蕗問答

山本周五郎





 寒森新九郎さむもりしんくろうは秋田藩士である。
 食禄は八百石あまりだが佐竹では由緒のある家柄で、代々年寄役として重きをなしていた。年寄役とは顧問官のようなもので、閑職ではあるが重臣だけが選ばれる顕要な地位である。彼は二十五歳で父亡き跡を襲い、以来五年のあいだ主として筆頭の席を占めてきた。
 役目の性質として常に藩政の鑑査に当るのは勿論もちろんだし、時には主君の命令をも否決する立場に立たなければならぬ事がある。大概に云っても憎まれ役なのだが、新九郎は筆頭としてその矢表に立ちながら、極めて明敏にその役目を処理してきた。
 こう云うと如何いかにも円満な、そして才気縦横の人物に思えるが、実はそうでなく、強情で圭角が多く、おまけに健忘家だというのだから不思議である。それでいてその要職を立派に勤め得たのは、単なる明敏な才腕があったというのではなくて、恐らくそういう性格の欠点までが役立つところの、特異な人徳を持っていたに違いあるまい。
 健忘家と云っても彼の物忘れをすることはずばぬけたもので、――忘れ寒森。
 と云われるほど有名なものであった。
 安永六年五月はじめの一日あるひ
 当時江戸に在った佐竹義敦さたけよしあつから、早馬の使者が秋田へ到着した。……江戸表からの早馬はやとあって老職がすぐに対面すると、
 ――秋田蕗の最も大きなものを十本、葉付きのまま至急に取集めて送れ。
 という墨付の上意であった。
 早馬を立てての急使にしては余りに意外な用向なので、使者にその理由をたずねると次のような事実が分った。
 江戸城へは諸国の大名が集るので、よくお国自慢が披露される、なにしろ交通不便な時代ではあるし、北は蝦夷えぞの福山から南は九州薩摩さつまにわたる広汎な顔触れなので、いちどお国自慢が始まるとずいぶん珍しい話が多い。……義敦はそういう席で国産くにさんの蕗の話を持出した。
 周知の如く秋田の蕗はその最も大きなものになると茎の太さ二尺周り、全長一丈を越えるというほどである。これはいきなり話されても信じられないのが当然で、
 ――秋田侯が程もあろうに。
 と一座の諸侯にてんから笑殺されてしまった。
 義敦としては嘘を云った訳ではないので、非常な侮辱を感じながら下城すると、すぐに国許くにもとへ使者を差立てたのである。……つまり実物を見せて嘲笑ちょうしょうした人々に謝らせようという訳だ。
 仔細しさいを聞いた老職たちは、主君の恥辱をそそぐ大切な事柄なので、すぐに八方へ人をり、特に大きなのを集めたうえ更にその中からすぐって十本、江戸まで充分に生気を保つように荷造りをして送り出したのである。
 新九郎はその時能代のしろ地方を巡視していて留守であったが、帰ってきてその事情を聞くと、
「それはしからぬ」
 と眼をいた。
 彼は額の広いあごの張った、鼻も口も大きく、それぞれがおしなべてゆったりとあぐらをかいているという顔だちであったが、その眼は殊に偉大なるもので、怒ったときなどは実に吃驚びっくりするくらいのものであった。
「それは怪しからぬ」
 と彼は声を励して云った、「つまらぬ自慢話のために、早馬の使者を立ててわざわざ蕗を取寄せるなどは、特に御窮迫の折柄なんとも軽々しい御所業、さようなことでは御政治向の改革も徹底はいたすまい、御意見を申上げなければならぬ」
 そう云ってただちに秋田を出立した。
 江戸まで諫言かんげんに行こうというのである、……もっともそんな事はそのときが初めてではなく、その前にも何回となく例があった、なにしろ思い立った時に実行しないと忘れる心配もあるのだから無理もあるまい。彼は能代から帰った旅装のまま、二名の供をれて江戸へ向った。
 ところが、途中まで来て大変なことになった、なにが大変かと云うと、江戸へ行く目的である諫言の仔細を忘れてしまったのである。いや冗談ではない。
 ――これはいかんぞ。
 と気付いた時には、もう頭の中は綺麗きれいさっぱりになっていたのだ。
 それには二つの理由がある、一つは問題がつまらぬ「蕗」などであった事と、もう一つは藩政改革化を巡視してきた直後で、彼の頭はそっちの事でいっぱいだったのだ。
 当時、秋田藩の財政は極度に逼迫ひっぱくして、藩主の江戸参覲さんきんにもその費用の捻出ねんしゅつに窮するくらい、その他の事は一々記するいとまもないほどであった。だからこそ、蕗の使者などを差立てる主君に諫言すべしと思立ったのであるが、……新田開発のため巡視してきた能代地方の件があるので、つい肝心の目的を忘れてしまったのである。
