松風の門

山本周五郎





 その洞窟どうくつ谿谷けいこくにのぞむ断崖だんがいの上にあった。谷は深く、両岸にはかつておのを入れたことのない森がみっしりと枝を差交わしているので、日光は真昼のほんのわずかのあいだ、それも弱々しく縞をなしてそっと射し込むだけであった。そのうえ少しさかのぼったところに大きな滝があり、そこから吹下りて来る飛沫しぶきが絶えず断崖を濡らし、樹々の枝葉にあとからあとからと水晶のような滴の珠を綴るので、盛夏の頃でも空気はひどく冷えていた、洞窟はその谷に向って開いていた。高さは八尺ほどで奥行は二十尺ほどしかなかったが、入口が東南に面しているためにかなり明るく、また比較的によく乾いている。里人たちはそれを「白狐の窟」と呼んでいた。そして其処そこへ近寄ると思わぬ災厄に遭うと云い伝えられていたし、そうでなくとも一番近い村里から五里に余るけわしい道を攀登よじのぼらなければならないので、その付近にはほとんど人の姿を見ることが無かった。
 ある新秋の日、一人の若い武士が谿谷を遡って来てこの洞窟の前に立った。若いといっても三十にはなるであろう、輪郭の正しい切りそいだような頬と、やや眼尻の下った深い眼許めもとがきわだっている。彼は大きく膨れた網の旅嚢りょのうを背負い、左手に厚く折畳んだ緋羅紗ひらしゃを抱えていた。どんなに困難な道だったか、高く秀でた額から衿首えりくびまであぶら汗が流れていたし、草鞋わらじも足袋も襤褸屑ぼろくずのように擦り切れていた。
「やはり、考えていたような場所だ」しばらくのあいだ両岸の深い森と、断崖に支えられた底知れぬ谿谷をのぞいていたが、やがて背負って来た荷物を下ろしながらつぶやいた「此処なら邪魔をされずに済むだろう」彼は洞窟の中へ入って荷を解きだした。
 その明る朝、まだ灰色の薄明がようやくひろがり始めた時分、若い武士は既に起きて、洞窟の入口に近く静坐していた……骨太のたくましい足を半跏はんかに組み、両手の指を組合せて軽く下腹に当て、半眼にした眸子ひとみでじっと壁面をみつめたまま身動きもせず坐っていた。大滝の音は、音というより絶えざる震動となって谿谷に反響し、霧のように渦巻く飛沫は、ときたまさっと吹下りて来る風と共に、樹々の枝葉から滴となってばらばらと白雨の如く散り落ちた。……若い武士は直ぐに疲れた。
「ただ坐っているというだけでも困難なものだな」
 彼はそう呟きながら立った。そして首を捻曲ねじまげたり肩を揺上げたり、両腕を振廻したりして、暫く筋肉のこりをほぐしてから、ふと思出したように旅嚢を引寄せ、乾したなつめの実を二つ三つ取出して口へ入れた。
 洞窟の入口は疎らに草でおおわれていて、その中に一寸ほどの深山竜胆みやまりんどうが飛び飛びに可憐かれんな花を咲かせていた。指尖ゆびさきほどの小さな花ではあるが、光に透いて見える濃い紫が如何いかにも鮮かで、じめじめした暗鬱な周囲に美しい調和を与えている。そして昼なか、僅に日光の縞がこぼれかかる時になると何処どこからか一ぴき蜥蜴とかげがやって来て、その花蔭にじっと身を温めるのが見えた。若い武士がそれをみつけたのは、彼が其処へ来てから三日目のことであった。それから幾日も幾日も、真昼のその時刻になるごとに、彼の眼は自然と其方へかれ、かなり長いことその小さな生物の動作に気をられるのであった。季節はもう秋であった、そのうえ陽射の弱い空気の冷えたそのあたりでは他に仲間も無いであろう、おそらくその蜥蜴も越冬の穴へはいる時が来ているに違いない。まだおさなそうだし、背中には美しい縞を持っているが、動作も緩慢なうえにひどくもの憂げな眼つきをしていた。日光の縞がまだらにこぼれて、深山竜胆の鮮かな紫を染める時になると、蜥蜴はどこからかそろそろと這出はいだして来て、きまったように或る一本の花蔭に身を落着ける。円いつぶらな眼をうっとりと閉じ、長い尾尖を力無げに曲げ、僅な陽射しの下でじっと動かなくなるのだ。
「……はてな」ある日、若い武士は吃驚びっくりしたように呟いた、「達磨だるまはこんなことに気が付いたかしらん、蜥蜴などに気をとられたことがあるだろうか」
