百足ちがい

山本周五郎





 江戸の上邸かみやしきへ着任した秋成あきしげ又四郎は、その当座かなり迷惑なおもいをさせられた。
 用もないのにいろいろな人が話しかける。役部屋にいるとのぞきに来る者がある。御殿の出仕しゅっしにも退出にも、歩いていると通りすがりの者が、すれちがいざま同伴者に、
「あれだあれだ、あれだよ、百足むかでちがい」
 などとささやく。するとその同伴者が、
「あれかい、へえ、そうかい、あんな男が」
 などというのが聞えるのである。
 また彼は勘調所出仕であるが、それとはまったく関係のない役所の、奉行とか、元締とか、頭取などという人たちによく呼ばれた。べっして用事があるわけではない、見るような見ないような、さりげない妙な眼つきでこちらを眺めまわし、
国許くにもとのほうはどういうぐあいのものか、そこは種々いろいろなにもあるだろうが、自分もいちどはいってみたいと思うが、どんなものか」
 まるで愚にもつかないような質問をして、それからなにやら一家言めいたことを述べて、ではまた、などというのが終りであった。
 勘調所は老職総務部に属し、政治の監査と、藩主の諮問しもん機関を兼ねている。又四郎はその記録係の責任者であるが、五人いる下僚たちからも、当分のあいだ悩まされた。かれらはそれほどひねくれた人間ではないらしいが、下僚根性は多分にあった。又四郎がなにか命ずると、実に巧みにわからないふうをよそおう。
「はあ、どれそれを、……はあ、なんですか」こんなぐあいにきき返す、なんどもきき返し、お互い同志で眼を見交わし、首をひねり、またきき返して、ようやくわかると、
「ああそうですか、そういうことですか、それでわかりました」
 そしてなあんだという顔をするのであった。
 総務部では五日に一回ずつ重臣の寄合がある、これは定例の茶話会のようなもので、年度がわりとか、なにか重要な懸案のない限り、雑談をして二時間ばかりで解散になるが、そのときは勘調所の各課から、司書と呼ばれる責任者が出てそれに加わる。……ただ陪席するだけで、たいていおえら方のつまらない座談を聞くばかりだが、ここでも又四郎はずいぶん辛抱しなければならなかった。
 重臣たちの多くは、四十から六十くらいの甲羅こうらた連中で、みんなかなりあつかましい。それらが多かれ少なかれ又四郎に興味をもっているらしく、まことに益もないことを話しかける。
「おまえのことは知っておる、うん、又四郎か、なかなか人物だということだが、慢心はいかんぞ、人間万事慢心はよくない、だがまあ、なんだ、うん、遊びにまいれ」
「ひとつ精を出すんじゃな、はっはっは、国許と江戸とは違うて、江戸というものは、そこは一概にはいえないけれども、これを要するに国許とは格別なもんじゃ、論より証拠、江戸は天下のお膝元ひざもとじゃ、はっはっは」
 そしてしまいには遊びにまいれという。中島仲左衛門、倉重くらしげ六郎兵衛、梅永うめなが千助、巨井内蔵助おおいくらのすけなどという人々が、なかでも「なになにじゃ、はっはっは」という倉重老と、しきりに話のなかへ「うん」を入れる梅永老が厄介な存在であった。
 以上は勤め関係のほうであるが、これは時期が経つにしたがってこちらも慣れ、先方の好奇心も減退していった。しかし寄宿先では、べつに、それ以上に困惑すべき相手があって、又四郎の立場としては相当程度にをあげざるを得なかった。……というのが、彼にはまだ住宅がないので、五正ごじょう作左衛門という勘定奉行の家に寄宿した。お小屋が空きしだい移る筈であるが、空きそうな住宅もなさそうだし、二十六歳の独身者なので、当分は五正家に置かれるものらしい。もっと母屋おもやとは別棟になった茶室のような離れで、食事も運んで来てれるし、身のまわりの世話はすべてやって呉れるので、その点はまあ便益があった。
 五正家には定次郎という男子と、みつ枝という十六になる娘がいた。定次郎は学問好きで、顔が合うと挨拶するくらいだし、作左衛門はこれはもう勘定一方の、家人と話をする暇もないという人で、どちらも彼とは殆んど関係がなかった。……しかし主婦の素女もとじょみつ枝、なかんずくみつ枝であるが、この令嬢は又四郎が在宅する限りそばに付いていて離れない。出仕のとき退出のときの着替え、食事のあげさげ、すべて彼女がやって呉れる。夕餉ゆうげのあとで「ごめんあそせ」などと云って来て、――初めは母親もいっしょだったが、――こちらが断わりを云わなければ十一時でも十二時でも話しこんで帰らない、これには又四郎は正直のところかぶとをぬいだ。
「わたくし貴方のことをよく存じあげていますわ、いろいろなことを、これで貴方がうちへいらっしゃると聞いてとびあがってよろこびましたの、むか……いいえ、秋成又四郎さまがいらっしゃる、まあうれしいって、本当にとびあがってよろこびましたのよ」
 そもそもからそんな調子であった。


 みつ枝は背丈は高くない、五尺そこそこであろう。だがそれほど小さくはみえない。腰まわりが恰好よく発達している割に、手足のさきが緊って小さく、頭部も小さく、その頭部にある眼鼻だちがまた中央に寄っている。悪口を云えばちんくしゃ的であるが、褒めて云えば愛嬌あいきょうたっぷりで、特に眼と唇が吸いつきたいように愛らしい。
「ちょっとお立ちになって、ちょっと、なにも致しはしませんから、ねえ、お立ちになってよ」彼を立たせて、自分が脇へぴったりと身をせて立って、ふり仰いで眼をまるくする、「まあずいぶん違うのね、秋成さまはお立派ねえ、わたくしこんなにちび、恥ずかしいわ」
 要するに背較べで、又四郎としてはくさらざるを得ない。背較べだけではない、足と足を押しつけて較べたり、手の平と手の平を合わせて較べたりする。これを幾たびとなく繰り返して、そのたびに眼をくるくるさせて「まあ驚いた」と云って顔をきらきらさせるのであった。
 ――いったい江戸では子女の教育方針について、どのような基準があるのであろうか。
 又四郎はしばしばこう思ったくらいである。
「わたくし千本松のお話知っていますわ」或る夕餉のとき、給仕をしながらみつ枝がこう云って、肩をすくめて、くすっと笑って、いたずらそうな眼でこちらを見た、「三月経ってからいらしったのでしょう、御馬廻りと扈従組こしょうぐみ喧嘩けんかに、……両方から三十人ずつも出て決闘をしたんですってね、貴方はそのとき三月も経ってから、ほほほほ」
 たもとで口を押えて笑うので、又四郎は憮然ぶぜんとして、食物をむのをやめた。
「なにか怒ることがあっても貴方はそのときはがまんなさるのですってね、ずいぶんがまんして、そうして相手が忘れたころになって、がまんが切れて、それからお怒りにいらっしゃるのですってね、わたくしちゃんと聞いてますわ」
「――いや、そうではないのです、そのときはべつに、怒りにゆくわけではないのです」
「あらあ、わたくし聞きましたわよ」
「誤伝です、そうではないのですよ」
「では、ではそのとき」みつ枝は大いに興味をそそられるらしい、「――そのとき怒らないでなにをしにいらっしゃいますの」
「――そこは、それは、簡単には云えません、しかし……茶を下さい」
 又四郎は辛うじてたいかわすのであった。だがみつ枝は一般よりも好奇心の強い性分らしく、こちらが躰を躱そうと、かえりみて他を云おうと、めげたゆまずつきまとい、絶えず新鮮な愛らしい表情で話しかけ、質問を繰り返した。
「ほほ、ごめんあそせ、貴方には百足むかでちがいという綽名あだながあるそうですけれど、それはどういう故事から出たのでございますか」
「――うう、私は、それは……」
「もしかしたらそれは百足とげじげじをお間違えにでもなったんですか」
 このときは彼は娘の顔を見た。
「あなたは、その、たいへん、……いろいろなことをご存じのようですが、いったい、そのどこから、……うう、どうしてそんなことを知っておいでになるのですか」
「あらもちろん赤井さまからうかがったんですわ、石谷さまや双木もろきさまからも、……三人とも御親友なのですってね、御勤番ちゅうたびたびいらしって、秋成さまのおうわさをよくなさいましたわ、ですからこの上邸で貴方のことを知らない方はないでしょうけれど、いちばんよく存じあげているのはわたくしよ、わたくしなにもかもうかがいましたの、お三人が同じ事を五たびおっしゃるまでゆるしてさしあげなかったのですから」
 又四郎としては挨拶の言葉に窮した。赤井喜兵衛、石谷堅之助、双木文造、三人ともいちおう親友である。かれらは三年まえに江戸詰になり、又四郎といれちがいに国許へ帰ってきた。かれらは又四郎のことをよく知っている、かれらが三人で話したとすれば、……なかんずく赤井喜兵衛は話を面白くする点で達人ともいうべき才をもっているから、これはもはやじたばたしてもしようがない。
 ――そうか、うう、赤井のやつが、……それでわかった、うう、よくわかった。
