ゆだん大敵

山本周五郎





 老田久之助が殿の御秘蔵人だということは、長岡藩で知らぬ者はなかった。
 本当の姓は郷田というのだが、それを老田と呼ぶところにもそのあらわれがある、つまり藩主の牧野忠辰は幼名を老之助といった、その幼名の一字を与えて、「そのほう一代に限り老田となのれ」という下命があって、それ以来そう呼ぶようになったのである。
 ……忠辰は飛騨守ひだのかみ忠成の子で、七歳のとき母に亡くなられ、また間もなく父にも死別したので、十歳という幼い身で家を継いだ。大叔父に当る牧野忠清が後見となり、老臣たちが補佐をして藩政をみること五年、延宝七年十二月には十五歳で従五位下の駿河守するがのかみに任官し、みずから七万四千石の政治の中枢に坐った。それもかたちだけではなく、実際に自分で政治を執ったもののようだ。
 家伝によると忠辰は牧野家の中興と称されるほどで、生れつき頴悟聡明えいごそうめいだったし、老臣にも稲垣平助、山本勘右衛門、牧野頼母之助などという誠忠の士がいて師傅しふの役をつとめたから、天成の質が磨かれてはやくその光彩を発揮しだしたのであろう。
 十七歳で高田城請取という大役を幕府から命ぜられた時など、世人をおどろかすような機知と胆力をみせている。文治にも武治にも、生涯に遺した功績は大きく、他の模範となったものも少なくない。
 ……だがここでは忠辰を語るのが目的ではないから、われわれの主人公へ筆をもどすとしよう。
 久之助は郷田権之助という者の三男で、七歳のとき幼君(即ち忠辰)のお相手に御殿へ上った。いっしょに五人ほど上ったが、初めから久之助が特にお気にいりで、なにをするにもかれ無しでは済まず、またかれの云うことなら大抵は用いられるという風だった。
 しかしいちどだけこういうことがある、ある時なにを思いついてか、お相手の一人に向って、「犬になれ」と云いだした。その少年はいやですと答えた。
「おれがなれと云うのだ、なれ」
「厭でございます、犬にはなりません」
 押し問答をしていると、久之助が忠辰に向ってそれは若君が御無理だと云った。
「そんな真似をしたら、某はこれからさき御奉公がならなくなります」
 そこにはお相手の少年たちがいたし、いちばん好きな久之助にそう面詰されたので、忠辰は怒って久之助に組付いた、そしてかれをそこへじ伏せてこぶしで打った。久之助は避けもせずに打たれながら、
「若君が御無理だ、某が仰せにそむいたのはもっともです、さむらいに向って犬になれとおっしゃる法はない」
 忠辰にだけ聞えるほどの声で、ゆっくりとそう云い続けた。
 誰かが知らせたのだろう、そこへお守り役の老臣で稲垣浅之助という老人が走せつけて来た。忠辰はすばやくはね起きた、久之助もやおら立上りながら、いきなり大きな声で、
「まいった、まいった」と叫んだ。
 するとかれの鼻からたくたくと衂血はなぢが流れだした。
「なにを御乱暴あそばすか」
 駆けつけて来た老臣がそう叱りかけると、久之助は両手で鼻を押えながら云った。
「相撲のお相手をしていたのです、乱暴をなすったのではありません、相撲を取ってわたくしが負けたのです」
 忠辰はあかくなった顔を俯向うつむけて黙っていたが、老臣が去ると少年たちに、
「おまえたちは向うへゆけ」
 と云って遠ざけ、懐紙を出して久之助の衂血を拭いてやった。
 久之助の眼からぽろぽろとなみだがこぼれ落ちた。忠辰の頬にも泪のすじができた、どちらも黙っていたが、心の糸とでもいいたいようなものがそのとき堅く結びついたのを、どちらもずっと後まで忘れることができなかった。
 郷田権之助はわが子が特に寵愛ちょうあいされるということを好まなかった、かれはしばしば久之助に云った。
「ぬきんでてお気にいるということは正しい奉公ではない、そういう者はとかく同輩のそねみの因ともなり、寵をおのれに取ろうとしてあらぬ競争心を誘いやすい。さむらいとしては殿に苦い顔をおさせ申すように心がけなくてはならぬぞ」
 久之助はそうするようにつとめた、お気にいるようになどと執りまわったことはない、それはわかっているが、それだけにかえって親としては不安心だったのである。
 忠辰が駿河守に任官した年、権之助はわが子を、御側近から離す決心をした、そして老臣を通じて忠辰に上申し、久之助を江戸から国詰にと移して貰った、そのときかれは忠辰と同年の十五歳であった。


 江戸を去るときいとま乞いに伺候すると、忠辰はきげんの悪い顔をしていた。
 賢い性質だからなにも口にはださなかったが、不本意だという心持がよく眼にあらわれていた。
「なにか予においてゆくものはないか」
 忠辰はそう云う表現で僅かに惜別の意を示した。
「お上は殊のほか蜜柑みかんをお好みなされます」
 久之助はそう答えた。
「……ほかにも二三、特に御好物な品がおありだと存じますが、向後はそういうものをお嫌いあそばすよう、これだけをお名残りに言上いたします」
「好きなものを嫌いになれと云うのか」
「先日ふと見ました書にこういう言葉がございました、賢を尚ばざれば民をして争わざらしむ、得難きの貨を貴ばざれば民をして盗を為さざらしむ、欲すべきを見せざれば心をして乱れざらしむ。……お上の特に御好物なものは、得難きものほどこれを奉って御意にかなおうとする争心を起させます。同様に人を偏してお用いあそばすことも、家中に争心を起す因かと存じます」
「いまの言葉はなんの書から引いたのか」
「はあ、老子経だったかと存じます」
「老子は異端といわれている、そのほう老子など読んでは悪かろう」
「毒薬もみ方しだいと申しますから」
 忠辰はにっと笑いながらうなずいた。それではこんど会うまでに自分も老子を読んでやるぞ、という意味である、朱子一点ばりの儒臣の眼をかすめて、忠辰が古学や陽明を知ったのもこの手であった。
 久之助は退出するとき、
「蜜柑のことは覚えて置く」という言葉を貰った。
 長岡へ移ってからの久之助は、藩士で後に忠辰の侍読となった小出経之についてひじょうによく学んだ。
 それから原田義平太という老人を師に三留流の刀法を修業したが、義平太から手すじの良さを認められ、三年ほど経つと代稽古さえするようになった。
「なんの道にも天成の才というものがある、そこもとの刀法がそれだ、学んで得られないもの、教えて教えられぬものをそこもとはもっている、当藩の三留流は自分一代で終るつもりだが、秘奥とされているものはそこもとに伝えよう」