「……そうだ」暫くして彼は再び呟いた、「同じことだ、見ようと見まいと蜥蜴はやって来る、例え達磨が気をとられなかったとしても、やっぱり彼の側近くには蜥蜴が這い廻っていたに違いない」
 若い武士の唇にはしずかな微笑がうかんだ。日は経っていった、彼の頬やあごは濃いひげで蔽われ、深い両眼は益々深く落窪おちくぼんだ。いまでは静坐にも馴れて、半日あまりは身動きもせずに坐っていられる。食べ物は乾した棗の実と僅に干飯をむだけである。夜になると緋羅紗に身を包んで、ごつごつした岩床の上にそのまま眠った。そしてある朝、冬の前触れの霜が洞穴の外いちめんに白々と結んだ。


 寛文十年十月、伊予国宇和島の領地へ、藩主として初めて国入をした伊達大膳太夫宗利は、亡父秀宗の展墓を済ませるとすぐその翌日、鶴島城で家臣たちの引見を行った。宗利はこの宇和島で寛永十七年に生れ、十一歳のとき江戸へ去ってからほとんど二十年ぶりの帰国である。亡き秀宗が就封するとき、祖父政宗から選ばれて来た十五人の老職と、五十七騎衆の人々が居並んでいる広間で、式は朝の八時からひる近くまで掛った、午後は賜宴であったが、宗利は長く席にいないで去り、朽木大学と二人だけで庭へ出ていった。
 朽木大学は宗利ので、もう五十九歳になり、宗利が去年家督すると共に参政となった。非常に口数のすくない小柄な老人で、宗利とは影の形に添う如く、いつも側去らず侍しているのだが、平常はほとんどいるかいないか分らぬという風の人柄であった。しかし傅としての彼がどんなに厳格であるか、事に対していかに身命をして掛るかということを宗利はよく知っていた。
 二の曲輪まで来たとき、ふと宗利は見覚えのある草原の前で立止った。
「此処はあの時分よく跳ねまわって遊んだ処だな」
「お上がお眼を傷つけなされた場所でございます」
「そうだった」
 今は視力を失った右の眼を押えながら、ふと宗利は遠い空をふり仰いだ。――誰も知らないことだ。彼が十歳の秋であった。その時分お相手として殿中に召出された少年たちの中に、郡奉行の子で池藤小次郎というのがいた。宗利より一つ年下であったが、神童と云われた俊才で、学問にも武芸にもずばぬけた能力を持ち、ほとんど一家中の注目の的になっていた。
 宗利は正直にいうと小次郎をねたんだ、領主の子としての自分よりも、はるかに多く人々の尊敬と嘆賞を集めている彼が憎かった。それでいながら、宗利は最も多く彼を相手に選んだ。小次郎にはどこかしらそういうような、人を惹つけるところがあったのである。江戸邸に移る前年の夏、宗利は彼に剣術の相手を命じた。彼等は二人きりでこの曲輪の草地へ出て来て、袋竹刀で烈しく打合った。体力に勝れていた宗利は、そのとき小次郎を思うさま叩き伏せてやる積だったが、相手は巧に鋭鋒えいほうを避けて逃げ廻った。宗利はいらだち、遂には法もなにも無く打掛っていった。小次郎は避けきれずとみたか、にわかに構えをたて直して向って来たが、そのとき彼の袋竹刀の尖が強たかに宗利の右の眼を突いた。宗利は悲鳴をあげながら、両手で眼を押えて草地へ転げた、指のあいだからあふれ出る血が半面を染めた。いまでも宗利は歴々ありありと覚えている。小次郎は白く乾いた唇をあけ、空洞のようになった眼を大きくみひらいたまま立辣たちすくんでいた。それは痴呆のような顔であった。日頃の俊敏な、いかにも犀利さいりな表情はあとかたもなく消え、恐怖悔恨にうちのめされて、ほとんど白痴そのままの顔つきをしていた。
 ――黙っているんだぞ。宗利はそのとき彼に命じた。――転んで傷をしたことにして置くから、其方がしたということは口外してはならぬぞ。
 事実は誰にも知れずに済んだ。そして宗利は初めて小次郎に優越を感じた。小次郎が神童と云われて、どんなに人々の賞讃を集めるとしても、宗利に受けた恩典から※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれることはできない。彼の持っている優れた能力を、宗利は自分の小さな掌に握ってしまったように思ったのである。
