宮部小弥太は臆病者であった。
二十八にもなって、いまだに暗闇を独りで歩くのが怖かったり、夜半の
上厠に
怯えたり、他人の
喧嘩を見るだけで震えたりするようでは、農夫町人としても臆病者の
譏りはまぬかれないだろう。小弥太は小身ながら武士であった、然も寛永正保という、武家気質の最も旺盛な時代のことだから実に眼立った。……彼は物心のつく時分から、どうかしてもっと剛毅不屈な人間に成ろうとして、色々と苦心してみたのである。しまいには神社、仏堂に
参籠までした。滝に打たれてもみたのである、けれど持って生れた性質はどうにもならなかったので、遂には自分でも
諦めてしまった。
彼は三河国岡崎藩、水野監物忠善の家臣で、先手組五十石あまりの小身者だった。然しその「小身者」だということが、彼にはどんなに有難かったか知れなかった。仮に三百石か精々五百石どころの家に生れたとしたらどうだろう、彼にはそう考えるだけで身震いが出た。そして自分の軽い身分と、眼立たない境遇とを振返ってみて、心から安息を感ずるのであった。
正保四年二月、小弥太は同家中の番頭格を勤める橋本作左衛門の娘お八重と祝言を挙げた。きわめてあたりまえな、平凡な結婚であった。お八重は二十歳で、容姿も才も
良人に似合いの
温和しい内気な娘だったが、ただ
毎もその顔つきに「覚悟はできております」とでも云いたげな表情が据わっていた。静かな、慎ましやかな生活が続いた。口数は
寡ないが細かいところまで気のゆき届いた温かい妻の愛情は小弥太の一日一日を新しい充実した悦びに満たして
呉れた。――己にもこんな仕合せが恵まれたのか、本当にこの仕合せは己の
ものだろうか。時にはそう思って不安を感ずるほど、小弥太の生活は幸福なものであった。……こうして五十日ほど経った、四月はじめの或る日、お城から下って来た良人の顔が、常になく
蒼白いのに気付いたお八重は、着替えを手伝いながらそっと
訊いた。
「どうかあそばしましたか」
「……どうして」小弥太は
吃驚したように振返った、「どうかしたように見えるか」
「たいそうお顔色が悪うございますから」
「そうか、蒼いか」小弥太は
溜息をついた、それから落着かぬ様子で坐りながら、「実は大変な事が出来た」と低い声で云った、「おまえは知らぬかも知れぬ、去年五百石で新規お召抱えになった、河原勘兵衛という人がいる、……今日お城でその人と間違いを仕出来してしまった」
「どういう事でございます」
「拙者の
迂濶だった、二の曲輪ですれ違うとき、河原どのについして突き当ってしまったのだ」
事実はそうでなかった。……勘兵衛は去年、江戸表で召抱えられた新参者で、力量武芸ともに抜群の男だったが、少しばかり慢心しているとみえ、岡崎へ来てからも、その傍若無人な振舞いで、家中の人々から嫌われていた。それがいつか小弥太の評判を聴いたのであろう。彼を見る度になにかかにか
嘲弄する。此方は諦めきっているので、毎もそ知らぬ顔で受け流していたが、その日は初めから企んでいたとみえ、油断を
覘っていきなり向うから突き当ったうえ、退っ引きさせず喧嘩にしてしまったのである。
「拙者はすぐに謝った」と小弥太はなにか呑み込みでもするような調子で続けた、「然し向うの手の方が早かった、相手が悪い、拙者はそれでも我慢していた、ところが河原どのは勘弁しないのだ、色々と雑言を吐いて辱しめるのだ、そして松応寺ヶ原へ来て果し合をしろと云うのだ、……拙者はよくよく考えてみた、けれども」
「御承知をなさいましたのですね」
「他にしようがなかった、どう考えても、ゆかぬことには、武士が立たぬように思えた、それで約束して来た」
「お約束の刻限は何どきでございますか」
