「きゃーッ」
遠くの方から、幾つかの反響を呼び起しつつ、
微かに長く人の叫び声が聞えて来た。
寝台に
横わったまま、
枕卓子の上の
洋灯の光で雑誌を読んでいた桂子は
恟としながら頭を
擡げた。――岸を噛む怒濤が悪魔の
咆叫ぶように、深夜の空に
凄じく轟いているほかは、ひっそりと
寝鎮った建物の中に、何の物音もしていない。
「変ねえ、いま
慥かに人の声が……」
呟きかけた時、今度こそ
確きりと、それも胸を
抉られるような怖ろしい声で、
「きゃーッ」と
云う悲鳴が聞えて来た。
遠い方から曲り曲って来た声だ。
慥に塔の上からである。桂子は
慄然としながら
寝台をとび下りると、父の部屋へ馳せつけて力任せに
扉を叩いた。
「お父さま、大変よ、お父さま」
「……どうしたんだ」
「起きて頂戴、早くッ」
寝衣の上へ
寛衣を
引掛けながら、
宗方博士を先に、助手の
新田進も
洋灯を持ってとび出して来た。
「何だ、どうしたんだ」
「いま、上の方で
きゃあッて云う声がしたの、二度もしたのよ。何か変った事があったに違いないわ、見に行ってよ」
「そうか、
兎に
角行ってみよう」
即座に、
洋灯を持った新田を先頭に、博士と桂子の三人は階段の方へ馳せつけた。
此処は千葉県の外房海岸。俗に「
不帰浜」という岩石峭立する荒磯から、二百ヤードほど
距れた小島にある廃灯台であった。――高さ百五十
呎の塔と二棟の附属建物は、既に使用されなくなってから二十年。
殆ど廃墟も同様になっていたのを、一週間ほど前から宗方博士一行が
借受けているのだ。
宗方博士は海水中の微生物研究では日本有数の権威者で今度この近海に発生した夜光虫の研究をするため、三人の助手と令嬢を
伴れて移って来たのであった。――今宵は
丁度八日め、助手の一人吉井禎吉を不寝観測番に残して、みんな寝についてから三時間、午前一時少し過ぎた時にこの事件が起ったのである。
三人は殆ど息もつかずに螺旋階段を
馳登った。頂上は
旧の発光室を改造した夜行虫観測所で、幾種類もの観測鏡や特殊の分光器などが
備付けてある。――登って来た三人は、薄暗い
洋灯の光の下に、血まみれになって倒れている吉井助手の姿をみつけて、
「あっ!」と
其処へ
立竦んだ。
しかし新田進は
直ぐに
走寄り、
呻いている吉井を
抱起して傷口を
検べた。白い
上衣の胸まで、絞るほどの血だ。傷は頸の両側にあり、奇怪な事には、それが三つ
宛、まるで長い爪を
突立てたような形になっていた。――出血はひどいが
生命に別状はなさ
相だ。新田は
寛衣の裾を
引裂いて手早く
繃帯をしながら、
「吉井、おい、
確りしろ」
「…………」
「僕だ、先生もいらしってるぞ、吉井ッ」
耳許で叫ぶと、吉井は
ふっと眼を
明けたが、とたんに右手をあげて壁の一部を
指しながら、
「あ、あれ、あの鳥が……」
と怖ろしそうに、もつれる舌で云いかけたまま再びぐたりと気絶して
了った。
三人は
指示された処を見やった。その壁の一部には、もう羽根もまばらになった怪鳥の剥製が
飾付けてある。――左右に広げた翼は
凡そ二
米突に余り、全身真黒な羽毛に包まれ、鷲のような鋭い爪のある両足を
踏ひらいている。
是は博士たちが来た時すでに飾付けてあったもので、何十年となく
年古りているし、一体なんの鳥なのか全く分らない。鷲でもなく鷹でもなく、云ってみれば前世紀の猛鳥という感じである。
「お、お父さま!」
桂子が突然叫んだ。
「あの鳥の爪に血が……」
「えっ
」
新田が
洋灯をさしつけた。見よ、怪鳥の爪が生々しく血に
染っているではないか、――三人は愕然として息をのんだ。
高さ百五十
呎の廃灯台の絶頂、塔の外側はなんの足懸りもない絶壁だ。内部はたった一本の螺旋階段、犯人の出入る隙は
何処にもない。鼠の隠れる場所もない室内で人が殺されかかった。――壁に懸けられた怪鳥の爪は、吉井助手の頸の傷痕にぴったりと
当篏る。
然もその爪は血まみれであった。……恐るべき怪事件の幕はどう展開するか?
