柳橋物語

山本周五郎




前篇








 青みを帯びた皮の、まだ玉虫色に光っている、活きのいいみごとな秋鯵あきあじだった。皮をひき三枚におろして、塩で緊めて、そぎ身に作って、鉢に盛った上から針しょうがを散らして、酢をかけた。……見るまに肉がちりちりと縮んでゆくようだ、心ははずむように楽しい、つまには、青じそを刻もうか、それとも蓼酢たでずを作ろうか、歌うような気持でそんなことを考えていると、店のほうから人のはなし声が聞えて来た。
「いったいいつまでにやればいいんだ」
「無理だろうが明日のひるまでに頼みたいんだ」
「そいつはむつかしいや、明日までというのがまだ此処ここにこれだけあるんだから、まずできない相談だよ」
「そうだろうけれど、どうしても爺さんの手で研いで貰いたいんだ、そいつを持って旅に出るんだから」
「旅へ出るって」源六のびっくりしたような声が聞えた、「……おまえが旅へ出るのかい」
「だから頼むのさ、爺さんに研ぎこんで置いて貰えば安心だからな、無理だろうけれどそれでやって来たんだよ」
 庄吉の声だった。おせんは胸がどきっとした、庄さんが旅に出る、出仕事だろうかそれとも、そう思ってわれにもなく耳を澄ました。
「そうかい」と源六が返辞をするまでにはかなりの間があった、「……じゃいいよ、やっておくから置いてゆきな」
「済まない、恩にるよ爺さん」
 そしてその声の主は店を出た。おせんがその足音を耳で追うと、それが忍びやかに、けれどすばやくこの勝手口へ近づいて来た。おせんはそこの腰高障子をそっと明けた、庄吉が追われてでもいるような身ぶりですっと寄って来た。血のけのひいた顔に、両の眼が怖いような光を帯びておせんを見た、彼は唇をめながらささやくように云った。
「これから柳河岸やなぎがしへいって待っているよ、大事なはなしがあるんだ、おせんちゃん、来てれるかい」
「ええ」おせんは夢中でうなずいた「……ええいくわ」
「大川端のほうだからね、きっとだよ」
 そう念を押すとすぐ庄吉は去っていった。おせんは誰かに見られはしなかったかと、……どうしてそんなことが気になるのかは意識せずに、……横丁の左右を見まわした。向う側にはかもじ屋に女客がいるきりで、貸本屋も糸屋も乾物屋もひっそりとしているし、主婦がおしゃべりでいつも人の絶えない山崎屋という飛脚屋の店も、珍しくがらんとして猫が寝ているばかりだった。障子を閉めたおせんは、ざるにあげてある青じそを取って、爼板まないたの上に一枚ずつ重ねて、庖丁ほうちょうをとりあげたまま暫くそこに立ちすくんでいた。なんと云って家を出よう。そんなことは初めてなので、怖いようでもあるし、お祖父じいさんに嘘を云うことが辛かった。けれども頭のなかでは庄吉のあおざめた顔や、思い詰めたようなうわずった眼や、旅に出るという言葉などが、くるくると渦を巻くように明滅し、彼女の心をはげしくせきたてた。……そうだ、おせんは爼板の上の青じそを見てふと気づいた。柳原堤やなぎわらどてへいつも出るはしり物屋がある、このあいだ通りかかったら独活うどがあった、あれを買って来てつまにしよう、駆けてゆけば庄吉の話を聞くひまくらいはあるだろう、おせんは前垂で手を拭きながら台所からあがった。
「お祖父さん、ちょっといって鯵のつまにする物を買って来ますよ」
「鯵のつまだって」源六は砥石といしから眼をあげずに云った、「……つまなんか有合せで結構だぜ、あんまり気取られるとぜんが高くなっていかねえ」
「それほどの物じゃありませんよ、すぐ帰って来ますからね」
 そしてなおなにか呼びかけられるのを恐れるように、店の脇から出て小走りに通りのほうへ急いでいった。……中通りをまっすぐにつき当ると第六天だいろくてんの社である、柳原へはそこを右へ曲るのだが、おせんは左へ折れ、平右衛門町へいえもんちょうをぬけて大川端へ出た。
 隅田川すみだがわは夕潮でいっぱいだった。石垣の八分めまでたぷたぷとあふれるような水からは、かなりつよく潮の香が匂ってきた、初秋のれがたの残照をうけて、川波は冷たくにぶ色にひかり、ひとところだけ明るく雲をうつしていた。竹屋の渡しあたりを川上へいそぐ小舟が見えるほかは、広い川面に珍しく荷足にたりも動かず、かもめの飛ぶようすもなかった。……河岸ぞいに急いでゆくと、足音に驚いて小さなかにが幾つも、すばやく石垣の間へ逃げこむのがみえる。ついするとそれを踏みつけそうで、おせんははらはらしながら歩いていった。神田川のおち口に近い柳の樹蔭こかげの、もううす暗くなったところに庄吉は立っていた。柳の樹に肩をもたせて、腕組みをして、どこやら力のぬけたような姿勢で、ぼんやり川波を見まもっていた。
「有難うよく来て呉れた」
 彼はおせんを見るとすがりつくような眼をした。
「あたし柳原まで買い物をしにゆくつもりで出て来たの、遅くなっては困るし、もし人に見られるときまりが悪いから……」
「話はすぐ済むよ」庄吉はおせんよりおどおどしていた。ふだんから色の白い顔が、血のけもないほど蒼くなり、大きくみひらいている眼は、不安そうに絶えずあたりを見まわすのだった、「……今朝とうとう幸太こうた喧嘩けんかをしてしまった、おれはがまんして来た、きょうまでずいぶんできないがまんをして来たんだ、けれどもどうせいつかはこうなる。おれか幸太か、どっちか一人はこの土地を出なくちゃあならないんだ、そして幸太が頭梁とうりょうの養子ときまったからには、出てゆくのはおれとわかりきっていたんだ」
「でもどうして、どうして喧嘩になんぞなったの、幸さんとどんなことがあったの」
「今朝のことなんかたいしたことじゃあない、ただ喧嘩のきっかけがついたというだけで、はっきり云ってしまえば……」庄吉はそう云いかけてふと口をつぐんだ、それから臆病そうな、けれどくいいるような烈しい眼つきで、おせんの顔をじっと見つめた、「……いやそれを云うまえにいて置きたいことがあるんだ、おせんちゃん、おれは明日、上方かみがたへ旅に出るよ」
「…………」
 おせんはこくっと生唾をのんだ。
「江戸にいれば頭梁の家で幸太の下風かふうにつくか、とびだしたところで、一生叩き大工で終るよりほかはない、それより上方へいって、みっちりかせいで、頭梁の株を買うだけの金をつかんで帰って来る、知らない土地ならばみえも外聞もなく稼げるし、あっちは諸式がずっと安いそうだから、早ければ三年、おそくっても五年ぐらいで帰れるだろう、おせんちゃん、おまえそれまで待っていて呉れるか」
「待っているって」
 おせんは声がふるえた、「……あたし、庄さん」
「そうなんだ、きょうまで口ではなんにも云わなかったけれど、おれがおせんちゃんをどう思っていたかということはわかっていて呉れた筈だ、おそくとも五年、帰って来れば頭梁の株を買って、きっとおまえを仕合せにしてみせる、おせんちゃん、それまでお嫁にゆかないで待っていて呉れるか」
「待っているわ」おせんはからだじゅうが火のように熱くなった。そして殆んど自分ではなにを云うのかわからずにこう答えた、「……ええ待っているわ、庄さん」
「ああ」庄吉はいっそう蒼くなった。「……有難うおせんちゃん、おかげで江戸を立つにもはりあいがある、そしてその返辞を聞いたから云うが、実は幸太もおせんちゃんを欲しがっているんだ、喧嘩のもとは詰りそれなんだ、だからおれがいなくなれば、きっと幸太はおまえに云い寄るだろう、そいつは今から眼に見えている、だがおれはこれっぽっちも心配なんかしやあしない、おせんちゃんはおれを待っていて呉れるんだ、どんなことがあっても、そう思っていていいな、おせんちゃん」
 そのときおせんはたとえようもなく複雑な多くの感情を経験した。あとになって考えると、わずか四半刻しはんときばかりのその時間は、彼女の一生の半分にも当るものだった。……おせんは覚えている、そのときあたりは昏れかけていた。つい向うに見える両国の広小路も、川を隔てた本所ほんじょの河岸も、このあいだまでは水茶屋に灯がはいり、涼み客のざわめきでにぎわっていたのに、いまは掛け行燈の光もなく、並んだ茶店はもう女たちも帰ったのだろう、ひっそりと暗く葭簾よしずが巻いてある、もう肌さむいくらいな川風に、柳の枯葉はあわれなほどもろく舞い散り、往来の人の忙しげな足どりも、物売のかなしげな呼びごえも、すべてが秋の夕暮のはかなさを思わせるものばかりだった。
 庄吉に別れるとそのまま家へ帰った、もう柳原へいって来るには遅いと思ったから。帰るみちみち、おせんの胸はあふれるような説明しようのない感動でいっぱいだった。それは生れて初めての、あまい、燃えるような胸ぐるしいほどの感動だった。庄吉と逢ったわずかな時間、庄吉から聞かされた短いその言葉、その二つが彼女のなかに眠っていた感情と感覚とをいっぺんによびましたのである。街の家並もたそがれのあわただしい景色も、常と少しも違ってはいないのだが、今のおせんにはびっくりするほど新しくもの珍しいように思え、こんなにしっとりしたいい町だったのかと見なおすような気持だった、源六はもう灯をいれて、砥石に向っていた。
「おそくなって済みません」おせんはそう声をかけながら、店へはいろうとしてふと気がつき表に掛けてある看板を外した、雨かぜにさらされてすっかり古びているが、まん中に御研ぎ物、柏屋源六かしわやげんろくと書き、その脇へ小さな字で、但し御槍おんやりなぎなた御腰の物はごめんをこうむると書いてある、おせんは看板の表のほこりを払いながらいった、「……このあいだ独活があったのでいってみたのだけれど、きょうはあいにくどこにもないのよ、おじいさん、かんにして下さいね」
「だから有合せでいいって云ったんだ、つまなんぞどうでも秋鯵の酢があればおれは殿様だぜ」
「それではすぐお膳にしますからね」そしておせんはもう暗くなった台所へはいっていった。


 庄吉はその明くる日、たのんだ研ぎ物を受取りかたがた別れに来た。源六には「三年ばかり上方で稼いで来る」と云っただけでくわしい話はしなかった。おせんには達者でいるようにと云い、おもいをこめた眼でじっとみつめながら、まるで泣いているような微笑をうかべた。そしてその日午後、品川のほうにある親類の家から旅に立つ筈で、茅町かやちょうの土地を去っていった。
 おせんは四五日ぼんやりと、気ぬけのしたような気持で日を送った。なにかしていてもふと庄吉のことを考えている。蒼ざめた顔や、思いつめたきみの悪いような眼や、おずおずした、けれど真実のこもったささやき声などを、繰り返し繰り返し考えふけっているような日が。……その次には旅のかなたが気になりだした。もうどのくらい行ったろう、箱根はぶじに越したろうか、馴れない土地は水にあたり易いという、病みつくようなことはないかしらん、そして、よく人の話に聞く道中の恐ろしい出来事や、思いがけない災難があれこれと想像されて、ぞっと寒くなるようなことも度たびだった。こういうことが半月ほど続いたあと、少しずつ気持がおちついてくるとおせんは庄吉と幸太とのかかわり、かれらと自分とのつながりを思い返した。
 茅町二丁目の中通りに杉田屋巳之吉すぎたやみのきちという頭梁が住んでいる、家にいる職人だけでも十人ほどあり、多く武家屋敷へ出入りをする名の売れた大工だった。おせんの家は元その隣りで髪結い床をやっていた。父の茂七もしちは彼女が十二のとき死んだが、口の重い、かんの強い性質で、あいそというものがまったく無いため、よく知っている者のほかは余り客も来なかった。また母は病身で月のうち十日は寝たり起きたりのありさまだったから、家の中はいつも、鬱陶しく沈んだ空気に包まれ、いつもどこかに溜息ためいきが聞えるという風だった。……おせんはごく幼い頃から、一日じゅう杉田屋の家で遊び暮すことが多かった。巳之吉も妻のおちょうも子供が好きなのに、一粒だねの女児が生れて半年めに死んでしまい、そのあとずっと子が無かったので、おせんがまだ乳ばなれもしないうちから、よく来ては「なんだかひざさびしくって」などと云っては抱いてゆきゆきした。おせんのほうでもお蝶によく馴ついて、自分の家は狭くるしく陰気で、子供ごころにもなにやら息詰るような感じだったが、杉田屋は座敷も広く人も大勢いて賑やかだし、そこにはいつも玩具や菓子が待っていた。着物や帯もずいぶん買って貰った、春秋はるあきには白粉おしろいを付け髪を結い、美しく着飾って、そのころ杉田屋にながくいた定五郎さだごろうという老人の背に負われて、巳之吉夫妻といっしょに花を見にゆき、秋草を見にいった。王子権現おうじごんげんの滝も、谷中やなか螢沢ほたるさわも、本所の牡丹ぼたん屋敷も、みなそうして知ったのである。
 ――おせんちゃん、小母さんの子におなりでないか、そのじぶんお蝶はよく頬ずりしながらそう云った。するとおせんは生まじめな顔になり、いかにも困ったというように首をかしげながら、あたしおっかさんの子でなければおばさんの子になるんだけれど、きまってそういう返辞をしたそうで、そんな幼さに似あわない、情のこもったようすだったと、後になってからよく聞かされた。
 おせんの九つの年に母がくなった。そして間もなくお祖父さんが来ていっしょに住むようになった、源六は父にとって実の親だったが、気性が合わないため別居し、神田のほうで研屋をしながらずっと独りで暮していた。それが茂七が妻に死なれ、おせんを抱えて惘然もうぜんとしているのをみて、自分からすすんでいっしょになったのである。それまでにも菓子や花簪はなかんざしなどを持っては折おり訪ねて来たので、おせんはよく知ってもいたし母の亡くなったあとの淋しいときだったから、すぐ源六に馴ついて、夜なども抱かって寝るようになった。……幸太と庄吉とはその前後から知り合ったのだ、幸太は巳之吉の遠い親類すじに当り、十三の春から、杉田屋へ徒弟にはいった。口のきき方もすることも乱暴な、ひどくはしっこい少年で、来る早々から職人たちと達者に口喧嘩などするという風だった。庄吉は幸太より半年ほどあとから来た、不仕合せな身の上で、両親もきょうだいもなく、品川で漁師をしている遠縁の者が親元になっていた。彼は幸太とは反対にごくおとなしい性分で、おない年とはみえないほど背丈も低く、ひよわそうな女の子のような感じだった。母が亡くなってからはおせんはあまり杉田屋へゆかなくなった。お祖父さんが止めるし、父も好まないようすだったから、ずっとあとになってわかったことだが、杉田屋から養女に貰いたいという話があり、父との間が気まずくなったのだという、……けれども杉田屋のほうでは別に変ったようすもなく、お蝶が自分でなにか持って来て呉れたり、幸太や庄吉を使いによこして食事に呼んだり、芝居見物につれだしたりした。
 茂七が死ぬとすぐ、源六はおもて通りの店をたたんで、中通りの今の住居へ移った。もうおせんも十二になっていたし家も離れたので、巳之吉やお蝶とはしだいに疎くなったが、職人たちは道具を研いで貰うためにしげしげやって来た。「いちにんまえの大工が自分の道具をひとに研がせて申しわけがあるのかい」源六はいつもそう叱りはしたが、そのあとでは彼らによく職人気質かたぎというものを話して聞かせた、砥石に向って仕事をしながら訥々とつとつとした調子で古い職人たちの逸話を語るとき、老人はいかにも楽しそうだし聴く者にとってもおもしろかった。世間は表裏さだめ難く人生の転変は暫くもうつりやまない。生活はいつも酷薄できびしくいささかの仮藉かしゃくもない、そのあいだにあっていかに彼らが仕事に対する情熱の純粋さを保ったか、いかに自分の良心の誤りなさを信じたか、老人のしずかに語るそういう数かずの例は、聴く者にとってただおもしろいだけではなく、そういう人たちのように生きようということ、どんな苦しいことにも負けずに本当の仕事をしようという気持をよび起こされるのだった。……幸太も庄吉もしばしば来た、幸太は相変らず口が悪くすることも手荒かったが、仕事の腕はもういちにんまえだと云われていた。
「へん腕で来い」そう云って兄弟子たちにも突っかかることが少なくなかった。芝居を見にゆくと花簪とか役者の紋を染めた手拭とか半衿はんえりなどを買って来て呉れるが、決しておとなしく渡すようなことはない、そっぽを向いて「ほら取りな」などと云いながら投げてよこすのだった、そのくせおとなしい庄吉よりもおせんには彼のほうが近しい感じで、なにか頼んだりするにはいつも幸太ときまっていたのである。
 幸太が杉田屋の養子にきまったのは、去年の冬のことだった。かなり派手な披露宴があり、源六やおせんも招かれた、十九という年になっても幸太は幸太らしく、巳之吉と親子のさかずきをするときには赤くなって神妙にしていたが、酒宴になるともう窮屈に坐っているのが耐らないらしく、膝を崩して注意されたり、しきりに立ったり、また膳の物を遠慮もなく突っついて叱られたりした。それが十三四の頃のいたずらな彼そのままで、おせんは遠くから眺めながら幾たびもくすくすと笑った。……そのとき庄吉はひどく蒼い顔をして、元気のないようすで客の執持とりもちをしていた。おせんは別に気にもとめなかったが、暫く経ってから、養子のはなしは幸太と庄吉の二人のうちということで始まり、結局は幸太にきまったのだと聞いてから、酒宴のときの庄吉の沈んだようすが思いだされてはげしく同情をそそられた。
 ――庄さんのほうがおとなしくって人がらなのに、杉田屋さんではどうして庄さんをご養子にしなかったんでしょう。おせんはそれが不服でもあるように云ったものだ。
 ――どっちでもたいした違いはないのさ、と源六は笑いもせずに答えた。杉田屋の養子になったからといってゆくすえ仕合せとはきまらないし、なり損ねたからって一生うだつがあがらないわけではなかろう。運、不運なんというものは死んでみなければ知れないものさ。
 元もと温順な庄吉は、それまでと少しも変らず黙ってよく稼いでいた。もう腕も幸太に負けなかったし、仕事に依っては彼のほうが上をゆくものもあった。然しおせんにはそれが幸太と張り合っているように、腕をあげることで意地を立てようとしているようにみえ、いっそう庄吉が孤独な者に思われて哀れだった。……だがいずれにしても、幸太と比べて庄吉のほうが好きだと考えたことなどはなかった、幸太のてきぱきした無遠慮さ、自分を信じきった強い性格はにくいと思っても不愉快ではない。庄吉の控えめなおとなしさ、いつもじっとなにかをがまんしているというようなところはあわれでもあり心をかれる、二人とも幼な馴染で、どちらにも違った意味の近しさ親しさをもっていたのだ。
「けれどもうそれもおしまいなんだわ」おせんはあまいようなうら悲しい気持でそうつぶやく、「……庄さんはあたしの待っていることを信じて上方へいったのだもの、違った人情と雨かぜのなかで、あたしと二人のために苦労して稼いで来るのだもの、あたしだって庄さんだけを頼りに待っていなければならないわ、どんなことがあっても」
 おせんは自分の心も感情も、庄吉のことでいっぱいだと思う。するとそれがさらに彼のうえを思うさそいとなり、時には胸の切なくなるようなことさえあった。――もう大阪へ着いた頃であろう。宿はきまったかしらん。うまく稼ぎ場の口がみつかるだろうか、もう手紙くらい来てもいい筈だけれど、そんなことを思いつつ秋を送り、やがて季節は冬にはいった。


 霜月はじめの或る日、向うの飛脚屋の店にいる権二郎ごんじろうという若者が、買い物に出たおせんのあとを追って来て手紙を渡した。「杉田屋にいた庄さんから頼まれてね」と、彼はにやにやしながら云った。
「まあ」おせんはかっと胸が熱くなった。
「……どこで、この手紙どこで頼まれたの」
「大阪でひょっくりぶっつかったんだ、そうしたらこれを内証で、おせんに渡して呉れと云われてね、元気でやっているからってさ」
「そう有難う、済みません」
 権二郎はまだなにか云いたそうだったがおせんは逃げるように彼から離れていった。……山崎屋はさして大きくはないがともかく三度飛脚で、大阪の取組先があり若者も五人ばかり使っていた、権二郎はその一人だが、用達ようたしには誰よりも早く、十日ぎり、六日限などという期限つきの飛脚は彼の役ときまっているくらいなのに、酒癖が悪くて時どき失敗し、店を逐われてはまたびを入れて戻るという風だった。「どうして庄さんはあんな人に頼んだのかしら」おせんは買い物をして家へ帰るまでそれが気になった、「……また酒にでも酔って、近所の人にでも話されたらどうしよう、そんなことのないようにしては呉れたろうけれど、あの人の酒癖を知っていたらよして呉れればよかった」たぶん遠いところで同じ土地の者に会ったなつかしさと、手紙を内証で渡したさについ頼んだものに違いない。そう考えたものの、おせんにはなにかよくないことが起こりそうに思え、どうしても不安な気持をうち消すことができなかった。
 その夜お祖父さんが寝てから、おせんは行燈の火を暗くして手紙を読んだ。それはごく短いものだった。道中なにごともなく大阪へ着いたこと、道修町どしょうまちというところの建具屋へひとまず草鞋わらじをぬぎ、いまその世話で或る普請場へかよっていること、江戸とは違って人情は冷たいが、詰らぬ義理やみえはりがなく、どんなに倹約な暮しでもできることなど簡単に記してあり、終りに「手紙のり取りなどすると心がぐらつくから当分は便りをしない。そちらからも呉れるな」ということが書いてあった。おせんは飽きるまで読み返した。もちろん、仮名ばかりだし、云いたいことの半分も表わせない、もどかしさの感じられる筆つきだったが、読むうちに異郷の空の寒ざむとした色がみえ、暗い街筋や橋や、乾いた風の吹きわたる埃立ほこりだった道などが眼にうかんだ、そしてそういう風景のなかで、知り人もなく友もない彼が、たったひとり道具箱を肩にして道をゆき、どこかの暗い部屋の中でひっそりと冷たい食事をする、そういう姿がかなしい歌かなにかのように想像されるのであった。
 自分では意識しなかったが、その手紙のおせんに与えた印象は決定的だった、突込んで云えばおせんは顔つきまで変った、庄吉を思うそれまでの感情は、十七になった少女のものでしかなかった、現実と夢とのけじめさえ定かならぬ、ほのかな憧憬あこがれに似てあまやかなものだった。然しその手紙を読み遠い見知らぬ土地と、そこでひたむきに稼いでいる彼の姿を想いやったとき、おせんの感情は情熱のかたちをとりだした、十七歳という年齢はもはや成長して達した頂点ではなく、そこからおんなに繋がる始点というべきものとなったのである。
 或る日の午後、杉田屋から源六を呼びに使いが来た、そんなことは絶えてなかったし、用事もはっきりしないので、源六はちょっとゆき渋ったが、追っかけ催促があったのでやむなくでかけていった。……それは夕餉ゆうげのあとだったが、一ときほどすると赤い顔をして帰った。
「あらおよばれだったんですか」
「なにそうでもないんだが」上へあがるとき源六はふらふらした、「……これはひどく酔った」
「たいそうあがったのね、臭いわ」
「水を貰おうかな」
「床がとってありますから横におなりなさいな」
 おせんはお祖父さんを援けて寝かしながら、老人が自分のほうを見ようとしないのに気づいた。なんとなくおせんの眼を避けているようだった。どうしたのかしら、水をんでゆきながらおせんはかすかに不安を感じた。
「済まないもう一杯くんな」源六は湯呑の水をたてつづけに三杯もあおった、「……何百ぺん云っても酔醒めの水はうまいもんだ、若いじぶんまだ酒の味を覚えはじめた頃だったが、酔醒めの水のうまさを味わうために、まだうまくもない酒を呑んだことさえあった」
「ねえお祖父さん」と、おせんは源六の眼をみつめながら云った、「……杉田屋さんではなにか御用でもあったんですか」
「そうなんだ」源六はなにか思案するように、ちょっと間を置いて頷いた、それから仰向けに寝たままで、しずかにこちらへ顔を向けた、「……話というのはな、おせん、正直に云ってしまうが、おまえを嫁に呉れということなんだ」
 まあとおせんはたれでもしたように片手で頬を押えた。源六はそれを見て眉をしかめ、良心の苛責かしゃくを受ける者のように眼を伏せた。そして重たげに身を起こし、自分で湯呑に水を注いでのどを鳴らしながら飲んだ。
「それで、お祖父さんは、どう返辞をなすったの」
「おまえには済まないが断わった」
「…………」
「本当に済まないと思う、杉田屋はあれだけの株だし、幸太はどこに一つ難のない男だ、そればかりじゃあない、杉田屋の御夫婦とおまえとは、乳呑み児のじぶんから馴染だ、おまえはきっと仕合せになるだろう、だがおれにはできなかった、どうにも頼むと云えなかった」源六はそこでぐったりと寝床の上に身を伏せた、「……人間には意地というものがある。貧乏人ほどそいつが強いものだ、なぜかといえば、この世間で貧乏人を支えて呉れるのはそいつだけなんだから、おまえはなにも知らないだろうが、おまえのおっさんがまだ生きていた頃のことだ、杉田屋のおかみさんが来て、枕もとへ坐って、おまえを養女に貰いたいと云いだした、そのときお蝶さんはこういうことを云ったそうだ、茂七さんはあんな性質だから、これからさき当てもたいてい知れたものだ、そのうえおまえさんはその病身で、いつどんなことがあるかもわからない、杉田屋へ貰えば着たいものを着せ、喰べたい物を喰べ、観たいものを観せて気楽に育てられる、わが子を仕合せにしたいというのが親の情なら、きっとよろこんでおせんちゃんを養女に呉れる筈だ」
 源六はそこまで云ってふと言葉を切った。灰色の薄くなった髪のほつれたのが、行燈の光をうけてきらきらとふるえている、苦しかった六十七年の風霜を刻みつけたようなしわの多い日にけた渋色の顔は、そのときの回想の辛さにゆがんだ。
「杉田屋のおかみさんに悪気はなかったろう、けれども聞くほうにはずいぶん辛い言葉だった、というのは、……おまえのおっ母さんという人は、初め杉田屋の頭梁のところへ嫁にゆく筈だった。けれどおっ母さんは茂七が好きだったので、いったん親たちのきめた縁談を断わって茂七といっしょになった」源六はそこでほっと太息といきをついた、「……その頃はうちでも下職したしょくの二人くらいは使っていた。さして余りもしないが不自由な思いをするほどでもなく、好きでいっしょになった夫婦にはまず頃合の暮しだった、やがて頭梁のとこへもお蝶さんが来て、表面は茂七と巳之さんのつきあいも元どおりになったが、根からさっぱりしたわけではなかったようだ、そして間もなく茂七に悪い運が向いてきた、下職の一人が剃刀かみそりを使いそくなって、酔っていたんだな、客の顔に傷をつけてしまった、然もそれがふりの客だったし、傷はかなり大きかった。茂七はなんども町役に呼ばれたり、法外な治療代を取られたりした、くさっていたところへ、こんどは別の下職が箪笥たんすの中の物や少しばかり貯めた金をさらって逃げた……おまえが生れたのはそのじぶんだったが、もともとあまり達者でもなかったおまえのおっ母さんは、お産をしたあとずっと弱くなって、月のうち半分寝たり起きたりしているようになった、客に傷をさせてから店もさびれだし、だんだん暮しが詰っていった。杉田屋のおかみさんがおまえを抱きに来はじめたのはその頃のことだった、お蝶さんは少しまえに、生れて半年足らずの女の児に死なれていた、けれどもおまえを抱いてゆき、着物や帯を買ったり、玩具や菓子を呉れたりするのは、ただお蝶さんが膝さみしいというだけのことではなかった、こっちの落ち目になったのをあわれむ巳之さんの気持がはたらいていたんだ、……おまえのお父っさんやおっ母さんにとって、それがどんなに辛いことだったかわかるだろう、おっ母さんは巳之さんを断わって茂七といっしょになった、そういう因縁のある相手から、落ち目になって情をかけられるということは、わらわれるよりも辛い堪らないものだ、おまえを養女に呉れという相談のとき、お蝶さんの言葉を聞いておまえのおっ母さんはずいぶん、口惜しがって泣いたそうだ」
 おせんは胸が詰りそうだった。茂七さんのゆくすえも知れたものだとか、おまえさんは病身でいつどうなるかわからないとか、うちへ来れば着たいものを着、喰べたい物を喰べておもしろ可笑おかしく育てられるとか、……恐らく親切から出た言葉だろう、うちとけたれた気持で云ったのではあろうが、貧苦のなかで病んでいる者にとっては、然も過去にそういう因縁のある者からすると、おせんにも母や父の辛さ口惜しさがよく察しられた。
「あたしが死んだらすぐあとを貰って下さい。そしてどうかおせんはうちで育てて下さい、杉田屋さんへは、どんなことがあっても遣らないで下さい、おっ母さんはなんどもなんどもそう念を押した、おれもそれを聞いているんだ、おせん、もうおまえも十七だ、これだけ話せば、おれが縁談を断わった気持もわかって呉れるだろう」
「わかってよお祖父さん」おせんは指尖ゆびさきで眼を拭きながら頷いた、「……そんな話を聞かなくったって、あたし杉田屋へお嫁になんかいかないわ、だって」
「ああわかって呉れればいいんだ、金があって好き勝手な暮しができたとしても、それで仕合せとはきまらないものだ、人間はどっちにしても苦労するようにできているんだから」