「午前七時ということになっている」
妻がどんなに
愕くだろう、どんなに悲しむだろう、それを怖れていた小弥太は、お八重が毎もの通り落着いているのを見て、
ほっとするより先に、なんだか申し訳のないような気持にさえなった。
「よく分りました」お八重は澄んだ眼で良人を見上げながら云った、「後の事はわたくしが過ちのないように致します、どうぞ今宵は、ゆっくりお
躯をおやすめあそばして、明日は御存分にお働き下さいませ」
夕食には酒がついた。日頃たしなまないのと、少し量を過したのとで、小弥太は自分でも意外なほど熟睡した。……それはお八重の心遣いであった。彼女は良人が眠ってから、夜半の井戸端で一
刻あまりも
水垢離をとったのである。むろん小弥太はどっちにも気付かなかった。そして、そんな場合にもかかわらず、ぐっすり熟睡できたことが、なんだか幸運の前兆ででもあるように思われ、元気に起きて水を浴びに出た。
約束の刻限きっかりに、小弥太は松応寺ヶ原へ行った。……それと殆んど同じくらいに、河原勘兵衛もやって来た。勘兵衛は三十七八になる、骨太のいかつい躯つきで、
肉瘤の盛り上った肩と眼の上へ
蔽いかぶさるような濃い眉と、そして厚い大きなへの字なりの唇とが、ひどく圧倒的である。
「ほう、来たか臆病者」彼は特徴のあるがらがら声で、
大股に近寄りながら喚きたてた、「よう来まいと思ったが、さすがに武士の端くれだな、あっぱれな奴だ、それだけでも褒めてやるぞ」
「直ぐに始めますか」
小弥太は胴震いのでるのを懸命に堪えながら云った、勘兵衛は白い歯を出した。
「むろん直ぐやるさ、なにも待つことはあるまいが」
「それでは、支度を致します」
「ああ宜しい支度をしろ、待っていてやるから充分に支度をするが宜い」そう云うと、
如何にも相手を無視した態度で、空など見上げながら
呟いた、「よく晴れたな、うん、実によく晴れた、うっとりするような日和だぞ」
全くよく晴れた朝だった。南のかたには城下街の屋根の波と、岡崎城の
櫓や、高い天守閣が鮮やかに浮いて見える。……その草原は、松応寺の森から北へ、なだらかな丘や、
窪地を越えて、遠く一方は神明の山、一方は観音寺の丘まで、
遮る物もなく広々とうちひらけている。ちょうど若草の伸びる時分で、見渡すかぎり生茂った雑草が、朝の陽ざしに温められて生々とあまく匂っていた。
「お待たせ致しました、いざ……」
ようやく支度を終った小弥太は、丁寧に会釈をして、七八尺さがりながら大剣を抜いた。勘兵衛はぎろっと鋭く
睨みつけた。
「やるか、……覚悟はいいな」
小弥太は答えずに中段に構えた。勘兵衛は馬鹿にしたような鼻笑いをすると、大剣を抜いてそのまま大上段に取った。
此処までは極くありきたりな順序だった。ただ勘兵衛が、本当に相手を斬る気でいるかどうか疑問なだけであった。ところが、それからなんとも奇妙な事が始った。
「いいか、ゆくぞ!」
勘兵衛がそう叫んで一歩出たとき、小弥太の躯がひょいと後へ二間ほど退った。刀はちゃんと中段につけている。……勘兵衛は再び一歩出た。すると小弥太は同じように二間ほど跳び退った。然し、依然として中段の剣は動かない。
「なんでそう退るんだ」勘兵衛が
苛立たしそうに叫んだ、「思い切って掛れ、斬って来るんだ、そう後へ行くばかりじゃ勝負は出来ん、斬って来い」
「こちは、これでいいのです、……さあ来い」
小弥太は中段の剣をゆらゆらと上下に動かした。本人は必死なのだが、まるでおひゃらかしているように見える。「うぬ、動くな!」叫びながら勘兵衛がとび込んだ、よっぽど
癇癪が起ったというようである。
