四日のあやめ

山本周五郎





 二月下旬の寒い朝であった。
 六七日まえからすっかり春めいて、どこそこでは桜が咲きはじめた、などといううわさも聞いたのに、その朝は狂ったように気温がさがり、家の中でも息が白く凍るほどであった。――早朝五時ちょっと過ぎたじぶん、千世ちせが居間で鏡に向っていると、家士の岩間勇作が来て「来客です」と告げた。もちろん戸外は明るくなっているが、まだ客の来る時刻ではなかった。
「深松さまです、裏殿町の深松伴六さまです」と勇作は云った、「たいそうおいそぎのようすで、大事が起こったからすぐおめにかかりたい、玄関で、と申しておられます」
 大事という言葉が千世の耳に刺さった。良人おっと五大主税介ごだいちからのすけはまだ寝ていた。
「わたくしがまいります」
 千世はこう答え、紙で手早く指を拭きながら立ちかけたが、ふと吃驚びっくりしたように鏡の面をのぞいた。いまそこに人の顔が映ったのである。自分のではない、蒼白あおじろせた老婆の顔のようであった。
 ――いつかもこんなことがあった。
 覗いた鏡にはむろん自分の顔しか映っていない、千世は胸騒ぎを感じながら立ちあがった。
 深松伴六は玄関に立ってふるえていた。彼は七十五石の近習番で、年は二十五歳、良人より三つ若いが、二人は兄弟のように仲がよかった。――伴六はひどく昂奮こうふんしていた。外が明るいので顔はよくわからないが、握っている両の拳がふるえているし、その声も平生とはまるで違うように聞えた。
「今日は非番なものですから、まだやすんでおりますけれど」
「ではこうお伝え下さい」と伴六は云った、「とうとう徒士かち組と衝突しました。場所は籠崎の大洲、時刻は六時です」
 千世はくっとのどが詰った。伴六はなお、自分はこれから土田と唐沢へまわるが、刻限が迫っているからすぐ起こしてくれるようにと云い、門の外へ出ていったと思うと、(そこにつないでおいたのだろう)馬に乗って駆け去るのが聞えた。戞々かつかつというそのひづめの音が聞えなくなるまで、千世は動くことができなかった。
 ――大変なことだ、大変なことになった。
 彼女はふらふらと立ちあがった。
「あの方たちは良人を頼みにしている」と彼女はつぶやいた、「良人もあの方たちが自分を頼みにしていることをよく知っている、早く起こして知らせなければならない」
 彼女は廊下を寝間の前までいったが、そこで急に立停った。何十人という多勢の人たちの、激しく斬りむすんでいる姿がふと眼にうかんだのである。ぎらぎらと閃光せんこうをとばす刃や、つんざくような叫喚や、そして、血に染まって倒れる姿までが、……その群の中に良人がいる、五大主税介の蒼白くひきつった顔がこちらへ振返る。いやそれは良人ではない、痩せたしわだらけの老婆の顔、いましがた鏡の面に映った(ように思った)あの老婆の顔である。千世は恐怖のあまり吐きけにおそわれ、その吐きけから逃げようとでもするように、寝間へはゆかないで自分の居間へ戻った。
 ――あの老婆の顔はなにかの知らせだ、たしかに、まえにもあんなことがあった。
 千世は坐って鏡を見た。白く乾いたような自分の、おびえてゆがんだ顔が映った。血のけのひいた唇が見えるほどふるえている。彼女はその唇をんで、それから舌で濡らした。
「いいえ、そうではない」と千世は首を振りながら鏡の中の自分に云った、「決してそうではない、自分も武士の妻だ、良人の危険が怖ろしいのではない、あたしだってそれほどみれんな女ではない、ただ、いますぐに起こしては悪いような気がする、なにか考えなければならない大事なことがあるようだ」
 深松伴六の知らせて来たのは重大な事であった。
 彼は「とうとう徒士組と衝突した」と云った。それは馬廻りの者と徒士組の者とが決闘するという意味であった。徒士組と馬廻りとのあいだに、数年まえから根強い確執があり、いちどは衝突が避けられないだろうといわれていた。千世はこの五大家へ嫁して来て一年あまりになるが、まだ実家の江木にいるじぶんからその噂を聞いていた。一方には「そんな事は起こらないだろう」という評もあった。現に実家の兄の江木重三郎もその一人であった。
 ――噂がこんなに弘まってしまうと、その噂が中和剤になって、そのこと自体はかえって起こりにくくなるものだ。
 兄はそう云っていた。だが、ついにそれが事実になったのである。良人の五大主税介は隈江流という刀法の達者で、藩の道場「精明館」の師範をしていた。徒士組との決闘になれば、彼は馬廻りの中心となり先鋒せんぽうとなることは必至である。とすれば、双方で何十人という多勢が斬りむすび、その一方の中心となり先鋒になるとすれば、……千世は身ぶるいをした。
「いいえ、それが怖ろしいのではない」と彼女はふるえながら呟いた、「良人が傷ついたり、もしかすると斬り死にをするかもしれないということは怖ろしい、けれどもそれだけではない、もっと大事なこと、もっと恐れなければならないことがほかにある、慥かにあるような気がする、たとえば、……たとえば、――たとえばその衝突が、私闘だということなど」
 千世は吃驚したように鏡のふたをした。
「私闘、――そうだ、そのことだった」
 彼女の眼は強い光りを帯びた。顔色はまだ恢復かいふくしないが、もう硬ばってもいないし恐怖も去ったようである。
「良人をゆかせてはいけない」と千世は呟いた、「私闘は武士の道に外れたことだ、そういうところへ良人をゆかせるのは、武士の妻のたしなみではない、あたしには良人に道に外れたことをさせることはできない」
 千世は立って玄関のほうへいった。そして岩間勇作に、「深松伴六の来たことは黙っているように」と云った。そう云いながら、千世は初めて自分がこの家の主婦になったような、気強さとおちつきを感じた。
 ――あたしは法度を犯すことから主人を護った。
 そういう自覚が、彼女に力と自信を与えるようであった。千世の顔は明るくなった。