「そうだ、此処でこの眼を失ったのだっけ」宗利は二十年まえの出来事を思出しながら、ふと今日の引見に小次郎の姿を見なかったことに気づいた、「あのころ殿中へ相手に上っていた者たちの中で、四五人は此方に残っていた筈だな」
「たしか五名であったと心得ます」
「昔話をしてみたいと思うが、明日にでもそろって出るように計らって置け」
「承知仕りました」
 小次郎がどんな顔をして出るかと空想しながら、宗利はふとまためしいた方の眼へ手をやった。
 その翌日、むかし遊び相手を勤めた者たちだけが、宗利の前に伺候した。年頃はみんな同じであるが、その頃のおもかげの残っている者はなく、いずれも見違えるほど変ったり老けたりしていた。然しその中に池藤小次郎はいなかった。ひとわたり思出の数々が話し尽されたとき、宗利は小次郎のことをたずねた。すると彼等は妙な含み笑いをした。
「神童の小次郎ならば、いま家を継ぎまして八郎兵衛と申しております」
「彼はひどく人柄が変りました、事実を申上げましても、お上にはお信じあそばすことはなるまいかと存じます」
「まったくあんなに変った者も珍しい」などと口々に云いだした。


「変ったといって、どう変ったのか」
「一言では申上げ兼ねますが、詰り神童と云われていた頃とはまるで反対になったと申しましょうか、家は継ぎましたがお役にも就けず、妻をめとりましても」
「これ角之進、慎もうぞ」
 側から一人が驚いて制止した。
「いや無作法は許す、申してみい」
「はあ、まことにこれは、口が滑りまして」
 貝岡角之進はひどく困ったようすで、暫くもじもじしていたが、宗利に問詰められて仕方なく話しだした。宗利が江戸へ去ってから程なく、小次郎のようすはにわかに変り始めた。眼から鼻へ抜けるような利巧さは無くなるし、挙措動作も次第に鈍くなり、一家中からあれほど注目されていた才能も影が薄くなって、ついにはその存在さえ人々から忘れられていった。彼は元服して八郎兵衛と名乗り、二十五歳のとき父を亡くして家を継いだ。然し父の役目であった郡奉行の職には八十島治右衛門が就き彼は無役のまま今日に及んでいる。治右衛門は彼の亡父と親しい人で二男二女があり、その長女うめと彼とは親たちに依って許嫁の約を結ばれていた。
 池藤八郎兵衛という名が、ああ、あの神童の小次郎か、と人々の記憶によみがえってきたのは、三年まえそのうめとの婚礼が行われてからのことだった。婚礼はめでたく行われたが、彼はうめを近づけなかった。夫婦は別棟に住んだまま半年あまり経った。それで遂にうめは耐兼ねて実家へ逃げ帰った、尤も治右衛門がそれを許す筈はなく、直ぐ自分で連戻したうえ、八郎兵衛の存意をたしかめた。彼は別に他意のないようすで、――うめはまことに善き妻です、拙者が未熟者なので御迷惑を掛けました。そう云ってうめを引取った。
 けれどその後も矢張り夫婦とは名ばかりの生活が続いた。うめを嫌っているのかと思うとそうでもなし、なんのためにそんな不自然な生活をするのか誰にも分らなかった。神童と云われただけにどこか人と違っている。なにか体に欠陥でもあるのだろう。それともまだ子心が失せないのか。そんな批評が家中の人々のあいだに弘まった。……然し八郎兵衛はまるで気にもかけず、極めて無関心な、ぼやっとしたようすで日を暮していた。
「なるほど、だいぶ変ったようだな」宗利は苦笑しながら聞いていたが、「だが、今日はどうして一緒に出て来なかったのだ」
「はあそれが……」角之進はちょっと口籠ったが、「実は八月はじめに家を出たまま、何処へいったものやら行方知れずでございます」
「行方が知れぬ、それはどうした訳だ」
「どう致しましたことか、ある日ふらりと出たまま、まるで音沙汰がございません、国越えをしたのでないことは番所を調べて分りましたし、家の者たちが手分けをして捜し廻ったのですが、どうしても所在が知れないのでございます」