 いろいろなことがわかった。母親が死んだあと、父やお祖父さんが杉田屋へやりたがらなくなったこと、あんなに親しくしていたのに、杉田屋の小父さんは決してうちへ来なかったこと、そして父が亡くなるとすぐお祖父さんが店をたたんでこっちへ移転したことなど……これらのなかでいちばんおせんの胸にこたえたのは、「……どんなことがあってもおせんを杉田屋へ遣らないように」という母親の言葉だった。お祖父さんはそれを貧しい者の意地だと云ったが、おせんはそうは考えなかった、杉田屋はおっ母さんが嫁に望まれたのを断わった家だ、自分の選ばなかった人に自分の娘を託すことができるだろうか、意地ではなかった、もっと純粋な女の誇りだったというべきである、おせんには母親の気持が手でさぐるようにわかるのだった。
「お父っさんもおっ母さんもずいぶん苦労したようだ、贅沢ぜいたくなどということはいちどもできなかったかも知れない、でもお互いに好きあっていっしょになったのだもの、貧乏も苦労もきっと仕がいがあったに違いない、お祖父さんの云うとおりもし人間が苦労するように生れついたものなら、ほんとうに心から好き同志がいっしょになって、互いに、慰めたり励ましたりしながら、つつましく生きてゆける仕合せに越したものはない、おっ母さんが亡くなって四年目にお父っさんも死んだ、そんなにも好き合っていたんだから、お二人ともきっと満足していらっしゃるに違いないわ」
 おせんはそれを疑わなかった、なぜなら、彼女もいま人から愛され、自分もその人を愛していたからである。
 外へ出るときには、おせんはきまって柳河岸を通った。柳はすっかり裸になり、川水は研いだような光を湛えて、河岸の道にいつも風が吹きわたっていた。おせんはいっとき柳の樹のそばにたたずむ、それはいつか庄吉が肩をもたせていたあの柳である、すでに何年か昔のようにも思えるし、つい昨日のことのようでもあった、蒼ざめた庄吉の顔がたそがれの光のなかで顫え、つきつめた烈しいまなざしでこっちを見ていた。激してくる情をじっと抑えながら、あたりをはばかるように囁いた言葉の数かず、……庄さん、とおせんは幾たびも口のうちで呼びかけるのだった、あたしたちもお父っさんやおっ母さんのようにきっといっしょになって、二人でどんな苦労にも耐えてゆきましょうね、おせんは待っていてよ、庄さんの帰って来るまでは、どんなことがあってもきっと待っていてよ。
 寒さの厳しい年だった。師走しわすにはいると昼のうちでも流し元の凍っていることが多く、うっかり野菜などしまい忘れると、ひと晩でばりばりに凍ることが度たびだった。……杉田屋の幸太がしげしげ店へ来はじめたのは、その頃からのことだ、年が詰ってきたのでほかの職人たちは姿をみせなかったが、幸太はなにか口実をみつけては訪ねて来た。源六はべつに愛相も云わないし冷淡にあしらうこともなく、求められれば気持よくいつものとおり昔ばなしをした。
「そういう風にまっすぐに生きられればいいな」幸太は話を聞きながらよくそう云った、性質のはっきり現われている線のつよい彼の顔が、そんなときふと思い沈むように見えることがあった。
「……この頃の職人はなっちゃあいないよ、爺さん、一日に三匁とる職人が逆目さかめかんなをかけて恥ずかしいとも思わない、ひどいのになると尺を当てる手間を惜しんで押っ付けてのこを使うんだ、そのうえ云いぐさが、そんなくそまじめな仕事をしていたら口が干上ってしまうぜ、こうなんだ」
「それは今にはじまったことじゃあないのさ」と源六は穏やかに笑う、「……どんなに結構な御治世だって、良い仕事をする人間はそうたくさんいるもんじゃあない、たいていはいま幸さんの云ったような者ばかりなんだ、それで済んでゆくんだからな、けれどもどこかにほんとうに良い仕事をする人間はいるんだ、いつの世にも、どこかにそういう人間がいて、見えないところで、世の中のくさびになっている、それでいいんだよ、たとえば三十年ばかりまえのことだったが……」
 こうしてまた昔語りが始まるのだった。
 幸太が来ているとき、おせんはなるべく店へ出ないようにした。たまに顔が合うと、幸太はきまって眼で笑いかけた。粗暴な向う気の強い彼には珍しく、おとなしいというよりはなにか乞い求めるような表情だった。あの人はなにか考えているのだろう、お祖父さんがはっきり断わったというのに、まだあたしのことをなんとか思っているのかしら、……おせんは彼のそういう眼つきが不愉快で、いつもすげなく顔をそむけ、さっさと台所のほうへ去って来るのだが、幸太はそれで気を悪くするようすもなく、殆んど三日にあげずやって来ては話しこんでいった。
 おせんはその前の年の春から、ひるまえだけお針の稽古にかよっていた。そこは大通りを越した福井町ふくいちょうの裏にあり、お師匠さんはよねという五十あまりの後家で、教えるのは嫁入り前の娘にかぎられていた。おせんは無口でもあり、家も貧しかったから、そこではかくべつ親しくする者もなかった。出入りの挨拶をするほかは世間ばなしにも加わらず、たいてい隅のほうに独りで坐っていた。娘たちもしいて馴染もうとはしなかったが、そのなかで天王町てんのうちょうのほうから来るおもんという娘だけは、しきりにおせんに近づきたがった。家は油屋だそうで、年は同じ十七だった、丸顔の色は黒かったが、眼と唇のいつも笑っているような、明るい人なつっこい性質である。……その月の半ばも過ぎた或る日、稽古をしまって帰ろうとすると、おもんが追って来てそこまでいっしょにゆこうと云った。
「だって道がまるで違うじゃないの」
「いいのよまわり道をするから」おもんは肩をすり寄せるようにした、「……ちょっとあんたに話があるの」
 おせんは身を離すようにして相手を見た、おもんはなにか気がかりなことでもあるように、じっとこちらを見かえしながら「あんた杉田屋の幸太さんという人を知っていて」と云いだした。おせんは思いがけない人の名が出たので、なにを云われるかとちょっと不安になった。
「知っていてよ、それがどうかしたの」
「あんたがその人のお嫁さんになるのだって、みんながそのうわさばかりしているのだけれど」
「嘘だわそんなこと」おせんは相手がびっくりするような強い調子で云った、「……誰が云ったか知らないけれどそんなこと嘘よ、根も葉もないことだわおもんちゃん」
「でも幸太さんという人は毎日あんたのうちへ入り浸りになっているというのよ、そしてもっとひどいことを……あたしの口では云えないようなことさえ噂になっていてよ」
「いったい誰が」おせんはからだが震えてきた、「……そんなひどいことを、いったい誰が云いだしたの」
「元は知らないけど、あんたの家の前にいる人が見ていたっていうことだわ、でも嘘だわねえおせんちゃん、あたしはそんなこと嘘だと思ったわ、おせんちゃんに限ってそんなことがある筈はないんですもの、あたしだけは信じていてよ」
 飛脚屋の者から出た噂だ、おせんはすぐにそう思った。山崎屋の主婦はおしゃべりで、いつも店先には近所のおかみさんや暇な男たちが集まる、お祖父さんがそれを嫌ってつきあわないため、常づねずいぶん意地の悪いことをされていた、その店からははすかいにこちらが見えるので、幸太が話しに来るのをいつも見ていたのに違いない。そしてもしかすると、杉田屋から縁談のあったことも知っているのかもしれなかった。……おもんに別れて家へ帰ると、彼女はすぐお祖父さんにその話をした。そしてこれからもう幸太の来ないようにはっきり断わって貰いたいとたのんだ。
「人の口に戸は立てられないというのはつまりこういうことなのさ」源六は研いでいた剃刀の刃を、拇指おやゆびの腹で当ってみながらそう云った、「……どんなに身を慎んでも、悪口の立つときは立つものだ、幸さんが来なくなれば来なくなったでまた悪口の種になる、そんなことは気にしないでうっちゃっとくがいいんだ、一年も経てばしぜんとわかってくるよ」
「おじいさんはそれでいいだろうけれど、あたしそんな噂をされるのはいやよ」いつにも似ずおせんは烈しくかぶりを振った、「……ほかの悪口とは違うんですもの、こんなことが弘まったらあたし恥ずかしくって外へも出られやあしないわ」
「いいよいいよ、そんなに厭ならそのうち折をみて断わるよ、いきなり来るなとも云えないからな、まあもう少し眼をつぶっていな」
 然しそれから数日して、赤穂浪士の吉良家討入という出来事が起こり、どこもかしこもその評判でもちきったまま年が暮れた。
 正月には度たび杉田屋から迎えがあった。けれど縁談を断わったあとでもあり、これからのこともあるので、源六もおせんもゆかずにいると、四日の夕方になって幸太が松造まつぞうという職人といっしょに、さけさかなの遣い物を届けに来た。義理にもそのままは帰せなかった、上へあげて膳拵ぜんごしらえをすると、もう少し呑んでいるらしい幸太は、源六と差向いになって盃を取った。ほかの日ではないので、おせんも燗徳利かんどくりを持って膳のそばに坐り、浮かない気持で二人に酌をした。……幸太はしきりに思い出ばなしをした、杉田屋へはじめて住込んだ頃から、十五六じぶんまでのことを、おせんなどすっかり忘れていて、云われてびっくりするようなことも多かった。このあいだにかなり盃を重ねて酔ったのだろう、源六はふと調子を改めてこう云いだした。
「なあ幸さん、こんな時に云いだすことじゃあないが、いつか頭梁からおせんのことに就いて話があったとき、わけを云って断わったのはおまえさんもたぶん知っているだろう、無いまえならいいが、あんなことがあったあとではお互いに気まずくっていけない、済まないがこれからはあまり来て呉れないようにたのみたいんだがな」
「悲しいことを聞くなあ」幸太も酔っていたらしいが、ぎくっとしたようすで坐り直した、「……断わられたのは知っているよ、まだおせんちゃんが若すぎるということ、爺さんがおせんちゃんにかかる積りだからということ、ああたしかに聞いているよ、けれども、それは、……それは、それとこれとは違うんだ」
「どう違うと云うんだね」
「おれは十三で杉田屋へ来た、おせんちゃんとはそのときからの馴染なんだ、爺さんとだって、今さらのつきあいじゃあない、なにも縁談がまとまらなかったからって、つきあいまで断わるということはないと思う、そいつは、あんまりだぜ爺さん」
「つきあいを断わるなんということじゃないのさ、なにしろこっちはこの老ぼれと娘だけの暮しだ、そこへ若頭梁がしげしげ来るというのは人眼につくし、ひょんな噂でも立つと杉田屋さんへおれが申しわけがないからな」
「ひょんな噂か……」幸太はぐらっと頭を垂れた、「……そうだ噂なんか構わないとは、おれに云えることじゃあない、世間なんてものは、平気で人を生かしも殺しもするからな、わかったよ爺さん」
「悪くとって呉れちゃあ困るぜ幸さん、おまえだって杉田屋の名跡みょうせきを継ぐ大事なからだ、嫁でも取って身が固まったら、また元どおり来て貰いたいんだ、ゆくさきおせんのためにも、ちからになって呉れるのは幸さんだからな」
「遠のくよ、爺さん」幸太は頭を垂れたまま独り言のように云った、「……悪い噂なんぞ立っちゃあ済まないからな」
「それでいいんだ、そこでまあ一杯いこう、おせん酒が冷えているぜ」
 なんというしっこしのない幸さんだろう、おせんはこの問答を聞いて歯痒はがゆくなった。もっとてきぱきした男だった。向っ気の強い代りにはわかりも早く、くどいところなどは薬ほどもない人だったのに、「……どうかしているんだわ」酒の燗を直しながら、おせんはいらいらしい気持でそう呟いた。……幸太はそれから半刻あまりして帰った、ひどく酔って、草履を穿くのに足がきまらないくらいだった。彼が外へ出て二三間いったとき、
「おや若頭梁じゃあありませんか」という声がした、「……たいそういいきげんで御妾宅しょうたくのお帰りですか、偶にはあやからして呉れてもようござんすぜ」
「聞いた風なことを云うな、誰だ」幸太の高ごえが更けた横丁に大きく反響した、「……なんだ権二郎か、つまらねえ顔をしてこんなところになんだって突っ立ってるんだ、呑みたければ呑ましてやるからいっしょに来な」
「そうくるだろうと待ってました、ひとつ北へでもお供をしようじゃあありませんか」
「うわごとを云うな、来いというのは大川端だ、おまえなんぞは隅田川の水が柄相応だぜ、たっぷり呑ませてやるからついて来な」
「若頭梁は口が悪くっていけねえ」
 話しごえはそのまま遠のいていった。おせんは雨戸を閉めようとしてこれだけのやりとりを聞いたが、権二郎という名とその卑しげな声とが、いつまでも耳について離れなかった。


 酔ってした約束なのでどうかと思っていたが、幸太はそれから遠のきはじめ、たまに来てもちょっと立ち話をするくらいで、すぐに帰ってゆくようになった。
 二月になって赤穂浪士たちに切腹の沙汰があった。去年からひき続いての評判が、もういちど、江戸の街巷まちまちをわきたたせ、春の終るころまで瓦版や、絵入りの小冊子こざっし類がいろいろと出た。おせんもその二三種を買い、仮名を拾いながら読んでみたが、どれもこれも公儀をはばかって時代や人名を変えてあるし、まるっきり作りごとのようで、心をうつものは無かった。……こうして夏になった、六月はじめの或る日、お針の稽古を終って帰って来ると、源六が昼食ちゅうじきのしたくをして待っていた。
「さっき状がまわって来て、きょう茶屋町ちゃやまち伊賀屋いがやでなかまの寄合があるというんだ、飯をたべたらちょっといって来るからな」
「帰りはおそくなるんですか」
「ながくったって昏れるまでには帰れるだろう、台所に泥鰌どじょうが買ってあるから、晩飯にはあれで味噌汁を拵えておいて呉んな」
「あら泥鰌があったんですか、それじゃあお酒も買っておきましょうね」
「酒は寄合で出るだろうが」
「でも初ものだから無くっては淋しいでしょう」
 話しながら食事を終ると、源六は着替えをして出ていった。久しぶりで店があいたので、おせんは一刻いっときもかかって掃除をし、床板の隅ずみまで丹念に拭きあげた。それから酒を買って来て、火をおこし、笹がき牛蒡ごぼうを作って泥鰌をなべに入れ、酒で酔わせて、味噌汁にしかけてから、坐って縫物をとりひろげた。……昼のうちは風があってしのぎよかったが、日の傾きだす頃からぱったりと風がおち、昏れかかると共にひどく蒸しはじめた。
「お祖父さんのおそいこと」手許てもとが暗くなりだしたので、おせんはそう呟きながら縫物を片づけ、膳立てをするために立った。汁のかげんはちょうどよかった、いちど下ろして、燗をする湯を掛け、漬物を出した。もう帰りそうなものだと思いながら、足音のするたびに勝手口のすだれを透かして見た、然しすっかり昏れて行燈の火をいれても源六の帰るようすはなかった、「……どうかしたのかしら、少しおそすぎるわね」すっかり支度のできた膳を前にして、おせんはふと、もの淋しい気持におそわれた。……大川端の茶店には、もう涼み客が出はじめたのであろう、時どき三味線しゃみせんや、人のざわめきが遠く聞えてくる、そのもの音の遠さとにぎやかさは、まるで過去からの呼びごえのようにはるかで、夏の宵のわびしさをいっそう際だてるように思えた。
「そこだそこだ、その障子の立ててある家がそうだ」
 とつぜん表のほうでそういう声がした。
「……いま明けるからそのまま入れよう、しずかにしずかに」
 そして誰かが店の障子を明けた。おせんは不吉な予感にぎょっとしながら立った。入って来たのは同じ研屋なかまの久造きゅうぞうという人だった。おせんの眼はその人よりも、そのうしろに四五人の男たちが、おおいを掛けた戸板を担いでいるのを見た、そして思わずあっと叫びごえをあげた。
「騒いじゃあいかねえおせんちゃん」久造は両手で彼女を押えるようにした、「……たいしたことはないんだ、ちっとばかり酒が過ぎて立ちくらみがしただけなんだ、もう医者にもみせたしなにしてあるんだから、心配しないでとにかく先ず寝床をとって呉んな」
 おせんは返辞もできず、なかば、夢中ですぐに寝床を敷いた。久造が指図をして、男たちは上まで戸板をかつぎあげ、まるで意識のない源六を床の上へ寝かした。……久造はその枕許へ坐ったがおちつかぬようすで、汗を拭き拭き始終を語った、源六は寄合の席へ来たときから顔色が悪かった、酒が出てからもどこやら沈んだようすをしているので、たぶん暑気にあたったのだろうから熱燗で一杯やるがいいとすすめ、自分でもその気になって呑みだした。それから少し元気が出て、みんなと話しながらかなり呑んだが、やがて手洗いに立とうとしていきなりどしんと倒れてしまった。
「そう巌丈なからだでもないのだが、人間の倒れる音というものは大きなもので、階下したからもびっくりして人が駆け上って来たくらいだ、みんなで呼び起こしたが、大きないびきをかくばかりで返辞がない、とにかく頭を冷やしながら医者に来て貰った」久造はそこでまた忙しげに汗を拭いた、「……医者はいろいろ診たが、ごく軽い卒中だから案ずることはない、じっとして静かに寝ていればすぐ治るだろう、こう云って薬を置いて帰った、そういうわけなんだから決して心配することはない、わかったなおせんちゃん、決してよけいな心配はしなさんなよ」
 おせんは乾いてくる唇を舐め舐め、黙って頷きながら聞いていた。そして彼らが薬を置いて去るときも、
「色いろおせわさまでした」
 と云うだけが精いっぱいだった。……源六はかすかに鼾をかきながら眠っていた、そっとして置くようにと云われたので、呼び起こしたいのをがまんしながら、おせんはじっと枕許に坐っていた。ほんとうに病気は軽いのだろうか、もしやこのままになってしまうのではなかろうか、たとえ死なないでも、卒中といえば寝たきりになることが多いという、そんなことになったらどうしよう、どうして暮していったらいいだろうか。幾たび考えても同じことを、おせんは繰り返し考え続けるのだった。然しやがて食事をしていないことに気づき、朝まで寝られないのだからと、しずかに立って膳に向ってみた。もちろん喰べられはしなかった。鍋の蓋をとって、泥鰌汁をすくおうとすると、昼間の元気なお祖父さんの姿が思いだされ、胸がいっぱいになってとうとう泣きだしてしまった。
 明くる日は朝から見舞い客が来た。食事拵えや茶の接待は近所の人びとがして呉れた、そのなかでも、すぐ裏にいる魚屋のおらくという女房がいちばん手まめで、まるで自分の家のことのように気をいれて働いて呉れた。夜どおし寝なかったおせんは、午すぎになるとさすがに疲れが出た、みんなもすすめるし自分でも堪らなくなったので、隅のほうへ夜具を敷いて横になったが、すぐに熟睡して眼がさめたときはもう昏れかけていた。
「眼がおさめかい」膳拵えをしていたおらくが、立ちながらそう云った、「……つい今しがたおもんさんという娘が見舞いに来て呉れたけれど、あんまりよく眠っておいでだから帰って貰いましたよ」
「おもんちゃんが、どこで聞いたのかしら」
「また明日来ますとさ、それから晩の支度はここにできているからね、お湯もすぐ沸くからおあがんなさいよ、あたしはちょっと家のほうを片づけて来ますからね」
 そう云っておらくは帰っていった。
 空腹ではあったが食欲はなかった、ほんのまねごとのようにはしを取っただけで、あと片づけをしていると杉田屋からお蝶が来た。こっちへ越して来てから数えるほどしか会っていない、ずいぶん久しぶりだったし、こころ淋しいときだったので、とびついてゆきたいほど懐かしかった。けれども、すぐにお祖父さんから聞いた話を思いだし、つとめてあたりまえなさりげない挨拶をした。お蝶のほうでも縁談のことなどが胸につかえているのだろう、昔ほどには親しいようすをみせず、ほんの暫くいたきりで、見舞いの包を置いて帰った。……おらくは夕食を済ませてもういちど来たが、客もなし用事もみつからないので、茶を一杯すすると間もなく去り、おせんはようやく一人になった。
 源六の容態は少しも変らなかった。意識がないので薬の飲ませようもなくただ濡れ手拭で頭を冷やすほかにはなにも手当のしようがなかった。午後から熟睡したので、幾らか気持はおちついてきたが、一人になって、昏々こんこんと眠っているお祖父さんの顔を見ていると、かなしさ心ぼそさがひしひしと胸をしめつけ、身もだえをしたいほど息苦しくなった。
「庄さん」おせんは小さな声で、西の方を見やりながらそう囁いた、「……あなたはなんにも知らないのね、なんにも、あたしどうしたらいいの、お医者にもかからなければならないし、薬も買わなければならないし、これからどうして生きていったらいいのかしら、庄さん、おまえが今ここにいてお呉れだったらねえ」
 庄吉はあのように自分を想っていて呉れた。近いところにいたらすぐ駆けつけて、どんなにもちからになって呉れるだろう、だが大阪では知らせてやることもできず、知らせたところで来て貰うわけにもいかない。おせんにはそれが、自分の運命を暗示するもののように感じられた。自分がふしあわせな生れつきで、これからもだんだん不幸になり、いつも泣いたり苦しんだりしながら、寂しいはかない一生をおくるのだ、そういう風に思えてならなかった。……そうだ。十八になる今日まで、ほんとうに楽しいと思うことが一度でもあったろうか、いつもしんと病床に寝ていた母、むっつりとふきげんな眼をして溜息ばかりついていた父、客の少ない、がらんとした埃っぽい店、張もなく明日への希望もなく、ただその日その日の窮乏に追われていた生活、父母に死なれて中通りへ移って来てからも、祖父と二人の暮しは苦しかった、同い年のよその娘たちが、人形あそびやまりつきに興じているとき、おせんは米を洗い釜戸の火を焚いた、朝早くまだ暗いうちに豆腐屋へ走り、雨に濡れながら、研ぎ物を届けにいった。幼いころ杉田屋でして貰ったきり、着物や帯はもちろんかんざしひとつ新しく買ったことはない、然もそんなことを考えるいとまもないほど、時間のないつましい生活を続けて来たのだ。もちろんそのことをそれほど辛いとか苦しいとか考えていたわけではない、そういう日々のなかにも、それはそれなりに楽しみも歓びもあった。人はたいていな環境に順応するものなのだから、……然しいまふり返って思いなおすと、それがどんなに慰めのない困難な暗いものだったかということがわかるのであった、そして幾ら思いさぐってみても、そこには将来に希望をつなぐことのできる一つの萌芽ほうがさえみつけることはできない、なにもかもが不幸と悲しみを予告するように思えるのだった。
「庄さん、あんただけがたのみよ」おせんはとり縋るような気持でそう呟いた、「……どうしていいかまだわからないけれど、でもあんたが帰るまでは、どんなにしてもやってゆくわ、だからあんたも忘れないでね、きっとここへ帰って来てね、庄さん」


 源六はその翌日ようやく意識をとり戻した。四日めには口もきくようになったが、舌がもつれて言葉がよくわからなかった、眼から絶えず涙がながれ、よだれですぐ枕が濡れた。医者はたいしたことはないと繰り返していたが、左の半身が殆んど動かせないし、頭のはたらきも鈍っていた。涙や涎は病気のためだろうが、そればかりではなく、源六はおせんを見るとすぐに泣いた、そして舌の硬ばったひどくもつれる言葉でしきりになにか云おうとする、はじめはなにを云うのかわからなかったが、よく気をつけて聞くとおせんを哀れがっているのだった。
可哀かわいそうにな、おせん可哀そうにな」
「わかったわお祖父さん」と、おせんは、祖父に笑ってみせた、「……でも大丈夫よ、お祖父さんはすぐ治るの、いつもお医者さまがそう云うのを聞いているでしょう、そんなに心配することはないわ、これまで休みなしに働いてきたんですもの、湯治でもしている積りでのんきに寝ていらっしゃるがいいわ、あたしちっとも可哀そうでなんかないんだから」
「ああ、おれにはわかってるんだ」聞きとりにくい言葉つきで源六はこう云った、「……おせん、おれにはわかってるんだよ、すっかり眼に見えるようなんだ、可哀そうにな」
 云わないで、お祖父さん、おせんはそう叫びたかった、抱きついていっしょにこえかぎり泣きたかった、そうすることができたら幾らか胸が軽くなるだろうに、……けれども泣いてはいけなかった、そんなことをしたら、お祖父さんは気落ちがしてしまって、病気も悪くなるに違いないから。おせんは笑ってみせなければならない、心配そうな顔をしてもいけなかったのだ。
 見舞いに来る客も、段だん少なくなり、魚屋の女房のほかは、近所の人たちもあまり顔をみせなくなった。或る日の午さがり、おらくが来て「きょうは桃の湯がたったからはいっておいでな」とすすめた、いつかもう土用になっていたのだ、暫く風呂へゆかないで、からだが汗臭かったし、できたら髪も洗いたかったので、おらくにあとを頼んでおせんは風呂へいった。……六月土用の桃葉の湯は、端午の菖蒲湯しょうぶゆ、冬至の柚子湯ゆずゆとともに待たれているものなので、とうてい髪を洗うことなどはできなかったが、汗をながして出ると身が軽くなったようにさばさばとした。
「ただいま、おばさん有難う」
 そう云いながら勝手口からはいった、返辞がないので、風呂道具を片づけてのぞいてみると、おらくの姿はみえず、源六の枕許には幸太が坐っていた。おせんはどきっとして、立止った。幸太はしずかにふり返った。
「近所の人の家から迎えが来てさっき帰っていったよ」彼はなんとなく冷やかな調子でそう云った、「……留守を頼まれたものだからね」
「済みません、有難うございました」
「もっと早く来る積りだったんだが、手放せない仕事があったもんでね……たいへんだったな、おせんちゃん」
「ええあんまり思いがけなくって」
「でもまあお爺さんのほうはもうたいしたことはないようだから、そいつはさほど心配しなくてもいいだろうけれど、このままじゃあおせんちゃんが堪らないな、なんとか考えなくっちゃあいけないと思うんだが」
「いいえあたしは大丈夫ですよ」おせんはせんじ薬のかげんをみながら、かなりきっぱりした口ぶりで云った、「……お祖父さんだってそんなに手が掛るわけじゃあないし、近所の人たちが、よくみに来て呉れるのですもの、ちっともたいへんでなんかありゃあしません」
「それも十日や二十日はいいだろうがね」
 幸太はもっとなにか云いたそうだったが、おせんのようすがあまりきっぱりしているので口をつぐみ、間もなく見舞いの物を置いて帰っていった。……それをきっかけのように幸太はまたしばしば来はじめた、「中風によく利く薬があったから」とか「少しばかりだがこれを喰べさせてやって呉れ」とか云いながら、そして源六に薬を飲ませたり、額の濡れ手拭を絞りなおしたり、時には足をさすったりした。
「なにか不自由なものがあったら、遠慮なくそう云って呉んな」幸太は帰りがけにきまってこう云った、「……困るときはお互いさまだ、おれにできることならよろこんでさせて貰うからな、ほんとうに遠慮はいらないんだぜ」
「ええ有難う」
 おせんはそう答えるが、伏し眼になった姿勢はそういう好意を受ける気持のないことをかたくななほど表明していた。……そうなのだ、幸太の言葉を聞きながら、おせんは心のうちで庄吉に呼びかけていた。おれがいなくなればきっと幸太は云い寄るだろう、あれもおまえを思っているんだから、そう云い遺していったことが改めて思いだされた、縁談を断わられてももう来て呉れるなと云われても、こうしてがまん強くやって来るのはあたりまえの好意ではない。そしてなに事もないときならいいが、こういうせっぱ詰った苦しい場合に、そのように根づよい態度で迫られては、どんな隙へどのようにつけ込まれるかわからない。操を守ろうとするおんなの本能が、そのときはじめておせんをちからづよく立直らせた。
 ――そうだ、幸太さんに限らず誰の世話にもなってはいけない、近所の洗濯や使い走りをしても、お祖父さんと二人くらいはやってゆける筈だ、世間にためしのないことではないのだから。
 そう決心するとさばさばした気持になった。そしてそのつぎに幸太が来たとき、はっきりとけじめをつけた口ぶりで、これからはもう来て貰っては困ると云った。それは雨もよいの宵のことで、湿気のある風が軒の風鈴を鳴らし、戸口に垂れてあるすだれを揺すって、部屋の中まで吹き入ってきた、源六はここちよさそうに眠っていた。
「そんなにおれが嫌いなのか」幸太は暫く、黙っていたのち、なにか挑みかかるような眼でこっちを見た、「……おれのどこがそんなに気に入らないんだ、おれはおためごかしや恩にせる積りでよけいなおせっかいをするんじゃあないぜ、おまえとも爺さんとも幼な馴染だ、ことにおまえとはこんなじぶんから知り合って、おれにとっては……まったく、他人のような気持はしないんだ、そうでなくったって、こんな場合には助け合うのが人情じゃあないか、どうしてそれがいけないんだ、おせんちゃん」
「よくわかっているわ、でも幸さん、あんた覚えていないかしら、お正月あんたが家へ来て帰るとき、表で山崎屋の権二郎さんに会ったでしょう」
「山崎屋の権に、……そうだったかも知れない、だがもうよく覚えていないよ」
「あたしは覚えているわ、そして、一生忘れられないと思うの」おせんはこみあげてくる怒りを押えながらそう云った、「……あのとき権二郎さんは、あんたの顔を見てこう云ってよ、若頭梁わかとうりょういまごろ妾宅のお帰りですかって」
「冗談じゃあない、あんな酔っぱらいの寝言を、そんなまじめに聞く者があるものか」
「それならよそでも聞いてごらんなさい、世間にはもっとひどいことさえ伝わっているのよ、あんたは男だから、そんな噂もみえの一つかも知れないけれど、おんなのあたしには一生のきずにもなりかねないことよ」
「おれはなんにも知らなかった」幸太は頭を垂れ、またながいこと黙っていた、それからこんどはまるで精のぬけたような声で、どもり吃りこう続けた、「……そんな噂は、まったく聞いたこともない。そして、それがおせんちゃんには、そんなに迷惑だったんだな」
「考えてみて頂戴、これまでもそうだったけれど、こんなになったお祖父さんを抱えてやってゆくとすれば、これからはよっぽど身を慎まないかぎり、どんな情けないことを云われるかわからないじゃないの」
「そいつをきれいにする方法はあるんだ、おせんちゃん、おまえさえその気になって呉れれば」
「それはもうはっきりしている筈だわ」
「おれが改めて、おれの口から、たのむと云っても、だめだろうか」幸太の眼は忿いかりを帯びたように鋭く光った、「……おれは本気なんだ。口がへただからうまく云えないが、もしおせんちゃんが望むなら、おれはこれからどんなにでも」
「あたしにこれ以上いやなことを云わせないで、幸さん、それだけがお願いよ、どうぞおせんを、可哀そうだと思って頂戴」
「おまえを可哀そうだと思えって」とつぜんまったくとつぜん幸太はあおくなった。そして、ふしぎなものでも見るように、まじまじとおせんの顔を見つめていたが、やがて慄然りつぜんとしたように身を震わせた、「……おせんちゃん、おまえもう誰か、誰かほかに、――ああそうだったのか」
 おせんは頷いた、自分でもびっくりするほどの勇気を以て、しずかに、むしろ誇りかに頷いた、そして立っていって、二つの紙包を持って来て、幸太の前へさしだした。それはお蝶と幸太の持って来た見舞いの金である。菓子や薬はとにかく、金に手をつけてはいけないと思い、そのまま納って置いたものだった。
「ほかの物はうれしく頂きました、でもお金だけは頂けませんから、おばさんにもどうぞ気を悪くなさらないようにと云って下さいな」
「……あばよ」幸太は二つの包を持って立った、「あばよ、おせんちゃん」
 そして出ていった。
 明くる日、おせんは裏の魚屋の女房に来て貰って、これからなにをしていったらいいかということを相談した。おらくは笑って、だってあんたには、杉田屋という後ろ盾がついているじゃあないか、なにもそんな心配をしなくったって困るようなことはありゃしないよ、と云った。もちろん悪気などは少しもない女で、ごく単純にそう信じていたものらしい、おせんがあらまし事情を話すとすぐ納得した。
「そうだったのかい、あたしはまた杉田屋さんでなにもかもして呉れるんだと思って安心していたのだよ、それじゃあなんとか考えなくちゃあいけないね」
「どんな苦労でもするわ、おばさん、あたしよりもっと小さい子だって、もっともっと辛い気の毒な身の上の人がいるんだもの、十八にもなったんだから、たいていのことはやってゆけると思うの」
「そうともさ、人間そう心をきめればずいぶんできない事もやれるものだよ、けれどもなにごとも取付とっつきが肝心だから、途中でいけなかったなんていうことになるとあぶはちとらずだからね、あたしもよく考えてみて、それからもういちど相談しようよ」おらくはこう云って、そのときは帰っていった、「……なにが野なかの一軒家じゃなし、近所だって黙って見ちゃあいないからね、決して心配おしでないよ」