 彼は納得をして、うなった。着任以来、周囲の人々がなぜあんなに自分に関心をもったか、関係もなく用もないのに、なぜ人が自分を呼んで話しかけたりつまらないような質問をしたか、初めて又四郎にはわかったのである。
「百足ちがいというのはですね、それは誤伝です、要約すると、私に関する話は、うう、概してそういうふうに誤って伝えられているようで、多少はこれは迷惑なんで」
「あらあ間違いですの、あらいやだ、間違いでしたの、まあいやだ」みつ枝は愛らしく眼をくるくるさせる、「――では百足ちがいのどこが違いますの、本当はなにちがいなんですの」
「――うう、それはですね、百足ではない、……百足、……それは多分その、字、手紙かなにかで間違えたと思うんですが、百足ではなく、ひゃくあしちがいというわけです」
「あらいやだ、どうしましょう、ほほほ、すると駆けっこでもなすったんですのね」
「――いやそうではないのです、駆けっこではない、うう、しかしこれは、また、いつか話します」
 又四郎は手の甲で額の汗を拭いた。
 いつか話す。彼の本心としては逃げを打ったのであるが、そんなことではぐらかされる相手ではなかった。膝詰めである、うっかりすればわきの下をくすぐりかねない。こういう点にかけては、由来、男は女性の敵ではないのである。というしだいで、又四郎はやがて自分の生立について、みつ枝の満足するまで話さなければならなかった。
 彼の父は秋成又左衛門といって、身分は寄合、運上所うんじょうしょ元締をしていた。又四郎は父が四十歳のとき生れた一人息子である。又左衛門はまれにみる性急せっかちな人で、「せかちぼ」という綽名があった。せっかちん坊というのを縮めたものであって、畢竟ひっきょうするに綽名まで縮められるくらいせっかちだったわけで、そのために種々いろいろと失敗をやり後悔することが多かった。
 ――これではいかん、絶対にいかん。
 又左衛門は又四郎が生れたときに、その赤児の寝顔を眺めながら考えた。
 ――せがれだけは沈着な人間に育てよう。
 気のながい、むしぐずなくらいな乳母うばを捜して与え、五歳になると早速、太虚寺という禅寺ぜんでらへ預けた。といっても坊主にするつもりではない、寺の住持の雪海和尚おしょうに養育を頼んだわけである。
 和尚はそのとき六十七くらいで、信じられないくらい肥満し、いつも酒の匂いをぷんぷんさせていた。若いころ支那へ渡り、広東韶州カントンしょうしゅうの雲門山で二十年も修業し、その道では人がよもやと思うくらいの師家しかだという。たぶんそのためだろう、俗眼で見ると徹底的な怠け者で、年がら年じゅうなんにもしない、檀家だんかの人々がお説法を聴きたいと云って来ると、肱枕ひじまくらで寝ころんだままこう答える。
「人間は死ぬまでは生きるだよ、なんにも心配するこたあねえだよ」
 そうして酒臭いげっぷをするだけである。また不幸があって招かれても決してゆかない。
「死んじめえばそれでおしめえだよ、おらがいってもしょあんめえ、じゃあ、まあお布施ふせでもたんまり持って来るだね、お釈迦しゃかさまのほうへはおらがよろしく云っとくだから」
 お勤めなんぞはしたためしがないし、法要があっても自分ではお経を読まない。
「お経はむずかしくってねえよ、そのうちに読みかたあ習うべえさ」
 こう云うのが常のことで、さすがに本場修業だけのことはあると、檀家の人々は舌を巻いて、信仰ますますあついということだった。又四郎はその和尚に預けられたわけで、和尚としては又左衛門の頼みの趣意をよく了解したらしい、それにどうやら又四郎が好きでもあったとみえ、その訓育ぶりにはかなりな程度まで身を入れたものである。
せくこたあねえだよ、せくこたあ、……どたばたしたってよ、春が来ねえばさ、花あ咲かねえちゅうこんだ、おちつくだよ」
 それから哲学を述べた。
「世の中あすべて参だてば」
 肱枕をしてこう云うのである。
「――天地人で参よ、火と水と空気、この参が集まって出来たが参千世界だあ、飯を食うにゃあぜんと茶碗とはし、天にゃあ日と月と星だべさ、人間は冠婚葬、男と女が夫婦になって子がひり出るだあ、作る者がいて売る者がいて買う者がいる、顔にゃあ眼と鼻と口と、……耳はこれあ別だてば、耳なんぞは、こんなものあへえ有るから有るようなもんの、まあそれあ、有れば有るでまあいいけれども、……まあそういったわけのもんだ」
 人生すべて「参」という説、これを又四郎は※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびの出るほど教えこまれた。
「この世にゃあへえ、男が本気になって怒るようなこたあ、から一つもねえだよ、怒ると腎の臓が草臥くたびれるだ、いちど怒ると時間にして一刻いっときが命を減らすだあ、おらが証人、怒りっぽい人間はみんな早死だてば」
 合の手に土瓶どびんの口から冷酒を飲む。もちろん横になったままで、それからげっぷをして、肱枕の腕を替えて、ということは寝返りをうつわけで、こんどは又四郎のほうへ巨大な背中を向けて、欠伸あくびをして続ける。
「どんなことがあってもへえ怒るじゃあねえ、仮に誰かがおめえをぶっくらわすとすべえ、なんにもしねえによ、いきなりぶっくらわされるだあ、そんなときでも怒っちゃあなんねえ、家へけえって三日がまんするだあ、いいだな、三日、……それでもまだはらがおさまらねえだら、三十日がまんするだあ、三十日して肚がいえねえだら三月よ、それから三年までがまんしてみて、それでもまだ承知できねえときは、……そんときはゆくがいいだ、そのぶっくらわした者のとけへよ、なあ、そいつのとけへいってきくだあ、どうしてあのときおらをぶっくらわしたか、その魂胆がききてえってよ、おらが証人、それでてえげえのこたあ、おさまるだあよ」


 なにごとにもがまん、せくな騒ぐな、じたばたするなという。三日、三十日、三月、三年。ここでもまた「参」つなぎの処世訓を骨の髄までたたきこまれたのであった。
 雪海和尚の養育法による効果であるか、それとも又四郎自身にそういう素質があったものか、やがて彼には「百足ひゃくあしちがい」という定評がつけられた。世間でよく、ひと足ちがいだったねえ、などということを云うが、それが彼のばあいはいつも「百足ちがう」というわけで、つまるところまにあわない、用が足りないという意味なのである。
 彼は十二歳のとき赤井喜兵衛に鼻をねじられた。遊び仲間の少年たちの見ている前のことで、彼は或る程度以上に恥ずかしかったし、かなり屈辱的な感じをうけた。だが彼は和尚の教訓を守った。そうして三年がまんしたうえ、なお承服しかねたので、喜兵衛を訪ねて質問した。
「おまえどうしておれの鼻を捻ったのかね」
「――おまえの鼻を、おれが……」喜兵衛は眼をまるくした、「――いったいそれはなんのことだ」
「なんのことかわからないから来たんだ」
 又四郎はむろんまじめである。喜兵衛は彼の云い分を聞いた、そしてそれが今から三年まえの、みんなで竹馬遊びをしていたときのことだと説明されてびっくりし、今日までがまんしたが、どうしても堪忍できない気持なので、やむなくその意趣のほどを知りたくて来た、と聞いてもういちどびっくりした。喜兵衛は唸った、……鼻を捻ったことはよくは覚えていなかったが、今でも又四郎のにえきらない態度には苛々いらいらさせられているので、そのくらいのことはしたかも知れないと思う、だがそれをがまんにがまんしたうえ、三年も過ぎた今日になってその意趣をききに来たとは。……喜兵衛は唸り、感に堪え、そうして又四郎の前に頭を下げて云った。
「おれには意趣もなにもない、そんな記憶もない、だがたぶんおまえの鼻を捻ったことは本当だろう、勘弁して呉れ、おれはお先走りの軽薄者だった、これからは気をつける、そしておまえの友として恥ずかしくない人間になってみせる」
 双木文造や石谷堅之助とも、ほぼ同様なゆくたてがあった。そうして赤井をいれてこの三人と、親友のちかいをむすんだのである。次に千本松の件であるが、又四郎が十九歳になったとき、馬廻りの青年たちと、かれら扈従組とのあいだに紛争が起こり、それが景気よくこじれて、ついに両者の団体的決闘ということになった。
「明日の朝五時、亀島の千本松へ集まれ」
 又四郎はこういう伝達を受けた。理由も経過も概略わかっていたが、彼はとりあえず熟慮にとりかかった。当時すでに父は亡くなり、母一人子一人であったが、もちろんそのためにどうこうというのではない、雪海和尚の教訓を実践したわけで、しかし事が事であるから他のばあいほど時間にゆとりがなく、三月めになって断行の決心をした。そこで入念に身支度をしたうえ赤井喜兵衛のところへでかけてゆくと、喜兵衛はよろこんで、
「ようしばらくだな、どうした」
 などと暢気のんきなことを云った。
「うん決心がついた、おれもやるよ――」
