――まあ、なんて
――眼も大きくて
しかしそういうお通も近所で評判の
清吉は二つ違いの十五、お通とは
「変だなあ、ここじゃないのかしら」
捜しあぐねて清吉が呟いた。
「たしかに二階へ来たと思ったんだけど」
「…………」
「
お通はおかしくて
「あ、みつけた」
「ほほほほほ、駄目よ駄目よ」
お通は隠れ場所から出て、甘えるように清吉の手を握って振りながら、
「今のはあたしが笑ったからみつかったのだわ、清吉ったらわざと困った風をするんですもの、おかしくって駄目よ」
「そんな事ってありませんよ」
清吉は恥ずかしそうに握られた手を放して、
「独り言を言っちゃいけないって
「ずるいわ、今のは清吉が悪いのよ」
「じゃ今度はお通さまもなさればいいでしょう、さあ隠れますよ」
そう言い捨てると、清吉は走るように
もう大抵の所は隠れ尽くしている、清吉は土蔵に出るとしばらくあちらこちらと選んでいたが、中の間、――店と奥とのあいだにある部屋で、鎧道具や刀剣などが並べてある、そこへ来たときふと櫃の上に飾ってある大鎧に眼をつけた。
「そうだ、あの中がいい」
――もうお通さまが来たのか?
と冑の
――これは困ったぞ、やかまし屋の番頭にみつかったら
そう思って息を殺していると、藤兵衛と直記は清吉のすぐ眼の下に相対して
「当方の支度はすっかり出来ている」
津田直記が低い声で言った、「約束の日限はもう明後日であるが、その方の手順はどうじゃ」
「手前の方もかの品さえ片附けますれば……」
「
「それでございます」
藤兵衛はひと
「御覧の通りの
「
「たしかお庭の荒神杉という
「うまい、なるほどあすこなら申し分なしだ」
「しッ! 誰か参ります」
藤兵衛は不意に直記の言葉を制すると、素早く立上がって店の方へ出て行った。
二人が出て行くのとほとんど入違いに、奥の方の襖が明いてお通が入って来た。もう捜し疲れている様子で、中の間の中央に立ったまましばらく
「あっ、みつけた!」
と叫びながら走り寄った。
この叫び声があまりに突然だったので、清吉は
「ちょっとこちらへ……」
医者の丸山道玄は
お通は早くもそれを
「どうも少しむずかしゅうございますな」
次の間まで来ると、道玄は首を傾げながら言った。
「ひどく頭を打った模様で、すっかり脳を
「え? 白痴に――」
「ほかの傷と違って頭の中の事ゆえ、こればかりは薬の力でどうするというわけにもゆかず、出来るだけ手は尽くしてみますが」
お通は
あの綺麗な顔つき、利口な、優しい清吉が耳も聞こえず口も利けぬ白痴になるなんて、夢にも考えられない事だ。……思えばあの時自分がだしぬけに大きな声で叫んだのが悪かった。清吉はあの声に驚いて後ろへ墜ちたのだ、もし本当にこのまま白痴になってしまうとしたら、
――あたしのせいだわ、みんなあたしの。
お通が病間へ戻って来ると、清吉はぽっかりと眼を明いていた。
「清吉、清吉、あたしがわかる?」
お通は枕元に坐って、顔を重ねるようにしながら呼んだ。側に看護していた
「わからないの清吉、あたしの顔が見えないの、この声が聞こえないの、清吉」
「お嬢さま、そんなに気をお病みになってはお体に障りますから」
「でもお通のせいなんだもの」
「そんな馬鹿な事をおっしゃっては」
「いえ本当なの、子供みたいに隠れんぼなんかしたのが悪かったのよ、あたしがあんな大声を出さなかったら、こんな事にはならなかったんだわ……清吉」
お通は清吉の肩を揺すりながら、
「堪忍しておくれ、お通を堪忍して」
「…………」
肩に触られて始めてわかったのか、清吉はぼんやりと眼を動かし、唇をだらしなく明けて妙な