 おせんは足袋のこはぜかがりを始めた。お針の師匠にも話してみたのだが、まだ賃縫いをするには無理だというし、洗濯や使い走りでは幾らのものにもならない。結局おらくの捜してきて呉れたのがその仕事だった。その頃はまだ足袋は多くひもで結んだものだったが、上方のほうで仕出したこはぜ穿き脱ぎに手軽なのと穿いたかたちが緊まるのとでその年の春あたりから江戸でも少しずつ用いはじめていた。まだ流行するまでにはなっていないので、仕事の数はそうたくさんはないが、手間賃がかなりよかったし、家にいてできることがなによりだった。足袋は革と木綿と二種あった。木綿は近年ひろまりだしたもので、穿きぐあいも値段も恰好なのだが、木綿よりは丈夫であり温かいので、一般にはまだ革を用いることがさかんだった。おせんの受取る仕事も、革のほうがむつかしかった。なにしろ熊の皮をなめして、型を置いたり染めたりしたものなので、針が通りにくく、すぐ指を傷つけたり針を折ったりする。然しそれだけ手間賃も高いから、馴れてくれば革足袋のほうが稼ぎが多くやり甲斐がいがあった。
 七月のなかば頃から源六はぼつぼつ起きはじめた。左の半身はやっぱり不自由で、手も足も、そっちだけは満足に動かせず、舌のもつれもなかなかとれなかった。十五日の中元には荷葉飯かようめしを炊き、刺しさばを付けるのが習わしである、おせんも久しぶりに庖丁ほうちょうを持って鯖を作り、膳には酒をつけた。医者から量さえ過さなければ呑むほうがよいと云われていたのだが、源六は要心ぶかくなって、それまで盃を手にしなかったのである。
「久しいもんだが、はらわたへしみとおるようだ」源六はうっとりと眼を細くしながら云った、「……ほんとうに毒でなければ、これから少しずつやってみるかな、なんだか身内にぐっと精がつくようだ」
「お医者さまがそう云うんですもの、それはあがるほうがよくってよ」
「だがなにしろこんなからだで酒を呑むなんぞは、それこそ罰が当るというもんだからな、みんなおまえの苦労になるんだから」
「いやだわ、また同じことを」
「おまえに礼を云うんじゃあない、自分が仕合せだということを云いたいんだ、子にかかる親はざらにあるが、こうして孫にかかれる者は世間にもそうたくさん有るわけじゃあない、然もまだ十八やそこらの娘になにもかもおっかぶせて、こうして気楽に養生ができるということはたいへんなもんなんだ、まったくたいへんなもんなんだ、おれは、そいつが嬉しいんだ」病気からなみだ脆くなっていた源六は、もうぽろぽろと大きな涙をこぼしていた、「……おれはおまえになんにもしてやらなかった。十三や十四から飯を炊かせたり肴を作らせたり、使い走りをさせたりしただけだ、帯ひと筋、いや簪一本買ってやったことがなかった、ところがおまえはむすめの手内職で、おれを医者にもかけ薬も買って呉れる、おれが好きだと思う物は、そう云わなくとも膳へのっけて呉れる、諄いようだが礼を云うんじゃあないぜ、おれは、来年はもう六十九だ、この年になって、はじめておれはおんなというものがわかった、おまえのして呉れることを見て、はじめておんなの有難さというものがわかったんだ、男のおれにできないことを、まだ十八のおまえがりっぱにやってのける、それはおまえがおんなだからだ、ああおせん、おれはこれが四十年むかしにわかっていたらと思うよ」
 四十年むかしといえばまだ生きていたお祖母さんのことを云うのではなかろうか、おせんはお祖母さんのことはなに一つ聞いていない。父も母もそのことはついぞ口にしなかった。そこにはなにか事情があったに違いない、そして今源六は悔恨にうたれている、どんな事情かわからないけれど、おんなというものの有難さをその頃に知っていたら、そう云う言葉のうちには、なにかとり返し難い後悔の思いが感じられるのだった。
「人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ」源六は涙をながれるままにしてそう続けた、「……自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え、見るもの聞くものが身にしみるようになる、だがもうどうしようもない、花は散ってしまったし、水は流れていってしまったんだ、なに一つとり返しはつきあしない、ばかなもんだ、ほんとうに人間なんてばかなものだ」
「もうたくさんよお祖父さん、そんなに気を疲らせては病気に悪いわ、過ぎたことは過ぎたことじゃないの、それよりこれから先のことを考えましょう、あせらずゆっくり養生すれば、お祖父さんだってまた仕事ができるようになってよ、二人で稼げば暮しだって楽になるし、ときにはいっしょに見物あるきだってできるわ、今年は忘れずに染井そめいの菊を見にいきましょうよ」
「ああそうしよう、おせん、見せる見せるといって、ずいぶん前から約束ばかりしていたからな、そうだ今年こそきっと見にいこう」
 けれども菊見にはゆけなかった。悪くはならないが、左半身がいつまでもはっきりせず、とうてい遠あるきなどできなかったから、……利くという薬はできる限り試してみた、加持も祈祷きとうもして貰った、「夏に出た中風は霜がくれば治るものだ」そう云う人が多いので、おせんも源六もひそかにそれを楽しみにしていたが、霜月がきてもそんなようすはなく、やがて十一月も終りに近くなった。
 その月は二十二日の夜にひどい地震があって、小田原から房州へかけてかなり被害があり、江戸でも家や土蔵が倒れたりがけが崩れたりした。深川の三十三間堂が倒壊し、大川は一夜に四たびも潮がさしひきした。地震は二十五日まで繰り返し揺ったが、二十六日に雨が降ってようやくむと、安房あわ上総かずさでは津浪があって十万人死んだとか、小田原がいちばん激震で何千人いっぺんにつぶされたとか、色いろ恐ろしい噂が次から次へとひろまりだした。……こうして二十九日になった夜、四五日つめてした仕事がようやく片付いたので、おせんは珍しく宵のうちに寝床へはいった。地震の恐ろしさが解けたのと、仕事の疲れが出たのであろう、床にはいるとすぐ、なにも知らずにぐっすり熟睡した。あんまりよく眠ったせいだろう、それほど更けたとも思えない頃にふと眼がさめた。そして眼のさめたときの習慣で、お祖父さんのほうへふり向いた。するとそこには枕紙が白く浮いて見えるだけで、夜具の中にはお祖父さんがいなかった。
 おせんは身を起こした、たぶん後架だろうと考え、そちらへ耳を澄ましていると、戸外のひどい風の音に気がついた、いつ吹きはじめたものかひじょうな烈風で、露次ぐちにあるなつめの枯枝やひさしさきがひょうひょうとうめき、地震でゆるんだ雨戸や障子はもちろん、柱やはりまでがみじめなほどきいきいと悲鳴をあげていた。そのうちにおせんは、店のほうに灯あかりが揺れているのに気づいた、なぜともなくどきっとして、寝衣ねまきえりをかき合せながら立っていってみると、おおいをかけた行燈のそばに、源六が前跼まえかがみになって、しきりになにかしていた。火桶ひおけもなし、隙間から吹きこんで来る風で、板敷の店は凍るほど寒いに違いない。驚かしてはいけないと医者にきびしく注意されているので、おせんは、そっと近よっていった。……源六は庖丁を研いでいた。不自由なからだでどうしたものか、研ぎ台も水盥みずたらいもちゃんとそろえてあった。がまで編んだ敷物にきちんと坐って、きわめてたどたどしい手つきで庖丁を研いでいる。然しそれはひじょうな努力を要するのだろう。びんから頬にかけて汗が幾すじもすじを描いていた。
 治りたいのだ、薬も祈祷もしるしがない、だがどうかして治りたい一心から、せめて仕事で馴らしたらと考えたのではなかろうか、それともあまりながびくのが不安で自分をためすために砥石に向ってみたのだろうか、どちらにしてもこの寒夜に独り起きて汗をながしながらひっそりと研ぎものをしている、そのたどたどしい、けれどけんめいな姿は、哀れともいたましいとも云いようがなく、おせんは堪りかねてお祖父さんと叫び、その腕へとりついたまま泣きだしてしまった。
「泣くことはないじゃないかおせん」源六は穏やかに笑いながら孫の背へ手をやった、「……風が耳について、眠れないから、ちょっといたずらをしてみただけだよ」
「わかってるわお祖父さん、でもあせっちゃあだめよ、ずいぶんれったいと思うわ、辛いこともよくわかるわ、でもこの病気はあせるのがいちばん悪いの、がまんして頂戴お祖父さん、もう少しの辛抱だわ」
「そういうことじゃないんだ、おれは決してあせったり焦れたりしやあしない、ただどうにも、どうにも砥石がいじりたくってしようがなかった、鹿礪石ろくといしのざらりとした肌理きめ真礪まと青砥あおとのなめらかな当り、刃物と石の互いに吸いつくようなしっとりした味が、なんだかもう思いだせなくなったようで、心ぼそくってしようがなかったんだ」
「よくわかってよお祖父さん」おせんはそこにあった手拭で源六の濡れた手を拭いてやった、「……でもがまんしてね、これまで辛抱してきたんですもの、もう少しだから、なんにも考えないでのんきに養生をしましょう、もうすぐよくなるわ、来年はとしまわりがいいんだから、なにもかもきっとよくなってよ、ほんとうにもう少しの辛抱よ、お祖父さん」
「ああそうするよ、おせん、おまえに心配させちゃあ済まないからな」
 さあ寝ましょうと云って、おせんが援け起こそうとしたとき、源六はふと顔をあげて、
「半鐘が鳴っているんじゃあないか」
 と云った。おせんも耳を傾けた。たしかに、あらあらしく吹きたける風に乗って、微かに遠く半鐘の音が聞えている。然もそれが三つばんだった。
「近いようじゃないか」
「ちょっと出て見るわ」
 おせんはひき返して、着物を上からはおり、雨戸を明けて覗いてみた、凜寒りんかんえわたった星空のかなたに、かなり近く赤あかと火がみえた。おそらく本郷台ほんごうだいであろう、煙が烈風に吹き払われるのでかがりは立っていないが、研ぎだしの金梨地きんなしじのようなこまかい火の粉が、条をなして駿河台するがだいのほうへなびいていた、おせんは舌が硬ばり、かちかちと歯の鳴るのを止めることができなかった。
「……大丈夫よお祖父さん、高いところだからたぶん本郷でしょう、風が東へ寄っているので、火は駿河台のほうへ向いているわ」
「地震のあとで火事か、今年の暮は困る人がまたたくさん出ることだろう」源六はゆらゆらと頭を振った、「……さあ、風邪をひかないうちに寝るとしよう」


 横にはなったが眠れなかった。風はますます強くなるようすで、雨戸へばらばらと砂粒を叩きつけ、ともすると吹き外してしまいそうになった。そのうちに表で人の話しごえが聞えはじめた、
下谷したやへまわるぜ」とか「ああとうとう駿河台へ飛んだ」とか「いま焼けているのは明神様じゃあないか」などという言葉が、風にひきち切られてとぎれとぎれに聞えてくる。
「また大きくなるんじゃあないかしら」
 おせんが眼をつむったままそう云った。源六はそれには答えず、やや暫くして、
「風が変ったな」と独り言のようにつぶやいた。裏の魚屋の女房が来たのはそれから間もなくだった、表の戸を叩きながら呼ぶので、おせんが着物をはおって起きていった。
「のんきだねえおせんちゃん寝ていたのかえ」とおらくはまだ明けない戸の向うで云った、「……火が下谷へ飛んでこっちが風下になったよ、出てごらんな大変だから」
「さっき見たんだけれど」
 おせんはそう云いながら雨戸を明けた。すると、いきなりぱっと赤い大きな火の色が眼へとびこんだ、こっちが見たというより、火明りのほうでとびこんだという感じだった。向うの家並はまっ暗で、その屋根の上はいちめんに赤く、まぶしいほど空いっぱいにひろがっていた。
「……まあずいぶんひろがったわね」
「そんなこともないだろうけど、手まわりの物だけでも包んで置くほうがいいね、うちでもとにかくひと片付けしたところだよ、なにしろここにはお祖父さんがいるんだから」
「どうも有難う、そうするわおばさん」
「いざとなったらお祖父さんはうちおぶってゆかあね、それは心配はいらないからね」
 おらくが去るとすぐ、おせんは手早く着替えをし、すぐると思える物を集めて包を拵えた。江戸には火事が多いので、ふだんから心の用意はできている、荷物はできるだけ少なくとか、米はどんなにしても二日分くらい持つとか、飯椀に箸は欠かせないとか、切傷、火傷、毒消し薬などを忘れるなとか、みんな常づね口伝くでんのように戒め合い、いざというときまごつかないだけの手順はつけてあるのだった。……包が出来ると、お祖父さんに起きて貰い、布子ぬのこを二枚重ねた上から綿入半纏わたいればんてんをさらに二枚着せ、頭巾をかぶらせた。このあいだにも表の人ごえは段だん高くなり、手荒く雨戸を繰る音や、荷車をきだすけたたましい響きが起こったりした。
「もう支度はできたかえ」おらくがそう云って入って来た、「……慌てなくってもいいんだよ、また少し風が変って、火先が西へ向ってるからね、こっちはたぶん大丈夫だろうって、うちじゃあいま馬喰町ばくろちょうのおとくいへ見舞いに出ていったよ」
「でもさっきよりかがりが大きくなったようじゃないの、おばさん」上りがまちへ、出ていったおせんは、夜空を見やりながら、それでもややおちついた声でそう云った、「……厭だわねえ地震のあとでまた火事だなんて」
「お江戸の名物だもの、風が吹けばじゃんとくるにきまっているのさ、それにしてもれっきとしたおかみがあって、知恵才覚のある人もたくさんいるんだろうに、なんとか小さいうちに消すくふうはないもんかねえ、番たび百軒二百軒と焼けるんじゃあもったいないはなしじゃあないか」
「あらおばさん」おせんは急に身をのり出した、「……こっちのほうが明るくなったけれど、どこかへ飛び火がしたんじゃあないかしら」
「あらほんとうだね、おまけに近そうじゃないか」
 おらくはあたふたと外へ出た。たしかに飛び火らしい、元の火先は西へ靡いているのに、それとは方角の違う然もずっとこちらへ寄ったところに、新しいだいだい色の明りが立ちはじめた。……通りには包を背負い、子供の手をひいた人びとの往来がしだいに繁くなったが、その人たちの顔が見えるほど、空は赤あかと焦がされていた。家を見て来ると云っておらくが去ると、おせんは勝手へいって水を飲み、どうしようかと考え惑った。足の不自由なお祖父さんを、れてゆくには、あまりさし迫らないうちのほうが安全だ、然しよく話に聞くことだが、へたに逃げるとかえって火に囲まれてしまう、立退たちのくなら火の風の向きをよほどよくみなければと云う、まだ経験のないおせんには、いまが逃げる時かどうか、どっちへゆくがいいのかまるっきり見当がつかなかった。どうしよう、おせんはまた表へ出ていった。
「おせんちゃんまだいたのか」と、右隣りの主人がびっくりしたように呼びかけた、「……もう逃げなくちゃあいけない、立花たちばなさまへ火が移っている、早くしないととんだことになるぜ」
 そう云うと、背中の大きな包を揺りあげながら、大通りのほうへと走っていった。おせんは足がぶるぶると震えだした、よく気をつけてみると、僅かなあいだに近所ではだいぶ立退いたらしく、往来の激しい騒ぎとは反対に、たいていの家が雨戸を明けたまま、ちょうど黒い口をあけているようにひっそりと鎮まりかえっていた。おせんはぞっとして露次へとびこんだ。裏の魚屋へいって「おばさん」と呼んでみたが返辞はなく、包を背負った男たちがおせんを突きのけるように、溝板どぶいたを鳴らしながら駆けて通った。気もそぞろに、家へ戻ってくると、お祖父さんは仏壇を開いて、燈明をあげているところだった。
「お祖父さん」おせんはできるだけしずかな調子で云った、「……たぶん大丈夫だと思うけれど、なんだか火が近くなるようだからともかく出てみましょう」
「おまえゆきな、おせん」と、源六は仏壇の前へ坐った、「……ここは焼けやあしない、おれにはわかってるんだ、ここは大丈夫だ、けれども万に一つということがあるからな、おまえだけは暫くどこかへいっているがいい」
「そんなことを云って、お祖父さんを置いてゆけると思うの、あたしを困らせないで」
「人間には定命じょうみょうというものがあるんだ。おせん」源六はしずかに笑った、「……どんなに逃げたって定命から逃げるわけにはいかない、おれはじたばたするのは嫌いなんだ」
「それじゃあ、あたしもここにいてよ」
「ばかなことを云っちゃあいけない、おれとおまえとは違う、おまえはまだ若いんだ、おまえは、これから生きる人間なんだ、若さというものは、時に定命をひっくり返すこともできる、七十にもなれば、もうじたばたしても追っつかないが、おまえの年ごろにはやるだけやってみなくちゃあいけない、どん詰りまでもういけないというところから三段も五段もやってみるんだ、おせん、おれのことは構わずにゆきな、半刻はんときもすればまた会えるんだから」
「お祖父さん」
 おせんはお祖父さんのひざすがりついた。そのとき表から、「爺さん」と叫びながらとび込んで来た者があった。杉田屋の幸太だった。彼は頭巾付きの刺子さしこを着ていたが、その頭巾をはねながら上り框へ片足をかけた。
「もう立退かなくちゃあいけないよ爺さん、立花様へ飛んだ火が御蔵前おくらまえのほうへかぶさって来た、こいつはきっと大きくなる、いまのうちに川を越すほうがいい、おれが背負っていくぜ」
「よく来ておんなすった、済まない」源六はじっと幸太の眼を見いった、「……せっかくだがおれのことはいいから、どうかこのおせんを頼みますよ、おれはこんなからだだし、もう年が年だから」
「ばかなことを云っちゃあいけない」幸太は草鞋わらじのまま上へあがった、「……としよりを置いて若い者が逃げられるものか、さあこの肩へつかまるんだ、おせんちゃん、持ってゆく物は出来ているのかい」
「ええもう包んであるわ」
「じゃちょっと手を貸して爺さんを負わして呉んな、なにか細帯でもあったら結びつけていこう。色消しだがそのほうが楽だ」
 構わないで呉れと泣くように云う源六を、幸太はむりに肩へひき寄せ、おせんの出して来たさんじゃく帯で、しっかりと背へくくりつけた。おせんは歯をくいしばった。幸太とは単純でないゆくたてがある。どんなに苦しくとも彼にはものを頼みたくない、然しこのばあい他にどうしようがあろう、彼がとびこんで来たとき、おせんは嬉しさに思わず声をあげそうになった。ずいぶん勝手だけれど堪忍して、うしろからお祖父さんを負わせながら、おせんは心のうちで幸太にそうびを云った。
「よかったらゆくぜ、おせんちゃん」
「あたしはこれを持てばいいの、ああいけない火桶に火がいけてあったわ」
「いけてあれば大丈夫だ、そんなものはいいよ」
 それでもと云っておせんは手早く火の始末をし、幸太といっしょに家を出た。……大通りは人でみ返していた、浅草のほうはいちめんの火で、もうそのあたりまできな臭い煙がいっぱいだった。幸太はちょっと迷った、西を見ると駿河台から延びて来た火が、向う柳原あたりまでかかっているようだ、北は湯島を焼いたのが片方は上野から片方は神田川にかけて燃え弘がっている。そして浅草のほうも火だ、つまり隅田川に向って三方から火が延びているのである。
「おうまやの渡しから向うは大丈夫だ」
 そう云っている男があったので、幸太はその男をつかまえていた、「たしかだとも」と、軽子かるこらしいその男はいきごんだ調子で云った、「おれは駒形こまがたの者だ、おふくろが神田にいるんでゆくところだが、焼けているのはおうまやの渡しからこっちで、あれから向うは、煙も立っちゃあいない、逃げるんならあっちだ」幸太はそっちへ戻ろうと思った、然し道いっぱい怒濤どとうのように押して来る人の群を見ると、そのなかをゆくことがいかに不可能であるかすぐにわかった。彼は背負った源六を思い、左手に縋っているおせんを思った、――やっぱり本所へゆこう、おなじ火をくぐるなら、ゆき着いた先の安全なほうがいい。そう心をきめて歩きだした。
 浅草橋まであとひとまたぎというところまで来た。湯島のほうから延びて来る火は、もう佐久間町さくまちょうあたりの大名屋敷を焼きはじめたとみえ、横さまに吹きつける風はいぶされたように、煙と熱気に充ちていた。おせんは絶えず幸太の背中にいるお祖父さんに話しかけ、元気をつけたり、励ましたりしていたが、このとき人の動きが止って、前のほうから逆に、押し戻して来るのに気がついた。
「押しちゃあだめだ、戻れもどれ」
「どうしたんだ先へゆかないのか」
「御門が閉った」
 そんな声が前のほうから聞え、まるで堰止せきとめられた洪水が逆流するかのように、犇ひしと押詰めた群衆がうしろへと崩れて来た。おせんは幸太の腕へ両手でしがみついた。
「幸さん御門が閉ったんですって」
「そんなことはないよ」彼は頭を振った、「……なにかの間違いだ、この人数をほうって門を閉めるなんて、そんなばかなことが」
「御門が閉ったぞ」そのとき前のほうからそう叫ぶ声がした、「……御門は、閉った、みんな戻れ、浅草橋は渡れないぞ」
 その叫びは口から口へ伝わりあらゆる人々を絶望に叩きこんだ、沸き立つような喧騒けんそうがいっときしんと鎮まり、次いでひじょうな忿いかりの呶号どごうとなって爆発した。浅草橋御門を閉められたとすれば、かれらが火からのがれるみちはない、火事は北と西とから迫っている、然も恐るべき速さで迫って来ている、東は隅田川だ、浅草橋はたった一つ残された逃げ口だったのだ。
「門を叩きこわせ」誰かがそう喚いた。
「踏みつぶして通れ」
 するとあらゆる声がそれに和してときをつくった。
「門を毀せ」
「押しやぶってしまえ」
 それは生死の際に押詰められた者のしにものぐるいな響きをもっていた。群衆は眼にみえないちからに押しやられて、再び浅草橋のほうへと雪崩なだれをうって動きだした。


 幸太はここの群衆の中から脱けだした。彼には浅草橋の門の閉った理由がすぐわかった。門の彼方もすでに焼けているのだ、風が強いから火はみえないが、さっき茅町の通りで見たとき、もう柳原のあたりが赤くなっていた、おそらく馬喰町の本通りあたりまで焼けてきたに違いない。よしそうでないにしても、「御門」という制度は厳しいもので、いちど閉められたらたやすく明く筈はなし、群衆の力ぐらいで毀せるものでもなかった。彼はすばやくみきわめをつけ、けんめいに人波を押し分けて神田川の岸へぬけ、そのまま平右衛門町へいえもんちょうから大川端へと出て来た。
 神田川の落ち口に沿った河岸かしの角が、かなり広く石置き場になっていた。のちには家が建つようになったが、その頃はまだ河岸が通れるようになっていて、貸舟屋や石屋や材木屋などが、その道を前にして軒を並べていた。もし舟があったら本所へ渡ろうし、無かったにしても、石置き場は広いし水のそばだから、火に追い詰められてもたぶん凌ぎがつくだろう、幸太はそう考えて来たのだった。……けれども、そこはもう荷物と人でいっぱいだった、幸太はちょっと途方にくれたが、遠慮をしていてはだめだと思い、
「病人だから頼みます」
 と繰り返し叫びながら、人と人とのあいだを踏み越えるようにして、いちばん河岸に近いところへぬけていった。そこは三方に胸の高さまで石が積んであり、その間にちょうど人が三人ばかりはいれるほどの隙間ができている。
「ここがいいだろう」そう云って幸太は源六をおろした、「……暫くの辛抱だ、爺さん寒いだろうが、がまんして呉んな」
「それより幸さん、おまえ家へ帰らなくちゃあいけまい」
「なあに家はいいんだ」幸太は源六を積んである石の間へそっと坐らせた、「……家はすっかり片付けて来たし、親たちは職人といっしょに立退いたんだ、おせんちゃんその包をこっちへ貸しな、そいつを背中へ当てて置けば爺さんが楽だろう」
「済みません、あたしがしますから」
 おせんは背負って来た包をおろし、お祖父さんの後ろへ、り掛れるように置いて、自分もそこへ腰をおろした。
 火のようすを見て来るといって、幸太は通りのほうへ出ていった。おせんはひきとめたかった、こんな混雑のなかで、もしはぐれでもしたらどうしようと思ったから。けれども呼びかけることはできなかった、幸太が火を見にゆくというのは口実で、ほんとうはおせんのそばにいることをはばかった。あのときの約束を守ろうとしているのだということがわかったからである。おせんはとがめられるような気持で、お祖父さんにひき添いながら身のまわりを眺めやった。……積んである石の上も下も、大きな荷包と人でいっぱいだった、たいていの者が子供づれで、なかには背負ったり抱えたりで五人もの子をつれた女房がいた。かれらの多くは焼けだされて来たらしく、火あしの早かったこと、飛び火がひどくて逃げる先さきをふさがれ、危うく命びろいをして来たこと、どこそこでは煙に巻かれてなん十人も倒れているのを見たことなど、口ぐちに話し合っていた、「ええ此処ここは大丈夫ですよ、いざとなったら川へはいって、石垣につかまっていたって凌げますからね」そんなことを繰り返し云う男があり、「そうだ此処なら命だけは大丈夫だ」とか「水に浸って火の粉をあびれば水火の難だぜ」などと云って笑う声も聞えた。
 暫くして幸太が蒲団を担いで戻って来た、「ちょっと思いついたもんだから、断わりなしにはいって持って来たよ」彼はそう云って源六とおせんとをそれでくるむようにした、「……こうしていれば寒くもなく火除ひよけにもなるからな、それから飯櫃めしびつをみたら残ってたから、手ついでにこんな物を拵えて来たよ」自分もそこへ坐りながら、湯沸しと握り飯の包をとりひろげた。
「あら、お握りなら持って来てあるのよ」
「そいつはとっとくんだ、明日がどうなるかわからないからな、爺さん一つ喰べておかないか、ちょうどまだ湯が少し温かいんだがな、おせんちゃんもどうだ」
「ええ頂くわ、お祖父さんもそうなさいな」
「なんだか野駆けにでもいったようだな」
 源六は独り言のように、そっとこうつぶやきながら一つ取った。おれも貰うぜと云って、幸太も取って頬張ったが、こいつは大笑いだと頭へ手をやった、「冗談じゃない塩をつけるのを忘れちゃったよ」
「まあそんなものさ」源六が笑いながら云った、「男があんまりですぎるのもげびたものだ」
「いいわよ、梅干を出すから待ってらっしゃい」
 おせんは手早く包をひらき、重箱をとりだして蓋をあけた。――ほんとうに野駆けにでもいったようだ、と思いながら……。
 火事のことは源六も幸太も口にしなかった、火のようすを見にいった幸太がなにも云わないのは、云わないことがそのまま返辞だからである。それでなくとも、横なぐりに叩きつけて来るような烈風は、すでに濃密な煙とかなり高い熱さを伴っているし、頭上へは時おりこまかい火の粉が舞いはじめて来た。
「爺さんもおせんちゃんも、少し横になるほうがいい、火の粉はおれが払ってやるから」
 そうすすめるので、源六とおせんは蒲団をかぶり、包に倚りかかって楽な姿勢をとった。……家は焼けてしまうだろう、おせんはそう思ったが、悲しくも辛くもなかった、お祖父さんが病気で倒れたり、地震があったり、今年はひどく運が悪かった、いっそ家もきれいさっぱり焼けて、どん詰りまでいってしまうほうがいい、悪い運が底をついてしまえば、こんどは良い運が始まるだろう、なにもかも新しくやり直すんだ、――庄さん、とおせんは眼をつむり遠い人のおもかげを空に思い描いた、あたし弱い気なんか起こさなくってよ、あんたが帰るまでは、どんなことがあっても他人の厄介にならないで待っているわ、今夜のことは堪忍してね庄さん、だってほかにしようがなかったんですもの、あんたがいたら幸さんなんかに頼みはしなかったのよ、わかるわね庄さん。
 危険は考えたよりはるかに早く迫って来た。幕を張ったように、するどい臭みのある煙が烈風にあおられて空をおおい地をって、あらゆるものを人々の眼からさえぎり隠していた、そのあいだに火は茅町から平右衛門町へと燃え移っていたのだ、誰かが「あんな処へ火が来ている」と叫び、みんながふり返ったとき、河岸に面した家並の一部からほのおがあがった。風のために家から家と軒つづきに延びて来たのが、ひとところ屋根を焼きぬくと共に、めるだけ撓めていたちからでどっと燃えあがったのだ、ちょうど巨大な坩堝るつぼの蓋をとったように、それは焔の柱となって噴きあがり、眼のくらむような華麗な光のくずを八方へきちらしながら、烈風に叩かれて横さまに靡き、渦を巻いて地面を掃いた。頭上は火の糸を張ったように、大小無数の火の粉が、筋をひきつつ飛んでいた、煙は火に焦がされて赤く染まり、のどくように熱くなった。煙にせたのだろう、どこかで子供が泣きだすと、堰を切ったように、あっちからもこっちからも、子供の泣きごえが起こった。
「おいみんな荷物に気をつけて呉れ」とつぜん幸太が叫びだした、「……荷物へ火がつくとみんな焼け死ぬぞ、よけいな物は今のうちに河へ捨てるんだ」
 彼は石の上へとびあがり、同じことを幾たびも叫びたてた。それから両国のほうと本所河岸を眺めやった。煙がひどいのでよくわからないが両国広小路の向うも火のようだった。薬研堀やげんぼりから矢の倉へかけて、橙色のすさまじい火が、上から抑えつけられたように横へ広くひろがっている、そしていつ飛び火がしたものか、本所河岸もすでに炎々と燃えていた。
「向う河岸も焼けてるのね、幸さん」おせんが立ちあがってそう云った、「……どこもかも焼けているわ、大丈夫かしら」
「出て来ちゃあいけない、蒲団をかぶってじっとしているんだ」幸太は叱りつけるように云った、「……馴れない眼で火を見ると気があがって、それだけでまいってしまう、おれがいる以上は大丈夫だからじっとしていな」
 おせんは坐って、頭からまた蒲団をかぶった、然し熱さと煙とで、息が苦しくなり、ながくはそうしていられなくなった。
「お祖父さん、苦しくない」
 そう訊いたが「うん」というなりでなにも云わない、堪らなくなって、おせんは頭を出した。ごうごうと、大きな釜戸かまどうめきのような火の音と、えたける烈風のなかに、苦痛を訴えるすさまじい人の声が聞えた。まるでそこにいる人たちをねらってくるかのように、熱風と煙が八方からのしかかり押し包んだ。……向うのほうで「荷物に火がついたぞ」と叫ぶ声がし、「みんな荷物を河へほうりこめ」という叫びが続いた。おせんはするどい恐怖と息ぐるしさで胸をひき裂かれるように思い、
「幸さん」
 と喉いっぱいに呼んだ。
「……幸さん、どこ」
「頭を出すな」そうどなりながら、石の上へ向うから幸太がとび上って来た、「……髪毛かみへ火がつく、ひっこんでろ」
「苦しくってだめなの、息が詰るわ」
「苦しいぐらいがまんするんだ」そう云いながら彼は石から下りた、「……爺さんは大丈夫か、爺さん、もうひとがまんだぜ」
 源六の返辞はなかった、身動きもしないので、幸太が蒲団をいでみた。源六は包へがくりと頭をのけ反らせていた、幸太は手荒く老人の着物の衿をかき明け、心臓のところへ耳を当てた。……おせんは大きく眼をみはり、両手のこぶしを痛いほど握りしめながら見ていた、……お祖父さんは口をあいていた、眼もあいていた、ちょうど欠伸あくびでもしているようなのんびりとした顔である、然しそれにもかかわらずすべてが空虚で、なにかしらぬけがらをみるような物質化した感じが強かった。幸太は老人の肩をつかんで揺すぶった。それから湯沸しをあけ、手に当るひもをひき千切ってつるを縛ると河の水をみあげて老人の頭へあびせかけた、四たびばかりも繰り返して、また心臓へ耳を当てた。これらのことは敏捷びんしょうな動作と、ぜひとも呼び生かしてみせると云いたげな熱意にあふれていた、おせんは震えながら見ていた、渦巻く煙も、頬を焦がしそうな火気も、泣き喚くまわりの人ごえも気づかずに、そして、やがて幸太が両手を垂れながら立つと、絞りだすような声で叫びながらお祖父さんの胸の上へ泣き伏した。
「済まない、勘弁して呉んな」幸太が泣くような声でそう云った、「……おれがへまだったんだ、もう少し早くいって伴れだせばよかったんだが、こんな処で死なせるなんて、ほんとうに済まなかった」
「いいえそんなことはなくってよ幸さん、ここまででも伴れて来られたのはあんたのおかげだわ、お祖父さんはどうしても逃げるのはいやだってきかなかったんですもの」
「おまえの足手まといになると思ったんだ、病気で倒れてっからも、爺さんはおまえの世話になることが辛くって、どんなに気をあせっていたか知れなかった、おれにはよくわかったんだ。他人ぎょうぎじゃあないぜ、爺さんはおまえを可愛がっていた、どんなお祖父さんがどんな孫を可愛がるよりも可愛がっていたんだ、おまえに苦労させるくらいなら、いっそ死ぬほうがいいとさえ……おれにそう云ったことがあるんだ、だからおせんちゃん、薄情なようだがあきらめよう、爺さんは楽になったんだ、ながい苦労が終ってもうなにも心配することもなく、安楽におちつくところへおちついたんだ、わかるなおせんちゃん」
「幸さん」
 おせんが、そう呼びかけたとき、畳一枚もありそうな大きな板片が、燃えながら二人のすぐ傍らへ落ちて来た。
 まるで雪崩の襲いかかるように、おそろしい瞬間がやって来た。苦しまぎれに河へはいる者がたくさんあった、然しそこは折あしく満潮で、はいるとすぐおぼれる者が相次いで、石垣にかじりついている者は頭から火の粉を浴び、それを払おうとして深みへ掠われた。たぶん頭が錯乱したのだろう、なにやら喚きながら、まっすぐに燃えている火の中へとび込んでゆく者もあった。あたりに置いてある荷物はみなふすふすと煙をあげ、それが居竦いすくんでいる人々を焦がした。積んである石も、地面も、触っていられないほど熱くなり、水を掛けるとあらゆる物から湯気が立った。そうだ、おせんは初めて気がついた。彼女はいつか幸太の刺子半纏を着せられ、頭巾を冠っていた。その上から、幸太が河の水を汲みあげては掛けていて呉れたのだ。
「苦しくなったら地面へ俯伏うつぶすんだ」と幸太がどなった、「……地面へ鼻を押しつけて、そこのいきを吸うんだ、火の気も煙も地面まではいかないから、もうひとがまんだ」
 おせんはとつぜん中腰になり、すぐ脇に積んである石の蔭を覗いた。さっきから赤子の泣くこえが耳についていた、ひとところで、少しも動かずに、たまぎるような声で泣いている、あんまりひとところで泣き続けるので、堪らなくなって覗いてみた、石の蔭には大きな包が二つあり、その上に誕生には間のありそうな赤子が、ねんねこにくるまって泣いていた、まわりには誰もいない、ねんねこも包も、ところどころ焦げて煙をだしている、おせんは衝動的に赤子を抱きあげ、刺子半纏のふところへ入れて元の場所へ戻った。
「ばかなことをするな」幸太が乱暴な声でどなった、「……親も死んでしまったのに、そんな小さな子をおまえがどうするんだ、死なしてやるのが慈悲じゃないか」
「みんなおんなじよ」おせんはかたく赤子を抱きしめた、「……あたしだってもうながいことないわ、助けようというんじゃないの、こうして抱いて、いっしょに死んであげるんだわ、一人で死なすのは可哀そうだもの」
「おまえは助ける、おれが助けてみせる、おせんちゃん、おまえだけはおれが死なしあしないよ」彼はそう云って、刺子半纏の上から水を掛けると、おせんのそばへ跼んで彼女の眼を覗いた。「……おまえにあ、ずいぶん厭な思いをさせたな、済まなかった。堪忍して呉んなおせんちゃん」
「なに云うの幸さん、今になってそんなことを」
「いや云わせて呉んな、おれはおまえが欲しかった、おまえを女房に欲しかったんだ、おまえなしには、生きている張合もないほど、おれはおせんちゃんが欲しかったんだ」
 苦痛にひきゆがんだ声つきと眸子ひとみのつりあがったような烈しい眼の色に、おせんはわれ知らずうしろへ身をずらせた。
「思いはじめたのは十七の夏からだ、それから五年、おれはどんなに苦しい日を送ったか知れない、おまえはおれを好いては呉れない、それがわかるんだ、でも逢いにゆかずにはいられなかった。いつかは好きになって呉れるかも知れない、そう思いながら、恥を忍んでおまえの家へゆきゆきした、だがおまえの気持はおれのほうへは向かなかった、そればかりじゃあない、とうとう……もう来て呉れるなと云われてしまったっけ」煙が巻いて来、彼は、こんこんと激しくきこんだ。それから両の拳へ顔を伏せながら、まるで苦しさに耐え兼ねて呻くような声で、続けた、「……そう云われたときの気持がどんなだったか、おせんちゃんおまえにはわかるまい、おれは苦しかった、息もつけないほど苦しかった、おせんちゃん、おれはほんとうに苦しかったぜ」
 おせんは胸いっぱいに庄吉の名を呼んでいた、できるなら耳を塞いで逃げたかった、「おれがいなくなれば幸太はきっと云い寄るだろう」そう云った庄吉の言葉がまたしても鮮やかに思いだされた、「だがおれは安心して上方へゆく、おせんちゃんはおれを待っていて呉れるだろうから」そうよ庄さん、あたしを守って頂戴、あたしをしっかり支えていて頂戴。おせんはこう呟きながらかたく眼をつむり、抱いている赤子の上へ顔を伏せた。
「だがもう迷惑はかけない、今夜でなにもかもきりがつくだろう」幸太は泣くような声でこう云った、「……どんな事だってきりというものがあるからな、おせんちゃん、これまでのことは忘れて呉んな、これまでのびにおまえだけはどんなことをしても助けてみせる、いいか、生きるんだぜ、諦めちゃあいけない、石にかじりついても生きる気持になるんだ、わかったか」
 おせんは黙っていた、顔もあげなかった。幸太は立って再び水を汲んでは掛けはじめた。然し湯沸しなどでは間に合わなくなってきた。彼は蒲団を水に浸しておせんの上から冠せ、手桶かなにかないかと捜してみた、そのときはじめて、そのあたりいちめん人間の姿がひとりもなく、荷という荷が赤い火を巻きだしているのに気がついた、ついさっきまで犇めいていた人たちが、かき消したように見えなくなり、あらゆる荷物が生き物のように赤い舌を吐いていた。眼のくらむような明るさのなかで、それは悪夢のように怖ろしい景色だった。
 彼は湯沸しを投げだした。そして積んである石材を抱えあげ、石垣に添って河の中へ落し入れた、一尺角に長さ三尺あまりの大谷石おおやいしだった、殆んど重さを感ずる暇もなく、およそ十五六も同じ場所へ沈めた。それから石垣に捉まって水の中へはいってみた、石は偶然にも、ひとところに重なっていたが、満潮の水は彼の胸まで浸した、幸太はすぐに岸へ上り更に八つばかり沈めて、自分でいちど、試してからおせんを呼んだ。
「大丈夫だ、赤ん坊はおれが預かるから、そこへ足を掛けて下りな、落ちても腰っきりだ、よし、こんどはここへ捉まって、ゆっくりしな、そうそう、いいか」
「赤ちゃんを水にけていいの」
「焼け死ぬより腹くだしのほうがましだろう、いま上から蒲団を掛けるからな」
 幸太は岸の上から蒲団を引き下ろし、いちど水につけておせんの頭から冠せた。……水はおせんの腰の上まであった。然も潮はひきはじめているとみえ、神田川の落ち口なのでかなり強い流れが感じられる。おせんは赤子を抱いたからだを石垣へりつけるようにし、足は水の中でしっかりと石を踏ん張った。
「もう少しの辛抱だ、河岸の家が燃え落ちれば楽になる、まわりを見ちゃあいけない、なにも考えずにがまんするんだ、苦しくなったら水の面にあるいきを吸うんだぜ」幸太は手で蒲団へざぶざぶと水を掛け続けた、「……ちょっと待ちな、あそこへ手桶が流れて来る、手じゃらちがあかないからあいつを取って来て掛けよう、ちょっとのまがまんしてるんだ」
 そう云って幸太は流れの中へすっと身をのしだした、仕事着のずんどに股引ももひきだけである。手桶は三間ばかり向うを流れているので、なんのことはないと思った。然し彼は疲れきっていた、もう精も根も遣いきっていたのだ、二手、三手、泳ぎだすとすぐそれに気がつき、これはいけないと思った。そのうえ流れはまん中へゆくほど強くなり、ぐんぐんとからだを持ってゆかれそうだった。彼はひき返そうかと思ったが、眼の前にある手桶に気づき、それに捉まれば却って安全だと考えた。そしてけんめいに身をのし、手をあげて手桶を掴んだ。あげた手はひじょうに重かった、まるで鉛の棒ででもあるかのようにひじょうに重くて自由が利かなかった。それで桶はくつがえり、ずぶりと水の中へ沈むのといっしょに、幸太もからだの重心を失って水にのまれた。
 がぶっという異様な水音を聞いて、おせんが蒲団から頭を出した、河面かわもは真昼のように明るかったが、なにやら焼け落ちた物が流れてゆくほかには、どこにも幸太の姿が見えなかった。その人影のない、明るくがらんとした水面はおせんをぞっとさせた。
「幸さん」彼女はひきつるように叫んだ。
「……幸さん」
 すると思ったよりずっと川口に近いほうで、はげしい水音がしたと思うと幸太がぽかっと頭を出した。彼は背伸びでもするように、顔だけ仰反あおむけにしてこっちを見た。
「おせんちゃん」と、彼はのどに水のからんだ濁音で叫んだ、「……おせんちゃん」
 そしてもういちどがぶっという音がし、幸太は水の中へ沈んでしまった。おせんはき物でもしたように、大きな、うつろな眼をみはって、いつまでもその水面を見つめていた。彼女のふところで、赤子がはげしく泣きだした。
[#改段]