 しかし途中まで来て今更引返す訳にはいかない、……殿にお目通りすれば思出すだろうと、心細いことを頼みにともかくも江戸へ向った。


 ――新九郎出府。
 と聞いて義敦は苦い顔をした。
 許しも乞わずに押掛け出府したのは、これまでの例としては必ずなにか小言を云いにきたものに相違ない、そう思うとすぐ蕗のことに気付いた。
 それより数日前、義敦は秋田から取寄せた例の蕗を調理して、城中で嘲笑した十余人の諸侯を招待し、みごとに鬱憤を晴らしたのである。……だから新九郎出府と聞くなり、
 ――これは蕗の小言だぞ。
 と気付いたのである。……そこで義敦はわざと書院では会わず、数寄屋すきやで侍女の浪江なみえに茶をたてさせながら、新九郎を呼んだ。
 浪江は「おこぜ」という綽名あだなのある醜女しこめで、年は二十六歳、色の黒い肩の怒った、肉太の大きな女である。抜けあがった額と、眉尻の下った、下唇のしゃくれた恰好が、醜いながら如何にも愛嬌あいきょうがあるので「おこぜの浪江どの」と呼ばれながら一種の人気を持っている。事実また彼女がいると、その席がいつか和やかになるのは不思議なくらいであった。
 義敦はその効果を狙ったのである。
 新九郎は数寄屋の縁下へ伺候して挨拶を述べた。……義敦は茶碗を手にしたまま、
「許す、近う参れ」
 と声をかけた。
 縁の端へ上ったが、新九郎はじっと主君の顔を見上げたまま黙っている。……殿に目通りしたら思出すだろうと、それを頼みにしてきたのだ。
「急の出府はなにごとだ」
 義敦は不審に思って促した。
「は……まことに、御健勝にわたられ、……なんとも祝着に存じ……夏気がひどくありまして、……なんとも」
「それで、用向はなんだ」
 そう云いながら見ると、新九郎の額には大粒の汗がふき出して、たらたらと領首えりくびの方へ流れている。
 ――あ、新九郎め、小言の種を忘れたな。
 義敦はそう気付いて思わずにやりとした。こうなると勝負はこっちのものである。
「どうした、用向を申さぬか」
 とたたみかけて促す、「よもや秋田から健勝を祝いにきた訳でもあるまい、筆頭年寄とあれば重職、些細ささいなことで留守城を明けてよいものではない、なにか喫急の用があってのことであろう、どうだ新九郎」
「は、御意の如く、真に、勿論……新九郎といたしましても、遙々はるばる国許より、その」
「用があれば手短かに申せ、聞こう」
「ただ今、……ただ今、申上げます」
 新九郎は言句に詰った。どうしても思出せないのである、義敦は隙も与えず、
「なにを考えておる、押掛け出府は筋でないぞ、急用あらば格別、さもなくして軽々しく国許を明けるとは不埓ふらちであろう、新九郎どうだ」
「恐入り奉る、実は、実は……」
 と必死に見上げたとき、新九郎の眼がふと侍女の浪江に行当った。その瞬間、実に苦しまぎれの逃げ道を彼はみつけたのである、
「真に、我儘わがままなことを申上げまするが、実はこのたび、新九郎め、一生の妻とすべき者をみつけましたので、そのため、ぜひともお上のお許しをお願いつかまつるべく、……かようにお目通りを」
「ほう嫁をめとりたいというのか、してその相手は何者だ」
「は、お上のお側におりまする者で」
「余の側におるとは」
「その、……浪江どのでございます」
 義敦はもう少しで失笑するところだった。……しかしそんなけはいはすこしも見せず、
「そうか、浪江が欲しいか、さすがに新九郎は凡眼でないな、年寄役筆頭、老職の身分でおこぜを家の妻にとはよくぞ申した。よし、……余がなかだちをしてとらせる、ただちに国許へ伴れ帰るがよい」
「ああいや」
 新九郎は驚いて「仰せ有難くは存じまするが、ただ今のところはお許しを願うだけで、いずれ国許へは改めて……」
「そうではない、縁組は急ぐにかずと申す、寸善尺魔ということもあるからな、すぐこの場で仮盃かりさかずきをしたうえ国許へ伴れ帰るがよいぞ、余が申付ける」


 まるで話が逆になってしまった。
 諫言をするつもりで出掛けたのが、反対に嫁を貰って帰る結果になったのである。……むろん新九郎にしても、本当に「おこぜ」を娶るつもりはなかったし、義敦がそれを承知で、意地の悪い悪戯いたずらをしたのだということも見当がついている。それにしても、とにかく評判の「おこぜ」を一緒に伴れて帰ることになったのは相当な派手事に違いなかった。
 新九郎は正に閉口した。