別にどこといって怪我をした訳ではないので、明くる日になると清吉はひとりで起出したが、道玄の言った通りまるで白痴も同様で、店や奥をうろうろと歩き廻るかと思うと、土蔵裏の空地にぼんやり立っていたり、庭の池を覗きながらにやにや独り笑いをしているばかり、誰の顔も見分けがつかず、何を言われても感じない様子だった。
お通は身も世もない悲しさに、清吉の姿を見るとは泣き、駄目だとは知りながら、側へ行っては話しかけるのだった。――幸福はひとりで来るが不幸は友を呼ぶという、十三の今日まで世の悲しみも苦しみも知らず、
それはその日から二日めの事であった、お通が清吉と一緒に庭を歩いていると、
「お通さま、お通さま」
と、小僧の
「
「あたしに御用なの?」
「ええ大変な事が出来たんです、
何事が起こったのだろう、薩摩の島津家といえば永年お出入りのお屋敷である。なんのために父をつれて行こうと言うのか。
「奥座敷ですから早くいらしって下さい」
「すぐ行くわ、おまえ清吉をみていておくれ、ひとりで置くと危ないから気をつけてね」
「はい、――」
お通は小走りに縁へあがると、不安な胸騒ぎを感じながら奥座敷へ入って行った。
奥座敷の上座には、島津家の用人津田直記と、
「話す事があるからここへお坐り」
そう言って側へ坐らせた。
「こちらにいらっしゃるのは島津様の御家来方で、おまえもお顔は知っていよう。これから話すこと気を落着けてよく聞くのだ。――ちょうど四十日まえの事だったが、この津田様がお見えになって、島津様御家宝の
「拙者が話そう」
津田直記が
「その冑は三百年このかた薩摩家門外不出の家宝で、
「ととさま、それは本当ですの?」
「――本当なのだ」
治兵衛は苦しげに眼を伏せて、
「大切なお品ゆえ誰の手にもかけず、わたしが預かって丁寧にお手入れをしていたのだが、
「まあ!」
「外から
「先日も参って堅く藤兵衛に申し附けた」
直記は番頭を
「ととさまをおつれなされただけで、冑が出て参りましょうか」
お通が気丈に言った。
「それよりもうしばらくお待ち下さいまし」
「黙れ、大切な御家宝を紛失したからは、島津家に取って許し難い罪人も同様、召しつれて
「いやです、ととさまをつれて行ってはいやです、冑はきっと捜しますからそれだけは堪忍して下さいまし」
「ならん、治兵衛立て!」
「いけません、ととさま行ってはいや」
泣きながら父に跳び附こうとするのを、
「お嬢さま、お静かになさいまし」
と藤兵衛が抱止めた。「私共もさっきからお頼み申しているのですが、こちらに落度があるのでどうにもお願いの致しようがございません、後でなんとか考えます。またきっと冑を捜し出して、一日も早く旦那様をお迎えに参りますから、どうか心配せずに待っていて下さいまし」
「お通、見苦しいではないか」
治兵衛も言葉烈しく叱った。
「おまえも今年は十三、訳がわかったら泣騒ぐには及ばない、後の事は藤兵衛と与吉に頼んであるから、おまえはおとなしく留守をしていればいいのだ、――さあ泣きやんで」
「はい……」
「
治兵衛はお通の涙を
「藤兵衛、与吉」
「はい」
「冑の事、店の事も頼んだぞ」
「――畏まりました」
二人は
津田直記に引立てられて行く父の姿、お通は見るに堪えなくなって、奥の間に走って来ると、いきなり乳母の
――こんな時かかさんがいらしったら。
五つの年に死んだという、顔もはっきり覚えていない母の事が、この時ほど恋しく思ったことはなかった。
「お嬢さま、しっかり遊ばすんですよ」
お梶は声を励まして言った。「旦那様はすぐに帰っていらっしゃいますが、それまでは
「でももし、もし冑が出て来なかったとしたらどうしよう」