中篇








 江戸には珍しく粉雪をまじえた風が、焼けて黒い骨のようになった樹立こだちをひょうひょうと休みなしに吹き揺すっていた。寒いというより痛い、粟立あわだった膚を針でうたれるような感じである。どっちを眺めても焼け野原だった、屋根も観音開きも無くなり、みじめに白壁がげ落ちて、がらん洞になった土蔵があちらこちらに見える。それは倒れ残った火除ひよべいや、きたならしく欠け崩れた石垣などと共に焼け跡のありさまをかえってすさまじくかなしくみせるようだ。晴れていたら駿河台するがだいから湯島ゆしま本郷ほんごうから上野うえのの丘までひと眼に見わたせるだろう、いまは舞いしきる粉雪で少し遠いところはおぼろにかすんでいるが、焼け落ちた家いえのはりや柱や、焦げこわれた家財などの散乱するあいだを、ひどく狭くなった道がうねくねと消えてゆくはてまで、一望の荒涼とした廃墟はいきょしか見られなかった。
 手足はもちろん骨まで氷りそうな風にさらされ、頭から白く粉雪に包まれた人々が、浅草橋の北詰から茅場町かやばちょうあたりまで列をつくっていた。傘をさしたり合羽を着たりしているのはごく僅かで、たいていの者が風呂敷やぼろやむしろをかむっていた。男も女も、老人も子供も、みんな肩をすくめ身を縮めて、おさえつけられるように前跼まえかがみになって、ほんの少しずつ、それこそ飽き飽きするほどのろのろと、列といっしょに動いている。誰もなにも云わなかった、素足のままふところ手をしておこりにかかったかのようにがたがた震えている者、きみの悪いほど、白い硬ばった顔でときどきびくんと発条ばねじかけのように首だけ後ろへ振向ける者、むきだしの頭から肩背へ雪まみれになったまま、払いおとす力もないかのようにじっとうなだれている老婆、これらの群のあいだから赤児の弱よわしい泣きごえが聞える。前のほうでも後ろのほうでも、もう泣き疲れてあえぐようにのどをぜいぜいさせるだけのものもある。しかし親たちのあやす声は聞えない、ひょうひょうと吹きたける風の音を縫って、その赤児の泣くこえだけが、列をつくっている人々ぜんたいの嘆きを表象するかのように、途絶えたり高くなったりしながらいつまでも続いていた。
「そっちへいっちゃだめじゃねえか、だめだって云ってるじゃねえか、ばか」
 とつぜんこう喚きだす者がいた。
「あの火が見えねえか、よね公、焼け死んじまうぞ、よね公、よね公、ばか」
 そしてその喚きはすぐにうううという低い絞るような嗚咽おえつになった。だがそのまわりにいる人たちはなにも云わず、振返りもしない、そんな喚きごえなど聞きもしなかったようである。いたましいその嗚咽はやがて鼻唄のような調子になり、まもなくかすれかすれに消えていった。
 おせんは痴呆のように惘然もうぜんとして、この人々といっしょに動いたり停ったりしていた。抱いている赤児が泣きだすと、鈍い手つきで布子半纏ぬのこばんてんをかき合せたり、ぼんやりと頬ずりをしたりするが、すぐにまた放心したような焦点の狂った眼をあらぬ方へそらしてしまう。時どきなにかが意識の表をかすめると、あらゆる神経がひきつり収縮するので、からだじゅうがぴくぴくと激しく痙攣けいれんする。それと同時にはっと夢からめたような気持になるが、それは極めて短い刹那せつなのことで、すぐに頭は朦朧もうろうとなり、思考はふかい濃霧に包まれるようにくらんでしまう。肉躰にくたいも精神もすっかり麻痺まひして、自分がいまなにをしているかも、どうしてそんなところに立っているかもわからなかった。――ただ時をきっていろいろな幻想があたまのなかを去来する、幼いころに浅草寺せんそうじの虫干しで見た地獄絵のような、赤いおそろしい火焔かえんがめらめらと舌を吐くさま、ふりみだした髪の毛から青い火をはなちながら、その火焔の中へとびこんでゆく女の姿、渦を巻いておそいかかるのどくような熱い烈風、嘘のように平安なお祖父じいさんの寝顔、そしてごうごうとえ狂う焔の音のなかから、哀訴しむせび泣くようなあの声が聞える。
 ――おせんちゃん、おらあ苦しかったぜ、本当におらあ辛かったぜ、おせんちゃん。おせんは濁った力のない眼をみはり、唇をだらんとあけて宙を見上げる、なんの感動もあらわれない白痴そのままの表情だ。それから急に眉をしかめ、眼をつむって頭を振る、そういう幻視や幻聴を払いのけたいとでもいうように、――赤児はぐずぐずと泣きだし、小さな唇でなにかをめるような音をさせた。おせんは機械的に頬ずりをし、その唇へそっと自分の舌をさしいれた。赤児はとびつくように口をすり寄せ、びっくりするほどのちからでおせんの舌を吸う、ひじょうな力でちゅうちゅうと音を立てて吸うが、やがて口を放すとひき裂けるような声で泣きだすのであった。
「おまえさんお乳を含ませておやりな」すぐ前にいた中年の女がこっちへ振返ってからこう云った、「――舌なんかでだますのは可哀そうじゃないか、匂いだけでも気が済むんだから、お乳を含ませておやんなさいよ」
「そのひとはあたまがおかしいらしいだよ」脇にいる別の女がそう云った、「――藁屋わらやかんさんとこで面倒みてやってるらしいんだけど、唖者おしみたいにものを云わないし、お乳をやることもお襁褓むつを替えることも知らないらしいんですってよ」
「まあ可哀そうに、こんな若さでねえ、まだ十六七じゃないかね」
「いくら年がいかなくっても、わが腹を痛めた子に乳をやることも知らないなんて、本当に因果なはなしだよねえ」
 そんな問答が聞えるのか聞えないのか、おせんは泣き叫ぶ子を揺すりながら、ひとみのぬけたような眼でじっとどこかをみつめるばかりだった。行列はそれでもしだいに前へ前へと進み、やがて蓆で囲った施粥小屋せがゆごやへと近づいた。そのあたりは群れたり散ったりする人影と、甲高かんだかののしりごえや喚きなどでわきたち、雪まじりの風にあおられて、火をく煙や白い温かそうな湯気が、空へまき上ったり横へなびいたりしていた。――筍笠たけのこがさかぶり合羽を着て、大きななべを提げた男が向うから来た。鍋蓋の隙から湯気が立っている、男は列の人々を眼さぐりしながら来たが、おせんを認めるとせかせか近寄って、
「おめえまた来てえるな、家にいなって云ってるのにどうして出て来るのだ、赤ん坊が凍えちまったらどうするだ、聞きわけのねえもてえげえにするがいい、さあ帰るだ、帰るだ」
「勘さんよ、たいへんだねえ」さっきの女の一人がこう声をかけた、「――おまえさんもお常さんもよく面倒をみなさる、こんななかで出来ねえこったよう」
「なにをするもんだお互えさまさ」男はぶあいそに云い捨て、片手でおせんをそっと押した、「――さあ帰るだ帰るだ」
 おせんはすなおに歩きだした。男はときどき鍋を持ち替えながら、自分が風上のほうへまわって、往来を右へ曲り、もうかなり積って白くなった道を、平右衛門町へいえもんちょうのほうへとはいっていった。このまわりはどこよりもひどいようにみえる、土蔵や火防ひよけ壁などが無かったせいか、家という家がきれいに焼け失せて、焚きおとしのようになった柱や綿屑わたくずやぼろが僅かにちらばっているだけであった。――しかし大川の河岸にあった梶平かじへいという材木問屋では、あの夜、いかだにして川へつないだ材木をあげ、三棟の小屋の仕事場を造り、もう四五日まえから活溌にのこぎりかんなの音をさせていた。しぜん職人も大勢はいるのでそこを中心にぼつぼつ家が建ちだしている、もちろん板壁に屋根をのせたばかりの小屋であるが、酒肴やそばきりなどを売る店もあって、ときには酔って唄うこえが聞えたりする。……勘さんと呼ばれる男の小屋もその一画にあった。これは古い板切れを継ぎはぎにした、少なからず片方へかしがった、素人しごとと明らかにわかる雑なものだ。それにくっつけてやはりぶざまな、そのくせばかげて大きい物置が建っていて、空俵や蓆やあら繩などがいっぱい積込んである。勘さんはがたびしする戸をあけておせんを先にいれ、自分がはいるとすぐ戸をぴったり閉めた。
 油障子をめた小さな切窓から、朝あけのようにほの白い光がさしこんで、六じょうばかりの狭い部屋の中をさむざむとうつし出している。ふちの欠けた火桶ひおけに、古ぼけた茶棚ちゃだな枕屏風まくらびょうぶのほかはこれといって道具らしい物もみあたらないが、夜具や風呂敷包などきちんと隅に片付いているし、がまで編んだ敷畳もきれいに掃除がしてあり、見つきよりはずっと住みごこちの好い感じがみなぎっていた。
「お常、帰ったぜ」勘さんはこう呼びながら笠と合羽をぬいだ、「――ひでえひでえ、骨まで氷ったあ」
「お帰んなさい、いま湯を取りますよ」
 台所でこう答えるこえがし、すぐ障子をあけて、湯気の立つ手桶を持って女房が出て来た。二十八九になる小肥りの働き者らしいからだつきで、頬の赤いまるまるした顔に、思いりのふかそうな眼をもっている。小さなまげに結った髪もきっちり緊まっておくれ毛ひとつないし、えりに掛けた手拭もあざやかに白い、手始末のいいきびきびした性質が、それらのすべてにあらわれていた。
「しようがねえ、この寒さにまた出て並んでるんだ」勘さんは足を洗いながら云った。
「――欠けどんぶりのひとつも持つならいいが、手ぶらで並んでてどうするつもりかさ、可哀そうに赤ん坊が泣きひいってたぜ」
「友さんのところへ乳を貰いにいっといでって出してやったんだよ、そこからいっちまったんだねきっと、あらまあ頭からこんなに濡れてるじゃないか、持ってった傘をどうしたろう」
「いいからあげてやんなよ、傘は友助んとこへでも忘れて来たんだろう、ああ人ごこちがついたら腹が減ってきた、早いとこそいつをあっためて貰うべえ」
「あいよ、さあおまえお掛けな、足を拭いてあげるから」
 お常は残った湯で雑巾を絞り、おせんを上りがまちに掛けさせて、泥にまみれ、凍えて紫色にれた足を手ばしこく拭いてやった。


 おせんのそういう状態はかなり長く続いた。烈しい感動からきた精神的虚脱とでもいうのであろう。もちろん白痴になったわけではない、その期間に経験したことは夢中のもののようにおぼろげではあるがそれでも断片的にはたいてい記憶に残った。ただそれ以前のことがまるで思いだせない、猛火に包まれた苦しさと、お祖父さんと誰かが死んだことは、遠いむかしそこだけの出来事のように覚えているが、それもぽつんとれていて前後のつながりがまるでわからなかった。
 彼女の新しい記憶はお救い小屋から始まっていた。それは蓆掛けに床を張っただけの、うす暗くて風の吹きとおす寒い建物で、身動きもならないほど人が混み合っていた。四五日いたのだろうか、赤児が泣くので隅へ隅へと追われた。自分がわからないありさまだし、もとより赤児の世話などしたことがないから、なかば夢のように揺すったり頬ずりしたりするばかりだった。あわれがって乳をれた女もいた。おむつを替えて、なお三組ばかりわけてくれた女房もあったが、長くは続かず、やがて小屋から押し出されてしまった。そうしてふらふら歩きまわっているうち、勘さんに呼びかけられてその住居へひきとられたのである。
 ――それから毎日、赤児をおぶってはよく歩きまわった。誰かに呼ばれているような、誰かを捜さなければならないような気持で、ときには上野から湯島あたりまでうろうろしたこともある。しかし大川のほうへは決してゆかなかった、そこはひじょうに怖ろしい、遠くからちらと水を見るだけでも、身のすくむような恐怖におそわれるのである、理由はわからないが本能的にそっちへゆくことは避けた。……歩きまわることがやまると施粥を貰う行列に並びだした。お粥は勘さんが貰って呉れるので、むろんそのために並ぶのではない、そこには大勢の人がいた、いつも違った顔を見、違った話が聞ける、そこにいれば自分の捜すものがみつかるかもしれない、また自分を呼んでいる者にゆき会えるかもしれない、そういう漠然とした期待にそそられるからであった。
 ――あの晩の火事は二カ所から出たんだってよ、一つは本郷追分ほんごうおいわけから谷中やなかまでひと舐めさ、こっちはおめえ小石川から出たやつが上野へぬけてよ、北風になったもんで湯島から筋違橋すじかいばし、向う柳原やなぎわら、浅草は瓦町かわらちょうから茅町かやちょう、その一方は駿河台するがだいへ延びて神田かんだを焼きさ、伝馬町てんまちょうから小舟町こぶなちょう堀留ほりどめ小網町こあみちょう、またこっちのやつは大川を本所ほんじょに飛んで回向院えこういんあたりから深川ふかがわ永代橋えいたいばしまできれえにいかれちゃった、両国橋あたりじゃ焼け死んだり川へとびこんでおぼれたりした者がたいへんな数だって云うぜ。
 そんな話もその行列の中で聞いた。
 ――聖堂せいどうも湯島天神も焼けちゃったからな。
 ――回向院の一言観音ひとことかんのんの御本尊は山門におさめてあったものさ、ところが十一月はじめのある夜、観音さまが住持の夢枕に立って、ここでは悪いからおろせとおっしゃる、そこで本堂へ移すと、二十二日の地震よ、山門は倒れてめちゃめちゃだ、追っかけて二十九日の大火に回向院はあのとおりさ、げんあらたかだてえんでいまたいそうな参詣人さんけいにんだそうだ。
 ――地震のあとで火事、おまけに今年は凶作だというから、火を逃れても餓え死をする者がだいぶ出るぜ。
 そういう話もたびたび聞いたのである。殊に関東八州の凶作はあらゆる人々の懸念のたねで、相当の餓死者が出るだろうということは耳の痛くなるほど聞かされた。けれどそういうきびしい話も、その頃のおせんにとってはまるで縁のない余所よそごとのようなものであった。
 勘さんは勘十といって向う両国に住んでいた。そこで煎餅屋せんべいやをしていたのであるが、あの夜の火で焼けだされた。そのとき妻の妹を死なせたそうであるが、その始末もせずに勘さんは下総しもうさ古河こがへとんでいった。そこには妻の実家が百姓をしている、彼はその家へいって藁や繩や蓆や空俵などを多量に買い入れ、舟と車とですぐ送る手筈をきめて帰った。これらはみな家を建てるのにぜひ必要なものだ、勘さんはそれで商売にとり付こうと思ったのである。――材木問屋の梶平かじへいにおさな馴染の友助ともすけという男が帳場をしていた、その男の手引きで現在の場所へ住居を建て、さっそく注文をとってまわったが、思ったよりうまくいって、半月ほど経つうちには「藁屋の勘さん」とすっかり名を知られるようになった。こうした事情をおせんが知ったのはずっとのちのことである、勘さん夫婦はごくしまった性分らしく、家で米を買っていながら施粥は施粥でちゃんと貰うし、おもても飾らず物の使いぶりもつましい、商売が忙しくなっても人を雇うようすはなかった。……そんな風でいておせんの世話をよくして呉れたのは、下町人の人情もあるだろうが、火事で死んだお常の妹と年ごろが似ているそうで、それが夫婦の同情をひいたのだということも、かなり時日が経ってからわかったことであった。
 おせんはごく僅かずつ恢復かいふくしていった。まだはっきりとはしないが、勘さん夫婦と自分が他人であること、自分がなにか非常に不幸なめに遭ったこと、抱いている赤児が自分の子でないことなど、――そして困るのは夫婦の者がその子をおせんの実の子だと思っていることだった。そうではないと云っても信じて呉れない。記憶があいまいで説明することはできないが、繰り返して主張すると、「まだあたまが本当でないのだからそんなことは考えないほうがいい」などと云って相手にならなかった。それだけならまだいいけれども、十二月中旬ごろだったろう、新しく人別(戸籍)を作るということで、町役の人たちが来て赤児とその父親の名をきかれた。おせんはなにも云えなかったが、勘さんがすぐに、
「これはあの晩の騒ぎであたまを悪くしてますから」
 と、代りに答えて呉れた。
「なにしろお祖父さんと誰とかが死んじまったていことは知ってるだが、そのほかのことはなにも忘れちまったらしいんですよ、自分の名はおせん、赤ン坊はこう坊って呼んでますが、幸吉こうきちとか幸太郎とかいうんでしょう、そいつも覚えちゃいねえようです」
「父親知れず、母おせんか」町役の人はなんの関心もなくそう書き留めた、「――それじゃ子供の名は幸太郎とでもしておくか」
 おせんはこの問答を黙って聞いていたのだが、幸太郎という名が耳についたとき危うく叫びそうになるほど吃驚びっくりした。なぜそんなに驚いたのか自分もわからない、ただその名が自分にとって不吉な、たいへん悪い意味のものだという感じだけはたしかだった。町役の人たちが去ってから、彼女はお常にこうたずねた。
「おばさん、どうしてみんなこの子の名をこう坊って呼ぶんですか」
「それはあんたが初めにそう呼んだからじゃないの」お常は妙な顔をした、「――毎晩のように幸さんってうわ言を云ってたのよ、それであたしもうちのひともこの子の名だろうと思って呼んできたんだわ、そうじゃなかったのかえ」
「ええ違うんです、それは違う人の名なんです、あたしこの子の名は知らないんですもの」
「そんなら人別にそう書いちまったんだからそうして置きな、幸太郎ってちょっとすっきりした男らしい名じゃないの」
 おせんは眉をしかめ、頭を振りながらなにか口の内でぶつぶつつぶやいていた。いけない、その名を付けてはいけない、その名だけは決して、――だがなぜだろう、どうしてそんなに悪いだろう。その理由はそこまで出ている、もうひと息でそのわけがわかる、おせんはけんめいに思いつめていった、すると頭の中できらきらと美しい光の渦が巻きはじめ、全身の力がぬけるような気持で、赤児を負ったままそこへ倒れてしまった。
 ――それからまた痴呆のような虚脱状態にもどったので、これはそののちも一種の癖のようになった。ひじょうに驚くとか、ながく一つことを思いつめるとかすると、あたまが混沌こんとんとなって数日のあいだ意識が昏んでしまう、そしてその期間にはまたあの怖ろしい火焔や、煙に巻かれて苦しむ人の姿がみえ、かなしい訴えるような声が聞えるのであった。
 赤児は丈夫に育っていった。肥えてはいないが肉付きの緊まった、骨のしっかりしたからだつきでお常のみたところでは百日前後らしかった。乳は梶平の帳場をしている友助の妻のを貰った、ちょうど同じ月数くらいの子があり、絞って捨てるほどよく出る乳だった。住居も二町ばかりしか離れていないで、日になんども通うのにも都合がよかった。夜なかの分は片口に絞って置いて呉れる、それを温めたり水飴みずあめを溶いたりして与えた。――初めはそばから教えられるままに、なんの感情もなくやっていたのであるが、毎日そうして肌を離さず世話をしているうち、しぜんに愛情が移ったのであろう、泣き方で空腹なのかおむつが汚れたのかわかるようになったし、添寝をしていて少し動くと、眠ったまま背を叩いたり夜具をき寄せたりするようにもなった。年を越すと赤児は笑い顔をしはじめ、ときにはなにか話でもするような声をだした。眼つきもしっかりしてきて、こちらを意味ありげにみつめたりする。そんなようすを見るとおせんはくすぐられるような、切ないような気持になり、思わず抱き緊めては頬ずりをするのであった。
「あらそう、可笑おかしいの、幸ちゃんそんなに可笑しいの、へえ、そうでちゅか」それから急にまじめな顔をしてにらむ、「――いけまちぇん、お母ちゃんのこと笑ったりしちゃいけまちぇん、悪い子でちゅね、めっ」
 そしてこの子とさえいっしょにいればそのほかの事はどうなってもいい、自分の幸福はこの子のなかにだけある、などと思うのであった。


