水の下の石

山本周五郎





「おそろしく暗いな……如法闇夜とはこんな晩のことをいうのだろうな」列の五六人さきでそう云うこえがした、だがそれに答える者はなかった。二列になって泥濘でいねいを踏んでゆく百余人の武者草鞋わらじの音だけが、単調な、飽き飽きするくらいおなじ歩度で少しのとぎれもなく続いている、濃い闇をこめて降る雨は霧のように粒がこまかくて、甲冑かっちゅうや具足の隙間から浸みこみ、膚をつたって骨までじっとり濡らすかと思える。三日二夜ぶっとおしに、山を越え峡谷をわけての強行で、たれもかれも疲れきっていた、口をきくのもたいぎだった。われとひとのわかちもない、単調な、気のめいるような足音、粘りつくような泥濘を踏むその足音にひきずられる感じで、みんな黙々とただ歩くことに専念した。「……だが如法闇夜という言葉はどうもおかしい」さっきの声の主がまたそう云った、「法の如く暗いというと、法というものがもともと暗闇だということになる、法が闇だなどということはない、そうだろう杉原、どうだ、きさまそう思わないか……」しかしやはり返辞はない、加行小弥太は肩の銃をゆりあげながら、――安倍大七も疲れてきたな、そう思ってふと微笑した。合戦のとき形勢が悪くなるとか、永陣で退屈しはじめるとかすると、まるでつかぬことを話しだすのが大七のきまりだった、少しまえ十人がしらにとりたてられてからはしばらくその癖も出なかったが、今ひさしぶりに用もないことを云いだしたのは、かれも相当こたえてきたのに違いない、意地の強いかれの顔が見えるようで、小弥太はもういちどそっと微笑した。それから五十歩ほどもいったであろうか、安倍大七がまたなにか云いだそうとしたとき、とつぜん列の先のほうでからからとはげしい物音が起った、それは鉄片や板きれや鈴などの打ちあうけたたましい音で、しかもその音が音を呼びつつ、糸を引くように左右へ遠くからからと鳴り伝わっていった、百余人の兵たちは愕然がくぜんとわれにかえった、「鳴子だ……」というささやきが前のほうから聞え、列の動きがはたと停った、敵の張ってある鳴子にぶっつかったのだ、――もうそんなに敵の間近に来ていたのか、そう思ってみんな身をひきしめ、鉄砲組は銃を、槍組は槍をひしと執り直した。「伏せろ」という命令が聞えた、「音をたてるな、ゆるすまでは動いてはならん……」それはこの隊の旗がしら竹沢図書助の声だった、そして兵たちが狭い泥濘の道へひざをおろす間もなく、前方の闇をつんざいて閃光せんこうがはしり、だだーん、だだーんと、銃声がとどろきあがった、距離は思いのほかに近く、叢林そうりんをつらぬいてしきりに弾丸が飛んだ、位置がわからないとみえてめくら射ちだったが、隊列の中へもかなり流弾が来て三人ばかり軽傷を負った者がある。「……畜生、斬り込んでれるぞ」杉原伝一郎のくやしそうなつぶやきが聞えた。伝一郎は安倍大七とおなじ十人がしらで、先鋒せんぽう槍組を指揮させては鳥居家でも指折りの者だった、幾たびも番がしらに抜かれようとしたが、――自分は十人がしらが適任だから。そういってもう、五年も栄えない位置で闘っている。かれの呟きがいかにもくやしそうだったので、まわりでくすくす笑う者があった、敵の銃射は間もなく止んだ、こちらが応射をしないし動くけはいもないので気をゆるしたものか、それともこのあたりは富士の裾野につづいていていのししや鹿などが多いからそれと思い違えたか、いずれにしても味方にはひじょうな幸運で、あたりは再び深夜のげきとした静寂にかえった。それでもなお暫く伏せていたが、やがて後退しろという命令が出た、「その位置のまま廻れ、しずかに……」そして隊列はひそかに後退をはじめた。
