祝言の夜は雪になった。その数日間にあったこまかいことは殆んどおぼえていないが、
――ようやくおちつく場所ができた。
わたくしは綿帽子の中でそう思った。
――これが自分の生涯を託する家だ。
そのほかのことはなにも考えなかった。人にはおませな者とおくてな者がある、わたくしはおくての中でもおくてだったらしい。もう十六歳にもなっていたのに、結婚ということについてはなにも知らず、ただ自分の家ができたことと、化粧の間で会った
わたくしには家がなく、親もきょうだいもなかった。さとの
――これはわたくしの家ではない。
九歳の年の秋ごろから、わたくしはそんなことを考えるようになった。この父母も兄や姉たちも、みんな他人なのだ。
――本当の父母はよそにいる。
自分の本当の家もどこかよそにある。そんなふうに思いだしたのは、自分の身の上を知るまえのことで、決して自分だけが
常盤家は三百石ばかりの
細貝家へ
おとうさまは黙って、微笑しながらやさしく頷いただけである。おかあさまは
――これが本当のおとうさまとおかあさまだ。
祝言の席にいるあいだも、それから仲人夫妻に導かれて寝所へはいってからも、その感動の与えてくれるあたたかさと、やすらかにおちついた気分とで、わたくしはうっとりしていたように思う。寝所でもういちど盃ごとがあり、そのとき綿帽子をとって、初めてあの方と向き合ったが、これが
次の間へ立って、仲人の斎藤夫人に着替えを手伝ってもらい、白の
「朝のお召物はここに置きます」と斎藤夫人は
「はい」とわたくしは答えた。
斎藤夫人はわたくしの寝衣の
「お床入りのことは」と夫人はちょっと心配そうに云った、「わかっておいでですね」
わたくしは、お床入り、という言葉さえ知らなかったが、知らないままで「はい」と答えた。それから寝所へ戻ると、夫人はわたくしを夜具の中へ寝かし、解いた髪のぐあいを直してから、枕の下を押えて、ここにございますからね、と囁いた。
そのとき良人になる人はどこにいたのだろうか、斎藤夫人は夜具を囲うように
「寝ていていいよ」とあの方はこちらを見ずに云った、「勇気をつけるためにもう少し飲むんだ、おれの生涯で今夜ほど勇気の必要なときはないからな、うん」
わたくしは迷った。起きて給仕をしようか、寝たままでは失礼になりはしないか。あの方がそう
「私は生れ変るよ」とあの方は独り言のように云った、「私の
そしてあの方は、自分の苦しい立場と、どんなに苦しみ悩んで来たかについて、ながいこと語り続けた。わたくしはそれを聞きながら、この方は歌をうたっていらっしゃる、と思った。わたくしはそれまで、あの方のことはなにも知ってはいなかった。縁談がまとまったときに、初めて斎藤夫人から「ずいぶん道楽をなすった」ということを聞いたが、それがどんな意味をもっているのか理解できなかったし、べつに重要なことだとも感じなかった。
――あなたを妻に貰ってくれれば行状を改める、そう仰しゃっているそうです。
斎藤夫人は熱心にそう繰り返した。そのほかに望みはない、ただ常盤家のすずどのを貰ってくれさえすれば、と云い続けるばかりだそうです。あの方がどこでわたくしをごらんになり、どうしてそんなに
自分の不仕合せを訴えるあの方の声は、不仕合せを歌にしてたのしんでいるように聞えた。それは悔悟ではなく、悔悟を売りつけているようにしか感じられなかった。そうして、あのことが起こったのだ。
あるだけの酒を飲み終ると、あの方が夜具の中へはいって来た。枕が二つ並んでいるのだから、共寝をすることはわかっていた筈なのに、わたくしにはそれが不作法な、卑しいことのように思われ、夜具の中ですばやく躯をずらせた。それからあとのことは考えたくない。やがてわたくしはとび起きた。自分が殺されるのではないかと思い、全身の力であの方を突きのけながらとび起きて、畳の上へ逃げ、ふるえながら、乱れた衿や裾をかき合せた。
「どうしたんだ」とあの方は云った、「どうして逃げるんだ」
わたくしは
激しく喘ぎながら、わたくしは黙ってあの方をみつめた。あの方のはだかった胸の、どす黒いようなぶきみな肌に、
「どうする気だ」とあの方は
わたくしは両手で衿をひき緊めた。
そのとき、あの方の