小弥太はぱっと逃げた。追う者と追われる者と、二十尺ほどの間隔が、弦を張ったように、縮みも伸びもせず、草を
蹴立て丘を越えて、原の中央どころまで疾走して行った。……勘兵衛が立止ると、小弥太も止った。勘兵衛の厚い胸板が、荒い呼吸のために波を打った。小弥太はまた剣を中段に構え、ゆらゆらと上下に動かしながら云った。
「さあ来い、どこからでも来い」
勘兵衛は苦しそうに息をつき、とび出しそうな眼で相手を睨みつけていたが、
「貴様、貴様も武士だろう」と
喘ぎながら喚いた、「武士なら尋常に勝負しろ、逃げるなどとは
卑怯だぞ、いいか、こんどこそ逃げると承知しないぞ」
「心得た、いざ来い」
勘兵衛はずいと出た。小弥太はすかさず同じほど退った、勘兵衛は真赤になった。
「やい卑怯者、臆病者、なぜ斬って来んのだ、どうして逃げるんだ、来い」
「逃げるのではない、拙者の気合を計っているのだ、其方こそ斬って来い」
「宜し、行くから、……動くなよ」
勘兵衛は呼吸を計って、「動くなよ」と云いざま、飛鳥のように斬り込んだ。
斬り込んだ呼吸もすばらしかったが、逃げだす小弥太も
迅かった。
韋駄天のように五六十間、半円を描いて走った。疾いのなんの、それから逆に廻り、松応寺の森の際まで行ったと思うと、原の東側に沿って観音寺の丘の方へ戻った。……勘兵衛は逆上して夢中だった。大きな躯を丸くして、めった無性に駆けた。なんども追い付きそうになった。殆んど手が届きそうになったこともある、それで彼は焦った、焦ったあげく分別を忘れ、夢中で相手の背中へ大剣を叩きつけた。……ところがそれは無理だった、その動作は疾走している躯の重心を破り、彼は誰かに突き飛ばされでもしたようにのめった、みごと
つんのめった。……そしてもう起き上る力もなく、仰反けざまに伸びたままはあっ、はあっと今にも絶入りそうに喘いでいた。
「さあ来い、起きて来い」小弥太は中段の剣を、ゆらゆらと上下に動かしながら、元気な声で叫んだ、「拙者は卑怯な真似はしない、こうして待っていてあげる、起きて来い、さあ……起きておいでなさい」
然し勘兵衛には聞えなかった。「はあっ、はあっ」という喘ぎと共に、彼の厚い胸板は、今にも破裂しそうな勢いで荒々しく波を打っていた。
草原の一隅に馬上の武士が三人、さっきから馬を停めて、この様子を笑いながら見ていた。……いちばん前にいる
逞しい相貌の一人は、岡崎五万石の領主、水野監物忠善で、近習の者二名と共に遠乗りに出た帰途、はからずもこの類のない果し合をみつけたのであった。
「倒れているのは勘兵衛であろう」忠善はまだ笑いながら云った、「だが、あの立っているのは何者だ」
「はっ、宮部小弥太でございます」
「宮部小弥太、……あの評判の臆病者か」忠善も小弥太の
噂は耳にしていたのである、然し当人を見るのはそれが初めてだった、「そうか、あれが……臆病者の小弥太か」なかば呟くように云ったが、とつぜんなにか思いついたという風に振返った。
「吉之丞、そのほう行って小弥太をこれへ呼んでまいれ」
「かしこまりました」近習の一人が直ぐに馬を駆って行った。
忠善は乗馬を供の手に預け、なだらかな丘の斜面の方へ下りていった。待つほどもなく、吉之丞に
伴れられて小弥太がやって来た。彼は主君の姿を見るなり、身を震わせながら草の上に平伏した。
忠善は二名の近習を遠ざけた。
「小弥太と申すか」
「……はっ」彼はわなわなと震えた。
「許す、近うまいれ、近う」小弥太は僅かに
膝をにじらせたばかりである、忠善は自分の方から近寄って行った、「いま勘兵衛と果し合をしていた様子だが、どんな
仔細で致したか申してみい、許す、誰もおらぬから即答でよいぞ」
「はっ、おそれいり奉りまする」
