やぶからし

山本周五郎





 祝言の夜は雪になった。その数日間にあったこまかいことは殆んどおぼえていないが、さかずきの済んだあとまもなく、客の誰かが「とうとう雪になった」と云い、それから、宴席がひときわにぎやかになったことと、その雪が自分の将来を祝福してくれるように思えたこととは、いまでも、いろいろな意味で、鮮明に思いだすことができる。
 ――ようやくおちつく場所ができた。
 わたくしは綿帽子の中でそう思った。
 ――これが自分の生涯を託する家だ。
 そのほかのことはなにも考えなかった。人にはおませな者とおくてな者がある、わたくしはおくての中でもおくてだったらしい。もう十六歳にもなっていたのに、結婚ということについてはなにも知らず、ただ自分の家ができたことと、化粧の間で会った細貝ほそがい家の両親がたいそういい方で、小さいじぶんからあこがれていた本当の父母のように思えたことだけで、あたたかいやすらぎと幸福感にひたっていた。
 わたくしには家がなく、親もきょうだいもなかった。さとの常盤ときわ家には父母と兄や姉たちがいる。わたくしは常盤家の末娘として育って来たが、実の子ではなかった。本当の父は杉守あずさといい、萩原はぎわら宗固派の国学をまなんで、藩校の教官をしていた。母の千波ちなみも和歌の達者だったそうであるが、わたくしの四歳のときどちらも病死したとのことで、お二人の顔かたちさえ記憶に残ってはいない。子供はわたくし一人だったから、杉守の家はそれで絶え、わたくしは母かたの遠縁に当る常盤家へ引取られたのであった。
 ――これはわたくしの家ではない。
 九歳の年の秋ごろから、わたくしはそんなことを考えるようになった。この父母も兄や姉たちも、みんな他人なのだ。
 ――本当の父母はよそにいる。
 自分の本当の家もどこかよそにある。そんなふうに思いだしたのは、自分の身の上を知るまえのことで、決して自分だけが継子ままこあつかいにされたとか、冷淡にされたとかいうわけではない。むしろわたくしは大切にされたほうだとも思うくらいだ。ではどうしてそんなことを考えたのだろうか。おそらくわたくしの性分のためであろうが、常盤家のきびしい家風と、家族のあいだのふしぎなひややかさも、原因の一つになっていたように思う。
 常盤家は三百石ばかりの大御番おおごばんで、夫妻のあいだに一男二女があり、下の娘がわたくしより七つも年上であった。育ててもらった家のことを悪く云うように聞えては困るし、またその必要もないから、詳しいことは省略するが、なぎなた町にあるその家は、いつもひっそりとして、氷室ひむろのように湿っぽく、暗く、そして冷たかった。早朝から寝るまでのあいだ、養父の登城、下城はいうまでもなく、こまごました家事雑用にいたるまで、その刻限や順序がきちんときまっていて、ゆとりとかうるおいなどというもののはいる余地は少しもなかった。家族の関係も同じように、夫妻のあいだも兄妹の仲も、他人の集まりのようにばらばらで、よろこびや悲しみ、憂いやたのしみ、愛情やいたわりなど、一つとして共通のものはなかった。憎みあうことさえもないよそよそしさ、それがわたくしには耐えがたいものであった。
 細貝家へ輿入こしいれをして来て、化粧の間で支度を直していると、しゅうと八郎兵衛はちろべえしゅうとめさち女がはいって来た。舅はやや肥えたからだの大きな人で、血色のいい顔に温和な微笑を湛え、眼をほそめてわたくしを見ながら、ゆっくりと幾たびもうなずいた。姑は小柄であるが、肉づきの柔らかそうな躯つきで、話す声は娘のように細くてきれいなひびきをもっていた。
 おとうさまは黙って、微笑しながらやさしく頷いただけである。おかあさまはうらやましいほどきれいなお声で、まあ可愛い花嫁だこと、と云いながらわたくしの髪にくしを当てて下すった。ただそれだけのことなのだが、わたくしは双の乳房の奥に痛みが起こったほど激しく感動し、とうとう本当の父母に会うことができた、と思った。
 ――これが本当のおとうさまとおかあさまだ。
 祝言の席にいるあいだも、それから仲人夫妻に導かれて寝所へはいってからも、その感動の与えてくれるあたたかさと、やすらかにおちついた気分とで、わたくしはうっとりしていたように思う。寝所でもういちど盃ごとがあり、そのとき綿帽子をとって、初めてあの方と向き合ったが、これが良人おっとになる人だと認めたほかは、なんの感情もおこらなかった。たしかだろうか、不安とか、恥ずかしさとか、おそれなどという、心の動揺はなかったろうか。わたくしはなかったとおぼえている。記憶のどこかに残っているのは、新しい兄、という漠然とした感じをもったことだけであった。
 次の間へ立って、仲人の斎藤夫人に着替えを手伝ってもらい、白の寝衣ねまき鴇色ときいろのしごきをしめ、それから髪を解いた。
「朝のお召物はここに置きます」と斎藤夫人は溜塗ためぬりのみだれ籠を示した、「お呼びになれば小間使がまいるでしょうけれど、お着替えは自分でなさるほうがいいでしょう」
「はい」とわたくしは答えた。
 斎藤夫人はわたくしの寝衣のえりをかいつくろいながら、なにげない口ぶりで、からだを固くしないように、くつろいだ気持になるがよい、というようなことをささやいた。
「お床入りのことは」と夫人はちょっと心配そうに云った、「わかっておいでですね」
 わたくしは、お床入り、という言葉さえ知らなかったが、知らないままで「はい」と答えた。それから寝所へ戻ると、夫人はわたくしを夜具の中へ寝かし、解いた髪のぐあいを直してから、枕の下を押えて、ここにございますからね、と囁いた。
 そのとき良人になる人はどこにいたのだろうか、斎藤夫人は夜具を囲うように屏風びょうぶをまわし、まる行燈あんどんの火を暗くしてから、殆んど音もなく去っていった。かすかにふすますべる音を聞いたと思うと、まもなく良人になるあの方がはいって来た。そうだ、わたくしが寝所へ戻ったとき、あの方はそこにいなかったのだ。そして、斎藤夫人が去ってから、まもなくはいって来たあの方は、燗徳利かんどくりを三本と、さかなの小皿をのせた盆を持っていて、ふらふらしながら夜具の脇に坐った。
「寝ていていいよ」とあの方はこちらを見ずに云った、「勇気をつけるためにもう少し飲むんだ、おれの生涯で今夜ほど勇気の必要なときはないからな、うん」
 わたくしは迷った。起きて給仕をしようか、寝たままでは失礼になりはしないか。あの方がそうおっしゃるのだから、このままのほうがいいのだろうか。そんなふうに迷っているうちに、起きあがるきっかけを失い、わたくしはあおむけに寝たまま眼をつむった。
「私は生れ変るよ」とあの方は独り言のように云った、「私のうわさは聞いていただろう、嘘だとは云わない、噂は誇張されるものだが、私はすなおに、自分が放蕩者ほうとうものだったことを承認する、一と言、ただ一と言だけ云うが、私がなぜ放蕩者になったか、ということは誰も知らない、知ろうともしない、父も母も、それを察してくれようとはしなかった、ということだ、誰が、誰がすき好んで、放蕩者になんぞなるものか」