「高慢なつらをするな」とひそめた声で叫びながら、あの方は平手でわたくしの頬を打った、「――この上品ぶったつらが、おれをなんだと思ってるんだ、なんだと思ってるんだ、来い、きさまはおれの女房なんだぞ」
あの方は手の平で打ち、手の甲で打った。そのたびに、わたくしの顔は左へ右へと揺れたけれど、痛いとは少しも思わなかった。
「女め、女め」あの方は喘ぎながら叫んだ、「女がどんなけだものかおれは知ってるんだ、上品ぶったってごまかされるものか、きさまは女だ、自分でよく見てみろ」
あの方はわたくしの手をもぎ放して、寝衣の衿を左右へひろげた。ついで乱暴にしごきをひきほどき、突いたり殴ったりしながら、わたくしを裸にした。わたくしはさからわなかった。やはり眼はつむったままで、裸の
「その胸を見ろ」とあの方は荒い息をつきながら、
あの方の眼が裸の全身を
「待っていろ」あの方は云った、「そのまま動かずに待っていろ、そのままでいるんだぞ」
よろめく足どりで、あの方は寝所を出ていった。
わたくしは眼をあいて、ぬがされた物を順に身に着け、しごきをしめた。そうしているうちに涙がこぼれてきた。悲しいとも、なさけないとも思わなかった。どんな感情もなしに、ただ涙がこぼれるのであった。まもなく、あの方は
「おれは生れ変ってみせる」とあの方は独り言のように云った、「おまえが妻になってくれればできる、私は弱い人間だ、私には支えになるものが必要なんだ、これで大丈夫、おまえが妻になってくれたことで、私はりっぱに立ち直ってみせるよ」
角樽がからになるまえに、あの方は正体もなく酔い、夜具へのめりかかって寝てしまった。
わたくしは夜の明けるまで、寝衣のまま畳の上に坐っていた。あの方に夜具を掛けてあげるときと、いちど手洗いに立ったほかは、坐った場所から少しも動かなかった。そのあいだなにを考えていたことだろう。いまでもかすかにおぼえているのは、あの方のどす黒い色をした胸、ひとかたまり毛の生えた、肋骨の段のあらわれた胸を、けんめいになって記憶から消し去ろうとしていたこと、もう一つは「死んでしまおう」と思いつめていたことだけである。
――死んでしまおう、そのほかにどうしようもない。
殆んど世間を知らず、十六といってもおくてのわたくしには、ただもうあの方が
裏のどこかで、車井戸の音が聞えた。わたくしはそっと立ちあがり、次の間へいって、斎藤夫人の
そのまま忍び出るつもりだったが、薙町の家とは違って構えも大きく、わたくしは来たばかりで、どこから出たらいいのか見当もつかなかった。およその勘だけで廊下を曲ってゆくと、若い女中が雨戸をあけてい、姑のさち女が庭を眺めていた。雪景色を見ていたらしいが、わたくしが気づくと同時に、ふっと振向いてわたくしを認め、びっくりしたようなお顔で、いそぎ足にこちらへ寄って来られた。
「まあ早いこと」とおかあさまが仰しゃった、「もうお起きなすったんですか」
細いきれいなお声と、劬りのこもったまなざしを見たとき、わたくしは夢中でおかあさまの胸にすがりつき、すがりついた手に力をいれて泣きだした。
「おかあさま」とわたくしは云った、「わたくしどう致しましょう」
「召使に見られます」おかあさまはわたくしの肩へ手をまわしながら仰しゃった、「ここではいけません、わたくしの部屋へゆきましょう」
おかあさまはわたくしをかかえるようにして、御自分の部屋へはいり、よく火のおこっている火鉢のそばへいっしょに坐った。
「ここならようございます、さあ、泣きたいだけお泣きなさい」そう云っておかあさまはわたくしの手を取られた、「――ただね、すずさん、これはあなた一人だけのことではないのよ、わたくしにもおぼえがあるし、女なら誰でもいちどは忍ばなければならない、生涯にいちどだけ、結婚する女はみんな、いちどはくぐらなければならない門のようなものなのよ」
わたくしはおかあさまの膝へ
――おかあさまは勘ちがいをしていらっしゃる。
わたくしはそう思った。ゆうべの経験と、おかあさまの話しぶりとで、女の本能といったふうなものがなにかを感じ取り、ゆうべのことと、おかあさまの考えていることとは違っている、そうではないのだ、と思ったけれども、それを口に出して云うちからはわたくしにはなかった。