 こうしたいくたてを当の浪江が知らぬ筈はない、だからそっちのことについては少しも心配していなかったのであるが、秋田の家へ帰ると同時にそれも怪しいことになった。
 浪江は新九郎の気持などは少しも考える様子がなく、本当に寒森家の主婦になったつもりでもあるかのように、てきぱきと家政の切盛を始めたのである。……醜女ではあるが彼女は健康な体と怜悧れいりな頭を持っていた。なにしろ当時の制度として百石につき三人の家来を養わなければならぬから、おきて通りではないにしても寒森では二十人に近い家士を抱えている、しかも藩政逼迫で食禄も八百石きちんと払われることはなく、献納金、あるいは借上げなどの名目でほとんど半分くらいは手に入らない、だから家政はひどく苦しいのが当然であった。
 浪江はまずこの窮乏している家政の打開を始めた。
 その第一は寒森家に属する荒地二十町歩の開墾である。むろん他人の手は借りない、二十人の家士を督励し、自分もくわを執って真先に仕事に掛った。
 新九郎はまるでそんなことは知らなかった。するとある日のこと、三名の家士がやってきて、
「我々一同にお暇を頂きたい」
 と申出た。
やぶから棒に暇をくれとはなんだ」
「我々はいざ鎌倉という場合、君の御馬前に討死する覚悟で扶持ふちを頂いております、武士として百姓仕事をいたす訳には参りませぬ」
「分らんことを云う」
 新九郎は事情を知らないから、
「百姓仕事とはなんのことを云うのだ」
「それを御存じではございませんか」
「知らん、いったいどうしたのだ」
「では御案内をいたしますから、御覧ください」
 そう云って三名は開墾地へ案内した。
 新九郎はそこで初めて浪江がなにをしているか発見した。……自分が藩のために新田開発を計っている、それと同じことを、浪江は家のためにやっているのだ、
「うん、そうか、気がつかなかった」
 彼は微笑しながらうなずいて、「灯台下暗しというやつだな、これが耕地になったら立派なものだ、今日まで気付かなかったのは迂濶うかつだったよ」
 そして三名の方へ振返った。
「よろしい、暇をくれと申すなら暇をやる。戦場のほかには遊んでいるのが当然だという武道は、当方にも無用だ、ただちにいずこへなり立退たちのくがよい」
 云い残してさっさと帰ってしまった。
 三人は立退きはしなかった。……三人が立退かなかったばかりでなく、それからの皆は本気で開墾に精を出しはじめたのであった。
 新九郎はそれからしばらくのあいだ、能代地方の新田開発の事で秋田を留守にし、秋の初めになって帰ってきた。……すると屋敷内に新しい小屋が二つできていて、夜の更けるまでしきりに人々がなにかやっている様子である。
 ――また浪江がなにか始めたな。
 そう思って知らぬ顔をしていたが、ある夜のこと、そっと小屋をのぞいてみると、蕗が山のように積んである中で、大釜おおがまにどんどん火をき浪江がせっせと蕗を小さく切る側から、家士たちがであげたのを大きな箱に詰めている。
 ――蕗なんぞどうするのか。
 不審に思った新九郎は、やがて小屋の中へ入っていった。
「たいそう急がしいようだな」
「まあ……旦那さま」
「いやそのまま続けていい。……だがなにをこしらえているんだ」
「蕗漬と申す物でございます」
 浪江ははずかしそうに微笑しながら答えた。
「こういう大きな蕗は江戸や上方では珍しゅうございますから、このように輪切りにいたしまして、砂糖漬けにしたうえ、まず江戸表へ送って売らせてみようと存じます」
「すると菓子代りだな」
「秋田名物という風にしますと、都の人々は珍しい物を好みますから、きっと評判になることでございましょう」
「それはいい思着おもいつきだ、当地では捨てるほどあり余っているのだから、もし売れたらいい物産になるだろう、……よく考えたな」
「この夏のはじめに、お上がお国許から大蕗をお取寄せになりましたでしょう、あれを見て諸侯さま方がたいそう珍重あそばすのを拝見いたしたとき、ふと思着いたのでございます」
「この夏、……殿が、大蕗を……」
 新九郎は思出した。
 あのとき諫言に出掛けて途中で忘れたことを、……いまの浪江の言葉で、はっと思出したのである。


「そうだ、それだ、それだ」
 そうつぶやくと、もう蕗漬のことなどはそのまま、急いで自分の居間へ取って返した。
 今度こそ忘れてもいいように、料紙とすずりを取出して大きく「蕗のこと」と書く、それから書棚を捜して「平八郎聞書」と題した手写本を持ってくると、その中からなにやら抜書きしてしっかりと封にした。
