「あの方はたいそう疲れていらっしゃるのですね、お
「その土を
「ああそれはお捨てにならないで下さいまし、わたくし
宗方伝三郎はうとうとまどろみながら、遠い思い出からの呼び声のように二人の会話を聞いていた。なかば覚めかかって、ああおれはこの家に救われているんだなと思い、また夢うつつのように眠ってしまう、ともかくも今は人の情に
呼び起されて本当に眼が覚めたのは
「そんなにご熱心にどこをごらんなさいますの」娘は

「二俣山、……ええ、そうです」伝三郎はちょっとまごついた、「そうです、それはどちらのほうですか」
「もっとずっと左のほうでございます、いちばん手前にある低い山のずっと左の端に、こんもりと木の繁った小高い処が見えますでしょう、あれが二俣のお城跡でございます」そう云って娘はふと声を曇らせた、「……わたくしあのお城跡を見ますと、いつも岡崎さまのお痛わしい御最期のはなしを思いだしますの、本当になんというお痛わしい、悲しいお身の上の方でございましょう、考えるたびに胸が痛くなりますわ、あなたはそう
「人間は正しく生きようとすると」伝三郎はふと険しい口ぶりでそう云った、「……とかく世間から憎まれるものです、岡崎殿の御最期はお痛わしいというより、
終りは自分を

「幾らかお疲れが休まりましたか」
礼を述べようとしたが口を切る機会を失って、伝三郎は会釈しながら黙って
宗方伝三郎は出羽のくに新庄の藩士で、二百石の書院番を勤めていた、父も謹直なひとだったが、かれはそれに輪をかけたような性質で、少年の頃から清廉潔白ということをなによりの信条として育った、けれどもどういうわけか周囲との折り合が悪く、気持のうえでも日常生活でも、極めて孤独なおいたちをした。人はよく偏狭な男だとかれを
――嗤うなら嗤え、真実であることは
かれはそう信じていた、というよりもそう信じなければ生きてゆけないような立場に立たされていたのである。
――反対したのは内記さまそのひとが問題ではなく、主家将来の綱紀のためである。しかし内記さまを迎える以上、反対した者がそのまま職にとどまるのは、逆に綱紀の障りとなり兼ねない、なぜなら君臣のあいだには、
そう考えたことに嘘はないし、退身した点もかえりみて
親族たちにも相談をせず、新庄をたちのいた伝三郎は、僅かな貯えを持って江戸へ出た、武士でなくともよい、清潔に生きる道でさえあればどんなことでもしよう、そう決心していたのである、けれども実際に当ってみるとそれは殆んど不可能なことだった。貞享、元禄といえば幕府政体もおちつくところへおちつき、商工業の発達と文化の興隆のめざましさにおいてまさに画期的な年代であったが、殊に新しく勃興してきた商人階級のちからは、ともすると武家の権威をすら
「わたくしは誇張して申すのではございません、また世間の俗悪卑賤をいちいち申上げようとも思いません、しかし世の中も、人間も、醜悪な、みさげはてたもので充満しています、しかもそれが堂々と、威張りかえって……」
手作りの風雅な
「物を売る商人は、物を売るのでなく代価を取るのが目的です、筆を買えば筆の穂は三日も経つと取れてしまう、手拭を買えば幾らも使わぬうちに地がほつれてぼろぼろになる、足袋は縫目から破れるし草履はすぐに緒が抜ける、……銭さえ取ってしまえばよい、売った品物がどんなごまかしでも、そのために人がどんな迷惑をしようと構わない、ただ銭、銭さえ
老人は袴の膝へ両手を置き、なかば閉じた眼で壁のあたりを眺めながら黙って聴いていた。戸沢家を退身して以来の身の上のそこまで語ってきて、伝三郎は回想することのやりきれなさに参ったらしい、「……そこでわたくしは江戸を逃げだしました」と云うと、暫く忿りを鎮めるようにむっと口を
「……しかし
寧ろそのほうが本望だった、そう云いたげに伝三郎は話を終った。老人はかれの話が終ってからもながいこと黙っていたが、やや暫くして、しずかに、