 八月はじめと云えば、宗利が領主として初めて帰国することが発表された時分である、さっきから面白半分に話を聞いていた宗利は、その事に気づくと不意に心をうたれた。――もしかすると、片眼盲いた自分に会うことが辛くて身を隠したのではないか。それはあり得ないことではない、過失ではあっても主君の眼を失眼させたのだ。あのときは少年だったし、間もなく遠く相別れたからよかったが、改めて眼の前に盲いた主君を迎えるとなると辛いことに違いない。
「国越えをして居らぬというのがたしかならば」宗利は面謁を終ったときに云った、「直ぐに必要なだけの人数と手配をして捜し出すがよい、例え無役であろうと届けも出さずに家を明けておるというのは不都合だ、一日も早く捜し出してまいれ」
 宗利の側には朽木大学がいた。彼は話題のすべてを聴きながら一言も口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)さまず、始終ひっそりと沈黙を守っていた。
 八郎兵衛の捜索は直ぐに始められた。然しそのうわさは次で起った藩政上の大きな問題のために蔭へ隠れてしまった。宇和島ではその前年から、領内の検地に取掛っていた。先代秀宗が就封して以来、万治元年に吉田領を分地して七万石になったままあたらしく開墾された田地が相当多いにもかかわらず、それらの調査が出来ていなかった。然も宇和島の反別は六尺三寸の竿さおで行われた古法のもので、これは当然六尺竿に改めなければならない、そこで新しい竿入れと、従来脱税のまま捨てて置かれた新田の調査を始めたのであった。然し領民たちはこの検地が重税を課すためのものであると考え、相い通謀して猛烈に反対運動を始めた。中にも河内村の庄屋安藤弥次右衛門は、その一族と共に最も頑強に検地を拒み、竿入れのため出張した役人たちとのあいだに、争闘を演ずるという事件さえ起った。
 ――是は一揆になるぞ。
 そういう空気が一藩の上に重くのしかかってきたのであった。


 八郎兵衛が発見されたのはその騒動のさなかであった。彼は城下の南方七里にある鬼ヶ城山の奥で、滑床川の深い谿谷を遡った「白狐の窟」からみつけ出された。洞窟の中で坐禅をしていた彼は、飢えと寒気のためにすっかり憔悴しょうすいし、足軽の背に負われて帰るのがやっとのことであった。それは折から河内村を中心にして、今にも農民たちが一揆を起そうとしていたときで、宗利も八郎兵衛のことなどに構っている暇はなく、騒動を未然に防ぐため日夜心を砕いていた。
 家へ帰った八郎兵衛は十日あまり養生して、どうやら元気を恢復かいふくすると、一応伺いを差出した後登城をした、宗利は彼を見ると直ぐ、あの頃の小次郎の俤がそのまま残っているのを見て驚いた。
「白狐の窟にいたそうではないか」挨拶を終るのも待たず宗利が云った、「余の帰国することは知っていたであろう、迎えもせずにそんな処へ隠れて不届きだとは思わぬか、……なにか仔細しさいでもあったのか」
「不調法を仕りまして申訳ござりませぬ、ふと、思いついたことがございましたので、御帰国までには必ず立戻る心得で出掛けたのでございますが、心懸けた事がなかなか思うようにまいらなかったものですから」
「なにを思いついたのだ」
「はあ、それが、申上げますと恐らく」八郎兵衛は恥かしげにひざでた、「お上はお笑いあそばしましょうから」
「他人に笑われるようなことか」
「みんな笑いますので、誰も真面目に聞いて呉れませぬので弱りました、実は、達磨が面壁九年に大悟したと申します、むろんお上にも御承知でござりましょう」
「それがどうした」
「九年の面壁で、達磨はなにを悟ったのでございましょうか、私はふとそれが知りたくなったのでござります、お上にはお分りあそばしましょうか」
「知らんな、大学はどうだ」
 宗利は笑いながら振返った。朽木大学は黙って八郎兵衛の顔をみつめていた。
「誰にたずねましても笑われるばかり、致方なく自分で試みる決心をつけまして、白狐の窟にこもったのでござります」
「それで達磨の悟が分ったのか」
「はあ……」
「ばかに早いではないか、どう分った」
 八郎兵衛はちょっと黙っていたが、やがて同じような平板な口調で答えた。
