春いくたび

山本周五郎





 霧のふかい早春のある朝、旅支度をした一人の少年が、高原の道をいそぎ足で里の方へと下って来た。……年は十八より多くはあるまい、意志の強そうな唇許くちもとと、まつげのながい、みひらいたような眼を持っている、体はがっちりとしては見えるが、まだどこやら骨細なので腰に差した大小や、背にくくりつけた旅嚢りょのうが重たげである。
 道は桑畑のあいだを緩い勾配こうばいで下って行く、桑の木はまだ裸であるが、もう間もなく芽をふくのだろう、水気を含んだ枝々のさきは柔らかくふくらんで、青みのさした樹皮には、霧の微粒子が美しく珠をつづっていた。
 少年はときどき立止りながら道を急いだ。
 もうすっかり明けはなれているのだが、あたりは灰白色の霧に包まれてなにも見えない。……山の上から吹き下りて来る霧は、少年の体を取巻いて縦横に渦を巻き、押返したり揺れあがったりしながら下の方へと去って行く。……それはまるで音のない激流のなかにいるような感じだった。道が二つにわかれるところへ来た。少年は其処そこで足を止めた。……そしてなにかを聞き取ろうとでもするように耳を澄ませた。……元服して間もないと思われる額に、れた髪毛かみのけが二筋三筋ふりかかっている。かたくひき結んだ唇がかすかに震えた。
 人の走って来る跫音あしおとが聞えた。
 少年の大きな眼がふっと光を帯びた。……なにか叫ぶ声がして、それから霧のなかに人影が見えだした。少年は二、三歩たち戻った。……おぼろな人影は霧に隔てられて見えつ隠れつしたが、やがて、驚くほど間近へ来てから不意にその姿をはっきりと現した。
 髪を背に垂れた、十五歳ほどになる武家風の少女であった。手に辛夷こぶしの花を持っているが、ふっくらとした頬はそのはなびらよりも白く、走って来たために激しくあえいでいる唇にも血気ちのけがなかった。……二人はかたく眼を見交したまま、ややしばらく黙って向き合っていたが、やがて少年がひどくぎこちない調子で、
「送って呉れて、有難う、香苗さん」
 と云った。
 すると少女も思い詰めた声で追いかけるように云った。
「どうしても、行ってしまうの、信之助さま。どうしても、もう……帰っては来ないのね」
「帰って来るとも、命さえあったら」
「きっと帰っていらっしゃる」
「帰る、きっと帰って来る、此処は清水家の故郷だもの、何百年の昔から御先祖が骨を埋めて来た土地だもの、望みを果したらきっと帰るよ」
「待っていてよ、香苗は待っていてよ、……ですから」
 少女は思うことが口に出ないので、もどかしそうに肩を縮めながら云った、「ですからしも、御出世をなさらなくとも、若しも戦で怪我をなすったり、それからもっと色々の、帰りにくいような事が出来ても、きっと、きっと帰っていらっしてね」
うして、……約束します」
 少年は片手で刀のつかたたいた。少女は微笑もうとしたが、それは泣くよりもみじめな表情であった。……別れる時が来たのである、香苗は辛夷の花を一輪折り取った。
「庭の辛夷よ、帰っていらっしゃる時まで持っていてね、香苗も一輪、――大切に持っているわ、そしてこんどお眼にかかる時には、二人でこの花を出し合って見るの」
「有難う、大切にしまって置くよ」
「そしてその花があなたをいつもまもりますように」
 信之助はよその方を見ながら懐紙を出して花を包んだ。
 香苗はもっとなにか云いたい風情ふぜいだった。言葉は胸いっぱいにあふれている、けれどこんどはなにか云えば泣きだしそうだった、それでぎゅっと唇をみしめていた。
 信之助は去った。