 そう云って義平太はおのれの会得したものを懇切に伝授した。
 ……忠辰が帰国すればお側去らずだし、学問でも武芸でも群をぬくし、挙措は慇懃いんぎんで謙虚だし、数年間は一藩の嘱望と好意が久之助ひとりに集ったようだった、しかしそれはかれが二十一二歳までのことで、それ以後はしだいに性格が変っていった。
 同藩の士に、鬼頭図書という者がいた。類のない偏屈人で、
「おれには尋常な御奉公はできないから」
 と云い、若いときから城の内外の草取りを役目に乞い、そのほかにはどんな役にも就かなかった。あるとき某という者が、
「七万石の御家に二百石の草取りは勿体もったいないことだ」と云った。
 図書はすぐに某の住居へいって、
「……草取りをしようと下肥をもうと、御奉公の一念に誤りがなければよい筈だ、家禄かろく二百石は鬼頭の家に下さるもので、草取りをする図書に賜わるものではないぞ」と呶鳴どなりつけた。
 ふだん余り口数はきかないが、云う段になると遠慮会釈がなかった、たとえ相手が老臣だろうと足軽だろうとあたり構わず呶鳴りつける、しぜん親しく往来する者もなく、五十歳を越すのにめとらず、いとまがあれば二人の家僕と田を耕したり畑を作ったりして、徹底して簡素な生活を送っていた。
 家禄は二百石余りだったが、どういうわけか常に貧窮で、着衣はいつも継ぎはぎだらけだし、手作りの草鞋わらじのほかに穿物はきものというものを用いず、食事は年じゅう稗飯ひえめしに菜汁というありさまだった。
 ……久之助は図書のうわさを聞いて心をかれた。会えばなにか得るものがありそうに思え、訪ねてゆこうと考えながら、しかしよい折もなく年を過していた。するとある年の夏、下城しようとして二ノ曲輪をさがって来ると、うしろから誰かに呼びとめられた。
 ふり返ってみると山のように草束を背負った中老の男が追って来る、炎天に笠も冠らず、日に焦けたくろたくましい顔は、流れるような汗だった。
「そこもとは老田久之助というか」
 ひどく横柄にそうたずねた。それからふんふんと鼻を鳴らしながら、こちらをじろじろ見上げ見下ろして、
「わしは鬼頭図書という者だ」
 とぶっきらぼうに云った。
「……そこもとが訊ねて来るだろうと思って待っているが来ない、わしに会う必要はないのか」
 そして山のような刈草の束を負って、さっさと外曲輪のほうへ去っていった。


 久之助がいちど訪ねたいと思っていたのは事実である、図書もまた来るのを待っていたという、いかなる意味にもせよ、「待っていた」という言葉には心をうたれた。その夜すぐに、久之助は図書の住居をおとずれた。
 ……家には三つの部屋しかなかった、むろん雨戸はないし、どの部屋も板敷で畳というものがまるで無い、暗くてよくはわからないが床間の鎧櫃よろいびつ長押なげしの槍、そして一脚の小さな古机、それが眼につく道具の全部らしい、簡素なくらしだとは聞いていたが、むしろ荒涼といいたいほど殺風景である、板敷の上へわらで編んだ円蓙えんざを置いて、燈火もいれず宵闇のなかに主客は対座した。
「もう間もなく月が昇るだろう」
 図書はそう云って拳で額の汗を拭いた。
「……あかしが無くとも話は聞える、まず、よく来てれた」
「かねていちど参上するつもりでいたのですが、つい今までその折がなかったものですから」
「それならそう思ったときすぐに来るがよい。人間の命は明日を待たぬぞ」
 そのひと言は異様な響きをもっていた。そして久之助がはっとしたように眼をあげると、図書はその面を射るようにねめつけた。
「……そこもとは殿の御秘蔵人と云われている。よほどのお気にいりと聞いたが、いったいどのような性根で御奉公をしておるか、いやそれより、さむらいの御奉公とはどのようなものか存じておるか」
「さむらいの御奉公とは、一身一命をささげるところから始ると存じます」
「それはどこで終るのだ」
「終りはございません」
「人間は死ぬぞ、死んで奉公ができるか」
「いちど御しゅくんに奉った身命は、たとえ死んでもおのれに戻る道理はございません、すなわち初めはあるが終りはないと信じます」
 暗がりのなかで図書はそっと頷いた、けれどすぐ追っかけて、それではそこもとはいつなんどきでも身命を捧げられるかと問い継いだ。
「云うだけならどのようにも云える、実際にそれを活かしているかどうか」
「それは口ではお返辞の致しようがありません」
「方法はある」
 図書はそう云って立った。
「……刀を持って庭へ来られい」
 さっさと出てゆく図書の後から、久之助も大剣を右手に持って庭へ下りた。十七夜の月は昇ったが、まだ光りが鈍いので庭の内はおどろに暗い、図書はふり返って月を見たが、そのまましずかに刀を抜いた、厚がさねの長い刀だった。
「武士の性根は剣にあらわれる、身命を捧げたというそこもとの性根を拝見しよう」
「ここでお相手をするのですか」
「そこもとがまことにお役に立つ人間とわかれば、わしは斬られて死んでも本望だ、その代りそこもとが君寵をぬす似而非えせ武士とわかれば斬る」
 図書の声には殺気があった。
「……ここで死ぬものと覚悟をして抜け、いざ」
 久之助はじっと図書のようすを見た、それから下緒を外してたすきをかけ、はかま股立ももだちをとって、しずかに大剣を抜いた。図書もまたそのようすを見まもっていたが、なにか思い出したとみえ、
「待て待て、立合いは明日にしよう」と云いだした。
「……そこもとにも始末すべきことがあろう、人に見られてはならぬ文書、仕残した用、片付けなければならぬ物もあるだろう、今宵その始末をして来られい」
 まじめだった。それではどちらか一人は死ぬ覚悟というのはおどしではないのだ、まさかと思っていた久之助はにわかに身がひき緊るのを感じた。
 決して他言はせぬという約束を交わし、時刻をうちあわせて家へ帰ると、久之助はすぐに身のまわりの始末にかかった、常づね注意しているつもりだったが、いざ片付ける段になると案外に暇どって、終ったのはもう夜半の二時を過ぎていた。
 ――これで死んでも悔いはない、そう思ってひと眠りし、まだ寝足りないようだったが、井戸端へ出て頭からざぶざぶ水を浴びた。
 定めの時刻にゆくと、図書は泥まみれの妙な恰好をしていた。
「いま田の草を取って来たところでな」そう云って笑い、「すぐ支度をして来るから」
 と家の中へ去ったが、ややしばらくすると着替えて出て来た。
「すっかり片付けて来られたか」
「はい残りなく始末をしてまいりました」