 三カ所にあった施粥小屋も十二月の末までで廃止になった。焼け跡もずんずん片付いて、翌年の二月ころになると道に沿ったところはあらかた家が建ち並んだ。もちろんそれは表がわのことで、裏へはいると蓆掛けのほったて小屋がたくさんある。これらのなかには「どうせまたすぐ焼けちまうんだ」と悟ったようなことを云っていて、そのとおりまもなく次の火事で焼かれ、「へん、どんなもんだい」などとへんないばり方をする者などが少なからずいた。
 ――家は建ってゆくが町のようすはだいぶ変った。当時は大火などのあとでよく道筋や地割の変更がある、そのときも両国橋から新大橋しんおおはしまで、河岸に沿って新しく道が出来た。浅草橋御門からこっちでは、瓦町と茅町二丁目の表通りから大川端まで九割がた町家が取払いになり、松平まつだいらなにがしの下屋敷しもやしき書替役所かきかえやくしょが建つことにきまった。そのため梶平の仕事場が一丁目へ割り込んだので、順送りに勘十の住居なども平右衛門町へ移らなければならなかった。
 ――大きな火事があると住む人たちの顔ぶれも違ってくる、俗に一夜乞食といって、家倉を張った大商人おおあきんどが根こそぎ焼かれて、田舎へ引込むとか他の町へ逼息ひっそくするなどということも珍しくないし、貸家ずまいの者などは殆んどが移転してしまう、その土地でなければならない条件のある者は別として、同じ町内へ戻って来る者の数はごく少なかった。……仮にもし町のようすがそんなに変らなかったら、そしてもとの町内の人たちがいてくれたとしたら、もう少し早くおせんの記憶力がよびさまされ、自分の身のうえや過去のことを思いだしたであろうし、したがって後にくるような悲しい出来事はなかったに違いない。おせんのためには不幸な、だがどうしようもない偶然の悪条件は、こうして早くも彼女のまわりに根を張りだしたのであった。
 二月にはいってから、おせんの頭はしだいにはっきりし始めた。子供の世話をするひまひまに、炊事や洗濯くらいは出来るようになり、灯のそばで縫いつくろいなどしていると、すっかりおちついて顔色もえてみえる。
「あら、おせんちゃんはきれいなんだね、今夜はまるで人が違ったようじゃないの」お常がそんな風に眼をみはることもあった、「――それだけよくなったんだね、自分でそんな気持がしやあしないかえ」
「ええ頭が軽くなったような気がするわ、なんとなくすうっとしてなにもかも思いだせそうになるの、ひょいと誰かの顔がみえるようなこともあるんだけれど」
「あせらないがいいよ、そうやってひととおりなにかが出来るようになったんだから、もう暫く暢気のんきにしているのさ、そのうち本当におちついてくればすっかりわかるようになるからね」
「おばさん本所の牡丹ぼたん屋敷って知ってて」
つ目の牡丹屋敷かい、あたしはいったことはないけど、それがどうかしたのかえ」
「なんだかそのことがあたまにあるの」おせんは遠くを見るような眼をした、「――誰かと見にゆく筈だったのか、それとも見て来たのか、そこがはっきりしないんだけれど、それからどこかのきれいな菊畑、……いろんなことがここのところへ出かかっているんだけれど、つかまえようとするとすうっと消えてしまうのよ」
「もう少しだよ、おせんちゃん、もう少しの辛抱だよ」お常はもうその話題に興味がなくなった、「――でもすっかり治って、あんたが紀文のお嬢さんだなんてことになっても、あたしたちを袖にしないでおくれよ」
 世間の窮乏はその頃からめだってきた。幕府で米価の騰貴するのを抑えたからおもてむきの価格はそれほど高くはならないが、関東一帯の凶作に加えて地震と大火のあとなので、米穀その他の必要物資は極めて窮屈になり、またその流通が利を追う少数の商人たちの手に握られているため、庶民の生活は苦しく困難になるばかりだった。
 ――いったい元禄げんろくという年代は華やかな話題が多かった、赤穂浪士のことは別として、紀文大尽とよばれた紀伊国屋文左衛門きのくにやぶんざえもん奈良屋茂左衛門ならやもざえもんなどの富豪が、花街や戯場ぎじょうで万金を捨てるようなばかげた遊蕩ゆうとうをしたのもこの頃である。芭蕉ばしょう其角きかく嵐雪らんせつなどの俳諧師はいかいし、また絵師では狩野家かのうけ常信つねのぶ探信守政たんしんもりまさ友信とものぶ。浮世絵の菱川吉兵衛ひしがわきちべえ鳥井清信とりいきよのぶ浄瑠璃じょうるりにも土佐椽とさのじょう江戸半太夫えどはんだゆうなど高名な人たちもたくさん出ている。これは大雑把おおざっぱにいって社会経済が武家から町人の手に移りつつあった現われであろうが、その反面、これら新興の富豪商人らが幕府政治の枠内わくないで巨利をつかむために、大多数の庶民がひじょうな犠牲を払わされたことは云うまでもない。……幕府では物価の昂騰こうとうを抑えたが、日雇賃ひやといちんを上げることを禁じた。物価はそのままだったが、じっさいになると商人たちは品物を隠して出さない、ぜひ買うには高い代価を払わなければならぬ。だが日雇賃には裏がなかった、今もっとも忙しい大工や左官でさえ、手間賃のきびしい制限をうけた。これは一般の購買力を低くすると同時に、しぜん小さな商工業へもつよく影響した。じみちなあきないやまともなかせぎでは、その日くらしも満足にはできなくなっていった。世帯をしまう者、夜逃げをする者、乞食がえ、飢える者が出はじめた。
「浅草寺の境内にまたゆき倒れが五人もあったってさ」
「なかに死んだ赤ん坊を負った女がいたそうじゃないの、まだ若いんだって、そばには御亭主も倒れていたけれど、動かせないほどのひどい病人だったって話よ」
「いやだねえ、昨日は御厩河岸おうまやがしに親子の抱き合い心中があがったし、なんて世の中だろう」
「いつになっても泣くのは貧乏人ばかりさ、ひとごとじゃあないよ」
 そんな話が毎日のように出た。
 三月になって年号が宝永ほうえいと改まった。ちょうど季節が春であったし、この改元は新しい希望を約束するようで、いっとき世間が明るくなったように見えた。しかしなに一つよくはならなかった。新しく建てる家はごく手軽にすべしとか、贅沢ぜいたくな品の贈答はならぬとか、祝儀や不祝儀の宴会はいけないとか、富籤とみくじは禁ずるなどという、緊縮の布令ふれが出るばかりで、むしろ不況の度はひどくなっていった。
 ――焼け跡の木々にも新芽がふくらみはじめた。きみの悪いくらい暖かな日があるかと思うと、冬でもかえったように、とつぜん気温が下り、烈しい北風がいちめん茶色になるほどほこりを巻きあげたりした。或る日、おせんが表で子供を遊ばせていると、長半纏ながばんてんにふところ手をした男が通りかかり、こっちを見て吃驚したように立停った。
「おや、おめえおせんちゃんじゃあねえか」
 おせんはいぶかしげに顔をあげた。
「やっぱりおせんちゃんか」男は親しげに寄って来た、「――よくおめえ無事だったな、てっきり死んじまったとばかり思ってたぜ、おら正月こっちへ帰ったんだが、近所の知った顔にまるっきり会わねえ、おめえもやられたと思ってたんだが、なにはどうした、爺さんは、やっぱり無事でいるのかい」
 おせんは子供を抱きあげ、不安そうにじりじりと戸口のほうへさがった。
「なんだえそんな妙な顔をして、おらだよ、山崎屋の権二郎ごんじろうだよ、忘れたのかい」男は片手をふところから出した、「――まさか忘れる筈はねえだろう、ほら、おめえんちのすぐ向いにいた権二郎だよ」
「おばさん、来て」おせんはあおくなって叫んだ、「――おばさん来て下さい」
 悲鳴のような叫びだった。お常は洗濯をしていたらしい、濡れ手のままとびだして来ると、慌てておせんを背にかばった。
「どうしたんです、この子がなにかしたんですか」
「冗談じゃねえ、なんでもねえんだよ」男は苦笑しながら手を振った、「――おらあこの娘を知ってるんで、いま通りがかりに見かけたからちょっと声をかけたんだよ」
「このひとを知ってるんですって」
「向う前に住んでたんだ、いま取払いになっちまったが三丁目の中通りで、この娘のうちは研屋、おらあ山崎屋という飛脚屋の若い者で権二郎っていうんだ」
「まあそうですか」お常はほっとしたように前掛で手を拭いた、「――このひとは火事の晩にどうかしたとみえて、以前のことはなんにも覚えちゃいないんですよ、ついした縁であたしたちがひきとってお世話してるんですけれど、じゃあ親類かなんかあるんでしょうか」
「そいつはおいらも知らねえが、茅町二丁目に杉田屋てえ頭梁とうりょうがあった。そこの若頭梁がよく出入りしていたっけよ」男はこう云っておせんのほうを眺め、ふと唇をゆがめて妙な笑いかたをした、「――そこに抱いているのはおかみさんの子供かね」
「いいえ、このひとのなんでしょう、ひきとったときもう抱いてたんですよ」
「へええ、やっぱりね」
「この子の親を知ってるんですか」
 権二郎はにやりと笑った。それからおせんの顔と子供を見比べ、肩をしゃくってあざけるようにこう云った。
「いま云った若頭梁に聞けあわかる、生きてさえいりゃあね」
 そして自分には関係がないとでも云うように、よそよそしい顔をして去っていった。お常はそのうしろ姿を見やりながらなんていやみったらしい人だろうと舌打ちをした。
「おせんちゃんあの男を覚えていないのかえ」
「いいえ」おせんは硬ばった顔で、まだしっかりと、子供を抱いていた、「――いいえ知らないわ、あたし、あんなひと、誰かしら、幸坊を取りに来たんじゃないかしら」
「そんなんじゃないよ、もとあんたの近所にいて知ってるんだってさ、それならそれでもう少し挨拶のしようがあろうじゃないか、歯にきぬをきせたようなことを云って、ひとをばかにしてるよ、こんど会っても知らん顔をしておいで」
 お常はこう云って裏へ去った。


 勘十はこの話を聞いて、梶平へでかけていった。杉田屋が大工の頭梁なら、梶平に消息を知った者がいるかもしれないと思ったのだ。友助に話してきいて貰うと、主人の久兵衛が知っていた。けれどもそう親しくはなかったもようで、頭梁の巳之吉みのきちは火事のとき腰骨を折り、女房をれて水戸のほうへ引込んでしまった。が、その後は便りがないからわからないということだった。
「ところがわかっていねえというんだから手紙の出しようもねえ」帰って来た勘十はお常にこう云った、「――幸太てえ若頭梁もいたそうだが、これもあの晩どっかで死んだらしいってよ、おせん坊もよっぽど運がねえんだな」
 こんなことがあってまもなく、神田川の落ち口に地蔵堂が出来た。その付近で火に焼かれたり川へはいって死んだりした者の供養のためで、浅草寺からなにがし上人しょうにんとかいう尊い僧が来て開眼式かいげんしきがおこなわれ、数日のあいだ参詣の人たちでにぎわった。――おせんもすすめられて、お常といっしょに焼香をしにいった。そしてあれ以来はじめて大川をまぢかに眺めた。
此処ここに橋があればよかったんだ」
 参詣人のなかでそんな話をしている者があった。
「まったくよ、どんなに小さくとも橋があればあんなにたくさん死なずに済んだんだ、なにしろ浅草橋の御門は閉る、うしろは火で、どうしようもなく此処へ集まっちゃったんだ、見られたありさまじゃなかったぜ」
「橋を架けなくちゃあいけねえ、どうしても此処にあ橋が要るよ」
「そんな話も出ているそうだぜ」
 おせんは河岸に立ってじっと川を眺めていた。少し暑いくらいの日で、満潮の川波がまぶしいくらい明るく光り、かなり高く潮の香が匂ってくる。両国広小路のほうにはもう水茶屋が出来て、葭簾よしず張りに色とりどりの暖簾のれんを掛けた小屋が並び、客を呼ぶ女たちの賑やかな声が聞えていた。――おせんは口の中でなにか呟いた。河岸に並んでいる古い柳、それはみんなまっ黒に焦げているが、枝の付根や幹のそこ此処からたいてい新しい芽が伸び、鮮やかな緑の葉が日にきらめいていた。おせんはその柳の並木を見まもった、なにかしら記憶がよみがえってくる、たぷたぷと波の寄せる石垣にも、水茶屋の女たちの遠い呼びごえにも、そして焦げたまま芽ぶいているその古い柳からは、誰かなつかしい人の話しかける言葉さえ聞えるようだ。……おせんは苦しそうに眉をしかめ、じっと眼をつむったり、頭を振ってみたりした。記憶はそこまで出ている。針のさきで突いてもすべてがぱっと明るくなりそうである。動悸どうきが高く、胸が熱くなって、額に汗がにじみだした。
「まあこんなとこにいたのかえ」
 子供を抱いたお常が、こう云いながら近寄って来た。参詣する人たちの混雑で見はぐれていたらしい。
「どこへいったのかと思って捜してたじゃないの、どうしたのいったい」
「あたし此処に覚えがあるの」お常のほうは見ずにおせんがこう呟いた、「――あたし此処を知っているわ、いつのことかわからないけれど、たしかに覚えがあるし、それに、誰かの顔も見えるわ」
「たくさん、たくさん、そんなことであたまを使うとまたぶり返すよ、さあもう帰ろうおせんちゃん」
 唯ならぬ表情をしているので、お常はこう云いながら腕を取ってせきたてた。そのときおせんは「庄さん」と呟いた。お常に腕を取られたとたんに、ふっとその名が、あたまにうかんだのである。
「ああ」
 おせんは身をふるわせ、両手の指をきりきりと絡み合せた。
「――庄さん」
「おせんちゃん、どうしたのさ」
「おばさん、わかってきた、あたしわかってきたわ、庄さん、――と此処で逢った、あのひとは此処から上方かみがたへいったのよ」
「いいからおせんちゃん」お常は不安そうにさえぎった、「――とにかく家へ帰ろう、ね、幸坊がもうおなかをすかしてるよ」
「待って、もう少しだわ、だんだんわかってくるの、そうよ、庄さんは上方から手紙を呉れたわ」
 おせんは両手で面をおおった。いろいろな影像があたまのなかで現われたり消えたりする。黄昏たそがれの河岸、柳の枝から黄色くなった葉がしきりに散っていた。
 ――おれの帰るのを待っていて呉れるな、おせんちゃん、それを信じて、安心しておれは上方へゆくよ。
 蒼白い思いつめたような庄吉の顔が、いま別れたばかりのようにありありとみえる。それから戸板で担ぎこまれたお祖父さん、裏のさかな屋の女房、露次ぐちにあったなつめの樹、幾つもの研石や※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)はんぞう小盥こだらいのある仕事場、みんなはっきりと眼にうかんできた。杉田屋のおじさんもお蝶おばさんも、幸太のことも。……おせんは顔を掩っていた手を放し、涙のたまった眼で、お常に頬笑みかけた。
「おばさん、あたしもう大丈夫よ」
「ああわかってるよ」お常はほっとしたように、しかしまだ半分は疑いながらうなずいた。
「――時が来さえすればよくなるんだから、とにかくいちどに考え過ぎないほうがいいよ、さあ帰りましょうね、幸坊」
「あたしが抱くわ、幸ちゃん、さあいらっちゃい」
 おせんは幸太郎を抱きとり、固く肥えたその頬へそっと自分のをすりよせた。
 それからは日にいちどずつ、願を掛けたようにお地蔵さまへおまいりにいった。あたまもはっきりしてきたし、気持もしっかりおちついて、からだにも精がはいったような感じである。例えば洗濯をしているとき、はっきり自分が洗濯をしているということを感ずる。道を歩きながら、自分がちゃんと地面を踏んで歩いていることを感ずる。あたりまえじゃないの、こう思いながらその「あたりまえ」が慥かなものだということに、形容しようのない嬉しさを覚え、われ知らずそっと微笑するのであった。
 ――おまいりをする往き来には河岸を通って、いっときあの柳の樹の下にたたずむのがきまりだった。幹や大枝のすっかり焼け焦げたその樹は、そこ此処から新しい芽や若枝を伸ばしたもののそれが成長するだけのちからはないとみえ、若い枝はいかにももろそうだし、葉はもう縮れたり黄色くなったりしはじめた。けれどもおせんがその樹蔭こかげに立てばなにもかもかえってくる、縦横にすじのはいった灰色の幹も、暗くなるほどしだれた細いたくさんの枝も、川風にひらひら揺れている茂った葉も、……庄吉の姿がそこにみえる、彼は笑おうとして泣くようなしかめ顔をしている、乾いたせかせかした声で、じっとこちらを見つめながら話す、それはますますはっきりと、いま耳もとでささやかれるようによみがえってくる。
 ――待ってて呉れるね、おせんちゃん、おれの帰るまで、おれの帰るまで……。
 勘十の商売はひと頃ほどもうからなくなっていた。家を建てるにはごく手軽にというお布令もあったし、それ以上一般の不況がたたって、ちゃんとした家を建てるものはごく少なく、なかにはお布令をしりめにみるような豪奢ごうしゃな建物もなくはないが、たいていが仮造りでまにあわせるという風で、それも三月にはいってからはいちおう建つものは建ったというかたちで大きな注文が殆んどなくなってしまった。古河のほうへはその後も大量に買いつけてあったので、四月になっても送られて来る荷が、はけきれないまま物置からはみだし、空地に積まれて雨ざらしになるという始末だった。――売った代銀だいぎんの回収も思うようにいかないようで、荷主からの督促に追いかけられ、その云いわけや、買いつけたあとの荷を断わるために、勘十が幾たびも、古河へいったりした。
「馴れねえことに手を出すもんじゃあねえ」
 こんな風に云って溜息ためいきをつくことが多くなり、百姓たちの狡猾こうかつさや、大工左官の親方たちのずるがしこさを罵った。更けてから行燈のそばで財布をひろげ、帳面と算盤そろばんを前に夫婦でながいことひそひそなにか話している、そんなときおせんは幸太郎と添寝をしながら、世の中のくらしにくさ、生きてゆくことの艱難かんなんを思い、冷たい隙間風に身をさらしているような、さむざむとした心ぼそさにおそわれるのであった。
 末すぼまりになったとはいえ、そのままでゆけばとにかくその商売にとりつくことはできたかもしれない。荷のはけも悪く儲けも少なくなったが、「藁屋」としてはかなり知られてきたので小さなあきないはそれ相当にあった。また近いうちに町家を取払った跡へ書替役所が建つそうだし、松平なにがしの下屋敷も地どりを始めたから、もしてがかりがつけばかなりな仕事になる。それでそのほうへも内々できっかけをつけていたのだが、不運なことにそこへ水禍が来て、すべてを押流されるようなことになってしまった。
 ――その年はから梅雨のようで、五月から六月の中旬まで照り続け、近在では田植あとの水が不足で困っているといううわさもたびたび聞いた。それが六月十五日から雨になるとこんどはやむまもなく降りだし、三十日から七月の一日二日にかけて豪雨、それこそ車軸をながすようなどしゃ降りとなった。
「二度あることは三度というが、こいつはことによると水が出るぜ」
 そう云う者もあったが、老人たちはたいてい笑って、
「昔からなが雨に出水でみずはないと云うくらいだ、心配するほどのことはないさ」
 こんな風に云っていた。しかし、あとでわかったことだが、この豪雨は関東一帯に降ったもので、刀根川とねがわや荒川の上流から山水が押し出し、下総しもうささるまたのほか多くの堤が欠壊したため、隅田川の下流は三日の深夜からひじょうな洪水にみまわれたのであった。


 幸太郎は粥を喰べるようになってからかえっておせんの乳房を欲しがった。起きているときはさほどでもないが、寝るときは握っているか口に含んでいないと眠らない。初めはとてもくすぐったくて我慢できなかったが、どうしてもきかないので少しずつ触らせているうち、慣れたというのだろうか、その頃ではさして苦にもならず、どちらかといえば自分から与えてやるようにさえなっていた。
「吸っちゃあいやよ、幸ちゃん、吸うと擽ったいからね、ただくわえてるだけ、そう、こっちのお手々もそうやって握るだけよ、乳首をつままないでね、ああちゃんとっても擽ったいんだからね、そうそう、そうやっておとなしくねんねするのよ」
 添寝をして片乳かたぢを口に含ませ片乳を握らせていると、ふしぎな一種の感情がわいてきて、思わず子供を抱きしめたり頬を吸ってやりたくなることがある、からだぜんたいが、あやされるような重さ、こころよいけだるさに包まれ、どこか深い空洞へでも落ちてゆく陶酔と、なんのわずらいも心配もない安定した気持とを感ずるのであった。
 ――三日の夜は幸太郎の寝つきが悪く、いくたびも乳をつよく吸っておせんを驚かした。十時ころにいちど用をさせ、それから少しうとうとしたと思うと、痛いほど激しくまた乳を吸われた。からだじゅうの神経がひきつるような感覚におそわれ、おせんは思わず声をあげて乳を離させた。
「いやよ幸ちゃん、吃驚びっくりするじゃないの、どうして今夜はそうおとなしくないの」
「ああちゃん、ばぶばぶ、いやあよ」
「なあに、なにがいやなの」
 こう云って頭をもたげたとき、すぐ表のところで水の中を人の歩く音が聞えた。まだ眠けはさめきっていなかったが、おせんはただごとでないと思ってとび起き、
「おばさん、おばさんたいへんよ」
 と、叫びだした。
 それからあとの出来事は記憶が慥かでない。勘十がまず表へ見に出ようとして、「これあいけねえ土間がもういっぺえだ」と喚いたこと、なにかを取出したり包んだりする夫婦のひどく狼狽ろうばいしたようす、すぐ近くで「水だ、水だ、みんな逃げろ」と呼びたてる声がしたこと、幸太郎を背負って、てまわりの物を包んで、お常の手から奪うようにかなり大きな包を受取って、裏へ出るとそこがもうひざにつく水だったこと、まっ暗な夜空に遠くの寺でく早鐘や半鐘の音が、女や子供たちの呼びわす悲鳴とともに、悪夢のなかで聞くようなすさまじい響きを伝えていたことなど、殆んどがきれぎれの印象としてしか、残っていなかった――そのなかで忘れることのできないのは、背に負った幸太郎のことである。おせんは怖がらせまいと思って、絶えずなにかしら話しかけていた。
「ほらじゃぶじゃぶ、おもちろいわねえ、じゃぶじゃぶ、みんなしてじゃぶじゃぶ、幸坊も大きくなったらじゃぶじゃぶねえ」
「ああちゃん、ばぶばぶ、おもちよいね、はは」
 子供は背中ではねた。笑いごえもたてた。しかし同時に震えていた。怖いのだ、怖いけれども自分でそれをまぎらわそうとしている、こんな幼い幸太郎が、……おせんはいじらしさに胸ぐるしくなり、いくら拭いても涙が出てきてしかたがなかった。
「強いのね幸坊は」おせんは首をねじるようにして頬ずりした、「――なんにも怖くはないのよ、ね、じゃぶじゃぶ、みんなで観音さまへいきまちょ、はいじゃぶじゃぶ」
 勘十夫婦とどこではぐれたかも覚えはなかった。猿屋町さるやちょうあたりでお常が忘れ物を思いだし、「あれだけは」と泣くような声をあげた。あきらめろとか引返すとか云うのを聞きながら、み返すひとなみに押されてゆくうち、気がついてみると二人はみえなくなっていた。湯島の天神さまへということはうちあわせてあったので、いずれは会えると思い、そのまま避難者の群といっしょに湯島へいってしまったが、それが勘十夫婦との別れになったのであった。
 聖堂の裏の空地に建てられたお救い小屋で、おせんはまる十日のあいだ窮屈なくらしをした。そのあいだにずいぶん捜しまわったが、勘十にもお常にも会えず、見たという者さえなかった。そのときの水は本所と深川を海のようにし、西岸も浅草通りを越して、上野の広小路あたりさえ道にあふれ、四日ばかりは少しも減るようすがなかった。――だが夫婦はみがるのことでもあり二人いっしょだから、どう間違っても溺れるようなことはないであろう、家へ帰れば会えるにちがいないと思っていた。
 水は七日めあたりから退きはじめた。おせんは子供を負って、まだ泥水がはぎまであるうちからなんども平右衛門町へいった。あたりはひどいありさまで、流されたりこわれたりした家が多く、勘十の大きな物置などかたちも無かったが、住居のほうは小さいのと藁や蓆が絡みついたためか、少し傾いただけで残っていた。十日めには床もやや乾いたし、梶平にいる友助の女房がすすめるので、お救い小屋をひきはらって来たが、勘十夫婦はやはり姿をみせず、そのままついに会うことはできなかった。
 おせんが本当に生きる苦しさを経験したのはそれからのちのことであった。それまでは勘十とお常がいて呉れたし、半分はあたまをいためてもののけじめも明らかではなく、苦労というほどの思いはせずに済んで来た。けれどもこんどは自分のちからで生きなければならない、さいわい住居だけはある、友助の女房がいろいろ気を配って、古いものだががまの敷畳も入れて呉れたし、屋根や羽目板のいたんだところも直して呉れた。まだ暑い季節なので寝起きもすぐに困りはしなかった。だがたび重なる災難で世間一般に生活のゆきづまりがひどく、誰にしても他人の面倒などみている余裕はない、おせんはまず友助の好意で材木の屑をわけて貰い、それを売り歩いて僅かに飢をしのぐことから始めた。
 ――庄さんは帰って呉れないかしら。
 心ぼそくなるとよくそう思った。
 ――去年の地震や火事のことを聞かなかったのかしら、あんなにひどかったのだもの、上方へだって評判がいった筈だのに、もしも聞いたとしたら、せめて手紙ぐらい呉れてもいい筈だのに。しかしそのあとからすぐ自分を叱った。
 ――手紙のやりとりなどすると心がぐらつくから当分は便りをしない、そっちからも呉れるな、いつかはっきりとそう書いて来たじゃないの、二人が早くいっしょになるために、あのひとは脇眼もふらず働いているんだわ、つまらない愚痴など云っては済まないじゃないの。
 秋風の立つじぶんから、おせんは足袋のこはぜかがりを始めた。まえに仕事を貰った家の親店おやだなだそうで、御蔵前おくらまえに店があった。火事からこっち皮羽折や皮の頭巾を作ることがたいそう流行したため、皮が高価でまわらず、足袋は木綿ひといろであったが、仕事は追われるほどあるし皮よりも手間が掛らないので、子供の相手をしながらでも粥ぐらいはすすれる稼ぎになった。――寒さがきびしくなり、朝な朝な霜のおりる頃に、おせんは仕事を届けにゆく道で思いがけない人に会った。天王町てんのうちょうから片町かたまちへはいるところに小さな橋がある。そこまで来ると横から名を呼ばれた。
「あら、おせんちゃんじゃないの」
 振返ると若い女が立っていた。濃い白粉おしろいとあざやかすぎる口紅が眼をひいた。髪かたちも着ている物も派手なうえに品がない、誰だろう、思いだせずにいると女はふところ手をしたまま寄って来た。
「やっぱりおせんちゃんだね、あんた無事でいたんだね」女は上から見るような眼つきをした、「――あたし死んじゃったかと思ってたよ、いまどこにいるの、それあんたの子供なのかえ」
「まあ」おせんは息をひいて叫んだ、「――おもんちゃん、あんた、おもんちゃんじゃないの」
「なんだ、いまわかったの、薄情だね」
 おもんは男のように脇を向いて唾をした。おせんはぞっと身ぶるいが出た、なつかしい友である。福井町ふくいちょうのお針の師匠でいっしょになり、ただ一人の仲良しとしてつきあっていた。家は天王町で丸半まるはんというかなりな油屋だったし、彼女はそのひとつぶだねで、縹緻きりょうもよしおっとりとしたやさしい気質の娘だった。それがこんなに変ってしまった、変ったというよりまるで別人ではないか、濃く塗った白粉でも隠すことのできない膚の荒れ、紅をさしたために却って醜く乾いてみえる唇、濁ったもの憂げな眼の色、そしてからだ全体の、どこか線の崩れただるそうな姿勢、病気でもあるらしいしわがれてがさがさした声、――どの一つを取っても昔のおもかげはない、おもんであることは慥かだが、しかしそれはもう決しておもんではなかった。なつかしいという気持は一瞬に消えて、おせんはそのまま逃げだしたくなった。
「あたしの家もきれいに灰になったよ、感心するくらいきれいさっぱりさ」おもんはひとごとのようにこう云った、「――おっ母さんと小僧が焼け死んじゃった、面白いもんだね、人間なんて、お酒もろくに飲まなかったお父つぁんが、いまじゃあ酔っぱらって泥溝どぶの中で寝るし、さもなきゃ番太の木戸へ縛りつけられてるわ、そしてこれもまんざら悪くはねえなんて、……あんた御亭主をもったの」
「いいえ、この子はそうじゃないの、あたしひとりだわ」
「どうだかね」おもんは不遠慮にこちらを眺めまわした、「あんた楽じゃないらしいね、ふん、この不景気じゃ誰だって堪らないから、飢死をしないのがめっけものさ、いまどこにいるの」
「平右衛門町の中通りにいるわ」
「変ったわねあんた」もういちどじろじろ見まわしておもんは激しくいた、「――なにか困ることがあったらおいでよ、あたしお閻魔えんまさまのすぐ裏にいるからね、もしなんなら少しお小遣をあげようか」
 そしてふところ手の肩を竦め、唾をして向うへゆきかかったが、ふとなにか思いだしたというように振返って云った。
「ああおせんちゃん、あんた庄吉っていうひと知ってるかい」


 おせんは首を振った。それが自分の庄吉であろうとは夢にも思えなかったのだ。
「知らないの、へんだね」おもんはちょっと考えるように、「――あんたのことをとてもしつっこくくんだよ、上方かみがたへいってこんど帰って来たんだって、じゃあひと違いなんだね」
 おせんはああと叫び声をあげた。
「そのひと、おもんちゃん、そのひとどうしたの、あんた会ったの、どこで」
「あらいやだ、知ってるの」
「ええ知ってるわ」おせんは恥ずかしいほど声がふるえた、「教えて、いつ来たのそのひと、どこにいるの」
「そんなことわからないよ、お客で会ったんだもの、どこで聞いたのかあたしがおせんちゃんと仲良しだというんで来たらしいわ、そう、一昨日の晩だったかしら、あたし生き死さえ知らないからそう云ったら、――そうそう、あたしあたまが悪いな、思いだしたよ、そのひと杉田屋の幸太さんのこと云ってたわ」
「幸さんのことを、……なんて、――」
「そんなこと覚えちゃいないさ、半刻はんときばかりじくじく云って、酒もひと猪口ちょこかふた猪口のんだくらいで帰っていったよ、あれ、あんたのなにかなのかい」
「どこにいるか云わなくって、あんたのところへまた来やしない」
「わからない、あたしあなんにも知らない、ただ思いだしたから聞いてみたまでのことさ、でもなにか言伝ことづてがあるなら云ってあげるよ、たいてい来やしまいと思うけどね」
「お願いよ、おもんちゃん」息詰るような声でおせんは云った、「――会ったら云って頂戴、あたし生きてるって、平右衛門町の中通りにいるって、待っているって、そう云って頂戴、ねえ、待っているって、……」
 風はないがひどくてる夕方だった。寒いからであろう、背中でしきりに子供がぐずった、しかしおせんはあやすことも忘れた。おたなへ仕上げ物を届け、手間賃と次の仕事を貰って家へ帰るまで往き来とも殆んど走りつづけた。そのあいだに庄吉が来ているかもしれない、留守で帰ってしまったらどうしよう。そう思うと足も地につかない感じだった。
 ――もちろん誰も来てはいなかったし、来たようすもなかった。おせんはその夜いつまでも寝ることができず、二時の鐘を聞いてからも行燈をあかあかとつけ、こごえる手指に息を吹きかけながら、足袋のこはぜをかがっていた。
 ――本当に庄さんだろうか、もしそうならどうして此処へ来て呉れないのだろう、おもんちゃんを訪ねるくらいなら此処だってわかる筈だのに、……それとも人が違うのかしら。
 そんなことを繰り返し思った。
 なか二日おいた朝、粥をこしらえているところへ友助の女房が寄った。そっとのぞいてから、そこまでわかめを買いに来たと云い云い土間へはいって来た。乳を貰ったので、幸太郎は彼女を見ると嬉しそうに手足をばたばたさせ、わけのわからないことを喚きたてる。友助の女房はその頭をでながら、「庄さんてひとを知ってるかえ」と云った。――おせんはびくっとして振向いた。女房はちょっと云いにくそうな調子で、
「五日ばかりまえから梶平の旦那のところへ泊ってるんだがね、なんでもあんたを知っているらしい、あたしゃなんだかわからない、うちのが聞いて来たんだけれどね」
「おばさん」おせんは叫んで立上った、「――そのひとまだいるの、梶平さんにまだいるのそのひと」
「今日はまだいるわ、でももうどこかへゆくらしいんだよ、あたしゃよく知らないんだけれどね、うちのが聞いた話だとなにかあんたとわけがあるらしい、それでちょいと耳に入れて来いと云われたもんだからね」
「有難う、おばさん、あたし会いたいの」おせんは息をはずませて云った、「――すぐにも会いたいの、おばさん、この子に喰べさせたらゆくから会わせて頂戴」
「ああおいでよ、うちのがああ云うんだからなんとか出来るさ、でもあのひとあんたとどんなわけがあるの」
「あとで、あとで話すわ、おばさん、あたしすぐいきますからね」
 子供に粥を喰べさせるあいだも、もどかしいおちつかない気持で、思わず叱る声のとげとげしさに幾たびもはっとした。自分は喰べないでそこそこにしまい、子供を抱いて梶平へいった。――仕事場のほうからはいってゆくと、店の裏にある長屋のかどぐちに、友助の女房が子供を負って誰かと立ち話をしていた。おせんが近寄ってゆくと、手を出してすぐに幸太郎を抱きとり、「向うの置き場のところにおいでな」と云って、あたふた店の脇のほうへいった。
 新しい木肌をさらして、暖かい日をいっぱいにあびて、かくいた材木がずらっと並んでいる。あたりは酸いような木の香がつよく匂い、すぐ向うの小屋から職人たちの鋸いたり削ったりする音が聞えてくる。おせんは苦しいほどに胸がときめいた、たぶん蒼くなっているだろう、そう思って額から両の頬を手でこすった。あしかけ三年ぶりである、白粉をつけ紅をつけたかった、髪も結い着物も着かえて、いくらかでも美しい姿をみて貰いたかった。しかし生きているだけが精いっぱいのくらしである、辛うじて死なずにやっている身のうえでは、紅白粉どころか、丈夫でいることを、せめてもの自慢にするほかはなかった。――うしろに足音がした。おせんは全身のおののきにおそわれ、こらえ性もなく振返った。そこには庄吉がいた。まぎれもない庄吉が縞の布子に三尺を締めて、腕組みをして、灰色の沈んだ顔をしてこっちを見ていた。
「庄さん」おせんはくちごもった、「――あんた、帰ったのね」
 庄吉は投げるように云った。
「ああ、だが帰らなきゃよかったよ」
 おせんにはその言葉が耳にはいらなかった。とびつきたかった、向うでとびついて呉れると思った。からだが火のように熱く、あたまがくらくらするように感じた。
「そしてもう、ずっとこっちにいるの」
「どうするか考えてるんだ、――もういちど上方へいってもいいし、……こっちにこのままいてもいいし、おんなしこった」
「あたし、ねえ」おせんはそっとすり寄ろうとした、「――庄さん、あたし、ずいぶん辛いことがあったのよ」
 庄吉はすっと身を退いた。組んでいた腕を解き、すごいような眼でこっちを見た。
「そんなことまで云えるのか、おせんちゃん、おれに向って辛いことがあったなんて、それじゃあおれは辛くはないと思うのか」
「どうして、庄さん、どうしてそんな」
「おまえは、あんなに約束した、待っているって、おれの帰るのを待っているって、おれはそれを信じていたぜ、お前の云うことだけは信じられると思って、それこそ冷飯にこうこで寝る眼も惜しんで稼いでいたんだぜ」
「だってあたし、どうして、……あたしちゃんと待ったじゃないの」
「じゃあ、あの子は、誰の子だ」庄吉はあからさまな怒りの眼で云った、「――地震と火事のあとで水害、困っているだろうと思って帰って来たんだ、ところがどうだ、断わっておくが云いわけはやめて呉れよ、おれは、みんな聞いたんだ、おまえの家が幸太の御妾宅だと評判されていたことも、そしておまえが幸太の子を産んだことも」
 おせんは笑いだした。余りに意外だったからであろう、自分ではそんな意識なしにとつぜん笑いがこみあげてきたのだ、しかし表情は泣くよりもするどくゆがんでいた。
「笑うなら笑うがいい、おまえにはさぞおれが馬鹿にみえるだろう」
「あたしが幸さんの子を産んだなんて、あんまりじゃないの、そんなばかな話、まさか本当だなんて思やしないでしょう」
「云いわけは断わると云ってあるぜ、自分で近所まわりを聞いてみるがいい、幸太がおまえの家へいりびたりということは、去年の春あたりもう耳にはいってた、それでもおれは大丈夫まちがいはないと思ってたんだ、――ところがこんどは幸太の子を産んだと云う、そして、おれはこの眼でその子を見たんだ」
「そんな話、どこから、誰がそんなことを云ったの」
「おまえとは筋向いにいた人間さ、始終おまえのようすを見ることのできる者さ、云ってやろうか、……山崎屋の権二郎だよ」
 おせんはようやく理解した。庄吉が自分を訪ねて来なかったわけ、とびつきもせず、よろこびの色もみせないわけが。それどころかたいへんな思い違いをして、自分との仲がめちゃめちゃになろうとさえしていることを。
 ――どう云ったらいいだろう、権二郎、ああ、あの頃からもう告げ口をしていたんだ、大阪へ飛脚でゆくたびに、このひとと会って無いことをあれこれと云ったに違いない、このひとはそれを信じている。うち消さなければならない、本当のことを知って貰わなければ、……きらきら光る眼で、じっと相手をみつめながら、けんめいに自分を抑えておせんは云った。
「あの子は火事の晩に拾ったのよ、庄さん、親が死んじゃって、ひとりでねんねこにくるまれて泣いていたの、もうまわりは火でいっぱいだったわ、あたしみごろしに出来なかったの、――これが本当のことよ、庄さん、あたし約束どおり、待ってたのよ」
 おせんは両手で面をおおい、せきを切ったように泣きだした。庄吉はながいこと黙って、冷やかな眼でおせんの泣くさまを眺めていた、それからふと低い声で、まるでなにごとか宣告するようにこう云った。
「それが本当なら、子供を捨ててみな」
「――――」
「実の子でなければなんでもありあしない、今日のうちに捨ててみせて呉れ、明日おれが証拠をみにゆくよ」
 おせんは涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげた、唇がひきつり、眼が狂ったような色を帯びていた。おせんはふるえながらうなずいた。
「ええ、わかったわ、そうするわ、庄さん」