 時計が六時を打つとまもなく、主税介が起きた。千世が洗面の支度したくをして待っていると、寝衣ねまきのまま出て来た良人のからだから、濃厚な躰臭の匂うのが感じられた。
「化粧が濃すぎる」と主税介が云った、「もう少し薄く直すほうがいい」
 千世は「はい」といって、房楊枝と塩の皿とを良人に渡した。そのときまた良人の躯がつよく匂い、千世は赤くなった。そのむっとするような濃厚な躰臭が彼女のからだにまだなまなまと残っているあけがたの記憶をよびさましたのである。千世は赤くなりながら、さりげないふうに良人を見あげた。


 主税介は背丈が五尺九寸、筋肉質の、ひき緊ったみごとな躯である。手足にも胸にもたくましく毛が生えているし、ひげもずいぶん濃い。一日でも剃刀かみそりを当てないと、両頬の上のほうまで黒くなるのであった。
 千世は良人から眼をはなすことができなかった。洗面をし、剃刀を使うあいだ、側に付ききりで良人を見ていた。
 ――これがあたしの良人だ。
 千世は心の中でそう繰り返した。あたしはこの人の妻だ、この人はあたしの良人だ、あたし一人の良人だ、あたしだけの、……彼女はむきになってそう繰り返した。もちろんそれが全部ではない、籠崎大洲のことが絶えず頭にあった。また迎えが来はしないかと恐れ、物音のするたびにぎくりとした。決闘がどうなっているかはもっと気懸りで、また、良人をそこへやらなかったことに安堵あんどしながら、同時にそれが悪いことでもしたような心のとがめを感じた。これらの不安定な苛立いらだたしい思いのなかで、彼女は激しく主税介にひきつけられ、いきなりふるいつきたいという、官能的な衝動を抑えるのに苦しんでいた。
 主税介は黙って剃刀を使った。それからまた顔を洗い、着替えをして食膳しょくぜんに向った。
 彼は口数の少ない男であった。千世と結婚してから幾らか変ったが、それでも口数は少ないほうであった。千世はそういう彼が好きであった。彼は自分に対して厳しく、精神的にも肉躰的にも、常に洗いあげたように清直でりんとしていた。千世は彼の凛としているのが好きであった。彼が背骨をまっすぐにして、折目正しく動作をし、必要なこと以外には口を出さず、感情にむらもなく、いつも彼らしい彼でいるのが好きであった。
 千世は彼に恋をして結婚した。
 五大家は馬廻りの二百二十石。実家の江木は百九十石で、兄の重三郎は納戸役を勤めていた。重三郎は彼より四歳年長であるが、学問所で知りあってから親しくなり、ひところは互いに招いたり招かれたりしたものであった。
 ――五大は人物だ、あの若さで立派に風格をそなえている、ああいうのを古武士の風格というのだ。
 重三郎がそう云うのを、千世は幾たびとなく聞いた。そしてそのたびに自分が褒められているような嬉しさと、彼への思慕が深く強くなるのを感じた。その想いが恋であることに気づいたのは十五の年で、千世はそれを勇敢に兄へ告白した。――そのとき主税介は城下にいなかった。彼は刀法を修業するために、日向の国の高鍋という処へいっていた。そこに隈江流という珍しい流儀があり、古法だというのを聞いてでかけたのであった。
 千世の告白を聞いた重三郎は、笑いながら「そんなことはお母さまか志津に話すものだ」と云った。兄には志津という妻がい、もう二歳になる幾三郎という子もあった。だが千世は母にもあによめにも話す気にはなれなかった。兄ならわかってくれるし、味方になってくれると思った。
 ――だがそれは考えものだな。
 千世が本気だとわかると、重三郎もまじめになって云った。
 ――おまえの性分は五大とは合わない、結婚しても幸福にはなれないと思う。
 ――わたくしの望みは幸福ではなく、あの方の妻になることですわ。
 千世はこう答えた。
 よくも云えたものだ、と、いま彼女は思う。若さと負け嫌いと、そうして相手が兄だったから云えたのだろう、あのとき自分は勝ったのだ。いま彼女は心の中でそう呟きながら、良人の横顔をうっとりと見まもるのであった。
 主税介は茶を喫して立つと、居間へいって茣蓙ござをひろげた。それを慥かめてから、千世も朝食の膳に坐った。しかし、召使のお琴の給仕ではしをとると、胸が重苦しくなり、吐きけがこみあげてくるようで、どうにもべ物が喉をとおらなかった。
 ――もう時刻は過ぎている、二度めの迎えが来るならとっくに来ている筈だ、もう大丈夫だ。
 こう自分に云い聞かせたりしたが、ついにあきらめて膳を片づけさせた。
 主税介は横笛を作っていた。それが彼の唯一つの道楽であった。自分で竹を捜すことから始め、仕上げまですべて自分でやる。竹を捜して歩くのも楽しいらしい、枝付きのものや、桜皮で巻いたものや、生地のままのや、塗ったものなど、すでに十二管ほど作ったという。そのうち五管は人に懇望されて遣り、家にはいま七管だけ残っていた。
 彼はいま歌口をえぐりながら、頭の中ではべつのことを考えていた。十日のちに猪狩りが行われるが、これは七年ぶりのことで、全藩を挙げての大掛りな計画であった。というのが、藩の財政逼迫ひっぱくで、長いあいだ藩士の禄米ろくまいが借上げになっていた。そのため狩りの行事なども延期されて来たのであるが、去年(寛保三年)十一月、藩主の監物忠辰けんもつただときが帰国したとき、この借上げを解除し、全藩士の禄米を旧に復したうえ、倹約と尚武の訓令を出した。――こんどの猪狩りはその「倹約」と「尚武」の主旨で行われるもので、実戦そのままの規模と内容をもっていた。
 主税介にはその当日が気懸りであった。
 彼は馬廻りで抜刀隊の指揮を命ぜられ、すでに下演習を終っていたが、下演習の期間ちゅう、馬廻りの内部に険悪な空気があり、それが猪狩りの日に暴発する恐れのあるのを感じた。――問題は徒士組との長い確執で、これまでにもしばしば小さい衝突があった。事の起こりは古く、その原因も(いろいろ説はあるが)いまでは正確にはわかっていない。いってみれば漠然とした、だが根深く強い反感である。原因がはっきりしていれば解決の法もあるが、まるで性格の違いからどうしても融和しない個人関係というに似たこの確執は始末に困るものであった。