「そんな事がございますものか、番頭さんも手代さんも、お店には大勢いるんですから、手を尽くして捜せばきっと出て来るに違いありません。そんな事は心配せずに、しっかりとお留守をなさるんです」
そんなにたやすく片附くであろうか、清吉の事といい今度の事件といい、十三の乙女の心には背負いきれぬ大きな不運である。
「誰、――?」
お梶の声に、涙の眼で振返ると、いつ来たか部屋の入口に清吉が立って、にたにたと
「ああ、清吉さえ元の体なら、どんなに気強いか知れないのに……」
お通はむせぶように
どんなに泣き悲しんだところで、冑を捜し出さなければ父は帰っては来ない。――まだ十三の少女ながら、お通はやがて心を取直すと、藤兵衛や与吉と共に冑捜しを始めた。
冑の入れてあったという唐櫃も、何度か丹念に
――おかしいわ。
お通は
――ほかの物と違って大きいのだし、それに宋朝伝来の冑なんて二つとない宝物というのだから、たとえ盗んだって売ればすぐみつかってしまうはずだわ。
そんな危険な物を、普通の者が盗むはずはない。それよりもっと手軽に売れる高価な物が沢山あるのだ。なんのためにわざわざそんなみつかり易い品を盗む必要があろう。
――でも冑なんて大きな物が、そうたやすく失くなるというのも考えられないし。
結局どうにも見当がつかなかった。
こうして五日
「嘘をつけ、そんな事があってたまるもんか」
「嘘じゃねえ本当なんだ」
定二郎の声である、「知らないのはわたしたちばかりで、世間じゃ大変な評判だぜ、現にわたしがゆうべ行って見て来たんだ」
「本当に泣いてたか?」
「泣いたとも、
「それでお通さまの事を言うのか」
「うん!」
定二郎はぐっと声を低めて、
「しばらく歔欷きをしたと思うとな……通油町の和泉屋の娘は親不孝だ、父親を
「定二郎!」
お通はたまりかねて店へ出た。――定二郎はじめ小僧たちは仰天して
「今の話はなんの事、言ってごらん」
「へえ、――御免下さいまし」
「御免下さいじゃないわ、あたしがととさまを水牢へ入れて平気でいるなんて嘘をつくのも大概におし」
「わたしが言ったんじゃありません」
「誰が言ったの、誰がそんな事を」
「仁王様なんです。法心寺の仁王様が言ったんです」
「馬鹿な事をお言いでない」
「本当なんです、近所で聞いてもわかります、もう十日も前からの評判なんですから」
仁王様が口を利く、そんな馬鹿な事があるはずはない。しかし定二郎の話はこうだった。
通油町から
「深夜に仁王の像が泣く」
こんな奇怪な噂がひろまらぬはずはない。法心寺へ集まる人々は夜毎に数を増していった。
「わたしもはじめは嘘だと思ってたんですが、横町の
「泣いたの? そしてあたしの事を親不孝だって言ったの?」
「そればかりじゃないんです」
定二郎は口拍子に乗って、「しまいにはお奉行の大岡様の悪口まで言うんです、和泉屋の娘は父親を見殺しにする、あんな人でなしの娘を捨て置くなんて大岡
「誰かの
「みんなそう言ってました、それで山門の中をすっかり捜したんだそうですが、どこにも隠れている奴はなかったんですって」
お通はきっと唇を
世の中に不思議な事は少なくない、けれどどう考えても木で彫った仁王様が歔欷きをしたり、人の悪口を言うなんて想像もつかない事だ。しかもなんのためにあたしを親不孝だなんて言うのだろう。
――何か訳があるんだわ、誰かがあたしを苦しめようとしているに違いないわ。
重ね重ね襲いかかって来る無気味な出来事に、お通は今や身動きもならぬような恐ろしさを感じながら、広縁の方を通って奥へ行こうとすると、いきなり清吉が追って来て、
「あう、あうあう」
妙な声を出しながら、お通の肩を押すように中の間へつれて行った。
中の間へ行ってみると、藤兵衛と手代の与吉が大声に争っているところだった。