「これからも心配なことやいやなことがあったら、遠慮なくわたくしにそう仰しゃい」とおかあさまは続けた、「わたくしには初めから、すずさんが本当の娘のように思えていたのよ、あなたもわたくしを実の母だと思って下さるかしら」
わたくしはおかあさまの膝を濡らしながら、声が出ないため、力いっぱいそのお膝にしがみついた。
その日は
こうして第二夜は無事に過ぎた。この藩では武家は里帰りをしない風習である。よし里帰りがゆるされていたとしても、わたくしは薙町へ帰る気持はなかった。こう云うと恩知らずで薄情のように聞えるかもしれないが、薙町の家族もわたくしの帰るのをよろこびはしない。それは
――今夜はどうなるだろう。
わたくしの頭はその心配でいっぱいだった。祝言の夜のほかは寝所をべつにしてよいというので、第三夜も自分の部屋で寝た。おかあさまはなにか勘づいたとみえ、あの方の寝間の支度を女中にさせたうえ、ねむかったら先におやすみ、と仰しゃった。その日もあの方は外出をして、夜になっても戻らず、わたくしはおそくまで、おかあさまのお部屋で話し更かした。
自分の部屋へ帰って、夜具の中へはいったのは十一時過ぎだったであろう。ゆうべとは違ってすっかり眼が
――どうぞ来てくれませんように。
わたくしはそう祈った。行燈が暗くしてあり、明るくしなければいけないと思いながら、もう立つことはできなかった。酔っているのだろう、あの方のよろめく足音がし、襖の辷る音が聞えた。わたくしは痛いほど強く懐剣を握り緊め、歯をくいしばった。
あの方の寝間は、わたくしの部屋と中廊下を隔てて向きあっていた。廊下を踏む足音が聞え、わたくしの部屋の襖があいた。わたくしは心臓が
あの方は立ったまま、唇を曲げて、わたくしをつくづくと見まもった。
懐剣は袋に入れたままである。袋から出さなければ、と思ったけれど、わたくしは身動きもせずに、あの方の眼を放さずみつめていた。あの方はふらふらと前へ出た。
「おい」とあの方は
わたくしは黙っていた。
「いまにその顔で泣くんだ」毒どくしいせせら笑いをして、わたくしの顔を
なにを云っているのか、わたくしにはわからなかったが、みだらな意味を持っているということは、おぼろげに察しがついた。
「いまにその味をおぼえさせてやる」とあの方は云った、「おれの、この手でな、おれは辛抱づよい人間だ、こう思ったら必ずやりとげてみせる、きっとだぞ」
そしてあの方は出ていった。
わたくしは耳をすまして、あの方が横になるけはいの聞えるまで、同じ身構えで坐っていた。もう大丈夫と思い、懐剣をそこへ置こうとしたが、あまり強く握っていたため、指の関節がすっかり硬ばってしまい、すぐには手をひらくことができなかった。躯にもひや汗をかいていて、肌衣の
――大丈夫、あの方はもう怖くはない。
わたくしはそう思った。卑しい人ではあるが恐ろしい人ではない、女の前でぐちを云ったり、口だけで強がったり、誓ってみせたりするような人は恐ろしくはない。女が男の性質をみぬく勘は、生れつきそなわったものだろうか、わたくしはそう思ってからすっかり心がおちつき、夜半あの方がはいって来ても、ひや汗をかくような恐怖心は起こらなくなった。あの方は夜半にしか来なかったし、わたくしは懐剣を膝の上に置いて坐り、なにを云われても返辞をせず、黙って、あの方の眼をまっすぐにみつめていた。ときには一刻以上も、くどいたり
祝言の日から約四十日、こんな生活が続いたが、三月下旬になって、あの方はおとうさまから勘当された。
詳しいことは聞かされなかったが、結婚してからも放蕩がやまず、諸方に借金を
――ああ、やっとさっぱりした。
わたくしはそう思った。あの方が出ていったことは、よそから来た泊り舟が、とも綱を切って去っていった、というくらいにしか思えなかったのである。数年のち、たぶん二十歳になったころであろうか、わたくしはそのときのことを思いだして、自分を恥じた。あの方が放蕩をやめなかったことも、ついには勘当
――私は弱い人間だ、私には支えになる者が必要だ。
あの方はそうまで云われたのに、自分は支えどころか、あの方を突き落すようなことをしたのである。そのうえ、別離のときも知らぬ顔で、両親にとりなすどころか、これでさっぱりした、などと考えたものだ。
――なんという悪い女だったろう。