 濃霧が直ぐに彼の姿を押包み、嘘のようにかき消してしまった。……香苗は同じ処に立ってながいこと待った、信之助がなにか云い忘れたことを思い出して、戻って来るかも知れない、もういちど別れの言葉を呼びかけるかも知れない。……ずいぶんながいことを待ったけれど、信之助は戻って来ないし声も聞えなかった。……それで香苗は眼を閉じ、いま去って行った人のおもかげを記憶に留めようとした、ところがどうした訳かそこにはもう信之助の姿は浮かんで来なかった、ただもやもやとした幻のような影が、とらえどころのない形を描くだけであった。……そして哀しみのように霧が匂った。
 ――行ってしまった。
 香苗は力の抜けた心でそうつぶやいた。
 ――自分の姿まで持って行ってしまったわ。……本当に帰って来るかしら、帰って来るかしら。
 甲斐駒かいこまみねがぱっと、まばゆいばかりに朝日に輝くその頂を現した。霧がれだしたのである、灰白色のとばりはようやく薄れ、ひき裂けたり、固まったり、また千切れたり尾をいたり、畑の桑や林の樹々にからみつきながら消えて行った。
 香苗はそれでもなお、心残るさまに立ちつくしていた。


 春は足早に過ぎて行った。
 甲斐駒の峰々から残雪がすっかり消えると、朝毎の濃霧もいつか間遠になり、やがて春霞はるがすみが高原の夕を染めはじめた。谿川たにがわの水は溢れるようにかさを増し畑の麦は日毎に伸びた。……辛夷が散り桃が咲き、やがて桜も葉に変る頃が来ると、高原はいっぺんに初夏の光と色とに包まれる、時鳥ほととぎす郭公かっこうの声が朝から森に木魂こだまし、谿谷けいこくの奥から野猿が下りて来る。
 香苗は生まれて初めて、この眼まぐるしい春の移り変りを心にとめて見た。
 文久ぶんきゅう元年の春であった、自然のすがたをそのまま写したように、世の中もまた激しい転変を迎えていた。……去年、詰り万延まんえん元年三月、江戸幕府の大老井伊直弼なおすけが桜田門外に斬られてから、ながいあいだ鬱勃うつぼつとしていた新しい時代の勢が、押えようのない力でちあがって来た。暗澹あんたんとした世の彼方かなたに、最早もはや拒むことの出来ぬ新時代の光が近づきつつある。あらゆる人々の眼がその光の方へ向いていた。あらゆる人々がその光の方へ両腕をさしのべていた。山奥から海浜から、青雲の志をいだいて若者たちが京へ、江戸へと集まって行った。
 信之助もその一人であった。……彼の家は甲斐七党の旗頭として、幾百年このかたの村に土着し、家柄高き郷士の名を相続して来たのだが、いつか家産は傾いていて、去年の秋の末に父が死ぬと、田地も家屋敷もすっかり他人の手に渡っていることが分った。……早く母を亡くしていた信之助は、捨てられた猿のように孤独になった、けれど彼はそれを哀しむことさえせず、十八歳の胸いっぱいに、冒険と野心のほのおを燃やしながら、濁流のような世の中へと出て行ったのである。
 夏が来た。……風のない、ぎらぎらとりつくような日が続いた、あるときは雷鳴が山峡にはためき、電光と白雨とが高原の野を狂気のように叩きつけた。
 香苗の家は信之助の清水家に次ぐ旧家であった。厚さ三尺もある土塀が、屋敷まわりの三方を取巻いていた。その中には母屋だの隠居所だの、うまやだの下男たちの小屋だのが建っていたし、広い柿畑さえ取入れてあって、その柿畑のうしろはそのまま段登りに、深い松林で山へと続いていた。……そして秋になると、幾十ぴきもの野猿の群が、柿を盗みに屋敷の中へやって来た、その土地では猿を殺さない習慣なので、おどしの空鉄砲で追い払うのだが、猿たちが盗みとった柿を片手に抱えて、けたたましく叫び交しながら逃げて行くさまは面白いみものだった。
 けれどその年の秋に限って、野猿たちは鉄砲でおどされる心配がなかった、彼等は毎朝、思うさま柿を食べ、持てるだけ獲物を持って帰ることが出来た。……空鉄砲を射つことも、追い払うことも香苗が禁じたのである。