 列のしんがりには弾薬を積んだ小荷駄がいた、こんどはそれが先頭になったわけである、旗がしら竹沢図書助が兵三名といっしょに、列のそばを先頭へ駆けぬけていった。すると四五町ばかり戻ったところで、ふいにまた先頭の動きが停った、「どうした」そう云いながら安倍大七がそっちへ駆けつけた。なにがあったのか、小荷駄のあたりでざわざわと人の動揺するけはいが聞えていたが、やがて前へという声につれてようやく列は動きだした。そしてその騒ぎのあった辺まで来ると加行小弥太が呼びとめられた、「……列を出て待て」道傍みちばたに立っていた竹沢図書助がそう云った、小弥太は銃をおろしながら列を出た、そうして兵たちが通り過ぎるのを待っていた図書助は、隊列が去って暫くするとつと身をひらいて、大七とふたりでうしろにひき据えていた人間を前へ押しやった、「……すっぱだ」図書助は低いこえで云った、「われわれをけまわしていたとみえる、預けるから始末をして来い」「銃はおれが持とう」安倍大七がそう云って銃を受け取った、そして図書助といっしょに去っていった。


 小弥太は二人の去る足音を聞きすましてから、しずかにふり返った、諜者ちょうじゃだという人物はひき据えられたかたちのまま、膝をつき頭を垂れて、わなわなと震えていた、「……立て」そう云ったが動かなかった、小弥太は肩をつかんでひき立てた、ふんわりと柔らかい肉付で、濡れた肌から、熟れた果実のようなあまい躰臭たいしゅうが匂ってきた、「おまえ女か」「お助け下さい」女は再びそこへ膝をついてしまい、すがりつくような、けんめいな口ぶりで云った、「わたくしはこの向うの平沼村の者でございます、源助という百姓のむすめで初と申します、決して怪しい者ではございません、どうかおたすけ下さいまし」「こんな時刻にどうしてこんな場所をうろうろしていたのだ」「母の持病が起ったものですから、原までお医者を迎えにまいるところでございます」「……こんなに更けているのに若いむすめ一人でか」「はい、もう去年からのことで馴れていますし、ほかに頼む人もいませんので……」むすめたちは或るとし頃になるとその言葉つきや声に、隠れている性質をそのままあらわすことがあるものだ、初というむすめの声音にもそれが感じられた、若い牝鹿めじかの鳴くような少し鼻にかかる声、怖れにふるえながら、けんめいに身のあかしをたてようとする巧まない言葉つき、まだ震えのとまらないらしい、おどおどした態度にさえ、仮にも諜者などと疑えるところはみえなかった。小弥太は闇のなかにむすめの表情をさぐろうとしたが、まだとし若そうなまる顔のかたちだけはわかるけれど、塗りこめたような暗さで眼鼻だちもはっきりとは見わけられなかった。「……そのわけをいまの二人に話したか」「申上げようと思ったのですけれどあんまり怖ろしくて、舌が硬ばってしまいまして、どうしても……」「原へゆく道は大丈夫なんだな」「はい……」小弥太はうなずきながら去っていった隊列のほうへ眼をやった、それからつと刀のつかに手をかけて「ゆけ」と囁いた、「……こんど捉まると助からないぞ、ゆけ」そう云いながら刀を抜いた、その刃の光りのおそろしさが力を与えたのだろう、むすめはあっと叫んではね起き、夢中でうしろのやぶの中へ転げこんだ、小弥太は刀を右手にさげたまま、むすめが藪をかきわけてゆく物音をじっと聞きすましていた。そしてそれが遠くかすかに消えていったとき、刀を押しぬぐってさやにおさめ、しずかに隊の去ったほうへ歩きだした。
 松山の丘に左右を囲まれている低地で隊は休んでいた。小弥太はまっすぐに旗がしらのところへいって報告した、「……仕損じた」図書助の声はとがった、そして暴々あらあらしくのどを鳴らした。「女だとは知らなかったものですから」小弥太はそう弁明した、「……娘だと気づいてちょっとまごついたのです、その隙に逃げられてしまいました」図書助は黙っていたが、やがて不機嫌な声で「列へ戻れ」とだけ云った。安倍大七は銃を返すとき舌打ちをした、それから独り言のように、――あごはやっぱりあごかと云った、「せっかく機会をこしらえてやったのに」すばやくそう呟くのを小弥太は聞きのがさなかった、しかしかれは黙って自分の位置へと戻った。間もなく兵粮ひょうろうをつかえという命令が出た、兵たちは暗がりのそこ此処ここに好みの場所をみつけ、濡れている草の上や樹蔭などに坐って腰兵粮をひらいた。林の奥でときどき夜鳥の叫びが聞え、なにをまちがえてかせみがじじじと鳴いたりしたが、百余人の兵の食事はひっそりとしてすばやく、人のけはいすら感じられぬほど静かに終った。