 ――こんなに長いあいだ一般の評判になっているのだから、却って大きな衝突は起こらないだろう。
 そう云う人たちもあったが、現に七年ぶりで「猪狩り」が行われると発表され、その下演習が始まるとともに、狩場で、狩場で、――というささやきがしきりと耳に入った。それには一つの動機があった。去年の十月はじめ、馬廻りの羽形与茂八と、徒士組の荒木織馬とが喧嘩けんかをして、与茂八がしたたかにやられた。当時、岡崎には藩の道場のほかに、通次多仲みちつぐたちゅうという者が一刀流を教えていて、徒士組の者は多くその門に学んでいたが、荒木は同門でも指折りの達者であった。馬廻りには「精明館」の門人が多いので、しぜん両者が対立するようなかたちになり、そのときもひと騒動起こりそうになった。
 ――狩場で、狩場で。
 こういう囁きは、与茂八の件を動機として、長いあいだくすぶっていたものが、せきを切るところまで来たといえるのである。主税介は下演習の終った日に、最も尖鋭せんえいな者たちを集めて戒告した。
 ――御狩場は戦場と同様である、殿の御馬前で私怨しえんの争いなど起こせば軍律干犯になる、どんなに堪忍ならぬことがあっても、御狩場では断じて事を起こしてはならない。
 かれらは了承した。主税介は誓いを求め、かれらはそれを誓った。


 狩場で事を起こさないことをかれらが誓ったのは、主税介の戒告に服したのではなく、いざとなれば主税介が共に立って徒士組と対決する人間だということを信じていたからであった。
「持場を変えてもらおう」主税介は手を休めながら呟いた、「徒士組から仕掛けてくるおそれがあるし、気が立っているから万一ということもある、――そうだ、持場を変えてもらうほうが安全だ」
 十時ちょっとまわった頃に、矢部六左衛門が訪ねて来た。矢部は二百五十石の山方奉行で、六左衛門は主税介の叔父に当っている。廊下を踏み鳴らすように入って来た六左衛門は、息をきらし、汗をかいていた。
「よかったよかった、よくいてくれた」
 五十歳になるこの叔父は、昂奮してきこみながら、殆んど主税介の手を握らんばかりにして、「おれはもうでかけたものだと思って九分どおり諦めて来たんだ、よかったよかった」と繰り返し、客間へ入るなり云った。
「水を一杯もらおう、いそいでくれ」
 水を取りにゆきながら、千世も心の中で「よかったよかった」と呟いた。たぶん籠崎大洲の事がわかったのに違いない、もう良人が誘い出されるようなことはないだろう、と思った。
「どうなすったのです、なにごとですか」
「なにごとですって」六左衛門は水を飲み終って云った、「ではなにも知らないんだな、うんそうだろう、知っていればでかけた筈だからな、もう一杯くれ」空になった天目てんもくを千世に渡して続けた。「おれは話を聞いてすぐに此処ここへ駆けつけたから、大洲のもようは知らないが、馬廻りと徒士組とが、ついに衝突してえらい騒ぎが起こったのだ」
 主税介はあっと口をあけた。
 彼はいまのいままでその事を心配していた。狩りの当日には、徒士組から遠い持場に変えてもらい、衝突の危険を避けようと考えていた。それがすでに起こってしまったという、叔父の口ぶりでは小人数ではないらしい、どうするか。主税介は自分を抑え、おちついた眼で叔父を見た。千世が戻って来た。
「それはいつのことですか」
「早朝のことらしい、有難う」六左衛門は千世から天目を受取りながら云った、「詳しくは知らない、大目付に知らせる者があって、それは一刻ほどまえのことだというが」
「まだやっているのですか」
「いや」と六左衛門は水を飲んだ、さも美味うまそうに喉を鳴らして飲んで、それから云った、「籠崎大洲でしかじかと注進する者があって、大目付が人数を繰り出し、二の丸から高楷殿も出張されて、どうやらとり鎮めたということだ」
 主税介は立とうとした。その中には自分が教えている門人や、親しくしている者が少なくない。とにかくいってみなければならぬ、と思ったのであるが、そのとき城中から、使番が馬で触書ふれがきを示しに来た。
「城下に争闘をする者があったがすでにおさまった。非番の者、またお召しのない者は、その居宅で静かにしているように」
 こういう通達で、城代水野治部右衛門はじめ老臣連署のものであった。
 使番が去るとすぐに、千世の兄の江木重三郎と、田口藤右衛門が来、ついで浦原彦馬が来た。田口は精明館の司事であり、浦原は(中老五百二十石)千世と主税介との仲人であった。かれらはみな、主税介が決闘に加わらなかったことをよろこび、祝いを述べた。江木重三郎は大洲へ駆けつけたという、騒ぎを聞いたとき「これは五大もいっしょだな」と直感した。てっきり主税介もいると思い、ばあいによっては自分も助勢するつもりで、その支度をしていったところ、もう大目付の人数が出ていて洲の口を止め、中へ入ることができなかったそうである。
「縁者がいる筈だからと云って、私はすっかり終るまで洲の口で見ていた」と重三郎は云った、「決闘は六時ごろに始まったらしい、徒士組が三十余人、馬廻りは二十六七人で、大目付の人数が出張したのは八時ごろだが、死傷者は双方で四十人ちかくあるということだった」
「そこから城中へれてゆかれたのか」と矢部六左衛門がいた。
「そうではない」重三郎は首を振った、「死者はその家へ送られたが、負傷者は菅生郭の中の作事小屋へ、そのほかは鈴木殿、高楷殿、大林寺、水野主膳殿の四家に分けて預けられた」
 主税介は黙って聞いていた。
 ――馬廻りでは誰と誰がいたか。
 重三郎にそう訊きたかった。重三郎は始末の終るまで見ていたというから、そこにいた者の名をあげることができるだろう。「深松はいたか、唐沢は、井上十蔵は、池上は、羽形は、――」なんどもそう訊きかけたが、やがてわかることだと思って辛抱した。