 香苗は信之助のことを思ったのであった、彼が出て行ったところでは、日毎に鉄砲が火を吹いているであろう、刀ややりが光り飛んでいるに違いない、信之助はその弾丸をくぐり刃のなかに囲まれているのだ。……野猿の群に射ちかける空鉄砲の音は、そのまま信之助の命を射止めるもののように思われる、割り竹で追い立てる下男たちの姿は、傷ついた信之助を追いまわす幕吏の手を想像させるのだ。
 香苗は、嬉々ききとして柿畑の柿を荒している野猿の群を、幾朝も、幾朝も、ふところ手をしながらじっと微笑みの眼でみていた。
 やがて柿の実が、細枝のさきに一つ二つ、霜に打たれたまま取残され、野猿の群が姿を見せなくなると、驚くほど早く冬が来た。……甲斐駒の頂上に、ある朝ふと白いものをみつけたと思ったのが、いつかしら峰々にひろがり、次第に下へと伸びて来る、裸になった桑畑の向うに、鎮守の森がひっそりと霜に凍って、弱々しい太陽の光が、重たく垂れさがった雲を割って、時々そっと畑地に射しては消えた。
 遂に雪が来た。耕地も森も村々の家も、ながい雪の下に眠りだした。……
 吹雪の夜、くりやの戸がことことと鳴るのに驚いて出て見ると、餌をあさりに来た鹿であったり、時にはこうしほどもある狼であったりする。雪がんで、月の明るい夜空には、鶴の渡る声を聞くこともあった。
 こうして冬は、その重い銀白の外套がいとうで、高原の村々を無限のようにおおい隠してしまった。


 香苗は待っていた。
 時はすばやく経って行った。……香苗が十九の年になったとき、甲府の名高い富豪の家から嫁に欲しいという話があった。
 香苗は嫁には行かなかった。
 香苗の父は数年まえから新しい事業をはじめていた、日本ではまだよく知られていない葡萄酒ぶどうしゅの醸造を思い立ったのである。それは困難な仕事であった、樹の育て方も、搾り方も、それを醸したり、貯蔵したりする方法も、すべて手探りでやるようなものであった。失敗が失敗に次いで起った。山が売られ田が売られた、家も屋敷もいつか資金のかたに取られていた。……甲府の富豪と香苗との縁談は、そういう状態のときに始まったのである。けれど香苗は、遂に嫁入ろうとはしなかった。
 更に幾年か経って、世は明治と改元された。
 そして秋が来たとき、高原の西の方にある村へ、維新の戦で傷ついた青年の一人が帰ったという噂がひろまった。
 その噂を耳にすると直ぐ、香苗はその村へ出掛けて行った。……よく晴れた日で、熟れた稲の穂波の上に、雀や百舌もずが騒がしく飛び交していた。道は遠かった、森をぬけ、丘をめぐり、細い谿流けいりゅう飛沫ひまつをあげている丸木橋を幾たびか渡った。……その青年の家は村の古い郷士の末であった。
「……知っています」
 青年は訪ねて来た香苗を、横庭の池の方へ導きながら語った。
「清水信之助とは伏見ふしみの戦争で同じ隊にいました。彼は勇敢な男で、命知らずという名を取っていました。……そうです。私は彼と一緒に寝ました。同郷だということを知ってからはいつも同じむしろで眠り、同じなべから菜粥ながゆすすりました。二年のあいだそういう風に戦っていましたが、……私がこの右足を失った日に」
 彼はそう云いながら、添木を当てた右の太腿ふとももを見やった、それはひざの上から切断されていた。
「その日に、……あの方は?」
「清水と私とは別れ別れになりました、それ以来、私は彼を見ないでしまいました。……集中して来た砲弾が私たちの小隊を全滅させたのです。生残ったのは、……片足を失った私と他に、人夫が二人だけでした」
「ではあの方は、あの方は……信之助さまは」
「私は二度と彼を見ませんでした」
 青年は遠くの空を見やってせきをした。それから、苦しそうに松葉杖まつばづえを突いて、頭を振りながら池のほとりを廻って立去った。