やや暫く休息してから、竹沢図書助が兵たちの間へ来て立った、そして力のこもった低い声で、当面している戦の目的を説明した、「……わが隊は明け七つを合図に興福寺城を攻める、攻口は搦手からめて、追手には杉浦隊が当る、城兵はおよそ五百ということだが、鉄砲の数も多く矢だまの貯えも充分とのことだ、また城は深さ二丈のほりで囲まれているから戦は骨がおれると思う、しかもわれわれはどんなにながくとも二日で攻め落さなくてはならない、すなわち御旗もと本陣が諏訪ノ原攻撃の火蓋を切るまえに戦を終るのだ」図書助はそこでぐっと言葉を強くした、「……追手の杉浦隊は兵二百、わが隊を合わせて僅かに三百余人だ、およそ攻城のいくさは城兵に倍する勢力が必要だとされている、その常法からすればこの攻撃が苦戦だということは明瞭だ、けれども各自が二人ずつたおして死ねば興福寺城は確実に味方のものになる、敵を全滅させることができれば味方も全滅してよいのだ、石にかじりついても敵二人は殪せ、わかったか」必ず二人ずつという表現が闘志をそそったらしい、兵たちの上を眼にみえぬ風のようなものがさっとはしった、図書助はそれを見さだめると、なお半刻はんときの休息を命じて説明を終った。


 時は天正三年六月はじめのことである。その年の五月、徳川家康は織田信長の協力を得て、武田勝頼と三河のくに長篠ながしのに戦い、これをうちやぶって敗走させると、駿遠の地から武田氏の勢力を駆逐すべく、ほこをめぐらして二俣ふたまた城を討ち、光明寺をやぶり、転じて諏訪ノ原へと陣を進めた。そこは今福丹波守を主将として諸賀一葉軒、小泉・海野・遠山など武田家に名ある武将が堅固に守っていたし、大井川を越えた駿河するがにはそのうしろ備えとして幾多の城砦じょうさいがある、家康本陣では攻撃にさきだってまずそのうしろ備えを叩く必要を感じ、旗本から三隊の兵をわけてひそかに駿河へ侵入せしめ、敵の後方攪乱かくらんと兵力の分散を謀ったのである。……鳥居元忠の手からは杉浦藤八郎と竹沢図書助とが選まれて興福寺城の攻略に当った、それは遠く府中城より東へ十余里もはいった駿東郡の足高山麓にあり、小城ではあるが深さ二丈、幅三十間の濠をぐるっと周囲にめぐらした要害の地を占め、土屋善左衛門が五百の精兵をもって守備していた。杉浦、竹沢の二隊は折から降りつづく霖雨りんうのなかを三日二夜、不眠不休の強行で間道づたいに侵入し、追手と搦手から、同時攻撃の軍配で、その部署についたのであった。
 兵粮をつかい休息しているあいだに、いつか雨はあがって、あたりは幕を張ったような濃霧がたちはじめた、まるでかれらの攻撃を掩護えんごするために自然が協力して呉れたような仕合せである。幸先よしと、図書助は立って前進の合図をした。兵たちは持ち物を小荷駄にわたして軽装になり、しとどに濡れた叢林をわけて、暁闇ぎょうあんのなかをしずかに城の搦手へと接近していった。「おい小弥太……」安倍大七が前のほうから来てそっと呼びかけた、「しっかり頼むぞ、こんどは小勢の合戦だから手柄をたてるには又とない機会だ、めざましくやって呉れ、いいか」「…………」「ゆうべの失策だけでもとりかえすんだ、さもないと本陣へは帰れないぞ、わかっているだろうな」小弥太はうんとも云わず、前の兵の背中をみつめたきり黙って歩いている、大七はその顔をねめつけ、われ知らずまた舌打ちをした、ぐわんと一つ肩でも殴りつけてやりたいと思った。……かれらは幼な友達だった、どちらも旧くから鳥居家に属する足軽の子で、大七のほうが二歳だけ年長であり、気質のうえからも兄のような立場にいた。ごく親しい友達というものはたいがい性情の違うものだ、せっかちな人間と悠暢ゆうちょうな人間が結びつき、陰気な男と楽天的な男がよく気が合う、しかしそういう違いは表面のことで、本質的には必ず共通する点がある、つまり互いに同じ感情をもちながら表現の相い異なる者が親友になり易いのだ。大七は積極的な性質でぐんぐん前へ出ることを好む、小弥太は幼い頃から挙措が鈍重で、言葉つきもはきとしない、かれはすばらしく張り出たあごをもっていて、「あご」という綽名あだなをつけられたが、それがいつか「能なし」という意味に通ずるほど凡々たる存在だった、大七はかれのなかに秀でた気魄きはくのあることを信じたので、いまに本領をあらわすぞ、と思っていた、――世間の眼にはみえないが晩成の質だ、やがてはみんなのあっというときが来る、そう思って表から裏から小弥太をかばい励ましてきた。