「猪狩りを控えての騒動だから、重科はまぬかれまいな」浦原彦馬が云った、「せめてお狩りのあとにすればよかったのに、こらえ性のない連中にも困ったものだ」
「男と男の喧嘩はそういうものですよ」重三郎が云った、「長いあいだくすぶっていたことだし、ぶっつかる時が来れば利も不利もない、義理も恩愛もなげうって対決したんですから、いかにも三河武士らしくていいと思いますね」
 語気が激しかったので彦馬は、渋い顔をした。主税介にもその調子が異様に感じられた。自分が決闘に出なかったことを責めているのではないか、とさえ思った。――老職連署の触書が廻ったことを話したので、三人はまもなく帰った。千世は兄に残ってもらいたかった、自分の今朝したことを話して、兄の意見を聞きたいと思ったのであるが、重三郎は妹に話しかける隙を与えず、他の二人といっしょに帰っていった。
 客を送ったあと、居間へ戻るなり主税介は独り言を云った、低いけれども憤懣ふんまんのこもった調子で、延べてある茣蓙の端を踏みつけながら云った。
「なんということだ、なぜおれに知らせて来なかった、深松はどうしたのだ」
 千世はその呟きを聞いた。その声には怒りと疑惑がこもっていた。自分だけが除外された怒りと、なぜ除外されたかという疑惑とが、千世の耳にもはっきり聞きとれるようであった。
 そのとき千世は、三たび吐きけにおそわれた。
 明くる日、主税介は登城して、城中で詳しいことを聞いた。羽形与茂八と荒木織馬がまた出会ったのである。与茂八は井上十蔵といっしょだったし、織馬には三人の伴れがあり、しかも双方が酔っていた。喧嘩は初めその六人でする筈だったところ、いちど帰宅した井上十蔵が、家の近い深松伊織に話し、「相手は四人だから手を貸せ」と云った。伊織は十蔵と共に与茂八の家へゆき、そこで酒になった。


 荒木織馬のほうでも、同じようになかまが集まり、やはり酒を飲んで気勢をあげたらしい。羽形の家では池上安左衛門を呼び、末広忠之進を呼んだ。それが夜の十一時過ぎで、まもなく荒木織馬から使いが来た。
 ――明朝六時、籠崎大洲で待つ。
 そういう口上であった。それでもまだこっちは五人、相手は四人でやるつもりだった。ところが午前四時をまわってから、徒士組では三十余人集まったということがわかり、こちらでもすぐに手分けをして人を集めた。それは(人を集めたことは)深松伊織が本家の深松伴六に知らせ、伴六の主張で定ったのだという。馬廻りは二十七人、徒士組は三十一人、その中に一刀流師範の通次多仲がいた。
 死者は馬廻りのほうに多く出た。
 唐沢辰之助 即死
 土田久太夫 即死
 村野大作 重傷後死去
 坂島伊兵衛 重傷後死去
 他に深松伊織ほか三人の重傷者と、羽形与茂八ほか十四人の軽傷者があった。
 徒士組には即死者はなく、重傷後の死者が二人、重傷者が五人、軽傷者が十七人ということである。この差は徒士組に通次多仲がいたためで、唐沢以下四人の死者は、みな多仲の手にかかったもののようであった。
 双方とも死者はその家族に引取らせた。あとは馬廻りの者を鈴木弥市右衛門、拝郷源左衛門の二家へ。また徒士組の者は大林寺と、高楷又十郎、水野主膳の三家へと、それぞれ預けられた。もちろん面接は絶対禁止で、その家族は居宅謹慎。家中ぜんたいにも言行を慎むようにと布令が出た。特に「大洲の出来事については公私ともに話談すべからず」という厳重な箇条つきで、これは町奉行から城下の市民たちにも通達された。
 ――深松はどうしておれに知らせなかったのか、なにか理由があるのか。
 主税介はどうにも疑念が晴れなかった。周囲の人たちにも彼の加わらなかったことが意外だったらしい、二三日のあいだ、しばしば同じような質問を受けた。
「貴方は御無事だったんですね」とかれらはみな意外そうな顔をした、「それはよかった、私は貴方もいっしょだとばかり思っていました、それはよかったですね」
 精明館の門人たちも同様であった。ここでもまた彼の不参加が驚かれ、無事であることを祝われた。そうして、まもなく通次多仲が追放(罰せられなかった理由はのちにわかったが)されてから、主税介に対する評はいっそうよくなり、責任者が老職に喚問されたときにも、彼の不参加は「神妙である」というふうに云われた。
 だが主税介は沈鬱な無感動な表情で、人々の云うことを黙って聞きながした。
 猪狩りは予定どおり行われた。幕府に届けの出ていたためもあろうが、ほかにもう一つ、大きな理由のあることが、終ったあとでわかった。それは、猪狩りの五日のち、籠崎大洲の決闘が狩場の出来事として扱われ、御馬前に獲物を競ううち、不慮のことが起こって死傷者を出した、ということになった。
 ――かかる失態が起こったのは、日頃の不鍛錬によるもので、当人どもは追って沙汰のあるまで五家に預け、またその支配は十日、組頭は十五日の謹慎に処す。
 こういう処置が公式に発表された。
 これは藩主監物忠辰の意志によるものだそうで、罪を軽減するため、特に配慮されたものだと伝えられた。それで通次多仲が罰せられずに、追放処分になった理由もわかったし、「大洲のことを話してはならない」という禁令の意味もわかったのであるが、この発表があった翌日、主税介は城中で思いがけないことを聞いた。――彼は精明館の師範ではあるが、身分は馬廻りに属するので、非番でない限り一日に一度は登城して、支配の役部屋へ顔を出さなければならない。そのときの支配は中老の鈴木大学であって、これが謹慎を命ぜられたため、同じ中老の拝郷源左衛門が代役を勤めていた。
 その日、役部屋へ出頭した主税介は、拝郷家に深松ら十一人が預けられていると聞いたので、挨拶を述べたのち、かれらのようすをたずね、いちど会わせてもらえまいかと頼んだ。
「ぜひ聞きたいことがございますので」と主税介は云った、「格別のお計らいをお願い申したいのですが」