わたくしは自分を恥じ、自分を責めた。けれどもまた、よくよく考え直してみると、そう思うのはむしろ
――いいえ、自分は悪い女ではなかった。
わたくしはあの夜半のことをよくおぼえている。あの方はわたくしをさんざんに打ち、わたくしを裸にして、女はけだものだと、繰り返し
――そうだ、あの方を立ち直らせることは誰にもできなかったにちがいない。
桃ノ木に桃ノ実がなるように、あの方にはあの方の実がなったのだ。誰が力を貸してあげたにしても、結局あの方は勘当放逐という
おとうさまおかあさまが、どんなに落胆し悲しがられたかは、およそ推察することができた。それは、お二人がわたくしに済まながって劬り、慰め、力づけて下さるというかたちで、決してあの方のことを哀れがるようなそぶりはみせなかったけれど、その慰めや劬りの中に、あの方のことを悲しみ嘆いていらっしゃるようすが、いたいたしいほどよく感じられるのであった。
「あんな者の嫁に来てもらって悪かった」とおとうさまは仰しゃった、「おまえはまだ若いし、これからいくらでも仕合せになれる、この償いはきっとしてあげるからね」
「堪忍しておくれすずさん」とおかあさまは泣きながら云われた、「あなたには済まないことをしました、本当に済まないと思います、どうかわたくしたちを堪忍しておくれ」
わたくしはおかあさまを抱いてあげた。そのときわたくしは、自分の内部にあたたかく力強いものが生れ、うっとりするほどの幸福感に満たされたのを、いまでも忘れることができない。
「お泣きにならないで」わたくしはおかあさまの背を撫でながら云った、「すずが一生おそばに付いていますからね、どうぞお泣きにならないで」
初めて化粧の間でお二人に会い、これが本当の父と母だ、と思ったときの感動が、なまなまと胸によみがえって来、これで本当の親子になれた、これから一生お二人に仕えてゆこうと、わたくしは心の中で自分に誓った。
細貝家の日常は少しも変らなかった。おとうさまは一日もお勤めを欠かさないし、わたくしをごらんになるときの、あたたかい微笑をうかべたお
あの方が去ってから約半年、九月になってまもなく、わたくしはおかあさまから離縁のことを相談された。
「お躯に変りはないようね」とおかあさまは初めに仰しゃった。
わたくしは漠然とではあるが、みごもる、ということだなと思い、「はい」と答えながら、顔が赤くなるのを感じた。
「それは不幸ちゅうの幸いでした」とおかあさまは仰しゃった、「あなたはまだ十六でいらっしゃるし、これからどんな良縁にも恵まれることでしょう、もちろんわたくしたちもこころがけますけれど、ここでいちど、おさとへお帰りになってはどうでしょうか」
わたくしは終りまで聞かずに、微笑しながらかぶりを振った。そんな話が出ようとは予想もしなかったが、聞き終るまでもなく、わたくしはきっぱりと云った。
「すずは細貝家の娘です、わたくしにはこの家のほかにさとなどはございません」
「それはそうですとも、けれど」
「いいえ」とわたくしはまたかぶりを振って云った、「おかあさまは初めから、わたくしを本当の娘のようにしか思えない、と仰しゃいました、そうしてわたくしにも、実の母親だと思うようにって、――わたくしも初めておめにかかったときすぐに、これが本当のおとうさまおかあさまだと思いましたし、いまでもその気持に変りはございません」
お気にいらないところがあるなら、叱って下されば直すし、一生おそばにいると誓ったこともお忘れではないと思う。どうか二度とそんなことは仰しゃらないで下さい、とわたくしはきつい調子で云った。
「この家にいては」とおかあさまはゆっくり仰しゃった、「
わたくしは黙っていた。
「でもあなたがそのおつもりなら」と云っておかあさまは
わたくしはおかあさまの眼をみつめながら頬笑んだ。おかあさまも微笑なすったが、すぐに顔をそむけながら、わたくしに見えないように、そっと眼を押えていらしったようだ。
それからまもなく、わたくしは鼓の稽古を始めた。おとうさまは
常盤家では日常の
十八になった年の春、わたくしはおかあさまに、養子を貰ってはどうかと云った。
「いいえ、いやです」わたくしは驚いてかぶりを振った、「わたくし、それだけは、はっきりお断わり致します」