「まったく、世間というものはむずかしいものです、山へはいって死のうとまでお考えなすった、その気持もよくわかります、……わたくしなどはごらんのとおり山家の
「ご老人はさようにお考えなさいますか」
「世間はひろく人はさまざまです、思うようになる事ばかりでも興がないと申すではございませんか、まあ暫くはなにもお考えなさらず、できることならゆっくりとご保養をなさいまし」
淡々としたなかに、冬の日だまりのような温かみのある老人の言葉は、それだけでも伝三郎の気持を鎮めて呉れるようだった。ながいあいだ胸に溜まっていた忿懣を残らず話してしまったことも、幾らか心をおちつかせる役には立ったのかも知れない、――では御好意にあまえるようですが、そう云ってかれは暫くその家の厄介になることになった。
ここは東海道の袋井の駅から五里ほど北へはいった野部という村である、しかしそこを通っている道は天竜川に添って、遠く信濃のくに飯田城下へと続いており、山里とはいえなかなか往来の
――なんというしずけさだろう、かれはよく口の内でそう呟いた、――あの山々も樹立も、丘も畑地も、草原も、みんな少しの虚飾もなくあるがままのすがたを見せている、かなしいほどもあるがままだ、こういうところで一生をおくることができたら、どんなにすがすがしく楽しいことだろう……。
穏やかな日々が経っていった。
老人は三日にいちどずつ昌覚寺という禅寺へかよい、村の児童たちに読み書きを教えている、村人たちは「西の老先生」と呼んでひじょうな尊敬を示し、老人を見ると遠くから冠り物をとって挨拶をするという風だった。孫むすめはいねという名で、これもまた村の娘たちに裁ち縫いの手ほどきをしているが、老人もいねもそのことでは決して謝礼は受けず、一家のたつきは二人の手内職でまかなっていた、老人は
――老先生も若いときはずいぶんお暴れなすったものだ。
ときおり耳にはいる村人たちの、そういう話をつなぎつなぎ聞くと、老人は青年の頃ひどく覇気満々で、刀法の修業だといって五年もどこかへでかけたり、帰って来ると杉の木山をはじめたり、また伝馬問屋の株を買って、袋井の宿で暫く筆そろばんを手にしたり、そのほか郷士などには似合わないずいぶん思いきった仕事を数かずやった。こうしてかなりあった家産を
――しかし人間を高めるのは経験のありようではない、経験からなにをまなぶかにある、おそらく老人はそういう平凡な体験のなかから、ひとには得られない多くの深いものをまなんだ、それが現在のあの風格を生んだのに違いない。
伝三郎は自分をかえりみる気持でそう思った。
秋もようやく深く、草原も丘の林もめっきり黄ばんできた或る日、いねが庭の畑でせっせと土を
「なにを作るのですか」伝三郎がそう呼びかけると、いねはとびあがるような姿勢でふり返り、頬から耳のあたりまでさっと
「まあびっくり致しました、おいでになったのを少しも存じませんでしたから」
「それはどうも、そんなに熱心にやっておいでとは知らなかったのです、なにをお作りなさるのですか」
「蕨を作りますの、ここはみんな蕨でございますわ」
「ほう、蕨は畑にも作るんですか」伝三郎は初めて聞くので珍しかった、「……わたしはまた自然に生えているのを採るだけかと思いましたが」
「たべるだけならそれでよいのでしょうけれど、こうして作るのは頂くほかに根から糊を採りますの、蕨糊といって、紙にも布にも、それから細工物にも使う、強いよい糊が出来ます」
そしていねはまた楽しそうにお
「わたくしこういう畑仕事が好きなのは血だと思いますの、わたくしの生れがお百姓のむすめなのですから」
「お百姓の生れですって」伝三郎は聞き
「ええお祖父さまはそうでございますわ、でもわたくしは百姓の生れでお祖父さまの実の孫ではございませんの、宗方さまはまだご存じではなかったでしょうか」