 おせんは一日うろうろして暮した。――幸太郎を抱きづめにしてなんども出ては、ちぎり飴や、すすきで拵えたみみずくや、小さな犬張子などを買ってやった。
 ――庄さんの云うのももっともだわ。
 彼女はこう思った。何百里という遠い土地にいて、権二郎の云ったような告げ口を聞けば、愛している者ほど疑いのわくのは自然である。まして現にその子供を育てている姿を見たのだ、あきらかに否定する証拠がない限り、事実だと思うのはやむを得ないかもしれない。――庄吉はこのままこっちにいてもいいと云った、自分が証拠をみせれば二人はいっしょになれる、この家でいっしょに暮すことができるのだ。
「ああちゃんを堪忍してね」おせんは子供を抱きしめる、「――あんたがいるとああちゃんの一生が不幸になってしまうのよ、待ちに待っていたひとが帰って来たの、ああちゃんの大事な大事なひとなの、あのひとなしにはああちゃんは生きてゆけないのよ、ねえ幸坊、わかってお呉れ、堪忍してお呉れね」
 あの火の中から抱きとり、腰まで水に浸りながら、身を蓋にして危うくいのちを助けた。自分で自分のことがわからず、他人の世話になりながら、満足におむつを変えることさえ知らなかったのに、ともかく今日まで丈夫に育てて来た。云ってみれば、ほんの偶然のめぐりあわせであった。なんの義理も因縁もなかったのにこれだけ苦労して来たのだ。もう誰かに代って貰ってもいいだろう、ことによると自分の手を離れるほうが、却ってこの子の仕合せになるかもしれない。
「そうよ幸坊、どんなお金持のひとに拾って貰えるかもしれないんだもの、そうでなくってもああちゃんのような貧乏な者に育てられるよりずっとましだわ、そうだわねえ幸坊」
 夕餉ゆうげには卵を買って、しらげた米で、心をこめて雑炊を拵えた。それから戸納とだなをあけて大きい包を取出した。洪水の夜、逃げるときにお常から預かったものである、勘十夫妻の身寄りの者でも来たら渡そうと、手もつけずに納っておいたのであるが、今日になるまでそんな人もあらわれず、いま幸太郎に付けてやる物がなにも無いので、ふと思いついて出してみた。――それはお常の物であった、さほど高価な品ではないが、まだ新しい鼠小紋の小袖や、太織縞のあわせや、厚板の緞子どんすの帯や、若いころ着たらしい華やかな色の長襦袢ながじゅばんなどが、手入れよく十二三品あった。おせんは太織縞の袷二枚と長襦袢を二枚わけ、手拭を三筋と、洗った子供の物と、玩具や飴などをひと包にし、でかけるしたくが終ってから、子供と二人で食卓についた。
「さあたまたまのうまよ、おいちいのよ、幸坊、たくちゃん喰べてね」
「たまたまね、はは」子供は木のさじでおぜんの上を叩き、えくぼをよらせてうれしそうに声をあげた、「――こうぼ、うまうまよ、ああちゃんいい子ね、たまたま、めっ」
「あら、たまたまいい子でちょ、幸坊においちいおいちいするんですもの、ああちゃん悪い子、ああちゃん、めっ」
「ああちゃんいい子よ、ばぶ」子供はこわい顔をする、おせんはいつもいい子でないといけない、おせんが自分を叱ってみせたりすると子供は必ず怒る、「――ああちゃん、わるい子、ないよ、いやあよ、ああちゃんいい子よ」
「ああいい子でちゅいい子でちゅ、ああちゃんいい子ね、はい召上れ」
「といで、ね、こうぼといでよ」
 木匙は持たせるがまだ独りでは無理だ。しかし誕生からみ月にはなるらしいし、ぜんたいにませた生れつきとみえて、お膳のまわりを粥だらけにしても独りで喰べないと承知しない。今夜はやしなってやりたかったが、どうしてもきかないので好きにさせた。自分も冷たい残りの粥に、幸太郎の卵雑炊を少しかけ、別れの膳という気持ではしを取った。
 家を出たのは七時ごろであろう。着ぶくれて眠ったのを背負い、包を抱えて、暗い露次づたいに表通りへ出ると、知った人にみつからないように、気をくばりながら浅草寺のほうへ歩いていった。風もないし、その季節にしては暖かい夜だった。そのためか往来の人もかなりあるし、腰高障子の明るい奈良茶の店などでは、酔って唄うにぎやかな声も聞えた。――もうなんにも思うのはよそう、ただこの子の仕合せだけを祈っていよう。自分の心のこえから耳をふさぐような気持で、繰り返しそう呟いた。胸が痛み、動悸どうきが高く激しくなる、だがおせんは唇をみしめ、俯向うつむいて、ときおり頭をつよく横に振ったりしながら、追われる者のようにひたすらに歩いていった。
 浅草寺の境内へはいったが、さてどことなるとなかなか場所がなかった。奥山には蓆掛むしろがけの見世物小屋がもちろんもうしまったあとでひっそりと並んでいる。小屋の中なら暖かいが、そんな稼業の者の手には渡したくない。本堂から淡島あわしまさまのほうをまわってみた、けれども此処ならという処がどうしてもみつからないのである。
「あたし気が弱くなったんだわ、ここまできて捨てられなくなったんだわ」おせんはふと立停ってから呟いた、「――子を捨てるのにいい場所なんてある筈がないじゃないの、もう思い切らなければ」
 そこは鐘楼のある小高い丘の下だった。すぐ向うに池があり、鯉や亀が放ってあるので、おせんは小さいじぶんよく遊びに来たものだ。此処にしようと決心して、ひもを解き、背中から子供を抱きおろした。――子供は眠ったまま両手でぎゅっとしがみつき、仔猫こねこのするように顔をすりつけた。
「おおよちよち、ねんねよ、おとなにねんねよ幸坊」
 おせんは抱きしめて頬ずりをしながら、しずかにねんねこで子供をくるんだ、
「――堪忍してね、ああちゃんの一生のためだからね、いいひとに拾われて仕合せになるのよ、ああちゃんを仕合せにして呉れるんだから、きっと幸坊も仕合せになってよ、……ああちゃんそればっかり祈っているわね」
 しがみついている手をようやく放し、そこへ置いた包を直して、自分も横になりながらそっと寝かせた。どこか遠くで酔った唄ごえがしていた。三味線の音もかすかに聞える。おせんは静かに身を起こした、足がわなわなと震えだし、喉がひりつくように渇いた。
 ――さあ早く、いまのうちに。
 おせんは夢中で歩きだした。耳がなにか詰められたように、があんとして、いまにもたちくらみにおそわれそうだった。
 ――早く、早くいってしまうんだ。
 おせんは走りだした。するとふいに子供の泣きごえが、聞えた、「ああちゃん」という声がはっきりとするどく、すぐ耳のそばで呼ぶかのように聞えた。子供の手がぎゅっと肩をつかむ、子供は身をかたくして震えている。震えながら奇妙なこえで笑った。「はは、ばぶばぶね、ああちゃん、ははは」それは出水の中を逃げるあのときのことだ、恐ろしいということを感づいていながら、おせんの言葉に合わせてけなげに笑ってみせた。ああ、おせんは足が竦み、走れなくなってあえいだ。
 ――堪忍して幸坊、堪忍して。
 両手で耳を掩い、眼をつむって立停った。子供の泣きごえはさらにはっきりと、じかに胸へ突刺さるように聞えた。「ああちゃん、かんにんよ、こうぼいい子よ、めんちゃい――」
 おせんは喘いだ、髪が逆立つかと思えた、そして狂気のように引返して走りだした。
 子供は泣いていた。ねんねこをひきずりながら、地面の上を四五間もこっちへいだし、こくんこくんと頭を上下に振りながら、ああちゃんいやよ、ああちゃんいやよと声いっぱいに泣き叫んでいた。――おせんはとびつくように抱きあげ、夢中で頬ずりをしながら叫んだ。
「ごめんなさい幸坊、悪かった、悪かった、ああちゃんが悪かった、ごめんなさい」
 しがみついてくる子供の手を、そのままふところへいれて乳房を握らせ、片方の乳房を出して口へ含ませた。
「捨てやしない、捨てやしない、どんなことがあったって捨てやしない、どんなことがあったって」
 おせんはこう叫びながら泣いた。
「――幸坊はあたしの子だわ、あたしが苦労して育てて来たんじゃないの、誰にだって捨てろなんて云われる筈がないわ、たとえ庄さんにだって、……ねえ幸坊、あたし幸坊もう決して放しゃしなくってよ」
 子供は泣きじゃくりながら、片手できつく乳房を握り、片乳へ顔のうまるほど吸いついていた。おせんはやがて立ちあがり、抱いたまま上からねんねこでくるみ、包を持って、やや風立って来た道を家のほうへ帰っていった。
 明くる朝、子供を負って洗濯物を干していると、庄吉が来た。彼は歪んだ皮肉な顔つきで、道のほうからこっちを眺めていた。
 それからそばへ寄って来た。――おせんはできるだけのちからで微笑し、相手の眼をみつめながらどもり吃り云った。
「ごめんなさい、庄さん、あたしゆうべ、捨てにいったのよ」
「――でもそこにおぶってるね」
「いちど捨てたんだけれど、可哀そうで、とてもだめだったの、庄さんだって、とても出来ないと思うわ」
「――わかったよ、証拠をみればいいんだ」
「ねえ、あたしを信じて」おせんは泣くまいとつとめながら云った、「――本当のことはいつかわかる筈よ、あたし待ってるわ」
 庄吉はなにも云わずにきびすを返した。くるっと向き直って道のほうへ歩きだした、おせんはふるえながらそのうしろへ呼びかけた。
「庄さん、あたし待っててよ」
 しかし彼は振向きもせずに去っていった。
[#改段]


後篇








 十二月にはいると間もなく幸太郎が麻疹はしかにかかった。その十日ほどまえから鳥越とりごえのほうに、疱瘡ほうそうがはやると聞いたので、御蔵前おくらまえにある佐野正さのしょうの店へ仕事のために往き来するおせんはそのほうを心配していたし、病みだした初めのうちもてっきり疱瘡だろうと思ったのであるが、五日めになって医者が発疹はっしんのもようをみたうえたぶん麻疹だろうと云い、そのとおりの経過をとりだしたのでいちおう安心した。じつはその少しまえ、幸太郎が乳を貰っていた友助の家で、その子の和助というのが麻疹にかかっていた。乳が同じであるし、生れ月も近いしおまけに看病のしやすい年恰好だから、本当ならうつして貰ってもさせるところなのだが、和助のはしょうが悪いらしいということで、向うから近づかないようにと注意されていたのである。――そんなことから麻疹だとわかってひと安心しながら、もしやその性の悪いのがうつっていたのではないだろうかとも思い、発疹が終って熱のひくまではせるほど気をつからせてしまった。
 幸太郎は半月ほどできれいに治ったが、その前後からおせんは友助夫婦のようすの変ったことに気づいた。和助という子は生れつき弱いところもあったとみえて、幸太郎がよくなってからも唇のまわりや頭などに腫物はれもののようなものが残り、それがなかなか乾かないで困ると云っていたがそんなことを口実のように、夫婦ともおせんから遠退とおのこうとする風がだんだんはっきりしだした。かれらとは水で亡くなった勘十夫婦のひきあわせで、知りあい、幸太郎のための乳から始まってずいぶん世話になってきた。友助というひとは材木問屋の帳場を預かるくらいで、くちかずの少ない律義な性分だし、女房のおたかもお人好しと云われるくらい、善良でおとなしかった。出水でみずのあと、おせんのためにその住居を直してれたり、仕事場から出る木屑きくずを夜のうちにそっと取っておいて呉れたり、また幸太郎の肌着にと自分の子の物をわけて呉れたり、そのほかこまごました親切は忘れがたいものである。勘十夫婦に亡くなられたいまのおせんには、殆んど頼みの綱ともいうべきひとたちであった。それがどうしたわけかこちらを避けはじめた。道などで会えば口をききあうが、それも以前とは違ってよそよそしく、とりつくろった調子が感じられた。――いったいなにがあったのだろう。なにか気に触るようなことでもしたのだろうか。考えてみたけれどもそれと思い当ることはなかった。
 もうかなりおし詰ってからの或る日、おたかが珍しく訪ねて来たので、しかけていた夕餉ゆうげのしたくをそのままに出てゆくと、彼女はいっしょにれて来たらしい中年の男に振返って、この家ですよと云った。男は四十五六になる小肥りのからだつきで、日にやけたひげの濃い顔にとげとげしい眼をしていた。
「おせんちゃん、このひとは下総しもうさ古河こがからみえた方でね、お常さんの実の兄さんに当るんですってよ」
「まあおばさんの、――それはまあ……」
 おせんは寒いような気持におそわれた。これまでながいこと待っていたのに誰もあらわれず、もうこのままおちつくのだと思っていたが、こうして亡くなったひとの兄が来たとなると、もしかすればこの家を出てゆかなければならなくなるかもしれない、そんなことになったらどうしよう。なによりも先にそういう不安がわいてきたのであった。――ひきあわせが済むと、おたかはすぐに帰っていった。男はおせんに水を取らせて足を洗い、ぬいだ草鞋わらじと足袋を外へ干してから上へあがって莨入たばこいれをとり出した。どうするつもりだろう、おせんは、ますます強くなる不安のなかで、ともかくも夕餉の量をやし、乾魚ほしざかなを買いに走ったりした。男は、もともと無口なのか、食事が済むまで、殆んど口をきかなかった。頬のとがった髭の濃い顔には少しも表情がなく、くぼんだ眼だけが怖いように光っている、その眼でなんども部屋の中を見まわしたり、幸太郎の騒ぐのを、うるさそうににらんだりするばかりだった。そんな客が珍しいのだろう、子供はじいたんじいたんと云って、まわらない舌でしきりに話しかけたり笑ってみせたりした。うっかりするとひざいあがろうとするので、おせんは食事が終るとそうそう、いやがるのをおぶってあと片付けをした。……朝のしかけも済んでしまったが男はおちついて莨を吸っていた、百姓をする人に特有の少しこごみかげんなたくましい肩つきや、辛抱づよくなにごとかを待っているという風な姿勢をみると、どうにもそこへいって坐る気になれず、おせんはまるで身の置き場に窮した者のように、狭い台所でいっとき息をひそめるのであった。
「用が済んだらこっちに来なさらないか」物音が止んだのに気がついたとみえ、男が向うから呼びかけた、「――それからだいぶ冷えるが、火が有ったら貰えまいかね」
「済みません、火をおとしてしまいまして、あのう」おせんは赤くなった、「小さいのがいて危ないもんですから、家の中へは火を置かないようにしていますので、つい」
 男はまた黙って部屋の中を見まわした。おせんは消したきおとしで火を作ろうかと思ったが、それだけあれば朝の煮炊きが出来るので、そのままそっと部屋の中へはいってゆき戸納とだなからあの風呂敷包をそこへ取り出した。
「これは水の晩にあたしがお常さんのおばさんから預かったものですの」
「あらましのことは友助さんに聞いたがね」
 男は包をちょっと見たばかりでこう云った。
「――わしも心配はしていたが、まさか死んでいようとは思わなかった、死躰したいもわからずじまいだったというが……まだわしには本当とは思えない」
 彼の名は松造まつぞうというそうで、古河の近くの旗井はたいというところで百姓をしている。あのときはそっちも水があふれだし、家はそれほどでもないが田畑にはかなりな被害があった。そのあと始末に手が離せなかったのと、人の評判では江戸はたいした事がないというので、知らせのないのを無事という風に考えて問い合せもしずにいた。それにしても余りたよりがないし、こんど千住市場せんじゅいちばへ荷の契約があって出て来たのを幸い、それを済ませて此処ここを訪ねたのである。初めてのことでようすがわからず、歩きまわるうちに材木問屋の梶平の店の前へ出た。そこにはかねて勘十から友助という者のいることを聞いていたので、立寄って話をし、思いもかけない妹夫婦の死を知らされたのである。――松造は以上のことを、ぶあいそな調子で語った、語るというよりも不平を述べるという感じであった。
 おせんも幸太郎を膝に抱きおろして、あの夜の出来事を記憶するかぎり詳しく話した。死躰のみつからなかったことは捜さなかったためもあるかもしれない、しかし子供を背負った自分でさえ無事なのである、夫婦二人のことだし、洪水といっても堤を欠壊して濁流が押しかかるというようなものではなかったので、万に一つも死んでいるなどとは考えられなかった。どこかへ避難していていまに帰るものと信じていた。それがいよいよ帰らないことがわかり、それでは死躰をというじぶんには、川筋のどこでもすでにそういうものの、始末がついたあとであった。そういうわけで、世話になりながら死後のとむらいもせずにいたのは、申しわけのないことであるけれど、じつを云うと自分もまだ本当にお二人が死んでしまったとは思えない、いつか元気な姿で帰ってみえるような気がしてならないのである。――こういう意味のことを云って涙を拭いた。松造はよもぎ臭い莨を吸いながらうなずきもせずに聞いていた、話したことがわかったのかどうか、まるっきり別のことを考えてでもいるように、硬い表情で黙って莨ばかり吸っていた。
 松造は泊っていった。千住に舟が着けてあって、朝早くそれに乗って帰るということだった。いまにも、家のことを云われはしないかと、そればかり胸につかえていたのだが、朝飯を済ませてもそのことに触れず、干しておいた草鞋と足袋をおせんに取らせ、それを穿いて古ぼけた財布を出して幾枚かの銭を置いた。
「これで子供にあめでも買ってやるがいい」
「まあそんなことは、いいえどうかそれは」
「厄介をかけた、――じゃ……」
 そのまま出るようすである、おせんは思いだして風呂敷包をと云った。松造はむぞうさにそれはまた次に来たときにしようと答えた。そこでおせんは幸太郎を抱き、戸口へ送りだしながら思い切っていた。
「あのう、あたしこの家にいてもいいんでしょうか」
 松造は振返ってけげんそうに、こっちを見た、ゆうべとげとげしくみえた眼が、今はもっとするどくとがり、こちらの心を刺すかのように光っていた。
「この家は友さんという人が、材木の残り木で建てて呉れたものだそうだ、それから水でこわれたのを直して、おまえに住まわせて呉れたものだそうじゃないか、――そうとすればおまえの家だ」
「それじゃ、あの、あたし、いてもいいんですわね」
 松造は茶色になった萱笠すげがさかぶった。
「ときどき泊らせて貰うからな」こっちは見ずにこう云った、「――その代りこんど来るときは、自分のべる物は持って来る」
 彼が去ったあと、おせんは幸太郎を抱いたまま嬉しさにこおどりをした。もう大威張りよ幸ちゃん、これ、ああちゃんと幸坊のお家になったのよ、ごらん、幸坊は三つで家作もち、えらいのねえ。――幸太郎はわけのわからぬままにおせんの首へ抱きつき、おせんのはしゃぐのに合わせてきゃっきゃっと躍り跳ねた。……昨日からの不安が解け、ようやく気持がおちついてくると、まず考えたのは友助夫妻のことであった。この家がおせんのものであるように云って呉れたのは友助夫妻である、かれらはこの頃ずっと疎んずるようすだった。そしてもし自分に好意を持たなくなったとすれば、ここから追い出すことはぞうさもない話である、それをこういう風にして呉れたのは、たとえあわれみからだったとしても感謝しなくてはならない。
「お礼にいきましょう幸ちゃん」おせんは子供に頬ずりをした、「――あちゃんになにかお土産みやを持ってね、幸坊はもう和あちゃんのことを忘れたでちょ、忘れちゃだめよ、和あちゃんは幸坊のたった一人の兄弟なのよ」


 友助の家へ礼にゆくにはもう一つの意味があった。それは庄吉のようすがわかるだろうということである。あの朝の悲しい別れからこっち、おせんはいちども庄吉に会っていなかった。あのときの口ぶりでは、江戸にいるかもしれないし大阪へ戻るかもしれない、どっちともきめていないという風だったが、その当座は梶平にいて仕事場を手伝っているということを、それとなくおたかから聞いたことがあった。――もちろん大阪へなどゆきはしない、きっとこの土地にいるに違いない。おせんはこう確信した。庄吉がおせんを疑っている気持はよくわかる、そして自分にはその疑いを解く証拠がない。大阪という遠いところにいて、飛脚屋の権二郎からたびたび忌わしい話を聞き、帰って来て現におせんが子を抱いているのを見たのだ。ここにもし多少の証拠があって、このとおりであると並べてみせることが出来たとしても、それで庄吉の疑いがきれいに解けはしないだろう。
 ――本当のことはいつかはわかる筈よ、あたし待っていてよ、庄さん。
 あのときおせんはこう云った。深く考えて云ったのでない、しぜんに口を衝いて出た叫びであった。そしてそれがいちばんたしかであり、必ずそのときが来るに違いないと思った。愛情には疑いが付きものである、同時にいちどそのときが来れば了解も早い、じたばたしないで待っていよう。こういう風に思案をきめていたのであった。
 松造の帰った翌日、おせんは彼の置いていった銭に幾らか足して大きな犬張子を買い、それを持って友助の家へ礼にいった。橋からはいって長屋のほうへゆくと、新しい木の香がむせっぽく匂ってきた。おせんは切ないような気持で脇へ向いた、庄吉と悲しい問答をしたときのことが、その匂いからまざまざと思いうかんだのである。――表で洗濯をしていたおたかは吃驚びっくりしたような眼でこちらを見、濡れた手をそのままゆっくり立上った。おせんは家を出なければならないかと思ったところ、今までどおり住んでいられるようになったこと、それはお二人のお口添えのおかげで、こんな有難いことはないと心をこめて礼を述べた。
「いいえそんなことはありませんよ、うちじゃなんにも云やしませんよ、お礼を云われるようなことはしやしませんよ」
 おたかは人の好い性質をむきだしに、けれども明らかに隔てをおいた口調でそう繰り返した。おせんはまた、久しくみないから幸太郎にあちゃんと会わせてやりたいが、和あちゃんはどうしているかとき、そして、つまらない物だが途中でみつけたからと云って、買って来た犬張子を差出した。
「そんなことしないで下さいよ、そんなことして貰うとうちに怒られますからね、本当に困りますよ」こう云って途方にくれるような顔をし、それでも手には取ったが、おたかの顔はやはり硬いままだった、「――せっかく幸坊が来たのに気の毒だけどねえ、あの子はいましがた寝かしたばかりなんで」
「ええいいのよおばさん、そんならまた来ますから」
 おせんはこう云ってから、まわりに人のいないのをみさだめ、おたかのほうへそっと身を近寄せて云った。
「おばさん、こんなこと訊いて悪いかもしれないけれど、あたしなにかおばさんたちの気に障るようなことしたんでしょうか、――もしなにかそんなことがあるんなら云って下さらない、あたしこんな馬鹿だから、気がつかずに義理の悪いことをしたかもしれないし、もしそうならおびをしますから」
「そんなことありませんよ、そんな」おたかは狼狽ろうばいしたように眼をそむけた、「――不義理だなんて、あたしたち別になにも気に障ってなんぞいやしませんよ」
 おせんは相手の眼を追うようにして見まもった。慥かになにかあると思ったから、そしてぜひともそれは訊きださなければならないと思ったから。――おせんは云った、自分がどんなに二人の世話になって来たか、それをどんなに感謝しているか、勘十夫婦の亡くなったあと、小さな者を抱えて生きてゆくのに、どれくらい二人を頼みにしているか、親ともきょうだいとも思ってるのに、さき頃から二人が自分を避けるようになった、これは自分にとってなにより悲しく寂しい、自分になにかいけないところがあったのだろうが、それがわかりさえすればどんなにでも直そう、どうか本当のことを云って貰いたいし、たのみ少ない自分をつき放さないで貰いたい。これだけのことを心をこめて云った。
 ――おたかは聞いているうちに感動したようすで、しかしその感動をうち消そうと、気の毒なほどうろうろするのがみえた。まちがいなく彼女は迷いだしていた。こうと思いきめていながらおせんの言葉につよくひきつけられ、気持の崩れだすのを防ぎかねていた。
「いいわ、じゃ云うわ、おせんちゃん」
 やがておたかはこう云った、そしてすばやくあたりを見まわし、手招きをして家の中へはいった。――六じょうに三帖の狭い住居で、どこもかしこもとりちらしたなかに、枕屏風まくらびょうぶを立てて和助が寝かされていた。おたかはその枕許まくらもとへそっと犬張子を置き、おせんと差向いに坐って火鉢のうずみ火をきおこした。
「あたしがよそよそしくしたのは、おせんちゃんがなにもあたしたちに不義理をしたからってわけじゃないのよ」おたかはこう話しだした、「――正直に云うと庄吉さんのためなの」
「庄さんのためって、だって庄さんが」
「いつだっけかしら、そう、あの人があんたと置場で逢って話をしたわね、あれから十日ばかり経ってだわ、うちのひとが庄吉さんを呼んで此処でお酒をいっしょに飲んだの、そのときあの人はあんたのことを話しだしたのよ、杉田屋にいたじぶんのことから大阪へゆくようになったわけ、そのときおせんちゃんと約束をしたことも云ったわ、固く固く約束したんだって、――大阪へいってから、それこそ血のにじむような苦労をしながら、その約束ひとつを守り本尊にしてかせいだって」
 おせんは耳をふさぎたいように思った。なにもかもわかっている、それから先は聞くまでもないことだ、聞くのは辛いし苦しい、もうやめて下さいと云いたかった。だがおたかは続けた、権二郎の告げ口から庄吉が江戸へ帰って来るまでのこと、帰って来てからおせんと逢うまでのこと、そしておせんが彼の申出をきかず、子を棄てようとしなかったことなど、――朴直ぼくちょくなひとに有りがちの単純さで、話すうちにおたかはまた庄吉への同情を激しくそそられたらしい、口ぶりにも顔つきもさっきのうちとけた色はなくなって、再びよそよそしい調子があらわれてきた。
「あの人は泣いていたわ、あたしたちも泣かされたわ」おたかはこう結んだ、「――おせんちゃんにもそれだけのわけがあるんだろうけれど、まだそれほど年月が経ったというんでもないのにあんまりじゃないの、あたしは女だからそういっても薄情な気持にはなれない、出来たことはしようがないとも思うけれど、うちのひとがすっかり怒ってしまって、もう往き来をしちゃあいけないってきかないのよ、だからあんたも当分はそのつもりでね、いつかまたうちのにあたしがよく云うから、それまで辛抱して独りでやっていらっしゃいな」
「よくわかってよ、おばさん」おせんは乾いたような声でそう云った、「――庄さんは思い違いをしているの、この子はあたしの子じゃあないわ、でも今はなにを云ってもしようがない、云えば云うだけよけいに疑ぐられるんですもの、だから、あたし待つ決心をしたのよ、それがみんな根も葉もないことだということはいつかきっとわかると思うの、……おばさんやおじさんにまで嫌われるのは辛いけど、こうなるのもめぐりあわせだと思って辛抱するわ、そうすればいつかは、おばさんにも」
 だがあとは続かなかった。わっと泣けてきそうで堪らなくなり、挨拶もそこそこに幸太郎を抱いて外へ出た。――友助夫妻の遠退いた意味はわかった。しかしなんと悲しく口惜しいことだったろう、女の自分でさえ誰にも訴えたり泣きついたりせず、大きすぎる打撃を独りでじっとこらえてきたのに、あの人はいわば、知らぬ他人の二人になにもかも話した、中傷をそのまま鵜呑うのみにし、無いことを有ったことのように信じて、男が泣きながら饒舌しゃべってしまった。……それに依って頼みにしているあの夫婦が自分から離れることをあの人は知っていたのであろうか、自分への疑いは愛のためだったとしても、そういうことを他人に話して、おせんが世間からどんな眼で見られるかを考えては呉れなかったのだろうか、これもやっぱりあの人があたしを愛しているためなのだろうか。――おせんは今すぐ庄吉に会って、云うだけ云ってやりたいという激しい感情に唆られ、幸太郎がしきりにむずかるのも知らず、なかば夢中でふらふらと大川のほうへ歩いていった。