「――おれもやるって……なにを」
「なにをって、……むろん千本松の件さ、馬廻りのれんちゅうと例のことをやる件さ、おまえ知らないのか」
「――ええと、まあ掛けないか」
 喜兵衛はこう云って自分から縁側へ腰を掛けた。
 又四郎は聞いた。例の集団決闘は三月まえに済んでいた。両方に三四人ずつ負傷者が出たところを、両方の支配役が馬で駆けつけて中止を命じ、両方とも主謀者は五十日、他の者は三十日の謹慎という罰をくった。喜兵衛は主謀者の一人なので、このほどようやく謹慎が解けたところだ、ということであった。
 そのとき又四郎がどんなに当惑したか、それは彼自身よりほかに知ることはできない。喜兵衛の話を聞き終ると、彼はやや暫くなにか考えていた。
「――すると、あれだね、……うう、つまりもう、みんな済んだわけだね」
「まあ済んだわけだね」
「――すると、つまり、もうその、千本松へゆく必要は、うう、ないわけだ」
「まあそうだろうね」
 又四郎はそろそろと縁側から腰をあげた。だがそのまま帰るのもぐあいが悪い、喜兵衛は気まずく思っているかも知れない。そこで眺めまわすと、「赤井の柚子ゆず」といわれるくらいおおきな柚子がたくさんっていた。樹が巨きいので枝も高い、又四郎は救われたように微笑して、そっちを指さしながらきいた。
「あの柚子は、採るときには、三叉さんまたで採るかね、それともまた、梯子はしごなど掛けて……」
 だが喜兵衛はもうそこにいなかった。又四郎は暫く待ってみたのち、漠然と別れの身振りをして赤井家を辞した。そうして門外へ出ると、そこでつくづく嘆じたのであった。
「――みんないそがしいことだなあ」
 又四郎が身の上ばなしをここまで進めるのに、約一年の時日を要した。むろんこのかんずっとみつ枝に督励されてのことであるが、話がここへ来たとき、みつ枝は毎々のことながら眼をくるくるさせて、感に打たれて、かなりな程度情熱的に膝をすり寄せた。
「わたくし貴方のこういうお話だあい好き、胸のここのところが熱くなってきますわ、それからどうなさいましたの」
「――おどろいたわけです」手の甲で額を拭きながら彼は云った、「――なにしろですね、私が熟考しているあいだに、かれらはというと、すでに団体的決闘をやり、支配役に差止められ、処罰され、主謀者は五十日の謹慎を命ぜられ、その謹慎も終っていた、……こういうわけでしょう、これだけのことがですね、私の熟慮しているあいだに経過し、完了していた、要するに、私としてはおどろいたわけです」
「わたくし赤井さまたちのほうがもっとお驚きになったと思いますわ、きっとそういうところから百足ちがいなどということが出たんですのね」
「――つまり、かれらとしても、そのくらいのことを云わなければです、うう、そこはやっぱり、肚がおさまらなかったでしょうなあ」
 同じような例はいくらでもある。しかしそれを紹介する暇はない。彼は悠々と成長していった。「参」つなぎの処世法はたしかに一徳があって、この教訓を守る限り、彼のばあいには紛争も喧嘩も起こらなかった。その点は証明してもいいけれども、反面には不都合がないわけでもなかった。というのが、友達や周囲の者は――それだけの才もあるのだろうが、――ずんずん出世してゆくのに、又四郎ひとりだけはいつまでもひらの扈従組で、誰もひきたてて呉れる者がない。身分は代々の寄合で、家格は相当なものだし、食禄しょくろくも四百石あまり、祖父は勘定奉行を勤めた。……父の又左衛門は「せかちぼ」のため運上元締で終ったが、彼は沈着泰然としている。親類のなかには重職もいるので、そこはなんとか考えて呉れる筈なのに誰も手をさしのべて来る者がなかった。
 ――みんなはおれを忘れているのかもしれない。
 又四郎はこう思った。母もそこが心配だったとみえ、もっと親類や権威筋へ顔出しするようにといった。彼は母の忠言を尤もであるとうなずいて、それぞれ思わしい方面へできるだけ顔出しをするように努めたのであるが、総合したところは松家まついえかね嬢を知ったのが、収穫といえば唯一の収穫でしかなかった。
「あらちょっと、ちょっとお待ちになって」
 この話のときにはみつ枝はやや色をなした。それは一般に若い妻が良人おっとのポケットから女名前の手紙を発見したときの挙動に似ていた。
「そのまちかねえという方、なんですの、女の方なのでしょ、どんな方、もちろん若い方でしょ、おきれいにちがいありませんわね、御親類とか従兄妹いとことか、貴方とどんな関係がおありですの」
「それはです、まちかねえではないのです、正確には松家おかねというのですが、この人については、うう、また次に話すとしましょう」
 ともかく、各方面へ顔を出してみた結果、人々が彼を忘れているのではなく、彼が「百足ちがい」であるために、誰も責任を負って推薦する勇気がない、ということがわかった。
 ――彼はまにあわない、用が足りない。
 こういう定評があり、しかも現に幾多の実績を持っている。というのは、つづめていえば「参」つなぎの処世法によるのであって、ここにおいて又四郎としては或る程度の疑惧ぎくをもたざるを得なくなった。そこで太虚寺の雪海和尚をたずねて、その点を敲いてみた。……和尚はすでに八十八歳になっていたが、ますます健康で、日に二升の酒を飲み、冬は猪鹿の類、夏は鯉鰻を欠かさずべ、相変らず方丈ほうじょうに寝そべって、肱枕をしながら酒臭い息を吐いていた。
「あれほどおらがおせえたによ、もうそんねなこといって来るようじゃしょあんめえじゃあ」和尚はこういってげっぷをした、「それがへえじたばたのせかせかちゅうこんだ、みんなが出世する、……したかあするがいいだ、なに構うべえ、みんなはみんな、おめえはおめえよ、……人それぞれ世はさまざま、宰相さいしょうもいれば駕舁かごかきもいるだあ、桜の枝に夕顔は……それはまあつるを絡ませれば咲くだあけれど、梅の枝にゃへえ桃は咲かねえもんだあよ」
「――ではその、そういうことでしたら、従前どおりやっていって、いいのでございますか」
「おらが証人、それでいいだともさ」それから和尚はこっちを見て、こっちの顔を珍しそうに眺めて、そうしていった、「まあなんだ、三十まじゃあがまんするだね、嫁っ子を貰うも、出世をするもよ、……おめえの顔にそう出てえるだ、これあへえあらそえねえこんだからねえ、そうすれあ……」


 身の上ばなしがあらまし終ったのは二年めに近いころであった。
「初めからもういちどお聞かせになってよ」
 みつ枝はそうせがんだ。彼女はまえにも、赤井や石谷や双木たちに、又四郎の話を各自に五遍ずつ話させたという。これは母の胎内からもって生れた性癖らしい、……一種の不可抗力なので、又四郎もやむなく補足的にもういちど身の上を話した。
 彼はこんどはまえのときより時間をかけた。それは松家おかねの件にかかるまえに、江戸勤番を終るようにしたかったからである。……役目のほうは依然として可もなく不可もなく、平々凡々たるものであった。下僚の者たちは意地悪をしないが、それはする張合はりあいがなくなったものらしい。重臣れんちゅうももう呼びもしないし、話しかけもしない、遊びにまいれなどとは誰もいわない。名所見物などもしたいとは思うが、独りでは気がすすまないし、誘って呉れる者もない。そこでしぜんみつ枝嬢のとりこになる順序なのだが、……彼に対するみつ枝の関心、ないしその挙措きょそ言動はいよいよ親密になり、ときにはなは濃艶のうえんを呈するようになった。
「わたくし貴方のことをすっかり知りたいんですの、なにもかも、これっぽっちの事も残らず、ありったけ知りたいんですの」こういうかと思うと、また恍惚うっとりとしたような眼で彼を見あげ、からだじゅうが恍惚となったような声音でいった、「わたくしたち、もう身も心も、ぴったりといっしょですわねえ」
 こういう表現はどちらかというと穏やかでない。又四郎としてはできるだけ無邪気な角度でうけいれることに努めているのだが、それでもかなりたじたじとならざるを得なかった。
 ――だがもう暫くの幸抱。
 彼はこう自制した。勤番の期限はもうすぐに切れる、もう少しの辛抱。それまでは事を荒立てる必要はない、相手もまだわけのわからぬ娘のことであるから、……こう思っていたのであるが、驚いたことには、二十九歳になる藩主の側へあげられ、御用係心得を命ぜられた。これは妙な人事であった。その藩の職制によれば、勘調所出仕は奉行役方面へ進む筈で、御用係はまったく系統外れである。……彼としてはかなりな失望であった、もしかすると人ちがいではないかと思い、辞令の出たとき当該老職にきいてみた。
「うん、わしもその点ちょっと気になるのだが」梅永千助老もにおちないような顔をした、「しかしともかくも、これは上意である、うん、上意であるからには、そこは、その、そこはともかくお受けをして、万一その間違いであったならばだ、そのときはまあそのとき……わしもたぶん殿のお考えちがいだろうとは思うが、まあしようがないだろう」