「面接は固く禁じられている、それは許すわけにはまいらない」と源左衛門は云った、「もしどうしても必要なら、……その事柄にもよるが、私が代って聞いてもよい」
 主税介は迷った。それは人を介して聞くべきことではない、じかに会って慥かめなければならないことであった。しかし彼は、それ以上もう疑念に苦しめられることに耐えられなくなっていた。それで、彼は決心して「では深松伴六にこう訊いてもらいたい」と頼んだ。
 源左衛門は解せないという顔をした。
「あの朝なぜ知らせなかったか、――と訊くのか」
「どうぞお願い致します」
「私にはよくのみこめないが」と源左衛門は云った、「私の聞いたところでは、知らせにいったということだが」
「いや、まいらなかったのです」
「深松伴六がいったと申しているぞ」
「いや、まいりませんでした」と主税介は云った、「わたくしは矢部六左衛門殿から聞くまでなにも知らずにいたのです」
「しかし深松は知らせたと申しているが」
 主税介の頭にふと妻の顔がうかんだ。
 ――まさかそんなことが。
 うち消そうとしたが、源左衛門の口ぶりはあまりに明確だし、深松がそんなことで嘘を云うとは思えなかった。主税介は狼狽ろうばいし、珍しくどもりながら低頭した。
「申し訳ありません。これはなにかのゆき違いでございましょう」彼は云った、「唯今のお願いはお忘れ下さるよう、またできることなら御内聞にお頼み申します」
 源左衛門はよろしいと頷いた。
 その夜、主税介は寝所へ入るまえに、妻を呼んでそのことを訊いた。家士たちのことは頭にうかばず、ふしぎに「妻だ」という感じがした。はたして、千世はそうだと答えた。
「すると深松は知らせに来たのだな」
「はい、おみえになりました」
 千世は悪びれなかった。むしろこういう時の来るのを期していたかのように、良人の眼をまともに見あげた。
「どうしてそれを取次がなかった」主税介はけんめいに感情を抑えていた、「云ってごらん、なぜ私に黙っていたのだ」
「申上げてはならないと存じました」


 主税介は妻の眼をにらんだ。千世はまぶしくなって眼を伏せた。
「なぜだ」と主税介が云った。
 千世は口ごもった。しかしひるんだのではない、良心にやましいところはなかった。
「わたくし以前から、徒士組と不和の話は聞いておりました」と千世は云った、「それで、深松様からお知らせをうかがったとき、これは旦那さまには申上げてはならない、申上げればきっと大洲へいらっしゃる、それでは私闘になるし、私闘は御法度だから、あとでどんなお叱りをうけてもここは黙っていよう、そう思ったのでございます」
 主税介は片膝を立てた。千世は打たれるかと思って肩をちぢめた。片方の膝を立てた動作には、いきなり殴りつけそうな勢いがこもっていたのである。――主税介は茶道具ののせてある盆を押しやった。その手はふるえていた。
「わかった」と彼は云った、「もういい」
 千世はおずおずと眼をあげた。
「寝ていいよ」と主税介は云った。
「わたくし、悪うございましたでしょうか」と千世は云った、「武士の妻として、そうしなければならないと存じたのですけれど、どうぞ、間違っていましたらどうぞお叱り下さいまし」
「もういい、寝ろ」
 主税介はそう云って立ちあがった。
 千世が茶道具を持ってさがると、彼は庭へおりていった。彼の全身は怒りの固まりのようであった、妻のしたり顔が彼を毒し、辱しめ、汚涜おとくするように思える。「女め」と主税介は呟いて、唾を吐いた。彼は妻を殴らなかったことを後悔し、まだむずむずする右手の拳を左の掌へ力まかせに叩きつけた。「女め」と彼は呟いた。暗い庭のついそこに、若木の桃の咲いているのがぼんやりと見えた。それは千世の愛している木である。そばにこごめ桜や、ゆすら梅や、やはり若木の八重桜がある。それらも千世が実家から移したり、よそから貰ったりして植えたものであった。――主税介は腰脇差を抜いて、桃の木のほうへ近よっていった。
 明くる朝、――千世は庭を見て声をあげた。庭にはまだもやが薄く残っている時刻だったが、自分の愛している桃やゆすら梅や八重桜などが、さんざんに枝を払われ、根から切り倒されていた。湿った黒い土の上に散乱した花枝や、こぼれた桃のはなを見ると、千世ははだしでそこへとびだしてゆき、「誰がこんなことを」と云いながら、僅かに花の残っている桃の枝を拾おうとした。しかし彼女は伸ばした手を途中で止めて、はっとしたように立ちあがり、それからまたかがんで、その枝を拾いあげた。
「あの方だわ、あの方だわ」千世は云った。眼からぽろぽろ涙がこぼれた、「ひどい、あんまりだわ」
 千世は衝動的に立ちあがり、良人の居間の縁先から(足の汚れたまま)あがって、その部屋の障子をあけた。そこには良人はいなかった。彼女はためらいもせずに寝間の襖をあけた。良人はそこにもいなかった。それで千世はさらにのぼせあがり、すぐに居間へ引返した。すると廊下から入って来る良人と顔を見合せた。主税介は手洗いにいって来たらしい、寝衣のままで、ふきげんに妻の顔を見た。千世は持っていた桃の花枝を彼に示した。
「これはあなたがなさいましたの」
 千世の声はひきつっていた。
「そうだ」と主税介が云った。
「なぜです。なぜですの」と千世が云った。
「ゆうべ申上げたことがお気にいらなかったのですか、そうでございますか」
 主税介は黙っていた。
「そうですのね」と千世は云った、「それならどうしてわたくしを叱って下さいませんの、わたくしのしたことが間違っていたのなら、わたくしを叱って下さればいい、お気の済むように打つなりるなりして下さればいい、花をこんなになさるなんてひどうございますわ、花がなにを致しましたの」彼女の眼からまた激しく涙がこぼれた、「花に罪はございません、あんまりひどうございますわ」
 そして崩れるようにそこへ坐ると、花枝を抱えたまま、たもとで顔をおおって、声をあげて泣きだした。――主税介は突然おどかされた人のように、眼をみはって妻を眺めた。まるで子供みたようなやつだ。と彼は思った。