 その年の暮に人別改にんべつあらた(戸籍調べ)があった。洪水から初めてのことで、おせんと幸太郎はそこの住人であり、その家の主であることをはっきり認められたわけである。世間の景気は悪くなるばかりで、相変らず親子心中とか夜逃げとか盗難などのいやうわさが絶えなかった。おせんが顔を知っている人のなかにも、田舎へ引込むとか、いつかしらいなくなっているような例が二三あった。だがそれが江戸というものなのだろう、一家で死んだり夜逃げをしたりするあとには、三日とおかず次の人がはいって、同じような貧しく忙しい暮しを始めるのであった。
 貧しさには貧しさのとりえと云うべきか、日頃から掛け買いの出来ないおせんは、年を越す苦労もひとよりは少なく、白くはないが賃餅ちんもちも一枚いて、かたちばかりに門口へ松と竹も立てた。――そこへ大晦日おおみそかの夜になって、それも、かなりおそくおもんが訪ねて来た。白粉おしろいのところげになった顔が、寒気立ち、ほこりまみれの髪を茫々にしたままで、老人の物を直したらしい縞目のわからない布子ぬのこを着ていた。
「表を通りかかったもんだからね、どうしてるかと思ってさ、おお寒い」おもんは身ぶるいをしながらあがって来た、「――なんて冷えるんだろう、ちょっとあたらせてね」
「こっちへ来るといいわ、炭が買えないんで焚きおとしなの、暖たまりあしないから、――さあお当てなさいよ」
「坊やはおねんねだわね、こんど幾つ」
「四つになるのよ」
 おもんは火桶ひおけの上へ半身をのしかけ、両手を低く火にかざしながら寝ている子供のほうを見やった。あのときからみると頬の肉がおち、眼の下にくろずんだくまができている、脂気のぬけたかさかさした皮膚、白っぽく乾いている生気のない唇、骨立って尖ってみえる肩など、思わずそむきたくなるほど悄衰しょうすいした姿であった。
「ほんの一つだけれど、お餅があるから焼きましょうか」
「ああたくさんたくさん」おもんは不必要なほど強く頭を振った、「――昨日からどこへいっても餅攻めで、それああたしお餅には眼がないほうだけど、でもこう餅ばかりじゃあいくらなんでも胸がやけるわ、あたしは本当にいいんだから心配しないでよ」
「うらやましいようなことを云うわね、でも一つくらいはつきあうもんよ」
 おもんが嘘を云っていることは余りに明らかであった。おせんは一つでも惜しい餅ではあったけれど、見ていられない気持で三つ出し、網を火に架けたり小皿に醤油を注いだりした。ふっくらと焼けてくる香ばしい匂いが立つと、おもんは生唾をのみのみ活溌に話し始め、この頃は面白いように稼ぎのあること、世間の不景気なときは自分たちのほうがふしぎに客の多いこと、この調子なら間もなく、小さな家くらい持てそうなことなど、なにかが逃げるのを恐れでもするようにせかせかと語り続けた。そしておせんが焼けたのを小皿に取って出すと、話に気をとられているというようすですぐ口へもってゆき、三つともきれいに喰べてしまった。
「人間どうせ生きているうちのことじゃないの、あんたなんか縹緻きりょうがいいんだもの、こんな内職なんかであくせくしているのは勿体もったいないわ、苦労するのも一生、面白く楽しく、したいようにして生きるのも一生だわ、ねえ、あんただって好きでこんな暮しをしているわけじゃないでしょう、ぱっと陽気に笑って暮す気にならない、おせんちゃん」
 むりに元気づけた調子でそんなことを云いだした。思いだしたようにはさみを借りて指の爪を切り、これから浅草寺のおにやらいにゆくのだがなどと云って、なお暫くとりとめのない話をしたうえ、吹きはじめた夜風のなかへと出ていった。
「可哀そうなおもんちゃん」
 火桶の火を埋めながら、おせんはそっとこうつぶやいた。片町へかかる道で会ったときは、ひと眼でそれとわかる姿のいやらしさに、ただ反感を唆られるばかりだった。あの火事のあと貧しい娘や女房たちまでが、そんなしょうばいをして稼ぐという評判は、よく聞いた。天王町の裏にひとところ、三軒町さんげんちょうから田原町たわらちょうのあたりに幾ところとか、そういう人たちの寄り場があり、表向きは駄菓子を売ったり、花屋のようなていさいで客を取るのだという。聞くだけでも、耳が汚れるような思いだった。あんなに仲の良かったおもんが、そういう女のひとりになったと知ったときは、哀れむよりさきに厭らしさと怒りで震えるような気持だったが、今夜のようすではよほど困っているらしい、それこそ食う物にも不自由らしいことがわかり、そこまで身をとしても運のない者にはいいことがないのかと、自分のことは忘れていたましく思うのであった。
 ――可哀そうなおもんちゃん。
 元旦は朝から曇っていた。雑煮を祝ったあと、おせんは幸太郎を背負って、産土神うぶすながみ御蔵前八幡おくらまえはちまんへおまいりをし、それから俗に「おにやらい」という修正会しゅしょうえを見に浅草寺へまわった。その帰りのことであるが、人ごみの中で和助を負ったおたかに会い、道の脇へ寄って少し立ち話をした。年賀にゆきたいのだがああいうわけがあるので遠慮をする、お二人ともつつがなくお年越しでおめでとうございます、こう挨拶あいさつすると、おたかも挨拶をし返したうえ、もちまえの気の好さからだろう、昨夜から庄吉さんが梶平へ来ていますと云った。
「祝う身寄りもなくって寂しいから、こちらで正月をさせて呉れって来たんですって、だいぶいい稼ぎをしたらしいって話でしたよ」
「それじゃあ、あの人、――あれからどこかへいってたんですか」
「あら話さなかったかしら」こう云っておたかはちょっと気まずそうな眼をした、「――あれから間もなくお店を出たんだけど、梶平さんの旦那の世話で、阿部川町あべかわちょうのなんとかいう頭梁とうりょうの家へ住込みではいったそうよ」
「なんという頭梁かしら――」
「さあ、あたしは詳しいことはなんにも知らないからわからないけれども、でも頭梁っていえば一町内にそうたくさんいるわけでもなし、おせんちゃんがもし尋ねてゆくつもりなら」おたかはそう云いかけてふと空を見上げた、「――あらいやだ、雪よ、まあお元日に悪いものが降りだしたわね」
 そして自分は花川戸はなかわどに寄るところがあるからと、おたかは急ぎ足に別れていった。――粉のように細かい雪が舞いだした、人の往き来でにぎやかな町筋がにわかに活気立つようにみえ、子供たちは口々に叫び歌い交わしながら、道いっぱいに跳ねたり駆けまわったりし始めた。おせんの背中でも幸太郎がしきりに手足をばたばたさせ、降って来る雪をつかもうとして叫びたてた。
「ゆきこんこいいね、ゆきこんこ、ああたんゆきこんこいいね」
 おせんは幸福な気持だった。庄吉が梶平の店を出たということは知らなかったけれど、住込みでよそへいっていた彼が、正月をしに帰って来たという、祝う身寄りもないからと云ったそうだし暫く厄介になった人たちへの懐かしさもあるだろうが、なんといっても近くに自分のいることが最も大きい原因に違いない。自分の近くへ来て、自分のようすを聞いたり見たりしたいのだ、殊によるとすっかり事情がわかって、その話をする積りで来たのかもしれない。――もちろんはっきりそうと信じられる理由はなかった、そういう臆測とは逆なばあいも想像することができる。しかしそれでもいい、どういう意味にせよ彼が自分の近くへ来ることは愛情のつながっている証拠なのだ。はかないといえばいえるけれど、それだけでも今のおせんは幸福な気持になれるのであった。
 三日の午後に古河から松造が来た。野菜物を千住せんじゅの問屋へ送って来たのだと云って、おせんにも土の付いた牛蒡ごぼうや人参や漬菜などをぜんたいで二貫目あまりと、ほかに白い餅や小豆あずきや米なども呉れた。彼はその夜また泊っていったが、例のようにぶすっとして余り口をきかず、蓬臭い莨をふかしては、怖いような眼で部屋の中を見まわしていた。――松造は明くる朝まだうす暗いうちに去ったが、こんども小銭を幾らか置いて、怒ってでもいるように子供に飴でも買ってやれと云った。
「あの包はお持ちにならないんですか」
 草鞋を穿いて出ようとするので、そう訊くと、彼はちょっと考えるようすだったが、やがて低い沈んだ調子で、おせんの問いとはまるで縁のないことを云った。
「人間は正直にしていても善いことがあるとはきまらないもんだけれども、悪ごすく立廻ったところで、そう善いことばかりもないものさ」
 そして空いた袋や籠をくくりつけた天秤棒てんびんぼうを担ぎ、少し前跼まえこごみになってさっさと帰っていった。おせんは四五日のあいだ気がおちつかなかった、松造の言葉がなにをふうしているのかもわからないし、あんなに物を持って来て呉れる気持もわからない。こんな時勢にただの好意でして呉れるとは思えないが、好意だけではないとしたらなにか企みでもあるのだろうか。あの包を持ってゆかないところをみるとまた来る積りだろうが、こんど来たらどう扱ったらいいか。――考えるとまた厭なことが起こりそうで、さりとて相談をする者もなく、気ぶっせいな感じを独りでもて余した。
 松の取れるまでそれとなく梶平の店の近くへいってみたり、表を通る人に絶えず注意していたりしたが、とうとう庄吉の姿を見ることはできなかった。やっぱりまだ疑いが解けていないのに違いない、殊によると会いに来て呉れるかもしれないとさえ思ったのであるが、それが間違いだとわかっても、おせんはさほど悲しくはなかった。庄吉は同じ浅草にいるのである、阿部川町といえば此処からひとまたぎだし、住込みならそう急によそへゆくこともあるまい、近くにさえいて呉れれば事実のわかる機会も多いので、あせらずに待っていようという気持だったのである。
 ――その点には少しも迷いはなかったけれども、近所のことでどうにも当惑に耐えないことが起こった。もともとおせんは余り近所づきあいをしないほうだったが、それでも通りがかりに寄るとか、夜話しに来るとかいった女房たちが二三人はいた。それがまるで申し合せでもしたように、暮あたりからばったり顔をみせなくなり、道で挨拶をするくらいの人のなかにも、ふと白い眼でこちらを見るような風が感じられるのであった。まえに友助夫妻のことがあるので、こんどもなにかそれだけの理由があるのだろうと思い、しかしそうとがめられるようなおちどをした覚えもなかったから、捨てておいても大したことはあるまいと軽く考えていた。


 元来がそう親しい人たちでもなく、こちらは満足に茶も出せないような生活で、来られればかえって時間つぶしなくらいである。しかしそうそろってみんなにすげなくされることは、寂しくもあり、ますます孤独になるようで心細くもあったので、折さえあればおせんのほうからあいそよく話しかけるように努めていた。すると一月なかば過ぎのことだったが、柳河岸の新しい地蔵堂の初縁日でおせんも子供を伴れて参詣にいったところ、そこで、まったく思いがけないことを聞いたのであった。――列をなしている人々といっしょに、火のついた線香を買って並んでいると、後ろでげらげらと笑いながら、大きな声でこう云うのが聞えた。
「そうともさ、義理だの人情だのといったのは昔のことで、今じゃてんでん勝ちが大手を振って歩くのさ、すえ始終の約束をしておきながら、相手が一年もいなければもうほかの男とくっつき合ってしまう、それも十六や七の本当ならおぼっこい年をしてえてさ」
 その声には覚えがあった。振返って慥かめるまでもない、よく話に寄った女房のひとりで、亭主が舟八百屋をしているおかんという女だ。おせんはかっと頭が熱くなった、自分に当てつけているのである、此処に自分がいるのを見て、わざわざ聞えるように云っているのだ。そしてかれらが来なくなった理由もそこにあったのである。――おそらく友助のほうから伝わったに違いない、それも庄吉に同情するあまりのことだろう、ほかにわる気がある道理はない、わかる時が来ればわかるのだ。こう思って、おせんはじっと自分をなだめていた。しかしお勘のたか声はさらに続いた。
「ところが恥を知らないくらい怖いことはない、赤ん坊が生れたと思うと男に死なれちまった、たいていの者ならいたたまれない筈だが、火事で町のようすが変り、知った者がいなくなったのをいいことに、しゃあしゃあと元の土地にい据わって約束の相手の帰るのを待っていた、そして相手が帰って来るとこの子は自分の子じゃあないとさ、ちゃんとおまえを待っていたってさ」
「云えたもんじゃあないよねえ」こう合槌あいづちをうつのが聞えた、「――それも二十にもならない若さでさ、よっぽど胆が太いかすれっからした女なんだね」
 おせんは自分でも知らずに、並んでいる人の中からぬけてそっちへいった。頭がくらくらし躯が音を立てるほど震えた。どんな顔をしていたことだろう、彼女はお勘の前へいって叫んだ。
「いまのはあたしのことを云ったのね、おばさん、あたしのことだわね」
「さあどうだかね」お勘はちょっと気押されたように後ろへ身をひいた、「――あたしゃ人から聞いたんだからよく知らないよ、おまえさんだかなんだか知らないが、たとえ誰のことにしたってあんまり」
「なにがあんまりなの、どこがあんまりなの、はっきり云ってごらんなさいよ、誰が義理人情を知らないっていうの、誰が男とくっついたの、誰が、誰がよその男の子を生んで自分の子じゃないなんて云ったの、云ってよおばさん、それはどこの誰なの」
 声いっぱいの叫びだった。参詣の人たちはなにごとかと寄って来ると、幸太郎はおびえたように泣きだしていた。けれどもおせんには人の群もみえず幸太郎の泣きごえも聞えなかった、かたくこぶしを握り眼をつりあげて、お勘のほうへつめ寄りつめ寄り叫びつづけた。
「云えないの、云えないならあたしが云ってあげるわ、今あんたの口から出たことはみんな嘘よ、根も葉もない嘘っぱちよ、あんたもあんたにそんな話をした人も本当のことはこれっぽっちも知っちゃいない、みんなでたらめよ」
「そんならなぜ」お勘もあおくなった、「――それが本当ならなぜ独りでいるんだい、どうしてその人のところへ嫁にゆかないんだい」
「あたしは、あたしはそんなこと云っちゃいないわ、そして、そんなことはおばさんの知ったことじゃないじゃないの」
「どういうわけでその人はあんたを貰いに来ないの」お勘は平べったい顔をつきだし、眼をぎらぎらさせながら喚いた、「――その人は帰って来たんだろ、会って話もしたというじゃないか、それで嫁に貰わないってのはどういうわけさ、おまえさんのほうであいそづかしでもしたってのかい」
「あの人のことはあの人のことよ、あたしは自分のことを云ってるんだわ、あたしがちゃんと待っていたことを、この子はあたしの子じゃ……」
 おせんの舌はとつぜんそこで停った。幸太郎の悲鳴のような泣きごえが耳に突入り、すがりついている幼い手の、けんめいな力が彼女をよびさましたかのようだ。とりまいている群衆の眼にきづいた、お勘はますます喚きたてる。自分はなにをしたのだろう。なんというばかな恥ずかしいことを、――おせんはがたがた震えながら、幸太郎を抱いて歩きだした。そこにいる限りの人がおせんを眺め、あざけりと卑しめの言葉をその背へ投げた。
「そんな恥知らずないたずら女は町内にいて貰いたくないもんだ」お勘がなおもこうどなっていた、「――そんな者にいられたんじゃこっちの外聞にもかかわるからね、さっさとどこかへ出てってお呉れよ」
 幸太郎は両手でおせんにしがみつき、全身を震わせながら泣きじゃくっていた。おせんはかたく頬を押付け、背中をでながら河岸ぞいに歩いていった。そうだ、なんというばかな恥ずかしいまねをしたことだろう、どうもがいたところでお勘を云い伏せられるわけがないではないか、庄吉でさえ疑っているものを、他人がそう信じるのは当然のことではないか。――おまけにあんな大勢の人々のいる前で、この子は自分の子ではないと叫びかけた。誰に信じて貰えもしないことを云って、それが小さな幸太郎の耳に遺ったとしたらどうするか。数え年でではあるがもう四つになる、殊にあんな異常なばあいの記憶はながく消えないものだ、自分が拾われた子などということを覚え、また人からそう云われるとしたら。……おせんは幾たびもぞっと身を震わせ唇をみしめた、そして幸太郎を力いっぱい抱きしめ、燃えるような愛と謝罪の気持で頬ずりをした。
「めんちゃいね幸坊、ああちゃんが、悪かった、あんな恥ずかしい思いをさせて本当に悪かったわ、誰がなんと云ってもいい、幸坊はああちゃんの大事な子よ、なにもかもいつかはわかるんだもの、それまでがまんして辛抱しましょう、いまにきっと、――きっとなにもかもよくなってよ」
 それからさらに近所の眼が冷たくなった。もちろんおせんも覚悟はしていた、どんなに辛く当られても仕方がない、そのときが来るまで黙って忍ぼうと決心していた。不自由なのは味噌醤油や八百屋物などの、こまこました買い物が近所で出来なくなったことで、駄菓子屋などでさえおせんには売って呉れない。これには当惑したけれども、そういつも買い物をするわけではなく、町内を出れば幾らでも買えるから、不自由なりにそれも慣れていった。
 こうしてまわりの人たちと殆んどつきあいが絶えたが、二月じゅうはおもんがしげしげ訪ねて来た。たぶんどこかで噂を聞いたのだろう、それとなく慰めたり気をひき立てるようなことを好んで話すが、それはおせんの潔白を信じているためではなく、噂のほうを本当だと思っていて「それがなんだい」という口ぶりであった。
「よけいなお世話じゃないか、火つけ泥棒をしたわけじゃあるまいしなんだい、自分じゃ鼻の曲るような臭いことをしていて、ひとの段になるとお釈迦さまみたいな口をきくやつさ、なにを構うもんか、大威張りでどこでものしまわってやるがいいんだ」
 おせんはむろん彼女の誤解を正そうなどとは思わない、けれどもそういうことを聞いているのは楽ではなかった。なるべく話題を変えるように、おじさんはどうしているか、躯の具合が悪そうだが養生をしたらどうか、そんな風に、こちらから問いかけることに努めた。おもんはそういうことにはなんの興味もないらしい、すてばちな投げた調子で、馬鹿にしたような生返辞ばかりしかせず、ついには欠伸あくびをして寝ころがるのがおちであった。
「きれいな顔をしておつに済ましたようなことを云ったって、人間ひと皮剥かわむけばみんなけだものさ、色と欲のほかになんにもありゃしない、お互いが隙を狙って相手の物をくすねようと血眼ちまなこになっているんだ、ばかばかしい、けだものならけだものらしくするがいい、おてえさいを作ったって見え透いてるよ」
 酔っているときはそんなように世間や人をののしった。小紋の小袖に厚板の帯をしめ、幸太郎に玩具を買って来ることなどもあるし、つぎはぎの当った男物の布子に、尻切れ草履で来るなり、なにか喰べさせて呉れと云うこともある。またなかまと喧嘩けんかでもしたあとなのだろう、すごいような眼つきで、歯ぎしりをして、聞くに耐えないような悪口を吐きちらすこともあった。
「気楽にやろうよ、おせんちゃん、どうせこの世にあ善いことなんてありあしない、自分の好きなように、勝手気ままに生きてゆくんだ、みんな死ぬまでしきゃ生きやしないし、死んじまえば将軍さまだって灰になるんだからね」
 二月も末に近い或る夜、おもんが舌もまわらないほど酔って、着物から髪まで泥まみれになって、殆んど転げ込むようにはいって来た。それまでいちども泊めたことはなかったのであるが、坐ることもできないありさまでどうしようもなく、泥を拭いてやり着替えをさせて、同じ蒲団の中へいっしょに寝た。――明くる日は朝からうなりつづけで、こしらえてやったかゆも喰べず、水ばかり飲んで寝ていたが、ひるすぎになって思いがけなく松造が訪ねて来た。


 正月に来たきり音も沙汰もなかったので、――忘れたというのではないがちょっとどきっとした。いつものとおり草鞋と足袋を自分で干して、足を洗ってあがった松造は、そこに寝ているおもんの姿を見ると、眉をしかめた。――蒼ざめて土色をした膚、茫々とかぶさったつやのない髪、おちくぼんだ頬と尖った鼻、いぎたなく手足を投げだした寝ざま。誰が見ても眼をそむけたくなるあさましい恰好である。松造は麦藁むぎわらで作った兎の玩具を幸太郎に与え、莨入をとりだしながらおせんの顔を見た。
「あたしのお友達ですの」おせんはとりなすように小さな声で云った、「――お針にいっていたじぶんの仲良しなんです、ゆうべひどく酔って来て苦しそうだったもんですから」
 松造は黙って莨をいっぷくした。それから立っていって土間へおり、持って来た包をそこへひろげた。大根やかぶや人参や里芋などの野菜物に、五升ばかりの米と小豆と胡麻ごまと、ほかに切った白い餅が、かなりたくさんあった。
「寒の水でいたからかびやしめえと思うが、水餅にして置くほうがいいかもしれねえ」まるで怒ったような声で彼はそう云った、「――もっと早く来るつもりだったが、あれから足を病んだもんで……」
「足をどうかなさったんですか」
「冬になると痛むだ、大したことじゃねえ、二三年出なかったっけが、――水のあとの無理がたたったらしい、死んだ親父もこうだった」
 そんな話をしているとおもんがむっくり起きた。そして黙ってよろよろと土間へおりた、おせんが吃驚びっくりしてついてゆくと、ばらばらに髪のかぶさった顔でこっちへ振返り、
「なんだいあの田舎者は、あれがおせんちゃんの旦那かい」
 こう云って激しくきこみ、そのまま向うへ去っていった。苦しそうな精のない咳のこえが、ずっと遠くなるまで聞えていた。松造はなにも云わずに莨を吸っていた、おもんの言葉などはまるで聞えなかったように。――夕餉のしたくをするとき、彼は幸太郎を抱いて外へ出ていった。半刻はんときばかり表通りのほうを歩いて来たらしい、したくが出来て膳立てをしていると、橋のところで彼の唄うこえがした。
「――向う山で鳴く鳥は、ちゅうちゅう鳥かみい鳥か、源三郎げんざぶろうの土産、なにょうかにょう貰って、きんざしかんざしもらって……」
 おせんは立っていって切窓の隙からそっとのぞいてみた。曇り日の、もう黄昏たそがれかかる時刻で、家と家にはさまれた僅かな空地には冷たくびたような光がみなぎっていた。松造はこっちへ髭の濃い横顔を向け、遠い空を仰ぐようなかたちで唄っている。幸太郎は頭を男の肩にもたれさせ、身動きもせずうっとりと聞きれていた。――おせんは、ふと眼をつむった、松造の声にはいろもつやもない、節まわしもぶっきらぼうであった。けれどもじっと聞いていると、懐かしいあったかい感情が胸にあふれてくる。文句も初めて聞くものではあったが、記憶のどこかに覚えのあるような気がする。……つむった眼の裏に母親のおもかげが浮んだ、九つの年に亡くなった母の、いつも寝たり起きたりしていた病身らしい蒼白い顔、――その母が自分を抱いて、背中を叩きながら唄って呉れている。向う山に鳴く鳥は、ちゅうちゅう鳥かみい鳥か。おせんは切窓にりかかって両手でおもておおいながらむせびあげた、外ではなお暫く松造の唄うこえが聞えていた。
 その夜また泊って明くる朝。松造は草鞋を穿いてから思いついたように、お常の風呂敷包にある物は使えたらおまえが使うがいいと云った。それから、おせんのことは亡くなった勘十からも聞いていたし、こっちへ来て友助から聞いたこともある、いろいろ事情があるらしいが、自分はそれに就いてどんな意見も持ってはいない。だがお常がひき取って世話をした、その気持を亡くなった者のために続けてやりたいのである。自分たちは三人兄妹であったが、下の妹を火事でとられお常を水でとられて、とうとう自分ひとりになってしまった。これも約束ごとというようなものだろうが、――そういう意味のことを溜息ためいきまじりに、ぶあいそな調子で述懐していった。おせんはつよい感動を与えられた、今までわからなかった松造の気持がわかったばかりではない、それは亡くなったお常の親切が続いているのである、正気を失くして道に飢えていた自分を拾い、飲み食い着る物の面倒をいとわず、丈夫になるまで親身に世話をして呉れた、その妹の気持を続けて呉れるというのだ。……友助夫妻に離れられ、お地蔵さまの縁日の事があってからは近所で口をきく者もない。自分はたった独りだと思っていた。松造の親切もどこまで真実であるか、いつまで続くものかはわからない、しかしとにかく今は自分の味方である、自分のためになにかをして呉れようとしている。どんなに世間からみすてられても、生きていればやっぱり人間は独りではなかった。――感動のあとのあたたかい気持で、世の中や人間同志のつながりのふしぎさを、おせんはしみじみと思いめぐらすのであった。
 おせんの物を着ていったまま、おもんはふっつりと姿をみせなくなった。おせんは彼女の泥まみれの着物を洗って干し、ほころびも縫いつくろって置いた。自分の物が一枚なくなったのは困るけれど、松造の云ったことを信じてよければお常の物が使えるので、そう慌てることはないと思った。――おもんの来なくなった代りのように、松造が六七日おいては泊りに来た。自分の畑のものばかりでなく、問屋から頼まれて定期的に荷を入れることになったのだという。そしておせんにも必ず幾いろかの野菜と、米や麦などを持って来るのだった。相変らずぶすっとして、あまり口もきかず莨ばかりふかしている、ときに幸太郎を抱いたりしても、なにやらぶきようで自分で当惑するという風であった。……おせんはすなおにその親切を受けた、口にだしては礼もよく云わなかったが、彼のほうでも遠慮のない調子で着て来た物の縫いつくろいを頼んだり、喰べ物の好みなども云うようになった。近所の口がうるさくなったのは当然であろう、おもんでさえ「旦那か」などと云ったくらいで、なにも知らぬ者からみればあたりまえの関係でないと思うのが自然である。しかし、おせんはもうびくともしなかった、お地蔵さまの前で受けたようなはずかしめのあとでは、そんな蔭口や誹謗ひぼうくらいなんでもないことだ。それで気が済むのなら云いたいだけ云うがいい、そういった幾らか昂然こうぜんとした気持で、どの家の前をも臆せずに通った。
 花も見ずに三月も過ぎ、四月、五月と日が経っていった。松造との話で、七月の命日には勘十夫妻の供養をし、墓石へ名を入れようということになっていた。そのまえ三月の中旬ころに松造が友助から聞いて本所四つ目にある宗念寺そうねんじという寺を訪ね、そこに勘十の家の墓があるのをたしかめて来た。そのときいちおう経をあげ、夫妻の戒名をつけて貰ったので、おせんは古道具の店からではあるが小さな仏壇を買い、二人の戒名をおさめて、朝夕、水と線香を絶やさなかったのである。――命日といっても死んだ日がはっきりしないので、とにかく水の出た三日をその日ということにきめた。その前日の二日に、松造は妻のおいくと七つばかりになる女の子を伴れて来た。おいくは、背丈の低いかた肥りの躯つきで、抜けあがった額から頬が赤くてらてら光っていた。良人おっとに似たものか、どうか、こちらで気まずくなるほどの無口だが、子供を叱るときは吃驚びっくりするほど邪見な早口で、しかもひそかにすばやく手足のどこかをつねったりするようすは怖いようだった。……松造が自分のことをどう云ってあるか、またこれまでして貰っていることの礼を云っていいか、どうか、おせんにはちょっと見当がつきかねたので、向うが口をきかないのを幸い当らず触らずの挨拶をして済ませた。その夜は蚊遣かやりを焚きつぎながら、狭いところへごたごたと寝て、明くる朝は日蔭のあるうちにと早くでかけた。友助夫妻にも案内をしたのだが、これは欠かせない用があるからと、なにがしかの香典を包んで断わりが来ていた。まだおせんのことにこだわっているのであろう、それにしてもあんなに親しかった古い友達の法会ほうえなのにと、おせんは亡くなった人たちに済まなく思ったが、そこに気がついたかどうか、松造はただ「それではあとで送りぜんでも届ければいい」と云っただけであった。
 両国橋の脇から舟に乗っていったが、明日は回向院えこういん川施餓鬼かわせがきがあるそうで、たて川筋はどこでも精霊舟しょうろうぶねを作るのに賑わっていた。舟というものに乗ったことのない幸太郎は、初めのうちさも恐ろしそうで、固くおせんに抱きついたままだったが、暫くするうちに馴れたとみえ、しきりに水を覗いたり、移り変る両岸の風物に興じたりしはじめた。
「こうぼ、あんよしないよ、こうぼ、えんちゃよ、おうち動くよ、おうちみんな動くよ」
 自分が坐っているのに家並の移動してみえるのがふしぎらしい、松造は珍しくにっと笑った。母親のそばに、きちんと坐っていた、おつるという女の子は、それを聞いてそっと母親のほうへ口を寄せ、
「お家が動くんじゃないね、お舟が動くからそう見えるんだね、かあちゃん」
 こう云った。おいくはするどい調子でよけいなことを云うんじゃないと叱りつけ、怒ってでもいるようにぐっとそっぽを向いた。
 ――この家族も単純ではない、おせんは溜息をつくような気持でそう思った。まだ初対面で深いことはわからないが、夫婦のあいだも親子のあいだもしっくりいっていないようだ、良人であり妻であり子であるのに、それが一つにならないでばらばらに離れている。どうかすると、他人よりも冷たいようすが感じられる、松造が自分に親切をつくして呉れるのも、そんなところに動機の一半があるのではなかろうか。……北辻橋きたつじばしで舟をあがるまで、おせんはそうして鬱陶しいもの思いにとらわれていた。
 宗念寺で法会をしたあと、すぐ近くにある支度茶屋で早めの食事をした。まわりは青々とうちわたした稲田や林が多く、武家の下屋敷らしい建物が、ところどころにあるばかりで、どんな片田舎へ来たかと疑われるほど、ひなびた景色であった。おせんにはもちろん、幸太郎はたいそうなよろこびようで、ねえたんねえたんとお鶴にまつわりついては、外へ遊びにつれてゆけとせがんだ。その茶屋の裏庭のすぐ向うにかなり大きな沼があり、そのまわりで子供たちが魚をすくって騒いでいる、幸太郎はそこへいっていっしょに遊びたいらしい。おせんもそうさせてやりたかったのだが、松造は今日のうちに古河へ帰るということで、ゆっくり休むひまもなく立上った。
 平右衛門町へ帰ったのは日盛りのいちばん暑い時刻だった。そして家へはいると、土間へひざをつき上りがまちに凭れかかって、乞食のような姿でおもんが眠っていた。


 それがいつかの女だと知ると、松造は入りかけた足を戻してこのまま帰ると云った。おいくの顔にも露骨な侮蔑ぶべつの色があらわれ、わざとらしく子供の手を取ってさっと先へ出ていった。まるでとりなしようもない、おせんは、やむなく夫婦の荷包を取って来て渡した。松造は紙にくるんだ物をおせんに与え、――おごったことはいらないからこれで友助のところへ送り膳を届けるように、また余ったのはその女にもやって早く出てゆかせるように、さもないと幸太郎のためにもよくないから、そういうことを低くささやいて去っていった。
 おもんは病気にかかっていた。汗とあかとで寄りつけないほど臭い躯を、どうにか上へあげ、べとべとに汚れたぼろをぬがせて、ともかくも膚を拭いてやろうとしたが、余りにせ衰えたあさましい裸を見ると、おせんは総身にとりはだの立つほど慄然りつぜんとした。呼吸は激しく、躯は火のような熱である。そして両の乳房はどちらもひしゃげて、どす黒い幾すじかのひだになっていた。
「おせんちゃん、あんた見て呉れた」おもんはしゃがれた声でそう云った、「――ようよう家が持てたのよ、あんたに見て貰おうと思って、……これでひと安心だわ、あんたも越して来なさいよ、いっしょに此処で暮そうじゃないの、ねえおせんちゃん、あたしもあんたも、ずいぶん苦労したんだもの、いいかげんにもう楽になってもいい頃よ、ねえ、この家あんたに気にいって」
「ええ気にいったわ」おせんは自分の単衣ひとえを出して彼女の上へ掛けてやった、「――とてもいい家だわ、おもんちゃん、でも少しじっとしていてね、あたしいまお医者を呼んで来るから、動かないで待っているのよ」
 おせんは幸太郎を負ってとびだした。
 三軒たずねて断わられ、四軒めに佐野正さのしょうからの口添えで、駒形町こまがたまち和泉杏順いずみきょうじゅんという医者が来て呉れた。診断は労咳ろうがいということだった。それもひじょうに重くなっているので、当分は絶対安静にしなければならない、話もさせてはならないと云われた。こちらの生活を察したものだろう、もし必要ならお救い小屋へ入れる手配をしてやってよい、そう云って呉れたので、そこへゆけば充分な治療がして貰えるのであろうかと訊いたが、病気がここまで進んではどんな名医でも手のつけようがない、あとはただ静かに死ねるようにしてやるばかりだという。それなら自分にとってはたった一人の友達だから、ここで死ぬまでみとってやりたいと思う。こう答えて医者を送り出した。
 その月いっぱいおせんは満足に眠れない日を過した。もう高価な薬も、むだだというので、ふりだしのような物を呉れるだけだったから、薬代やくだいはさしてかからなかったが、幾らかでも精のつくように卵とか鳥などを与えたいと思うので、毎日買い物をできるだけ詰めても、佐野正への借りが少しずつ殖えていった。
 ――松造は六七日おきぐらいに来たけれども、おもんの寝ているのを見ると、持って来た物を置いてすぐに帰っていった。あのときあのように云ったにしては、かくべつ機嫌を悪くしたようにもみえず、却って持って来て呉れる物のなかに卵や胡麻やかやの実などが殖えたくらいである。特に榧の実は労咳にいいそうで、日に三粒ずつそのたびに焼いて、熱いうち食うようにと念を押したりした。……医者はいくばくもないように云ったけれども、八月にはいると熱も下り、食欲もついて、眼の色なども活き活きとしてきた。それまで話は禁じられていたし自分でもそれだけの元気はなかったらしいのが、少しずつ口をききはじめ、夜など寝つけないことがあると、静かな歌うような口ぶりでよく昔のことを話したがった。年月にすれば僅か三年あまりのことだけれど、あの火事のまえ、二人が仲良くお針の師匠の家へかよっていたじぶんのことは、十年も十五年も昔のようにしか思えないのである。
「お花さんていうひとがいたわねえ、髪の毛のあかい、おでこの、お饒舌しゃべりばかりしていつもお師匠さんに叱られていた、――あのひとあんなにがらがらだし、歯を汚なくしていたんであたし嫌いだったけれど、いま思うと悪気のない可愛いひとだったのね」
「それからお喜多きたさんてひと覚えている、おせんちゃん、意地が悪いのと蔭口ばかりきくのでみんなに厭がられていたでしょう、あたしも、お弁当の中へ虫を入れられたことがあるわ、でも考えてみるとあのひと寂しかったんだわ、誰も親しくして呉れる者がないので、寂しいのとねたましいのであんな風になったのよ、あたしたちこそ思い遣りがなかったんだわね」
「おもとさんと絹さん、それからおようちゃんの三人はお嫁にいったの、お絹さんは向う両国の佃煮屋つくだにやへいって、去年だかもう赤ちゃんができたわ、――みんないい人ばかりだったわねえ、いつかみんなでいっぺん会いたいわねえ、おせんちゃん」
 そんなに話しては躯に障るからと注意するのだが、すぐにまたひきいれられるような口ぶりで語りだすのである。その頃には頬のあたりが肉づいてきたためだろう、色こそ悪いが以前の顔だちをとり戻して、まなざし言葉つきなど、あの頃の明るい人なつっこいおもんがそのまま感じられるようになった。――その調子でゆけば或いは全快したかもしれない、全快はしなかったにしても、そう急にいけなくなるようなことはなかったに違いない、しかしそれから間もなく思いがけない出来事が起こって、おもんは悲しい終りを遂げなければならなかった。
 八月の十五日、月見のしたくに団子を拵えたあと、柳原堤へいって供え物のすすきや、青柿などを買って帰る途中、同じ買い物帰りのおたかと偶然いっしょになった。挨拶しただけで別れようとすると、どういう積りでかいっしょについて歩きだし、例のとおりの気の好い話しぶりで、庄吉さんもこんど頭梁のところの婿むこになってめでたい、花嫁は家付きだけれど、年は十七で気だても優しく、縹緻も十人なみ以上だそうである、これであのひとも苦労のしがいがあったというものだ。こういうことを問わず語りに云った。
「庄さんがお婿さんになったんですって」おせんは半ばうわのそらで訊き返した、「――頭梁って、阿部川町の、住込みだっていうあの頭梁の家ですか」
「そうなんですってよ、頭梁ってひとが庄吉さんの腕にすっかり惚れこんだんですって、お加代かよっていう娘さんも庄吉さんが好きだったって話でね」
 おせんはちょっと立停った。しかしすぐ歩きだしながら、いま聞いた話がなにを意味するか考えてみた。うわのそらで聞いていたのである、もちろん言葉そのものはわかっているが、その意味は聞きながしていた。それはとうてい有り得ないことであったから。
 ――が、おせんはとつぜん額から白くなり、おたかの腕を掴んで立停った、おたかは吃驚して声をあげた。
「庄さんが、お嫁を貰ったんですって」
「放してお呉れな、痛いじゃないかおせんちゃん」
「本当のこと云って頂戴、本当のこと」
「痛いってば、ここをお放しよ」
「お願いよ、おばさん」おせんは縋りつくように云った、「――庄さんがお嫁を貰ったって、嘘でしょう、ねえ、そんなことがある筈はないもの、嘘でしょうおばさん、ねえ云って、そんなことは嘘だって」
「いって自分で訊いてみれば、いいじゃないの、あたしは知ってることしか知っちゃいないよ」
「そらごらんなさい嘘じゃないの」
 こう云いながらおせんは歩きだした。きみ悪そうにおたかが去っていったことも、曲り角を通り越したことも知らず、茅町かやちょうまで来てようやく我に返り、そこでなお暫く棒立ちになっていた。そんなことは、有るわけがない、きっとなにかの間違いである、どう考えても本当とは思えない――だってあたしがいるじゃないの、あたしはちゃんと待っていたんだもの、そしてあんなに固く約束したんだもの、あたしをいて庄さんがお嫁をよそから貰うわけがないじゃないの。同じことを繰り返し思いふけっていたが、やがてぼんやり立っている自分を人が見るのに気づき、慌てて引返して家へ帰った。
「おもんちゃん、あんた済まないけれどそのままでもうちょっと幸坊の相手になって呉れない、あたし急いでいって来るところがあるんだけれど」
「ええいいわよ、このとおり温和おとなしく遊んでるわ」
「ここへあめを出して置くからぐずったらやって頂戴、すぐ帰って来るわね」
「こっちは構わないわよ、悠くりいってらっしゃいな」
 おせんはそのまま家を出ていった。