 甚だ心ぼそい挨拶で、梅永老職にすればそんなことはどっちでもいいじゃないかというわけらしい。
 ――これは驚いた、せっかく勘調所の司書までこぎつけたのに、また新規きなおしとは驚いた。
 又四郎はここでもういちど雪海和尚をうらめしく思い、「参」つなぎの処世訓に疑惧の念をいだいて、独りこうつぶやいたくらいであった。
「――ことによるとあれは、単におせっかいな坊主だったのかしれない」
 ところが唯一人、五正家のみつ枝嬢だけは意見が違っていた。彼女は歓びの余り昂奮こうふんし、母と自分の心づくしであるといって、尾頭おかしら付きの膳に酒を添えて祝って呉れた。
「いよいよ御出世の時がまいりましたわね、御用係といえば殿さまのお側勤めでしょ、きっとすぐお眼にとまって、大事な役を仰付けられるにきまっていますわ」
「あなたはなにもご存じないのです」彼はこういいかけた、しかし弁解してもむだだと思い、溜息ためいきをついていった、「――しかし、まあとにかく、それはそれとして、私はこの秋には、国許へ帰れると思っていたんですがね」
「あらどうしてですの」
「――どうしてって、……だってこの秋で、勤番の期限が、私は切れるんですから」
「あら、そうすればそれで、お帰りになるんですの」
「――だって、それは、……どうしてですか」
「どうしてって、なにがどうしてですの」
 みつ枝は頬を赤くし、愛らしい眼をいっぱいにみひらいて、真正面からしんけんにこちらを見まもった。又四郎は窮した。この種の含みのある言葉のやりとりは、彼には元来がにがてである、それでさりげなく話題を変えようとしたが、女性の敏感でいち早くみつ枝はその先手を打った。
「だってもし貴方が予定どおり帰国なさるおつもりなのでしたら、もうあの話を父か母にして下さっていなければならない筈ですわ」
「あの話、……っていうと、つまり、それは」
「もちろんあの話ですわよ、いやですわ、ご存じのくせに」
 こういってみつ枝嬢はもう何割かしら頬を赤くした。又四郎は彼女のほのめかすものがなんであるか、おぼろげに了解し、これは比較的にいって問題が軽くないと思った。しかし彼はまたすぐに、かかるさきくぐりが相手を侮辱するものであることに気づき、非常な勇気をふるい起こして反問した。
「――間違ったら、その、お赦しを願いたいのですが、そのう、ですねえ、今の、……そのお話というのは、つまるところ、縁談のような……」
「ようなではなく縁談ですわ」みつ枝嬢は言下にはっきりと答えた、「――父は存じませんけれど、母はもうずっとまえからお待ちしています、わたくしからおよそのことはいってあるのですから、もう一年もまえでしょうかしら」
「ちょっとお待ち下さい、どうかちょっと」又四郎は狼狽ろうばいし当惑していった、「どうも私には、どこでそんな、いつそんなぐあいに、その、……なったものか、その点がよく記憶にないのですが、ですねえ、つまり、うう、はっきり申上げますけれども、要するに、私には国許に約束した人があるのです」
「まあっ、……まあっ」みつ枝はその眼をくるっとまわしたが、それはいつものように愛らしくはみえなかった、「お約束なすったって、貴方がですか、お国許で、……まあ驚いた、わたくし初めてうかがいますわ」
「ええ、私も話すのはこれが初めてです」
「だってまさか貴方が、まさか」みつ枝は坐りなおした、「――いいえ、ではうかがいますわ、そのお約束なすったというのはどういう方ですの、お名前はなんと仰しゃいますの」
「どういう人かということは、ちょっと説明に困るんですが、簡単にいえば、老職の娘でして、名は松家おかねというのです」
「まあどうしましょう、まあ、……まちかねさまとかなんとかって、あんな方とですの」
「あなたはご存じなのですか、あの人を」
「知っていたら此処ここでこんなことをいっていはしません、まっすぐにいって申しあげますわ、でもそれは、……そのお約束はいつなさいましたの、その方いまお幾つなのですか」
「――うう、それはです、約束したのはですね、それは今から、……まる七年まえ」
「まあっ、まる七年もですって」
「私が二十二、その人が、そうです、……私より一つ上で、二十三のときでした」
「そうするとその方、今はちょうど……」
 みつ枝嬢の顔がいいようのない柔らかさを帯び、その眼は再び愛らしい色に包まれた。そうしてこんどは温雅な、おちついた表情で、むしろ哀れむようなまなざしで、彼の説明を聞いたのである。
 彼はまえにもしるしたように、母の勧めもあり、彼自身も発奮するところあって、有力な親族や各方面の権威筋へ、しきりに顔出しをしてまわったとき、松家加久平かくへいという老職の家で、その家の二女のおかねに会った。松家は子だくさんで五男四女あったが、そのなかで容色と才を兼備したのは自分ひとりだと、おかね嬢は彼にうちあけた。……どうした順序でそんな話に進展したものか、やがておかね嬢は彼に結婚の要求をした。みつ枝のように含みやほのめかしぬきの、いってみれば膝詰め談判であった。
 ――ではとにかく、母に相談しまして。
 又四郎はこういってその場を脱出した。なぜかなら、そのとき彼は雪海和尚から「三十まですべてを待て」といわれていた。嫁取りも出世も、三十までがまんしろと、人相に顕われているというのである。……そこで適当な時間をおいておかね嬢を訪問し、かくかくであるからと理由を述べたうえ、三十になるまで待って貰いたいと条件を出した。おかね嬢はいささかの躊躇ちゅうちょもなく応諾し、かなり積極的な態度で、あでやかに媚笑びしょうし、すり寄って、彼の手を握った。
「わたくしあなたをお信じ致しますわ、殿方はお信じしないことにしているのですけれど、でも秋成さまはお信じ致しますわ、あなたはほかの方とはどこかしら違っていらっしゃるのですもの、……ええ、お待ちしますわ」
 すっかり聞き終ってから、みつ枝はやさしくうなずき、弟をいたわるように微笑した、「そしてその方とは、その後もずっとおたよりを交わしていらっしゃいますの」
「――信りですって、いいえ、信りなんていちども、……しかし、どうしてです」
「いいえなんでもございませんわ」みつ枝はやさしい眼で彼を眺めた、「来年は参覲さんきんのおいとまですから、あなたも殿さまのお供で国許へお帰りになりますわね、そのときその方を訪ねていらっしゃいませ、わたくしにはおよそ想像ができますけれど、……でもあなた御自身で、その方がどうしていらっしゃるかごらんになるがいいと思いますわ」
「ええそれは、それは必ず訪ねます」又四郎はかなりはっきりと頷いた、「ほかにも用のある人間がいるんですから」


「ほかにもって、……まだ約束した方がいるんですの」
「いやそうではないのです、まるで違う、その、……要するにですね、三年まえの、……いろいろと、……しかしこれはまたあとで話します」
「どちらでもお好きなように」みつ枝はこういって艶然と微笑した、「それから、申上げておきますけれど、……まちかねさまがどんなになっていらしってもですわね、江戸にはわたくしがいるということを、お忘れにならないで下さいまし」
「はあ、それは、うう……承知しました」
「きっとでございますよ」
 彼女は一種の動作を起こそうとしたが、それをやめてにらむだけにした。ことによると松家おかね嬢と同一の行動に出ようとしたのかも知れない。又四郎はまぶしくなって、庭のほうへ眼をそらして、いった。
「――そろそろ夏になる模様ですねえ」
 それから年を越えて三月になるまで、みつ枝の彼に対する世話ぶりは、これまでとは一段と技巧を凝らしたものになった。或る期間は母親のように到れり尽せりで、かゆくないところまで手が届くような趣である。が、他のある期間はそっけなく、冷やかで、たいへんすまして、つんと気取ってみせる。
「あらそうでございますか、それならたぶんそうでございましょ」
 などといってきちんと正面を見ている、といった調子であった。するとまたどんなからくりになっているのか、急にれ狎れと親切になって、眼尻でじっとこっちを見たりする。
「秋成さまがいらしったとき、みつ枝は十六でしたわ、あれから三年、……わたくしもう十八ですわねえ、……十八、わたくしすっかりおばあさんになってしまいましたわ」
 十六からまる三年経っている、それで十八という勘定はちょっと腑におちなかった。しかしえて異議を立てるにも及ばないので、又四郎はそのときは感慨ありげな顔をして、早いものですねえと答え、
 ――なんと無邪気な娘であろう。
 と思うのであった。
 翌年の三月、藩主摂津守治定せっつのかみはるさだの供をして、秋成又四郎はあしかけ五年ぶりに帰国した。三人の親友や、親類知人たちの歓迎のありさまは省略する。ただ親友や知人たちの多くがそれぞれ出世していること、赤井も石谷も双木もすでに結婚し、石谷には男の子、双木文造は女の双生児ふたごもうけたこと、そして太虚寺の雪海和尚がまえの年の冬に大往生をとげたことなど、いろいろ思いがけない変化を聞いたことは収穫であった。