「そうか、ではこちらへ通るがよい」
「すぐお相手をしたいと存じますが」
「なにもう立合う必要はない」
 図書はむぞうさにそう云った、
「……ゆうべ話し残したこともある、今日はゆっくりして飯でもべてゆくがよい、馳走をするぞ」
 久之助は拍子ぬけのした感じで、図書のあとから部屋へ通り、例の固い円蓙の上に坐った。庭はずれの樹立で油蝉がやかましく鳴きたてていた。


「一身一命を捧げると口では易く云う」
 図書はちからのある声で云った、
「……御しゅくんのため、藩国のためにはいつなんどきでも死ぬ覚悟だ、口では誰もそう云うが、家常茶飯かじょうさはん、事実のうえでその覚悟を活かすことはむずかしい。昨夜そこもとは身命を上に捧げたといった、その言葉に嘘はないだろう、覚悟もたしかなものに違いない。だが実際にはその覚悟を活かしていなかった、……他人に指摘されて、急いで始末をしなければならぬような物を、身のまわりにめて置いた、死後に発見されては身の恥になるような物をさえ始末もせず、ただ覚悟だけいつ死んでもよいと決めたところでから念仏にすぎない、そうではないか」
 久之助は低く頭を垂れた、全身の毛穴から一時に冷汗がふき出る感じだった、たとえば蛙がくるっと皮をかれたように、皮膚をひきがれて裸肉をさらされたような気持でさえあった。
「いま庭さきで、すぐ相手をしようとそこもとは云った、身のまわりをきれいに始末して、もう死んでも悔いはないという気持であろう、……それではじめて、『いつなんどきでも身命を捧げる』ということができるのだ。さむらいの鍛錬は家常茶飯のうちにある、拭き掃除、はしの上げ下ろし、火桶ひおけへの炭のつぎ方、寝ざま起きよう、日常瑣末さまつな事のなかに性根の鍛錬があるのだ、そしてその瑣末な事にゆだんがなければ、改めて覚悟せずとも奉公の大事をあやまることはないのだ」
 一語一語を鋭いのみで心臓へ彫りつけられるような感じだった。久之助は頭を垂れ、両手でぎゅっと汗を握っていた。
 ……昼にはかねて聞いていた稗飯と菜汁の食事が出た、菜汁の中には大きな泥鰌どじょうがはいっていて、おそらくそれが「馳走」というのであろう、図書はそれをうまそうに頭からばりばりと喰べた。
 久之助には稗飯というのがそもそも難物に思えたし、拇指おやゆびほどもある泥鰌のまるかじりはさらに閉口だった。けれども喰べてみると稗飯は香ばしくてうまいし、味噌あじのしみた泥鰌の溶けるような肉味や、み砕く骨の荒々しさもなかなか悪くはなかった。
 しかもぜんたいに云いようのない豊かな感じがあふれている、材料が粗末なだけ、それを大切に活かすつつましい心がこもっていて、どんな珍羞ちんしゅうも及ばない豊かな深い味を創りだしているようだ。――そうだ、これが食事というものだ。
 汁椀の中の青々とした夏菜を見ながら、久之助は心からそううなずいた。
「これから折々お訪ね申したいと存じますが、お許し下さいましょうか」
 食事のあとでそうくと、図書はにべもなく無用だと答え、節高な太い指の、大きな手を振った。
「もう会う必要はない」
 そして大きな眼でぎろりとにらんだ。
 久之助はその頃から性格が変りはじめた、はじめは周囲の者も気づかなかったが、なんとなく俊秀なところがぼやけ、挙措もしだいに精彩を失ってゆくので、――やっぱり二十で凡人の例か、とひとしきり蔭口が弘まった、しかしそれさえほんの僅かな期間で、暫くするとそんな蔭口さえ立たない平凡な存在になってしまった。
 かれが二十三歳になったとき、しゅくん忠辰の申付けで、刀法修業のため江戸の柳生家へ入門した。忠辰が小野次郎右衛門についてまなんだので、久之助には柳生を選んだのである。これを忠辰に推挙したのは原田義平太であった。
 ……柳生家はそのとき対馬守宗在の代だった。宗在は飛騨守宗冬の二男で、長男宗春が世を早めたため家督を継いだが、かれ自身もあまり健康には恵まれなかったようだ。しかし父祖同様、将軍家宣に刀法を教授するほどだから、その道に達していたことは記すまでもないと思う。
 ……忠辰から特に頼まれてもいたし、自分の眼にもなかなか非凡な人がらにみえるので、宗在はそれとなく久之助のようすに注意を怠らなかったけれども、日が経つにつれて、非凡とみた自分の眼が疑わしくなってきた。入門して一年というものは、自ら求めて拭き掃除をしたり、くりやへおりて薪を割り、かまの下をき、水を汲むなどということばかりやった、二年めにはときおり道場へ出るようになったが、片隅に坐って他の人々の稽古を見るばかりで、自分ではいっかな木剣を執ろうとしない。
「……こちらへ出て稽古をしないか」という者があっても、
「……いやまだとても」
 と答えるだけで立とうとしなかった、いちどならず宗在が促しても、やはりおなじように辞退するばかりだった。――これはまなぶ意志がない、宗在はそう認めて、以来かれのことは殆んど忘れてしまったのであった。
 柳生家にまる三年いて、久之助は長岡へ帰った。辞去するとき宗在の前に出て、
「……おかげさまでこの上なき修業を仕りました、あつくおん礼を申上げます」
 と述べたが、宗在はそのときはじめて、かれがまなぶべきものをまなんだということを、その眼光のなかにみつけたのである、宗在はひそかに舌を巻いた。


 帰藩してみると、稽古町にかれのための道場が出来ていた。
 そして否も応もなくそこで師範の役に就いたが、かれは門人を五人と限ってお受けをした――五人とは少な過ぎるではないか、忠辰がそういうと、
「しんじつ道を伝えるためには、一時に多くをお預り申しても致し方がありません」
 久之助はそう答えた。
「……また、入門した者はわたくしと共に道場に住み、そして勤役には道場から通って貰います、そして免許を取ったうえ出る者があれば、それに代って新しく入門させる、そういう規則を定めて頂きます」
 かれの希望はそのまま容れられ、五人の門人もきまって、稽古町の道場は開かれた。
 五人はまずそろいの道場着というものを渡された。殆んどひじまでしかない筒袖の木綿の単衣ひとえに、膝下ひざした二寸あるかなしの葛布くずふの短袴である。それが夏冬とおしての着衣だった。
 それから箱膳はこぜんたらいと、針箱とを各自に与えられた、箱膳はわかるが、盥と針箱を一つ宛あてがわれたのには、五人ともめんくらった。後にわかったのだが、毎日必ず着衣の洗濯をし、ほころびも自分で縫いつづくるのだ。