小弥太はひどく震える声で、まるで蚕が糸を吐くような調子で始終を語った。たどたどしいが要領は得ている、忠善は彼の面を
見戍りながら黙って聴いていたが、果し合の条になると思わず笑いだし、
「もう宜い、あとは見ていた」と手を振って云った、「……それで果し合の仔細は分った、こんどは予から申すことがある、よいか、明朝五時、商人の手代の姿に身を変えて、
矢矧橋の
袂までまいれ、分るか」
「恐れながら、その、商人の手代と申しますると、詰りわたくしめが、その」
「
如何にも其方が姿を変えるのだ」忠善は声を低くして云った、「極秘だから他言はならぬぞ、明日余は尾張領へまいる、身を忍ばせて名古屋のお城を探索するのだ、其方にその供を申付ける、分ったか」
「はっ、……はっ、……」
小弥太は息苦しそうに
喉をこくこくと鳴らし、なにか云いそうにしたが、そのままそこへ平伏した。忠善は重ねて他言を禁じ、馬を呼んで城へ帰った。
水野忠善は監物忠元の子で、慶長十七年江戸に生れ、九歳で父の遺領を継いだ。そのときは
下総国山川で三万五千石だったが、のち
駿河国田中で四万五千石、続いて三河国吉田に移り、更に現在の岡崎城へ五万石で封ぜられたのである。……ところで、彼が岡崎に封ぜられたのには意味があった。それは当時江戸幕府はすでに三代家光の世であったが、社会的にはまだまだ草創時代の不安定さが残っていた、それで幕府は外様諸雄の
取潰しを強行しつつ、有ゆる方法で徳川宗家の権威確立に努めていた。そのためには尾張家、紀伊家という存在すら、全く安全には視ていなかったのである。……こうした情勢から一朝西国に事の起った場合、岡崎は江戸幕府の最前線たる役割を持っていたし、殊に尾張家に対する「押え」として、その隠れたる使命には重要な意味があったのである。
忠善は岡崎へ封ぜられて以来、いちど尾張城下の実際を自ら探ってみたいということを考えていた。……彼は小野次郎右衛門から一刀流の極意を授けられていたし、儒、禅の学にも
精しく、また小幡勘兵衛に就いて兵学を究め、その兵書に「水野抄」という一巻を加えたほどの人物だったから、名古屋城の探索には、自分の他に人はないと信じていたのである。然し、五万石の城主が自ら他領へ潜入し、その本城を偵察しようということは
容易い業ではない、色々と機会をうかがっているあいだに二年経ってしまった。すると今日、計らずも松応寺ヶ原を通りかかって、小弥太の珍しい仕合振りを見ているうちに、ふいと心が決ったのである。
――そうだ、明日でかけてゆこう。
どうして急に心が決ったのか、小弥太の仕合振りがどんな暗示を与えたのか、それは分らないが、二年のあいだ頭にくすぶっていた考えが、にわかに活き活きと動きだしたのである。
その夜、忠善は病気を触れだした。宵のうちに呼ばれた侍医は朝まで奥殿から退らなかった。そして翌朝には家老拝郷源左衛門が政務を代行する旨を発表した。むろん、それは表向きのことで、実際はその朝早く、忠善はひそかに城を脱けだし、麻商人に姿を変えて尾張へ出発していた。供は岡野伊右衛門と宮部小弥太の二人であった。……彼等はその日、
池鯉鮒で泊った。まだ
午にもならなかったが、境川を越すと尾張領なので、
手蔓を作る必要があったのである。然し幸いにもそれは直ぐに出来た。尾張の宮の糸問屋、島屋嘉助へうまく便がついたのである。その翌々日、池鯉鮒を立った三人は、宮へ着いて
其処で二日泊り、島屋嘉助から更に名古屋城下の西条屋仁兵衛という問屋へ便をつけて貰って、
愈々目的地に乗込んで行った。この五日のあいだ、忠善はそれとなく、小弥太の