「初めて聞きました」伝三郎はちょっと信じられないようにあらためて娘を見直した、「……わたしは実のお孫さんだとばかり思っていましたがね」
「村の方たちもそう云いますし、わたくしにも実のお祖父さまとしか思えません、でも本当は縁もゆかりもございませんの、わたくしが五つのときみなし児になったのを、お祖父さまが拾って育てて下すったのです」
いねは此処から一里ほど南にある美川という村で生れた、家はかなりな自作百姓だったが、或る年の夏、天竜川が
「わたしもなにか仕事を始めましょうか」
と云って追われるようにそこを離れた。
自分で考えてもとって付けたような言葉だった、いねの身の上を聞いて、ふかい思案もなくふと口に出たまでのことだったが、云ってしまってからあらためて「そうだ」と思った。そしてその日、老人が帰って来るとすぐにその話をした。
「わたくしもこうしている間になにか手仕事をしてみたいと思うのですが、
「それは結構でございますな」老人はしずかに笑った、「……ここは東海道と信濃とをつなぐ道筋で年じゅう往来する者が絶えませんから、お作りになれば問屋がよろこんで引受けることでしょう、しかし作り方はご存じでございますか」
「新庄は雪国でもあり、殊に武家では草鞋はみな各自に作ります、ていさいのよい物はどうかわかりませんが丈夫なものなら作れます」
「それはなお結構でございます、本当にそのおつもりなら、わたくしからすぐ問屋のほうへ話してみましょう」
老人はすぐに二俣の問屋へでかけてゆき、必要な道具や材料を借りだして来て呉れた。いねはどう思ったものか、嬉しそうな浮き浮きした調子で、「お祖父さまの蝋燭と宗方さまの草鞋がたくさん出来るのでしたら、わたくしが茶店を出して売ることに致しましょう……」などと云って笑い、それまでとは違った明るさと、活き活きした挙措が眼だってきた。
伝三郎の気持も少しずつ変っていった。山村に身をおちつけて、児女を教え蝋燭を作り、拾ったいねを養育しながら、名利を棄ててつつましく生きる老人、今は侘しいほども枯れたその風格のかげには、おそらく人に語れない多くの悔恨や、忿怒や、哀傷の
こうして仕事を始めたのだが、とにかく始めてみれば興味もおこってくるし、なによりよいことは、仕事に熱中しているあいだはなにもかも忘れていられることだった、新庄のことも、世間の卑俗さも、人間の
「ご精がでますな」老人はときどき
「暫く手がけなかったので思うようにはかがいきません、こんな仕事でもやはり続けてやらぬといけないものです」
「さよう、草鞋を作るくらいのことでもな」
老人のこわねはなにかを暗示するもののようだった、かれはふと眼をあげた、しかし老人はいつもの穏やかな表情で、僅かに微笑しているだけだった。
かれは二俣にある問屋へもでかけていった。二俣は野部からゆく道と東海道の見附の駅から来る道とが合する所で、旅宿もあり商家もあってかなり繁昌な町を成している。問屋はその町筋の中央にあった。柏屋彦兵衛といい、土蔵の三棟もあり、店の者も多く、雑穀乾物や日用の品々を手びろく扱っていた。……かれの草鞋は評判がよかった、武家用のもので軽くないのが難だったが、丈夫なことは類がないから、馴れるとほかの物は履けないという、その代り打ち
「しかし評判などはまあどちらでもようございます、お心が向いたら暫くお続けなさいまし、そのうちにはまた世に出る御時節もございましょうから」
「いやこれで満足です」伝三郎は生まじめにそう答えた、「……わたくしの作る物が少しでも世の役にたつなら、生涯このしずかな山里で生きてまいりたい、卑しい、汚れはてた世間はもうたくさんです、世に出る望みなどはもうこればかりもありません、わたくしはこれで満足です」
「
老人はそう云いかけて口を噤んだ。けれども、というそのあとにどんな言葉が続く筈だったのか、伝三郎にはそれが暫く気になってならなかった。