 老職へは使を出しておいて、明くる早朝江戸へ向けて出発した。
 途中ずっと、宿へ着く毎に例の書付をひろげては暗誦あんしょうしながら、急ぎに急いで、江戸邸へと入ったのは十月二日夕刻であった。
 ――新九郎出府。
 という知らせに、義敦は首をかしげた。
 今度も押掛けの出府である、しかしまえの時とは違って意見されるような覚えもないので、なにごとであろうかとすぐ書院で引見した。
「遠路大儀」
 新九郎の挨拶が済むのを待兼ねて、
「急の出府、なにごとであるか」と促した。……新九郎は来る途中すっかり暗記してきたので、今度は充分に余裕を持っている。
「恐れながら、御諫言に参上仕りました」
「余に諫言、……なんだ」
「お気付き遊ばしませぬか」
「……申してみい」
「恐れながら去る五月、殿には御城中にて諸侯方の御座談に、秋田蕗の御自慢を遊ばし、御一座様のお信じなきところから、早馬にて国許より大蕗をお取寄せのうえ、諸侯方に改めて御謝罪をなさせられましたこと、……よもお忘れではございますまい」
「…………」
「御城中にて御恥辱を受けさせられましたことは、新九郎実に恐入り奉りまするが、これは殿の御失慮にござりまするぞ。……本多平八郎殿の聞書に、東照神君の仰せがござります、『座談の折などには真らしき嘘は申すもよし、嘘らしく聞ゆる真は申すべからず』と。実に味わい深きお言葉にござります。なにも御存じなき方々に、いきなり秋田の大蕗を話せばとて嘘と思われるは必定、これは殿の御思慮の足らぬところでござります。……なおそのうえに、御家の御勝手向き御不如意の折柄、早馬を以てわざわざ国表より蕗を取寄せ、諸侯方をはずかしめてお心遣こころやりを遊ばすなどとは、太守の御身分としてまことに軽々しきお振舞い、……かようなことでは御家風にも障るでござりましょう、以後はきっとお慎み遊ばすよう平にお願い申上げまする」
「分った、……余の思慮が足らぬであった」
 義敦は素直に手をひざへ置いた。
「以後は必ず慎むであろうぞ」
「はっ、それ承わって新九郎め安堵あんどを仕りました、過言の儀は平に」
「いや、よいよい、……真らしき嘘は申せ、嘘らしき真を申すな、味わい深きお言葉だな。以後は必ず心しようぞ」
「恐入り奉りまする、これにて私も」
「まあ待て」
 義敦は微笑しながら云った。
「新九郎、その方……五月に出府したとき、その小言を申すつもりで参ったのであろうが」
「なんと、仰せられます」
「忘れ寒森、まんまと小言を忘れたうえ、苦しまぎれにおこぜを伴れ帰ったのであろうが、いや隠すな、あのとき浪江を嫁にと申すその方の顔を見て、余は笑うのを我慢しようとどんなに骨を折ったか知れぬぞ、ははははは」
「も、以てのほかの仰せ」
 あかくなる新九郎を見て、義敦はますます可笑おかしくなり、しばらくは声を放って笑った。「よいよい、これで余も笑いのつかえが下りた、それでおこぜの事だが」
 と義敦は笑いをおさめながら、「その方が苦しまぎれに伴れ帰ったのは存じておる、余の悪戯であったからいつでも返してよこすがいい、引取って遣わすぞ」
「失礼ながら」と新九郎はにやっと笑って云った。
「浪江は私が家の妻に頂戴仕りましたので、殿のおなかだちにて既に仮盃もいたしております、お側へお返し申すなどとは以てのほか、これは平にお断り申上げます」
「なに、では本当におこぜを娶ったと申すか」
姿容すがたかたちこそ醜けれ、浪江は御家中に二人となき名婦にございます」
「負惜みではあるまいの、新九郎」
「恐れながら」
 今度はこっちの番だというように、新九郎はにこにこ笑いながら胸を張って云った。
「新九郎がこうと見込んだ者に、かつて誤りはござりませぬ、なにしろ凡眼ではござりませんでな」
 おおきな眼をぎろりといて、寒森新九郎一代の得意な場面であった。





底本:「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」新潮社
   1983(昭和58)年6月25日発行
初出:「冨士」大日本雄辯會講談社
   1940(昭和15)年7月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2022年8月27日作成
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