「面壁九年ののち、達磨は結跏を解いて起ちながら、かように申したと存じます、なるほど、ただにらんでいるだけでは壁に穴は明かぬ」
「なに、もういちど申してみい」
「睨んでいるだけでは」と彼は繰返した、「……壁に穴を穿うがつことは出来ぬ、そう申したと存じます」
 宗利は声をあげて笑った。真面目くさって云えば云うほど、それはばかげた、らちもない言葉に思われた。宗利は八郎兵衛のとり澄した顔と、その言葉の愚かしさとの対照の奇妙さに、大学の侍していることも忘れて笑った。そのときもし彼が、八郎兵衛の面を瞶めている大学の鋭い表情に気づいたとしたら、たぶんそんな笑い方はしなかったに違いない。
「益もない者になってしまった」八郎兵衛が退出してから、宗利は明らさまに失望の色を見せながら云った、「人間は誰でも、一生に一度は花咲く時期をもつというが、八郎兵衛は十歳までに生涯の花を咲かせてしまったのかも知れぬ、あれではもうしようがないな」
 大学はやはり黙っていた。宗利はそのとき初めて、老人の眸子が責めるように自分を見戍みまもっているのをみつけた。「大学はさようには思いませぬ」老人は低い静かな声で云った、それは久しく聞いたことのない厳しい調子をもったものだった。宗利は足下の敷物をひき抜かれたような気持で、老人から眼を外らした。
 農民たちの不穏な動きがとうとう一揆に発展したのはそれから四五日後のことであった。中心はやはり河内村の安藤弥次右衛門で、近郷十五カ村六百人あまりの人たちが党を組み、鷹ノ巣山に籠って蓆旗むしろばたをあげ、竹槍、山刀、猟銃などを手に、今にも城下へ攻寄せる気勢を示した。……城中の意見は二つに別れた。国許の者は強硬で、兵を出して揉潰もみつぶしてしまえと主張した。然し宗利はじめ江戸から来た人々は幕府の監察をおもんばかって、あくまで穏便な方法を固守しようとした。こうして両者が互いに意見をたたかわしていたとき、鷹ノ巣山では騒動を一挙に転換するような事件が起ったのである。


 是より少しまえ、池藤の屋敷では外出から帰った八郎兵衛が昼中だというのに珍しく酒を命じ、夫婦だけで居間に相対して坐った。うめは二十三歳で、体つきの小柄な、れぼったいような眼蓋と、唇の色の鮮かな、どこかまだ生娘のような初々しさの残っている面ざしをしていた。
「おまえも飲め」さかずきの酒をひと口すすると、八郎兵衛はそう云って妻に盃を与えた、うめは覚悟の決っている眼で良人おっとを見上げながら、それを受けた。「いましゅうとどのを訪ねてまいった」うめの父八十島治右衛門は郡奉行で、今度の検地の支配役を勤めていた、うめは良人がなにを云おうとするのか、その一言でも分ったようすであった。「それで己は、これから鷹ノ巣山へ行く、たぶんこれが御奉公納めになるであろう、おまえが当家へ来てから三年になるが、なに一つしてやることができなかった、おまえのためにはまことに不仕合せな縁であったが、不運なめぐりあわせだと思ってあきらめて呉れ」
勿体もったいのうございます、わたくしこそ……」うめは微笑しながら眼をあげた。然しその唇は感動を耐えるために痙攣ひきつっていた、「わたくしこそ、不束者ふつつかもので、色々と旦那さまの足手まといにばかりなっておりました、どうぞおゆるしあそばして……」
「夫婦は二世という」八郎兵衛はつと妻の手を取った、「次の世には、まことのめおとになろうぞ」
 嫁して来て三年余日、初めて触れる良人の手であった、初めて聴く血のかよった言葉であった。この瞬間を少しでも延ばすことが可能なら、自分の七生を賭しても悔いはない。うめは心の内でそう絶叫しながら、つきあげてくる嗚咽おえつをけんめいに抑えつけていた。
「では行ってまいる」八郎兵衛は盃を措いた。
「どうぞ、お首尾よろしく」うめはもう面をあげられなかった。
 八郎兵衛は馬に乗って屋敷を出た。城下を出端れたところに、八十島治右衛門が十五人の配下と騎馬で待受けていた、別に五十人ばかりの鉄砲足軽もいて、揃って河内村の方へ出発した。
