備前名弓伝

山本周五郎





 備前の国岡山の藩士に、青地三之丞あおじさんのじょうという弓の達人がいた。食禄しょくろくは三百石あまり、早く父母に死別したので、伯父にあたる青地三左衛門の後見で成長した。十九歳の時家督を相続、少年の頃から弓の巧者だったので、お弓組にあがって勤めていた。三之丞は幼少の頃からおっとりした性質で、怒ったという顔を見せたことがないし、かつて人と喧嘩けんか口論をしたためしがない。おまけにひどく口数のすくない男で、つまらぬ世間ばなしなどにはいつも横を向いている。
「珍しい上天気、いい日和でござるな」「……されば」「いや、妙な雲が見える、降るかも知れぬが、どうであろう」「……されば」「ここで降られては鷹狩たかがりのお供が辛い、どうか二三日もたせたいものでござるな」「……されば」と云った調子である。さして大事な話でないものは、大抵これで片付ける。これをくどくやると、しまいには「されば」も云わずに黙ってしまう。それでも別に無愛想だとも云われず、上役にも下役にも評判がよかったのは、生れつきの人徳があったのに違いない。
 これと面白い対照なのは伯父の三左衛門であった。三左衛門は、「雷三左かみなりさんざどの」とあだ名がついていて、性急で早合点で、すこしもゆったりしたところがない。始終せかせかとかけ廻って怒鳴りちらしているという風だった。そういう性質だから、おいの三之丞の落着きはらった態度がひどく眼につく。
「若い者はもう少しはきはきとせぬか」顔を見ると小言である。「おまえのすることを見ていると背骨をかたつむりにわれるような気持だ。こう、そのもっとてきぱきとできぬものか」
 小言を云いながら独りで癇癪かんしゃくを起こしている。もっとも三左衛門になつという娘があって、これがよく三之丞の味方をしてくれた。なつは三之丞と四つ違いで、さして美人というのではないが、思遣おもいやりの深い利巧な娘だった。
 ある年の春先、三左衛門は広縁に出て庭を見ていたが、ふと庭はずれにある梨の木の高いこずえに一羽のさぎが翼を休めているのをみつけ、慌てて三之丞を呼んだ。
「お呼びでございますか」「あそこを見ろ、あの梨の梢に鷺がとまっておる。見えたであろうが」「はい」「あれをここから一矢で射止めてみろ」「それでどういたします」
「どうするものか、その方が弓の稽古をはじめて五年、どれほどの腕になったかまだ見たことがない、ちょうどさいわいだから心得のほどを見てやる。さあやれ、急がぬと逃げてしまう、なにを愚図愚図しておるか」云い出したら承知しない、きたてられて三之丞はすぐ弓と矢を持ってきた。
 藩の弓道師範に十三歳の時から就いて学び、まる五年稽古をしていた三之丞、上達したのかしないのか、てんで分らない。三左衛門がときどき師範に会ってくと、きまったように、
「みどころはござる」という返事ばかりだ。どうみどころがあるのかと押して訊けば、「弓の道にみどころがある」という、弓を稽古しているのだからその道にみどころがあるのは当然だ。人を馬鹿にした返事だと思って、あるとき自分でしばらく稽古場へ通って見ていると、三之丞の矢はすこしも的に当らない、幾ら射てもみんな的から外れてしまうので、堪り兼ねて三左衛門が、
「これは驚いた。あれだけ射て一本も的に当らないというのは情けない、とても見込みはあるまいからめさせましょう」
 と云った。すると師範は、「いや、そう案ずることはござらん」と平気な顔で次のように云った。
「三之丞どのがこの道場へまいってから三年になる、ほかの者がめきめき腕をあげていくなかで、彼一人はすこしも進歩が表われない、ああやって幾ら矢を射てもすこしも的に当らない、しかし的に当らないのは当てようとしないからだと拙者は見ている。……拙者も未熟ながら師範の一人、門人たちの腕がどれほどのものか見ていればおよそ見当はつく、三之丞どのの構えを見るにほとんど天成弓の名手に生れついたと思われるほどだ。あのくらいの矢頃なら百発百中は当然な筈なのに、かつてまだ一矢も的に当てていない。つまりそこだ、三之丞どのは的に射当てる修行をしているのではない、道の極意をさぐろうとしておるのだ。何年先にその道の奥を極めることができるか分らぬが、やがては無双の名人にならるることは間違いない、良い甥御を持たれておうらやましく存ずる」その道の師範の云うことだし、なるほどと思う節もあるので、そのときは納得したものの、どうも「的に当てない弓の修行」というのがよく分らない、いつか本当の腕を試してやろうと思っていたのである。
 弓と矢を持って戻ってきた三之丞、「五年来修行の腕のみせどころだぞ、ぬかるなよ」伯父が念を押すのをうしろに聞きながら、足場を計って弓を構えた。そこから庭はずれの梨の木までおよそ二十六七間、芽をふきはじめた高い梢に鷺はまだじっと翼を休めている。三之丞は弓に矢をつがえ、しばらく呼吸をしずめていたが、やがて位どりをしてきりきりとひき絞った。ひき絞った、と思うよりはやく、ひょうっと切って放した矢一筋、空を飛んでふっつと梢に止っていた鷺のちょうど脚の下へ突立った、鷺はおどろいてぱっと舞い上った、矢は梢に突立ったままぶるぶると震えている。
「未熟者、なんのざまだ」三左衛門はまっ赤になって怒った。「あればかりの矢頃でおまけに雀やうぐいすと違い、鷺という大きな鳥を射損ずるなどとはあきれ果てた未熟者、五年のあいだその方はなんの稽古をしていたのか」「……はあ、まことに、なんとも」「まことにもくそもあるか、顔を見るのも癪に障る、これから追っていって今の鳥を射止めてまいれ、それまでは出入りを差止める、わかったか」とうとう癇癪を起こしてしまった。三之丞は別に恥じ入る様子もなく、黙って、自分の家へ帰ったが、その夜のこと、三左衛門が夕食のあとで居間へ入ると、間もなく娘のなつがそっとやってきた。
「父上さまはどう思召おぼしめすか存じませんが、三之丞さまは本当にお心のやさしいお気質でございますのね」いろいろと話のあった後で、なつがふと思いだしたように云った。――ははあ、昼間叱ったので、またなにか意見をするつもりだな。三左衛門は早くもそう察したが、「三之丞がどうかしたか」とそ知らぬ顔で訊いた。
「はい、去年の冬のはじめでございました、赤尾様や田沼様、それから森脇の右門作さまなどが雁射かりうちにお誘いにみえましたが、どうしても御一緒にいらっしゃいません」「行かないでどうした」「どうしていやだと、右門作さまが押しておたずねなさいましたら、猟師などが生業なりわいとしてるなら是非もないが慰みのために生物の命をとることは生来嫌いだ、拙者は御免をこうむると仰有おっしゃいました」「右門作はなんと申した」「慰みとは聞き捨てならぬ、飛ぶ鳥を射止めるのも弓を学ぶ者には修行の一つではないか。右門作さまがそう云いますと、三之丞さまは笑って、……それは各々の好き好き、貴殿にはそれが修行になるであろうが、拙者にはなんの役にも立たぬ。役に立たぬことで殺生するのは厭だから御免を蒙る、そう仰有ってでございました」
 三左衛門は黙って腕を組んだ。――これは鷺を射落せと命じたのが誤っていたかも知れぬぞ。そう気がついたので、「なつ、おまえ三之丞のもとへまいって、もう鷺を追い廻すには及ばぬ、出入りも差支えないと申してやれ。……どうやらまたおまえに云いくるめられたようだ」と苦笑いをしながら云った。なつが三之丞をかばうのは、いつもこういう風だったのである。