できることならしずかなこの山村で生涯を送りたい、かれがそう思った気持には嘘はなかった、いちどは死のうとまで思ったかれが、ともかくも生きてゆこうと考えるようになったのは、此処へ来て、静閑な朝夕を味わってからのことである。山も野も美しい、落葉しはじめた林の樹々も、耕地に働く農夫も、汚れのない淳朴な、つつましいすがたをあからさまに見せて呉れる、――ここでなら自分も生きてゆける、心から伝三郎はそう思ったのであった。だがそう思ったのはほんの僅かな日数でしかなかった、かれはやっぱりここでも痛いめに遭わなければならなかったのである。
霜月にはいった初めの或る日、作りあげた草鞋を持って柏屋へゆくと、珍しく手代だという中年の男が応待に出た。
「この次からはお手間賃も少しお上げ申しますが、ご相談というのはこの緒付けでございますな、ここを少し手をぬいて頂きたいのでございます」
「緒付けの手をぬくと申すと……」
「鼻緒、後緒、中乳と、この三カ所をもう少し手軽くやって頂きたいのです」
「しかしそれでは保ちが悪くなるが」
「そこでございますよ」手代はにっと愛想よく笑った、「……あけすけに申上げるとこなた様の草鞋は丈夫すぎるのです、ご承知のようにこういう品を扱う店は、みな街道の掛け茶屋か木賃
「そうすると、つまり」伝三郎はからだが震えてきた、「……丈夫だという評判がついたから、これからは弱い草鞋を作れというのだな」
「そう仰しゃると言葉に角が立ちますが、なにしろこれも商売でございまして」
次に作る分の材料がそこに出してあった、然し伝三郎は黙って手間賃だけ受取ると、その材料には手も触れず、手代の言葉を中途に聞きながして柏屋の店を出てしまった。「商売、僅かな利、儲け、弱い草鞋」
そんな言葉がきれぎれに頭のなかを飛びまわった。汚れたもの、卑賤なものとして、かれが居たたまらず逃げだして来た「世間」がここにもあった。丈夫なうえにも丈夫であるべき品を、儲けるために弱く作れという。
「なんという世の中だ」伝三郎は思わず声をあげた、「なんという見下げはてた世の中だ、あの手代の
ぶるぶると身を震わしながら逃げるような足どりで歩いて来たかれは町の左がわに「酒」と書いた油障子をみつけて、矢も盾も堪らずその店の中へはいっていった。
野部の家へかれが帰ったのはもう昏れがたのことだった。案じていたのだろう、いねが丘の登り口のところに立っていて、かれをみつけると駆け寄って来た。
「いやなんでもありません」伝三郎は娘の問いかけるのを遮って、片手を振りながら急いでそう云った、「……草鞋作りは性に合いませんのでね、明日から人夫に出ることにしましたよ」
「人夫と仰しゃいますと」
「二俣の南から犬居へぬける裏新道を造っているそうで、誰でも日雇いに出られるということですから」
「でもせっかく草鞋の評判がおよろしいのに」
「いやそれはもう云わないで下さい」伝三郎は脇のほうを向いて吐きだすように云った、「……どうか草鞋のことは二度と云わないで下さい、商人を相手にしたのがこっちの間違いでした、はじめからわかっていなければならなかったのです、しかし、……いやもう同じことです、遣り直しです、人足なら土を掘るのが仕事ですから、土には嘘も隠しもないでしょうから……」
そして逃げるような恰好でかれは家のほうへ去っていった。
新道を造る人夫の話は事実だった。かれは酒を飲みにはいった店でそのことを聞いた、柏屋をとびだしたときの気持は忿りというよりも絶望で、なにもかもめちゃくちゃになってしまえと思ったが、老人といねの親切を考えるとここで投げ出しては済まないということに気づいた、――縁もゆかりもない者にこれほど尽して呉れる、ここでその心を無にしては相済まぬ。そう気づいたとき新道普請の人夫の話を聞いたのである。