 鷹ノ巣山は鬼ヶ城山塊の一つで、なだらかな丘陵をなし、松と杉が蔽い茂っている、八郎兵衛は先頭をはしりながら、山麓さんろくいちめんに焚火たきびの煙と、右往左往する人の群を認めた。そしてそのとき、どんな連想作用でか、「白狐の窟」に籠っていたとき、深山竜胆の花蔭にみつけたあの蜥蜴の姿が、ふと幻のように眼前にえがきだされた。――あの蜥蜴も、もう穴へ籠ったであろう。そう思いながら、然しどうしてこんなとき蜥蜴のことなど思出したのかと不審な気がした。
「此処でお待ち下さい」小さな土橋の処に来たとき、八郎兵衛はそう云って、馬を下りた。治右衛門は手を挙げて一同に止れと合図をした、そして鉄砲足軽たちを用水堀のつつみへ一列に並べた。
「どのような事があっても、拙者が合図をするまでは決して手出しをなさらないで頂きたい、固くお願いして置きます」
「出来るだけそうしよう」治右衛門は婿にうなずいてみせた。
 八郎兵衛はしずかに歩きだした。一揆の群は早くもそれを認めたらしく、松林の中からありの塔を突崩したように、手に手に得物を持った人々がばらばらと道の方へ押出して来るのが見えた。――どうして蜥蜴のことなど思出したのだろう。八郎兵衛はまだそれを考えていた、大滝の飛沫は霧のように渦巻き、日光の縞が、深山竜胆の紫を美しく透している、そして朝な朝な、谿谷の冷えた空気がしみいるように匂う、とつぜん吹きあげる風に、枝葉から雨のようにこぼれ落ちる滴、その気忙しい音までがはっきり耳に甦えってくるようだった。
 村道まで十間の距離に近づいた。押し合いへし合いしている人々の殺気に充ちた顔が、大きく瞠いた眼が、八郎兵衛一人の上へ集っていた。そして彼がなおも、黙って大股おおまたに間隔を縮めて来るのを見ると、その群の中から浪人態の恐しくおおきな男がとび出して来て立ちふさがった。
「止れ、何用で来た」
 浪人は三尺に余る野太刀の柄に手をかけて叫んだ。八郎兵衛は近寄りながら、
「一揆の軍師と称しているのは其方か」
「そんなことに答える舌は持たん、検地を取止める使者なら許すが、その他の用で来たのなら此処から帰れ、我われは暴政を拒けるか、伊達の家を宇和島から逐うか、孰れか一途を貫徹せぬ限り手はひかんのだ」
「其処を退け、退かぬか」
 言葉と共に八郎兵衛の腰から大剣が「の」の字をえがいて飛んだ。あっ、という声が一揆の人々の口を衝いて出た。じつに思切った一刀である。けさがけに斬り放された浪人が、根株ばかりの泥田へ、横ざまに顛落てんらくするのを見ながら、道の上にひしめいていた人々は慄然りつぜんと色を喪った。まさかと思ったのである、そして八郎兵衛の一刀は、そのまさかという感じを根底から覆えす断乎だんこたるものであった。
「みな鎮まれ、得物を捨てろ」
 八郎兵衛は大剣を右手に、声高く叫びながら進んだ。すると人垣の中から更に二人、小具足を着けた浪人者が、ひとりは太刀、ひとりは槍を取って走り出て来た。八郎兵衛は足も緩めず、「鎮まれ、手向いする者は斬るぞ」そう叫びながらぐんぐん寄って行った。
 槍を持った浪人が、のどの裂けるようなするどい声で絶叫しながら突込んだ。そして八郎兵衛が体をひねった刹那せつなに、太刀を振かぶった浪人が跳躍して斬込んだ。然しなんとも形容しようのない、ぶきみな音が聞えたと思うと、槍の半ばから真向へ斬割られた一人は道の上に、片方は右手の稲叢の堆を血に染めながら倒れていた。
「得物を捨てろ」八郎兵衛は更に進みながら叫んだ、「向うには鉄砲五十ちょうが並んでいるぞ、軍師などと申して一揆を企んだ浪人者は斬って捨てたが、おまえ達におとがめはない、みな得物を捨てて静かに御沙汰を待て、手向いする者はいま見たとおり容赦なく斬るぞ」
 彼等は竹槍を捨てた。山刀を捨て、猟銃を捨てた。八郎兵衛はそれを見届けてから、振返って治右衛門に、無事に済んだという合図をした。もう蜥蜴の事は頭から消えていた。


 御前へ出た八郎兵衛は、宗利の表情がかつて見たことのない、烈しい忿いかりにふるえているのを認めた、彼は悄然しょうぜんと頭を垂れた。
「一揆の者を斬ったというのは事実か」
「はい、粗忽そこつを仕りました」