 そしてあの方は、自分の苦しい立場と、どんなに苦しみ悩んで来たかについて、ながいこと語り続けた。わたくしはそれを聞きながら、この方は歌をうたっていらっしゃる、と思った。わたくしはそれまで、あの方のことはなにも知ってはいなかった。縁談がまとまったときに、初めて斎藤夫人から「ずいぶん道楽をなすった」ということを聞いたが、それがどんな意味をもっているのか理解できなかったし、べつに重要なことだとも感じなかった。
 ――あなたを妻に貰ってくれれば行状を改める、そう仰しゃっているそうです。
 斎藤夫人は熱心にそう繰り返した。そのほかに望みはない、ただ常盤家のすずどのを貰ってくれさえすれば、と云い続けるばかりだそうです。あの方がどこでわたくしをごらんになり、どうしてそんなに懇望こんもうなさるのかわからなかった。けれども、養家の父母が承知したし、わたくしも「いや」と云う気はなかった。細貝家は七百石の中老ながら、御家中かちゅうでは由緒ある家柄だという。正直なところそれにも心をかれたが、なにより薙町の家を出たかった。たとえ身分は軽くともよい、もう少しあたたかな、人間らしいくらしのできる家へゆきたい。わたくしはそう思って承知したのであった。
 自分の不仕合せを訴えるあの方の声は、不仕合せを歌にしてたのしんでいるように聞えた。それは悔悟ではなく、悔悟を売りつけているようにしか感じられなかった。そうして、あのことが起こったのだ。
 あるだけの酒を飲み終ると、あの方が夜具の中へはいって来た。枕が二つ並んでいるのだから、共寝をすることはわかっていた筈なのに、わたくしにはそれが不作法な、卑しいことのように思われ、夜具の中ですばやく躯をずらせた。それからあとのことは考えたくない。やがてわたくしはとび起きた。自分が殺されるのではないかと思い、全身の力であの方を突きのけながらとび起きて、畳の上へ逃げ、ふるえながら、乱れた衿や裾をかき合せた。
「どうしたんだ」とあの方は云った、「どうして逃げるんだ」
 わたくしはあえぎながら黙っていた。


 激しく喘ぎながら、わたくしは黙ってあの方をみつめた。あの方のはだかった胸の、どす黒いようなぶきみな肌に、肋骨ろっこつが段をなしてい、まん中に一とかたまり毛が生えていた。
「どうする気だ」とあの方はすごいような声で云った、「おまえは嫁に来たんだぞ」
 わたくしは両手で衿をひき緊めた。
 そのとき、あの方の相貌そうぼうが変った。眼が異様な光りを帯び、顔ぜんたいが細く、長くなるようにみえた。わたくしは眼をつむった。あの方がとびかかるまえに眼をつむり、激しく頬を打たれながら、じっと眼をつむったままでいた。
「高慢なつらをするな」とひそめた声で叫びながら、あの方は平手でわたくしの頬を打った、「――この上品ぶったつらが、おれをなんだと思ってるんだ、なんだと思ってるんだ、来い、きさまはおれの女房なんだぞ」
 あの方は手の平で打ち、手の甲で打った。そのたびに、わたくしの顔は左へ右へと揺れたけれど、痛いとは少しも思わなかった。
「女め、女め」あの方は喘ぎながら叫んだ、「女がどんなけだものかおれは知ってるんだ、上品ぶったってごまかされるものか、きさまは女だ、自分でよく見てみろ」
 あの方はわたくしの手をもぎ放して、寝衣の衿を左右へひろげた。ついで乱暴にしごきをひきほどき、突いたり殴ったりしながら、わたくしを裸にした。わたくしはさからわなかった。やはり眼はつむったままで、裸のひざに手を置いて坐っていた。外は雪だから、気温もさがっていたことだろうが、寒さも感じなかったし、恥ずかしいとも思わなかった。
「その胸を見ろ」とあの方は荒い息をつきながら、嘲笑ちょうしょうするように云った、「その前を見てみろ、それが女だ、それが女の正体だ、きさまもほかの女と同じけだものなんだぞ」
 あの方の眼が裸の全身をでまわすのが感じられた。それは実際に手で触られるような感じで、視線の当るところの肌に、つぎつぎと収斂しゅうれんが起こったほどであった。
「待っていろ」あの方は云った、「そのまま動かずに待っていろ、そのままでいるんだぞ」
 よろめく足どりで、あの方は寝所を出ていった。
 わたくしは眼をあいて、ぬがされた物を順に身に着け、しごきをしめた。そうしているうちに涙がこぼれてきた。悲しいとも、なさけないとも思わなかった。どんな感情もなしに、ただ涙がこぼれるのであった。まもなく、あの方は角樽つのだるを持って戻り、汁椀へ酒を注いで飲み始めた。また裸にされるものと思っていたし、そのときはこうと決心していたのだが、あの方は夜具の脇にあぐらをかいて坐り、まるでなにかに追われてでもいるような、せかせかした調子で飲み続けた。
「おれは生れ変ってみせる」とあの方は独り言のように云った、「おまえが妻になってくれればできる、私は弱い人間だ、私には支えになるものが必要なんだ、これで大丈夫、おまえが妻になってくれたことで、私はりっぱに立ち直ってみせるよ」
 角樽がからになるまえに、あの方は正体もなく酔い、夜具へのめりかかって寝てしまった。
 わたくしは夜の明けるまで、寝衣のまま畳の上に坐っていた。あの方に夜具を掛けてあげるときと、いちど手洗いに立ったほかは、坐った場所から少しも動かなかった。そのあいだなにを考えていたことだろう。いまでもかすかにおぼえているのは、あの方のどす黒い色をした胸、ひとかたまり毛の生えた、肋骨の段のあらわれた胸を、けんめいになって記憶から消し去ろうとしていたこと、もう一つは「死んでしまおう」と思いつめていたことだけである。
 ――死んでしまおう、そのほかにどうしようもない。
 殆んど世間を知らず、十六といってもおくてのわたくしには、ただもうあの方がおそろしく、あの方から※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれるためには、死ぬよりほかにみちはない、としか考えられなかったのだと思う。
 裏のどこかで、車井戸の音が聞えた。わたくしはそっと立ちあがり、次の間へいって、斎藤夫人のそろえておいてくれた着物に着替えた。海へゆこうか、それとも山にしようか。そんなことをひとごとのように思いながら、静かに廊下へぬけだした。
 そのまま忍び出るつもりだったが、薙町の家とは違って構えも大きく、わたくしは来たばかりで、どこから出たらいいのか見当もつかなかった。およその勘だけで廊下を曲ってゆくと、若い女中が雨戸をあけてい、姑のさち女が庭を眺めていた。雪景色を見ていたらしいが、わたくしが気づくと同時に、ふっと振向いてわたくしを認め、びっくりしたようなお顔で、いそぎ足にこちらへ寄って来られた。
「まあ早いこと」とおかあさまが仰しゃった、「もうお起きなすったんですか」
 細いきれいなお声と、劬りのこもったまなざしを見たとき、わたくしは夢中でおかあさまの胸にすがりつき、すがりついた手に力をいれて泣きだした。