 ……しかしめんくらったといえば寧ろそれからの日々であろう、朝は三時に起きる、折から厳冬の、ものみな凍る時刻に、井戸端へ出て久之助から先に素裸で水を浴びる、それから道場の内外の掃除だが、はじめの計画では三十人は収容するつもりの建物なので、いかに努力してやっても三時間はかかった。
 しかも毎日天床から梁長押はりなげしの隅まで残るくまなくやる、ちょっとでも手を抜くとなんべんでもり直しだ、殊に道場の板敷を拭くのがたいへんで、広さは五間に八間であるが板が新しいから、斑なく拭き込むのは容易なことではなかった。
 次ぎに毎日一人の当番をきめて火桶へ火を入れる、これはならの丸炭の三寸ばかしに切ったのを三個立て、それを灰で囲って上に小さな火種をのせておこす、その三本の炭を一日もたせるのが原則である。
 このあいだ他の四人は薪を割り炭を切るのだが、薪を割るのに木屑きくずをとばせてはいけないし、炭も欠けを作ってはならない。
「――伽羅きゃらという香木があるだろう、一匁なん金という高価なものだ、薪も炭もその伽羅をき割るつもりでやらなくてはならぬ」
 久之助はそう云い云いした。
 それから朝食になるのだが、そして炊事は久之助がひとりでやるのだが、朝は麦ばかりのかゆに味噌汁、昼が麦九割に玄米の飯と漬物、夜がまた麦粥に焼き味噌、漬物という具合だった。野菜は新しいのを豊富に使うが、魚や肉などは姿もみせなかった。
 ……食事が済むとたいていもう登城の刻である、勤めを果して下城する、そこでもういちど道場の拭き掃除をし、さて稽古になるのだが、これはあっさり一刻あまりで終り、こんどはれるまで畑作りをやる。道場の裏に五反歩ばかりの空地があるのを、蔬菜そさい畑にしようというのだ、そしてじっさい後にはみごとな畑が出来たのである。
 ……夕食のあと一刻は習字をする、それも「一」という字だけ書くので、これまた相当に根の要るしごとだった。それから半刻、道場で稽古があり、もういちど水を浴びて寝るという次第であった。
 ずいぶんくだくだしいことを並べたが、これは刀法の稽古よりも、そういう雑事のほうが道場では重んぜられたからである、門人たちが戸惑いをしたのは云うまでもない。
 なかでも横堀賢七という者は一刀流をかなりなところまでやり、腕にも自信がある男だったので、まず第一に不平を云い始めた。
「ぜんたいとして、これは、ちょっとどうもわけがわからない。われわれは剣法道場へ入門したつもりだが、これではまるで禅寺へでもはいったようじゃないか」
「まったくさ、柳生流がこんなにこちたきものだとは知らなかった」
「なんだそのこちたきとは」
「よく知らないけれどもさ、なんとなくこちたきという感じじゃないか、これでは拭き掃除や火おこしばかり上手になって、われわれはへんな者になるんじゃないかと思うよ」
 しかしそのうちに変るだろう、かれらはそう考えていたが、幾ら日数が経っても毎日の日程は変らなかった。
 ……そこへ、江戸から父の郷田権之助がやって来た、権之助は長男に家を譲り、隠居となって、久之助のところへ身を寄せたのである。三人の子のなかで最も愛している久之助、別れて以来十年ぶりで、かれは老後を久之助の側で終るつもりで来たのだった。


 わが子の為人ひととなりに就いては、権之助は誰よりも熟知しているつもりだった、それで朝晩二回ずつ、道場へ出てつぶさに稽古ぶりを見た。
 ……だがどうしても納得がいかないのである。久之助は門人と木剣を持って相対する、両方ともむろん素面素籠手である、相対して呼吸が合うと門人が打を入れる、それでおしまいなのだ、「気合が充実していない」とか、「眼が違う」とか、「神が遊んでいる」とか、簡単な指摘をして次ぎの者に代らせる、幾たび回っても一度だけ打を入れるばかりで、要するにかなりじれったい稽古であった。
「武士が刀を抜く場合は二つしかない」
 久之助はよくそう云った。
「……其の一は御奉公のため、其の二は自分の武道の立ちがたい恥辱をうけたときだ、そしてどちらの場合にも抜くからには絶対である、必ず相手をたおさなくてはならぬし、おのれの死も免れない、要するに稽古の眼目はそこにあるのだ、一生に一度、抜いたら必ず敵を討止める剣、……これを眼目だと思って貰いたい」
 そうしてひたすら一刀の打だけを稽古させるのであった。そしてそれよりも厳しいのは日課の雑事である。火桶の炭のつぎ方、拭き掃除、薪割り、畑作り、さらに寝ざまから夜具のあげおろしまで、なぜそんなに厳重にするのか不審なほどびしびしやられた。
 百日ほど経ったとき、がまんがきれたとみえ、横堀賢七が道場を出るといいだした。
「……少し思案がございますから、ぶしつけですが道場から出して頂きます」
 忿懣ふんまんに堪えないと云いたげなかれの眼を、久之助は冷やかに見かえして、
「ならぬ」と答えた。
「そこもとたち五人は殿からお預り申したので、自分がよしと認めるまではいかなる事情があろうとも道場から出すことはできない、二度とさようなことを申せば……」
 そこで言葉を切ったが、あとに続くべき言葉がどんなものか察しのつく、断乎だんこたる調子が賢七の心をつよく打った。
 一年めに、和田藤吉郎という者が免許を取った。かれは五人のなかでも最も栄えない存在で、挙措も鈍重だし、道場での稽古もぶきような、あまりとりえのない男にみられていた。
 それが第一に免許を与えられたのである、他の四人も意外だったろう、しかし当人のおどろきは誰よりも大きかった。
「……そこもとにはもはや伝授すべきものはない、しかし今後が大切だから、道場での修業を忘れず御奉公をなさるよう、これは免許のゆるし書である」
 そう云って封書を一通わたされたが、藤吉郎は顔を赧くして、なんとも具合の悪そうなようすだった。
 ……道場を出て、自分の住居へ帰ったかれが、なにより先に封書の中を見たのは当然であろう。
 ――いかなる秘伝が記してあるか。
 心を戦かせながらゆるし書を披いた。しかし奉書のまん中に、墨色あざやかにしたためてあったのは、「ゆだん大敵」という五文字だけであった。
 柳生流の秘奥が列記してあると思って、昂奮こうふんしていた藤吉郎は唖然あぜんとした、裏をひっくり返してみた、封の中に残ってはいないかと捜した。しかしゆるし書はその一通、ゆだん大敵という五文字のほかには「秘伝」らしきものはなにもなかった。
 藤吉郎に五十日ほど後れて田口求馬が免許をとり、続いて早川駿五郎、大槻甚右衛門の二人もゆるし書を取って道場を出た。