 森田町からはいって三味線堀についてゆくのが、阿部川町へはいちばん近い道である。秋とはいってもまだ日中は暑かった、乾いた道は照り返してぎらぎらと輝き、あるかなきかの風にも埃が舞立つので、おせんの足はたちまち灰色になってしまった。なにか口のなかで呟いている、ときどきそう気がついたけれども、なにを呟いているのか自分でもわからないし、頭が混乱して考えをまとめることもできない。ただ追われるような不安と苛立いらだたしさ、息苦しいほどの激しく強い動悸どうきだけが、今そこに自分の在ることを示しているような気持だった。
 頭梁は山形屋というのであった。家は寺町へぬける中通りの四つ角にあり、さして大きくはないが総二階で、白壁に黒い腰羽目のがっちりした造りだった。大工の頭梁の家というより、てがたい問屋の店という感じである。おせんはその前を眺めながら通った、それから十間ばかり先にあるかもじ屋へはいって、油元結を買いながら、庄吉のことを訊いた。店にいた老婆は少し耳が遠いようだったが、訊かれたことがわかると舌ったるい口でくどくど話しだした。おたかの云ったことは嘘ではなかったのである、庄吉は気性と腕をみこまれて山形屋の婿養子になった、六月の十幾日とかに祝言もして、夫婦仲もうらやましいということであった。
「お加代さんも評判むすめだったけれどねえおまえさん、お婿さんもそれあよく出来たひとで、腕はいいしおまえさん、腰は低いしねえ、なにしろちょっとのま来ているうちに、職人衆みんなから、兄哥あにいあにいって立てられるしさ、あたしみたいな者にもおまえさん、道で会うと向うから声をかけて呉れて――」
 おせんはそこを出て、ちょっと考えたのち、戻って四つ角を左へ曲り、みかけた筆屋へはいってまた同じことを訊いた。そのあとでさらに二軒ばかり訊いたらしい。――幾たび訊いても事実に変りはなかったが、おせんにはどうしても信じられないのである。
 ――だってあたしという者がいるじゃないの、きっと待っていて呉れって、庄さんが自分の口からはっきり云ったじゃないの。
 そして自分は待っていた。今でもこのとおりちゃんと待っているではないか、それなのにほかのひとを嫁に貰う筈があるだろうか。いやそんな筈は決してない、庄さんに限ってそんなひどいことをする気遣いはない、どこかでなにかが間違っているんだ、その間違いをうっちゃっておいてはたいへんなことになる。そういう気持で飽きずに訊きまわったのだ。――家へ帰ったのは日の傾いたじぶんで、幸太郎がひどく泣いていた。おもんは床の上に起き、あやし疲れたのだろう、前に玩具を並べたまま途方にくれたような顔をしていた。おせんは気ぬけのした者のように、おもんにはろくろくものも云わず、すぐに幸太郎を負って夕餉のしたくを始めた。
「おせんちゃんごめんなさいね、幸ちゃん泣かせて悪かったわ」夕飯のときおもんはこう云った。
「――ずいぶんだましたんだけれど、しまいにはああちゃんああちゃんって追ってきかないのよ、頼まれがいもなくって済まなかったわ」
「なんでもないのよ、そばにくっついてばかりいたから……」
 無表情にこう答えたまま、おせんは黙ってはしを動かしていた。いつもと人が違ったようである。顔色も悪いし眼が異様に光っていた。食事のあともとぼんとして、おもんが注意するまで月見の飾りも忘れていた。
「あんたどこか悪いんじゃなくって、おせんちゃん、それともなにか厭なことでもあったの」
「どうして、――あたしなんでもないわよ」
 そう云って振返る眼が、おもんを見るのではなくずっと遠いところをみつめるような眼つきだった。あんまりおかしいので、寝るときもういちど訊いてみた、するとおせんは眉をしかめながら突っ放すようにこう云った。
「お願いだから黙っててよ、それでなくっても頭がくちゃくちゃなんだから」
 そして夜中に幾たびも寝言を云った。
 明くる日、朝の食事が終るとすぐ、あと片付けもせずにおせんは出ていった。石のように硬い顔つきで、幸太郎を負って、――帰ったのはうす暗くなってからだった。よほどなが歩きをした者のように、足から裾まで埃だらけになり、帰るといきなり上り框へ腰掛けたまま、暫くはなにをする力もないというようすだった、幸太郎は首のもげそうな恰好で、くたくたになって背中で眠っていた。……翌日も、その翌日も同じことが続いた。なにをしにどこへゆくかは知らなかったが、おもんは幸太郎が可愛そうになったので、自分がみるから置いてゆくようにと云った。するとおせんはすなおに置いていった。
「今日はすぐ帰るわね、もうあらまし用は済んでいるんだから、今日は早く帰って来るわ」
 そんな風に云ってゆくが、やっぱり帰るのは夕方になった。あとから考えてみるのに、そのじぶんもうおせんは普通ではなかったのである。いかに信じまいとしても、庄吉の結婚が事実だということ、山形屋の婿としてすでに六十日あまりも幸福に暮していることがはっきりし始めた。――いいえ嘘だ、そんなことがある道理がない。こう思うあとから事実はますますたしかに、いよいよ動かし難くなるばかりだった。それはおせんを搾木しめぎにかけ、火にのせてあぶるのに似ていた。明らかに、おせんの頭にはもう変調が起こっていた、あの火事のあとに患った自意識の喪失、精神的の虚脱状態が始まっていたのである。……毎日かよい続けて七日めかのれ方のことだ、いつものように山形屋のまわりを歩いていると、寺町のほうから来る庄吉に出会った。法事にでもいって来たものか、無地の紋の付いた着物ではかまをはいていた、そばに若い女がいっしょだった、まだ、むすめむすめした、小柄の愛くるしい顔だちで、眉の剃跡そりあとの青いのがいかにも初妻にいづまという感じである。おそらくそれが加代というひとであろう。庄吉になにか云って微笑するのを、おせんははっきりと見た。匂やかに、ややなまめいた微笑であった、柔らかそうな唇のあいだから黒く染めた歯のちらと覗くのを、おせんは痛いほどはっきりと見たのである。――二人はおせんの前を通っていった、庄吉は眼も動かさなかった、そこにいるのが木か石ででもあるように、まったく無関心に通りすぎ、やがて山形屋の格子戸の中へはいっていった。
「――庄さん、……庄さん」
 おせんは口のなかでそっと呟いた。それからふらふらと寺町のほうへ歩きだした、――苦しい、頭が灼かれるようである、非常に重い物で前後から胸を圧しつぶされそうだ。
「――庄さん、……庄さん」
 とつぜんおせんは立停って、道のまん中へ跼んで嘔吐おうとした。眼のまえが暗くなり、地面が波のように揺れだした。――あれはお嫁さんだわ。嘔吐しながらそんなことを思った。あのひとが庄さんの嫁である、いま自分の見たあのひとが庄さんの嫁である、いま自分の見たあのひとが庄さんと御夫婦になったのである、庄さんはあのひとと仕合せに暮しているのだ。……誰かがそばでなにか云っている、どうやら自分を介抱して呉れているらしい。立たなければならない。立って家へ帰らなければ。――おせんは立上った、そしてまたふらふらと歩きだした。耳の中でごうごうと、大きな音がし始めた、赤い恐ろしいほのおが見える、街並の家がそこにちゃんと見えているのにそれとは別にまぶしいような火焔がそこらいちめんに拡がってみえる、のどがすような、熱い噎っぽい煙の渦、髪毛から青い火をたてながら、焔の中へとびこんでゆく女の姿、……そして巨大な釜戸かまどえるような、すさまじい火の音をとおして、訴え嘆くようなあの声が聞えてきた。
 ――おせんちゃん、おらあ辛かった、おらあ苦しかった、本当におらあ苦しかったぜ。
 おせんは悲鳴をあげながら道の上へ倒れた。
 自分ではもちろん覚えがない。東本願寺の角のところで倒れたのを、いちど番所へ担ぎこまれたが、そこに佐野正へ出入りする人がいて、これは足袋屋の仕事をしている者だと知らせて呉れた。それから佐野正の店の者が来て、医者も呼んだらしい、少しおちつくのを待って平右衛門町まで送って呉れたのだそうである。しかしそれらのことはもとより、それからのち半月ばかりの明け昏れは、まったく夢のようで記憶がなかった。その期間はすべて幻視と幻聴で占められていた。なかでも鮮やかなのはあの訴えの声であって、それだけは意識が恢復かいふくしてからも、一語一語がはっきりと耳に遺っていた。
 そういう状態であったから煮炊きも出来なかった。幸太郎の世話だけはするけれども、敷いてやらなければ夜具を出す気もつかず、眠くなると平気でごろ寝をしたという。またそのあいだに松造が二度来たけれども、おせんは気違いのように地だんだを踏み、庄さんに疑われるから帰れと叫んできかなかった。松造は、しかたなしに持って来た物を置き、なお幾らかの銭を預けて帰ったそうである。――こうして前後二十日ほどのあいだ、おもんが起きてすべてをひきうけた、食事はもとより、買い物にもゆき洗濯もした。ゆだんしていると、おせんは夜中にも外へ出るので、おちおち眠ることも出来なかったということだった。
 九月になってあわせを着てから間もなく、おもんが幸太郎の肌着を洗っていると、おせんがぼんやり近寄って来て、今日はなん日だろうかと訊いた。
「今日は十一日、あさってはお月見よ」
「――そう、九月なのね」
 こう云ったと思うと、おせんの眼から涙がぼろぼろ落ちた。おもんが驚いて、どうしたのかと立上ると、おせんは手を振りながらおちついた声で云った。
「いいのいいの、心配しないで頂戴、あたしよくなったのよ」
「――おせんちゃん」
「二三日まえから少しずつはっきりしだしていたの、まだ本当じゃないかと思ってたんだけれど……今日はもう大丈夫だわ、まえにやったことがあるからわかるの、もう大丈夫よ、ながいこと世話をかけて済まなかったわねえ」
「あたしなんにもしやしなくってよ、それより具合がいいのはなによりだから、もう少し暢気のんきにしているんだわね」
「いいえもう本当にいいの、あたしのは病気じゃないとこのまえのでわかっているんだから、あんたこそ休んで頂戴、折角もちなおしたのにまた悪くでもなったら申しわけがないわ、おもんちゃん、さあ、あたしと代ってよ」


 九月十三日はのちの月である。その夜、おもんと幸太郎が熟睡するのを待って、おせんはそっと家をぬけだした。高いうろこ雲が月を隠していた。もう夜半よなかを過ぎた時刻で、どの家も暗く雨戸を閉ざし、ほのかに明るい空の下でしんと寝しずまっていた。おせんは柳河岸へいった。地蔵堂より少し下の、神田川のおち口に近い河岸へ、――そこは、あの火事の夜、お祖父じいさんや幸太と火をよけていた場所である。あのときは石置場であったが、今はとりはらってなにもなく、岸に沿って新しく柳が植えられていた。……おせんはあのときのあの場所へいってかがみ回想のなかへ身をしずめるようにそのまわりを眺めまわした。そこに石が積んであったのだ、今ついそこの眼のまえにある石垣につかまって川の中へはいった、石垣の端のその石へつかまっていたのである――ひき潮どきなのだろう、明るい空の雲をうつして、川波は岸を洗いながらかなり早く流れていた。
 おせんは眼をつむり、両手で顔を掩いながらじっとあの声を聞こうとした。幾たびも幻聴にあらわれ、今では言葉のはしから声の抑揚まで思いだすことのできるあの声を。――おれはおまえが欲しかった、その声はこう云いだす。ごうごうと焔の咆え狂うなかで、おせんのそばに跼み、その耳へささやくように云うのである。
 ――おまえなしには生きている張合もないほど、おれはおせんちゃんが欲しかった。十七の夏から五年、おれはどんなに苦しい日を送ったかしれない、おまえはおれを好いては呉れない、それでも逢いにゆかずにはいられなかった、いつかは好きになって呉れるかもしれないと思って。
 ――だがとうとう、もう来て呉れるなと云われてしまったっけ、……そう云われたときの気持がどんなに苦しかったか、おせんちゃんおまえにはわかるまい、おれは苦しかった、息もつけないほど苦しかった、……おせんちゃん、おれは本当に苦しかったぜ。
 おせんは喉を絞るように噎びあげた。
「幸太さんわかってよ、あんたがどんなに苦しかったか、あたしには、今ようくわかってよ」
 今はすべてが明らかにわかる、自分を本当に愛して呉れたのは幸太であった。少年の頃から向う気のつよい性質で、そぶりも言葉つきもぶっきらぼうだった。ものもうでとか芝居見物にゆくとかすると、必ずおせんになにかしら土産を買って来るが、それを呉れるときには「ほら取んな」などと云って、わざと乱暴にふるまうのが常だった。せっかく呉れるのならもう少しやさしく云って呉れたらいいのに、そう思いながらおせんのほうでも、なにか頼むことがあればきっと幸太に頼んでいた。そしてどんな詰らない頼みでも、彼は必ず頼んだ以上のことをして呉れたではないか、――お祖父さんに寝つかれてからのゆき届いた心づくし、こちらは嬉しそうな顔もせず、しまいには来て呉れるな、とさえ云った、男にとっては耐え難いあいそづかしだったろう。だが火事の夜はそんなことも忘れたように駆けつけて来て、お祖父さんを負って逃げて呉れた。あの恐ろしい火のなかで、おまえだけは死なせはしないきっと助けてみせると云い、云ったとおりおせんを助けたが、自分は死んでいった。……思い返すまでもない、これらのことはすべてひと筋につながっている、初めから終りまでひと筋に、おせんを愛しているというただひと筋のおもいにつながっているのである。
 これだけ深くつよい幸太の愛を、どうして自分は拒みとおしたのであろう。云うまでもなく自分が庄吉から愛されていたからだ、自分も庄吉を愛していたからである。しかし本当に庄吉と自分とは愛し合っていたのだろうか、いったい庄吉と自分とのあいだにどれだけのことがあったろう。自分が彼に同情していたことは慥かだ、特に幸太が杉田屋の養子になってから、悄然とした彼のようすには同情を唆られた。けれどもそれは決して愛ではなかった。彼が大阪へゆくまえにおせんを柳河岸へ呼びだして、帰って来るまで待っていて呉れと、思いもかけぬことを囁かれたとき、ええ待っていますと答えたのも、そういうことに疎い十七という年の若さと、それまでの同情にさそわれなかば夢中のことだったではないか。――庄吉が去ってしまってから、いやいや、もっとはっきり思いだせば大阪から彼の手紙が来てから、その手紙を読んでから初めて自分は、彼を愛しだしたのである。どんなことがあっても待っていようと決心したのもそれからだ、彼は幸太が云い寄るに違いないと云い遺した、だからおせんはどこまでも幸太を拒みとおした。杉田屋へも義理の悪いことをし、幸太の親切も断わり、病気で倒れたお祖父さんを抱えて、乏しい手内職で生きていたではないか。……もちろんそれは彼を愛していたからである、庄吉が自分を愛し自分が庄吉を愛していると信じたからである、けれど庄吉は本当に自分を愛していたのだろうか、たまたま悪い条件が重なって、解けにくい誤解がうまれたのは事実だ、しかしそれはどこまでも誤解である、彼の疑うようなことはまったく無かった、自分は待って呉れと云ったではないか、いつかきっと本当のことがわかる筈だ、待っていますよと云ったではないか。――だが庄吉は待って呉れなかった、眼と鼻のさきにいて結婚した、りっぱな頭梁の婿になり可愛い娘を嫁にした、それは同時に、おせんがいたずら女であることを証明する結果になるのに、……それでも彼はおせんを愛していたのだろうか、それがおせんに、あれほどの代償を払わせた愛だったのだろうか。
「よくわかるわ、幸太さん、あなたは本当におせんを想って呉れたのね、――庄さんがお嫁さんと歩いているのを見たとき、あたしからだをずたずたにされるような気持だったの、苦しくって苦しくって息もつけなかった、……胸がつぶれてしまいそうな苦しい辛い気持だったわ、幸太さん、あなたの云って呉れたことが、そのときはじめてわかったのよ、――あなたの苦しいといった気持が、辛かったと云った気持がどんなものだったか、そのときはじめてあたしにわかったのよ」
 おせんは噎びあげながらそう云った。高く高く、月をはらんだ雲の表を渡る鳥があった。なにか秘めごとでも囁くように、岸を洗う水の音がかすかに聞えていた。
「かんにんして頂戴、幸太さん、あたしが悪かった、あたしがばかだったのよ、――庄さんにあんなことを云われるまで、あたしあなたが好きだったと思うの、だってあなたには遠慮なしに話ができたし、ずいぶん失礼なことも頼んだりしたじゃないの、あなたならなにを頼んでもして貰える、頼んだ以上のことがして貰えるって、ちゃんと知っていたんだわ、……幸太さん、あんなことさえなければ、おせんはあなたの嫁になっていたかもしれないわね、杉田屋さんのおじさんもおばさんもそのお積りだったんですもの、そうすればいまごろは……」
 おせんの声は激しい嗚咽おえつのためにとぎれた、それからやや暫くして次のように続けられた、
「――たったひと言、あの河岸の柳の下で聞いたたったひと言のために、なにもかもが違ってしまった、なにもかもが取返しのつかないほうへ曲ってしまったのよ、あなたは死んでしまい、おせんはこんなみじめなことになって、そうして初めてわかった、なにが真実だったかということ、ほんとうの愛がどんなものかということが、……幸太さん、それでもあたしうれしい、あなたにはおびのしようもないけれど、あれほど深く、幸太さんに愛して貰ったということ、それがこんなにはっきりよくわかったことがうれしいの、――あたしうれしいのよ、幸太さん、いま考えるとあの晩ひろった子に幸太郎という名がついたのもふしぎではなかったのね、あの子は幸太さんとおせんの子だわ、あたし今から誰にでも云ってやってよ、おせんは幸太さんと夫婦だったって、この子は幸太さんとあたしの子だって、……怒らないわねえ、幸太さん」
 そこにその人がいるかのように、おせんはこう云いながらまたひとしきり泣いた。眼のまえの仄明ほのあかるい川波の中から、幸太がうかびあがってこっちへ来るようだ、ぶっきらぼうなようすで、しかしかなしいほど愛情のこもった眼で、おせんをみつめながら、――そうだ、幸太とおせんとは今こそ結びつくことができる、そしてもう二度と離れることはないだろう。おせんの嗚咽はなお暫く続いていた。
 その翌朝おもんは血を吐いた。柳河岸から帰ったおせんがなかなか寝つかれず、明け方の光がさしはじめて、ようやくまどろみかけたときのことだ、異様な声でとつぜん呼び起こして、※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)はんぞうに三分の一も吐き、そのまま失神してしまった。もちろん二十余日の過労が祟ったのである、――医者はすぐに来て呉れたが、どう手の出しようもなかったし、むしろそうなるのが当然だという態度で、二三の手当となにやら知れぬ粉薬を置いて帰った。おもんは二度と起きられない病床についたのであった。


 松造が来て八百屋の店を出さないかとすすめたのは、おもんが倒れて十日ほどのちのことであった。考えるまでもなく、重い病人を抱えてそんなことは出来ない、いずれおちついてからと云って断わった。――おもんはそれから三十日あまり寝て亡くなった、病気してからひとがらの変ったおもんは、顔つきも穏やかに美しくなり、いつも眼や唇のあたりに微笑をうかべていた。
「あたしは仕合せだわ、おせんちゃん、本当ならどこかの空地か草原ででも死ぬところだのに、仲良しのあんたに介抱されて、わがままの云いたいだけ云って死ねるんだもの、考えると勿体もったいなくてばちが当るような気がするわ」
 そんな風にしみじみと繰り返し云った。少しも誇張のない、すなおなあきらめのこもった調子である。――死ぬなどと云ってはいけない、治って貰おうと思えばこそ出来ないながらしてあげるので、石にかじりついても治って呉れなければ。おせんがそう云うと、きれいに澄んだ眼でうなずきはするが、心ではもう自分の死ぬこと、それは間もなくだということを知っていたようである。
「わたしずいぶん苦労したわ、思いだすと今でも身ぶるいの出るような、苦しい、みじめなことがあったわ、――でもこれでようやくおしまいになるの、死ぬことは楽になることだわ、あの世というところは静かで、いつもきれいな光があたりを照らし、いろいろな花がいっぱい咲いているように思うの、そこへゆけばもう憎むこともだますこともない、なにもかも忘れて悠くり休むことが出来る、決してもう苦しんだり悲しんだりすることはないの、……あなたにわかるかしら、おせんちゃん、あたし待ち遠しいくらいなのよ」
 おもんが亡くなったのは十月下旬の、すさまじく野分のわきの吹きわたる夜だった。彼女はおせんを枕許まくらもとに坐らせ、その手を握って、じっとなにかを待つようにみえた。
「あたしおせんちゃんを護っていてよ、おせんちゃんと幸坊が仕合せになるように、あの世からきっと護っていてよ、――お世話になって済まなかったわね、ごめんなさいね」
 風は雨戸を揺すり屋根を叩いた。おもんは暫くしてふっと眼をあき、戸口のほうを見やりながらはっきりと云った。
「表をあけてよ、おせんちゃん、誰かあたしを迎えに来ているじゃないの」
 それから半刻はんときほどのちにおもんは死んだ。
 振返ってみるとそのときからおせんの新しい日が始まっているようだ。おもんの葬いを済ましてから後のおせんは、もうそのまえの彼女ではなかった。世をはばかったりおそれたりするいじけた気持もなくなり、「生きよう」という心の張とちからが出てきた。――なに怖れたり憚ることがあろう、こんどは誰に向ってもはっきり云えるのだ、ええこの子はあたしの産んだ子です。この子の父親は幸太というひとです、あたしは良人の遺したこの子をりっぱに育ててみせます。……そうだ、おせんの新しい日はそこから始まったのである。その年の暮にせまってから、松造の好意をうけて八百屋の店をひらいた。まえにも云ったようなわけで近所とはつきあいがないから、そんな店を出しても商売にはなるまいと云ったが、松造は例のぶあいそな口ぶりで、なによその半値で売れば必ずお客がつく、近所の者より隣り町から買いに来るからやってみるがいい。こう云ってすすめた。家の表を作り変えて店にし、古河から十五になる小僧もつれて来て呉れた。古い車を一台、籠を五つ、はかりだの帳面だの筆矢立など、こまごました物もすべて松造が心配した。荷のほうは千住の問屋に話してあるので、小僧がゆけばその日その日の物をそろえて呉れる、値段も松造との取引をみかえりに元値ということになった。これはのちに問屋の主人がおせんの身の上を聞いてから、さらに好い条件になったのであるが。――心配したほどではなく商売はうまくいった、元の値が値であるのと、初めのうち松造が付いていて思いきり安く売るようにしたため、新店は半月繁昌といわれているにかかわらず、客足はずっと続いて離れなかった。近所の人たちもさいしょのうちこそ妙な顔をしていたが、八百屋物は毎日のことであるし、切詰めた生活をしている者には一文でも安いということは、大きいので、ひとり来、ふたり来するうちに、いつかしらいまわりの者はたいがい客になってしまった。その中でお勘だけは別であった、お地蔵さまの縁日のことがあってから、お勘は町内を背負って立つようにおせんの悪口を云いちらしていたが、おせんの店の安いことを聞くとまっ先にやって来たのも彼女であった。そして五六たびも来たと思うと、いちどきに店の荷を半分も買ってゆこうとした、彼女の良人は舟八百屋をしているが、おせんの店のほうが問屋で卸すより安いので、こっちから買って商売をしようという積りである。気の毒ではあるがおせんは断わった。――こんな売り方をしているのは一人でもよけいに安く買って貰いたいからである、又売りをされるためではないのだから、はっきりそう云った。お勘はそれなり寄りつかず、もっとひどい悪口を云いまわったらしいが、どうやらこんどは近所が相手にしなくなったようであった。
 店が順調になると松造はまた五六日おきにしか来なくなった。相変らずぶすっとした顔でよもぎ臭いたばこをふかし、怖いような眼で家の中を眺めまわしたり、おせんの付けている絵解きのような帳面を退屈そうにめくってみたりする。ごくまれには幸太郎をつれて、浅草寺などへゆくこともあったが、ひと晩泊るときまって朝早く帰っていった。――古河から来た小僧の云うところによると、松造夫婦は気が合わず、お鶴というあの子は親類から貰ったのだそうで、それがまたどうしても夫婦になつかないため、そのうち親元へ返すことになるだろう。そういう話であった。……おせんはいつかの法事のときを思いだした、おいくという人の冷たいそっけないようすや、女の子の寂しそうな顔つきには、そういう蔭の理由があったのである。誰が悪いのでもなく不運なめぐりあわせだろうが、世の中にちょうど善いということは少ないものだと、いっとき溜息をつくような気持であった。
 店をはじめた明くる年の春の彼岸に、宗念寺へ墓まいりにいったとき、別に経料きょうりょうを納めてお祖父さんと幸太の戒名をつけて貰った。そして位牌いはいを二つこしらえ、幸太のには彼の戒名に並べて自分の俗名を朱で入れた。自分のも戒名にすればよいのだが、いっそおせんと入れるほうが情が届くように思えたからである。――こうして時が経っていった。変った事といえば、飛脚屋の権二郎ごんじろうが酒のうえの喧嘩けんかで人を斬り、ろうへはいって一年ばかりするうちに牢死したということ、友助夫婦が梶平のあと押しで、本所のほうへ小さな材木屋を始めたこと、そして浅草橋の川下に新しく橋が架けられ、柳橋やなぎばしと名付けられたことくらいのものであろう。柳橋はあの火事のあとで地元から願い出ていたのが、ようやく許しが下って出来たわけで、渡り初めから三日のあいだ祭りのような祝いが催された。……その祝いの三日めのことである、店を早くしまって、幸太郎に小僧をつけて出してやり、自分も新しい橋を見にゆくつもりで、着替えをしていると客が来た。土間が暗くなっているのでちょっとわからなかったが、立っていってみると庄吉であった。
「ひとこと詫びが云いたくって来たんだ」
 彼は、こう云って、こちらを見上げた。一年まえに、見たきりだが、彼はあのときより少し肥り、酒を飲んでいるのだろう、顔があかあぶらぎっていた。おせんは、平気で彼を眺めることができた。ふしぎなくらい感情が動かなかった、そうしたいと思えば笑うこともできそうであった。
「あたしこれから出るところですけれど」
「ひとことでいいんだ、おせんさん」庄吉は慌てた口つきで云った、「――おれは去年の暮に水戸へいってきた、杉田屋の頭梁が亡くなったんでね」
「杉田屋のおじさんが、――おじさんが亡くなったんですって、……」
「いまいる山形屋とは手紙の遣り取りが続いていたんだ、それでおれが名代みょうだいでくやみにいって来たんだが火事のとき傷めた腰が治らず、そこの骨から余病が出て、とうとういけなくなったということだ」
「おばさんは、お蝶おばさんは」
「おかみさんは達者でおいでなすった、ひと晩いろいろ話をしたが、その話で、――すっかりわかったんだよ、すっかり、……幸太とおせんさんとなんでもなかったっていうことが、おまえが幸太をしまいまで嫌いぬいていたということが、お神さんの話でようくわかったんだ、おせんさん」
「いいえ違うわ、それは違ってますよ」
「――違うって、なにがどう違うんだ」
「お神さんの云うことがよ、お神さんはなにも御存じないんだわ、幸さんとあたしがなんでもなかったなんて」おせんは声をたてて笑った、「――そんなこと貴方あなたほんとになさるんですか」
「――おせんさん」
「いつか貴方の云ったとおりよ、あたし幸さんとわけがあったの、あの子は幸さんとあたしのあいだに出来た子だわ、もしも証拠をごらんになりたければ、ごらんにいれるからあがって下さい」
 こう云っておせんは部屋の隅へいった。仏壇をあけて燈明をつけ、香をあげて振返った。庄吉はあがって来た、そして示されるままに仏壇の中を見た。
「それが幸さんの位牌です、そばに並べて朱で入れてある名を読んで下さいな、おせんと書いてあるでしょう、――戒名だけで疑わしければ裏をごらんなさいまし、俗名幸太とあのひとのも書いてありますから」
 庄吉はなにも云わずに頭を垂れ、肩をすぼめるようにして出ていった。――おせんは独りになると、位牌をじっとみつめながら、小さな低いこえで囁いた。
「これでいいわね、幸さん、お蝶おばさんにだって悪くはないわね、――これでようやく、はっきり幸さんと御夫婦になったような気持よ、あんたもそう思って呉れるわね、幸さん」
 まぶたの裏が熱くなり涙があふれてきた、ぼうとかすみだした燈明の光のかなたに、幸太の顔が頷いている、よしよしそれで結構、そういう声まで聞えてくるようだ。――柳橋の祝いに集まる人たちだろう、表は浮き立つようなざわめきでにぎわっていた。





底本:「山本周五郎全集第二巻 日本婦道記・柳橋物語」新潮社
   1981(昭和56)年9月15日発行
   1981(昭和56)年10月25日2刷
初出:前編「椿 創刊号」山本周五郎一人雑誌
   1946(昭和21)年7月
   中・後編「新青年」
   1949(昭和24)年1月〜3月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:Butami
2020年5月27日作成
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