「おかあさま」とわたくしは云った、「わたくしどう致しましょう」
「召使に見られます」おかあさまはわたくしの肩へ手をまわしながら仰しゃった、「ここではいけません、わたくしの部屋へゆきましょう」
 おかあさまはわたくしをかかえるようにして、御自分の部屋へはいり、よく火のおこっている火鉢のそばへいっしょに坐った。
「ここならようございます、さあ、泣きたいだけお泣きなさい」そう云っておかあさまはわたくしの手を取られた、「――ただね、すずさん、これはあなた一人だけのことではないのよ、わたくしにもおぼえがあるし、女なら誰でもいちどは忍ばなければならない、生涯にいちどだけ、結婚する女はみんな、いちどはくぐらなければならない門のようなものなのよ」
 わたくしはおかあさまの膝へ俯伏うつぶして泣いた。おかあさまはやさしく、わたくしの背を撫でたり、赤児をあやすようにそっと叩いたりしながら、年が若いから吃驚びっくりしたであろうが、これでもう済んだのである、耐え忍ぶようなおもいも長く続くものではないし、やがてはそんなこともあったかと思うようになるだろう。そういう意味のことを話してくだすった。
 ――おかあさまは勘ちがいをしていらっしゃる。
 わたくしはそう思った。ゆうべの経験と、おかあさまの話しぶりとで、女の本能といったふうなものがなにかを感じ取り、ゆうべのことと、おかあさまの考えていることとは違っている、そうではないのだ、と思ったけれども、それを口に出して云うちからはわたくしにはなかった。
「これからも心配なことやいやなことがあったら、遠慮なくわたくしにそう仰しゃい」とおかあさまは続けた、「わたくしには初めから、すずさんが本当の娘のように思えていたのよ、あなたもわたくしを実の母だと思って下さるかしら」
 わたくしはおかあさまの膝を濡らしながら、声が出ないため、力いっぱいそのお膝にしがみついた。
 その日はれるまで、自分の部屋をととのえるのにかかった。おとうさまに御挨拶したほかは誰とも会わず、食事もしなかった。あの方は朝食のあと外出をしたようで、夕餉ゆうげにも帰らず、十時ごろだろうか、わたくしはおかあさまのゆるしを得て、自分の部屋で寝た。躯も気持も疲れきっていたのだろう、あの方の帰るまで眠ってはいけないと思いながら、横になるとまもなく眠ってしまい、明くる朝おかあさまに起こされるまで、なにも知らずに熟睡した。
 こうして第二夜は無事に過ぎた。この藩では武家は里帰りをしない風習である。よし里帰りがゆるされていたとしても、わたくしは薙町へ帰る気持はなかった。こう云うと恩知らずで薄情のように聞えるかもしれないが、薙町の家族もわたくしの帰るのをよろこびはしない。それは平生へいぜいからわかっていたことだし、輿入れのときにもはっきり云われていたのである。
 ――今夜はどうなるだろう。
 わたくしの頭はその心配でいっぱいだった。祝言の夜のほかは寝所をべつにしてよいというので、第三夜も自分の部屋で寝た。おかあさまはなにか勘づいたとみえ、あの方の寝間の支度を女中にさせたうえ、ねむかったら先におやすみ、と仰しゃった。その日もあの方は外出をして、夜になっても戻らず、わたくしはおそくまで、おかあさまのお部屋で話し更かした。
 自分の部屋へ帰って、夜具の中へはいったのは十一時過ぎだったであろう。ゆうべとは違ってすっかり眼がえてしまい、来光寺の鐘が九つ(午前零時)を打つのを聞いた。そしてまもなく、あの方が帰って来た。庭からまわって、自分の部屋の窓からはいったらしい。忍びやかなその音を聞いたとき、わたくしはぞっと総毛立ち、われ知らずはね起きると、箪笥たんすから懐剣を取り出し、それを持って、寝衣のまま夜具の上に正座した。
 ――どうぞ来てくれませんように。
 わたくしはそう祈った。行燈が暗くしてあり、明るくしなければいけないと思いながら、もう立つことはできなかった。酔っているのだろう、あの方のよろめく足音がし、襖の辷る音が聞えた。わたくしは痛いほど強く懐剣を握り緊め、歯をくいしばった。
 あの方の寝間は、わたくしの部屋と中廊下を隔てて向きあっていた。廊下を踏む足音が聞え、わたくしの部屋の襖があいた。わたくしは心臓がのどへ突きあげてくるような苦しさにおそわれ、息が止った。あの方はあけた襖のあいだからこちらを眺め、それからゆっくりとはいって来た。


 あの方は立ったまま、唇を曲げて、わたくしをつくづくと見まもった。蒼白あおじろい、仮面のような顔に、ゆがんだ嘲笑が、刻みつけられでもしたように動かず、血ばしった眼は、けものめいた光りを放っていた。獲物をねらうのではなく、敵を威嚇いかくするけものの眼のように感じられた。
 懐剣は袋に入れたままである。袋から出さなければ、と思ったけれど、わたくしは身動きもせずに、あの方の眼を放さずみつめていた。あの方はふらふらと前へ出た。
「おい」とあの方はあごをしゃくった、「おい、ごりっぱな、けだかい、おきれいな御婦人、但し、みかけだけだがね、わかるか」
 わたくしは黙っていた。
「いまにその顔で泣くんだ」毒どくしいせせら笑いをして、わたくしの顔をのぞきこみながら、あの方は囁いた、「手足をかにのようにかがめてな、ひっひと泣いて、あとねだりをするんだ、一と晩じゅう……」
 なにを云っているのか、わたくしにはわからなかったが、みだらな意味を持っているということは、おぼろげに察しがついた。
「いまにその味をおぼえさせてやる」とあの方は云った、「おれの、この手でな、おれは辛抱づよい人間だ、こう思ったら必ずやりとげてみせる、きっとだぞ」
 そしてあの方は出ていった。
 わたくしは耳をすまして、あの方が横になるけはいの聞えるまで、同じ身構えで坐っていた。もう大丈夫と思い、懐剣をそこへ置こうとしたが、あまり強く握っていたため、指の関節がすっかり硬ばってしまい、すぐには手をひらくことができなかった。躯にもひや汗をかいていて、肌衣のわきと背中が水に浸したようになり、着替えなければならないくらいであった。
 ――大丈夫、あの方はもう怖くはない。
 わたくしはそう思った。卑しい人ではあるが恐ろしい人ではない、女の前でぐちを云ったり、口だけで強がったり、誓ってみせたりするような人は恐ろしくはない。女が男の性質をみぬく勘は、生れつきそなわったものだろうか、わたくしはそう思ってからすっかり心がおちつき、夜半あの方がはいって来ても、ひや汗をかくような恐怖心は起こらなくなった。あの方は夜半にしか来なかったし、わたくしは懐剣を膝の上に置いて坐り、なにを云われても返辞をせず、黙って、あの方の眼をまっすぐにみつめていた。ときには一刻以上も、くどいたりおどしたり、泣き言を並べたりするが、わたくしの心は微動もしなかった。
 祝言の日から約四十日、こんな生活が続いたが、三月下旬になって、あの方はおとうさまから勘当された。