「そうかね、太虚寺の和尚は死んだかね」
 又四郎は少しばかり失望的な感じをうけた。彼としては、こんどは多少強硬に文句がいいたかったのである。
「あんな大往生はまず古今絶無だろうな」赤井喜兵衛がこう話して呉れた、「なにしろもう九十という年でさ、毎日酒を二升五合は欠かさず飲んでいた、相変らずなんにもしない、お経も読まない、方丈に寝ころんで、肱枕をして、一日じゅう酒を飲んで、いつ病気になったか誰も知りあしない、いや、病気なんぞなかったかもしれない、……ある日、寺男を呼んだ、いってみるとやっぱり肱枕で、こう寝ころんでいてだな、寺男のほうを見てげっぷと酒臭い息を吐いた。
 ――ああおめえ弥兵衛か、来ただかね。
 和尚はこういったそうだ。
 ――おらもう飽きただよ、もうこんねえにしててもしようねえ、……すっかり飽きただから、おらこれでお暇にするだから、げっぷう、……檀家の衆によ、そいってもれえてえだ、みなさん、ええへへへんだんだおうぎゃあ、……わかっただかね。
 そうしてだな、寺男がびっくりして、もしか病気なら医者を呼ぼう、どこか苦しいところでもあるのかときいたところ、和尚はけげんそうな眼をして、それからうっとりと眼をつぶって、さも気持よさそうに溜息をついたそうだ。
 ――世の中に、死ぬほど楽は、なきものを、うき世の馬鹿は、生きて働く、……ああ、いい気持だなあ。
 そして息をひき取ったということだ」
 又四郎は暫く黙っていた。それから、その妙な引導のようなもの、檀家の者に伝えろといった「ええへへへん」なる言葉には、いったいどんな深遠な意味があるのかと反問した。
「それがさ、そこにはいろいろ説があるんだが」喜兵衛もよくわからないようすだった、「梵語ぼんごだろうという者もあるし、出羽国でわのくにの山の奥の方言で、こんにちはごきげんはいかが、という意味だという者もあるんで、……あの和尚はふだんいろいろな土地の方言をごた混ぜに使っていたし、どうも後者の説のほうが正しかろう、まあ一般にそういう解釈のほうへ傾いているよ」
 どちらにせよ又四郎には関係がないことらしい、彼は憮然ぶぜんとして、自分ひとりいい心持そうに大往生をとげたという雪海和尚に対して、ひそかに反感をいだいたのであった。
「おまえ嫁の話があるのだけれどねえ」
 母親はしきりにそのことをもちだした。彼には彼の方寸ほうすんがあるので、その話は少し待って下さいといい、ひとおちつきすると、帰国の目的であるところの、かねての懸案に着手した。……彼はまず手帖てちょうを出して調べた、あしかけ五年まえに、彼は五人の相手から不当の侮辱をうけた。それを左に摘要すると、
 一、簡野左馬かんのさま之助  城代家老三男
 某年某月某日。衆人環視の中において、とつぜん余に向い「おれの履物をそろえろ」と云い、余が欲せざる旨を述べるや「えらそうなことを云うな」とののしり、なお味噌汁で顔を洗って来い、などと嘲弄ちょうろうせし事。
 二、大村田伝内  槍組番頭
 某年某月某日。下城の途中において、酔いに乗じ、同伴者に向って「あの百足ちがいの頭がどんな音をたてるかかけをしよう」と云い、余の迷惑をもかえりみず、右手の拳骨をもって余の前頭部を殴打し、同伴者より賭け金を取得せし事。
 三、唐川からかわ運蔵  年寄役運兵衛殿長男
 某年某月某日。城中詰の間において、支配役その他の同席するにもかかわらず、「無能も秋成くらいになると扶持ふちぬすみに近いですな」と放言し、同席者と共に大いに哄笑こうしょうせし事。
 四、苅賀かるが由平二  鉄炮てっぽう足軽組頭
 某年某月某日。大手門外において、余の頭上にいなごをとまらせ、「ほれ見ろ、こうしてもこの人は怒らない」と組下の者共に云い、さらにがい蝗を余の衿首えりくびの中へ入れて、「こうしたって怒らない」と者共を振返り、「だがこれは忍耐づよいのではなくずつなしというものである、おまえたちも決してこうなってはいけない、わかったな」こう云って余を教誨きょうかいの実物見本にせし事。
 五、乙原丙午おとはらへいご  御厩おうまや奉行二男
 某年某月某夜。老職鹿野寧斎かのねいさい殿、新宅祝いの宴席において、丙午は余の膳部より「百足ちがいにたいなどは贅沢ぜいたくだ」と称して焼鯛を横領、これが代りにごぼうを入れ「これでよく似合う」とそらうそぶきし事。
 右の如くであった。
 以上のほかにも十数件あるが、三年以上がまんして、どうしても肚に据えかねたのが右の五つだった。しかも今や雪海和尚はいない、和尚はええへへへんと云ってこの世を去った。もはや又四郎は自由である。
「ひとつ簡野から、うう、始めてやろう」
 身内のむずがゆいような気持で彼はこう呟いた。
 簡野は今でも城代家老をしているが、訪ねてゆくと左馬之助はすでに分家して、桶屋おけや町に住んでいるということだった。そこでそっちへいってみたが、そこは名の示すとおり職人町のごみごみした一画で、ひと口に云うと貧民くつのようなところであり、左馬之助の住居はその裏店うらだなの、ひん曲ったような長屋の端にあった。……又四郎はちょっと躊躇ためらいを感じたが、思いきって案内を乞うと、妖婆ようばのような女が顔を出して、
「なんの用だい、掛取りなら銭なんかないよ、出なおしといで、ちぇっ、不景気な」
 いきなりこう喚いた。又四郎はここで自制心と克己力こっきりょくを活動させ、姓名や身分を告げたうえ、ようやく女の許しを得て家へあがった。
 左馬之助は寝ていた。枯木のようにせ、蒼黒あおぐろい顔をして、綿のはみ出た薄い蒲団にくるまって、はっはと苦しそうにあえいでいた。彼は又四郎を見ると黄色い歯をみせ、ひどくしゃがれた声でこう云った。
「ああおまえ、……秋成か、来て呉れたんだね、ああ、済まない、……おれの親友、心の底からの友達、おれは泣けるよ、……うれしい、これだよ」
 左馬之助は骨だらけのような手で合掌した。それひと間きりの部屋はぼろがらくたの山で、その中に三人の幼児がなぐりあったりひっいたり、泣いたり喚いたりしていた。えたような、云いようのない不愉快な匂いが充満し、崩れたような壁の向うでは、酔った男がわけのわからないたわ言をだみ声で叫びちらしていた。
「人の面倒はみておくもんだ、おれはおまえだけには出来るだけの尽力をしたからな」左馬之助はなお続けて云った、「――ときに金を少し貸して呉れないか、一両、いや三両くらいあればいい、じっさい、こんこんこっほん、いやじっさいあの頃はお互いにむちゃな事をしたものさ、ああ、……まったく愉快だった、おまえのためにはおれは、ずいぶんと散財した、こんこんこん、……三両なければ、二両でも、いいんだが、一分でも、……あとは次でいい、とにかくおれはおまえだけは親友だと思っているんだ、……じっさい今でも忘れないが、おまえの云ったことさ、うっ、……困ったらきっと駆けつける、簡野には世話になったからな、ってさ、……うれしい、おまえおれを泣かすぞ、……金は今は一分でもいい、あとはいつでも、なるべく早いほうがいいが、……おれは親友の情だけにはまだ、失望していない」
 又四郎はそくばくの物を包んで置いて、きたいような気持でその家を出た。


 その帰途、彼は赤井の家へ寄って、喜兵衛から左馬之助のことを聞いた。……その話によると、左馬之助はいちど林数右衛門という物頭の家へ養子にゆき、一子をあげたが、遊蕩ゆうとうのため離別された。次に越田久内、三番めに六いで秀平というぐあいで、養子にいっては不縁になった。そのあいだに川端の博奕宿ばくちやどの女とでき、子供まであるということがわかって、父からも勘当されたということであった。
「その女の産んだ子だって、本当にあいつの子かどうかわかりゃしないのさ、なんでも半年ばかり前から悪い病気にかかって、もう長いことはなかろうという話だが、……あいつになにか用でもあるのかい」
「――いやなにも、用なんかは、ないんだが」
 又四郎はいやな気持で家へ帰った。ときとばあいでは果し合もするくらいの心組みでいったのに、根も葉もない恩をせられ、親友と呼ばれ、僅かながら金まで置いて来た。
「――これは迂濶うかつにはでかけられないぞ」
 彼がそう思ったことに無理はないだろう。とにかく左馬之助訪問のような、にがにがしいには二度とあいたくはない。そこで残りの四人に対してはいちおう事前探査をやった。彼はこのことは我ながら賢明であると思った、というのは乙原丙午であるが、御厩奉行の二男である丙午は、暴食のあまり胃が裂けて、半年ばかり病んで死んだという。また大村田伝内は賭け事のために公金を費消し、足軽におとされて、酔って旧同僚を訊ねては、
 ――おい賭けよう、明日は雨か天気か。