「そんな大きな声で、どうしたの」
「ああお嬢さま!」
与吉は
「いいところへ来て下さいました、今日まで黙って見ていましたが、あまり無茶だから申し上げます。どういう考えか知れませんが、藤兵衛さんは
「藤兵衛……それ本当なの――?」
「本当でございます」
藤兵衛は苦しげに眼を伏せた。――若い与吉はなおも荒々しい言葉つきで、
「お金
「仕方がないんだ」
藤兵衛は嘆息するように言った。
「たとえお店が潰れたって仕方がないんだ、どんな無茶をしても、旦那様をお助けするためにはお金が要るんだから」
「ととさまを助ける?」
「お嬢さま!」
藤兵衛は悲しげに眼を伏せて、
「今日までこんなに苦心して捜しても、宋朝の
お通は思わず身震いをした。
「水牢、では本当に水牢なんかへ入れられていらっしゃるのね」
「お屋敷の人が言うのですから嘘ではございますまい、――こうなれば
「お金があればととさまは助かるの?」
「わたしの口から助かるとは申し上げ兼ねますが、津田様のお話によりますと、今までやったお金が役に立ったから、御重役がもう二人ほど承知すれば水牢から出す事が出来るという事です」
「いいわ、お金を作って
お通は
「ととさまをお助けするためなら、お店を潰してあたしが裸になってもいいわ、早くお金を作って助けてあげて頂戴」
「与吉、――おまえこれでも文句があるか」
藤兵衛が静かに見やると、与吉は訳がわかったらしく、
「済みません」
とそこへ手を突いた。
「そんな事とは知らず、つまらぬ疑いをかけて今更お
「わかればいいのだ、お互いに店のため旦那様のためを思えばこそなんだから、改めて詫びるには及ばないよ、……それより話がわかったら、津田様のところへ使いに行って来て
「はい、すぐでございますか」
「お金を持って行くのだから、日の暮れないうちがいいだろう」
と言っているところへ、小僧が足早にやって来て、
「津田様がお見えになりました」
と伝えた。
「ああいけない」
藤兵衛は
「
小僧が去ると振返って、
「与吉もお嬢さまも向こうへ行っていて下さいまし、先方からお金を取りに来るようならもうしめたものです、うまくすると案外早く話が運ぶかも知れません」
「まあ
「今日こそしっかりと掛合ってみます」
藤兵衛は力強く微笑した。
お通は奥へ、与吉は店へ、二人が去って行くと間もなく、島津家用人の津田直記が入って来た。――藤兵衛は
「ようこそ、さ、これへどうぞ」
「どうだ、だいぶ日も経つが宋朝の冑はみつかったか」
むずと坐りながら、直記は大声に言った。
「早く致さぬと取返しがつかぬぞ」
「は、
「捜し出す事は出来ぬか」
「たとえ神通力をもちましても」
と藤兵衛は、唇で笑いながら、「向島の荒神杉のあたりとは知れますまい」
「しッ、誰かいる」
ぎょっとして振返る藤兵衛。――部屋の隅に立ててある
「誰だッ」
と
「なんだ清吉じゃないか」
「何者だそいつ」
「
「あうあう、あう、うう」
「訳がわからない、さあ行け行け」
藤兵衛は
街はすっかり寝静まって、鼻をつままれてもわからぬような闇である。――お通は夢中で家をぬけ出して来たが、法心寺の山門近くまで来ると、さすがに闇の怖さが
と幾度も後悔した。
定二郎の話を聞いたお通は、どうしても自分の耳で事実をたしかめたいと思い、みんなの寝るのを待兼ねて出て来たのだが、こんな夜更けといい、まして怪異な仁王像を見に行くかと思うと足の
――でもここまで来てしまったのだもの、思い切って行くより仕方がないわ。
自分で自分を励ましながら、家の軒先伝いに山門の方へ近寄って行った。
するとちょうど、お通が山門の脇までたどり着いた時、覆面をした立派な武士が、数名の