 ――四日のあやめか。
 と心の中で彼は呟いた。主税介が千世との縁談を承諾したとき、江木重三郎がそう云った、「妹の気性のなかには、ひとところいつまでも育ちきらないところがある。私は四日のあやめと名付けているが、それは欠点でもあるし良いところでもあるように思う」兄の眼だから不正確かもしれないが、そこを認めてやってもらいたいと重三郎は云った。六日の菖蒲ということはあるが、四日の菖蒲とは初めて聞くので、主税介はいまでも覚えていた。
「私が悪かった」と主税介は云った、「あやまる、勘弁してくれ」
 千世の泣き声がちょっと低くなった。
「だが、――これはもう云ってもしようのないことだが、云っておく」と主税介は続けた、「おまえはおれに法度をやぶらせないために黙っていたと云った、慥かに、私闘は固く禁じられている、それは主持ちの侍の守るべき道だ、しかし、男としてはべつに男の道というものがある、或るばあいにはそれは侍の道より大切なものだ」
 千世は泣きやんだ。泣きやんで、泣きじゃくりをしながら、良人の言葉を熱心に聞いていた。
「あの朝、大洲へいった者たちは、私が来るものと信じていた」と主税介は云った、「私が来ないかもしれないなどとは、一人も疑ってはいなかったろう、――向うには通次多仲がいて、存分に斬りまくった、段の違う多仲に斬りまくられ、味方がばたばた倒れるのを見ながら、みんな、いまに五大が来る、五大さえ来れば、……と思っていたんだ」
 千世はふるえだした。がたがたと全身がふるえるので、泣きじゃくりの声が、(喉で)なにかがころげるように聞えた。
「そのときのみんなの気持がどんなだったか、それをよく考えてみろ」と主税介は云った、「斬り死にをしたり傷ついた者の、親きょうだいや妻の身になって、おまえ自身が良人を斬られた立場になって、よく考えてみるがいい、――おまえの大切な花を切ったことは悪かった。勘弁してくれ」
 そして主税介は寝間へ入っていった。
 ――着替えの世話をしてあげなければ。
 こう思いながら、千世は立つことができず、やはり顔を掩ったまま坐ってふるえていた。抱えている桃の花枝から、葩が膝の上へこぼれ落ちた。


 ま夜なかであった。雨が降っていた。
 千世はそっと襖をあけて、良人の寝間へ入った。暗くしてある有明行燈のほのかな光りの中で、良人の仰向けに寝ている顔が見えた。正しく上を向いて、静かな寝息をたてていたが、千世が襖を閉めると寝息が止り、膝ですり寄ってゆくと(上を向いたまま)眼をあいた。千世は夜具へ手の届くところまで近より、良人の眼がこっちへ向くのを待った。
 ひさしを打つ雨の音が、彼女の神経をかきたてるように響いた。寝間の中の空気は温かく、健康な良人の躯の匂いに染まっていた。十日以上も遠のいていた良人の匂いと、他のあらゆる物音を消して降りしきる雨の音とが、千世の神経をかきたて、胸ぐるしいほど激しく官能的な情緒に包みこんだ。
「あなた」と千世は云った。
 主税介は黙っていた。
「わたくしおびを申上げたいんです」
「わかっている」
「お詫びを申上げて、堪忍して頂きたいんですの」
「もうそれは済んだことだ」と主税介は云った。
「でも怒っていらっしゃいますわ」
 主税介は答えなかった。
「ねえ、怒っていらっしゃるのでしょう」
「その話はよそう」
「堪忍すると仰しゃって、ねえ、堪忍してやるって」
「堪忍しているよ」
 感情のない、冷たい声であった。千世はのぼせあがったようになり、掛け夜具をはねると、いきなり寝床の中へ入って、良人の躯に抱きついた。主税介は身動きもしなかった。千世は大きくあえぎながら、狂ったような動作で良人の肌と自分の肌を合わせ、手と足とで絡みつき、それから手を伸ばした。主税介はぐいと躯を引いた。そして千世に絡みつかせたまま夜具の上に立ちあがり、寝衣の前をかき合せた。千世は両手で良人の躯にしがみついて、半分ひき起こされた不自然な恰好で泣きだした。
「いって寝なさい」主税介が云った。
「あなたは」泣きながら千世が云った、「どうしても千世を堪忍して下さいませんの」
「それはもう済んだことだ」
「どうしましょう」千世は泣き崩れた。夜具の上へ泣き崩れて、うめくように云った、「どうしたらいいでしょう、仰しゃって下さい、わたくしどうしたらいいんですの」
「いって寝なさい」と主税介が云った、「そんな恰好でいると風邪をひくよ」
 千世はやがて起きあがり、呻くように泣きながら、自分の寝間へ戻っていった。
 五月になって、大洲の事に関係した者の家族は、ぜんぶ謹慎を解かれた。当人たちは五家に預けられたまま、面接禁止でまだなんの沙汰もなかったが、家族の謹慎が解かれたので、主税介は一軒ずつみまいに廻った。だが、その一軒一軒で、彼はあからさまな敵意と、露骨な軽侮を投げ返された。
 初めに死んだ者の遺族を訪ねた。唐沢辰之助の家では弟の菊二郎が出て、玄関に立ったまま上から見おろした。
「御丁寧なことですね」と菊二郎は云った。
「決闘には出ないがみまいには来るんですか」主税介は頭を垂れて辞去した。
 村野大作の家でも、土田でも、坂島伊兵衛の家でも同様であった。言葉は違っても、表現する意味に変りはなかった。それでも主税介は二十七軒をぜんぶ廻ったが、最も近しい深松伴六の家では、父親の忠左衛門が出て「みまいは受けたくない」と云った。老人は骨ばった拳をわなわなさせ、もっとなにか云いかけたが、苦しそうに咳きこんだまま奥へ去った。
「みんなもう知っているのだ」主税介は自分に云った、「知らせたのに大洲へ来なかったということを、――怒るのが当然だ」
 家中の人たちのようすがしだいに変りだした。はじめはそんなことはなかった。田口藤右衛門や浦原彦馬の来たとき、主税介がなにも知らなかったということをかれらは認めたし、知っていたらゆかない筈がない、ということは大抵の者が認めていた。しかし、「知らせた」ということは、拝郷源左衛門がすでに深松から聞いて知っていたし、それが家族の人たちにわかり、ついで家中ぜんたいに弘まってゆくことは、ごくしぜんななりゆきであろう。――主税介はそれをはっきりと感じはじめた。それは遠くから眼に見えない速度で、だんだんに縮まり、彼の周囲をせばめ、彼を孤立させるようであった。