おかあさまは眼をみはり、それから不審そうなお顔つきで、じっとわたくしをごらんになった。わたくしの口ぶりがあまりに激しかったので、なにかわけがある、とお思いになったのであろう。わたくしももうお話してもいいと思い、祝言の夜の
おかあさまにはまったく思いがけないことだったようで、暫くは眼をつむったまま、なにも云うことができない、というふうにみえた。
「そうだったの」とやがておかあさまは深い
「娘のままではございませんわ、玄二郎さまと祝言をしたのですし」
「いいえ」おかあさまは
なにが「おかしい」のかわからなかったが、わたくしも赤くなりながら笑った。
数日のちの或る夜、わたくしはおとうさまの居間へ呼ばれた。おかあさまもごいっしょで、話は婿縁組のことであった。
「おまえは私たちの娘だ」とおとうさまは云われた、「私たちのことを実の父母だと、自分で云った筈ではないか、そうだろう」
「はい」とわたくしは頷いた。
「私たちもおまえを実の娘だと思っているし、実の娘に婿を取るのは当然ではないか」とおとうさまは珍しく強い調子で仰しゃった、「人間には好き嫌いがあるから、いちがいに押しつけるつもりはないが、私は自分の跡継ぎとしても、またおまえの良人としてもわるくない男だと思う、二、三日うちに招くから、ともかく自分の眼で見てみるがいい」
そして、その男も謡が好きなのだ、と云ってお笑いになった。
中三日おいて、佐波久弥さまが夕餉に招かれて来た。その日おかあさまは、わたくしに掛りきりで、風呂へもいっしょにはいり、髪結いや化粧や、着つけが終るまでそばをはなれず、うるさいほどあれこれと注文を付けた。わたくしはお給仕をする筈なので、振袖では困ると云ったけれども、おかあさまは聞こうともなさらず、わたくしを飾れるだけ飾ろうときめていらっしゃるようすが、殆んどいじらしいほどしんけんにみえた。
久弥さまは佐波
お二人はまえから親しくしていたとみえ、共通の話題を興ありげに話し続けた。どちらもお口べただし、言葉数も少ないが、お互いの気持はよく通じあうようすで、片方がなにか云いかけると、聞き終らないうちに片方が笑いだす、といったようなことが、三度や五たびではなかった。
「ときに、腹ごなしでもやるか」
良人は「笑われましょうか」と答えた。
わたくしの鼓はいっこうに進まないので、初めての方に聞かれるのは辛い筈であるが、そのときは恥ずかしさも思わず、すなおにその支度をした。正直に云うと、良人の相手をすることに、うれしいような胸のときめきさえ感じたとおぼえている。おとうさまがしてとつれ、良人がわきとともをうたった。それはいいけれども、良人もまたおとうさまと似たりよったりで、うたい初めの「
「今夜は喉のぐあいが悪い」とおとうさまは仰しゃった、「これくらいにしておこうか」
「このくらいにしておきましょう」と良人も笑いながら云った、「――母に云わせますと、私の声はふかしぎな声だそうで、私が謡をうたいますと、一町四方の犬が全部いなくなってしまうそうです」
そんなことはあるまい、と云いながらおとうさまがまた笑いだし、おかあさまもわたくしも、がまんできずに笑ってしまった。
――おとうさまはこの方を好いていらっしゃる。
わたくしは笑いながら、心の中でそう
――自分もこの方となら一生をともにしてもいい。
縁談はきまり、三月七日に祝言をした。縁談がきまったとき、おかあさまから
祝言の夜、寝所へはいると、あのときの記憶がよみがえったのであろう。おかあさまからうかがって、よく承知していたにもかかわらず、わたくしはまた恐怖におそわれ、躯のふるえを止めることができなかった。
「心配しなくともいい、このまま寝よう」と良人は低い声で
わたくしは息をひそめた。
「今夜だけはやむを得ないが、明日の晩からは寝所をべつにできるからね」と良人はまた云った、「お互いの気持がとけあうまで、むりなことはしないようにしよう」
わたくしは「はい」と答えたが、声にはならなかった。胸いっぱいに温かい湯が満ちあふれるようなあまやかなおもいに包まれ、両手でそっと眼を押えた。
――じつは私も少し怖いんだ。
良人のその言葉を、わたくしは一生忘れることはないだろうと思う。