「大丈夫、命は
取止めます」
金森博士は手当を終って、ベランダの方へ出て来ながら云った。
翌る日の朝である。危急の知らせに時を移さず、地元の川名村から
馳けつけて来た村医金森博士は、夜の明けるまで殆ど
附切で手当をしていたが、どうやら大丈夫と見極めがついたのであろう、みんなの待っている処へ大股に出て来た。
「本当に助かりましょうな」
「命だけは
受合います。
然し……否、
先ずその
珈琲を一杯頂きましょうか。それから少し皆さんにお話があります」
桂子は手早く
珈琲を
注ぎ、
尚数滴のウイスキイを加えて
差出した。――金森村医は
煙草に火をつけ、さも旨そうに
珈琲を
啜りながら、
暫く海の方を見やっていたが、
「吉井君はどうして
怪我をしたのか、多分お分りではないと思うが、どうですか宗方さん」
「それなんです」
宗方博士は困惑を隠さずに云った。
「何しろ外側はあの通りなんの手掛りもない絶壁ですし、中は螺旋階段一本で、
何処にも犯人の隠れる場所はありません。第一なんのために吉井を殺そうとしたのか、それからして想像もつかぬのです」
「恐らくそうだろうと思いました」
「え? ――そう思ったと
仰有るんですか」
「宗方さん」
金森村医は煙草の煙を見やりながら、
「私は同じ事件に逢っています。是は今度が初めてではない。この灯台が廃止されて野山岬の方へ移されたのも、つまり
斯うした事件が原因をなして居るんです」
「お話の意味がよく分りません」
「つまり斯うなんです」
金森村医は
喫いさしの煙草を投げて
向直った。
「二十年ほど前のことです。或夜この灯台の灯を慕って一羽の名も知れぬ怪鳥が
舞込んで来ました。当時
此処に田口という若い看守がいましたが、この男が怪鳥をみつけて
拳銃で射殺し、剥製にして壁へ飾付けたのです」
「今もあるあの鳥ですね」
「そうです」
金森村医は暫く眼を閉じていたが、やがて低い声で続けた。
「不思議な事件はその夜から起りました。昨夜と同じように、その田口という男が発光室で喉を
掻切られて死んでいたのです。犯人は
何処からも
忍込めません。傷口は、……吉井君のと寸分違わずです。然も、――死ぬ間際に田口は『あの鳥が』と云って、例の剥製の怪鳥を
指しました」
「そのとき鳥の爪に血が附いていはしませんでした?」
桂子が怖ろしそうに訊いた。
「附いていました。と云うより血みどろだったと云うべきでしょう。――警官が来て二週間あまりも捜査しましたが、結局……訳の分らぬ怪事件として
打切られて
了いました。ところが、それから間もなく、左様、ひと月も経った頃でしょうか、今度は灯台長の川村という老人が、全く同じような
死方をしたのです」
「つまり、それも原因は分らず
了いなのですね」
「そうです、その後の二人も」
「…………」
四人も、四人も怪死したのか? 聴いていた宗方博士をはじめ、みんな
遉に顔色を変えたが、――新田進がふと金森村医を見ながら、
「そのお話をつづめると、剥製の怪鳥が動きだして人を殺す、と云う事になりそうですが、
貴方はそれをお信じになっているのですか」
「私は御覧の通り貧しい科学者で、試験管の中で実証される事実でない限り何物をも信じません。無論……剥製の鳥が化けて出るなどとという事も信じようとは思いません。然し、――一言みなさんに御忠告をします。どうか早くこの島をお立退き下さい」
そう云って金森村医は立上った。
「私は今度で五度まで同じ事件を見ました。この眼で見たのです。灯台も引移りました。
貴方がたも立退かれるのが安全です。――では是で失礼致します」
「――――」
金森村医は
鞄を持って出て行った。
みんな黙ってその後姿を見送っていたが、新田進はふと金森村医の掛けていた
椅子の下に、見慣れぬ
紙片が落ちているのをみつけて、
跼みながら
拾上げた。
「それなあに?」
「金森さんが落して行ったらしいです」
云いながら見ると、それはヘリウム
瓦斯の受取書であった。
「桂子、吉井を看ておやり」
宗方博士が椅子から立ちながら云った。
「私は仕事にかかる、今夜あたりから夜光虫は活溌に運動を始めるだろう、諸君も頑張って
呉れ給え、――私は怪鳥の伝説などは信じない
積だ、諸君も頼む」
宗方博士の強い研究心に動かされて、新田進は深く心に決するところが有った。
――剥製の怪鳥が祟る、そんな馬鹿な事が有る
筈はない、是には何か隠れた秘密があるんだ。
己はそれを突止めてやる――。
そう覚悟して、研究の合間をみては灯台の周囲を入念に捜査し始めた。――然し何物も発見されなかった。空
翔る翼でもない限り、百五十
呎の塔の外側を登る事は出来ない。またどんなに素早くやったところで、誰にも発見されずに螺旋階段を上下する事も出来ないのだ。