 などと云い、賭を拒絶されると泣いて貧窮を訴える。おいおいと泣いて、そうして妻が急病だとか、子供が飢えているとか、いろいろでまかせなことを述べたうえ、必ずなにがしかせしめて帰る、ということであった。
「――これもかなり危ない、この二人も抹殺まっさつとしよう」
 又四郎は丙午と伝内の名を手帖から消した。
 第四に苅賀由平二である、これは人を教誨するだけあって、いまだに健在であり、鉄炮足軽の組頭から支配にぬかれていた。また第五の唐川運蔵はたいそう出世をし、八百石の普請奉行で、美人と評判の高い妻を迎え、内福で平和な生活を楽しんでいる。
「――これなら用心することはあるまい」
 そして又四郎は苅賀を訪問した。
 苅賀の家は組屋敷の中にあり、支配役のことで、厩や長屋や三棟の土蔵などをようして、なかなか堂々たる構えであった。……由平二は在宅で、すぐに又四郎と客間で対坐した。まえより色が黒く、眼がぎょろりとして、鼻の下とあごに濃いひげをたくわえ、そうして、まるでどこかの家主のように反りかえってみせた。
「多忙であるからして、むだな挨拶はぬき、簡単に用を云って貰おう、簡単に」由平二は日あしを見やって続けた、「――これから奉行職と会って食事をせねばならぬ、明日は三名の御老職に招かれておる、迷惑であるが、時間の浪費であるが、そこはやはり、……簡単に、用事はなんであるか、自分は多忙であるからして」
「用は簡単なんだ、五年まえのことを思いだして貰えばいい」
「――五年まえのこと、……なんだ」
 又四郎は静かに大手門外の件を語った。あの蝗を使った教誨の件を、……苅賀はすぐ思いだしたらしい、だが相変らず反りかえって、こちらを睨んで、指の先で鼻下髭の端を捻った。
「――ふむ、それで、……それがどうした」
「あれから五年経つんだが」又四郎は低い声で云った、「――私はあのときの屈辱を忘れることができない、それで、あのときいた人間をすっかり集めたうえで、そこもとに陳謝をして貰いたいんだ」
 由平二はもう一段と反った。
「いやだ、……と云ったらどうする」
「日と時刻を定めて呉れればいい」
「――決闘かっ」
 由平二は食いつきそうな眼をした。それから鼻下と顎の髭を動かして笑い、「これは面白い」と叫び、さらに躯全体を揺すって笑った。
「このおれを相手に、この苅賀由平二を相手にか、わっはっは、盲人めくら蛇にじず、やぶを突ついて蛇、毛を吹いて傷を求め、飛んで火に入る夏の虫か、蟷螂とうろうの竜車に向うおの、いやはや、いやはや、おかしくってへそが茶を沸かすぞ」
 大略このように嘲弄ちょうろうしたうえ、日は明後日、時刻は朝五時、場所は水車場の河原ということに定めた。そして又四郎が立つと、そのうしろからさも面白そうに次のように活溌に愚弄した。
「――命が惜しかったら断念しろ、恥は忍べるが死んで生き返ることはできんぞ、ばかはあとで後悔する、転ばぬさきのつえ、笑止せんばんの抱腹絶倒、先哲のいわく……」
 そのあと大賢は大愚に似たりとか、ほかにもいろいろと並べたてたようだが、又四郎はさっさと出て来たので聞えなかった。……苅賀へいった日の夜になって、彼は唐川運蔵を訪ねた。明日にしようかと思ったのだが、御用が多くてぬけられなくなるおそれがあったのである。
 いったい御用係心得を拝命してから、彼はずっと多忙が続いてきた。役目は側用人の副秘書のようなものだが、どういうわけか側用人の代理のように使われ、藩主との応接も多くのばあい彼が当らされた。そのときの側用人は矢橋隼人はやとといい、たいへんな酒豪で、家でも役所でも酒を側から離さない。いつも飲んで、あかい顔をして、そうして坐って居眠りをしていた。……役所では机の前に坐って姿勢をきちんとして、眼をちゃんとあいたまま眠るのである。しばしば藩主の前でもそうやって眠る。
 ――これこれの事はどう致したか。
 ――はあ、御意のとおり。
 ――ではどれそれの事はどうした。
 ――まことに仰せのとおり。
 こんな問答のやりとりがあって、藩主が気がついて、「隼人をれていって寝かしてやれ」というようなことになる例がまれではなかった。そのためばかりでもないらしいのだが、隼人の事務はしだいに又四郎が任され、ことに帰国してからはいっそうその傾向がつよくなった。定刻の退出は四時となっているが、三日にいちどは定って六時か七時でないと下城ができなかった。
 明後日は苅賀と果し合がある、明日は城でどんな用ができるかもわからない、こう思って、彼はその夜でかけていったのである。
「おう秋成、よく来て呉れた、さあどうぞ」
 唐川は自分で玄関へとびだして来た。色が白くぽちゃぽちゃ肥え、顔いっぱいにあいそのいい笑いをうかべ、どうかするとみ手もやりかねないほど腰が低く、自分ひとりで饒舌しゃべっては笑うのであった。
「江戸から帰ったというので挨拶にゆこうと思っていたんだよ、こっちへ、どうぞこっちへ、此処がいいだろう、どうか楽に、自分の居間にいるつもりでね、構わないから膝を崩して、どうぞ、どうぞ遠慮なく、そうか来て呉れたのか、こっちから顔出しをしなくちゃいけないんで、それはもう会いたくってね、秋成が帰ったという話、聞いたとたんにうれしくってね、秋成のことだからきっとすばらしい人間になったろう、なにしろ江戸は本場だし、その本場の江戸で五年もいて、秋成ほどの人物だとすれば、これはもうなにも云うことはない、男子三日相見ざれば、というくらいだが、そこはまた秋成は格別さ、現にもう御側用人じゃないか、出世も出世、ほかの者とはけたが違うからね、五段跳び十段跳び、男子が出世をするとなったら、かくありたきものだね、なにしろ昔は百足ちがいなどと云われてさ、御当人は自分を知っているから平気の平左でいる、云いたければ云え、というわけでね、しかしおれは睨んでいたね、秋成は人物が違うってね、われわれとは人間が別格なんだ、あれはいつか必ず名を成すに相違ない、まあ盲人は黙って見ているがいいってさ、これは誓って云うが事実なんだ、いつかも大森にそう云ったんだがね、あれに聞いて呉れればわかる、おれは日も覚えているが本当にそう云ったくらいだ、そして今は現に御側用人、千石者さ、とすればおれもまんざら眼がないわけでもないというわけだろうじゃないか」
 言葉の合間ごとにさもうれしそうに笑い、鈴を鳴らして茶をせきたて、こっちが手をつけないのに自分だけはせかせかとすすり、立っていったかと思うと戻ってきて坐り、そのあいだひっきりなしに饒舌ったり笑ったり、ほとんど口を入れる隙というものがなかった。
「――ちょっと待って呉れないか、今日は少し話があって来たんだ」
「いやあとあと、話なんかあとだよ」運蔵は手を振って膝をすすめて続けた、「なにはともあれ祝杯を挙げなくっちゃあ、久方ぶりじゃないか、遠慮して呉れると恨むよ、どうぞ楽に、どうぞ膝を崩して、自分の家と同じ気持になってね、おれはうれしくって、こっちから挨拶にゆく筈なのに来て呉れてさ、しかも御側用人に出世したのにさ、出来ることじゃないよ、それは秋成だから」
「待って呉れないか、いや待って呉れ、おれは祝杯などは出しても受けないよ」
 これではきりがないので、又四郎はかなりてきびしい調子でこうさえぎった。唐川はびっくりし、眼をまるくしてこちらを見た。
「――祝杯を受けて呉れないって」
「初めに断わっておくが、おれは決して側用人ではない、単に御用係心得だ、次に、おれがきた用件を云おう、面倒かもしれないが、ちょっと五年まえのことを思いだして呉れないか」
「――それはいったい、五年まえっていったい、……」
「城中の詰の間で、支配もいたしほかにも十人ばかりいたと思う、そこでおれを辱しめたことがあるんだ」
 無能も秋成くらいになると扶持ぬすみに近いという放言。運蔵は覚えていたらしい、さっと、額のほうからあおくなり、
「へえ、そんなことがあったかね」
 と笑ってごまかそうとしたが、顔が硬ばって醜くゆがんだだけであった。
「私はあれから五年間がまんした」又四郎は平静な声で云った、「――だがどうにも堪忍がならない、どうしても、忘れることができないんだ」
「わかるよ、よくわかるよ、しかしおれは決してそんな暴言を吐いたことはないと思うがね、だっておれはそこもとの人物を知っていたし」
はぐらかすのはよして呉れ、たくさんだ」
 彼はやや高い声でこう云った。例のないことである、運蔵は口をつぐんだ。
「それでおれは今日、条件を二つもって来た、その一つは城中で、あのときの人たちを集めて、そこでみんなの前で謝罪して貰いたいんだ」
「だってそれは、そんな、それはひどい、少なくとも普請奉行ともある身で、それは自殺するのと同じだよ、それはひどいよ」
「では次の条件だ」こちらは穏やかに云った、「――明後日はいけないけれども、ほかの日と、時刻と、場所とをそっちで定めて呉れないか」