 詳しいことは聞かされなかったが、結婚してからも放蕩がやまず、諸方に借金をめたうえ、無頼ななかまと喧嘩けんかをして、相手を二人か三人傷つけたというようなことだけは、とめという小間使が話してくれた。おとうさまの怒りは非常なものだったらしい。勘当と同時に領内をたちのけと命じ、細貝家から除籍したことを、正式に係りへ届け出た。これはあとで聞いたことだが、あの方は家を出てゆくとき、手文庫にあったお金と、おかあさまの持ち物で、かねめな小道具をすっかり持ちだしたそうである。その騒ぎが起こってから、あの方が出てゆくまで、わたくしたちはいちども顔を合わせなかった。それはおとうさまの御配慮で、「二人を会わせてはならぬ」ときびしくお命じになった、ということをおかあさまから聞いた。
 ――ああ、やっとさっぱりした。
 わたくしはそう思った。あの方が出ていったことは、よそから来た泊り舟が、とも綱を切って去っていった、というくらいにしか思えなかったのである。数年のち、たぶん二十歳になったころであろうか、わたくしはそのときのことを思いだして、自分を恥じた。あの方が放蕩をやめなかったことも、ついには勘当放逐ほうちくということになったのも、みな自分の責任ではないか。祝言をし、夫婦となったからには、良人を愛し、いたわり励まして、良人が立ち直れるように、全力を貸すのが妻の役目であろう。それをまったく逆に、祝言の夜から自分はあの方を拒み、憎悪と軽侮の眼しか向けなかった。
 ――私は弱い人間だ、私には支えになる者が必要だ。
 あの方はそうまで云われたのに、自分は支えどころか、あの方を突き落すようなことをしたのである。そのうえ、別離のときも知らぬ顔で、両親にとりなすどころか、これでさっぱりした、などと考えたものだ。
 ――なんという悪い女だったろう。
 わたくしは自分を恥じ、自分を責めた。けれどもまた、よくよく考え直してみると、そう思うのはむしろ僭上せんじょうだという気がした。祝言の夜の寝所で、あの方がわたくしに与えたものは愛でもなさけでもなかった。結婚についてわたくしがなにも知らなかったことは、わたくしの罪ではない。もともとおくてだったし、養家ではもとより誰も教えてくれる者がなかったので、ただもう、殺されるのではないか、という恐怖におそわれたのはやむを得ないことだったと思う。放蕩をしつくしたあの方には、わたくしがなにも知らないということはすぐわかった筈だ。それならもっと愛情と劬りとで、やさしくみちびいてくれなければならないだろう。あの方にはそんな感情はかけらほどもなかった。恐ろしさのためにおののきふるえているわたくしを、酔にまかせて殴りつけ、「けだもの」といってののしった。
 ――いいえ、自分は悪い女ではなかった。
 わたくしはあの夜半のことをよくおぼえている。あの方はわたくしをさんざんに打ち、わたくしを裸にして、女はけだものだと、繰り返しはずかしめた。そうしてまた酔って、こんどは自分のぐちを云いだした。すべて自分のことが中心で、他の者のことは考えようとしない。自分の思うことがとおらないと、相手の気持など察しようともせず、あばれたり威したり、泣きおとそうとするだけであった。
 ――そうだ、あの方を立ち直らせることは誰にもできなかったにちがいない。
 桃ノ木に桃ノ実がなるように、あの方にはあの方の実がなったのだ。誰が力を貸してあげたにしても、結局あの方は勘当放逐という断崖だんがいへ走っていったに相違ない。世間を知らない十六歳の新嫁が、それを救えたかもしれない、などと考えるのは僭上の沙汰である、とわたくしは思い返した。
 おとうさまおかあさまが、どんなに落胆し悲しがられたかは、およそ推察することができた。それは、お二人がわたくしに済まながって劬り、慰め、力づけて下さるというかたちで、決してあの方のことを哀れがるようなそぶりはみせなかったけれど、その慰めや劬りの中に、あの方のことを悲しみ嘆いていらっしゃるようすが、いたいたしいほどよく感じられるのであった。
「あんな者の嫁に来てもらって悪かった」とおとうさまは仰しゃった、「おまえはまだ若いし、これからいくらでも仕合せになれる、この償いはきっとしてあげるからね」
「堪忍しておくれすずさん」とおかあさまは泣きながら云われた、「あなたには済まないことをしました、本当に済まないと思います、どうかわたくしたちを堪忍しておくれ」
 わたくしはおかあさまを抱いてあげた。そのときわたくしは、自分の内部にあたたかく力強いものが生れ、うっとりするほどの幸福感に満たされたのを、いまでも忘れることができない。
「お泣きにならないで」わたくしはおかあさまの背を撫でながら云った、「すずが一生おそばに付いていますからね、どうぞお泣きにならないで」
 初めて化粧の間でお二人に会い、これが本当の父と母だ、と思ったときの感動が、なまなまと胸によみがえって来、これで本当の親子になれた、これから一生お二人に仕えてゆこうと、わたくしは心の中で自分に誓った。
 細貝家の日常は少しも変らなかった。おとうさまは一日もお勤めを欠かさないし、わたくしをごらんになるときの、あたたかい微笑をうかべたお口許くちもとや、ほそめた眼でやさしく頷くようすにも、それまでと違ったところは見られなかった。おかあさまもちょっとお口数が少なくなったことと、わたくしをいつもそばに置きたがることくらいが気になる程度で、そのほかにはまったく変化が感じられなかった。
 あの方が去ってから約半年、九月になってまもなく、わたくしはおかあさまから離縁のことを相談された。
「お躯に変りはないようね」とおかあさまは初めに仰しゃった。
 わたくしは漠然とではあるが、みごもる、ということだなと思い、「はい」と答えながら、顔が赤くなるのを感じた。
「それは不幸ちゅうの幸いでした」とおかあさまは仰しゃった、「あなたはまだ十六でいらっしゃるし、これからどんな良縁にも恵まれることでしょう、もちろんわたくしたちもこころがけますけれど、ここでいちど、おさとへお帰りになってはどうでしょうか」
 わたくしは終りまで聞かずに、微笑しながらかぶりを振った。そんな話が出ようとは予想もしなかったが、聞き終るまでもなく、わたくしはきっぱりと云った。
すずは細貝家の娘です、わたくしにはこの家のほかにさとなどはございません」
「それはそうですとも、けれど」
「いいえ」とわたくしはまたかぶりを振って云った、「おかあさまは初めから、わたくしを本当の娘のようにしか思えない、と仰しゃいました、そうしてわたくしにも、実の母親だと思うようにって、――わたくしも初めておめにかかったときすぐに、これが本当のおとうさまおかあさまだと思いましたし、いまでもその気持に変りはございません」


 お気にいらないところがあるなら、叱って下されば直すし、一生おそばにいると誓ったこともお忘れではないと思う。どうか二度とそんなことは仰しゃらないで下さい、とわたくしはきつい調子で云った。
「この家にいては」とおかあさまはゆっくり仰しゃった、「玄二郎げんじろうのことが、あなたの障りになると思うのです、おとうさまもそれを心配していらっしゃるのだけれど」