 香苗は家に帰って来た。……そして自分が少しも泣けないのに気付いて驚いた。……少しも泣かなかった、少しも、……信之助が死んだという青年の言葉は、なにかしら空々しいことのように感じられ、まるで知らぬ世界の知らぬ人の話としか受取れなかった。そして、
 ――きっと帰る、必ず帰って来る。
 うして約束すると、刀のつかたたきながら云った信之助の声の方が、青年の話よりも強く鮮かに、もっと生々して耳によみがえって来た。
 その冬、初めての雪が降りだした頃、香苗の家は遂に倒産した。……明日はその屋敷を立退かなければならぬという、その前夜のことである。庭先に激しい物音がしたので、なにごとかと出て見ると、三十尺も高く伸びていた辛夷こぶしの木が倒れたのであった。
 香苗は自分の部屋の窓を明けてそれを見た、枝を張り過ぎた辛夷は、雪の重みを支え兼ねて根元から折れたのである、……香苗はそれを見たとたんに恐しい悲鳴をあげながらうち伏した。
「信之助さまが、信之助さまが」
 声をふり絞って狂おしく叫んだ。
 父や母や、別宴のために集まっていた親族の人々が驚いて駆けつけた。……香苗は身もだえをし、裂けるような声で信之助の名を呼びながら泣いた。
 また会う日のために、二人が取交した約束の花、その辛夷が倒れたのを見て、香苗は信之助の死が本当だったということを感じたのである、……いや、雪の上に倒れている辛夷の木が、そのまま信之助の死体のように見えさえしたのだ。
 香苗は泣いた。別れて以来いちども泣いたこともない香苗が、そのまま泣き死んでしまうかと思われるほど激しく泣いた。
 ……そして、一家が甲府の町へ移って行く日、彼女は代々の檀那寺だんなでらである桂円寺に入って髪をおろした。
 香苗の涙の日が始まった。


 春いくたび。……秋いくたび。
 高原の村にも、年々の世の移り変りは伝わって来る、江戸が東京となり皇居が御東遷ごとうせんになった。諸藩が廃されて府県が置かれた。佐賀さがの乱が起り、薩摩さつまの乱が起った。人々はもうまげを切っていたし、刀を差すことも禁ぜられた。マンテルを着た役人や、帽子をかぶった人も珍しがられなくなり、やがて新聞がこの高原の村々にも配られだした。
 香苗は桂円寺にはいなかった。
 いつかの日、信之助と別れた二岐道ふたまたみちあぜに、小さな草庵そうあんを建て、朝夕を静かな看経に送り迎えしていた。……ときおり彼女の頬には涙の跡があったけれど、まゆにも眼許めもとにも、今は心の落着いた静かさがあふれている。たとい少しばかり愁いと哀しみの色が現れたとしても、かえってそれは慈悲の光を加えるとしか見えなかった。
 清国しんこくとの戦争が布告されたとき、香苗は高原から下りて、街道の町はずれにささやかながら一棟の救護院を建てた。……ようやくゆききの繁くなった旅人たちのなかで、貧しい人々には食を与え、病者には薬と部屋とを与えるためである。
 それからのち数年のあいだ、香苗は朝早く草庵を出て救護院へ通った。……そこには常に二人から十人までの貧しい旅の病人が引取られていた、多くても十人は越さなかったし、少ないときでも二人より欠けたことはなかった。
 ある早春の朝、彼女が救護院へ行くと、そこには前日までいた二人の姿がなくて、新しい一人の老人が寝かされていた。
「珍しいこと、一人だけになりましたね」
「はい、昨日までいたあの二人は一緒に出て行きました、そのあとでこの老人が運ばれて来たのです」世話役の老婆がかゆを作りながら答えた。……月心尼げっしんに(香苗の法名)は静かに病人の枕許へ近寄って見た。老人の髪は銀のように白く、額には斜めに刀痕とうこんがあった、……上品な眉と唇許くちもとが、その刀痕と共に老人の身分を語っているように思われた。彼はよく眠っていた。
「普通の御病人とは違うようでございますよ」