小弥太は成長したが少しも変らなかった、平常でも戦場でも人の後手ばかりひいて損をする、このあいだに大七はたびたびの戦陣で功名をたて、殊にさきごろ長篠ではかくべつの手柄があったので十人がしらに挙げられたが、小弥太は今なお鉄砲組の兵にすぎない、そして年はもう二十二歳である、こんどの興福寺攻めは小勢の合戦なので、この機会にこそと思っているのだが、当の小弥太はまるでそんな気概はないようだった。――やっぱりあごはあごだけのものか、大七がそう呟いたのは悪口ではなくむしろ友情のむちだったのである。けれども小弥太にはそれさえ痛痒つうようを与えなかったようだ。大七はつかみどころのない小弥太の横顔をねめつけ、もうひと言どなりつけようとしたのをやめて、自分の列へと戻った。
 夜はしらじらと明けてきたが、林野は濃い乳色の霧にとざされて十歩さきもおぼろにしか見えなかった。すでに予定の位置についていた竹沢隊は、午前四時、追手のあたりにあがった杉浦隊の狼火のろしを合図に、銃撃をもって敵に戦いを挑んだ。……前夜の深更に、うっかり鳴子に触れたので、敵には防戦の構えができていると思った、しかしそのようすはなくて攻撃はまさしく意表を衝いたとみえる、府中城を迂回うかいしてここまで突っ込んで来ようとは予想もしなかったのであろう、卒如として向背に銃射を受けた城兵は、まるで逆上したもののように斬って出た。寄手には思う壺である、後退するとみせてこれをおびき出し、濃霧の中へひき込んで人数を分散させつつ押し包んでは討った。早朝の光りを含んだ霧は条をなしてながれ、草原をおおい樹立を巻いた。斬り込んで来る敵と迎え撃つ味方の兵とは、その霧の中を縦横に走せちがい、はげしくうち当った、近いものも影絵の如く少し離れるとまるで見えないが、すさまじい絶叫や、呶号どごうのこえや、打ちあう刀槍の響きなどが、前へ後へと移動してやまない、それはそのまま決戦にまで展開しそうだった、緒戦とはみえない烈しい迫合になっていったのである。


 けれど間もなく敵は寄手の意図に気づいた、おのれの戦法が寄手の壺にはまったことを知った、そこで直ちに兵を城中へとひきあげた。ゆらい甲斐かい軍は退陣のみごとさで名がある、その時も実にあざやかな采配さいはいだった、寄手は追尾して斬り込む折をうかがっていたのだが、その隙を与えずに颯とひきあげ、すばやく濠の架け橋を焼いた。杉浦隊でも同じような結果となり、追手の橋板をがれてしまったから、両者とも攻め込む足掛りを失うに至ったのである。……もうひと息というところで機会を逸した寄手は、ひとまず二段ほど後退して陣を布き、兵たちに休息を命じた。
 杉浦藤八郎と竹沢図書助は、いかなる戦法をとるべきかすぐに協議した、このままでは永陣になるだろう、ゆるされた時日はあと一日しかないのだ、どんな犠牲をはらってもあと一日のうちに攻め落さなくてはならぬ、――だがはたしてそれが可能だろうか、「問題はひとつ、あのめぐらした濠だ」図書助はそう云った、「あの濠を突破することができればあとに困難はない」「……どうして突破するか」「ごく平凡な手がある、ごくありきたりな手段だ、搦手の架け橋は焼かれたが橋桁はしげたは残っている、人間のひとりやふたりは渡れるだろう、今夜しかるべき者を五六人、橋桁づたいに潜入させて、矢倉、城館へ火をかけさせる、われわれは合体して追手へ詰めるんだ、追手は橋板を剥いであるだけだから、なんでもよい板を集めて置いて、かれらが城へ火をかけるのを合図に、これを桁へうちかけて斬り込むんだ」藤八郎は頷いた、なるほど平凡な手段ではあるが、時間を限られているからほかに方法はないだろう、「……やってみよう」「みようではない」図書助は断言するように云った、「これは絶対にやり直しはできない、みようではなくてやるんだ、やりぬくんだ」藤八郎はにっと微笑した、それで図書助もあまり意気ごみすぎたのに気づき、にが笑いをしながら立った、「合体は日没後ときめよう」「よかろう、それから……」藤八郎はさりげない調子で云った、「潜入させる兵は惜しい者になるな」「……そうだ」ふと図書助は眼を伏せた、「こういうときにはきまって、いちばん惜しい兵に死んで貰うことになる、これがなにより……」呟くように云いかけたが、図書助はふいと手を振り、会釈をしておのれの陣へと帰った。
