樅ノ木は残った

第四部

山本周五郎




意地の座


 甲斐が「席次争い」の騒ぎを知ったのは、矢崎舎人とねりの裁きがあって、十日ほど経ったのちのことであった。
 それまでにも、甲斐には辛いことが続いていた。おと年(寛文五年)の夏、塩沢丹三郎が毒死し、去年の正月には茂庭周防もにわすおうに死なれた。周防が寝ついていた百余日、病床をみまったのは、僅かに三度だった。それも二度は他のみまい客といっしょで、まったく形式的な挨拶しかしなかった。ただいちど、独りでみまったときも、ほんの四半刻しはんときあまりしかいなかったし、そのときでさえも、深入りをした話しは、二人ともしなかった。
 ――話すことはないな。
 ――そう、話すことはない。
 二人はお互いの眼でそう頷きあった。たしかに、口で話しあうことはもうなかった。周防の顔には、あとの事は甲斐が引受けてくれる、という安心の色があり、甲斐は大丈夫やってくれる、という信頼感があらわれていた。それを証明するように、周防はひと言だけ、先へいって済まない、という意味のことを、微笑しながら云った。
 ――なに、すぐ追いつくさ。
 と甲斐は答えた。
 ――もうみまいに来るには及ばないぞ。
 ――そのつもりだ。
 ――これが別れだな。
 ――これが別れだ。
 ――笑うかもしれないが。
 と周防が云った。
 ――おれがいまいちばん心配しているのは、うまく死ねればいいが、ということだ。
 ――自然のままがいい。
 と甲斐が云った。
 ――うまく死のうとまずく死のうと、死ぬことに変りはないのさ。
 周防は微笑し、じっと甲斐の眼をみつめながら、頷いた。
 ――ではこれで。
 ――では、……
 それが、二人の会った、最後になった。
 周防の死んだのは、正月十一日の朝で、前夜半から二度茂庭の家従から甲斐のもとへ、「危篤」の知らせがあり、甲斐は堀内惣左衛門を代理にやった。惣左衛門は夜明けまで、茂庭家に詰めていたが、臨終が近いといって、七時ころ、甲斐を迎えに来た。
 ひと眼だけ、顔を見たい、と仰しゃっています。
 どうかすぐいってあげるように、と惣左衛門が云った。甲斐は、いや、と首を振った。周防がそんなことを云う筈はない、別れはもう済んでいる。もしそんなことを云ったとすれば、病毒に頭をおかされたためで、周防の本心ではなくうわ言にすぎない、と甲斐は云った。
 ――それではあまりです。
 と惣左衛門は堪りかねたように、ひざを進めて云った。
 ――事情はよく承知しているが、それではあまりひどい。
 惣左衛門は珍らしく、強い調子で甲斐を説いた。重縁の親族というだけではない、き佐月さまから、周防さまへと、誰よりも親しく、心の底から信じあって来られた。ほかのことではなく、その唯一の友である周防さまが、いま死のうとしているのである。一ノ関の疑惑を避けるためなら、言葉を交わさなくともよい、この世のなごりにただひと眼、互いに顔を見るくらいのことはできる筈だ。
 ――それさえもなさらないというのは、侍として立派かもしれないが、人間としてはあまりにも無情すぎる。
 ぜひとも会いにいってあげてくれ、このとおりお願い申します、こう云って、惣左衛門は平伏し、嗚咽した。
 甲斐は惣左衛門を慰めた。そう思い詰めるな、周防にはわかっている。臨終のいっときに会う会わないは、二人にとって問題ではない。すでに別れの言葉は交わしてあるし、周防自身が、もう来てくれるな、と云ったのである。周防は、うまく死ねるかどうか、ということを心配していた。
 ――死はおそろしいものだ。
 人間は誰しも死を怖れる。死そのものを怖れない人間でも、臨終の一瞬は怖ろしい。臨終の苦痛が頭を悩乱させる一瞬は、生死を超脱した者でもあらぬふるまいをしやすいものだ。周防が心配したのはその点であり、顔を見たい、と本当に云ったとすれば、彼自身がおそれていたように、悩乱のあまりみれんな気持が起こったのであろう。
 ――おれはゆくまい。
 死の苦痛は長くはない。臨終の苦痛が去って、死の世界へおちつけば、おれが会いにゆかなかったことを、彼はよろこぶであろう。おまえが気をもむことはないのだ、戻って、おれの代りに水をとってやれ、と甲斐は云った。
 それは少しも偽わりのない気持だった。いま思い返しても、自分のとった態度は正しかったと思うし、もちろん周防もわかってくれたろうと思う。そのことに疑いはないが、心の奥にある、辛いおもいは消えなかった。
 ――侍としては立派かもしれないが、人間としては無情すぎる。
 惣左衛門はそう云った。云うまでもないことだ。しかし侍としても人間としても、甲斐にはそうする以外にやりようはなかった。甲斐にとっては、それが立派でもないし、無情でもない。そうせざるを得なかっただけであり、心の奥に辛いおもいが残るだけであった。
 ――辛いおもい。
 丹三郎のとき、周防のとき、そうして、矢崎舎人の事が、それに続いたのである。矢崎が物頭として直臣にあげられたとき、甲斐はいつかそのような日が来る、ということを漠然と予感した。
 ――舎人はいつかやられる。
 どういうかたちでか、舎人もまた犠牲にされる。と甲斐は予感していた。そして、それが事実となった。
 七十日ほどまえ、物頭の上田帯刀たてわき(仲敏)という者が、咎めを受けて、家禄没収、その身は片倉小十郎に預けられ、妻子は古内源太郎に預けられる、ということになった。矢崎舎人は、上田の妻子を送ることを命ぜられ、かちの者二名、足軽三名と共に、陸前のくに栗原郡の岩ヶ崎にある、古内家のたてに向かって江戸を立った。
 妻子は無事に押送おうそうしたが、帰任するとすぐ、徒の者一人が、「矢崎どのは旅中、上田の妻に不倫なことをしかけた」と訴えて出た。そこで舎人は目付役の吟味を受け、さらに評定役から国老の裁断に回付された。甲斐はそのとき初めて知ったのであるが、同時に、押送の供をしたもう一人の徒が、不倫の訴えは誤解である、と云っていることを聞いた。
 ――途中で宿に着いたとき、上田の妻女が疲れのため卒倒した。それを見て、矢崎舎人が駆けより、抱き起こしてやったのだ。
 自分はその場で見て知っているから、必要なら証人に立ってもよい、とその徒が云っており、これに対して、訴え出た徒のほうでは、彼は矢崎から口止めの金を貰っている、と主張しているとのことであった。
 国老の評議に当って、甲斐はなにも意見は述べなかった。
 ――証人を喚問しようか。
 という説が出たときだけ、甲斐は、その必要はあるまい、と反対した。矢崎舎人が、もと原田家の人間であったことは、みんな知っているので、その反対には意外な感じを受けたらしい。甲斐は、こういう問題は水掛け論になると云い、他に人もあるのに、矢崎が自分で抱き起こしたのは穏当ではないし、証人を喚問すれば、口止め料、などということもとりあげなければならない。それでは事が紛糾するばかりである、と主張した。
 結局、矢崎舎人は、家禄召し上げのうえ追放、ということになった。甲斐はひそかに人をって、日本橋の雁屋かりや信助を訪ねろ、と舎人に伝えたが、舎人の無罪が明白と思われるのに、これを罰することを、自分が主張しなければならなかった、という立場の苦しさは尋常ではなかった。
 ――なにかが近よって来る。
 と甲斐は思った。丹三郎、周防の死、そして舎人の追放、甲斐を遠巻きにしていたなにかが、しだいにその輪をちぢめ、力を加えて、彼の上にのしかかって来る、というような感じを、彼は殆んど肉躰にくたいにまで感じはじめた。
 そこへ「席次の争い」という問題が起こったのである。
 その知らせは、船岡にいる家老の、片倉隼人はやとから来た。手紙は詳細に事実を伝えていたが、甲斐をおどろかせたのは、その争いの中に、わが子の帯刀たてわきが加わっていることであった。
 事のしだいはこうである。――その年の四月十三日、幕府の国目付が仙台へ着いた。国目付は例年のとおり、神尾若狭守わかさのかみ(使番)安部主膳(小姓組)の二人で、四月五日に江戸を立ち、十三日に到着した。そうして、四月二十二日、仙台城の二ノ丸で、両国目付の饗応きょうおうがおこなわれた。
 これには役目の者、家筋の者が挨拶に出て、国目付からさかずきを受けるのであるが、その席順は左のとおりになっていた。
 第一、家老
 第二、評定役
 第三、着座ちゃくざ(国老となる家柄)
 第四、大番頭
 第五、出入司(会計総監)
 第六、小姓頭
 第七、目付役
 これは定例になっていたが、二十二日の饗応には、この席次が無視された。古内源太郎(重定)伊東采女うねめ(重門)は着座の家柄であって、席次は第三であるのに、第七の目付の次、すなわちいちばん末席にまわされた。しかも、いざ出ようとするときになって、急に、甲斐の子、原田帯刀(宗誠)を、二人の先に出したのであった。
 古内源太郎は、国老主膳(重安)の子であり、伊東采女は重定の弟であった。古内から出て、伊東新左衛門の養子になったのだが、この二人だけを末席にまわしたということは、古内氏に対する政治的な措置、ということが感じられた。
 ――悪いことには。
 と隼人は手紙に書いていた。
 悪いことには、この少しまえに、伊東七十郎が上方から帰国しており、事のあった数日まえに、仙台の屋敷へ来ていた。源太郎も采女も、席次の不当には怒ったが、その場ではなにも云わなかった。
 だが、采女から仔細しさいを聞いて、七十郎が怒りだし、このままには済まさぬといって、国老柴田外記げきに抗議を出す一方、原田帯刀を二人の先に出した件について、その係りの者をしらべたところ、
 ――帯刀は寄場よせばに詰めていたが、急に目付役今村善太夫に招かれて、源太郎、采女らの先に出た。
 ということがわかった。そこで七十郎は、里見十左衛門と相談のうえ、自分で柴田外記を訪ねた。外記は七十郎を見て、困った男が出て来た、と思ったらしい、けれども会うことは会って、次のように答えた。
 ――詳しい事情はわからないが、役目のある者を先にし、二人は無役だからあとにしたのであろう。
 ――では原田帯刀はどうか。
 と七十郎は反問した。
 ――帯刀どのは無役である。役目のある者を先にするというのなら、帯刀どのを先にした理由をうかがいたい。
 柴田外記は反問に窮し、それは係りの者に訊くがよい、と答えた。係りとは誰であるか。当日の目付頭だ。今村善太夫か。善太夫ならわかるだろう。そういう問答があり、七十郎は今村善太夫を訪ねた。善太夫が一ノ関の息のかかっている人間だということは、まえから知らない者はない。彼は七十郎の抗議に対して、
 ――国目付の饗応は臨時のことだから、到着した順にしたがったのである。
 と冷淡に答えた。
 ――それでは柴田どのと口が合わぬぞ。
 七十郎は怒って、国老は役目の有無によって順序をきめた、と云ったことを告げた。善太夫は、国老がそう云われたのならそうであろうと、薄笑いをし、もう済んだ事だから、自分にはこれ以上の返辞はできない、と答えた。
 七十郎はまた里見十左衛門と話しあい、上田権左衛門という者を遣って、外記の挨拶を正式に聞こうとした。だが、上田は事の重大さを恐れて、その役を引受けず、十左はそのふがいなさを怒って、今後絶交する、ときめつけた。
 里見十左衛門は、眼疾のため、すでに職をしりぞいていたから、自分でその役を買って出るわけにはいかない。そこで氏家伝次という者を、外記のもとへやった。――外記と伝次の問答は数刻も続いた。七十郎が伝次に託した質問は、左の三カ条であった。
 第一、御一門、歴々の子息でも、役目の者のあとに出すという相談であったか。
 第二、原田帯刀が順を間違えたのか。
 第三、柴田外記どのが奏者下知げじを間違えられたのか。
 これに対して外記は、
 ――正月の式などは御家の嘉例かれいだから、席次なども厳しく守るが、饗応の宴は臨時のことで、さほど窮屈に考えることはあるまい、現に片倉小十郎どのなどは、自分より席次が下であるのに、こんどはずっと先に出ているくらいだ。
 こういうわけだから、まずこんどのところは勘弁してもらいたい、という挨拶だった。
 これを聞いて、七十郎は自分でまた外記を訪ねた。外記が古風な直情家であり、平生から進退明白な人なので、その挨拶がよけいかんに障ったらしい。
 ――御挨拶は聞いた。
 と七十郎は外記に云った。
 ――だが、正月の礼は伊達家の私事である、こんどの場合は公儀役人の接待で、「臨時のこと」などという軽い沙汰ではない筈だ、国老ともある貴方あなたが、そんな軽率なことを云われてよいのか。
 ――また、貴方は、片倉どのよりあとから出られたそうであるが。
 と七十郎は続けた。
 ――貴方は国老だから、誰のあとに出られても不名誉ではない、仮に人足のあとから出られたとしても、謙遜けんそんな人だと褒められこそすれ、下座にさげられた、などという者はないだろう、しかし采女は若年でもあり、無役でもあるうえに、養子の身の上だからそうはいかない、こういうことがあると身の面目ばかりではなく、故新左衛門の名にもかかわるのである、侍は忠義のためにならよろこんで死にもするが、不当な恥辱に屈することはできない、と激しい表現で詰めよった。
 外記はやむなく、自分の誤りであった、もういちどよく吟味したうえで、しかるべき方法をとるとしよう、と答えた。
 ――まことに米谷まいや(柴田外記)さまこそお気の毒なことであった。
 と片倉隼人は手紙をむすんであった。
 文面は以上のとおりであったが、甲斐は後半をざっと読み終るなり、七十郎め、と口の中でつぶやき、唇をんで眼をつむった。
「七十郎のおろか者め、罠にはまったということがわからないのか、それは罠だ、一ノ関の仕掛けた罠だぞ」
 こんな簡単なことがわからないのか、今村善太夫、渡辺金兵衛らは、みな一ノ関の意のままに動き、機会さえあれば紛争を起こそうとしている。それは七十郎自身が知っている筈ではないか、他人の場合には「そうか」とわかっても、身内の問題となると見えなくなるのか、と甲斐は心のなかで呼びかけた。
 ――七十郎に云ってやるか。
 と甲斐は思った。
 ――つまらない意地を張るな、それは命取りになるぞ、その意地の座からおりろ。
 甲斐がそう云ってやれば、七十郎はほこをおさめるかもしれない。まだまにあう、そう云ってやろうか、と考えて、そこで、だめだ、と思った。
 ――帯刀が関係している。
 自分の子が渦中にいる、七十郎はたぶんそれにこだわるだろう、帯刀は古内源太郎や伊東采女のまえに出された。七十郎が意地になっている理由の一つは、二人のまえに帯刀が出されたことにある。
「米谷どのに頼むとしよう」
 柴田外記は頼むに足る人だ。自分に対しては好感をもっていないらしい、自分が一ノ関に推されて国老になった、ということで誤解している。それは涌谷わくやが示唆したものであるし、甲斐を一ノ関の与党であるとみせるための工作であったが、――しかし外記ほどの人物なら、理を尽して話せばわかってくれるであろう。七十郎に構うな、と書いてやろう、いま家中に紛争を起こしては大事になる、七十郎にはとりあうな、という意味を書き送ろう。甲斐はそう思い、すぐに手紙を書きはじめた。
 甲斐が柴田外記に手紙を出してから、まだ十日と経たぬうちに、「席次の争い」は一転した。
 ――これはもはや席次の問題ではない。
 と国老の側でひらき直った。
 もちろん兵部宗勝が主唱者であるが、事情を聞いて田村右京も怒り、柴田外記は当事者として堪忍の緒を切った。七十郎は伊東の一族で、采女の後見をしているが、伊達家の直臣ではない。処士しょしの分際として国老を問責するのは無礼でもあり、その仕方は僣上せんじょうすぎる、というのである。
 ――こういう者を捨てておいては、国老の威令が行われない。
 厳罰にすべきである、という激しい空気になって来た。これに対し、里見十左衛門の奔走もあったのだろう、若侍の一部に反対が起こった。
 七十郎が国老を問責したのは、なるほど単に席次の問題ではない、一ノ関の専断横暴と、国老が無能であるために、藩政が紊れている。席次のことなどもそういうところに原因があるので、七十郎らを罰するよりも、その根本の改廃こそ先決問題である。まず、一ノ関の専断横暴を、押えなければならない、と云いだし、それが強い勢いで弘がっていった。
 これらの経緯は、むろん甲斐にも通じていた。国老側の意向も、その反対の動きも、甲斐には手に取るようにわかった。
 ――処罰をいそいではならぬ。
 甲斐はつよく主張した。江戸でも、両後見を中心に、在府の老臣が幾たびか評議をひらいた。七十郎らを罰すべし、という空気は圧倒的で、それは兵部宗勝の思う壺であったが、甲斐だけはそれを慰撫いぶし、押えることに努めた。
 ――処罰をいそぐと騒ぎが大きくなる。
 甲斐はそう云った。国老側の意向に反対する者たちは、問題を政治にもってゆこうとしている。なかんずく両後見、特に一ノ関を弾劾する勢いが強く、このまま押し切れば、家中は二派に対立して、いかなる騒動に発展するかも計り難い。
 ――ここは「吟味ちゅう」ということにして、いちおう事を見送るべきだ。
 反対する勢力は、時が経てば弱まるに違いない。処罰するならそれからでもおそくはないだろう、というふうに説いた。
 古内家がまず折れた。兵部宗勝も、――おそらく自分が弾劾の矢おもてに立っているためだろう、しぶしぶながら甲斐の説に服し、処罰は暫く延ばす、ということになった。
 甲斐は涌谷へ密書を送り、評議の始末と、七十郎を押えてくれるように、ということを頼んだ。そして時が経てば、国老側の意向も変るであろう、それまで、七十郎がおとなしくしていてくれるように、と甲斐は祈るのであった。

絶壁


 七十郎は酔っていた。
 青根の温泉いでゆへ来て半月になる。去年(寛文七年)の四月から殆んど一年、席次問題で存分に暴れたが、国老側は態度を明らかにせず、「なお吟味ちゅう」というばかりで、まったくらちがあかない。気をくさらせて、この青根へ保養に来たのであった。
 伊達家の宿舎とはべつの、湯治客の泊る棟で、ふじこという女中をひきつけたまま、連日、酒浸りになっていた。ふじこは二十六七になる。色が黒く、小柄で、手足はがっちりしているが、顔だちは眼に立つほどきれいだし、動作や口のききかたも、きびきびと歯切れがよかった。
ふじこ、こっちを向け」と七十郎が云った。
 ふじこは「なんですか」と七十郎のほうへ向き直った。七十郎は酔って充血した眼を細め、珍らしいものでも眺めるように、ふじこの顔を見まもりながら、ほう、といった。
「おまえふじこだな」
ふじこはわたしですよ」
「初めからふじこか」
「初めからって、どの初めからですか」
「おれが来たときからさ」と七十郎は口の端を手の甲でぬぐった、「おれがここへ来た初めから、ふじこが相手をしてくれたのか、と訊いているんだ」
 ばからしい、とふじこは鼻柱へしわをよせ、お客さんは酔って気がどうかしているのだろう、という意味のことを、ひどいなまりのある言葉でつけつけと云った。
「おれが酔っているって」と七十郎は笑った。
「このくらいの酒でおれは酔やあしない、そんな心配をするな、いまふじこの顔に気がついたので、びっくりしたところだ」
「わたしの顔がどうかしていますか」
「やまが育ちにしてはきれいだ、あんまりきれいなんで、今日が初めてかと思ったんだ」
「ばからしいこと」
「おまえ山そだちだろう」
「お客さんはどうですか」
「ばからしい」と七十郎が笑った。
 酌をさせて一つ飲み、またふじこの顔を眺めながら、うん、とうなずいた。
「うん、よろしい、きれいだ、おまえ気にいったぞ、いったいどこから来た」
「柴田郡です」
「ふん、柴田郡か、――その年だと、もう亭主も子供もあるんだな」
「あればこんな奉公はしていません」
「さよう候か」と七十郎は合点をした、「亭主も子供もなしとすれば、おれとしても考えなければならないが、柴田郡はどの辺だ」
「船岡の在です」
 七十郎はふじこを見た。飲みかけた盃を、口のところで止めたまま、いぶかしそうな眼つきで、じっとふじこを見まもった。
「船岡の在、だと」
「そうです、小坂というところで生れて、去年の暮までずっとそこにいたのです」
「船岡の在」と七十郎はつぶやいた。
 彼は顔をしかめて、三杯ばかり黙って飲み、それからふじこに、飲むか、と訊いた。ふじこは、飲むと用をするのがおっくうになるから、と首を振った。じゃあ飲めるんだな。ええ飲めば飲めますよ、在にいるじぶんにはよく飲みましたから、とふじこは云った。
「おまえ」とやがて七十郎が訊いた、「船岡だとすると、館主たてぬしの原田を知っているか」
「ええ、知ってます」
「会ったことがあるか」
「ええ、あります」とふじこは頷いた、「江戸からお帰りになると、山の猟小屋へいらっしゃるでしょう、そうするといつも友達といっしょに伺って、お相手をするんです」
「友達とは、女どもか」
「やまがの娘たちです、みんな殿さまが好きだし、殿さまもわたしたちを可愛がって下さいましたよ」
「ばかなもんだ」
「なにがですか」
「原田甲斐という男さ」と七十郎が云った、「船岡の館主であり、伊達家の国老ともある者が、猟小屋で山そだちの娘なんぞを可愛がるなんて、いや、あの男にはそういうところがある、昔からそういう妙な癖があった、彼は女には抵抗できない、女に誘惑されると拒むことのできない人間だ」
「お客さんは殿さまを御存じなんですか」
「おまえより古くからだ」
「へえ、お気の毒だこと」とふじこが云った。
「気の毒だって」
「お酒を持って来ます」
「待て、気の毒とはどういうことだ」
「お酒を持って来ますから」とふじこは立ちあがった。
 七十郎は盃を置いて、汁椀を取った。干したきのこの汁はもう冷えていて、ひなた臭いような味だけが舌に残り、七十郎は顔をしかめた。気の毒に、と彼は口の中で呟き、それから、両手をうしろに突いて、ぐたっと上躰を反らせた。
 彼の顔つきは変っていた。額や頬のあたりがとがって、以前のような濶達かったつさや、明るさが感じられない。席次の争いが、いかに彼を疲らせたかということがわかる。彼は神経をすり減らし、つねにいらいらと怒りやすくなった。いまもまた、無知な山そだちの女中などの、つまらない言葉が神経に障り、うっかりするとどなりだしそうな気分になっている。
「おい七十郎、きさまみっともないぞ」と彼は自分に云った。
 七十郎は、もうふじこは来ないだろう、と思った。立ってゆくときのようすに、そんなふうがみえたのである。彼のほうでも、来ないほうがいいと思ったが、ふじこ銚子ちょうしを持って戻って来た。すると、七十郎はまた神経が立ってきた。ずっと飲み続けで、たまっている酔いのさめるときがなく、感情がもろくなっていたのだが、自分では気づかなかった。
「おい、なにが気の毒なんだ、おれのどこが気の毒なのか云ってみろ」
「云ってもいいですか」とふじこは酌をして、七十郎を見た。云ってみろ、と七十郎は促した。
「お客さんは、わたしより古くから、殿さまを知っているっておっしゃったけれど、殿さまのことはなにも御存じないようだからです」
「おれがなにを知らないんだ」
「殿さまがわたしたちを可愛がって下さる、って云ったことを勘違いして、殿さまを女にだらしのない人だって仰しゃったでしょう、そうじゃないですか」
「そうだからそうだと云ったまでだ」
「お気の毒ですけれど、殿さまはそんな方じゃありません、お客さんの云うことは、筍笠たけのこがさが冠の悪口を云うようなもんです」
「こいつ」と七十郎は腰を浮かした。
 殴りつけようとしたのであるが、手をあげるまえにはっと気がつき、「こいつ」とにが笑いをして、危なくわれを抑えた。ふじこはなんだという眼つきで七十郎を見、それから鼻の頭へ皺をよせた。
「わたしたちが猟小屋へゆくのは夕方です」とふじこは云った、「みんなで酒とさかなこしらえて持っていって、酒も手づくりだし、肴も山女魚やまめあゆかじかなんかの煮浸しとか、茸とか自然薯じねんじょとか、野菜の煮たのぐらいで、そこらのちょっとした旦那なんかでも、はしもお出しなさらないような物ばかりですよ、それを殿さまはよろこんで喰べて下さるし、ときには御自分の酒や肴を、わたしたちに分けて下さるというふうです」
「おれは与五の小屋へはいったことがある」
「あのじいさまも、お客さんと同じようなことを考えていたらしいですよ」とふじこが云った、「お客さんも与五のじいさまも、ほかのたいていの人がそんなふうに思っていたようです、殿さまはどこでも女衆に好かれるし、世間の人たちのように、おら女は嫌えだ、なんて顔はなさいませんからね、そうですよ、わたしたちは猟小屋で、殿さまと夜明しで話したこともあるし、並んで寝たこともあります、面白がって殿さまに抱きつく者だっていました、けれども殿さまはやさしく笑って、わたしたちの好きなようにさせていらっしゃる、突き放しもなさらねえだし、そうかって御自分から抱いたりでたりするような、いやらしいまねはこれっぱかりもなさらねえです、お客さんは御存じねえです、うちの殿さまはそういうお方ですよ」
「ばかなはなしだ」と七十郎は冷笑した、「女といっしょに寝たら、しぜんにそうなってこそ男というものだ、それをそうならないのは男でもなし人間でもありゃあしない、あの男は退屈なだけだ」
「久兵衛も同じようなことを云ってましたっけよ」
「久兵衛だって」
「わたしのことを追い廻してた男です」とふじこが云った、「夫婦約束がしてあったのに、殿さまと怪しいなんて疑って、しまいには鉄砲を持って、殿さまのことをねらう始末でした」
「しんけんだったんだな」
白痴こけなだけです」
ふじこのことをしんけんに想いつめていたんだ」と七十郎が云った、「男が女にれたら、白痴になるほど惚れるがいい、そのほうがよっぽど男らしいし、人間らしいというものだ」
「白痴はまっぴらですよ」とふじこが云った、「わたしが在をとびだして来たのも、久兵衛がうるさくってかなわねえからです、惚れてくれるのは悪くはねえですけれど、雄猫まで疑うような白痴はまっぴらです」
「その、――久兵衛だが」と七十郎が訊いた、「鉄砲を持って跟け覘って、結局どうしたんだ」
「どうもしなかったです」
つかまらなかったのか」
「追い詰めたです、追い詰めたことは追い詰めたですが、――そうですよ、殿さまを射たねえで、ほかのものを射ったです」とふじこ軽蔑けいべつしたように肩をすくめた、「そのとき殿さまは怒って、射つならなぜおれを射たないんだ、どうしてだ、ってたいへんお怒りになって、領分から出てゆけって仰しゃったそうです、あとでお許しが出たですけれど、二年ばかりは船岡領へ近よれなかったですよ」
「ほかのものを射ったって、なにを射ったんだ」
 ふじこはまた肩を辣めて、なに、たいしたもんじゃねえです、と云った。
「お客さんには話してもわからねえようなものですよ」
「あの男が怒った」と七十郎は唇を曲げた、「原田甲斐が怒った、しかも自分を射たなかったということでか、そいつはなにかの間違いだ、話に尾鰭おひれが付いたのだろう」
「そうかもしれねえです」
「そうかもしれないって」
「わたしたちにはわかるですけれど、殿さまの御性分を知らねえ人にはわからねえようですからね、そうかもしれないって云うよりしようがねえです」
「たくさんだ、原田の話しはやめにしよう」
「お客さんが始めた話しですからね」
 そのとき宿の者が廊下へ来た。
「お客さまでございます」と宿の者が廊下で云った、「仙台から里見さまと、小野のお館から使いの方が、ごいっしょにみえました」
「里見と、小野から」
 七十郎は宿の者を見た。その一瞬間、眼の前が霧にでもおおわれたように、突然ぼうとなり、宿の者の姿がかすんで、無限に小さく、遠のいてゆくように思えた。七十郎は、ここへ、と云いながら、眼をつむって、強く首を振った。
 里見十左衛門と共にはいって来たのは、小野の館の家従で、鷺坂靱負さぎさかゆきえという老人であった。ふじこはすぐに二人の席を設け、かれらに火桶ひおけを持って来た。十左は坐るなり、火はいらぬ、と云い、ふじこに向かって手を振った。さがっていろ、という意味である。ふじこは七十郎を見た。
「まあいい、湯にはいって一と口やってからにしないか」
 と七十郎が云った。
「話しがさきだ」と十左はもういちどふじこに手を振り、ふじこは去った。鷺坂は持っていた袱紗ふくさ包みをひらき、十左はそれを止めて、「大事が出来た」と七十郎に云った、「席次争いの裁決があった」
「裁決だって」七十郎はけげんそうに十左を見た。
 十左は眼を拭きながら頷いた。彼の眼は数年まえから病んでいて、絶えず涙が出、目脂めやにが溜り、そうして視力が弱るばかりであった。かたくなで負けない性分だから、視力の衰えは誰にも云わないが、目脂が溜ったり、いつも涙が出ることは隠せないし、それが彼を苛立たせ、怒りっぽくさせていた。
「そうだ、裁決だ」と十左は云った、「小野には、国老に対して慮外なふるまいがあった、死罪にすべきところではあるが、藩主が御幼弱で、上意のほどもうかがえぬから、当座逼塞ということにする、また氏家伝次は、若年の采女うねめに頼まれて、辞退すべきところを引受け、国老を詰問したのは僣上である、これも切腹に処すべきであるが、同じ理由によって逼塞を命ずる、次に、伊東七十郎は浪人の身にもかかわらず、上を軽んじ政治を誹議ひぎした、これまた切腹に処すべきところ、特に一命を助けて、伊達式部に預けとする、――以上だ」
 七十郎は暫く黙っていた。
 からだの中に溜っていた酔いが、しだいにさめてゆくように思い、それに代って、失望と、力の脱落を感じた。彼は膳の上の盃を取り、手酌で注いで、静かに一と口飲んだ。それから十左を見て、乾いた弱い声で訊いた。
「その裁決は誰がした」
「采女どのが呼ばれて、茂庭主水もんど(周防の子)から申し渡されたということだ」
 七十郎は舌打ちをした。
 ――ぬかりなくやったな。
 と彼は思った。
 この争いは国老が相手であった。もしも国老から申し渡しがあったのなら、はねつけることができる、争いの原因は国老側の手落ちなので、その相手から罪科を申し渡されるということはない。だが茂庭主水は評定役であり、評定役は争いの外にいたし、申し渡しはその職であるから、文句をつける隙はなかった。
「あとのことを聞こう」と七十郎は云った。
「私から申上げます」と鷺坂靱負が答えた。
 采女は小野の館で召し出しを受け、仙台に出て、茂庭主水から裁決を申し渡された。これは三月十一日のことで、次の日に、七十郎といっしょに再出頭せよ、という通告があった。そこで采女は、七十郎がいま湯治にいっていること、自分も所労であるから、七十郎が湯治から戻ったら、同道で出頭すると答え、里見十左衛門を訪ねて相談した。それから采女は館へ戻り、鷺坂が十左と共に、この青根へ来た、ということであった。
「これはわなだと思うのだ」と十左が代って云った、「氏家伝次にも申し渡しがあったそうだが、小野にだけ七十郎をれて再出頭しろ、というのは、呼びつけておいて腹を切らせるつもりだと思う」
 七十郎は頷いた。十左は眼を拭き、肩をいからせて続けた。
「これまでのいきさつから考えても、逼塞とか預けぐらいで済もうとは思えない、かれらは詰腹を切らせるつもりだ、それに相違ないと思うがどうだ」
「いま一ノ関はどこにいる」と七十郎が十左を見た。
「裁決までは仙台にいたが、いまは一ノ関へ帰っている」
いたちめ」と七十郎が云った、「原田甲斐は船岡か」
「いや、これはまだ江戸だ」
「今年は在国の筈ではないか」
「御用繁多で番が明かないということだ」
 七十郎は、話しはわかった、と頷き、とにかく湯にはいって来い、一と口飲んでからおれの思案を述べよう、と云った。
「そんな暇はない」と十左は首を振った、「采女どのが小野へ帰ったとわかれば、討手うってを向けられるおそれがある、そうなっては手おくれだ、このまますぐに立とう」
「討手が来るものなら、いそいで帰ってもむだだ、十左らしくもない、まあおちついてほこりでも洗って来るがいい」
 そして彼は手を叩いた。
 ふじこが来て、十左と鷺坂を浴舎へ案内した。七十郎は酒を命じ、思案をまとめるために、坐り直した。
 ――呼び出して詰腹を切らせるつもりだ。
 という十左の意見を、七十郎は二つの面から検討してみた。第一は、そんな無法なことは有り得ない、という面を。そして第二は、有り得るという面から。十左は性急な気質だし、兵部に対して必要以上に憎悪と猜疑さいぎをもっている。一ノ関の名が出るだけで、すぐに不法と陰謀を考える。
「だが一ノ関は小人しょうにんだ」と七十郎は呟いた、「兵部は小人で臆病者だ、決して大きなことをやる胆力はない、米谷まいやどのは頑固だが、これは理非の明確な人だから、いちど逼塞と預け者に処したのち、呼び出して腹を切らせる、などということを黙過するわけがない」
 十左は思い過している、と七十郎は呟いた。
 ふじこが酒を持って来た。七十郎は酌をさせながら、ふと眼をあげてふじこを見た。
「久兵衛が射ったのはなんだ」
「――なんですか」
「さっきの話しだ」と七十郎が云った、「鉄砲を持って原田をけ廻し、追い詰めたところで、原田を射たずにべつのものを射ったそうではないか」
「その話しはやめろと仰しゃったですよ」
「なにを射ったんだ」
 ふじこは七十郎を見返して、お客さんにはわからないだろうが、と断わり、それから、鹿を射ったのだと答えた。
「鹿だって」
くびじろっていう大鹿です」とふじこが云った。
 その鹿は、何年ものあいだ、甲斐が追っていたもので、ようやく吹雪の中で追い詰めた。しかし、いざというときに、甲斐の弓のつるが切れて、甲斐はくびじろつのにかけられた。もう一と突き突かれたら、命はなかったであろう。その刹那せつなに、久兵衛がくびじろを射ったのである。甲斐をねらって跟けて来た久兵衛が、甲斐を射たずに鹿を射った。それで甲斐が怒ったのだ、とふじこは語った。
「命を助けられたのに、原田はどうして怒ったのだ」
「殿さまは御自分でくびじろを仕止めるおつもりだったんです、何年も何年も追っていらしって、追っていながら情愛をもつようになられたんです、くびじろには誰も手を出すなって、よくそう仰しゃってましたし、罠や鉄砲なんかでなく、いつも弓で正面から向かっていらしったんです、だから、久兵衛なんぞの鉄砲で殺されたのが、よっぽど哀れに思われたのでしょう、どうしておれを射たなかった、とたいそう大きな声で怒られたそうですけれど、わたしたちはそれを聞いて、すぐに殿さまのお気持がわかったですよ」
 七十郎の顔から、冷笑と、皮肉な色が消え、彼は持っている盃をみつめた。
 甲斐と、大鹿と、久兵衛。
 追う者と追われる者と、三者が一つに対決したとき、生と死が逆転した。もしもふじこの云うとおりなら、と七十郎は心のなかで思った。どうして生死が逆になったのだ、久兵衛はなぜ甲斐を射たずに、くびじろを射ったのだ、彼は甲斐を跟け覘っていたのだし、甲斐は角にかけられて、死を待つばかりだった、というではないか。
 それなのに、どうして久兵衛は、甲斐を射たずに鹿を射ったのだ、どうしてだ、館主とその領民という関係からか。いや、それなら初めから、鉄砲を持って跟け廻すなどということはしないだろう。そうだ、おそらく理由はあるまい、引金を引く瞬間には、久兵衛はなにも考えてはいなかったろう。銃口はしぜんに動いたのだ、その刹那に、なにかの「力」なにかの「意志」といった、眼に見えないものが久兵衛を支配したのだ。七十郎はそんなことを思いながら、実際には、頭のなかでまったくべつのことを考えていた。彼は黙って酒を飲み、ふじこは訝しそうに、急に沈黙した彼を、眺めていた。
 十左が戻り、鷺坂が戻ったとき、七十郎の表情はまったく変っていた。
「人間はしばしば」と七十郎が低い声で云った、「見ることのできない、なにかの力、なにかの意志、といったものに支配されることがある」
 十左は口をあいて彼を見た。
 七十郎は銚子を取って十左に酌をし、ふじこに、酒を持って来い、と命じた。十左は手拭でくびや額を拭きながら、どういうつもりだ、と訊いた。七十郎は重ねて酌をし、十左はおちつかないようすで飲んだ。
「明日の朝ここを立とう」と七十郎が云った。
「明日だって、まだこんなに陽が高いぞ、いま立てばれるまえに永野までゆけるぞ」
「なぜそういそぐんだ」と七十郎が云った、「小野へ帰るには仙台を通らなければならない、知った顔に会わないためには、時刻を計る必要があるじゃないか、それに、どうするかということは、ここで充分に考えておかなければならないだろう」
「まだ思案がきまらないのか」
「あぐらをかくがいい、里見老、時間はまだたっぷりある」
 十左はむっとふくれた。
 ふじこが酒を持って来ると、七十郎は十左に、この娘は船岡の者だ、と云った。ふじこはおじぎをして、里見さまは知っています、と云った。与五兵衛の小屋で会ったことがある、と云ったが、十左は見もしなかった。七十郎は鷺坂靱負に、済まないが座を外してくれと云い、ふじこに眼くばせをした。
 ふじこは鷺坂の膳を持って出てゆき、戻って来て、どうぞ、と鷺坂を案内して去った。
「なぜ彼を遠ざける」と十左がけげんそうに訊いた。
「小野の館には、一ノ関に通謀する者がいるんだ」
「内通者だって、ばかなことを云うな」
「事実だ、事実いるんだ」と七十郎が云った、「奥山出雲か鷺坂靱負か、どちらかわからない、二人のうちどちらかが一ノ関と通謀している、それが給主きゅうしゅ(仙台から付けられた与力)の手を経て行われていることに間違いはない」
「いつごろからだ」
「わからない、ずっと以前からかもしれないが、おれが気づいたのは義兄あにの死んだあとだ」
「証拠があるのか」
「一つだけ云えば、両後見から取った三カ条の誓紙を、盗もうとした者があった」
「一ノ関の欲しがっていた、あれをか」
「兵部は義兄の病中から、あの誓紙を返せと云っていた、誓紙の三カ条は、事のあったとき兵部を取って押えることができる、それでしきりに返せと迫っていたのだが、おれはそれを小野の館へ持ち帰った」
「盗もうとしたことは間違いないか」
「しかも、それは奥山か鷺坂か、どちらかでなければ、近よることもできず、そこだという見当もつかない場所だ、内通者がいるという証拠はほかにもあるが、いまそれを教える必要はないだろう」
 十左は頷き、眼を拭いて盃を伏せながら、飲むとぐあいが悪いと云って、七十郎を見た。
「それで、どうする」
「里見老になにか意見があるか」
涌谷わくやを考えた」
「命乞いか」
「事情をよく話して、涌谷が口をきいてくれれば、――」
 七十郎は首を振った、「いかん、命乞いはいかん、そんな屈辱は忍べない、ここははらをきめるときだ」
「むろん、これはおれだけの思案だ」
「それはできない、争いの根本は国老の失態だし、直接には一ノ関の手で、今村善太夫が故意にしたことだ、席次のことで恥をかいたうえに、また命乞いをするなどということができるものか」
「ではどうしようというのだ」
「おれの先祖は政宗公の直臣だった」と云って、七十郎はゆっくりと、手酌で一つ飲んだ、「伊東肥前(重信)が、天正十六年に、安積郡本宮の合戦で討死をしたことは、かくれもないことだ、いまこそ処士だが、おれの躯には先祖の血がながれている、おれは死にどきだけは誤らないつもりだ」
「すると、死ぬつもりか」と十左が坐り直した。
「ほかにみちがあるか」と七十郎が訊き返した。
 十左は眼を拭き、ちょっと口ごもってから、そこを考えるために来たのだ、と云った。
「すでに国老評定の裁決が出ている、采女どのは逼塞、七十郎は預け者と、正式に裁決が出ているのだ」
「呼びつけて詰腹を切らせるつもりだ、と云ったのは里見老ではないか」
「出頭すればだ」と十左が云った、「出頭すればその危険があると思った、そうではないか」
「かれらが詰腹を切らせるつもりだということはたしかだ」
「出頭しないという方法もある」
 七十郎は唇で笑った。十左は、まあ聞け、と云った、「采女どのは所労と届けた、七十郎のことも湯治と答えてある、だから両人とも病気といって出頭を延ばすのだ、いちど裁決が出ているのだから、そうすればかれらも」
「まあ待て、それはおかしい」と七十郎はさえぎり、唇で微笑しながら、十左を見て首を振った、「それは矛盾する、おくれれば討手をよこす、と云ったのも里見老ではないか、そのとおりだ、延ばすことなどできはしない、仮にできたとしても、涌谷に命乞いをしているのと同様、僅かな時日を生き延びるにすぎない、それはだめだ」
「しかし、時日が経てば情勢の変る望みもあるし、死ぬことだけが侍の面目ではないぞ」
「どうしたのだ」と云って、七十郎はくすくすと笑った、「里見老にも似あわない、急に乳母のようなことを云いだすではないか」
「いや、おれはただ、犬死にをするな、ということが云いたいのだ」
「望んで犬死にをするやつはないさ、まあ聞いてくれ」と七十郎が云った、「里見老は一ノ関の館へいったことがある筈だな」
 十左は、ある、と頷いた。
「あとでいいが、館の間取を図に書いてくれ」
「一ノ関へゆくのか」
「兵部を片づける」と七十郎はまた微笑した。
 十左は眼を拭こうとして、手をあげかけたまま、七十郎を見つめた。七十郎はゆっくり手酌で飲んだ。彼はいま彼の面目をとり戻したようである。この青根へ来てからの、疲れたような、力のぬけた表情はきれいに消え、以前のままの、濶達かったつさと明るさがあらわれてきた。
「それは、――」と十左はどもりながら云った、「それは困難だ、それはむずかしいぞ」
「なにが困難だ」
「一ノ関は猜疑心さいぎしんの強い人だ、仙台、江戸はもちろん、館にいても非常に用心がきびしい、まあ聞いてくれ」と十左が云った、「いつか一ノ関で狩をしたとき、家従の射た流れ矢が身辺をかすったらしい、すると兵部は狙矢そやだと思った、まったくそう信じたようで、半日あまりも曲者くせものの捜索をさせた」
「兵部らしいな」
「そのときちょうど、おれは十カ条を挙げて兵部を問罪し、仙台では連日にわたって面会を求めた、それを思いだしたのだろう、曲者は里見十左衛門だといきりたって、ただちにおれの動静をさぐりに来た」
「あの男らしい」と七十郎は笑った。
「そんなふうに小心だから、館の警護もつねに厳重だし、ましてこんなときに訪ねても、刺すことはおろか、面会することさえ不可能だと思う」
「それには手がある」
「一ノ関にはいかなる手もきかないんだ」
「きく手があるんだ」と七十郎が静かに云った、「わからないか、――三カ条の誓紙だ」
 十左は黙った。
「両後見の誓紙だよ」と云って、七十郎は盃を持ったまま、あぐらをかいているひざの片方を、楽しそうに揺すった、「一ノ関はあの誓紙を欲しがっていた、さっきも云ったように、内通者に命じて盗ませようとさえしたくらいだ、あの誓紙のにくいつかない筈はない、間違いなく、必ず兵部はくいついてくる」
「そうかもしれぬが、――おそらくそうだろうが、しかし相手が七十郎では」
「いやおれではない、おれは供に化けてゆくさ」と七十郎は唇をめ、なにやらうまい悪戯いたずらでも思いついたように、こうだ、と云って、片方の手で膝をでた、「おれは供に化けてゆき、兵部とは采女が会う、大事の誓紙だからと云って、できれば人払いを求めてもよかろう、取次は断わって、じかに手渡しをすると云う、采女はふところへ短剣を忍ばせておき、誓紙を渡すとみせて刺すのだ」
易水えきすいの故事だな」
「おれは供待ちにいる」と七十郎は続けた、「館の図を書いてもらって、場合によってはもっと近い処へいっていてもいい、騒ぎが起こったら踏込んで、采女が仕遂げていればよし、仕損じたらおれが兵部を仕止める、こまかい点はその場にいってからでないとわからないが、これなら十中八九はやれるだろう」
 十左は膝へ両手を突き立て、眼をつむって、深く頭を垂れた。両手を突っぱっているので、肩があがり、頭はその両の肩のあいだに、埋まるように見えた。
「年が欲しい、――」と十左が呟くように云った、「もう四五年、いや、この眼が悪くなるまえだったら」
「おれが助太刀を承知すると思うか」と七十郎は笑った、「これは采女とおれの問題だ、里見老には限らない、いかなる者の助勢もお断わりだ」
 十左は頷いた。
「館の図面を頼むぞ」
「詳しくはない、玄関から接待、そして書院までしか知らないが、知っているだけは間違いのないように書こう」
「頼む、それによって手順をきめる」
「気がかりなのは采女どのだ」と十左が顔をあげて云った、「まだ年も若いし、性質もあのとおり温順だから」
「十九歳といえば若すぎる年齢ではない、それに平生おとなしい人間ほど、いざとなると思いきったことをするものだ、ことに、こんどの事の起こりは采女自身なのだから、彼は充分やるに相違ない」
「それが慥かなら、おそらくは仕遂げることができるだろう」
「話しは終った、鷺坂を呼ぶとしよう」と云って七十郎は手を叩いた。
 ふじこが来て、鷺坂を呼び戻しにいった。十左は「酔った」と云って、横になるためにべつの座敷へ去り、七十郎は鷺坂と飲んだ。靱負ゆきえは口の重い老人で、酒もあまり飲まず、おとなしく七十郎の相手になっているばかりだったが、やや暫くして、相談はどうきまったか、と気遣わしげに訊いた。
「どうなるものか、出頭するだけだ」と七十郎がむぞうさに答えた。
「――御出頭なさる」
「里見老は思いすごしている」と七十郎は云った、「いちど裁決されたものを、そう簡単に変えられるものではない、もちろんそれだけの覚悟はしなければなるまいが、とにかく出頭してみたうえのことだ」
「そうきまったのですか」
「ほかに手段があるか」
 靱負は、いや、と首を振り、いかにも安堵あんどしたというふうに、深い溜息をついて、これでようやくおちつきました、と云った。
「里見どのはあのとおり一徹であるし、こなたさまの御気性が御気性ですから、どんなことになるかと思いまして、じつは――」
「じつは、どう思った」
「いや、これでおちつきました、胸のつかえがおりたようでございます」
 七十郎は笑った。眼ではするどく靱負を見ながら、声をあげて笑い、ふじこ、と振向いて云った。
「別れにひと騒ぎしよう、芸者を呼べ」
 明くる朝早く、三人は青根の宿を立った。
 まだ天も地もまっ暗で、勾配こうばいの急な坂道を馬でくだるには、足もとが危なく、三人の馬はしばしば滑ったり、つまずいたりした。空が白むまで、かれらは黙って乗っていた。
 ――もういちど原田甲斐に会いたかった。
 と七十郎は思った。
 ふしぎなほど、甲斐がなつかしくなり、甲斐と会ったときの、いろいろな場面が思いだされ、胸を絞られるような、肉躰的な苦痛を感じた。
 ――老獪ろうかいな、肚の底の知れない男だ。
 ――いちども本音を吐いたことがない。
 ――兵部などにまでとりついている。
 彼はかつて甲斐に絶交を宣言した。世評だけを信じたのではない、彼の眼にも、甲斐が兵部の与党になった、ということが明瞭にわかった。しかも、それを甲斐自身が隠そうともしないこと、亡き新左衛門が口を尽して本心を聞こうとしたのに、まったく相手にならなかったことなどから、ついに七十郎もみかぎったのであるが、そんなふうに変る以前の甲斐、彼が誰よりも信頼し、敬服さえしていた甲斐の存在は、いまでも、彼の中に根強い魅力として残っていた。
 ――甲斐が帰国していてくれたなら。
 と七十郎は馬を駆りながら思った。
「すっかり明るくなった」と里見十左衛門が云った、「遠刈田が見えるぞ」
 七十郎は眼をあげた。
 右手向うに青麻山が、片側だけ際立って明るく、まだ眠りからさめていないような灰色の空に、ぬきんでて見えた。かれらは永野で馬を替え、槻木つきのきで乗り継ぎ、岩沼までいって宿を取った。
 七十郎は饒舌じょうぜつになり、上方かみがたを遍歴した話しや、熊沢蕃山ばんざんとの交渉などを、元気な口ぶりで語り続けた。だが十左はすっかり黙りこんでしまい、気むずかしい顔つきで、自分からは口をきかず、ただ相槌を打つばかりだったが、岩沼で宿を取り、夜具を並べて横になってから、太息をついて、ぽつんと云った。
「おれはおびえている」
 七十郎にはよく聞えなかった。夕食のときに飲んだ酒がきいて、躯にはまだ馬に乗っているような感じが残ってい、それが酔いをさそって、こころよく眠れそうになっていた。
「云いたくはないが」と十左はまた云った、「どうやらおれは怯えたような、悲しいような心持だ、こんなことは初めてだが」
「疲れているんだ」
「おれはどうやら、七十郎のあとに残るのが心ぼそいらしい、まるで女のくさったような、みじめな心持だ」
 七十郎は沈黙した。それから暫くして、隣りで鷺坂が起きている、と云った。
「眠ろう、朝が早いぞ」
 やがて、十左がささやいた。
「小野までいっしょにゆくぞ」
 七十郎は、いや、と枕の上で頭を振った。
「そんな必要はない、それでは事を面倒にするばかりだ、明日はここで別れよう」
「おれは小野までゆきたいのだ」
「ここで別れる」と七十郎が云った。
 それから、十左のほうを静かに見やって、里見十左衛門にも似あわない、しっかりしてくれ、と云った。
「おれたちが間違いなく仕遂げられればいいが、やってみなければ成否はわからない、万一仕損じたときに、後陣を頼めるのは里見老だけだぞ」
「だめだ、そう云ってくれる気持は、有難い、有難く思うが、この眼ではだめだ」と云って十左は呻いた、「こんな眼になってしまって、なにができる、眼だけではない、足腰も弱ってきた、おれはもう老いぼれだ」
 鷺坂に聞えるぞ、と七十郎が制止し、十左は口をつぐんで、壁のほうへ寝返りをうった。七十郎は低い声で、事を行うのは躯ではない、と囁いた。不退転ふたいてんの心さえあれば、大事は決行できる、それは誰よりも里見老が知っている筈だ、もしもわれわれが仕損じたら、里見老は必ず遺志を継いでくれるだろう、そのほかに人はいない、おれはそう信じている、と彼は云った。
「七十郎、――」
「わかった、もう寝よう」と七十郎が云った、「別れは云わないぞ」
 そして彼は眼をつむった。
 明くる朝、午前四時まえに、七十郎は鷺坂靱負と宿を立った。十左衛門は宿の表てまで見送ったが、七十郎は別れの言葉も交わさず、振返って見もせずに、馬を駆って去った。十左は眼を拭き拭き、馬乗り提灯の見えなくなるまで、軒先に立っていた。
 仙台城下を避けるために、二人は増田から名取川の河口へと馬を向け、閖上ゆりあげで川を渡ると、浜道を北上して松島へ出、さらに、馬を替えながら道をいそいで、その日の夜半すぎに、小野の館へ着いた。
 館はむろん寝しずまっていたし、采女も寝所へはいっていたが、鷺坂が起こしにゆき、すぐに着替えをして、七十郎の待っている書院へ出て来た。采女は十九歳にしては小柄なほうで、骨組も細く、ぜんたいがきゃしゃづくりだし、性質も躯に似て、ごく温順なほうであった。
 七十郎は鷺坂靱負と奥山出雲いずもを呼んだ。奥山は靱負と共に伊東家の家老で、靱負よりも若く、四十そこそこの壮年でもあり、家政のきりもりも達者だった。――七十郎は「出頭することにきまった」ということを、鷺坂と奥山とに聞かせるため、簡単に述べ、明後日、仙台へ出るから、用意をしておくように、と云った。
 ――兵部刺殺。
 ということをうちあけたのは、鷺坂と出雲が去ったあとで、七十郎はそれが、いかにやむを得ないか、ということから話していった。
 采女は黙って聞き、黙って頷いた。
 彼の顔がややあおざめるのを、七十郎は認めたが、臆したようすは少しも感じられなかった。いきごむようすもなかったが、怯えたりするふうもみえなかった。云われたことをすなおに受取り、そのとおり納得した。よし、と七十郎は思った。
「では寝所へ戻ってくれ」と七十郎は云った、「あとからおれがゆく、そこで詳しい手順をきめよう」
 采女は云われるとおり、寝所へ戻った。
 七十郎もいちど自分の寝所へはいり、小半刻ようすをうかがってから、采女の寝所へと忍んでいった。采女は起きていた。七十郎のために敷物を直し、雪洞ぼんぼりを暗くして待っていた。七十郎は持って来た図面、里見十左衛門の書いた、一ノ関の館の図面をひろげて、手順のうちあわせをした。
 采女は立ってゆき、反故ほご紙と、文箱ふばこを三つ持って戻った。それから、紙で短刀を巻き、三つの文箱へ入れてみたが、どれも長さが不足で、抜き身のままでなければ入らなかった。七十郎は黙って見ていたが、そこで初めて、そのままでよかろう、と云った。
「抜き身のままのほうがいい、そのほうがすぐにやれる、さやは無用だ」
「誓紙に巻きましょうか」
「誓紙は持ってはゆかない、あれは涌谷へ送るのだ、短刀はそれらしい奉書にでも巻いてゆこう」
「わかりました」
「いちどためしてみるか」
 采女は、はい、と云った。
 彼は寝所の隅へさがり、短刀を抜き身のまま反故紙に巻いて、文箱へ入れ、蓋をして打紐うちひもをかけ、きちんと締めた。それから、七十郎のほうへ、膝で静かに進みよった。七十郎が、近すぎる、と云った。
「そこまでは近よれない、間合まあいはほぼ十尺だ、それ以上は近よせもしまいし、しいて近よると怪しまれるぞ」
 采女はやり直した。
 こんどは十尺ほどの間隔をおいて坐り、文箱の打紐を解き、蓋をあけた。そして巻いた反故紙を取り出すと、それを両手で持ったまま、敏捷びんしょうに七十郎へとびかかった。殆んど躯を叩きつけるような勢いで、七十郎は思わずたいかわしたくらいであった。
 ――これはやれるぞ。
 と七十郎は思った。平生のおとなしさに似ず、その動作の敏捷さと、呼吸のたしかさはみごとなものであった。七十郎は坐り直して、「もういちど」と云った。采女は文箱を元のように直して、また隅のほうへ戻った。
 翌日、――三カ条の誓紙を、涌谷の伊達安芸あきまで、使者に託して送った。使者は小者こもので、もちろんそれが「誓紙」であることなどは云わず、単純な時候みまいというふうに思わせた。
 そのあとで、七十郎は隠居所に、姉を訪ねた。姉は新左衛門が死ぬとすぐ、髪を切って隠居所にこもり、殆んど外出もせず、亡き良人おっと位牌いはいを守って暮していた。
 七十郎は姉にも事実は告げなかった。
「預け者になるそうですから」と彼はさりげなく云った、「暫くおめにかかれなくなるでしょう、お別れに一服ちょうだいできませんか」
 姉は茶をててくれた。
「北村(七十郎の生家)へ立寄っておいでか」と姉が訊いた。
 七十郎は、いや、と首を振り、期日が延びているから、このまま仙台へゆく、父や兄たちには、あとでびるつもりである、と答えた。
 その夜は、家従ぜんぶと、別れの盃を交わした。七十郎はしたたかに酔い、わらべ唄を高ごえにうたったり、立って「鉢木はちのき」の一部を舞ったりした。むろんでたらめであるが、ごらん候え、これに物具もののぐ一領、長刀ひとえだ、またあれに馬をも一ぴきつないで持ちて候。というくだりは、ふしぎに実感がこもって、みんなふと息をひそめた。
「――ただいまにてもあれ、鎌倉におん大事あらば、ちぎれたりともこの具足、取って投げかけ、びたりとも長刀なぎなたを持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番にはせ参じ着到ちゃくとうにつき、さて」
 そこで七十郎は刀を取って抜き、白刃を振りながら舞った。
「さて合戦はじまらば、かたき大勢ありとても、一番に割って入り、思う敵とよりあいて、死なんこの身の」
 七十郎は刀を上段から振りおろし、そのままうたいやめて、急に笑いだしながら、元の席へ坐った。彼は刀によくぬぐいをかけて、鞘におさめると、家従の若待たちに、こんどはおまえたちだ、と指さし、なにか披露をしろと、名を呼んで命じた。
 若侍たちは、代る代る、神妙にうたったり、舞ったりしたが、七十郎は仰向けに倒れ、両手を頭のうしろにかって、ひそかに、眉をしかめながら唇をんだ。
 ――颯爽さっそうたるものだな。
 という甲斐の声が、またしても、はっきりと聞えたように思ったのである。だめだ、と七十郎は天床をにらみながら思った。こんなことではだめだ、こんな軽薄なことで大事がやり遂げられるものではない。うん、と彼は低く呻き、歯をくいしばった。
 その夜、七十郎はよく眠れなかった。つぶれるほど酔っているのに、すっかり頭がえてしまい、午前二時の鐘を聞くまで、夜具の中で、眼をぎらぎらと光らせていた。
 明くる四月二十三日の朝。――采女と七十郎は旅装をととのえて、玄関へ出ていった。式台には奥山出雲と鷺坂靱負が控え、玄関の外には十五人、仙台へ供をしてゆく家従たちが、つくばっていた。
 よく晴れた朝で、庭の樹立の若葉が、初夏の陽ざしを斜めに受け、やや強い風に、ひらひらと光って見えた。
 采女がさきに玄関へおり立ち、七十郎は刀を脇に置いて、草鞋わらじの緒をむすんでいた。
 そのとき事が起こった。
 奥山と鷺坂がなにか云い、「御免」と叫びながら、左右から七十郎にとびかかって、両の腕を押えた。まったく突然であり、予想もしないことなので、両腕を押えられたまま、七十郎はぼんやりと口をあけた。
「刀を、刀を、――」と奥山出雲が叫び、奥から走り出て来た若い家従が、そこに置いてある七十郎の刀を取って、とび退いた。そして、そのときには、玄関の外につくばっていた家従たちが、中へ踏み込んで来て、草鞋をはいたばかりの、七十郎の両の足を、二人ずつでがっしと抱えていた。
 これらのことは、極めてすばやく行われたのであるが、七十郎の焦点を失ったような眼には、ひどく緩慢に、しかも遠いところの出来事のようにしか見えなかった。
 采女も同様であった。――彼もまた夢でも見ているように、茫然と立っていて、それから、七十郎が六人がかりで押えられたとき、初めて、なにが起こったか、ということを、おぼろげに感じとった。
「なにをする」と采女は絶叫した、「おのれ、なにをする」
「お家のためです」と鷺坂靱負が叫び返した、「北村(伊東七十郎)さまの御思案は、お家を亡ぼし、こなたさまのお命をもちぢめるものです、どうか心をおしずめ下さい」
「放せ、叔父上を放せ」と采女が絶叫した、「館主はおれだ、おれの申付けにそむく者は手打にするぞ、放せ」
 そして采女は刀を抜いた。
 脇にいた家従たちがばらばらととび退き、靱負が、采女さま、と叫んだ。そのとき、七十郎が、よせ、と采女に云った。
「よせ、もうだめだ」
 七十郎は周囲を眺めまわし、ひきつるように顔を歪めながら、力なく首を振った。
「家の子にまで反かれては望みはない、残念だがこれまでだ」
「しかし叔父上」
「これまでだ、運がなかったのだ、あきらめよう采女」
「おゆるし下さい」と靱負が泣きながら云った、「お家のためです、すべてお家のためです、どうか御容赦を願います」
「もういい、わかった」と七十郎が云った、「思いとまるから放してくれ」
「御容赦を願います」と靱負が泣きながら云い、すると、奥から出て来ていた家従たち二人が、七十郎に繩をかけようとした。
「なにをする」と七十郎が喚いた。
 手足を押えていた六人が、いっそう強く七十郎を押え込み、奥山出雲が「早く」とせきたてた。このときは、采女も四人の家従に抱きとめられていたし、給主の者が二人、家従たちの指揮をするように、このありさまを見まもっているのが、七十郎の眼についた。
 給主は藩から付けられた監察官のようなものである。万事終った、と七十郎は思った。たとえここを切りぬけても、すぐに仙台へ知らされるであろう、とうてい一ノ関を刺すことはできない。こう思うと七十郎は、全身から力のぬけてゆくのを感じた。
「おれも伊東七十郎だ」と彼は云った、「みれんなまねはしないから繩はよせ」
「かけろ、早くかけろ」と奥山出雲が喚いた。
 鷺坂靱負が泣きながら詫び、二人の家従は七十郎を縛った。腰かけた姿勢だし、六人に押えられているので、どうすることもできなかった。繩は七十郎の首から腕へまわされ、両手をうしろへ緊めあげて、さらに両の足をぎりぎり巻きに縛った。
 采女が四人に抱きとめられたまま、それだけはやめろ、と叫んでおり、七十郎の眼から涙があふれ落ちた。
「鷺坂、おまえか」と七十郎が云った、「青根の宿で、ぬすみ聞きをしたのだな」
ひらに、平に――」
 靱負は泣きながら、手を放して、式台へ平伏した。
 七十郎は奥山出雲を見た。出雲は給主の二人と眼くばせをしていた。出雲は七十郎の顔をいちども見なかったし、言葉もかけなかった。そうか、兵部に通謀していたのは出雲だったのか、と七十郎は思った。
「鷺坂、おまえ間違ったぞ」と七十郎は云った、「伊達六十万石のためには、伊東の家などは問題ではなかった、いや、むしろおれたちが本望を遂げ、伊達六十万石が安泰になってこそ、伊東の家名も万代にのこったのだ、おまえは眼が見えなかった、覚えておけ鷺坂、おまえは後悔するぞ」
 靱負は平伏したまま泣き、采女が、叔父上、と叫んだ。彼は抱きとめられたままで、どうやら繩はかけられないようすだった。七十郎は鷺坂に、一つだけ頼む、と云った。
「この姿を姉上に見られないようにしてくれ」
 彼の頬を濡らした涙は、もうすっかり乾いていた。