 かれらに代って四人、次ぎ次ぎと入門して来たが、横堀賢七ひとりはそのまま居坐りであった。一刀流の腕も相当だし、稽古ぶりでもぬきんでてみえるのに、かれ一人だけ二期の門人の中へ残されてしまったのだ。
 ――こんなばかなはなしがあるか。
 賢七は屈辱をさえ感じた。
 そしてある日、城から早めに退出すると、ひじょうに息込んだようすで大槻の住居を訪ねた、甚右衛門は留守だった。そこで早川を訪ねると、
「……大槻さま田口さまとご一緒で、和田さまへおいでになりました」という挨拶である。
 ――四人揃って免許祝いか。
 賢七はそう思い、なおさら勘弁ならぬ気持で和田藤吉郎の家へまわった。


 四人が免許祝いをしていたのでないことはたしかだ、ではなんのために集ったのか、それがひと口に説明できないのである。四人はいま相対して坐っている、話は免許のことから「ゆるし書」に及んで、四人とも妙に奥歯へ物のはさまったような調子になった。
「いったい和田氏のには」
 と早川駿五郎が恐る恐る要点に触れた。
「……その、和田氏のゆるし書にはどういう秘伝が記してあったのかね、それをひとつ今日は拝見させて貰いたいのだが」
「いやそれは、その」藤吉郎は赧くなった。
「……さようなことは、なにしろ伝授書というものは他見を許さぬ大切なものだから」
「しかしわれわれはみな免許を受けている」
 甚右衛門が膝をのり出した。
「……ほかの者にはいかぬだろうが、同門で同じように免許を受けているわれわれなら差閊さしつかえあるまい、そこもとだけとは云わぬ、われわれのゆるし書も披露するぞ」
「それはぜひ拝見したいが、自分のものはさして奇もないので、じっさいのところ神厳などというようなものではないので、それは困る」
 そんなことを云わずにとあらそっているところへ、賢七が来たのである。……横堀と聞いて四人がはたと黙り、眼を見合せているところへずかずかと賢七がはいって来た。
「四人揃っていて好都合だ」
 かれはそこへずっと坐りながら、まるで挑みかかるように云った。
「……いささか思うところあって来た、いやおうは云わさぬ、四人とも免許のゆるし書を拝見させて貰うぞ」
 四人はもういちど眼を見交わした。賢七の来たことが、結局は話を早く片付けることになった。気の早い田口求馬が、まるで五重塔のてっぺんから跳下りるような、悲壮な眼つきをして、
「よし、ではまず拙者のを披露しよう」
 そう云い、用意して来たらしいゆるし書をとりだして、おごそかにそこへ披げた。四人の眼はいっせいにその紙上に集った。そしてみごとな墨色で記してある五文字を読んだ。
 ……ゆだん大敵。
 誰からともなくあっという叫びが漏れた。そして藤吉郎が立ってゆき、自分のゆるし書を持って来て、そこへ黙って披げた、「ゆだん大敵」である、甚右衛門がつぶやくように、
「……なるほど」と云った。
 早川駿五郎はうーむとうなった。それなり茫然と黙ってしまった四人の顔を、どこか疑わしげな眼で順々に眺めまわしていた賢七は、大槻も早川も同じ物を貰ったに違いないと察し、いきなりわはははと笑いだした。それはなんともぎごちない笑い方だった。例えば不意に殴りつけられて、「痛い」と叫ぶところを間違って笑いだした、そんな風な感じである、そして実際かれは、すぐに笑うのを止めた、笑ったことに自分でびっくりしたような止め方だった。
「いや笑い事ではない」
 賢七は眼を怒らせて四人を見た、
「……おれもおかしいとは思ったが、よもやこんなばかげた事とは推察もできなかった、これは愚弄ぐろうだ、侮蔑ぶべつというものだぞ、貴公たちすぐに、……いやだめだ、貴公たちではろくな談判もできまい、おれがひきうけてやる」
 かれはにっと唇をゆるめて頷いた。
「そうだ、おれが膝詰めで、あのとり澄ました師範をぎゅっと……」
 ぎゅっとと云いながら、賢七は両手で力まかせになにかしら絞めつけるような真似をした、四人はなんとも形容しようのない眼で、独りいきりたつ賢七のようすを眺めていた。
 それからつい数日のちのことである。
「召す」という知らせをうけて、久之助が伺候すると、忠辰の前に老臣たちが並び、下座のほうに見馴れぬ男が端座していた。色の白い眉の秀でた、ひとみに少し険があるけれど、世間でひと口に美男という人がらで、端座した姿勢にもなかなかりっぱな風格が表われている。
「ゆるす、それへまいれ」
 忠辰は上段の際を示してそう云った。
「……ゆるす」
 久之助は老臣たちに会釈して御前間近に座を進めた。
「あれに淵田主税助という者がいる」
 忠辰は下座の男を見やって云った。
「……梶岡伊織をたよって当家へ仕えたいと申す、神道流の武芸者で、尾州家御前でも手練をごらんに入れたということだ、今ここで余にも見せたいと申すが、相手に出すべき者をそのほう選ぶがよい」
「……相手が要るのでございますか」
「然るべき者をと望んでおる、誰でもよい、そのほうがこれと認める者を出せ」


 久之助はちょっと考えていた。そして、少しむずかしいかも知れませんがと云って、家中でも小野派の達者として知られた福島弥六の名をあげた。
「……弥六でよいか」
 忠辰は念を押してから呼びに遣った。
 福島弥六はすぐに伺候した、そして旨を聞くとよろこんでお受けをし、武芸者と共に庭へおりていった。淵田となのる武芸者はそのまま木剣を右手に位置へ立った、汗止もせず襷も掛けず、袴の股立もとらなかった、それが美男の風貌とよく似合って、なにか絵にでも描いたような水際だった印象を与えた。
 ……弥六はじゅうぶんに身支度をした、いちど緊めた汗止を、二度まできっちり緊め直しさえした、それからやおら位置について武芸者と相対した。
「……いざ」
 と声をかけたのは弥六だった。そして身構えをするとみた瞬間、まるで通り魔でもするように淵田主税助のからだが躍り、かっと高い音をたてて弥六の木剣が空へ舞いあがった。
 ……刹那せつなの勝負で、弥六はあきれたように棒立ちになった、そして二十間ほどはね飛んだ木剣が、玉砂利の上にからからと落ちてから、はじめて、「まいった」と声をあげた。
 主税助は見向きもせず、黙って自分の木剣のさきでていた。その姿勢はかなりおごったもので、不満足だという意味をあからさまに示している、忠辰は久之助をかえりみた。
「そのほう出てみよ」
「……はっ、御意ではございますが」
「なにも云うな、出ろ」
 きめつけるような忠辰の声に、久之助は低頭して座をすべった。