 旗がしらに呼ばれた安倍大七は、仔細しさいを聞いているうちにわれ知らず微笑をうかべた、かれはその困難さを思うまえに敵城へ潜入して要所要所へ火をかける自分の姿を想像した、かれはいつもそうである、性質というよりも戦場の経験から得たもので、事に当るときまずその成就を確信する、――広間に席がひとつ空いている、かれはよくそう云った、――それはそこへいって坐った者の席になる、合戦もおなじことだ、戦は生きもので決定的なところへゆくまで勝敗はわからない、そして勝敗を決するものは勝つという確信だ、勝つと信ずるものが必ず勝つんだ。いま図書助から大役を申しつかりながら、かれは少しも遅疑せず、早くも炎上する敵の矢倉の火を見る気持だった。「……つれてまいる者はわたくしに選ばせて頂けますか」「よかろう、しかし誰々をつれてゆくか」大七はすぐに五人の名をあげた、図書助は黙って頷いていたが、さいごに加行小弥太というのを聞くと眉をひそめた、そしてもの問いたげにこちらを見た、大七はその眼に気づかぬような顔で平然と相手を見かえしていた。
 日がれると間もなく、竹沢隊は追手の兵と合するため陣をはらって去り、あとには大七はじめ決死の者六人だけが残った。夜が更けてゆくと、ときどきおびえたように城から銃声が起った、城壁に火花のはしるのがみえ、弾丸が高く低く、空をきってひゅうひゅうと飛んだ、六人は「手雷火」というものを準備していた、簡単にいうと筒へ火薬をめたもので、口火をつけて投げると目的物に当って炸裂さくれつし、強い火薬が飛散してそこへ火を放つ武器である。準備が終ると兵たちに横になれと命じて、大七は小弥太を脇のほうへ誘った、「……たいてい察しはつくだろうが、今夜は必死だ」かれはそう云って友の顔をのぞいた、小弥太は黙って頷いた、「むろん死ぬだけでいいなら期したことだが、今夜の任務は死ぬだけではゆるされない、たとえ一人でも二人でも侵入して城中へ火を放たなくてはならぬ、……わかるな」「……うん」「誰が生きて敵城へはいれるかは神のしろしめすままだ、しかしたとえ運命を覆しても一人は任務を果さなくてはならない、いいか小弥太、それはおまえかも知れないんだぞ」「…………」「おれがどうしてこんなことを云うか、それもわかって呉れるだろう、え……」小弥太はなんとも云わずにふと夜空をふり仰いだ、まだ霖雨りんうは本当にあがったのではないとみえ、宵のうちは星がまたたいていたのに、空は再び曇って湿気の多い西風がきみわるく叢林をわたっていた。小弥太が卒然と云った、「……あのむすめはすっぱなどじゃなかったよ」それはあまりとつぜんだったので、大七はすぐにはその意味がわからなかった、小弥太はほっと溜息ためいきをついた、大七はその横顔をじっと見まもった。


「すっぱでないことがどうしてわかった」「……麦藁むぎわらの匂いがしていた、おそらく麦打ちをしていたのだろう、着物に麦藁の匂いがしみついていた、あれはただの百姓のむすめだよ、母親が急病で原まで医者を迎えにゆくところだったんだ」「それでは承知で逃がしたのか」小弥太は黙っていた、大七はもどかしいようなじれったいような気持で、なお暫く返辞を待ったが、蓋を閉めた箱のように黙ってしまった小弥太のようすが、いつもとは違ってどこかしら底の知れない、弘がりのある重さをもっているように感じられ、ふと肩でも叩いてやりたい友情の衝動にかられた、それでかれはきびすを返してそこを離れた。