挙措に眼をつけていた。こんどの供には一言も指図がましい注意は与えてない。臆病者の彼がどのようにして役目を守るか、果して最後まで勤めることができるかどうか、それが一つの興味だったのである。……小弥太は初めからひどく落着かなかった、時どきどこかへ見えなくなった、池鯉鮒に泊った二日めの朝、ふいと姿を消したときは、これは逃げたな、とさえ思った。然し半刻ほどすると戻って来た。それから宮へ行く途中、鳴海で弁当をつかったときにも同じようにいなくなった。――こんどこそ戻っては来ないだろう。そう思ったが、矢張り半刻あまりしてひょいと
何処からか帰って来た。
名古屋城下へ入った忠善は、駿河町の「淀屋」という宿へ
草鞋を脱いだ。そして直ぐに城下の様子を見廻り始めた。ところが、そこまで来ても小弥太は
そわそわと落着かなかった。昼のうちは忠善の側を離れないが、夜になると、宿を脱けだして何処かへゆく、直ぐ戻って来るときもあれば、ずっと更けて、忠善が寝てしまってからそっと戻ることもあった。
「どうも宮部の様子がおかしゅうございます」或る時伊右衛門がそう云った、「それとなく眼をつけて居りますが、どうやら臆病風に誘われているように思われます、或いは逃げだすのではございますまいか」
「そんなことかも知れぬ、然しまあ黙って見ているがよい」
忠善は気にも掛けぬそ振りだった。
尾張大納言義直は、その頃しきりに武者追いを催していた。家中の将士を挙げて
甲冑をさせ、野戦の演習をするのである。城東の大馬場で行うこともあり、城外遠く守山のあたりまで押出すときもあった。……忠善はその軍配をも仔細に視た。それから城郭の探査にかかった。……名古屋城はいうまでもなく、加藤清正が総大将となり、外様大名二十余名の協力に依って築かれた不落の名城で、その地割、繩張、
濠廻し等の結構は、野城として
完璧を
謳われたものである。忠善は城下の糸問屋を便りに、お納戸方に手蔓を得て、曲輪内の小馬場近くまではいることが出来た。目的は内濠である。内濠の深さである。麻売りに託して数回お納戸方へ通ううち、忠善は遂にその好機を
掴んだ。
それは
端午の節句の前日であった。城内は通る人も少なく、たまに往来するのは祝日の品を運ぶ商人とか、下僕、使い奴などが多かった。大手口外の安養寺から、巾下門の方へかかるところまで来ると、忠善主従は四辺を見廻しながら内濠の方へ歩を移した。「小弥太ぬかるな」そう
囁いて忠善が計り繩を取出した。とたんに伊右衛門があっと云って石に
躓いた。むろんそう見せたのである、「ああ痛い、爪を
剥がした」と云って其処へ
蹲む、忠善は慌てて、「なに、爪を剥がしたと」
そう叫んで覗き込みながら、片手でさっと計り繩を濠へ投げ込んだ。……商品の見本とみせて渋塗りの麻糸を四本
綯いにし、その先端に分銅を付けたものである。伊右衛門はいかにも生爪を剥がしたという様子で、痛そうに声をあげながら、布を引裂いて足指を縛っていた。
「ひどく痛むか、なんと思い切って突っ掛けたものだな、いやその爪を剥がさずに置くがよかろう、こうやって押えて置いて」
「あっ、痛い、それでは痛い、是れをこう巻きつけて」
互いに声高く云い合いながら、忠善は分銅の重みを計りつつ糸を繰り伸ばしていた。
馬上の若侍が一騎、下僕と共に通りかかった。此方を見てちょっと馬を停めた。蹲んでいる
肱の下からそれと見た伊右衛門は、自分の
膝頭ががくがくと震えだすのを感じた、然し若侍は直ぐに立去った。
「……宮部、どこを見ておる」
伊右衛門は低く叱りつけながら振返った、そのとき小弥太はまるで見当の違った方角をじっと
覓めていた。
小弥太は濠を越して向うの
城櫓を見ていた。その櫓には四五人の人影がいて、さっきからこちらを見ているようすだったが、いま伊右衛門が呼びかけたとき、櫓の人たちが