「法心寺の仁王、――」
とさびのある静かな声で呼びかけた。
「その方は大岡越前を馬鹿者だと
天下の名奉行、幾多の難事件に当たって快刀乱麻を断つの明敏さで解決する、古今の名判官、大岡越前守が自身で乗出したのだ、――お通は思わず息をのんで見まもった。
「返答どうじゃ」
「…………」
不思議やその時、仁王像がかすかにかすかに、いかにも悲しげな声で
鬼が
「越前は馬鹿だ」
と言い始めた。「……町奉行の癖に、世間の大事も知らぬ馬鹿者だ、通油町の
――まあ

お通は意外な言葉に仰天した。自分が父を水牢の中へ押籠め、殺そうとしている大悪人とは?……仁王像はなおも続けた、「番頭も手代もみんな手伝っている、早くお縄に掛けて調べないと、治兵衛は娘の手に掛かって殺されてしまうぞ。こんな大悪事を知らぬ越前は天下の馬鹿者だ、そう言われても仕方がないであろう、どうだ越前」
「黙れ木像!」
越前守は大声で叫んだ。
「たとえどのような事があろうと、奉行職に向かって悪口するとは無礼至極、その方から先に取調べる、――それ、仁王像を召捕れ」
「は、――」
と言ったが、捕方役人もいささか面
「ええ何を
「は、――御用だ、神妙に致せ」
神妙に致せと言ったところで相手が木像だから張合いがない、垣を破って踏込むと、本当に仁王様へ縄を掛けてしまった、――まさにこれこそ「大捕物」であろう。
お通は珍しい事の成行きに、自分の事も忘れて
「あうあう、あう」
と言う者があった。
「あっ
」跳び上がるほど驚いて振返ると、そこに清吉がにやにや笑いながら立っている。
「まあ清吉じゃないの?」
「あう、うう、あう」
白痴ながらお通の身を案じて来たものか、しきりに家の方を指さしながら、
「ああ迎えに来てくれたのね、有難うよ、いまあの仁王様があたしの悪口を言ったの、でも大岡様に召捕られて行ったわ」
「あう、ふふふ、おお」
「可哀そうに、何を言ってもわからないのね、さ、早く帰りましょう」
お通は優しく清吉の手を握った。
その明くる朝であった。和泉屋の店がまだ大戸も明けぬ時分、町奉行附きの与力同心が捕方を従えて突然踏込み、お通をはじめ乳母、番頭、手代、小僧、女中まで一網打尽に召捕ったうえ、帳簿や金
お通はまだ少女の事とて、この突然の出来事に何を考える力もなくなり、まるで気抜けのように、お
一同の者が白洲へ引出されたのは、それから三日めの事であった。
上座には大岡越前守はじめ、与力、書き役、吟味方などが居並んでいる。やがて白洲の砂利の上へ例の仁王像と、和泉屋の者が引据えられると、時刻の来た合図と共に、まず吟味方が一同の名を呼上げ、年齢を糺してから、その書き物を越前守に渡して
「和泉屋娘、お通、――その方は父親を水牢の中へ押籠め、死にかかっているものを平気で見殺しにしようとしているそうだが、事実であるかどうだ」
「夢にも存じませぬ」お通はきっぱりと答えた。
「知らぬ? そうか。しかしその方には治兵衛という父親があるであろう」
「――はい」
「その父親はどうした、どこにいる」
お通は答えられなかった。父が島津家にいると言えば、自然と天下の珍宝「宋朝の
「申し上げます」
と藤兵衛が言った。「
「上方とはどことどこじゃ」
「は、そ、その、京、奈良……」
言いかけた時、不意に仁王像が、
「嘘だ、嘘だ、藤兵衛は嘘をつく」
と例のむせぶような声で言った。――居並んだ人々はぎょっとして、
「あっ、また仁王様が」
と色を変える。お通は先夜、その仁王像に極悪非道の不孝者と言われた事を思い出して、
「お奉行さまに申し上げます」
と向直って言った。「藤兵衛は父が上方へ参ったと言いましたけれど、実は島津様のお屋敷に押籠められているのでございます」