 わたくしは黙っていた。
「でもあなたがそのおつもりなら」と云っておかあさまは太息といきをつかれた、「――当分この話はしないことに致しましょう」
 わたくしはおかあさまの眼をみつめながら頬笑んだ。おかあさまも微笑なすったが、すぐに顔をそむけながら、わたくしに見えないように、そっと眼を押えていらしったようだ。
 それからまもなく、わたくしは鼓の稽古を始めた。おとうさまはうたいがお好きで、五日にいちどずつ、宝生ほうしょうなにがしという師匠が教えにみえる。お若いころに稽古をし、それから、二十年もやめていたのを、去年からまた出直されたということだが、あまりお上手ではないらしい。師匠もしばしば当惑するようだし、おとうさまも「師匠の鼓はきつすぎてうたいにくい」などと仰しゃっていた。私の謡は腹ごなしなのだから、というのがお口癖で、それは上達しないことの云いわけとも聞えたが、それならわたくしが鼓をならってお相手をしよう、と思いついたのであった。
 常盤家では日常のしつけ以外に、稽古ごとなどはなにもしなかったし、わたくし自身あまりきようではないので、稽古を始めてから半年くらい経ったとき、自分でもうんざりして、やめてしまおうかと思った。けれどもおとうさまは頼みにしていらしったようすで、なかなか筋がいい、などとお褒めになり、もう一と辛抱してみるようにと仰しゃるので、気をとり直して稽古を続けた。そうしてさらに半年ほどすると、おとうさまがむりに望まれるので、あぶなっかしいお相手をするようになり、ずいぶんおかしいことがあったのだが、――それは、久弥ひさやさまを良人おっとに迎えてからも同じことで、いまでも謡のたびに、いちどや二度笑わないことはないくらいである。
 十八になった年の春、わたくしはおかあさまに、養子を貰ってはどうかと云った。笠松かさまつ図書という方は、この細貝家から婿入りをした人で、おとうさまの弟であるが、そのとき男ばかり四人のお子たちがいた。末の信五というお子が五歳になるので、血の続きも濃いし、貰って下さればわたくしがお育てするから、と云ったのであるが、するとおかあさまは、それよりあなたに婿の話があるのだ、と仰しゃった。
「いいえ、いやです」わたくしは驚いてかぶりを振った、「わたくし、それだけは、はっきりお断わり致します」
 おかあさまは眼をみはり、それから不審そうなお顔つきで、じっとわたくしをごらんになった。わたくしの口ぶりがあまりに激しかったので、なにかわけがある、とお思いになったのであろう。わたくしももうお話してもいいと思い、祝言の夜の仔細しさいを申上げ、二度とあんなことを経験したくない、という気持を正直にうちあけた。
 おかあさまにはまったく思いがけないことだったようで、暫くは眼をつむったまま、なにも云うことができない、というふうにみえた。
「そうだったの」とやがておかあさまは深い溜息ためいきをついて仰しゃった、「ではあなたはまだ娘のままだったのね、ああよかった」
「娘のままではございませんわ、玄二郎さまと祝言をしたのですし」
「いいえ」おかあさまはさえぎって、そっと微笑された、「そのことはあとで、よくわかるように話してあげましょう、あなたのいまのお話が本当なら、あなたはまだ娘のままだし、良人を持つということはそんなものではないんですよ、でも」と云いかけて、おかあさまは細いきれいな声でお笑いになった、「――あなたは十八にもなって、おかしな人だこと」
 なにが「おかしい」のかわからなかったが、わたくしも赤くなりながら笑った。
 数日のちの或る夜、わたくしはおとうさまの居間へ呼ばれた。おかあさまもごいっしょで、話は婿縁組のことであった。
「おまえは私たちの娘だ」とおとうさまは云われた、「私たちのことを実の父母だと、自分で云った筈ではないか、そうだろう」
「はい」とわたくしは頷いた。
「私たちもおまえを実の娘だと思っているし、実の娘に婿を取るのは当然ではないか」とおとうさまは珍しく強い調子で仰しゃった、「人間には好き嫌いがあるから、いちがいに押しつけるつもりはないが、私は自分の跡継ぎとしても、またおまえの良人としてもわるくない男だと思う、二、三日うちに招くから、ともかく自分の眼で見てみるがいい」
 そして、その男も謡が好きなのだ、と云ってお笑いになった。
 中三日おいて、佐波久弥さまが夕餉に招かれて来た。その日おかあさまは、わたくしに掛りきりで、風呂へもいっしょにはいり、髪結いや化粧や、着つけが終るまでそばをはなれず、うるさいほどあれこれと注文を付けた。わたくしはお給仕をする筈なので、振袖では困ると云ったけれども、おかあさまは聞こうともなさらず、わたくしを飾れるだけ飾ろうときめていらっしゃるようすが、殆んどいじらしいほどしんけんにみえた。
 久弥さまは佐波又衛門またえもんさまの御二男で、年は二十六歳、わたくしとは八つ違いであるが、たいそうおとなびていて、三十くらいにも老けてみえた。せてはいるが筋肉質で、背丈が高く、肩幅が広かった。立ち居や身ぶりはゆったりとのびやかだし、その声も豊かで低く喉の奥で話すように聞えた。おとうさまも酒はあまりめしあがらないが、久弥さま、――もう良人と呼ぼう、良人も酒はごく弱いほうで、盃に三つほどあがると、頸筋くびすじまで赤くなり、ちょっと苦しそうな息づかいをしていた。
 お二人はまえから親しくしていたとみえ、共通の話題を興ありげに話し続けた。どちらもお口べただし、言葉数も少ないが、お互いの気持はよく通じあうようすで、片方がなにか云いかけると、聞き終らないうちに片方が笑いだす、といったようなことが、三度や五たびではなかった。
「ときに、腹ごなしでもやるか」膳部ぜんぶをさげて茶菓を出すとまもなく、おとうさまがそう云いだされた、「すずに鼓を持ってもらって、紅葉狩もみじがりをさらおう」
 良人は「笑われましょうか」と答えた。
 わたくしの鼓はいっこうに進まないので、初めての方に聞かれるのは辛い筈であるが、そのときは恥ずかしさも思わず、すなおにその支度をした。正直に云うと、良人の相手をすることに、うれしいような胸のときめきさえ感じたとおぼえている。おとうさまがしてつれ、良人がわきともをうたった。それはいいけれども、良人もまたおとうさまと似たりよったりで、うたい初めの「時雨しぐれをいそぐ紅葉狩――」という、つれうたいのところで早くも間拍子が狂い、互いに相手に合わせようとするものだから、まるで立ちはじめた赤児のように、あちらへよろよろ、こちらへよろよろとなり、「これはこのあたりに住む女にて候――」という、さし謡になるまえに、お二人ともくすくす笑いだしてしまった。
「今夜は喉のぐあいが悪い」とおとうさまは仰しゃった、「これくらいにしておこうか」
「このくらいにしておきましょう」と良人も笑いながら云った、「――母に云わせますと、私の声はふかしぎな声だそうで、私が謡をうたいますと、一町四方の犬が全部いなくなってしまうそうです」