「――だって、どうしてそんな、……そんなことを定めてどうするのさ」
「果し合だよ、わかってるじゃないか」
 唐川はとびだしそうな眼でこっちを見た、もう一段と顔が歪み、唇が白くなって震えだした。それからごくっと唾をのみ、のどになにか詰ったような声で云った。
「まさか、まさか、……そんなことを、ははは、……からかってるんだね」
「私のことを云うのなら本気だよ」
 運蔵はとつぜんぱっと座を立った。あんまりとつぜんだったので、又四郎は思わず刀のほうへ手を伸ばした。しかしそれよりもはるかに早く、運蔵はまるでつばめのように、廊下から庭へとすっ飛んでいた。
 ――この庭でか、よし。
 又四郎は刀を持って廊下へ出た。ところが唐川運蔵は庭へ土下座をしていた。両手を地面の上へき、その白い額を地面にすりつけ、敏速におじぎをしながら、哀訴するような声でべらべら詫びを云うのである。
「このとおりだ、赦して呉れ、おれには妻がある、妻はおれを愛している、おれは死にたくない、悪かったらこの頭を踏んでくれ、とばして呉れ、睡をひっかけて呉れ、おれは三文の値打もないやつだ、妻を可哀そうだと思って呉れ、金ならある、いくらでも出す、赦して呉れ、どうか勘弁して、おれの一生の恩人になって呉れ、どうか、どうか、……」


 それから中一日おいた早朝の五時。淀井川の河原で又四郎は苅賀を待っていた。
 すでに四月で、季節は晩春。河原はいちめんに草がえ、あしの芽がつんつんと伸びている。俗にそこは「水車場」といわれるが、水車はない、あったとすればずいぶん昔のことだろう。城下町からは小一里も離れているし、淀井川の対岸はもう隣藩領であった。
「――あいつ相当なものかもしれない」又四郎は川波を眺めながら呟いた、「――自信がなければ、あれほどは云えないものだ、……たぶん決闘などの経験もあるんだろう、ことによると、……しかしおれだってそうもろくは、これで、負けやしないさ」
 彼はふとまゆをしかめた。筋骨のたくましい、髭の濃い、眼のぎょろっとした苅賀の相貌と、あの豪放な嘲弄とを思いうかべたのである。それはそのまま威圧的で、力感に充ちて、闘志の固まりのように感じられた。
「――そうさ、それほど脆くは負けやしないさ、……おれだってまさか、……だがどうしたんだろう、もう来そうな時刻なんだが」
 又四郎は振返って土堤どてのほうを見た。それから立っていることにやや疲れ、河原の乾いているところを捜して、そこへ腰をおろした。
 源空寺のらしい、八時の鐘を聞くまで待ってから、彼はあきらめて河原をあがった。苅賀はとうとう来なかったのである、けれども又四郎としては、なにか急用でも起こったか、家に病人でも出たのだろうと思い、帰りに二条町の苅賀へまわってみた。そこで初めてわかったのであるが、由平二は家財を売りとばし、昨夜半、妻子を伴れて出奔したということだった。
「私どもはなにも知りませんので、へい」愚直らしい下僕がそう云った、「朝になったら旦那もどなたもいらっしゃらねえので、へい、家の中はごらんのとおり、一ときばかりまえに屑屋くずやだの古道具屋がまいりまして、昨日すっかり値踏みもし代物も払ってあるということで、へい、なにもかも持ち運んでっちめえまして、わたくしなんぞの給銀のほうはどうなるのか、どこへ願って出たらいいものか、そこのところをどうかひとつ、へい」
 又四郎は黙って苅賀の門を出た。
 ――信じられない。
 あれほどの大言壮語、胆力そのもののようなあの豪傑笑い。あれだけの男が果し合を恐れて逃亡する、家財を売りとばし、下僕の眼をさえ忍んで、妻子と共に夜逃げをする。
「――いやいや、おれには信じられない」道を歩きながら独りで又四郎は頭を振った、「――これにはなにかわけがあるのだ、なにか」
 だが彼は信じないわけにはいかなかった。苅賀由平二が出奔したということは、たちまち家中一般の評判になり、その原因について根もないような話が次から次へと伝わった。
 又四郎はひそかに溜息をついた。
 ――なんということだ。
 溜息をついては浮かない顔をしていた。けれども考えてみるに、これで五年来の懸案はきれいに片がついたわけである。憂鬱になる理由は少しもなかった。そこでようやく肚をきめ、本条町の松家邸へおかね嬢を訪ねたのであった。……松家加久平はまえに亡くなって、今は長男の加久平が家を継ぎ、末席の老職を勤めている。
「やあよくみえられた、どうぞお通り」加久平は自分で玄関まで出迎え、自ら客間へ導き、茶菓さかを命じ、対坐するまで饒舌しゃべり続けた、「こんどはたいそうな出世で、まあ当然のことではあるが、少しは遅すぎるかもしれないが、俗に大器晩成ともいうくらいで、こちらでも内々は噂に出ていたんだが、なにしろ側用人とまでは思い及ばなかったが、殿はやはり中興といわれるだけ御鑑識の高いお方で、それにはわれわれも御敬服しておるのだが」
 ここでもまた側用人という言葉が出た。唐川のはおべんちゃらとしても、加久平は末席ながらも老職であるし、おせじを遣うような必要もない。そうだとすれば、……又四郎はこう気がつき、相手の饒舌じょうぜつの隙をみて反問した。
「私が御側用人に出世したとか仰しゃったようですが、私はまだなにも存じませんが、それはどういうことなのですか」
「ああまだ知らぬかもわからない」加久平はいい心持そうに頷いた、「――殿から御意のあったのは七日ばかりまえのことで、それからわれわれ重臣一統の閣議があって、そこでよかろうと決定したんで、正式の任命は四五日うちということになっているんだが、重臣方面にも評判はごく好いようなんだが……」
 又四郎はさすが悪い気持はしなかった。けれども用向は用向である。彼はまた暫く加久平の饒舌の切れ目をうかがったうえ、ようやくその機をとらえて訪問の目的を述べた。
「ああおる、家におります、妹は独身でおります」話の腰を折られて相手は妙な顔をした、「なにか用事があるなら呼ばせましょう」
「はあ実は」又四郎は眼をせた、「――実はですね、あの方と、お二人きりで、その、折入ったお話が、その、したいのですが」
「ああいいとも、いいですとも、折入った話結構です、すぐ呼ばせましょう」こういいながら加久平は立った、「――あれも困った女で、困ったといってはなんだが、あれは哀れな、可哀そうな女なんで、まだ独身なんで、ひとつ、……いやすぐ此処へ来させます」
 加久平が出てゆくと、又四郎はかなり傷心のていでじっと俯向うつむいた、「まだ独身なんで――」といった、あれから十年ちかく、約束を守っておかねは独身をとおしていて呉れた、あのときの約束を守っておかねは独身をとおしていて呉れた、あのときの約束を守って、この又四郎のために。
「――あのときみつ枝の話を断わっていいことをした」
 又四郎は敬虔けいけんに、そっとこう呟いたのである。
 彼の精神としては、そのとき正しく敬虔であった。おかねのまごころに対し、その変らざる誓いに対し、そのひと筋な純情に対し、心から低頭する気持であった。……純情の主はまもなく現われた。かなり時間を要したのは化粧をして着替えをしたものらしい。美しいはでな、模様というか柄というか、眼のさめるような色合の着付けで、白粉を濃く塗り、口紅をさしていた。そこへ坐ると濃厚な香りがぱっとひろがって、あたりいちめんに充満して、又四郎は危うくくしゃみが出そうになった。
「ようこそ秋成さま、ようこそいらっしゃいました、覚えていて下さいましたのね、有難う、うれしゅうございますわ」彼女はこういってびたながし眼で、大胆にこちらをみつめ、片手で髪をそっとでつけるようなポーズをし、またじっとみつめた、「貴方もうわたくしのことなんかお忘れになったと思っていましたわ、わたくしのほうではお噂を始終うかがっていましたの、悲しゅうございましたわ、わたくしがどんなに悲しい身の上だか、貴方にはおわかりになりませんわねえ」
「いやそれで来たのです、決して忘れたわけではありません、私は約束を忘れるような人間ではありません」
「そうですとも、お約束したんですものね」
 彼女はこのときもう一方の手で、髪のもう一方をそっと撫でた。撫でながら横眼でこちらを見た。それは優美なポーズであったが、同時にかなり濃艶であり、一種むせるような官能的なところもあって、又四郎としては計らずも赤くなった。
「あの頃もそうでしたけれど、今でもやっぱり貴方は御美男よ、ありきたりの意味でいう御美男じゃなく、お顔やお姿よりお躯ぜんたいね、こうして拝見していると胸の奥のほうがむずむずするような、血が熱くなるような、躯じゅうをめちゃくちゃにして貰いたいような、口でいうのが恥ずかしいような気持におさせになるの、江戸ではきっとたくさん御婦人をお泣かせなすったのでしょ、知っていますわ、白状なさいましよ」