「島津家に押籠められたと? してその訳は」
「お聞き下さいまし」
お通は藤兵衛が
「そういう訳で、決してわたくしが水牢へ入れたなどという事はございませぬ。それでも御不審が晴れませぬなら、どうぞ島津様へお問合わせ下さいますよう」
「そうか、それでよくわかった」越前守は
「藤兵衛、与吉、それに相違ないか」
「は、――恐れながら相違ございませぬ」
もう嘘だとは言えなかった。二人が恐れ入って平伏するのを、しばらく越前守は見やっていたが、
「ついては改めて
「は、……それは」
「申してみい、この度は
「与吉申し上げます」
思い切ったように与吉が
「実は
「黙れ黙れ!」越前守は大声に叱りつけた。
「町人共なら知らぬ事、仮にも島津家御家中の武士たる者が、不正の
「さてさてその方は愚か者だな、かような下手細工をしてあっぱれ越前の眼を免れる気か、――島津家重役へ礼金として贈ったとは偽り、実は一万両の金子はその方が盗み取ったのであろう」
「め、
「まだある、宋朝の冑、紛失したと申すが、それもその方がいずれかへ隠したはずだ」
「け、決して左様な」
「言うな藤兵衛、これは初めよりその方が
「恐れながら」藤兵衛は必死になって、
「決して左様な事はございませぬ、第一私に宋朝の冑をどう取隠す事が出来ましょうや、すでに家中
「まだ場所が残っている」
再び仁王像が言った。――人々は殴られたように振返った、仁王像は続けて、
「津田直記の別宅、向島の家の庭に荒神杉という古い木がある、その洞の中を捜してみるがいい、冑はそこにある」
「――あっ
」藤兵衛は死人のように
「その仁王の後ろに誰がいる、これへ引出して参れ」
と命じた。言下に二人、下役の者がばらばらと仁王像の後ろへ走り寄ったが、――それより先に自分から、ぬっとそこへ現れた者がある、意外にもそれは清吉であった。
「あっ清吉」
お通は驚いて、「お奉行さまに申し上げます、これは清吉と申しまして耳も口も不自由な」
「いえ違いますお通さま」清吉がはっきりと言った。
あっという
「今日まで唖聾の風をして来ましたが、実は耳も聞こえ口も利けたのです、なぜそんな真似をしたか。それはもう言わなくともおわかりでございましょう、藤兵衛さんと津田直記さんの悪い陰謀を探り出すためだったのです」
「うぬッ、それではこれは貴様の仕事だな!」
「いかにもその通り、わたしが唖聾の白痴だと思って、荒神杉の洞の事までべらべら
「くそッ、破れかぶれだ」
始終を見ていた越前守は、
「一同静まれ」と騒ぎたつ人々を制して、
「清吉とやら、神妙な致し方である。改めて事の仔細を申し立てるがいい」
「有難う存じます。お通さまもよくお聞き下さいまし」
清吉は
「待て待て清吉」
越前守が静かに遮って言った。
「そのほかにまだあるぞ。そこにある法心寺の仁王、夜な夜な
「は――恐れ入りました」
「なぜそのような真似を致したか」
「申し上げます、津田直記は悪人ながら島津様の御家来です、普通に訴え出てもお取上げにはなりません、――それゆえお嬢さまに汚名を着せ、恐れながらお奉行さまの悪口まで申しました。こうすれば必ず大岡越前守様がお捨置きになさらぬと思ったからでございます」
「よくぞそこに気がついた」
越前守はにっこり笑って言った。
「少年ながらあっぱれな思案、褒めとらす、――しかし越前も馬鹿者と呼ばれたのは今度が始めてだぞ」
そう言って明るく笑う越前守の声に、白洲の人々も役人たちも思わず笑いを誘われた。……お通は
「帰ったらまた隠れんぼうをしましょう」
清吉は低く
「まあ……」
お通は優しく
宋朝伝来の冑は、荒神杉の洞の中から発見された。むろん治兵衛は無事に帰ったし、藤兵衛は