「誰が斬れと命じた、八郎兵衛、紛らわしい返答はならんぞ」
「私一存にて仕りました」脇息をつかんでいた宗利の手は、忿のために見えるほど顫えていた、八郎兵衛は床板に平伏したまま、「舅治右衛門にいささか助力を致そうと心得、出向きましたところ、一揆の有様を目のあたり見まして、事の恐しさに前後を忘れ、思わず三名を斬ったのでございます」
「斬ってよいものなら、其方などの手をつまでもなく斬っておる、事を穏便に納めようと思えばこそ、余をはじめ老職共もこれまで苦心していたのだ、それを知りもせず、短慮に事を誤るとは不届きなやつだ」
「恐入り奉る、平に、平に」
 八郎兵衛の額は床板に喰込むかと思われた。その声はただ慈悲を願う響きしかもっていなかった。……そしてそのようすを、朽木大学だけが、眼をうるませてみつめていた、今にも涙の溢れ出そうなまなざしだった。
「起て」宗利は※(「口+它」、第3水準1-14-88)しったした、「沙汰するまで閉門を申付ける」
 そして暴々あらあらしく奥へ去った、一揆は、然しそれで逆転した、八郎兵衛の思切った方法が功を奏したのであろうか、騒擾そうじょうは其日の内に鎮まって、検地の事もいつ始めてもよいという状態にまで解決した。
 宗利は予想外の結果に驚いた。彼の考えでは、血を見た農民たちは更に兇暴になって、恐らく城兵を動かさなくてはならぬ事になるだろうと案じたのである。もしそうなれば、大名取潰しの機会をねらっている幕府の好餌こうじとなるに違いない。僅か二代にして宇和島の家名を喪ったら、父祖の霊にどう云ってびられるか、そこまで心をいためていたのであった。
「七万石の拾い物であったな」すべてが無事に納まり、検地の竿入れが始められたという知らせがあったとき、宗利は久しぶりでのんびりと大学ひとりをれて城内の庭へ出て行った、ずいぶん久しぶりで歩く庭だった。暖かい冬の陽ざしが天守の白壁にまぶしいほど輝いていた。「こうなると八郎兵衛にも多少は怪我の功名を認めてやらなければなるまい、然し斬ることはなかった、三人も斬るなどとは」
「いや斬るべきでござりました」
 大学がはじめて口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)さんだ。
「なんだ、大学までがさようなことを申すのか」
「斬るべきでござりました、八郎兵衛が斬りました三人は浪人者で、穏便のお沙汰を城中に力無きものと思い誤り、農民を煽動せんどうして一揆を企てたのでござります、断乎として彼等を斬ったればこそ、一揆の者共はその支配者を失うと共に、はじめて竿入れの正しい事実を見知ったのでござります」
「然し、それは事実なのか、浪人者であったというのは、事実なのか」
「事実でござります」大学は静かに歩き続けながら云った、「よし又、そうで無かったとしましても、一揆は騒擾の重罪でござります、事納ったうえは、主謀者は刑殺されなければなりませぬ、前か後か、いずれにしても何人かは、犠牲者を出さなければ相済まぬ場合です」
「……うん」宗利は眼を伏せた。
「然し初めに三人斬ったため、農民たちからは罪人を出さずに相済みました」
 宗利は体の中から、なにかがすっと脱けてゆくような気持を感じた。二人はいつか二の曲輪まで来ていた、宗利は再びあの草原を前にして立った。
「明日にでも使をやって」と宗利は其処の草地を見やりながら云った、「閉門を赦してやるとしようか」
「恐れながら八郎兵衛には御無用でござります」
「赦しては悪いか」
「彼は切腹をして相果てました」


 宗利はなにか聞き違いでもしたように大学の方へ振返った、一羽の尾長が、二人の上を低く叫びながら飛び去った。
「八郎兵衛はあの日、屋敷へ立戻ると間もなく切腹を仕りました、まことにあっぱれな最期でござりました」
「なんで……なんで、八郎兵衛が」