 そんなことはあるまい、と云いながらおとうさまがまた笑いだし、おかあさまもわたくしも、がまんできずに笑ってしまった。
 ――おとうさまはこの方を好いていらっしゃる。
 わたくしは笑いながら、心の中でそうつぶやいた。
 ――自分もこの方となら一生をともにしてもいい。
 縁談はきまり、三月七日に祝言をした。縁談がきまったとき、おかあさまからねやごとのあらましをうかがった。そのころわたくしは、躯の中に起こるいろいろな感覚に、理由のわからない悩ましさや不安や、苛立いらだたしさを経験するようになっていたので、おかあさまの話を聞きながら、非常な恥ずかしさと同時に、濃い霧がしだいに晴れて、望ましくたのしい景色が見えてくるような、胸の高鳴りを感じたものであった。
 祝言の夜、寝所へはいると、あのときの記憶がよみがえったのであろう。おかあさまからうかがって、よく承知していたにもかかわらず、わたくしはまた恐怖におそわれ、躯のふるえを止めることができなかった。
「心配しなくともいい、このまま寝よう」と良人は低い声でささやいた、「――じつは私も、ちょっと怖いんだ」
 わたくしは息をひそめた。
「今夜だけはやむを得ないが、明日の晩からは寝所をべつにできるからね」と良人はまた云った、「お互いの気持がとけあうまで、むりなことはしないようにしよう」
 わたくしは「はい」と答えたが、声にはならなかった。胸いっぱいに温かい湯が満ちあふれるようなあまやかなおもいに包まれ、両手でそっと眼を押えた。
 ――じつは私も少し怖いんだ。
 良人のその言葉を、わたくしは一生忘れることはないだろうと思う。


 わたくしの眼は正しかった。おとうさまの選択が正しかったというべきだろうが、わたくしは初めて会ったときの、自分の勘に狂いのなかったことを誇りたいと思う。
 良人がどんなに好ましい人かということを数えるより、欠点だとみえることをあげるほうが早い。これは初めに感じたことだが、立ち居の動作が、じれったいほどのろい。いまではそれも、おちついたたのもしいものになったが、そのころのわたくしには少しじれったく思えた。次は口数の少ないこと、また、生来おもいやりの深い性分なのだろうが、家士や召使たちにまで気をくばること、などであった。――わたくしが初めての子、松之助を産んでからまもなくのことであるが、小間使のとめが掃除をしていて、おとうさまが大事にしていらしった壺をこわした。唐来の高価な品だそうで、とめは途方にくれて泣きだした。それを良人がみつけたのである。
「よしよし、父上には私があやまる」良人はとめに云った、「おまえは心配しなくともいいから黙っておいで」
 わたくしはとめからそのことを聞いて、「それでいいだろう」とは答えたが、心の中では納得しなかった。
 ――あやまちはあやまちである。
 とめの過失はとめの責任であるし、その責任を負うことが躾けというものではないか。たとえ劬りにもせよ、事実をごまかすのは正しいことではない、とわたくしは思った。これも数年のちには、自分の考えかたがかたくなであり、人間同志の愛情や信頼感を高めるには、良人のようでなくてはならない、と思い当るようになったのだけれど。
 松之助が生れてまもなく、おとうさまの職はそのままで、良人が書院番にあげられた。重職がたがまえから眼をつけていたそうで、おとうさまのよろこびは大きかった。口に出してはなにも仰しゃらなかったが、ごようすにはよくあらわれていて、細貝家の日常はいっそう明るく、活気に満ちてゆくようであった。まえにもちょっと触れたと思うが、いまでもおとうさまと良人は、ときどきわたくしの鼓で謡をおうたいになる。もうお二人ともあきらめているのだろう、その後は師匠にもつかないので、上達しないばかりでなく、抑揚も間拍子もだんだん怪しくなり、うっかりすると文句まで、あとさきになるようなことがある。そのうえわたくしの鼓が加わるのだから、たいてい終りまでうたうということはない、おかあさまはお気の毒だからといって、いつも座をはずすのであった。
 二人めのこずえが生れたとき、わたくしは二十五歳、松之助は四歳になっていた。こずえは女のくせに大きな児で、お産はちょっと重かったが、あとの肥立ひだちは順調だったし、子供は申し分なく健康であった。
 その年の六月、梅雨あけの晴れた日の午後に、わたくしはこずえを宮参りにれていった。うぶすなは宇津美八幡うつみはちまんで、城下町の北側の小高い丘の上にあった。とめはもう嫁にゆき、小間使はいねという十七歳の娘だったが、陽がつよいので、こずえはわたくしが抱き、いねに日傘をさしかけてもらいながらいった。こずえが重いので、わたくしはすっかり汗になり、参詣さんけいをするまえに茶店の奥を借りて、汗を拭かなければならなかった。
 茶店とはいっても掛け茶屋でない。座敷が四つ五つもあるし、簡単な酒食もできる。座敷は丘の端に南面していて、斜面の松林のかなたに、城下町の一部がひらけて見える。いねこずえを抱いて、裏庭へおりてゆき、わたくしは※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)はんぞうに水を取ってもらって、肌の汗を拭いた。――そして、拭き終って肌を入れていると、襖をはずしてある隣り座敷から、一人の男がはいって来た。わたくしはいそいで衿を直しながら、とがめるように男を見た。このうちの者かと思ったが、そうではないらしい。あかじみたよれよれの単衣ひとえに三尺をしめ、月代さかやきひげも伸びたままの、みじめに薄汚れたなりかたちで、両手を衿から入れて腕組みをしてい、そのため胸が殆んどあらわにみえた。
「思いだせないかね」と男は云った、「おめえの亭主だぜ」
 つぶれた喉から出るような乾いたしゃがれ声で云い、男はにっと歯をむきだして笑った。わたくしは男の言葉を聞きながら、あらわになった胸の上に、ひとかたまりまばらな毛が生えているのを見て、はっと息が止った。
「道で二、三度もすれちがったんだが、わからなかったらしいな」と男は云った、「もっともあしかけ十年も経つし、こっちはこのとおりの恰好だからむりはねえがね」
 わたくしは口がきけなかった。
「子守りが戻って来るようだな」と男は云った、「――済まねえが明日、ここへ五両持って来てくれ、時刻はいまじぶんがいいだろう、待っているぜ」
 そしてすばやく、わたくしの返辞も待たずに、元の座敷から去っていった。
 宮参りを済ませて、家へ帰る途中も、帰ってから夕餉の支度をするあいだも、わたくしの頭はすっかり混乱して、どうしても考えをまとめることができなかった。
 ――あの方が戻って来た。
 ――五両持ってゆかなければならない。
 いなずまのひらめきのように、その二つの言葉が、頭の中で繰り返し聞えた。もう一つは、家族の誰にも気づかれてはならない、ということで、胸ぐるしさのため、いまにも叫びだしたくなるのをがまんする辛さは、いまなおはっきり思いだすことができる。ほかにとるべき手段があろうなどとは、考えもしなかった。夜になって少し気持がおちついてからも、云われたお金を持ってゆくこと、そのときよく話しあえば、どうにか無事におさまるだろう、ということを自分に納得させるだけであった。