「そんな、私は、決して」又四郎は狼狽していよいよ赤くなり、舌が硬ばってきた、「――お願いします、そんなことは、どうか、私は、その、お約束をはたすために、……その、はっきり申しますが、あのときのお約束では、たしか」
「そうそう、お約束がございましたわね」
「三十になるまで待って頂きたい、私はあのとき、こうお願いしました」
「――三十になるまで……」
「そうです、今年はそれで、私は三十になったものですから」
 まあという叫びが嬢の口紅の濃い唇のあいだからもれた。驚きと歓びと、そうして一種の感嘆のこもった声である。彼女は大きくみひらいた眼でこちらを眺め、かなり長いことうち眺め、それから初めてすべてを了解したとみえ、にわかに眼を輝かし、ちょっと身を揉むようにして、大きく深く喘いだ。
「やっぱり、ああ、やっぱり貴方でした、わたくし貴方だけはお信じしていましたの、貴方だけはお信じできる、男という男は利己主義で我儘わがまま卑怯ひきょうだけれど、貴方お一人は、秋成さまだけはお信じできる、そう思っていましたのよ、うれしい、やっぱり貴方は又四郎さまでしたわねえ、わたくしもう……」
 彼女は身を揉み、両方の袂で小娘のように顔を包んだ。なまめかしく色めいた身振りである、そこへ、……廊下から一個の、まだごく小さい赤児がって来た。
「ぶぶぶ、ああう、ばあばあ」
 こういう意味不明瞭なことをいいながら、すこぶる特徴のある這いかたで這って来た。その道の人が見ればそれだけで将来を占うことができそうな、ごく特殊な這いかたである。そうしてちらと又四郎のほうを見て、なにか気にいらぬとでもいったふうな顔をし、
「だあ、ぷう、だあだあ」
 こう怒ったうえ、おかね嬢の膝へ這いあがった。もちろん嬢はこの間ずっと話し続け、袂で顔をおおったり、身をくねらせたり、また話したりしていたが、赤児が膝へ来ると、
「まあしようのない子ねえ」
 といいながら抱きあげ、はでな色合の美しい着物の衿へ手をかけ、巧みにぐいと押しひろげ、すばらしく豊満な乳房を出して、かば色をした大きな乳首を赤児に吸いつかせ、なおこちらへこびのあるながし眼を呉れて続けた。
「わたくしいつもそう思ってましたの、又四郎さまは信頼のできる方だわって、夢にも二度か三度みましたわ、本当よ、どんな夢かってことは恥ずかしくっていえませんけど、三度、いいえ五度ぐらいみましたわ、あっ痛い、そんなに強く吸っちゃだめよ、めっ、こっちのお手は出して、ええ本当ですわ」嬢はそこで艶然と笑った、「わたくし信じていましたの、男という男は信じられないけれど、貴方だけはお信じできる、きっと約束を守って下さるって、信じて下さるでしょ」
 又四郎は睡をのみ、眼をそらした。頭がちらくらして、さっきよりも舌が硬ばって、喉の中が痒くなった。……そこへまた一人、ようやく歩き始めたくらいの、ひどく肥えた男の幼児がはいって来た。
「ああたん、んめよう、んめよう」
 幼児はこういって嬢のほうへよちよちと近寄ってゆき、べたべたの手でその肩へつかみかかった。


 そのときの又四郎の心理を正確にあらわすことはむずかしい。自分でもずっと経って、よほど年月をけみしてから、それが一種の恐怖に類するものらしいということを、ごく朧ろげに推察できるくらいが精々のところだった。
 なにしろ闖入者ちんにゅうしゃはそれだけではなく、肥えた幼児の次には三つくらいの、痩せた、あか毛の女の児があらわれ、そのあとから四歳と五歳ばかりになる男の子が二人、互いに相手の頭髪のむしりあいをしながら来、さらに驚いたことには、二番めにあらわれたのと瓜二つ、ひどく肥えている男の児が、やはりよちよちした歩きぶりであらわれた。んめようという鼻声までそっくりで、又四郎は思わず同一人物かと疑ったくらいである。
 右の六人がおかね嬢をとり巻き、掴みかかり、躯をぶっつけ、お互いに殴ったり頭髪を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしったりひっ掻いたりし、泣き、喚き、鼻声をだし、どたばたと駆けっこをし、組打ちを始めて叫び、……いやもうたくさん、もういい、又四郎は口のなかで、(どうせその騒ぎでは聞えまいとは思ったが)ともかく熟考のうえでという意味のことを述べ、おかね嬢がひきとめるのを聞きながしてその座から脱出した。
 あとでわかったことであるが、嬢はあれから嫁に三度ゆき、三度とも不縁になって帰ったのだという。第一回に男の子を二人、二回めに女の子と男の双生児ふたご、三回めがあの乳を飲んだ赤児で、これは離縁してから百日ほどにしかならないということであった。
 ――六人の子持ち、三度離婚。
 又四郎としてはなんともいいようのない感じのものであった。白粉と口紅の濃い化粧、はでな色調の着付け、むっとするほどの強い香料の匂い。そっと髪を撫でたり身を揉んだり、両方の袂で顔を包んだり、小娘のように色めいたながし眼を呉れたりする姿態。
 ――お信じしていましたのよ、貴方だけはお信じして、お信じ、お信じ、お信じ……。
 又四郎の耳の奥のほうでは、ながいことその言葉が絶えず聞えていた。おしんじ、おしんじ、おしんじ……。それは晩夏の候に鳴く一種のせみのこえに似ていた。
「五正家へ早飛脚をやらなければならない」彼はこう自分にいった、「早くしないと危ない、これだけは早くしないと、あの人はそんなこともあるまいが、しかし出府してみてまた嫁にいっていたり、双生児を産んだりしているとすると、うう、それは自分としても、そこまでは付合えない、早速、とにかく求婚だけ、ひとつ早飛脚で……」
 あの親切な、心のこもった、痒くないところまで手の届く、みつ枝の温たかい世話ぶりを思いうかべながら、又四郎はまず、みつ枝とその父親とに求婚の手紙を書き、ついで、一世の勇気をふるっておかね嬢に謝絶の手紙を書いた。もういちど面会し、口頭で断わるほどの胆力は、とうてい彼にはなかったからである。
「――御側用人に仰せつけられ候」
 こういう辞令が正式に発表された日、又四郎は帰国して初めて太虚寺へいった。
 雪海和尚の墓はすぐにわかった。代々の住職の墓の並んでいる、若葉の樹々に囲まれた一画で、卵塔らんとう型の大きな墓石はまだ新しかった。……又四郎はその前へいって立ち、おじぎをして、ちょっと笑っていった。
「しばらくでしたねえ、和尚さん、いかがですか、墓の下のぐあいはどんなものですか」彼はそっと片方の手を振った、「今だからいいますがね、私は実は、ひところは和尚さんをおせっかい坊主だと思いましたよ、正直にいいますがねえ、……ところがあれから五年、帰って来てみてですねえ、いろいろ現実面に接してみて、驚きましたよ、まったくのところ驚いたんです」
 又四郎は桶屋町の裏長屋を思い、足軽におとされた伝内を思い、胃がやぶけて死んだという丙午を思った。豪傑笑いをして夜半に逃亡した苅賀由平二、庭へ土下座をした運蔵。これらの人々の、身の上の転変と盛衰、……しかもすべては五年間のことである。このあいだ又四郎は「参」つなぎの百足ひゃくあしちがいで、人にばかにされながら悠々とやって来た。そしてかれらが或いは生活にやぶれ、堕落し、或いは死し、出奔して、すでに人生をなかば遣いはたしているとき、逆に又四郎は側用人にあげられ、結婚しようとしている。彼の人生は、実にこれから始まろうとしているのである。
 ――せくこたあねえ、せくこたあ。
 又四郎には雪海和尚の声が聞えるようであった。肱枕をして、ごろっと寝て、酒臭いげっぷをしながらのんびりと和尚はいったものだ。
 ――じたばたしたとって、春が来ねえば、へえ花は咲かねえちゅうこんだ、おちついてやるだよ。
 そうだ、なんにもせかせかすることはなかった。ゆっくりと腰を据えて、するだけの事をこつこつとやっていれば、それだけのものはいつか必ず身にめぐって来るのだ。
「世間の人たちはせかせかし過ぎる、眼のさきの事でじたばたし過ぎるんですねえ、和尚さん、それでかえって肝心のものを掴みそこねるらしい、……今になって和尚さんのいったことがわかったような気がします、仮にもしあのとき私が、あの松家おかね嬢を……うう、その」
 又四郎の眼にはふと松家邸の客間の、あのにぎわしい光景が思いうかんだ。彼はぞっとして、それから片方の手を振っていった。
「いやとんでもない、とんでもない、私はやっぱり、この点でも、参つなぎに待って、うう、いいことをしたと思いますよ」





底本:「山本周五郎全集第二十三巻 雨あがる・竹柏記」新潮社
   1983(昭和58)年11月25日発行
初出:「キング」大日本雄辯會講談社
   1950(昭和25)年8月
※「「参」つなぎ」と「参つなぎ」の混在は、底本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2020年8月28日作成
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