 ……代って相手が出ると聞いて、主税助はにっと白い歯をみせた、すばやい表情だったが会心の笑である。かれは庭へ下りて来る久之助を鋭く注視し、卒然と木剣に素振りをくれた、ひゅっと空を截る素振りの音は、かれの闘志を表白するように思われた。
 久之助はしずかに汗止をし襷を掛け、袴の股立をとった。主税助は依然としてなんの身拵みごしらえもしない、ただ鋭い光りを放ちだした双眸で、くいいるように、じっと久之助の五躰を見まもっていた。
 支度ができると、久之助は一礼して木剣を軽く左手に下げた。両者の間隔は二十尺ほどある、相対して、ひたと眼を合わせた、久之助はまだ木剣を左手に持っている、主税助はしずかに、
「いざ」と呼びかけた。
 そして普通よりはよほど寸延びとみえる木剣を正眼につけた。
 ……久之助は黙って、やっぱり木剣を左手に下げている。そのまま十呼吸ほど経った。短くも長くもない時間である、そしてその時間の糸の切れる瞬間がみえるようだった、――今だ、と人々が思った刹那である、そして主税助の面上にも微風のかすめるように動作を起す意気がひらめいた刹那である。
 久之助の右手がゆっくりと動きだし、左手にさげた木剣を握ってしずかに右側へと持ち直した、いかにもしずかな動作だった。
 けれどもすぐ次ぎの瞬間には主税助の口から絶叫があがり、電光の飛ぶようなすさまじい打がはいった、久之助はゆらりと二間あまり後へ退り、「まいった」と云いながら、再びしずかに木剣を左手に持ち直していた。
 久之助はそのままいちど退下したが、半刻ほどしてまた召された。
 忠辰は扈従こじゅうれないで、独りで庭に立っていた、たいそう不興そうであった。
「先刻の勝負はどうした、余にはまこととは思えないが事実はどうなのだ」
「おめがねどおりでございます」
「譲ったのか」
 忠辰はきっと眼を怒らせた。
「……あの心驕ったさまが憎いからそのほうに出ろと申した、それがわからなかったのか」
「要もないことでございます」
 久之助は穏やかに答えた。
「……ああいう者には負けてやるのが武士のたしなみだと心得ます、勝ってもそれだけのはなしで、悪くすると他国へまいってあらぬことを云い触らし兼ねません、そうでなくとも折角おたより申して来た者ですから、このくらいの馳走は当然でございましょう」
 忠辰は頷いた。そして声を和らげながら、主税助を召抱えたものかどうかとたずねた、よかったら神道流をも藩に入れてみたいというのである、久之助はすぐに否と答えた。
「たしかにすぐれた技倆ぎりょうはあると存じますが、神に純粋でないものがあり、眼光もまっすぐでないように思えます、お取立ては御無用でございましょう」
 かれがそんなにはっきり意見を述べることは珍しい、忠辰にはそれが快かったとみえ、不興げな顔色を解いて、
「たいぎであった」と幾たびも頷いた。
 久之助が住居へ帰ったのは、四時過ぎであった。父は老臣の一人に招かれて留守だという、着替えをしていると横堀賢七がやって来て、
「……少々おはなし申したいことがございます」と云った。
 久之助は頷いて、
「はいれ」といい、しずかに袴のひもを緊めて、対座した。


「今日は改めてお訊ね申すことがあります」
 賢七がそう口を切った。
「……われわれはこの道場へ、柳生流の刀法を教授して頂くために入門いたしました、その点にわたくし共の考え違いがございましょうか」
「……さきを聞こう」
 久之助はぽつんとそう云った。
「その心得で入門し、その心得で修業をしてまいりました、わたくしはかねて一刀流をまなび、高慢を申すようですが、自分では些か会得するところもございました、しかし柳生流をまなぶためにはそれを忘れ、つとめて謙虚にお教えを受けて来たと信じます」
「…………」
 久之助は黙って次ぎを待った。
「ところで、さきごろ四人の頂いたゆるし書と申すものを拝見しますと、ゆだん大敵とやら、らちもない五文字が記してあるだけで、秘奥の伝授とは似もつかぬものでした、……下婢下僕のするような拭き掃除、洗濯をし針を持ち、畑作りまでして頂く免許が、『ゆだん大敵』の五文字とは、いかに考えても理解ができません、これはなにかの間違いではないのですか」
「間違いではない」
 久之助は穏やかにそう云った。
「……渡したゆるし書は五文字、ゆだん大敵という五文字に相違ない」
「そしてそれが柳生流の極意ですか」
 賢七の眼は殺気を帯び、声はひきつるように震えた。かれは射るように久之助をにらみ、片手で膝をつかみながら叫んだ。
「……はっきり伺います、その五文字が柳生流の極意だと云うのですか」
 切迫した賢七の叫びごえを聞きながし、久之助はやや暫く黙って長押のあたりを見ていた。そして、待ち切れずに賢七がなお云い募ろうとしたとき、ようやくかれのほうへ眼を向け、一語ずつ念を押すような調子で云った。
「自分が柳生家にまなんだことは、嘘も隠しもない、けれども、この道場で柳生流を教授すると申した覚えはない」
「それではいったいなにごとをお教えなさるのですか」
「武士のたましいは剣だ、自分が柳生家でまなんだのはその剣の『道』だ、太刀さばきや受けるかわすの技は知らない、知ろうとも思わない、拙者が柳生家でまなび貴公たちに伝えるのは剣術ではなくて剣道なのだ、『道』なのだ」
「さような哲学でなく実際の例をうかがいましょう、『道』などとは言葉に過ぎません、これがこの道場で教える『道』だという、事実をはっきり示して下さい」
「よろしい」久之助はしずかに頷いた。
「……ではそのまえに訊くが、さむらいの奉公が身命を捧げるところから始るということを知っているか」
「日々時々、その覚悟で生きています」
「では仮に今ここで身命を奉るとして、そこもとは即座に死ぬことができるか」
「ご念には及ばぬ、死んでみせましょう」
 昂然と云い放つ賢七の眼を、久之助はしみいるようなまなざしで暫く見いっていた。それから膝をすすめ、手を伸ばして賢七の着衣のえりを指さした。
「その衿のあかをみろ、……武士のむくろが、そのように衿垢の付いた着物を着けていて恥かしくはないか」
「これは道場着です、俗に死装束と申して、武士が死ぬには作法のあるものです、頭も水髪にき直しましょう、肌着からかみしもまで用意はかねて出来ています」
「その暇がなかったらどうする」
「…………」
「いつなんどきでもとは待った無しの意味だ、たった今、この場で一命を奉るというときはどうする」