わたくしの眼は正しかった。おとうさまの選択が正しかったというべきだろうが、わたくしは初めて会ったときの、自分の勘に狂いのなかったことを誇りたいと思う。
良人がどんなに好ましい人かということを数えるより、欠点だとみえることをあげるほうが早い。これは初めに感じたことだが、立ち居の動作が、じれったいほどのろい。いまではそれも、おちついたたのもしいものになったが、そのころのわたくしには少しじれったく思えた。次は口数の少ないこと、また、生来おもいやりの深い性分なのだろうが、家士や召使たちにまで気をくばること、などであった。――わたくしが初めての子、松之助を産んでからまもなくのことであるが、小間使のとめが掃除をしていて、おとうさまが大事にしていらしった壺を
「よしよし、父上には私があやまる」良人はとめに云った、「おまえは心配しなくともいいから黙っておいで」
わたくしはとめからそのことを聞いて、「それでいいだろう」とは答えたが、心の中では納得しなかった。
――あやまちはあやまちである。
とめの過失はとめの責任であるし、その責任を負うことが躾けというものではないか。たとえ劬りにもせよ、事実をごまかすのは正しいことではない、とわたくしは思った。これも数年のちには、自分の考えかたがかたくなであり、人間同志の愛情や信頼感を高めるには、良人のようでなくてはならない、と思い当るようになったのだけれど。
松之助が生れてまもなく、おとうさまの職はそのままで、良人が書院番にあげられた。重職がたがまえから眼をつけていたそうで、おとうさまのよろこびは大きかった。口に出してはなにも仰しゃらなかったが、ごようすにはよくあらわれていて、細貝家の日常はいっそう明るく、活気に満ちてゆくようであった。まえにもちょっと触れたと思うが、いまでもおとうさまと良人は、ときどきわたくしの鼓で謡をおうたいになる。もうお二人とも
二人めのこずえが生れたとき、わたくしは二十五歳、松之助は四歳になっていた。こずえは女のくせに大きな児で、お産はちょっと重かったが、あとの
その年の六月、梅雨あけの晴れた日の午後に、わたくしはこずえを宮参りに
茶店とはいっても掛け茶屋でない。座敷が四つ五つもあるし、簡単な酒食もできる。座敷は丘の端に南面していて、斜面の松林のかなたに、城下町の一部がひらけて見える。いねはこずえを抱いて、裏庭へおりてゆき、わたくしは
「思いだせないかね」と男は云った、「おめえの亭主だぜ」
「道で二、三度もすれちがったんだが、わからなかったらしいな」と男は云った、「
わたくしは口がきけなかった。
「子守りが戻って来るようだな」と男は云った、「――済まねえが明日、ここへ五両持って来てくれ、時刻はいまじぶんがいいだろう、待っているぜ」
そしてすばやく、わたくしの返辞も待たずに、元の座敷から去っていった。
宮参りを済ませて、家へ帰る途中も、帰ってから夕餉の支度をするあいだも、わたくしの頭はすっかり混乱して、どうしても考えをまとめることができなかった。
――あの方が戻って来た。
――五両持ってゆかなければならない。
いなずまの
武家の勝手は表向きと反対に、どこでもぎりぎりいっぱいなものだ。ことに細貝家はお
――これは自分だけで始末しなければならないことだ。
わたくしはそう思った。
翌日の午すぎ、久しぶりに鼓の手直しをしてもらうからと、おかあさまに断わって家を出、まわり道をして八幡社の丘の茶店へいった。
わたくしがはいってゆくと、その店の主婦らしい人が、お待ち合せですかと
「一つどうだ」とあの方が云った、「十年ぶりだぜ、一つくらいつきあってもいいだろう」
「それより申上げたいことがございます」とわたくしは云った、「ここに仰しゃっただけの物を持って来ました、これはお渡し致しますから、どうかこの土地にいらっしゃらないで下さいまし」
「それはむずかしいな、そいつはむずかしいよ」とあの方は飲みながら云った、「ずいぶんほうぼう食い詰めて、ようやく生れ故郷へ帰って来たんだが、ここでもちょっと
「ときに」あの方はすぐに続けた、「昨日の子が二人めなんだね、丈夫そうな可愛い赤んぼじゃないか、おれのあとに来た亭主もいい人間らしいし、さぞ仕合せなこったろうね」
「ひとこと申上げますけれど」
「いや、話すのはおれの番だ」とあの方は首を振った、「おまえは