 十九歳で家督相続をした三之丞は、師範の推挙でお弓組にあげられた。備前岡山三十五万石の領主池田光政みつまさは、文武の道にくわしい古今の名君であったが、武芸のなかでは特に弓が好きで、城中居間の側に巻藁まきわらを備え、常に弓組の者に射させて絃音を聞くのを楽しみにしていたくらいだった。……したがって弓組にあがるのは名誉としてあったものだが、お役に就いた三之丞は別にぬきんでる様子もなく、ごくあたりまえに勤めていた。岡山在国のある年、旭川のほとりへ鷹狩りに出た光政が、珍しいくらい大猟で、雁を馬につけるほど獲って帰城した、奥へ入ろうとしたときである、ふとうしろの方で、「今日の牛蒡ごぼう狩りはいかがでしたか」という声が聞えた。ふりかえってみると鷹匠の側に見馴れない若侍がいる、「いまなにか申したのはその方か」光政は聞きとがめて声をかけた。「はっ、恐れながら私でございます」「なにか牛蒡狩りとか申したようだが、牛蒡狩りとはなんのことだ」「はっ、それはその……でございます」「分らぬ、もっとはっきりと申せ」「では仰せに従い申上げます。今日まで折々お上が鷹狩りをあそばしました時は、雁の吸物のおさがりがございます」「うん、余の申付けだ」「かたじけのう頂戴をつかまつりますが、吸物椀の中にあるのはいつも牛蒡と定っております。それで雁の吸物とは牛蒡の吸物のことで、お鷹狩りとは牛蒡狩りをあそばすことだと存じたものですから、今日も牛蒡狩りが沢山あったかと訊いた次第でございます」
 はっきり云ってのけたから光政も驚いたがお側の者も胆を冷やした。お鷹野で獲物があると雁の吸物の御馳走が出るのは慣例なのだが、旗本側近の者だけでもたいへんな人数だから、雁の肉がその人数へゆきわたるわけがない、しぜん中には牛蒡だけ泳いでいるということになるのは当然で、今更そんなことをいうのは云う方がどうかしている。しかし光政はその若侍の顔をみつめていたがやがてしずかにうなずいて、
「そうか、それはこれまで気の毒であったな、幸い今日は獲物も多いことゆえ、まことの雁の吸物を遣わすぞ」そう云って去ろうとしたが、「その方、名はなんと申す」「恐れながら、青地三之丞と申し、お弓組に御奉公を仕ります」「すると三左衛門の甥だな」「御意にございます」
 光政は奥へ入るとすぐ係りの者を呼び、家来たちにさげる吸物椀へは、必ず雁の肉がゆきわたるようにと申付けた。光政も今まで全部の椀に雁がゆきわたるとは思っていなかった。けれども三之丞の言葉を聞いてすぐ気付いたことは、――雁の吸物をさげると云う以上は、雁の吸物をさげるがよいので、ゆきわたらぬ物を名前だけそれにして、実は中身のないものをさげるのは間違いである。雁の吸物と云ってもまた牛蒡だろう、などという気持を起こさせることは、これを大きくすると、一つの藩の政治の信不信にも及ぼすことだ。そういう点であった。三之丞の顔つきは明らかにそういう意味を持っていたのである。これが三之丞の見出されるきっかけとなり、やがて「御秘蔵人」と呼ばれるほどのお気に入りになったのだが、この初めの一言で三之丞の心底を察するところに、光政の人柄の大きさと深さがあったのである。光政は生涯新太郎という幼な名で通した、池田新太郎少将光政、生れつき名君の質の高かった人であるが、ことに善かれ悪かれ、家臣の諫言かんげんは必ず聴き取る、それが国家を治める者のつとめだと信じていたのである。こういう気質だったから、三之丞の一言をもよく理解したのに違いない。しかしその時はそれだけで、いつか三之丞のことは忘れるともなく忘れていたのであった。それからしばらくたったある日、光政は居間で朝の書見をしていた。縁外では、弓組の者が例の通り巻藁に向って矢を射る快い絃音が聞えている、光政はそれを聞きながら書物に眼をさらしていたが、ふと小首を傾けて、
「……はて、あの絃音は聞き取れぬが」とつぶやいた。そこへ来て弓を引くのは、弓組の中でも腕の立つ者二十人を選んである、毎日欠かさず聞いているので、音だけ聞けば大抵は誰だか分る、弓絃の音などそう変るものではなさそうだが、引く者の気質に依って実に変化のあるものだという、強情な者、弱気な者、性急、邪心それぞれその道の者が聞けば絃音によく表われるものだそうである。……光政が小首を傾けたのは、いま聞く絃音がそれまで聞いたことのないものであり、殊にその響の深さ、美しさに驚かされた。
「はて何者であろう」としずかに広縁へ出て見た。広前で弓を射ているのは青地三之丞だった。――見たことのある若者だな。としばらく見守っていたがようやく思いだしたので、あああの雁の吸物かと苦笑をもらしながら、「これ三之丞」と声をかけた。三之丞はしずかに弓を控え、そこにひざをついて平伏した。
「その方はここで初めて見るように思うが、いつから庭へまいっておるか」「はっ、恐れながら今日初めてにございます」「弓はよほど稽古をしておるな?」「さればにございます」さればと云うのだから、あとに言葉が続くかと思っていると、幾ら待ってもそれっきりなんとも云わない。
「誰に就いて学んだか」「はっ、御師範山川重郎左衛門じゅうろうざえもんどのに、御教授を受けましてございます」「よほどまいるな?」「はっ、……さればにございます」また「されば」である。
「さればと申すのはよほど達者ということか、それともさほどでもなしということか、どうだ」「はっ」三之丞はしずかに頭をあげたが、「さればにござります」と同じことを繰返しただけであった。
 そのとき光政の胸にはっきりと三之丞のことが刻みつけられたが、それでもまだ三之丞の弓術がどれほどのものか光政は見ていなかった。的場で射術御覧の時でも、至極平凡な成績で可もなし不可もなしという程度である。しかしそう見ているうちにやがて、三之丞の真骨頂をあらわす時が来た。


 承応二年四月光政四十三歳のときであった。安芸あきの国広島、四十二万石の大守浅野左少将光晟みつあきらが、参覲さんきんの途上、岡山城に立ち寄って光政を訊ねた。二人は年もほぼ同じくらいでよく話の合う間柄だった。江戸城中でも親しかったし、参覲の上り下りには必ず二三日滞在するのが例である。対面の挨拶が済むと間もなく、安芸守光晟が膝をすすめて、「このたびはいささか変った土産物を持ってまいったが、お受けくださろうか」「毎々お心尽しでかたじけない、安芸侯が珍しい物と云われるからはさぞ珍重であろう、よろこんで頂戴いたす」「但しお受取りくださるうえはこちらにも所望がござる、しかしそれは御覧にいれてのうえで」そう云いながら、家来に命じて、庭前へ六尺四方もありそうな四角い箱のような物を運び込ませた。「あれじゃ」「ほう、またひどく嵩高かさだかな物だが、何でござろうか」「おおいをとれ」はっと答えて家来の一人がかぶせてある蔽い布をとった。現われたのは鉄格子をめた大きなおりで、なにか中に動物が一ぴきいる。
「毛物のようじゃな」「されば、国許くにもとの天上山と申す深山で獲ったおおかみでござる。頭から尾のさきまで五尺九寸、重さ十三貫目あまり、これまで多年のあいだ領内を荒し廻り、牛馬を喰うこと数知れず、人間も十三人までかれのきばにかかっておる、稀代きたい兇獣きょうじゅうでござる」「ほう、ではこれが土産にくださるという品か」「いかにも」「して御所望と云わるるのは?」「備前侯は弓に御堪能、かねがね御家中の自慢話を伺っておるゆえ、この狼を馬場に放ち、犬追い物を見せて戴きたいと存ずる」聞いて光政は膝を打った。「これは面白い、さすがは安芸侯よきことを思いつかれた、早速支度をさせて試みましょう」「では明日拝見にまいるから」