俄かに何処かへ走りだしたのである。「……殿、気付かれたようでございます」小弥太は振返って云った。
「気付かれたとは、いまの馬上の侍か」
「あの櫓でございます」小弥太は眼で知らせながら、「今まで四五人いた様子でございますが、一人を残して、みんな何処かへ走って行きました」
「そうか、……伊右衛門ひきあげるぞ」
「宮部、慌ててしくじるな」
三人は静かに巾下門の方へ歩きだした。
櫓にいたのは大納言義直であった。彼は三人が濠の深さを計っているのをみつけた。そして直ぐに岡崎の
諜者だと認め、――怪しい奴だ、恐らく岡崎の監物の手先に違いない、厳しく手配して召捕れ、やむなくば討止めても仔細ないぞ。と命令したのであった。
三人が城外へ出て、五条橋の
辻を東へ曲ろうとしたとき、小馬場の方から外濠添いに、けたたましく鳴子が鳴りだした。そして、大手先と巾下門と、両方から一時に、追手の迫って来るのが見えた。……
挾撃である。然も鳴子はかなり広い範囲に連絡しているとみえ、次から次へと、到るところの番所、木戸へと鳴り伝わってゆく、それにつれて警護の人数が、ばらばらと繰り出して来た。
忠善は、こう早く手配が届こうとは思わなかった。彼はちょっと棒立ちになった。
「伊右衛門、これはいかんぞ、どうやら八方が
塞がれたようだ」
「なに、是れしきのはした人数!」伊右衛門は脇差をぐっと
掴んだ、「斬って通るになにほどの事がございましょう、伊右衛門つゆ払いを仕りまする」
「お待ち下さい」小弥太はおろおろと叫んだ、「これだけの手配りではとても御無事に殿をお落し申すことはむずかしゅうございましょう、此処はどこまでも、逃げのびるが勝ちと存じます」
「こう八方を塞がれて逃げられると思うか」
「わたくしが御案内を致します、岡野さましんがりを」
云ううちに、もう小弥太は駆けだしていた。
忠善が続いて走りだしたので、伊右衛門もしんがりになって駆けた。……挾撃されている街上から、小弥太は蔵屋敷の細い小路へとびこんだ。そして真直ぐに桶屋町まで行くと、堀に沿って広小路へ出た。
「其方へ出ては大手筋だ、番所があるぞ」伊右衛門が叫んだ。
小弥太は答えなかった。然し初めからその足取りには自信があった。狭い露路から横丁へ、そして幾十度となく曲る角にも、
些かの迷いも
躊いも見せなかった。番所があるぞと、伊右衛門が叫んだのも構わず、小弥太は広小路へとびだして、それを南へ横切った。そのとき、向うから追って来た追手の一群が彼等をみつけた。「あっ、あの三人だ」「おおい、此方だ!」「逃がすな」うわずった叫び声が、三人の背後へ
犇々と迫って来た。小弥太は狭い小路を直角に左へ切れ、大きな屋敷の
土塀をぐるっと廻り、広小路の通りの上へ出た。……このあいだに追手を引離していたが、大通りへ出ることは再び危険の中へ自らとびこむ結果となろう。
「小弥太、其方はいかんぞ」
伊右衛門がまた叫んだ。然し小弥太は耳にもかけず、大通りへ出ると直ぐ、左手にある間口の広い一軒の店へ走入った。……どうするのだ。忠善は思わず
恟っとした。そんなところの店に知り合はない筈である。なにか戸惑いをしたのではないか、そう思って伊右衛門は振返りながら立停った。すると同時に、いまはいった小弥太が、馬を三頭
曳いて、その店の横から出て来た。
「早く、殿、早くこの馬に!」
「おお、小弥太」忠善の眉が
くっとあがった。
「追手がまいります、早く、岡野さま」
三人は馬へとび乗った。