 武家の勝手は表向きと反対に、どこでもぎりぎりいっぱいなものだ。ことに細貝家はお禄高ろくだかに比べて格式が高いから、ほかの家よりもはるかに出費がかさむ。良人が書院番にあげられたので、僅かながら役料を頂くようになったけれど、それでも、五両という金をないしょで持ち出すことはできなかった。
 ――これは自分だけで始末しなければならないことだ。
 わたくしはそう思った。常盤ときわ家を出るとき、餞別せんべつに貰った金が三両あった。そこでわたくしは自分の婚礼の衣装を取出して包み、そっと家をぬけだして質屋へいった。なぎなた町にいたとき聞いた知恵で、松井町の杵屋きねやという店を訪ね、どうやら三両という金を借りることができた。
 翌日の午すぎ、久しぶりに鼓の手直しをしてもらうからと、おかあさまに断わって家を出、まわり道をして八幡社の丘の茶店へいった。
 わたくしがはいってゆくと、その店の主婦らしい人が、お待ち合せですかとき、こちらへどうぞ、と自分で案内してくれた。あの方はいちばん端にある八帖の座敷で、酒肴の並んだ膳を前に、独りで飲んでいた。わたくしははなれて坐り、紙に包んだ約束の金を、膝の上に置いた。
「一つどうだ」とあの方が云った、「十年ぶりだぜ、一つくらいつきあってもいいだろう」
「それより申上げたいことがございます」とわたくしは云った、「ここに仰しゃっただけの物を持って来ました、これはお渡し致しますから、どうかこの土地にいらっしゃらないで下さいまし」
「それはむずかしいな、そいつはむずかしいよ」とあの方は飲みながら云った、「ずいぶんほうぼう食い詰めて、ようやく生れ故郷へ帰って来たんだが、ここでもちょっとめ事を起こしちまってね、うん、ふしぎとおれのゆくさきざきで揉め事が起こるんだ、なにしろやぶからしだからな」
「ときに」あの方はすぐに続けた、「昨日の子が二人めなんだね、丈夫そうな可愛い赤んぼじゃないか、おれのあとに来た亭主もいい人間らしいし、さぞ仕合せなこったろうね」
「ひとこと申上げますけれど」
「いや、話すのはおれの番だ」とあの方は首を振った、「おまえは安穏あんのんな家と、立派な亭主と、可愛い子供を二人も持っている、そういう仕合せな者は文句を云っちゃあいけねえ、なにか云うとすればこのおれのほうだ」
「いつかいちど」とあの方は大きな物で酒をあおり、おくびをしてから云った、「いつかいちどは聞いてもらいてえと思っていたんだ、うん、あの祝言の晩のことさ」
「そんな話はうかがいたくありません」
「おっと、立っちゃあいけねえ、おれを怒らせちゃあいけねえ、坐ってくんな」あの方の眼が白くなり、歯がむき出された、「――おらあざんげをするんだぜ、あの晩のことは済まなかった、本当に済まなかった、と思ってる、ほんとうだぜ」
 どうしたらいいだろう、わたくしはいたたまれなかった。こんなところにながいをしていてはいけない、早く出てゆかなければならない、と思いながら、でもこのまま出てゆけば、あの方がなにをするかもしれない。出てゆくならはっきりきまりをつけてからだ、とも考えたりした。そんなことを思い惑っているうちに、ふと気がつくと、あの方の話している調子が、いつのまにかすっかり変っていた。
「六つか七つぐらいのときだ」とあの方は続けていた、「庭で遊んでいると、当時いた源次というとしよりの下男が、生垣いけがきのところに伸びている草を、鎌で掘っては抜き捨てている、なんだと訊くと、やぶからしという草だと云った、どうして抜くんだ、どうしてって、これは悪い草で、伸びるとほかの木に絡まってその木を枯らしてしまう、竹藪たけやぶさえ枯らしてしまうので、いまのうちに抜いてしまうのだ、と源次が答えた、やぶからし――」
 あの方はぐらっと頭を垂れた。


 そのことはすぐに忘れた、とあの方は語り続けた。しかし十二、三になって、自分が誰にも好かれず、親たちからは叱られてばかりいることに気づいたとき、ふと源次の言葉を思いだして、自分はやぶからしのようなものかもしれない、と悲しく思った。
「おれは小さいじぶんから、なにか物をやらなければ遊び相手が付かなかった、菓子をやって遊び相手を呼んでも、喰べ終ればさっさといってしまう、おれはぽかんとして、それから自分が恥ずかしくなる、そんなことをして友達を求めるなんて、あさましい、卑しいことだ、もうよそうと、固く自分に誓うが、淋しくなるとついまたやらずにはいられない」
 恥ずかしく卑しいことだ、という気持があるためだろう。遊んでいるうちに気が立ってきて乱暴をし、相手にけがをさせたようなことも三度や五たびではない。放蕩を始めたのは十八くらいのころであったが、そのきっかけも友達やなかまが欲しいからで、自分で心からたのしんだことはいちどもなかった。金のあるあいだは女たちもあいそがいいし、なかまも取巻いて騒いでくれる。だが、金がなくなると同時に、どっちもあっさりとそっぽを向き、道で出会っても眼をそむける、というふうであった。
「小さいじぶんと同じことだ、おれはいつもあとで自分を恥じる、自分のいやらしさ、卑しさが恥ずかしくて、どこかへ逃げだしたくなってしまう」
 おまえを嫁に貰ったとき、おれは本心から生れ変るつもりだった、とあの方は語り続けた。こんどこそそのつもりだった。けれども、放蕩こそしたが女をよく知っていなかった。僅かに知っているのは売女ばいたにひとしい女だけだし、それも人間らしい相手ではなかった。そんなおれ自身にとって、おまえはあまりに違いすぎた。寝所で二人きりになったとき、初めておれはそのことに気がついた。そして、その違いの大きさに圧倒されてしまい、酒の力を借りるよりほかにどうしようもなくなった。
「あのとき――」と云って、あの方はちょっと口ごもってから、続けた、「あのときおまえを殴ったのは、おれ自身を殴ったんだと思う、おまえの顔にあらわれたさげすみの色を見たとき、おれは自分の卑しさあさましさに逆上し、自分を自分でしめ殺したくなった、いまになって云いわけをいうと思わないでくれ、これがあの晩のおれの、本当の気持だったんだ」
 あの方が手を叩くと、中年の女中が酒を持って来た。わたくしはあの方の告白を、すなおに聞いた。あの方の話しぶりに、しんじつが感じられたからである。けれども、姿勢を崩さなかったのは、わたくしになにか勘がはたらいたのであろう。あの方はなお暫く、ざんげめいた告白を続け、それから急に眼をほそめて、訴えるような、おどすような口ぶりになり、「金をあと二十両作ってくれ」と云いだした。わたくしは膝の上の手を握り緊め、あの方の眼を黙って見返した。
「あさっての夕方まででいい、なんとかして二十両持って来てくれ」とあの方は低い声で云った、「――さっきちょっと云ったが、この土地のやくざと揉め事を起こした、二十両あればおさまりがつくし、おさまりがつけばおれはこの土地を出てゆく、そうすればおまえも安心だろう」