明くる朝はやく、まだ暗いうちにかれは身仕度をして家をでかけた。老人にはなにも云ってなかったが、いねが腰弁当を作って持たせて呉れた。普請場は二俣の南口から山越えに犬居へぬけるもので、中泉の代官所が支配となり、費用は国領と村郷との折半もちということだった、それで村郷からと代官所扱いと二組の人夫が出るのだが、村方はまだ農繁期で人手が足らぬため、日雇いを募ってそれに代えていたのである。そのとき工事は鳶山という
久しぶりの力わざで、疲れはしたが気持はよかった。三日めに雨が降って休んだが、それからは秋晴れが続き、
――かれらはなにが気にいらないのだ、おれは武士という体面を捨て、できる限り対等につきあっている、いったいどこがそんなにかれらの反感を唆るのか。
まるで理由がわからないだけよけいに
「お武家だろうとなんだろうと」そう云う声が聞えた、「……こちとらの仲間へはいれば同じ人足だ、日雇取りなら日雇取りらしくするがいいじゃあねえか」
伝三郎は堪りかねてふり向いた。
「失礼だがそれは拙者のことか」
「お耳に入りましたかね」その男は寝そべったままにやりとした、「……内証ばなしなんで、お耳に入ったらご勘弁を願いますよ、しかしねえお武家さん、あなたもどうせ日雇取りをなさるんなら、あっし共と同じようになすって下さらなくちゃあいけませんぜ」
「拙者はできるだけそうしようと思っている、いったいどこが貴公たちの気にいらんのか」伝三郎はできるだけしずかにそう云った。
「なにたいしたことじゃありません、弁当の休みや小休みのときに、あっし共と同じように休んで下さればいいんでさ、お独りだけ精を出して貰わねえようにね」
「しかし拙者は
「その定りが困るのさ」と別の男が云った、「……酒の一杯も呑めば消えちまうような日雇
伝三郎には答える言葉はなかった、かれは黙って向き直り、崖の斜面へ力をこめて鍬を打ちおろした。なにも聞くな、そう思った。考えてはいけない、かれらには好きなように云わせるがよい、我慢だ、我慢だ。けんめいに自分を抑えつけて、かれはただ鍬を揮うことに身も心もうちこんでいた。
「なつかしいな」伝三郎は口のうちでそう呟いた、「……新庄でも今ごろになるとよく山へこれを摘みにいったものだったが」
望郷の想いが湯のように胸へこみあげてきた、その想いに唆られて、かれは山葡萄の蔓へ手を伸ばした。そのときである。林の向うの畑地から、「山を荒すじゃねえぞ」という棘とげしい叫びごえが聞えてきた。ふり返ってみると、二十ばかりになる百姓の娘が、ひどく
「そこらへ入って山を荒すじゃねえ、ここはおらんちの山だ、むやみに入って荒すと承知しねえから」
それは人間の貪欲をむきだしにしたような声つき表情だった、しかもまだ若いとしごろの娘である、伝三郎は思わず前へ一歩出た。
「拙者はここで山葡萄をみつけた、一粒二粒これを摘もうとしたのだが、それもいけないのか」
「山を荒すなと云ってるだ」娘はおっかぶせるように罵った、「……ここはおらんちの山だ、出てゆかねえと人を呼ぶだぞ」
伝三郎は頭を垂れた。
老人が昌覚寺の稽古から帰ったのは日のとぼとぼ昏れだった。家の中へはいるといねが待ちかねていたようにとんで来た。顔色が変っていたし声もおろおろと震えていた、そして今にも泣きそうな声で囁いた。
「宗方さまがお立ちになると仰しゃいます」
「……どうかなすったのか」
「なんにもわけは仰しゃいません」いねは唇を噛みしめた、「……でも、なにかたいそうお辛いことにお遭いなすったのだと思います、こんどこそなにもかも
「だからといっておまえが泣くことはないだろう」
「でもお祖父さま、いねにはあの方がお気のどくでならないのですよ、本当になんといっていいかお気のどくで……」
老人は黙って居間へはいったが暫くすると出て来て、伝三郎のいる部屋を訪れた、かれはちょうど支度をして袴を穿いているところだった、そして老人を見ると面を伏せ、手早く
「お立ちだそうでございますが」老人は坐りながらしずかにそう訊いた、「……なにか間違い事でもあったのでございますか」