先登を駆った小弥太は、考えも及ばぬ裏道を取って街道へ出た。追手もやがて騎馬で追跡して来た。両者のあいだにはかなり距離ができていたが、宮を通過すると間もなく、三人の馬が疲れをみせだしたのに反し、追手は馬を更えたとみえてぐんぐん距離を縮めて来た。「もうひと息です、鳴海まで、鳴海まで」小弥太は声を振絞って叫んだ。
鳴海の駅へ入ると共に、小弥太はその宿の立場へ乗りつけた。其処には乗替えが三頭、然も
駿足が用意してあった。三人は馬を更えて再び東へ疾駆した。然しそれだけではなかった。更に池鯉鮒にも乗替えが待っていた。――そうか、是れだったのか。近づいて来る岡崎の山色を見ながら、忠善は馬上でなんども
頷いた。――池鯉鮒でも、鳴海でも、ふいと何処かへいなくなった。逃げたなと思った。然し小弥太は万一に備えて馬を雇いに出たのだ。名古屋の宿で毎夜のように出掛けたのも、同じように馬を雇い、逃げ道、抜け裏をしらべるためだったのだ。――そして是れはみな、小弥太なればこそできたことだ。もっと豪勇の人間なら、恐らく考えもしなかったに違いない。日頃から臆病なればこそ、これだけの準備ができたのだ。……人間にはなんと多くの、それぞれの道のあることだろう。忠善は自分の眼界が、
冴え冴えと大きくひろがってゆくのを感じた。彼は馬を小弥太に近づけながら、明るい大きな声で叫んだ。
「小弥太、帰ったら組頭に申せ、今日限り先手組から去ると、これから……宮部小弥太は二百五十石の近習番だ」
尾張から帰って四五日経った。首尾よく役目を果して来たのに、なぜか小弥太は元気がなく、毎日浮かぬ顔で溜息ばかりついていたが、或る朝、……出仕しようとして、すっかり支度ができてから、急にまた座敷へ坐りこんで妻を呼んだ。
「そこへ坐って呉れ、話がある」
「もうご出仕の刻限でございますが……」
「出仕はしない」小弥太は思い切ったという調子で云った。お八重は黙って良人の次の言葉を待った。小弥太はごくっと喉を鳴らして、「出仕はしないし、拙者は、岡崎から退身しようと思う、いや退身しなくてはならないのだ」ひどく力をこめた調子であった。「おまえにはまだ云わなかったが、実はこんどのお供で二百石の御加増になった、一昨日、そのお沙汰書が下った、……然し、拙者には、とうてい、それをお受けすることができない、
迚もできないのだ」小弥太の喉がまたごくっと鳴った。どういうように云ったら自分の気持が分って貰えるか、彼は己れの舌をもどかしく思いながら、
吶々として続けた、「拙者はこの、五十石の現在の身分でこそ御奉公も勤まる、
不甲斐ないと思うであろうが、この臆病ではとうてい二百五十石の武士は勤まらぬ、考えるだけでもだめだ、然しこの気持はおまえには分って貰えないかも知れないな」
「よく分ります、わたくしにはよくお察しができます」
「お八重、おまえ、分って呉れるか」
「お側へまいりましてから、もう七十余日になりますもの」
それほどのことが分らなくて妻といえようか、そう云いたげなこわねだった。
「そうか、それではなにも云わぬ、どうか拙者と一緒に岡崎を立退いて呉れ、どんな事をしてもおまえに憂き目はみせぬ、此処を去って、二人に
相応わしい新しい暮しを始めよう」
「はい、どのようにも、貴方さまの
思召し通りにあそばして下さいませ、八重は旦那さまの妻でございます」お八重はそう云ってから、「けれど、一つだけ伺って置きたいことがございます」と静かに顔をあげて云った、「御退身あそばしたあと、どのような道へお進みあそばすお考えでございましょうか、他家へ御仕官あそばしますか、それとも武士をおやめなされますか」
「武家奉公は拙者には勤まらぬ、誰も知らぬ他国へまいって、八百屋でも魚屋でもして、気安い暮しをしたいのが望みだ」