「いつかいちど」とあの方は大きな物で酒を
「そんな話はうかがいたくありません」
「おっと、立っちゃあいけねえ、おれを怒らせちゃあいけねえ、坐ってくんな」あの方の眼が白くなり、歯がむき出された、「――おらあざんげをするんだぜ、あの晩のことは済まなかった、本当に済まなかった、と思ってる、ほんとうだぜ」
どうしたらいいだろう、わたくしはいたたまれなかった。こんなところにながいをしていてはいけない、早く出てゆかなければならない、と思いながら、でもこのまま出てゆけば、あの方がなにをするかもしれない。出てゆくならはっきりきまりをつけてからだ、とも考えたりした。そんなことを思い惑っているうちに、ふと気がつくと、あの方の話している調子が、いつのまにかすっかり変っていた。
「六つか七つぐらいのときだ」とあの方は続けていた、「庭で遊んでいると、当時いた源次というとしよりの下男が、
あの方はぐらっと頭を垂れた。
そのことはすぐに忘れた、とあの方は語り続けた。しかし十二、三になって、自分が誰にも好かれず、親たちからは叱られてばかりいることに気づいたとき、ふと源次の言葉を思いだして、自分はやぶからしのようなものかもしれない、と悲しく思った。
「おれは小さいじぶんから、なにか物をやらなければ遊び相手が付かなかった、菓子をやって遊び相手を呼んでも、喰べ終ればさっさといってしまう、おれはぽかんとして、それから自分が恥ずかしくなる、そんなことをして友達を求めるなんて、あさましい、卑しいことだ、もうよそうと、固く自分に誓うが、淋しくなるとついまたやらずにはいられない」
恥ずかしく卑しいことだ、という気持があるためだろう。遊んでいるうちに気が立ってきて乱暴をし、相手にけがをさせたようなことも三度や五たびではない。放蕩を始めたのは十八くらいのころであったが、そのきっかけも友達やなかまが欲しいからで、自分で心からたのしんだことはいちどもなかった。金のあるあいだは女たちもあいそがいいし、なかまも取巻いて騒いでくれる。だが、金がなくなると同時に、どっちもあっさりとそっぽを向き、道で出会っても眼をそむける、というふうであった。
「小さいじぶんと同じことだ、おれはいつもあとで自分を恥じる、自分のいやらしさ、卑しさが恥ずかしくて、どこかへ逃げだしたくなってしまう」
おまえを嫁に貰ったとき、おれは本心から生れ変るつもりだった、とあの方は語り続けた。こんどこそそのつもりだった。けれども、放蕩こそしたが女をよく知っていなかった。僅かに知っているのは
「あのとき――」と云って、あの方はちょっと口ごもってから、続けた、「あのときおまえを殴ったのは、おれ自身を殴ったんだと思う、おまえの顔にあらわれたさげすみの色を見たとき、おれは自分の卑しさあさましさに逆上し、自分を自分でしめ殺したくなった、いまになって云いわけをいうと思わないでくれ、これがあの晩のおれの、本当の気持だったんだ」
あの方が手を叩くと、中年の女中が酒を持って来た。わたくしはあの方の告白を、すなおに聞いた。あの方の話しぶりに、しんじつが感じられたからである。けれども、姿勢を崩さなかったのは、わたくしになにか勘がはたらいたのであろう。あの方はなお暫く、ざんげめいた告白を続け、それから急に眼をほそめて、訴えるような、
「あさっての夕方まででいい、なんとかして二十両持って来てくれ」とあの方は低い声で云った、「――さっきちょっと云ったが、この土地のやくざと揉め事を起こした、二十両あればおさまりがつくし、おさまりがつけばおれはこの土地を出てゆく、そうすればおまえも安心だろう」
「おれはな」とあの方はもっと声をひそめた、「江戸で人をあやめたんだ、それでこっちへぬけて来たんだが、こっちでも間違いができちまった、ここで二十両の都合がつかねえと野詰めになる、そうすれば、細貝の名も出ずにはいねえ、――おれだって死ぬか生きるかというどたん場になれば、やっぱり死にたかあねえからな、そうなれば細貝の名を出すほかに助かるみちはねえんだから、わかるだろう、すず」
わたくしは肌へ氷を当てられたようにぞっとした。すずと呼ばれたからでもあるが、「家名を出す」ということの恐ろしさと、それが単純な威しではないということを直感したからである。わたくしは仕合せであった。