 午前二時と思える時刻にかれらは立ちあがった。雨雲は低く垂れさがって、昨夜とおなじように鼻さきも知れぬ闇だった、初更のじぶんから吹きだした西風はいつか南へまわり、いまにも雨を呼ぶのかしだいに強くなりつつあった。殆んど爪尖さぐりに濠端へたどり着いた六人は、焼け残っている三本の橋桁をたしかめ、二人ずつ三組にわかれて、ちょうど木登りでもするように両の手足で桁へとりついた、そうやってい伝ってゆくより仕方がなかったのだ。……右の端の先頭は安倍大七で、小弥太がそのうしろにいた、橋桁の長さは三十間ある、昼のうち遠くから見ただけなので、果してどこまでたしかに焼け残っているかわからなかった、その不安を証拠だてるもののように、ほんの二三間もゆくと半分以上も燃えたあとにぶつかってきもを冷やした、「……もろいところがある、みんなよく注意しろ」大七はそう囁きながら、緊張のあまりにじみ出た掌のあぶら汗を、なんども桁へこすりつけては拭き拭きした。さすがにみんな気があがっているのだろう、抑えてはいるがどうにもならぬ暴々しさで息をあえがせていた。……蝸牛かたつむりの歩みもこれより遅くはあるまい、一寸、二寸、吸盤のようにしがみついた四肢ししで平均をとりながら、ようやく桁の中ほどまで来たときだった、大七のうしろで突然めりっというぶきみな音が起り、ぎょっとしてふり返るいとまもなく、折れた橋桁といっしょに小弥太の濠へ墜ちこむのが聞えた。あっという間もない瞬間の出来事である、大七は咄嗟とっさに「伏せろ、動くな」と呼びかけ、自分もぴたりと橋桁へ貼りついた。
 小弥太の墜ちた水音は大きかった、城壁に反響してぞっとするほども高く聞えた。八幡――、大七は五躰もひしげるおもいで神を念じた。城門のあたりに火あかりがみえ、やがて敵兵が七八人あまり出て来た、かれらは松明たいまつをふりかざして、そこ此処と濠の水面を覗きまわった、水音を聞きつけたので水面へ注意をかれているのだ、そして小弥太の浮きあがって来た時が運命のわかれである、――潜って脇へゆけ小弥太、そう大七は心のなかで呼びかけた、苦しいだろうが潜っていって石垣へりつけ、そこで浮くな、がまんしろ小弥太。できることならのども裂けよと絶叫したかった、今か、今かと身を寸断されるおもいで、浮いて来る小弥太の物音を聞きすましていた。しかし水面はひっそりとしていた、墜ちこんだ音がして、やがて水がしずまって、ずいぶん経ってもなんのけはいもしない、浮きあがるようすはないし水も揺れないのである、城兵はただ水面にある焼けた橋桁の折れだけをみつけた、「あの桁が落ちたんだな……」「びっくりさせられたぞ」そんな話しごえがしずまりかえった濠を越えて聞えた、そして間もなく、かれらは城門の中へ去り、火あかりも見えなくなった。
 大七にとってはその短い時間がたたかいの命だった、それに比べればそれから朝までの事はあっけないほど順調にはこんだ、五人はしゅびよく城中へ忍び入り、手わけをして矢倉や城館へ火をかけた。焔硝蔵えんしょうぐらをみつけてこれに火を放ったのが思い設けぬ拾いもので、その爆発のすさまじさが敵兵をまったく混乱におとしいれた。追手からの侵入もうまくいった、城兵の混乱に乗じ、集めて来たさまざまの板を、裸になった橋桁へうち掛けうち掛け、寄手の兵はおもてもふらず斬り込んだ。図書助は二人ずつ殪して死ねと云ったが合戦は圧倒的な味方の勝で、燃えあがる火をくぐり渦巻く煙を冒し、敵を到るところに追い詰めては討った、辛くも城を脱出したのは僅かな数で、さすがに降伏する者はなかったが殆んど城兵の大多数が斬り死にをし、夜の明けるじぶんには興福寺城はまったく味方の手に帰したのである。……勝鬨かちどきをあげる暇もなく、すぐに本陣へ使者を出した、燃えている火を消し、負傷者の手当を急いだ、それから兵の点呼をしたが、討死八十余名、負傷六十余という損害である。予想もしなかった好戦果で、はじめて城壁をゆるがす歓呼の声がどよみあがった。