 賢七はぎゅっと唇を噛んで黙した。久之助はしずかに立ち、
「こちらへ来い」
 といってずんずん奥へ去っていった、賢七は面を伏せたまま怒ったような足どりでその後を追った。
 ……道場と久之助の住居との間に、廊下に面して小さな部屋が七つある、門人たちの起居する居間で、久之助はそのいちばん端にある賢七の部屋へはいった。そしてむぞうさに戸納とだなを明け、手に当る物を一つ一つ取出して畳の上へ並べた。
 ……それを一々ここへ記すのは気の毒であるが、めぼしい物だけ拾ってもなかなかの数だ、最も配合の妙なのはあまりきれいでない下帯といっしょに、紙に包んだ飴玉あめだまの出て来たことである。
「ここは今日、片付けるつもりでした」
 賢七はさすがに狼狽ろうばいしたらしい。
「……この両三日、暇がなかったものですから、本当です」
 久之助は黙っていた、戸納の中の物をすっかり出し終ると、隅に置いてある挾箱はさみばこをあけた。かれのいわゆる「死装束」と、毎日の登城に使う衣類がはいっている、それを一枚ずつ取出すと、恐らく着物のたもとにでも押込んであったのだろう、又ぞろ飴玉が十ばかりも転げだした。
 ……挾箱が済むと小机の側へゆき、脇に置いてあった手文庫をひき寄せた、賢七は走せ寄ってしっかと押えつけた。
「いけません、これはお断り申します。人に迷惑を及ぼす私用の文書もございますから」
 久之助は黙って手を放した。


 手文庫を放して立つと、手をあげて長押の上をさっと撫で、その手を賢七の前へさし出した。掌はちりで黒くなっていた。
「このありさまを見るがよい」
 久之助は部屋をぐるっと見まわした。
「……自分の部屋ではなく、他人の部屋だと思ってよく見ろ、いつなんどきでも身命を奉るという、その『いつ』が待った無しで、あるとき即座に死んだとする、事情に依って検視役は手文庫なども容赦はしない、戸納の奥、部屋の隅々をかき捜されれば、少しの誇張もなくこの部屋はこのありさまになる、……貴公これでいさぎよく死ねると思うか、これで死んで恥かしくはないか」
 賢七は五躰がえでもしたようにそこへ坐り、両手で膝を掴みながら低く頭を垂れた。
「身の恥を云えば」
 久之助は心痛そうな声で続けた。
「……今から数年まえに、拙者もこれと殆んど同じ経験をしている。いつでも死ねると覚悟はきめながら、実際にその覚悟を活かしていなかった。その事実をさる御仁から指摘されたとき、どんなに拙者がまいったかおわかりだろう、……学問も武芸も大切だ、しかし一死奉公の根本がぐらぐらでは、たとえ大学者となり刀法の名人上手となってもまことの武士とはいえない。君国を護持するものはさむらいだ、いつなんどきでも身命を捧げるさむらいのたましいだ」
「…………」
「刀法には免許ということがある」ちょっと息を継いでから、さらに久之助は云った。
「……学問にも卒業というものがある、しかし武士の道には免許も卒業もない、御奉公はじめはあるが終りはないのだ。日々時々、身命を捧げて生きるということは、しかし口で云うほど容易なことではない、容易ならぬことを終生ゆるぎなく持続する根本はなにか、それは生き方だ、その日その日、時々刻々の生き方にある。垢の付かぬ着物が大事ではない、炭のつぎ方が大事ではない、拭き掃除も、所持品の整理も、その一つ一つは決して大事ではない、けれどもそれらを総合したところにその人間の『生き方』が顕われるのだ、とるに足らぬとみえる日常瑣末なことが、実はもっとも大切なのだ。……自分がそこもとたちに伝える『道』はここにある。言葉でも哲学でもない、瑣末なことの端々に、大事を掴んでゆだんしない生き方、これがそこもとたちに伝える『道』なのだ」
 低く垂れた賢七の顔からぽとぽとと涙がこぼれ落ち、肩がふるえだすのといっしょに嗚咽おえつのこえが聞えた。
 久之助は暫くそのこえを聞いていたが、やがて結びをつけるようにこう付け加えた。
「口で云えばこれだけのことだが、口で云い頭で理解するだけではほんものではない。道場の日課から身を以てまなんで貰いたかった。ゆるし書の五文字は、まなんだことに終生ゆだんあるなという意味だ」
 嗚咽に身を顫わせながら、賢七はそこへ両手を突き、り付くように平伏した。
 あやまったとも云わず赦しも乞わない。けれども泣きながら平伏している姿は、どんな言葉よりはっきりかれの心を表白していた。
「稽古の時刻だ、顔を洗って来るがいい」
 久之助はそう云って部屋から出た。
 父が帰宅したのはみんなの夕食が済んでからだった。馳走になったのであろう、珍しく酔って赧い顔をしていた。いや赧いばかりではない、なにか気にいらぬことがあるとみえて、おそろしく不機嫌にしかんでいる。そして、
「部屋へ来い」
 と久之助を呼びつけ、赧くしかんだ顔でながいこと睨みつけた。
「おまえは今日、御前で淵田某という武芸者と仕合をしたという」
 久之助は膝の上で拳を握った。
「……おまえは一藩の師範として道場をもち門人を預っている、それが他国から来た武芸者にもろくも負けて、どこに師範としての面目があるのだ、それで殿へ申し訳が立つか」
「殿にはお詫びを申上げ、おゆるしを得て下城いたしました」
「おれはそんなことを云うのではない」
 平手打をくれるように権之助が云った、
「……仕合のようすを聞きたかったので、御老職からの帰りに梶岡家へたち寄ってみたのだ、梶岡では淵田某を中心に小酒宴をしており、おれもその席に坐ったが、あの武芸者め、巧みに歯へ衣を着せて当藩の武道をそしるのだ、師範たるおまえが負けた以上、どう貶られようと一言もない、だがそのなかにこういう言葉があった、……長岡の殿さまは文にも武にもくわしいと聞いていたが、なかなか世評どおりの人物にはゆき当らないものだ、名君などと評判の高い人でも、会ってみると暗愚であるほうが多い」

十一


「これをどう聞くか」
 権之助は拳をぐいと前へつき出した。
「……巧みに衣は着せているが、これは明らかに御しゅくんの悪口だ、暗愚とは殿をさして申したのだ、そしてそれを云わせた因は仕合に負けたおまえにある」
「それは違います、いや本当に違うのです、かれは御当家に召抱えられるつもりでいた、しかしそれがお沙汰やみになったので、不満のあまりそんな雑言を口にしたのでしょう」
「それではなおさらのことではないか、おまえが仕合に勝っていれば不満の出ようもない、責任はみなおまえの負けたことにあるんだ」