 千世は知らなかったろうか。彼女もむろん知っていた、良人のようすを見るだけでもわかるし、じかに自分で聞くこともあった。
 ――人はみかけによらないものだ、いざとなってみなければ、人間の本性はわからないものだ。
 千世の耳に届くところでしばしばそういう評がとり交わされた。故意にか、偶然にか、彼女はしばしばそういう言葉を聞いた。――彼女の苦しさは二重であった。当然それが良人の耳にもはいっているだろうことと、その責任が良人にではなく自分にあるのだということとで、……もともと夏痩せをするたちではあったが、秋風の立つ頃には、千世は見ちがえるほど痩せてしまった。
 十月初旬、監物忠辰は参覲さんきんのため出府した。その出府の直前に、籠崎大洲の件(表向きは狩場の出来事として)の裁決があった。それまでの経過で、ひどい重科に問われるだろう、という予想はなくなっていた。場所が狩場に変えられたのと、私闘という点が黙殺されたのとで、相当にゆるやかな処置がとられるだろうと考えられていた。だが実際には考えられた以上に寛大で、全員みな御預けを解かれ、改めて百五十日の居宅謹慎を命ぜられた。これは双方いっしょに城中へ呼ばれ、(傷の全治しない深松伊織と、徒士組の二人は出られなかった)城代の水野治部右衛門から申渡された。
 城代家老がこのような申渡しをするのも異例であったし、「特に殿のおぼしめし」とあって、両者に盃を賜わり、
「私闘の事は不届きであるが、長年にわたる双方の意地、やむを得ず、恩愛義理をも思い切ったる心底の男らしさはよい、そのためこのたびばかりは許すが、今後は固く慎み、双方和親協力して奉公するように」
 というお沙汰がさがった。
 これで家中の評はまったく逆転した。私闘は咎めるが、「意地をたてた男らしさ」は褒められたのである。当人たちはもちろん、その家族まで肩身がひろくなった。これが主税介に影響しない筈がない、五大主税介は全藩の人たちから白い眼で見られ、非難と嘲笑ちょうしょうの声を聞かなければならなかった。
 最も耐え難いと思えたのは、精明館の稽古で、門人たちが彼の指南を拒絶することであった。主税介が手を直してやろうとすると、かれらは稽古をやめてしまうか、または作った慇懃いんぎんさで首を振った。
「いいえそれには及びません」とかれらはいちように云うのであった、「私は師範代にお願いしてありますから」


 だが主税介はめげなかった。彼は以前にも増してりんとしてみえたし、どんな非難の眼にも嘲笑の声にもくじけるようすはなかった。
 こうして年が明け、三月中旬になった或る日、――居宅謹慎が解けたのを祝って、双方五十二人が大林寺に集まって酒宴を催した。これには各支配や組頭も出席したし、諸方から祝いの品が届けられて、たいそうな盛会になった。
 同じ日、主税介は非番で家にいた。
 彼は朝食のあと居間に茣蓙をひろげ、久しくやめていた笛作りを始めた。一年まえのあの日以来、そんなことは初めてで、午後になってもずっと続け、きげんのいい顔で丸鑿まるのみ小刀さすがを使っていた。
 夕食を済ませてから一刻ばかり経つと、江木重三郎が訪ねて来た。
「今日、田口さんに会ったか」
 重三郎は坐るとすぐに、とがった眼で主税介を見た。主税介は「会った」と答えた。
「それで」と重三郎は云った、「どうする」
「どうするとは」
「精明館を辞任するようにと云われたんじゃないのか」
「いや」と主税介は云った、「辞任したほうがよくはないかと云われたのだ」
「同じことだ、――どうする」
「もちろん断わった」
「やめないというのか」
 千世が茶を持って、入って来ようとした。
「茶は要らない」と重三郎が云った、「そこを閉めて向うへいっていてくれ」
 千世は良人を見て、それから襖を閉めて去った。
「やめないというのか」と重三郎は主税介を見た、「こんなに世評が喧しくなり、精明館では誰も稽古を受けないというのに、それでも師範の席にかじりついているというのか」
「精明館師範の役は殿から仰せつけられたものだ」と主税介は答えた、「殿から解任されるか、正当な理由のない限り、この役を勤めるのは私の義務だと思う」
「わかった」と重三郎は云った、「これでもう聞くことはない、千世を伴れて帰るから離別してくれ」
 主税介は不審そうな眼をし、それから「そうか」というふうに唇で微笑した。
「ばかなことを云うな」
「こっちはばかどころじゃないんだ」と重三郎は云った、「おれは五大を信じていた、世間がなんといおうと、五大主税介は卑怯ひきょうなまねをする男ではないと信じていた、だがおれは事実を聞いた、深松伴六からじかに聞いたんだ、あの朝早く、深松自身が此処へ知らせに来たという、刻限は六時、場所は籠崎大洲とはっきり云ったというぞ」
「そのとおりだ」と主税介が頷いた。
「しかも五大はゆかなかった、みんなが命をして斬りむすんでいるとき、五大主税介ひとりは家にいた、みんなが傷ついたり斬り死にをしているとき、五大主税介ひとりは安閑と家にいたのだ」と重三郎は云った、「おれには面目というものがある、おれは世間に対しても、そういう人間に妹を遣っておくわけにはいかない、今日限り千世を離別してもらうぞ」
 襖をあけて、「待って下さい」と云いながら、千世がこちらへすべり込んで来た。
「来てはいけない」と主税介が云った。
「出るな」と重三郎がどなった、「おまえの知ったことではない、さがっておれ」
 千世は兄の前へ来て坐った。顔は蒼白く硬ばって、眼だけが燃えるように光っていた。彼女はその眼で兄をみつめ、みじめにおののく声で云った。
「お兄さまあやまって下さい、お兄さまは御存じないのです、どうか主人にすぐあやまって下さい」
「なにをあやまれというんだ」
「云うな千世」と主税介が云った、「それを云うと勘弁しないぞ」
「はい、もう堪忍して頂こうとは存じません、兄の申すとおり実家へ戻ります」と千世は云った、「戻りますけれど、そのまえに本当のことを云わせて頂きます、お兄さま、――あの朝、深松さまの知らせを聞いたのはわたくしです、主人はなにも知りません、わたくしが聞いて、そのまま取次がずにいたんです」
「おまえが聞いた」重三郎は殆んど叫び声をあげた、「そして取次がなかったというのか」
「取次がなかったばかりでなく、深松さまのいらしったことさえ黙っているようにと、玄関の者に申しつけました」
 重三郎は「はっ」と息を吐き、主税介を見て、すぐ千世のほうへ向き直った。
「なぜだ、わけを云え」と彼は叫んだ、「しだいによってはそのままには置かんぞ」
「申します、なにもかも申します」千世は主税介のほうを見た、「旦那さま、わたくし正直に申します、あのときは私闘が法度だからと申上げました、武士の妻として、良人に法度をやぶらせたくないから、黙っていたと申しました」
「千世はそう云った」と主税介が云った、「江木さん、それが、千世の黙っていた理由なんだ」
「いいえお待ち下さい、そうではなかったのです」と千世が云った、「あのときはそう申しましたけれど、本当はみれんな気持からでした、あなたにもしものことがあってはいけない、危ない場所へはやりたくない、ただそう思う気持がいっぱいでした」千世の喉を嗚咽おえつふさいだ、しかし彼女は続けた、「わたくしにはあなたが大事でした、いつもお側にいたい、いつまでも、……どんなものにも代えることはできない、あなたが御無事でいて下さりさえすれば、ほかのことはどうなってもいい、夢中でそう思って、それがみれんだとは気がつかずに黙っていたのです」
「それでいいんだ千世、それでよかったんだよ」
「いいえ悪うございました、どんなに悪かったかということは、わたくしにもだんだんわかってきたのです」千世は声をあげて泣いた、「世間の悪い評判を聞き、あなたがじっとこらえていらっしゃるのを見て、自分のしたことがどんなに悪かったか、どんなに取返しのつかないことだったかということがわかりました。――わたくし、いつ離別して頂こうかと、ずっと、そればかり考えていたんです」
 千世は両手をつき頭を垂れた。すると重三郎が立ちあがって、乱暴に妹の腕をつかみ、ふるえる声で云った。
「立て、千世、――五大へは改めて詫びに来る、立って支度をしろ」
「その手を放せ、江木」と主税介が云った、「それはおれの妻だ」
 よく徹る屹とした声であった。重三郎は妹の腕を掴んだまま静止した、千世の眼から涙が、(音を立てるほどに)ぽろぽろと畳へこぼれ落ちた。
「千世が黙っていたのは正しかった」と主税介は云った、「江木にもわからない、おれ自身もわからなかった、しかし今日わかった、あのときのなかまが和解して、大林寺で酒宴を催すと聞いて、おれは初めて、千世の黙っていたことが正しかったと気がついた、考えてみろ、江木、――あのとき千世が取次いだらどうなったと思う」主税介の声は低くなった、「おれはもちろん大洲へ駆けつけただろう、いばるようだがおれの隈江流は多仲より下ではない、おれがいて多仲がいて、みんな決死でやったとすれば、死傷者の数はあんな程度では済まなかった、とうていあんな程度では済まなかったということが想像できないか、江木」
 重三郎の手が妹の腕から放れ、しびれでもしたように、ももに添って下へ垂れた。
「あの程度で済んだからこそ、寛大な御処置にもなり、今日の祝宴も開けたのだ、それは千世が黙っていてくれたからだ」
「しかし」と重三郎が向うを見たままで云った、「しかし五大の汚名は消えないぞ」
「結構だ」と主税介が云った、「大いに結構だよ、おれは悪評されだしてからだいぶ成長した。これまで褒められてばかりいたし、江木にも古武士の風格があるなどと云われて、自分では気づかずにいいつもりでいた。だが、悪く云われだしてから初めて、その『いいつもりでいた』自分に気がついた。それだけでも成長だし、これからも成長するだろう、悪評の続く限りおれは成長してみせるよ」
 重三郎は手をあげて眼を拭いた。向うを見やったままで、主税介の方へは向かなかった。
「帰っていいだろうか」と重三郎が云った。
「いいだろう」と主税介が云った、「但し離別うんぬんは取消していってくれ」
「明日、挨拶に来る」
 重三郎はついにこちらを見ずに出ていった。
 その夜半、――千世の寝間へ主税介が入っていった。千世は眠っていた。長いあいだの精神的な苦しみから解放されて、いかにも安心しきったような寝顔であった。主税介は夜具のえりに手をかけた。すると千世が眼をさました。熟睡からさめて、良人がそこにいることを認めると、彼女はすぐに起きあがった。
「そのままでいいんだ」
「いいえあちらで」千世は両手で抱きついた。寝衣の袖がずれて、腕がすっかり裸になった。彼女はその裸の腕で良人に絡まりながら、うっとりとした声でささやいた、「わたしあちらのほうが好き、あなたの匂いのするお寝間のほうが、ねええ」
「こうか」と主税介が云った。
「ああ」と千世が云った、「あなた」
 主税介は妻を抱えて自分の寝間へ戻り、あいだの襖を閉めた。





底本:「山本周五郎全集第二十五巻 三十ふり袖・みずぐるま」新潮社
   1983(昭和58)年1月25日発行
初出:「オール読物」文藝春秋新社
   1954(昭和29)年7月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2022年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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