宮本節


 五月十一日は、甲斐にとっておちつかない日であった。――用務繁多のため、帰国が延び延びになっていたが、その月いっぱいで江戸番が明き、六月初めには船岡へ帰る予定だった。
 端午たんごの節句から二三日、国老事務から手が放せなかったが、それもほぼ片づいたので、十一日から湯島の家へ保養にゆくことにしてあった。湯島へは四十日ばかり無沙汰だったし、四月の末に、新八が自作の唄を披露したいそうだ、とおくみから云って来たので、それを聞いてやりたいとも思っていた。
 その当日は、久方ぶりで「朝粥あさがゆ」の会を催した。ずいぶん久しぶりで、客も十人ほど集まったが、以前のようなうちとけた、なごやかな気分はみられなかった。――甲斐は蜂谷はちや六左衛門の隣りに坐ったが、六左衛門はあまり酒を飲まず、医者に止められたものですから、と云って先に食事をし、早く帰っていった。
「すっかり顔ぶれが変ってしまいましたな」と帰るまえに、六左衛門が低い声で甲斐に云った、「あのころは楽しゅうございました、里見十左が肩をいからせ、むずかしい顔をして怒る、伊東七十郎がそれを面白がってからかう、顔が合いさえすれば、必ずそんなふうになったものです、私はどうして二人がそう不仲なのかと、初めは不審に思っていましたが、やがて不仲なのではなく、二人はもっとも仲がいのだ、ということに気がつきました」
 甲斐は黙っていた。六左衛門は甲斐の顔をそっと見た。なにか云いたそうな眼つきであったが、黙っている甲斐の、無表情な横顔を見ると、溜息をついて、首を横に振った。
「繰り言でございますな」と六左衛門は云った、「せっかく朝粥のお招きを受けましても、酒は飲めず、顔ぶれが変って話す相手もなく、以前のことがなつかしく思いだされるばかりです、私もすっかり年寄くさくなってしまいました」
 六左衛門は帰るときに、こんな腰折れをんだが、あとでお笑い草に読み捨ててもらいたい、と云って、一枚の短冊たんざくを渡した。甲斐は六左衛門が去ってから、それを読んだ。
身につもる老な忘れそ春は花秋はもみじのもろく散る世に
 そういう歌であった。
 甲斐はまもなく、客に「中座をする」と断わって席を立った。堀内惣左衛門が、船岡から急使が来た、と耳うちをしたからである。使いは辻村平六で、甲斐は居間で彼に会った。平六は早駕籠かごで来たといい、すっかり憔悴しょうすいしてみえた。
「伊東七十郎どのが死罪になりました」と平六は乾いた声で云った。
 甲斐は息を詰め、手をあげて、平六の次の言葉を制し、彼の差出す文箱を受取ると、埃をながして来い、と云った。
「風呂をつかって休め、そのあいだに手紙を読んでおく、話しはあとで聞こう」
 平六が去ってからも、甲斐はやや暫くのあいだ、文箱を持ったまま、じっと坐っていた。
「――七十郎が死罪」と彼は口の中で呟いた。
 甲斐の唇の片方が、ひきつるように歪み、ついで、その表情が、青銅の仮面でもあるかのように、生気を失って硬ばった。
 伊東一族に対する裁決には、甲斐も国老として加判していた。采女うねめ逼塞ひっそく、七十郎は寺池(伊達式部)へ預け、ということであった。両後見のうち兵部ひとりは強硬で、采女も七十郎も死罪にすべきである、と主張したが、田村右京が珍らしくあとへひかず、席次の事は国老にも誤りがあった、という理由で、結局は「逼塞」と「預け者」ということにおちついたのであった。
 この裁決は、茂庭主水もんどから申し渡す、という報告が来たのは、三月末のことで、甲斐はいちおうほっとした。七十郎がおとなしく受ければ、これでおさまる、どうかおとなしく受けてくれ、と甲斐は思った。すると追っかけて、七十郎と采女が捕えられて仙台へ護送された、という急報が来た。
 ――やっぱりそうか。
 七十郎は裁決に服さなかったのだろう。甲斐にもそんな予感があった、さればこそ、おとなしく受けてくれ、とねがったのであるが、しかし、それにしても捕縛とか護送とかいうのはどうしたことだ。
 ――七十郎はなにをしたのだ。
 甲斐は次の知らせを待った。
 続いて来た急報はやや詳しく、「七十郎と采女が兵部を暗殺しようとした」ということが書いてあった。その計画は七十郎と里見十左衛門が、青根の宿で相談し、七十郎が采女を説き伏せた。だが、青根へ供をした鷺坂靱負が、ひそかにこれを聞き取り、奥山出雲と合議のうえ、二人が出立する間際に、家従が力をあわせて襲いかかった。七十郎は武芸達者であり、なにをするかわからないので、手取り足取り「縛りあげてしまった」という。
 甲斐はそれを読んだとき、胸をひきしぼられるように思った。
 ――あの七十郎が。
 刀槍の腕では第一流といわれ、事実それだけの心得のあった彼。明るく濶達で、わがままいっぱいにふるまいながら、なお家中の人たちに愛され、尊敬されていた七十郎。それが、家従のために取って押えられ、繩をかけられたという。
 ――どんな気持だったろう、どんなに口惜しかったろう。
 甲斐には、手で触れるように、七十郎の無念さがわかった。そのときの知らせでは、仙台から物頭ものがしらの青木弥惣左衛門が、足軽を伴れて小野へゆき、采女と七十郎を受取って、仙台へ送った、ということであった。
 ――だが真偽はわからない。
 七十郎が「兵部暗殺」を企てたということは、事実であるかどうか。ことによるとこしらえられたものではないか、という疑いが甲斐には感じられた。一ノ関は初め、二人とも死罪、と主張していたし、その主張はまだ捨ててはいないだろう。巧みに伊東家の内部を動かして、「暗殺の企み」があった、というふうに捏造ねつぞうするくらいのことはやりかねない。――その点はぜひしらべる必要がある。そう思って、甲斐は船岡の片倉隼人はやとに急使をやった。
 隼人からの返書には七十郎が事実を認めている、と書いてあった。御家の禍根を除くために、兵部どのを刺すつもりだった、と審問に答えたというのである。
 ――だがその審問はたしかなものか。
 と甲斐はなお疑った。それにも一ノ関の手がまわっていたのではないか、「審問に当った顔ぶれと、その詳しい記録を知らせるように」甲斐は折返し隼人に使いをだした。そしてその返事の届かないうちに、突然、辻村平六が来たのであった。
「――七十郎が死罪」と甲斐はまた呟いた。
 ようやく、甲斐は文箱をあけ、書状を取り出して読んだ。
 罪科の決定は四月二十八日。
 采女については、二人を捕えた家従たちの忠志に免じて、伊達式部へ預けとなり、七十郎は死罪。また七十郎の父、伊東宗休は切腹。母は死罪、兄の善右衛門は切腹。善右衛門の子三人は流罪るざい、孫二人は仙台から十里外に放逐。家財は闕所けっしょということであった。
「――無残なことを」と甲斐はうめいた。
 甲斐の、仮面のようだった顔が、額のほうから蒼ざめてゆき、こめかみがぴくぴくとひきつった。
「――そんな必要があったのか」
 これでは一族みなごろしではないか。主君に対する叛逆はんぎゃくならともかく、一ノ関は伊達家から出て、名目は直参大名である。しかも暗殺は計画されただけで、実行できたかどうかも疑わしいし、その意図は御家のためであり、私心はいささかもない。七十郎の死罪はやむを得ないとしても、その一族まで極刑にするというのは、あまりに過酷であり無残すぎる。
「あまりに無残だ」と甲斐は呟いた。
 すると、持っていた書状の中から、一枚の紙片が落ちた。取りあげてみると、それは七十郎の辞世であった。
「人心惟危、道心惟微、惟精惟一、誠厥執中。又云、殺すべくして、恥しめべからず。又云、内に省みてやましからず、是予が志也。食を断ちて三十三日にこれを書す也。罪人重孝」
 堀内惣左衛門が、朝粥の客のすっかり帰ったことを知らせに来たとき、甲斐は庭のほうを眺めていて、
「雨になりそうだな」と呟いた。
 惣左衛門はようすをみに来たのであった。七十郎が死罪になったことを、辻村平六から聞いていたので、甲斐がどんなにまいっているか、およそ推察することができた。――七十郎が絶交の宣言をしてからも、甲斐の七十郎に対する好意は少しも変っていなかった。去年からの「席次の争い」の経過を、遠くからじっとみつめているようすにも、ときとして、あまりに心痛の色があらわにみえるので、そばにいる者のほうが、眼をそらさずにはいられないくらいであった。
 ――どんなにまいっていることだろう。
 そう思い、時を計ってようすを見に来たのであるが、庭を眺めている甲斐の顔は静かで、やや尻下がりの、まぶしそうに細められた眼にも、つねと変りのない、穏やかな色しか見られなかった。
 甲斐を圧倒していた感情が、少しずつ変っていたのである。それは七十郎の遺書を読んだときから始まっていた。断食三十余日めにこれを書す、という文字を見て、その文字にあらわれている「壮烈」さを感じたとき、伊東一族に加えられた残酷な刑罰の実感が、しだいに軽く、うすらいでゆき、小さく、ごく小さく、ちぢまってゆくように思えた。そうだ、と甲斐は頷いた。そうだ、これは七十郎が自分から求めたものだ、と彼は思った。
 遺書は姉に宛てたものがもう一通あり、それには次のように書いてあった。
返す返すも天命をかんがえ申し候えども、少しもかなしむ事はなきもの也、むかしの文王さえ※(「義」の「我」に代えて「久」、第3水準1-90-27)ゆうりと申すところにとらわれ申し候、そのうちに易と申す書、つくらせ給う也。
このほどこころざし候て、しゅく(宿)の老のため、とらわれとなり申し候、いにしえのおうとうのごとく、くるしみをうけ申し候えども、のちの世、きくものかんぜざらん事あるべからず、すこしもうれいかなしみはなきものなり、めでたくかしこ。
いとう七十郎
 あね様
 そしてこれは、手錠をかけられているため、筆を口にくわえて書いたものだ、と記してあった。もちろん、二通の遺書は写して送ったものであるが、のちの世、きくもの感ぜざらん事あるべからず、という文言は、「断食三十余日めに」うんぬんということばと共に、七十郎の口からじかに聞くような、いかにも彼らしく、軒昂けんこうたる意気が感じられ、それが甲斐の圧倒され、ふさがれた気持に、風を吹きいれたようであった。
「平六に風呂をやったか」と甲斐が庭を見たまま云った。惣左衛門は、いま食事をしている、と答えた。風呂をつかわせて、食事をさせている、まもなく此処ここへ来るだろう、と云った。
「七十郎どのが死罪になりましたそうで」
「彼らしく死んだようだ」
「平六から聞いたのですが」と惣左衛門が、感動した声で云った、「刑場に坐りましたとき、――人の首が前に落ちるときは、躯もまた前に倒れるという、だが自分は仰向けに倒れるだろう」
 甲斐が静かに振向いた。
「自分は仰向けに倒れるだろう」と惣左衛門は続けた、「もし仰向けに倒れたら、自分に神霊があると知るがよい、三年のうちに一ノ関どのを亡ぼしてみせる、と申され、首が前に落ちましたとき、右の足を踏みだして、申されたとおり仰向けに倒れた、ということでございます」
「――ほかのようにはできなかったのだな」と甲斐は呟くように云った。
 惣左衛門が、はあ、といぶかしそうに甲斐を見た。甲斐は穏やかに眼をそらし、いや、とゆっくり片方の手を動かした。
「七十郎は七十郎らしく生き、七十郎らしく、あまりにも七十郎らしく死んだ、彼にはほかに生きかたもなく、ほかに死にかたもなかったということを考えたのだ」
「まことにひと筋な、紛れのない方でございました」
「彼は満足したことだろう」と甲斐が云った、「彼はなにごとにも満足しない男だったが、自分だけには満足していたようだ、死んでしまったいまも、自分の死にかたについて、さぞ満足しているだろうと思う」
 惣左衛門は口をつぐんだ。
「これにようすが書いてある」
 甲斐はそこにある書状を、惣左衛門のほうへ押しやった。
「あとで読んでおくがいい、私は湯島へでかける」
「平六はいかが致しますか」
「話しがあったら聞いておいてくれ、どうやら雨になりそうだ、降りださぬうちにでかけるとしよう」
 供は久馬と喜兵衛だと云って、甲斐は立ちあがった。
 甲斐は駕籠かごででかけた。空はうっとうしく曇ってきて、湿気のあるなまぬるい風が、ときどき、乾いた道の上にほこりを巻き立てていた。駕籠が源助町にかかったとき、先に立っていた村山喜兵衛が、なんだ、なに者だ、と誰かをとがめた。
「原田どのにおめにかかりたい」という声がした。
「十余日もおでかけを待っていたのだ、ぜひおめにかかって話したいことがある、柿崎六郎兵衛という者だ」
 そしてその声は、原田どの、と駕籠のほうへ寄って来た。原田どの、と呼びかけた声は、けんめいで、少しふるえていた。
「無礼なことをなさるな」と村山喜兵衛が制止し、みあうけはいが聞えた。甲斐は眉をひそめ、六郎兵衛の、原田どの、と叫ぶのがまた聞えた。
「おろせ、――」と甲斐は云って、駕籠の戸をあけた。
 喜兵衛に腕を押えられて、柿崎六郎兵衛がそこにいた。まるで酔いつぶれていた者が、そのまま起きて来たように、着物もはかましわだらけで、乱れた髪毛が、血のけのない、蒼黒あおぐろく憔悴した顔にふりかかっていた。
 甲斐は「湯島へ来るように」と云おうとしたのであるが、そう云うまえに、二人の侍が来て、六郎兵衛のうしろに立った。
 二人は向うの武家屋敷から出て来て、六郎兵衛を認め、それからこっちへ近よって来たらしい、どちらも中年の、浪人らしい男だったが、口髭くちひげを立てている躯の小柄なほうが、六郎兵衛のうしろから、「柿崎、出会ったぞ」と呼びかけた。
 そのとき、甲斐は、その男の右腕がないのに気がついた。六郎兵衛が振返り、その男が「石川だ、石川兵庫介だ」と叫んだ。すると、六郎兵衛がびくっと身をちぢめ、逃げ場を捜すように左右を見た。そこへもう一人が、島田市蔵だ、逃げられはしないぞ、と云い、村山喜兵衛に会釈して、この人間を貰っていいか、と訊いた。喜兵衛は甲斐を見た。
「どうぞ」と甲斐が答えた。
 六郎兵衛が振返って、原田どの、と助けを求めるように呼びかけ、甲斐は、済んだら湯島へ来るがよい、と答えた。
「お願いです、原田どの」と六郎兵衛が叫び、二人の待が、左右から彼の腕を押えた。それを見て、甲斐は駕籠の戸を閉めながら、「やれ」と云った。
 駕籠が動きだしたとき、うしろで、石川兵庫介と名のった男が、じたばたするな、とどなるのが聞えた。
「今日こそ貸したものを取る、おれのこの腕に代るものをな、歩け」
 六郎兵衛の声はもう聞えなかった。
 ――いろいろな事のある日だ。
 と甲斐は思った。かれらの問答がなにを意味するか、石川、島田と名のる二人が、六郎兵衛をどうしようとするのか、甲斐にはまったくわからなかったし、むろん知りたいとも思わなかった。
 ――おかしな男だ。
 と甲斐は心のなかで思った。いつぞやは、酒井忠清と兵部とが取り交わした、三十万石分与の「証文」を売り込もうとした。それはすでに中黒達弥から、甲斐の手に渡っているし、達弥に渡したのは六郎兵衛の妹であった。こんどはなにを売り込もうというのか、それとも、妹から仔細しさいを聞いて、礼金でも貰おうというのなら、湯島へ来たときれてやってもいい、と甲斐は思った。
 湯島の家に着くと、おくみに手をひかれて、出迎えていたかよが、片手に赤い折鶴を持って、いきなり甲斐に抱きついて来た。
「いけません、かよさん」とおくみがとめた、「いまそう云ったばかりでしょ、たあたまはお疲れなんですから、すぐに抱っこをなすったりしてはいけませんて」
かよは小さいんですもの」とかよはすまして云った。甲斐は笑いながら抱いてやった、「そうだ、かよはまだ赤ちゃんだからな」
「赤ちゃんじゃありません、かよたんは五つですからね」
「そうか、小さい五つか」
「小さくはありませんですよ、大きい五つですからね」
「では抱っこをする五つだな」
 かよは、ええと、ええと、と口ごもり、甲斐は居間へはいっていって、そら、これでいいだろう、とかよをおろした。するとかよはすぐに、甲斐のひざへ腰をかけて、かよたんが折ったのよ、と持っていた折鶴を見せた。
「うそ仰しゃい」とおくみがにらんだ、「ばあやが折ったんでしょ、そんな嘘を仰しゃってはいけません」
「ええと、ええと、さいたんは七つでも抱っこをしますからね」とかよは話しをそらした。
 おくみは、このごろかよが嘘をつく、とこぼした。よその子よりも知恵のつきかたが早いというのか、乳母や近所の子供などに、途方もないようなでたらめを云う。このあいだなどは乳母と日本橋(雁屋信助)へいって来て、おくみに、帰る道で火事があった、と話した。大きな火事で、家が百も焼けて、犬が千びきも死んだ、とまじめな顔で云った。本当だ、と念を押して云うので、乳母に聞いてみたらまったく根もないことだという。それでもなお「本当だ」と云い張り、おくみは、なさけないような気持になった、と云った。
「そういう時期があるものだ」と甲斐が云った、「想像力のつよい子供は、頭の中で考えたことを伝えるのに、言葉がみつからないから現実のように話す、私にも覚えがあるよ」
「でも嘘は困りますわ」
「嘘ではない、人をだまそうとするのは嘘だが、自分の感じたことを伝えようとするだけだ、そういうときはあまり咎めだてをしないで、聞きながしてやるほうがいい」
「あたしはまたこの子が」とおくみが声をひそめた、「よそのお子たちとは違って、お父さまといっしょに暮せないために、人のきげんをとることばかり考えているのではないか、とも思われまして、――」
 甲斐は黙って、かよの手から、赤い折鶴を取り、それにふっと息を吹き入れて、ふくらました。おくみは顔をそむけ、かよはうかがうように、父と母とを、交互に見やっていた。
「さあ、これを持って、ばあやと向うで遊んでおいで」と甲斐が云った、「たあたまは人に会わなければならないからね、あとでまた遊ぼう、なにをして遊ぶか考えておいておくれ」
 かよはおとなしく膝からおり、ふくらんだ折鶴の羽根を摘んで持って、その部屋を出てゆき、自分でふすまを閉めた。閉めた襖のすぐ向うで、乳母を呼ぶ、ばあ、という声がし、廊下を駆け去ってゆく足音が聞えた。
「そんなふうに思うことはよくないな」と甲斐が云った、「母親がいつもそんなふうに思っていると、子供にもすぐ通じるものだ、この子は不憫ふびんだと思うのは親だけのぐちで、たいてい不幸な境遇にいても、子供は親の思うほどには感じはしない、それはおまえ自身の、小さいじぶんのことを思いだしてみればわかる」
「お屋敷へあがれないでしょうか」
かよのことは、もう信助に頼んである」
「一年でも二年でもようございます、お屋敷でいっしょに暮すことはできないでしょうか」
 おくみは眼を拭いて、甲斐のほうへ振り向いた。甲斐はなにも答えなかった。
「どうしてですの、なぜいけませんの」
「知っている筈だ」と甲斐は穏やかに云った、「なぜいけないかということは、おまえ自身がよく知っている筈だ、いっしょに暮すことは、おまえをもかよをも不幸にする」
「そうときまってはいませんわ、現にこうして十六年もお世話になっていますし、かよが生れてからでも五年、なにごともなく暮していらっしゃるではございませんか」
「このつつみは、いつ切れるかわからない」と甲斐が静かに云った、「これまではどうやらって来た、しかしこの堤は、押して来る濁流を防ぐだけで、ほかにどうする手だてもない、もうひと押し、流れが強くなれば、堤は切れてしまう、いつそのときが来るかわからないし、そのときが来れば、私はこっぱ微塵みじんに押し流されてしまう」
「それはあんまりお考え過しです」
「丹三郎の死も思い過しか」と甲斐が反問した、「身のまわりからでも、塩沢丹三郎が死に、矢崎舎人とねりが罠をかけられて追放された、そしてこんどは、伊東七十郎が斬罪になり、七十郎の一族まで滅亡した」
「――伊東さまが」
 おくみは口をあけた。
水嵩みずかさは増して来るばかりだ、私にはそれがわかる、伊東一族を亡ぼした余勢で、濁流の力は強くなる、眼に見えるようだ」
 甲斐は眼をつむった。まるで、押しよせて来る巨大な、防ぎようのない、その濁流の音を聞きとめようとでもするように。それから眼をあいて、静かな調子で云った。
「私は、この堤の上へ、おまえやかよを乗せようとは思わない、おまえにはおまえとかよの生活がある、ゆくすえのことは信助に頼んでおいた、そんなことは二度と考えてはいけないよ」
 おくみは眼を拭きながら、暫く黙っていて、それから低い声で云った。
「あたし、今日はどうかしているんです」
 甲斐はそっとうなずいた。
「あの人たちの、仲のいいところを見たからかもしれません」
「あの人たちとは」
「宮本、いいえ新八さんとおみやさんです」
 甲斐はおくみを見た。おくみは泣きべそのようなくちつきで、ええ、と微笑した。
「あのお二人は御夫婦になるようです」
「新八と、あの女が」
「二人はいつも逢っているようですし、今日も新八さんといっしょに来ています」
 甲斐は暫くして、それはよかった、と口の中で呟いた。「それはいい」と甲斐はまた呟き、心をあたためられたように、その眉をひらいた。
「二人はいま浅草の誓願寺裏という処に住んでいて、新八さんは唄でかせげるようになったし、おみやさんはその世話をしにかよっているそうですわ」
「まだいっしょではないのか」
「それほどの稼ぎはまだないと云ってます、おみやさんはどこかに奉公していて、ときどき逢いにゆくような話でしたわ」
「それがうらやましかったのか」
「殿がたにはわからない気持かもしれませんが、今日なんぞ」とおくみつやのある声で、低く笑いながら云った、「此処へ来てから二人は付きっきりで、遠慮なく云いあったり、世話をしたりされたりするのを見ていると、貧乏で食うや食わずでもいいから、こんなふうになりたい、これが夫婦というものだって、しんそこ羨ましくなったんです」
かよにはそれができる」と甲斐が云った。
 広間のほうから、三味線の音締ねじめをする音が、かすかに聞えて来た。
「おまえのしたかったことを、かよにさせるがいい、侍の子だなどという考えは捨てて、町人の娘らしく、のんびりと気楽に育てるのだ、私たちにできなかったことを、かよにはさせるようにしよう」
 おくみ俯向うつむいた。同意したのではなく、いまは甲斐にさからうまい、というようすであった。甲斐は調子を変えて、今日は久方ぶりで朝粥の会をしたが、飲み足りなかった、と云った。
「飲みながら聞くとしよう、酒の支度をしてくれ」
 酒の支度ができて、甲斐は広間へ移った。――襖を背にして、宮本新八と、脇へよっておみやとが平伏してい、座についた甲斐が声をかけると、静かに顔をあげた。
 新八はやや肥えていた。眉も眼もはっきりしてきたようで、眼には力があった。唇もひき緊り、顔ぜんたいが精気と自信に満ちているようであった。寸をちぢめた水色の肩衣かたぎぬに袴で、菖蒲しょうぶを染めたはなだ色の着物という、芸人らしい派手な着付をしていた。
 新八は甲斐に挨拶をしたが、その声もおちついてはっきりしていた。おそらく鍛練したためだろう、言葉は卑下し、感謝を述べているが、声の調子はきっぱりとした、なんだ、というような対抗的な響きが感じられた。
 ――おとなになったな。
 と甲斐は心でつぶやいた。
 おとなというより、人間、という感じだ。かつて新八は、おみやとの関係を恥じて語ったことがある。脱走してからの生活は、いやしく、汚れた、みじめなものだったらしい。だが、その汚濁や卑賤の中から、彼は自分にふさわしい生きかたを選んだ。いま、彼は自分の選び取った道に立って、自分を生かすために、生活を始めた。
 ――人間だ。
 彼は解き放されたのだ、と甲斐は思った。新八は安からぬ代価を払ったが、「主従」という関係や、階級や、武家の義理や道徳から解き放され、「自分」を手に入れたのである。自分の好むもののために生き、そのために死ぬことができる。
 ――そのほうが人間らしくはないか。
 少なくとも、新八のためにはこのほうがふさわしく、人間らしい。芸を伸ばしてゆくには、多くの苦しみや貧困を経験することだろう。しかし、それは他の人のためではなく、彼自身のためである。
 ――結局、彼がいちばん仕合せかもしれない。
 甲斐はそう思いながら、朝からの暗くふさがれた気持が、少しずつ軽くなってゆくのを感じ、盃を取って、おくみに酌をさせた。
「宮本節というのだそうです」とおくみが囁いた。
 新八は三味線を取りあげ、おみやはずっと脇のほうへさがった。調子を二三度こころみてから、静かに新八はうたいだした。
「――さるほどに、百夜ももよをかよう少将の、笠にふる雪、つもる雪、恋の重さにかたぶきて、涙のつららとけやらぬ、君の心はうきよ河、渡るこなたは深草の」
 三味線の音はさびて低く、嘆息のような、訴えるような調子だったし、唄の曲も極めてじみで、殆んど語っているというに近かった。
 甲斐は一と口めた盃を、手に持ったまま膝の上におろし、眼をつむって聞きいった。唄は静かに続いていた。
「――君をおもえば、かちはだし、ゆきてはかえり、かえりてゆくは誰がためぞ」
 甲斐はふと眼をほそめた。
 ――どこかで聞いたことのある節だ。
 どこかでいちど聞いた覚えがある、と甲斐は思った。すると一人の老人の姿が、ぼんやりと、濃い霧のかなたにあるように、おぼろげにおもいうかんできた。古びた布子ぬのこに袴をはいて、総髪にむすんだ髪は灰色になっていた。
 ――盲人だった。
 そして二絃琴を弾いたのだ。そうだ、涌谷へゆく途中、湯ノ原の宿で会い、俊基としもと関東下向げこうのくだりを聞いたのだ。
 ――そうだ、名は忘れたがもとは絵師だと云っていた、失明してからも、頭の中で絵を描きつづけている、十五六枚とか、頭の中に描き溜めた絵がはっきり残っている、などと語っていた。
 新八の唄には、あの盲人のうたった調子と似たところがある。人の世のたのみがたさ、愛憎のむなしさ、生きることのはかなさといったものを、ひそかに嘆き訴えるようなひびき。それは唄というより、独りしずかに詠嘆するというような感じであった。――やがて唄が終ると、新八は三味線を置き、おみやといっしょに礼をしてから、お耳をけがしまして、と云って手をひざに置いた。その顔はやや紅潮し、眼は自信と満足の光を帯びていた。充分にうたったという自負が、その姿勢ぜんたいにあらわれているようであった。
「こちらへ」と甲斐は微笑しながら云った、「盃をつかわそう、みやもいっしょにこちらへ寄れ」
 新八は遠慮するおみやの手を取り、二人でずっと前へ進んだ。甲斐が持っている盃を差出すと、新八はすり寄って、両手でそれを受取り、またおみやと同じ位置までさがった。おくみが銚子を持って立ってゆき、新八に酌をした。
「二人の膳を持って来てやれ」と甲斐がおくみに云った、「二人は二人でやるがいいだろう新八、くつろぐがいい」
 おくみが出てゆくと、甲斐は新八を静かに見た。
「どうやら道にとりついたようだな」
 新八は低頭した、「ほんの戸口にすぎません、まだこれからでございます」
「私は無風流だから、音曲のことはわからないが、どの道も奥をきわめることはたやすくはないようだ、一生をうちこんでも、これでいいというところまではなかなかゆかぬらしい、だからこそ」と甲斐はゆっくりと云った、「それだからこそ、一管の笛に生涯をけることもできるのだろう、――おまえは道にとりついた、それは一生をうちこむに足る道であろう、力をゆるめずに、死ぬまでが修業だと思ってあせらずにゆっくりとやれ」
 新八は頭を垂れた。張っていた肩がおち、昂然こうぜんとした姿勢が、やわらかくほぐれるようにみえた。
 おくみが戻って来、すぐに女中が二人の膳をはこんで来た。
みや、酌をしてやれ」と甲斐はくだけた口ぶりで云った、「遠慮は無用だ、そこで二人で飲むがいい」
 おくみは甲斐のそばに坐り、甲斐は新らしい盃を取った。新八はおみやの酌で一つ飲むと、こんどはおみやに酌をしてやった。おみやは赤くなって、恥ずかしそうに少しすすった、「宮本節は自分だけのくふうか」甲斐は一と口舐めてから訊いた。
「はい」と新八が答えた、「さる浄瑠璃太夫じょうるりだゆうについたこともございますが、この節は私のくふうしたものでございます」
 しかしふと思いだしたように、いえ、違いましたと顔をあげた。
「自分だけと申しては誤りです、私にくふうのつかぬところを、さる老人から教えられました」と新八は云った、「この節にはずいぶん苦心いたしましたが、どうしてもかなめになる手がうかびませんでした、一年ちかくも練りあげ練り直しているうちに、或る夜ふと、相い長屋の一軒で誰かのうたう声を聞いたのです、耳馴れない音調で、初めはなんの気もなく聞いていたのですが、そのうちに躯がふるえだし、これだと思うと矢も盾もたまらず、すぐに立ってその人を訪ねました」
 甲斐は頷きながら、盃を含んだ。
「訪ねてみると、二絃琴を弾く盲人でした」と新八は続けた、「中年から盲人になり、たつきのために、その二絃琴と唄をくふうしたということでしたが、私は自分の事情をうちあけたうえ、教えを求めたのです」
 盲人はこころよく承知した。そして、新八の三味線を聞いてから、いろいろと助言をし、自分の音調の勘どころを伝えた。
「いまの節はそれをさらに練り直したものですが、要はそのとき教えられたものでございます」
「こちらにその気さえあれば、道の師はどこにでもあるものだ」と甲斐が云った、「その盲人はまだいるのか」
「いや、三十日ほどまえに旅立ちました」
「名はなんといった」
「一玄と申しました」
 甲斐は遠くを見るような眼になり、口の中で、一玄か、と呟いた。
 つえき背に琴を負って、野末の道をただ一人ゆく盲人の姿が、まざまざと眼に見えるようであった。こんどはどこへゆき、どんな客にあの唄を聞かせることか。うらやましい生きかただ、と甲斐は思った。
 新八が眼をあげて云った、「塩沢どのが毒死されたそうですが」
「いや、そうではない」
「私は毒死とうかがいましたが」
「毒死ではない、しょくあたったのだ」と甲斐は云った、「だがその話しはよそう、今宵はおまえたち二人の晩だ、陰気な話しはやめてたのしくやるがいい」
 そして甲斐は立ちあがった。
「またおりがあったら会おう、御苦労であった」

おち鮎


 秋八月の朝、まだ明けたばかりで、船岡のたては霧に包まれていた。
 水を満たした手桶ておけを脇に置き、手拭を持って、宇乃うのは立ったまま、慶月院が薙力なぎなたを振るのを眺めていた。慶月院はもう七十歳になるが、おどろくほど壮健で、腰もしっかりしているし、動作もやわらかく、しかも敏捷であった。
 ――おじさまのお母さまらしい。
 宇乃はそう思った。
 甲斐の温厚さとはちがって、慶月院と呼ばれる津多女つたじょにはきついところがあった。情に負けないというよりも、非情だと思えるほど、きっとしたものが感じられるのであった。
 いまこの館には、津田家から嫁して来た、甲斐の妻の伊久がいるし、また松山から帯刀宗誠たてわきむねもと輿こし入れをしたさわがいる。さわはもう四歳になるいしと、二歳になる采女うねめという、二人の子を産んだし、まもなく三番めの子が生れようとしている。――しかし津多女は二人の嫁にも心をひらかないし、曽孫ひごまごたちも殆んど近よせない。采女は男の子だからであろう、見かけると隠居所へ呼んで、僅かなあいだ遊んでやったり、ときに菓子を与えたりはするが、自分で抱くようなことはないし、すぐに帰らせてしまう、というふうであった。
 ――おじさまも同じようだ。
 宇乃は心の中でそう呟いた。
 六月下旬に江戸から帰った甲斐は、五日ばかりこの館に泊っただけで、すぐに仙台の屋敷へ去った。館にいるあいだいちど、母の慶月院と一刻以上も話したことがある。二人だけの対談で、どんな話しが交わされたかわからないが、長い江戸番から帰館したというのに、孫たちも抱かず、妻と寝屋をともにするでもなく、淡々と仙台へ去ってしまった。
 宇乃は隠居所の世話をしているので、誰よりも津多女にはちかしい。そうして、自分は彼女に愛されているとさえ思うのだが、その宇乃でさえ、ふとすると身のちぢむようなおもいをすることがまれではなかった。いまでも忘れられないのは、薙刀の稽古のことである。宇乃の十六の年であったが、それまで一年あまり、津多女から薙力の稽古をつけられていた。毎朝未明に起き、冷水で身をきよめ、隠居所の脇の芝生に出てするのだが、或る朝、いつものとおり稽古が終ると、津多女はひややかな眼で宇乃を見て、云った。
 ――おまえ薙刀の法を身につける気があるのか。
 宇乃はそこへ膝をついたが、なんと答えていいかわからなかった。
 ――わたしの眼ちがいだったようだ。
 と津多女は云った。
 ――これ限り稽古はやめます。
 それでも宇乃にはなにも云えなかった。初め津多女にみつめられたとき、そのひややかな、するどい視線に、身も心もすくんでしまったらしい。あやまる言葉さえ口には出ず、頭を垂れたままふるえていた。
 ――自分はおばあさまに嫌われてしまった。
 宇乃はそのときそう思った。甲斐の母だというだけでなく、宇乃は津多女が好きで、心の中ではつねに「おばあさま」と呼んでいた。津多女の宇乃に対する態度にも、そう呼ぶことを認めているようなところがあった。それだけに、そのときの冷たい凝視は骨にしみるようだったし、眼ちがいをしていたようだ、という言葉は辛辣しんらつであった。それから五六日のちの或る夜、夕餉ゆうげのあとで茶を喫しながら、津多女はさりげない調子で云った。
 ――武家にはいつなにごとが起こるかわからない、そういう場合にとり乱したり、みぐるしいふるまいをしないように、女でも小太刀か薙刀の法くらいは身につけておくほうがいい、なにか一つ、武芸を身につけておくと、それだけでも心がしっかりとするものだ。
 ――けれども、そういう時代はもう過ぎ去ってゆくように思える。
 津多女は続けて云った。
 ――わたしはおまえを、自分のように仕込みたいと思った、おまえにはその素質があるようにみえたのだ、けれどもそれはまちがいだった、宇乃はそのままでいい、たとえどんな変事が起こっても、宇乃はとり乱したりみぐるしいふるまいなどはしないだろう、宇乃は十三歳のとき大きな災厄にあい、一人きりの弟とも別れてこんな遠国に住みながら、少しもめめしいふうをみせたことがない、宇乃はそのままでいい。
 そして、あの朝叱ったことは忘れてくれるように、と云った。
 おじさまのおかげです、とそのとき宇乃は答えたかった。あの悲しい出来事に耐えられたのも、弟と別れ別れにくらしていられるのも、甲斐という人がいて、心の支えになってくれるからである。もしも自分がしっかりしているとすれば、それは甲斐がいるという、ただ一つのよりどころがあるからにすぎない。もちろん、宇乃はそれを口には出さなかった、それだけはどんなに言葉を選んでもわかってもらえそうには思えない。「おばあさま」にさえわかってもらえるとは思えないからであった。
 朝日がのぼるのであろう、あたりがにわかに明るくなり、霧がゆらぎはじめた。
 慶月院はまだ薙刀を振っていた。
 さらした生平きびら帷子かたびらの裾をからげ、たすきをかけ、汗止をしている。芝草を踏む素足は露で濡れているし、帷子も汗になっていた。しわはあるけれども、おもながな顔は若わかしく血の色がさし、掛け声は力づよく張りがあった。
 宇乃はふとうしろへ振返った。小砂利の鳴る音を聞いたからであるが、振返ってみると帯刀たてわきであった。萱笠すげがさをかぶり短袴たんこに草履ばきで、釣竿つりざお魚籠びくを持ち、餌箱えばこひもで肩に掛けていた。彼は宇乃に頬笑みかけながら近づいて来、祖母のほうを見て頷いた。それを認めたのだろう、津多女は薙刀をおろし、脇に持ってこっちへ来た。
「また釣りにおいでか」
 彼女は薙刀を宇乃に渡し、汗止や襷をとりながら帯刀に云った。
「いや、帰って来たところです」と帯刀が答えて云った、「あゆがくだりはじめたというので、ゆうべ夜半すぎてからでかけたのです」
「鮎も夜釣りをするんですか」
船迫ふなばさまの柏屋に伊助という者がいまして、かがり釣りというのをやります、ふちのところで水の上へ篝火を架けると、魚が火をしたって集まるのです、そこを釣るのですが、蚊も集まって来るので弱りました」
隼人はやとに断わりましたか」
 宇乃は手拭を水でしぼって津多女に渡しながら、小言にならなければいいが、と思った。帯刀が黙って外出するのを、津多女はなによりも嫌っていた。甲斐のいるときならべつであるが、そうでないときは帯刀が館のあるじである、という意味なのだ。
「片倉には断わって出ました」と帯刀はおとなしく答えた、「ちょうど柏屋に吉岡どのが泊っておられまして、あとで館へうかがうから、と申されました」
「吉岡とは、奥山大学どのか」
祖母ばばさまになにか話しがあるような口ぶりでした」そして帯刀は祖母に魚籠を示した、「いい形のおち鮎がだいぶありますが、ごらんになりますか」
 津多女はかぶりを振った。
「これを焼いて父上に届けたいので、宇乃を貸していただきます」と帯刀は云った、「榾火ほたびで焼きあげるのは宇乃がいちばん上手ですから、お願いします」
「奥山どのがわたしになんの用であろう」
「さて、――」と帯刀はたち去りながら宇乃に云った、「あとで頼むぞ」
 宇乃ははいと頷いた。
 津多女は風呂舎で水浴をする。冬でも夏でも、薙刀を振ったあとは必ず水風呂にはいる。宇乃はその世話をし、それから朝食の膳拵ぜんごしらえをした。隠居所にはきまった費用があり、それだけで独立の生活をしている。薪を割ったり米をいたり、また飯炊きや走り使いなどは、古くから五助という老僕夫妻がやっていたが、津多女の身のまわりのことは、すべて宇乃の受持になっていた。
 ――朝食のあとの茶が済むと、津多女の許しを得て、宇乃は館の台所へいった。大きな炉のある広い台所は「料理部屋」と呼ばれているが、それに続いてまかない部屋があり、そこでは館に仕える家従たちが、膳を並べて食事をしているところであった。
 鮎は洗ってざるにあげてあった。よく肥えた、五寸から六寸ほどの、みごとな鮎が十七尾あり、金色をひそめた薄墨色の肌は、まだ生きているかのようにぬめぬめと光を帯びていて、手に取るとさわやかに川水が匂うようであった。下女たち二人が来て手伝い、それらを金串かなぐしに刺してから、宇乃は炉の火のぐあいを直して、鮎をあぶりはじめた。焦げめをつけず、身のあぶらをぜんたいにまわるように、そしてしんまで火熱をとおすには、榾火のかげんにこつがある。江戸に育った女性たちは、一般に川魚を好まない。宇乃の母も好まなかったが、宇乃はそうではなかった。この船岡へ来たのが寛文二年だから、もうまる六年になるわけだが、初めて川魚を焼く匂いをいだとき、郷愁のようななつかしさを感じた。うまそうなというよりも、忘れていた遠いものにめぐりあった、という感じであった。
 ――あれは十五の年だった。
 十五の年から、自分は川魚を焼くことを覚えたのだ、と宇乃は心の中で呟いた。いま鮎を焼きながらも、その匂いを嗅ぐとふしぎに胸が緊まり、はるか昔に去って来た、ふるさとが思いだされるような気持になる。人は生れ変って来るというから、もしかすると、自分はまえの世で山家やまがにいたのではないか、それでこんな感じになるのではないか、などと宇乃は思った。
 焼きあがる少しまえに、辻村又之助が来て、隠居所に客があるからゆくように、という帯刀の言葉を伝えた。
「あとはつねに任せろとのことです」
「これは仙台のお屋敷へお届けするのだそうですから」と宇乃はためらい顔に云った、「それに、もうまもなく焼きあがるのですけれど、それまで待っていただけませんでしょうか」
「あとはつねに任せろとの仰せでした」
 ではまいります、と、宇乃は答えた。
 下女のつねは土地の者だから、むろん焼きかたぐらいは知っている。しかし宇乃は榾火の按配あんばいや、串を廻すをよく教えてから、そこを出て隠居所へ戻った。――客というのは、奥山大学であった。彼はいちど館にはいり、帯刀に挨拶をしてから隠居所を訪ねたので、宇乃が着替えをし、接待の支度をする暇は充分にあった。
 大学は五十四歳であるが、からだが小柄なのに肥えていて腹が大きく、髪毛はすっかり白くなったのが僅かに残っているだけだった。秋とはいえまだ八月初旬で、暑いのと肥えているために、顔は赤く、汗がしみ出るので絶えず懐紙で拭かなければならなかった。黒川郡吉岡、六千石の館主たてぬしであり、かつては江戸で筆頭国老を勤めたこともあるが、いまはただ因業な、小金持の隠居というふうにしかみえなかった。
「原田どのはどうしても面会してくれないのです」と大学は云った、「御用の繁多なことはもちろんでしょうが、面談を避けるのは他に理由があるからだと思うのです」
 津多女は大学の顔をまともに見ながら聞いていた。裏のもみの林でしきりにせみが鳴いていて、どうかすると大学の話までが蝉の鳴き声の中にまぎれこんでゆくように思われた。大学は存念があって、幕府から仙台に来ている国目付へ、訴状を出すつもりである、と云っていた。――国老の中に悪人と内通する者がいて、政治はみだれ、家中には諍闘そうとうが絶えず、領民は困窮している、これでは伊達家の将来も危ぶまれるから、幕府老中の力で政治の安定を計ってもらいたい。これが訴状の第一である、と大学は言った。
「次に一つ、これは私事にわたるようではありますが」大学は顔の汗を拭いてから続けた、「私は五年まえ(寛文三年)の七月に国老を辞任いたしました、自分から願って辞任したのですが、家中では私に過失があって罷免されたといううわさがあり、いまなおそう信じている者が多いのです、もっとも勘弁ならぬのは私が罪科を問われて押籠おしこめにされたと、幕府老中へ届けが出ているということです」
 津多女は身じろぎもせずに聞いていた。
「これが事実とすれば、わたくしごとでは済まされません」と大学は言葉を強めた、「――仮にも一藩の仕置を任された者が、罪あって罷免のうえ押籠にされたなどと云われては、私の面目が汚されるばかりでなく、家中ぜんたいの是非正邪がくらまされてしまう、この点についても、真偽が明らかにされるよう、書状をもって国目付へ訴え出るつもりです」
 そこで津多女が、初めて口を切った。
「わたくしのような隠居に、どうしてそんな話しをなさるのですか」
「原田どのに仰しゃっていただきたいのです」と大学が云った、「刀自とじの仰しゃることなら原田どのも聞くでしょう、私も好んで国目付などに訴状を出したいのではない、できるなら国老のあいだで事をおさめたい、という意志を伝えていただきたいのです」
「宗輔がどうして面談を避けるか、理由がわかっていると仰しゃったようですね」
「ほぼ推察のつくことであり、おそらく間違いはないと思うのです、と申しますのは」
「いいえ」と津多女は静かにさえぎった、「それはうかがいますまい、わたくしが聞くことではないようですし、面談を避ける理由があるのなら、わたくしがなにを申しても宗輔が承知する筈はありません、わたくしはあれをそんな人間には育てなかったつもりです」
 大学の顔がさらに赤くなった。彼ははずかしめられでもしたように赤くなり、汗を拭くのも忘れて、津多女の眼を見まもっていた。
「すると」大学は少しどもった、「すると私に、国目付へ訴え出ろ、と云われるのですか」
「それは吉岡どのの御思案しだいでしょう」と津多女は云った、「近年は御家中に事が多く、今年は特に、小野の伊東どのが滅亡するという大事がありました、綱宗さまの御逼塞ごひっそくこのかた、御本城のいしずえをゆるがしかねないような騒ぎが、幾たびとなく起こっているようです、わたくしは隠居の身で、御政治むきのことには一向に不案内ですけれども、吉岡どのはそういう事情をよく御存じの筈で、御存念の第一は御家大切ということですから、わたくしなどが差出口をする余地はないと思います」
「おきびしいことだ」大学は汗を拭いてせきをし、また汗を拭きながら云った、「相変らず刀自はおきびしい、私はその御気性を頼みにしてまいったのです、そのほうが事を穏便にするみちだと思ったのだが、――どうしても原田どのへの御助言はかないませんか」
「茶を替えましょう」と津多女は云った。
 大学は忿然ふんぜんとし、声を荒くして「刀自」と呼びかけた。
「お静かに」と津多女は手をあげて制し、なにかに聞きいるような眼つきをした、「――郭公かっこうが鳴いていますね」
 樅の林のほうで、かっこう、ときれいに鳴く声がした。それは武庫の裏にある杉林のほうへ移り、それから館の下の池に添って、杉山のかなたへと、鳴きながら遠ざかっていった。
 宇乃が茶菓を替えると、大学はまもなく帰っていった。津多女はひきとめなかったし、大学は玄関で、刀自もお年のことだから健康に気をつけるように、もうお眼にかかることもあるまい、などということを、作った慇懃いんぎんさでねっちりと云った。宇乃は客のあとを片づけてから、鮎をみにいってよいだろうかと訊いた。
「まだ焼きあがってはいなかったのか」
「もう少しというところでございました」
「みておいで」と津多女は頷いて、それからふと思いついたように云った、「おまえ鮎を届けに仙台までいっておくれか」
 宇乃は眼を輝かせた。
「わたしも頼むものがある」と津多女は居間のほうへゆきながら云った、「帯刀どのにも用事があるかもしれない、おまえが使いにゆくと帯刀どのにお云いなさい」
「はい」宇乃の声は浮きたつように聞えた。
 津多女は「宇乃さん」と呼んだ。
 宇乃は振返って、また膝をついた。津多女は立ったままその顔をじっと見まもったが、静かに首を振って、なんでもない、いっておいでと云った。そして、去ってゆく宇乃の姿を見送りながら、もういちど首を振って呟いた。
「おかしな子だ」

断章(十三)


 ――申上げます、仙台より渡辺金兵衛が伺候つかまつりました。
「待たせておけ、酒がぬるいぞ」
 ――大槻斎宮おおつきいつきにございます。
「なんとした、おそいぞ」
 ――御国目付の出立が、一日延びましたのでおくれました。
「江戸から使者があって、祝いの酒を始めたところだ、一つ遣わそう、寄れ」
 ――頂戴つかまつります。
「なんの祝いかわかるか」
 ――おそれながら。
東市正いちのかみの奥がみごもったそうだ」
 ――これはまた。
「まだ三つきめだという、このまえ流産したから安心はならぬが、医者はまったく順調だと申しているそうだ」
 ――それはなによりのお知らせ、家中一同にとりましても、これにまさるよろこびはございません。
「重ねろ、重ねろ」
 ――仙台で江戸の新妻隼人にいづまはやとからの手紙を受取りました。
「なにかあったか」
 ――申上げるほどのことはございませんが、御用取次衆が増されました。
「聞こう」
 ――久世くぜ(大和守)侯から召されまして、蜂谷はちや六左衛門と長沼善兵衛がまいりましたところ、これまでの取次衆は。
「島田出雲守であった」
 ――島田雲州どのお一人であったが、新たに大井新右衛門どのを加えられる、とのお沙汰がありましたそうで、津田玄蕃げんばがただちに大井どのへ挨拶にまいった、とのおもむきにございます。
「大井新右衛門、覚えておこう」
 ――次に、柿崎六郎兵衛と申す者を御存じでございますか。
「柿崎、聞いたような名だな、柿崎」
 ――名は六郎兵衛、浪人者だとございました。
「うん、思いだした、わけがあってひところ手当を遣わしたことがある、只野内膳がいろいろしらべ、役に立たぬことがわかってよせつけぬようにしたと思うが、どうかしたか」
 ――やはり内膳をたよってお屋敷へまいり、金の無心をしたそうですが、両眼ともつぶれ、乞食のような姿であったとございました。
「両眼ともつぶれたと」
 ――なかまの者と争いが生じ、その者のために両眼を突きつぶされたので、その日の食にも窮していると申し、泣いて施与せよを乞うたと書いてございました。
「内膳はどうした」
 ――さような者は知らぬと、追い帰したそうでございます。
「おれは部屋住の辛さを知っている、勝手元の苦しさも味わった、したがっておれはむだ遣いをしたことはない、必要と思われる入費もできるだけ削るようにつとめて来た、だが、あの柿崎にはまんまとくわされた」
 ――おそれながら。
「過ぎたことだ、名を聞くまでは忘れていたが、思いだしてみるとはらがいえぬ、あんなしれ者にくわされたかと思うと、自分で自分にはらが立つ」
 ――しかし両眼を突きつぶされ、乞食同然になったと申します。
「おれがやりたかった、おれのこの手で突きつぶしてやりたいくらいだ、酒がぬるいぞ」
 ――おそれながら、お人払いを。
「呼ぶまでみなさがっておれ」
 ――吉岡どのが始めました。
「奥山大学が、どうした」
 ――政冶の紊れを幕府老中の手で打開してもらおうということ、また自分の寃罪えんざいをはらしたいということで、国老のあいだを奔走し、国目付へ訴えるとも申しているようでございます。
「国老はどう扱った」
 ――吉岡では船岡どのを頼みにするようすで、しきりに面会を求めましたが、原田どのはずっと避けとおして、いまだに会わぬもようでございました。
「そうだ、うん、会ってはならぬ」
 ――と仰せられますと。
「甲斐は会ってはならぬ、誰も相手にしてはならぬ、甲斐にはおれが手紙をやろう、大学を相手にしてはならぬ、誰も構わなければ、彼は国目付へ訴訟するにちがいない」
 ――まことに。
「甲斐にはすぐ手紙を遣わそう」
 ――その必要はないかと存じます。
「どうして」
 ――奥山どのはひそかに船岡へまいって、原田の母堂に会われたそうです。
「慶月院か」
 ――と申しましたか、会うことは会われたが、ただそれだけのことで、奥山どのは怒ってたち帰ったということでございます。
「そうであろう、慶月院はそういう人だ、おれでさえあの女丈夫じょじょうふにはへこまされたことがある、うん、しかし甲斐にはやはり手紙をる、また地境の騒ぎが始まったのだ」
 ――寺池(式部)さまでございますな。
「寺池と涌谷わくや(安芸)とのあいだでだ」
 ――それは仙台で聞きました。
「このまえのときには、寺池の横車がとおった、明らかに寺池の非分だったのを、どういうわけか涌谷は旗を巻いた、こんどはそれに対して寺池が追い討ちをかけたのだ」
 ――新たな件ではございませんか。
「いや、涌谷領へ新たに手を付ける一方、このまえの紛争についても、その非違を明らかにしてもらいたいと、寺池が訴え出たのだ」
 ――私はそのことだけを聞いたのです。
「国老では寺池をなだめて、国目付が江戸へ帰るまで騒がぬように、と云ったそうだ」
 ――寺池さまがそれを、こちらへ。
「五日まえに、使者をもって、その旨を伝えて来た、岩沼(田村右京)へも同様に使者を遣ったそうだが、国目付が江戸へ帰ったとすれば、国老でもなんとか手を打たなければなるまい」
 ――すると、船岡どのへお指図でございますか。
「指図だと、おれが甲斐に指図などしたことがあるか、ばかな、甲斐は眼の黒い男だ、おれは後見役として、ただ彼に穏便な沙汰を申し送るにすぎない、大学にも、境論にもだ、それによっておそらく、こんどこそ、彼はその向背こうはいを明らかにしなければならぬだろう」
 ――申上げます、渡辺金兵衛が帰りをいそぐと申しております。
「よし、これへ呼べ」
 ――金兵衛に御用でございますか。
「そこにいて聞くがよい」
 ――渡辺金兵衛にございます。
「遠慮はいらぬ、寄れ」
 ――御家老まで申上げます。
「その作法には及ばぬ、すぐに申せ」
 ――おそれながら、まえもってお願い申しました、小姓頭ひと増しのことにつき、御意を得たき儀があって参上つかまつりました。
「それはすでに国老がとり計らったであろう」
 ――いや、私と各務采女かがみうねめとに、二十人扶持ぶちずつの増し御合力ごうりきがございました。
「それでは不足か」
 ――小姓頭は四名、大町松左衛門、渋川助太夫、各務と私とでございますが、いずれも家禄かろくが低く、一年代りに江戸番を勤めますことは困難なため、二人増して頂いたうえ、二人ずつ三番に勤められるようにと願い出たしだいでございます。
「さればこそ、家禄の低いそのほうら二人に、増し合力をしたのだ」
 ――その御配慮はかたじけのうございますが、家中では、増し御合力を目的に人増しを願い出たのだと申し、特に私は、一ノ関さまの依怙えこに頼っている、と非難されております。
「おれに依怙があるとは」
 ――万治三年のことをさしていると思われるのです。私が渡辺七兵衛らと共に、綱宗さま側近の奸物かんぶつを斬って御詮議せんぎにかけられましたとき、御屋形さまお一人が私どもを庇護ひごされました。
「あれは当然なことだ」
 ――家中にはそう思わぬ者が多いようでございます。
「あれは当然なことだ」
 ――家中の一部には、あの誅殺ちゅうさつも私どもが御屋形さまの意を受けて致したと邪推する者があり、いまでも私どもは御屋形さまに庇護されている、と云う者が少なくないのでございます。
「それは捨て置けぬぞ」
 ――私はこのたびの人増し願いにつきまして、ぜひ。
「それは聞き捨てならん、人増しのことはともかく、万治のときにおれが誅殺を命じた、などと申す者がいるとしたら捨て置けぬ、なに者がさようなことを申すか、しかとしたことを取糺とりたださなければならぬ」
 ――人増しについて、御配慮を願うことはかないませんでしょうか。
「その願いは増し合力で片がついた、不服なら国老まで再願いを出すがよい」
 ――柴田(外記)さま、古内(志摩)さま、原田(甲斐)さまへ、それぞれ願い出ましたが、もはやこと済みであるとの御返辞にて、いずれもお聞き届けがないのでございます。
「国老がそうである以上、おれにどうすることができるか、それよりも、いま申したような流言を触れまわる人間の詮議が大事だ、さような者を捨て置いては家中に争乱が起こりかねない、そのほう仙台へ戻ったら、その不所存者の名をたしかめておけ」
 ――おそれながら。
「しかと申付けたぞ、よし」
 ――金兵衛め、ふるえておりましたな。
「彼は愚かだが真正直なやつだ」
 ――役に立つとおぼしめしますか。
「わからぬ、が、すでに万治の例がある、彼と渡辺七兵衛とは、機会さえあれば役に立つだろう、長沼玄叔げんしゅくの件は申し渡したな」
 ――相違なく計らいました。
「話しは済んだ、祝いの酒を続けよう」

千本杉


 甲斐は手を膝に置いたまま、放心したように坐っていた。
 ここは青葉城本丸御殿の、紅葉もみじの間であった。広さは十六帖、西に面して板敷の押廻しがあり、妻戸も遣戸やりどもあけてあるので、小砂利を敷いた広場が、矢狭間やざまのある白い土塀まで、初秋の午後の陽をあびて、眼にしみるほど明るく見えていた。――土塀の先は石垣で、土地が低くなっており、そこに時を告げる鼓楼ころうがあるのだが、ここからは見えなかった。その紅葉の間の右隣りは首実検の間であり、左側になっていた。
 正座に二人、国老の柴田外記と原田甲斐が坐り、脇に三人、宿老の富塚内蔵允くらのすけ、茂庭主水もんど、遠藤又七郎がいた。そして、宿老らの次に評定役の津田玄蕃げんば、そのうしろに書役が三人、机を並べて、評議のしだいを記録していた。
 議題の一つは「桃生郡小野の館主、伊東氏再興の可否」であり、その二は「長沼玄叔処罰」の件であった。
 伊東七十郎とその一族罪死、という悲惨な結末をのこして、采女うねめは伊達式部に預けとなり、小野の伊東氏は改易かいえきになった。それは四月のことであるが、その後、伊東の家従である高野兵右衛門、斎藤徳右衛門らが、かち目付の横山勘右衛門を通じて「伊東家再興」の嘆願をつづけていた。
 ――采女には叛意はんいはなかった。
 かれらはそう証言した。
 ――茂庭主水から出頭を命ぜられたとき、采女はすぐ主水の屋敷まで出るつもりだった、そこへ里見十左衛門と伊東七十郎が来て、いろいろと誣言ふげん教唆きょうさした、采女は養子のことでもあるし年も若いので、二人におどされ云いくるめられた結果、心ならずも同意しただけである。
 この点は家従たちが現に見ていた事実であるから、ぜひ家名再興のお沙汰があるよう、老職がたの御配慮が願いたい、とかれらは繰り返し云うのであった。このことは、老職はじめ家中一般から支持されていた。というのは、采女と七十郎は一ノ関の兵部宗勝を刺殺しようとしたのであり、明らかに首謀者とみられる七十郎と、その一族に対する過酷な処罰によって、采女に対する同情と、一ノ関への反感が強まっていたからであった。
 こういう情勢の中で、伊東家再興という問題は殆んど決定的になり、ただ、跡目の選定というところで議論が出ていた。老職の多くはそのまま采女を据える、という意見であったが、これは両後見、兵部宗勝と田村右京によって拒まれた。
 ――采女はもともと養子であり、まだ子もないことであるから、再興するなら新たに養子を入れるほうがよい。
 そして亘理わたり郡亘理の館主たてぬしで、故政宗の第九子に当る安房宗実あわむねざねの二男、刑部ぎょうぶ宗定がよろしかろう、という案を出して来た。これが一ノ関の主張であるということは、誰の眼にも紛れのないところであった。一ノ関は故政宗の末子、すなわち第十子であって、亘理の安房宗実はすぐ上の兄である。その子に伊東を継がせようという主張には、安房を自分の勢力内にひきいれ、また一家の地盤を固めようとする底意がみえすいていた。
 柴田外記はそれを指摘し、「一ノ関」の名こそ口には出さなかったが、伊東家を再興するなら、元のとおり采女をもって館主にするのが至当である、という意見を固持していた。茂庭主水がそれに強く同意を表明していた。主水にはそれだけの理由があったのだ。はじめ席次のあらそいがあったとき、罪科の申渡しをしたのは主水であり、七十郎を同伴して出頭せよ、という旨を命じたのも彼であった。それは席次の諍いが、国老の柴田外記、古内志摩らを相手になされたものなので、国老の関係事件であるため、主水が申渡しを代行したのであり、したがって伊東氏の滅亡には重い責任を感じている、というようすだったのである。
 ――あっぱれ成人したな。
 甲斐はさりげなく、主水の横顔を見やりながら、心の中でそう呟いた。
 ――幼年の苦労が実をむすんだのだ。
 主水は故周防定元の子で、六歳のとき幕府へ証人に出された。これは外様とざま諸侯の家臣のうち、筋目正しい家の子を幕府に差出すもので、はっきりいえば「人質」であり、主水は六歳のときから十三年のあいだ、江戸の証人屋敷で育ったのであった。寛文六年の冬、父の周防が死んだときは、まだ証人屋敷にいたが、二年後に帰国し、同時に家督相続のうえ、一昨年、二十歳で若年寄に就任した。
 ――帯刀たてわきと同年だ。
 甲斐はわが子のことを思い比べた。帯刀宗誠むねもとも同じ二十二歳、もう二人の子があり、第三子が生れようとしているが、神経がこまかすぎるし、躰格たいかくに似ず、どこかにもろいところがある。主水は亡き周防に似て、躯や顔だちは細いけれども、しんにはねばりづよい、ひと筋の強靱きょうじんなものが感じられた。
 ――証人に出された十三年の苦労が実をむすんだのだ。
 みごとに実をむすんだ、周防もさぞ満足であろう、と甲斐は心の中で呟いた。そのとき柴田外記が声をかけた。
「船岡どのはどう思われる」と外記は冷やかに訊いた、「異議があるならうかがいたいが」
 甲斐はゆっくりと答えた、「采女どのを直すことは、なるまいと思います」
「ならぬ、と云われるか」
「論に及ばぬことだと思います」
 外記の顔がきっとひき緊った。それは期待を裏切られたというより、はたしてそうかという、期待どおりの答えに反する、敵意と緊張のあらわれのようにみえた。
「理由がありましょうな」
「申すまでもなく、理由ははっきりしております」
「それをうかがいましょう」
 甲斐は扇子を膝の前に置き、眼を戸外へ向けて、その眼をまぶしそうに細めた。
「申すまでもないことですが」と甲斐は穏やかに云った、「その一は、すでに両後見が不承知の意を示されていることです」
「両後見ではなく一ノ関さまだ」と外記が遮った、「岩沼さまは押しつけられただけで、不承知という意見は一ノ関さまのものだ、その点はもう疑う余地のないことでしょう」
「その二は」と甲斐は云った、「――采女どのが七十郎と同じ罪で処罰されたことです、たとえ教唆されたにせよ、一族もろとも死罪に仰せつけられた七十郎と、同罪の処罰を受けた者が、そのままで身分を恢復かいふくするということはございますまい」
「しかし」外記は赤くなった、「あの処罰が過酷であったということは、家中ぜんたいの知っていることではないか」
「法は法です」と甲斐は静かに云った、「ひとたび御家法がおこなわれ、七十郎とその一族は死罪になった、いまその処罰が過酷であったと云ったところで、七十郎一族をよみ返らせることはできません、罪の当不当はお裁きのときに論ずべきであって、こと済んだのちの評は御家法を難ずることになると思います」
「たとえこと済んだあとにもせよ、正しからざる事実があれば再吟味すべきではないか」外記は怒りを押えきれぬように云った、「あの処罰は吟味が充分でなかった、小野の館の家老、奥山出雲と鷺坂靱負さぎさかゆきえの告訴を鵜呑うのみにし、かれらの叛意がいかなる仔細しさいによるものか、という事情は不問のまま処罰がおこなわれたのだ」
「失礼ですがお待ち下さい」甲斐はなだめるような調子で遮った、「私は江戸番で、そのことの詳しいゆくたては知りません、米谷まいや(外記)どのはお国詰であられたし、席次の諍いには御自分で当っておられた、そうではございませんか」
 外記は沈黙し、さらに顔を赤くした。
 ――自分が当事者であり、しかも家老として在国していたのである。吟味が不充分であり罪科が過酷だとしたら、そのときどうして異議をとなえなかったのか。
 甲斐の反問にはそういう意味が含まれていたし、外記にもそれはすぐにわかった。正直せいちょくで一徹な老人は、言句に詰まったことを隠す法も知らず、懐紙を出して額の汗を拭いた。
 茂庭主水は眼を伏せ、富塚と遠藤の二人は困惑し、津田玄蕃だけは微笑しながら「やりましたね」と云わんばかりに、甲斐のほうへしきりとめくばせをしていた。
「時刻がだいぶ過ぎたようですが」と甲斐はその場の気分を変えるように云った、「よろしければ長沼玄叔げんしゅくの件に移りましょうか」
 富塚内蔵允が同意し、ついで、津由玄蕃が玄叔の罪条を述べた。
 長沼玄叔は医者であるが、その父は故忠宗の代に罪があって城下を追放された。にもかかわらず親族である長沼善兵衛のはからいで、ひそかに城下へ戻り、善兵衛が江戸番になると、いっしょに出府してそのお小屋に同居しながら医学を修業した。そればかりではなく、旧科を秘して元旦の儀式に出たり、亀千代ぎみの御前にすすんで、盃を賜わったりした。これによって長沼玄叔は死罪、親族の石田将監しょうげん、長沼善兵衛らは、家禄没収のうえ城下より十里外に追放という罪科が当てられている、というのであった。
 石田将監は番頭であるが、家柄は「一族格」だった。一族とは伊達家の庶流で、役目こそ家老より下の職にしかつけなかったが、家名は軽くないので、改易という処分にはみな難色を示した。
 ――問題は玄叔の死罪だ。
 玄叔の死罪に反対が出なければいい、と甲斐は思っていた。その罪科を強要したのは一ノ関で、評定役が兵部から指示を受けたということは、この評議のまえに甲斐の耳にはいっていた。もちろん、機会さえあれば家中に紛争を起こそうという、一連の操作のあらわれであって、反対論の出ることは計算されているのである。玄叔が江戸の藩邸に寄宿していたことは、周囲の者も知っていたであろう、けれども不審をいだく者はなかった。こんど摘発されるまで、誰も不審には思わなかった。どうしてかというと、追放に処されたのは玄叔の父であって、それも故忠宗の代のことであり、いまでは殆んど覚えている者もないほど、古いことだったからである。だが、容赦なく法を盾にとれば、玄叔の罪はまぬがれぬところであり、もしまたその罪科に反対する者でもあれば、玄叔の寄宿していることを知っていた者にまで、詮議の手が伸びるに相違ない。一ノ関はそれをねらっているのだ、と甲斐は思った。
 彼が案じていたとおり、やがて富塚内蔵允がその問題をとりあげ、死罪には反対である、と云いだした。しかしすぐに、柴田外記がそれをしりぞけた。追放という旧科を秘して、城下へ戻っただけでも罪は軽くない。そのうえ江戸邸の中に住み、幼君にえっし、盃までもらったということは、主家の仕置を無視するばかりでなく嘲弄ちょうろうするに等しい。これを重科にしなければ、仕置の威信が失われてしまう、と外記は激しい調子で云った。富塚にはそれを反駁はんばくするだけの、根拠も熱意もなかったとみえ、すなおに外記の説を肯定した。
 ――これでまた一人、斬罪ざんざいか。
 甲斐はほっと安心しながら、同時に深い痛みを胸の奥に感じた。
 半ときのち、二つの問題は裁決され、書役が記録を読みあげた。それは江戸番の家老、古内志摩に送られるので、外記と甲斐が署名捺印なついんをし、津田玄蕃が預かった。そして外記が、評議の終ったことを告げた。
 甲斐はいちばんあとから退出した。控えには松原十右衛門と村山喜兵衛が待っていた。肌着が汗になっていたけれども、甲斐はそのまま控えを出てゆき、車寄くるまよせのところで、茂庭主水に追いついた。
「すぐに屋敷へお帰りか」と甲斐は主水に呼びかけた。
「そのつもりです」
「もしほかに用がなかったら、案内あないをしてもらいたいところがあるのだが」
 主水はいぶかしげに甲斐を見た。
「歩いて下さい」と甲斐が云った、「千本杉とかいうところをご存じでしょう」
「知っています」
「そこへゆきたいのだが、人に見られては困る」と甲斐が云った、「どこで待ち合わせたらいいか、考えて下さい」
 二人は詰御門から出て、鼓楼のほうへと、ゆるい坂道を歩いていた。
「長徳寺を知っておいでですか」
「川向うですね、知っています」
「あの境内がいいと思います」と云って、主水は甲斐の表情をうかがった、「しかし、どうしてあんなところへいらっしゃるのですか」
 甲斐はその問いには答えずに、一刻のちにそこで会おう、なるべく人眼につかぬようにと云い、鼓楼の前で主水と別れた。
 もう午後三時に近いだろうが、乾いた道の小砂利から、かげろうの立つほど、陽ざしが強く、到るところの樹立で、せみがやかましく鳴ききそっていた。時刻が時刻なのであたりに人の姿もなく、土堤どての斜面に六七人、庭方の小者らしい男たちが芝を刈っていた。甲斐は扇子で陽をよけながら、とらノ門をぬけて、大手門のほうへゆっくりと歩いていった。
 それから約一刻のち、甲斐は常着つねぎのまま、はかまもはかず、編笠をかぶった姿で、長徳寺の門前で茂庭主水とおちあった。主水も単衣ひとえの着ながしで、やはり編笠をかぶり、片手に釣竿と餌箱を持っていた。――そこは広瀬川の南岸で、うしろには丘陵が重なっており、その裾にそって、長徳寺、大満寺、虚空蔵こくぞうなどの寺があり、もっと先には誓願寺があった。川に沿った道は土地が高く、がけの下のほうから、川の瀬音といっしょに涼しい風が吹きあげて来た。
 陽は山のかなたに隠れたが、空はまだ明るく、対岸の武家屋敷のうち重なった屋根や白壁が、いかにも残暑にうだっているように眺められた。
「父は私に遺書をのこしました」と主水が静かに云った、「それでいちどおめにかかりたいと思っていたのです」
「会えと書いてありましたか」
「そうではありません」主水はそこでちょっと口ごもった、「あなたに悪評が立ち、不審と思えるようなことがあっても、あなたを信じておれ、そして、もしもあなたからなにか頼まれたら、一命をしてやれ、というような意味でした」
 甲斐はゆっくりと首を振り、暫くのあいだ黙って歩いた。主水はそっと甲斐を見た。上背のある、筋肉質のたくましい躯。肩から背へかけての、かっちりとひき緊った線。それらは殆んど魅惑的なほど精悍せいかんさにあふれ、しかも、たとえようのないほど温かく、ゆったりと静かにみえた。
「父の遺書はどういう意味なのでしょうか」と主水が訊いた、「父が云っていることの意味を教えていただけませんか」
「話しましょう」と甲斐は頷いた、「そのつもりで千本杉へ案内を頼んだのです、まだよほどありますか」
小道こみちで二里たらずです」
 仙台では六町一里を小道といった。二人は虚空蔵の脇をまっすぐにゆき、愛宕あたご社の山つきをまわって、丘ひとつ越した向うへおりていった。小高い丘と丘にはさまれて、かなり広い草原がひらけ、北側に深い杉の林がある。草原の中を一と筋の細い小川が流れてい、そのあたりで蛙の声が聞えた。――黄ばんだ葉の見える雑草は、腰を没するほど伸びて、薄い夕霧の立ちはじめたなかに、昼顔の花が白く、点々と、にじんだように白く点々と浮いてみえた。
「誰かおります」
 主水がそう云って、片方を指さした。すると、それを待っていたかのように、三十歩ばかり向うの草むらの中から、一人の老人がすっと立ちあがった。もうかなり暗くなった杉林をうしろに、音もなく立ちあがった老人の姿は、生きている人間のようではなく、まるであの世から迷い出て来た幽鬼という感じであった。躯は骨ばかりのようにせて、落ちくぼんだ眼ばかりが大きく、月代さかやきの伸びた灰色の髪はまばらで、まくれあがった上唇の下に、大きな乱杭歯らんぐいばがむきだされていた。
「誰だ」と老人がこちらへ呼びかけた。
 甲斐は老人のほうへ歩み寄った。
「ここは無用の者の来るところではない」と老人はまた云った、「なに者だ」
 老人は持っているつえで身を支え、顔を仰向きにして、じっとこちらのようすをうかがった。落ちくぼんだ眼は大きくみひらいているが、視力はまったく失っているらしい。甲斐は近よりながら、穏やかな声で云った。
「久方ぶりだな、十左衛門、私だ」
 老人は大きく口をあけた。杖を持った手がおののき、枯木のように痩せた躯が、ふらふらと揺れた。
「船岡どのか」とその老人、里見十左衛門が云った。彼はもっと歯をむきだしたので、その顔は骸骨がいこつのようにみえた、「待っていた」と十左衛門は云った、「いつかは来られると思っていた、いつかはここで会えると思っていた、原田どの、とうとう来られましたな」
 甲斐は振り返って主水を見た。主水は二間ほどはなれたところに立って、不快そうにこっちを眺めていた。
「よくごらんなされ、ここが――」と十左衛門は杖で地面を打った、「ここが七十郎の死躰したいを捨てたところです、七十郎はここで、野晒のざらしになったのですぞ」
 草むらの中のそこだけ、約一坪ばかり、裸の地面があらわれてい、十左衛門はそこへ杖を突き立てたまま、見えない眼で甲斐をにらんだ。
「七十郎がなにをしようとしたか、原田どのはご存じであろう、彼は御家臣ではなかった、一粒の扶持をも頂いてはいない、しかし御家を毒する悪人があり、それを除かぬ限り六十余万石は安泰でないとみて、無禄の身ながらこれを誅殺しようとした」と十左衛門は声をふるわせて云った、「――御家を毒する悪人が誰であるかということも、その人間を除かぬ限り六十余万石が安泰でないということも、家中で知らぬ者はなかった、心ある者はみな知っていて、しかも誰ひとり手をくだそうとしなかった事を、処士しょしである七十郎が決行しようとしたのだ、それが、小野の家従に裏切られて繩にかかり、獄につながれ、吟味らしい吟味もされずに打首となった、打首のうえ死躰をここへ捨てられたのだ」
 十左衛門の濡れた頬が、黄昏たそがれの片明りを映して光った、「七十郎は繩目の恥を受け、獄にとらわれ、打首となって、死躰をここへ捨てられた」と十左衛門は云った、「――この非道な仕置は国老の名においてなされた、原田どの、貴方は国老だ、この、酷薄無残な処刑の責任は貴方にもある、いや貴方にこそ、あれほど七十郎に信頼されていた貴方にこそ、もっとも大きい責任がある筈だ」
「それで気が済むなら、存分に私を責めるがいい」
「その口だ」と十左衛門は歯をむきだして叫んだ、「そのとりすました殊勝げな口ぶりで、人を籠絡ろうらく瞞着まんちゃくしてこられた、だが私はもうだまされはせぬ、盲人は顔色音声によって真偽をくらまされることはない、貴方がいつかここへ来られることもわかっていたし、どういう気持で来られるかということもわかっていたのだ、原田どの、この場だけでもよい、偽わりのない本心をうかがおうではないか」
「松山の主水どのがいっしょだ」と甲斐は主水を眼で招きながら云った、「ここで話したいことがあって案内を頼んだのだが、ちょうどいいおりだ、十左衛門にも聞いてもらうとしよう」
「御本心でしょうな」
「自分のことではなく、万治以来の出来事がどういう意味をもっているか、いまそれがどう動いているか、ということを知ってもらいたいのだ」
 主水がこっちへ来た。
 草を踏みわける音で、主水の近づいて来たことはわかった筈だが、里見十左衛門は会釈もせず、骨ばった肩をいからせ、挑むような硬い表情で、甲斐の話しだすのを待っていた。ようやく黄昏の色が濃くなり、夕霧におおわれた草原では、虫の声が聞えはじめた。――甲斐は低い静かな声で、ゆっくりと語りだした。二人に話すというよりも、自分で自分に話しかけるという調子で、要点のところだけやや声を強めるほかは、殆んど独白にちかい口ぶりで語っていた。主水は釣竿を地面に立て、足もとを見たまま聞いていたが、甲斐の話すことの重大さに圧倒されたのだろう、顔色はしだいにあおざめてき、その額には汗のにじみ出てくるのが見えた。十左衛門も非常なおどろきにうたれたらしい。杖に支えている躯が硬直したように動かなくなり、下唇がさがって、半ばあいた口から、激しく深い呼吸のもれるのが聞えた。
 甲斐が語り終ると、十左衛門は杖を片手に持ち替え、躯を屹と立て直した。
「私にはそのままは信じられません」と十左衛門があえぐように云った、「これまで幕府が、多くの大名を取潰とりつぶしてきたことは知っております、しかしそれはすでに終ったことであって、いまなおそのような策謀があり、ことに仙台という由緒ある大藩に手をつける、などということがあるでしょうか」
 甲斐は答えるまえに、深く息を吸いこみ、空を見あげながら、静かにそれを吐きだした。
涌谷わくやさまも初めはそう云われた」と甲斐は穏やかに頷いた、「十左衛門が納得しかねるのもむりではない、だが、事の起こりからを考えてみればわかる、まず、綱宗さまに対する殆んど無根拠な譴責けんせきと、跡目をきめるについての難題だ、そして同時に、二方面に手が打たれた、一は酒井侯が一ノ関に与えた三十万石分与の密約であり、一は幕府閣老の某侯が、松山を呼んでひそかにその密約を告げたことだ」
「一ノ関に三十万石分与、――」十左衛門が頭をかしげながら反問した、「そんなことが、事実あったのですか」
「あったのだ」
「よもや風聞ではございますまいな」
「酒井侯と一ノ関とで取交わした証文があり、仔細あってその一通を私が持っている」
「紛れのないものですか」
「紛れのないものだ」と甲斐が答えた、「もちろん一枚の紙きれだから、動かぬ証拠とはいえないだろうし、酒井侯にはたやすく否定することができるだろう、ここが眼目なのだ、いいか、――この密約が交わされると同時に、幕府閣老の某侯がひそかに松山を呼んで、そういう密約のあることを告げたのだ」
 甲斐は主水を見た。主水は大きく眼をみはったまま、黙って話しのあとを待った。
「某侯とは誰びとです」
「名は云えない」
「いや聞かせて下さい」と十左衛門は遮って云った、「ここまで話してそれだけを隠す必要はないでしょう、誰ですか」
「名は云えないが、そのころは将軍家お側衆で、当代十善人のひとりと評された人だ」
 十左衛門は俯向うつむいたが、すぐに「久世大和守くぜやまとのかみ、――」と口の中で呟き、顔をあげて、問い詰めるようにいた、「久世侯ですか」
「名は云えない」と甲斐は繰り返した、「その人は松山を呼んで、酒井侯と一ノ関との密約を告げたうえ、残った三十万石のうち十万石を誰、五万石を誰と、伊達家の一門一家に属する数人の名をあげ、これらに分与される約束ができているようだから、その人たちにも警戒を怠らぬがよい、と忠告されたそうだ」
「某侯が松山に伝えた忠告は、好意から出たものかもしれない」と甲斐は続けた、「しかし、その情報がどこから出たかということを考えてくれ、某侯は現に幕府の閣老であるし、その忠告は、伊達家一門一家のあいだに疑惑をいだかせ、互いに離反させるような意味をもっている、これは、仮に某侯は好意でしたことだとしても、その情報が巧みに仕組まれたものだ、ということは推察がつくだろう」
 十左衛門は低くうめいた。
「双方に打たれた手は、ほぼ予想どおりにはこんだ」と甲斐は云った、「一ノ関は三十万石の欲に釣られて、次つぎと家中に紛争を起こした、われわれは某侯の忠告に縛られていて、一門一家のうちどの人が加担しているかわからず、したがって根本的な対策がとれない、いつも後手ごて、後手と追われるよりしかたがなかった」
「しかしそれで」と十左衛門が乾いた声で問いかけた、「それでいったい、酒井侯はなにを得ようというのですか」
「まえに云ったとおり、仙台六十余万石の改易だ」
「この泰平の世にですか」
「権力は貪婪どんらんなものだ」と甲斐は答えた、「必要があればもとより、たとえ必要がなくとも、手に入れることができると思えば容赦なく手に入れる、権力はどんなに肥え太っても、決して飽きるということはない、慶長以来、幕府がどういうふうに大名を取潰して来たか、いかに無条理で容赦がなかったか、ということを考えてみるがいい、――こんどの場合も、酒井侯ひとりの思案ではなく、首謀者はおそらく伊豆守信綱と思われる、酒井侯は亡き伊豆守の遺志を継いだものであろうし、ここでもし伊達家改易に成功すれば、加賀、薩摩さつまにも手を付ける事に違いない、少なくとも、二大雄藩の頭を押えるだけの収穫は充分にある、そう思わないか」
 主水は頭を垂れた。
「それは、――」十左衛門は睡をのみ、見えない眼で甲斐をさぐり見ながら訊いた、「それは、原田どのが推察されたということでしょうな」
「私は事実から眼をそむけないだけだ」
「しかしそれが単なる推察でないとしたら、どうして早くその事実を告発しなかったのですか、もっと早くそれを告発していたら、これまでに払われた多くの犠牲は避けられたでしょう、七十郎とその一族の無残な最期も、避けられたのではありませんか」
「そうかもしれない、だがそれなら、どこへどう告発したらいいか」甲斐はささやくような声で叫んだ、「どこへだ、十左衛門、どこの誰へ告発したらいいのだ」
 これまでに甲斐が、そんな声でものを云ったことは、いちどもなかった。十左衛門はながいあいだ親しく甲斐に接して来たが、そのようにするどい、そして悲痛な響きのこもった声を聞くのは初めてであった。杖を持った手をふるわせながら、細い首の折れるほど、十左衛門は低く頭を垂れた。
「それは※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれることのできないものですか」と主水が初めて口をきった、「なにか※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)れる方法はないのですか」
「一つだけある」
「うかがわせて下さい」
「耐え忍び、耐えぬくことだ」
「なにを、どう耐えぬくのです」
「一ノ関の手をだ」甲斐はどこを見るともなく眼をあげ、静かな口ぶりで云った、「――涌谷さまと、周防すおうと私とで、相談した、その結果、私は一ノ関のふところへはいって、かれらの企図をつぶさに探り、これを涌谷さまと周防に知らせたうえ、事を未然に防ごうということになった」
「すると貴方は」十左衛門がぐいと顔をあげ、大きく息を吸いながら云った、「貴方はやはり七十郎や私を、いや、七十郎や私までも騙されたのですね」
「誰とは限らない、人に話すのはこれが初めてだ」と甲斐が云った、「涌谷さまと周防と私と、この三人以外には話さない約束だった」
「柴田(外記)どのは涌谷さまから、貴方が一ノ関の与党になったと、聞かされたそうですが」
「十左衛門はどうだ、七十郎はどうだ」甲斐はゆっくり反問した、「家中でそう信じている者は少なくないだろう、それが役立ってきたのだ」
 一ノ関は要所へ諜者ちょうじゃを配っている。涌谷や松山や自分の身辺は、特にきびしく監視されていた。したがって、自分が涌谷や松山と疎遠になったことも、七十郎から絶交されたことも、十左衛門が去ったことなども詳しく報告された。私は一ノ関の諜者を逆に使ったのだ、と甲斐は云った。
「こういうことは、私にはいとわしい」甲斐は眉をひそめた、「――じつに厭わしい」
 十左衛門はうなずいた。了解といたわりをこめた頷きのようにみえた。
「だが役には立った」と甲斐は続けた、「この年月のあいだに起こった紛争の多くが、表て沙汰になれば六十万石のいのち取りになりかねないものだった、一例だけあげれば鬼役三人の毒死だ、もちろん亀千代ぎみの召される膳部だから、置毒となれば大事ちゅうの大事だ、これは絶対に潰さなければならない、私は強引に押し切って、単純な食中毒ということにした、――置毒は入念に計画されたもので、一ノ関はすぐさま医師の河野道円とその子二人を打首に処した、したがって、食中毒とすることは極めて困難だったが、それでもどうやら押し切ることができたのだ」
「席次の争いも、同じ手ですか」
「うん、――」甲斐は低く呻き、それから疲れたような調子で云った、「あのとき席を知らせた目付役は、今村善太夫らだと聞いたが、善太夫は渡辺金兵衛や渡辺七兵衛らと共に、はやくから一ノ関に飼われていたも同然な人間だった、七十郎もそれは知っていた筈で、あれが紛争を起こすための罠だということをどうして見ぬけなかったか、私にはそのほうがむしろふしぎに見えたくらいだ」
「ああ、――」と十左衛門がくいしばった歯のあいだから云った、「ああ、七十郎、七十郎」
 甲斐は穏やかな、しかし苦痛をひそめた表情で、十左衛門に近より、そうして深い太息といきをついた。
「耐え忍び、耐えぬくということを忘れないでくれ」と甲斐は云った、「もしも七十郎が、望みどおり一ノ関を仕止めたとしたらどうだ、一ノ関は伊達家の後見役というばかりではない、酒井侯の親族であるうえに、名目だけにせよ幕府直参の大名だ、――仕止めたとすれば七十郎は本望だろう、しかし伊達六十万石は無事には済まない、ことによると改易の口実を与えるかもしれないぞ」
 甲斐はちょっと休んでから続けた、「念には及ばないだろうが、ここで話したことは忘れてくれ、これまでどおり、十左衛門も私に近よるな、松山とも往来はしない、すべて従来のまま、私を一ノ関の与党として扱ってもらう、わかったな」
 主水はそっと頷いたが、十左衛門は黙って顔をそむけた。
「主水どのに云っておく」と甲斐は主水を見て云った、「これからも一ノ関はいろいろと手を打つことだろう、だが決して、刃向かったり、対抗したりしてはいけない、それはかれらの思う壺にはまることだ、火を放たれたら手で揉み消そう、石を投げられたら躯で受けよう、斬られたら傷の手当てをするだけ、――どんな場合にもかれらの挑戦に応じてはならない、ある限りの力で耐え忍び、耐えぬくのだ、これは亡き周防どのの遺志として、覚えていてもらいます」
 主水は静かに低頭した。
 甲斐は俯向いて、十左衛門が「ここだ」と杖で打った、裸の地面を見まもった。そうして、誰かに囁きかけるような、低く、やわらかい声で暗誦あんしょうした。
「――このほどこころざし侯て、宿老のためとらわれとなり申し候、いにしえのおうとうのごとく、くるしみをうけ候えども、のちの世きく者、かんぜざらんことあるべからず、すこしもかなしみはなきものなり」
 それは七十郎の遺書の一節である。十左衛門の眼から涙がこぼれ落ちたが、声は出さなかった。
「七十郎は七十郎らしく死んだ」と甲斐は十左衛門に云った、「彼は自分が、烈士として後世に残ることを信じていたのだ、彼のために悔やむことはないだろう、十左衛門、これからは身の保養につとめるがいい、――なが話しで日が昏れてしまったようだ、帰るとしようか」
「どうぞ」と十左衛門が会釈した、「私はせがれが迎えにまいります、どうぞお先に」
 甲斐はじっと十左衛門を見まもった。すっかり平静になった眼つきで、もう会うおりはないなとでも云うように、五拍子ばかり見まもっていて、それから、主水といっしょに去っていった。――十左衛門は頭を傾けて、じっと二人の去ってゆくけはいを聞きすましていたが、やがて、杖で地面をさぐりながら、小川のほうへ歩いていった。幅六尺ばかりで、底の見える小さな流れだったが、あしのあいだに流れ灌頂かんじょうが作ってあった。
 細いしのを四本立て、白いさらし木綿が張ってある。行き倒れの死者などがあったとき、供養のために道傍みちばたへ作るものであるが、十左衛門はさぐり足で近よると、杖を置いてしゃがみ、手を伸ばして柄杓ひしゃくを取った。そして流れの水をんで、その水を晒し木綿の上へそそぎかけながら、初めて嗚咽おえつの声をもらした。
「いまの話しを聞いたか」と十左衛門は口の中で云った、「聞いたな、七十郎、――おまえもおれも、原田どのにくらまされていた、だがよかった、原田どのの本心があのとおりなら、おれが昏まされるぐらいなんでもありはしない、これでいい、おれは死んでも死にきれない気持だったが、これでやっと息がつける、よかった、よかった、七十郎、おまえもこれで成仏できるだろう」
 まっ暗になった草原のかなたに、橙色だいだいいろの灯が一つあらわれ、それが揺れながら、ゆっくりとこちらへ近づいて来ると、提灯ちょうちんを持った、二十八九歳になる、逞しい躯つきの侍の姿が、片明りにうかびあがって見えた。――草の擦れる音を聞きつけた十左衛門は、柄杓を置き、ふところ紙を出して顔を拭いてから、杖を取って立ちあがった。
「勘五郎か」と十左衛門は呼びかけた、「勘五郎、おれはここだ」

闇夜の匂い


 甲斐が大町の屋敷へ帰ると、片倉隼人はやとが「涌谷わくやから密使が来ている」と告げた。甲斐は頷いて、風呂へはいる、と云い、そのまま居間のほうへいった。居間には行燈がついていて、その脇のところで宇乃うのが、甲斐の着替えをそろえていた。
 甲斐は中の間と境の襖際ふすまぎわに立停って、ちょっと不審そうに宇乃を見た。宇乃は眼をあげて微笑し、それから挨拶を述べた。
「宇乃か」と甲斐が云った。
 宇乃は甲斐を見あげてまたたきをした。
「見違えた」と甲斐が云った、「たいそうおとなびて見えたので、誰かと思った」
 宇乃はおっとりと微笑し、肌着と合わせた紺染め木綿の単衣ひとえを取って立ちあがった。
帯刀たてわきさまが落ちあゆを釣っていらっしゃいましたの」宇乃はいつものゆっくりした口ぶりで云った、「仙台へお届けしたいとおっしゃいましたら、おばあさまが、わたくしにいって来いと仰しゃいました」
「もう鮎がくだり始めたのか」
「美しい、みごとな鮎でございますわ」
「帰ったらつかみにゆこう」
「つかみに、ですか」
ふちにある深い岩の隙間などでひれを休める、それを潜っていって手で掴むのだ、宇乃はまだ見たことがなかったか」
「はい」といって宇乃はまた微笑した。甲斐のたのしそうな口ぶりが、子供めいていて可笑おかしくなったらしい、しかしすぐまじめな調子になり、帯ぐあいを直してやりながら云った、「――おばあさまからお手紙を預かってまいりました」
「母から手紙だって、――」
 江戸番のときでさえ、母から手紙の来ることなどはめったにないので、甲斐はいぶかしそうに宇乃を見た。
「奥山大学さまがおいでになりましたから」と宇乃は云った、「たぶんそのことではないかと存じます」
 甲斐はにわかに重い疲労を感じた。
「いつのことだ」
「昨日でございました」
 甲斐は「風呂にはいる」と云った。
「お背中をながしましょう」
「いや、それには及ばない」
 甲斐は首を振って、出ていった。
 宇乃は風呂場の外に待っていて、やがて甲斐があがって来ると、浴衣を着せて汗をぬぐい、またべつの浴衣に替えるというふうに、三度それを繰り返してから、常着を着せた。甲斐は「客があるから食事を少し待つように」と云い、宇乃の顔をちょっとみつめて、そして風呂舎を出た。
 片倉隼人が甲斐をみちびいていったのは、邸内の家従長屋の一軒で、もと矢崎舎人とねりの住んでいた家であった。
「これは矢崎の住居だな」
「矢崎でございます」と隼人が囁いた、「中におります」
 甲斐は立停って、足もとに眼をおとした。
 舎人は去年の春、家禄召上げのうえ追放になった。それはこしらえられた罪であった。おそらく一ノ関が糸を引いたものであろうし、甲斐をこころみる手段の一つと思われたので、罪が不明確なものであったにもかかわらず、甲斐は黙ってみすごしにした。それから一年半、行衛ゆくえも知れなかった舎人が、いま涌谷の密使として来たと聞いて、甲斐は少なからず気持が動揺するのを感じた。――はいってゆくと、かびくさい部屋の中に、舎人は旅装のまま坐っていた。うす暗い行燈の光が横から、彼の陽にやけた顔をぼんやりと照らしており、平伏して見あげる眼に、涙のあふれ出るのが認められた。
 甲斐は坐るとすぐに、無感動な調子で使いの用向を訊いた。舎人は文箱ふばこを差出した。甲斐は自分でその箱をあけ、中から書状を取り出した。それは長いもので、ひろげると十尺に余るほどあり、紙面がまっ黒にみえるほど、細字でびっしり書きこまれてあった。
「隼人、――」甲斐は読み始めるとまもなく、振向いて片倉隼人に云った、「船岡から鮎が届いているそうだ」
「届いております」
「舎人には久方ぶりであろう、膳の支度をしてここへはこばせてくれ」
 隼人は承知して立ちあがった。
「楽にしろ」と甲斐は舎人に云った。
 そして書状を読み続けた。
 舎人はひそかに甲斐のようすを見た。びんのあたりの白髪が少しめだってきたようである。額のしわも深くなったようだし、頬のあたりには、やや肉のたるみさえ感じられるようであった。穏やかで温かい中に、発条ばねのような強靱きょうじんさをひそめていた相貌が、いまは屈託し疲れた老人、といったふうにしかみえなかった。
 ――お年はまだ五十前の筈だ。
 舎人はそう思って暗然と眼をそむけた。
 伊達安芸あきの手紙は「地境論」の経過を述べたものであった。安芸の領地の遠田郡涌谷は、伊達式部の領地である登米とめ郡寺池と接していて、寛文三年このかた、三カ所に地境の争いが起こっていた。そのうちの二カ所、登米郡赤生津あこうづと遠田郡小里村の件は、安芸の譲歩によって落着したが、式部はそれで味を占めたように、桃生ものお郡の深谷でまた問題を起こした。そこにはもとから式部領の飛地があり、安芸の領地と接していたが、式部はその領境を侵して、十町歩あまりを若生半右衛門という藩士に与えた。そこで安芸は式部に抗議をし、式部は逆に安芸の不当を鳴らした。この争いは四年余日にわたるもので、現在では郡奉行こおりぶぎょうの山崎平太左衛門が預かり、国老による裁決を待つことになっていた。
 安芸は右のゆくたてを詳しく記したうえこんどは「堪忍なりがたい」と書いていた。境論を預かった山崎平太左衛門は、安芸の親族で外従弟に当る。式部が紛争を山崎に預けたのは、山崎が郡奉行だということより、安芸の親族であるという点に眼をつけたからで、結果の利不利にかかわらず、山崎と安芸との関係を逆用しようとする意図によるものである。
 ――むろん式部ひとりの知恵ではあるまい。
 うしろに一ノ関がいる、と安芸は書いていた。初めの境論のときから、一ノ関が式部を煽動せんどうしていたのだ。式部宗倫むねともは、隠居した綱宗の異母兄に当るから、「一門」であることの単純な自尊心を刺戟しげきすれば、自分の思うままに動くことを、一ノ関の兵部はよく知っている、したがって、こんどまた譲歩するとすれば、式部はさらに領境を侵すに相違ない。
 ――いまこそ覚悟すべきときだ。
 手紙の文字はそこから力強く、太くなっていた。この境論は、伊達家中に紛争を起こそうという、兵部の工作の一環であり、こんどは山崎平太左衛門を巻き込むことによって、涌谷を窮地に追い詰めようとするものである。式部が「一門」をたてにとるなら、安芸にも「一家」の面目があるし、ここでまた屈伏することは、かれらの野望を増長させるばかりでなく、紛争をますます複雑煩瑣はんさにし、収拾のつかない状態にまでもってゆかれる危険が明らかにうかがわれる。
 ――ここはかれらの逆を取る機会だ。
 これ以上の隠忍はかえって破滅を招く、と安芸は書いていた。境論の国老評定はできるだけ延ばし、いよいよ裁決となったら、寺池の利分になるようにしてもらいたい。そのうえで自分は幕府へ訴え出るから、老中評定となったところで、船岡が「酒井侯と一ノ関との密契」を突きつける、ということにしたいと思う。時期については来年、亀千代さまが元服されるので、それが済んでからのほうがよいであろう。自分は十月に仙台へ出るつもりでいる、詳しいことはそのときじかに会って相談したい。手紙はそうむすんであった。
 甲斐は読み終るなり、その書状に行燈の火をつけた。それを見た舎人は立ちあがって、部屋の隅から火桶ひおけを持って来た。甲斐は火桶の中で注意ぶかく燃してから、火箸ひばしできれいに灰をならした。
「今日、里見十左に会った」甲斐は暗い壁のほうへ眼をやりながら云った、「――失明して、躯もすっかり憔悴しょうすいしているようだった」
 舎人がなにか云おうとしたとき、辻村又之助と堀内大助とが食事を運んで来、甲斐はそれを舎人の前に並べさせた。あぶり直した鮎に煎鳥いりどり、吸物に甘煮、香の物という膳で、酒が付いており、甲斐がいちどだけ酌をしてやった。堀内大助が給仕をし、舎人はゆっくりと、飲みながら食事をした。
「十左には七十郎の死がこたえたようだ」と甲斐は云った、「顔が合いさえすれば、二人はよく口論をした、七十郎はからかうのがうまいし、十左はすぐむきになる、赤くなって怒ると、七十郎は面白がってますますからかう、いつもきまって喧嘩けんかになるが、あれほど仲のいいれも珍らしかったろう、いまでも眼に見えるようだ」
 今日、むざんにやつれた十左を見て、七十郎の死がいかに大きな痛手だったかということがわかった。そういう甲斐の話しを聞きながら、舎人は心の中で感謝した。甲斐がいっているのは、十左と七十郎のことではなく、自分が不当な罪で罰せられたこと、またそれを防げなかったことについて詫びているのだということがわかるのである。口に出して詫びなどを云われたら、返辞のしようもないし、おそらくいたたまれなくなるだろう。甲斐はそれをよく知っていて、その気持をまったく無関係な話しに託しているのだ。舎人はそう思って、おとなしく甲斐の話しを聞いていた。
 やがて食事が終り、大助が膳を片づけて去ると、甲斐は温かい眼で舎人を見、いまどこにいるのかと訊いた。
「涌谷さまのお口添えで、山崎どのの役宅におります」
「山崎とは、――」
「郡奉行の山崎平太左衛門どのです」
「涌谷さまがそこへ」と甲斐は訝しそうに云った。
「――どういう御思案だろう」
「不都合でもございますか」
「山崎はいま、涌谷と寺池との境論を預かっていて、おそらく一ノ関からきびしく監視されているに相違ない」
「しかし私を知っている者はないと存じますが」
「いや危ない」と甲斐は首を振った、「今日は長沼玄叔げんしゅくという者に死罪の処置がきまった、舎人は知らないだろうが、玄叔はその父の罪によって、追放となったにもかかわらず、親族のはからいで城下へ戻り、江戸邸の中に寄宿していたことがわかったのだ」
「長沼と申しますと、江戸の聞番ききばん(幕府や他の諸侯との公的取次をする役)に善兵衛という者がおりましたが」
「その親族だ、善兵衛は玄叔を寄宿させた罪で家禄没収、追放ということにきまった」と甲斐は云った、「――記憶している者も少ないような、こんな古い出来事でさえ摘発される、舎人の場合はまだ月日も経たず、まして山崎は一ノ関の手中にあるようなものだ」
「失礼ではございますが」
「境論を山崎に預けたのは、山崎が涌谷さまの縁辺えんぺんに当るからで、そのために山崎が窮地に立たされるだろうということは、涌谷さま自身も知っておられるのだ」
「涌谷さまがですか」
「手紙にもそう書いてあった」
「すると、――」舎人は甲斐を見あげた、「なにか御思案があるのでしょうか」
「江戸へゆくがいい」と甲斐は云った、「涌谷さまへは私が申し訳をする、ここからまっすぐに江戸へ出て、湯島の家へゆくがいい、私は来年の秋には出府するが、おまえのことは雁屋かりやに頼んでやる」
「涌谷さまにどんな御思案があったとお思いですか」
「わからない」甲斐は片手を伸ばして空の火桶をで、それからにっと微笑した。すると唇のあいだから僅かに、白い歯がのぞいた、「――いや、わかった、涌谷さまがおまえをよこしたのは、おまえを私に返したのだ」
 舎人は眼を細めた。
「おまえのおちつく場所を私に任せるという意味で、おまえを使者に選んだのだ」
「私はそうは思えません」と舎人は云った、「それならそうと涌谷さまから話しがあった筈です」
「いや」と舎人は、甲斐がなにか云おうとするのをさえぎった、「私は山崎どのへ戻ります、私は私なりに、なにかお役に立つことがあると思いますから」
 甲斐はちょっとまをおいてから云った、「そういう役目はない、おまえは原田の家従でもなし、もう伊達の家臣でもないのだ」
「私は原田家の家従です、直臣じきしんにあげられましてからも、自分ではずっと原田家の家従のつもりでおりました」
「それならなおさら、私の云うことをきけない筈はないだろう、おまえは家禄没収のうえ追放になった、これからは自分の身を立てることだけを考えればいいのだ」
「直臣としては追放になっても、原田家から追放された覚えはございません」
「そういう云いかたを私が好むとでも思うのか」
「私は原田家の家従です」舎人は顔を硬ばらせた、「よしそうでなくとも、こなたさまが御家名も御一命もなげうって、伊達六十万石の安泰を護りぬこうとなすっておられるのに、自分だけが身の安全を考えるなどということは、私にはできません」
「酔っているのか」と甲斐が訊いた。
「私の申上げたことはおわかりになっている筈です」
「もし酔っているのでなければ、私がそんな云いかたを好まない、ということを思い出してくれ」と甲斐は云った、「私は船岡の館主として、当然しなければならないことをするだけだ、家名や一命を賭けて、などという悲壮な決意もないし、自分の能力以上のことをやろうとするわけでもない、おまえは無実の罪をせられ、追放になったことで思い詰めた結果、ものごとを実際より過大に感じ、そのためにのぼせあがっているのだ」
「私が、のぼせあがっておりますか」
「同じような例がある、塩沢丹三郎がそうだし、伊東七十郎がそうだ、それを考えてみるがいい」甲斐は深い息をし、声をやわらげて云った、「丹三郎が鬼役にあがってからも、危険だと思われたときには呼んで、お役を休むように注意をした、しかし彼はいっさい受けつけなかった、彼には毒死することが本望だったのだ、――七十郎の場合もそのとおり、席次の争いは企まれたものだし、そんなに騒ぎたてるほどの問題ではなかった、七十郎は胆力もあり頭もいい人間だから、事の裏にあるものをみぬけない筈はないのに、のぼせあがって一ノ関刺殺などという、無謀なことをくわだてた」
 甲斐は片手を振り、その手をはたとひざへ落として云った、「丹三郎は満足だったろう、ばかな、――七十郎も自分の名が後世に残ることを信じ、満足だという意味のことを遺書に書いている、――ばかな」
 感情をしずめるためだろう、甲斐は言葉を切って、暫く沈黙した。
「丹三郎はまずともかく、七十郎の死は誤っている、彼は侍の意地とか面目とか、本分などということで自分をしかけた」甲斐はそう云いかけて、いかにもにがにがしげに顔をしかめた。そういうことを口にするのが、自分で恥ずかしく不愉快なのであろう、顔をしかめながら、いやな物でも吐き出すような調子で続けた、「――意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の眼にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、生きられる限り生きて御奉公をすることだ、これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を支え護立もりたてているのは、こういう堪忍や辛抱、――人の眼につかず名もあらわれないところに働いている力なのだ」
 甲斐は舎人を見た。舎人は両手を膝に突いて、深く頭を垂れていた。
「いまわれわれの当面している問題は」と甲斐はまた云った、「――つきつめた一念や、壮烈な行動などで解決できるものではない、舎人、――おまえは無実の罪を、追放になったことで役目をはたした、それで充分だ、明日ここから江戸へゆけ、そして自分の身を立てるくふうをするがいい、わかったか」
「わかりました」舎人は頭を垂れたまま答えた、「こなたさまの御苦心をよそに、はなれてまいるのは辛うございます、まことに辛うございますが」
「よし、それでよし」甲斐はあとを聞きたくなかったのだろう、舎人の言葉を遮って立ちあがった、「いま村山喜兵衛をよこす、辻村平六もいる、風呂を浴びてくつろいだら、三人でゆっくり話すがいい、私は江戸へ出てから会うことにしよう」
 舎人は両手を突いて甲斐を見あげたが、甲斐は眼をそむけたまま出ていった。
 その夜、甲斐は眠れなかった。疲れきっていて、身も心もぐったりしているのに、神経だけがきみの悪いほどえ、眼に見えない巨大ななにかが、現実に自分の上へ崩壊してくるような、はっきりしない不安が繰り返しおそいかかるのを、感ずるのであった。
「涌谷をなだめなければならない」甲斐は仰臥ぎょうがしたままそうつぶやいた、「涌谷の考えは白刃の上をはだしで渡るようなものだ」
 成否の対率は千に一つか、万に一つというくらいであろう。境論で幕府老中の評定にもってゆくことは、伊達家中の不取締という非難を受ける。そのとき「酒井と兵部との密契」をもちだすとして、老中がはたして受理するかどうか。仮に受理されたとして、老中がどういう態度に出るか。
「いや、受理することはあるまい」甲斐は枕の上でそっと頭を振った、「――六十万石を揺りつぶそうという企みが、閣老ぜんたいの謀議でないとしても、事が表面に出れば幕府の威信にかかわるから、おそらく一顧も与えはしないだろう、密契をもちだすには、薩摩と加賀を味方につけなければならない、それにはまだ時日が必要だ」
 薩摩と加賀が味方につくかどうか。加賀へはいちど手掛りをつけてみたが、話しに乗るようすはまったくなかった。もちろんはっきりした話しはしなかったし、婉曲えんきょくに打診してみた程度であったが、手を握るには多くの時日と努力が必要だ、ということははっきりした。
「どうしても、涌谷をなだめなければならない」甲斐は暫くしてまたそう呟いた、「どうしても、――だが、どうなだめたらいいか」
 満願寺の鐘であろう、九つ(午前零時)を打つのが聞え、それからまもなく、甲斐は起きあがって蚊屋を出た。
 家の中は寝しずまっていた。甲斐は船岡でも此処ここでも宿直とのいを置かない、次の間から縁側へ出、そして庭へおりていった。曇っているとみえ、空には星ひとつなく、足もともわからないほどの闇夜であった。露に濡れた芝生ではこおろぎが鳴きしきってい、甲斐が歩いてゆくと、そのまわりだけ急に鳴きやむが、あゆみ去るとすぐにまた鳴き続けるのであった。
「――暗いな」と甲斐は呟いた。
 すると誰かが答えるように思った。
 ――まるでいまわれわれの置かれた立場のように暗い。
 甲斐は立停った。そこは芝生のはずれで、樅ノ木の植込にかかるところだった。その樅も船岡から移したものであるが、どういうわけか根付きが悪く、数年すると枯れてしまう。いまあるのは五年ほどまえに移させた若木で、数は三十本ばかりあるが、まだ丈も七八尺ぐらいしか伸びていなかった。
「いつ、どこで聞いたろう」
 甲斐は闇の一点を見まもりながら、記憶の糸をたぐってみた。すると、茂庭周防もにわすおうのおもかげが眼にうかんだ。
「そうか」やがて甲斐は呟いた、「湯島の家の寝間だったな」
 おくみの寝間だった、と甲斐は思った。大変のあった万治三年の十二月、忍んで来た周防に向かって、甲斐は国老辞任をすすめた。その話しのあとで、周防がそう云ったのだ。
 ――この闇夜には灯が一つあればいい、だがわれわれにはその一つの灯さえもない。
 そのときの周防の声や姿が、暗い闇のついそこにあるように思われ、甲斐は立停ったまま、じっと息をひそめた。なにかが、甲斐のまわりで匂った。それはごくほのかな、あるかなきかの匂いで、静かにやさしく彼を包むようであった。甲斐は太息といきをついた。甲斐は自分がいかにも弱く、無力で、しかも困憊こんぱいしきっているのを感じた。
「どうなるのだ、周防」と甲斐は口の中で呼びかけた、「――どうなるのだ、これからどうなってゆくのだ、周防、おれは続かない、おれはもうくじけてしまいそうだ」
 おれは独りだ。頼る者もなし、相談する者もいない。いまでは涌谷までが重荷になろうとしている、周防。おれをこんな事に巻きこんだのはおまえだ、そして自分は先に死んでしまった。涌谷とおまえとおれと、三人で力を合わせてやる筈だった。それがいまはおれ一人だ。
「云ってくれ周防」と甲斐は口の中でまた呼びかけた、「どうなるのだ、これからどうなってゆくのだ」
 甲斐はじっと耳をすました。まるで周防の答えを聞こうとするかのように、――甲斐は自分が虚脱していることを知った。なにかたしかなもの、自分を支えてくれる柱のようなものを欲しいと思った。――けんめいに追いかけていたものが、追いつけないとわかったときのような絶望と、反対に自分が追われていて、ついに追いつかれそうになったときのような恐怖とが、前後から同時に緊めつけてくる。その圧迫する力の強大さと、避けることができないという事実の下で、甲斐はわれ知らずうめき声をあげた。
 そのときまた、あのほのかな匂いが、ふんわりと甲斐を包んだ。それは過去から呼びかける声のような、極めて淡く、ほのかな、殆んど現実のものではないような匂いであったが、甲斐にはそれがなんであるか、ようやくわかったというようすで、静かに背をまっすぐにした。
「宇乃か」と甲斐が云った。
「はい」宇乃の答える声がした。
 甲斐はそちらへ振返った。闇の中にぼうと白く、宇乃の単衣ひとえがにじんでみえた。
「どうしたのだ」
「お庭へ出ていらっしゃいましたので」
「起きていたのか」
「眠れませんでしたの」と宇乃は云った、「おじさまが寝ぐるしそうにしていらっしゃいますし、おばあさまのお手紙のことが気にかかって、どうしても眠ることができませんでしたの」
「私の寝ぐるしいのがどうしてわかる」
 宇乃は答えなかった。甲斐も自分の問いが不必要だったことに気づいた。宇乃の寝所ははなれているが、どうしてわかるか、などと訊くことはなかったのだ。
「おじさま」と宇乃が囁いた、「おばあさまのお手紙は、悪いお知らせでございますか」
「いや、気にするほどのことではない」
「なにかまた、いやなことでも起こるのではございませんか」
「奥山大学のことだ」と甲斐が云った、「しかし宇乃にはかかわりのないことだし、宇乃が心配してもなんの役にも立たない、そんなことは気にしないでいいよ」
 宇乃は「はい」と云った。
「おいで」と甲斐は両手をひろげた。
 甲斐のその動作は、暗くてわからない筈であるが、宇乃は静かな足どりで、まっすぐに来て、ひろげられた両手の中へ、やわらかに身をすりよせた。宇乃のからだは溶けてしまいそうに柔軟で、あたたかく、軽かった。
「宇乃」と甲斐が云った。
「おじさま」と宇乃が答えた。これで二度めだな、と甲斐は思った。芝の良源院でいちど抱いたことがあった。良源院の高廊下で、宇乃はまだ十三歳であったが、そだち始めたからだの、なだらかな線や堅いまるみが、吸いつくように密着し、そして甲斐は自分と宇乃とが、もっとも深いところで、放ちがたくむすばれるのを感じたのだ。
 ――おじさま死んではいや。
 宇乃はそのときそう云った。いま宇乃は二十一になる。甲斐には江戸番があって、一年交代の任期がしばしば延びるし、帰国しているときでも、二人だけで話すという機会はごくまれであった。こうして抱くのは八年ぶりのことだが、二人が疎遠だったという感じは、甲斐にはまったくなかった。いま抱いているからだの、ぬくみを通じて、宇乃はやはり彼に呼びかけていた。
 ――死んではいや、おじさま、どうぞ生きていらしって。
 その声が現実に聞えるように思って、甲斐は抱いている腕に力をこめた。宇乃はぴったりと身を押しつけ、甲斐の腕へ頬をすりよせた。甲斐は深く息を吸いこみ、仰向いて、その息をそっと、静かに吐きだした。
「おじさま」と宇乃が云った、抱かれているために、その声はなにかを口に含んでいるような、こもった響きをもっていた、「こんど江戸へいらっしゃるときに、お供をしていってはいけませんでしょうか」
「船岡がいやになったか」
「いいえ、おそばにいたいだけですの」
「むずかしいな」と甲斐は云った、「むずかしいが、考えておこう」
「こんどはいけませんわね」
「さあ」と甲斐は抱いている手を放した、「もういって寝るとしよう」
 宇乃は黙っていた。
「わかっているだろう、宇乃」甲斐は囁くように云った、「いつか青根の宿で云った、私はいつもおまえといっしょにいる、こちらにいても江戸へいっても、私はいつも宇乃といっしょだ、――覚えているね」
 宇乃が「はい」と口の中で答えた。
 甲斐は暫く黙っていた。なにか云い足りないことがあって、それを思いだそうとするようであったが、宇乃にはもう言葉などの必要はない、ということを感じたのであろう、いつもの穏やかな声にかえって、歩きだしながら云った。
「おいで、夜露にあたると悪い、いって寝るとしよう」
 宇乃は黙って、甲斐のあとからゆっくりと、こおろぎの鳴きしきる芝生の上を、ゆっくりと歩いていった。

伊達屋敷焼亡


 黒田玄四郎は帳簿を片づけてから、筆とすずりを洗うために立ちあがった。廊下を隔てたところに水屋みずやがある。そこは勘定部屋の専用で、大きな水瓶みずがめが二つあり、三尺に六尺の立流たちながしがあって、飲み水の補給は云うまでもなく、勘定方の者が洗面したり、汗を拭いたりするための※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)はんぞうなども備えられ、その世話をする水番の小者が二人いた。
 玄四郎が筆や硯を洗っていると、太田弥兵衛が来て、声をかけた。弥兵衛は同じ勘定方に勤めているが、支配付という役目は名ばかりのものらしく、殆んど仕事はしなかった。身分は番頭格で、年は二十六になる。勘定部屋で仕事らしい仕事はしないが、剣術は酒井家中でもぬきんでて強く、柳生の道場でも上位の腕らしい。――彼は早くから玄四郎に好意をもっていて、暇があると話しかけ、しばしば伴れだして食事をおごってくれる。剣術も強いようだが酒もよく飲むし、酔うと話しがくどいので、玄四郎はなるべく断わるようにしているが、なにしろ新参ではあり下役なので、三度に一度くらいはつきあわなければならなかった。
「黒田はまだいたのか」と弥兵衛は大きな声で呼びかけた、「いつも残ってするほど仕事を押しつけられることはないぞ、おれが支配へ話してやろうか」
「いや今日は特別です」
「いつも特別か、人が好すぎる」弥兵衛は右手に持っていた刀を腰へ差した、「黒田はまだ新参ということを気にしているんだろう、そいつはやめたほうがいい、士分に取立てられてからでもずいぶん経つ、もう五年以上になるだろう」
「まだそうは経ちません」
「そんな硯洗いなんか、部屋番にやらせればいい、さあ、支度をして来ないか、いっしょにちょっと出よう」
 玄四郎はうんざりした。弥兵衛はごく単純な性分で、玄四郎が自分を避けようとしていることなどはまったく気がつかない。さそいかければいつでもよろこんで来る、と信じきっているようであった。
「今日は少し勉強したいことがあるんですが」と玄四郎は洗った硯と筆を拭きながら云った、「またこの次のことにしてくれませんか」
「まあいい、勉強する年でもないだろう、待っているから支度をして来いよ」
「いや勘弁して下さい、外記げきさまに頼まれた写し物をしなければならないんです」玄四郎はきっぱりした調子で云った、「もう四五日かかりますから、済んだらお供をします」
「外記って、支配の松本さんか」
「そうです、なにがしとかいう高家こうけから借りられた弘安礼節という古写本で、公儀の礼式を書いたものですが、今月いっぱいに写して返さなければいけないんです」
「そんなものが勘定役支配になんの用があるのかな」弥兵衛は鼻を鳴らした、「まあいい、それならまた次のことにしよう」
 玄四郎は会釈して、役部屋へ戻り、机のまわりを片づけた。それから身支度を直し、刀を持って出ると、廊下の向うに太田弥兵衛が待っていて、いっしょに中の口から出た。
「じつはちょっと話しがあったんだが」と歩きながら弥兵衛が云った、「ずばっと云ってしまうが縁談なんだ、いや、まあ待て、黒田のことは聞いている、これまで幾たびも縁談があったのに、みんな辞退するばかりでうんと云わない、だからちかごろは誰もその話しをしないっていうことは聞いている、だがもう黒田だって三十だろう、そうり好みをしている年じゃあないじゃないか」
「選り好みではありません」と玄四郎は当惑したように答えた、「みなさんの御好意は有難いのですが、なにしろまだこのとおり」
「それを云うな、黒田は必ず出世をする、勘定方だけではなく、黒田玄四郎の評判はたいへんなものじゃないか、知ってるんだろう」
「冗談を云わないで下さい」
「知らないというなら嘘だ、知らないなんて云わせないぞ、腰元どもが禁を犯して、中の木戸の垣根越しに文を付ける、それも五度や十度ではない、ということをおれはちゃんと知っているんだ、まあ聞けよ、おれはそれをとがめるんじゃない、黒田が相手にしないこともわかっているよ」
 つまるところ、腰元などが付け文をするのは、黒田の男ぶりにもよるだろうが、家中の評判のよいことの証明でもある、と弥兵衛は云った。玄四郎はわきの下が冷たくなるように思った。滝尾はべつとして、奥女中から付け文をされたことは幾たびかある。もう何年もまえのことだし、人の口にのぼったようすもないから、誰ひとり知る者はないと思っていた。
 ――どうしてわかったのだろう。
 それが不審であるよりも、知られていたことによる自分の危うい立場を考えて、玄四郎はぞっとした。
「ずばっと云ってしまえば」と弥兵衛は続けていた、「おれの女房の妹を貰ってもらいたいんだ、年はちょっといってるが、縹緻きりょうもそう悪くないし、家柄は番頭で、ずっと奥勤めをしている、奥方づきでたいそうお気にいりだというから、将来なにかのときに役立つだろう、おい」弥兵衛は弁解するというより、やりこめるというふうに云った、「女房の縁で出世するような人間じゃない、などと云うつもりなら間違いだぞ、おれはそんなことはこれっぱかりも考えてはいないし、また、こう時勢が変って来た以上、出世する機会はなんによらずものにするのが本当だ」
 長屋門のところへ来ていたので、玄四郎は立停った。弥兵衛が付け文のことを知っている理由がわかったので、ほっとすると同時に、彼の単純さが頬笑ましくなり、穏やかに頷きながら、考えておこうと答えた。
「人には云えない心願があって、当分は結婚しないつもりでいるんですが」と玄四郎は云った、「なおよく考えてみたうえで、改めて返辞をします」
「心願とは古風じゃないか、まさか敵持かたきもちというわけでもないだろう」
「そのうちに返辞をします」と云って、玄四郎は別れの会釈をした。
 五六日のち、非番に当った日に、玄四郎は写し終った弘安礼節を持って、支配の家を訪ねた。松本外記は出仕していたが、妻女にひきとめられて、内客の間で暫く話した。つるというその妻女は男のような気性で、良人おっとの外記よりもすべてがはきはきしていた。――この夫妻は初めから親切で、身辺の面倒もみてくれるし、しばしば食事に招いて、知友のできるように計らってくれた。外記は温厚な人で、そういうとりなしはうまくなかったが、妻女はそれを充分に補っていたし、玄四郎をひきたてる接待ぶりはみごとなものであった。
 茶菓を出すとすぐに、妻女は微笑しながら、太田弥兵衛からなにか話しがあったろう、ときりだした。彼女の話しぶりはちょっと変っていて、右の言葉を次のように云うのであった。
「話しがあったでしょう、なにか」とここでいちど区切るのである、「このあいだ、太田弥兵衛どのから、そうでしょう」
「ありました」と玄四郎は答えた。
「構いませんよ、少しも、断わったって」と妻女は云った、「わたくしは嫌いです、縹緻じまんで頭のよすぎる女は、とのがたのためにもよくありません、少しのろまでも愛情のある娘ですよ、妻に選ぶのならね、わたくしは主人に済まないと思っています、こんな可愛げのない、ぱさぱさした女を妻に持って、本当ですよ、わたくしたち夫婦がいい証拠です」
「それは少し違うと思いますが」
「わかっています仰しゃらなくっても、あなたの云おうとすることはね」と妻女は昂然こうぜんと微笑した、「こんな話しを始めたのは、あなたにうかがいたいことがあるからなんです、どうか忘れて下さい、わたくしたち夫婦のことなどは。お茶をめしあがれ」
 玄四郎は茶をすすった。
「わたくしに聞かせて下さいますか、あなたの御本心を、黒田さん」とつるじょは云った、「わたくしたちに隠していらっしゃる、なにかのわけがあるのでしょう、どうしても結婚できないという、そうでしょう」
「それは」と玄四郎は眼を伏せた、「それは訊いていただきたくないのですが」
「わたくしだけにでも」
「理由があまりにめめしく、みれんなものですから」
 妻女はさぐるように彼を見まもり、およそのことを推察したのであろう、いたわりのこもった眼つきで頷いた。
「いい方でしたのね、よほど」と妻女は云った、「いまでもいらっしゃるんですか、お国のほうにでも」
「いや、知らないのです」
「お国のほうではないんですか」
「せっかくのおたずねですけれども、この話しには触れないでいただきたいのです」
「そんなに」と妻女は口の中で云い、片手を筒にして口へ当て、ちょっとせきをした、「ようございます、主人から訊いておくようにと云われたんです、いい縁談があるものですからね、でもわかりました、ようございます、主人へはわたくしからよく申しておきます」
 玄四郎は黙って低頭した。
「お仕合せね、その方」と妻女は云った、「お茶を替えましょう、菓子をお摘まみなさいましな」
 まもなく玄四郎はいとまを告げた。
 ――世間は平常に動いている。
 外へ出ると、彼はそう思って嘆息した。外記の妻女は、彼がむかしの女にみれんをもっていると推察した。それは彼の暗示にかかったもので、彼の言葉をそのまま、いかにも女らしく解釈したためであるが、そういう誤解をするのは、彼女が平常な生活をしているためである。
 ――太田弥兵衛もそうだ。
 むろん支配の松本外記もそうだ、と彼は思った。
 かれらはみんな、平常で安穏な生活の中にいる。朝は健康な気分で眼をさまし、家人が腕をふるった食事をとり、出仕すれば一日の事務に精をだす、同僚とたのしく茶飲み話しをし、こころよく疲れて帰る。それから風呂にはいり、子供をあやし、美味うまい夕食を喰べて、知人のところへ碁将棋をしにゆくか、妻と二人でゆっくり酒にするかする。寝間は静かで温かく、眠りはさまたげられることもなく深い。家計が窮屈だとか、少しばかり出世がおくれているとか、同僚とのちょっとした不和、家族のあいだのつまらない感情のもつれ、などということのほかに、たいした不満や不平もないだろう。
 ――それが生活というものだ。
 玄四郎はそう思った。
 世の中の大多数の人たちはそういう生活をしている。そしてまた、そういう人たちの中にはそういう生活に飽きてもっといきいきした、冒険や刺戟のある生きかたを求める者もある。だが、それは安穏で無事な生活の中にいて、現実の仮借かしゃくなさを知らないからにすぎない。かれらのすぐ隣りにはべつの生活がある。そこには生きることの不安や、おそれや、貧困、病苦、悲痛や絶望がせめぎあってい、悔恨や憎悪や復讐ふくしゅう心などのために、心のただれるおもいをしている人たちがいる。これらの人たちは、渇いた者が水を求めるように、静かで平安な生活にあこがれている。どのようにささやかであろうと、しっかりした根のある、おちついたくらしがしたいのだ。
 ――このおれがそうだ。
 玄四郎は心の中で云った。
 ――おれ自身がその一人だ。
 主人の原田甲斐の旨をうけて、おれはこの酒井家へ住み込んだ。初めは足軽、それから算筆のできるのを認められて、勘定部屋へあげられ、士分に取立てられた。このあいだに足軽組頭や、勘定役支配や、周囲の多くの人たちから好意をよせられ、かれらの世話になり、信じられて来た。おれがこの屋敷へ住み込んだのは、雅楽頭うたのかみ忠清とその側近の動静を監視するためで、この屋敷の人たちとはかたき同士という立場にあるし、現にもう、滝尾の手によって密契の証文をぬすみだしている。これからなにか事があれば、かれらを裏切らなければならないだろう。しかも、そのためにかれらの好意をつなぎ、かれらに信頼されるように努めなければならないのである。
 ――これは耐えがたく辛いことだ。
 裏切るために人の好意や信頼をつなぎとめるということは辛い。おれはそういう辛さを五年あまりも続けて来た。この年月、自分に課された義務と、裏切ることの罪悪感との板挾みになっている苦痛が、どんなに耐えがたいものであるか、知っている者は一人もないだろう。そして、おれがどれほど平常で安穏な生活を求めているかということも。そうだ、と玄四郎は心の中で、訴えるように呟いた。おれは平安で静かなくらしがしたい、この感じは手で撫でることができるほどはっきりしている。絶えず人の話しに聞き耳をたて、邸内の出来事に眼をくばっているような、こんな生活からぬけだしてしまいたい。
「おれ一人ならいまこの瞬間にでもそうするだろう」玄四郎は声に出して呟いた、「おれ一人なら、――だがあの方がいる、あの方はおれなどとは比べようもないほど、苦しい、困難な立場にいるのだ、茂庭周防どのに死なれてからは、その困難さも幾層倍かになっているに違いない」
 彼は立停って空を見あげた。
 ――侍の「道」のためには、不忠不臣の名も甘受しなければならぬばあいがある。
 甲斐はそう云った。
 ――おれの頼みは無法なものだ、しかし、どうしてもそうしなければならない、ということをわかってくれ。
 そしてまたこうも云った。
 ――こういうとき侍に生れ、おれのような主人を持ったのが不運だった、おれを憎め、おれを恨め、だが役目だけははたしてくれ。
 常にない激しい表現で、甲斐はそう云ったのだ。今日まで玄四郎を支えて来たのも、その言葉と、言葉ではあらわせない甲斐の苦衷を知っているからであった。
「おかしなものだ」と呟いて、玄四郎は唇を曲げた、「あのときおれは自害するつもりだった、原田夫人のために腹を切るつもりだったし、この酒井家へはいるに当っては、一命を捨てる覚悟だった、……それが、いまはこんなに平安な生活にあこがれている、人間とは弱いものだ、あれだけの覚悟をしたにもかかわらず、僅か五年余日、安穏なくらしをして来ただけで、そのくらしに馴れ、そのくらしをこわしたくないと思うようになる、そして、正直にいって、あの方さえいなければ」
 玄四郎は急に口をつぐみ、吃驚びっくりしたように左のほうへ振向いた。
 笠木塀かさぎべいを隔てた向うは、小者長屋と馬役の小屋が並び、そのうしろにうまやがある。いまその小者長屋のあたりから、人のみ合うけはいと、のどいっぱいに叫ぶ、誰かのしゃがれた喚き声が聞えて来た。
「放せ、おれは乱暴はしない」とそのしゃがれた声は叫んでいた、「おれは妹に会いたいのだ、用人にそう取次いでくれ、妹の名は滝尾という、おれは柿崎六郎兵衛という者だ、用人に取次いでくれればわかる、なんだ、どうするんだ、放せ」
「おい、きさまよく聞け」と小者の一人の云うのが聞えた、「きさまの云うその滝尾という女中は、何年もまえにこのお屋敷から出奔した、いいか、これは何十遍となく云いきかせたことだ、そうだろう」
「それは事実ではない、そんな筈はない」としゃがれた声がやり返した、「妹がおれに無断で出奔する筈はない、それは嘘だ」
 玄四郎はそこまで聞くと、塀について歩いてゆき、木戸をぬけてそっちへいった。
 ――おみやの兄だ。
 いつか池之端の茶屋で、滝尾から話しを聞いたことがある。名は記憶していないが、滝尾の兄といえばその人であろう。そう思って近づいてゆくと、殆んど乞食に近い恰好をした、盲目の浪人者が一人、小者たちに左右の手を押えられたまま、狂ったように喚きたてていた。
「わからないのか、おれは妹に会いたいんだ」そして六郎兵衛は歯をきだした、「妹を出せ、滝尾を出せ」
「面倒だ、つまみ出してしまえ」
 小者たちがそう云うと、六郎兵衛が大喝たいかつし、腕を押えていた二人が左右へはねとばされ、そして六郎兵衛は刀を抜いた。抜いた刀身が秋の陽を映して、きらっとするどく光り、玄四郎は声をかけながら近よっていった。
「その人は私が引受けた」と玄四郎は小者たちに云った、「私がよく話すから騒がないでくれ、乱暴はさせない、大丈夫だ」
 六郎兵衛はこっちへ向き直った。
 彼はひどく変っていた。眼球のない、二つの黒い穴になった眼、使い古したなめし革のようにしわたるんでつやのない皮膚、そぎおとしたように肉のこけた骨張った顔、そうして、白く乾いてひび割れた唇のあいだから、みにくくむき出されている黄色い歯など、まったく見るかげもないという姿になっていた。玄四郎は初めて会うのだが、おみやの話しから想像していた風貌とはあまりに違うので、これが本当に柿崎六郎兵衛だろうかと、ちょっと疑わしくなったくらいであった。
「どうか刀をおさめて下さい」と玄四郎は静かに云った、「滝尾どのは事実ここにいないのです、その訳を話しますから、いっしょに外へ出て下さい」
「きさまは誰だ、妹のことを知っているのか」
「知っています、まず刀をおさめて下さい、ここを出てから話しましょう」
 六郎兵衛は刀をおさめた。手がふるえるのと、眼が見えないのとで、さやへおさめるのにひまがかかった。
「手をひきましょうか」
「いや」と六郎兵衛は首を振った、「その辺につえがある筈だ」
 小者の一人が、向うに落ちている杖を捨って、持って来た。それは握りごろの太さに長さ五尺ほどの、かなり重みのあるかしの棒で、使いようによっては武器にもなりそうであった。玄四郎はその杖を渡し、ゆっくりと歩きだしながら、この屋敷の中へよくはいれましたね、と訊いた。もう五六たびも来た、と六郎兵衛が答えた。盲人なので気をゆるしているのだろう、小者長屋に用があるというとそのままとおす、咎められたことは一度もなかった、と六郎兵衛は云った。
 酒井邸を出て、神田橋御門から三河町へかかるまで、六郎兵衛はしきりに首をかしげたり、口の中でぶつぶつ独り言を呟いたりした。往き来の人たちは、六郎兵衛の姿を見ると、たいていの者が道を避けながら、きみ悪そうな眼で眺めた。
「そうか」ふいに六郎兵衛が立停って、玄四郎のほうへ顔を向けた、「そうか、わかった、思いだしたぞ」
 玄四郎も立停った、「なんです」
「きさまのことだ、何年かまえに妹から聞いたことがある、きさまはみやと密通していた男だ」
「そのことも話します」と玄四郎はなだめるように云った、「人立ちがしますからもう少し歩いて下さい、おちついたところですっかり申上げます」
「酒を飲ませろ」と六郎兵衛が云った。
「そうしましょう」と玄四郎は答えた。
 みな川町に「花菱はなびし」という奈良茶の店がある。茶漬を売る店だが、寄合のために貸す座敷もあり、酒肴しゅこうの注文にも応じた。貸し座敷はしばしば禁止されたが、すでに世間の必要なものになっていたので、実際には数が多くなりつつあるくらいだった。花菱は武家屋敷に近いので、茶漬だけの客よりも、座敷へあがって飲む客のほうが多く、玄四郎も太田弥兵衛に伴れられて、幾たびか来たことがあった。
「私は黒田玄四郎という者です」
 小座敷へとおって、酒肴がはこばれて来てから、玄四郎は六郎兵衛に酌をしてやりながら、まず名をなのって話しだした。
「初めに云いますが、私は滝尾どのと密通したことなどはありません、それは貴方あなたの間違いです」
「よし、云うだけ云ってみろ」
「私は新参者で、酒井家に仕えてからまだ五年あまりにしかなりません」玄四郎の口ぶりは平明で、飾りけがなかった、「御承知のとおり屋敷の中はきびしいので、私は滝尾どののことはまったく知らず、顔を見たこともありませんでした」
 彼は向島で初めておみやに会ったときのことを語った。おみやはそのとき、一人の浪人者につかまり、揉みあっていたが、放されて土堤どてから転げ落ちた。自分は牛の御前へいった戻りで、すぐにつつみの下へおり、おみやのところへ駆けつけた。それで浪人者はあきらめたのだろう、堤の上からこっちを見ていたが、待たせてあった、駕籠かごに乗って、たち去った。
「そんな話しは聞いた覚えがない」と六郎兵衛が云った、「浪人者とはどんな人間だ」
「編笠をかぶっていたし、はなれていたのでよくわかりません、滝尾どのも、いきなりさらわれようとした、としか云いませんでしたが」玄四郎はそこで記憶をたどるようにちょっと休み、それから思いだして云った、「――そうです、その男は片腕でした」
「片腕だって」
「右の腕がないようでした、左手は見えましたが、右の袖は前袴にはさんだままでした、たしかに片腕だったと覚えています」
 六郎兵衛は歯を剥きだし、まるで呪詛じゅその呻きのように、歯と歯のあいだから呟いた、「石川兵庫介か」
「ご存じの男ですか」
「酒がない」と云って、六郎兵衛は盃をつきだした、「話しを続けろ」
 それからおみやにさそわれて茶屋へゆき、おみやのほうで自分を知っていたこと、これからもときどき逢うという約束をされたこと、自分も嫌いではなかったので、幾たびか外で逢ったことなどを、玄四郎は語った。
 ――あのときだな。
 六郎兵衛は思いだしていた。あのときだ、おみや宿下やどさがりで来て、伊達家に若ぎみの袴着はかまぎの祝いがあり、その機会に毒を盛る計画がすすめられている、ということを告げた。おみやのようすはすっかり変っており、それまでのじだらくさや、なまめかしさはまったくみられず、兄である自分に対しても、はっきりと眼をあげてものを云った。
 ――また男ができたな、とおれは思った。
 六郎兵衛はそのときの問答を、おぼろげながら思いだすことができた。あたしはこれまであなたの云うなりになって来た、けれども今日かぎり自分の望ましいように生きる、これからはもうあたしのことは当にしないでくれ、おみやはきっぱりとそう云いきった。
 ――この男だ、こいつがいたからだ。
 六郎兵衛はそう思ったが、ふしぎなことに怒りはおこらず、腹からすっと力がぬけてゆくような、しらけた気持で聞いていた。
「私と滝尾どのとのかかわりはその程度までで、まもなく滝尾どのは屋敷を出てしまったのです」玄四郎は証文のことを隠すために、自分の顔が赤くなるのを感じた、「はっきり申しますが、どうか怒らないで下さい、――滝尾どのには、私のほかに男があったのです、私はその男に会いました、池之端の茶屋でしたが、滝尾どのがその男を私にひきあわせたのです」
「おみやが、ひきあわせたって」
「まだ若い男で」玄四郎は口ごもりながら云った、「滝尾どのより年下でしょう、町人ふうで名は新八とか云いました」
 六郎兵衛は動かなくなり、盃を持った手を膝に置いたまま、かなり長いことじっと息をひそめていた。それから急にわれに返ったようすで、玄四郎に酌をさせ、続けさまに三杯、あおりつけるように飲んだ。
「それはいつのことだ」
「三年まえの夏、六月のことでした」
「それで、――」
「それからまもなく、滝尾どのは屋敷から出てゆかれたようです、私はずっとあとで聞いたのですが、ことによるとそのときそのまま、新八という男と立退いたのかもしれません、詳しいことを訊くわけにはいきませんでしたから」
「新八とは、ばかなやつだ」六郎兵衛はうつろな声で呟いた、「人もあろうに、あのなまくらな新八とは」
「失礼ですが」玄四郎は六郎兵衛に酌をしてやって、それから劬るように訊いた、「貴方のことは滝尾どのからうかがいましたが、失明されたということは知りませんでした、ずっと以前から御不自由だったのですか」
「その話しはするな、きさまには関係のないことだ」と六郎兵衛は毒どくしく云った、「それよりも、みやのやつが江戸にいるかどうか、知っているなら正直に云ってもらおう」
「知りません」と玄四郎が答えた。
 六郎兵衛はじっと耳をすましていて、「もういちど云ってみろ」と云った。
「私は知りません」と玄四郎はすなおに答えた、「私はあまり外へ出ませんし、外出してもこれまでに滝尾どのを見かけたことはありません」
「隠しているな」六郎兵衛は唇をゆがめた、「その声はまっすぐではない、きさまはなにか隠している、少なくとも、みやのいどころを知る手掛りを隠しているだろう」
 玄四郎は黙った。湯島へゆけば消息はわかる、池之端の茶屋で会ったとき、新八は湯島の家の世話になっていると云った。いまでもそこにいるかどうかは知らないが、もし湯島の家を出たとしても、いって訊けばどこにいるかはわかるに違いない。だが、それを教えることはできない、と玄四郎は思った。おみやがこの兄のために押しつけられた苦労、女として最低のところまでとされたうえ、なおその首に繩を掛けられていたような状態を思うと、どんなことがあってもこの兄の手には返したくない、と玄四郎は思うのであった。
「おい、図星だろう」と六郎兵衛はたたみかけて云った、「きさまは正直者らしい、酒井邸からここへ来るまでの、することや云うことを聞いていると、正直で一本気だということがよくわかる、だが、正直であればあるほど、なにか隠したり、嘘をついたりすることは不得手だ、ものの云いよう、声の調子にすぐあらわれる、きさまはみやのいどころを知っている筈だ、そうだろう」
「私は知らない」と玄四郎は静かに云った、「知らないことは事実だが、いどころを知ることはできるかもしれない」
「それが本音だ」
「しかし私にはそれは云えない」
「酌をしてくれ」と六郎兵衛が云った、「酒のあとを頼む、きさまも飲め」
「もうたくさんだ」玄四郎はきっぱりと云った、「私は飲まないし、つきあうだけはつきあった、金は預けておくから独りで飲むがいい、私はこれで帰る」
「よし帰れ、帰ってみろ」六郎兵衛は低い声で、突き刺すような、冷酷な調子で云った、「だがこれで縁が切れると思ったら間違いだぞ、きさまは酒井家の待、名も黒田玄四郎と覚えている、おれは毎日でも酒井邸へ押しかけてゆくぞ」
 玄四郎は唾をのんだ。
「おい、玄四郎」と六郎兵衛は半身をのりだし、嘲笑ちょうしょうするように云った、「きさまおれの妹になにをした、おれの妹になにをしたんだ」
「それは初めに云ってある、私と滝尾どのとはそれだけの縁だ、二人のあいだにはいま話したこと以外になにもなかった」
「ではこのふるまい酒はなんだ、なんのためにおれの機嫌をとり酒を飲ませる、なぜだ」六郎兵衛はそこでささやき声になった、「――それはな、きさまがみやになにかしていて、心にとがめることがあるからだ、そうだろう」
「いかにも貴方らしい」と玄四郎は云った、「滝尾どのから聞いた柿崎六郎兵衛という人間が、ようやくめんをぬいであらわれたようだ」
「おれの云ったことに答えろ」
「答えたいが、よそう」玄四郎は刀を持って立ちあがった、「貴方を屋敷で小者たちから助け、ささやかだがここで酒をふるまったのは私の寸志だ」
「おれを、あわれんだというのか」
「私は人間を侮辱することは嫌いだ」
「ちょっと待て、きさま怒ったらしいな」そう云いながら、六郎兵衛は片手で刀を捜した、「気の短い男だ、こんなことですぐに怒るやつがあるか、まあ坐ってくれ」
 玄四郎は六郎兵衛の刀を脇へ押しやった。
「金はこの店へ預けておく」と彼はもういちど云った、「ゆっくり飲んでゆくがいい、そして、屋敷へ押しかけて来ると云ったが、私のほうは構わないからいつでも来てくれ」
「おれの刀がないぞ」
「貴方の捜さなければならないのは刀ではない」と玄四郎は静かに云った、「いまも、これからさきも、貴方に必要なものはほかにある筈だ、そこをよく考えるがいいだろう」
「おい待て、ちょっと待て」六郎兵衛は片手をさしのべた、「まだ話すことがある、待ってくれ、おれはきさまを誤解したようだ、もう少し話そう、おれは、――おい、黒田」
 六郎兵衛は口をつぐみ、耳をすました。廊下を遠のいてゆく足音が聞え、それからどこかの座敷で、人の話したり笑ったりする声が聞えた。
「しくじったな、柿崎」と六郎兵衛は自分に云った、「いいやつらしかったじゃないか、どうして怒らせたんだ、うまくやれば金蔓かねづるになったかもしれないのにさ」
 暫く黙っていて、自分で自分の心の中をみつめるように、じっと頭を垂れ、やがてゆっくりと首を右へ左へと振った。
「ばかを云うな」と六郎兵衛は喉で云った、「こんな姿になって、このうえ劬りや憐憫れんびんを乞おうというのか、おい六郎兵衛、しっかりしろ、きさまあんな青二才の憐憫が欲しいというのか、なんだ、くそっ、あんなあまったるい声を出す野郎より、いっそ石川兵庫介のほうがよっぽど男らしいぞ」
 六郎兵衛のからだがぎくっとちぢみ、その顔ぜんたいがすさまじく歪んだ。石川兵庫介という名で、両眼を突き潰されたときの苦痛を思いだし、それがなまなましく全神経に反射をよびおこしたようであった。
 ――原田甲斐を呼びとめたときだ。
 場所は源助町だった、と六郎兵衛は思った。原田甲斐を呼びとめたとき、石川と島田市蔵があらわれた。それから汐止しおどめの堀端へいった。堀は水がいっぱいで、荷足船が二そうもやってあり、その上で船頭たちがなにかしていた。
 ――船頭の中に白髪の老人がいた。
 その老船頭がこっちを見た。と六郎兵衛は思った。こちらのようすが異様なのに気づいたのだろう、白髪の老人がなにか云い、その二艘の船の上にいた、他の船頭たちも立ちあがってこっちを見た。
「おい」と六郎兵衛は手を叩きながら、声いっぱいにどなった、「誰かいないか、おい」
 返辞の声がして、廊下をいそぎ足に女が来た。客が混んでいるので、と詫びながら、女はぜんの上へ燗徳利かんどくりを置き、酌をした。
「汁椀があるだろう」
「ございます」と女が云った、「あら、なにも召し上らないんですか」
「汁椀をあけろ、それで飲む」
「ではべつのを持って来ます」
「いいからそれをあけろ」
「でもここではあけようがありませんから、ちょっといって持って来ます」
「立つな」と六郎兵衛は云った、「きさま客を嘲弄ちょうろうする気か」
「ごむりを仰しゃっては困ります、わたしはただ大きいので召上るというので持って来ますと申しているんですから」
「よし、じゃあおれに汁椀をよこせ」
 女が汁椀を取って渡した。六郎兵衛はその蓋をとって女に返し、椀の中の物をいきなり脇のほうへぶちまけた。
「まあひどい」と女がふるえ声で云った、「ずいぶんなことをなさいますね」
「酒を注げ」
 六郎兵衛はその椀を差出した。しかし女は返辞もせず、立ちあがるなりばたばたと廊下を走っていった。六郎兵衛は片手を伸ばし、そろそろと燗徳利を捜し、ようやくさぐり当てたが、持とうとすると倒してしまった。
「ええ」と彼は呻いた、「面倒だ」
 そして椀を力いっぱい投げつけ、前にある膳を手でひっくり返した。椀は壁に当ったらしい、こつんという音がし、放りだされた皿小鉢が荒あらしい音を立てた。そこへ、廊下を小走りに来る足音がし、女が若い男を二人伴れてはいって来た。
「この人、まあ、――」と女が叫んだ、「ごらんよ、こんなひどいことをして」
「野郎」と一人が云い、他の一人が「まあ待て」と制止した。
「お侍さん」とその制止した若者が云った、「おまえさんこんな乱暴なことをして、この店になにか意趣でもあるのかい」
 六郎兵衛は黙ってい、男の一人が横へまわるのを、けはいで感じとった。
「ここは神田だ」と同じ若者が云った、「お膝元でもいちばん気の荒い土地だ、へんなまねをすると侍だって容赦はねえ、半殺しのめにあわされますぜ」
「なにも意趣などはない」六郎兵衛はふるえながら云った、「にわかめくらのうえに勘が悪くて、つい手がすべったのだ」
「野郎」と横のほうでべつの若者がどなった、「この野郎、しらばっくれるな」
「待てよさぶ」とまえの若者が押えた、「相手はめくらで手がすべったと云ってるんだ、そうでしたねお客さん」
「済まなかった」と六郎兵衛が云った、「帰るから勘定をしてくれ」
「もう頂いてあります」と女が云った、「お伴れさまから頂きましたし、お預かり分もあります、あちらでお渡ししますからどうかお立ちになって下さい」
「そうか」と六郎兵衛は云った、「では刀を取ってくれ」
「おれが持ってるよ」と横にいる男が云った、「店を出たら渡すから歩きな」
「用心がいいな」
気違きちげえに刃物は怖いからな」
さぶ」ともう一人の若者が云った、「――さあいらしって下さい、お客さん」
 六郎兵衛は立ちあがった。
 店で草履をはくとき、女が盆にのせて釣銭を持って来た。六郎兵衛は、座敷を汚したからその代に取っておけ、と云った。女はそんなものはいらないと答えた。
「お伴れの方から預かったんですから、どうか持っていらしって下さい」女はそう云って、盆の上の物を包み、六郎兵衛の左のたもとへ入れてやった、「ようございますか、ここへ入れましたからね、落さないようになさいましよ」
 六郎兵衛は外へ出た。
 店から十間ほどいったところで、刀を渡された。六郎兵衛はそれを腰に差すと、西へ向かって、杖を突き歩きだした。
 ――あの船頭たちは見ていた。
 汐止の堀端で、兵庫介に眼をやられたとき、船頭たちは船の上から眺めていた、と六郎兵衛は思った。すると、激しい屈辱感のためにするどく胸が痛み、憎悪が血管の中で脈をった。ふしぎなことには、そのときのことを思いだすたびに、兵庫介にやられたことより、その船頭たちに「眺められていた」ということのほうが、彼を深く傷つけ、骨がきしむほどの屈辱感を与えるのであった。
「石川は男らしくやった」六郎兵衛は口の中で呟いた、「男らしく勝負をして、そしておれが負けたのだ、だが、黒田玄四郎、――あいつはおれを憐れんだ、おれを哀れに思って、酒をふるまい、金まで恵んでいった」
 金を恵まれた、ということが、六郎兵衛の思考を大きく転換させた。
 ――これまでだな。
 柿崎六郎兵衛もこれまでらしいな、と彼は思った。彼はいまでも元の道場に住んでいるが、この半年のあいだに金は遣いはたしたし、雇人も置けないから荒れ放題に荒れて、近所では「むじな屋敷」などと呼んでいるようであった。
 ――みやのやつがそういうことだとすると、あとは乞食でもするほかに生きる方法はない。
 黒田に金を恵まれたのは、乞食の第一歩が始まったことだ。この事実から眼をそらすな、これが現にある事実だ。しかも、おれはその金を受取った。いや受取ったのだ、紙に包んで袂へ入れられたとき、叩き返すこともできたのに、そうしようとさえしなかったのだ。
 ――一ノ関が最後だ。
 伊達兵部ひょうぶへいって、只野内膳か、うまくいったら新妻隼人をつかまえ、少なくとも百金はめしあげてやろう。これが最後だ、と六郎兵衛は自分に云った。歩いてゆきながら袂の中で紙包みをひらき、数えてみると、小粒が二つに銭が幾枚かあった。
「二分とちょっとか」と彼は呟いた、「するとみんな合わせて二両足らずだな、――まえには金とは思わなかったが」
 突然、なにかにつまずいて転びそうになり、六郎兵衛は苦痛の呻き声をもらした。爪先をなにかに突っかけたらしい。よろめいただけで転びはしなかったし、爪も無事ではあったけれど、骨までひびく痛さに、暫くは指がしびれたままであった。往来のことだから人が見ていたであろう。子供たちの笑う声が聞え、ついでうしろから、「馬だよ馬だよ」とどなられた。六郎兵衛が身をよけると、すぐ側を馬が通りすぎ、馬のからだの匂いが強く、まるで顔を撫で去るようにはっきりと感じられた。
「おい、子供たち」と六郎兵衛は笑い声のしたほうへ呼びかけた、「誰かいって駕籠かごを呼んで来てくれ、駄賃をやるぞ」
 彼は袂から銭を幾枚か取り出し、手の平へのせて差出した。すると脇のほうで、銭なんかおよしなさい、と云う男の声がした。
「駕籠は呼んで来てあげます、子供に銭なんかいけません、どうかしまっておくんなさい」
 六郎兵衛はそっちへ向いた、「銭がどうしたと、きさまはなに者だ」
「そんなにすごみなさんな」とその声が答えた、「躯の不自由な者は不自由なようにおとなしくするもんだ、やい平公、この人を四つ角まで送って、つじ駕籠に乗せてやんな」
 六郎兵衛は額をあげた。かさねがさねの屈辱で、吐きけのするほど激しい怒りに駆られたが、それは怒りというよりも、すでに一種の快感に近いものになって、もっと徹底的に自分がいためつけられるのを見てやりたい、という衝動さえ感じ始めるのであった。
「芝だ」辻駕籠へ乗ると、六郎兵衛はそう命じた、「芝の宇田川町だ、その辺へいったら酒の飲めるところへ着けてくれ」
 駕籠がおろされるまで、彼は冷静に、そしていきり立って坐っていた。冷静に自分を観察し、過去を回想し、そうして今日、酒井邸から始まったそれまでの出来事を、仔細しさいに思い返して、自分をふくめたあらゆるものにいきり立ち、駕籠に揺られながら微笑していた。
 ――ものにするぞ。
 彼は唇で微笑しながら思った。今日こそ一ノ関をものにしてみせる、おれはおれの好ましいように生きて来た。自分を抑えたり、がまんしたり、耐え忍んだりしたことはない、欲しいものは即座に手に入れた。欲しいものを手に入れるためには、少しも遠慮しなかったし、手段の当否にも決してこだわらなかった。これがおれの生きかただ、石川のために両眼を失ったが、おれ自身を変えることはできない、おれを乞食にすることはできない、おれのこの頭を下げさせることは誰にもできないぞ、と六郎兵衛は思った。
「おれはおれなりに生きた」彼は駕籠に揺られながら呟いた、「これからもおれの望むように生きてゆく、どこまでもだ」
「なにか仰しゃいましたか」と駕籠の後棒がいた。
「芋虫のうような担ぎかたをするな」と六郎兵衛はどなった、「いそいでやれ」
 それからほぼ一ときのち、宇田川橋にある伊達兵部の屋敷で、火事が起こった。
 火は兵部邸から出たともいい、隣接した町家から出たともいわれるが、日昏ひぐれまえから吹き始めた強い西南の風にあおられ、たちまち延焼して、田村右京邸を焼き、伊達本邸を焼いた。九月はまだ秋で、火事の備えも充分ではなかったし、西南の風が強くなるばかりで、防ぎようがなかったのだろう。町家は源助町から芝口一丁目まで、武家屋敷は幸橋御門まで焼けた。伊達家は浜屋敷も全焼してしまい、幼君亀千代は、側近の者に護られて、品川の下屋敷へたち退いた。
 火事は明くる日の午前三時におさまった。

断章(十四)


 ――申上げます。
「内膳か、要談ちゅうだ、急な用でなかったらあとにしろ」
 ――おそれながら、涌谷どのが出府されるとのことでこさいます。
「涌谷が出府すると」
 ――ただいま仙台より大槻斎宮おおつきいつきの急使が到着致しました。
「口上か、書状か」
 ――詳しいことは書状をもって申上げますが、とりいそぎ口上にて、ということでございます。
「よし、聞こう」
 ――涌谷どのがこの正月(寛文十一年)仙台において、幕府御国目付に面会されたことは、御承知のとおりでございます。
「知っている、吉岡(奥山大学)が訴状を出したすぐあとのことだ」
 ――吉岡が訴状をですか。
「隼人には話さなかったか」
 ――存じませんでした。
「大学は三年まえから、しきりに自分の寃罪えんざいを主張し、二度も国目付へ訴状を出した、これまでは国目付も受付けなかったが、今年の国目付はそれを受取って、老中へ届けることになったのだ」
 ――そしてまた、涌谷どのですか。
「涌谷はなにを申し出たのだ」
 ――境論でございます。
「境論だと」
 ――寺池(式部宗倫むねともさまとの領地境の争いについて詳しく申し述べ、
「それはわかっている」
 ――その件について老中への執成とりなしを願い出ましたところ、幕府から内命があって、事情を聞くために柴田外記げきが召されました。
「それも知っている」
 ――柴田が仙台を立ちましたのが二十五日、それと同時に涌谷どのも、その在所において首途かどでの祝宴を催しました。
「首途の祝いとな」
 ――口上にそう申しております。
「では出府する気だ」
 ――また同じ二十九日には、菩提所ぼだいしょ円同寺に石水和尚おしょうを訪ねて、自分の法名を乞い、見竜院徳翁収沢居士とつけられたということです。
「間違いない、いよいよ出府する気だ」
 ――以上でございます。
「よし、使者をいたわってやれ」
 ――こんどこそ時節到来でございますな。
「隼人もそう思うか」
 ――これまでに、幾たびかそれらしい折もございましたが、このたびほど事の重なった例はございませんでした。
「席次の争いが口火だった」
 ――伊東七十郎一族の処刑、里見十左衛門の死と、その跡目の問題、奥山大学の訴訟、今年にはいってからは、さきほど申上げました屋代やしろ五郎左衛門ら五名の、国目付に対する強訴、そして涌谷どのの出府、これだけ揃えばもはや充分でございましょう。
「待て、内膳の話しでよく聞きそこねた、屋代ら五名の強訴をもういちど聞こう」
 ――屋代五郎左衛門、木幡きはた源七郎、早川八左衛門、飯淵三郎右衛門、大河内三郎右衛門ら五名が、家中仕置の不正について上書をしたため、帰任する幕府国目付を、その途中、伊達郡桑折こおりの宿に訪ねて強訴した、ということでございます。
「家中仕置の不正か、うん、そうだったな、うん、隼人、まさに云うとおりだ、これは揃ったぞ」
 ――涌谷どのの出府も、おそらく、境論だけが目的ではございますまい。
「そうと思うか」
 ――たとえ老耄ろうもうされたとしても、僅かな地境の争いなどを老中に訴え出るほど涌谷どのは無分別な人ではございません。
「隼人は本当にそう思うか」
 ――境論は老中への手掛り、まことの目的はその裏にあると存じます。
「まことの目的とは」
 ――申上げてもよろしゅうございますか。
「おれにも推察はつくが、まず聞こう」
 ――私はおそらく、岩沼(田村右京)さまとおかみのお二人、つまり両御後見に対する非難の訴えであろうと存じます。
「岩沼とおれの非難」
 ――もちろん私の臆測でございます。
「待て、それは当っているかもしれぬ」
 ――いま内膳の申すところでは、首途の祝宴を張り、菩提寺の僧に法名をつけてもらったということですが、これは死を覚悟した証拠でございましょう。
「田舎者はこけおどしが好きだ、しかし、涌谷のじじいがそこまでやるというのは尋常なことではないかもしれぬ」
 ――厩橋うまやばし侯へおいであそばしますか。
「案を練ってからにしよう」
 ――御思案がございますか。
「こんどこそものにしなければならぬ、こんな機会はまたとあるものではない、とすれば、こっちでも充分に手を打って、外れることのないように下拵したごしらえをしなければならぬ」
 ――船岡どのはいかがですか。
「船岡、原田甲斐がどうした」
 ――始終を話してお味方にひきこむのです。
「それはだめだ」
 ――私はずっと以前から眼をつけていました。お上が信じあそばすようになってからも、私は心ゆるせぬ人物とみておりましたが、そのために彼の力量がわかったと申しましょうか、いまこそ彼をお味方にひきいれるときであり、それがうまくゆけば、千人の味方を得るよりも大きい力になると存じます。
「甲斐はいまのままでいい」
 ――お口返しをするようですが。
「その必要はない、事が成就したばあい、厩橋の意向ではおれが三十万石、立花家に二十万石、白石(片倉小十郎)に十万石を分与するということだ」
 ――それはまだ確たるとりきめではございませんでしょう。
「立花家はまずよい、先の好雪どの飛騨守ひだのかみ忠茂)の奥が故忠宗のむすめで、つまり当代の左近将監さこんしょうげんには実母に当るからだ、それにしても二十万石は多すぎるし、白石への十万石はまったくむだだ、これは東市正いちのかみにふりむけるつもりである」
 ――もちろん御意見しだいでございましょう。
「もしここで甲斐をひきいれれば、事成ったときに相当の加増をしなければなるまい、そんな代償を払ってまで、彼を味方につける必要はない、その話しは無用だ」
 ――もちろん御意しだいでございます。
「津田玄蕃げんばに使いをやれ」
 ――はあ。
「明日、麻布の下屋敷へ来るように、おれは今日これから権太夫をれてゆくが、隼人も明日まいるがいい、麻布で手ぬかりのないようよく相談をしよう」
 ――承知つかまつりました。

籃中の魚


「こんどはお父さまの名前ね」とかよは云った、「――や、そ、し、ま、か、ず、え」
 一字ずつ、口で云いながら、かなり巧みな手つきで、半紙の上に仮名文字を書いた。
「こうでしょ」
「読み直してごらん」と甲斐が云った、「どれか一つ字が違っていやあしないか」
 かよはおちょぼ口をひき緊め、大きな眼をみはって、一字一字、拾い読みをした。
 ――もう八つになるんだな。
 甲斐は盃を持ったまま、感情をひそめたまなざしで、かよの顔をそっと見まもった。かよはつんとした表情で甲斐を見あげた。
「ちゃんと書けていますよ、お父さま」
「そうかな」
「ちゃんと書けてますからね、ほら」
「読んでみよう」甲斐は片手で半紙を取りあげ、そしてゆっくりと読んだ。「――あ、そ、し、ま、か、ず、え」
「ね、違わないでしょ」
「そうかな、あそしまでいいのかな」
「いやだ、お父さま」かよは半紙を甲斐の手から取り、読み直してみて「あ、いけない」と云った、「とまちがえちゃったのね、ああいけない、海蜻蛉うみとんぼみたようだわ」
 かよは机の上へ新らしい半紙をひろげ、坐り直してまた筆を持った。
「うみとんぼとはなんのことだ」
「ばかみたような人のことですって、日本橋のおじさまがそう云ってましたわ」
「日本橋、――雁屋かりやか」
「ええ、信助おじさま」かよは振向いて云った、「日本橋のお店へ来る漁師がいて、それは葛西かさいっていう遠いところから来るので、自分でとった魚や貝やなんか持って来るのでしょ、その漁師や漁師のおかみさんなんかが来て、いろいろな話しをするときにそういうことを云うんですって、本当はうみどんぼ野郎っていうんだけれど、かよはそんなことを云ってはいけないんですね」
「いけないだろうね」
「それから、ええと」とかよは云った、「それから若い男の人のことをなあこっていうし、女の人のことは名の下へあねっていうんですって、かよならかよあねっていうふうに」
「では私はかずえなあこか」
「いやだ、お父さま、なあこは若い男の人でしょ」とかよは訂正した、「それから、ええと、子供はみんな自分たちのことをおんだらって云って、女の子もそう云うんですって」
 おくみさかなを持ってはいって来た。
「またお饒舌しゃべりね」とおくみが云った、「お父さまがいらっしゃると、なにもかもお留守になるのね、あなたは、清書きはできたんですか」
「はい、できました」と云って、かよは机のほうへ向き直った、「いまお父さまの名前を書いているところなのよ」
「いたずら書きはいけないでしょう」
 おくみは焙り焼きにした山鳩の皿を、甲斐の膳の上に置き、銚子ちょうしに触ってみて、まださめていないことをたしかめてから、甲斐に酌をした。おくみはそうしながら、手習いのときには手習いだけ、いたずら書きをしてはいけないと、お師匠さまが仰しゃったでしょう、とかよに向かって云った。
「お父さまの名前を書いていたのよ」と云って、かよは笑いだした、「そうしたら間違えてしまったのよ、やそしまのを間違えちゃって、あみださまのを書いてしまったのよ、ねえお父さま」
「よして」とおくみは眉をひそめた、「よしてちょうだいかよさん、阿弥陀あみださまと間違えたなんて縁起が悪いじゃないの」
「あら、阿弥陀さまなんて云やあしないわ、あみださまのと間違えたって」
「よして、よして」おくみおびえたように、あらあらしくさえぎった、「どうしてそんないやなことを云うの、よしてちょうだいって云ってるじゃないの」
「なにをそうむきになるんだ」と甲斐は微笑しながら云った、「仏壇に弥陀の像を飾っているのに、阿弥陀と云うのが気になるなんておまえのほうがおかしいぞ」
「さぞおかしいでしょう」おくみは涙ぐんだ眼をそむけた、「あなたにはあたしの気持なんかおわかりにならないんですから」
かよがいるぞ」
「どんなにあなたのことが心配だか」おくみは指で眼がしらを押えながら云った、「世間のうわさを聞くたびに、いまにも大変な事が起こるのではないか、不吉な知らせが来はしないかと思って、朝までまんじりともしない晩が幾夜つづいたかしれやしません」
かよがいるぞ」と甲斐が云った、「子供にそんなことを聞かせていいのか」
「おかあさま」とかよが振り向いて云った、「あたし清書きができたから、遊びにいってもいいでしょ」
「私と双六すごろくをする筈じゃないか」と甲斐が云った。
「ええ、そうなさい」とおくみが甲斐の言葉を遮って云った、「そこを片づけていらっしゃい、硯や筆は自分でちゃんと洗うんですよ」
 かよは「はい」と云った。
 甲斐は盃を口へ持ってゆきながら、かよのほうを沈んだ眼つきで見まもった。親子の縁の薄い子だ、と甲斐は思った。こんどは二年ぶりで会った。戊申ぼしんの年に伊達屋敷が焼けたので、彼は任期を早めて出府したが、屋敷再建のために暇がなく、湯島を訪ねたのは明くる年の夏すぎであった。
 ――そのときは六歳だった。
 六歳のときすでに、かよはもうあまり甲斐につきまとわなくなった。父と子の関係が、いつ断ち切られるかわからないということを、本能的に感じているのだろうか。そう思って甲斐は重い気分になった。まえにはよくあまえて彼を困らせた。いっときでも多く抱かれていようとし、幼ない知恵で彼の気をひこうとつとめた。そのときはそのときで、やはり縁の薄いことを感づいているのだ、と甲斐は思ったものだ。
 ――そうだ、あの頃もそう思った。
 甲斐は自分の気持をふり返ってみて、ひそかに苦笑した。子供はなにも感じてはいないだろう、伸びてゆくいのちは伸びることでいっぱいだ。親との縁の薄いことを、感じとるような隙間はありはしない。自分がこんなふうに考えるのは、ばかげた親の煩悩にすぎまい。まさしく煩悩というにすぎない、と甲斐は心の中で苦笑した。
 机の上を片づけ、道具をきちんと始末してから、かよが遊びに出てゆくと、おくみは濡れた眼で甲斐をみつめながら訊いた。
「あなたは世間の噂をご存じでしょう」
「噂にはもう馴れている筈だ」
「あたしがですか」
「万治の大変があって十年このかた、私についての噂には飽き飽きしている筈だ」
「こんどはそうではございません、そうではないということをご存じでしょう」
「酒がないようだぞ」
「雁屋の兄からも聞きました」おくみは構わずに続けた、「涌谷さまが訴訟のために出府を許されてから、御譜代ふだい外様とざまの大名がたでいろいろとうわさがあり、会津中将保科ほしな正之)さまでさえ、一ノ関が悪いと仰せられているということです」
「それは信助から聞いたことか」
「兄は根のないことを云う人間ではございません、お出入りする大名がたの多くが、兵部さまを非難し、あなたも一味の者で、兵部さまと共に御家中の仕置を乱している、と云っているそうです」おくみ昂奮こうふんのため、声をふるわせて云った、「お大名がたばかりではなく、市中の噂も、たいてい同じようだということです」
 甲斐は黙っていた。
「これだけの噂が、御家中に聞えない筈はありません」とおくみはさらに云った、「もしこれを向うみずな若い方たちが聞いたら、黙って手をつかねてはいないでしょう、きっとまた、品川のお下屋敷のときのような」
 甲斐はきっとおくみを見た、「品川の下屋敷、そんなことを誰に聞いた」
「伊東さまからうかがいました」
 七十郎か、と甲斐は思った。新左衛門が危篤だというので、その病床をみまったとき、彼は下屋敷で刺客にあったことを七十郎に話した。そのじぶんはもう、七十郎は甲斐に絶交を宣告したあとで、殆んど往来は絶えていたし、七十郎ならそんなことを他言はすまいと信じたからであった。
「七十郎はここへ来たのか」
「お国へ帰るとき、ちょっとお寄りになったのです」
「おまえはなにも云わなかった」
「寄ったことは内証だと、伊東さまが仰しゃったからです」とおくみは云った、「そのとき伊東さまは、あなたがいまのような立場のままでいると、これからさきも決して安全ではない、いつ第二、第三の闇討ちをかけられるかわからない、よくよく気をつけるようにと、念を押していらっしゃいました」
「それはむしろ」と云いかけて、甲斐は持っていた盃に眼をおとした。その注意はむしろ七十郎自身がしなければならなかったものだろう、そう云おうとしたのだが、さすがに、それは死者への礼でないと思って、話をそらした、「――これまでにも、このことは幾たびとなく話しあって、どうしようもないということは、おまえにもよくわかっていると思うがね」
「わかっていることと、絶えまのないこの心配とはべつですわ」とおくみは云った、「夜も昼も、怯えて、かたときも心の休まる暇のないこんなくらしには、あたしはもうとても耐えてゆくことはできません」
「よくお聞き」甲斐はなだめるように云った、「おまえは私が闇討ちにされることを恐れている、つまり、私がいつ誰かに殺されるかもしれない、ということで怯えている、そうだね」
「国老の職を辞任することはできる筈でしょう」とおくみが云った、「松山さまもいちど、御病気という理由で国老職を辞任なすったことがございます」
「私の云うことを聞いてくれ」
「いいえ、あたしの申上げることも聞いて下さい」おくみの顔は蒼白あおじろく硬ばり、眼尻がつりあがっていた、「船岡にいらっしゃる帯刀たてわきさまはもう二十五におなりです、あなたが国老を辞任なさり、帯刀さまに跡目を譲って御隠居をなすっても、決して早すぎはしません、世間ではごくあたりまえのことではございませんか」
「それは、そのとおりだ」
「ではなぜ、そうして下さらないんですか」
「もういちど訊くが、おまえが心配しているのは私の死ぬことだろう」甲斐は穏やかに微笑しながら云った、「私が誰かに殺されはしないか、という心配で怯えている、たしかに、そのおそれがないとは云わないが、人間は女とひとつ寝をしていて死ぬこともあるんだよ」
「あなたはすぐそんなふうに」
「いや」と甲斐は静かに首を振った、「これは冗談や軽口ではない、現にあることを云っているんだ、人の死にようはさまざまだ、壮健な若者がはやり病で急死することもあり、おそれ多いが天皇の御子みこも将軍家の姫君も、天下の名医を集めながら平凡な病気で亡くなることがある、狂人の刃にかかる者もあるし、転んで頭を打っただけで死ぬ者もある、私はいちど闇討ちをかけられたが、けがもせずに助かった、もし私に寿命があるなら、幾たび闇討ちをかけられてもやすやすと死ぬことはあるまい、また、もし寿命の尽きるときが来たら、おくみの寝間で死ぬかもしれないだろう」
「あなたはそういう方よ」とおくみは眼がしらを押えながら、力のない声で云った、「御自分がそのように割り切っているから、女の気持なんか察して下さろうともしないのでしょう、あなたはそういう薄情な方なんです」
「そういうことにして、酒を貰おうかね」と甲斐は明るく云った、「死ぬことを気遣われるより、生きているうち大事にされるほうがいいからね」
 おくみが立ってゆくと、甲斐はなにを見るともなく、じっとくうをみつめた。
 ――天皇の御子。
 自分の云った言葉が、頭の中に一種の波紋をひろげるようであった。それは静かに、円周を描くようにひろがり、やがてじりじりと一点に凝集ぎょうしゅうし、はっきりとその形をあらわした。甲斐はじっと坐ったままでいて、やがて低く、口の中でささやいた。
「――後西院ノ上皇」
 甲斐の眼が、力のこもったするどい光を放つようにみえた。両の頬に竪皺たてじわが刻まれ、唇がきっとひき緊り、呼吸が深く大きくなった。
「なるか、ならぬか」と彼は自問自答した、「わからない、御気性はお強くはないようだ、しかし待て、考えてみる値打はある、逢春門院ほうしゅんもんいんもまだ御健在だ」
 甲斐は立っていって、障子をあけた。
 やがておくみが、燗鍋かんなべと銚子を持って来た。銚子を膳の脇に置き、こちらの火鉢に燗鍋を掛けてから、甲斐のほうを見て、そんなところにいて寒くはないか、と訊いた。気持がしずまったのだろう。声のとげとげしさも消えていたし、顔色も常のようにやわらいでみえた。
「お酒がまいりました、そこを閉めてこっちへいらしって下さい」とおくみは云った、「どうなさいましたの、怒っていらっしゃるんですか」
「誰が、私がか」甲斐は振り向いて微笑した。唇のあいだからほんの少し、きれいな白い歯が覗いた、「怒っているのはおまえだろう、それとも、もうおさまったのか」
「済みませんでした」おくみ含羞はにかみながら顔を伏せた、「あんまり心配が重なるものですから、ついのぼせてしまいましたの、どうか堪忍して下さいまし」
「女はいいな」と甲斐は呟いた。
 おくみには聞えなかったらしい。やはり含羞んだ眼でまぶしそうに甲斐を見あげ、寒いからそこを閉めて下さい、と云った。
「いまなんどきぐらいだ」
「七つ(午後四時)ちょっとまえでしょう」
 甲斐は障子を閉めてこちらへ来、膳の前に坐って盃を取った。
「政右衛門のところへ使いをやってくれ」と甲斐が云った、「ちょっといそぎの遠出をするから、肩替りをつけて、四枚の早駕籠をすぐよこすように」
「あなたが、おでかけですか」
「いそぐ、と念を押すように云ってくれ」
「あなたがいらっしゃるのですか」
「そうだ」と云って甲斐は手をあげた、「あとは訊くな、訊いても答えられない、使いをすぐにやってくれ」
「そしてこのままお屋敷へ」
「いや」甲斐は首を振った、「むろんここへ戻って来る、喜兵衛が帰るまでは動けない、早く使いのほうを頼む」
 おくみはいそぎ足で出ていった。
 駕籠屋はこの台地の下、黒門町の近くにある。主人の政右衛門についてはまえに記したが、いまでも、甲斐に対する政右衛門の態度に変りはない。かつて男達おとこだてとして名を売り、命を投げ出して暴れまわったつらだましいは、四十歳を越したいまでもその風貌に残っている。それが甲斐の前に立つと、まるで奴僕ぬぼくがそのあるじに対するように、たくましい肩腰をちぢめ、この命ひとつただいまにでも差上げます、というような眼で見るのであった。そのときも、政右衛門は人足たちといっしょに来た。四枚肩の早駕籠は四人で担ぎ、肩替りが二人付く。継ぎかみしもを着た甲斐は、刀を右手に持ってあらわれたが、政右衛門を見ると首を左右に振った。
「おまえは来なくともいい」
「いや」政右衛門は地面に裸の片膝を突いて答えた、「お供を致します」
「その必要はない、残れ」
「どう仰せられようとも、私はお供を致します」
 世評を案じているのだな、と甲斐は思った。彼もまた世間の噂を聞いて、甲斐の身辺を危ういとみているのだろう。そうなったらあとへひく男ではない。甲斐は駕籠に乗り、草履を預けた。
 ――まちがってはいないか。
 駕籠が品川の下屋敷へ着くまで、甲斐は幾たびも自分の考えを検討してみた。
 涌谷の訴訟が老中評定にかけられるとき、おそらく、伊達家の運命は決するであろう。家中紊乱ぶんらんという名目で、六十余万石は改易になるかもしれない。酒井忠清がこの機会をねらっていたことはたしかであって、たとえ改易にはならぬとしても、忠清が一ノ関に約束したようなかたちで、致命的な処置をとられるという予想は避けられないと思う。これに抵抗するみちは、加賀、薩摩の二藩を味方に付けることであるが、どちらにもまだ手掛りさえついていない。前田家とはいちおう連絡ができたけれども、警戒されてそれ以上は踏みこめなかった。
 ――もう少し時間があれば、必ずものにしてみせる。
 だが時間がない。出府して来る涌谷の安芸には、途中で会えるように使者を出した、「老中評定だけは避けなければならない」という理由を詳しく書き、村山喜兵衛に持たせてやった。それには、本邸へはいるまえに、湯島の家でいちど泊ってもらいたい、とも書いたのであるが、はたしてどういう返事をよこすかわからなかった。
 ――涌谷は人が変った。
 仙台で矢崎舎人とねりが密使に来てから、涌谷としばしば書状を交換した。老中への訴訟をもう少し延期してもらいたい、まだその時期ではない、ということを繰り返し説いたが、安芸はまるで受けつけなかった。安芸は堪忍の緒を切っていた。まえにはもっと辛抱づよく、重厚すぎるほど重厚な人だったが、年老いたためだろうか、頑迷といいたいほど訴訟を固執し、ついに幕府老中の許しを得て出府することになった。
 ――本邸へはいるまえに会えば、まだ説得することはできる。
 だが会えなかったらどうするか、このまま安芸が意地をとおし、老中評定にもってゆくとしたら、なにか幕府を牽制けんせいする法を講じなければならない。こう思いめぐらしていたとき、後西院ノ上皇という存在に気づいたのであった。上皇と隠居の綱宗とは従兄弟いとこに当る。すなわち、上皇の御生母逢春門院は、櫛笥くしげ左中将隆致たかむねむすめであり、綱宗の生母はその妹の貝姫である。後西院は後水尾天皇の第七皇子で、まだ花町宮といわれていたとき、江戸へ下向され、綱宗も使者をもって御機嫌奉伺をした。宮は明暦二年に即位されて、後西院ととなえられたが、そのときも綱宗は父の忠宗とともに祝儀の使者をさし立てた。また、綱宗が幕府の命令で、小石川堀の普請に当ったときには、逢春門院から綱宗に、労をねぎらう懇篤な使いがあった。
 ――宮中からの助力が得られれば、幕府を牽制することができる。
 甲斐はそう考えた。
 ――上皇は綱宗の従兄であり、逢春門院は伯母に当る。
 伊達の興廃にかかわる大事だから。事情をつぶさに述べて訴えれば、蔭からの助力を得ることはさして難事ではあるまい。仮に困難が伴うとしても、事ここに到っては、もう他にとるべき手段はない。
「ほかに手だてはない」と甲斐は呟いた、「慥かに、残された手段はこれ一つだ」
 綱宗に親書を求めて、一刻も早く京へ急使を出す。これが唯一の頼みの綱だ、と甲斐は思った。
 駕籠は下屋敷の手前で停め、甲斐はそこから歩いていった。ところが、門はとおったが玄関で止められた。取次の侍は奥へいったが、出て来たのはべつの侍で、「おめどおりは許されない」と答えた。甲斐は穏やかに、では家老に会おうと云った。下屋敷の家老は去年から高野与惣左衛門が代っていた。
「御家老も多用で」と取次の侍は答えた、「おめにはかかれないとのことです」
 甲斐は静かに云った、「言上ごんじょうすべき大事な御用があって伺候した、私には国老の職権がある、高野にそう申してくれ」取次の侍は式台にいたが、すっと膝を進めて甲斐を見あげ、声をひそめて云った。
「申してもむだでございます」
「どうしてだ」
「ここは御隠居の殿のお屋敷ですから、御本邸の国老という職権だけではとおりません、押しておとおりになれば」と云ってその待はさらに声をひそめた、「御一命にもかかわりかねないと存じます」
 甲斐はその侍の顔をみつめた。
 ――どこかで見た覚えがある。
 年は三十一か二であろう。まる顔のがっちりした躯つきであるが、見あげている眼には、なにやら哀訴するような色がうかがわれた。
「そのほうはなんという」
「小姓組の千谷新十郎と申します」その侍はそこで低頭し、すぐに顔をあげて云った、「お願いでございます、どうぞここはお引取り下さい、たって伺候のお望みでしたら御後見からお指図のあるよう、おはからいのうえに願います」
 甲斐は新十郎の眼をみつめていた。
「御記憶でございますか」と新十郎は甲斐を見あげながら云った、「かつてこなたさまが望岳亭へ伺候された帰途、やぶ囲いのところで闇討ちを仕掛けた者でございます」
「覚えがない」と甲斐は云った。
「詳しいことを申上げるいとまがございません、私はあのときのお言葉を肝に銘じております、いまここでは私の申すことをお信じ下さい、私の友人が奥で血気の者どもを抑えているのです、お願い申します、どうかここはお引取り下さい」
「わかった」甲斐はうなずいて云った、「そのほうのことはなにも覚えていない、しかし気遣ってくれたことには礼を云おう、有難かった」
 そして甲斐はくびすを返した。
 湯島へ帰る駕籠の中で、甲斐は幾たびも深い溜息ためいきをついた。眼に見えない時の動きと、人の心のどうしようもない変化。その二つのものが、じかに、肌へ触れるほど鮮やかに感じられた。時の勢いの動きには、人間の意志を超えたなにかの力が作用しているようだ。人の心はその動きにつれて変化する、わかりきったことだ。歴史はそういうことを繰り返して来たし、これからも同じような繰り返しを続けてゆくだろう。
「そうむきになるな」と甲斐は呟いた、「おれはいま兵部の一味として、伊達家中ばかりでなく、世間の多くから非難の眼で見られているという、だがこれは、初めから自分で承知していた筈だ、涌谷と松山(茂庭周防)とおれとで合議をしたとき、おれはこの席に坐ったのだ、家中の若者たちからねらわれるのも、いまに始まったことではない、あの七十郎でさえ去っていったではないか」
「しかしこのむなしさはなんだろう」と甲斐は暫くしてまた呟いた、「自分でこうなることを望んでいたのに、いま非難の注目をあびているということで、こんなに虚しくもの淋しい気分になるのはどういうわけだろう」
 自分はいまもっとも強くなければならない、これまでのどんなときよりも強く、力をゆるめずに、しっかりと立っていなければならない。それなのに、このような淋しい虚しさを感ずるというのはなぜだろう。自分にそれだけの力がないためか。涌谷の性格が変ってしまい、頼む周防に死なれて、独りだけになってしまったからだろうか。それとも、もともと自分は弱い人間で、こういう大事に当面する力がなかったのだろうか。
「いや、これでいい、これがしぜんだ」かなり長い時間ののち、甲斐は自分に向かって頷いた、「人間はもともと弱いものだし、力のあらわれは一様ではない、鉄石の強さも強さ、雪に折れない竹のたわみも強さだ、ここで剛毅心をふるい起こすよりは、この虚しいもの淋しさを認めるほうが、おれにとっては強さであるかもしれない」
 駕籠が湯島の家へ着いたときは、もうすっかりれて、町の家並には灯がはいっていた。甲斐は政右衛門に「飯をたべてゆけ」と云ったが、彼は辞退して去った。去ってゆくとき、彼は甲斐の顔をじっと見まもり、まるで怒っているような調子で云った。
「御前、どうかご身辺にお気をつけて下さい」
「気にするな」と甲斐は微笑した、「おれは大丈夫だ」
「お出かけのときにはお供の人増しをなさらなければいけません、大切なおからだだということを、どうかお忘れにならないで下さい」
「そうしよう」と甲斐は頷いた、「今日は御苦労だった」
 政右衛門はぶすっとした顔で去った。
 風呂をあびてから、甲斐はまた酒を命じて坐った。今日でまる三日、殆んどさかずきを手からはなさない。酒の量は多くはないが、夜半にも起きて酒を命ずるというふうで、いつもの甲斐とはようすが変っているため、おくみの不安は強くなるばかりであった。
「そう飲んでばかりいらしっては毒ですわ」とおくみは云った、「新八さんとみやさんが来ていますから、御膳をめしあがったあとで、あの人たちとお酒になさるほうがようございましょう」
「飯は欲しくない」
「なにかあったんですか」おくみは声を低くした、「今日はどこへいらしったんですか」
「新八はなんの用で来た」
「どこへいらしったかも、うかがえないんでしょうか」
「わかっている筈だ」甲斐の口ぶりは意外なほど強かったが、すぐに調子をやわらげて、なだめるように云った、「話していいことはいつも話している、おまえもまさか、話せないことまで話せというのではあるまい、――新八はなんの用で来たんだ」
「こんど木挽こびき町の森田座で」とおくみ俯向うつむきながら答えた、「芝居狂言の語り物に出たところ、たいそう評判がいいので、上方かみがたの興行に買われてゆくのだそうです」
「その別れに来たわけか」
「ひとめおいとま乞いがしたいと申しております」
 よかろう、と甲斐が云いかけたとき、ふすまの向うで成瀬久馬の声がした。はいれ、と甲斐が答えると、久馬が襖をあけて云った。
「ただいま村山が戻りました」
「よし、すぐにここへ」と甲斐が云った。
 久馬が去ると、甲斐はおくみに云った、「新八とみやにはあちらで酒を出してやれ、ここは呼ぶまで人払いだ」
「はい」と答えておくみも出ていった。
 旅装のままはいって来た村山喜兵衛は、あまりに憔悴しょうすいして、相貌が見違えるほど変っていた。甲斐はそのようすを見て、不吉な予感におそわれたが、労をねぎらう声にはいささかの動揺もなかった。
「御苦労、きつかったらしいな」と甲斐はむしろ冷やかに訊いた、「涌谷は会ってくれたか」
「おめにかかりました」
「どこで会った」
下総しもうさの中田宿じゅくでございました」喜兵衛は旅嚢りょのうの中から文箱ふばこを取り出して、甲斐の前へ差出した。その手はふるえていた、「まず御書面をごらん下さい」
 甲斐は文箱を取ってあけた。
 安芸の手紙は簡単なものであった――。そこもとの意中はよくわかるが、自分の決心はもう変えるつもりはない。仙台で矢崎舎人に使いさせたとおり、こんどは老中評定までもってゆく、壊疽えそという病にかかったら、その足なり手なりを早く切り放さなければ、たちまちその毒が全身に廻って死をまねくという。酒井侯の示唆による一ノ関の奸策かんさくは、まったくこの壊疽の毒に等しい。いま断乎だんこたる手段をとらなければ、毒は全身に廻って救い難いことになるだろう。自分は境論を主にして老中評定まで事をはこぶ、そこもとは機をみて、酒井侯と一ノ関との密約をもち出してもらいたい。その時期と方法とは、折をみて談合するとしよう。このたびは自分も死ぬ覚悟で、すでに菩提寺ぼだいじへ戒名を遺して来た。そこもとにも死をしてもらわなければならないが、これは自分から云うまでもないことと思う。――およそこういう意味の文面で、終りに、湯島へたち寄るのは危険だから、麻布の中屋敷へはいるつもりである、と書いてあった。
 甲斐はその手紙をすぐ火桶ひおけにくべながら、湯島へ寄るのがどうして危険なのかと、不審に思いながら、喜兵衛を見た。
「なにか伝言はなかったか」
「伝言はございませんでしたが、矢崎舎人はどうしているかと訊かれましたので、雁屋信助かたに寄宿していることを申上げました」そう云って、喜兵衛はちょっと口ごもりながら続けた、「私は、中田の宿所で一夜泊り、今朝早く房川の渡しで御一行と別れて来たのですが、二百五十余人というお供立を、御存じでございますか」
「知っている、それは老中にもうかがって、差支えなしということになったのだ」
「私は存じませんので、その人数にも驚きましたが、涌谷さまはじめお供の人々の、あまりに意気ごみ、緊張していることに吃驚びっくりいたしました、まるで、いまにも一と合戦始めようというような感じなのです」
「そうみえたことはふしぎではない」と甲斐は云った、「おそらく、小者の末までもそういう覚悟でいることだろう」
「それにしても、涌谷さま御身辺の警戒ぶりは尋常とは思えません」と喜兵衛が云った、「聞きましただけでも、不寝の宿直とのい番が毎夜十人、米、味噌は涌谷から持って来たものを使い、茶から食事までぜんぶ家従の料理人がやる、宿屋で出すものは白湯さゆ一杯も口にしない、というのは、毒害のおそれがあるから、というのです」
 甲斐はなにか問いかけるように喜兵衛を見た。毒害のおそれという意味が、すぐには理解できなかったらしい。喜兵衛は尚なお書きをするように、続けて云った。
供頭ともがしら亘理蔵人わたりくらんどどのから聞いたのです」
「喜兵衛は蔵人を知っている筈だ」
「涌谷へお供をしたときに対面しております、そこで、中田の宿所に泊った夜、一ときあまりも話したのですが、涌谷さまが毒害をおそれるのは、一ノ関の手が廻っているという注意があったからで、仙台へ出たときにもいっさい他家の招きには応ぜず、ひきこもったきりだったということでございます」
「一ノ関の手が廻っている、などということを信じたのであろうか」
「仙台に滞在ちゅうも、しばしば密告する者があったと、申しておりました」
 甲斐は静かに、だが明らかに絶望的な動作で、その顔を仰向けにし、そうして力のぬけたようにゆっくりと俯向いた。
「さがって休むがいい」と甲斐は云った、「おまえにはまた頼まなければならないことがある」
「はあ」と喜兵衛は眼をあげた。
「京まで、はやの使いだ」
「京まで」と喜兵衛が訊き返した。
「両三日うちに立ってもらうことになろう」と甲斐は云った、「用向はそのときに話す、ほかの者でもいいがおまえに頼みたい」
「かしこまりました」
「休むがいい、御苦労だった」
 喜兵衛が出てゆき、まもなくおくみが来て、座敷に支度のできたことを告げた。
「ここへ膳の支度をしてくれ」と甲斐はおくみに云った、「少し考えることがある、膳の支度ができたらおれを独りにしてくれ」
「あの人たちに会っておやりなさらないんですか」
「あとだ」と甲斐は云った、「あとでゆくから、くつろいで飲めと云ってくれ」
 おくみはそっと立ちあがった。
 酒肴しゅこうの膳立てをしておくみが去るまで、甲斐は無表情に黙って坐っていた。顔はまったく無表情で、眠たそうにさえみえたが、心の中では電光がひらめき、雷が鳴りはためいているようなおもいだった。安芸は彼の頼みを拒絶した。安芸はもう昔の安芸ではない。幕府にとって、伊達家は籃中びくの魚であり、どうじたばたしてもそのかごからのがれることはできないし、へたに暴れだせばかえって爼上そじょうにのせられる、ここはがまんすべきときだ。これまで耐え忍んで来たではないか、多くの犠牲を払いながら耐え忍んで来たのはただ一つ、六十万石安泰のためではないか。あのころの安芸にはわかっていた。だが、いまの安芸はもうそれを理解しようとはしない。安芸は単に一徹で潔癖な老人になってしまった。
 ――まっすぐに奔走している。
 甲斐はそう思った。
 ――断崖だんがいへ向かってまっすぐに。
 安芸が立ちあがったのは境論がきっかけであった。寺池の伊達式部が、無法に領地境を侵した。それは事実であるし、式部のうしろに一ノ関がいて、煽動せんどうしていることも事実かもしれない。けれども、式部がなぜそんな無法なことをするか、という蔭の理由のほうが、侵された僅かな谷地やちよりも重大な筈である。
 ――まえには涌谷もそれを理解した。
 たしかに、綱宗が逼塞ひっそくを命ぜられたときは、酒井忠清と一ノ関との密約を知って、事を荒立てず「未然に防ごう」という方針をとった。藩主の譴責けんせきという大事に当っても隠忍することができたのに、自分の領地問題では堪忍ができない。目的は「一ノ関を除き、陰謀の根を断つ好機だ」と云うが、そう決心させた理由をつきつめれば境論ということになる。
貴方あなたはそんな人ではなかった」と甲斐は声に出して呟いた、「自分の領地が無法に侵されるということで怒り、それを藩内の粛正にむすびつけておられる、昔の貴方はそうではなかった、貴方はいつも重厚で思慮深くかりそめにも事の軽重けいちょうをみあやまるような方ではなかった」
 それがいまは変った。
「貴方ともある人が」と甲斐は眼をつむり、安芸その人に呼びかけるように、口の中でそっと呟いた、「――毒害の密告などまで、信ずるようになられたのですか」
 向うの座敷から、三味線と唄の声が聞えて来る。忍びやかではあるが、張りのある澄んだ音色で、うたう声も低く、むせび泣くような哀調を帯びていた。
「周防、――新左衛門」と眼をつむったままで甲斐は囁いた、「七十郎、里見十左、そして丹三郎、――残ったおれは、ひどい貧乏くじを引いたようだな」
 おくみが新らしい銚子を持ってはいって来たとき、甲斐は静かに飲んでいた。
「あの唄は新八だな」
「はい、お座興にと云っています」とおくみが云った、「でもお耳障りなら、やめさせましょうか」
「聞いてやろう」と云って、甲斐はおくみに盃を差した、「飲まないか」
 おくみいぶかしそうな眼をした、「どうなすったんですか」
「飲まないかというのだ」
「だってまだ、かよさんを寝かさなければならないし」云いかけておくみははっとした、「お屋敷へ、お帰りになるんですか」
魚籃びくの中の魚だからな」
「お帰りになるんですのね」
「魚籃から出るわけにはいかない」と甲斐は云った、「だがまだ三日いとまがある、今夜は二人でゆっくり飲もう」
「あと三日、ほんとですか」
「あれをさかなに飲もう」甲斐はおくみに酌をしてやりながら、聞えて来る唄のほうへ首を振った、「いい唄だ、――あの二人は誰の助けもかりず、自分たちの力だけで仕合せをつかんだ、あの唄は二人の仕合せを支えてゆくだろう」
 おくみは盃を返した。甲斐はそれには気づかないようすで、しんと、うた声に聞きいっていた。

影と形


「寛文八年十一月、里見十左衛門病死」
 甲斐はそう読みながら、書いてある文字をぼんやり見まもった。それは彼自身の書いた日記で、万治の大変以来、家中に起こった出来事や、自分で経験し、また見聞したことが記してある。甲斐は三日まえから、その日記の整理にかかっていた。机の上の硯箱すずりばこには、黒と朱と二つの硯があり、彼は読むにしたがって、無用と思える記事を消し、必要な項目には朱筆で注を加えるのであった。
 ――こんなことをしてもむだだ。
 甲斐は幾たびかそう思った。こんなことをしても、なにかの役に立つとは考えられない。けれども、あったことの事実をたしかめておく必要はあろう。万治の事から十年あまり経っただけで、もう事実がゆがめられ、あいまいになった例も多い。形ある物が遠ざかれば影は歪み、そしておぼろになり、消えてしまう。
 ――そうだ、事実を伝えることはむだではない。
 甲斐は日記を読み続けた。
「同じ年九月、江戸屋敷焼亡。また、亘理わたりさま(安房宗実)御二男、刑部宗定ぎょうぶむねさだどのをもって、小野の伊東家を再興された。元高もとだか二千六百七十石のところ、改めて千八十五石となる」
 故新左衛門の養嗣子しし采女うねめは、まだ柴田外記げきに預けられて登米とめ郡にいた。そして明くる年の七月に、そこで病死したのだ、と甲斐は思った。
「同じく九年一月、奥山大学が仙台で幕府の国目付千本ちもと兵左衛門、水野与左衛門)覚書おぼえがきを差出した、しかし両目付はこれを拒んで受取らなかった」
 大学はそのまえ、自分に交渉しようとしたし、自分が面会を避けると、船岡へいって母に訴えた。彼の訴願は、「寛文三年このかた自分の意志で国老を辞任したのに、罪あって押籠おしこめられたというように届けられたそうである、この点を公儀において究明してもらいたい」そしてまた、「伊達家中の悪政を公儀の御威光によって一掃してもらいたい」ということであった、と甲斐は思った。
 甲斐は朱筆を取って注を加えた。
 ――大学は今年(寛文十一年)になってまた幕府国目付に面会を求め、かつて千本、水野両目付に拒まれた訴状を差出した。このたびの国目付は内藤新五郎、牧野数馬で、訴状を受取って読んだ。これは幕府老中から米谷さまに、出府の通達があったことと関連しており、すなわち、老中が伊達家の内紛に手をつける機会の一をなしたのである。
「同じ九年の三月、兵部宗勝さま御生母、保性院さまが一ノ関において亡くなられた」
 そう読んでから、甲斐はその項目を墨で消した。次の二つの記事も消し、そうして読み続けた。
「同じ年十二月、亀千代ぎみ元服、九日たつの刻登城。兵部さま右京さまの両後見、ならびに東市正いちのかみ(兵部の世子)さま、遠州(宇和島藩主、伊達宗利)さまお供。黒書院にて将軍家(家綱)に謁を賜う。列座は、井伊掃部守かもんのかみ、酒井雅楽頭うたのかみ、阿部豊後守ぶんごのかみ、稲葉美濃守みののかみ久世大和守くぜやまとのかみ、土屋但馬守たじまのかみの諸侯であった」
 亀千代ぎみは十一歳、そのとき将軍家から綱の字を賜わって綱基となのり、従四位下、左近衛権少将に任じられ、陸奥守むつのかみを兼ねることを許された。そしてこのとき、隠居の綱宗さまは、改めて若狭守わかさのかみと呼ばれることになったのだと甲斐は思った。
「献上の品は包永かねなが太刀たち馬代ばだい黄金五十枚、棉二百、そして拝領したのは新藤五国光であった」
 十二月十五日に、柴田外記げき、片倉小十郎、津田玄蕃げんばらが登城、それぞれ太刀、銀馬代、時服じふくを献上し、白書院にて将軍に謁した。甲斐はこの記事を消し、次つぎと三項目を消した。
「十年二月、国老として、自分、古内志摩。目付役今村善太夫、桑折こおり甚右衛門、横山弥次右衛門、荒井三郎右衛門ら寄り合い、故里見十左衛門の跡目について相談した」
 この相談は、と甲斐は朱筆で注を入れた。同年三月、十月の三回にわたっておこなわれた。一ノ関は「取潰とりつぶし」を主張し、岩沼は「旧のまま」といい、自分は「半知にて家名を立てよう」という意見を述べたが、いまに到ってもまだ決定していない。
「同じ年十月、茂庭大蔵が逼塞の処分になった。番頭役を召放し、所替ところがえである。また、山崎平太左衛門も郡奉行の役を召放し、逼塞の処分を受けた」
 甲斐はまた朱筆を取った。――山崎はかつて矢崎舎人が身を寄せていた。自分は危ないとみて、舎人を江戸へやったが、自分の疑惧ぎぐは当ったのである。山崎の妻は涌谷さまの外従妹で、一ノ関ににらまれていることがわかったからであった。
「同じ年十二月、岩沼(田村右京)さまの御子息、修理しゅり宗永さまが右京太夫に任ぜられ、右京さまは隠岐守おきのかみとなられた」
 自分は十月末に出府したのだ、と甲斐は思った。そして今年(寛文十一年)正月には、奥山大学が幕府国目付に対して、再度の訴状を呈出した。大学は宇和島の遠州さまにも無実の訴えを出したという。
「今年正月、幕府に召された柴田外記から、涌谷の安芸さまに対して、出府すべしという内命が伝えられた。安芸さまは在所で首途かどでの酒宴を催し、なお菩提所の円同寺に石水和尚を訪ね、法名を乞うたということである」
 このとき仙台では、と甲斐は注を入れた。家臣の木幡源七郎と屋代五郎左衛門が、幕府国目付に訴状を出した。署名は陸奥守下中士共とあったそうで、またこれとはべつに、飯淵三郎右衛門、大河内三郎右衛門ら五人が申し合わせ、国目付が江戸へ帰任する途中、伊達桑折の宿しゅくで面会を求めて、訴状を呈出した。
 甲斐は朱筆を置いた。
「まるで蜂の巣をつついたようなものだ」と彼は呟いた、「なんの統一も秩序もなく、われがわれがと自説を固執し、御家のためと云いながら自分の意志を押しとおそうとする、一ノ関や酒井侯の思う壺にはまった、これで膳立てはととのった、一ノ関は哀れだが、酒井侯はさぞ満足なことだろう」
 甲斐はまた日記に眼を戻した。
「同じく二月十五日、涌谷さま上着、麻布屋敷へはいられた」
 家老の亘理蔵人わたりくらんどを使者に、両後見へ到着の挨拶をし、また陸奥守さまに献上品があった。献上の品の披露には自分が当ったのだ、と甲斐は思った。
 ――涌谷は旅の所労を申上げて、御殿へ伺候しなかったが、これは一ノ関がひそかに手をまわして、毒害の計画を立てている、という密告があったからで、そのため両後見の屋敷へすらゆかず、使者をもって挨拶し、自分は麻布屋敷にこもったまま、まだ一歩も外へ出ずにいるのである。
 甲斐はそう注をして読み進んだ。
「同じく十五日。綱宗さまから涌谷へ、ひそかに書状が遣わされた、ということがわかった。十三日のことだという」
「同じく十六日、幕府申次もうしつぎの大井新右衛門から使者があって、涌谷さまは初めて麻布を出、大井方へ出頭された。そこにはやはり申次の島田出雲、新たに申次となった妻木彦右衛門が同席して、対談一刻に及んだという」
 この日からせきが切って落されたのだ、と甲斐は思った。
 安芸さまは地境の争いを仔細しさいに述べられた。それで午後七時に、三人の申次から自分に使者があり、志賀、浜田、今村、横山ら四人を、地境検分の責任者として出頭させよとの口上により、絵図、覚書を持たせて、四人を大井方へ遣わした。
 ――では境論だけにとどめるのか。
 そう思っていると、夜になって安芸さまから密使があり、「境論とはべつに、藩内仕置の件を取上げてくれるもようである、まことに本懐なり、もはや面談のおりはないだろう」という意味を伝えられた。
「同じく二十七日、安芸さまは妻木彦右衛門方へ出頭し、藩内仕置の件で、むつのかみお為筋に関する覚書を差出された。大井新右衛門は異議をとなえたが、島田出雲が受理したという」
 翌日、三人の申次は登城して、老中酒井侯、稲葉侯、土屋侯、板倉侯同座のうえ、涌谷さま覚書を披露した由である、と甲斐は朱筆を入れた。
「三月一日、京へ遣わした村山喜兵衛はまだ帰らず、音信もない。時は刻々と切迫しているのに、まにあわぬであろうか」
 甲斐はその記事を消した。
「三月四日、涌谷さまは板倉侯に呼ばれて、たつノ口の屋敷へ出頭した。今月は板倉侯が老中の月番であるが、土屋但馬守が同席、人払いのうえ涌谷さまの申立てを聞いたという」
 これは涌谷からの使いで知ったことだ、と甲斐は思った。安芸は一ノ関の悪政について詳細に申述べ、過酷な罪科に処された者の名簿も呈出したということだ。
 甲斐は筆を置いた。机の脇へよせてある行燈の火がはためき、かすかに油の焦げる音が聞える。甲斐は手を伸ばして油皿へ油を注ぎ、燈芯とうしんのぐあいを直した。
「同じく三月七日、自分と柴田外記は、呼ばれて板倉邸へいった。柴田と自分とはべつべつに喚問されたが、自分に対する質問は極めて冷たく、かつ辛辣しんらつであった。退出するとき、『老中との対談は他言を禁ずる』と念を押された」
 外記に対しては鄭重ていちょうであって、質問も少なく、「伊達家が安泰であるようにはからうつもりである」ともらしたそうであった。
 日記はそこで終っていた。
 甲斐は静かに筆を置いた。机に両のひじを突き、両手の指でそっと眼を押えながら、彼は深い溜息をついた。
「九日からのことはまだ書いてない」と彼は呟いた、「九日には三人の申次から老中の命で、古内志摩を出府させるようにと言って来、すぐに仙台へ急使をやった」
 岩沼さまはずっと一ノ関と会っていない。一ノ関に対する悪評が高まったのも原因の一つであろうが、隠岐守おきのかみ(前の右京)に対しても、一ノ関で毒害の陰謀がある、という密告がしきりで、そのために面会を避けているのだと伝えられている。
「また一ノ関では、涌谷さまが老中に政治問題を持ち出したのは、隠岐さまのしり押しによるものだ、と怒っておられたようだ」こう呟いて、甲斐は眼を押えていた手を放した、「――政治問題が出ることを、一ノ関は考えなかったのだろうか、単に境論のことだけで、老中が取上げるとでも思ったのだろうか」
 酒井侯と一ノ関との往来も、ここ暫く途絶えているらしい。おそらく、酒井忠清にとっては、もはや一ノ関は無用な存在になったのだろう。兵部少輔宗勝ひょうぶしょうゆうむねかつはまもなく悟るにちがいない、自分がどういう役を勤めたか、つかんだと信じていた「形ある」ものが、単なる「影」にすぎなかったということを悟るだろう。
「おれは最後のたたかいに当面している」と甲斐は呟いた、「切札は酒井侯と一ノ関との密約だ、しかし、それを活かすには宮中からの助けが欲しい、上皇(後西院)でなくとも、逢春門院ほうしゅんもんいんさまの御助言だけでもいい、――それがいま伊達六十二万石のちから綱だ」
 甲斐はそうつぶやきながら、上皇の御性格の弱さを考えていた。それは初めからおそれていたことなのだ。上皇は清明にはおわすが御気性が弱かった。御年十八歳で践祚せんそされたが、御在位ちゅう災異凶事が多く起こり、それは、「今上きんじょうに御威徳が欠けているためである」といううわさが立つと、即位されてから僅か七年めに御退位、上皇となられた。京わらべの根もなき評にさえ、耐えられないような御気性では、幕府に圧力をかけるような助言を乞う、などということは不可能かもしれない。
「だが、少なくとも逢春門院さまは」と云いかけて、甲斐はかなりながいこと黙っていたが、やがて眼をあげ、部屋の向うの暗い一点をみつめながら、そっと自分に頷いた、「――そうだ、待つことはない、直接の助言があるなしにかかわらず、京へ訴えた、という事実だけでも役に立つ、喜兵衛の帰りを待つまでもなく、事態の動きによっては一と当て当てることにしよう、一と当て、――酒井か、板倉か」
 まもなく、甲斐は机の上を片づけて立った。顔を洗って寝ようと思い、襖をあけると、次の間に成瀬久馬がいた。灯のない部屋の暗がりに端坐しており、甲斐を見ると手を突いて、御用でございますかと云った。
「どうしたのだ」と甲斐はとがめた、「もう夜半すぎだというのになにをしている」
 久馬は黙って平伏した。
宿直とのいはならぬと云ってある、誰かに申しつけられたのか」と甲斐は訊いた、「誰に申しつけられた、惣左衛門か」
「一存でございます」と久馬が答えた。
 久馬も世評にくらまされているのだ、と甲斐は思った。家中に自分をねらっている者がある、そういう噂は正月ごろから聞いていた。原田ではまえから宿直を禁じて来たが、その噂がひろまると、家老の堀内惣左衛門が、ひそかに宿直番を設けようとした。甲斐はすぐに気づいて、そんな必要はない、と固く申しつけたのであった。
 ――久馬はかつて一ノ関に内通していた。
 それがいまは、禁をやぶってまで自分を護ろうとする。おかしなものだ、と甲斐は思った。
「無用と申したことはするな」と甲斐はやさしく云った、「もうさがって寝るがいいぞ」
「はい」と久馬は低頭した。
 三月十七日、甲斐は「朝粥あさがゆの会」を催し、六人を招待した。しかし、来たのは蜂谷はちや六左衛門だけで、他の五人は御用のためという理由で断わった。六左衛門もおちつかないようすで、盃には手を出さず、半刻そこそこで帰っていった。
「渡辺金兵衛が番明きですが」と帰るときに六左衛門が云った、「一ノ関さまから、帰国を延ばすようにという沙汰があったそうで、――御存じでございますか」
「いや、知りません」と甲斐は云った。
「江戸番は御家法ですから、番明きになった者を帰国させないということは、よほどの理由がない限り違法になると思いますが」
 金兵衛は一ノ関の手の者である、涌谷の訴訟が片づくまでは、一人でも多く、手の者を身近に置きたいのであろう、甲斐はそう思ったが、色にも出さなかった。
「さて、それは」と甲斐は穏やかに云った、「都合によってわれわれも、江戸番や番明きの延びる例は少なくありませんからね」
「御老職はかくべつでございましょう」
「そうでしょうか」と云って、甲斐は微笑した、「――いずれにせよ、米谷まいやどのに御意見があるでしょう」
 六左衛門がたち去るとき、その顔に不審そうな表情があらわれるのを、甲斐は認めた。六左衛門もまた、金兵衛が一ノ関の手の者だということを知っているのだ。したがって甲斐の意見が、一ノ関の不当をかばっているように聞えたのであろう。
 ――つまらぬことだ。
 金兵衛の在不在など、まったく問題ではない。大事は雅楽頭忠清の胸三寸にかかっている、忠清の胸三寸を打破するという以外に、もはや大事を救うみちはないのだ、と甲斐は思った。柴田外記も関心はなかったのだろう、一ノ関の要求どおり、金兵衛の帰国は延期されることになった。
 それから中三日おいて、三月二十一日に、仙台から古内志摩が出府して来た。その日は陸奥守に目見めみえをせず、柴田外記と二人だけで、深更まで密談した。翌日、志摩は板倉邸へ出頭し、内膳正ないぜんのかみの質問に答えた。同席したのはやはり土屋但馬守で、質問は外記に対するものとほぼ同じだった。――これらのことはその夜、志摩の口から聞いたのである。志摩は夜になってからひそかに甲斐を訪ねて来、一刻以上にわたって話しを交わした。志摩義如よしゆきは四十一歳になる。寛文六年に国老となってからすでに五年余日経っているが、これまで甲斐とはあまり親しいつきあいはなかった。――にもかかわらず、その夜の志摩は態度から言葉つきまで変っていたし、話しぶりも直截ちょくさいで熱がこもっていた。彼は出府するまでの仙台の情勢を語り、柴田外記との密談の内容から、板倉邸での問答の仔細を語った。
 ――こんども同席は土屋侯か。
 甲斐は話しを聞きながらそう思った。
 ――久世侯はどうしたのだ。
 どうして久世侯は出ないのか。伊達家の問題にはいつも関心を示して来た大和守が、こんどは喚問の席にいちども姿を見せない、どうしてだ、と甲斐は心の中で問いかけた。
「私の申すことはこれだけです」と志摩は語り終ってから云った、「そこで、改めてうかがいたいことがあるのですが」
 甲斐は志摩を見た。
「いま申したとおり、国許くにもとでも江戸でも、船岡どのを非難する声が強い」と志摩は続けて云った、「これはかなり以前からのことで、特に席次の争いと、伊東一族の過酷な処罰があってからは、その声が強くなるばかりであり、それは御承知のことと思います」
 甲斐はそっと目礼した。
「いったいこれはどういうことなのですか」志摩はひそめた声に力をこめた、「このたび老中に呼ばれて出府する直前までは、私自身も非難の声が誤りであるとは思いませんでした、しかしいまはそうではない、船岡どのに対する非難が無根であり、的外れだということが推察できるのです」
「その話しはよしましょう」
「いやよしません、米谷どのまでが誤解しているのを知りながら、貴方は自分の立場を少しも釈明なさろうとしない、これはどういうわけなのですか」
 甲斐はゆっくりと答えた、「私には釈明しなければならぬようなことがあろうとは思いません」
「船岡どの」
「この話しはやめにして頂きましょう」と甲斐は柔和にさえぎった、「およそ侍というものは自分のしたことについて弁解や釈明はしないものだと聞いています、仮に私が誤解され、非難されているとすれば、それは私の御奉公が未熟だということで、これはもう弁明の余地のないところだと思います」
「では申しますが、私は出府するまえに松山どのと会いました、茂庭主水もんどどのが訪ねて来られ、船岡どのが非常に困難な立場におられること、一命を賭けての大事を独りで負われている、ということをうちあけてくれたのです」
「主水どのはお若いから」と甲斐は微笑した、両の頬に刻んだような皺がより、唇のあいだから僅かに、白い歯がのぞいた、「私のつまらぬ意見を勘ちがいして聞かれたのでしょう、私は亡き周防と親しかったので、侍の奉公はみな一命をするものだ、ということを、年役としやくとして話したまでのことです」
 志摩は唇をみ、やや怒りのこもった眼で甲斐を見た、「原田どのは私を、信ずるに足らぬと思っているのですね」
 甲斐は穏やかに志摩を見返した。
 ――こなたはいかがですか。
 そう訊いてみたかった。志摩はみずから、茂庭主水の話しを聞くまで、誤解にもとづく非難を不審とは思わなかった、と云った。では、主水の話しを聞かないとしたらどうだ、と甲斐は心の中で問いかけた。もちろん、彼はそんなようすはけぶりにもみせず、穏やかな、なだめるような調子で云った。
「そういうお言葉には当惑するばかりですが、私が非難されているとすれば、それは私自身の責任で、信ずるにせよ信ぜぬにせよ、古内どのの御心配にあずかることではございません、御厚意は有難いがどうぞおすておき下さい」
 志摩は暫く黙っていて、やがて気ぬけのしたように云った、「私にできることがあるなら、幾らかでもお力になりたいと思ったのだが、それではやむを得ません、念のために一つだけお耳にいれておきます」
 甲斐は僅かに一揖いちゆうした。
「板倉侯の口ぶりでは」と志摩は低い声で云った、「この二十五日か六日に、老中評定がおこなわれるであろう、ということでした、――板倉侯が月番老中だということを、お忘れなきように」
 そして志摩は別れを告げた。
 喜兵衛の帰りは待てない、と甲斐は思った。月番老中が云ったとすれば、老中評定が二十五日か六日におこなわれる、ということは間違いないだろう。そのまえになにか手を打たなければならない、と甲斐は思った。――寝所にはいってからも、なかなか眠ることができず、手を打つべき相手と、その口上について考え続けた。そうして、やがてまどろんだかと思うじぶんに、呼び起こす声を聞いて甲斐は眼をさました。襖の向うの声は堀内惣左衛門であった。甲斐は起き直りながら、はいれと云った。惣左衛門は襖をあけて、村山喜兵衛が戻りましたと云った。
「会おう、これへよこせ」と甲斐は云った、「いまなんどきごろだ」
「七つ半(午前五時)でございます」
「よし、喜兵衛をよこせ」惣左衛門は出ていった。
 甲斐は時刻の経っているのに驚いた。ほんのちょっとまどろんだばかりと思ったのに、外はもう夜が明けていたのである。疲れているのだ、気力が衰えているのだ、そう思いながら、甲斐は両手で顔をこすった。喜兵衛はすぐに来た。旅装ではなく、常着つねぎはかまをつけ、月代さかやきひげっていた。
「挨拶はいい」と甲斐は夜具の上に坐ったままで云った、「まず用件を聞こう」
「不首尾でございました」と云って、喜兵衛は頭を垂れた。
「そうか」と甲斐は頷いた。
「京では十二日滞在致し、毎日、院の別当へ懇願にかよったうえ、ようやく門院さまにおめどおりがかない、御書状を差上げたうえ、仰せつけのとおり、お願い申したのですが」喜兵衛はいっそう低く頭を垂れた、「――禁中ではさきごろから、御料(皇室予算)について幕府と交渉しているおりでもあり、かように機微な問題には触れたくない、との仰せでございました」
 甲斐は口をひきむすび、ながいことしんと沈黙した。それは、事が不首尾に終ったことを残念に思うのではなく、事実をはっきりと、自分の胸にたたみこもうとするようにみえた。
「わかった、御苦労であった」とやがて甲斐は眼をあげて云った、「さぞ疲れたであろう、こちらへいつ着いた」
 喜兵衛は初めて両手を突いた、「せっかく仰せつけられながらお役に立たず、まことに申し訳がございません」
「おまえに責任はない、そのことは忘れろ」と甲斐が云った、「――御助言は欲しかったが、実際に当ってどれほど役立つという目安はなかった、拒まれたほうが、かえって思いきりがついてよかったかもしれない、ただこのことは、決して他にもれないようにしてくれ」
 喜兵衛はふところ紙で顔をぬぐった。
 江戸へ着いたのはいつだ、と甲斐が訊いた。昨夜おそく品川へ着きました、と喜兵衛が答えた。品川で宿を取り、今朝は未明に起きて本邸へ戻りましたところ、通用口があいておりました。うん、涌谷さまの出府で多用だから、門の通行は、平常より時刻が延びているのだ、と甲斐が云った。
「旅戻りにしては」と甲斐は微笑しながら喜兵衛を見た、「たいそうさっぱりとしているようだな」
「あまりむさ苦しゅうございますので、宿で剃刀かみそりを当ててまいりました」
「さがって休め」と甲斐が云った、「疲れのとれるまで保養するがいい、――それから、惣左衛門に来いと云ってくれ」
 喜兵衛は出てゆき、まもなく惣左衛門が来た。甲斐は、「雁屋かりやへ使いをやれ」いそぐぞと云って、用件を告げ、惣左衛門が去ると、立ちあがって寝間から出た。
 日本橋から雁屋信助が来たとき、甲斐は出仕していたので、信助は惣左衛門と暫く話したのち、持って来た箱包みを置いて帰った。二人の話しは「老中評定」について、世間のうわさが甲斐に不利であること。安芸と甲斐とが対立していて、老中はじめ大名諸侯までが、安芸の立場を擁護し、甲斐を一ノ関の与党として、非難していること。この「評定」を、はたして甲斐が無事に切りぬけられるかどうか、ということなどであった。
「堀内さまのお考えはいかがですか」と信助は繰り返し訊いた、「取り返しのつかぬようなことになるおそれはございませんか」
 惣左衛門には返辞のしようがなかった。彼はこれまで甲斐のして来たこと、これからなにをしようとするかということを知っていた。しかしそれは極秘であって、涌谷と亡き松山(茂庭周防)その子主水もんどのほかには、この原田家でも側近の数人しか知ってはいない。外部では信助がもっとも古くから信頼されているが、問題の焦点が家中の紛争ではなく、大藩取潰しを策謀している酒井忠清との対決にあるので、その事情を語ることは絶対に許されなかった。
 ――いかなる真実も、人の口に伝われば必ず歪められてしまう。
 甲斐はつねにそれを戒めて来た。大藩取潰しの策は、亡き松平信綱から酒井忠清が受け継いだものと甲斐はみている。だが、策謀が忠清ひとりの胸にあるのか、または閣老ぜんたいが承認しているものか、という点はまったく推察がつかない。したがってこの事情がもれた場合内外にどんな騒ぎが起こるかもわからないし、その騒ぎがどういうかたちであらわれるにせよ、その結果が幕府を利することは明らかであった。
「ついさきごろのことですが」と信助は云った、「湯島のことはくれぐれも頼む、と仰しゃいました、まえにも二度ばかりそう仰しゃったことがあります、私には実の妹とめいですから、仰せがなくとも捨ててはおきません、けれども、同じことを二度繰り返して仰しゃるなどというためしは、これまでの御前には決してなかったことです、それが私にはなにより気掛りなのです」
「私にもどう答えてよいかわからない」と惣左衛門は云った、「お側にいながらなんのお役に立つこともできず、ただ御無事であるようにと祈るほかはないのだ」
「もし私でかなうことなら、どんなことでもお受け申します」と帰るときに信助は云った、「どうぞ御前へ、お申しつけを待っております、と申上げて下さい」
 惣左衛門は黙って辞儀を返した。


 甲斐はその日の午後七時ごろ、西丸下にある久世大和守くぜやまとのかみ広之ひろゆきの屋敷へゆき、八十島主計やそしまかずえとなのって、大和守に面会を求めた。取次の者が二人まで替り、玄関でまた中年の侍が応対に出た。老中を勤める諸侯では、不意の訪問客もさしてまれではない。その侍も疑うというより念を押すように、こちらの身分と用件を訊いた。
葡萄牙ポルトガルと申す国の珍らしい酒が手にはいりましたので」と甲斐は慇懃いんぎんに答えた、「大和守さまに召し上っていただきたく、案内なしに参上つかまつりました、身分は浪人、湯島辺に住む八十島とお取次ぎ下されば、御存じの筈でございます」
 その侍は奥へ去った。
 大和守はその名を覚えている筈だ。かつて酒井邸でいっしょになったとき、雅楽頭うたのかみがその名を出し、手きびしく甲斐に当った。盃を投げつけるという乱暴を、眼の前で見ていたから、八十島主計と原田甲斐をむすびつけて思いだすのは、ごく単純なことだと思った。――はたして、戻って来た侍は態度も鄭重ていちょうになり、甲斐を奥へ案内した。接待でほんの僅か待つあいだに、甲斐は持って来た包みを解いて、桐の箱を二つそこへ出した。大きいほうは五寸角に長さ一尺余り、小さいほうは七寸角で深さ五寸ほどあった。
 まもなく、四十年配の肥えた侍があらわれ、当屋敷の家老、亀谷清左衛門であるとなのった。甲斐は二つの箱をあけて、亀谷に見せた。片方には陶製の珍らしい形をした酒壜さかびん。片方には水晶のように透明なギヤマンの、足付き洋杯が五箇はいっていた。甲斐は酒が葡萄牙の葡萄酒で、甘味のあるものだから大和守の口に合うだろうこと、それを飲むための洋杯は、伊太利イタリーのものだということを説明した。亀谷は礼を述べて受取り、「では御前へ」と云って立ちあがった。案内されたのは、休息の間とみえる十じょうで、上段はなく、畳廊下に沿って縁側があり、その向うに庭の一部が眺められた。――床間にはなにがし禅師の書の軸が懸けてあるだけ、襖も銀鼠の無地で、飾りらしい道具はなにもなく、いかにも簡素な、おちついた座敷であった。大和守は小姓を一人れただけで出て来た。髪が白くなっただけで、あのころと殆んど風貌が変らず、六十一歳という年よりはるかに若くみえた。
 大和守が設けの座につくと、亀谷清左衛門が披露しようとした。大和守はそれを遮り、よしわかっていると云って、甲斐を見た。
「久びさの対面だな、原田」
「おそれながら」と甲斐が云った、「お取次まで申上げましたとおり、私は八十島主計と申す浪人者でございます」
 大和守は微笑した。すると、眼尻と唇の脇に皺がより、それが年だけの老いを証明するかのようにみえた。
「そうであった」と大和守は云った、「うん、いつぞやどこかで会ったことがある、いやたしかに、たびたび会ったことがあると思うが、今日はまたなんの用があってまいったのか」
いささか珍らしい物が手にはいりましたので、お笑いぐさに献上かたがた、世間ばなしなどお耳にいれたいと存じまして」
「世間ばなし」
「御身分高き方がたには思いもよらぬような、桁外けたはずれな話しが世間にはいろいろとございます、お骨休めにもなればと存じまして、二三御披露つかまつりたいのですが」
「よかろう、が、まず土産を見ようかな」
 亀谷が立っていった。そしてすぐに、二つの箱をのせた蒔絵まきえの台を、若侍に持たせて戻り、座敷へはいると自分が持って、大和守の前へ進み出た。清左衛門が箱の蓋をあけ、甲斐がもういちど説明し、よろしければ自分が毒見をするから、一と口召し上ってはどうかと云った。大和守は興をそそられたとみえ、味わってみようと云った。そこで甲斐は洋杯と酒壜を受取り、一杯注いで飲んだ。酒は透明な赤い色をしていて、杯に注ぐとこくのある芳香を放った。そのあいだに亀谷が、廊下に控えている(その箱を持って来た)若侍を呼びいれた。おそらく毒見をさせるためだろう、しかし大和守はそれを制して、自分も飲んでみようと云った。
「おれに毒を盛るような者もあるまい」と大和守は杯を取りながら云った、「また、葡萄牙の美酒をあたら毒見役などに飲まれては惜しい、さあ注いでくれ」
 葡萄酒そのものはさして珍らしくはなかったが、その酒のやわらかくこなれた甘味と、こもったような香りとは、大和守の舌を陶酔させたようであった。
「浪人の身で」と大和守は云った、「かように高価なものが自由になるとは、よほど内福のうえによき手蔓てづるがあることだろうな」
「おそれいります、内福どころか家政は火の車、いまにも所帯じまいをしかねないありさまでございます」
「所帯じまい、――」
「もちろん御存じはございますまい、これは下世話の申す言葉で、家計がゆき詰まり家主に追いたてられまして、一家親子がちりぢりに駆け落ち夜逃げなどをすることでこざいます」
「しかも、かようなものを土産にくれるというのか」
「おそれながら大和守さまは、当代十善人のお一人と世評にかくれもございません」と甲斐は云った、「御威勢なみならぬ厩橋うまやばしさまはじめ、閣老諸侯多きなかにも、この美酒を差上げ、味と香をとくと味わって頂きたいのは、大和守さまごいちにんでこざいます」
 甲斐は両手をひざに置いて、静かに大和守の眼をみつめた。大和守広之はその眼を見返した。甲斐の眼は静かだったが、大和守の視線には、相手の心を読み取ろうとするような、一種の力がこもっていた。
「うん」とやがて大和守は云った、「この酒の味と香りは珍重だ、これを味わいながら話しを聞くとしようか」
「おそれながら、お側衆そばしゅうの耳には聞き苦しいこともあるかと存ぜられますが」
「人払いが所望か」
「私は構いませぬ、けれども、話しの中にはお側から好ましくないと、お差止めの出るようなものもございますので」
 亀谷がせきをした。
「清左衛門、さがっておれ」と大和守が云った、「呼ぶまで来てはならんぞ」
 亀谷はためらったが、大和守は「さがっておれ」といってきかなかった。
 亀谷清左衛門は甲斐を見た。甲斐は差していた脇差をとって、清左衛門に渡し、清左衛門は立って、廊下に控えていた若侍とともに去った。――庭のほうからかすかに風が吹き入って来、燭台しょくだいの火がゆらめいた。甲斐は半ば残っている杯の酒を、火にかざして眺めていたが、その眼をあげてふと、大和守のうしろに佩刀はいとうささげている小姓に向けた。
「聞こう」と大和守が云った。
「まず御覧を願いたいものがございます」と会釈して、甲斐はふところから、奉書に包んだ書状を取出し、小姓に向かって、「これを、御前へ――」と云った。
「それには及ばぬ、そのまま寄れ」と大和守が云った。
 甲斐は膝ですり寄って、その書状を差出したが、大和守が受取るとすぐに、元の座までさがった。
「これはどういうものだ」
「まず御披見を願います」
 大和守は杯を置いて、包んである奉書紙をひらき、中から四つにたたんだ書状を出した。そうして、燭台のほうへ向けて、書状を眼からやや遠ざけながら読んだ。甲斐の眼はするどくなり、大和守の表情の、どんな変化もみのがすまいとするように、じっと眸子ひとみを凝らしていた。――大和守の顔はゆっくりと硬ばってゆき、下唇がさがった。書状を見る眼は動かなくなり、その表情には激しい驚きと、おびえたような色があらわれた。
 大和守はその書状を、急に両手でぴたりと合わせた。その文面を自分の眼から隠そうとするような動作で、強く合わせた両手にはさまれて、紙の音が高く聞えた。
「それは写しだということです」と甲斐がものやわらかに云った、「実の証文はべつにあるとのことですが、その文面に御記憶はございませんでしょうか」
 大和守は書状を下へ置き、懐紙を出して唾を吐いた。そして、その紙を小姓のほうへ投げると、きっとした眼で甲斐を見た。
「おれに覚えがあるとはどういうことだ」
「これは世間ばなしでございますが」と甲斐が云った、「ただいまから数えて十年ほどまえの夏、小石川でさる大名の堀普請がございました。そのとき普請奉行を勤めていました者が、公儀お側衆であられた某侯からひそかに召され、いま御覧にいれました証文と同じ意味のことを告げられたうえ、――一家一門にもこころゆるせぬ者がいる、よくよく用心をせよと注意されたと申すことです」
 大和守がなにか云おうとしたが、甲斐はごく穏やかに、そのまま言葉を続けた。
「もちろん、将軍家御側衆であられた某侯は、ただ御好意から忠告されたことでしょう、その普請奉行はじめ、主家のお為をおもう家臣どもは深く感銘し、御注意に添って家中の安定につとめました、けれども、その証文のぬしである一人は、おのれの職権を悪用して、人を煽動せんどうし、無法に事を起こし、ついには公儀の御裁決を受けなければならぬ、という状態にまでたち到りました」
「さてこの世間ばなしをよく考えてみますと」甲斐は片手をゆらりと振った。その手には杯を持っていて、残っている赤い酒が、杯の中でこぼれそうに揺れた、「――その証文は三十万石分与ということが目的ではなく、さる大名の家中を紛争におとしいれて公儀の御評定にかけ、仕置かた不取締りという御裁決で、六十万石改易にもってゆく」
「待て原田、待て」と大和守が云った。
 甲斐は低頭して、「八十島主計でございます」と微笑した。
「いまの一言、ゆるがせならぬことだぞ」と大和守は云った、「たとえ世間ばなしにことよせたにせよ、六十万石改易が真の目的であったとは、酒井侯ばかりでなく幕府ぜんたいを誹謗ひぼうするものだ」
「ではうかがいます、その証文はどういう意味でございましょうか」甲斐は杯を置いて、静かに大和守を見まもった、「十年以前、御側衆であられた某侯が、ひそかに同じ趣意の忠告を与えられました、僕は三十万石分与という密約のあることを知って忠告をなされた、もちろんその証文の他のお一人は、天下に並ぶものなき御威勢のある方です、しかし、――いかに御威勢並ぶものなき方でも、六十万石を分割し、御自分の縁辺えんぺんに当る者に三十万石を分与する、などということができるものでしょうか」
 大和守は屹と歯を噛みしめた。すると両の頬の筋肉が動き、唇が白くなった。
「改めてうかがいます」甲斐は低く静かに云った、「いまでも某侯は、三十万石分与の密約がはたされるとお考えでしょうか」
 大和守は呼吸を荒くし、暫くなにも云わなかったが、やがて振返ると、小姓に向かって、「さがっておれ」と云い、佩刀を取って脇に置いた。小姓は入側いりがわから去った。大和守は両手を膝にして、やや仰向きになりながら、眼をつむった。
「存念を申せ」と眼をつむったままで大和守が云った、「遠慮はいらぬ、言葉を飾る必要もない、云いたいだけのことを存分に云え」
 甲斐は座をすべって、両手を突いた。
「川越の侍従(松平信綱)が亡くなられたのは万治二年でございました」と甲斐はささやくように云った、「そのとき厩橋侯は御老中、――待従の御意志を継ぐにはもっとも適したお人柄です」
 大和守は唾をのんだ、「仙台六十万石の取潰しが成功すれば、加賀、薩摩さつまにも手を付けることができるでしょう」甲斐はそこで叫ぶように囁いた、「――その証文は六十万石改易にかけられたわなです、その罠は目的どおりにはたらき、老中御評定は目前に迫っております、私どもはこういう事態にならぬよう、忍耐のうえにも忍耐してまいりました、罪なくして罰せられる者、無法に刑殺される者、闇討ち、置毒ちどく――、幾十人となく血をながしたおれてゆくさまを、ただ主家大切という一義のために耐え忍んでまいったのです、しかしそのかいもなく、老中御評定ということになりました、それも数日うちにとうけたまわりました」
 甲斐はそこで言葉を切った。たかぶってくる感情をしずめるためだろう、両手を突いたまま、暫く息をととのえていたが、やがて躯を起こし、両手をそっと膝に置いた。
「御評定の裁決によっては、一門一家諸たてを合わせて、八千余に及ぶ人数が郷土を追われ家を失い、生きる方途に迷わなければなりません」甲斐は殆んど眠たそうな眼つきで、大和守を見た、「――おそれながら大和守さまは、十年まえ、伊達家のために御好意をお示し下さいました、このたびの御評定にも、また御好意を願えると信じてよろしゅうございましょうか、それともこのたびは、かないませんでしょうか」
 甲斐はぴたっと口をつぐんだ。まるで弾じていた琴のいとが切れでもしたように、言葉の中途でぴたりと口をつぐみ、そのままじっと大和守の眼をみつめた。大和守は写しの証文をひろげ、皺をのばして、緩慢な動作で元のように、それを四つにたたんだ。
「評定は二十七日、――」と大和守は甲斐を見ずに云った、「月番の板倉邸で開かれる筈だ、そのとき、この証文の実のほうを持って来ることができるか」
「そのほうがよろしければ」
「実のものに紛れはあるまいな」
「御助力が願えるのですか」
「わからぬ、いまはなんと云いようもない」と大和守は自制するように云った、「だがおれにできることはやってみよう、いま思い返すと」そこで急に声をおとした、「――万治のおりに忠告したということは、おれ自身、知らずして一と役買ったという結果になるかもしれない、むろん、幕府にそんな意図がある筈はなし、ここで六十万石を取潰すなどということができるわけもないが、またそのほうの懸念にも一理はあるようだ」
「御助力が願えるのですか」
「評定の席で会おう」と云って大和守は、誰ぞいるか、と呼びかけ、小姓が来ると佩刀を持たせて立ちあがった。甲斐はまだ見あげてい、大和守は振返って、甲斐の眼をみつめた、「――世間ばなしは面白かった、土産の酒もたのしみにしよう、またまいれ」
 甲斐は静かに両手を突いた。

断章(十五)


不味まずい、この酒はなんだ、不味いぞ」
 ――ただいま、ただいますぐに。
「内膳はまだか、只野はまだ帰らないのか」
 ――もはや戻るじぶんでございます、どうぞいま暫く。
 ――申上げます。
「助左か、なんだ」
 ――津田玄蕃どのがおめどおりを願っております。
「よし、とおせ」
「ずっと寄れ、玄蕃、辞儀は無用だ、ずっと寄れ、一つ遣わそう」
 ――頂戴するまえに申上げたいことがございます。
「聞こう、なんだ」
 ――おそれながら、お人払いを。
「構わぬ、隼人に隠すことはない、遠慮なく申せ」
 ――老中評定の日取が決まりました。
「いつだ」
 ――明後二十七日、月番老中板倉侯の屋敷でございます。
「列座の顔ぶれは」
 ――老中は酒井侯はじめ、久世侯、土屋侯、板倉侯、稲葉侯、申次もうしつぎとして町奉行の島田出雲守、作事さくじ奉行の大井新右衛門、大目付は大岡佐渡守、目付は宮崎助右衛門、以上の由にございます。
「召されるのは誰と誰だ」
 ――涌谷さま、柴田外記、原田甲斐、古内志摩の四名に、聞役は蜂谷六左衛門でございます。
「うん、それで」
 ――初めに涌谷さまは境論をもちだし、続いて家中の政治紊乱ぶんらんを訴えられるとのことです。
「老中はどう扱うようすだ」
 ――板倉侯が涌谷さまを召されましたとき、涌谷さまは陸奥守お為筋について述べるよう、また、原田甲斐は一ノ関さまについて弁護するがよかろう、との内意をもらされたとうかがいました。
「原田におれの弁護だと」
 ――そのように承知いたしました。
「すると、政治問題はとりあげられるのだな、うん、原田か、悪くはあるまい、原田なら悪くはあるまい、うん、隼人」
 ――はっ。
「原田を呼びにやれ、いそぐぞ」
 ――お待ち下さい、それは御無用かと存じます。
「どうして無用だ」
 ――船岡はいま家中からにらまれており、いかなる動静もその注目から※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがれることはできません、また、一ノ関さまについてどう陳弁するかは、船岡がよく心得ていると存じます。
「玄蕃はそう思うか」
 ――私のみならず家中一般、世上のうわさにまで明らかでございます。
「うん、それはおれも聞いている」
 ――おそれながら、万々一にも一ノ関さまが非分となれば、すなわち船岡の破滅でございます、お召しになれば家中の疑惑を招くばかり、ここは船岡にお任せあそばすほうがお為であろうと存じます。
「わかった、ではそうするとしようが、念のため玄蕃から原田に伝えてくれ」
 ――かしこまりました。
「おれが原田を頼みにしておる、いや待て、うん、隼人、酌をしろ」
 ――ただいま酒が替わります。
「それには及ばぬ、注げ」
「うん、玄蕃、こうだ、おれは原田がぬかりなくやるだろう、と安堵あんどしている、そう申し伝えてくれ」
 ――承知つかまつりました。
「それだけか」
 ――会津の中将(保科正之)さまが、このたびの件につきまして。
「ああたくさんだ、そのうわさは聞いている、保科侯は厩橋侯をねたんでいるのだ、厩橋侯が大老となり、下馬将軍とまでいわれて、天下第一の威勢を張っておられるのが気にいらぬのだ、なに会津の中将どのがいかに歯がみをしても、将軍家でさえ遠慮をなさるほどの厩橋侯に、盾を突くことなどができるものではない、そんな噂は気にかけるな」
 ――それをうかがって心丈夫になりました。
「盃をやろう、一つまいれ」
 ――申上げます。
「助左か、なんだ」
 ――只野内膳がたち戻りました。
「待ちかねた、すぐに呼べ」
 ――私はこれでおいとまを頂きます。
「うん、よく来てくれた玄蕃、落着したらゆっくり祝宴を張ろうぞ」
 ――御首尾よろしく。
「大儀であった」
 ――内膳ただいま戻りました。
「おそいぞ、内膳、おそいぞ、もはや三刻にもなるではないか、なにをしていた」
 ――おそれながら、どうしてもおめどおりがかなわなかったのです。
「めどおりが、かなわぬと」
 ――言葉を尽して願ったのですが。
「ばかな、ばかな、そんなばかな話しがあるか、三度も五たびも伺ったうえ、今日なら会おうと云われた筈ではないか」
 ――仰せのとおりでございます。
「そのほうが聞いて来たのだぞ」
 ――御意のとおりでございます。
「おれはこんど出府して以来、酒井侯とはまだいちども会う機会がなかった、しかし涌谷の訴訟が切迫しているいま、どうしてもいちど対面しなければならない、それは酒井侯にとっても必要であろうし、今日は会って都合の打合せがある筈だった」
 ――御意のとおりでございます。
「それで会わぬということがあるか、内膳、そのほう紛らわしい口をきいたのではないか」
 ――私は松平内記どのに会いました。
「酒井家の老職だな」
 ――私は内記どのに面識がございます、内記どのの次には、関主税ちからどのとも会いました、もちろん、二人とも私の身分と用向きをよく承知しておられ、紛らわしいような点は少しもございませんでした。
「それでもなお、侯は会われなかったのか」
 ――関主税どのが申されますには。
「どうした、主税がなんと云った」
 ――関どのが申されますには、このたびの老中評定が決着するまでは、おめどおりはかなうまい、とのことでございました。
「それは間違いだ、それは酒井侯の意志ではない、それは間違っている、側近の者たちがなにか思い違えているのだ」
 ――私は二刻半ちかくも待つあいだ、内記どのや関どののようすを見ておりましたが、どうやらこれまでとは事情が変ってきたようにみうけられました。
「なにが変った、なにがどう変ったというのだ」
 ――これがかようと、確たる例はあげられませんが、接待のしかたもこれまでとは格段に下がり、一と言で申せば、殆んど邪魔者扱いでございました。
「きさまのひがみだ、ははは、聞いたか隼人、内膳は年甲斐としがいもなく僻んでいるぞ、酒が不味まずい、女どもを呼べ、いや待て、まあ待て、もっと寄れ内膳、いまは大事なときだぞ、いいか、涌谷の訴訟はおれがめあてだ、いいか、もしもおれが、万一にもこのおれが罪に問われるとすれば、酒井侯も無事では済まぬ、酒井侯とおれには契約があり、互いに証文まで取り交わしているのだ、おれが問罪されるような場合には、その累は必ず酒井侯にも及ぶだろう、侯はそれを知っている、侯がそれを忘れる筈は断じてない、にもかかわらずおれを邪魔にするというのか」
 ――おそれながら私は、おのれの見たところを正直に申上げるよりほかはございません。
 ――隼人より申上げます。
「おれの云うことに誤りはあるまい、隼人、内膳は勘違いをしておる、僻んでいるのだと云ってやれ」
 ――私からも申上げます、内膳は勘違いもせず僻んでもおりません。
「なに、内膳がどうしたと」
 ――酒井邸のようすは変りました、涌谷さま御出府以来、酒井邸の応対ぶりはまことによそよそしく、月例の御挨拶にあがりましても、老職に会うことさえまれになっているようなしだいです。
「隼人までがそんなことを申すのか」
「隼人、それは事実か」
「もういちど訊くぞ隼人、いま申したことに間違いはないか」
 ――ああ殿、さようなことを。
「構うな、ええ構うな」
 ――殿、いかがあそばします。
「おれは酒井侯に会って来る、きさまたちではらちがあかぬ、おれは酒井侯に会って御所存のほどを聞いて来る」
 ――殿、暫くお待ち下さい、それはもはや無用かと存じます。
「なにが無用だ、きさまたちはなにも知らぬだろう、おれがいま酒井侯を必要とするように、侯にとってもおれは必要な人間だ、それを知らぬからきさまたちはうろたえたことを云っている、きさまたちは役に立たぬ、おれがじきじきに会って来る」
 ――お待ち下さい、殿。
 ――殿、お待ち下さい。
「放せ、おれは酒井侯に会うのだ」
 ――それはお考え違いでございます、それだけはどうぞ御無用に願います。
「放せというに、おのれ」
 ――あっ、殿。
 ――殿、暫く、暫くどうぞ。
「供の支度をしろ、馬でゆくぞ」

断琴断歌


 寛文十一年三月二十七日。
 伊達家の麻布屋敷にいた伊達安芸あきは、早朝に起きて沐浴もくよくし、白の下襲したがさねを着て朝食のぜんに向かうと、涌谷わくやから供をして来た家従たち、老臣から小姓頭などに、盃を廻した。膳部は安芸みずからの献立によるもので、まえの夜から膳番に支度が命ぜられ、二じゅう七菜に酒二こんであった。次に、安芸は熨斗目麻裃のしめあさがみしもを着け、出陣の熨斗を取って祝ったあと、玄関の式台前でまた酒肴を出し、留守の者から供をする小姓、かちの者たちにまで盃を与えた。

 同じとき、本邸にある原田家では、朝食を終った甲斐が、居間でおくみの手紙を読んでいた。それは使いの者が、開門を待っていて届けたもので、四五日まえから風邪ぎみで寝ていたかよが、ゆうべ医者から麻疹はしかだといわれたこと、当分は部屋を閉めきり、屏風びょうぶを廻して、風に当てないようにしなければならないこと。当人は聞きわけがよく、だだをこねるようなこともないが、見ている自分にはそれがかえっていじらしいなどということが書いてあった。
 ――大事なときだからお暇もあるまいが、少しでもいとまができたら来ていただきたい、口ではなにも云わないが、かよもあなたを恋しがっているようである。
 おくみはそう書いたあとで、こんなことを書くのは恥ずかしいがと断わって、次のように続けていた。
 ――一昨夜うれしい夢を見た。夜なかに表てを叩く音がするのに、誰も出るようすがない。しかたがないので自分で起きてゆき、雨戸をあけてみるとあなたが立っていた。あなたは衣冠束帯で手にしゃくを持ち、からだぜんたいから金色の光を放っていた。あたしはあまりの尊さにはっと頭をさげたところ、自分がまる裸でいる事に気がついた。そのうえおかしなことに、からだの前とうしろの恥ずかしいところがいっしょになって眼に見える。あたしは両手でけんめいにそれを隠しながら、走って寝間へ駆けこんだ。すると、表てにいる筈のあなたが、いつのまにかもう寝間に来ていて、白い寝衣になり、髪を解いている、あたしはおかしいなと思った。殿がたでも寝るときは髪を解くものかしら、そんなことを思っていると、あなたが振返って、こちらへおいでと、両手を静かにさしのべた。
 それからあとのことは書けないけれども、眼がさめてからも、あなたのおからだの温かい肌ざわりや、やさしくあやされたお手の感じがありありと残っていて、召使たちに顔を見られるのも恥ずかしいくらいであった。つまらないことをとお笑いになるかもしれないが、あたしにはこの夢が幸運の前兆のように思える。あなたが衣冠束帯で、金色の光に包まれていたのは、こんどの事が首尾よくおさまって、あなたがひじょうな栄達をなさる、という夢知らせだと思う。
 そして手紙は、かよともども、一日も早くおいで下さるように待っている、とむすんであった。
 読み終った甲斐は、夢の中で自分が衣冠束帯を着けていた、というところを、放心したような眼で見まもった。衣冠束帯に笏を持って、金色の光に包まれていた。おくみはそれを幸運の前兆だという。夢などはたあいのないもので、なにか意味があろうなどとは考えたこともないが、いまの甲斐はふしぎとその箇所にひきつけられたし、おくみの云うとおり、今日の評定ですべてが好転するかもしれない、という気持さえ感じられた。
 ――そんなことを頼る事はみれんだが、しかし今日だけはそうあってもらいたい。
 甲斐はなにかに祈りでもするように、ひろげたままの手紙を持った手を膝に置いて、頭を垂れながら眼をつむった。

 麻布屋敷では、安芸の住居の玄関さきで、祝いの盃がようやく終り、安芸が立ちあがった。供をする者たちは列をなしてつくばい、留守の者は式台からそのうしろに平伏した。安芸は振返って、式台にいる亘理蔵人わたりくらんどを見、千葉三郎兵衛を見た。千葉は江戸における家老で、まえの夜この麻布へ来たものであった。――安芸宗重は五十七歳であるが、早くから老けていたわりに、いまでは却って若わかしくみえる。小柄なせたからだつきだが、日にやけた膚はよくひき緊り、高い頬骨のあたりは精力的に艶つやとしていた。
「蔵人、三郎兵衛」と安芸は二人をみつめながら云った、「――おれはやがて、帰るぞ」
 必ず帰って来る、だが生きて帰るか、死んで帰るかはわからぬ。さらばだという意味が、その短い言葉の中に脈をっているように感じられた。蔵人は両手を突いたまま見あげてい、三郎兵衛は式台へ額をすりつけるように平伏した。安芸は向き直って、しっかりと歩きだした。

 ほぼ同じころ、下馬さきの酒井邸では、常着のままの雅楽頭うたのかみが、ただひとり客間に坐って、宙をにらんでいた。彼はまえよりも肥えているが、重みと威厳の加わった相貌のためだろう、ぜんたいがひとまわりも大きくなったようにみえる。年は四十八歳。濃い眉とするどい双眸そうぼうに、いま烈しい怒りがあらわれてい、脂肪のにじみ出る頬は赤く染っていた。
 雅楽頭はふところ紙を出し、額から両の頬、あごのまわりを押しぬぐった。紙はあぶらを吸って汚点になり、彼は三度それを繰り返した。
「原田甲斐め」と雅楽頭はつぶやいた、「――甲斐め、やはりしれ者だったな」
 すると彼の頬がいっそう赤くなった。
 久世大和守が帰ってから、半ときほど経ったが、彼の耳にはまだ大和守の声が残っていた。寛文六年、大老になって以来、幕府の第一人者として、彼は思うままに生きて来た。人に意見されたこともなかったし、まして頭を押えられるとか、譲歩させられるなどということは一度もなかった。世間では彼を「下馬将軍」と呼び、将軍家綱でさえ彼を押えることはできない、といわれていた。だが、彼はいま面上へするどい一撃をくった。それはまったく予想もしない一撃であり、骨に徹するものであった。
 ――ことにあの証文。
 一ノ関の兵部宗勝ひょうぶむねかつと取り交わした証文が、甲斐の手ににぎられているという。雅楽頭はすっかり忘れていた。兵部との約束も忘れていたし、証文の取り交わしなどということは、初めから気にかけてさえいなかった。兵部にせがまれたのでやむなく書いただけで、そんなものが問題になろうとは考えたこともなかった。しかしそれがいま、彼の鼻先へつきつけられたのだ。
 ――兵部の手から出たな。
 そう思ったが、念のためしらべさせると、彼自身のものが紛失していた。ほかにしまい忘れることはない。あの証文は彼の寝所に付属した納戸なんどの、その文庫にしまったのだ。その文庫にしまった記憶に誤りはない。にもかかわらず、その文庫の中から、その証文だけが無くなっていた。
 ――なに者が、いつ、どうして。
 その納戸は寝所の隣りで、男たちの出入りすることはない。係りの老女か、彼と寝間をともにする女のほかに、その納戸へはいったり、文庫の中を捜したりすることのできる者はなかった。
 ――どの女だ、いつのことだ。
 雅楽頭は女たちを思いだそうとしたが、むだだということにすぐ気がついた。側室ときまっている者をべつにすると、かすかに覚えている女だけでも二三にすぎない。その夜そのときの気まぐれに、寝所へれこんだ侍女は少なくなかった。一夜きりの者もいるし、二夜、三夜続いた者もある。それらの中にはいまでも勤めている者があるだろう、だがいとまを取って去った者もあるに違いない。
「むだだ」と雅楽頭は呟いた、「証文が彼の手にはいっているのに、女の詮議せんぎをしてなんのたしになるか」
 問題は甲斐の手に証文がにぎられているということだ。それは、兵部と自分のあいだにあるうちは反故ほごも同然であった。けれども甲斐の手に渡り、その裏にある意図をみぬかれたとすると、反故どころではなく重大な意味をもってくる。しれ者め、と雅楽頭は歯をくいしめ、急に荒あらしく立ちあがった。
「憎いやつだ」と立ったまま雅楽頭は呟いた、「憎いやつだ、この日を前にして、人もあろうに大和守のふところへとびこむとは、――久世大和守、あの君子ぶったじじいめ、うん」
 雅楽頭はまた懐紙を出して顔を拭いた。それを繰り返し、拭いた紙はまるめて捨てながら客間の中をったり来たりした。血色のいい唇をひき緊め怒りの眼で向うを見ながら、足音荒く、磨きあげた床板を踏みしめ踏みしめ、三歩いっては戻り、五歩いっては戻りした。彼の怒りは少しも弱まらなかった。頭の奥にひそんでいた記憶は、時が経つにつれてはっきりとその形をあらわし、現実よりもなまなましく、はるかに誇張されて、彼の自尊心を刺戟しげきした。
 ――湯島でいちど、この屋敷でいちど。
 二度の対面で、原田甲斐は二度とも彼を翻弄ほんろうした。
 ――おれはあいつの正体が見たかった。
 あいつの化けの皮をいでやりたかった、と雅楽頭は思った。だが、結果は二度ともおれの敗北に終った。甲斐は身分の差だけ肩腰を折ってみせたが、背骨は曲げなかったし、はらの中は微動もしていなかった。あのときすでに、そうだ、湯島で会ったときすでに、あいつはおれの胸の中を知っていたのだ。
「事は割れた」と雅楽頭は呟いた、「久世大和守は黙って見てはおるまい、彼は自分にも責任の一半があると考えている、伊達の老臣どもはもちろん、覚悟をきめているだろう」
 彼は荒い足音をさせて立停った。
「今日の評定では、境論から始めて、家中仕置の政治問題をもちだすという」と呟いて、雅楽頭は眼をあげた、「――いざとなれば、甲斐はあの証文を差出すだろう、むろん、老臣どもと了解のうえだ」
 事が割れたことはたしかだ、と彼は立停ったままで思った。いま自分には敵が多い、将軍補佐役の保科(正之)も板倉内膳重矩しげのりもおれの失脚を望んでいる。久世大和は清直居士せいちょくこじというだけで、現にここへねじ込んで来たくらいだ。
 ――これでは六十万石に手をつけることはできない。
 いまはもっとも情勢の悪いときだ、と彼は思った。おれにとって、もっとも情勢の不利なときに問題が起こった。
「慥かに、事は割れた」と雅楽頭は自分に向かって呟いた。
「いまはだめだ、いま強行すればおれの手を焼くだけだ、いや待て、本当にだめか、一ノ関の欲張りはかなりうまくやった、伊達家の内紛はここまでもりあがった、かれらのほうから老中の裁決を乞うて来ている、すっかり膳立はできている、これでも不可能か、これでもおれの手を焼くだけか」
 雅楽頭はきっと脇のほうを見た。
 ――あの証文を忘れるな。
 そういう声が、脇のほうで聞えたように思ったのだ。うん、と彼はかすかにうめいた。伊達家中の内紛は、あの一枚の証文、すなわち、「三十万石を分与する」という、兵部宗勝との密約から始まっている。伊達安芸、原田甲斐らはその事実を明らかにするだろう、評定の席で、少なくとも甲斐はやってのけるに相違ない。彼はそこまで考えてきて、また大股おおまたに歩きだし、その足の下で床板が荒あらしく鳴った。
「事は割れた」とまた雅楽頭は呟いた、「時期を延ばそう、いまはだめだ、いまは不利だということは慥かだ」
 彼は三歩ゆき、五歩戻った。徳川氏万代のために、仙台、加賀、薩摩の三雄藩は邪魔だ。北方と中部と南方に、これら雄藩が安泰にすわっているということは、幕府将来のためになにより好ましくない。これは躯に三つのがんを持っているようなものだ。このままにしておいては、必ずどれかが命取りになる。たとえば取潰すことが無理なら、分割して力を弱める策だけはとらなければならない。
 ――おれの手でそれをやってみせる。
 おれのほかにそれをやる者はいない。きっとおれのこの手でやってみせる。こう思いながら、彼は自分の右の手を見、柔らかな、色の白い、そして太った手をひろげ、それから、なにかをつかむように、静かに、しっかりとその指を握りしめた。彼はまた立停り、右手のこぶしで左の掌を強く打った。
「よし、網を解いてやる」と雅楽頭は声に出して云った、「こんどは掛けた網を解いてやる、だがよく聞け、原田甲斐、――網は解いてやるが、きさまに琴は弾かせぬぞ、琴も弾かせぬ、歌もうたわせぬぞ」
 雅楽頭は五拍子ばかり黙って立っていた。それまで頭の中で渦巻いていたものが、しだいに一点へ凝集し、鮮やかなかたちをとるのが感じられた。
「やむを得まい」と彼は放心したように呟いた、「秘策のもれるのを防ぐためには、知っている者をぜんぶやるほかはない、甲斐はその第一だ、彼はそれを知り、六十万石を護った。しかしその代償は払わなければならない、評定の席へ出る者にはみな、その代償を払わせてくれるぞ」
 雅楽頭は歩いていって、元の席に坐り、文台ぶんだいの上のれいを取って鳴らした。そして、懐紙を出してぐいぐいと顔を拭き、それを繰り返したあと、もういちど鈴を鳴らした。

 午前八時。伊達安芸の駕籠かごは八代洲河岸がしに着いた。安芸は陪臣であるが、老年と病弱を名目に、江戸へ着くとすぐ「市中乗物の許し」を得ていた。八代洲河岸の伊達遠江守とおとうみのかみ邸に着くと、小関善左衛門という聞番ききばんの者が接待に出て、原田甲斐が来ていると告げた。柴田外記げきと古内志摩はまだみえないそうで、小関は世評どおり「安芸と甲斐が不和」であると信じたのだろう、べつの座敷へ案内した。安芸はいちど坐ってから、小関に向かって甲斐を呼んでくれるように、と頼んだ。小関は迷って、いま老職が挨拶に出るからと云い、立ってゆこうとするので、安芸はそのまえにぜひ会いたい、と強い調子で繰り返した。

 ちょうど同じころ、酒井邸では、――雅楽頭の常居の間で、河内守忠挙こうちのかみただたかと、家老の関主税と高須隼人はやと、松平内記ら四人が、雅楽頭の話しを聞いていた。忠挙は雅楽頭忠清の嫡男で、寛文五年に従四位下、去年から侍従を兼ねており、父よりも背丈が高く、眉間にかんの強そうなしわが刻まれていた。雅楽頭は話し終ってから、四人の意見を聞いた。忠挙がまず同意し、三人の老職も同意であると答えた。
「よし、それできまった」と雅楽頭は頷いた、「いつやるかはおれが合図をするが、仕手には誰がよいか」
 高須隼人が忠挙に云った、「太田弥兵衛はいかがでしょうか」
「太田と石田だな」と忠挙が云った、「石田伊右衛門と弥兵衛なら仕損ずることはあるまい」
「いや、人数は五人だ」と雅楽頭が云った、「一人に対して一人でやれ、迅速に、しかも断じて仕損じてはならぬ」
 そこで五人の仕手が選ばれた。
「庭先にも人数を伏せよう」と忠挙が三人に云った、「玄関はおれが引受ける」
「若殿のお手を煩わすのはいかがと存じますが」
「いや、玄関はおれだ」と忠挙が云った、「かれらの供は少なくないだろうし、仙台の人間はいざとなると手強いそうだ、玄関はおれが出て押える」
「それがいいだろう」と雅楽頭が云った、「では板倉へ使者をやれ」

 同じとき伊達遠州邸では、接待の一と間で安芸と甲斐とが話していた。ふすまを明け放ち、人は遠ざけてあるが、どちらも殆んど囁くように声をひそめていた。
「しかし」と安芸がいぶかしそうに問い返した、「いつか船岡は、久世侯も幕府閣老の一人だ、と云ったように思うが」
「申しました、いまでもその点に変りはありませんし、久世侯を信じているわけでもございません」と甲斐が答えた、「逢春門院ほうしゅんもんいんの御助言もかなわぬと聞きまして、これは敵の帷幄いあくへ一と矢射こむほかはないと考え、それには久世侯がもっともよしと思ったのです」
 安芸は遠くを見るような眼つきをし、静かにうなずいて云った、「うん、侯にその責任があることは覚えている」
「私はそれを久世侯に申しました、小石川の普請小屋からひそかに松山(故茂庭周防)を呼びだしたこと、六十万石分割の密約について忠告されたこと、それがこのたびの紛争の根となったことなど、すべてをあからさまに申しました」
「まず、まず、ます」と安芸は嘆賞するように、眼を細めて甲斐を見た、「それは一番槍、一番乗りにまさるお手柄だ、侯はさぞかし怒られたことであろう」
 甲斐はそっと、片方の手をひるがえした。安芸はそのようすを見まもりながら、斬られる覚悟でいったな、ということを察した。
「激怒されると思っていたのですが」と甲斐は答えた、「心の中は知らず、その証文を持って評定へ出ろ、評定の席で会おうと云われました」
「首尾はどうあると思う」
「大藩取潰しの手筈をあかしたのですから、仙台六十万石は安泰であろうと思います」
「慥かにそうみるか」
「確言はできません」と甲斐は慎重に云った、「しかし、久世侯は明らかに動揺しておられましたので、おそらく他の老中に相談されることでしょう、そこでもう一つ、頼みになるのは酒井侯の立場です」
「酒井侯の立場とは」
「侯はいま天下第一の威勢をもち、将軍家さえも侯をはばかられると聞いています、こういうぬきん出た威勢には、必ず対立する勢力が生ずるもので、閣老の中にも酒井侯打倒の機をうかがっている者があるに相違ないと思います」
 安芸はあぐらをかいて坐っていたが、その左右に開いた膝頭をはかまの上から大きく掴み、唇をひきむすんで、じっと前方を見まもった。
「おれは死ぬ覚悟で来た」とやがて安芸が云った、「そのため涌谷で戒名も付けたし、今朝、麻布を出るときにも、死ぬ覚悟だということを留守の者に告げて来た」
 甲斐はそっと低頭した。
「この機を※(「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56)のがしてはならない」と安芸は続けた、「酒井侯に対立する勢力があって、そのため評定が中途半端にされたり、ごまかして遷延せんえんされたりしてはならない、ここはわれらが一命を投げだして正面から酒井侯と対決し、確実にわざわいの根を断ち切るときだ、船岡にもその覚悟でいてもらいたいと思う」
 甲斐は黙って目礼を返した。
「証文は持って来てあるか」
「持ってまいりました」
 安芸は微笑した、「下馬将軍とのつばぜりあいだ、この白髪しらが首をける値打はあるぞ」
「私は穏便に済むであろうと思います」甲斐はさりげなく云った、「穏便に事が済むよう、できるだけやってみるつもりです、どうぞ涌谷さまにも、もう一と辛抱をお願い申します」
「酒井侯の出かたによってだ」と安芸は強く云い返した、「堪忍のなる限りは堪忍するが、穏便に済ませるために手を緩めるつもりはない、それだけはいまから断わっておく」
 甲斐の眼に突然、がっかりしたような、激しい疲労に似た色があらわれ、額に深い皺がよった。
「このたびのおれの訴訟は」と安芸はだめ押しをするように云った、「事を穏やかにおさめるのが目的ではない、これだけは船岡にも承知しておいてもらうぞ」
 甲斐は黙って、あるかなきかに会釈した。

 午前十一時ころ、安芸をはじめ柴田外記、甲斐、古内志摩の四人は、蜂谷六左衛門の案内で、竜ノ口にある板倉邸へ向かった。そして約半刻はんときほど待っていると、酒井雅楽頭から使者があり、「評定は酒井邸でひらかれる」から、伊達家老臣はこちらへ来るように、という口上を述べた。そこでかれらは板倉邸を辞し、大手下馬先の酒井邸へ向かった。

 そのとき酒井邸の長屋では、黒田玄四郎が机に向かって書きものをしていた。その日は非番だったので、こんども支配の松本外記に頼まれた、写しものをしていたのであるが、ひと休みしようと筆を置いたとき、声をかけて太田弥兵衛がはいって来た。戸口から高い声で呼ぶので、立っていってみると、弥兵衛は赤い顔をして土間に立っていた。
「どうぞ、あがって下さい」
「いやあがってはいられない」弥兵衛は昂奮こうふんしきおいたった声で、首を振りながら、自分の左のてのひらを右手でぴしっと打った、「今日はこれから、これをやらなければならないんだ」
 玄四郎はけげんそうな眼をした、「なんです、試合でもあるんですか」
「真剣だ」と弥兵衛が云った、「これから大書院で老中評定がある」
「老中評定」と玄四郎は訊き返した、「もしや伊達家の訴訟ではありませんか」
「そうだ」
「それならたしか、板倉さまの屋敷でひらかれると聞きましたがね」
「この屋敷に変ったのだ、というのは」弥兵衛はそこで上半身をかがめ、玄四郎の眼をみつめながら囁いた、「黒田だけに云うんだが、伊達家の者をやることになったのだ」
 玄四郎の口がゆっくりとあいた。
「やるというと」と玄四郎は舌がしびれでもしたような調子でいた、「つまり、どうするわけですか」
仔細しさいはわからないが、かれらは公儀の秘事をあばいたそうだ、世間へもれてはならない重大な秘事をあばいたので」そう云いながら、弥兵衛はまた左の掌を右の手刀てがたなでいさましく打った、「一人残らず、これだ」
「――伊達家の人たちをですか」
「一人残らずだ」
 玄四郎は自分の表情の変るのをけんめいに抑え、殆んど力ずくで微笑した。
「太田さんお一人ですか」
「仕手は石田伊右衛門とほかに三人いる、むろん大事をとってのことだろうが、おれ一人で充分さ」弥兵衛は眼をぎらぎらさせながら、乾いた声で笑った、「今日こそこの腕にものをいわせてみせるぞ」
「もちろんみごとになさるでしょう」と玄四郎が云った、「私もぜひ拝見したいと思いますが、仕手の中へ加えて頂けないでしょうか」
「それはむりだろうな」
「私は御当家に奉公して以来、長いこと御恩になっていながら、いまだにこれといってお役に立ったことがありません」玄四郎は熱心に云った、「こういう大事なときにこそ、たとえ一と太刀でも恩返しがしたいと思います、貴方のおはからいでどうか仕手の内に加えて下さい」
「だめだろうな」と弥兵衛が云った、「仕手の人選は若殿じきじきのお沙汰だというし、これは極秘におこなわれることだから」
「しかし太田さん、貴方は御自分の義弟になろうという者に、手柄を立てさせたいとは思いませんか」
「おれの義弟だって」
 玄四郎はせきこむのを抑えて頷いた、「いつか話されたでしょう、貴方の御妻女の妹さんを、私にどうかというあの縁談です」
「あれを貰ってくれるというのか」
「もし私がなにか手柄を立て、その方にふさわしいだけの名が得られたらです」玄四郎はとりいるような口ぶりで続けた、「太田さんにしても、勘定場勤めの義弟など持っても自慢にはならないでしょうし、泰平の世の中では、こんなときよりほかに手柄を立てる機会はまたとあるものじゃありません」
「ちょっと待ってくれ、いや」弥兵衛は不決断に首を振りじっと眸子ひとみを凝らしていて、やがて玄四郎を見た、「わからない、おれはとうていむりだと思うが、むりでもいちおう当ってみよう」
「やってくれますか」
「たぶんだめだろうとは思うが、当るだけは当ってみよう、そこもとは勘定場へあがって、なにか手伝い仕事でもしていてくれ」
「用事はみつかります」と玄四郎は熱をこめて云った、「太田さん、私にとっては一生に一度の機会だということを、どうかお忘れにならないで下さい」
「とにかく勘定部屋で会おう」
 そして弥兵衛は出ていった。
 玄四郎は居間へ戻って出仕の支度をし、刀と脇差を抜いてしらべた。躯がふるえ、呼吸が早くなり、心臓の鼓動が肋骨ろっこつを叩くかと思えた。涌谷の訴訟が老中の評定にかけられるということは、玄四郎もまえから聞いていた。彼の耳に伝わる限りでは、涌谷の伊達安芸に評がよく、一ノ関とその与党に悪評が集まっていた。原田甲斐もその一味の中に数えられているらしいが、玄四郎にはその理由がおよそわかっているので、事が明らかになれば、甲斐の立場も了解されるだろうと信じていた。
 ――侍の「道」のためには、ときに不忠不臣の名も忍ばなければならないことがある。
 かつてそう云った甲斐の言葉や、そのときの甲斐のかなしげな眼色を、いまでも玄四郎は忘れることができない。老中評定がおこなわれると聞いてから、これですべてが明らかになり、甲斐もその困難で微妙な責任から、解放されるだろうと思っていた。それがいま、まったく予想もしない方向へ逆転しようとしている。公儀の秘事をあばいたという理由で、安芸、外記、甲斐、志摩らを、この邸内で討ち取ろうというのだ。
「どういうことだろう」玄四郎はふるえながら呟いた、「あのときの証文、三十万石分与の証文が原因だろうか」
 おそらくそうだろう、証文その物は公儀の秘事などとはいえないが、使いようによっては雅楽頭の進退にかかわりかねない。そうだ、おそらくそれが原因だ。それで板倉邸である筈の評定をこの酒井家へ移したのだ。
「これはやるぞ」玄四郎は立ちながら呟いた、「間違いなく雅楽頭はやる、どうしよう、もう知らせにゆく暇はない、どうしたらいいか」
 玄四郎は長屋を出た。
 仕手の中に加わることだ、と歩きながら玄四郎は思った。太田弥兵衛がうまくやってくれるだろう、自分は新参だが、周囲の者から信用されているし、役に立つ人間だと思われて来た。だが事は極秘だから、弥兵衛の口添えぐらいで仕手に加わることはできないかもしれない。そのときどうするか、弥兵衛の口添えがだめだったときどうしたらいいか。なにか方法はないか、なにか手はないか。玄四郎は息苦しさのあまり、幾たびも口をあいて、大きく深く呼吸をした。

 正午ちょっと過ぎに、伊達家の人びとは酒井邸に着いた。申次もうしつぎの島田出雲守と大井新右衛門が出迎えて、かれらを表て座敷に案内した。そのときもう大書院には、雅楽頭はじめ老中、大目付、目付らがそろっていた。稲葉美濃守みののかみ、久世大和守やまとのかみ、土屋但馬守たじまのかみ、板倉内膳正ないぜんのかみ。大目付は大岡佐渡守、目付は宮崎助右衛門で、伊達家の人びとが到着するとまもなく評定がひらかれ、まず安芸が呼ばれて出た。

 ちょうどそのとき、同じ邸内の勘定場では、黒田玄四郎が役机に向かって、帳面を繰りながら算盤そろばんをはじいていた。その部屋は広く、格子で囲いをした机が、大小合わせて十二あり、小さい囲いに二人、大きい囲いには二人から三人、それぞれの事務を執っていた。ひるの前後に半刻の休息があり、茶菓の出るのがきまりだったが、その日は支配が「事務を続けるように」と云い、勘定場からはなれてはならぬと注意した。
 ――なにかあるな。
 みんなそう思って眼を見交わした。
 ――なにか変ったことがあるぞ。
 老中評定が急にこの邸内へ移されたことは、すでにみんなが聞いていた。それで、休息がやめになり、部屋から出るなと云われて、勘定場の空気はにわかに緊張し、せきをするのにも周囲に気をかねる、というふうに感じられた。玄四郎は三冊の帳簿をつき合わせたり、算盤をはじいてなにか書きとめたりしながら、絶えず杉戸口のほうへ眼をはしらせていた。非番の彼が「仕分け違いを思いだしたから」と云って急に出仕したことを、誰も不審に思う者はなかった。常づね精勤で知られていたし、ほかの者が多忙なときは、いつでも非番を返上して手伝うため、その日の出仕になにか意味があろうなどとは、誰ひとり気がつかないようであった。
 時は経ってゆくが、太田弥兵衛は姿をみせなかった。玄四郎はおちつかなくなり、気がたかぶって、わきの下に汗のにじみ出るのを感じた。やっぱりだめだったのか、それとも事が中止になったのか。評定はもうひらかれている筈である、弥兵衛はどうしたのだ。こうしているうちにも、伊達家の人たちは襲われているのではないか。
 ――いっそ出てゆこうか。
 玄四郎は算盤を置いた。がまんにも坐っていられなくなったので、箕盤を置いて立ちあがり、さりげなく囲い格子から出た。

 このとき表て座敷では――大書院から安芸が戻って来、代って柴田外記が呼ばれた。戻って来た安芸は、座敷と障子を隔てた、縁通りへいって坐った。甲斐がそれとなく見ると、安芸の顔には激しい緊張のあとの、ぐったりとした疲労の色があらわれ、唇が乾いて白くなっていた。
 ――いかがでしたか。
 甲斐はめがおでそうたずねた。安芸はそれに答えるように、ゆっくりと二度、頷いてみせた。まもなく柴田外記が戻って来、次に古内志摩が呼ばれた。甲斐が呼ばれたのは志摩のあとだったが、審問は簡単に済み、四半刻ほどすると表て座敷へさがった。そこでまた安芸が呼ばれたのであるが、安芸は立ってゆくまえに、甲斐から外記、外記から志摩へと、順に顔を見ていった。火を発するような視線で、口はかたくひきむすばれ、その顔にはもう疲労のかげもなく、精悍せいかんな決意があふれていた。
「柴田どの古内どの、ひと言うちあけましょう」と安芸は力のこもった低い声で云った、「私は故人の茂庭周防もにわすおうと、ここにいる船岡との協力で、一ノ関の陰謀とたたかって来た、どうたたかって来たかは話すにも及ぶまいが、敵は一ノ関だけではなかった、まことの敵は大老酒井侯であり、侯の目的は伊達六十万石の改易にあった」
 外記は訝しそうな顔をし、志摩は驚愕きょうがくの眼で甲斐を見た。甲斐は黙って、向うに安芸を待っている、申次の大井新右衛門を見やった。
「もしもこの屋敷から、生きて出ることができたら仔細を話そう」と安芸は続けた、「この真相がもれたら、家中は収拾のつかぬ騒動になり、内部から崩れ落ちたに相違ない、それをおそれてこなたたちにも内密にしていたのだ、しかし私はこの評定で酒井侯にひと当てやるつもりだ、船岡もその覚悟で来た、こなたたちもこんど呼ばれたときは、その心得で審問に答えてもらいたい、――問題は一ノ関の悪政ではなく、一ノ関に悪政を強いた背後の人にある、ということを忘れないように」
 そして安芸は立ちあがり、甲斐の眼をひたとみつめてから、静かに出ていった。
 柴田外記はまだ不審げに、古内志摩はさてこそという顔で、左右から甲斐を見まもった。安芸の言葉はあまりに突然であり、また、事情を知らない者には漠然としていて、事の重大さに実感がともなわなかった。ただ志摩はおぼろげにわかるような気がした。こんど出府するまえ、茂庭主水もんどからひそかに告げられたこと、数日前に甲斐を訪ねて、「なにか役に立とう」と申し出たとき、やわらかに、しかしきっぱりと拒絶されたこと、特に、侍は自分のしたことを弁明したり釈明したりするものではないと思うと答えた甲斐の態度などが、詳しいゆくたてはわからないながら、いま安芸の云ったことの意味を、たしかに裏付けていると信じられた。
 ――やっぱりそうだったのですね。
 非常な大事を負われ、困難な立場に立っておられると、主水の云ったのはこのことだったのですね。志摩はそう呼びかけたかった。
 ――しかしどうなるのです。
 酒井雅楽頭が六十二万石の改易を計っていたとすると、この評定はどうなるのです。涌谷さまや貴方には勝算があるのですか、私たちにもなにか役立つことはなかったのですか。こういうふうに、口まで出かかる呼びかけを抑えながら、そのおもいをこめて甲斐を見まもった。甲斐は扇子を持った片手を、投げだすように膝の上に置いていた。左の頬に深い竪皺たてじわがより、唇はやわらかくむすばれている。坐った姿勢も、顔の表情も、平常どおり柔和でゆったりとおちついていた。
「船岡どの」と柴田外記が辛抱をきらしたように云った、「いま涌谷さまの云われたことはどういう意味ですか」
 甲斐の答えるまでにちょっと暇がかかった。それから甲斐は、殆んど困惑したように、微笑しながら外記を見て云った。
「お聞きになったとおり、と申すほかはありません」
「もしそのとおりなら」と外記はとがめるように云った、「それほどの大事を、国老であるわれらになぜ秘しておられた、頼むにたらぬと思われたのか」
 甲斐は会釈して答えた、「涌谷さまの云われたとおり、事は極めて重大であって、どう動いても幕府に逆手さかてを取られかねません、ただ隠密に陰謀を抑え、抑えて抑えぬく以外に手段はなかったのです」
「それは船岡どのの意見にすぎない」
「いや、涌谷さまと故松山と、三人合議のうえのことです」甲斐は忍耐づよく答えた、「当時は米谷まいやどのも志摩どのも、まだ国老職にはついておられず、他の老臣は対立不和の状態で、次つぎと起こる紛争をしずめるだけでも、なみたいていなことではございませんでした、もちろん」と云って、甲斐は穏やかに頷いた、「もちろんよきおりがあったら、米谷どのにも志摩どのにもうちあけ、御助力を願うつもりでいたのですが、思わぬとき、にわかにかようなことになりましたため、お話しをする機会がなかったのです」
「理由はいくらでもあるだろうが」と外記は不満を抑えた声で云った、「かかる大事を国老ぜんたいに計らなかったという責任だけは忘れないでいてもらいたい」
 甲斐は静かに会釈した。

 そのとき勘定部屋では、――黒田玄四郎が自分の席を立って、そっと廊下へ出ていった。誰も玄四郎に注意する者はなかった。気がついたとしてもおそらく、手洗いにゆくぐらいにしか思わなかったであろう。廊下へ出た彼は、水屋へ近づいてゆき、そこにいる番の者に「水を一杯」と云った。番の者が棚から湯呑を取り、水をもうとしていると、廊下の向うから太田弥兵衛の来るのが見え、玄四郎はそっちへいった。番の者は水を汲みかけたまま、そこに立って見送っていた。弥兵衛は首を振りながら、いそぎ足に近よって来た。
「やはりだめだ」と弥兵衛は立停って云った、「ずいぶんねばってみたがいけない、かえってこんなことを他にもらしたというので、こっぴどく油をしぼられたよ」
 玄四郎は唾をのんだ、「しかし」と彼はかすれた声で訊いた、「やることは、やるのでしょう」
「もうその時刻なんだ」
「見ることだけでもできませんか」と玄四郎は云った、「私はいちど太田さんの太刀さばきが拝見したかった、しかも今日は真剣でしょう、近くでとはいいません、はなれたところからでも結構ですから、貴方の太刀さばきだけでも拝見させて下さい」
「むりを云うな」と云い、弥兵衛はくびすを返して歩きだした、「それでなくても怒られたばかりなんだ、まああきらめてくれ」
 玄四郎は追っていった、「だが仕手に加えてもらうのではなく、隙間からでもいい、ただ見るだけなんですから」
 表て座敷へゆくみちさえわかればよかった。士分には取立てられたが、むろんまだめみえ以下のことで、表て座敷へはあがったことがないし、各役所の並んでいる建物から、杉戸口を御殿へはいった向うはまったく不案内といってよかった。せめて見当のつくところまでと思って、玄四郎は弥兵衛に話しかけながら、すばやく廊下を進んでいった。すると、畳廊下にかかるところで、「だめだ」と弥兵衛が立停った。
「どう云われてもむだだ」と弥兵衛はむっとした顔で云った、「ここから向うは役付きの部屋になる、咎められないうちに戻ってくれ」
「残念です、ひじょうに残念です」
「戻ってくれ」と弥兵衛が云った。
 玄四郎は静かにあとじさりをした。それから五歩ばかり戻って振返ると、弥兵衛が左へ曲ってゆくのを認めた。
 ――どうする。
 なに、広くとも江戸城ほどはあるまい。玄四郎は畳廊下のほうへ引返した。奥へはむずかしいが、表て座敷なら勘だけでも近よれる筈だ。彼はとっさに心をきめ、さも用ありげな足どりで、弥兵衛の去ったほうへと進んでいった。ふだんならうまくいったかもしれない、三人ほどすれちがった侍たちも、べつに怪しむようすはなかったが、中ノ口の番所にかかると呼びとめられた。邸内にもすでに警戒の布令が出ていたらしい、口番の部屋から二人出て来てどこへゆくかと咎めた。
「御家老のお部屋へまいります」玄四郎はつとめて静かに答えた、「勘定部屋支配から申上げることがあって、関さまのお部屋へまいるところです」
「勘定場から御家老へだと」と一人が眼をそばめて訊き返した、「そんな順序は聞いたこともないが、どういう用件だ」
「それは云えません」
「そこもとの名は」と他の一人が訊いた。
 玄四郎は自分の名を告げた。
「おかしいですね」とその侍が云った、「そういう順はこれまでに例がないし、なにかの間違いではありませんか」
「では問い合わせて下さい」玄四郎は眼の隅であたりを見ながら云った、「支配の間違いかもしれないが私も子供の使いではなし、だめだと云われただけで戻るわけにはまいりません」
「ばかなことを云う男だな」
「いや、ちょっと」とあとの侍が制した、「たしかにそれはそうだ、なにかのゆき違いかもしれないから問い合わせよう、そこもとは此処ここで待っていて下さい」
「田村でもやったらいいだろう」
「おれがいって来る」
 そしてその穏やかな侍は、廊下を右へと曲っていった。残った侍は玄四郎を疑わしげに見やりながら、口番の部屋へ戻り、そこにいる三人ばかりの侍たちと、こわ高に雑談を始めた。ちかごろ新参者が多くなって、御家風もよく知らず、お廊下を間違えたり、用もないのにうろうろ迷い歩くやつがある。人増しもいいかげんにしないと困る、などということを、聞えよがしに云っていた。
 ――いまのうちだ。
 いまの侍は家老の部屋へいったのだろう、戻って来ないうちになんとかしなければならない。そう思っていると、うしろから人の来るけはいがした。いま玄四郎が来たほうから、――どうやら五六人はいるらしい。玄四郎はかれらの眼につかぬように、襖の際へと身をすり寄せた。かれらは近よって来、玄四郎のうしろを通り過ぎていった。見ると、人数は五人、みなたすきを掛け汗止めをし、はかま股立ももだちを絞っていた。
 ――仕手だ。
 玄四郎がそう思ったとき、口番の侍たちも立ちあがって来た。ものものしい姿に驚いたのだろう、あれはなんだ、なにが始まるんだ、などと口ぐちに囁きあった。玄四郎は去ってゆく五人の中に、太田弥兵衛をそれと認めることができた。
 ――表て座敷は向うだな。
 かれらのゆく方向にその場所がある。と思っていると、家老の部屋へ問い合せにいった待が、右手の廊下から戻って来るのが見えた。玄四郎は五人の仕手のほうへ眼をやった。かれらは口番の前をまっすぐに通り過ぎ、突当ったところを左へ、板縁のほうへ曲るところであった。よし、と頷いた玄四郎は、戻って来る侍のほうへ近よるとみせてさっと、板縁のほうへ走りだした。
 ――刀がない、脇差しかないぞ。
 玄四郎は走りながら、勘定部屋に置いてある刀のことを思った。うしろで叫び声が起こり、追って来る人の足音が聞えた。玄四郎はまっしぐらに走ったが、叫び声を聞きつけたのだろう、廊下の向うへ、四五人の侍たちがとびだして来た。ゆく手をふさがれたかたちである、玄四郎は走りながら脇差を抜いた。
 乱心者だ、狼藉ろうぜき者だ、と喚く声が前後から聞え、玄四郎は歩速を緩めずに走った。
 彼が脇差を抜いたとたん、ゆく手を塞いでいた侍たちは崩れ立った。すると、板縁のほうへ去った仕手たちのうち三人が引返して来、うしろからは口番の侍たちの駆け寄る声が聞えた。玄四郎はまっすぐに走り、脇差を構えたまま仕手たちへぶつかっていった。
「伊達家の方がた」と玄四郎は絶叫した、「伊達家の方がた、謀殺です、討手が掛けられます、御用心ください」
 そのとき仕手の二人がとびかかった。玄四郎は一人をり、うしろをひっ払って、板縁へ走りこんだ。しかしその背後から、すばやくおどりかかった一人が、両手で腰にしがみつき、玄四郎のよろめくところを、さらに二人、左右の腕へつかみかかった。
 ――ああ、神。
 玄四郎は前のめりに顛倒てんとうしながら、逆上するような気持で心に祈った。
 ――ああ神、この声をあの方の耳に届けさせたまえ。
 彼は幾人かの力で押し伏せられながら、のども裂けよと絶叫した。伊達家の方がた討手がゆきます、謀殺です、御用心ください。誰かが手で口を押えた。玄四郎はその手にみついた。
「やれ」と一人がどなった、「そのまま刺してしまえ」
 仕手の一人が刀を抜いた。その侍は、押し伏せている四人の躯をよけて、上から、玄四郎の背中へさっと刀を突込んだ。
「原田さま」と玄四郎が叫んだ、「討手がゆきます、討手が……」
 仕手の男はもういちど刺した。

 表て座敷では、安芸が大書院からさがって来、代って古内志摩が呼びだされた。柴田外記は安芸に、なにか問いかけようとしたが、安芸はそれをこばむように、片手の指先をそっと振り、こんどもまた、障子の外の縁通りへいって坐った。外記の耳に、安芸の荒い呼吸が聞えた。走って来たあとのような、深くて荒いその呼吸は、そのまま安芸の強い昂奮をあらわしているようであった。
米谷まいや、――」とやがて安芸がいった、「心得ておいてくれ、おれはいま老中に、やがて原田甲斐よりごらんに入れる物がある、と申し残してきた」
 甲斐は自分の席で、そっと眼をつむった。
「特に、大老酒井侯にはかかわりの深い品であるが」と安芸は続けた、「老中諸侯において御披見が願いたいと云った、こんど大書院へ呼ばれたら、そのことを忘れないように」
「しかし、――」と外記が問い返した、「それはいかなる物でございますか、その品を知らずに返答は致しかねると思いますが」
「その話しはあとだ」と安芸が云った、「返答はおれの言葉どおりでいい」
 外記は黙った。
 甲斐は少し仰向いて、眼をつむったままで、片手でふところを押えた。これを見せればわかるだろう、だがいまはそのときではあるまい、と思った。
 そのとき五人の侍がはいって来た。その表て座敷から一と間おいた使者のに、蜂谷六左衛門がいて、その五人の通るのを認め、ものものしい身支度をしているのにおどろいて、思わず立ちあがった。五人は静かに表て座敷へはいったが、はいるとたんに、みんな抜刀し、安芸、甲斐、外記を斬った。
 甲斐は眼をつむっていて、突然、肩を一刀斬られ、横に倒れながら「あ」といった。斬られたとはわからなかった。棒で殴られたように感じ、倒れながら見ると、ぎらっと白刃が光った。
「涌谷さま」と甲斐は叫んだ。
 そこへ二の太刀が来、脇腹に火を当てられたような衝撃を感じた。
 ――そうか、雅楽頭、やったな。
 甲斐はそう思った。そのとき、聴力の遠くなった耳の奥で、鹿の悲鳴のような声が聞え、甲斐の眼に「くびじろ」の姿がみえた。鉄砲の弾丸に当って倒れ、雪しぶきをあげながら、瀕死ひんしの声をあげたくびじろの姿が。そうして、その大きな牡鹿は、雪しぶきの中から甲斐のほうを見た。甲斐はその大鹿が、次のように呼びかける声を聞いた。
 ――そうだ、追う者と追われる者とに、同一の条件ということはない。
 甲斐は激しく首を振った。首は床板を打ち、すると安芸の声が聞えた。甲斐はけんめいに頭をあげ、安芸の声のするほうへと、這い寄っていった。
 仕手たちのうち三人は六左衛門を追っていた。蜂谷六左衛門はこの出来事を見ると、そのまま奥へ向かって走った。走ってゆきながら、「狼藉です、おであい下さい、狼藉です」と叫んだ。しかしすぐに追いつかれ、二人の仕手によって斬られた。
 甲斐は安芸のそばへ這い寄っていた。安芸は片手でくびを押え、片手を前に突いて、辛くも身を支えていた。押えている手指の下から、多量の血があふれ落ち、それが袴をずっくりと濡らしていた。甲斐は眼がかすんでくるので、強く頭を振り、安芸の手をつかんだ。
「涌谷さま、大事の瀬戸際です」と甲斐が云った、「よくお聞き下さい、これは私のやったことです、わかりますか」
 安芸は甲斐を見た。
「私が乱心してやったことです」と甲斐はあえぎながら云った、「酒井家の方がたではない、私が乱心のうえの刃傷にんじょうです」
 安芸の眼がかっとみひらかれた。甲斐は自分の眼に、ある限りの思いをこめて、安芸の眼をみつめた。
「原田」と安芸が云った、喉にこみあげる物があり、咳をすると血塊が出た、「原田、――」とまた安芸が云った、「それが、とおると思うか」
「侯はそのつもりです」甲斐は喘いだ、「よく聞いて下さい、私は一ノ関の与党、涌谷さまとは対立している筈です、私が刃傷したとあれば、誰も不審には思いません、おそらく、酒井侯はそこをねらったのでしょう、ここをわかって下さい」
 三人の仕手が六左衛門を運んで来た。残った二人のうち一人は玄関へ知らせにゆき、一人は安芸と甲斐を看視していた。これで四人だぞ、と一人が云った、五人の筈ではないか、一人はどうした。知るものか、と一人が云い、大書院らしい、と一人が云った。かれらは昂奮し、その声はすっかりうわずっていた。このままで置くのか、とまた一人が云った。その二人はまだ生きている、とどめを刺そうか。いや待て、と一人が云った。いま若殿に知らせた、若殿のお沙汰を待つことにしよう。そうだな、捨てておいても長くはもつまい、若殿のお指図を待とう、と一人が云った。
 このあいだに、安芸は手を伸ばし、その手で、倒れかかるように甲斐の肩をつかんだ。
「原田、――そう思うか」と安芸は云った、「それをたしかだと思うか」
「さもなくて、これだけのことはやれません、侯は敗北を認めたのです、これは、六十二万石安堵あんどの代償です」
「それなら惜しくはないぞ」
「最後の矢です、これが最後の矢です、涌谷さま」と甲斐が云った、「ようございますか、この刃傷は、私が乱心した結果です、私のしわざだということをお忘れなきよう」
 甲斐は眼のくらむのを感じ、激しい吐きけにおそわれながら、前へのめった。
 これらのことはごく短い時間の出来事であった。六左衛門の叫び声は、評定の席まで聞え、古内志摩の審問に当っていた人びとは、審問をやめて耳をすました。縁側から聞えて来たのは、尋常な叫びではなかった。言葉は明瞭ではないが、紛れもなく変事を知らせる響きをもっていた。列座の人たちの中で、まっさきにそれと気づいたのは、久世大和守である。大和守は雅楽頭を見た。雅楽頭はまったく平静なようすで、なぜ審問が中止されたのかわからないという顔をしていた。
「なにかあったようですな」と大和守が強い声で云った、「表てのようです、みてまいりましょう」
 大和守はなにかを直感したらしい。雅楽頭がとめようとすると、板倉内膳正も立ちあがって、自分もまいろう、と云った。それで、申次の大岡佐渡が慌てて座をすべり、二人の先に立って案内した。
 甲斐は自分の頬に床板を感じ、自分がすっかりのびているのに気づいた。
 ――まだだ、死ぬのはまだだ。
 まだしておかなければならないことがある。死ぬのはそれからだ。もう一つ、志摩にこのことを話さなければならない、米谷は即死らしいが、志摩の口が違うと困る。だがまず第一のことが先だ。甲斐は眼をあいた。眼をあけるだけでも、ひじょうな力が必要だった。傷の痛みはないが、躰力たいりょくが残りなく消耗したようで、自分の席まで這い戻ることは、まったく不可能だということがわかった。
「涌谷さま」と甲斐は呼びかけた、「――お差料さしりょうを、拝借いたします」
 安芸は俯向うつむきに倒れたまま、くいしばった歯のあいだから激しく荒い呼吸をしていた。甲斐はするどくうめきながら、ずるずると半身を起こし、安芸の席の脇にある、刀のほうへ手を伸ばした。それは人間の力を越えた努力で、ようやく片手が脇差へ届くと、そのまま意識が遠のきそうになった。
「まだだ」と甲斐は歯をむきだした、「まだだぞ、宗輔むねすけ、まだだぞ」
 甲斐は脇差をひき寄せ、横に倒れながら、最後の力をふりしぼって、それを抜いた。そこへ、大和守と内膳正が来た。二人はその座敷のむざんなありさまを見ると、息をのんで立停った。五人の仕手のうち、太田弥兵衛と石田伊右衛門が進み出て、その場の出来事を説明しようとしたが、大和守は耳も貸さずに、いきなり甲斐のそばへ走りよった。
「原田、原田」と大和守は叫んだ、「久世大和守だ、わかるか」
 甲斐は歯をみせた、「久世侯ですか、おめにかかりたかった」
「これはなにごとだ、原田、はっきり云え、なにごとがあったのだ」
「私です、私が逆上のあまり」
「そやつの刃傷です」と安芸の云うのが聞えた、「御当家の衆におちどはない、甲斐めのしわざです、久世侯、――こやつの罪で、伊達家に累の及ばぬよう、お頼み申します」
「久世侯」と甲斐が云った。
「安芸、――甲斐も聞け」と大和守は云った、「よく聞け、伊達家のことは引受けた、わかるか安芸、聞えたか原田、仙台、六十二万石は安泰だぞ」
 すると、甲斐の唇がゆるみ、僅かに白い歯が覗いた。額の皺が消え、硬ばった表情がやわらいで、顔ぜんたいに微笑がうかぶようにみえた。
「原田――」久世はつと、甲斐の耳に口をよせて囁いた、「八十島主計やそしまかずえ、あっぱれよくやった、心おきなく死ぬがいい、あとは引受けたぞ」
 甲斐が口の中でなにか云った。それは女の名のようであったが、聞きとることはできなかった。

 そのとき玄関では、――かみしもの肩をはね、袴の股立をしぼった河内守忠挙が、片手にさやをはらった薙刀なぎなたを持ち、両足を踏みひらいた颯爽さっそうたる姿で、玄関の外へ詰めかけている伊達家の供の者たちに向かって、よくひびく高い声で叫んでいた。
「騒ぐな、しずまれ、いま乱心者があって人を殺傷した、仔細しさいはやがて聞かせるから、神妙に控えておれ、当家にはいま老中諸侯がおられる、騒ぐ者は罪科をまぬがれぬぞ」

冬の章


 芝の良源院の方丈で、住職の玄察が宇乃うのと話していた。宇乃は三日まえに来た。弟の虎之助が叡山えいざんへ修行にゆくというので、三月の出来事も詳しく知りたいと思い、弟の送別を兼ねて出て来たのであった。虎之助は十三歳のとき得度受戒して玄知という名をもらい、増上寺の学堂でまなんでいた。初めはどうかと案じられたが、彼はまっすぐに仏教へはいってゆき、学堂での成績も良いほうなので、こんど選ばれた七人の内にはいった。二人は叡山、三人は高野、二人は永平寺という割当てで、玄知は叡山へゆくことになったのである。
 姉弟が別れてから九年経つ。宇乃は二十四、彼は十七歳になっていた。育った環境のためか、それともそういう年頃のせいか、久しぶりに会ったのに少しもうちとけず、いっしょに三日すごすあいだ、話しらしい話しもしなかった。もっとも彼には勤めがあるし、宇乃は日本橋の雁屋かりやに泊っていて、昼のうちしか会いに来られないから、ゆっくり話すだけの時間もなかったのであるが。――ただ一つだけ安心したことは、両親の死や、姉と別れた生活が、彼に悪い影響を与えていない。少なくとも現在はそういうものが認められない、という点であった。幼ないころから、顔もからだもまるまるとしていたが、疱瘡ほうそう麻疹はしかも軽く済んだそうだし、風邪で寝たこともないという。背丈は五尺六寸、骨太で肉付がたくましく、鉢のひらいた大きな坊主頭など、荒法師といった感じであった。
 ――これが叡山へいったら、また僧兵でも起こすのではないかと思う。
 玄察はそんなことを云って笑ったが、そのときも彼は唇を屹とひきむすんだまま、いかにも僧兵ぐらい起こしかねないような顔をしていた。
 玄知を見送ってから一刻あまり経った。良源院にはもう原田家の宿坊はなかったが、代々の位牌いはいだけは玄察が隠しており、それらを本堂に飾って供養も済ませた。――いまは午後三時。玄知が出立してからまもなく、こまかな雨が降りだして、方丈の前庭にある冬枯れの植込や、石燈籠いしどうろうや敷石道が、その雨にすっかり濡れて、さむざむとはがね色に雨空をうつしていた。
「では宇乃どのは、あれから松山(茂庭家)におられたのですか」
「はい、帯刀たてわきさまの奥さま嬢さまがたがお預けになりましたとき、おばあさま、――慶月院さまから、付いてゆけと申されましたので」
「船岡ではずっと御隠居の側にいたと聞きましたが」
「はい」宇乃は答えた、「十五の歳からお世話になっておりましたから、伊達千代松さまへお預けときまったときはぜひお側にと願ったのですけれど、どうしてもお許しがございませんでした」
「御隠居はそのときもう、死ぬ覚悟でおられたのでしょう、たしか食を断って亡くなられたと聞いたようですが」
「はい、七月二十九日だとうかがいました」
 甲斐の子四人、長男の帯刀、帯刀の子の采女うねめ(五歳)伊織いおり(当歳)。また二男で飯坂家の養子になった仲次郎、三男で平渡家の養子になった喜平次、剣持家へ養子にいった四男の五郎兵衛、以上は切腹になった。船岡の館は闕所けっしょ、家老の堀内惣左衛門は甲斐に殉じて自殺した。――宇乃は帯刀の妻と娘に付いて松山にゆき、そこで惣左衛門の殉死を聞き、慶月院の死を聞いたのである。罪科に仰せつけられた身の上なので、慶月院の死を弔いにゆけなかったのはやむを得ないが、堀内惣左衛門の死はいたましかった。
 惣左衛門は原田の家名を遺すよう、伊達の一家一門、老職にまで繰り返し訴えた。伊達家にあって、原田は由緒も格別であるし、代々忠勤のほまれも高い。甲斐の乱心による罪は重いであろうが、伊達家草創よりの家柄をおぼしめされ、せめて家名だけでも続くように、お慈悲の沙汰を願いたい。そういう意味の嘆願であった。このあいだ、惣左衛門は毎月二度ずつ、船岡の菩提寺ぼだいじである東陽寺に、一七日の仏参を続けたが、六月十日、帯刀兄弟四人と、二人の幼児までが死罪になったと聞いて、同じ十六日、甲斐に殉じて死んだのであった。
「こなたは松山へ帰られるか」
「はい、茂庭さまでもぜひ戻って来るようにと仰しゃいますし、松山はおばあさまのお里でございますから」
 玄察は頷いて、ちょっとまをおいてから云った、「三月の事を知りたいだろう、こなたの出府した理由の一つはその事だろうと思うが、公表されたこと以外には、なにもわかっていないのだ」
 宇乃はそっと頭を垂れた。
「概略を話せば」と玄察は続けた、「その日の老中評定は板倉内膳正ないぜんのかみどのの邸内でひらかれる筈であった、それがにわかに酒井邸に変更された、どうしてそうなったのか、まったくわかっていない、酒井邸の評定でも、安芸どの、原田どの、柴田どの古内どのと、一人ずつ呼ばれて審問されたという、けれども、なにをどう審問されたか、評定がどう動いたかということはわからない、二度か三度めの審問で、――原田どのから、改めて申述べたいことがある、と申し出られた、それにもかかわらず、古内どのが呼ばれたあとでとつぜん乱心し、安芸どの、柴田どのに斬りかかったというのだ」
 俯向いて坐っている宇乃の両手が、ひざの上でぎゅっと握り緊められた。
「原田どのが逆上乱心」そう云って、玄察は首をゆっくり左右に振った、「およそ原田どのほど、逆上や乱心などと無縁な人はない、それはこの玄察ばかりではなく、宇乃どのはむろんのこと、多少とも原田どのとつきあったことのある者なら、誰でもよく知っている筈だ、仮に一歩を譲って、とつぜん乱心したということを認めても、安芸どのや柴田どのをどうして斬ったか、という動かせない疑問が残る、どうして、どんな理由で斬ったのか、二人を斬らなければならないような動機が少しでもあったろうか、――この疑問に答えられる者は、伊達家中には現に一人もいない、いま原田どのを逆臣と呼んでいる者でさえ、その動機を指摘することはできないのです」
 玄察はたかぶってくる感情のしずまるまで、天床を見あげたまま黙っていた。
「古内どのはその場を見ておられる」やがて玄察は話しを続けた、「――私は古内どのに会って、そのときのことを詳しく聞いた、その話しによると、古内どのが大書院から駆けつけたとき、事の起こった表て座敷には、酒井邸の家臣が五人いたという、かれらはその座敷で争闘が起こったのを聞きつけた、それで来てみると、四人が互いに斬りむすんでいる、大書院には老中諸侯の評定があり、大事に及んではならぬと思ったので、四人を斬ったと云っていたそうだ」
 玄察はそこでまた口をつぐんだ。
「この経過は自然とは思えない」玄察は独り言のように、低くひそめた声で云った、「公表によると原田どのは即死、安芸どの、柴田どの、蜂谷六左衛門の三人は重傷であった、やがて安芸どのが絶命、ついで柴田どのが死に、六左衛門はその夜半に死んだ、このあいだにそれぞれの家従が、主人を引取りたいと幾たびも申入れている、自宅へ引取って治療したいからと、繰り返し申入れたが、酒井家ではそれを拒んだ、当方で治療をするから心配には及ばないと云い、混乱を避けるという口実で会わせもしなかった、そうして、四人は死躰したいとなってから初めて、それぞれの家従に渡されたのです」
 宇乃は眼をつむったまま、微動もせずに聞いていた。
「私はこれらの始終を、幾十たびとなく考え合わせてみた」と玄察はまた続けた、「三月の出来事についての公表はしんじつではない、少なくとも、三つの点に大きな疑問がある、第一は評定の場所が板倉邸から酒井邸へ、にわかに変更されたこと、刃傷の場に酒井家の侍たち五人がいて、騒ぎをしずめるために四人を斬った、と述べていること、第三は、安芸どのはじめ四人を、死躰となるまで邸内にとどめて置いたこと、以上です」
 玄察は深く息を吸いこみ、それをゆっくりと吐きだしてから云った、「古内どのが駆けつけたとき、安芸どのはその手を握って、甲斐めが乱心してこのありさまだ、と云われたそうです、甲斐めの乱心だ、しかし、――そのため御家に累は及ばない、御家は安泰ときまった、あとを頼む、そう云われたとのことです」
 そこで玄察は長いこと沈黙した。
 彼は明らかになにごとかを云おうとし、云うべきか否かに迷っているようであった。老熟した彼の顔には、毒どくしいほど辛辣しんらつな色があらわれ、力をこめて歯をくいしばっているためだろう、逞しい頬の肉が脈打つように動くのが見えた。
「安芸どのの言葉は単純ではない、原田どのの乱心を認め、だが御家は安泰ときまったという――この言葉はなにかを暗示している、まえに話した三つの疑問と、安芸どのの最後の言葉とは、この出来事の裏に、なにか隠された事実のあることを示しているようだ」玄察は眼をあげて、誰かに問いただしでもするように云った、「なにがあったのか、なにごとが隠されているのか、原田どのはなぜ、逆臣と呼ばれなければならないのか」
 宇乃は両手の指を組み合わせた。
「一ノ関は奸悪かんあくの人だ、それを疑う者はないだろう」と玄察は、殆んど痛憤の口ぶりで云った、「一部の人びとは原田どのが兵部宗勝の悪政にくみしていたと云う、その兵部の悪事を涌谷どのが剔抉てっけつされたので、原田どのが刃傷に及んだともいわれる、しかし、兵部宗勝と、その家族たちは、所領没収のうえ諸家へ預けられただけだ、兵部は松平土佐守とさのかみに預けられたが、扶持米五百俵、衣類代銀一貫三百匁、家従七人にも銀三百五十匁ずつが与えられることになった。東市正いちのかみ宗興は豊前の小倉へ預けられ、また兵部、東市正らの妻子も、百人扶持、二百人扶持を付けて預けられている、――もし兵部が陰謀の発頭人であるなら、原田どのより罪が軽いという道理はない、原田どのでは当歳の孫にいたるまで、男子はことごとく死罪、家名も断絶したうえ、ひとり逆臣の汚名を負わせられた、兵部は伊達一門、原田どのは家臣だからであろうか、いや」玄察は重おもしく首を振った、「いや、そうではない、三月の出来事は万治の大変につながっている、綱宗さまに対する逼塞ひっそくの沙汰が、酒井邸の評定にまで糸を引いているように思う――表てにあらわれたこととはまったくべつなところで、なにか強大な力がはたらいていた、というふうに思うのです」
 その点を糺してみたが、古内志摩はなにも云わなかった、安芸も甲斐も外記も、六左衛門まで死んでしまったし、古内志摩は生き残った唯一の証人であるが、これも刃傷の場にはいなかったため、安芸から聞いた言葉のほかには、なにも知らないというばかりであった。つきつめたところ原田甲斐が逆臣であった、という漠然とした表示以外には「これがたしかだ」という証明は一つとして存在しないのであった。
「私に云えることはこれだけです」玄察は恥じるように頭を垂れた、「――古内どのはなにか知っておられるかもしれない、また、なにも知ってはおられないかもしれない、ただ一つ、仙台六十二万石が安泰であるという事実、兵部宗勝が逐われて、伊達家の禍根が絶たれたという事実だけは現にわれわれの眼で見ることができます」
 玄察は口をつぐんだ。云いたいことが胸いっぱいに詰まっていて、それをどう云いあらわしたらいいかわからない、というようすであったが、沈黙しているうちに、やや心がしずまったのだろう、大きな溜息をつくと、火桶ひおけの火をみながら、喉の奥でそっと笑った。
「こんなことを原田どのに聞かれたら、さぞ笑われることでしょう」と玄察はあっさりした調子で云った、「御坊、――」と彼は甲斐の口まねをした、「御坊、なにをそういきり立つのだ、まあお重ねなさい、もう一つまいろう」
 玄察は盃をさす手まねをし、「もう一つまいろう」と繰り返しながら、急にがくっと、頸を折るように頭を垂れた。
 宇乃の握り合わせた手指に力がはいり、指の関節から血のひくのが見えた。玄察は逞しい肩を小刻みにふるわせ、両手でその顔をおおったが、やがて黙って立ちあがると、力のぬけたような足どりで方丈から出ていった。
 宇乃はそのまま坐っていた。玄察の話しを聞いているあいだに、(話しの内容とはかかわりなく)甲斐の姿がありありと眼にうかぶように思われた。酒井邸の出来事が、公表されたとおりであるにせよ、裏に隠されたしんじつがあるにせよ、いまの宇乃にとってはさして関心はなかった。宇乃は早くから、甲斐がなにごとかそうとしていたのを知っている、甲斐は多忙で、話しあう機会もそう多くはなかった、二人だけになっても、政治向きの話しなどはしたことがない。けれども、十一年このかた見たり聞いたりしたこと、慶月院のようすや、甲斐の身辺に起こったかずかずの変化は、甲斐がなにごとか為そうとしている、ということを明らかに示していた。
 ――それが三月の出来事になったのだ。
 伊達家の安泰。長いあいだわざわいのたねであった一ノ関が除かれ、伊達六十余万石と、多数の家臣たちの将来が安全になった。もしそれが多年の念願であったのなら、どういう死にかたをしようと、世評がどんなに悪かろうと、甲斐にとってまったく問題ではないであろう。
「――おじさまははれがましいことや、際立つようなことはお嫌いだった」
 宇乃はそう呟いてから、ふと、自分が方丈の中に独りでいること、玄察は戻って来そうもないことに気づいて、そっと立ちあがった。
 広縁に出て左へ曲った。渡り廊下を渡ると、向うは一段高くなっており、伊達家の人びとの宿坊が並んでいた。白い障子をしたそれらの座敷に添って、高廊下をゆき、もういちど左に曲ると、原田家の座敷の前へ出た。宇乃はそこで立停って、くらくなりはじめた庭のかなたを見た。そこにもみノ木があった。彼女の眼は蘚苔こけの付いた石燈籠も、境の土塀どべいも見ず、まっすぐにその樅ノ木を見た。九年まえに見たときと、さして違ったようには思えなかった。幹も太くなり丈も伸びたが、他の木のようには育たないのであろうか。宇乃はそっと、なにかをおどろかせまいとするように、忍びやかにそこへ坐った。
 宇乃が高廊下へ坐ったとき、こまかな雨の中に、白いものがちらちら混るのが見えた。
「おじさま」宇乃は樅ノ木に向かって、口の中でささやきかけた、「――宇乃でございます」
 眺めているうちに、白いものはしだいに多くなり、そのため、くろぐろと枝を張った樅ノ木が、はっきりその姿をあらわすように思えた。
 ――私はこの木が好きだ。
 初めてここで会ったとき、甲斐はその樅ノ木を宇乃にみせて云った。
 ――この木を大事にしておくれ。
 そのときの甲斐の、やわらかな声や、白い歯の覗くやさしそうな顔が、いまでも記憶に深く残っている。そうだ。そのつぎにやはりここで、この廊下で、甲斐と自分はあの樅ノ木を見た。そのときはいまのように雪が降っていて、自分はあの方に抱きついた。
 ――おじさま生きていらしって。
 抱きつきながら、そう云ったのを覚えている。あのとき自分は、幼ない者の本能で、もうなにかを感じとっていたのだろうか。いいえ、そうではない、そんなことを感じたのではない、自分はただ別れることが悲しかった。あの方が船岡へお帰りになるというので、こころぼそさと悲しさでいっぱいだったのだ。
 雪はしだいに激しくなり、樅ノ木の枝が白くなった。空に向かって伸びているその枝々は、いま雪をりんと力づよく、昏れかかる光の中に独り、静かに、しんと立っていた。
「――おじさま」
 宇乃はおもいをこめて呼びかけた。すると、樅ノ木がぼうとにじんで、そこに甲斐の姿があらわれた。彼のもっとも好きな、紺染めの麻の帷子かたびらを着、右手に刀をさげている。慥かに、紺染めの麻の帷子だ。宇乃は微笑した。甲斐の姿がそこにあらわれたことを、少しの不自然さも感じずに受入れることができ、宇乃はもういちど微笑しながら云った。
「おじさま」
 甲斐が「宇乃」と呼んだ。
 宇乃と呼ぶ声が、現実のように温かく、なつかしいひびきをもって聞えた。そして、甲斐は宇乃をみつめながら極めてゆっくりと、静かに、こちらへ近づいてきた。宇乃は云いようもなく激しい、官能的な幸福感におそわれ、自分のからだのそこが、湯でもあふれ出るように、温かくうるおい濡れるのを感じた。甲斐はもう宇乃の前に来てい、宇乃は甲斐のほうへ、両手をそっとさし伸ばした。





底本:「山本周五郎全集第十巻 樅ノ木は残った(下)」新潮社
   1982(昭和57)年12月25日発行
初出:冒頭のほぼ三章「日本経済新聞」
   1956(昭和31)年3月10日〜9月30日
   上記以外「樅の木は残った 下巻」講談社
   1958(昭和33)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「第三部」「第四部の冒頭のほぼ三章」の初出時の表題は「原田甲斐―続樅の木は残った」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:富田晶子
2018年3月27日作成
2018年9月21日修正
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