細貝家は平安で明るく、幸福そのものといってもよい。あの方はそれを知っている、そんなにもおちぶれ、人を殺傷し、ここでも窮地に追い込まれているようだ。
――いざとなれば、どんなことでもするだろう。
たとえ除籍してあっても、細貝家の一人息子だったことに変りはない。いまどんな騒ぎに巻きこまれているか知らないが、そのほかに助かる方法がないとすれば、この人はきっと、細貝八郎兵衛の子だ、と名のるにちがいない。昔から自己中心の人であった。これは決して、ただの威しではない、わたくしはそう思った。
「念のためにうかがいますけれど」とわたくしは声のふるえるのをこらえながら
「おれが口でどう云ったって、たぶん信用はしねえだろうが」とあの方はいやな笑いをうかべた、「この難場を
本当に生死にかかわるんだ、とあの方は繰り返した。あさっての夕方まで、場所は
――良人に相談するほかはない。
二十両などというお金は、わたくし一人で作ることはできないし、おとうさまやおかあさまには話すにしのびない。良人ならわかってもらえるだろう、そのほかに手段はない、とわたくしは決心した。
その夜、二人になってから話すつもりでいたが、こずえに乳をやっているとき、ふっと気がついた。だめだ、これが終りではない、初めに五両、こんどは二十両。おそらくあの方はまたねだるであろう。二十両の次に幾らねだるかはわからないが、そんなふうに金が取れる限り、あの方は決してここを去りはしない。二十両というお金は、むしろあの方をここへい
――ではどうしたらいいか。
その夜は明けるまで、わたくしは殆んど眠れなかった。そうして明くる日もいちにち、考えられる限り考えたのち、これはやはり自分一人で始末をしよう、と思った。
――細貝家はこのままで幸福だ。
こずえには乳母を雇えばいい。自分がいなくなっても、さして不自由なことはないだろう。この十年、自分は仕合せにくらした。薙町で育った十六年に比べれば、細貝での十年は一生にも当るくらいだ。こんな仕合せを与えてくれた両親や、良人や、子供たちを護るためなら、自分を捨てても惜しくはない、とわたくしは思った。
それから約束の刻が来るまで、わたくしはある限りの自制力で心をしずめ、日常の事も、子供たちに対してさえも、ふだんと変ったようなそぶりは決してしなかった。そして刻限になって家を出るときは、小間使のいねにだけ「
ふところには懐剣だけ入れていた。
――ふしぎなめぐりあわせだ。
あの方のことになるとこの懐剣が出る。十年もしまったままだったのを、こうしてまた手にしなければならない。あの方が告白したように、あの方にはいつもこういうことが付いてまわるのだろう。もちろん、使わずに済むだろうが、とわたくしは思った。
わたくしは命がけであの方を説き、いっしょにここを出てゆくつもりだった。もしそれがだめだったら、あの方を刺し止め、宮瀬川へ流したうえ、自分も
あたりは
「ごしんぞさん」と男の一人が云った、「済みませんがここはちょっと塞がっています、通れませんからどうか戻っておくんなさい」
わたくしは恐れはしなかった、「用があってゆくのですが、どうしていけないんですか」
「ちょっとなかまの揉め事がありましてね」とべつの男が云った、「お
そのとき向うで叫び声が聞えた。
「すず――」とその声は叫んだ、「助けてくれ」
わたくしはよろめいた。男たちは勘ちがいをしたのだろう、両手をひろげて「だめだ」と云った。
「あんた方の見るものじゃあねえ、戻っておくんなさい」と男の一人が云った、「――わからねえんですか」
わたくしは向き直って、もと来たほうへふらふらと歩きだした。するとまた一と声、
「すず――」
わたくしはよろめき、道の脇へいって立ちすくんだ。そこは竹藪がかぶさっていて暗く、竹の枝に絡まった
――野詰めにされる、命が危ない。
あれは本当だった、あの方の云ったことは事実だったのだ、そう思いながら、うるさく顔に触る蔓草を払いのけたが、ふとその蔓草を見て、突然なにかで突き刺されるような痛みを胸の奥に感じ、知らぬまにわたくしは泣きだしていた。禍いは去った、これですっかり終った、という
わたくしはそのやぶからしの蔓に、片手をそっと触れながら、涙が