「おわかりあそばしませぬか」宗利は自分の顔が蒼白あおざめてゆくのを感じた。大学は一語ずつ区切りながら、感動を抑えつけたこわねで云った、「もし仮に、このたびの騒動がこういう結果にならず、裁判にかけて何人かを刑殺した場合、農民たちの怨嗟えんさはどこへ向けられましょうか、……恐らく宇和島藩の御政治に長く恨みを遺すことでございましょう、八郎兵衛はそれを、御政治に向うべき遺恨を、即わち自分の一身に引受けたのでござります、彼は穏便にという御意に反いて三人を斬りました、斬ったのは彼の独断でござります。農民たちが遺恨を持つとすれば、相手は八郎兵衛一人、御家には些かも遺恨を含む者はございますまい」大学は言葉を切った、かなり長い沈黙があった。それから再びつづけたが、その声はもう隠しようのないほど濡れていた、「いつぞや達磨の悟りの話をしていたことを、覚えておいであそばすか……お上はお笑いなされた、益もない者になったと仰せられた、然しあれは決して笑うような言葉ではござりません、睨んでいるだけでは壁に穴は明かぬ、もういちどよくお考えあそばせ、彼が断乎として三人を斬ったのも、即日腹を切って果てましたのも、みな、この一語の悟りから出ているのです、農民たちの遺恨を背負って彼は死にました、もはや……御家は安泰でござります」
 宗利の眼は大きく瞠かれたまま、枯れた草地の上を見戍っていた。……其処は北側を鉄砲庫で塞がれているため、一面に枯れた草の根からは、もう薄青い芽を覗かせているものもあった。
 ――そうだ、たしかにそうだ、宗利は大学の言葉とはまったく別にそう考えた。八郎兵衛はこのめしいた右の眼のために死んだのだ、あのとき以来、あの過失を償う機会の来るのを待っていたのだ、伊達家のためもあるかも知れない、七万石を安泰にしようと思ったのも嘘ではないだろう、然しもっと深く、もっと厳しく考えていたのは、この右の眼だ。
 ぬくぬくと陽を浴びた草原が茫とかすんで、遙かに遠く幼い日のことが、まざまざしく思出された。血まみれになって転げている自分と、それから唇を白くして、驚きのあまり白痴のようになった彼の表情とが。
 ――あの日以来、彼はいつか身命をなげうつ日の来ることを待っていたのだ、其の日の他にはなんの役にも立たなくともよい、そう覚悟していたのだ。それで娶っても子を生むことを欲しなかったのだ。宗利には初めて八郎兵衛の本心が分った、そしてその事実は誰にも知られず、死んだ八郎兵衛と自分だけの秘密だと思い、――分ったぞ、よくした八郎兵衛、と胸いっぱいに叫んだ。
「墓へまいってやりたいが」宗利は暫くして云った、「忍びで、このまま直ぐに行きたいが、供するか」
「お供仕りまする」
 大学は静かに眼を押拭った。
 城を出た二人は、馬を駆って城北祗陀林寺へ向った。少しまえから風が出て、やや傾きかけた陽が雲に隠れたので、空気はひどく冷えて来た、宗利は先に馬を駆っていたが、道から寺の山門へかかるあいだの、左右に松並木のある参道まで来るとそこで馬から下りた。
 二人は馬をつないで歩きだした。松風が蕭々しょうしょうと鳴っていた、前も後も、右も左も、耳の届くかぎり松風の音だった、宗利は黙って歩いていった、石段を登って、高い山門をくぐると、寺の境内も松林であった。そして其処もまた潮騒しおさいのような松風の音で溢れていた。
 ――八郎兵衛、会いに来たぞ。宗利はその松風の音へ呼びかけるように、口のなかで呟いた。そのとき、初めてせきを切ったようになみだがこみあげてきた。二人は松風の中を歩いて行った。だから、山門の脇のところに、切下げ髪にした武家風の若い女が一人、地に膝をついたまま、涙で腫れた眼をあげて、じっとかれらを見送っていたことには気がつかなかった。





底本:「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」新潮社
   1983(昭和58)年6月25日発行
初出:「現代」大日本雄辯會講談社
   1940(昭和15)年10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2022年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード