赤ひげ診療譚

徒労に賭ける

山本周五郎





「病人たちの不平は知っている」新出去定にいできょじょうは歩きながら云った、「病室が板敷で、茣蓙ござの上に夜具をのべて寝ること、仕着しきせが同じで、帯をしめず、付紐つけひもを結ぶことなど、――これは病室だけではなく医員の部屋も同じことだが、病人たちは牢舎ろうやに入れられたようだと云っているそうだ、病人ばかりではなく、医員の多くもそんなふうに思っているらしいが、保本はどうだ、おまえどう思う」
「べつになんとも思いません」そう云ってから、登はいそいで付け加えた、「かえって清潔でいいと思います」
「追従を云うな、おれは追従は嫌いだ」
 登は黙った。
「われわれの中で、もっとも悪いのは畳だ、昔はあんな物は使わなかった、水戸の光圀みつくには生涯、その殿中に畳を敷かせなかったという、それは古武士的な質素と剛健をとうとぶためだと伝えられるが、そうではない、事実はそういう気取りだったにしても、住居のしかたとしては極めて理にかなっていた、現に畳というものが一般に使われるようになった元禄げんろく年代まで、二千余年にわたって板敷の生活が続いていたことでもわかることだ」
「敷き畳という物はあったのですね」
「それは貴人の調度であり、儀礼とか寝るときに使うだけで、板敷という基本に変りはなかったのだ」と去定は云った、「板敷がもし合理的でなかったとしたら、すでに敷き畳があったのだから、もっと早く畳というものが一般化されていたに相違ない」
 道は坂にかかっていた。七月中旬の午後三時、暦の上では秋にはいったのだが、暑さは真夏よりもきびしかった。その日は微風もなく、空は悪意を示すかのように晴れていて、うしろから照りつける日光は、まるで手に触れることのできる固体のように、立体的な重さが感じられるようであった。登はもちろん、薬籠を背負った竹造も、着物の背中や二の腕あたりは汗ですっかり濡れているし、額から顔、衿首などにながれ出る汗を拭くのにいそがしかったが、去定はまったく汗をかいていない。――登はこのことを夏にかかるころから気づいていた。脂肪質ではないが、去定は固太りに肥えている。両腕や広い肩には筋肉がこぶをなしており、手も大きいし指も百姓のように太い、腰だけは若者のように細くひき緊っているが、ざっと見た眼には年老いた牡牛おうしのような感じを与える。――したがって、暑さも人一倍だろうと思うのだが、どんな日盛りの道でも平気で歩くし、決して汗というものをかかない。暑いなどと云わないことには驚かないが、汗を一滴もかかないということは、登にはわけがわからなかった。
 ――先生は暑くないのですか。
 或るとき登はそう訊いてみた。去定は言下に、暑いさ、と答えた。それがどうしたといわんばかりの返辞なので、登は汗のことまで訊く気にはならなかったのである。
「この国の季候は湿気が強い、畳はその湿気と塵埃じんあいの溜り場だ」と去定は続けていった、「ためしにどこの家でもいい、そしていま煤掃すすはきを済ませたばかりの畳を叩いてみろ、必ず塵埃が立つだろう、藁床わらどこで編んだこの敷物は、湿気と塵埃を吸い、それを貯めておくのにもっとも都合よくできている、もちろん、裕福な生活をしている者は、畳替えをしたりよく掃除させたりすることで、その不潔さをかなりな程度まで緩和できるが、貧しい者ではそんなわけにはいかない、保本もだいぶ裏長屋などを見て来たから知っているだろうが、十年以上も敷きっ放しで、畳替えはしないし掃除も満足にはやらないから、しんの藁床は湿気でぼくぼくになり、擦り切れた畳表のあいだからはらわたのようにはみ出している、そこはのみしらみの巣で、息をするたびに藁屑わらくずや塵埃を吸いこむことになる、床は低く、その下の地面はいつも湿っていて乾くひまがない、こんなところに寝起きをしていれば、病気にならないのがふしぎなくらいだ」
 これを養生所のように板敷にすれば、床下からの湿気も防げるし、茣蓙ござはたやすく日光や風に当てることができる。これだけを比較してみただけでも、どっちが合理的かということは明瞭ではないか、と去定は云った。ちょうど坂を登りきって、本郷一丁目の通りを右へ折れるところだった。登は去定の説明を聞きながら、その理論の当否よりも、そういうところに眼をつけ、それを是と信じ、他の反対や不平に頓着とんじゃくせず、すぐに実行する彼の情熱と勇気に感嘆した。
 ――先生のような人こそ、養生所という特殊な施設にはうってつけの人なんだな。
 こう思いながら、登は手拭で汗を拭いた。そのときひょっと、向うから来る一人の若者が眼についた。洗いざらしの単衣ひとえに三尺をしめ、藁草履をはき、片方の裾をまくって、ひょろひょろと来たが、すれちがいさまにどんと去定に突き当った。うしろにいた登の眼にも、明らかにわざと突き当ったということはわかった。不意をつかれて、去定はちょっとよろめき、すると若者が喚いた。
「やい老いぼれ、どういうつもりだ」
 去定は相手を見、すぐに目礼して云った、「これはどうも、失礼した」
「失礼したあ」と若者は裾を捲っていた手で、こんどはかた袖を捲りあげた、「やい、この広い往来で人に突き当って、失礼したで済むと思うのかよウ」
 登はわれ知らず前へ出ようとした。しかし去定はそれを制止し、こんどは丁寧に頭をさげて云った、「見るとおりの年寄りで、考えごとをしていたために失礼をした、まことに申訳ないが勘弁してもらいたい」
「ちえッ」若者は眼を三角にして、去定を見あげ見おろし、だが、それ以上云いがかりをつける隙がないとみたのだろう、脇のほうへ唾を吐いて云った、「ちえッ、縁起くそでもねえ、感情悪くしちゃうじゃねえか、気をつけやがれ」
 半丁あまり歩いてから、登がいまいましそうに云った。
「ならず者ですね、ひどいやつだ、私はわざと突き当るのを見ていましたよ」
「そうしたかったんだろう」と去定はあっさり云った、「人間はときどきあんなことをやってみたいような気持になるものだ、若いうちにはな、――おれにも覚えがあるよ」
 私は殴りつけてやろうかと思いました、登はそう云おうとしたが、口には出さず、こぶしを握ったまま黙って歩いていた。


 日光門跡もんぜきの下屋敷のあるみくみ町に、小さな娼家のかたまった一画がある。岡場所といわれるもので、棟割り長屋が並んでおり、一軒に女が二人ときめられていた。むろんそれは表向きのことで、停止されたかと思うと、いつか許可になったり、つねに取締りの寛厳が繰り返されるから、娼家の軒数も女たちの数も一定してはいなかった。
 去定は十日に一度くらいの割で、その娼家街へ外診にいき、強制的に女たちを診察し治療してやっていた。それは二年まえからのことだそうで、森半太夫の話によると、一昨年の秋に、三人の娼婦が養生所へ救いを求めて来た。三人とも病毒に冒されているし、極度の栄養不足のため、殆んど餓鬼のようになっていた。去定は応急の手当をしておいて、彼女たちの雇い主を呼びだしたが、そんな女は知らないといって出て来なかった。そこで町方の役人に同行を頼み、みくみ町へでかけていってみた。
 ――この世に悪人はない、この世界に悪人という者はいない。
 養生所へ帰って来た去定は、独りでしきりにそう呟いていたそうである。それは「悪人がいない」ことを認めたのではなく、悪人などいる筈がない、ということを自分に云い聞かせているような調子だった、と森半太夫は語った。救いを求めて来た三人のうち、一人は死に二人は半年ばかり療養したうえ、ほぼ健康をとり戻し、一人は水戸在の実家へ帰ったが、残った一人は逃亡してしまった。
 ――親きょうだいの身寄りもないというので、新出先生がここの賄所で手伝いでもしていろと云われた。
 けれども女は逃亡し、どこへいったかいまだに不明だということであった。
 これらのことは半太夫から聞いたし、養生所の病室にはいまでも二人、去定が引取って来て療養している女がいた。登はその二人の治療には助手を勤めているが、外診でみくみ町へいったことはなかった。――そしてその日、本郷の通りを湯島天神のほうへ曲ったとき、彼はようやく去定のいく先に見当がついた。
「保本は、――」門跡下屋敷の見えるところまで来たとき、去定は足を緩めながら登に問いかけた、「くるわとか岡場所などへいったことがあるか」
 登はちょっと口ごもった、「はあ、長崎にいたとき、三度ばかり」
「医者としてか、客としてか」
 登は汗を拭いた、「学友にさそわれましたので、遊びにいったのですが、むろん」と彼は力をこめていった、「女には触れませんでした」
「ほう」と去定が云った。
「私には江戸に約束した娘がいたのです」登はむきになって云った、「その娘は私の留守ちゅうに他の男と、――いや、その娘は約束をやぶりましたが、私は待っていてくれるものと信じていたものですから、さそわれて遊里へはいっても、女に触れる気にはならなかったのです」
 去定は暫く歩いてから云った、「悪いことを訊いたようだな、いまの質問は取消しにしよう、忘れてくれ」
 登はまた汗を拭いた。
 みくみ町のその一画には、低い黒板塀くろいたべいが廻してあり、入口の門のわきには火の番小屋があった。黒板塀はすっかり古びて、ぜんたいにかしがっているし、板のがれたところもあった。火の番小屋は油障子があいており、中に男が三人ばかりいるのが見えた。二人は肌脱ぎ、他の一人は裸であったが、通り過ぎる去定を認めると、一人がなにかささやき、三人が一斉に、するどい眼つきで去定をにらみ、そして登を睨んだ。
「こんな季節に」と登が訊いた、「ここでは火の番が昼から詰めているのですか」
「あれは表向きだ」と去定が答えた、「ここでも火の番の役は犬がする、あの男たちはここの用心棒だ」
 登にはその意味がわからなかった。
「ここの客は武家の小者や折助などが多い」と去定が説明した、「中には武家の威をかりて、たちの悪いことをする者もあるが、そんなときにはあの男たちが出て片をつけるし、また、女たちが逃げるのを防ぐ役目もする、つまりこの一画の娼家に雇われているのだが、――その関係はなかなか複雑だから一と口には云えない、まあ、そのうちにわかるだろうが、――かれらがなにを云っても、決して相手になってはいけない、ということを覚えておくがいい」
「なにか云うようなことがあるのですか」
「ここではまだない」と去定は云った、「たぶんそんなことはないだろうが、用心のために云っておくのだ」
「わかりました」と登は答えた。
 去定は十七軒の娼家を訪ね、八人の女たちを診察した。その中には手伝いだという、十三歳の少女も一人いた。女主人は「親類から預かっている手伝いだ」と云い、少女自身は年を十五歳だと云っていたが、胸や腰のまだ平べったく細いからだつきや、せた子供っぽい顔などは、どうしても十三歳より上とはみえなかった。去定はまえから彼女に眼をつけていたらしく、むりやりに診察したあと、女主人をきびしく叱りつけた。
「こんな子供に客を取らせるやつがあるか、おれが届け出たら、おまえは臭いめしを食わなければならないぞ」
「なにをおっしゃるんです、とんでもない」女主人は躍起になって否定した、「これはあたしの親類の子です、いくらこんなしょうばいをしていたって、親類から預かった子を客に出すなんて、あたしゃそんな女じゃあありません」
「これは瘡毒そうどくだ」去定は少女の口尻にある腫物はれものした、「おれはまえから見ていたんだ、からだにもこれができている、これは病毒持ちの客に接しなければできない病気だ」
「あたしは知りません」と云って、女主人は少女のほうを見た、「それとも、――とよちゃん、おまえあたしに隠れて悪いことをしたんじゃあないかい」
 少女は無表情に黙っていた。
とよちゃん、返辞をしないの」
「よせ」と去定は女主人に云った、「こんな猿芝居はたくさんだ、それよりこの子を親許おやもとへ帰すがいい、親はどこにいるんだ」
「それがよくわからないんですよ」
 去定は黙っていた。
「おと年の暮までは本所の業平なりひらにいたんです」と女主人は云った、「舟八百屋をやってたんですけれど、子だくさんでくらしに困って世帯じまいをしたときにこの子を預けたんですが、そのままどこへいったか、いまだに行方知れずなんです」
 去定はおとよに訊いた、「正直に云ってごらん、おまえのうちはどこだ」
「知りません」と少女はかぶりを振った、「かあさんの」と云いかけてすぐに云い直した、「おばさんの云うとおりもとは業平にあったんですけれど」
「嘘を云ってはだめだ」と去定は遮った、「私が力になってやるから本当のことを云ってごらん」
 決して心配はない、誰に遠慮することもない、私が付いていてやるから、と去定は云ったが、おとよは女主人と同じことしか云わなかったし、年も十五だと云い張った。そこで去定は、そういう事情なら養生所へ引取ると云いだした。女主人はどうぞと答えた。厄介者がいなくなるのは有難いくらいです、どうかれていって下さい。女主人がそう云っていると、おとよが急に泣きだしながら、あたしはいやです、と云って肩を左右に振った。
「あたいここのうちがいい」とおとよは子供がだだをこねるように叫んだ、「あたいどこへもいかない、ここのうちにいるんだ、伴れてっちゃいやだ」
 それは本心のようであった。女主人を恐れるためではなく、本当にこの家にいたいという感じが、その声にも、涙のこぼれ落ちる眼つきにも、よくあらわれていた。
「よく聞け」と去定はなだめるように云った、「おまえは悪い病気にかかっている、このままこんなところにいたら、その病気のために片輪か気違いになってしまうぞ」
「いやだ、いやだ」とおとよは泣きながら叫んだ、「あたいこのうちにいる、あたいを伴れてっちゃいやだ、いやだ」


 女主人は平然と、きせるでたばこをふかしていた。隣りの部屋には女が二人いたが、これも息をころしているようすで、こそっとも物音がしなかった。だが、おとよの泣き叫ぶのを聞きつけたらしく、戸口の外で「なんだなんだ」という声がし、二人の男があらあらしく土間へはいって来た。
「なんだねえさん」と男の一人が云った、「どうしたんだ、なにかあったのか」
 二人はどちらも若い、おそらく二十一か二くらいであろう、はけ先を曲げた流行のまげに結い、しゃれた浴衣に平ぐけをしめて、新らしい雪駄をはいていた。
「なんでもないのよ、騒がないでちょうだい」と女主人はきせるを置きながら云った、「養生所の先生がこの子が病気だからって、伴れてって治してやろうと仰しゃるのに、この子がいやがって泣いてるだけなんですよ」
「泣くほどいやがる者を伴れていこうというのかい」と若者の一人が云った、「病気を治すんなら、なにも養生所でなくったっていいじゃねえか、この土地にはこの土地の医者もいることだしよ、なあ鉄」
「おうよ」と伴れの若者がしゃがれた声で云った、「なにも養生所の医者ばかりが医者じゃあねえ、養生所の医者だからどんな業病でも治せるってわけのもんじゃねえだろう、そんならなにも世の中に死ぬ人間なんかありゃしねえ、病気は病気、医者は医者、死ぬ人間は死ぬ人間、なにもよけえな者がでしゃばるこたあねえんだ」
「あたいはいやだ、いやだ」とおとよは身もだえをしながら泣き叫んだ、「どこへいくのもいやだ、あたいこのうちにいるんだ」
「竹造」と去定が云った、「薬籠やくろうをよこせ」
 竹造は上りがまちのところで、二人の若者を睨んでいた。いまにもとびかかりそうな顔で、拳を握っていたが、去定に呼ばれてはっとし、薬籠を登のほうへ押しやった。
「安心しなおとよちゃん」と初めの若者が云っていた、「おれたちが付いているからな、誰にだって指一本差させやしねえ、こっちは命を投げだしてるんだから」
「おうよ」とその伴れも云った、「このしまのためにゃあこちとらあ命と五躰を張ってるんだ、なにもだてにこのしまに住んでるんじゃねえんだから」
 去定は女主人に薬を渡していた。貝入りの膏薬こうやく煎薬せんじぐすりとで、その用いかたを入念に教え、膏薬のほうは自分でおとよに貼ってみせた。おとよはぴたっと泣きやんだ。いままで泣き叫んでいたのが嘘のように、泣きじゃくりさえ残らなかった。
「はっきり云っておくが」と去定は女主人に云った、「今後は決して客を取らすな、もし客を取らせるようなことがあると届け出るぞ、わかったな」
「わたしは大丈夫ですがね」女主人はきせるを取りあげながら云った、「一日十二ときこの子にくっついているわけにはいきませんから、この子はませてるし、あんなことは障子の蔭で立ったままでもできるこってすからね」
「そんな理屈がとおると思うのか」
「こんな子でも人間ですよ、まさか金鎖かなぐさりつないどくわけにもいかないでしょ」そして彼女は二人の若者たちに云った、「もういいよ、鉄さんにかねさん、御苦労さま」
 若者たちは出ていった。腰抜け医者だとか、ふるえてたぜ、などと云うのが聞え、二三間いくとばか笑いするのが聞えた。同時に竹造の顔が赤ぐろくなるのを、登は見た。去定はまったく無関心に、十日ばかりしたらまた来ると云い、まもなくその家を出た。
 みくみ町から下谷したやへまわり、根岸の寮で寝ている穀物問屋の隠居をみまった。それから神田の商家、鍛冶橋かじばし御門の中の松平隠岐おき邸と、次つぎに八カ所回診したが、その途中、歩いているあいだは休みなしに、登に向かって話し続けた。
「人間ほど尊く美しく、清らかでたのもしいものはない」と去定は云った、「だがまた人間ほど卑しく汚らわしく、愚鈍で邪悪で貪欲どんよくでいやらしいものもない」
 あの娼家の主人たちは、女に稼がせて食っている。その善悪はともかく、現に女で食っているのだから、せめてそれだけの償いをしなければならない。だが事実は多く反対で、稼がせるだけは稼がせるが、病気になってもろくろく養生もさせず、特約している町医と結託して、倒れるまで客を取らせ、いよいよ寝込んでしまうと、薬はおろか食事も満足には与えない、いわば早く片のつくのを待つというような、無慚むざんなことを平気でする。そんな例はざらにはないだろうが、養生所へ逃げて来た三人の女たちがそうだったし、現在もみくみ町で幾軒かそういう家がある。
「おれは売色を否定しはしない、人間に欲望がある限り、欲望を満たす条件が生れるのはしぜんだ」と去定は云った、「売色が悪徳だとすれば料理茶屋も不必要だ、いや、料理割烹かっぽうそのものさえ否定しなければならない、それはしぜんであるべき食法に反するし、作った美味で不必要に食欲を唆るからだ」
 もちろん料理茶屋はますます繁昌するだろうし、売色という存在もふえてゆくに違いない。そのほか、人間の欲望を満たすための、好ましからぬ条件は多くなるばかりだろう。したがって、たとえそれがいま悪徳であるとしても、非難し譴責けんせきし、そして打毀うちこわそうとするのはむだなことだ。むしろその存在をいさましく認めて、それらの条件がよりよく、健康に改善されるように努力しなければならない。
「こんなことを云うのは、おれ自身が経験しているからだ」と去定は云った、「どんなふうにと説明することはないだろう、おれは盗みも知っている、売女ばいたおぼれたこともあるし、師を裏切り、友を売ったこともある、おれは泥にまみれ、傷だらけの人間だ、だから泥棒や売女や卑怯者ひきょうものの気持がよくわかる」
 そして急に舌打ちをした。
「ばかな」と去定は足踏みをした、「なにをいきまくんだ、今日はどうかしているぞ」
 登は殆んどあっけにとられていた。
 ――盗み、裏切り、友を売った。
 いったいどういうことだろう。現実にそんな経験をしたのか、それとも観念的な話だろうか。いずれにしても、なぜ突然こんなことを云いだしたのだろう、登はそう思いながら、黙って去定に付いて歩いた。


 その夜、――例によっておそい晩飯が済んでから、登は去定に呼ばれてその部屋へいった。去定は机の脇にある包みを取って、登のほうへ差出し、長いあいだ済まなかったと云った。
「なんでしょうか」と登はいた。
「いつか借りた筆記と図録だ」
 登はうなずいた。それは彼が長崎へ遊学したときのもので、各科の病理や解剖、治療、調剤にわたる記録で、この養生所の見習医になったとき、去定に求められて呈出したものであった。
「必要なところを筆写させてもらった」と去定は云った、「これは自身のためではなく、病人たちのために役立てるのだ、不服かもしれないが了解してくれ」
 登はわきの下に汗のにじむのを感じた。それは、初めにその筆記図録を出せと云われたとき、彼は頑強に「これは私のものだ」とこばんだ。特に本道ほんどう(内科)の部門には、彼なりにくふうした診断法や治療法があり、それによって医界に名を挙げることができる、と信じていたからである。登は「内障眼そこひの治療法だけで天下の名医といわれた人さえあるではないか」とまで云ったものだ。
「おれは今日、盗みもやったと云ったが」と去定は苦笑しながら云った、「これも盗みの一つだろうな」
「どうぞおゆるし下さい」登は低頭した、「あのときは分別がなかったのです、いま考えると恥ずかしくってたまりません、お願いですからもう仰しゃらないで下さい」
「おれも今日の自分が恥ずかしい」去定はひげをごしごしこすった、「筋もとおらぬあんなたわ言を並べ、独り偉そうにいきり立ったことを思うとわれながらあさましくなる」
「先生は怒っていらしったのです」と登が云った、「あのおとよという娘の家で二人のならず者が暴言を吐いた、そのときがまんなすった怒りが、下谷へゆく途中から出はじめたのだと思います」
「それは少し違う、おれはあの二人には同情こそしたが、決して怒りは感じなかった」
「――同情ですって」
「数年まえから、ああいう若いやくざがふえるばかりだ」と云って、去定は太息をついた、「その原因の一つは幕府の倹約令にある、無用の翫物がんぶつ贅沢ぜいたくを禁じたのはいいが、その取締りが度を越したために、商取引が停滞し、倒産する者や職を失う者が多数に出た、また大きな埋立て工事や、川堀の普請の中止などで、稼ぎ場をなくした者も少なくない、――それでも年配の家族持ちや、才覚のある者ならなんとか生きるみちをつかむだろうが、まだ気持のかたまらない若者などはぐれてしまい易い、生れつきやくざな性分を持っている者はべつとして、ふつうの人間なら誰しもまっとうに生きたいだろう、やくざ、ならず者などといわれ、好んで人に嫌われるような人間などいる筈はない」
 おれは今日の二人に限らず、街をうろついている若者たちを見ると、可哀そうでたまらない気持になる、と去定は云った。
「娼家の主人たちも同様だ、女たちを扱う無情で冷酷なやりかたを見ると、つかまえて逆吊さかづりにでもしてやりたいと思う、初めのうちはいつもそうだったし、いまでもしばしばそういう怒りにおそわれるが、よく注意してみると、かれらも貪欲だけでやっているとは限らない、やはり貧しさという点では、雇っている女たちに劣らないような例が少なくないことがわかる」去定はそこでちょっと口をつぐみ、こんどは自分を責めるような調子で続けた、「――世間からはみだし、世間からうとまれ嫌われ、憎まれたり軽侮されたりする者たちは、むしろ正直で気の弱い、善良ではあるが才知に欠けた人間が多い、これらがせっぱ詰まった状態にぶっつかると、自滅するか、是非の判断を失ってひどいことをする、かれらにはつねにせっぱ詰まる条件が付いてまわるし、その多くは自滅してしまうけれども、やけになって非道なことをする人間は、才知に欠けているだけにそのやりかたも桁外けたはずれになりがちだ、それは保本もずいぶん見て来たことだろう」
 この世から背徳や罪悪を無くすることはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無知からきているとすれば、少なくとも貧困と無知を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。
「そんなことは徒労だというだろう、おれ自身、これまでやって来たことを思い返してみると、殆んど徒労に終っているものが多い」と去定は云った、「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、――だが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富み栄えている者よりも、貧困と無知のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれはかえって人間のもっともらしさを感じ、未来の希望が持てるように思えるのだ」
 人間のすることにはいろいろな面がある。暇に見えて効果のある仕事もあり、徒労のようにみえながら、それを持続し積み重ねることによって効果のあらわれる仕事もある。おれの考えること、して来たことは徒労かもしれないが、おれは自分の一生を徒労にうちこんでもいいと信じている。そこまで云ってきて、急に去定は乱暴に首を振った。
「おれはなにを云おうとしているんだ、ばかばかしい」そしてまた髯をごしごし擦った、「今日はよっぽどどうかしている、保本を呼んだのはこんな話をするためじゃない、ほかに云いたいことがあったからだ」
 登は去定を見た。
「天野の娘のことだ」と去定は眼を脇へそらしながら云った、「わかっているだろう」
「はい」と登は答えた。
「おれは詳しい事情は知らない、源伯は話そうとしたが、おれは事情は聞かなかった、むろんおよその察しはつくが」去定は言葉を続けるまえにちょっと休んだ、「要点を云えば、天野は妹娘を保本に貰ってくれというのだ、年は十八で、名は、なんとかいったな」
まさをといった筈です」
「当人を知っているのだな」
「顔かたちを覚えているくらいです」
「姉娘のほうは義絶になったままだという、保本が妹娘を貰ってくれれば諸事まるくおさまる、これはおまえの両親も望んでいるそうだ、もしそうする気があるのなら、いちど麹町こうじまちの家へいって来るがいいだろう」
「まだ修業ちゅうですから」と登は答えた、「結婚のことなど考えたくありません」
 去定は登を見た、「まだ姉娘のことにこだわっているのか」
「いや、と申せば嘘になるでしょうが」と登は云った、「いまの私には修業のほうが大事であり、また張合いがありますから、当分のうちはそういうことを考えたくないのです」
「では約束だけでもしておいたらどうだ」
 登の顔がするどくゆがんだ。
「せっかくですが」と彼は顔をそむけながら云った、「私にはそういう約束はできません」
 去定はじっと登の顔をみつめていたが、やがて机のほうへ向き直り、低いせきをして云った。
「話はそれだけだ」
 登は辞儀をし、記録の包みを持って立ちあがった。


 自分の部屋に帰って、記録の包みを戸納とだなへしまってから、登は森半太夫の部屋を訪ねた。半太夫は机のそばに行燈をひきよせて、日記を書いているところだった。入所患者に関する毎日の記事を書くのが、半太夫に任された事務の一つだったのである。
「いま終るところだ」と半太夫が云った、「そこに円座えんざがある、ちょっと待っていてくれ」
 登は脇にある円座を取って坐った。
 半太夫を訪ねたのは、去定のことを知りたかったからである。盗みをした、ということはともかく、師を裏切ったとか、友を売った、などという言葉には意味がありそうだし、大名諸侯や富豪から、礼をつくして迎えられるほどの腕を持っていて、いまだに妻もめとらず、養生所で独り不自由なくらしをしていることにも、なにか仔細しさいがありそうに思えた。半太夫は古参でもあり、去定とはもっとも近しいので、その経歴なども知っているだろうと考えたのだが、訊いてみると殆んどなにもしらなかった。
「先生は決して自分のことは話さない方だから」と半太夫は云った、「私の聞いたところでは、馬場穀里こくりの門下で、鍛冶橋の宇田川榕庵ようあんは先生の後輩だということだ」
「馬場というと、洋学の、――」と登は意外そうに反問した、「そして宇田川榕庵と同門の先輩に当るって」
「先生からじかに聞いたのではないから、どこまで真実かはわからないが、馬場氏がもっとも信愛していたのは新出先生だったそうだ」と半太夫は云った、「それで馬場氏は先生を自分の後継者にするつもりでいたところが、先生はそれを嫌って門下をはなれ、長崎へいって蘭方らんぽうの医学をまなばれたということだ」
 登はどきんとした。いつか膵臓すいぞう癌腫がんしゅで死んだ患者があったとき、去定が蘭語ですらすらと病状を云った。登はそれを、自分の筆記で覚えたのだろう、と思ったのであるが、長崎へ遊学したことがあるというと、自分などより新らしい知識を持っているかもしれない。語学の秀才だったとすれば、こっちにいても蘭語の医書が手にはいるし、実地に病人の治療をして来たのだから、自分の筆記などから覚えるようなことはない筈である。
 ――では筆記や図録を写したのはなぜだろう。
 おそらく、と登は思った。おそらくそれは、どんなものからもまなぶ、という謙遜けんそんな気持なのだろう。登は心の中で激しく、自分の軽薄さをののしった。
「どうしてそんなことを訊くんだ」と半太夫が云った、「先生になにかあったのか」
 登は今日あったことを話した。
「わからないな」と半太夫は云った、「師を裏切ったというのは、馬場氏の門下を去ったことかもしれない、たぶん、語学の後継者にという師の望みにそむいたことをさすのだろうが、盗みとか友を売ったなどということは、現実的な意味ではないのじゃあないか」
「そうも思ったのだが」と登は頷いて云った、「ひどくしんけんに、告白するというような口ぶりだったのでね、しかし、たぶん言葉どおりではないだろうな」
「自分には特にきびしい人だからね」
 登はまもなく立ちあがった。
 次にみくみ町へいったのは、まえの日から七日めに当る、雨もよいの午後のことであった。梅雨でもかえったように、湿っぽくむしむしする日で、六カ所回診するうち、三度めにいやなことがあった。それは日本橋白銀町しろがねちょうの、和泉屋いずみや徳兵衛という質両替商で、四十一歳になる妻女が中風になり、半年ほどまえから診察にかよっていたのだが、去定は例のように高額な薬礼を取ってい、それを徳兵衛が不当だと思っていたらしい。診察をし薬の調合を変えて与えると、そばで眺めていた徳兵衛が茶をすすめながら皮肉な顔で去定に話しかけた。
「つかぬことをうかがいますが、医は生死のことにあずからず、ということがあるそうでございますな」
「あるようだな」と去定は答えた。
「するとなんですかな」と徳兵衛はそらとぼけた声で云った、「治る病人は治る、死ぬ病人は死ぬ、医者の知ったことではない、というわけでございますかな」
「そういう意味もあるだろうね」
「するとその、やぶ医者も名医も差別はない、高価な薬も売薬も同じことだ、というわけになるのでしょうかな」そこで徳兵衛はわざとらしく付け加えた、「もちろん新出先生のような御高名な方はべつとしてですが」
「私をべつにすることはない」と去定は答えた、「おまえさんの云うとおり、医者にも薬にもたいした差別はないというのが事実だ、名医などという評判を聞いて高い薬礼を払ったり、効能も知れぬ薬を買いあさったりするのは、泥棒に追い銭をやるよりばかげたことだ――なにかそのほかに訊きたいことがありますか」
「これはどうも、御機嫌を損じたようでございますな」
「いやなかなか」と去定は立ちあがりながら笑った、「このくらいのことではらを立てるようでは、金持のたいこ医者が勤まるものではない、その懸念は御無用」
 外へ出るとすぐに、去定は「吝嗇漢りんしょくかん」と云って唾を吐いた。それから三軒廻ったのだが、機嫌の直るようすはなかった。登もこれまで外診の供をしていて、去定がそんなことを云われるのを見た例はなかった。町家はいうまでもなく、大名諸侯でさえ、相当以上の礼をつくして迎えるのがつねであった。
 ――ひどいやつがあったものだ。
 徳兵衛の皮肉な、そらとぼけた口調や、色艶いろつやの悪い顔にうかべた卑しい表情などを思い返すと、登もまた睡を吐きたいような、いやな気持になるのであった。
 六軒めの回診が終って出たとき、去定は空を見あげて、「さて」とつぶやき、そのまま暫く立停っていた。竹造は背負った薬籠をゆりあげながら、うかがうように登を見た。登は眼で、黙っていろという合図をした。
「まだ帰るには早いな」と去定はわれに返ったように云った、「よし、みくみ町へ廻ってやろう」
 そして元気よく歩きだした。
 まるで躯の中から不機嫌を叩き出そうとでもするように、力のこもった大股おおまたで、御成道おなりみちを横切ると、松下町から武家屋敷のあいだをぬけ、細くて急な坂を登ってみくみ町まで、ぐんぐんと休みなしに歩き続けた。薬籠を背負っている竹造は汗だらけになり、登に向かってそっと苦情を云った。
「あのけちんぼのかたきを、こちとらで討たれるようなもんだ、こんなつまらねえ話はありませんぜ」
 登は黙って振向いた。竹造はぐしゃぐしゃになった手拭で額を拭き、それを両手で絞ってみせた。手拭はいま水からあげでもしたように、信じ難いほどの量の汗が絞り出された。登は苦笑して、「よせ」と云いかけながら、ふと、すれちがってゆく男のほうを見た。それは娼家街のほうから来たのだが、すれちがうときに変な眼でこちらを見た。一種のするどさを帯びたいやな眼つきだったので、登が振返ると、その男もこちらを振返って見てい、だがすぐに顔をそむけると、小走りに横丁へ曲っていった。
「いつかのやつですぜ」と竹造がどもりながら云った。


「いつかのやつって」
「このまえ本郷の通りで、わざと先生にぶっつかって文句をつけたやつです」
「そうかな、私は気がつかなかったが」
「あっしはあの面で覚えてましたよ」と竹造は云った、「野郎こそこそ逃げていったじゃあありませんか」
「そうらしいな」と登が云った。
 去定はその日、十七軒ある娼家をぜんぶ診てまわった。中には拒む家もあったが、去定は相手の云うことなど聞きもせず、強引にあがって女たちを呼びだし、ちょっとでも疑わしい者は遠慮なく診察をし、病気に冒されていれば投薬したうえ、症状に応じてその雇い主たちに注意を与えた。
「この女は十日休ませろ」とか、「この次おれが診に来るまで客を取らせるな」とか、ごくひどい者は「生家へ帰らせろ」と命じたりした。たいていはうわべだけにしろ、はいはいとすなおに聞いた。診察も治療も只でしてくれるのだから、むしろ感謝するのが当然であろう。けれども中には反抗する者もあった。
「うちではこの女一人が稼ぐんですよ」とやり返す女主人がいた、「こっちの女はお茶ばかりひいて、三日に一人の客も取れやしない、肝心の稼ぎ手に十五日も休まれたら、それこそ口が干あがっちゃいますからね、それとも十五日間の食い扶持ぶちを下さろうっていうんですか」
「十五日休ませろ」と去定は云った、「さもなければ、口が干あがるぐらいでは済まないことになるぞ」
 その女主人は顔をひきつらせ、睨み殺そうとでもいうような眼つきで、去定をねめつけた。
 おとよという少女のいた家では、「もうあの子はいない」と云った。養生所へ伴れてゆかれるかもしれないということばかり心配していたが、三日まえの朝早く、誰も気がつかないうちに逃げだしてしまった。ゆく先のあてもないのだから捜しようもない、ということであった。真偽はわからない、事実はよそへ売ったのではないか、と登は思った。このまえのときおとよは、女主人のことを「かあさん」と呼びかけて、慌てて「おばさん」と呼び直した。親類の子を預かっているというのも嘘だったらしいから、いま話していることも真実ではないだろう、そう思って去定を見たが、去定はべつに詮索せんさくもせず、黙って聞いていて、やがて立ちあがった。
 十七軒めを済まして出たとき、去定が口の中で「医者にかかってくれればいいが」と呟くのが聞えた。外は黄昏たそがれかかっていて、早くも酔っているらしい客が、あちらこちらに一人二人と、娼家の軒先で女たちと話したり、ふざけた声で笑ったりしていた。そして去定たちが門へかかろうとすると、その前をふさぐように、二人の男があらわれて道の上に立った。どちらも若く、一人は双肌もろはだぬぎ、一人はふんどしに白い晒木綿さらしの腹巻だけで、その裸の男のほうが去定に呼びかけた。妙にへりくだった、あいそのいい口ぶりで、眼だけにすごみをきかせながら、今後はこの土地へ近づかないほうがいい、という意味のことを云った。
 去定は若者をじっとみつめていて、それからごく穏やかに訊いた、「どうして、おれが来てはいけないのだ」
「土地がさびれるんだそうですよ」と若者は答えた、「おまえさんは初めに町方を伴れておいでなすった、それは一度っきりだったそうだが、なにしろ養生所はおかみの息がかかってるし、おまえさんはそこの先生だ、しぜんおまえさんのような人が出入りをすると、客がこわがって寄りつかなくなる」
 去定はさえぎって云った、「そんな持って廻ったことを云うな、おまえは誰かに頼まれて来たのだろう、頼んだのは誰だ」
「このしまぜんたいですよ」
「正直に云え」と去定はたたみかけて云った、「おれは二年あまりここへかよっている、しょうばいの邪魔になるなら、もうとっくに文句が出ている筈だ、誰に頼まれたか正直に云え、誰だ」
「威勢のいいじじいだな、ええ」若者は伴れのほうへ振向いた、「せっかくためを思って云ってやるのに、これじゃあ穏やかにゃあ済まねえらしいぜ」
「あまくみてえるんだ」肌ぬぎの男は手をあげて叫んだ、「おい、みんな来てくれ」
 登は振返った。するとうしろのほうに三人若い者がいて、こっちへ走って来た。二人はこのまえ、おとよのことでやりあった相手であり、他の一人は来るときにすれちがった、竹造に云わせれば「本郷一丁目で突き当った」男だということを登は認めた。
「保本、――」と去定が云った、「竹造といっしょにさがっていろ、手出しはならんぞ」
「それはいけません、先生」
「いや構うな」と去定は登を遮った、「おれは大丈夫だからさがっていろ、ええ、さがっていろというんだ」
 登と竹造は脇へさがった。登は足ががくがくし、唾がのみこめなくなった。竹造を見ると、怒りのためだろう、顔が赤くふくれていたが、不安そうなようすはみえなかった。
「やいじじい」と裸の男が云っていた、「年を考げえて引込んだらどうだ、いまのうちなら見逃がしてやるが、へたに意地を張ると一生片輪者になるぜ」
「きさまこういう地口を知っているか」と去定は云った、「医者と喧嘩けんかをして逃げるやつが云うんだ、あの医者の手にかかると命が危ない、――きさまたちもよく考えるほうがいい、おれは命は取らないが、それでも手足の二本や三本、へし折るぐらいのことはやりかねないぞ」
 裸の男、たぶんこの中のあにき分だろうか、ふんとせせら笑いをしながら、みくびったようすで去定のほうへ近よった。
「じじい」と彼は問いかけた、「てめえ本当にやる気なのか」
「よしたほうがいい」と去定が云った、「断わっておくがよしたほうがいいぞ」
 男は突然、去定にとびかかった。
 登はあっけにとられ、口をあいたまま茫然と立っていた。裸の男がとびかかるのははっきり見たが、あとは六人の躯がもつれあい、とびちがうので、誰が誰とも見分けがつかなかった。そのあいまに、骨の折れるぶきみな音や、相打つ肉、拳の音などと共に、男たちの怒号と悲鳴が聞え、だが、呼吸にして十五六ほどの僅かな時が経つと、男たちの四人は地面にのびてしまい、去定が一人を組伏せていた。のびている男たちは苦痛のうめきをもらし、一人は泣きながら、右の足をつかんで身もだえをしていた。
「さあ云え」と去定は組伏せた男――それはあにき分とみえる裸の若者だったが、その男の首を片手で責めながら云った、「誰に頼まれてした、誰だ、云え、云わぬとこのまま絞めおとすぞ」
 男はぜいぜいとのどを鳴らし、首を左右に振りながら云った、「ごあんさまです」
「誰だと、はっきり云え」
御徒町おかちまちの」と男はあえぎながら云った、「――井田の若先生です」


 井田五庵ごあん、なにを云うか、と登は思った。井田五庵は養生所の医員である、父の玄丹げんたんとともに、御徒町で町医を開業しているが、親子二人とも、かよいで養生所の診療に当っている。ばかな云いぬけをするやつだと登は思ったが、去定は手を放して立ちあがった。
「それに相違ないだろうな」
「ほかにもいます」男は起き直って、苦しそうにのどを押えながら云った、「この湯島の荒巻っていう人と、天神下の先生などにもまえから頼まれていました」
「それも医者か」
 男は頷いてせきをした、「二人ともお医者です、こんどは井田先生にせっつかれてやったんですが、井田先生はともかく、荒巻さんと天神下の石庵せきあんさんは、このしまでくらしを立ててるようなもんですから、へえ」
「わかった、もうよせ」と去定が遮った、「きさま立って、その辺から板切れを二三枚捜して来い」
 幅と長さはこのくらい、と去定は手で寸法を示し、男はよろよろ立ちあがった。
 去定はのびている四人を診てまわった。二人は腕が折れてい、一人は気絶、一人はすねの骨にひびが入っていた。そして四人とも、眼のまわりや頬骨のあたりにあざができていたり、裂けた唇から血が流れていたり、こぶだらけだったりした。去定はまず気絶した男に活をいれ、竹造に薬籠をあけさせて、すばやくそれぞれに手当をしてやった。――これだけの騒ぎにもかかわらず、娼家はみな表を閉めているし、あたりには人の姿もなかった。むろん、かかりあいになるのをおそれているのだろう。去定はすばやく手当を済ませ、裸の男が板切れを持って来ると、登に晒木綿さらしを裂かせて、二人の折れた腕に副木そえぎを当ててやった。
「少しやりすぎたようだな、うん」手当をしながら、去定はしきりにひとり言を云った、「もう少しかげんすればよかった、うん、こいつはひどい、こんな乱暴はよくない、医者ともある者がこういうことをしてはいけない」
 登は竹造を見た。
「初めてじゃありませんよ」と竹造は吃りながら囁いた、「こいつらの知らないほうがふしぎなくらいです、まえに幾度もありましたよ」
 登は嘆息しながら首を振った。
「よし、伴れてゆけ」去定は立ちあがって、裸の男に云った、「これは仮の手当だ、井田のところへ伴れていってやり直してもらえ」
「しかし」とその男は渋った、「こういうことになった以上、まさか井田先生のところへは、どうも」
「いやなら養生所へ来い」と去定は云った、「傷の手当だけではなく、仕事が欲しければ仕事の相談もしよう、いつまでやくざでいられるものじゃあないぞ」
「へえ」と男は頭をいた。
「少し度が過ぎたようだ」と去定がまた云った、「勘弁してくれ」
 そして登に振向いて、歩きだした。
「かなしいものだ」黄昏たそがれの街を歩いてゆきながら、去定は登に云った、「あの医者どもは娼家と結託して、女たちを不当にしぼる、ろくな薬もやらず、治療らしい治療もせず、ごまかしで高い薬礼をしぼり取っている、おれはまえから知っていた、正当な治療もせずに、ああいう哀れな女たちをしぼるのは、強盗殺人にも劣らない非道なやつだ、今日はその怒りが抑えきれなくなったのだ、――がこういうことはむずかしい」
「なにがですか」と登は挑みかかるように反問した、「井田親子は養生所の医員ではありませんか、養生所医員という看板で町医を稼ぎながら、あんなやくざ者を使ってまで」
 去定は手をあげて制止した、「井田のことはべつだ、井田親子のことはやがて始末をつける、おれはほかの二人、荒巻とか石庵とかいう者のことを考えたのだ」
「その二人にしろ、非道な点に変りはないでしょう」
「だが、かれらもまた、人間だ」くたびれはてたような口ぶりで、去定は云った、「かなしいかな、かれらも人間だということを認めなければならない、おそらく家族もあることだろう、医者としての才能がないとわかっても、ほかに生きる手段がなければどうするか、――妻子をやしないその日のくらしを立てるためには、たとえ非道とわかっても、ならい覚えた仕事にとりついているよりしようがない」
「しかしそれは理屈に合っていません」
「おれにはわからない、まるでわからない」と去定は首を振った、「おれには理屈などはどうでもいい、かれも人間、これも人間、かれも生きなければならないしこれも生きる権利がある、ただ、どこかでなにかが間違っている、どこでなにが間違っているのか、――ふん、おれの頭はすっかり老髦おいぼれたらしいぞ」
 登は喉でくすっといった。すっかり老耄れたという言葉が、(意味は違うにせよ)さっき六人のならず者を投げとばした、豪快な姿を思いださせて、ふと可笑おかしくなったのである。去定が不審そうな眼で登を見た。
「いや、なんでもありません」と登は首を振りながら云った、「なんでもありません」





底本:「山本周五郎全集第十一巻 赤ひげ診療譚・五瓣の椿」新潮社
   1981(昭和56)年10月25日発行
初出:「オール読物」
   1958(昭和33)年9月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2018年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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