「なにもかも敗北です」伝三郎はおのれの膝をみつめたまま云った、「……できるだけは辛抱してみたのですが、やっぱり拙者には続きませんでした、ご親切にはお礼の申しようもありません、ご老人にもいねどのにもまことに相済まぬしだいですが、わたくしはやはり山へはいります」
「それをお止めは致しません、そうしたいと仰しゃるならお好きなようになさいまし、しかしなにもかも敗北ということにお考え違いはございませんか、もう辛抱が続かないということに思い過しはございませんか」
「聞いて頂けばおわかり下さろうと存じます」
かれは面をあげて語りだした。柏屋の手代のこと、人足たちのこと、山葡萄を摘むことさえゆるさなかった娘のことなど、……話すうちにも新しく怒りがこみあげてきて、身が震え、声がよろめいた。
「わたくしにはできません、手ごころをして弱い草鞋を作ることも、人足たちといっしょに役得の時間を
老人は
「世間が汚れはてている、卑賤で欺瞞に充ちているからつきあえない、だから見棄ててゆく……こう仰しゃるのですね」老人はそこでしずかに眼をあげた、「……よくわかりました、しかしこの老人にわからないことが一つあります、それはあなたご自身のことです、あなたは此処へいらしって数日後に身の上話をなすった、家中の方々の多くが御都合主義である、清廉でない、御老臣は節を変ずる、江戸へ出れば世の中は
しずかに
それはまるで頭上から一刀、ずんと斬り下げられた感じだった、伝三郎は五躰が
「廉直、正真は人に求めるものではない」と老人は少し間をおいて続けた、「……そこにある文机をごらんなさい、三十余年も使っているがまだ一分の狂いもない、おそらく名もない職人が僅かな賃銀で作ったものであろう、その賃銀は失せ職人は死んでしまったかも知れない、だが机は一分の狂いもなく、このように今もなお役立っている、……真実とはこれを指すのだ、現にあなたも往復三十里の山道を穿きとおせる草鞋を作った、そこに真実があるのではないか、こういう見えざる真実が世の中の
老人の言葉はそこで終った。――そういう見えざる真実が世の中の楔になってゆく、そのひと言は、千斤の
「……ごめん下さいまし、宗方さまへお客来でございます」
伝三郎は夢から
「拙者が宗方ですが、なにか御用ですか」
「おおやっぱり宗方」若い武士は声をあげながら前へ進み出た、「……たぶん間違いないとは思ったがやっぱりそこもとだったか、ずいぶん捜しまわったぞ」
「そこもとは杉田うじか」伝三郎はあっけにとられた。
「杉田五郎兵衛だ、しばらくだった」
「どうして、どうして此処へ」
「まずおあげ申したがようございましょう」いつか老人がうしろへ来ていてそう注意した、「……いね、お洗足をとって差上げるがよい」
いねが世話をして洗足をとると、客は老人に会釈して伝三郎の部屋へとおった。かれは杉田五郎兵衛といって、新庄藩での同僚のひとりである、しかしなんのために自分を尋ねて来たのか、どうしてこんな山里の住居が知れたのか、伝三郎にはまるで見当がつかなかった。
「お召し返しなのだ」五郎兵衛は座に就くとすぐそう云った、「……お世継ぎの事で退身した者が、そこもとのほかに五名あった、その六人に対して、内記正庸さまから、
「だがいったいどうして、いったいそこもとはどうしてこんな山家を尋ね当てることができたのか」
「そこもとは草鞋を作ったであろう」五郎兵衛は笑いながら云った、「……その草鞋が案内をして呉れたのだ」
「草鞋が案内をしたとは」
「袋井と申す宿で草鞋を買った、穿き心地にどこか覚えがあるのでよくみると、故郷の新庄でわれわれの作る武家草鞋だ、緒付けも耳の具合もまさしく違いない、そこで茶店へ戻って問屋を尋ね、二俣の柏屋からこの家を教えられて来たのだ」
ああという伝三郎の声に続いて、老人がそこへはいって来ながらこう云った。
「宗方どの、草鞋がものを云いましたな」