「分らん、こんな不思議な事は
有得ない、話だけ聞いたら恐らく僕自身でも嘘だと思うだろう、然し事実犯罪は行われたのだ。人間一人が殺されかかったのだ。――あの頸の傷は剥製の怪鳥の爪と合うし、その爪は血まみれだった。つまり、つまりあの怪鳥が吉井を殺しかかったと考えるより他に、どうしても説明がつかない」
新田青年は
遂に
匙を投げた。
そして丁度一週間めの夜半、第二の事件が起ったのである。然も今度は新田進がその犠牲者であった。――
其夜、観測当番に当った新田は、例の頂上の部屋に陣取って熱心に仕事を続けていた。
博士の言葉通り、夜光虫の活動は益々
旺んになって、海面は見渡す限り、波の動きに
順って明滅する蛍光で青白く輝き、観測鏡で覗くと
更にその濃淡強弱の交錯がまるで無数の宝玉の砕片を
振撒くかの様に見える。――
初のうちは、例の壁の怪鳥に気を取られ、時々そっと振返って見ていたが、遂にそれも忘れて、殆ど夢中で観測に没頭していた。
午前二時頃であったろう。少し前から吹きだした東風が次第に強くなって、遥か百五十
呎下の岩を噛む波の音が、深夜の空に凄じく咆え始めた。……すると全く不意に、ガタンと激しい音がして、
歩廊へ出る
扉が開き、どっと
吹込んで来た風に
煽られて
卓子の上の
洋灯が消えた。
「ひどい風だな」
覗いていた観測鏡を
措いてそう呟きながら振返った時、新田は電気に撃たれたように
其処へ立竦んだ。……見よ、壁に懸けられた怪鳥が、翼をいっぱいに拡げながら今にも襲いかからん姿勢で、眼前二
呎の処に突立っているではないか。
「ギャアギャアギャア」
奇怪な
叫声と共に凄じい
羽叩きをする。
「あっ
」
新田は椅子から
跳上った。然しその時、怪鳥は両の翼で彼を
押包み、新田は喉へ冷たいものが鋭く掴みかかるのを感じたまま椅子と共に
反ざまに
顛倒した。
それからどのくらいの時間が経ったであろうか、ひどい渇きと
烈い頭痛を感じながら、
ふっと眼を開いた新田は、直ぐ
眼前に心配そうな三つの顔を見出した。宗方博士と、令嬢と、助手の北村である。……
洋灯の光も明るく、自分は
寝台に寝かされているのだ。
――どうしたのだろう。
初めは夢を見ている気持だった。然し直ぐあの怖ろしい出来事を思出して慄然と息をのんだ。――博士は
乗出すようにしながら、
「どうだ、気がついたか」
「……先生!」
「もう大丈夫だよ、傷も大した事はない。虫が知らせたとでも云うのだろう。北村と一緒に様子を見に登って行ったのが間に合ったのだ。喉が痛むかね」
新田はそっと手をやってみた。頸が確りと繃帯で巻かれ、消毒剤の
匂が強く鼻をうつ、然しひどく頭痛がするだけで別に気分に
変はなかった。
「ああ起きない方が
宜いよ」
「大丈夫です」
新田は静かに半身を起して、
「済みませんが水を一杯下さい」
「あたしが持って来てあげるわ」
桂子が走るように行って、
洋盃になみなみと水を汲んで来た。
「有難う」
新田がひと息に
飲干すのを見ながら、宗方博士は力抜けのした声で、
「吉井の傷も大分
好いようだから、明日は
此処を引揚げるとしよう。科学が伝説に負けて
了った。残念だがこれ以上諸君を危険に
曝す訳には行かん」
「僕は反対します、先生」
新田が静かに云った。
「どうして反対だ。現に君は怪鳥に襲われ、危く殺されかかったではないか」
「そうです。僕は怪鳥の動きだすのを見ました。恐ろしい叫び声も聞きました。襲いかかられて傷も受けました。いま思っても恐怖で体が竦みます……然し、然し僕には信じられない。こんな奇怪な事が有る筈はないと思います。僕は真実を突止めたいのです。
例え僕一人でも
踏止ってやります」
新田は拳を固めて云った。
「よく云った、新田君!」
博士はつと新田の手を握りながら、
「私も立退くのは心外なのだ。こんな怪談めいた事件に負けて、
折角の研究を中止するのは科学者として最大の恥辱だ。私も君と一緒に
此処へ残ろう」
「あたしだって帰りはしないことよ」
「無論、僕もいます!」
桂子も北村も堅い決意を示しながら云った。――新田は微笑して、
「斯う気が揃えば何よりです。それでは少し眠りますからどうか皆さんもお引取り下さい。気分も直りましたから」
「そうか、では我々ももうひと眠りしよう」
そう云って博士たちは出て行った。
新田青年は再び
寝台に
横わり、静かな気持で事件を考え直してみた。――幾ら考えても、然しそれは謎のまた謎である。
――
慥にあの怪鳥が立っていた。そして翼をひろげて
跳掛って来た。奇怪な叫び声もはっきり耳に残っている。だが、二十年も前に射殺され剥製にされた物が動きだす筈はない。絶対に有得べからざる事だ。
新田青年はそっと
起上った。
――
宜し、先ずそれを
慥めてやろう!