 とその日は光晟は宿所へ帰った。光政はすぐ老臣に命じ、城中の小馬場に支度をさせた。なにしろ兇猛な人喰い狼を放つのだから外れたら大変である。馬場の中央に丸く竹矢来を結び、射手は馬でその周囲を廻れるように厳重にこしらえた。……その一方、誰を射手に選ぼうかといろいろ相談をした結果、森脇右門作、赤川平五郎、かなめ七之助の三人を射手と定め、それぞれその旨を達した。さてその翌日。支度がととのったからという使者を受けて城へのぼった安芸守光晟は、光政と共に設けの桟敷へあがって席に就いた。……幕張の左右には両家の老臣はじめ、目見得以上の家臣が犇々ひしひしと並んでいる。狼はすでに結び矢来の中に放されていたが、不安な様子で、背筋の毛を逆立て、牙をきだしながら、矢来の中央に四足を張って立っていた。
 やがて合図の太鼓が鼕々とうとうとなった。第一番に出てきたのは赤川平五郎である。麻裃あさがみしもで弓を持ち、矢壺に作法通り矢を二本入れ、馬を馬場へ乗入れてきたが、正面桟敷に向って一礼すると、肩衣かたぎぬの右をはね、馬首をめぐらして矢来の外を一巡乗り廻した。一の矢をつがえ、二の矢、つまり命矢というのを弓にえて持ち、馬を駈りながら見やると、狼は結び矢来の中央に四足を張って立ったまま動かない、しかし何十回となく猟師に追われ、矢弾丸の危険を飽きるほど経験しているから、いま馬上に弓を構えた男が自分を狙っているのだということは感づいている。……背をすこしかがめ怒り毛を逆立て、耳をぴたりと伏せて低くうなりながら油断なく平五郎の動作を見守っていた。狼がじっとして動かないから、平五郎は今のうちにと思い、ぱっと馬にもろかくを当てる、たたたたたっ結び矢来に沿って驀地まっしぐらに近づきながら、つと馬上に伸び上り、狙い定めてふっと一の矢を射て放った。矢は一文字に飛んで狼のくびの根元へぴゅっ、射止めたかと見た刹那せつな、狼はひょいと体をひねって、ととととと、四五間走って立停る、矢は地面を向いて、土埃つちぼこりをあげながら遠く外れてしまった。
「しまった」と取り直す二の矢、矢来に沿って左へ半廻り、またしても狼が立ったまま動かないのを、充分に狙ってふっつと射た。今度はずっと矢頃が近い、乗っかけるように切って放したのだが、あわや! というとたんに狼はひらりと身をかわした。矢はすさまじく地へ突立ち、狼は平然と向うへ行って立っている。狡猾こうかつというべきかふてぶてしいと云うべきか、見ていても震えのくるほど憎態な恰好だった。
 第二番目は要七之助、これも一の矢、二の矢とも射損じた。第三番目に出た森脇右門作、これは新参お召抱えになった同苗どうみょう三右衛門の子で、弓組では筆頭を射ている男だった。……さすがに気合が違うとみえ、いままでふてぶてしく構えていた狼が右門作が現われると様子が変り、ちらちらと横目で見ながら結び矢来の中をあちらこちらと走りはじめた。右門作は二回ほど馬場の廻りをだくでうたせたが、やがて一の矢をつがえると、ぱっと馬腹をった。……狼はその気配に驚かされて左へ向きを変える、刹那せつな
「えいっ」掛け声と共に射て放つ第一矢、ぴゅっと鼻先をかすめたから、狼がびっくりしてぱっと跳び退く、そこをすかさず、早くも二の矢、狙い充分に射かけた。第一で不意を衝き、びっくりして跳び退くところへ浴びせかけた二の矢だ、目にもとまらぬ早業でみんな、
「やったぞ」と乗り出したが、狼はぱっと横っ跳びに、十二三尺右手へ跳び退いて立ち、矢は地面をかすってからからと遠く外れてしまった。「……無念!」右門作は馬上で思わずうなったが、もう一度願うという訳にもゆかず、ひっそりと鳴りをひそめている見物の中を悄然しょうぜん退さがっていった。
「いや面白いみものであった」安芸守はにやにやしながら、「三人とも腕前はみごとでござるな、しかしなにしろ稀代の兇獣ゆえ、ひと通りではまいらぬのが当然、いや、無理もないところであろうよ」いつも弓の自慢をされてくさっていた光晟、このときとばかり皮肉を云った。光政としても日頃吹聴しているてまえ、そのまま引込んでいるわけにはいかない。
「なになに、いまの三名は馳走披露で、まことの射手はこれからでござる。これ重郎左を呼べ」弓術師範の山川重郎左衛門を呼んで、
「重郎左、あの狼を仕止める射手、申付けてあるであろうな」「……はっ」申付けた者は三人ともしくじっている、重郎左衛門が解し兼ねて見上げる眼へ、光政はしきりにめくばせをしながら、「まことの射手は誰だ、何者だ」「はっ、それは」主君のめくばせで、もう一人誰か出せという意味を察したから、
「恐れながら青地三之丞と存じまするが、如何いかが思召おぼしめしましょうや」「青地……三之丞か」「御意にございます」光政はちょっと呻った。
「大切の場合じゃ、三之丞のほかに誰ぞないか、横川はどうじゃ」「恐れながら三之丞然るべしと存じまする」重ねてそう云われた光政は、日頃の三之丞の腕前を知っているから不安ではあったが、「ではすぐ呼び出せ」と命じた。
 席を捜したが三之丞がいない、すぐに詰所を見にやると、非番に当っているというので先刻もう下城したという、慌てて使番つかいばんが馬を飛ばして迎えにいった。三之丞は出てきたが急の迎えと聞いていぶかしそうに、
「今日は非番の筈だが、なにか御急用でもございますか」「なにかではない、安芸侯持参の狼、犬追い物で仕止めるということは御承知であろう」「あああのお慰みが、どうしました、誰が射止めましたか」「射止めておれば迎えにはまいらん、赤川、要、森脇三人が三人とも仕損じてお上は面目を失っておいでなさる、貴公に四番を射よという仰せだからすぐ登城されい」「拙者せっしゃに、……あの狼を拙者に、……」三之丞はにやりと笑った。
「それは折角ながら御免を蒙りましょう、いや拙者は御辞退申す、お上へはかようにお伝えねがいたい。三之丞はお座興、慰みのために弓道を学びはいたしませぬと」「青地、貴公それは本心か」使番が吃驚びっくりして眼をいた。そこへ伯父の三左衛門が、お城から追っかけて馬を乗りつけてきた。
 青地三左衛門が使番のあとから追っかけ催促にきたのには訳がある。馬場の見物席にもいず、詰所にもいず、今日は非番だからと云って下城したという知らせを聞いた光政は、三之丞が今日の催しを苦々しく思っているということに気付いた。それで三左衛門を呼び、「今日の犬追い物は当藩弓道の名誉を見せるもので、その成敗は池田家の面目にもかかわるものだからすぐに出仕せよ」という口上を伝えさせたのである。
「そう重ねて上が仰せられるのではなるほど辞退はかないますまい、かしこまりました、謹んで参上仕ります」と、今度はあっさり承知した。
 馬場の桟敷では光政が安芸守の相手をしながら苛々いらいらしていた。三之丞が云うだろう理窟りくつはもうおよそ察しているから、わざと念を入れて三左衛門をやったのだが、果して来るかどうかと思うと落着きがない。
「重郎左、ほかに誰かおらぬか」何度もそう訊くが、「三之丞のほかにはござりませぬ」と重郎左衛門の返辞は同じだった。ではもう一人使をやれと、命じているところへようやくさきの使番が戻ってきた。すぐ登城するというので光政はほっと息をついた。
「ではどうやら馬場の埃もしずまったようだから、四番を射させて御覧に入れましょうかな」と、いかにもそれまで休憩していたような口吻くちぶりである。馬場の埃といったって、さっきの埃は、もう十里も先へ飛んでいる頃だ。誰か呼びにやっているということは光晟も察していたが、礼儀だからそ知らぬ顔で、
「さよう、では御自慢の弓勢を拝見いたそう」と坐り直した。
 やがて待ち兼ねていた太鼓が鼕々と鳴り響く、馬上手綱を絞って三之丞が出てきた。馬場を半分廻って桟敷の正面へ拝礼して裃の肩衣をはねると、しずかに馬首をかえしたが、そのとき安芸守がふと光政に振返った。
