んだのはかあさんだからね、おまえの罪じゃない、おまえをそんなふうに産んだかあさんが悪いんだから。
 そこで少し空転があって、また続いた。
 ――おまえはいい子だよ、本当に可愛い、いい子だよ、一と言で云えば、かあさんはおまえの死ぬまで生きていたいと思う、しっかりするんだよ敏夫、世の中には金持になる人もあり、有名になる人もある、でも人間はそれだけじゃないだろう、おまえにはおまえの一生があるんだし、それは誰にもまねのできることじゃない、たとえ失敗のし続けにせよ、人間が生きてゆくということは、それだけでも立派なことじゃないか、おまえはおまえなりに生きておいで、人がなんと云おうと構いなさんな、おまえの一生はおまえだけのものなんだからね、……もういちど云うけれど、ばちあたりなんて叱ってごめんよ。
 そこでテープ・レコーダーの声は切れた。姉は手帛で顔を掩ったまま嗚咽してい、私は抱えている敏夫の顔を見た。
 ――君はこれを聞かなかったんだな。
 私は心の中でそう呼びかけた。
 ――正気に返ったら聞かせてやるよ、君は仕合せなやつだぜ。
 啓三が木内医師を伴れて帰って来た。





底本:「山本周五郎全集第二十九巻 おさん・あすなろう」新潮社
   1982(昭和57)年6月25日発行
初出:「小説新潮」新潮社
   1960(昭和35)年1月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2022年10月26日作成
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