 老婆がささやくように云った、「お召物も立派ですし、お口の利きぶりも御様子も上品でございますの、そしてお供の人をれていたようなお話でございましたが。……お気の毒なことに頭を悪くしておいでだそうで、そのお供さんともはぐれ、此処ここまで来て病気におなりなすったのでございますね」
「それはお気の毒な……」
 月心尼がそううなずいたとき、その老人が不意に床の上へ起き直った。……あまり突然だったので、月心尼も老婆もあっと胸をかれた。
「ああ見える」
 老人は大きな眼をみはりながら叫んだ、「……にしき御旗みはたが、……砲煙の向うに、やりや刀がきらきらと光っている向うの方に、あかい朱い、美しい錦の御旗が見える」
し、……若し、どうなされました」
 月心尼は急いで側へ寄った。「……心をおしずめなされませ、此処は甲斐国の田舎町でございます、戦はもう昔のことでございますよ、大砲も刀も槍も此処にはないのですよ」
 老人は振返って彼女を見た。……なんの色もない、うつろな眼であった。彼はまじまじと月心尼の顔を見戍みまもっていたが、やがて寂しそうに首を振りながら云った。
「なにか、云ったのですね。……失礼でした、すっかり頭が狂っているものだから。……自分でも訳の分らぬことを云うのです、時々。……恐らくまたあの戦の時のことを申したのでしょう」
「戦争でお怪我をなすったのですね」
「そうです、伏見の戦でした、敵の砲弾にはね飛ばされて」
「伏見。……伏見の戦で砲弾に……」
 月心尼は突き飛ばされたように身を退いた。忘れることの出来ない言葉である、それは既に遠い昔のことであった、秋の日盛りに訪ねて行ったあの村の青年から聞いて、もう三十余年の月日が経っている。……けれど月心尼の心にはまだ昨日のことのように生々しく残っている言葉だった。
「あなたは鳥羽で、鳥羽で戦ったのですね、鳥羽の戦で大砲の弾丸に。……それでは若しや、若しやあなたは、信之助さまではございませんか、清水信之助さまでは」
「信之助……清水……」
 老人はけげんそうに首を振った、「……私の名は松本吉雄と云います、それに、……そういう名の人は知りません」
「よく考えて下さいまし」
 月心尼は力をめて云った、「心を鎮めてよく思い出して下さい、あなたは信之助という名に覚えはありませんの? ずっと昔、霧のふかい朝、香苗という娘と別れたことはありませんの、必ず帰って来ると云って、また会う日の約束に辛夷の花を一輪ずつ、お互いに持ち合って別れたことはございませんか」
 老人はじっと眼をつむっていた。そしてしばらくすると静かに首を振って云った。
「御尼僧。……あなたも、誰かを待っておいでなのだな」
「…………」
「出来ることなら私は、その人だと云ってあげたい、けれど。……私にも捜している者がいるのだ、あなたが待っているように、私にも私を待っていてれる者がある。……私は大野将軍の副官としていささかの働きをした功で、将軍の家に引取られていた、そこにいれば安穏な生涯が送れた。……けれど私は、そこを出て来たのです、私を待っていて呉れる人に会いたいと思ったからです」
 月心尼は老人の言葉を夢のように聞いていた。……聞きながら老人の顔を食い入るように見戍った、どこかに信之助のおもかげがありはしないかと思ったのである。……けれど、別れて以来ほとんど四十年になる今では、そして多くの辛酸にまれて、遥かに青春から遠ざかっている今では、たとい其人としても直ぐ見分けのつくはずはあるまい。……月心尼の胸は新しい失望に刺されるような痛みを感じた。……老人は間もなく横になった。


 その夜、草庵へ帰った彼女は、東京の大野将軍にてて手紙を書いた。
 松本吉雄という人に就いての問合わせである、書いてしまってから、彼女はそれを出そうか出すまいかに迷った。……そんなことをしても無駄だと思ったのである、月心尼は三日のあいだ、その手紙を机の上に置いたままにしていた。しかし、そのとき汽車が初めて甲府の町まで延びて来て、郵便が一日で東京へ行くことを知った。