 大七は小弥太を捜しまわった、あのとき浮きあがらなかったかれは、どこからか這い登って戦場へとびこんだ筈である、呼集のときみえなかったのは負傷でもして動けずにいるのではないか、そう思ったので、城の中を隅々まで走せまわって捜した、しかし小弥太はどこにもみえなかった。このあいだに敵味方の死者を集めて荼毘だびにした、そこでも一人ひとり検めてみたがいなかった。――どうしたのだ、かれはあきらめきれない気持で自分の隊へ戻った。あと始末がひとまず終って、再び追手と搦手とに隊をわけ、守備について兵粮をつかったのは午後二時ころのことであった。搦手へまわった竹沢隊では、久しぶりに甲冑を解きからだをぬぐい、城壁の日蔭に席をとってくつろいだ、そして桁づたいに城へ潜入した六人の話が出た、小弥太が濠へ墜ちたところではみんなあっと息をのみ、それでどうしたと一斉にのりだした。また焔硝蔵へ火をかけたとき、和田勝之丞という者が爆発の火に吹かれて死んだが、効果を確実にするため勝之丞が必要よりも接近し、寧ろからだごと焔硝蔵へとび込んだというのを聞くと、兵たちは思わずうめき、歯をみしめた。……図書助は黙って聞いていたが、食事が済むと大七を呼んで立ちあがった、「誰か水練に自信のある者はないか……」そう云って見まわすと、ひとりの兵がすぐに立って来た、図書助は頷いて搦手の城門のほうへ歩いていった。どうするんだろう、ほかの者たちも興を唆られ、いってみろと十人ばかりあとを追っていった。
「小弥太の墜ちたのはどの辺だ」濠端へ来ると図書助がそういた、「……あの桁の折れているところです」大七の指さすほうへ人々の眼が集った、図書助はふり返って水練に自信があるという兵を招いた、「そのほう濠へはいって底をみてまいれ、水が濁っているようだからよく注意して……」その兵はすぐに石垣を伝っておりてゆき、しずかに水の中へ身を沈めた。いったい旗がしらはなにを求めているのか、みんな不審に思いながらじっとみつめていた。巧みに水中へもぐり入った兵は、いちど息をつきに浮きあがり、二どめにはかなりながいこと潜っていた、そして次ぎに水面へあらわれたときには、ひとふりの短刀を口にくわえていた、かれが城壁へ登って来るのを待ちかねて、大七はそばへ駆け寄り「どうした」と叫んだ、かれは水浸しの髪を両手で押え、銜えていた短刀を大七に渡した、「……小弥太はおりました」「…………」「あの水底にいます」「水底にどうしておる」図書助がそう訊いた、かれはぶるっと顔をぬぐい、妙な手ぶりをしながら答えた、「……死んでおります、水底にひと抱えほどの石があります、かれはその石をこう抱えて死んでおります」裸の腕を輪にしてそのかたちを示した、「両手でこう石に抱きついたまま、離そうとしたのですがどうしてもだめでした、それでその鎧通よろいどおしだけ抜き取って来ました……」集っていた兵たちのなかで誰か「あごらしいな」と云う者があり、くすくすと忍び笑いがおこった、かれらには顎の張りでた小弥太の顔と、石に抱きついたままおぼれ死んでいる姿とが、なんとも可笑おかしく想像されたようである。大七は胸を絞られる思いでその笑いごえを聞き、眼を伏せた、図書助は「その鎧通しを預かろう……」そう云って大七の手から短刀を受け取り、元の場所へとひき返した。
 昏れがたまえにところの者が祝いの酒やさかなを運びこんで来た、これは思いがけなかったので時ならぬ歓声があがり、すぐに両隊へけてささやかながら祝宴がひらかれた。搦手でも桝形ますがたの広いところへむしろを敷き、輪座に並んで杯をまわした、ふすぼっていた焼跡の余燼よじんもおさまり、雲のきれ間から時どき月が覗いて、柱だけ残った矢倉のもののけのようなかたちを照らしだしたりした。杯がひとまわりしたときである、図書助が手をあげて「……みんなちょっと聞け」と云いだした、「少し話したいことがある、そのままでいいからしずかに聞け……」改まった調子なので、人々はなにごとかとそっちへ向き直った、「さっき加行の死にざまを聞いたときおまえたちは笑ったが、あれは決して笑うようなことではないぞ」しずかに図書助はそう云った、「……小弥太は不幸にも焼けて脆くなった桁が折れて濠へ墜ちた、もし浮きあがれば、自分が城兵に狙撃されるのはいうまでもなく、橋桁の上にいる五人も発見されるだろう、浮きあがってはならなかった、どんなことをしても、浮きあがってはならなかったのだ、それでかれは水底の石に噛りついて死んだ」「…………」「ほかに方法はなかったか、たとえば水底を潜っていって遠い場所へ浮くとか、石垣へ貼りついて首だけ出しているとか、いまここで考えれば方法は無くはない、しかし……水底を潜って遠いところへいって浮いても、石垣へ貼りついて首だけ出していても、決して発見されないとは断言ができないだろう、ただ一つ、水底で死にさえすれば確実だ、そこで死にさえすればよい、万一の僥倖ぎょうこうをたのむよりおのれを殺すことがその場合もっともたしかな方法だった、かれはそのたしかな方法をとったのだ」