他人が聞いたら笑殺したであろう。然しお八重には良人の気持がよく分った。臆病だということを、そんなにも重荷に感じ、自ら己れを苦しめている良人の、善良で正直な、素裸な気持を思うと、お八重はいきなり手を取って一緒に泣きたい衝動にさえ駆られた。然しそれを抑えた、懸命に抑えながら云った。
「差出がましいことを申しまして、お叱りを受けるかと存じますが、それはお考え違いではございませんでしょうか、……八百屋、魚屋になって気安くと仰しゃいますけれど、此の世に気安く暮せる
生業などはございません、物を仕入れるにも、それを売るにも、商売の駆引きとか、仲間の競争とか、はた眼には知れぬ苦心が色々とございましょう、……臆病ゆえ二百五十石は勤まらぬ、八百屋か魚屋くらいなら雑作はあるまいというような、軽々しいお考えでは
迚も出来る業ではないと存じます」日頃から「覚悟はできております」とでも云いたげな、静かに落着いていたお八重の顔が、今は活き活きとした光りを帯び、そのこわねも優しくはあるが力と確信に満ちていた、「貴方さまは御自分が臆病だということをよく仰しゃいます、武士として臆病なお生れつきはさぞお心重いことだとお察し致します、……けれど、臆病がそんなにお勤めの妨げになりましょうか、臆病だということが、そんなに恥ずべきことでございましょうか」
そう云って、お八重は静かに立って行ったが、やがて
厨から二つの
庖丁を持って戻って来た。そして、それをしずかに良人の前に置きながら、
「此処に庖丁が二つございます」と言葉を継いだ、「こちらは菜を切ります、こちらは魚を裂くのに用います、どちらも刃物ではございますが、魚庖丁で菜は切れませぬし、菜切庖丁で魚は裂けませぬ」小弥太の眼は大きく
瞠いて、妻の指さす二つの庖丁を見戍った。「二つの庖丁は、どちらもそれぞれ役が
定って居ります、薪割りにも使えず、刀の代りにも成りませぬ、けれどもこの二つは、矢張りそれぞれ充分に役目を果して居ります、……旦那さま」
お八重はひたと良人を見上げた、その眼にはいつか
泪が光っていた。
「貴方さまの臆病はどうにも成らぬお気質でございましょう、けれど松応寺ヶ原のことをお考えあそばせ、あのとき貴方さまは、豪勇無双の評判の河原さまにお勝ちあそばしたではございませんか」
「いや、あの勝負は、……あの勝負はそんな」
「いいえ、お勝ちあそばしました、果し合と申せば小さい戦も同様、どちらにも得手の戦い振りがございましょう、貴方さまは、貴方さまの戦法で立派にお勝ちあそばしたのでございます」小弥太はぐっと
拳を握った。お八重は指でそっと眼頭を押えながら、「口幅な申しようではございますが、例えば大胆不屈で武芸に秀でたとしましても、それだけで無二の御奉公はかないますまい、同様に臆病の生れつきでも、お覚悟しだいで、立派にお役に立つことが出来ると存じます」
「お八重、……拙者はお受けしよう」
小弥太は拳で膝を打ちながら云った、然しそれはかなり自分を
唆しかけるように聞えた。お八重の眼はそれでも美しく虹のように輝きを放った。
「……旦那さま」
「そうだ」声を
顫わせて彼は云った、「おれは菜切庖丁かも知れぬ、然し菜切庖丁でお役に立つことくらいは出来そうだ」
「……うれしゅう存じます」
お八重は袖で面を押包みながら
噎びあげた。小弥太は生れて初めて、肩の重荷を下ろしたような、かなり軽くなった気持で立上った。――そうだ、臆病でも宜いじゃないか、臆病には臆病の生きる道があるんだ。段だん明るくはっきりと、自分の歩むべき道が見えるようだ。泪で濡れた妻の笑顔に送られて、家を出た小弥太は、二十八年このかた、
曽て覚えたことのない爽やかさを、全身で味わいながら城へ向ってあるいていった。