「おれはな」とあの方はもっと声をひそめた、「江戸で人をあやめたんだ、それでこっちへぬけて来たんだが、こっちでも間違いができちまった、ここで二十両の都合がつかねえと野詰めになる、そうすれば、細貝の名も出ずにはいねえ、――おれだって死ぬか生きるかというどたん場になれば、やっぱり死にたかあねえからな、そうなれば細貝の名を出すほかに助かるみちはねえんだから、わかるだろう、すず
 わたくしは肌へ氷を当てられたようにぞっとした。すずと呼ばれたからでもあるが、「家名を出す」ということの恐ろしさと、それが単純な威しではないということを直感したからである。わたくしは仕合せであった。
 細貝家は平安で明るく、幸福そのものといってもよい。あの方はそれを知っている、そんなにもおちぶれ、人を殺傷し、ここでも窮地に追い込まれているようだ。
 ――いざとなれば、どんなことでもするだろう。
 たとえ除籍してあっても、細貝家の一人息子だったことに変りはない。いまどんな騒ぎに巻きこまれているか知らないが、そのほかに助かる方法がないとすれば、この人はきっと、細貝八郎兵衛の子だ、と名のるにちがいない。昔から自己中心の人であった。これは決して、ただの威しではない、わたくしはそう思った。
「念のためにうかがいますけれど」とわたくしは声のふるえるのをこらえながらいた、「二十両さしあげれば、きっとこの土地を出ていって下さいますか」
「おれが口でどう云ったって、たぶん信用はしねえだろうが」とあの方はいやな笑いをうかべた、「この難場を※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれることができるなら、これ以上おやじやおふくろを泣かせたかあねえさ、本当のところせっぱ詰ってるんだから」
 本当に生死にかかわるんだ、とあの方は繰り返した。あさっての夕方まで、場所は開田かいでんの妙見堂と聞いて、わたくしはあの方と別れた。
 ――良人に相談するほかはない。
 二十両などというお金は、わたくし一人で作ることはできないし、おとうさまやおかあさまには話すにしのびない。良人ならわかってもらえるだろう、そのほかに手段はない、とわたくしは決心した。
 その夜、二人になってから話すつもりでいたが、こずえに乳をやっているとき、ふっと気がついた。だめだ、これが終りではない、初めに五両、こんどは二十両。おそらくあの方はまたねだるであろう。二十両の次に幾らねだるかはわからないが、そんなふうに金が取れる限り、あの方は決してここを去りはしない。二十両というお金は、むしろあの方をここへいすわらせるだけだ。
 ――ではどうしたらいいか。
 その夜は明けるまで、わたくしは殆んど眠れなかった。そうして明くる日もいちにち、考えられる限り考えたのち、これはやはり自分一人で始末をしよう、と思った。
 ――細貝家はこのままで幸福だ。
 こずえには乳母を雇えばいい。自分がいなくなっても、さして不自由なことはないだろう。この十年、自分は仕合せにくらした。薙町で育った十六年に比べれば、細貝での十年は一生にも当るくらいだ。こんな仕合せを与えてくれた両親や、良人や、子供たちを護るためなら、自分を捨てても惜しくはない、とわたくしは思った。
 それから約束の刻が来るまで、わたくしはある限りの自制力で心をしずめ、日常の事も、子供たちに対してさえも、ふだんと変ったようなそぶりは決してしなかった。そして刻限になって家を出るときは、小間使のいねにだけ「用達ようたしに」と断わり、おかあさまにも会わなかった。
 ふところには懐剣だけ入れていた。
 ――ふしぎなめぐりあわせだ。
 あの方のことになるとこの懐剣が出る。十年もしまったままだったのを、こうしてまた手にしなければならない。あの方が告白したように、あの方にはいつもこういうことが付いてまわるのだろう。もちろん、使わずに済むだろうが、とわたくしは思った。
 わたくしは命がけであの方を説き、いっしょにここを出てゆくつもりだった。もしそれがだめだったら、あの方を刺し止め、宮瀬川へ流したうえ、自分も身許みもとの知れないようにして死のう、と覚悟していた。――開田というのは、城下の西南から宮瀬川のほうへゆく新道で、町を出はずれると片側は丘、片側は田や畑が続いている。妙見堂は町はずれから五、六町いった山側にあるのだが、そのちょっと手前までいったとき、二人の男があらわれて、わたくしの前に立塞たちふさがった。
 あたりは黄昏たそがれていて、もやが立ち、道の上まで藪がおおいかかっているため、その人柄はよくわからないが、なり恰好や言葉つきは、明らかにやくざな人間と思われた。
「ごしんぞさん」と男の一人が云った、「済みませんがここはちょっと塞がっています、通れませんからどうか戻っておくんなさい」
 わたくしは恐れはしなかった、「用があってゆくのですが、どうしていけないんですか」
「ちょっとなかまの揉め事がありましてね」とべつの男が云った、「お素人しろと衆にはごらんにいれたくねえんで、なに、すぐに片づきますから、なんならいっときまをおいて」
 そのとき向うで叫び声が聞えた。
すず――」とその声は叫んだ、「助けてくれ」
 わたくしはよろめいた。男たちは勘ちがいをしたのだろう、両手をひろげて「だめだ」と云った。
「あんた方の見るものじゃあねえ、戻っておくんなさい」と男の一人が云った、「――わからねえんですか」
 わたくしは向き直って、もと来たほうへふらふらと歩きだした。するとまた一と声、きぬを裂くような声が聞えた。
すず――」
 わたくしはよろめき、道の脇へいって立ちすくんだ。そこは竹藪がかぶさっていて暗く、竹の枝に絡まった蔓草つるくさの先が、垂れかかってわたくしの顔に触った。
 ――野詰めにされる、命が危ない。
 あれは本当だった、あの方の云ったことは事実だったのだ、そう思いながら、うるさく顔に触る蔓草を払いのけたが、ふとその蔓草を見て、突然なにかで突き刺されるような痛みを胸の奥に感じ、知らぬまにわたくしは泣きだしていた。禍いは去った、これですっかり終った、という安堵感あんどかんと、あの方がいかにも哀れに思えたからである。
 わたくしはそのやぶからしの蔓に、片手をそっと触れながら、涙がほおをながれるのも知らずにいた。





底本:「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」新潮社
   1982(昭和57)年10月25日発行
初出:「週刊朝日増刊」朝日新聞社
   1959(昭和34)年7月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2021年4月27日作成
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