彼は
洋灯を持ってそっと部屋を出た。
跫音を忍ばせながら螺旋階段を登って、観測室へ入った。壁には例の怪鳥がちゃんと懸っている。両翼は飾釘で壁へ確りと止められてあるし、踏ひらいた脚も真鍮の
環で堅く
緊着けられている。
――例えこの怪鳥が祟るとしても、是では断じて壁から
放れる事は出来ない。
――とすると?
吉井を襲い、彼を襲った物は他にある筈だ。壁に懸けられた怪鳥の他に、彼等を襲ったもう一羽の怪鳥……。
――待てよ。
新田は椅子に掛けて考えた。
――あれは果して怪鳥だったろうか、風で
扉が開いた、
洋灯が消えた、闇の中で両の翼を拡げたあの姿、
慥に壁の怪鳥と思ったが、今思うと……そうだ、そうだ、奴は床に立っていた。
新田は弾かれたように立上った。
彼は
洋灯を手に取って、仔細に床の上を検べ始めた。そして怪鳥の立っていたと思われる処から、小さな
銭蘚苔の
固りが落ちているのをみつけた。彼は
叮嚀にそれを拾って紙に包み、更に隈なく室内を検べた上、
扉を開けて
歩廊へ出た。既に東天は明け始めている――この島と五十
米突の間隔で左手に突出した岬には、松が一面に茂っていて、その
樹間から
紅らみかかる東の空が絵のように見える。
「……おや!」
新田は
ふと立停まって足許を見た。
歩廊の板敷の上にまたしても
銭蘚苔の小さい
片が落ちていたのだ。
彼は低く呻いた。何事か頭に
閃めいて来たらしい。その
眸子は
昵と、眼下に突出している岬のあたりを
覓め、右手の指は鉄の柵を
急しく叩きだした。――然しそれも暫くのことで、やがて身を翻えすと、元気な足取で螺旋階段を下へ降りて行った。
「謎は三つだ。
銭蘚苔と、怪鳥と、それから――翼、空翔ける怪鳥の翼!」
そう呟きながら……。
朝食の後で新田は、傷の手当をしに行くと云って地元の村へ出掛けて行った。事実彼は村医金森博士を訪ね、傷の手当をして貰った。そのとき、博士は彼等がまだ立退かなかった事を怒り、ぐずぐずしていると博士も令嬢も怪鳥のために殺されて
了うぞと、自分の事のように熱心に忠告した。
金森村医の許を辞した新田は、
何処でどう活躍したのか日暮れ近くになって島へ戻って来た。案じていた博士たちは、どうしたのかと色々
訊いたが、新田はただ、
「もう二日ほど待って下さい」と答える
許だった。
「そうすれば、何も
彼も説明します。ほんの二三日です」
その翌日も彼は村へ出掛けて行った。
――そして夕方近くに帰って来ると、今度は島の中を、まるで猟犬が獲物を追うように走り廻り、使わずに
抛ってある附属建物の中では三時間あまりも何かごそごそと捜査していた。
彼が夕食に戻ったのは午後八時を過ぎていた。すっかり元気になって、逞しい顔には微笑さえ
浮んでいる。
「どうした、何か発見したのか」
「大体の見当はつきました」
新田はにこりと笑って、
「先生、是を何だと思います」
そう云いながら、紙に包んだ白い粉を差出した。――博士は手に取って調べ、指の
尖につけて舐めたが、直ぐ
吐出しながら、
「コカインじゃないか」
「そうでしょう、僕もそう睨みました」
「どうしたのだ、こんな物を」
「向うの
空家の地下に貯蔵してあるのを発見したんです。つまり……是が怪鳥事件の原因なんです」
それから五日めの深夜であった。
あの夜から毎晩、四人は螺旋階段にひそんで、怪鳥の現われるのを
待伏せた。怪鳥は空から来る、新田はそう断言した。博士にも北村にも信じられなかったが、新田は確信ありげに
繰返し断言した。
「だってそうでしょう」と彼は微笑しながら云うのだ。
「鳥が地面から
這上る訳はありませんからね。それにしては少し高過ぎますよ」
「然し、本当に怪鳥が来るのか」