 彼女は手紙を出した。
 そして其日から草庵にこもってしまった、返事の来るまでは外へ出る気もしなかったのである。……霧の下りて来る季節で、朝な朝な、草庵そうあんの周囲は灰白色のとばりに包まれた、そして日が高く昇ると、雪のある甲斐駒の嶺がまぶしくぎらぎらと輝いた。……月心尼は草庵のなかにすわったまま、終日看経していた、心は静かに澄んでいたし、眼には仏の慈悲を思わせる浄光が溢れていた。
 その朝もふかい霧だった。
 一人の配達人が東京からの返事を持って来た。……月心尼はそれを草庵の門口で受取り、静かに庵室へ入って封を切った。……手紙は将軍の直筆でしたためられたものであった。
 松本吉雄は自分が鳥羽の戦場で拾った男である、そういう書出しであった。……敵の集中砲弾にはねられて頭をやられ、すっかり記憶力を無くしているが、勇敢な兵士として自分の部下でよく働いた。そして薩南さつなんの乱には自分の身代りになって、敵の狙撃弾そげきだんのため胸を射抜かれた。……彼の右胸にある弾痕が、自分の命を助けて呉れた記念である。……彼は尋ね人があるからと云って自分の許を去ったが、不自由な身だから、し其地で困っているようなら是非面倒をみてもらいたい、此処にわずかながら金を封入する。
 ――そう書いた文面の末に、彼はもう自分の名も忘れているが、本名は清水信之助と云う者である。
 と筆太に認めてあった。
「ああ、……」
 月心尼は苦しげな声をあげた。……そしてその声よりも早く、彼女は立って、ふところから古びた紙包を取出した。
 辛夷こぶしの花の包である。
 月心尼は草庵を出た。走るまいとつとめたけれど、いつか気付くと走っていた。なにも思わず、なにも見えなかった。ただ足に任せて道を急いだ。
「ええあの御病人は、……」
 四、五日見えなかった月心尼を迎えて、世話役の老婆は静かに答えた、「……ゆうべ、さようです、ゆうべ暗くなってから、ひょいと向うへ出掛けておいでなされましたですよ」
「…………」
「さようです、ひょいと行っておしまいになりましたですよ、誰かあの人を待っているからと仰有おっしゃいましてね。……月心さま、ですからもう一人も此処には居りません、この救護院はじまって以来のことでございますが、一人もいなくなりましたですよ」
 月心尼はなにも云わなかった。
 草庵へ帰る道はまだ霧に包まれていた。吹き下りて来る濃霧は、彼女のからだを取巻いて渦のように揺れあがり、押戻したり千切れたりしながら流れ去って行った。
 月心尼の頬にはなみだしまをなしていた。けれど、いま彼女の泣いている顔には、これまでながいあいだ静かな、慈悲の微笑をたたえていたよりも明るく、活々いきいきとした望みの色が満ちていた。
「信之助さまは帰って来ます」
 月心尼は、いや香苗は、そのかみ信之助と別れた道の上へ来ると、じっと眼を閉じながらつぶやいた。「……きっと、きっと、信之助さまは此処へ帰っていらっしゃる」
 突然、彼女の閉じたまぶたの裏へ、あの日の信之助の姿が歴々ありありと浮かんで来た。……別れた直ぐあとでも思い浮かべることの出来なかった信之助の姿が。……香苗はそのとき初めて、信之助を自分の手に取戻したように思った。





底本:「春いくたび」角川文庫、角川書店
   2008(平成20)年12月25日初版発行
初出:「少女の友」実業之日本社
   1940(昭和15)年4月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2022年11月26日作成
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