「あの者は命矢を持っておらぬようじゃな」「……いかにも」そう云われて光政も気がついた、三之丞は弓に則えて一筋の矢を持っているだけである、矢壺は空で命矢という二の矢がない。忘れたのか、と思うと気が気ではなかった。三之丞は気づいているのかいないのか、馬にだくを踏ませて結び矢来へ近づいたが、いきなり、
「え――い!」
 と裂帛れっぱくの気合をかけた。不意を喰って見物も驚いたが、狼もよほど吃驚したらしい、また来たかという眼付をしていたが急にぴっと耳を立てる、とっとっとっと、矢来の中を走りはじめた。
 三之丞は外側をだくでうたせながら、じっと狼の眼をみつめている。狼は三之丞の方を時々するどくにらみながら、反対の端を走っているが、その全身の動きはすこぶる軽く、すっすっとまるで四足が地を踏んでいるとは思えないほどであるが……三之丞は眼も放さず狼をみつめながら、ほとんど同じ速度で矢来の外を廻ること二周、三周。なかなか弓を取ろうとしない。
 ――なにを考えているんだ。――狼と馬競べをする気かも知れん。――なあに、ああしているといまに狼が疲れて寝てしまうだろう、そこを射止めようというのが秘術で、つまりこれを青地流で眠り取り術と名付けるものさ。
 見物席ではそろそろ悪評がはじまった。馬場を五周まで、狼の身ごなし、駈ける速度の変化を篤と見定めた三之丞は、やがてもう一度、
「え――い!」
 絶叫したかと思うと、もろかくを入れてぱっと疾駆しはじめた。今までほとんど同じ速さで駈けっこをしていたのが、急に気合をかけて疾駆しはじめたので、狼もぱっと脚を速めた。結び矢来の内と外、向うの端を風のように走っている狼、三之丞は馬上にはじめて弓を取り直し、矢をつがえた。
 狼は走る、馬も走る、そのまま馬場を一周すると、馬と狼の速度がぴたりと合った、両方とも疾駆だ、三之丞の待っていたのはその刹那である。狼が如何いかに身軽であっても、疾駆している体勢では神速に体をかわすことはできない。ここだと思って馬上に伸びあがる、きりきりと弓をひき絞って、一つ、二つ、三つ、呼吸三つほど気合をはかったとみると、ひょうふっつと切って放った。
「それやった――!」
 と乗り出す目前。空をって飛んだ矢はあやまたず、疾走している狼の喉元のどもとをぷつりと射抜いた。
 ――ぎゃぎゃぎゃん!
 すさまじい悲鳴と共に、さすがの兇獣も横ざまに顛倒てんとうする、すぐ跳び起きて、首を振りながら二度三度、土埃をあげて転げ廻ったが、やがてぐたりと地面へ倒れ伏した。
「やった、やった、やった」「わあーっ」見物の人々は思わず総立ち、手をひざを叩いてしばらくは鳴りもやまない。三之丞は別にさしたることもないという顔付きで、静かに肩衣をかけ、桟敷正面へ馬をすすめて拝礼をすると、馬場を周って退いた。
「いかがでござる」光政は得意満面である。
「すさまじきみもの、まことに古今まれなるみものであった」安芸守も心から感服して、「あれだけの狼をただ一矢で仕止めるというは並々ならぬ名手、しかも命矢を持たなかった自信のほども驚き入る。さかずきを遣わしたいがお呼びくださらぬか」「では席を替えて一さん仕ろう」それから御殿へ移って酒宴が開かれ、三之丞は御前に召されて、安芸守から賞美された上、引出物を賜わり、まことに上々の首尾で下城した。
 光政の感動は大きかった。日頃の様子は平々凡々ごくあたりまえな勤めぶりだし、それだけの腕があるなどということは気ぶりにも示さず、競べ矢をすればいつも中どころを射て知らん顔をしている。……こういう事にぶつからなければ生涯そのまま人に知られずに終ってしまうかも知れないのだ。しかも平然とおのれの真価を隠している心の堅固さ、大丈夫とはこういう人物を云うのであろうと、光政はあらためて三之丞を奥ゆかしい者に思い直した。


 しかしそれよりも喜んだのは三左衛門である。愚図だの煮え切らぬのと怒鳴りつけてばかりいた三之丞が、岡山一藩の名誉をけて、しかも立派に役目を果したのだから、驚きも大きかったし喜びも一倍だった。……同役たちもしきりに喜びを述べる。
「よき甥御を持たれてお仕合せでござるな」「三之丞どのなくば殿の御面目もつぶれるところ、家中われらまで他藩からわらわれなければならぬ、お蔭で肩身が広うござる」「さすがは三左どののお仕込みだけあって、あれだけの腕を今日までおくびにも出さなかったところは奥ゆかしゅうござるな」
 あっちでもこっちでも褒められる、根が明けっぴろげの老人だから、自分でも嬉しさを隠すのに骨が折れる。
「そう褒められては御挨拶に困る。あれに就いては拙者もかねがね見どころのある奴とは思っておったが。や、なにしろまだ若輩でな。まだまだ御奉公はこれからでござるよ」などと云っていたが、日を定めて心祝いをするからと、昵懇じっこんの者を数人、招待する約束をして下城した。
 さてその当日。三左衛門の家へ招かれてきたのは、老臣山内権左衛門ごんざえもん伊木長門いきながと、それから宮田兵庫、粕谷市郎兵衛かすやいちろうべえ、富永治左衛門、若手では碇田彦八郎いかりだひこはちろう、桜井孫三郎、滝川幸之進こうのしん、以上八名である。……伊木長門というのは気骨のある人物で、あるとき光政の意に触れることがあって閉門を命ぜられた。ところが間もなく光政は参覲のため江戸へ出立することになり、その日が来ると、長門は急に月代さかやきり衣服をえ、門を開いて外へ出た。閉門中に許しもなく門を開いて出るなどは法を破る大罪で、――これは乱心をなすったに違いない。――今のうちに中へお入れ申せ。と家来たちは大騒ぎになった。そこへ早くも光政参覲の行列が来かかると、中から光政が、
「長門、長門」と声をかけた。お声が掛ったから、さあみつかったとみんな顔を見合せながら行列は停る。長門は平伏して待っていたがするするとかごの間近へ進んで両手をおろし、しずかに主君を仰ぎ見ながら、
「今日は天気も格別よろしく、恐れながら長門、恐悦を申上げまする。御留守の儀は、例の如く家中いずれも申合せ万々大切に相勤めまする故、すこしもお心遣いなく。御旅中万福をお祈り申上げまする」よどみもなく言上した。光政もうなずいて、
「留守の事、頼むぞ」と云い、しずかに笑って乗物をあげさせた。両方とも閉門の事には一言も触れないので、お側の者たちは狐につままれたような顔をしていた。このときの事を光政が後に説明して「国の老職たる者が、いかに閉門を命ぜられているからとて、領主が他国へ旅立つのに閉門のまま送りに出ぬようではなんの役にも立たぬ。……あの折も、長門がもし出ていなかったらそのままには差しおかぬところだった」そう云ったと伝えている。
 伊木長門はそういう人物である。また若手の滝川幸之進というのは、光政が三年まえ二百石で召抱えた新参者で、年は二十八歳、一刀流の剣では達人の腕を持っているという、癇の強そうな、ひと癖ある面魂。腕は出来るのだろうが少なからず高慢なので、あまり人によろこばれない、しかし一風変っている三左衛門はれ込んでいる様子で、頼まれもしないのに引廻し役を買って出ている。今日も伊木、山内の二老臣が来るので特に招いたものであった。客はすっかり集まった。
 やがて酒が廻りだすと、次第に話題が活溌になってくる。自然例の犬追い物の話が中心だ、赤川、森脇、要の失敗から、ただ一矢で射止めた三之丞の妙技を賞讃する言葉が次から次へと止め度もなく出てくる。ところが、席にははべっていても当の三之丞は酒が一滴も呑めない、さっきから芋の煮付を頬張り頬張り、誰の話かしらんという顔で黙っておる。そのうちに滝川幸之進が膝を乗出した。