「来ます、必ず来るんです。もう直ぐ先生の眼でそれを御覧になれます」
新田は猟銃を持っていた。――観測室には北村が頑張っている。海面には相変らず夜光虫の活動が
旺んで、夢のようにおぼろなその青白い光が、この場面を一層妖しいものにしていた。
五日めの、丁度午前二時頃であった。静かだった空に強い東風が吹きはじめると、
「先生、注意して下さい。この風が怪鳥の来る前触れです。僕がこの猟銃を射ったら、直ぐ観測室へ踏込んで下さい」
「――宜し」
「桂子さんは
其処を動かずに」
そう云って、新田は小窓を開け、猟銃の先を空へ向けて身構えた。
深夜二時、夜光虫の輝く海に取囲まれた島、廃墟のような古灯台の絶頂で、殺人怪鳥の現われるのを待つ、この妖しくも奇怪な情景は忘れられぬものだった。――桂子は
遉に心弱い少女のこととて、次第に昂まる恐怖を抑えきれず、階段に
跼んだまま身を震わせていた。
「先生、来ました」新田が云うと共に、
だあんッ――。
耳を聾する銃声、もう一発! 同時に観測室で
ばたんと
扉の開く音、それより
疾く、宗方博士は脱兎の如く
其処へ踏込んで行った。――と
其処には、怪鳥が二
米余もある翼をひろげ、恐ろしい叫び声をあげながら北村に襲いかかろうとしている。博士は思わず
あっと立竦んだが、直ぐに右手の
拳銃をあげて、
がん!
と一発狙撃した。
「射ってはいけません」
喚きながら新田が馳せつける。
その刹那……怪鳥は身を翻えして、開いている
扉から外へとび出した。
「逃がすな、早く捉えろ
」
叫びながら三人が追って出る。
とたんに怪鳥は、鉄柵を乗越え、
飛礫のように海上めがけて身を投じた。
ひイ――という無気味な声が、遥かに遥かに下へ消えるのを、三人は茫然として聞いた。
「残念でした……是れで万事終りです」
新田が嘆息するように云った。
「罪はその出たところへ返りました。行って死体の始末をしてあげましょう――金森博士の死体を」
「なに金森博士
」
「そうです、怪鳥の正体は金森医師です」
「なんのためだ? 信じられん」
宗方博士は不審な
面持で新田を
覓めた。
「金森博士はコカインの密輸出をやっていたのです。この島が貯蔵所でした。それで我々を
此処から立退かせるために、こんな怪談を仕組んだのです。――現場を押えて改心を勧めようと思ったのですが、
矢張り博士としては生きていられなかったのでしょう」
「だが、どうしてこの高い場所へ来ることが出来たのか」
「怪鳥は空から来ると申上げました」
新田は静かに説明した。
「博士は空から来たのです」
「――分らん」
「吉井君の手当をしに来た時、博士は
落物をして行きました。それはヘリウム
瓦斯の受取書でした。なんのためにヘリウム
瓦斯が必要でしょう?
気球なのです。
気球を使ったのです」
みんなは意外な真相に
あっと目を
瞠った。
「怪鳥の去った後に、
銭蘚苔の細片が落ちていました。僕はそれを中心に捜査を進めたのです。そしてあの岬の松林の中に、同じ
蘚苔と、人の足跡をみつけました。博士は
其処で
気球に
瓦斯を詰め、怪鳥の仮装をしたうえ、強い東風を待って灯台へやって来たのです。――さっき僕が猟銃で射ったのはその
気球でした。博士はそれを知って、遂に自殺を敢行したのです」
「ではあの吉井の傷は」
「博士の死体を検べてみましょう、恐らく両手に
拵え爪を嵌めているでしょうから。……ただ警察へは知れぬように心配してあげましょう。悪事は悪事として、博士も医者としては一流の人物でした」
三人は黙祷するように頭を垂れた。――哀れ己の罪に死んだ金森博士。その死体をのんだ海は、夜光虫の青白い光を輝かせながら、弔うもののようにとうとうと岩を噛んでいた。