「戦場のまっ唯中で、敵と斬りむすんで死ぬことは、もののふにとってさしたる難事ではない……」図書助はしずかに続ける、「けれども水底の石に噛りついて、みずから溺れ死ぬということは考えるほどたやすくはないぞ、心はいかに不退転でもからだには苦痛に堪える限度がある、……呼吸が詰って来、耳、鼻、口から水がはいって、がまんも切れ神も悩乱するとき、それをふみ超えて溺れ死ぬというのはなみたいていのことではない、どんなに困難であるか、みんな自分をその水底に置いて考えてみろ」兵たちは眼を伏せ、頭を垂れた、図書助はふるえてくる声を抑えながらちょっと間をおいて言葉を継いだ、「……今日の勝ち戦は小弥太のたまものといってもよいだろう、そして戦場にはいつも、こういう見えざる死が必ずある、おのれを殺して味方を勝に導く、しかも人の眼にはつかない、小弥太の死にざまも水底を探らなければわからなかった、かれの死躰は誰にも知られず、石を抱いたまま水底の骨になるだろう、つわものの一人ひとりにこの覚悟があってこそ戦に勝つのだ、そしてこれこそはまことに壮烈というべきなのだ」隅のほうで堪りかねたように嗚咽おえつのこえが起り、それが輪座した人々のうえに次ぎ次ぎと伝わっていった。
 大七は立ちあがり、城壁の石へ身を投げかけて泣いた、かれは今はじめて小弥太の本当の姿をみるように思った、「あご」という綽名が無能の代名詞のように伝えられたのは、小弥太の表だけ見て心を知らなかったからである、大七は幼いときから功名を争い手柄を競った、十人がしらに挙げられたときは、部将になる日がすでに目前の事実としてみえ、満身の闘志に心が燃えるようだった、だがなんと小弥太の性根の違っていたことだろう、いつも人の後手をひくと考えたのは、かれが見えざるところで闘っていたからだ、水底の石に噛りついて死んだ、その死にざまは小弥太の平生のあらわれである、かれはつねにそういう闘いを闘って来た、ほかの者にはそれが見えなかっただけなのだ、――おれはじなければならぬ、大七は拳で石垣を打ちながらそう叫んだ。
 そのとき追手のほうから、松明を持った兵がひとりの娘を案内して来た、「……こっちに加行小弥太という者がいるか」「……どうした」こちらからそう答えたが、小弥太と聞いたので、大七は急いで涙を拭きながらそっちへ寄っていった、「……加行がどうかしたか」「いや尋ねて来た者があるのです」追手の兵はうしろにいる娘へふり返った、「この娘が会いたいと云っているんですが……」「おまえは誰だ……」大七は娘を見やった、十七八になる小がらな百姓風の者で、背中に大きな籠を負っていた、「……かぎょう小弥太さまというお名前だけうかがったのですけれど」娘は大きな眼でおどおどと大七を見あげながら云った、「加行になにか用か」「はい、……おとついの夜更けでございましたが、もう無いものと思った命を助けて頂きました、夢中でしたけれどお名前が耳についていましたし、お勝ちいくさとうかがってお礼を申しにまいりました、……おめにかかれますでしょうか」大七は娘の言葉を聞きながら、麦藁の匂いがしたよといった小弥太のこえを思いうかべ、答えることができずに眼をそらした。……娘の背負っている籠の中には、おびただしい枇杷びわの実があって、つややかな眼にしみるような黄色に輝いていた。





底本:「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」新潮社
   1983(昭和58)年10月25日発行
初出:「新武道」
   1944(昭和19)年5月号
※初出時の表題は「あご」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2025年3月13日作成
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