「なるほど、一昨日の弓は稀なお手柄御妙技のほど拙者も感服仕ったが、青地氏にひとつお訊ね申したいことがござる」「……はあ」「あの折青地氏には矢を一筋だけ持たれ、命矢はお持ちなさらなかったと存ずるが、見違えでござろうか」「……されば」「たしかにお持ちなさったは一筋、命矢は御所持なされなかったでござろうな」「……さればでござる」むしゃむしゃ芋の煮付を喰べるばかりで、幸之進の方には眼もくれない。
「ではお伺い申す。拙者格別その道の心得はないが、弓を射るには必ず、命矢と申して二の矢を控えて持つのが作法と聞き及ぶ。それを、わざと一の矢のみ持って出られたのは、なにか心得があってなされたことか、どうでござる」「……されば」三之丞はごくりと芋を呑み眼もあげずに答えた。「一矢で射止めることができると存じたゆえ、一矢だけ持って出たのでござる」「さもござろう」幸之進はにっと笑った。
「拙者もそうあろうとお察し申した。なれども青地氏、例え一矢で射止められるにもせよ命矢を控えて持つのが弓の作法ではござるまいか、一矢で射止められるからとてわざと命矢を持たぬのは、申せば高慢とも云うべく、弓の作法にはかなわぬと存ずるが如何いかがでござる」自分に高慢の癖があるから、人の高慢はよけい眼につくらしい。それをも知らずみんなの褒めているのが癪に障るし、また老職が二人もいるから、自分を認めてもらうにはいい折とばかりに突っ込んだ。……ところが三之丞は返辞もせずに芋を喰っている。――なんとでも云え、と云わんばかりの態度だ。側にいる三左衛門がじりじりしてきて、
「これ三之丞、滝川氏の申されること道理とは思わぬか、返辞をせい、返辞を」「はっ、……ただ今」ごくっと音をさせて、鉢盛りの芋をきれいに食べおわった三之丞はじめて幸之進の顔を見て、
「伯父上のお言葉ゆえ、くどうはござるがもういちどお返辞を仕る。一矢で射止めることができるのに、なんのために二の矢を持つ必要がござろうか。弓道の作法とは命矢を持つにあるのではなく、一矢で射止めるところにあるのでござる。……なつどの、この芋は馬鹿にうまい、お代りを頼みます」
「しかしもし万一射損じたらどうなさる」「いや!」三之丞は鉢をなつに渡しながら、「万一にも射損ずるようでは、五の矢、十の矢を持つとも無駄でござろう」
「狼を相手にはさようには申されようが、もし相手に拙者が廻ったとしたらどうなさる、それでも一矢でお射止めなさるかどうだ」「……されば」「拙者も一刀流の剣法にはいささか心得がござる、貴殿の矢面に立って、一の矢を斬って落した場合、二の矢なくして如何なさる。それともやはり命矢は持たぬと云われるか」「……されば」三之丞にやっと笑いながら、
「やはり一矢で御相手をいたしますな」「なに一矢。それでは貴殿の一矢を、拙者に斬って落すことができぬと申すのだな」「……されば」「面白い、これは面白いぞ」幸之進はあおくなった。とても面白いなどという顔付ではない。額へ青筋を立て、こぶしを膝に突き立てながら、
「拙者は一刀流の剣をもってお召し出しにあずかった者だ、貴殿の一矢を斬って払えぬと云われてはお上へ申訳が相立たぬ、ぜひとも実地に勝負を仕ろう」「まあ待たれい滝川氏」「いや、お止めだて御無用、武道の意地でござる、御止めだて御無用」「ではあろうが酒席の口論、まずここはさように荒立てんで」左右から止めにかかると、上座に黙って聴いていた伊木長門が、「ええなにを止めるのだ」と、一同を逆に制した。


 その日はそれで別れた。翌日、滝川幸之進から日と場所を定めてきた。日は三日後、場所は城外鉄砲的場、刻限は朝十時ということである。……評判の長門がやれやれとけしかけたのだから、今更仲裁をすることもできないが、誰か止めたらよさそうなものだがと案じている。尤もそんな心配をする者ばかりはいなかった。多くの者は犬追い物で三之丞の腕を高く買っているから、――なに、滝川如きなにほどの事があろうぞ――青地の弓は天下無双だ、きっと勝つからまあ見ていろ。そういう者の方が多数をしめていた。
 いよいよその当日になった。鉄砲的場は城の東南、旭川を渡った珈瑜山かゆざんの裾にあり、三方を松林でかこまれた淋しい場所である。滝川幸之進は定刻よりも早く、桜井孫三郎と碇田彦八郎を介添えとして到着した。伊木長門はみえなかったが、山内権左衛門、宮田兵庫、富永治左衛門、粕谷市郎兵衛の四人は約束通り検分役として来た。……三之丞も伯父三左衛門にともなわれて定刻に現われた。
 幸之進は綸子りんずの着物に大口ばかま、武者鉢巻をしてたすきをかけ、下に鎖帷子くさりかたびらを着たものものしい姿であったが、三之丞は木綿の着物に葛布くずふの短袴、わら草履という無雑作な恰好だから、おそろしく対照が奇妙であった。
 果合いではないから、別に意趣を名乗ることもない、粕谷市郎兵衛が進み出て、
「では一応勝負の作法を申しのべる。間合は並足三十一歩。青地どのの射る矢は一筋、これを払い落せば滝川どのの勝だ……もとより武道の試合であれば、勝敗にかかわらず後日に遺恨を含まぬこと、立会いの者一同証人でござる」と云い渡した。
 検分の人々は北側へ並ぶ、二人は三十一歩の間隔で相対した。三之丞はおのれの位置につくと、おもむろに右肌を脱ぎ三ところどうの弓をとって矢をつがえながら見やった。幸之進は大剣のさやを払って青眼、右足をすこし進めて構えている。呼吸五つあまり。
「いざ!」幸之進がさけんだ。三之丞は無言のまましばらく相手を見守っていたが、さっと弓をあげるや、きりきりと大きく引きしぼった。
 とみる刹那、絃がなって、光のように飛ぶ矢。
「えいっ!」幸之進の口をほとばしる絶叫と共に、大剣がきらりと直線を描く、飛び来たった矢は、みごとに半ばから斬り折られて右へ落ちた。
「おみごと!」桜井と碇田の二人が同時に喚き、ばらばらと幸之進の側へけ寄っていく。
「滝川どの、勝!」山内権左衛門が扇子をあげて云った。三之丞はしずかに弓の絃を外し、検分の人々の方へ近寄ってきながら、
「未熟な技を御覧に入れてお恥ずかしゅうござる」と丁寧に会釈をした。そこへ幸之進もやってきた。
「青地氏、やはり狼と人間とは違うようだな」「まことに、滝川どの、御手練おみごとでござる。失礼仕った」「お分りあってなにより、これからは命矢の御用意をお忘れにならぬよう。世間は広く、人間はさまざまでござるからな」「まことに……まことに」三之丞は如何いかにも尤もというように低頭し、人々に挨拶をして立去っていった。いや、三左衛門の怒ったこと、
「なんたる態じゃ三之丞」と、あとを追いながらしきりと喚きたてた。
 三之丞が自分の屋敷へ帰ってみると、玄関へ出迎えたのは意外にも伯父の娘なつであった。試合の様子を心配してきたのであろう。式台におりて手をつきながら、気遣わしそうに三之丞を見上げた。
「お帰りあそばせ」「ああいま帰った。どうしたんだ」「御首尾は如何でございました」「負けだ」三之丞は弓をなつに渡しながら、あっさり笑って云った。「負けだよ」
 そして、そのまま奥へあがった。なつは受取った弓を持ってあとを追おうとしながら、ふとその弓に眼をつけてあっと云うと、つくづくとうち返し眺めていたが、なにか合点するところがあったとみえ、そっと微笑しながら三之丞のあとをしずかに追った。弓を家来に渡して居間へはいってから、なつは静かに訊いた。
「三之丞さま、御勝負の様子をお聞かせくださいませぬか」「おまえに試合の模様を話してもしようがない、女はそんなことに気を使う必要はないよ、それより伯父上がひどく御立腹だ。またひとつおまえの執成とりなしを頼むぞ」「御勝負の様子を聞かして頂けないのでしたら、わたくしもお執成しはいたしませぬ」「それならそれでもいいさ」と、あっさりしたものである。


 明くる日、登城をすると、もう昨日の勝負のことがすっかり伝わっているとみえて、会う人毎に問いかけられる。
「滝川どのに負けたそうだな」「さぞ残念でござろう」「勝負に無理があったのではないか、それとも勝を譲られたのか」「馬鹿なことを」なにを云われても「されば」で片付けていたが、その日のひるさがり。
「青地どの、お上が召します」と小姓が知らせてきた。「はっ、参上仕る」「お庭でございます、御案内仕ります」
 小姓が先に立って廊下を奥へ、杉戸口から庭へ下りる。泉水を廻って築山つきやまのうしろへ出ると光政専用の的場がある。そこに床几しょうぎを置いて光政が掛けていた。側には小姓二名、弓と矢壺をささげて控えている。
「お召しにより三之丞、参上仕りました」「近うまいれ」「はっ」「弓の相手を申付ける。これ、その方どもは退さがってよいぞ」
 小姓を下げて三之丞とただ二人。光政は弓を執って立った。三之丞は矢壺の側へすすみ寄って矢を捧げる。――的は草鹿くさじしというもので鹿の首の形に檜板ひのきいたをけずり表に牛の皮を張る。皮と裏板との間には綿が縫い込んである。また皮の表にはさしわたし四寸の的を書き、そのほかのところに大小の星を二十三、栗色の地に白く塗り出すのが作法だ。――これは懸けわくといって、的串まとぐしを左右に立て、せみの緒という二重にった綿紐わたひもっておくのである。矢頃は十三丈というのが古法だった。光政の第一矢は、四寸の的に外れた。
「三之丞、この弓を申付ける」「はっ、さようなれば、恐れながら弓を持参仕りまする」「許す、余の弓をもって射よ」弓を渡されたので、押戴おしいただいて受取り、矢を取って立上った。
 光政の弓は五人張りと云われている。だいたい光政という人は非常な力持ちであった。三之丞は二人張りが限度で、あまり強いものは用いていないから、その強弓をこなせるかどうかも疑問であった。――どうするか。光政がじっと見ていると、ややしばらく的を睨んでいた三之丞、やがてしずかに矢をつがえ弓をあげた。身構えも尋常、呼吸をはかってきりきりきり、かすかに巻き籐をきしませながら満月の如く引き絞った。すこしも、力に余る強弓を引くように見えない。ごくしぜんに充分引き絞ると、ふっと射て放った。びゅっ、電光のように飛んでいった矢は、四寸の的のまんまん中に当ってかつ! みごとに矢竹半ばまで射抜いてしまった。
 的は吊ってあるものだし、檜板を牛の皮で包み、中に綿を縫い込んであるのだから、大抵の強弓で射ても射抜くなどということはないものだ。光政は思わず膝を打って、
「あっぱれ」と褒めた。「みごとだ、これへまいれ」三之丞は御前へ片手をついた。
「その弓は五人張りで、余にもいささか強いと思われるのに、いまみると無雑作に引いたようだがその方には強くはないのか」「恐れながら、わたくしにはいささか強過ぎるかと存じます」
「それをどうしてあのように楽々と引けたのか、なにか強弓を引く秘伝でもあるか」「……さればでござります」
 これが出るといつも返辞をはぐらかされる、光政はもう慣れているからその手は喰わない。たたみかけて、
「ごまかしてはならぬ、強弓を引く秘伝があらば申せ、どうだ」「はっ、重ねての仰せゆえ申上げまする。およそ武術は戦場御馬前のお役に立つため修行をつかまつります。弓にいたしましても泰平の稽古にはおのれの腕相応の道具を使えまするが、戦場において持ち馴れた弓が折れたとき、おのれの力に合う弓を捜している暇はございません、ありあう弓の強弱を問わず、即座に執って役に立てることができてこそ、大切の御奉公がなるものでござりましょう。わたくしは非力でございますから常にこの心懸けで稽古をしておりました。このほかに秘伝と申すようなものはございません」
 光政は黙って聞いていたが、「そうか、よく分ったぞ」とうなずいて云った。
「その一言は達人の心得だと思う。しかし三之丞、いまその方は戦場馬前の役に立てるため武術を修行すると申したな」「はっ」「それなら、滝川と喧嘩けんかしたのはどういうわけだ、余の馬前で奉公すべき大切な体を、私の喧嘩で勝負などいたし、もし怪我でもしたらなんとする。不届きだぞ三之丞」「はっ恐入り奉る、平にお慈悲をねがいます」「滝川は新参者、その方共はいたわって遣わすのがあたりまえ、喧嘩のうえ勝負するなどとは以てのほかの儀だ、申しわけあるか」
 光政はその場の様子を伊木長門からくわしく聞いていた。喧嘩を仕掛けたのは滝川で、三之丞はしまいまで勝負しようなどとは云わなかった、そうなったのは滝川の傲慢ごうまんと、そそのかしかけた長門の責任である。……それを精しく聞いて知っていたから、三之丞が仔細しさいの申訳をしたら滝川を呼び出して叱ろうと思った。それでわざと烈しくめつけたのである。しかし三之丞は平伏したまま言訳を云おうとしなかった。
「まことに三之丞の不調法、以後は必ず慎みます故このたびはお慈悲を以てお許しのほど願い上げ奉りまする」「あやまったと分れば、このたびだけ見遁みのがして遣わす。滝川はひとくせある奴じゃ、よく労って交わるがよいぞ」三之丞がなにも云わないから仕方がない。光政はしかしなにも云わない三之丞が可愛くなり、つと短刀を取って差出した。
「さあ取れ、遣わすぞ」「……はっ?」「そんな不審そうな眼をすることはない、先日狼を射止めた褒美じゃ」「……はっ」「家老共のあいだで加増の沙汰を願い出たが、あのくらいの事で加増しては戦場の手柄に遣わすべき恩賞に障る、それで加増はならぬと申した。これはその代りじゃ」「……かたじけのう」
 三之丞は膝行しっこうして拝領した。珍しくも、その時三之丞の眼には涙が光っていた。


 こうして三之丞の方は叱られて済んだが、滝川幸之進はどうしたか。幸之進はあれ以来しきりにうわさを気にしている。……二百石で召抱えられてから既に三年、自分のつもりでは岡山へ行けば剣道の師範にでもなれる気でいたのが、別にそんな沙汰もなく、馬廻りの普通の勤めで、三年間なんの変哲もない月日がたってしまった。――なんだこれは、こんな勤めならなにもおれでなくても誰でも勤まるではないか、おれは一刀流の腕で召抱えられたのだ、又召抱えるからは殿も一刀流を役だてるつもりであろう。こんなことをさせておくのは宝を砂中に捨てておくようなものではないか。そういう不平が絶えず頭から離れない。こういう風に自分を信じ切っている人間は、他人の思惑等は分らないもので、何事もおれがおれがと自分ばかり中心に物事を考える。
 都合のいい考え方で折をうかがっていた所へ三之丞の矢一筋という問題が起こった。これだと思ったから無理に喧嘩にして、勝負にもみごとに勝った幸之進。――今度こそおれの腕が分ったろう、なんとかお沙汰があるに違いない。
 心ひそかに期待しながら、周囲の噂に耳を澄ましている。しかし五日たち十日たったが、別になんのお沙汰もないし、主君がどう思っているかという噂も聞かない、かえって三之丞が短刀を拝領したという評判が耳に入った。これではかねて計ったこととは逆である。――それが事実なら捨て置けんぞ。おのれの方がよっぽど捨て置けない。いらいらしはじめた幸之進、ある日城中の長廊下で三之丞と出会ったが、早速つかまえた。
「青地氏ではないか」「これは滝川どの、過日は失礼仕った」
「ほう、過日の事をまだ覚えておいでか、それはそれは。あの勝負の始末、まだ覚えておいでとは殊勝な事、拙者はもはやお忘れかと存じておったよ。ほう、あの負けをまだ覚えておいでだったか」
「されば」三之丞は軽く会釈して行こうとする、幸之進はたたみかけるように、
「覚えているなら申上げるが、武士としてあのような敗北をした者は、いますこし謙譲になさるがよいな。岡山のような田舎だからこそ世間も黙っていようが、これが江戸表でもあれば世の中への顔出しは無論のこと、すこし恥を知る者なら切腹ものだ……聞けばお上から何か拝領物があったそうだが、あのような敗北をしたあとでまさかのめのめ拝領物でもあるまい、御辞退なされたものと思うが如何でござる」「されば、如何とは存じたが、お上の御意志かたじけなく頂戴を仕った」「なに拝領した。拝領なすったのか」憎々しく大仰に眼をひらきながら、幸之進は声高に続けた。
「いやこれは驚いた、さても岡山の御家風は不思議なものだな。誠お役にたつべき腕があってこそ恩賞も下され、又拝領もするのが世のならわしだと思うに、それほどの心得もない者が、まぎれに狼を射止めて恩賞のお沙汰があり、それを又辞退もせず拝領するとは珍しい。これでは猟師などはたちまち万石の身分にも相成るであろう、誠に稀な御家風があるものだ」あたりへ聞えよがしに放言してからからと笑い、思う存分ののしり辱しめた。するとそこへ、小姓が足早にやってきて、「滝川どのお上が召します」と伝えた。
「お召し? 拙者をお召しか」「お泉水においであそばします、お早く」
 小姓はさっさと引返してしまった。時が時だから、これは光政がいまの声を聞いたのだなと思った。――しかし殿は名君だから拙者の申分はお分りであろう。殊によるといまの言葉をお耳にして、忘れていたおれのことを思い出したのかも知れぬ。いずれにしてもこのお目通りがおれの浮沈の瀬戸際だぞ。
 なるべく都合のいい方へ考えながら奥へ行ったが、光政は泉殿で小酒宴をはじめていた。
「幸之進まいったか」「はっ、お召しにより参上仕りました」「相手を申付ける、近うすすめ」「かたじけなき御意、御免」
 お側には給仕の小姓が両名だけである。光政はわざとくつろいで、しばらくなにげない話をしながらさかずきを重ねていたが、やがてふと思い出したように、
「先日三之丞となにか勝負をしたそうだな」と云いだした。待ちかねていた言葉だから、幸之進は盃を置いて乗り出した。
「はっ、恐れながら、青地が僅かの腕を誇って人もなげに申しますゆえ、いささか武士の心得を示したまでにござります。お耳を汚し、まことに恐入り奉ります」「あらましは余も聞き及んでおる」光政は眼を外向そむけながら、
「だが若いうちはその場の行きがかりであやまちもあるものだ、酒を呑みながらの口論、いつまでもこだわっておることはあるまい、いい加減に忘れるがよいぞ」「これは仰せとも覚えませぬ」「なんだ」「ただ今のお言葉には酒席の口論、とるにも足らぬ事のように仰せでございますが、幸之進は武術を以て御奉公を仕ります。武道の事は酒席であれまたなかれ、お座なりを申して済ますような、まぎらわしい覚悟は持ち合せません」「そうか」光政の眉がきゅっと眉間みけんへ集まった。
「それでは鉄砲的場の勝負も、そのまぎらわしからぬ覚悟でやったと申すのだな」「御意の如く、武道の意地でいたします試合にまぎれはござりません、まかり違えば一命を捨てる覚悟でございました」
「ほう、それは不思議だな、その方、余に仕官をするおり、余の馬前に一命を捧げると申した筈ではないか、すべて君臣はこの一死を以て繋がれておると思うが、その方はおのれの意地ずくで光政にくれた筈の命を捨てるつもりだったのか」「それはしかし」ぐっと詰ったが、幸之進は服さなかった。
「しかしそれはまた理合が異なります」「理合が違う? どう違うのだ」「それはつまり、武道の面目の為には、もとより」「黙れ、黙れ幸之進!」光政は遂に我慢の緒を切った。
「ものを知らぬ奴、武道武道と高慢に申すが、矢一筋二筋、斬って落してそれほどの手柄か、戦場の馳け引きに一番首、一番槍の高名でもしたなら格別。その場限りの試合勝負に勝つくらいがなんだ、そんなことで武士の真価が分るものなら、盲人でも人を見誤りはせん、さきほども通りがかって聞けば三之丞を捕えて悪口雑言。余の家風までそしりおった不届き者め、それでもまことの武道を心得おると申すか」発止と扇子で膝を打った語気のするどさ。さすがの幸之進もおもてを垂れた。
「三之丞は先日きびしく叱っておいた。その方は新参のことゆえ、わざとそのまま沙汰なしにしてあったのだ。それを察してみようともせず、かえって手柄顔に申したてるとはあきれ果てた奴。退ってよく考えてみい。あやまったと申すまでは登城を差止めるぞ」「…………」「立て、目障りじゃ」こんなに光政の怒ったことはない、側に控えている二名の小姓はあおくなっていた。
 ――あやまりました。申訳ございません。とその場で謝罪しても怒りは解けたであろう、新規お召抱えにするほどなら、光政はもとより幸之進を充分認めていたのである。でなくてただ二百石捨てるような真似はしない、これは役に立ちそうだと思ったから抱えたのだ。しかしそれからよく見ていると、一刀流の腕こそすぐれているが人柄は粗暴で、到底家臣たちの間に立って師範をする人物ではない。――これはもう少し修行をせぬといかん。
 そう思ったので、馬廻りを命じて様子を見ていたのである。だから光政が云うだけ云うのを聞いて、あやまったと謝罪すればよかったのだが、根の高慢がひねくれだしていたのでそんなことには気もつかず、幸之進はむっとした態度で下城してしまった。光政は叱りつけはしたものの、あれだけ理を尽して云ったのだから、心がしずまれば分るであろう、いまにびをねがい出るに違いないと考えていた。


 するとその翌日、なにか城外が騒がしいので見にやると、
「武家屋敷に出火がございます」ということだった。五月なかば、新暦で云えば六月である。失火に季節もないだろうが珍しいことだ。しかも武家屋敷というので、光政はすぐに天守へあがってみた。
 城の北方、二番町のはずれと思われるあたりに黒煙があがっている、幸い風のない日のことで、煙はまっすぐに昇っているが、やがてちらちらと棟をめる炎が見えだした。
「まだ町奉行から知らせはないか」「はっ」お側の一人が駈け下りていった。するとほとんど入れ違いに青地三之丞が登ってきた。よほど急いで来たと見えて、汗が衣服の表までにじんでいる。「申上げます」
「おお三之丞か、許す、近う」「御免!」つつっと膝行したが、
「御城下二番町より失火をいたしました」「いま見ておる、誰の屋敷じゃ」「それを申上げますまえに、恐れながらお人払いをねがいます」「人払い」火事の報告をするのに人払いとは妙なことを云うと思った。しかしすぐにお側の者を下げて、
「申せ、なにごとだ」「恐れながら、火を出しましたるは滝川幸之進の家にございます」「なに幸之進の家とな」「まことに偶然のめぐりあわせでございますが、わたくしが彼の屋敷の門前を通りかかりますると、裏門が閉ざしてあり、その前におびただしく人立がしておりました。近寄ってみますると……かようなものが、表扉にぴたりとり付けてござりました」そう云いながら、三之丞は懐中から折りたたんだ一枚の紙片を取ってうち払い、そっとすり寄って差出した。
「なんだ」光政が受取って読むと、
申し遺す事
書を以て馬を御すの法無し。当藩主池田侯は隠れなき名君と聞き及べども、まことの武士をかんがみるの明なく、我れこれに仕うるをいさぎよしとせず。即ちかえって侯に捧ぐるに暇を以てす。世人批判を誤ることなかれ。
滝川幸之進平友正
 こちらから主君に暇をやるという意味、またあと書として、山陽道を上って立退くから追手を向けるなら相手をする、決して逃げも隠れもしないと書いてあった。