 権之助はつい近頃に前歯を一本欠いたので、激した叱咤しったにつれてしきりに唾が飛ぶ、久之助はもう云い訳はやめて、
「まことに相済みませぬ」
 と繰り返しあやまるだけに止めた。
 夜の稽古を終ってからだった。
 久之助はいちど寝所へはいったが、父の寝息を聞きすますと、足音を忍ばせてそっと住居をぬけだした。
 戸外は新秋のすばらしい月夜で、街ぜんたいが水の中にでも沈んでいるようにみえる、かれはその白じらと青い光りを浴びながら、大手筋にある梶岡伊織の屋敷をおとずれた。
「かような時刻にご迷惑ですが、御滞在の淵田主税助どのにお取次ぎをねがいます」
 門番にそう案内を乞うた。
「……今宵のうちにぜひ伺いたいことがあるからとお伝え下さい」
「その客はもうお立ちになりました」
 門番は気のどくそうに答えた。
「……酔ってもいたのでしょう、なにか気にいらぬことがあるとみえ、お止め申すのをふり切って、つい半刻ほどまえにお立ちなされました」
「どの道をまいられたかわかるまいか」
草生津くそうづの渡しを訊いておいでだったと思います」
「……それは残念な」
 久之助は門番に聞えるように、
「では帰るとしよう」
 と呟き、梶岡の門を離れると同時に急ぎだした。
 ……武家屋敷を千手町へぬけて北へゆくと、樹立と耕地に挾まれた坦々たる道は、月光を吸って浮きあがるように明るく信濃川へとまっすぐに延びている。
 河畔まで小走りに急いで来た久之助は、渡し守の小屋へ近寄って戸を叩いた。
「城の者だ、舟を頼むぞ」
 この渡しは刻無しである、へいと答えてすぐに渡し守が出て来た。
「半刻ほどまえにここを渡った者があるか」
「へえ」
 男は酒臭い息をしていた。
「……お武家さまが一人おみえでしたが、はじめ渡せと仰しゃって、おやめになりました」
「渡らなかったのか」
「暫く月見をしてゆこう、そう仰しゃいまして、向うの」
 と渡し守は河畔を指さし、
「……あの河岸のところにおいでです、実はいま酒を温めて持ってゆくところでして、へえ」
「あの柳のあるところだな」
 久之助はふり返ってそちらを見た、それから、
「……よし、その酒はおれが持っていってやる」
 そう云って渡し守の手からかん徳利を取ると、しずかに河のほうへ下りていった。信濃川はうすくもやだって、すぐ向うにある柳島も、幻のように青くおぼろである。
 ……月光を湛えた川波を前に、淵田主税助はたいそう風流めかした姿で坐っていた。
「遅いぞ渡し守」
 近寄って来た足音を聞いて主税助はふり向いた。
「……これへ持ってまいれ」
「酒は後にしよう」
「なに」
 かれはさっと身を起した。
「……誰だ」
 渡し守ではない、片手に燗徳利を持っているが武士だ。
 主税助はがばと立った、その面前へ、
「もうお見忘れか」
 と云って久之助が歩み寄った。
「御前で相手をした老田久之助という者だ」
「……思いだした、あの師範だな」
 主税助はぎろっと眼を光らせた。
「……して、ここへ来たのはなんのためだ、拙者に用でもあるか」
「そこもとはわれらの御しゅくんの悪口を申したそうだ、人づてだからたしかとは云えない、われらの殿を暗君でおわすかのように申したのは事実かどうか、それを聞きにまいったのだ」
「長岡びとは気がながいな」
 主税助は唇にあざけりの笑みをみせた。
「……わが主の悪口をいわれて、わざわざ念を押しに来るとは見あげたものだ、申したと云ったらどうする」
「心ないことをしたものだ」
 久之助はおちついた声で云った。
「……他藩のしゅくんの悪口を申せば、その藩に仕える武士は手をつかねてはいない、君のはずかしめらるるとき」
「臣は死すという」
 主税助は久之助の言葉をもぎ取って云った。
「……勝負はここでするか」
「そのつもりで来た」
「木剣とは違うぞ」
 主税助は颯とうしろへとびしさって、袴の股立をとり、大剣のつかへ手をかけた、
「……こんどはまいったでは済まんぞ」
「よく見ておけ」
 久之助はとつぜん妙なことをかなり大きな声で云った。
「……城中で立合ったとおりやってみせる、あの仕合もおれの勝だった、どこで勝ったかということをこれから見せてやる、おれの手をよく見ていろ」
 久之助は燗徳利をそこへ置き、大剣をさやごと抜いて左手に下げた。
 こんどはかれが袴の股立もとらない、大剣を左手に下げ、しずかに相手を見やりながら、
「いざ」と云った。
 主税助の面に殺気が走り、無言で抜いた刀にきらりと月光が光った。
 久之助は一歩すすんだ。
 やはり刀は左手に下げたままだ。
 主税助は刀を上段につけた、両者の眼と眼が噛み合い、呼吸が空に火花を散らすかと思える、そしてまさしく、城中での仕合そのままの瞬間が来た、気合が充実の頂点に達し、まるで音高くひき裂けるかとみえる瞬間、……久之助の右手がしずかに動いて、左に下げた大剣の柄にかかった。
 主税助の口からつんざくような絶叫がとび、がっしと両者の躯が一つになった。
 しかしそれは眼叩きをするほどの刹那のことで、主税助は打を入れたかたちのまま烈しくのめってゆき、久之助は右手に刀を持ってふり返っていた。
 主税助はどっとすすきの中へうち倒れた。
「……見たか」
 久之助はしずかに呼びかけた。
「そこもとたちに教えている一刀、一生にいちど抜く刀は、必ず敵を斬って取る、必ず斬って取る、これがその一刀だ、わかったか横堀」
 刀をぬぐいながら、久之助がしずかに頭をめぐらせた。
 後方二十歩あまりの夏草の中に、片膝をついてこっちを見ている者があった。……横堀賢七である。
 ひそかにけて来て、これまでの始終を見ていたかれは、とつぜん呼びかけられて声も出なかった。
「この者を向うの小屋へ運んでやれ」
 久之助は紙入をとりだして賢七に与えた。
「……これを渡し守にやって早く医者に手当をさせるがいい、他言はならぬぞ」
 そして月光のなかを、しずかに城下のほうへ去っていった。





底本:「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」新潮社
   1983(昭和58)年10月25日発行
初出:「講談雑誌」博文館
   1945(昭和20)年2月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2025年11月24日作成
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