「恐れながら」光政が読み終るのを待兼ねて、「幸之進追手の役目、三之丞にお申付けくだされたく、げておねがい申上げまする」「よし行け」「もう一つおねがいがございます」「なんだ」「粕谷、富永、宮田、桜井、以上四名を検分役としてお差添えくださいまするよう」「許す、れてまいれ」「かたじけのう」三之丞は口許くちもとに微笑をうかべながら主君の顔を見上げたが、「御免」と云って滑るように出ていった。
 光政は本心から怒っていた。昨日叱りつけたあとでも、いつかは自分の悪いことに気付いてあやまってくるものと信じていた。ところがあやまるどころか、暴慢無礼な文字を書き遺し、家に火を放って立退いたのである。光政は生れて始めて心から怒った。こちらで充分認めてやっていただけに、憎さもまた一倍である、できるなら八つ裂きにもしてやりたいくらいだった。
「三之丞なら仕損じはあるまい」光政はそう呟いたが、ふとそのとき、いつかの二人の勝負のことを思いだした。――矢一筋、斬って落すか、射当てるか。
 鉄砲的場の勝負では三之丞が負けている。もしかすると三之丞、今日も矢一筋で向うかも知れない。……そう気がついてみると、検分役に選んだ四名は鉄砲的場での勝負に立会った者ばかりだ。そうだ、――三之丞めあのときの勝負をもう一度やる気に違いない。そうだとすると危ない。幸之進も剣だけは抜群である、これは捨て置けぬぞ。
 光政は天守を下りると、なにも云わず馬をかせてとび乗った。近習の人々が吃驚してばらばらと追って出たが、
「供無用!」ひと言叫んで、そのままぱっと城下へ疾駆していった。供無用と云われてもそのままにしてはおけない、お側頭矢田八郎左衛門と小姓二人が馬であとを追った。
 大手外まで出た光政、追いついてきた矢田八郎左衛門に、
「青地の屋敷へ案内せい」「はっ御免」八郎左衛門がすぐ先乗りになる、遠くはない、京橋の辻さがりにある三之丞の屋敷へ案内した。門前で八郎左衛門に馬を預け、「入ってはならんぞ」と自分ひとり、つかつかと玄関へ。
「三之丞、三之丞」声の大きい光政、奥までびんびんと響く、するとせ出でてきたのは三左衛門だった。「あっ、これは」光政と見て仰天した三左衛門、式台下へとび下りて平伏する。光政はきこんで、
「三之丞は戻ったか」「はっ、立戻りまして今しがた」「出掛けたか」「弓を持ちまして馬にて」「矢は一筋だな」「御意にございます」「いかん」すぐに引返そうとする。三左衛門が、
「お上、いずれへおわします」「三之丞が心許ない、ゆえあって彼に幸之進の討手を命じた。うかと許したが、彼は先日の負をも取返すつもりだ。幸之進は心柄こそ未熟なれ剣はするどい、矢一筋で立向っては三之丞が危ないのだ」「それなれば三左衛門追いまする、お上にはまず」立とうとした時、玄関脇で、「恐れながら」という声がした。思いもかけぬところから声がしたので、驚いて光政が振返ると、庭との仕切りになっている柴折戸しおりどの際に、若い娘が一人土下座で平伏していた。……三左衛門が見ると娘のなつだから、
「無礼者、御前だぞ、退れ」「待て三左衛門、なに者だ」「はっ、わたくし娘にござります」頷いた光政。「許す、なにごとだ申せ」「恐れながらお直の言上、お赦しをねがいます、ただ今お上の仰せに、矢一筋では三之丞危なしとございましたけれど、矢一筋にて立派にお役を果しましょうかと存じます」
「ほう、なぜだ。矢一筋で幸之進を仕止めるとどうして分る」「はい、過日、鉄砲的場にきまして勝負の折にも、三之丞が勝つべきところでござりました。あの負は負でございませぬ」「しかし七人の者が立会っておるぞ、七人の見る眼に誤りがあったと申すか」「御検分の方々は勝負を御覧になりました。勝負を見るお眼に誤りはございませんでしたなれど、そのとき三之丞の用いました弓にはお眼が止りませんでした」「三之丞の用いた弓がどうした」「あのとき用いました弓は、稽古に使うごく弱いものでござりました」光政も三左衛門もあっと眼を見はった。なつはしずかに続けて、
「当日わたくしは帰宅しました三之丞から弓を受取りまして、はじめてそれと気付いたのでございますが、もとより三之丞が誰にも知れぬようにいたしましたことゆえ、今日まで黙っていたのでございます。……このたびこそは一矢で射止めるに相違ございません、御心易く思召されてしかるべく存じまする」「そうか、そうだったか」光政はふたたび頷いた。
「如何にも思い当るぞ、常の弓を持って射れば勝ったのだ。弓勢のするどさは余が知っておる、恐らく幸之進の胸板を射抜いたであろう。その腕を持ちながらわざと知れぬように弱い弓を用い、おのれの恥を忍んで事を穏やかに済ませたのだ。……三左衛門」「はっ」「その方たいそう三之丞を叱ったそうだが、これはしくじったな」「恐入り奉ります」「余もしくじった。三之丞は憎いな」光政の眼には、熱いものがうかんでいた。その頃追手の一行は、馬を列ねて東へ疾駆し、財田の里を過ぎた畷道なわてみちで、首尾よく幸之進に追いついた。……先頭に馬を駆っていた青地三之丞、馬足を緩めながら、
「滝川幸之進、上意であるぞ」と大きく呼びかけた。幸之進は下郎を一人供につれ、悠々と歩いていたが、この声に振返って笠をあげる。「おお来たか、待兼ねたぞ」と笠をはねて向き直る。三之丞は馬上に弓を執り直し、ただ一筋の矢をつがえた。見るより幸之進はあざ笑い、
「懲りもせずにまた一矢か、過日は試合勝負だからあれで済んだが、こんどは斬って落しただけでは済まぬぞ、一刀流の剣が貴様の首へ飛んでいくぞ」「拙者からも念のために申す。今日の一矢はすこし違う、心して受けるがよい。……御検分の方々」と三之丞はうしろへ声をかけた。「三之丞の一矢、篤と御覧をねがいます」「まいれ」きらりと幸之進が大剣を抜いた。矢頃もよし、三之丞は馬上に伸び上るや、きりきりと弓を引き絞って幸之進をねらった。いつもは、引き絞るとたんに射放つのが三之丞の得意であった。しかし今日は充分に引き絞ったまま、二タ息、三息。
「えいっ」すさまじい気合、と弓弦がもうひとつ絞られて、同時に切って放された。びゅん! と鳴る弦。矢はふつっ! 風を截って幸之進のま正面へ。えいと幸之進は大声をあげたが、すでに遅く、飛び来たった矢はぶつっと、左の胸さがり心臓のま上から矢羽根の際まで射通った。
「あっ」と云って幸之進、よろよろ、うしろへ四五足よろめいたが、大剣をぽろりと取り落すと、そのまま前のめりにばったりと倒れる。見ていた下郎はまっ蒼になって、まりのように街道を逃げ去っていった。検分の四名はあまりのみごとさ、すさまじさに賞讃しょうさんの言葉も忘れ、しばらくは茫然と馬上にたたずんでいた。……三之丞が復命に帰城したとき、光政はなつから聞いたことはなにも云わず、
「大儀であった」
 と一言賜わっただけであった。口に出して褒めるにはもったいないほど奥ゆかしいと思ったのである。三之丞が光政の「御秘蔵人」と云われるようになったのはそれからのことで、間もなく伯父の娘なつを妻に迎え、ながく岡山藩にその家を伝えた。





底本:「山本周五郎全集第二十巻 晩秋・野分」新潮社
   1983(昭和58)年8月25日発行
初出:「講談雑誌」博文館
   1946(昭和21)年5月号
※初出時の署名は「神田周山」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2022年3月27日作成
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